不思議探偵誌 第八話 お化けの依頼(4)

  • 2010.07.22 Thursday
  • 10:18
 婚約指輪というものは、これから結婚する二人にとっては特別な意味を持つものなのだろう。
将来を誓い合い、ずっと一緒にいようと約束を交わした証なのだから。
例え幽霊になっても、婚約指輪が大事だという女性がいる。
俺はその女性の依頼を受け、失くしたはずの婚約指輪を見つけ出した。
その幽霊の女性の名前は吉川江美子さんという。
とても美人な人だ。
失くした指輪を見つけてあげると、泣きながらその指輪を抱きしめていた。
俺は依頼通り、吉川さんの指輪を見つけた。
しかしまだ仕事は残っている。
これを吉川さんの婚約者の元へ届けないといけないのだ。
「私の気持ちは永遠にあなたと一緒にあることを伝えたい」
吉川さんはそう言った。
自分が死んだという事実は変えようがない。
だからもうそれは受け止めている。
でも、死んでも自分の気持ちは婚約者の彼と一緒にいるのだということを知ってもらいたいから、この指輪を届けてくれてと頼まれた。
そのことを由香利君に話すと、彼女は涙を浮かべながら感動していた。
「同じ女としてその気持ち分かります。
ううう、きっとその彼にも気持ちが伝わると思います。」
そう言って泣き出す由香利君を、幽霊の吉川さんがなだめていた。
「久能さん、この指輪、絶対に婚約者の彼の元へ届けましょうね!」
そして俺達は吉川さんに案内され、婚約者の所に向かっている。
確か名前は広人だったかな。
その広人さんの家は、俺の事務所から電車で一時間ほど離れた大きな街にある。
「ここからバスに乗って北へ向かうんです。」
駅に着くと、吉川さんはふわふわ宙に浮かびながら言った。
そしてバスに揺られること30分、閑静な住宅街が見えてきた。
とても品の良さそうな所で、大きな家がたくさん建っていた。
「こっちです。」
バスを降りると、そう言われてさらに東へ案内された。
「ここってお金持ちが住む、いわゆる高級住宅街ってやつですね。」
「そうだな。
でかい家が軒を連ねてる。
みんな金持ちなんだろう。」
それから吉川さんの後を追って10分ほど歩いた所に、お洒落な外観をした、三階建の立派な家が建っていた。
「ここです。
ここが広人の家です。」
表札を見ると「進藤」と書いてあった。
「広人さんも、お金持ちなんですか?」
由香利君が尋ねると、吉川さんはコクリと頷いた。
「広人のお父様が、貿易会社の社長さんなんです。
それで、広人はそこの専務です。」
いかにも金持ちが住んでいるって感じの家だった。
「ここから少し南に下がった所に、私の家があります。」
吉川さんは、目を細めて自分の家のある方向を見て言った。
「じゃあ吉川さんの家もお金持ちというわけだ。」
「はい。
父が流通会社の社長をしているんです。
私の父と広人のお父様は昔から仲がよくて、よく家族一緒に出掛けたりしていました。」
「ということは、広人さんと吉川さんは幼馴染なんですね。」
由香利君が胸の前で手を組み、目を輝かせて言う。
「そうです。
広人とは幼稚園から高校までずっと一緒でした。
付き合うようになったのは、高校を出てからです。
だから、お互いのことは本当によく知っているんです。」
「へえ、素敵だなあ。」
由香利君が目を輝かせたまま、吉川さんを見る。
婚約者は幼馴染か・・・。
昔からずっと一緒にいたってことは、もう家族も同然なんだろうな。
そんな婚約者を失くした広人さんの気持ちを考えると、いたたまれなかった。
「そんな仲のいい幼馴染ともうすぐ結婚だったっていうのに、吉川さん可哀想・・・。」
由香利君はポツリと呟いてから、しまったという顔になって謝った。
「ご、ごめんなさい。
こんなこと言っちゃって。
可哀想だなんて、失礼ですよね・・・。」
謝る由香利君に、吉川さんは笑って答えた。
「いいんですよ。
気にしないで下さい。
もう自分が死んだってことは受け入れていますから。
こんなことを言うとおかしな感じかもしれないけど、私でよかったなって思うんです。」
「どういうことですか?」
由香利君が不思議そうに尋ねる。
吉川さんは広人さんの家を見上げ、少し笑いながら答えた。
「もし立場が逆だったら、きっと私は耐えられなかったから・・・。」
吉川さんはそこで一呼吸おいてから続けた。
「広人が死んで、私が生きていたら、きっと私はその悲しみに耐えられなかったと思うんです。
愛しい人を失う悲しみを、私は味わいたくありませんでしたから・・・。」
俺も由香利君も黙って聞いていた。
婚約者が死ぬより、自分が死んでよかった。
きっとそれは吉川さんの本心だろう。
本当に優しい人なのだ。
そして、本当に広人さんのことが好きなのだろう。
幽霊になった今でも。
「じゃあ、指輪、渡しますね。」
そう言って俺は広人さんの家のインターフォンを押した。
「はい。」
インターフォン越しに若い男性の声が聞こえてくる。
俺は吉川さんを見た。
彼女は一旦目をつむり、そしてコクリと頷いた。
「私、探偵の久能と申します。
実はある方からの依頼で、あなたに届け物を持って参りました。」
「探偵?」
訝しげな声が返ってくる。
「はい。
どうしてもあなたにお渡しして欲しいと頼まれた物がありまして。
お受け取り頂けないでしょうか?」
やや沈黙があってから、「ちょっと待って下さいと」と返事があった。
「なんだかドキドキしますね。」
由香利君が緊張気味であるのに対して、吉川さんは落ち着いた表情をしていた。
そしてしばらくしてから、家のドアが開いた。
白いポロシャツにジーパン姿の青年が姿を現す。
イケメンというわけではないが、柔らかい雰囲気を持った親しみやすそうな青年だった。
門の手前で待つ俺と由香利君を見たあと、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「初めまして。
探偵の久能司と申します。
いきなりお伺いして申し訳ありません。
そう言って頭を下げるに俺に、「はあ」と気の抜けた返事を寄こす青年。
「彼が広人です。」
吉川さんが俺に耳打ちをする。
今、彼女の姿は俺と由香利君以外には見えていないそうだ。
広人さんの前に姿を現わないのは、彼が極度の怖がりだということと、もし姿を見せても、お互いに傷付くだけだからだと言っていた。
もう姿を見せた所で、私達は抱き合うことも出来ない。
それは、彼にとっても私にとっても大きく傷付くからだと吉川さんは言っていた。
観察するように俺達を見る広人さんに、俺はポケットの中から婚約指輪を取り出してみせた。
「これをご存じですね。」
広人さんは大きく目を見開き、その指輪に吸いこまれるんじゃないかと思うほど視線を向けていた。
「ど、どうしてそれを・・・。」
かすれるような声で尋ねてくる広人さん。
ゴクリと唾を飲み込み、その指輪を見つめていた。
「これはある人物から依頼されて見つけ出したものです。
この指輪が何であるかは、説明は不要ですよね。」
広人さんはゆっくりと手を伸ばし、俺の手から指輪を取った。
それを両手に乗せ、「江美子」と小さく呟く。
しばらく沈黙が流れる。
そしてやがて広人さんの口から小さな嗚咽が漏れ始めた。
彼は両手でぎゅっと指輪を握り締め、涙で頬を濡らしながら、勢い込んで俺に尋ねた。
「誰なんですか!
この指輪を俺の元に届けて欲しいと頼んだのは!」
俺の横で由香利君が泣きそうな顔をしていた。
顔を俯いて、唇を噛みしめていた。
「それはお答え出来ません。
私には守秘義務というものがあります。
依頼人の素性を明かすことは出来ないのです。」
広人さんは門を開け、俺の襟首に掴みかかった。
「教えろ!
一体誰なんだ!
誰がこの指輪を届けさせたんだよ!」
彼は強く俺を揺さぶる。
涙で顔を濡らし、叫ぶように俺に答えを求めた。
「何度聞かれても、それはお答え出来ません。」
俺は彼の手をゆっくりと払いながら言った。
指輪を握り締めたまま、彼はその場にうずくまった。
嗚咽の声が大きくなり、肩を震わせ、体全体で悲しみを表していた。
愛する者を失った悲しみ。
それがどれほどのものか、今の俺には到底理解出来ないのかもしれない。
だってまだそんな目に遭ったことがないのだから。
だがしかし、今回の依頼人である吉川さんの気持ちは痛いほどよく分かっていた。
吉川さんが、死んだのが自分でよかったという気持ちは、この悲しむ青年を見ていれば俺にも理解出来た。
吉川さんは何としてもこの青年を失いたくなかったのだろう。
「広人さん。」
俺はうずくまって泣く彼に向かって言った。
「申し訳ないが、誰がこの指輪を届けてくれと言ったのかは教えることはできない。」
広人さんは僅かに顔をあげて俺を見た。
「しかし、これは俺の想像だが、この指輪に込められた想いなら話すことが出来る。」
「指輪に込められた想い・・・?」
俺は深く息を取り、そして彼の前にしゃがみ込んでその想いを伝えた。
「私の気持ちは永遠にあなたと一緒にある。」
その言葉を聞くと、広人さんは涙で赤くなった目で俺を見つめた。
「まあ、さっきも言った通り、俺の想像ですがね。
でも、たぶん、いやきっとその想いが込められていると思いますよ。」
俺は笑ってそう言い、彼の肩を叩いた。
「私の仕事は、この指輪と、その想いを届けることだったんです。
もう用は済みましたから、これで失礼いたします。」
俺は立ち上がり、彼に背を向けた。
隣の由香利君を見ると、耐えかねたのか、俺と同じように背を向けた泣いていた。
「江美子・・・。」
背中に彼の呟きを聞き、俺達はゆっくりとした足取りで広人さんの家を後にした。

                      *

「本当にありがとうございました。」
事務所に帰ってくるなり、吉川さんが頭を下げた。
俺は椅子に座ってタバコを吹かしていた。
開けた窓の外に大きく煙を吐き出す。
広人さんと会っている時、そして事務所に帰って来るまで、吉川さんは終始落ち着いた顔をしていた。
婚約者を失った悲しみで泣き崩れる広人君とは対照的に。
「由香利君、いつまで泣いているんだよ。」
まだべそかいている由香利君に向かって言った。
「だって・・・、広人さん可哀想なんだもん・・・。」
まったく。
お前は部外者だろうが。
泣きたいのは吉川さんだろうに、彼女は表情を崩すことはなかった。
「どうして泣かなかったんです?」
俺は彼女に尋ねた。
吉川さんはニッコリと笑い、ふわふわと宙を漂いながら俺の傍に寄ってきた。
「だって泣くことなんかないじゃないですか。
私の願いは叶えられたんです。」
美しい顔をほころばせ、俺に振り返って手を後ろで組んで言った。
「それに、彼に伝えたかった言葉は、ちゃんと探偵さんが言ってくれました。
それを聞いて泣き崩れる彼を見て、私、本当に愛されているんだなあと分かったし。」
俺はタバコを灰皿に押し付け、吉川さんの顔を見た。
何かとってもスッキリしていて、まるで天女のようにも見えた。
「探偵さん、ありがとう。
本当にあたなに依頼してよかった。
ちゃんと自分の願いが叶えられて、もう満足です。」
その時由香利君が近づいてきて、吉川さんに言った。
「生まれ変わったら、きっとまた広人さんと出会えますよ。
私、そんな気がします。」
その言葉に彼女は笑い、「ありがとう」と言うと窓に近づいて外を眺めた。
「吉川さん。
この久能司、由香利君の言ったことに共感します。
きっとあたな達は、来世で結ばれますよ。」
吉川さんは一瞬振り向き、ニコッと笑って見せた。
そしてまた窓の外に目をやる。
窓から秋の涼しげな風が流れ込んでくる。
それが事務所を駆け巡り、俺や由香利君の髪を撫でていく。
吉川さんも、この風を感じているだろうか?
窓から空を仰ぎ見る吉川さんの髪は、風には揺られていなかった。
俺はずっと吉川さんの背中を見ていた。
何か重荷を外したように、とても軽やかそうだった。
俺はも立ち上がり、うーんと背伸びをした。
今日はいい天気だ。
雲一つなく晴れ渡っている。
吉川さんはまた振りかえり、俺たちに深く頭を下げた。
「本当にありがとう。
感謝してもしきれないわ。
私、これでもう思い残すことはありません。」
そう言って再び窓の方を向き、サッシに手をかけるようにして、窓から半分身を乗り出した。
「今日は良い天気ね。
なんて綺麗な空。」
そう言うと、吉川さんの体は、まるで空に吸い込まれるようにして消えていった。
俺はゆっくり窓に歩み寄り、空を仰ぎ見た。
美しい青空が広がっている。
吉川さんはこの美しい空を舞って、天に昇っていったのだろう。
俺は窓を開けたまま、自分の椅子に座った。
「由香利君、お茶を淹れてくれないか。」
「はい。」
そう返事をし、しばらくしてお茶が運ばれてきた。
俺はそれを一口飲み、由香利君に笑いかけた。
「まあ、何というか。
上手く解決してよかったな。
あとで茂美に報告しておこう。」
「そうですね。」
そう返事をしながら、由香利君が何やら準備体操を始めた。
「何やってんだ?」
俺が尋ねると、由香利君は不敵な笑みを浮かべた。
「昨日、川で私のお尻に触りましたよね。
あのとき、あとでお仕置きするって言ったでしょ。」
そう言って由香利君が襲いかかってくる。
「うぎゃあ!
勘弁してくれ!」
俺は窓から身を乗り出して逃げようとした。
そこに由香利君のかかと落としが決まる。
俺は天を仰いで床に転げた。
「まあ、これくらいで勘弁してあげます。」
今日はいい天気だ。
晴れ渡る青空を見てそう思った。
強烈なかかと落としをくらって、俺も空へと昇天しそうだった。

                                   第八話 完


不思議探偵誌 第八話 お化けの依頼(3)

  • 2010.07.21 Wednesday
  • 10:24
 季節は秋。
中に入って泳ぐには川の水は冷たく、しかもどう見ても遊泳するような川じゃない。
近くに大きな橋がかかっていて、その上をたくさんの車が通過している。
また川の近くには散歩道があり、ウォーキングをする人や、犬を連れて歩いている人がちらほらいる。
川の向こうには山があり、その下には情緒を残した下町風景があった。
絵を描くには中々良い場所だろうと思う。
しかし、この川の中に入って泳ぐのは大いに躊躇われる。
「久能さん、早く川の中に入って下さいよ。」
由香利君がせっつくように言う。
「ちょっと待てよ、準備運動くらいさせろ。」
俺は手足と体を動かし、水の中に入る為の準備をする。
散歩道を歩く人達が、怪しげな視線を俺に向けてくる。
当然だ。
何たって、今俺は海パン一丁なんだから。
秋の川のそばで、男が海パン一丁で準備体操をしている。
下手をすれば、警察を呼ばれるくらいに怪しい光景だ。
「すみません、私の為に。」
幽霊の吉川さんが、申し訳なさそうに頭を下げる。
相変わらず体は半透明で、本人曰く、今は俺たちにしか姿は見えないようにしているという。
何故俺が秋の川に入らねばならないのか。
それはこの幽霊の吉川さんの依頼だからだ。
実は吉川さんはこの川でおぼれて亡くなったのだ。
そして溺れている時に必死にもがき、その時に薬指にはめていた婚約指輪を失くしてしまったという。
本人は幽霊になってから、自分の遺体が引き揚げられるのも、お葬式が行われるのも見たと言っていた。
しかしその何処にも自分の婚約指輪はなかったという。
そしてその失くした婚約指輪を見つけ、吉川さんの婚約者の元に届けるのが俺の仕事だ。
きっとこの川のどこかに婚約指輪があるに違いない。
それを捜す為に、今から俺は秋の冷たい水の中に入る。
幸い泳ぎには自信があるが、それでも秋に川に入るってなあ。
それもとても泳ぎにくるような川じゃない。
散歩道を歩く人達からなおも怪しい視線を向けられながらも、俺は入念に準備体操を続けた。
「いつまで準備体操をやっているんですか。
早く川に入って下さいよ。」
由香利君が頬を膨らませて俺を見る。
「あのなあ、今は夏じゃないんだぞ。
きっと水は冷たいはずだ。
そんな所にいきなり入ったら、心臓麻痺でもおこすかもしれないだろう。
文句があるなら、由香利君が川に入ればいいだろう。」
俺が怒ったふうに言うと、由香利君は口を尖らせた。
「私はただの助手ですから、こういう大役は久能さんにお任せします。」
まったく、こういうときだけ調子のいいこと言いやがって。
助手のくせにいつも殴ったり蹴ったりしているのはどこのどいつだ。
俺は心の中で悪態をつきながらも、準備体操を終えて川に近づく。
「うひゃあ、冷たい。」
体を慣らすために、少し水に足を入れたのだが、予想以上に秋の川は冷たかった。
「本当にすいません。
私の為に。」
また吉川さんが謝る。
「いいんですよ。
これも仕事のうちなんですから。
久能さん、ちゃんと指輪を見つけてきて下さいね。」
「はいはい。」
俺は気の無い返事をし、それから目にゴーグルを付け、覚悟を決めて川に入った。
冷たい水が全身を覆う。
川の流れは予想以上に強く、スカートを穿いていた吉川さんが溺れたのも頷ける。
俺は胸一杯に息を吸い込み、川の中に潜った。
川底にはごつごつした岩が無数にあり、この中から指輪を見つけるのは至難の業だと思われた。
吉川さんは溺れながら下流まで流されたと言っていたから、少ずつ下の方に行きながら捜さねばなるまい。
俺は息の続く限り潜った。
そして岩場の影をくまなく捜し、指輪がないかをチェックしていった。
「ぶはあ!」
息が続かなくなって川面に顔を上げる。
「見つかりましたかー!」
由香利君が叫ぶように聞いてくる。
俺は首を振り、再度潜って指輪を捜す。
こりゃあ大変な作業だぞ。
俺は長期戦になることを覚悟した。
そして潜ったり、顔をあげたりを繰り返しているうちに体力の限界がきて、一度岸へ上がった。
「はあはあ・・・。
すごい疲れる。」
俺は地面に手を付いて大きく呼吸をしていた。
「大変そうですね、大丈夫ですか?」
由香利君が俺の顔を覗き込む。
「大変なんてもんじゃない。
こりゃあ今日中に見つけるのは無理かもしれないな。」
俺は肩で息をしながら答えた。
「うーん、久能さん普段から運動不足ですからね。
体力が無いんですよ。」
そう言う由香利君に、俺は顔をあげて言った。
「だから、君がやればよかったんだよ。
空手で鍛えて体力だってあるだろう。」
そうなのだ。
こんな運動不足の俺がやるより、鍛えている由香利君の方が適任なのだ。
そしたら由香利君の水着姿だって見れたものを。
「わ、私は泳ぐのは得意じゃないんです。
それにこんな所で水着になって川に入るなんてごめんです。」
由香利君はツンとした顔でそっぽを向く。
俺はもしかしたらと思って聞いてみた。
「由香利君、君ってもしかしてカナヅチなんじゃないのか?」
ズバリ予想は的中。
由香利君は顔を真っ赤にし、黙りこくってしまった。
「よし、じゃあ今度俺が泳ぎを教えてあげよう。
手取り足取り、丁寧に泳ぎ方を伝授でしてあげよう。」
そう言うと由香利君は怒った顔で俺を見降ろし、ふんと鼻を鳴らした。
「そんなこと言って。
どうせ私の水着姿が見たいだけでしょ。
それに教えている時に、絶対にお尻を触るに決まってます。」
バレたか。
由香利君は「べえー」っと言って赤い舌を出し、またそっぽを向いてしまった。
「あ、あのう。
あんまり無理なさらないで下さい。
何も今日中に見つけて欲しいというわけじゃありませんから。
もし無理をして探偵さんまで溺れて幽霊になってしまったら、取り返しがつきませんから。」
吉川さんは優しくそう言ってくれる。
なんていい幽霊だ。
由香利君とは大違いだ。
「いやいや、この久能司。
まだまだやれますよ。
きっと今日中に指輪を見つけてご覧に入れましょう。」
海パン一丁で、幽霊に向かって格好をつける俺。
隣で由香利君が白い目で見ていた。
「何だよ。」
俺はとっけんどんに聞く。
「久能さん、相手が美人なら幽霊でも張り切るんですね。
どれだけ美人に弱いんですか。」
由香利君が呆れたように言う。
はいはい、どうせ俺は美人に弱いですよ。
だって吉川さんは本当に美人なのだ。
幽霊であっても、本当に美しい。
吉川さんの婚約者は幸せ者だなと思いながら、俺は立ち上がってもう一度潜ることにした。
「本当に無理なさらないで下さいね。」
吉川さんが心配そうな顔を向けてくる。
「大丈夫ですよ、この人は美人が相手だと張り切るんですから。
心配なんて無用です。」
俺は由香利君をじっと見た。
「な、何ですか?」
由香利君が訝しげに尋ねる。
俺は由香利君の後ろを指差して言った。
「由香利君の後ろに、吉川さんとは別の幽霊がいるぞ。」
「ええええ!」
由香利君が後ろを振り返った途端、俺はお尻を触った。
「嘘だよーん。
ああ、由香利君のお尻は弾力があっていいねえ。」
「く、久能さん!」
鬼の形相で襲いかかってくる由香利君。
俺はひどい目に遭わされる前に川に飛び込んだ。
「後で覚えておいて下さいね!」
由香利君が川に飛び込んだ俺を、物凄い目で睨む。
俺は「おお、怖い」と呟き、再び川の中に潜った。
さっきより下流の向かって捜してみることにした。
相変わらず川底は岩でごつごつしており、時折ゴミが大量に溜まっているのが目にとまる。
そういうゴミの中や、岩場の影をくまなく捜しながら潜っていると、やはりまた息があがって水面に顔を出した。
「はあはあ、見つからないなあ。」
かなり下流に来てしまったようである。
二人の姿が遠くに見える。
俺はまた岸へ戻ろうと泳ぎ始めた。
しかしその時、急に足がつってしまい、俺は溺れそうになった。
こりゃあやばい!
そう思いながら必死に手でもがくが、顔を水面に出すことは出来ず、ただ下流へ流されていくばかりだった。
「久能さーん!」
遠くに由香利君の声が聞こえる。
俺は完全に溺れていた。
やばい、このままじゃ本当に吉川さんと同じ幽霊になってしまう。
手に力を入れ、必死にもがく。
なんとか頭を水面に出すと、目の間に吉川さんが浮かんでいた。
「大丈夫ですか!」
引きつった顔で俺に尋ねてくる。
そっか、吉川さん幽霊だから宙を飛べるんだ。
そんなことを考えつつ、力いっぱい手で水をかいた。
「ここから右へ泳いで下さい。
すぐ向こう岸に辿り着きますから。」
宙に浮かぶ吉川さんの声を聞き、俺は何とかかんとか手でもがいて対岸に辿り着いた。
石ころが転がる対岸で、俺は安堵の息を吐き出しながら寝そべった。
「はあはあ、死ぬかと思った。」
つっていた足はもう元に戻っており、俺は溺れかけた恐怖で心臓がバクバクいっていた。
「久能さーん!
大丈夫ですかー!」
遠くから由香利君が叫ぶ。
俺は笑顔で手を振り、心配するなということを伝える。
「危なかったですね。
危うく私の仲間入りをするところでしたよ。」
吉川さんがホッとしたように言い、俺の近くに座るように浮かんでいた。
俺はしばらくその場で呼吸を整え、そして近くの岩に手を付いて立ち上がろうとした。
とその時、近くの岩場の影から何か光る物が目に入った。
何だろうと思い、ゴーグルをつけて水の中を覗き見る。
するとそこには指輪らしきものがあった。
「見つけた!」
俺は大きく叫んでいた。
吉川さんが宙に浮かんだままポカンとしていた。
俺は岩場の間に手を伸ばし、何とかその指輪を取ろうとするが、あとちょっとの所で手が届かない。
そこで眉間に力を集中させ、念動力を使って指輪を3cmこちらに近づけた。
指に指輪が触れ、俺は精一杯手を伸ばして指輪を掴んだ。
水の中から指輪を出し、それを吉川さんに見せて、「これですね」と尋ねた。
吉川さんは宙に浮かんだまま、両手で口を覆い、涙を流しながら頷いていた。
「これです。
私の婚約指輪です。」
確か昨日、すごく軽いものなら触ることが出来ると吉川さんは言っていた。
指輪にほとんど重さはない。
俺は指輪を手に乗せ、吉川さんに差し出した。
震える手を伸ばしながら、それを受け取る吉川さん。
指輪を両手で握りしめ、胸に抱くようにして泣いていた。
涙は宙を落ちる間に泡のように消えてしまうが、指輪はしっかりと吉川さんの両手に握られていた。
「広人・・・。」
吉川さんが婚約者の名前を口にし、その指輪を愛おしそうに眺めていた。
よかった。
俺はホッと胸をなで下ろした。
「久能さーん!」
由香利君が対岸を走りながら俺達に近づいてくる。
俺は由香利君にビシっと親指を立てて見せた。
由香利君も頷き、笑顔を見せていた。
さてと、後はこれを吉川さんの婚約者の元に届けるだけだ。
俺はしばらく指輪を見つめて泣いている吉川さんを見つめていた。
「久能さん、よかったですねー!」
由香利君の声に、俺は大きく頷いた。
本当によかった。
俺は笑顔で由香利君に手を振った。
「でも、お尻を触ったことのお仕置きは後でちゃんとしますからねー!」
その声を聞き、俺の笑顔は固まった。
この感動的なシーンに、そんなことを言わなくてもいいじゃないか。
俺は由香利君を軽く睨んだ。
「鉄拳と回し蹴りとかかと落とし、フルコースでいきますから。」
俺は由香利君を睨むのをやめ、「ははは、凶暴な助手なもので」と指輪を見つめて泣いている吉川さんに行った。
「エッチなことをしたんだから、当然の報いだと思います。」
吉川さんは指輪を手に持ったまま、真剣な顔で俺にそう言った。
俺は由香利君と吉川さんを見比べ、愛想笑いを浮かべながらお仕置きされることを覚悟していた。

                               第八話 またまたつづく

不思議探偵誌 第八話 お化けの依頼(2)

  • 2010.07.20 Tuesday
  • 10:25
 世の中には不可解なことがたくさんある。
超能力、UFO、未確認生物、そして幽霊である。
俺は特に幽霊というものは信じていなかった。
あんなものはただの幻か、作り話に決まっている。
超能力を使える自分のことを棚に上げ、そんなことを考えていた。
だがしかし、今俺の目の前に幽霊がいる。
それは想像していた恐ろしいものではなく、大人しそうな、そして遠慮がちな雰囲気を放ってソファに座っている幽霊である。
この幽霊を連れて来たのは茂美である。
あいつはいつも面倒なことを押し付けていく。
この幽霊には何か心残りがあって成仏が出来ないらしく、それの相談を受けてやってくれと言って、茂美は幽霊を残して去って行った。
幽霊相手に何を話せばいいものか。
俺は引きつった顔で苦笑いを向けながら、幽霊を見ていた。
「ゆ、由香利君。
とりあえずこの幽霊さんにお茶をお出ししてくれ。」
幽霊を見て放心状態の由香利君。
ふらうふらと立ち上がって、お茶を淹れに行く。
「ははは、どうも。
いやあ、幽霊ってのは初めてなもんで。
ちょっと緊張しとりまして。」
この幽霊は最近お亡くなりになった、吉川江美子さんという。
茂美がそう紹介していった。
なぜお亡くなりになったのか、そして心残りとは何のか、それはこれから吉川さんに聞かねばなるまい。
由香利君が放心状態のままお茶を持って来て、吉川さんの前に置く。
「ま、まあ粗茶ですがどうぞ。」
俺がお茶を勧めると、吉川さんは頭を下げ、じっとお茶を見た。
幽霊なので半分体が透けており、向こう側の壁が見える。
幽霊ってお茶なんか飲むのかな?
そう思っていると、吉川さんは申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめんさない。
ご迷惑ですよね、幽霊が依頼に来るなんて。」
吉川さんはじっとお茶を見続けたまま、小さく唇を動かした。
悲しい色を目に浮かべたまま、そっと顔をあげて俺を見た。
「いやいや、そんなことはありませんよ。
この久能司、持ち込まれた依頼は責任を持ってお引き受けいたします。
その、幽霊であっても。」
俺はじっと吉川さんを見た。
とても綺麗な人だ。
幽霊になってもなお、凛としたたたずまいをしている。
きっと生きている時は、そうとうモテたに違いない。
「私、十日ほど前に水難事故で死んでしまったんです。」
唐突に吉川さんは話し始めた。
俺の隣で放心している由香利君は放っておいて、その話に耳を傾けた。
「絵を描くのが趣味でした。
あの日も、家の近くの川で絵を描いていたんです。
美しい風景でした。
大学では美術科を専攻していました。
絵でご飯が食べていけるなんて思ってはいませんでしたから、普通に働いていました。
でも、絵は大好きだったから、休日には画材道具を持って出掛けていたんです。」
なるほど。
確かに芸術を好みそうな顔をしている。
吉川さんがどんな絵を描くのか、ちょっと興味をそそられた。
「風景を描かれていたんですか?」
「はい。
美しい景色が好きなものだから。
それであの日も川に出掛けたんです。
お天気も良くて、絵を描くにはもってこいの日和でした。
私は目に写る風景に心を躍らせながら、筆を走らせていました。」
俺は絵を描く吉川さんを想像してみた。
確かによく似合いそうだった。
「あ、ごめんなさい。
せっかくお茶を出してもらったのに。
私死んでるから、物に触ることが出来ないんです。」
吉川さんは頭を下げた。
「いえいえ、気になさらず。
でも、ソファには座ることが出来ていますよね?
どうしてです?」
俺が尋ねると、「ああ、これは」と言いながらソファに触れる仕草をした。
「実は座っている訳ではないんです。
幽霊って重さがないから、浮かんだり出来るんですよ。
だから、今はソファに座っているように見せているだけです。
あ、でもすごく軽いもの、ほとんど重さのないものなら触ることが出来るんですけどね。」
幽霊に重さはないか。
確かにそうかもしれない。
浮幽霊とかいうもんな。
吉川さんもその気になれば、空を飛ぶことが出来るということなのかもしれない。
「すいません、話の腰を折ってしまいましたね。
どうぞ先を続けて下さい。」
もうこの幽霊に対する恐怖感はなかった。
まるで生きている人間と話しているのと違和感がなかったから。
吉川さんはコクリと頷き、先を続けた。
「それで絵を描いている時に、いきいなり突風が吹いたんです。
それで手に持っていた筆を川に落としていましました。
私は慌てて川に駆け寄ったんです。
そしたら・・・。」
そこで言葉を区切り、顔を伏せてしまった。
手を忙しなく握り、思い出したくないことを思う出そうとしているようだった。
「いいんですよ、落ち着いて話して下さい。」
俺は努めて優しくそう言った。
吉川さんは頷き、またゆっくりと顔をあげて話し始めた。
「私ってドジだから。
川に浮かんだ筆を取ろうと手を伸ばした時、そのまま川に落ちてしまったんです。」
そう言ってから、吉川さんは自分のスカートをポンポンと叩いて見せた。
「こんな格好でしょう。
スカートが水の中で足に巻きついて、溺れてしまったんです。
私は溺れながら、どんどん下流へ流されて行きました。
なんとか必死に顔を水面に出そうともがいたけど、水を含んだ服が重くて、それも出来ずに結局溺れて死んでしまったんです。」
吉川さんは宙に目をやり、今自分が吐いた言葉を眺めているようだった。
「それは、お気の毒です・・・。」
事務所に重い空気が流れる。
俺は今、人が死ぬ直前の話を聞かされたわけだ。
そしてその死んだ人が目の前にいる。
何と言葉をかけていいか分からず、しばらく黙っていた。
「すみません、暗い話になってしまって。」
「いえ、依頼を受ける上では色々なことを聞いておかなければなりませんからね。
気にしないで下さい。」
そう言うと、吉川さんは初めて笑顔を見せた。
とても温かみのある、優しい笑顔だった。
「私、自分の死んだ話なんか聞かされて、きっと嫌な顔をされるだろうなと思っていました。
でも、そう言って頂いて、少し安心しました。」
俺も吉川さんに微笑み返し、胸を張った。
「この久能司、依頼人の話に嫌な顔など見せません。
どななことであれ、真面目に依頼を受けるのがプロの探偵というものです。」
俺が格好をつけて言うと、吉川さんは口に手を当てて笑った。
「私、とてもいい探偵さんを紹介してもらったみたいですね。
茂美さんに、感謝しなきゃ。」
茂美が何と言って俺を紹介したのかは知らないが、それでも吉川さんが笑顔になってくれるのはいいことだ。
たとえ幽霊であっても、喜びの感情を持ち合わせているのは幸運なことかもしれない。
俺はごほんと咳払いをし、いとまいを正して吉川さんに聞いた。
「あなたがお亡くなりになられた経緯は分かりました。
それでですね、その、あたなのお願いというのをお伺いしたいんです。
何かこの世に心残りがあるということで成仏出来ないということですが、それは一体何なんでしょうか?」
そう尋ねると、吉川さんは自分の薬指を撫で始めた。
まるでそれがとても愛おしいものであるかのように。
「実は、私婚約していたんです。
彼から貰った婚約指輪を、ずっとはめていました。
もちろん絵を描きに行ったあの日も。」
そうか、婚約していたのか。
それを聞いて、亡くなった吉川さんがとても不憫に思えてきた。
その俺の心を察したのか、吉川さんは笑顔で言った。
「私、もう自分が死んだという事実は受け入れています。
これから結婚するはずだった幸せがなくなってしまったのは辛いけど、でも死んでしまった事実はどうにも変えられないないから・・・。」
強い女性だなと思った。
普通なら、そのことを未練に思っていましそうなものだが。
そして吉川さんは急に、真顔になって言った。
「でもね、一つだけ心残りがあるんです。」
強い目線で、真っすぐ俺を見る。
俺はその視線を正面から受け止めて話を聞いた。
「溺れてもがいている最中に、指にはめていた婚約指輪が外れてしまったんです。
私は幽霊になってから、自分の遺体が引き揚げられるのも、自分のお葬式が行われるのも見ていました。
でも何処にも婚約指輪が無かったんです。」
「それが心残りなんですか?」
はい。」
吉川さんは強く頷いた。
「お葬式で悲しむ両親、そして友達、見ているのがとても辛かった。」
そこで吉川さんは涙を流した。
しかしその涙は、頬を伝うと、地面に落ちる前に泡のように消えてしまった。
「それでね、一番私が心を痛めたのは、婚約者の男性、広人っていうんですけど、彼が泣きじゃくっている姿を見た時なんです。
ああ、彼はとても心を痛めているんだな。
まるで自分の半身が失われたみたいに、とても辛いんだなって思って。
もし立場が逆だったら、私も広人と同じ気持ちになっていたと思います。」
愛するものを亡くす悲しみか。
俺にはまだ経験が無いので、その気持ちは測りかねた。
「私は死んでからも、何度も広人の所に行きました。
彼は死んだはずの婚約者の指輪を今でもはめています。」
そこまで聞いて、俺は口を挟んだ。
「ちょっと待って下さい。
あなたはこうやって人前に姿を現すことが出来るんですよね。
だったらその婚約者の前に姿を現してあげればいいじゃないですか。」
しかし吉川さんは首を振った。
「彼はとっても怖がりなんです。
ホラー映画なんて絶対に見れないし、心霊特集の番組なんか見たら、一人でトイレにい行けないくらいなんです。
だから死んだ私が姿を現したら、きっと彼は気を失っちゃいます。
それに・・・。」
「それに?」
「彼の前に姿を現すと、余計に心の傷を深くするような気がして。
目の前にいるのに、もう私達は抱き会えない。
それは、きっと彼にも私にも辛いことだから・・・。」
やはり吉川さんは優しい女性だ。
死んでもなお、婚約者に気を遣うとは。
「それでさっきの婚約指輪の話なんでけど。」
すっかり話が逸れて、俺は忘れかけていた。
「何処にも私の婚約指輪がないって言ったじゃないですか。」
「ええ、おっしゃいました。」
「そして婚約者の彼はまだ婚約指輪をはめている。」
「それもお聞きしました。」
そこで吉川さんは手を膝の上に置き、改まった顔をして言った。
「私の失くした婚約指輪を見つけて欲しいんです。
そして、それを彼の元へ届けて欲しいんです。」
「どうしてそんなことを?」
俺は吉川さんの真剣な目を見ながら尋ねた。
幽霊でありながらその目は澄んでおり、俺の視線を吸収しているようだった。
「私は死んだけど、その心はずっと彼と一緒にいるってことを知ってもらいたいからです。」
開けていた窓から涼やかな風が入り、俺の吉川さんの間を駆け抜けて行った。
頬を撫でる風を、幽霊の彼女も感じただろうか?
「婚約指輪は、彼がずっと私と一緒にいようっていう誓いの想いでくれたものです。
だから、その指輪を彼に渡して、私の気持ちは永遠にあなたと一緒にあるってことを伝えたいんです。」
そう言って、また吉川さんの目から淡い涙がこぼれ落ちた。
やはりそれは地面に落ちる前に消えてしまい、まるで幽霊になった彼女を表しているようだった。
「探偵さん、私のお願い、聞いてもらえますか。」
吉川さんは、その美しい目を真っすぐ俺に向けてくる。
俺は笑顔を浮かべ、その視線を受け止めた。
「もちろんです。この久能司、きっと吉川さんの願いを叶えてみせましょう。」
その言葉を聞くと、彼女は両手で顔を覆って泣き始めた。
「ありがとう。」
かすれるようなその声を受け、俺はこの幽霊の願いを叶える決心をした。
「由香利君、いつまでも放心していないで、しっかり正気を保つんだ。」
そう言って、由香利君の肩を強く揺さぶった。
「え、あ、何ですか?」
気を取り戻した由香利君は、何故か俺に鉄拳を放った。
「ちょっと、何もエロいことしていないのに、なんで殴るんだよ。」
俺は鼻血を出しながら抗議した。
「どうぞ。」
吉川さんがテーブルの上のティッシュを差し出してくる。
俺はそれを受け取り、鼻血を拭いた。
「由香利君、絶対に吉川さんの願いをかなえような!」
そう言ってまた由香利君の肩を叩くと、「何のことですか?」なんて言いながらまた鉄拳が飛んでくる。
だから何故殴る!
「どうぞ」
また吉川さんからティッシュをもらい、丸めて鼻に突っ込んだ。
「え、あ、幽霊さんでしたね。
今日はどんなご依頼で?」
正気に戻り、間抜けな質問をする由香利君に、吉川さんは笑った。
「面白い助手さんですね。」
俺はティッシュを鼻に詰め込んだまま、苦笑いを返した。

                                第八話 またつづく






不思議探偵誌 第八話 お化けの依頼

  • 2010.07.19 Monday
  • 10:16
 探偵というのは結構地味な仕事である。
殺人事件の捜査などまずしない。
あんなものは警察の仕事である。
持ち込まれる大半の依頼は、人捜しに、浮気の調査である。
まあこれが普通の探偵事務所の場合であろう。
だがしかし、我が久能探偵事務所には、およそ探偵の仕事とはかけ離れた依頼が持ち込まれることがある。
その理由の一つ、それは俺が超能力を使えるから。
大した力ではないが、通常の人間にはない力である。
そしてもう一つ、その俺の力を自分の雑誌のネタにし、いつもろくでもない依頼を持ちこんでくる女がいるからである。
その女はこの事務所の上の階で「月刊ケダモノ」という怪しいオカルト雑誌を作っており、ことあるごとに妙な依頼を持ちこんでくる。
名前は茂美という。
俺はいつも断りきれなくて、その依頼を受けるはめになる。
前回は頭の二つある、全身毛むくじゃらの関西弁を喋るヘビを探して欲しいと頼まれた。
どうせいるわけがないと思いつつ、捜索していると、驚くことにそのヘビは存在し、それを見つけたと知らせを受けた茂美は大いに喜んで、そのヘビを持ち帰ってしまった。
このところ茂美からの依頼は来ていない。
ああ、平和だなあと思いつつお茶を飲んでいると、眉間に力が集中してドアを開けて入って来る茂美の映像が浮かんだ。
俺はお茶を吹き出しそうになった。
「久しぶりねえ、久能さん。」
茂美が香水の匂いを漂わせながら事務所に入ってくる。
「お久しぶりです、茂美さん。
今日も相変わらずお綺麗ですね。」
由香利君が明るい声で茂美を迎える。
俺は椅子をくるっと回して茂美に背中を向け、その姿が視界に入らないようにした。
どうせまたろくでもない依頼を持って来たに違いない。
俺は徹底的に無視することに決めた。
「久能さん、ちょっと依頼したいことがあって来たのよ。」
そう言って茂美は俺の机の前まで寄って来る。
ふん、誰がお前の依頼など受けるものか。
俺は窓の外を見ながら、タバコに火を点けた。
「久能さん、タバコを吸う時は窓を開けて下さいね。」
後ろから聞こえる由香利君の声に、俺は渋々立ち上がって窓をあけ、その外に大きく煙を吐き出した。
風に流された煙が、宙を漂って空に昇っていく。
「久能さんたら、またそうやって私を毛嫌いして。」
そう言いながら、茂美は香水の匂いと共に俺の前に近づいてきた。
俺は徹底的に無視すると決めていたが、チラリと見た茂美の姿に目を奪われた。
ブラウンのスーツを着ているのだが、胸元が大きく開いており、その豊満な胸が強調されている。
そして下は丈の短いスカートで、これまた色っぽい太ももが露わになっている。
俺は見るまいと頭で意識しながらも、目はその姿に釘付けになっていた。
クソ!
また色仕掛けだ。
茂美は知っているのだ。
俺が色仕掛けに弱いということを。
無視しようと決めた俺の頭は、もはや茂美の妖艶な姿に見入っていた。
「うふふ、ねえ久能さん。
お願いだから私の話を聞いてよ。」
そう言いながら体を近づけ、豊満な胸を俺の腕に押し付けてくる。
うーん、たまらん感触だ。
茂美はさらに太ももも俺の脚に押し付け、耳元の近くで「お願い」と甘く囁いた。
吐息が耳に当たって、俺のエロ心はMAX状態になっていた。
「茂美さん、お茶を淹れましたからこっちのソファでどうぞ。」
由香利君に勧められ、茂美は不敵な笑顔を残しながらソファに向かっていく。
ああ、クソ!
またしても茂美の色仕掛けに負けてしまうのか。
俺はタバコを灰皿に押し付け、顔をしかめたまま茂美の向いに腰を下ろした。
「嬉しいわ。
私の依頼、聞いてくれる気になったのね。」
そう言って、短いスカートを穿いた脚を、これ見よがしに俺の目の前で組みかえる。
俺の目は茂美の脚に夢中だった。
「どこ見てんですか。」
後ろから由香利君に頭を叩かれた。
「い、いや、俺じゃなくて茂美さんが・・・。」
言い終わる前にもう一度頭を叩かれ、由香利君は俺の隣に座った。
何なんだよ、まったく。
俺は悪くないぞ。
茂美がわざとエロさを振りまくんだ。
俺は口を尖らし、お茶をすすって不機嫌な顔をした。
「それで、今日はどんな依頼なんです。」
由香利君が好奇心を丸出しにして尋ねる。
俺と違って、由香利君は茂美の持ってくる依頼が大好きなのだ。
UFO研究家との対談だったり、未確認生物の捜索だったり、どうやら由香利君はこういうネタが好きらしい。
楽しそうに茂美の答えを待つ由香利君を横目で見ながら、俺はふんと鼻を鳴らして言った。
「どうせろくな依頼じゃないさ。
また自分の所の雑誌で何かの特集をするから、それに協力しろとか言うんだろ。」
要するに、いつも俺は茂美の雑誌のいいネタや、使い走りにされているのだった。
だから今回も似たようなものだろうと思っていたが、茂美は首を振った。
「今回の依頼はうちの雑誌は関係無いわ。
まあ、上手くいけばネタにするけど、今の所は私の個人的な依頼ね。」
そう言うと茂美はお茶を飲み、誰もいない自分の隣に微笑みかけている。
まるでそこに誰かがいるかのように。
俺はついに頭がおかしくなったかと思い、訝しげに茂美を見た。
「何やってんだよ。
誰もいない隣に笑いかけて。
意味不明なことをしていないで、さっさとその依頼とやらを言ってくれ。」
俺はつっけんどんに言い放った。
「あら、私は意味不明なことなんてしていないわよ。
ねえ。」
そう言ってまた誰もいない隣に向かって話しかけている。
「あのう、茂美さん。
さっきからどうしたんですか?」
「どうしたって何が?」
不思議そうに尋ねる由香利君に、茂美はあっけらかんと答える。
「いや、だって。
さっきから誰もいない隣にむかって笑いかけたり話しかけたりしてるじゃないですか。」
由香利君も茂美の隣を見ながら、訝しげな顔をしている。
ああ、やっぱり茂美は頭がおかしくなったんだなと思い、俺は「ふふ」と笑って口を開いた。
「なあ、茂美さん。
君はきっと働き過ぎで疲れているんだよ。
だから誰もいない隣に向かって話しかけたりしてるんだ。
ここは一つ、長期休暇でもとって、何処かに旅行にでも行ってきたらどうだい?」
茂美のいる「月刊ケダモノ」がどの程度の忙しさかは知らないが、きっと茂美は疲労でおかしくなっている。
俺は気遣うように茂美を見た。
「あら、優しいのね、久能さん。
私の体のことを気遣ってくれるなんて。」
そう言ってまた脚を組みかえ、俺はそこに視線を集中させる。
「だから見るなって言ってんでしょ。」
由香利君のチョップが俺の頭に振り下ろされる。
俺は頭を押さえながら、茂美に尋ねた。
「だって、さっきから誰もいない場所にむかって話しかけているじゃないか。
疲れてどうにかなっちゃったんだろう。
でなきゃ、脳みそがおかしくなったとしか考えられないぞ。」
俺の言葉に茂美は「うふふ」と笑い、また誰もいない隣に微笑んだ。
「本当にどうしちゃったんですか?
なんだか今日の茂美さんおかしいですよ。」
こいつがおかしいのはいつだってそうだが、今回は特におかしい。
心配そうに見つめる由香利君の視線を受け、茂美はクスっと笑ってから言った。
「ねえ、もう姿を現してもいいんじゃない。
依頼するんだから、きちっと姿を見せて挨拶しないとね。」
茂美が誰もいないはずの隣に向かってそう言うと、なんとそこからだんだんと女性の姿が浮かび上がってきた。
最初は薄っすらと、そしてだんだんと姿が濃くなって、半透明の女性の姿が現れた。
「うわあああ!」
「きゃああああ!」
俺と茂美君は同時に叫び声をあげてのけ反った。
「な、な、何なんだ!」
俺が声を震わせながらかろうじてそう言うと、茂美は真剣な顔になって、その半透明の女性を紹介し始めた。
「彼女は最近お亡くなりになられた吉川江美子さん。
幽霊よ。」
「ゆ、ゆ、幽霊・・・!」
俺の隣で由香利君が気を失いかけている。
「しっかりしろ!」
顔面蒼白の由香利君の肩を強く揺さぶり、何とか正気を保たせる。
と言っても、俺もあまり正気ではないが。
幽霊なんて実在するのか?
そんなことを考えたが、今実際に目の前に幽霊がいる。
何てこった。
俺は心臓が爆発しそうなくらいに驚いていた。
そして、その幽霊の隣で澄ました顔をしている茂美にも驚きだ。
「く、く、久能さん・・・。
こ、これって・・・。」
由香利君は完全にパニック状態なのだろう。
ろれつが回っていない。
「うふふ、まあ誰だって幽霊なんか見たら驚くわよねえ。
私も最初に出会った時は、さすがに少しだけ驚いたわ。」
少しだけかよ。
俺はこんなに驚いているっていうのに。
俺は深く呼吸をとり、驚く自分を押さえながらもその幽霊の女性を見た。
半透明で色はよくは分からないが、おそらく白いブラウスに、ヒラヒラとしたデザインのベージュの長いスカートを穿いている。
顔ははっきり言って美人だ。
少したれ目だが、それが愛嬌があり、丸い鼻はとても可愛らしい。
輪郭は少し面長で、唇は真一文字に結ばれ、意思の強そうな感じを受けた。
「あ、あの茂美さん。
今回の依頼というのは、この幽霊の方のことで?」
俺は恐る恐る尋ねる。
「そうよ。
彼女ね、一昨日私が車で帰宅していたら、突然後ろの席に現れたの。
それで、少し驚いている私に向かって、どうしてもお願いしたいことがあるって言ったのよ。」
俺は唾をゴクリと飲み込み、茂美と幽霊とを見比べた。
幽霊の吉川さんは俯いていて、目に悲しそうな色を浮かべていた。
「それでね、私は彼女を家まで連れて帰って、そのお願いっていうのを聞いてみたのよ。」
よくもまあ幽霊相手にそんなことが出来るものだ。
茂美の神経の太さに感心する。
「彼女、成仏する前にやり残したことがあるそうなのよ。
私は真剣にその話を聞いたわけ。
それでね、それならうってつけの人がいるから紹介してあげるわって言ったのよ。」
「それが俺ってことか?」
「うん、そう。
だって久能さん超能力者じゃない。
何か幽霊に通ずるものがあるんじゃないかって思って。
それに探偵だから。
だからあなたに彼女のお願いを聞いてあげて欲しいのよ。
彼女はとっても困ってるの。
ね、だから彼女のお願いを依頼として聞いてあげて。
もちろん報酬は私の方から出すわ。」
ゆ、幽霊からの依頼ってなあ。
日本全国どこを探しても、幽霊から依頼を受けた探偵などいないだろう。
俺ははあっとため息を吐いた。
報酬は茂美が出すと言っている。
どうせこの依頼が解決したら、「月刊ケダモノ」の記事にするつもりなのだろう。
「なあ、由香利君。
どう思うよ、幽霊からの依頼って。」
そう言って由香利君を見ると、半ば放心状態で心ここにあらずといった感じだった。
「じゃあ、詳しいことは彼女から聞いてね。
依頼が解決したら連絡を頂戴。」
「い、いや、まだ誰も引き受けるとは言っていない・・・。」
そう言い終わる前に、茂美はソファから立ち上がり、幽霊の吉川さんにニコっと笑いかけると、「お願いね」と俺に言って事務所から出て行った。
呆気にとられる俺と由香利君。
一人残されて不安そうな幽霊。
「あはは、探偵の久能です。
どうぞよろしく。」
引きつった顔でそう挨拶すると、幽霊は「こちらこそ」と言って頭を下げた。
さて、どうしたものか。
「由香利君、これからどうしようか?」
放心状態の由香利君は答えない。
俺は気をしっかりさせる為に由香利君の太ももを撫でた。
鉄拳が飛んできて、俺の顔のめり込んだ。
俺に太ももを撫でられてもなお、由香利君は放心していた。
「なあ、由香利君!」
また太ももを撫でた。
そしてまたもや放心状態のまま鉄拳が飛んできた。
鼻血を出す俺。
テーブルの上にあったティッシュを一枚つまみ、「どうぞ」と幽霊が差し出してくる。
俺は苦笑いをしながらティッシュで鼻血を拭いた。
「エッチなことしちゃ、ダメですよ。」
幽霊に叱られ、俺は「ごめんなさい」と言いながらティッシュを鼻に詰め込んだ。

                                 第八話 つづく


不思議探偵誌 第七話 忍びよる影(3)

  • 2010.07.18 Sunday
  • 10:25
 「先日はどうもありがとうございました。」
事務所の真ん中のソファに座って、美しくも可愛い女性が俺に頭を下げてくる。
俺はデレデレしながら、その美人を眺めていた。
今日俺の事務所にお礼の挨拶に来ているのは中野裕子さんという女性だ。
五日ほど前、俺と由香利君は、この中野さんに襲いかかるストーカーから守ってあげた。
中野さんはストーカー被害に悩まされ、その依頼を受けてのことだった。
「斬られた手の傷はどうですか?
まだ痛みますか?」
あの時、ストーカーに襲われて、中野さんはナイフで手を斬り付けられた。
今日はその手に包帯を巻いている。
俺が心配そうに尋ねると、中野さんは笑顔で答えた。
「はい、そんなに傷は深くありませんでした。
縫う必要もないほどの傷だったので、しばらくすれば治るだろうってお医者さんに言われました。」
「そうですか。
それは何よりだ。」
俺はその言葉に安心し、隣に座っている由香利君と微笑み合った。
あの晩、襲いかかってきたストーカーを由香利君が見事に撃退した。
そして襲われたショックで中野さんは気を失ってしまった。
その後、俺達は警察と救急車に連絡をした。
手を怪我し、気を失った中野さんは救急車で運ばれて行った。
そして俺と由香利君、気を失っていたストーカーは警察に行った。
やって来た警察に事情を説明している間に、ストーカーは気を取り戻し、慌てて逃げようとしたが、由香利君が足払いをかけて転がし、そのまま警察に逮捕された。
俺達はことの経緯を警察で説明し、その晩のうちに帰された。
中野さんも病院で気を取り戻してから、やって来た警察に事情を聞かれたと言っていた。
ちなみに、ストーカーを撃退し、見事中野さんを守った由香利君には、警察から賞状を贈られた。
そう、たしかにあの晩の由香利君の活躍はすごかった。
もし彼女がいなければ、俺も中野さんも命はなかったかもしれないのだ。
そのことで何度も由香利君にお礼を言うと、決まって恥ずかしそうにしていた。
「そんなに褒めないで下さい。
私だけの力じゃありません。
久能さんが身を盾にして守ろうとしたから中野さんは助かったんです。
私達のチームプレイのおかげですよ。」
はにかみながらそう言う由香利君に、俺は臨時でボーナスでも出してやらねばなと思っていた。
「探偵さん達のおかげで、これからは安心して毎日を過ごせます。
本当に、何度お礼を言っても足りないくらいです。」
中野さんは依頼の報酬と一緒に、俺たちに無料の旅行券を渡してくれた。
彼女は旅行代理店の社員なのだ。
今回のことで、よっぽど感謝しているのだろう。
「私達は当然のことをしただけです。
同じ女として、あんな男は許せなかったしね。」
由香利君が微笑みながら言うと、中野さんもつられて微笑んだ。
「でも、本当に大事にならずに済んでよかった。
中野さん、怪我が治ったらまた顔を見せにきて下さいね。」
「はい。必ず。」
由香利君と中野さんはそう約束を交わし、声をあげて笑い合った。
「でも由香利さんて本当にお強いんですねえ。
私はパニックになってあんまりあの時のことを覚えていないけど、それでも由香利さんがあのストーカーをやっつける場面は目に焼き付いてます。
何かやってらっしゃるんですか?」
そう尋ねてくる中野さんに、由香利君は「まあ、ちょっと」と恥ずかしそうに答えた。
「空手をやっているんですよ。
腕前はかなりのものですよ。
私なんか、いつも彼女に殴られたり、蹴られたりしています。」
「そうなんですか?」
中野さんが目を丸くして驚く。
「そ、それは久能さんが仕事中に下らないことをしたり、私のお尻を触ったりしてくるからでしょう。
乱暴女みたいに言わないで下さい。」
口を尖らせて怒る由香利君を見て、中野さんは「空手かあ」と呟いた。
「武道をやれば、女の人でもあんなに強くなれるんですね。
私も何か始めようかな。」
今の世の中、どんどん女が強くなる。
世の女性がみんな武道やら格闘技を始めたら、きっと全ての男たちは女の尻に敷かれるのだろう。
「いいですね、中野さんも何か習ったらいいですよ。
物騒な世の中ですからね。
護身術として何か身に付けておけば、そのうち役に立つかもしれませんよ。」
「そうですね。
考えてみます。」
これでまた強い女が一人増えるな。
そして尻に敷かれる男もまた増えるわけだ。
俺はお茶を飲みながら、武道の話で盛り上がっている二人を見た。
うーん、きっと100年後には男と女の立場は逆転する。
男が女に勝っているものなんて腕力だけなのだ。
それがひっくり返れば、世の男たちはみんな女に頭が上がらなくなるだろう。
俺はそんなことを想像してぶるっと身を震わせ、お茶に写る自分の顔に眉をしかめた。
「でも勝手なもんですよね、あのストーカー。
そんなに中野さんのことが好きなら、堂々と男らしく告白でもすればよかったのに。」
由香利君が宙を見ながら、呆れたように言った。
「まあ私は告白されても、あんな男一瞬で断りますけど。」
中野さんが即答する。
「ですよねえ。」
そう言ってまた二人で笑っている。
警察から聞かされた話では、あのストーカーがあんな犯行に及んだのは、中野さんを脅して自分の言いなりにさせようとしたからだという。
しつこく中野さんに付きまとい、どこかで自分の中の頭の線が切れたのだろう。
強制的に中野さんを自分のものにしようとしたわけだ。
卑劣な考えを持った男は、由香利君の本気の攻撃でとことん痛めつけられたわけだ。
これからあの男がまともな人間になるか、それは刑務所を出てきてからでないと分からない。
願わくば、もう女性を傷付けるような男にならないように更生して欲しいものだ。
「中野さん、また同じような被害に遭ったら、すぐにうちの事務所に相談に来て下さいね。
いつだって力になりますから。」
由香利君が目の前で拳を握って言う。
「はい。
そうします。」
中野さんは頷いたあと、俺と由香利君に向かって言った。
「差し上げた旅行の無料券、是非使って下さいね。
お二人で、どこか楽しい旅にでもお出掛け下さい。」
そう言われて由香利君はしどろもどろになりながら答えた。
「ふ、二人では行きません。
そ、その、一人ずつで行きます。」
由香利君の恥ずかしそうな顔を見て、中野さんは声をあげて笑った。
「私はお似合いだと思うけどなあ、お二人。」
「そ、そんなことありませんよ。
わ、私はこんなエッチな人はごめんです。」
ぷくっと頬を膨らませて反論する。
「うふふ、そういうことにしておきます。」
そう言って中野さんは真剣な顔になって俺と由香利君を見つめ、もう一度お礼を言った。
「本当に、ありがとうございました。
お二人には感謝しています。
これからも仲良く名コンビとして活躍して下さいね。
それじゃあ。」
そう言って、中野さんは立ち上がった。
ドアまで俺と由香利君が見送る。
「じゃあね、由香利さん。
これからも探偵さんと仲良くね。」
そう言われて何かごにょごにょと口ごもる由香利君。
とても恥ずかしそうだった。
「それに探偵さん。」
「はい。」
俺は気取って返事をし、キリっと顔を引き締めた。
少しでも格好よく見えるように。
「あなたに依頼して本当によかったです。
また何かあったら、お力になって下さい。
それじゃあ。」
そう言い残し、笑顔を見せて中野さんは帰って行った。
「いやあ、今回の事件は大変だったな。」
そう言いながらソファに座った。
「ええ、私もナイフを持った人間と闘うなんて初めてでしたから、正直言うと、ちょっと怖かったです。
でも、中野さんが無事で何よりでした。」
由香利君がお茶を淹れ、それを持って俺の向かいに腰を下ろした。
俺は一口お茶をすすり、ふうっと息を吐き出してから言った。
「由香利君、君がうちの助手でよかったよ。
持つべきものは、優秀なパートナーだな。」
そう言ってまたお茶を飲んだ。
「久能さん。」
唐突に、由香利君が暗い顔をして俺の名前を呼んだ。
「何だ?」
窓の外に目をやりながら返事をすると、「実は・・・。」と由香利君が話し出した。
「私もね、中学生の頃に男の人に襲われそうになったことがあるんです。」
俺は窓から由香利君に目をやってその顔を見た。
「ふーん、じゃあその男はきっと由香利君に痛い目に遭わされたんだろうな。」
そう言うと、由香利君は俯いて首を振った。
「その頃はまだ空手をやっていなかったんです。
まあ、それがきっかけで空手をやるようになったんですけど。」
由香利君もお茶を飲み、一息おいてから続けた。
「中野さんみたいにストーカーされてたわけじゃありません。
酔っぱらった相手にいきなり抱きつかれて、いやらしいことをされそうになったんです。」
そう言う由香利君の顔は暗い。
俺は黙って話を聞いていた。
「もう怖くて叫び声もあげられませんでした。
ああ、私このままひどい目にあわされちゃうんだなって思って、体から力が抜けていったんです。」
そこまで言って、由香利君は顔をあげた。
「でもね、その時ある男の人が助けられたんです。
その人は酔っ払いを私から引き離してくれて、早く逃げるように言ってくれました。
それで助かったんです。」
俺は「ふーん」と相槌を打った。
「中々正義感の強い男もいたもんだ。」
俺が何気なく言うと、由香利君はクスっと笑った。
「覚えてません?久能さん。」
俺は何を言われているのか分からず、きょとんとしていた。
お茶を飲み、首を傾げる俺に対して由香利君は笑顔のままで言った。
「私ね、その時のことをずっと覚えてます。
助けてくれた男の人の顔もね。」
俺は眉をしかめ、また窓の外に目をやった。
「その男の人はね、今は探偵をやっています。
しかも超能力まで持っているんです。」
由香利君は胸の前で手を組んで、俺と同じように窓の外に目をやった。
「私、いつかその男の人にお礼を言いたいなあってずっと思っていました。
ずっと、その想いを心に秘めていたんです。」
そう言うと、由香利君は俺に向き直って言った。
「ありがとう、久能さん。」
俺はごほんと咳払いし、グイッとお茶を飲んだ。
おぼろげではあるが、昔酔っ払いに絡まれていた女の子を助けた記憶がある。
俺はすっかりそのことを忘れていたが、どうやら相手は覚えていたようである。
俺は意味も無く「うーん」と言って背伸びをしてから頭を掻いた。
「まあ、その、何だ。女を傷付けるようなやつは許せんよなあ。
その由香利君を助けた男も、俺と同じ考えだったんだろう。」
投げやりにそう言って、俺はソファに寝転がった。
助けた方は覚えてなくても、助けられた方は覚えていたのか。
横目でチラリと由香利君を見ると、頬杖をついてニコニコしながら俺を見ていた。
俺はなんだか胸の辺りがむずむずしてきて、ごろんと寝返りをうって背中を向けた。
もう事件は解決したことだし、このまま昼寝でもするか。
そう思った時、俺はあることを思う出して「ああ!」と声をあげた。
「ど、どうしたんですか?」
由香利君が驚くように尋ねてくる。
俺は勢い良く起き上がり、由香利君に言った。
「膝枕」
「はい?」
「だから膝枕だよ。
あの晩、してくれるって言ったじゃないか。」
由香利君がストーカーをやっつけ、俺がへたり込んでいる時に、確かに「あとで膝枕くらいならしてもいい」と言っくれた。
「ねえ、膝枕してくれよ。
約束したろう。」
由香利君はそっぽを向き、「そ、そんな約束しましたっけ」と誤魔化そうとしている。
「いいや、絶対した!
ねえ、してくれよ。」
由香利君は黙ってそっぽを向いたままだ。
「ねえ、してして。
してくんなきゃやだあ。
膝枕!膝枕!」
俺が子供のように駄々をこねると、由香利君は「分かりましたよお!」と恥ずかしそうに言った。
それを聞いた俺は喜々として由香利君の座っている向かい側に回り、その膝に頭を乗せた。
さすがにストーカーを撃退する蹴りを放つ脚だ。
筋肉で引き締まっている感触が伝わってくる。
「いやあ、いいもんだね、膝枕。」
由香利君は顔を赤らめて唇を噛んでいる。
「こんなの、今回だけですからね。」
「分かってるよ。
だから存分にこの膝枕を堪能しているんじゃないか。」
由香利君は諦めたように息を吐き、少し笑いながら俺の顔を見ている。
「いやあ、気持ちいいなあ、膝枕。」
そう言いつつ、由香利君のお尻に手を伸ばそうとすると、その手を思いっ切りつねあげられた。
「痛ててて!」
叫ぶ俺に、由香利君が怒って言った。
「誰がお尻まで触っていいって言いました。」
そう言って俺の頭を払いのけ、立ち上がってしまった。
ああ、膝枕が・・・。
がっかりした俺は、立ち上がった由香利君のお尻に再度手を伸ばした。
「だから触るなって言ってんでしょ!」
強烈なかかと落としが俺の顔面にめり込む。
俺は顔を押さえながら、「もう一度膝枕してよ」と懇願した。
「変態にはもうさせません。」
俺は自分の変態さを恨んだ。
大人しくしていれば、もっと膝枕をしてもらえたのに。
そう思ってももう遅く、由香利君は書類の整理を始めていた。
冷たいなあ、由香利君。
俺は膝枕の感触を頭に残しつつ、またいらぬことを口走っていた。
「あ、そう言えば、今日もまだエロ雑誌を一回も読んでいないや。」
ソファの向こうから、「変態」という言葉とともにスリッパが飛んできた。
「いいじゃないか、エロ雑誌くらい。」
そう言ってソファから立ち上がると、今度は由香利君の靴が飛んできた。

                                     第七話 完







不思議探偵誌 第七話 忍びよる影(2)

  • 2010.07.17 Saturday
  • 10:18
 夜の道をサラリーマンやOLが足早に帰宅していく。
道路に立つ街灯は、暗い夜道を無機質に照らしている。
居酒屋やコンビニの明かりが街灯に混ざって夜の街に明かりを投げかけ、勤め人の歩く姿の後ろや横に影を作っている。
俺と由香利君は中野裕子さんという女性からストーカー被害の相談を受け、そのストーカーの正体を暴くべく、中野さんの会社から少し離れたビルの影に身を潜めていた。
時刻は午後九時半。
中野さんの勤めている旅行代理店のホエールカンパニーは午後九時までの営業だから、もうすぐ中野さんが会社から出てくるはずだった。
中野さんはいつも帰宅途中をストーカーにつけられる。
だから俺達は、中野さんをつけているストーカーをつけようとしているわけだ。
「そのストーカー、もう何処かから中野さんが会社から出てくるのを見張っているんですかね。」
頬を紅潮させた由香利君が尋ねてくる。
今回のストーカー被害の依頼を受けて、由香利君はとても怒っている。
「女性をつけ狙う卑劣な男は許せません。」
朝からそう息巻いて、何が何でもストーカーを捕まえることにやっきになっている。
「ストーカーがどの辺りから中野さんをつけているのかは分からない。
だから、俺達の存在を気付かれないように注意しないとな。」
「そうですね。
中野さんからは、ある程度距離を取って尾行した方がいいですね。」
昨日の中野さんの話しだと、そのストーカーはいつも一定の距離を保ってつけてくるという。
中野さんが走ればストーカーも走り、中野さんが止まればストーカーも止まる。
だから俺達はそのストーカー以上の距離を取って尾行しないといけないから、かなり中野さんからは離れて尾行しなければならない。
中野さんを見失わないように注意しないといけなかった。
「昨日の久能さんの話だと、以前中野さんの会社に来たオタクっぽい男がストーカーである可能性が高いんですよね?」
「ああ。
まだ断定は出来ないけどな。
けどその客はしつこく中野さんを食事や遊びに誘ってきたというし、ストーカー行為が始まったのも、その客が来てからだと言っていた。
可能性は高いだろうな。」
美人で可愛くて大人しそうな中野さん。
そんな彼女は今夜も怯えながら夜道を帰ることだろう。
だがしかし、今日はこの久能司がついている。
中野さん、安心して下さい。
あたなを不安に陥れる不埒な輩は、この俺が成敗してくれます。
心にそう思いながら、じっと中野さんの会社の入り口を見つめていた。
「そのストーカー、危ないやつだったら私に任せて下さいね。
私の空手で懲らしめてやりますから。」
俺は頷いた。
もしそのストーカーがイカれたやつで、中野さんに何か危害を加えようとしたら、俺だって中野さんを守ろうとする。
依頼を受けた身なのだからそれは当然だ。
しかし、こと格闘においてはどう考えても由香利君の方が上だ。
もし俺より強いやつだったら、情けなくはあるが、由香利君の力を借りるしかあるまい。
「あ、今出て来た女性が中野さんじゃないですか?」
俺がそんなことを考えていると、由香利君がホエールカンパニーの入り口を指差した。
由香利君に中野さんの特徴は伝えてあったので、一目で分かったのだろう。
中野さんは真っ白いスーツに身を包んでおり、辺りを窺うようにしてから俺達とは反対方向に向かって歩き始めた。
「由香利君、少し待ってから尾行するぞ。」
「はい。」
俺達は中野さんの姿を見失わない程度に離れて尾行を開始した。
夜道を何人かの人とすれ違い、吹きぬく風が顔に当たって目を細めた。
中野さんは真っすぐ歩いて、やがて一つの信号の前で立ち止まった。
俺達も距離をおいて立ち止まる。
信号は赤。
立ち止まっている間にも、中野さんは辺りを警戒していた。
やがて信号が青に変わり、先に進み始める中野さん。
「俺達も行こう。」
そう由香利君に声をかけた時、信号の曲がり角から帽子にサングラスをかけた男性と思わしき人物が現れた。
そいつは周りをキョロキョロと見回したあと、中野さんの歩いて行った方に進んでいった。
「あいつじゃないですか?」
由香利君が少し興奮したように言う。
確か中野さんは、つけてくる男はつばの付いた帽子を深く被って、サングラスをしていると言っていた。
だから顔が分からないのだと。
今信号の曲がり角から出て来たやつも、つば付きの帽子を深く被ってサングラスをしている。
「きっとあいつがストーカーに違いない。
気付かれないようにあとを追うぞ。」
黙って頷く由香利君を横目に、俺達は中野さんとストーカーの尾行を開始した。
中野さんの言う通り、ストーカーは一定の距離を取ってつけているようだった。
後ろを振り返った中野さんがストーカーに気付き、遠目からでも分かるほどに身を震わせていた。
不安でしょう、中野さん。
でも安心して下さい。
今日は俺達がついています。
ストーカーに気付いた中野さんは足早になった。
それと同じようにストーカーも足早になる。
俺達も二人の姿を見失わないように歩みを早めた。
横目でチラリと見ると、由香利君は拳を握っていた。
顔は怒ったように目を吊り上がらせている。
「由香利君、顔が怖いよ。」
俺が言うと、由香利君はふんと鼻を鳴らした。
「私、もう腹が立っているんです。
だって中野さん、もう怖がっているじゃないですか。
そんな気持ちも無視してあとをつける男なんて、絶対に許せません。」
こりゃあ今日は血の雨が降るかもな。
ストーカーが痛い程度の思いで済むか、それとも病院送りになるかはストーカーの態度と由香利君の気分次第。
もしストーカーが何か危害を加えようとしたら、きっとそいつはしばらく病院生活だ。
中野さんは真っすぐ道を歩いて行く。
そして途中であったコンビニの角を左に曲がった。
ストーカーもそれをつけて左に曲がる。
姿を見失ってはまずいと、俺達は小走りになってあとを追った。
コンビニの角を左に曲がると、細い路地だった。
街灯も離れ離れに点々とあるだけで、ほとんど明かりはない。
後ろを気にしながら歩く中野さん。
それをつけるストーカー。
俺達は電柱の影に身を隠しつつ、慎重にそのあとを追った。
そして中野さんは細い路地の途中にある、街灯に照らされてクリーニング店と書かれた看板の角を右に曲がり、ストーカーもその角を曲がった。
俺達もその角に近づこうとした時、角の向こうから悲鳴が聞こえた。
「きゃあああ!」
俺と由香利君は顔を見合わせ、次の瞬間にはお互い走り出していた。
中野さんに何かあってはまずい!
そう思いながら角を曲がると、中野さんが顔面を蒼白にして倒れていた。
近くにある街灯が倒れている中野さんの姿を照らし、中野さんはその手から血を流していた。
そしてその近くにストーカーの男が中野さんを見下ろすように立っている。
「中野さん!」
俺が叫ぶと、中野さんとストーカーが同時に振り向いた。
「お前、一体何してやがる!」
そう言ってストーカーに詰め寄ろうとして、俺は一瞬立ちすくんだ。
その理由は、街灯に照らされて、男の手にギラリと光る物が握られていたからだ。
ナイフだった。
それもかなり大きい。
先端には赤い液体が付いていた。
きっと中野さんの手を斬り付けた時に付いたものだろう。
ストーカーはチラリと俺を見ただけで、また中野さんを見降ろし、そのナイフを振りかざして襲いかかろうとしていた。
「この野郎!」
俺は叫びながらストーカーに突進した。
ストーカーにぶつかった俺の肩に衝撃が走る。
ストーカーともんどりうって倒れていく俺。
全てがスローモーションに見えた。
俺の体当たりで倒れてもなお、ナイフを手放さないストーカー。
そして今度はそのナイフを俺に向けて振りかざしてくる。
スローモーションに見える光景の中で、俺はストーカーの足元に石ころが転がっているのを見つけた。
咄嗟に眉間に力を集中させ、念動力でその石ころをストーカーの足の前に動かす。
石ころにつまずいて転びそうになるストーカー。
しかしすんでの所で踏みとどまり、体勢を立て直して再度ナイフを振りかざしてくる。
ああ、もう駄目だ。
スローモーションの映像の中、せめて中野さんだけでもかばおうと俺は体を大きく盾にした。
するとその時、俺の目の前に立ち塞がるように一つの背中が現れた。
由香利君だった。
俺は中野さんを引っ張るようにして立たせて、ストーカーからその身を遠ざけた。
ふうふうと息を漏らし、ナイフを構えるストーカー。
その正面に立ち、手を前に突きだすようにして構えている由香利君。
しばらく硬直状態が続く。
そして次の瞬間、ストーカーがナイフを振りかざして由香利君に襲いかかった。
危ない!
俺が叫ぼうとした時、由香利君は前に突き出して構えていた手を手刀のようにしてストーカーのナイフを叩き落とした。
そしてそのまま流れるような動作で、ストーカーのみぞおち辺りに見事な前蹴りを決めていた。
「ぐえええ!」
もがくような声を出して、ストーカーは身を屈めた。
由香利君はとどめの一撃とばかりに、下がったストーカーの頭に強烈なかかと落としを放った。
「ぐふ!」
低い呻き声を出してその場に倒れ込むストーカー。
俺は茫然としながらその光景を眺めていた。
気を失っているのか、ストーカーはもう立ち上がらない。
それを確認した由香利君はふうと息を吐き出した。
そして俺の方に向かってニコっと笑いかけた。
お、終わったのか?
俺は恐る恐るストーカーに近づいてみた。
指でその体をつついてみるが、もうストーカーは動かなかった。
「もう大丈夫ですよ。
そいつ、完全にのびてますから。」
由香利君が屈んで俺に喋りかけてきた。
「はあ、怖かった。
ナイフを持った人間を相手にするなんて初めてだから、緊張しましたよ。
手加減せずに攻撃しちゃったから、結構ダメージを受けてるかも。」
由香利君はそう言ってストーカーを見下ろした。
「ははは・・・。」
俺は気の抜けたように笑い、またニコっと笑う由香利君の顔を見た。
「な、何なんですか・・・。」
突然後ろから怯えたような声が聞こえてきた。
そうだ、中野さん。
彼女は無事だろうか。
俺は中野さんの傍に駆け寄り、肩に手を置いてどこか怪我はないかと尋ねてみた。
「手・・・、手を斬られました・・・。」
そうだった。
中野さんは手から血を流していたんだ。
俺はハンカチを取り出して、その手に巻き付けた。
まだ顔面蒼白の中野さんに、俺は優しく語りかけた。
「もう大丈夫です。
あなたを狙っていたストーカーは完全に気を失ってますから。」
それでも中野さんはガクガク震えていた。
無理もない。
いきなりナイフで斬り付けられたのだ。
その恐怖は簡単に治まるものではないだずだ。
「怖かったでしょう。
ごめんなさい、助けるのが遅れて。
でももう大丈夫ですからね。」
そう言って由香利君が優しく中野さんを抱きしめる。
「わ、私、殺されるかと思いました。
わ、私、私・・・。」
そう言いながら中野さんの目から涙が溢れてきた。
由香利君は中野さんの背中を撫でながら、「大丈夫、大丈夫」と何度も慰めている。
俺は体当たりした衝撃で少し肩を痛めていた。
その肩を手で押さえながら、うつ伏せになって気を失っているストーカーを仰向けにし、帽子とサングラスを取った。
完全にのびている男の顔が露わになる。
「中野さん。」
俺はまだ恐怖から冷めやらぬ中野さんを呼んだ。
「気が動転している所を申し訳ないが、この男の顔を確認して下さい。」
由香利君に体を支えられながら、中野さんはストーカーの男に近づき、その顔を確認した。
「どうです?
以前あなたをしつこく誘ってきた客ですか?」
そう尋ねると、中野さんは体を震わしながらも頷いた。
「こ、この前のお客さんです。
間違いありません・・・。」
そう言った直後、ショックのあまりか中野さんは気を失った。
俺はふうっと大きなため息を吐き、その場にへたり込んだ。
気絶した中野さんの体を支えながら、由香利君が心配そうに尋ねてくる。
「久能さん。
大丈夫ですか?」
俺は「はは」と笑いながら頷き、気を失ったストーカーを見た。
中野さんを助けられてよかった。
「由香利君、君のおかげだよ。
伊達に空手はやっていないな。」
そう言うと、由香利君は微笑みながら言った。
「そんなことないです。
久能さんも格好よかったですよ。
必死になって中野さんをかばって。
私、久能さんのこと見直しました。」
由香利君は照れたように言った。
「だったら、俺も由香利君の手で介抱してくれ。
その鍛え抜かれた脚で、優しく俺を膝枕してくれよ。」
冗談でそう言ったが、今日は由香利君の拳は飛んでこなかった。
「ま、まあ膝枕くらいなら、あとでしてあげてもいいですよ。
今回、久能さん活躍したし・・・。」
顔を真っ赤にしてそう言う。
「じゃあついでにお尻も撫でていいかい?」
そう言うと、「そんなことしたら、後でお仕置きです」と言葉が返ってきた。
由香利君の相変わらずの言葉に俺はホッとし、どっと押し寄せて来た安堵の波に体を任せていた。
「そう言えば、今日は一度もエロ雑誌を読んでいないな。」
そう口に出すと、由香利君がニッコリほほ笑みながら言ってきた。
「こんな時に何を下らないことを言ってるんですか。」
そして急に真顔になって俺を睨んだ。
「あとでお仕置き確定ですね。」
はい、ごめんなさい。
俺は心の中で詫びた。
しかしそこで俺のドMな心が湧いてきて、「でもお仕置きはしてくれてもいいよ」と由香利君に聞こえないように呟いた。

                                   第七話 またつづく





不思議探偵誌 第七話 忍びよる影

  • 2010.07.16 Friday
  • 10:33
 俺の探偵事務所には様々な依頼が持ち込まれる。
人捜し、浮気調査、UFO研究家との対談、未確認生物の捜索。
中には探偵の仕事とはかけ離れているものもあるが、それでも依頼された以上はプロとして引き受けるしかあるまい。
そして今日、また新たな依頼が持ち込まれた。
俺にとっての初めての種類の依頼だった。
「私、ストーカーに悩まされているんです。」
そう言って事務所にやって来たのは、20代後半の髪の長い、とても美人な女性だった。
ぱっちりした目に、少し高めの鼻、形のいい輪郭に色っぽい厚めの唇。
何というか、可愛いと美人の中間という感じの人だった。
仕事帰りなのか、服は淡いピンク色のスーツで、とても大人しそうな印象を受ける人だった。
俺ははっきり行って綺麗な女性に弱い。
だからこの依頼人が訪ねてきた時には、ビシっと背筋を伸ばし、俺っていかにも紳士ですよって雰囲気を醸し出しながら話しを聞き出した。
「ストーカーですか。
それはお辛いでしょう。」
そう言いながら名刺を渡した。
彼女はそれを受け取り、チラリと見たあと自分の名刺を渡してきた。
俺はそれを笑顔で受け取り、「どうも」と言って名刺を見た。
「株式会社ホエールカンパニー 課長代理補佐 中野裕子」
確かホエールカンパニーと言えば、有名な旅行代理店だ。
俺も一度ここを利用して海外へ行ったことがある。
企業としては一流と言えるので、彼女はキャリアウーマンなのだろうか。
俺は名刺をポケットにしまい、また中野さんに笑いかけながら「ちょっとお待ちを」と言って席を立ち上がった。
今日は由香利君がお休みなのだ。
大学の授業が忙しいのと、また近いうちに空手の試合があるということで、休ませて欲しいと連絡があった。
まあどうせ暇な事務所なので、俺一人でもどうってことはないのだが。
俺は由香利君に代わってお茶を入れ、中野さんの分と自分の分とを持ってソファに戻った。
お茶を受け取った中野さんはニッコリ笑ってお礼を言い、一口お茶をすすった。
笑うと八重歯が見えるのだが、それがまた可愛い。
うーん、これは俺の中で久々のヒットだ。
俺はこんな美人で可愛い女性が依頼に来てくれたことに、静かに喜んでいた。
あまり露骨にそれが表に出ないように笑顔を作りつつ、探偵事務所という場所に緊張して俯いている中野さんに尋ねてみた。
「ストーカー行為を受けているということですが、具体的にどういうことをされているんでしょうか?
警察にはもう行かれたんでしょうか?」
中野さんはまたお茶を飲んでふうと息を吐き、緊張をほぐすように手で手を擦ると、その色っぽい唇を小さく動かして答えた。
「いつも夜仕事から帰る時になると、怪しい男が後ろからついてくるんです。
それも一定の距離を置いて。
走って逃げると向こうも追いかけてくるし、こっちが止まると向こうも止まります。」
ふむふむ。
俺は俺はメモを取りながら聞いた。
少しでも中野さんの緊張を和らげようと、ずっと笑顔のままだ。
中野さんはまたお茶をのみ、そして一呼吸おいてから続けた。
「他には無言電話も掛かってきます。
たまにマンションのインターフォンも押されることがあります。
誰が来たんだろうって思ってドアの覗き穴から見ると、いつもついてくる男が立っているんです。」
自分で言いながらその時のことを想像したのか、中野さんはブルっと身震いした。
よほど怖い思いをしているのだろう。
ストーカーのことを語る時は、顔は強張っていた。
「警察にも相談に行きましたが、実害がないと動いてくれないみたいで。
ほとほと参っていたんです。」
中野さんは顔を曇らせ、目を閉じて手をぎゅっと握っていた。
「そして困ったあげく、この事務所を訪ねて来られたと。」
中野さんはゆっくり頷き、その美しい顔を歪ませて苦しみを堪えているようだった。
むう、許せん!
こんな女性に恐ろしい思いをさせるなど。
俺の心に怒りの炎があがってきた。
もしストーカーされている話しを聞いたら、由香利君なら怒り狂うだろうな。
「そんな卑劣な男、絶対に許せません!」
そんなことを言いそうだ。
もっとも由香利君にストーカーなどしたら、ストーカーしている男の方が痛い目を見るだろうけど。
「他には何かされていませんか?
直接体に触ってこられたりとか?」
中野さんはぶるぶると首を振った。
「ありません。
もしそんなことをされたら、私怖くて外に出られなくなると思います。」
そうだろうな。
中野さんは気の強い女性には見えない。
今の状況でも、震えるくらいに怖いに違いないのだろう。
俺は努めて優しい口調で訪ねてみた。
「そのストーカーしてきている男に、心当たりはありませんか?」
そうすると中野さんはしばらく考えるように目を閉じ、それからゆっくりと口を開いた。
「一人だけ、心当たりがあります。」
俺は身の乗り出し、「それは誰です?」と勢い込んで聞いた。
中野さんはちょっとびっくりしたのか身をすくませ、俺は驚かせてしまったかなと思って「失礼」と言って座り直した。
いかんいかん。
中野さんは今神経が敏感になっているんだ。
ゆっくり、そして優しく気か聞かなければ。
俺はもう一度優しい口調で訪ねた。
「それで、その心当たりのある男というのは誰なんですか?」
中野さんは深呼吸するように深く息を吐いたあと、お茶の入った湯飲みを手に持ち、それを眺めるようにして答えた。
「以前うちの会社に旅行を頼みに来られた男性のお客様がいらっしゃったんです。
その方はえらく私のことを気に入っておられたみたいで、旅行の話しもそっちのけでしつこいくらいに私を食事に行こうとか、遊びに行こうとか誘ってこられました。
もちろん、私は断りました。
それからは一度もお見えにはならなかったんですが、ストーカー被害を受けるようになったのはその二週間後くらいからでした。」
「じゃあ店に来た時にその客の顔を見ているわけだ。
今あなたをストーカーしている男と、その客の男は同じ顔ですか?」
しかし中野さんは首を振って「分からないんです」と言った。
「分からない?
だってストーカーされている男の顔を見ているんでしょう?」
そう訪ねると、中野さんは「見ていないんです」と答えた。
「どういうことです?」
ストーカーされているならその男の顔を見ているのではないのか?
なら店に来てしつこく中野さんを誘った男と同一人物かどうか分かると思うのだが。
しかし「分からない」と答えた理由は簡単なものだった。
「そのストーカーをしてくる男は、いつもつばの付いた帽子を深く被って、しかもサングラスをしているんです。
それにつけられるのは夜だから、顔ははっきりとは見えないんです。」
なるほど、そういうことか。
ストーカーする方も、簡単に顔を見られないように考えているわけだ。
しかしそれを逆に考えれば、やはり以前に顔を見られたことがあるからではないのか。
しつこく中野さんを誘ってきた客。
詳しいことは調査しなければ分からないが、今の所はその男がストーカーをしているという線が濃厚だろう。
「中野さん。」
「はい。」
俺はいとまいを正して、真っすぐ中野さんを見ながら言った。
「あなたがストーカー被害でとても怖い思いをされていることはよく分かりました。」
中野さんは唇を噛んで頷く。
俺はその顔を見ながら、真剣な口調で言った。
「困っているあなたを放っておくことは出来ない。
そのストーカーをしている男、この久能司が必ず突き止めて見せましょう。
そして、あなたをストーカーから守って差し上げます。」
「ほ、本当ですか!」
事務所に来て、初めて中野さんが笑った。
「ええ、お約束します。
うちには強力な助手もいることですし、きっとそのストーカーを撃退してくれるでしょう。」
「ありがとうございます!」
中野さんが俺の手を取って感謝した。
いやあ、こんな可愛い人と握手しちゃったよ。
由香利君がいたら、俺のデレデレした顔を見てきっと蹴飛ばされていたことだろう。
俺はエロくない程度に中野さんの手を握り返し、「大丈夫です、安心して下さい」と伝えた。
「はい、よろしくお願いします。」
惜しみながら俺は中野さんの手を離した。
うーん、柔らかい手だった。
こんなか弱い女性を悩ますストーカーは、俺が成敗してくれる。
そう意気込む前に、俺は中野さんに一つ確認することがあった。
「その以前に来たしつこくあなたのことを誘った客のことなんですがね。
どんな容姿だったか詳しく教えて頂けますか?」
中野さんはコクリと頷き、ぱっちりした美しい目を何度かまばたきしてから答えた。
「何というか、オタクっぽい方でした。
お腹がぽっこり出ていて、少し太り気味でしたね。
あまり表情というものがなくて、とても早口でした。
真っ白いピチっとしたシャツを着ていて、しきりに汗を掻いておられました。
髪の毛は寝起きのままみたいに乱れていて、なんだかあまり人と接するのが上手くなさそうな感じの人ではありました。」
うーん、それは確かにオタクっぽい。
「他には、何か特徴はありませんでしたか?」
「そうですね。
そう言えば、右目の斜め上に大きなほくろがありました。
思い出すことと言えば、それくらいでしょうか。」
俺はその言葉をメモに取り、そして満面の笑みで中野さんに言った。
「分かりました。
では明日から調査を開始いたします。
解決するまでご不安でしょうが、私も全力でそのストーカーを突き止めますので、それまで我慢していて頂けますか。」
「はい。
本当に助かります。
もう本当にどうしたらいいのか困っていたものですから。
探偵さん、どうかよろしくお願いします。」
それから中野さんのマンションの場所と職場の場所を聞き、俺は「大丈夫です、安心して下さい」と力強く言った。
中野さんは頭を下げてから丁寧にお礼を言い、また事務所を出ていく時にその美しい笑顔を見せて、再度お礼を言ってから帰って行った。
俺はふうっとため息を吐いた。
なんとしても中野さんをストーカーから守らねば。
それを心に決意し、その日はエロ雑誌も読まずに事務所を閉めるまで過ごした。
そして翌日、出勤してきた由香利君に昨日の話しを聞かせると、思っていた通りの言葉が出てきた。
「ストーカーなんて卑劣なことをする男は絶対に許せません!
私がこの手でこらしめてやります。」
うんうん、それでこそ由香利君だ。
いつも俺に振るっている拳を、卑劣なストーカーに向けてやるつもりなのだろう。
「調査は今日からだ。
中野さんはいつも夜帰宅する時に後をつけられるそうだ。
だからその時間になる前に、中野さんの職場に行って、俺達もその後を尾行しよう。」
「そうですね。
ああ、私なんか腹が立ってきました。
絶対そのストーカーをとっ捕まえて、中野さんを安心させてあげましょうね!」
そう言いながら由香利君はシャドーボクシングのように、パンチや蹴りを放ち始めた。
「おいおい、あんまりやりすぎるなよ。
君の拳も蹴りも強烈なんだから。
本気でやったら、そのストーカーが病院送りになっちゃうぞ。」
俺がたしなめるように言うと、由香利君は顔を怒らせて反論してきた。
「それはそのストーカー次第です。
もし中野さんに危害を加えようとするなら、私は容赦はしませんよ。」
おお、怖い。
実際に由香利君の強さを身をもって知っている俺は身震いした。
が、しかし。
興奮冷めやらぬ様子でパンチや蹴りを放つ由香利君を見て俺は一言呟いた。
「もし由香利君にストーカーするやつがいたら、そいつは確実に君に返り討ちにされるだろうな。」
由香利君は「ふふ」っと不敵に笑い、「当たり前です」と言って、何故か俺の頭にチョップをかましてきた。
由香利君、興奮しすぎだよ。
怒った顔で宙に空手の技を繰り出す由香利君を見ながら、俺は思った。
由香利君、君は生粋のドSだよ。
そして俺は生粋のドMだろうと思う。
「てやあ!」
そして、何故かまた由香利君に顔面を蹴られた。
「あ、ごめんなさい。
つい興奮しちゃって。」
鼻血を吹き出しながら、俺は「何するんだよ」と言った。
そして俺は机の中からエロ雑誌を取り出した。
「おりゃあ!」
また由香利君の蹴りが顔面にヒットする。
「今のはわざとです。」
由香利君、やっぱり君はドSだよ。
俺は鼻血を出しながらエロ雑誌を見た。
その後、俺は由香利君にサンドバッグ状態にされた。
やっぱり俺もドMだった。

                                    第七話 つづく

不思議探偵誌 第六話 秘密の金曜日(3)

  • 2010.07.15 Thursday
  • 10:27
 「久能さん、目が真っ赤ですよ。」
事務所に出勤してきた由香利君にそう言われ、俺は目をしばたいた。
何故目が真っ赤なのか。
その理由は昨日夢にうなされてあまり眠れなかったせいである。
「ふんは!ふんは!」
昨日強制的に見せられたふんどし同行会の男達は、夢の中にまで出てきて俺を苦しめた。
今でも、「ふんは!ふんは!」という掛け声が耳に残っている。
俺はゴシゴシっと目を擦り、由香利君に言った。
「昨日は俺を置いて逃げるなんてひどいじゃないか。
おかげで俺は、ふんどし一丁のマッチョな男の姿を延々と見せられることになったんだぞ。」
どれほど辛い時間だったことか。
一刻も早く家に帰りたいと思っていたが、とても逃げ出せる雰囲気ではなかった。
「だって、あんなの見たくないですもん。」
由香利君が抗議するように口を尖らした。
「それは俺も同じだ。
夢にまでふんどしの男達が出てきて、俺は今日は寝不足なんだ。」
「それで目が真っ赤なんですね。
私はてっきりパソコンでエッチなサイトでも見ていたのかと思いましたよ。」
失敬な。
そう反論したかったが、実際それで寝不足になることもあるので言い返せなかった。
「でも浮気じゃなくてよかったですね。
私はてっきりそうだと思ってたから、中沢さんに何て報告しようかと思ってましたよ。」
そう、俺も浮気の線が濃厚だと思っていた。
それが「ふんどしの同行会」なるものに出掛けていたとは。
まったくもって予想外の展開だった。
何故彼らはあんなにふんどしを愛しているのか?
何故マッチョで笑顔だったのか?
何故俺を強制的に見学させたのか?
考えても仕方のないことかもしれないが、そのことがずっと頭に浮かんでいた。
もしあの時由香利君も強制的に見学をさせられていたら、きっと俺と同じように「ふんは!ふんは!」という掛け声が頭から離れずに寝不足になっていたことだろう。
俺は目をしばしばさせながら、とりあえずこのことを中沢君に報告しようと思った。
「浮気じゃなかったんなら、きっと中沢さんも喜びますね。」
それはどうだろうか。
自分の恋人がふんどし姿で「ふんは!ふんは!」と言いながら、足踏みをしていたと知ったら、幻滅するんじゃないだろうか。
おそらく石井君はそれが怖かったのだ。
こんな活動をしていることを知られたら、中沢君に嫌われる。
最悪、別れ話にまで発展するかもしれない。
だからこそ、行き先を告げずに一人で出掛けて行っていたのだろう。
石井君が隠そうとしていたことをバラすのは申し訳ないが、これも仕事だから仕方が無い。
俺は受話器を取り、中沢君に電話をかけた。
数回のコールのあと、中沢君の明るい声が聞こえてきた。
「はい、中沢です。」
俺はごほんと一つ咳払いをしてから言った。
「どうも、探偵の久能です。
依頼されていた浮気の調査結果が出ました。」
「ほんとですか!」
飛びつような声を出した中沢君に「詳しいことをお伝えしたいので事務所まで来て頂けますか?」と言った。
「はい、分かりました。
ではすぐ伺います。」
電話を切った後、由香利君がお茶を運んできた。
「中沢さん、何て言ってました?」
「うん、すぐにこっちに来るそうだ。
本当のことを言ったら、中沢君はどんな顔をするかな?」
俺はお茶を一口すすった。
自分の恋人が「ふんどし同行会」なるもに入っていましたよ。
ストレートに事実を伝えるしかあるまい。
「まあ浮気じゃなかったんなら、中沢さんもそんなに落ち込まないでしょう。
きっと安心してくれますよ。」
それは由香利君が「ふんどし同行会」を近くで見ていないからそう言えるのだ。
俺はもう一口お茶をすすり、こっそり買ったエロ雑誌を広げて読み始めた。
「あ!
またそんなもの買って!
次はお仕置きするって言ったでしょう。」
そう言って由香利君から鉄拳やら回し蹴りやらかかと落としをくらった。
ああ、気持ちいい。
お仕置きされるってたまんない。
俺はわざと由香利君にエロ雑誌を見せるようにして、お仕置きをくらうようにしたのだ。
お仕置きされても、なおエロ雑誌を読む俺。
「だから読むなって言ってんでしょ!」
さらに続く由香利君からのお仕置き。
俺はすっかり変態になってしまったなあと感じつつ、由香利君のされるがままになっていた。
そんなふうにSMプレイを繰り返していると、事務所の呼び鈴が鳴った。
「あ、きっと中沢君だ。」
俺は由香利君に体を踏まれながら言った。
由香利君は怖い顔を俺に残しつつ、ドアへ向かった。
「どうも。」
そう言って中に入って来た中沢君にソファに腰掛けるように勧めた。
中沢君は緊張してガチガチに固まっており、由香利君が運んできたお茶を一気に飲み干すと、真剣な眼差しで俺に問いかけてきた。
「それで、幸弘は浮気をしていたんですか?」
目が血走っている。
きっとそのことが気になって仕方なかったのだろう。
俺は「まあまあ」と中沢君をなだめ、一呼吸おいてから話しを始めた。
真剣な中沢君の眼差しを真っすぐ見返し、俺は膝の上で手を組んで答えた。
「結果から言うとですね、石井君は浮気をしていませんでした。」
「そ、それは本当ですか!」
中沢君が身を乗り出してくる。
「落ち着いて下さい。」
由香利君が俺の隣の座ってそう言った。
「石井さんは浮気していません。
昨日尾行をしましたが、それらしい行動は見受けられませんでしたし、そんな相手もいませんでした。」
それを聞いた中沢君は、力が抜けたようにソファに座りこみ、ホっと一安心したような顔を浮かべた。
「そっか、浮気じゃなかったんだ・・・。」
誰にでもなくそう呟き、その瞳には微かに涙が滲んでいた。
由香利君が持っていたハンカチを差し出すと、「すいません」と言ってそれを受け取り、涙を拭いて唇を噛んでいた。
「よかったですね、浮気じゃなくて。」
由香利君の言葉に頷き、ハンカチを由香利君に返すと、中沢君は当然の質問をしてきた。
「じゃあ幸弘は何で、金曜日の晩に一人で出掛けて行ってたんですか?」
俺と由香利君は顔を見合わせた。
どうぞ、久能さんから説明してあげて下さい。
由香利君の目がそう言っている。
俺は思い出したくもない昨日のことを思い出し、答えを待って膝に手を付いている中沢君に答えた。
「実はね、昨日石井君を尾行していたら、彼は市立体育館に入って行ったんですよ。」
「市立体育館?」
不思議そうに尋ねる中沢君に、俺はお茶を一口飲んでから頷いた。
「その体育館でですね、彼はふんどし同行会というものに参加していたんですよ。」
「ふ、ふんどし同行会ですか。」
中沢君は驚いたようだった。
当たり前だろう。
そんな同行会に参加していたとは夢にも思っていまい。
中沢君は無表情のまま、「それで?」と先を促してきた。
ああ、思い出したくない。
説明しようとすると、どうしてもあの時の光景が浮かんでくる。
俺は頭に浮かんでくる嫌な映像を振り払って先を続けた。
「そうです。
ふんどし同行会です。
十人あまりのマッチョな男性が、ふんどし一丁でお互いの姿を見せ合い、ふんは!ふんは!と掛け声をかけながら足踏みをしているというちょっと変わった同行会です。
そこに石井君もいました。」
ちょっと変わったと表現したのは、中沢君に気を遣ったからだ。
あれはちょっとどころどはない。
へたをすれば何かの儀式にしか見えなかった。
「そうですか。
幸弘のやつ、そんな同行会に参加していたんですか。」
ショックを受けたかな。
俺はそう思った。
何たってそんな変な同行会だ。
自分の恋人がそんなものに参加していたとなれば、幻滅する部分もあるだろう。
俺は同情するような目で中沢君を見た。
しかし中沢君は、「そっか、そうだったのか」と呟くと、急に笑顔になった。
何だ?
何でそこで笑顔になるんだ?
俺の疑問をよそに、中沢君は明るい声で言った。
「あいつ、きっとそんなことがバレたら俺に嫌われると思ってたに違いないんでしょう。
だから黙ってたんだ。
何て馬鹿なやつだ。
僕がそんなことで幸弘を嫌うはずがないのに。」
中沢君は笑顔を俺に向けて言った。
「探偵さん、謎が解けてすっきりしました。
僕、今日幸弘と話し合います。
そんなことで、僕はお前を嫌いになんかならないってね。
だって、僕達は愛し合っているんだもの。」
俺の横で由香利君が手を叩いた。
「そうですよね。
お互い愛し合っているんですものね。
今日は幸弘さんと、じっくり話し合って下さい。
私、お二人の愛が上手くいくことを祈っています。」
なんだ、この展開は。
俺はなんだか置いてけぼりになったような気分になっていた。
こいつらの心理が理解出来ない。
だって、マッチョな男達がふんどし一丁で、「ふんは!ふんは!」とか言っているんだぞ。
こいつらはきっと、近くでその光景を見ていないからそんなことが言えるんだ。
しかしそんな俺を放っておいて、中沢君と由香利君は喜び合っている。
「探偵さん、あなたにお願いしてよかったです。」
そう言って中沢君は報酬が入った封筒をテーブルの上に置いた。
「僕、今からすぐ家に帰って幸弘と話し合います。
僕達の愛は永遠だってね。
僕は、どんなことがあっても幸弘が好きだって伝えます。」
ああ、そうですか。
俺は適当に相槌を打ったが、由香利君は「応援してます!」と励ますように言った。
「じゃあ、僕はこれで。
本当にありがとうございました。」
そう言って頭を下げ、中沢君は去って行った。
「はあ、何だか疲れた。」
俺が言うと、由香利君がニコッと笑った。
「よかったじゃないですか、浮気の容疑が晴れて。
きっとこれであの二人は上手くいきますよ。」
「だといいけどな。」
嬉しそうにそう言う由香利君に、俺は気の無い返事を返した。
もう依頼は解決した。
あとのことは好きにしてくれ。
俺はそう思いながらエロ雑誌を広げた。
「だからそんなもの見るな!」
また由香利君のお仕置きが始まり、俺は快感に身を任せていた。
それから十日後、事務所に中沢君が手にバッグを持って訪ねてきた。
石井君を連れて。
「この前はお世話になりました。」
中沢君が頭を下げる。
俺は突然の訪問に、読んでいたエロ雑誌をたたんで二人を見た。
「あれから幸弘と話し合ったんです。
僕はどんなことがあってもお前のことが好きだよって。」
それを聞いて石井君も笑っている。
なんだ、わざわざ惚気に来たのか?
由香利君が「どうぞソファにお掛け下さい」と声をかけたが、二人は拒否した。
「探偵さん。」
「はい。」
いきなり中沢君に呼びかけられ、俺はビクっと身をすくめた。
何だ、いきなり。
そう思うと同時に、中沢君と石井君は同時に服を脱いだ。
「きゃあ!」
由香利君が悲鳴を上げる。
俺も何をするんだ、コイツらはと思って二人を見た。
すると、二人の股間にはふんどしが巻かれていた。
真っ白な、シミ一つない綺麗なふんどしが。
「実は、僕も幸弘に誘われて、ふんどし同行会に入ったんです。」
そう言って二人は「ふんは!ふんは!」と言いながら足踏みを始めた。
「や、やめろ!
お前ら。」
しかし二人は俺の言葉を無視し続けて続ける。
「ふんは!ふんは!」
「ちょっと、久能さん何とかして下さい!」
由香利君が顔を真っ赤にして俺に訴える。
ようし、こうなったら。
俺は眉間に力を集中し、念動力を使った。
すると石井君の巻いているふんどしが3cm横にずれて、タマタマがあわらになった。
「おわ、何だ!」
びっくりする石井君。
「何してるんですか!
この変態!」
思いっ切り顔面に蹴りを入れる由香利君。
俺はソファから転げ落ちてしまった。
そうすると中沢君が持っていたバッグの中から、真っ白な長い布を取り出した。
「これ、探偵さんにお礼です。
僕達と一緒に、ふんどしを巻きましょう。」
そう言うと石井君が俺を羽交い絞めにし、中沢君が俺の服を脱がし始めた。
「ちょ、ちょっと何するんだ!」
抵抗したが、マッチョな石井君に羽交い絞めにされて身動きが取れない。
そうしている間にもさらに俺の服は脱がされ、とうとうパンツ一丁になってしまった。
「さあ、パンツを脱いで我々と同じふんどしを巻きましょう。」
ニコニコしながら中沢君が言う。
そして俺のパンツに手をかけた。
「や、やめてー!」
俺の叫びも虚しく、パンツを下ろされて素っ裸にされてしまった。
「由香利君、助けてくれ!」
俺は必死になって訴えた。
「し、知りません!
もう、みんな変態じゃないですか!」
そう言って顔を手で覆って背中を向けている。
「さあさあ、ふんどしを巻きますよお!」
「やめてー!」
抵抗も虚しく、俺はふんどし一丁の姿になってしまった。
「うう、もうお婿にいけない。」
へたり込んで泣いていると、石井君に手を掴んで立たされた。
「こ、この上何をする気だ!」
俺が泣きながら言うと、二人はニコニコして「ふんは!ふんは!」と足踏みを始めた。
何だ、何がしたいんだ、コイツらは。
「ふんは!ふんは!」
そう掛け声を上げながら、中沢君が「さあ、ご一緒に!」と手招きをする。
俺はしばらく迷ったが、二人はやめる気配はまったくない。
ええい、もうこうなりゃやけだ。
「ふんは!ふんは!」
俺も二人に混じった。
事務所の中では三人の男がふんどし一丁で、「ふんは!ふんは!」と言いながら足踏みをするという異様な光景が広がっていた。
「もうやだ、最悪!」
由香利君が顔を背けたまま叫ぶ。
それでも続ける俺達。
「ふんは!ふんは!」
事務所の中には、ふんどし一丁で叫ぶ男達の声が響いていた。

                                    第六話 完


不思議探偵誌 第六話 秘密の金曜日(2)

  • 2010.07.14 Wednesday
  • 10:26
 どうして人は浮気をするのか?
そしてどうして人は浮気を疑うのか?
その根底にあるものは一体何なのか?
そんな哲学的なことは学者に任せておくとして、俺は今浮気の調査の為に張り込み中だった。
「恋人が浮気しているか調べて欲しい。」
そう言って一人の青年がやってきたのは四日前だった。
中沢君というとても爽やかな青年で、今付き合っている恋人が、何故か金曜日になると一人で何処かに出掛けて行くのだという。
その恋人の名前は石井幸弘。
そう、彼らは同性愛者なのだ。
別に俺は同性愛に偏見は持っていない。
世の中には色んな愛の形があっていいと思う。
だから依頼人の中沢君も、本気で石井君を愛しているようだった。
だからこそ浮気を疑うのかもしれない。
中沢君から借りた石井君の写真をポケットから取り出して見た。
相変わらずマッチョな体をしている。
大学時代にラグビー部のキャプテンだったというから、マッチョなのはそのせいであろう。
中沢君と石井君、この二人はどんな夜を過ごしているのだろう。
どっちが攻めで、どっちが受けなのだろう。
俺はやたらとリアルに想像しながら、男同士の絡み合いってどんな感じなのだろうと考えていた。
「久能さん、どうぞ。」
自販機に行っていた由香利君が缶コーヒーを買って戻ってきた。
俺は礼を言ってそれを受け取り、マンションの入り口付近の建物に身を隠していた。
中沢君と石井君は同棲しており、そのマンションを今俺と由香利君が見張っている。
二人の住処は三階。
俺はそこに目をやった。
中沢君の話だと、金曜になると出掛けるというが、決まって夜に出掛けるというのだ。
それがまた怪しい。
もし浮気しているのなら、人目のつかない夜を選ぶだろうから。
俺は缶コーヒーのプルタブを開け、ゴクリと一口飲むと、じっとマンションの入り口付近を見つめた。
今日は金曜日で、時間は午後7時。
そろそろ石井君がマンションから出てきてもおかしくない時間だろうと思った。
「久能さんは、石井さんが本当に浮気してると思いますか?」
由香利君がコーラを片手に尋ねてくる。
その目はなぜかギラギラ輝いていた。
「うーん、どうだろう。
怪しいとは思うけど、金曜日だけっていうのがなあ。
もし浮気してるんなら、もっと頻繁に会うんじゃないだろうか。」
そう言うと由香利君は「そうですかねえ」と眉をひそめた。
「私は逆だと思います。
もし本当に浮気してるんなら、あまり頻繁には会わないじゃないかな。
だって恋人にバレちゃうじゃないですか。」
「じゃあ由香利君は浮気してると思ってるわけだ。」
由香利君は一口コーラを飲み、それからコクリと頷いた。
「私はその可能性が高いと思います。
だって恋人にも行き先を告げないで何処かに出掛けるなんて、何か知られたくない秘密があるからでしょう。
それって浮気が一番確率が高いと思います。」
むう、確かにそういうものか。
恋人に内緒にするようなことと言えば浮気くらいしかないのかもしれない。
「中沢さんには可哀想だけど、私は浮気してると思いますね。」
由香利君は自信に満ちた顔で言った。
俺は缶コーヒーを一口飲んでから由香利君に尋ねてみた。
「由香利君は浮気したり、されたりしたことはあるのか?」
そう尋ねると、由香利君は目を見開いてぶるぶると首を振った。
「私はそんなことはしませんし、浮気をするような男の人とは絶対に付き合いません。」
真面目な由香利君らしい答えだ。
俺は浮気をしたことは無いが、されたことなら結構ある。
あれは中々傷付くものだ。
「所で由香利君、君は今まで何人の男と付き合ったことがあるの?」
そんな質問がくるとは予想していなかったのか、由香利君は飲んでいたコーラを吹き出しそうになった。
「な、なんでいきなりそんなことを聞くんですか。」
顔を真っ赤に染めて慌てたような表情で問い返してくる。
「いや、何となく気になって。」
別に深い意味は無いのだが、由香利君はごほんと咳をしてから「秘密です」と言った。
あらまあ、恥ずかしがっちゃって。
「何ですか?
その目は。」
子供を見るような目をしていた俺に由香利君が口を尖らす。
「いやあ、なんか照れちゃって可愛いなあと思って。」
こういう所は本当に女の子っぽい。
しかしあまり突っ込むと機嫌が悪くなるかもしれないので、この辺にしておこうか。
由香利君はさらに顔を真っ赤にしたままそっぽを向いてしまった。
「私のことなんてどうでもいいじゃないですか。
今は仕事に集中しましょうよ。」
そう言って顔を真っ赤にしながらグイッとコーラを飲んでいる。
「はいはい、これ以上由香利君をからかって遊ぶのはやめにしましょうか。」
そう言うとドスっと脇腹に拳を入れられた。
まったく、冗談の通じない子だ。
そう思いながらマンションの入り口に目をやると、一人の男性が出てきた。
俺はまたポケットから石井君の写真を取り出し、顔を見比べる。
間違いない。
あれが石井君だ。
右手に大きなバッグを持っていた。
中沢君の言っていた通り、金曜日の夜に一人で出掛けていくようである。
「由香利君、後を追うぞ。」
「はい。」
夜になって街灯が照らす道を、石井君は真っすぐ歩いて行く。
俺達は気付かれないように、多少距離を置きながら尾行した。
途中にある建物に身を隠しつつ、石井君の後を追う。
気のせいか、石井君は周りを気にしているようだった。
「どこに向かうんでしょうね。」
由香利君が小声で呟く。
「さあな。
とにかく今は見つからないように尾行するだけだ。」
そう言った途端、石井君がいきなり後ろを振り返った。
俺は慌てて由香利君の肩に手を回して体を寄せた。
「ちょ、ちょっと!
何するんですか。」
恥ずかしそうにして離れようとする由香利君。
「馬鹿、大きな声を出すな。」
俺は離れようとする由香利君の肩をがっちりと掴んだ。
「恋人がいちゃついているふりをするんだよ。
じゃないと怪しまれるだろ。」
俺の言葉を聞いて由香利君は黙り、顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに俯いてしまった。
石井君はチラリと俺達を見ると、また前を向いて歩き出した。
「よし、また後を追うぞ。」
「は、はい・・・。」
由香利君から手を離してまた尾行を続ける。
その間、ずっと由香利君は顔を真っ赤にしていた。
「なんだ、そんなに恥ずかしかったのか?」
俺は小声で尋ねた。
由香利君はまだ恥ずかしそうにしながら答える。
「そ、そんなことありません。
これは仕事ですから、別に何とも思ってなんかいませんから。」
強がちゃって、結構可愛いなあ。
そう思いながら冗談で言ってみた。
「じゃあもっと恋人らしくしてこんなこともした方がよかったかな。」
そう言ってお尻に触ると、思いっきり足を踏まれた。
「調子に乗らないで下さい!」
踏まれた足の痛みを気持ちいいと思う俺は、もう完全な変態だな。
これはまたエロ雑誌を買って、由香利君にお仕置きをしてもらわねば。
そんなことを思いながら石井君をつけること20分。
街の中央にある市立体育館にやって来た。
「なんだ?
こんなとこに用があるのか?」
俺は不思議に思いながらそう言った。
「浮気相手に会うにしては、おかしな場所ですよね。」
由香利君も顔をしかめている。
石井君は市立体育館に入り、俺達もその後を追った。
そして入り口のすぐ外で、中に入った石井君の様子を窺う。
何やら受付の人と話しをし、そして奥にある部屋へと入って行った。
「どういうことだ?
こんな場所で浮気相手と会うってのか?」
「そうかもしれないですよ。
私達も中に入ってみましょうよ。」
そう言って俺達も市立体育館の中に入り、中の様子をぐるっと見回してから受付の人に尋ねた。
「あのう、すいません。」
受付の若い男性に聞くと、「はい、何でしょう?」と明るい声を出してきた。
短く髪を刈りあげた、好感の持てる男性だった。
「さっきここにいい体をした男性の人が来ましたよね。
あの方、奥の部屋に入って行きましたけど、何の用だったか教えてもらえますか?」
そう尋ねると、受付の男性は少し怪しむ顔を見せた。
「実は私、彼の友達でして。
たまたまここで彼を見かけたんですよ。
そしたらこの体育館に入って行くから、一体何の用事なのかなって思って。」
そう言うと、受付の男性は「そうですか」と頷いて、俺の問いに答えてくれた。
「今日は第一運動室でふんどし同好会があるんですよ。」
「は?ふんどし同行会?」
俺はすっとんきょうな声を出していた。
「はい。
毎週金曜日の午後7時半から、ふんどしを愛する皆さんが集まって、ふんどし姿を披露するんです。
さっき来られた方が入ったのが第一運動室です。
今週も、皆さんご自慢のふんどしを見せ合っているはずですよ。」
俺は由香利君の顔を見た。
苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「それって、私が見に行ってもいいんですか?」
「ええ、見学は自由のはずですよ。」
そう言って受付の男性は奥の部屋に引っ込み、そして何やら紙を一枚持って出て来た。
「これがその同行会のパンフレットです。
よかったらどうぞ。」
俺はそれを受け取り、内容を見てみる。
「日本男児の誇り!ふんどし!さあ、君もパンツを脱ぎすてて、ふんどしを巻こうじゃないか!」
そのタイトルを見て、その下に書いてあることに目を通した。
「昨今、日本ではふんどしを巻く男児が減ってきています。
これは大切な日本文化が失われる大変な危機であります。
我々はこの伝統ある日本文化、ふんどしを守る為、毎週金曜日の午後7時半よりふんどしを巻いてその姿を披露し合っております。
さあ、あなたも我々と一緒に伝統ある日本文化、ふんどしをその身に纏おうじゃありませんか。」
俺は何と言っていいか言葉を失い、横から覗き込む由香利君に意見を求めた。
「なあ、どう思う?」
由香利君は無表情のまま、「何とも言えません」と言った。
まあ、確かに何とも言えないな。
「とりあえず、そのふんどし同行会とやらを見に行ってみようか。」
「は、はい・・・。」
あまり乗り気でない由香利君と、第一運動室へとその様子を見に行ってみる。
そしてドアの窓越しに中で行われている様子を見てさらに言葉を失った。
10人あまりのいい体をした男達が、真っ白なふんどしを身に付け、お互い見せ合うように堂々と立っている。
そして円陣を組んで「はいやー!」と大きな声をかけると、みんな輪を作るように離れて仁王立ちをした。
俺は何が始まるのだろうとじっと見ていた。
すると「ふんは!ふんは!」と言いながら足踏みを始めたではないか。
マッチョな男達がふんどし一丁で「ふんは!ふんは!」と足踏みをする光景。
俺は何も言えず固まって、ただその様子を見ていた。
「これは、何なんでしょうね?」
由香利君がぼそっと言う。
「さあな。」
俺も気の無い返事を返す。
するとふんどしを巻いていた一人の男性が俺を見つけ、ニコニコしながらドアを開けて俺の前に寄ってきた。
「見学の方ですか?」
男は満面の笑みで尋ねる。
「え、あ、いや。
その、私は・・・。」
言い終える前に男は俺の腕を取って中に連れ込もうとする。
「ゆ、由香利君。」
助けを求めようと思って呼ぶと、由香利君は体育館の外へ逃げて行く所だった。
「どうぞお近くで我々の活動を見て下さい。」
そう言って強制的に中に連れられ、ふんどし姿の男達の近くに座らされる俺。
その中にはふんどしを巻いた石井君もいた。
みんなニコニコしながらふんどし姿を晒している。
そしてまた足踏みが始まる。
「ふんは!ふんは!」
ああ、帰りたい!
こんな場所いやだ!
「ふんは!ふんは!」
なおも掛け声があがり、男達のボルテージは上がっていく。
「ふんは!ふんは!」
ふんどし同行会の活動が終わるまで、俺はふんどし姿一丁のマッチョな男の姿を見せつけられていた。
「ふんは!ふんは!」
その掛け声は、その晩俺の夢の中にまで出てきた。
「ふんは!ふんは!」
頼むから勘弁してくれ。
俺は夢の中で泣きそうになっていた。

                                  第六話 またつづく



不思議探偵誌 第六話 秘密の金曜日

  • 2010.07.13 Tuesday
  • 10:58
 事務所の窓から外を眺めながら、大きな欠伸をした。
先日の尾崎という探偵と勝負をしてから、浮気の調査の依頼が二件ほどきた。
そのどちらもすぐに解決し、それからは三日ほど依頼がこない日が続いていた。
「はい、ここにお茶置いておきますね。」
由香利君が俺の机の上にお茶を置き、奥へ引っ込んで書類の整理をしていた。
俺は椅子に座ってお茶を飲み、今日も依頼がなく一日が終わりそうだなあと感じていた。
由香利君にバレないようにこっそりパソコンでエロサイトを開き、あんな画像やこんな画像を堪能しながら時間を潰していた。
「この子は中々いいお尻をしているなあ。
俺のエロフォルダに保存と。」
思わず口に出すと、由香利君がこっちに寄って来た。
「またエッチなサイトを見てるんですか?
もう、本当にそんなことしか頭にないんですね。」
そう言って強制的にエロサイトを閉じられてしまった。
ああ、俺の楽しみが。
「あ、そうそう。
この前久能さんが出掛けてる時に、机の中にあったエッチな本は全部捨てておきましたから。」
「そ、そんなあ!
あれは俺の永久保存版として厳選したやつなのに。」
なんてひどいことをするんだ。
俺は半泣きになりながら由香利君を責めた。
しかし由香利君はそんな俺に取り合わず、書類の整理に戻ってしまった。
「あんなの読む暇があったら、もっと仕事に精を出して下さい。
ただでさえ依頼の少ない事務所なんですから。」
俺はお気に入りのエロ雑誌を捨てられた悲しみから怒る気にもなれず、しょんぼりしたまま椅子に座った。
何も俺に無断で捨てることないのに。
由香利君はとにかく真面目すぎる。
もっとこう、融通というものを利かすようにして欲しいものである。
「なあ、由香利君。」
「はい、何です?」
書類を片手に由香利君が振り返る。
「この前の話、受けてみたらどうだ?」
「この前の話?」
何のことか分からないという顔でこちらを見てくる由香利君に、俺はお茶をすすってから答えた。
「この前の尾崎との勝負でエロ雑誌社に行っただろう。
あのときヌードモデルにならないかと誘われたじゃないか。
君の鍛え抜かれたボディなら、男の視線を釘付けにすること間違いなしだと思うん・・・。」
全て言い終わる前に由香利君が飛び蹴りを放ってきた。
椅子から転げ落ちる俺。
「久能さん。
もし次言ったらそれなりの覚悟をして下さいね。
容赦しませんから。」
そう言って倒れた俺を思いっ切り踏んづけた。
ああ、これこれ。
この痛みがたまんない。
俺は九割方SMに目覚めたようである。
これは間違いなく由香利君のせいだが、本人には黙っておこう。
その方がマニアックなプレイが楽しめる。
そう思いながら立ち上がって椅子に座った時、机の上の電話が鳴った。
何かの依頼だったらいいなと思いながら受話器を取った。
「はい、こちら久能探偵事務所。」
営業用の明るい声で答えた。
「あのう、そちらは浮気の調査なんかもして頂けるんでしょうか?」
若い男性の声だった。
緊張しているのか、少し声が震えている。
「はい、していますよ。」
そう答えると電話の向こうの男性はふうと息を吐き、一呼吸おいてから言った。
「実は今付き合っている恋人が最近怪しいんです。
それで浮気の調査をお願いしたいんですが。」
この前から続いてまたも浮気の調査依頼である。
最近多いなあと思いつつ、俺は続けて話しを聞いた。
「恋人の浮気調査ですね。
それなら詳しいことをお聞かせ願いたいので、一度事務所の方へお越し頂けますか。
出来ればその恋人の写真も持って来て下さい。」
男性は「分かりました、今日の午後2時頃に伺います」と言って電話を切った。
「依頼の電話ですか?」
由香利君が書類を抱えて尋ねてくる。
「ああ、浮気の調査をして欲しいそうだ。」
俺はお茶を一口飲んで答えた。
それを聞いた由香利君は口を尖らせて不機嫌そうな顔をした。
「もう、どうして男って浮気するんでしょうね。
ちゃんと愛する女性がいるのに。」
以前依頼のきた浮気調査が二件とも女性だったので、どうやら今回の依頼も女性からだと思っているようである。
由香利君はふくれた顔をして宙を見ていた。
「いやいや、今回の依頼人は男性なんだよ。
恋人が浮気してるんじゃないかということで電話をかけてきたんだ。」
「そうなんですか?」
由香利君は自分の勘違いを恥じているようで、少し顔を赤くしていた。
「今日の午後2時頃に来るらしい。
三日ぶりの依頼だから気合を入れて取り組まないとな。」
「そうですね。
久能さんのエッチな本も全部捨てたことだし、心おきなく仕事に精が出せますね。」
それを言われてまた悲しくなった。
ああ、俺の愛しのエロ雑誌達。
今頃燃えカスになっているんだろうな。
そう思うと涙が出てきそうになった。
「久能さん。
せっかく全部捨てたんですから、もう買わないで下さいね。
今度見つけたら、またお仕置きしますよ。」
そう言って由香利君は書類の整理に戻った。
今度見つけたらお仕置きか。
なんかエロい響きだな。
お仕置きされる為に、わざとエロ雑誌を買っておこうか。
そんなふうに考える自分の変態性にちょっと悲しくなりながらも、俺は依頼人が来るまでこっそりエロサイトを覗いていた。
浮気の調査か。
最近多いな。
そう思ってお茶を飲み、由香利君に見つからないようにエロサイトを見てから昼食を済ますと、俺はソファで昼寝をした。
夢の中で、俺は由香利君にお仕置きをされていた。

                       *

「久能さん。
依頼人の方がお見えになりましたよ。」
そう言われて昼寝から起こされて、眠気まなこを擦っていると、俺の目の前にいかにもスポーツマンという感じの爽やかな青年が立っていた。
俺は慌てていとまいを正し、「どうそお掛け下さい」とその青年に声をかけた。
青年は軽く頭を下げるとソファに座り、やや緊張した面持ちで唇を噛んでいた。
由香利君がお茶を入れる為に奥へ引っ込み、青年と向かい合って座っている俺は上着のポケットから「探偵の久能司です」と言って名刺を差し出した。
青年は黙ってそれを受け取り、また軽く頭を下げるとふうと息を吐いてから話し始めた。
「中沢拓斗と言います。
今付き合っている恋人の浮気調査をお願いしたくて伺いました。」
俺は頷き、中沢君を観察した。
真っ白いポロシャツにジーンズ姿。
髪は短めで、やはりスポーツマンという感じの雰囲気を漂わせている。
由香利君がお茶を運んで来て俺と中沢君のの前に置き、俺の隣に座った。
「お電話でもそうおっしゃっておられましたね。
何かその恋人が浮気をしているという怪しい言動でもあるんでしょうか?」
中沢君は力強く頷いた。
そして顔の前で手を組み、項垂れるようにして答えた。
「僕とその恋人とはとても仲がいいんです。
そして今は同棲しているんですよ。
どこに行くのも一緒で、何をするのも二人でしていました。」
うんうんと頷きながら俺はお茶を飲み、先を促した。
「でもここ最近、金曜日になると何処かへ出掛けて行くんです。
僕が何処に行くのって聞いてもまったく答えてくれないし、一緒に出掛けると言っても反対するんです。
こんなことは今までに一度もなかった。
きっと、僕以外の誰かと会っているに違いないないんです。
だからそれを探偵さんに突き止めて欲しいんです。」
切実な目で中沢君は訴えてくる。
「なるほど。
では金曜日以外はどうです。
あなたを置いて一人で出掛けるということは?」
中沢君は首を振った。
「いえ、金曜日だけです。
他の日はいつもと同じように僕と一緒にいてくれます。」
うーん、金曜日だけいなくなるというわけか。
怪しいと言えば怪しいが、それだけでは何とも言えない。
「由香利君、君はどう思う?」
唐突に話しを振られて、由香利君は少し困ったような顔を見せた。
「そ、そうですね。
それだけでは何とも言えんないんじゃないでしょうか。」
まあもっともな意見だ。
これは調査するまで恋人が浮気しているかどうかは分からないだろう。
俺は中沢君を真っすぐ見据えて聞いてみた。
「怪しいのは金曜日にあたなを置いて出掛けるということだけなんですよね。」
「はい。
でも今までは何処に行くのも一緒だったんです。
それに何処に行くのか聞いても教えてくれないのも怪しいんです。
これって浮気してると思いませんか?」
「うん、まあ、どうだろう。」
俺は曖昧な返事をした。
中沢君ははあっとため息を吐いて悲しげな顔をした。
「では電話で言った通り、恋人の写真は持って来ていますか?」
中沢君は頷きながら、ジーンズのポケットから1枚の写真を取り出した。
「これが僕の恋人です。」
俺は「失礼、拝見させてもらいます」と言ってその写真を受け取った。
由香利君も横から覗き込む。
その写真を見た途端、俺も由香利君も絶句した。
文字通り、言葉を失ったのである。
「あ、あのう。
これって。」
遠慮がちに尋ねる俺に、中沢君は堂々として答えた。
「はい、僕たちは同性愛者です。」
写真に写っているのはよく日に焼けた、いい体をしたマッチョな男性だった。
俺は「うーん」と唸り、由香利君は何とも言えない顔をいていた。
「僕たちは大学のラグビー部で一緒だったんです。
僕が最初に幸弘に一目惚れしたんです。
あ、幸弘っていうのは恋人の名前です。
石井幸弘、ラグビー部のキャプテンでした。」
それで中沢君もスポーツマンって感じの雰囲気なのか。
いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
俺は恋人はてっきり恋人は女性だと思っていたので、面食らっていた。
「やっぱり変ですか、男同士が付き合うなんて。」
窺うような目で中沢君が聞いてくる。
「い、いや。そんなことはないと思うよ。
ねえ由香利君。」
「え、あ、はい。
そ、その、愛し合っていば男同士でも何の問題も無いと思います。」
俺達はしどろもどろになって答えた。
「大学の時に、僕から告白したんです。
そしたら幸弘も、ずっと僕のことが好きだったって。
それで大学を卒業した今も付き合っているんです。」
うん、まあ、何と言うか。
こういう愛もある。
俺は努めて笑顔を作っていた。
「お願いです!
どうか幸弘が浮気しているのかどうか調べて下さい。
俺、あいつ一筋なんです。
あいつが浮気してるんじゃないかって思うと、俺、もう夜も眠れません!」
中沢君は涙を一筋流した。
これこそ本物の愛なのかな。
俺は中沢君を見てそう考えた。
「ねえ、久能さん。
中沢さんの力になってあげましょうよ。
中沢さん、幸弘さんのことが好きで好きで仕方ないんですよ。
この依頼、受けましょう!」
中沢君の涙に心を打たれたのか、由香利君が強く訴えてくる。
「そうだな。
この依頼、引き受けましょう。」
そう言うと中沢君は身を乗り出して俺の手を取り、「ありがとうございます」と涙ながらに感謝してきた。
さて、この浮気調査、どうなることやら。
俺はお茶をすすり、写真に写っているマッチョな幸弘君を見た。
いなくなるのは金曜日だけ。
そこに何か理由があるのか。
まあ調べてみなければ分かるまい。
「お茶のお代わり淹れてきますね。」
少なくなった俺の湯飲みを持って由香利君が立ち上がる。
「今度はお茶じゃなくてコーヒーを淹れてきてくれ。」
そう言って由香利君のお尻をぽんと叩いた。
由香利君は俺に振り向き、ニコっと笑った。
俺もつられてニコッと笑い返す。
次の瞬間、由香利君の蹴りが俺の顔にめり込んでいた。

                                    第六話 つづく

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