不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 最終話 探偵の運

  • 2020.08.25 Tuesday
  • 13:58

JUGEMテーマ:自作小説

事務所の窓を開けると秋風が吹き込む。
銀杏並木は黄色に染まり、ヒラリヒラリと葉が舞う光景はなかなか風情がある。
俺はタバコを咥え、フワっと煙を吐いた。
今年の夏は暑かった。
猛暑が何日も続き、事務所のエアコンはフル稼働であった。
おかげで電気代が嵩んで仕方なかった。
とはいえ室内でも熱中症が起きる時代である。
夏日の間、事務所にいる限りはリモコンの切ボタンに触れることはなかった。
「若い頃は夏が良かったが、この歳になると秋がいい。」
年々暑くなっていく夏。逆に秋のような過ごしやすい季節はどんどん短くなっている。
このままではいつか夏と冬だけになり、一年中暑さか寒さに堪えないといけなくなるかもしれない。
「由香里君、見てごらん。銀杏が色づいているよ。」
「知ってます。ここへ来る時いつも見てますから。」
彼女は最近買ったタブレットを片手に険しい顔をしていた。
「久能さん、今月また赤字です。これじゃいつ潰れてもおかしくありません。」
「毎度のことさ。」
「赤字に慣れないで下さい。来年には私もここに就職するんですよ?もっとちゃんと経営してもらわないと。」
「分かってるさ。けど今は秋の風情を楽しみたい。なんとも銀杏が綺麗だから。」
「風情を楽しむのは仕事に精を出してからにしてくれると助かるんですけど?」
「俺も今年で35になっちまった。この歳になると夏より秋がいい。」
「35なんてまだまだ若いじゃないですか。なっちまったなんて言い方しなくても。」
「たしかに35は若い。だがあと5年もすれば40だ。5年なんてすぐさ。」
「大人になるほど時間って早く感じますよね。ついこの前お正月だったのに、あと二ヶ月ちょっとしたらまたお正月ですもんね。」
「ほんとになあ。子供の頃は一年がとんでもなく長く感じたもんだ。」
椅子に座り、タバコを灰皿に押し付ける。
暑い暑いと思っていた夏も、過ぎてしまえばあっという間だった。
しかし今年の夏が忘れられない夏になった人たちもいる。
恋花さんと愛子さんだ。
・・・・二か月前のこと、彼女たちは一つの肉体に戻った。
しかし精神までは一つに戻らなかった。
『まだ答えが出ない。じっくり考えてみます。』
二人してそう言っていた。
しかし暗い未来にはなるまい。
なぜなら二人が一つの肉体に戻るということは、俺の予知した未来においては決して悪い人生ではなかったからだ。
逆にどちらか一人だけが肉体を所有する選択をしていた場合、肉体を持つ人格だけが幸せになる。
自分のことだけを考えるなら、少なくともどちらか一方にとっては良い未来が待っていたのだ。
だが二人で一人になった場合、幸せもあるが苦難も待ち受けている。
つまり幸不幸の値はプラスマイナスゼロになるわけだ。
しかしもう一つ別の未来がある。
それは精神も一つになること。
つまり人格が分離する前の状態に戻るということだ。
そもそも二人は別人ではない。
肉体も精神も、そして魂だって同じなのだ。
精神まで一つに戻ることに不安はあるだろう。
自分が消えてしまうんじゃないか?
まったく違った人格になってしまうんじゃないか?
あの二人はきっと迷っている。
いや、もしかしたらもうすでに・・・・、
「ねえ久能さん。」
由香里君がタブレットから顔をあげる。
俺は「なんだい?」と振り向いた。
「仕事中にエッチな本を読むのやめて下さい。」
「そんなもの読んでないさ。」
「新聞からはみ出てますよ。」
見るとカモフラージュの為に重ねていた新聞の端からオッパイが覗いていた。
「失敬」と机の中にしまう。
「ここに就職したら私が所長を代わりましょうか?」
「嫌だと言ってもそうなりそうで怖いな。ちなみにもし所長になったら俺をクビにしたりはしないよな?」
「あ、いいですねそれ!エッチな本ばかり読んでる助手はクビにして、もっとやる気のある人を採用して・・・・、」
「OK!出来る限り煩悩を抑えよう。」
「ていうかもうしないって約束して下さい。」
「ベストを尽くす。」
「ならやっぱり新しい人を採用して・・・・、」
今日もこんな感じで他愛ない会話が続き、ロクな依頼も来なかったので夕方には店仕舞いにした。
外に出て「う〜ん!」と背伸びをする。
「秋の空気は清々しいな。久しぶりに飯でも行くかい?」
「ごめんなさい。この前の依頼でけっこう使っちゃったから。」
「だから依頼料は要らないって言ったのに。今からでも返そうか?」
「いいですよ別に。いくら助手でも依頼は依頼なんですから。だいたいもう残ってないでしょ?」
「ほとんど飲み代で使っちゃったな。」
「ほら。」
「心配するな。飯くらい奢ってやるさ。」
「ほんとに?じゃあ・・・・どうしよっかな。」
口元に手を当てながら「今日は家に帰っても一人だし、外で食べようかな」と呟く。
「ほう、今日は家に誰もいないのかい?」
「そうなんですよ。お父さんは出張だし、お母さんは友達に会いに出かけてるし・・・・、」
言いかけた時、由香里君のスマホが鳴った。
「ちょっとすいません。」
スマホを耳に当てながら「もしもし?」と誰かと喋っている。
「うん、うん・・・そう。いま仕事が終わったところ。うん、久能さんも一緒にいるよ。あ、代わるの?はいはい。」
由香里君は「どうぞ」とスマホを差し出す。
「お母さんからです。」
「お姉さんから?」
受け取り「もしもし?」と電話に出る。
『ああ司くん?いま大丈夫?』
「ええ。」
『実は伝えいたいニュースが二つあるのよ。ショックを受けるかかもしれないから心して聞いてね。』
しばらくお姉さんと話す。
時間はそう長くなかった。
だが話を終える頃、俺はなんとも複雑な気分を抱える羽目になった。
浮かない表情で由香里君に電話を返すと「どうしたんですか?」と心配された。
「なんか急に元気がなくなったけど。」
「由香里君、悪いが飯に行くのはキャンセルさせてくれ。」
「べつにいいですけど・・・・ほんとに大丈夫ですか?体調が悪いなら家まで送っていきますけど。」
「いやいや、平気さ。」
無理に笑って見せる。
いつもなら『送ったついでに俺のアパートで一晩どうだい?』なんて言って正拳突きを食らうパターンなのだが、あいにくそんな冗談さえ言えない気分だ。
背中を向け「また明日」と手を振った。
「なんか全然力が入ってないけど・・・・ほんとに大丈夫ですか?」
「平気さ。君も気をつけて帰りたまえ。」
「・・・・分かりました。じゃあまた明日。」
駅までの道のりをトボトボ歩く。
ぼんやり空を見上げながら、お姉さんから聞いた二つのニュースを思い出す。
まず一つはあの姉妹に関することだ。
恋花さんと愛子さんは精神も一つに戻ったそうだ。
これは本人たちが願ったからではなく、勝手に一つにくっ付いたのだ。
あの日から一ヶ月後のこと、朝に目覚めると違和感を覚えたという。
なんと人格が一つになっていた。
恋花さん人格、愛子さん人格、それぞれの人格はいなくなっていたのである。
と同時に自分は恋花であり、愛子でもあるという感覚があったそうだ。
二人はそれぞれ性格や考え方、それに生き方も違う。
だが完全に一つに戻った今、困るどころか上手くいくことの方が多いという。
仕事やプライベートなど、人はあらゆる場面であらゆる顔に切り替わる。
恋花さんと愛子さんの長所と短所は真逆であり、それが完全に一つに戻ったことで、それぞれを完全に補い合う一つの人格が誕生した。
いや、本来の姫月さんに戻ったという方が正しいだろう。
育ってきた環境や状況のせいで恋花さんタイプの人格を押し出す形になってしまっただけで、愛子さんタイプの自分も元々存在していのである。
人と接するのは苦手だけど、慎重ながらも我が道を貫く恋花さん。
人の期待に応えようと無理しがちだけど、社交的で責任感の強い愛子さん。
・・・・俺が予知した三つ目の未来、二人が一人に戻ったらどうなるか?
「二人は元々一人なんだ。上手くいかないわけがない。」
そう、三つ見えた未来の中で、二人が最も幸せな人生を送れるのがこれだったのだ。
しかし抵抗はあっただろう。
別々だった人格が一つになるというのは怖いことだと思う。
自分が自分でなくなってしまうんじゃないか?
自我が消えてこの世からいなくなるんじゃないか?
しかしある日目覚めて一つになっていたということは、本心ではそれを望んでいたということだろう。
・・・・いや、本当のところは分からない。だがそういうことにしておこう。
問題は俺である。
恋花さんの頭に宿っていたケセランパサランモドキ。
あれ、実は本物だったのである。
俺が恋花さんの頭から追い出そうとした時、アイツは必死に抵抗した。
あれは追い出されるのが嫌だったからじゃない。
恋花さんを守ろうとしていたのだ。
「頭に巣食う悪霊が、いつの間にか幸せを運ぶ本物になっていたとはなあ。」
見抜いたのは透視能力を使った時だ。
抵抗するコイツをどうにかして追い出そうと、どこかに弱点はないかくまなく透視してみた。
その結果、祠に巣食う悪霊とはまったく違う姿が見えたのだ。
悪霊は表面こそ真っ白な綿毛だが、中身はドス黒い。
しかし恋花さんの頭に憑依したアイツは中身も真っ白。
おかしいな?と思っていると、ふと頭の中に声が響いた。
《長いこと一人の人間に巣食っていると、いつの間にか邪気が抜けてしまったよ。この子の性格が清らかなせいかもしれない。
これからは呪いでなく幸運を与えてやりたい。この姉妹が幸せな人生を歩めるように祝福を与えたやりたいんだ。
そこでだ。あんた、悪いんだけどちょっと手を貸してくれないか?
もし手を貸してくれるなら、モドキから受けるリスクもゼロにしてやろう。》
俺は言われるままに手を貸した。
おかげでパワーアップした超能力の反動は受けずに済んだ。由香里君もだ。
そしてあの姉妹はこれから幸せな人生を歩むことが約束されている。
本物のケセランパサランが祝福を与えているのだから。
そう考えると、一つに戻ったのもケセランパサランの力かもしれない。
なかなか答えを出さないものだから、これが最善の選択だぞと。
これで彼女たちは幸せ間違いなしである。だが俺はどうか?
「さあて、どうしたもんかな。」
ポケットに手をツッコミながら空を見上げる。
するとビルの上から鉄骨が落ちてきた。
「うおおおお!」
慌てて避ける。
しかし避けた先にトラックが突っ込んできて「ずうああああ!」と叫びながら飛び退いた。
だが飛び退いた先はなぜかマンホールの蓋が開いていて、危うく落っこちそうになる。
「ついに来たか・・・・。」
トラブルの連続コンボ。襲いかかる不幸のラッシュ。
これは偶然ではない。
ケセランパサランを使った代償なのだ。
あれは本来なら自分で捕獲し、自分で増やさなければならない。
しかし今回の件、俺は捕獲も増殖もさせていない。
つまり条件を満たしていない状態でケセランパサランを使った・・・・というより、あの姉妹を救うのに手を貸したのだ。
恋花さんの頭に宿るケセランパサランだけでは、とてもではないがあの姉妹を救うことは不可能だった。
そこで俺が「幸運の前借り」をすることで、ケセランパサランに力を与え、祝福を与えることになった。
これは何を意味するか?
《俺はアホだ。いくらあの姉妹を助ける為とはいえ、他人に自分の運を使ってしまうなんて・・・・。》
後悔先に立たず。
前借りした幸運の返済が始まった。
これがお姉さんからのもう一つのニュースだった。
『なんだか悪い予感がするのよ。これ由香里も言ってたんだけど、近いうちに司くんに不幸の嵐が襲いかかるんじゃないかって。
ただの勘といえば勘なんだけど、私って昔からこういうのだけは鋭くて。最近は由香里もこういう勘が冴えてきたみたいでね。
あの子なにか言ってなかった?・・・・あらそう。何も聞いてないのね。多分言い出せなかったんだと思うわ。司くんを不安にさせまいと。』
なるほど、相変わらず優しい子だと思った。
しかしこういう事はなるべく早く言っておくれよ由香里君。
『私の勘だとあと一ヶ月くらいは不幸が続くと思うわ。とにかく身の回りのに注意して。』
お姉さんの言葉を思い出していると、今度は何かにつまづいて転びそうになった。
間一髪、地面に倒れる前に手を着いたが、目の前には尖ったガラス片が散らばっていた。
「・・・・・・・。」
振り返るとマトリョーシカが落ちていた。
なぜ道端にこんな物が・・・・。
「ヤバイ・・・・これは本格的にヤバイぞ。」
一ヶ月もこれが続いたら、多分きっと生きてはいられないだろう。
久能司、今になって恐怖に青ざめる。
背中には冷や汗が流れ、ガクガクと膝が震えて・・・・、
「久能さん。」
ふと頭上から声がする。
見上げると由香里君がいた。
「そこ、ガラスが散らばってるから危ないです。早く立って。」
そう言って手を差し伸べてくれる。
俺は「膝がガクガクでね・・・」と、彼女の手を掴みながらへっピリ腰で立ち上がった。
「お母さん、なにか言ってました?」
「ああ・・・これから不幸が襲いかかるだろうと。」
「やっぱりそうなんだ・・・。私も胸騒ぎがしてたんです。ケセランパサランの反動ですよね?」
「だろうな。運の前借りは借金より恐ろしい・・・・。」
「でも立派じゃないですか。依頼人を救う為にそこまでするなんて。」
「そんなカッコいいもんじゃないさ。勢いでやったまでで。」
由香里君はクスっと笑い、「送っていきます」と言った。
「一人じゃ危ないでしょ?」
「いやしかしだな・・・・気持ちはありがたいが、俺と一緒にいたら君まで危ない目に・・・・、」
「それ前にも聞きました。」
「だったらすぐに帰った方がいい。いつ君にも鉄骨が落ちてきたりトラックが突っ込んでくるか分からないぞ。」
「もしそうなってらなんとかしてみせます。」
「強気だな。君らしいと言えば君らしいが。」
「だって家に送るだけですから。どうにかなりますよ。」
「なるほど。この不幸が今の一瞬だけと思ってるんだな?」
「一瞬だけってことはないでしょうね。今日一日くらいは続くと思います。だから家に帰ったら大人しくしてた方がいいですよ。
今夜は飲みに行ったりとか遊びに行ったりとかは控えて・・・・、」
「一ヶ月だ。」
「え?」
「この状態が一ヶ月は続くらしい。」
「そんなまさか。」
「確証はない。しかし由佳子お姉さんの勘がそう言っているそうだ。」
「お母さんが・・・・。」
神妙な顔になる。
どれだけ危険な状況が理解したらしい。
「悪いことは言わない。俺と一緒にいない方がいい。仕事もしばらく休みにする。
悪いがその間は給料が払えない。もし金に困るなら、俺の知り合いの飲み屋で短期のバイトを紹介して・・・・、」
「いますよ。」
「ん?」
「一緒にいます。」
「ああ、ええっと・・・・しかしそうなると君にも鉄骨が落ちてきたりトラックが突っ込んできたり・・・・、」
「なんとかしてみせますって。」
横に並び「嫌なことばかり心配してたって」と肩を竦める。
「なんにも良いことないですよ。」
「いや、実際に嫌なことがしばらく続くわけで・・・、」
「一緒にいる。そう言ったでしょ?」
クルリと踵を返し、「帰りましょ」と歩き出す。
なんと優しい・・・・そして逞しい子だろう。
彼女を追いながら「仕事中はエロ本を控えるよ」と言った。
「だからまあ・・・・なんだ。その、一緒にいてくれるのは嬉しい。」
由香里君は振り返り、「約束ですよ」と微笑む。
先を歩いて行く彼女の背中に「いつも感謝してる」と囁きかけた。
しかしその時だった!
眉間に力が集中し、一秒先の未来が見えた。
「危ない!」
駆け出し、由香里君の腕を引く。
「きゃあ!」
「大丈夫か!」
「な、なんですかいきなり・・・。」
驚く彼女に「コイツさ」と足元を指差す。
「コイツって・・・・あ!」
「な?」
最近はマナーの良い飼い主が増えたものの、完璧にゼロになったわけではない。
「危ないところだった」と言うと、由香里君もホっとしている様子だった。
「久能さん・・・ありがとう。」
「いいってことさ。それより早く帰ろう。どんな不幸が襲ってくるか分からない。」
踵を返し、颯爽と歩き出す。
一歩踏み出した先に別のウンコがあった。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第十三話 本心

  • 2020.08.24 Monday
  • 14:54

JUGEMテーマ:自作小説

俺には超常的な力が備わっている。
こいつを駆使してどうにか脳内のケセランパサランモドキを取り除くしかない。
「恋花さん。もう一度言う。今から貴女の目を覚まさせる。頭の中から悪い霊を取り除いて。それが貴女を救うただ一つの方法だ。
しかし同時に大きな悲しみに包まれることになる。なぜなら頭の中からケセランパサランモドキを取り除くということは、貴女にとって大事なあの女性まで・・・・、」
言いかけてやめる。
伝えたところでどうにかなるわけではない。
それに虚ろな状態では耳に届かないだろう。
・・・・問題は俺の方だ。
この身に宿る超能力、正直なところそう大したパワーはない。
透視能力は一センチ先までしか見えないし、念動力は軽い物を三センチ動かせるだけ。
予知能力に至っては自分の意志で発動できないし、仮に発動しても一秒先までしか見えない。
あまりに貧弱なこの能力では、恋花さんの頭から悪霊を追い払うことは出来ない。
ならばどうするか?
悪霊に勝てるほど強化するしかない!
ではどうやって?
答えは簡単、悪霊の力を借りればいい。
俺は後ろを振り返る。そこには愛子さんが立っていた。
彼女はなんとも言えない表情で『探偵さん』と呟く。
『私からお願いしといてこんなこと言うのもアレだけど・・・・ほんとにいいの?』
「ああ、覚悟は出来てる。」
『じゃあ・・・・これを。』
彼女はそっと手を広げる。
そこにはたくさんのケセランパサランモドキがいた。
『これに願いを掛ければ超能力は強くなる。』
俺は愛子さんに近づき、手の中の真っ白な綿毛たちを睨んだ。
コイツらは人間の頭に憑依して、記憶や意識や感情に様々な影響を与える。
ということは俺の頭に憑依させれば超能力を強化させることも可能だ。
今までの経験上、集中力や感情が高まると超能力のパワーが増す。
あれはいつだったか格上の超能力者と対決した時のことだ。
探偵の看板を懸けた負けられない勝負をした。
あの時、いよいよ追い詰められた俺は今までにないほどのパワーを発揮した。そして勝利したのである。
ということはケセランパサランモドキを頭に憑依させ、パワーアップを願えば集中力や感情の力が増す。
つまりパワーアップするというわけだ。
しかしそこには確実に・・・・・、
『強くすればするほどリスクもあるわ。悪霊を追い払うほどとなるとものすごいリスクを背負うことになると思う。最悪は命に関わるかも・・・・。』
「いいさ、スリルと刺激を求めて探偵になったんだ。脱サラまでしてな。」
カッコを付けた手前、《本当は怖いんだ》とは言えない。
出来る限り余裕の笑みを見せる。
由香里君が「無理して笑わなくても・・・・」と言った。
「さて、それじゃ願いを掛けようか。」
「久能さん・・・・本当に大丈夫ですか?」
「なあに、心配ないさ。なんで?って聞かれると困るけどな。」
「・・・・・・。」
眉間に皺を寄せながら唇を噛む由香里君。
なんとも言えない表情を見せてから「私も手伝います!」と言った。
「久能さんだけにリスクを背負わせるなんて出来ません。」
「君まで危険を負うことはない。」
「でも一人はそれこそ危険です。」
由香里君は俺の隣に並び、「一緒に願いを掛けましょ」と手を重ねた。
「私だけ安全でいたいならとっくに帰ってます。危ない時ほど二人で仕事をする。いつもそうしてきたでしょ?」
「由香里君・・・・・。」
色んな感情がこみ上げる。
こんな上司想いな部下がいるだろうか?
こんなに心優しい子がいるだろうか?
そしてこんな時にまで色気を感じてしまって煩悩が高まってしまう俺がここにいる
「なんでエッチな顔になってるんですか?」
「え?」
「めちゃくちゃ鼻の下が伸びてます。」
「君の手が触れているからね。それに感動的なことを言うし。なんか色々と疼いてしまって。」
「・・・・・・・。」
「冷たい視線もいい。」
「ごめんなさい。やっぱりここから先は久能さん一人で・・・・、」
「全て冗談さ。」
「なら鼻の下を戻して下さい。」
「こうかい?」
「上唇だけ上がってます。余計にエッチな感じになってますよ。」
さらに目が冷たくなる。
まあ冗談はこれくらいにしておこう。
「私も願いを掛けます。久能さんの負担を私にもって。そうすれば一人でリスクを背負わないですむでしょ?」
「本当にいいんだな?」
「超能力が集中力や感情でパワーアップすることは知ってます。だから私の感情や集中力も超能力に活かしてほしいって願いをかければいけるはず。」
「しかしケセランパサランモドキにそこまで出来るかな?こいつは憑依した人間の頭に影響を与えることくらいしか・・・・、」
「出来ますよ。だってこの悪霊を使って愛子さんは男の人に化けたじゃないですか。それに今でも成仏できずに縛られてるし。
だからきっと私たちが思ってるよりすごい力があるんですよ。ということは恋花さんに憑依した悪霊だって同じです。
久能さんが思ってる以上に手強いはず。だったらこっちは二人で挑んだ方が賢明でしょ?」
「グウの音も出ないな。やはり将来は君が所長かもしれない。」
俺たちは覚悟を決め、頷き合う。
すると由佳子お姉さんが「信じていいのよね」と言った。
「ええ。必ず恋花さんを助けます。」
「もちろん彼女も心配よ。けどそれ以上に・・・・、」
お姉さんは母親である。一番心配なのは娘であった。
「由香里、大丈夫なのね?」
「分からないけど・・・・でも久能さんと一緒なら多分なんとかなると思う。今までもそうだったし。ね、久能さん?」
「そうだな・・・・と言いたいところだが、結果オーライなことがほとんどだからな。」
「過程も大事だけど結果も大事です。だから結果オーライでも胸を張っていいと思いますよ。」
そう言って「お母さん」と振り返る。
「お母さんの友達は私と久能さんが助ける。だからそこで見守ってて。」
「由香里・・・・。」
心配そうな顔をしているが、「分かった」と笑ってみせる。
「司くん、由香里をよろしくね。」
「命に代えても。」
お姉さんからの信頼、由香里君の安全、そして恋花さんの未来。
失敗は出来ない。
男、久能司!いざ意気込んで願いを掛けた。
《俺に力をくれ!超能力をパワーアップさせたいんだ!》
強く思い描くと、愛子さんの手から白い綿毛が舞い上がった。
それも真っ白になるほどたくさん。
フワフワと宙を漂ったかと思うと、俺と由香里君の頭に吸い込まれていった。
・・・・瞬間!カっと頭が熱くなった。
《これだ!超能力がパワーアップする時の感じだ!》
焼けるほど熱くなっていく。
そして眉間に力が集中し、目眩すら感じた。
それは由香里君も同じようで、フラつきながらどうにか立っている。
《由香里君!頑張れ!》
彼女を支えながら、どんどん熱くなっていく頭に痛みさえ覚え始める。
そして・・・・、
《きたああああああ!》
目眩を通り越し、むしろ爽快な気分に変わった。
ただし眉間には大きな力が集中していて、透視能力を使うと恋花さんの頭を通り越して後ろの滝が見えてしまった。
《力が大きい分コントロールが難しい。》
これはとんでもないパワーだ。
そう長くは耐えられないだろう。
今は良くても後から必ず大きな反動が来るはずだ。
早く仕事を終えないと命に関わる。
・・・・だがなかなか上手くいかない。
強すぎるパワーのせいで透視先を恋花さんの頭の中に合わせることが出来ない。
《クソ!頼むから言うこと聞いてくれ!》
大きな力に振り回される。コントロールは無理だ・・・・・と思った時だった。
由香里君が重ねた手をギュっと握ってきたのだ。
するといとも簡単に力のコントロールが出来るようになった。
《これは・・・由香里君のおかげか。》
どうやら彼女は俺の力を調節してくれてるらしい。
だがそれはそれで大きな負担が掛かるだろう。
彼女の為にも迅速に仕事を終えなければ。
《どこだ・・・・どこに巣食ってやがる。》
恋花さんの脳内をくまなく探っていく。
俺なんかに頭の中を見られたくないだろうが、こればっかりは我慢してもらうしかない。
《・・・・・ん?今なんかいたな。》
右脳の下辺りにふと白い物が見えた。
そこへ意識を集中させると・・・・、
《いやがった!》
脳の一部が綿毛の塊に侵されている。
白い糸を神経のように伸ばし、ガッチリと絡みついている。
《巣食ってる場所さえ分かればこっちのものだ。後は念動力で脳の外に押し出すだけだからな。》
コイツは物質的なモノじゃない。
ということは念動力で強引に押し出しても脳が傷つくことはないのだ。
頭蓋骨をすり抜け、そのままスルっと出てくるはず・・・・、
《いや駄目だ!》
念動力を使おうとした瞬間、勝手に未来予知が発動して良くないイメージが見えた。
ケセランパサランモドキは激しく抵抗し、恋花さんの精神に悪影響を与えるイメージが・・・・。
《クソ!物理的なダメージは無くても精神的にダメージを負うのか。これでは無理に取り出せない。》
ただでさえ参っている恋花さんにさらにストレスを与えたらどうなるか?
それこそメンタルが崩壊しかねない。
《まずいぞこれは・・・・。》
愛子さんによれば、超能力を使えば簡単に取り出せるはずだった。
ケセランパサランモドキにはパワーアップし念動力に耐える力はないと言っていたのだ。
だが頭の外へ追い出そうとすると、恋花さんの脳にしっかりと綿毛を絡めて踏ん張るのだ。
これではどうにもならない。
「久能さん・・・どうしたんですか?」
由香里君が辛そうに尋ねる。
俺は「残念だが・・・」と首を振った。
「かなり抵抗してきやがる。無理に追い出そうとすれば恋花さんの精神を傷つけることになる。」
「そんな・・・・、」
言いかけて倒れそうになる。
「由香里君!」
顔が真っ青で唇も紫色だ。
「俺より君に負担が掛かっているようだ。離れていた方がいい。」
「ダメですよ・・・・。力がコントロール出来なくなる・・・・、」
「だがこのままでは危険だ。」
俺の腕を掴んでどうにか立っているものの、足元はフラフラだった。
すると由佳子お姉さんが「由香里」と腕を引いた。
「司くんの言う通りよ。これ以上は無理しないで。」
「でもこのままだとお母さんの友達を助けられない・・・・。」
「・・・・そうね。彼女は私の大事な友達よ。」
お姉さんは恋花さんを見上げる。そして「ごめんなさい」と首を振った。
「いくら親友の為でも娘を危険に晒すわけにはいかない。私にとってはこの子の方が・・・・、」
「愛子・・・・。」
ふと恋花さんが呟く。
「近くにいるの・・・・・?」
キョロキョロ辺りを見渡し、俺の後ろに立つ彼女を見つける。
「会いに来てくれたんだ・・・・。」
フラフラと歩き出し、愛子さんの手を握る。
「ごめんね・・・・私のせいで・・・・。私が自分だけの身体を欲しいなんて願わなかったら・・・・恋花は死んだりしなかったのに・・・・。」
妹からの謝罪。だがそれは姉の求めているものではない。
愛子さんは俯いてしまった。
《あんな風に謝られることはかえって辛いだろうな。》
愛子さんからすれば、私のことで苦しむくらいなら、いっそのこと忘れてしまってくれと思っているだろう。
なぜなら恋花さんの頭から悪霊を追い出せば、愛子さんは消滅してしまうからだ。
愛子さんという人格は、恋花さんが頭で思い描いているから存在しているのである。
頭に巣食った悪霊のせいで、姉という人格を生み出しているのだから。
もしそれが無くなってしまったら愛子さんも消えてしまうだろう。
皮肉だが自分を苦しめている悪霊があってこそ、姉という人格を保っていられるのだ。
そして愛子さんは妹が悪霊から開放されることを望んでいる。
つまり自分が消えたとしても、妹が助かるならそれでいいわけだ。
だから謝罪なんてされたら余計に苦しむ羽目に・・・・、
『そうだよ。アンタのせいだよ。』
愛子さんは顔を上げる。怒りのこもった目で、怒りのこもった口調で。
『私は恋花じゃない!愛子だよ!妹はアンタ!!アンタが姉を望んだから私が誕生した。なのにアンタは私と一緒にいるのが嫌になった。・・・でもいいよ別に。それは許すよ。
正直なところ私だってずっとアンタと一緒は辛かったから。自分だけの身体があればもっと自由に生きられるのにって思ってたから。』
さっきまでの愛子さんとはあまりに違う口調だった。
『言っとくけど我慢してたのはアンタだけじゃない。私だって辛かった。いつでもどこでもアンタとずっと一緒にいなきゃいけないなんて。
自分だけの身体があればもっとたくさん友達と遊べたし、もっと好きな男の子とも一緒にいられた。
なのにアンタはどこでもついて来る。だって同じ身体なんだもん。どんなに仲良くても息が詰まるよ!』
辛さを滲ませるようにグっと口元を噛んでいる。
恋花さんは黙って姉の言葉を聞いていた。
『でも私にワガママ言う権利なんてないから我慢してた。性格だってアンタが望む子を演じてたんだよ。
ほんとはぜんぜん良い子なんかじゃないよ私・・・・。みんなに愛想良くするのだって無理してたし、愛嬌だってわざとそうしてただけだし。
だって気に入らない子だっているし、ムカつくことだっていっぱいあったし。でもアンタがそういう姉を望んだから演じてた。
なんでか分かる?しょせん私はアンタの影に過ぎないから。もう一つの人格なんて言ったって、私はケセランパサランモドキが作り出した幻みたいなもんだから。』
怒りの滲んでいた声はトーンが落ちていく。
淡々として無感情になって、まるで機械のようにさえ感じた。
『あの時だってほんとは自分の身体が欲しかった。でも無理だった。私はしょせん影だから。
だってその身体は恋花のもんだし、そもそも私には自分の命なんてない・・・・。アンタが私っていう人格を信じてるからこうして存在してるだけ。』
そう言って『私は苦しいよ』と首を振った。
『アンタが間違った記憶の中を生きてる限り、私はずっとここに縛られてる。ねえ見てよ、これが今の私の本当の姿だよ。』
手を広げ、全身から真っ白な綿毛を解き放つ。
後に残ったのは白骨化した遺体だけだった。
『これ怖いでしょ。醜いでしょ。なんでこんな姿になったと思う?』
一歩近づき、虚ろな表情の恋花さんを睨む。
『アンタが私の死をイメージしてるからだよ!死のイメージとして骨だけになった私を頭に描いてる。だから・・・・、』
言葉を止め、グっと息を飲む。そして叫んだ。
『だからこんな姿で40年もここに縛られてるんだ!40年だよ40年!!この苦しみがお前に分かるか!?』
骨だけになった彼女は両手を広げ、恋花さんの肩を掴んだ。
『アンタが目を覚まさないから私は苦しいままだ!いつまでも現実から逃げるな!目え覚ませよ!正しい記憶を思い出せ!!』
そう言って『もう泣くことだって出来ない・・・・』と俯いた。
『こんな骨だけじゃ・・・・感情だって表せないよ・・・・。』
ズルズルと倒れ、地面に膝を着く。そして妹の手を握った。
『もう楽になりたい・・・・。』
姉の言葉は届いたのだろうか?
恋花さんの表情にわずかな変化が見られる。
彼女も膝をつき、そっと姉の手を握った。
「大丈夫だよ。もう一度ケセランパサランに願いを掛ければ・・・・。」
そう呟いた瞬間、大木の穴の向こうから大量の綿毛が飛んできた。
そして二人の頭上に降り注ぐ。
「お願い・・・・この子を生き返らせて・・・・。」
「イカン!」
四度目の願い・・・・これが叶ってしまったら元も子もない。
俺はすぐに駆け出したが、白い綿毛は二人に吸い込まれて始めていた。
「させるか!」
念動力を発動させる。
彼女たちの周りから白い綿毛を吹き飛ばした。
だがすでにある程度の量を吸い込んでしまっていた為か、二人に変化が起き始めていた。
白骨化した愛子さんの遺体から魂のようなモノが飛び出したのだ。
そして恋花さんの頭の中へと入り込んでいく。
「恋花さんの肉体に愛子さんの人格を入れるつもりだな!悪霊め、そうはさせんぞ!!」
再び念動力を発動させる。
恋花さんの肉体から愛子さんの人格を抜き出す為に。
しかし・・・・・、
『ぎゃああああ!』
恋花さんの頭から愛子さんが飛び出してくる。
そして白骨化した自分の遺体へ戻っていった。
『こ、この野郎・・・・・邪魔すんな!』
彼女は俺を睨みつける。
だが俺はまだ何もしていない。能力を発動させる前なのにどうして・・・・、
「私です・・・・。」
由香里君が俺の腕を掴んでいた。
「私がやったんです・・・・久能さんの念動力を使って・・・・、」
「君が!?」
「願いを掛けたんです・・・・私にも超能力をって・・・・。」
「なるほど。じゃあ俺の身体を通して発動したってわけか。だがそんなことをしたら大きな負担が・・・・、」
「もうフラフラ・・・・超能力ってこんなに・・・・疲れるんですね・・・・。」
そう言ってパタっと倒れてしまう。
「由香里君!」
抱き起こそうとしたら「由香里!」とお姉さんが先に駆け寄った。
「大丈夫!ねえ由香里!?」
「ごめんなさい・・・久能さん・・・・手伝えるのは・・・ここまでみたい・・・、」
「由香里!」
娘を揺さぶるお姉さんに「気を失ったようです」と言った。
「大丈夫よね?死んだりしないわよね!?」
「もちろんです。いよいよとなったらこの俺が全てを懸けて由香里君を助けますから。」
二人を離れた場所に避難させ、双子の姉妹を振り返る。
ハッキリ言おう・・・・俺も限界だ・・・・。
パワーアップした超能力の反動は半端じゃない。
膝に力が入らないし息は苦しい。鼓動も身体じゅうに音が響くほど波打っている。
使えるとしたらあと一回だけだろう。
だが・・・・それで充分だ!
「愛子さん。」
彼女に近づくと『この野郎!』と怒った。
『邪魔すんなよ!』
「すまない。君の本心を読み取れなかった。」
ペコリと頭を下げる。
「生きていたかったよな。いくら妹の為だったとはいえ、その後40年も苦しむとは思っていなかったはずだ。
だから一度生きたいと願うようになった。そうだろ?」
『そうだよ!悪いか!』
彼女はケセランパサランモドキを吸い込み、また少女の姿へと変わっていく。
『私だって生きたかった!だけど私はしょせん影だからって我慢したんだ!でもやっぱり・・・・、』
「君は何も間違っていない。そもそもいくら仲の良い姉妹だからって、14歳の子供にとってはあまりに酷だ。
だから君は戻ろうとした。いや、あわよくば恋花さんの肉体を自分のモノにしようと・・・・、」
『だから悪いかよ!』
石を投げてくる。
俺はよけずに受け止めた。
おでこに当たり、血が垂れていく。
「さっきも言った通りだ。君は悪くない。誰も君を責められない。」
愛子さんは怒りを叫びながら何度も石をぶつけてくる。
『生きていたい』
これが彼女の本心だった。
さっき恋花さんの中に吸い込まれようとした時、彼女はまったく抵抗する素振りを見せなかった。
それどころか邪魔されたことに怒っていた。
理由は一つ。肉体が欲しかったのだ。生き返りたかったのだ。
いや、そもそも彼女は生きてるわけでも死んでいるわけでもない。
あくまで恋花さんが生み出した影である。
だが影であっても願望や欲はある。それは何も間違ったことではない。
愛子さんは紛うことなく一人の人間なのだから。
俺は歩み寄り、石を投げようとする彼女の手を掴んだ。
その手には丸い石が握られていて、ふと昔のある出来事を思い出した。
・・・・そう、あれは子供の頃、由佳子お姉さんと花火を見に行った時のことだ。
丸いカステラを二つに割り、半分あげようとした俺にお姉さんはこう言った。
『もともと一つだったものが、二つに別れるって寂しいことだよね・・・・・。』
そう、恋花さんと愛子さんはもともと一つなのだ。
だったら戻ればいい。
二人で一人に。
「愛子さん。俺から一つ提案がある。」
彼女の手から石を取り上げ、「恋花さんと一つに戻らないか?」と尋ねた。
『イヤだ!私は40年も苦しんできたんだ!恋花を追い出して私があの身体をもらう・・・・、』
「そうじゃない。肉体だけでなく、精神も一つになったらどうかと言ったのさ。」
『せ、精神・・・・?』
キョトンとしている。
俺は「そもそも君たち二人は・・・・」と続けた。
「肉体だけでなく心も同じだったはずだ。」
『は?なに言ってんの・・・・。私と恋花は別人だよ!』
「そうかな?」
『そうだよ!性格だって考え方だって全然違う!生き方だって・・・・、』
「だが君は恋花さんの中から生まれた。いくらケセランパサランモドキの力があってのことだとしても、何もない場所から誕生したわけじゃない。」
『知ってるよ!だから私は影だって言ってるんだ!私なんてしょせん恋花の願望が生み出した《モドキ》だから・・・・。』
自分の手を見つめ、『今だってそう・・・・』と呟く。
『これだって本当の私じゃない。ケセランパサランモドキを吸い込んだ偽物の身体。本当は真っ白なガイコツなのよ・・・・私は何もかも偽物で・・・・、』
「いや、君は偽物なんかじゃない。影でもなければモドキでもない。君も恋花さんもれっきとした一人の人間。
なぜなら君自身が恋花さんであり、恋花さん自身が君だからだ。」
『意味分からない・・・・なに言ってんのよさっきから。』
このオヤジ大丈夫?みたいな目をしている。
冷たい視線というのは中々突き刺さるが、由香里君で慣れているので流水のごとく受け流した。
「人間ってのは、元々自分の中に無いモノは生み出せないのさ。だけど君は恋花さんの中から生まれた。
つまり恋花さんの内面には、元々君のような性格や考え方、そして生き方をする人格があったのさ。
しかし彼女は人と接するのが苦手だった。だからその人格を押し殺していただけで、君という人間は最初から彼女の中に存在していたんだ。」
『そんなわけ無い・・・・、』
「あるさ。なぜなら人は生まれ育った環境や状況によって、ガラリと性格や生き方が変わってしまうからだ。
もし恋花さんがここではないどこかで生まれ、もっと違った人たちに囲まれていたら、君が表に出ていたかもしれない。」
『それは違う!だって恋花が願いを掛けたから私って人格が誕生したのよ。もしそうじゃなかったら私はどこにもいない!』
「なら見てみるか?」
『見る?なにを?』
「未来を。」
俺はもう一度愛子さんの手を取り、「どんな未来が待っているか君の目で」と言った。
実はついさっき予知能力を発動させた。
パワーアップしたおかげで自分で発動出来るようになり、しかも一年も先まで見通せるようになっていた。
俺が予知したのは恋花さんと愛子さんの未来。
手を触れればそのイメージを伝えられるはずだ。
由香里君だって俺を通じて超能力を発動させたのだから、きっと俺一人でも・・・・と思ったが無理だった。
《クソ!こんなタイミングでもう力が・・・・。》
激しい目眩に襲われる。
意識が遠のきそうになる。
反動が押し寄せてきたらしい。
踏ん張ろうにも身体に力が入らず、よろけそうになる。
すると誰かが俺を支えた。
「手伝いますよ。」
「由香里君!」
まだ青い顔をしている。
彼女の後ろで「じっとしてなさい!」とお姉さんが怒っていた。
「今度無茶したらどうなるか・・・。」
「お母さん、これは私と久能さんの仕事だよ。続けるかどうかは私たちが決める。」
「そんなこと言ってまた倒れたら・・・・・、」
「ねえ久能さん。遠慮せずに私を通して伝えてあげて下さい。」
「いやしかし・・・・、」
「見たんでしょ?二人の未来を。だったら二人を納得させるにはそれしかありません。あとは・・・・彼女たちが決めることです。」
「由香里君・・・・・。」
やはり君は大事なことを分かっている。数年後には本当に冗談抜きで所長になっているかもしれない。
そうなった時、ちゃんと雇ってもらえるように俺も覚悟を決めねばなるまい。
自分のことなら腹を括れるが、由香里君の覚悟を受け取る覚悟が必要だ。
「じゃあ・・・頼む。」
由香里君は頷き、愛子さんの手を握る。そして「貴女も」と恋花さんの手も握った。
「姉妹の事だから二人で見て決めないと。」
『なに・・・・なんなの?』
不安がる愛子さん。虚ろなままの恋花さん。
由香里君は「いつでも」と俺を振り返った。
由香里君の肩に触れる。
彼女を通して俺の見た未来のイメージを姉妹に伝える。
・・・・最初のうち、二人は静かだった。
もし一つに戻った場合、自分たちに訪れるであろう未来を見ている。
しかし未来は一つではない。
どちらか一人だけが肉体を所有した場合の未来も伝えた。
恋花さんか?愛子さんか?それとも二人で一人になるのか?
やがて口を閉じていた姉妹は向き合い、そして言葉を交わし始めた。
俺と由香里君は二人から離れる。
ここから先は姉妹が決めることであり、俺たちの入る余地はない。
「由香里・・・大丈夫?」
心配するお姉さんに「平気」と頷いて見せる。
「司くん。いったい何がどうなってるの?あの二人は何を話し合ってるの?」
「二人の未来についてです。」
「放っておいても平気なの?もしまた良くないことが起きたら・・・・。」
「その心配はいりません。」
「どうして言い切れるのよ?」
「コイツがいるからですよ。」
俺の手の平には白い綿毛が一つ浮かんでいた。
丸い目に長い触覚。
見た目はモドキと変わらない。
しかしコイツは本物なのだ。
たくさん集めれば願いを叶え、幸運を得られるという不思議な生き物。
息を吹きかけるとフワっと宙に舞い上がる。
コイツとまったく同じモノが、未来を話し合う姉妹の周りにも浮かんでいた。
降り注ぐ雪のようにたくさん・・・・。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第十二話 白い綿毛の正体

  • 2020.08.19 Wednesday
  • 16:28

JUGEMテーマ:自作小説

ケセランパサラン。
真っ白な綿毛のようにフワフワした生き物で、こいつを手に入れると願いが叶うという。
たくさん集めるほど大きな願いが叶うと言われていて、俺も子供の頃は夢中に探したことがある。
化粧で使うおしろいが大好物だそうで、桐の箱が飼育に適しているという。
ただし注意が必要である。
箱には穴が必要で、これがないと呼吸ができずに死んでしまうというのだ。
もし上手く飼育できればどんどん増殖する。
つまり大切に飼えば大金持ちになることも理想の相手と結ばれることも、名誉や成功さえ手に入れることが可能となるのだ。
ちなみに制約もある。
一年に二回以上見てしまうと効果を発揮しないだとか、人に知られると良くないという言い伝えがある。
まあどこまでが本当で嘘かは分からない。
しかしそんな魅力的な生き物がいたとしたら誰でも求めるだろう。
当然姫月さんも求めた。
愛子さんではない。
妹の恋花さんの方である。
今まで彼女から聞いた話、姉妹を逆転させなければならない。
明るく社交的なのは姉の愛子さんであり、コミュニケーションが苦手で人を寄せ付けないオーラを放っているのが妹の恋花さん。
両親や友達や先生と上手くやっていたのは愛子さんであり、人と接するのが苦手で孤独を抱いていたのが恋花さん。
そして山の祠へ行くのを渋ったのは愛子さんであり、強引に誘ったのが恋花さんである。
ということは・・・・つまりである。
ケセランパサランを手に入れて願いを叶えようとしていたのは恋花さんなのだ。
願いはこうだ。
『自分だけの肉体が欲しい』
姉の愛子さんという人格を生み出して以来、どこへ行っても劣等感に苛まれた。
なにせ一つの肉体を共有しているのだ。
切っても切り離せない関係なわけで、いつどんな時も自分との違いを見せ付けられることになる。
それは恋花さんにとってはこの上ない苦痛だっただろう。
と同時にこんな風にも考えた。
自ら望んで生み出した人格なのに、嫌気が差すというのはあまりにも自分勝手なんじゃないか?
・・・恋花さんが11歳の時である。
初めて山の祠を訪れた。
ここの祠にはケセランパサランがいる。
そんな話をある人物から聞いた。
お墓を管理していたあの婆さんである。
時に大人というのは心無い言葉で子供を傷つけることがある。
それが大人にとっては何気ない言葉であっても。
恋花さんが11歳の夏、お盆に両親と墓参りにいった。
ちょうど管理人の婆さんが墓地の掃除をしているところだった。
両親は軽く挨拶を交わし、世間話に移る。
この時、婆さんはふと恋花さんを見てこう言ったのだ。
『愛想がないねアンタ。それじゃ将来嫁の貰い手がないよ。べっぴんなのに勿体無い。』
昔の人である。
悪気なくそう言ったのだろう。
しかしそれは恋花さんの胸を深く抉った。
繊細な性格の持ち主なので尚更に。
両親もこれといってフォローもせず、世間話に興じている。
恋花さんは今すぐにここから走って逃げ出したい気分だった。
しかし続けて婆さんはこんな事も言った。
『ねえアンタ。ケセランパサランでも見つけて愛想が良くなるように頼んだらどうだい。』
『ケセランパサラン・・・・?』
『聞いたことないかい?真っ白な綿毛みたいな生き物で、たくさん集めると願いが叶うんだよ。』
興味を惹かれた恋花さんは、人見知りであることも我慢して『どこにいるんですか・・・・?』と勇気を出して訪ねた。
『ウチの孫が言ってたんだけどね、山の祠にいるってさ。前に見たことがあるとかなんとか。アンタも探してみたらどうだい?』
そう言って山の祠の場所を教えてくれた。
『まあただの噂だけどね。』
婆さんにとっちゃなんて事ない冗談だったのだろう。
しかし恋花さんにとっては違った。
・・・・実は前々からある願い事があったのだ。
『優しくて頼りになる双子のお姉ちゃんがほしい。』
両親とも先生も上手くいかず、友達もいない。
しかし理想の双子の姉がいてくれるなら、いつだって寂しくないだろうと思ったのだ。
子供ながらに叶わない願いだと知っていたが、それでも胸にはずっとそんな想いがあった。
そんなところへケセランパサランの話を聞いたものだから、恋花さんは大きな希望を抱いたのだ。
しかし山の祠への道は険しく、登るまで一時間もかかる。
鬱蒼としているし人もほとんどいない。
11歳の子供が一人で行くには危険な場所である。
どうしたものかと悩んでいたある日、父が『釣りでも行くか』と言ってくれた。
『お前がいつも遊んでる神社があるだろ?あの奥から山へ登れるんだ。上の方には滝があってな。どうだ、一緒に行かないか?』
友達のいない恋花さんは一人寂しく夏休みを過ごしていた。
見かねた父が気を利かせてくれたのだ。
いつもなら『行かない』と断る。
こんな風に気を使われることはかえって辛いからだ。
しかしこの時ばかりは喜んで『行く!』と頷いた。
神社の奥から登った先にある滝。
それはまさに婆さんが言っていた祠のある場所だったからだ。
父に連れられ山を登った。
かなり大変な道のりだったが、父に手を引かれながらどうにか登りきった。
そして見つけた。お目当ての祠を。
岩壁の傍、大木が生える根元に鎮座していた。
『釣竿用意できたぞ。』
『うん、ちょっと待って。』
父が川に向かって針を垂らしている隙に祠を開けた。
そして見つけたのだ。念願のケセランパサランを。
思わず叫びそうになるのを堪えながら、真っ白な綿毛の生き物たちに願いを掛けた。
『お願い!優しくて頼りになるお姉ちゃんが欲しい!いつだって一緒にいてくれて、私を一人にしない双子のお姉ちゃんが!』
そう願いを掛けると、祠の中からたくさんの綿毛が舞い上がった。
綿毛は恋花さんの頭に吸い込まれ、彼女の望む人物を与えた。
それがもう一つの人格、姉の愛子さんだった。
『こんにちわ。』
頭の中で声がした。
自分とまったく同じ声だが、もっと明るくてハキハキした喋り方だった。
恋花さんは驚いた。
まさかこんな形で姉が現れるとは思ってもいなかったからだ。
幼い頃に生き別れた双子の姉がいて、ある日とつぜん家にやって来るとか。
もしくは両親が自分と同い年の女の子を養子に迎えるとか。
そんなレベルを想像していたのだが、予想のはるか斜め上をいかれて困惑した。
だがその困惑も最初のうちだけ。
いつでもどこでも一緒にいられて、優しくて頼りになる愛子さんの存在は、確実に恋花さんの心の支えになってくれたのだ。
むしろ困惑したのは周りの人たちだった。
まるで人が変わったように明るく社交的になる瞬間に、両親も先生も友達も驚きを隠せなかった。
いったいどうしたの?と尋ねられる度、『実は二重人格なんだよね』とまんまその通りの答えを返していた。
心配した両親から『島の外にある大きな病院で診てもらおう』と言われたこともある。
だが愛子さんが『心配ないって』と断った。
『私がいることで恋花だって楽しいし落ち着くって言ってる。だから病院なんて行く必要ないよ。』
彼女の言う通り、愛子さんのおかげで恋花さんは孤独を感じずにすんでいた。
そのおかげで以前のように一人で塞ぎ込むような雰囲気もなくなったので、両親はしばらく様子を見ようと納得したのだった。
二人はとても仲が良かった。
最高の姉妹だった。
当然である。なにせ恋花さん自身が望んだ性格の持ち主なのだ。しかもぜったいに自分を一人にしない。
これで仲良くなれないわけがなかった。
・・・・・ただし中学校に上がるまでの話である。
小学生の頃はいい。なにせ無邪気である。
難しいことなど考えないし、細かいことまでわざわざ思考を巡らせようとはしない。
だが思春期になればどうだろう?
今まで当たり前に受け入れてきたこと。
例えば赤信号は止まりましょうとか、大人の言うことは聞きましょうとか、世の中の理不尽であったり不条理であったりとか、あらゆるモノに疑問を抱き始める。
それは子供から大人になる上で大切な過程だが、どのようにその過程を乗り超えるかは人によって異なるものだ。
人間は一人一人違う。
どんなに仲の良い双子の姉妹も例外ではなかった。
自分とは何?人生の意味は?生きるってどういうこと?世の中ってなに?大人になるってどんな感覚?幸せってなに?
あらゆる何?何?が怒涛のように押し寄せるのが、思春期を迎える中学生時代である。
今までは愛子さんという姉を無条件に好きだった恋花さんも、これに疑問を抱くようになった。
愛子さんのおかげで周りからの見る目は変わった。
しかしそれは愛子さんが表に出ている時だけであり、恋花さんの人格の時は相変わらずだった。
友達が話しかけてきても、恋花さん人格だと分かるとつまらなさそうに立ち去ってしまう。
好きだった男子からは『このラブレター愛子ちゃんに渡してほしい。恋花さんはぜったいに読まないでな』なんて言われたこともあった。
両親でさえそれぞれの人格で対応が違った。
愛子さんの時は砕けた口調で何でも話すのに、恋花さんの時はある種の腫れ物に触れるかのようにものすごく気を遣うのだ。
『いつだって仲の良い姉と一緒にいられて嬉しい』という感情は、いつしか『どこへ行っても比較されて辛い』に変わっていった。
いったい私ってなんなんだろう?
愛子は誰からも好かれるのに、私はどこへ行っても邪魔者でしかない。
じゃあ私の存在意義ってなんだろう?
もしかしたら私なんていない方がいいんじゃ・・・・。
誰にも打ち明けられない悩みだった。
最も信頼し、最も好きだった姉こそが悩みの種。
これではなんの為にケセランパサランに願いを叶えてもらったのか分からない。
悶々と一人で悩む日々が続いた。
しかしある日、愛子さんが妹を心配して勝手に思考や感情を読んでしまった。
いくら仲の良い姉妹とはいえ、それだけはやめようと約束していたのに、勝手に頭の中を読まれたことに激怒した。
『なんでそういう事するのよ!』
『だってずっと悩んでるみたいだったから。心配になってつい。』
『だからって約束を破っていいわけじゃない!』
『ごめん。そんなに怒らないでよ。』
『怒るよ!だって愛子には私の気持ちは分からない!どこ行ったって一緒だから、いつだって比べられる!
愛子ちゃんは愛嬌があって良い子なのに、恋花ちゃんは無愛想で可愛げがないって。ずっとだよ!ずっと比べられる!』
『恋花が悩んでたのは知ってたよ。けど聞き出せなかった。私のことで悩んでるんだから、私じゃ相談相手になれないと思ったから。
でもずっと心配だった。だから約束を破ってごめん。傷つけるつもりはなかった・・・・、』
このやり取り、愛子さん・・・・いや、恋花さんが語ってくれた。
姉妹の立場を逆転させて。
悩んでいたのは妹であり、心配していたのは姉である。
そのあとの流れも似ている。
二人は再び山の祠へ向かったのだ。
渋る愛子さんを説得し、恋花さんはケセランパサランを求めてやって来た。
願いはたった一つ。
『自分だけの身体が欲しい。』
そうすればどこへ行ったって比べられることもなくなる。
私は愛子のようには振る舞えないけど、それでもずっと比べられるよりはマシだからと。
かつてケセランパサランは願いを叶えてくれた。
だったら今度もいけるはずだった。
どんなに不可能なことだって、あの白い綿毛の生き物に頼めば、きっと思いもよらない形で実現してくれる。
そうなるはずだと彼女は信じていた。
祠は三年前と変わらず、同じ場所で佇んでいた。
・・・・自分を愛子さんだと思っている恋花さんの話だと、この時扉には鍵が掛かっていた。
しかし実際は鍵などなかったのだ。
だから扉は簡単に開いた。
引っ張れば誰でも開けられるほどすんなりと。
ということはである。
扉を開けようとして祠を蹴り倒したりはしていないわけで、それはつまり助走を付けようと後ろへ下がり、誤って滝へ落ちたりなんかしていないということになる。
あの時、恋花さんは語っていた。
滝へ落ちて気を失い、目を覚ました時には祠の傍に倒れていたと。
そして滝壺には愛子さんが浮かんでいて、ボソボソと何かを呟いてから、ゆっくりと沈んで消えてしまったと。
しかしそもそも滝へ落ちていないなら、これらは全てウソということになる。
なるのだが・・・・本物の愛子さんはこう語っていた。
『私が滝壺に沈んでたのは本当だよ。だからほら、今もここにいる。ここが私の死んだ場所だから。』
そう言って無理に笑っていた顔が悲しい。
つまりだ、恋花さんは滝へ落ちていないが、愛子さんは滝壺に沈んでしまった。
なぜか?
答えは簡単。
ケセランパサラン・・・・いや、ケセランパサランモドキの仕業である。
モドキというのはよく似た偽物だ。
本物のケセランパサランは見つけて増やすのは大変だが、願いを掛けることそのものに制約はない。
しかしモドキは違う。
願いを叶えてくれることは叶えてくれるのだが、大きなリスクを伴うのだ。
なぜ愛子さんが滝に沈んだのか?
なぜガイコツになってこの地に縛られているのか?
それらは全てリスクのせいである。
恋花さんに不幸を背負わせないよう、自分が肩代わりしたからである。
・・・・・・。
恋花さんはその事を知らない。
なぜなら彼女は間違った記憶の中を生きているからだ。
自分を愛子と思い込み、過去に起きた出来事も正しく認識していない。
そしてこれはとても危険なことなのだ。
このままでは彼女の身は破滅へ向かう。
そうなることを避ける為、愛子さんは『妹を助けて』と俺に頼んだのだ。
しかしそれは俺にとってとても危険な行為である。
最悪は命に関わるだろう。
それでも前に進まなくてはいけない。
恋花さんに救う為に。


     *****


「久能さん・・・・まだですか?」
「まだ何も見えないな。」
「けっこう長いですね。ちょっと疲れてきました。」
「俺も腕が痺れてきたよ。」
俺たちは大木の根元にある穴の中を通っていた。
とても小さな穴で、寝そべって匍匐前進しないと進めないほどだ。
地面に肘をつき、つま先を蹴ってズリズリと前進していく。
スマホのライトで先を照らすが、まだまだ出口は見えない。
それでもなんとか匍匐前進を続けていると、ようやく光が見えてきた。
「由香里君!もうすぐ反対側の穴に出るぞ。」
「ほんとですか!」
光を目指してひたすら這う。
そしてようやく穴を抜けると、さっきと同じ場所に出てきた。
大木の根元の穴である。
祠は横にずらされていて、誰かが通った跡が窺える。
「まったく同じ景色ですね・・・・。」
由香里君がキョロキョロ辺りを見渡す。
そして崖の傍に二人の女が立っているのを見つけた。
「お母さん!」
駆け寄り「いきなりいなくなって心配したんだから!」と手を取った。
「由香里・・・・それに司くんも。」
俺は手を振る。
そしてお姉さんの隣に立つ女性を見つめて「恋花さんですね?」と言った。
彼女は何も答えない。
滝を見下ろしたまま虚ろな目をしている。
「あなたは愛子さんではなく恋花さんだ。」
するとお姉さんが「本物の愛子ちゃんに会ったのね」と言った。
「ええ。彼女から全てを聞きました。そして妹を助けてやってほしいとお願いされましたよ。」
肩を竦めながら答えると、「優秀な探偵ね」と言われた。
「由香里、私、愛子ちゃん、恋花さん。みんなから頼りにされてる。将来は良い男になるって思ってたけど、私の目に狂いはなかったわね。」
「大袈裟ですよ。しがない探偵だからこそ、仕事を選んでいられないというだけです。」
クスっと笑みを返し、すぐに表情を引き締めて恋花さんに目をやった。
「もう精神的に限界みたいですね。」
虚ろな目、精気のない顔、心ここにあらずといった脱力感。
ケセランパサランモドキに願いを掛けた代償である。
たった一度でも大きなリスクを背負うのに、それを三回もやるなんて・・・・・。
モドキに願いを掛けるということは、例えるなら闇金から借金をするのに似ている。
その時は必要な金を得られても、後から大きなツケを払う羽目になるのだ。
中々返せるものではない。
だからまた闇金で借金をしてその場をしのぎ、さらに大きなツケを背負う。
膨らんだ借金を返せる人間はそうそういない。
するとまた闇金を訪れ、金を借り、気づけば自分一人ではどうしようもないレベルにまで追い詰められてしまうのだ。
恋花さんは『あるリスク』によって追い詰められていた。
一人ではどうしようもないほどに。
しかし頼れる人間は周りにはいなかった。
元々繊細な上にプライドが高いので、そう簡単に自分の心を見せる人ではない。
いったい誰にこの辛さを相談すればいいのか・・・・?
ふと頭に浮かんだのがお姉さんだった。
姉の愛子さんを失ってから数年後、ようやく出会えた心を開ける友達。
大人になり、社会に出てから会うことはなくなってしまったけど、恋花さんにとっては未だに唯一無二の親友だった。
だから手紙を書いたのだ。
どうか助けてほしいと。
しかし恋花さんの背負わされたリスクはあまりにも大きく、いくら親友でもそう簡単に救い出せるものではなかった。
・・・今、恋花さんは虚ろな目で滝を見下ろしているが、お姉さんも彼女に近い目の色をしていた。
困っている友人を目の前に何も出来ない無力感に囚われている。
「司くん・・・お願い。彼女を助けてあげて。」
「分かりました。」
男、久能司。腹を括る。
俺にも非常にリスクがあるのだ。
しかしやらねばなるまい。
恋花さんの傍に立ち、肩を掴んでこっちを振り向かせる。
「・・・・・・・。」
彼女の目は虚ろなままで、視線さえ定まっていない。
しかしこれではいけないのだ。
ちゃんと俺を見てくれないと。
普通ならこんな状態の人間を振り向かせるなど無理である。
だが俺には出来る!
そう、俺には超能力が備わっているのだから。
「姫月さん。・・・いや、恋花さん。今からあなたの目を覚まさせる。」
・・・・彼女が今までにケセランパサランモドキに願いを掛けたのは三回である。
まず一回目、11歳の夏に姉を望んだ。
願いは叶ったがリスクを背負う羽目になった。
いったいどういうリスクか?
簡単な話だ。
いつでもどこでも姉と比較されるというリスクだ。
そもそも恋花さんが望んだのは双子であってもう一人の人格ではない。
孤独を埋めるという意味では願いは叶ったが、姉の性格は自分とは正反対のもの。
しかも周りからの評判が姉に集まるとなれば、自ずと劣等感に苛まれていく。
だから二つ目の願いを望んだ。
自分だけの身体が欲しいと。
自ら望んだ姉を、ただ嫌になったからといって消せるほど、恋花さんは人間味のない人ではない。
いや、むしろある意味ではかなり人間臭い人といっていいだろう。
誰も傷つけない選択肢として自分だけの肉体を望んだのだ。
14歳の夏、恋花さんは二度目の願いを掛けた。
ケセランパサランモドキはこれも叶えてくれた。
恋花さんの中から愛子さんの人格を追い出したのである。
これで肉体は自分だけのもの。
しかし姉の消滅を望んでいるわけではなかったので、モドキはそれを考慮して愛子さん用の肉体を用意してくれた。
なんと恋花さんから寿命の半分を吸い取り、もう一つ同じ肉体を生み出そうとしたのである。
これなら愛子さんも自分の身体を持つことが出来る。
出来るのだが、今度はそれぞれ寿命が半分に減ってしまう。
なにせ一人分の命を二分割しているようなものだ。
『こんなのダメだよ!』
愛子さんは咄嗟に妹の寿命を頂くことを拒否した。
するとどうなったか?
彼女は死んでしまったのである。
白い綿毛が群がって、愛子さんを滝壺に落としたのだ。
おかげで恋花さんの寿命が半分になることはなくなった。
だが妹はこんな展開を納得しない。
崖から身を乗り出し、必死に姉の名を叫んだ。
『誰かお姉ちゃんを助けて!』
しかしここは人の来ない山の中。当然助けは来ない。
さらに恋花さんはカナヅチだから自分で助けに行けない。
ではどうしたか?
『お願い!愛子を助けて!』
再びケセランパサランモドキに願いを掛けようとした。
だが姉はすぐにその願いを打ち消した。
滝壺に沈む直前に願いを上書きしたのである。
『私はどうなってもいいから、恋花を不幸にしないで・・・・・。』
この願いにより恋花さんの願いはキャンセルされ、さらには妹が背負うべきだったリスクまで自分が背負うことになったのである。
愛子さんは滝壺に消えていく。
彼女は死んだ。
そして背負うべきリスクにより、誰にも遺体を発見されず、弔われることさえないというある種の呪いを受けることになる。
だから今でも水底に沈んだままなのである。
真っ白な骨となって・・・・。
目の前で愛子さんが消えていくのを見た恋花さんは狂乱状態になった。
『違う!ちがあああああああう!』
こんなはずではなかった。
姉が死ぬなど思ってもいなかった。
激しい後悔と激しい孤独感に襲われて、『こんなの嫌だあああああ!』と叫び続けた。
それは心からの叫びだった。
こんな現実は認めたくない。
だが狂乱状態ではそうはいかなかった。
ただただこの現実を認めたくない叫びが胸を満たす。
その叫びに反応したケセランパサランモドキが願いを叶えた。
究極の現実逃避・・・・記憶の改変である。
三回目の願い事だった。
自分が愛子、亡くなったのは恋花。
私たちは一つの肉体に二つの魂を宿した双子。
そうやって記憶を編集することで、辛い出来事から逃れようとした。
最初は完璧だった。
姉の私は愛想が良くて誰からも好かれる性格。
妹の恋花は引っ込み思案で人見知りな性格。
いつだって私が妹を守り、妹は私を頼る。
いつだって仲の良い姉妹だし、喧嘩なんてしたことがない。
だけどある日とつぜん妹は消えてしまった。
一つの肉体に二つの魂は無理があって、このままでは身体がボロボロになって二人共死んでしまう。
そうなる前に、どんな願い事でも叶うという山の祠へ行き、それぞれの身体が欲しいと願いを掛けた。
しかし願いは叶わなかった。
祠の言い伝えはただの噂だった。
すると妹は言った。
『お姉ちゃんが生きて。私は天国から見守ってるから。』
そう言い残し、妹の魂はこの世から去ってしまった。
・・・・記憶の改変はこういう具合に行われた。
しかしそれはあまりにも都合の良い編集だった。
当然周りとの間に無理が生じていく。
親、友達、先生。それに愛子ちゃんを好きだった男子など。
『私が愛子だよ』と名乗っても、『あなたは恋花ちゃんでしょ』と返される。
『愛子ちゃんはもっと愛嬌があるしコミュニケーションも上手だし気遣いもできるし社交的だし。あなたはその逆だから恋花ちゃんでしょ。』
こう言われることがしょっちゅうで、親からも心配された。
やっぱり大きな病院で診てもらった方がいいと。
その度に恋花さんは悲しみ、怒り、そして塞ぎ込んでいった。
『なんで・・・?もしかして私がおかしいの?』
自ら記憶の改変を望んだことは覚えていない。
当然である。覚えていたら改変した意味がないのだから。
自分の記憶と周りとのギャップ。
どうにかすり合わせようとした結果、一年後には今と同じような記憶に落ち着いてしまったのだ。
それ以来約40年、恋花さんはずっと歪んだ記憶の中を生きてきた。
そしてその事に姉の愛子さんは心を痛めていた。
永遠に滝壺に囚われるという呪いを受けた愛子さんは、肉体を失っても意識だけは存在し続けていたからである。
どうにかして妹を救いたい。
しかし死人となってしまった彼女に大したことは出来なかった。
可能な事といえばケセランパサランモドキを吸い込み、姿を変えることくらいである。
何度か元の姿で恋花さんに合いに行こうとした事もあった。
だがそんな事をすれば余計に記憶を混乱させ、心が参ってしまうんじゃないかと不安で出来なかった。
それに遺体が滝壺に沈んだままなので、行動範囲も限られる。
意識だけではそう遠くへ行くことは出来なかったからだ。
だから妹が島を離れている間は、気が気ではなかったという。
いったいどうしたものか・・・・。
悩むこと数十年、やっとチャンスが訪れた。
つい最近のこと、恋花さんが友人を連れて島に戻ってきたのだ。
由佳子お姉さんである。
愛子さんもお姉さんのことは知っていた。
妹を見守る中で、高台で仲良くアイスを食べたりお喋りしているのを知っていたからだ。
『もう彼女に頼むしかない!』
愛子さんはケセランパサランモドキを吸い込み、スーツを着たオールバックの男に化けた。
そしてお姉さんの泊まっている宿へ行き、全ての事情を話したのである。
お姉さんは最初のうちは信じなかったという。
だからこの祠まで連れてきた。
そしてガイコツの姿に戻ってみせると、真っ青になって気絶した。
目を覚ましたお姉さんは『事情は分かったけど・・・』と前置きしてから、『私だけじゃ無理だわ』と答えた。
『だから他にも手を貸してもらいましょ。この島に超能力探偵が来てるのよ。彼ならきっと・・・・、』
俺の事を聞かされた愛子さんは、少し興味がわいた。
そして実際に自分の目で確かめようと会いに来た。
旅館の窓の外から様子を窺っていたのがその時だ。
『この人で大丈夫かな・・・・・。』
正直なところ頼りないと思ったらしい。
まあ否定はするまい。
だが他に頼るアテもなく、由佳子お姉さんの言葉を信じてみることにした。
こうやって姿を見せておけば、いずれ山の祠に来るだろうと期待して。
そして期待通り俺はノコノコとやって来たというわけだ。
まあそれはいい。
問題はなのは、恋花さんがこれ以上間違った記憶の中を生きたらどうなるか?
きっとまたケセランパサランモドキに頼るだろう。
しかし四回目の願いはあまりに危険すぎる。
だからそうならないように愛子さんがケセランパサランモドキを隠した。
恋花さんが祠を開けた時、中に何も無かったのは愛子さんが全て取り除いていたからなのだ。
しかしコイツは時間が経つとまた増殖する。
恋花さんが消えた後、祠の中にいたのはその為だ。
これではまたいつケセランパサランモドキを頼るか分からない。
そこで一時的にある場所へ避難させることにした。
・・・・それが今立っているこの場所、大木の穴の向こう側だ。
いったいここはどういう場所なのか?
愛子さんが教えてくれた。
《ここを登る前に神社があったでしょ?あれはこの山の神様を祀ってあるんだけど、お酒をお供えしてから登ると穴の向こう側にたどり着くのよ。
でもってそっちにはケセランパサランモドキはいないわ。》
愛子さん曰く、ケセランパサランモドキの正体は妖怪でも未確認生物でもなく、悪霊の類であるという。
山には陽の当たる表側と、常に影になる裏側があって、麓の神社から祠までの獣道は影の方に当たるという。
そういう場所は陰鬱で悪い気が溜まりやすいのだそうだ。
昔の人はその悪い気が町に漏れないように神社を建て、さらに悪い気を鎮める為に祠を建てたのだという。
特に水の集まる場所は霊的なモノが集まりやすく、この山だと滝壺がそれに当たる。
だから祠は滝の傍に建っているのだ。
《山の神様はお酒が大好物だから、ちゃんとお供えしてお参りしてから登ったら守ってくれるのよ。》
山の神様が守ってくれる・・・・・これは裏を返せばケセランパサランモドキに出会うのは不幸を意味する。
いくら願いが叶おうが、後からそれ以上の辛い出来事が訪れるなら不幸と言わざるをえない。
今の一瞬お金に困っているからと、後から莫大な借金を抱えるのと同じなのだから。
しかし人は苦しみから逃れる為に、平気で未来を切り売りすることがある。
祠に封じられた悪い気の塊、一種の悪霊はそういった人間の心の隙をつく。
だからやっぱりケセランパサランモドキなんかに出会わない方がいいのだ。
《でも悪霊だって馬鹿じゃない。奴らは悪さをする為ならなんだってする。
だから山の神様にバレないようにこっそりと祠の大木に穴を開けて、あっち側とこっち側を繋げたのよ。
そうすれば穴を見つけた人間が面白がってこっちに来るかもしれないから。》
《えらく詳しいな》と尋ねたら、《40年近くもここで死んでるからね》と意味不明だが妙に説得力のある返しをされた。
ちなみに由佳子お姉さんは穴から這い出て来た時にこう言っていた。
『反対側の穴から入った。』
あれはお酒をお供えしてから登ったという意味なのだ。
この事実を恋花さんは知らない。
だから愛子さんが恋花さんを強制的に穴の向こうへと連れていったのだ。
心配だからとお姉さんも一緒について来た。
・・・・ただしずっとここにいたからといってなんの解決にもならない。
やはりケセランパサランモドキに背負わされたリスクを消し去らない限り、恋花さんが正しい記憶を取り戻すことは出来ないのだ。
ではどうやればいいのか?
愛子さんに方法を教えてもらった。
《本物のケセランパサランとケセランパサランモドキじゃ大きく違うところがある。
まず本物は願いを叶えてもリスクがないけど、モドキにはある。
それともう一つ。ケセランパサランは色んな願いを叶えてくれるけど、モドキにはそれが出来ないわ。
だってモドキは願いを叶えてるんじゃない。正確には・・・・、》
俺は愛子さんの話を思い出しながら恋花さんに向かい合った。
そう、ケセランパサランモドキは願いを叶えているわけではない。
正確には『願いが叶ったと錯覚』させているだけなのだ。
一回目の願いの時、恋花さんは双子の姉を望んだ。
しかし現れたのはもう一つの人格だった。
二回目の願いの時、恋花さんはそれぞれの肉体を望んだ。
結果は姉の人格が分離しただけだった。
なぜならケセランパサランモドキに新しい肉体を作り出す力などないからだ。
短時間であれば、愛子さんがやったみたいに仮初の肉体を作り出すことも出来る。
しかしずっとというわけにはいかない。
つまり愛子さんが妹の寿命を頂くことを受け入れていたとしても、長生きは出来なかったのだ。
だがそんな事を知らない恋花さんは自分を責めた。
そして無意識のうちに記憶の改変を望んだ。
・・・・今までにこうして三回の願いを掛けたわけだが、その全てに共通するのは『全て恋花さんの頭の中の出来事』ということだ。
双子の姉人格、姉人格の分離、そして記憶の改変。
何もかもが恋花さんの脳内で完結している。
なぜか?
それはケセランパサランモドキには本当の意味で願いを叶える力など無いからだ。
あれは悪霊の一種。ゆえに人を惑わし、苦しめること事こそが本懐。
祠を訪れ、扉を開けた人間に『とり憑く』のである。
つまり恋花さんは悪霊に憑依され、呪いを受けているのに等しい。
ではその悪霊はどこに憑依しているのか?
ズバリ頭の中である。
恋花さんの脳内には真っ白な腫瘍のような物が存在していて、これはケセランパサランモドキが頭に入り込んでいるのだ。
だから新しい人格を生み出したり、記憶を改変したり出来るわけである。
ということはこれさえ取り除くことが出来れば全て解決だ。
だが言うは易し、やるは難しである。
ケセランパサランモドキはあくまで悪霊。
物質的なものではないのでCTやMRIには写らない。
そして物質ではないので外科手術で取り除くことも不可能である。
ならばどうするか?
方法は二つある。
一つは霊能力者に頼んで除霊してもらう。
だが除霊が出来る霊能力者などそうそういるものではない。
ではもう一つの方法はどうか?
超常的な力の持ち主に取り除いてもらう。
例えば魔術とか超能力とかの類である。
しかしこれまたそうそういる人種ではない。
ないのだが・・・・ここにいた。
超能力探偵、久能司とは俺のことだ!

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第十一話 一人の二人

  • 2020.08.13 Thursday
  • 13:29

JUGEMテーマ:自作小説

鬱蒼とした山の中、小さな祠の周りに白い綿毛が舞う。
それは儚く雪のようで、何かに触れるのと同時に消えてしまう。
俺は手を広げ、どうにか受け止めようと試みるが無理だった。
祠の中にはこれでもかと綿毛が詰まっているが、外へ出た途端に儚く消えてしまうのであれば、持って帰ることは不可能。
つまり願いを叶えるには山の祠までやって来る必要があるということだ。
「姫月さんは嘘を吐いていたな。」
真っ白な綿毛の奇妙な生き物、ケセランパサラン。
俺が子供の頃にも流行ったものだ。
妖怪だとか未確認生物だとか言われるが、その正体はハッキリしていない。
動物の体毛が絡まったものだとか、タンポポのような植物の綿毛を見間違えたのだとか、とにかく諸説ある。
しかし今はコイツの正体は置いておこう。
大事なのはケセランパサランが実在したということだ。
「姫月さんもお姉さんも何かを隠していると思っていたが、おそらくコイツの事だろうな。」
由香里君も祠を覗き込み、「ほんとにいたなんて・・・」と驚いている。
「でも実在しても不思議じゃないかも。久能さんは超能力者だし、霊能力者や古代人だって実在したんだし。
よくよく考えればそう驚くことじゃないかもしれませんね。」
「そうだな。」
ケセランパサランを見つけて不思議じゃないと思える俺たちは、色々と感覚が麻痺しているのだろう。
まあいい。問題なのは姫月さんが嘘を吐いていたことである。
・・・彼女は言っていた。
子供の頃、噂を信じて祠を開けに来たけど、中には何もなかったと。
もしかしたら彼女が開けた時はいなかったのかもしれないが、どうもしっくりこない。
姫月さんはここでケセランパサランを見つけた。
そして『何か』を願った。
そう考えた方が自然な気がする。
すると由香里君が「でもさっきはいませんでしたよね?」と首を傾げた。
「姫月さんが開けた時、間違いなく中は空っぽでした。それがなんでいきなり出てきたんだろう?」
由香里君の疑問はまっとうなものである。
一匹いたものが二匹、三匹に増殖したというのならまだ分かる。
しかしいくら妖怪の類でも何もない場所から大量発生はしないだろう。
「そもそもこれって本当にケセランパサランなんですかね?」
「見た目はそれっぽいぞ。」
「見た目だけで判断するのは良くないですよ。何かお願いしてみません?」
「そうだな。」
もし願いが叶えば間違いなくケセランパサランである。
俺は祠に向かって手を合わせながら、ささやかな願い事をしてみた。
・・・・・・。
何も起きない。
「おかしいな。こんな奇妙な生き物、ケセランパサラン以外に考えられないのに。」
「やっぱり違うのかな。ちなみに何をお願いしたんですか?」
「大したことじゃないさ。」
「恥ずかしがらずに教えて下さいよ。」
「由香里君のオッパイが見たい。」
「へえ。」
すごい真顔になる。声から抑揚が消える。
だから言いたくなかったのだ。
「しかし何も起きなかった。だからもう一つ別のお願いをしてみたんだ。」
「どんな?」
「オッパイが無理ならパンツでもいいと。」
「・・・・・・。」
背中に殺気が突き刺さる。腕に鳥肌が立つほどだ。
目を合わせたら棺桶に入れられるだろう。
まだ生きていたいので振り返らないでおいた。
「せっかくだ。由香里君も何かお願いしてみたらどうだい?」
「そうですね。じゃあ・・・・、」
彼女は目を閉じ、何かを祈る。
数秒後、俺の頭に鳥のフンが降ってきた。
「クソッタレ!山の中でなんでいきなり鳥のフンが・・・・、」
「すごい!やっぱり本物ですよこれ!」
「ん?」
落ち葉で頭を拭き拭きしていると、「エッチな探偵に天罰をって願ったんです」と言った。
「頭に鳥のフンでも落としてほしいって。そうしたらほんとに鳥のフンが。」
「なるほど。だが偶然かもしれないぞ?」
「実はもう一個お願いしたんです。」
「ほう。なんだい?」
「久能さんが危ない目に遭いませんようにって。」
「由香里君・・・・。」
「だって良くない事が起きる気がして仕方ないんです。だからケセランパサランにお願いして守ってもらおうと・・・・、」
「由香里君!」
ガシっと手を握る。
本気で感動した。ジ〜ンと来た。
目が潤む。胸が熱くなる。
「君はなんて心優しい子なんだ!」
なんだか勢い余って抱きしめてしまう。
しまった!と思った。また正拳突きが飛んで来ると。もしくはカカト落としか。
だが拳も蹴りも飛んでこなかった。
それどころか・・・・、
「ゆ、由香里君・・・・。」
なんと俺の背中に手を回してきた。
ギュッとしがみついてくる。
そして顔を上げ、潤んだ瞳を向けてきた。
「久能さん・・・・、」
「ど、どうしたんだい由香里君・・・。いつもならぶっ飛ばされるのに。」
「私・・・・怖いんです・・・・。久能さんが危ない目に遭うこと・・・・。」
「平気さ。そうならないように君がお願いしてくれた。」
「でも・・・・もし何かあったらって・・・・、」
「危険な事なら今までに何度もあったさ。だけど俺たちは乗り越えてきた。そうだろ?」
「久能さん・・・・。」
彼女の目はどんどん潤んでいく。心なしか頬も赤く染まっている。
そしてゆっくりと目を閉じ、唇を向けた。
「・・・・・・。」
おかしい!これはどう考えてもおかしい!
由香里君は心優しい子ではあるが、その場の情に流されてこういう事をする子ではない。
今までの経験上、こういう時はロクな事がないのだ。
こっちまで情に流され、色香に誘われてしまったら最後、大抵は痛い目を見るのである。
だから俺は決して情に流されたりは・・・・、
「由香里君!」
流されてしまった。
思いっきり唇を重ねてしまった。
乙女が恥じらいながら目を閉じているのに、その気持ちに応えずになんとする。
据え膳食わぬは武士の恥!
久能司、ここに最愛の助手と結ばれる。
・・・・・・はずがなかった。
由香里君の唇がやたらと硬いと思って目を開けてみると、なんとそこにいたのは人間の骨だった。
「うおおおお!なんでいきなりこんなモンが!」
理科室にある骨格標本みたいな物と抱きしめ合っていたのである。
その力は凄まじく、いくら押しても離れなかった。
「おいコラ!離れろ!」
「・・・・・・・。」
「不気味に眼孔の奥を光らせるんじゃない!」
ガイコツはカチカチと骨を鳴らしながら笑っている。
俺は「由香里君は!?」と叫んだ。
最初はかなりビビったが、数秒経てばガイコツなどこれしきである。
こちとらUFOだのUMAだの古代人だの人間離れしたオカルト雑誌の編集長だのを相手にしてきたのだ。
ガイコツが抱きついてくるなどそう驚くことではない。
しかし由香里君が消えてしまったのは大問題だ。
「このガイコツ野郎め!彼女をどこへやった!」
逆に締め上げてやる。
相手はただの骨、サバ折りの効果は絶大で、カチカチと骨を鳴らしながら悶絶した。
「ほらほら、さっさと言わないとバラバラになってしまうぞ。」
骨など軽いものだ。
簡単に持ち上がる。
サバ折りをかましながらガクガク揺さぶっていると、『ちょっと待って・・・・』と呻いた。
『からかったことは・・・謝るから・・・・、』
「からかうだと?襲うつもりじゃないのか?」
またガクガク揺さぶると、『違う・・・・・』と首を振った。
『私は・・・・ここの・・・住人・・・・・・、』
「住人?どういう意味だ?」
『あの・・・・白い綿毛は・・・・ケセランパサランなんかじゃない・・・・。もっと・・・・危険な・・・・代物・・・・・。』
「なんだと?」
『・・・・・・。』
「おい黙るな!詳しく教えるんだ!」
『だったら・・・・サバ折りは・・・・もう勘弁・・・・、』
「これはすまん。」
サっと手を離すと『痛いわボケ!』と蹴飛ばされた。
『ちょっと脅かそうとイタズラしただけなのに!いきなりサバ折りをかますなんて。』
ものすごい流暢に喋る。
息も絶え絶えに喋っていたのはガイコツだからではなく、俺がサバ折りをかましていたせいらしい。
『骨だから効くわあ・・・・』と肩を揉んでいた。
いやそれよりもだ。よく聴くとガイコツの声は女のモノであった。
それも『あの人』によく似ている。
「なあ・・・・一ついいか?」
『なによ?』
「あんたのその声、ある人にそっくりなんだ。その人はついさっきまでここにいて・・・・、」
『姫月愛子でしょ?』
「知ってるのか!」
『知ってるも何も本人だし。』
「へ?本人?」
『そう。私が姫月愛子。』
「・・・・どう見ても違うぞ。」
彼女はガイコツではない。
当たり前のツッコミを入れるかどうしようか迷っていると、『あんたと一緒にいたのは恋花よ』と言った。
「恋花?それって・・・・、」
『そう、私の妹。』
「そんな馬鹿な。」
『ほんと。私が愛子であの子が恋花。』
「・・・・・・・。」
さて、どう返すべきか?
困った時は顔に出やすいもので、俺の心を見透かしたガイコツは『論より証拠だよね?』と言って手を広げた。
『ちょっと見ててね。』
ガイコツは手を広げたまま立ち尽くす。
すると白い綿毛が祠から飛び出し、ガイコツにまとわりついた。
「おお・・・これは・・・、」
見る見るうちにガイコツの姿が変わっていく。
白い綿毛が骨にまとわりつき、だんだんと人の形を作っていく。
そして・・・・、
「あんたは窓の外に立っていた男!」
オールバックにスーツを着た姫月さんそっくりの女がそこにいた。
「ということは、あの時窓の外にいたのは・・・・、」
『そう、私。』
「信じられない・・・・。」
『でもこれは本当の姿じゃないのよね。』
「本当の姿?」
『だって気づかない?ガイコツだった私と今の私。大きく違ってる所があるでしょ?』
大きく違っていると言われても、全てが違っているのだからどの部分のことを言っているのか分からない。
スーツを着ていること?オールバックになったこと?
いやいや、それ以前にガイコツではなくなっているわけで、いったいどこに正解があるというのか。
「分からないな。教えてくれ。」
『アンタって探偵なんでしょ?もっとこうさ、観察力とかないの?』
「それがあればもっとまともな探偵になってるだろうな。」
『それもそうね。』
あっさり頷かれてしまった。もはやとくに傷つきはしない。
『身長。』
「ん?」
『さっきと身長が違うでしょ。』
「・・・・ああ、言われてみればたしかに。」
ガイコツの時は由香里君と同じくらいの背の高さ、つまり俺の胸の辺りに顔があった。
しかし今は俺よりも背が高い。
「なぜ身長が変わってるんだ?」
『ガイコツの時は子供の骨格なのよ。今は化けてるから身長を誤魔化せるけど。』
「子供の骨格・・・・。」
『そうよ、14歳のね。』
「14歳といえばたしか・・・・、」
『私が亡くなった歳。』
「・・・・姫月さんは言っていた。14歳の時に妹を亡くしたと。だが君の話によれば姉妹の立場が逆転してしまう。
亡くなったのはお姉さんの愛子さんで、生きているのは妹の恋花さんということに・・・・。」
『だからそう言ってるでしょ。』
彼女は『見てて』と言い、再び姿を変えていく。
全身から真っ白な綿毛が飛び散り、ガイコツに戻ったかと思うと、また祠から綿毛を吸い寄せて姿を変えていった。
「これが君の本当の姿?」
『そうよ。14歳の私。』
現れたのは姫月さんによく似た顔の少女だった。
ニコっと笑うその顔にはたしかにあどけなさが残る。
しかし言われなければ14歳には見えない。
この年頃からすでにモデル並のスタイルと美貌である。
《あらかじめ14歳って聞いといてよかった。》
何も知らずに出逢えば口説いでしまうだろう。
お巡りさんに『ちょっと署まで来てくれるかな』と言われかねない。
しかしそれほどまでに大人びて見えるのだ。
『これで信じた?』
「信じたくても理解が追いつかない。いったい何がどうなっているのかサッパリだ。」
『簡単なことよ。私が死んであの子が生き残った。それだけ。』
「なら君たちは本当に双子だったんだな。一つの肉体に二つの魂が宿っていたのか。」
『まさか。』
彼女はあっけらかんと笑う。
そしてこう言った。
『魂は一つ。けど人格は二つだった。』
「ということは二重人格?」
『うん。』
「やはり俺の考えは当たっていたか。しかしそうなると一つ疑問がある。」
『なんでも聞いてよ。』
「二重人格ってのは生まれつきのモノではないはずだ。主人格が大きなストレスを感じた時、そこから逃避する為に別の人格を生み出す。
つまり君か妹さんのどちらかが後から生み出された人格ということになる。そして君は姉だ。ということは恋花さんは後から生まれた人格というわけだな?」
自信をもって尋ねると『逆だよ』と言われた。
『私は後から生まれた人格。だから主人格は恋花の方よ。』
「しかし君は姉だろう?だったら・・・・、」
『あの子が姉が欲しいって願ったから。』
「願う?それはストレスから逃れる為に、頼りになる人格を望んだってことか?」
『そうだよ。だけどどんなに望んだって別の人格は生まれなかった。みんながみんな違う人格を持つようになるわけじゃないからね。
だからここへ来たのよ。あの子はずっと孤独を感じてた。それが寂しくて優しくて頼りになる姉が欲しいってね。』
そう言って祠の前に行き、白い綿毛を掬い取った。
不思議なことに彼女が触れても綿毛は消えない。
「なあ?」
『なに?』
「さっきそれはケセランパサランじゃないと言ったな。」
『そうだよ。モドキみたいなもん。』
「モドキ・・・。いったいそいつは何なんだ?ただの綿毛ではないはずだ。」
尋ねると少しの間だけ沈黙があった。
そして真顔で『ねえ?』と振り返る。
『探偵さんが疑問に思ってること、全部教えてあげてもいいよ。』
「それはありがたい。正直もう何が何だかチンプンカンプンさ。」
『その代わりさ、一つだけお願いを聞いてくれない?』
「俺に出来ることなら。」
肩を竦めながらニヒルに頷いて見せる。
彼女は『実はさ・・・・』と語りだした。
俺は黙って耳を傾ける。
愛子さんのこと、恋花さんのこと、由佳子お姉さんのこと。
昔から今に至るまで何があって、どういう事が起きているのか。
祠の中にいるケセランパサランのような物体はなんなのか。
俺はじっと黙って耳を傾けていた。
そして全てを話し終えたあと、彼女はある『お願い』を口にした。
『こんな事を頼めるのは探偵さんしかいない。』
そう言って『あの子に本当の事を思い出させてあげて』と俺の手を握った。
『それが恋花の為だから。このままじゃあの子、ずっと間違った思い出のまま生きていく。幸せになれない。』
例えストレスからの逃避として生み出された人格であっても、この子は本物の姉なのだ。
だからこそ妹の身を案じている。
しかし俺はすぐに頷くことは出来なかった。
なぜならこの子の頼みを聞けば、俺は無事ではいられないからだ。
最悪は命に関わるだろう。
《これかあ・・・・俺の身に起きる良くない出来事っていうのは。》
気分が重い。乗り気になれない。
だが俺の返事を聞く前に彼女は消えてしまった。
白い綿毛を舞い上がらせながら、ふわりと霧散してしまう。
そしてどこからか声を響かせた。
『お願い探偵さん。私たちを一つに戻して・・・・・。』
とても切実な声だった。
それは妹への愛であり、自分の為でもある願いだ。
彼女の気配は完全に消え去る。
と同時に「久能さん!」と由香里君の声がした。
ふと横を見ると彼女がいた。
「由香里君!よかった・・・・無事だったか。」
「それはこっちのセリフですよ!久能さんこそ大丈夫ですか?」
「ん?大丈夫とは・・・・?」
「だっていきなり倒れたじゃないですか。ケセランパサランに包まれて、急に気を失って。」
「気を失う?」
「ごめんなさい。私のせいかもしれません。」
「何を言ってるんだ?なぜ由香里君が謝る?」
「だって鳥のフンの他に、もう一つケセランパサランにお願いしたんです。エッチな探偵にオバケでも見せて怖がらせてやってほしいって。
そうすればちょっとは反省してセクハラもマシになるかもしれないから。
けどそうお願いした途端にケセランパサランがたくさんまとわりついて、久能さんが気絶しちゃったんです。」
「・・・・なるほど。オバケを見せろか。」
「ごめんなさい!まさか気絶するなんて思ってなかったから・・・・。気を失ってる間もうなされてたし、よっぽど怖い夢でも見せられてるのかなと思って。」
「いいや、怖くはなかったさ。なかったけど・・・・これからそうなるかもしれない。」
ポンと由香里君の頭を撫でる。
「本当に大丈夫ですか?」と心配する彼女に「平気さ」と微笑みかける。
祠を振り返ると、白い綿毛はまだたくさん詰まっていた。
俺は迷った。コイツを使ってあの子の願いを叶えてやるべきかどうか。
しかし今さら後に引くのは探偵の名折れというもの。
俺は立ち上がり、祠の前に膝を着く。
そして由香里君を振り返ってこう言った。
「今から恋花さんに会いに行こう。」
「恋花さんに?でもその子はもう・・・・、」
「生きてるさ。大事なモノが欠けたまま。」
由香里君はキョトンとする。
しかし「そこに由佳子お姉さんもいるはずだ」と言うと、「ほんとですか!」と表情が変わった。
「ああ。だから行こう。このケセランパサランモドキを使って恋花さんのいる所へ。」
「モドキ?なんだかよく分からないけど・・・・でも行きます!久能さんがそう言うならきっと間違いないはずだから。」
「ならやるぞ。」
祠に息を吹きかけ、ケセランパサランモドキを宙に舞わせる。そして胸の中で願いを掛ける。
白い綿毛が雪のように俺たちを包んでいった。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第十話 消えた二人

  • 2020.08.09 Sunday
  • 12:20

JUGEMテーマ:自作小説

過去は誰にだってあるもので、子供時代をすっ飛ばして大人になる人はいない。
だがその過去が明るいものか暗いものか?
こればっかりは千差万別である。
ある人はお金に困り、ある人は小遣いの概念を超えた金額をもらっている。
またある人は歩くたびに軋む家に住み、ある人は別荘を幾つも持っている。
しかし最も幸不幸が別れるポイントは人間関係だろう。
恵まれた人に囲まれる環境もあれば、その逆もある。
そしてもっとも悩む人間関係の一つに『孤独』がある。
あれはいつだったか何かの記事で読んだ。
人間が一番ストレスに感じる事は孤独であると。
大切な妹さんを失った姫月さんは孤独になった。
・・・・いや、元々孤独だったのかもしれない。
「姫月さん。」
崖の傍に立つ彼女に語りかける。
「あなたは本当に二重人格だったんじゃありませんか?」
彼女は何も答えない。
代わりに由香里君が「けどもしそうなら・・・」と言った。
「久能さんが見たっていう窓の外に立っていた男の人・・・・説明が付かないじゃないですか。」
「・・・・・・。」
「外にスーツを着た男の人がいたんでしょう?」
「ああ。」
「でも姫月さんはスーツじゃありませんよ。」
「そうだな。」
「窓の外に男の人が現れて、それから姫月さんがやって来るまでほんの少しの時間でした。着替えて部屋の前に回るなんて無理ですよ。」
「それもそうだ。だが由香里君、君も信じていないんじゃないのか?一つの肉体に二つの魂。こんな事がありえるか?」
「それは・・・・、」
「あの時見た男・・・・いや、男っぽいだけで女なのかもしれない。どちらにせよ姫月さんに瓜二つだった。」
「ということは妹さんの幽霊・・・・、」
「もし本当に幽霊なら、大人の姿で現れるのはおかしい。恋花さんが亡くなったのは14歳の時なんだからな。」
「ああ、言われてみればたしかに。」
「なぜ今の姫月さんとそっくりの大人の姿で現れたのか?」
「う〜ん・・・・まったく別人のそっくりさんだったとか?」
「可能性はゼロではないな。だが限りなくゼロに近いから、その可能性は除外しよう。・・・・姫月さんはきっと何かを隠しているはずだ。」
彼女は背中を向けたまま滝を覗き込んでいる。
滝壺に妹さんを重ねているのだろうか。
「姫月さん。」
呼びかけても振り返らない。
こんな場所に来たせいで、過去を思い出して辛くなっているのかもしれない。
ポンと肩を叩き、「心中お察しします」と言った。
「どれだけ時間が経とうとも辛いことは辛いものです。もし泣きたいのであれば無理しないで下さい。私と由香里君は少し離れていますので。」
誰だって見られたくない顔というのはあるだろう。
俺は踵を返し、「向こうに行ってよう」と由香里君の背中を押した。
「姫月さん大丈夫ですか?なんだかすごく思いつめてるような感じが・・・・。」
「誰にだってそういう時はあるさ。」
「そうですけど・・・・こういう時にこんな場所で一人にするのはかえって危なくないですか?
崖の傍であんな風に滝を見下ろしてるし。もし万が一良くない事を考えてたら・・・、」
「平気さ。見えなくなるほど離れるわけじゃない。もし何かあったらすぐにこの久能司が止め入る。」
心配する由香里君の背中を押し、彼女の傍から離れる。
「大丈夫かなあ・・・・。」
由香里君は振り返る。そして「え?」と叫んだ。
「く、久能さん!」
「どうした?」
「姫月さんが・・・・、」
「うん。」
「いなくなってる・・・。」
「なにい!」
慌てて振り返る。
彼女の姿は消えていた。
「そんな!さっきまでそこにいたのに。」
「まさか・・・滝に飛び込んだとか・・・・、」
「・・・・・・・・。」
ドクンと鼓動が跳ね上がる。
気づけば駆け出していて、サっと崖の下を覗いていた。
「・・・・いないな。」
由香里君も恐る恐る覗き込む。そして「深く沈んでるとか・・・・?」と言った。
たしかに滝壺は深い。底に沈んでいたら見えないだろう。
だが飛び込んだなら音がするはずだ。
この崖はそう高くはない。
せいぜい二階建ての家の屋根くらいの高さだろう。
それに水量が多いとはいえ、滝の音もそう大きくはない。
滑り込むように水が流れ込んでいるからだ。
だからもし飛び込んだのであれば音がするはずなのだが・・・・、
「きゃあ!」
由香里君が悲鳴をあげる。
「どうした!」
「さっき後ろから物音が・・・・、」
「物音?どこからだ?」
「そこです・・・・。」
そっと指さした先にあったのは祠だった。
「なにかが動く音がしたんです・・・。ガタガタって・・・・。」
祠はさっきと変わらない様子で佇んでいる。
もしや近くに姫月さんがいるのかと思ったが、祠の後ろには大木があり、その後ろは岩壁になっている。
誰かがいるならすぐに分かるはずだが・・・、
「きゃああ!また!?」
祠がガタガタっと動く。まるで何かに揺さぶられるように。
由香里君は俺の後ろに隠れる。
そして「まさか心霊現象・・・?」と怯えた。
彼女はこういうのが苦手なのだ。
「まさか。」
「で、でも・・・だったらなんで勝手に動いたんですか!?」
「風・・・・じゃないよな。地震でもないし。」
「ほらほら!やっぱり心霊現象なんですよ!」
まるで子供のように怯えながら、ギュっと俺のシャツにしがみつく。
「そもそも祠って神様を祀ったり、なにか良くないものを封印する為のものですよ!それを勝手に開けたりしたからバチが当たったんじゃ・・・・。」
「落ち着きたまえ。あの祠には何もなかった。神様を祀ってあるわけでもないし、なにかの封印でもない。」
「じゃあなんで勝手に動いたんですか!祠が動くなんておかし・・・・、」
言いかけたとき、またガタガタと揺れた。
今度の揺れはかなり激しい。
倒れそうな勢いである。
「いやああああ!」
もはや由香里君は顔面蒼白である。
ていうか俺も一人だったらかなりビビっているだろう。
彼女がしがみついて来るから逆に冷静でいられた。
そして冷静でいるからこそ、少し奇妙なことに気づく。
祠はまだ揺れているのだが、どうも揺れ方がおかしい。
というのも左右に揺れるのではなく、前に倒れそうな感じで動いているのだ。
これではまるで誰かに押されているような・・・・。
そこで俺はふと思った。
《祠の後ろには大木がある。ということはあの木は御神木かもしれない。》
神社に行くと大抵は御神木がある。
そして大きな御神木の根元には『ある物が』があったりするのだ。
だったら祠の傍にも同じ物があっても不思議ではない。
俺は思い切って祠へ向かう。
そして両手で掴み、力いっぱい手前に引っ張った。
「ふぬうう!」
「ちょ、ちょっと何してるんですか!」
悲鳴を上げる由香里君。「バチが当たりますよ!」と止めようとした。
「かもしれないな。でも気になるんだ。」
「気になるってなにが・・・・。ていうかまた祠が・・・・。」
ガタガタと音がする。
俺が引っ張っている音ではない。祠の後ろから響いている。
「いやあああ!やっぱり神様かなにかが怒ってるんですよ!もうやめて!」
「けっこう重いなこれ・・・・。悪いが君も手伝ってくれないか?」
「イヤですよ!」
「どうして?」
「だって呪われるかもしれないじゃないですか!」
「呪いか。超能力が存在するんだから、呪いだって本当にあるかもな。」
「そうですよ!これ以上やったらほんとにバチが当たって大変なことになっちゃう!」
「バチってのは神様が与えるもんさ。」
「だから怖いんじゃないですか!」
「もし人間だったら?」
「へ?人間?」
由香里君はキョトンとする。
昔はよくこういう可愛らしい表情をしていたもんだが、最近は大人になってめっきり減った。
だからこそちょっと得した気分になる。
「いいかい由香里君?相手が神様なら怒られても仕方ない。しかしそうじゃないとしたら、怒られる筋合いはないのさ。」
「さっきから何を言ってるんですか・・・・。」
とうとう本気で頭がおかしくなってしまったんですか?
彼女の目がそう言っている。
こういう冷たい視線は嫌いじゃないが、今は特殊性癖を満たしている場合ではない。
俺は渾身のパワーで「どおりゃ!」と引っ張った。
祠は前のめりに倒れ、土の上に横たわる。
由香里君は青い顔で俺の腕にしがみついていた。
「やっちゃった・・・・知りませんよどうなっても・・・・。」
怖い怖いと思いつつ、怖い物ほど目を背けられないのが人間の性。
怯える由香里君だったが、数秒後には別の意味で悲鳴をあげていた。
「ど・・・・どうして!?」
まるで漫画みたいに頬を押さえて絶叫する。
そして一目散に祠の立っていた場所に駆け出した。
「お母さん!」
「由香里・・・・。」
約一ヶ月ぶりの親子の再会。
だが感動的というわけにはいかなかった。
なぜなら由佳子お姉さんは、大木の根元に空いた穴の奥から這い出してきたからだ。
俺は由香里君と一緒にお姉さんを引っ張り出す。
「なんでこんな所にいるの!ていうか大丈夫?」
母をいたわる娘。
服はあちこち汚れていて、パッパと砂を払う。
「ああ〜・・・やっと出られた。」
ホっと息をつき、大木にもたれかかる。
「お母さん・・・・。」
由香里君はギュっと手を握りしめ「心配してたんだから・・・」と涙ぐんだ。
「いきなり家を出てって・・・・やっと見つけたと思って旅館に行ったらいなくなってて・・・・、」
「ごめんごめん。心配かけたね。」
ポンポンと肩を抱くお姉さん。顔を上げ「司くんも・・・」と笑ってみせる。
「ごめんね、いきなりいなくなっちゃって。」
「心配しましたよ。それより怪我は?どこも痛くありませんか?」
「平気平気。」
大木に手をついて「よっこらしょっと」と立ち上がる。
由香里君が肩を支えながら「どうしてこんな所に?」と大木の穴を睨んだ。
「お母さんが泊まってた旅館に行ったら、連れの人が来てチェックアウトしたって言ってたけど・・・・まさかその人に閉じ込められてたとか?」
俺も同じことを考えた。
というのも御神木の根元には大きな穴が空いている場合があるのだ。
きっと神様の住処か何かだろう。
だから祠の後ろの大木にも大きな穴が空いていて、その穴の中から誰かが祠を倒そうとしているんじゃないかと考えたのだ。
そして俺の読みは当たっていた。
当たっていたのだが、まさかお姉さんが出て来るとは思わなかった。
そもそもお姉さんが自分からこんな穴に入ったりはしないだろう。
ということは誰かに閉じ込められた可能性がある。
そう思っていたのだが、お姉さんは「自分で入ったのよ」と答えた。
「へ?」
「自分から?」
「そう。自分から。正確には反対側の穴からね。」
「反対側の・・・・、」
「穴・・・・・?」
俺と由香里君は顔を見合わせ、キョトンと首を傾げた。
「どういうことですか?」
「反対側の穴なんてあるの?」
お姉さんは穴を振り返り「入ってみる?」と指さした。
「入ってみるって・・・・さっきそこから出てきたばかりじゃないですか。」
「そうだよ。なんか危なさそうだし・・・・。」
「別に危なくはないわ。ただ・・・、」
「ただ?」
ゴクリと息を飲んで答えを待つ。
お姉さんはニコリと微笑んで「行けば分かるわ」と言った。
「ああ、それと・・・・、」
「はい?」
「あなた達がここにいるのは、姫月さんに連れて来られたからでしょ?」
「ええ。実は彼女からも依頼をされまして。姿を消してしまった由佳子お姉さんを捜してほしいと・・・、」
言いかけて「そうだ!姫月さん!」と思い出す。
「とつぜんいなくなってしまったんです。もしかしたら滝壺に飛び込んだんじゃないかと心配していたところで・・・・、」
「それも行けば分かる。この穴の先にね。」
意味深な笑みを浮かべる。
どうやらお姉さんも何かを隠しているようだ。
《さあて、どうしたもんかなこれ。》
いつもなら迷わずに頷く。
去年なんて南極の地下にある古代人の国へ行ったのだ。
今さら大木の根っこの穴など怖くはない。
ないのだが・・・、
《なぜか分からないが寒気が止まらない・・・・。この先に絶対に良くない事が待ち構えていそうな気がしてならないな。》
夏だというのに鳥肌が立つ。
背筋には悪寒が走り、頭の中で『やめておけ!』と本能の警告が響く。
「久能さん。」
由香里君が不安そうな声で呼ぶ。
「私・・・・なんか怖いです。この穴に入ったら良くない事が起きそうな気がして・・・・。」
「君もかい?」
「見て下さい。夏なのに鳥肌が。」
彼女の腕も俺と同じような状態に。
自分で自分を抱きしめ、ブルリと震えていた。
気丈な由香里君がここまで怖がるなんて珍しい。
俺は「やめておこう」と首を振った。
「俺はともかく由香里君の身に何かあったら大変だ。」
「久能さん・・・・。」
「もし君を守ることが出来なかったら、俺は一生後悔するだろう。だからこの穴に入るのはやめておこう。」
そう言って肩を叩くと、「違うんです」と言った。
「私じゃなくて・・・・、」
「うん?」
「良くない事が起きるのは私じゃない。きっと久能さんです。」
真剣な目で見つめてくる。
その目は本当に俺の身を案じているようだった。
「・・・・そういえば以前にも言っていたな。俺に良くない事が起きそうな気がすると。本当なら君は家に帰ってるはずなのに、心配だからと残ってくれた。」
「そうです。あの時よりもっと嫌な予感がするんです。具体的にどう悪い事が起きるのか分からないけど・・・・。」
そう、分からない。だから怖いのだ。
そもそも嫌な予感というのはよく当たる。
《さあて・・・・どうしようかな。》
由佳子お姉さんは見つかった。
母と娘も再会した。
そういう意味ではこの島へやって来た当初の目的は果たしたと言える。
「帰るか。」
ニコっと言うと、母と娘の両方から冷たい目を向けられた。
「司くん・・・・、」
「それ本気で言ってます?」
「ぶっちゃけた話、出来れば帰りたい。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「だがそうもいかないことは分かっている。ならばやるべきことは一つ。」
穴の前に膝をつく。
嫌な予感は消えないままだが、引き返す選択肢がない以上、この先へ進まねばなるまい。
《穴の大きさは人一人が通れるほどだ。つまり・・・・、》
「私も行きますよ。」
由香里君が言う。
「いやしかしだな、おそらく俺は良くない事が起きるだろう。一緒について来たら君まで巻き込まれて・・・・、」
「それが嫌ならとっくに一人で帰ってます。」
彼女も穴の前に膝をつく。
中を覗き込み、「うわまっ暗!」と怯えていた。
「怖いなら無理するな。」
「無理しなきゃ私たちの仕事はやってられないじゃないですか。」
俺より探偵らしいことを言う。
「それに怖いだの危険だのは慣れっこですから。今までの依頼だってそうだったでしょ?」
ニコッと微笑んだその顔はとても可愛い。そして美しい。
思わずセクハラに走りそうになったが、さすがに母親が見ている前でそれは出来ない。
「分かった。なら穴に入ってみるか。」
「はい!」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
そもそもスリルと刺激を求めて探偵になったのだ。
ここで尻尾を巻くのは間違いだろう。
「お姉さん、良くない予感が消えませんが中に入ってみます。お姉さんはここで待っていて下さ・・・・、」
言いかけて振り返ると、お姉さんはいなくなっていた。
「あれ?どこ行った?」
由香里君も心配そうに「お母さん!」と叫ぶ。
「どこいっちゃったの!ねえお母さん!」
辺りを探してみるがどこにもいない。
まさかと思いつつ滝壺を覗いてみたが、落ちた様子はなかった。
「どこへ消えたんだ?一人で下山したわけでもあるまいし。」
由香里君は必死に母を呼ぶ。
姫月さんが消え、今度は由佳子お姉さんが・・・・。
そもそもお姉さんはなぜあんな穴の中に入っていたのか?
《分からん。謎だらけだ・・・・。》
幻でも見ていたのだろうか。
俺と由香里君二人揃って・・・・。
それもおかしな話である。
《いったい何がどうなってんだ?》
顔をしかめながら頭を掻きむしる。
その時、ふとおかしな事に気づいた。
「祠が・・・・、」
振り返った視線の先、倒れていたはずの祠が元に戻っていたのである。
大木の穴を隠すように佇んでいる。
しかもなぜか扉が開いていた。
「久能さん・・・・お母さん、ぜんぜん見つからない。どこ行っちゃったんだろう・・・・。」
走って探し回ったのだろう。息を切らす由香里君だったが、「ボケっとしてどうしたんです?」と俺の顔を覗き込んだ。
「なんか狐につままれたみたいな顔してますけど・・・・。」
「由香里君、あれを見てごらん。」
祠を指をさす。彼女は「なんで!」と悲鳴をあげた。
「祠が元に戻ってる・・・・。」
「さっきまでは倒れていたのにな。」
「く、久能さんが戻したんでしょ!?そうなんでしょ?」
どうやら俺のイタズラであることを願っているようだ。
だが残念ながら俺の仕業ではない。
ゆっくりと首を振ると、「そんな・・・」と息を飲んでいた。
「由香里君、怖がっている最中に申し訳ないんだが、もう一つ奇妙な事があるんだ。」
「き、奇妙なこと・・・・?」
言葉に出すのが怖いのだろう。いったいどんな?と目が尋ねている。
「祠の扉が開いている。」
そう答えると、なんだそんなことか・・・みたいな表情をした。
「だってあの扉の鍵は壊れてたじゃないですか。きっと自然に開いたんですよ。」
「そうかな?」
「そうですよ。きっとそうです。」
自分に言い聞かせるように無理な自信を見せる。
「なあ由香里君。」
「な、なんですか・・・・?」
「さっきは祠の中には何もなかったよな?」
「え?中・・・・?」
「姫月さんが鍵を外して扉を開けた時、祠の中には何もなかったはずだ。」
由香里君はじっと祠の中を見る。そして言葉を失った。
「・・・・・・・。」
「な?おかしいだろ。」
もはや石のようになってしまった。
試しに「大丈夫か?」とお尻を叩いたら正拳突きが飛んできた。
鼻がもげそうになる。
「うむ・・・・大丈夫なようだな。」
ダラダラと流れる鼻血を押さえながら祠へ近づく。
膝を着き、中を覗き込んだ。
ふっと息を吹きかける。
すると白い綿毛のような物がフワフワと舞い上がった。
そいつは地面に落ちては雪のように消えていく。
白い綿毛は祠の中にギッシリ詰まっていて、息を吹きかけると次々に舞い上がった。
手を出して受け止めてみる。
触れた途端に消えてしまうが、一瞬だけハッキリと見えたものがある。
目だった。小さくてつぶらな瞳が二つ。
さらに触覚のような長い毛が二つ、カタツムリのようにピョンと伸びていた。
「久能さん・・・・それって・・・・、」
恐怖と驚きに縛られながらも、辛うじて声を出す由香里君。
俺は振り返って頷いた。
「噂ってのも馬鹿に出来ないな。」
「じゃあやっぱり・・・・、」
「実物を見たことがないから断言は出来ない。だが俺が子供の頃にも流行っていたから、なんとなくの姿は想像がつく。」
もう一度手の平で受け止める。
消える前にその姿を目に焼き付けた。
「ケセランパサラン・・・・本当にいたのか。」

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第九話 苦い思い出

  • 2020.08.04 Tuesday
  • 12:44

JUGEMテーマ:自作小説

陽の当たらない山の中というのは昼間でも不気味だ。
周りを高い木々に囲まれ、セミの合唱のせいで方向感覚さえ狂い、風に揺れる葉音が不穏を掻き立てる。
なによりここまで登るのに疲れる。
寂れた神社の奥、獣道の山道を歩くこと一時間。
俺の足はとっくに悲鳴を上げているのに、どう願っても目的地の方からはこっちへ近づいてはくれない。
ゼエゼエ、ハアハアと息を切らし、パンク寸前の肺と格闘するしかなかった。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・。」
膝をついて肩を揺らす。
由香里君が「大丈夫ですか?」と顔を覗き込んできた。
「汗だくになってますよ。」
「夏に・・・山なんか登るもんじゃないな・・・・。」
「たしかに暑いですよね。でもずっと日陰だったからそこまででもないような。」
「君はいいさ・・・・日々空手で鍛えているんだから・・・・。こっちは運動不足のオジサンだってのに・・・・。」
「だったらいい加減タバコをやめたらいいのに。これを機会に健康を目指して禁煙アンド運動しましょ。」
そう言ってビシっと正拳突きを繰り出し、「一緒に空手やりますか?」と笑う。
「気持ちだけもらっておくよ・・・・。」
ゴロっと地面に寝転がる。
落ち葉は湿っていて、なかなか冷たくて気持ちいい。
目を閉じて耳を澄ましていると、滝の音が聴こえる。
この音だけは涼やかで心地いい。
こうまで暑いと、いっそのこと滝壺に飛び込んでやろうかという気分になる。
「探偵さん、起きた方がいいよ。」
姫月さんが言う。
「すみません・・・依頼者をほっといて寝転がるのはカッコ悪いですね・・・・。」
「そうじゃなくてさ。」
ガシっと俺の腕を掴み、「これ」と何かを指さした。
「これって・・・どれ?」
「だからこれ。蛭に吸われてる。」
腕を見ると五箇所もヤマビルが付いていた。
シャクトリムシみたいにウネウネ動きながら俺の腕に・・・・。
「勘弁してくれ!」
慌てて振り落とす。
「あ、首にも・・・・。」
由香里君が若干引き気味に言う。
「首のどこ!」
「後ろです。」
「・・・ああ〜クソ!見えん!悪いが取ってくれないか?」
「無理です!私そういうの苦手だから・・・・。」
サっと後ずさり、「私は大丈夫かな・・・・?」と自分の心配をしていた。
「俺だって苦手だぞこんなもん。」
取りたいのに取れないでいると、「じっとしてて」と姫月さんが払ってくれた。
「はい、これで全部取れた。」
「申し訳ない・・・依頼者にヒルなど取らせてしまって。」
「ここで育ったんだもん、慣れてるわ。」
そう言って周囲を見上げ、「久しぶりだ」と表情を曇らせた。
「一番来たくない場所なんだけど、そうも言ってられない。ここならあの子が・・・・恋花が現れるかもしれない。」
姫月さんは滝の音がする方へゆっくりと足を進めていく。
この先は崖になっていて、低いながらも水量の多い滝があるのだ。
そして崖のすぐ傍には『祠』がある。
そう大きな物ではない。
高さが膝下くらい。
横幅もそれより少し小さいくらいだ。
重々しい石造りで、正面は観音開きの扉になっている。
南京錠が付けられているが、ボロボロに錆びて鍵としての機能は失っているだろう。
手前にはワンコップ関脇が供えられているが、これもかなり昔の物だ。
つまりここへ来る人はほとんどないということになる。
姫月さんは膝をつき、祠に手を伸ばす。
「子供の頃ってさ、根拠のない噂っていうか、迷信みたいのが流行るじゃない?」
背中を向けたまま語りかける。
「私が中学生の頃さ、ある噂が流行ったんだよね。ケセランパサランって知ってる?」
俺は「ええ」と頷く。
由香里君も「聞いたことあります」と言った。
「綿毛みたいなふわふわしたヤツですよね。たくさん集めると願いが叶うっていう。」
「由香里ちゃんが子供の頃にも流行ってた?」
「漫画で見たことがあります。あとはコックリさんとか、トイレの花子さんとか。」
「やっぱりいつの時代でもそういうのあるんだね。」
振り返り、クスっと微笑む。すぐに祠に視線を戻し、「私の中学校ではさ」と続けた。
「ケセランパサランがものすごく流行ってたわ。捕まえたとかいう子もいたけど、絶対に見せてくれなかったり、どっかに逃げちゃったとか言い訳したり。」
「子供あるあるですね。」
由香里君もクスっと笑みを返す。
「今思えばさ、あんなの可愛い迷信よね。でも当時の私は信じてた。もう14なのにさ、ちっちゃい子供みたいに本気で信じてたのよ。なんでか分かる?」
その問いに俺たちは答えられない。
事情を知っているからこそ、迂闊に言葉には出せない。
「恋花はさ、私と瓜二つの双子なんだけど、性格はぜんぜん違ったわ。私はいつでもしかめっ面で人付き合いは不器用だった。親にもよく反抗したわ。
でも恋花はなんていうか・・・・立ち回りが上手いっていうかさ。もちろん悪い子じゃないよ。根はすごく優しくて良い子だった。
けど頭が良いっていうか、自分にとって得なこと損なことをちゃんと理解してる感じだった。
だから友達も多かったし、男子にもよくモテた。学校の先生にもすごく気に入られて。でも一番あの子を可愛がってたのは両親よ。」
一息にそう言ったあと「羨ましかった」と呟いた。
「私だって恋花みたいになりたかった。だって双子だからさ、よく比べられるのよ。恋花ちゃんは愛嬌があって可愛いけど、愛子ちゃんはイマイチねって。
あちこちで陰口を叩かれたわ。耳に入ると傷つくからさ、余計に人を寄せ付けないオーラを出すようになっちゃって。」
「それは・・・・辛いですね。」
由香里君はなんとも言えない表情で相槌を打つ。
俺に目配せをしてくるので、《黙って聞いてた方がいい》と視線を返した。
「でも性格を変えるなんてそう簡単に出来ることじゃない。だからケセランパサランが欲しかった。
たくさん集めてお願いすれば、私だって恋花みたいになれるかもしれないって・・・・そう思ったのよ。」
堅い話は空気まで堅くさせる。。
こういう時、周囲の音がよく響くものだ。
セミがうるさい。揺れる葉音が耳をつく。
滝の音さえもう涼しいとは感じられなかった。
・・・・カチャカチャと金属音がする。
姫月さんが祠の南京錠を取り外しているのだ。
錆びた鉄の塊が土の上に落ちる。
祠には申し訳程度の小さな取っ手が付いていて、姫月さんは「おりゃ!」と力を込めて観音開きの扉を開いた。
「・・・・・・・・。」
俺と由香里君は扉の奥を覗き込む。
・・・・そこには何もなかった。
小さな虫が一匹這い出てきただけで、特別な物が封印されているわけでもなければ、特別な何かが起きるわけでもない。
ただ扉が開いたというだけである。
普通なら御神体でも納まっていそうなものだが、それさえもない。
由香里君は「姫月さんの言ってた通り・・・・」と呟く。
「ほんとに何もないんですね。」
「そうよ。何もない。けど昔の私は信じてた。ここを開けばたくさんのケセランパサランが飛び出してくるって。」
「流行ってたんですね、そういう噂が。」
「今思うと馬鹿みたいでしょ。でもその時は信じて疑わなかった。だからここへ来たのよ。妹と一緒に。」
扉を閉め、南京錠を元に戻す。
「あの子は信じてなかったわ。そんなのウソに決まってるって。どっちかというとさ、あの子の方が現実主義者だった。
私は雰囲気こそ堅い現実主義者っぽく見られるんだけど、実はこういうの信じちゃう方なのよね。
この世にはきっと不思議なことがあるって。科学だけじゃ説明できない神秘的なことがあるんだって。」
俺には分かる。姫月さんの気持ちが。
なぜなら俺は本物の超能力者だからだ。
まあ彼女は信じていないが。
「そんな噂を信じるなんて馬鹿らしいから、山に行くのはやめようって恋花は嫌がってたわ。でも私は無理矢理連れて来た。なんでか分かる?」
問われた由香里君は「ええっと・・・」と困りながら、《久能さんお願い!》と目配せをしてくる。
「・・・・言っていいんですか?」
答えは知っている。
すでに彼女から聞いた話なのだ。
だが口にするにはデリケートな問題だ。本人を前にとなれば許可がいる。
姫月さんは無言のまま表情を柔らかくする。
俺はYESと受け取り、「彼女が拒否すればあなたもここへ来ることが出来ないからです」と答えた。
「たしかに貴女には妹さんがいた。しかし他の姉妹とは一つだけ違う点がある。」
こういう時、わざとらしく間を溜めたくなる。
ひと呼吸置き、もったいぶって口にした。
「二人は一つの肉体を共有していた。貴女がここへ来るなら妹さんも一緒に行かざるをえない。」
人の心に踏み込むのはとてつもなく気を遣う。
しかし自分が依頼者である以上、姫月さんは怒ることもなく「そうよ」と頷いた。
「私とあの子は同じ身体に入ってた。一心同体ならぬ二心同体ね。」
「しかしそれは・・・・、」
これは本人に言っていいのかどうか?
迷いはある。しかしここまで来たら尋ねずにはいられない。
「この秘密を知っているのは貴女だけだ。」
「ええ。」
「正直に言いましょう。俺はまだ信じられないでいる。」
「でしょうね。外からじゃ絶対に分からないから。」
「そうではなく、あなたが生を受けた時の話です。」
「生まれた時の?」
「違います。生を受けた時・・・・です。」

 

     *****

 

姫月さんは双子だ。
だが彼女の妹の存在を知っているのは姉だけである。
友人も学校の先生も、両親でさえも知らない。
その理由は何か?
なんと彼女は胎児の頃の記憶があるという。
母親のお腹にいる時、実はもう一つ命が宿っていたというのだ。
同じ細胞を持った一卵性双生児。
しかしそれは姫月さんがまだ人の形へ育つ前の段階である。
受精した一つの卵子が分裂を始め、すぐに二つの命へと別れた。
数日の間は仲良く育っていたという。
しかしある時、何が原因か定かではないが、姫月さんの細胞分裂が止まってしまった。
このままでは外の世界を知る前に天国へ召されることになる・・・・はずだった。
『大丈夫。私がいる。』
この世から消えてしまいそうになった時、恋花さんはそう言った。
なんと分裂の止まった姉の細胞を吸い込み、一つの身体に二つの魂を宿したのだという。
『私たちは元々一つ。この身体は二人の物よ。』
こうして姫月さんは命を取り留めた。
以来、二人はずっと一緒だった。
なにせ肉体が一つなのだ。どこへ行くのも何をするのも一緒だった。
今日はお姉ちゃんが身体を使っていいよとか、じゃあ明日は恋花が使っていいよとか、仲良く順番に肉体の所有権を譲り合っていた。
なんとも変わった双子の姉妹だが、二人は幸せだったという。
本当に仲が良いので、いつでも一緒というのは楽しくもあるし、寂しささえ感じることはなかった。
彼女たちには孤独という言葉は無縁だった。
しかし大人に成長するにつれ、だんだんと姉と妹に違いが現れる。
いくら一卵性双生児とはいえ、何もかもが同じというわけではない。
例え肉体が一つであっても、魂と精神は別人なのである。
まず性格が違った。
恋花さんは愛想が良く、細かい気遣いでも出来、しかも要領がいい。
おのずと人から好かれる。
頭も良く、自分を客観視するのが得意だった。
これは自分にとってプラス、こっちはマイナス、そういう具合に冷静に判断できる器量があった。
姉は正反対だった。
決して人間嫌いなわけではないが、人に愛想良くするのは苦手だった。
気遣いも出来ないわけではないが、コミュニケーションが不器用なので空回りすることを恐れ、下手に誰かと関わろうとはしない。
そして一つの事に集中するタイプであるがゆえに、要領の良さというのはなかった。
型にハマれば大きな力を発揮するが、そうでない場合はむしろ人の足を引っ張ることが多かったという。
頭は妹とは別の意味で良かった。
勉強は出来た。記憶力も良かった。
時間を掛けてもいいのなら、同級生も誰も解けないような難しい計算だってこなした。
別にどちらが上だとか下だとか、優れているとか劣っているわけではない。
双子といえども別人である以上、得手不得手に差が出るのは自然なことだ。
しかし他人の目にどう映るかとなると話は変わってくる。
恋花さんが肉体を動かしている時、気遣いと愛想の良い誰からも好かれる人となる。
しかし姫月さんが動かしている時、傍目には人を寄せ付けない近寄りがたい人となる。
同じ人物なのにこの振り幅。
周りの人たちはさぞ混乱しただろうと思うのだが、姫月さん曰くそうでもなかったらしい。
『一つの身体に二つの魂って言うと信じてもらえないけどさ、一つの脳に二つの人格って説明すると、そういう事もあるのかって感じで納得してくれたんだよね。』
なるほどと思った。
一人の人間が複数の人格を持つというのは有名な話である。
ちなみに多重人格という事にしておこうと考えたのも妹さんだ。
姫月さんの言う通り賢い人だ。
つまり周りの人たちも姫月さんと恋花さんは別人であるという認識だったのだ。
そして妹さんは誰からも好かれ、お姉さんは陰口を叩かれて疎まれた。
成長するにしたがって周囲からの評価は露骨な差が生まれた。
果たしてずっと仲良くしていられるだろうか?
答えはNOだった。
姫月さんは妹に嫉妬を抱き始めたのだ。
一度芽生え始めた後ろ向きな気持ち。
それは日に日に強くなっていく。
残念ながらマイナスな感情ほど燃え上がるのは早いもので、気づけば妹を憎んでさえいた。
しかしその憎しみをギリギリの所で抑え込んでいた出来事がある。
かつて命を助けてもらったことだ。
放っておいたら確実に天国へ旅立っていた。
そうならずにすんだのは妹のおかげだし、そもそもこの肉体だって妹の物である。
だから憎しみを向けるなんて筋違いだと、どうにか自分を抑えていた。
いたのだが、だからといって辛さが消えるわけではない。
いったどうすれば悩みは解決するのか?
なにか不思議な出来事でも起きない限りは・・・・。
そう思っていたところにケセランパサランの流行がやってきた。
フワフワした綿毛のような生き物をたくさん集めれば、どんな願いも叶えてくれる。
姫月さんは思った。
ケセランパサランにお願いして、妹のように社交的で明るい性格にしてもらおうと。
そしてもし出来ることなら、自分だけの肉体が欲しいと。
絵が得意だった姫月さんは自分なりに想像してケセランパサランを描いた。
大きな画用紙いっぱいに。
それを壁に貼り付け、いつか必ず見つけてみせると願掛けをしたのだった。
するとタイミングよくこんな噂が流行るようになった。
『滝の傍にある祠の中にいっぱいケセランパサランがいるらしいよ。』
同級生がそんな話をしているのを耳にした。
無論単なる噂である。出処さえハッキリしない。
しかし噂とはそういうものだし、姫月さんにとってはこの上なく有難い情報だった。
『きっと願掛けが効いたんだ!』
密かに喜んだ。
そして家に帰ると恋花さんに相談した。
『今度の日曜にさ、山の祠へ行ってみようよ。たくさんケセランパサランがいるって。』
しかし夢見がちな姫月さんと違い、妹さんは現実的である。
『そんなのただの噂でしょ』と一蹴した。
『そもそもケセランパサランなんて本当にいるかどうかも怪しいし。』
『いるよせったい!』
『私たちもう中学生だよ?そんなの信じてどうするの。』
『だってなんでも科学で解明できるわけじゃない。』
一つの肉体に二つの魂。
科学で説明の付かないことがここにあると反論する姫月さんだったが、『それとこれとは別だよ』と相手にしてもらえなかった。
『どう別?一緒でしょ。』
『じゃあ聞くけど、なんでそこまでケセランパサランが欲しいの?』
『それは・・・・、』
理由を話そうとして躊躇った。
妹に嫉妬しているから・・・・この肉体を出ていって自分だけの肉体が欲しいから・・・・。
面と向かって言うことは難しかった。
だが恋花さんは『知ってるよ』と笑った。
『私の性格が羨ましいから。それと自分だけの身体が欲しいから。』
『ちょっと!勝手に人の心を読まないって約束でしょ!』
肉体が同じならば脳も同じ。
互いの思考や記憶を読むことは簡単なのだが、双子ともいえどもプライバシーがある。
それだけは絶対にやめようと約束していたのに、胸の内を見透かされて恥ずかしいやら腹立たしいやらで、つい感情的になってしまった。
『なんでそういう事するのよ!』
『だってずっと悩んでるみたいだったから。心配になってつい。』
『だからって約束を破っていいわけじゃない!』
『ごめん。そんなに怒らないでよ。』
『怒るよ!だって恋花には私の気持ちは分からない!どこ行ったって一緒だから、いつだって比べられる!
恋花ちゃんは愛嬌があって良い子なのに、愛子ちゃんは無愛想で可愛げがないって。ずっとだよ!ずっと比べられる!』
『愛子が悩んでたのは知ってたよ。けど聞き出せなかった。私のことで悩んでるんだから、私じゃ相談相手になれないと思ったから。
でもずっと心配だった。だから約束を破ってごめん。傷つけるつもりはなかった・・・・、』
『そうじゃない!恋花に相談できなかったのは、恋花のおかげで私が生きてるから。
どこ行ったって比べられるなら、私は私の身体が欲しいと思った。自分だけの身体さえあれば、こんなに辛い思いせずに済むって。
でもそんなの言えない!恋花のおかげでこうして生きてるのに・・・・それが迷惑だみたいに聞こえるんじゃないかって思って・・・・。』
『思わないよそんなこと。』
『思うよ!きっと私のこと嫌いになる!それでもし・・・・この身体から出て行けなんて言われたら・・・・、』
恋花さんと話し合ううちに、ふと本心に気づいてしまった。
もしもこの身体から出ていけと言われたら、それはこの世にいられなくなることを意味する。
しかしこうして生きている。
そしてこの世に生まれてきたからには、自分だけの人生が欲しいと思い始めていたのだ。
つまるところ、妹への嫉妬はケセランパサランが欲しい本当の理由ではなかったのだ。
もちろん羨ましい気持ちはある。
こんなに誰からも好かれたら楽しいだろうと。
だがケセランパサランを集めてまで叶えたい願いかといえば、そうでもなかった。
たくさん友達が欲しいとか、先生や周りの大人に良く思われたいとか、なにより両親からの愛情を独り占めしたいとか、実の所は言い訳であると気づいてしまった。
ケセランパサランが欲しいのはもっとももっと単純な理由。
死なずに生まれてきた時、それだけで幸せだった。
だが生きているうちに、大人に近づくうちに、単に生きているだけで幸せとは思えなくなったのだ。
『私には私の人生があって、いつだって恋花と一緒は嫌だ!』
命の恩人である妹への本音。
命の恩人であるからこそ言い出せない本音でもある。
だからあれやこれやと理由を付けて、ケセランパサランを望んでいただけだったのだ。
・・・姫月さんはかつてお姉さんにこう説明した。
妹を死なせてしまったことを後悔している。
しかしそれ以上に後悔しているのは、憎んでいたはずの両親の愛情を独り占めしたいが為に、妹を見殺しにしたことだと。
だから自己嫌悪に陥っているのだと。
だがそれは嘘だった。
適当に取り繕った言い訳だった。
本音など語ってしまえば、お姉さんからも嫌われるかもしれない。
私という人間をワガママでカッコ悪いと思われたくなかった。
妹に生かしてもらったくせに、その妹を鬱陶しいと感じるなんて何様だと。
そう思われることは姫月さんのプライドが許さなかった。
だからもっともらしい嘘で誤魔化したのだった。
実際は両親を憎んでなどいないし、人並みに愛情ももらっていた。
たしかに妹はよく可愛がられたが、だからといって自分が可愛がられなかったわけではない。
もっと言うなら、そんなにたくさんの友達が欲しいとは思わないし、周りの大人から良く思われたところで嬉しくもなかった。
じゃあなぜ自分は自分だけの肉体が欲しいのか?
この世に生まれたなら、一人の人間として生きたかった。
それに気づいてしまった時、これ以上同じ肉体ではいられないと決心した。
『恋花、一生のお願い。山の祠に行こう。その日は私に身体を譲ってほしい。』
『でも先週の日曜も愛子だった。今週は・・・・、』
『分かってる!でも上手くいけば日曜ごとにどっちが身体を使うかなんて決める必要もなくなるよ。』
『・・・・さっきこう言ったね?私には私の人生があるから、恋花とずっと一緒はイヤだって。』
『ごめん・・・。でもそれは恋花が嫌いとかじゃないよ。そういう意味じゃないから。』
謝る姫月さんに、恋花さんは何の言葉も返さなかった。
しばらく黙っていて、やがて『わかった』と頷いた。
『そこまで言うなら行くよ。』
こうして二人は山の祠へ向かうことになった。
日曜、朝早くに家を出た。
親には高台に行くとウソをついた。
というのもあの祠へは行くなと強く言われていたからだ。
寂れた神社から一時間も獣道を進んだ先にあり、周りは鬱蒼としていつでも薄暗い。
近くには崖があり、水量の多い滝もある。
なによりほとんど人が来ない。
もし事故や怪我を負ったりしたら事である。
だから高台へ行くとウソをついた。
自転車を漕ぎ、神社を目指し、水とパンとタオルが詰まったリュックを背負い、険しい獣道を登っていった。
季節は夏だった。
なんども蜘蛛の巣が顔に引っかかった。
汗が目に入って染みたり、喉が乾いてすぐに水を飲み干してしまったりと、かなかな大変な道のりだった。
それでもどうにか頑張ってたどり着いた。
目的の祠を前に緊張する姫月さんだったが、ここで一つ問題が発生した。
祠の扉に鍵が掛かっていたのである。
以前に一度だけここへ来たことがある。
父が渓流釣りをするというので、一緒に連れてきてもらったのだ。
三年前の話である。その頃は鍵など無かった。
『なんで鍵なんかあるんだろう?』
呟く姫月さんに、『きっとケセランパサランのせいだよ』と恋花さんが言った。
『私たち以外にもここへ来た人がいるんだろうね。噂を信じてさ。でも祠の扉なんて勝手に開けたらダメだから、誰かが鍵を掛けたんだと思う。』
『だとしたらさ!やっぱりケセランパサランは本当にいるってことだよね?』
『どうして?』
『だって開けて確かめた人がいるから噂になったんだよ。きっといるよ!』
興奮気味に言ったものの、鍵を開ける術はない。
恋花さんは『諦めよう』と諭した。
『鍵がないなら無理だよ。勝手に開けたら誰かに怒られるかもしれないし。』
『平気だって。どうせ誰も見てないし、そんなに丈夫な鍵じゃなさそうだし。』
姫月さんは少し大きめの石を拾い、『これで壊せないかな』と鍵に叩きつけた。
ガツンガツンと硬い音が響く。
グラグラと祠が揺れる。
『ちょっと!やめなって。』
『待って。なんとか壊せるかも。』
古い祠である。
鍵は無理でも、鍵が付いている取っ手の部分が外れそうになっていた。
『あとちょっと。』
すでに外れかけている。
石を振り上げ、渾身の一撃を叩き込むと、鈍い音がして取っ手が地面に落ちていった。
『やった!これで開けられる!』
念願のケセランパサランが手に入る。
そうすれば自分だけの肉体も・・・・。
ドキドキとワクワクと、ほんの少しの不安に満たされていると、次なる問題に気づいてしまった。
『どうやって開けよう・・・・。』
取っ手を外したものだから、扉を引くことが出来なかった。
小さいとはいえ石造りである。
掴む場所がなければそう簡単には開けられない。
恋花さんは『だから言ったでしょ』と諌めた。
『もう諦めよ。どっか別の所に遊びに行こうよ。』
『ううん、まだなんとかなるよ。』
手で開けるのが無理なら、衝撃を与えれば開くかも。
そう思った姫月さんは思い切り祠を蹴り飛ばした。
『ちょ、ちょっと!なにしてんの!』
『倒せば勢いで開くかなって。』
『ほんとにもうやめなって!祠ごと壊れたらヤバイよ!誰かが通報とかしたらお父さんとお母さんにもここへ来たことがバレるよ。』
『その時はその時でしょ。』
もはや姫月さんは止まらない。
ガツガツと蹴りまくっていると、祠は根元から傾き始めた。
しかしなかなか倒れてくれない。
そこで助走をつけることにした。
距離と取り、走って蹴る。
直撃したキックは祠を大きく傾かせた。
『愛子!もうやめよ。こんな事したらバチ当たるって。』
『そういうの信じてないんじゃなかったっけ?』
『だってこんなのやり過ぎだよ!』
『心配しないで。あと一発でいけそうだから。』
今度はより強く蹴ってやろうと、さっきよりも距離を取る。
だがこれがいけなかった。
後ろを向いたまま距離を取ったものだから、崖に近づいていることに気づかなかったのだ。
『愛子!』
『平気だって。これで終わりだから。』
『そうじゃないって!後ろ危ない・・・・、』
警告した時には遅かった。
姫月さんの足は崖の向こう側を踏もうとしていた。
だが何もない場所を踏めるはずがなく、悲鳴を上げる間もなく崖下に落ちていく。
そう高い崖ではない。そして下は深い滝壺だ。
彼女は水に落ちていく。
おかげで衝撃は大したことはなかったが、この日一番の問題が起きてしまう。
姫月さん、カナヅチなのである。
足が届かない深さの水、そして落下のショックも相まってパニックになる。
手足をばたつかせ、必死に顔を浮かせようとするも、口の中には水が入ってくる。
『愛子!代わって!!』
恋花さんが強引に身体の支配を奪い取る。
姫月さんの意識はパニックを起こしながらブラックアウトした。
・・・・次に目を空けた時、祠のすぐ傍に倒れていた。
しかも身体の支配が自分に戻っている。
『・・・どういうこと?』
溺れていたはずなのにここにいる。それは嬉しいことだが状況が飲み込めない。
『恋花!あれからどうなったの?私の代わりにここまで登って来たの?』
尋ねるが返事がない。
『ねえ恋花!』
何度呼びかけても無駄だった。
そしてすぐに恐ろしいことに気づく。
なんと自分の中から妹の気配が消えていたのだ。
『・・・・・・・。』
呆然としながら立ち上がる。
崖に向かい、滝壺を覗き込むと、信じられないものが目に映った。
『恋花・・・・。』
自分とまったく同じ姿をした少女が滝壺に浮かんでいた。
『恋花!』
大声で呼ぶとうっすらと目を開けた。
そしてボソボソと何かを呟いてから、ゆっくりと水に沈み始めた。
『・・・・・・・。』
とにかく妹を助けなければいけない。だがどうして自分の目に彼女が映っているのか分からない。
いや、今はそんなことはどうでもいい。早く助けないとと思うが、カナヅチの自分がいったところで二人して溺れるだけである。
助けを呼ぼうにもあいにく深い山の中。この時代はケータイもない。
『恋花がいなくなる・・・・死んじゃう・・・・。』
怖かった。吐きそうなほどに。
と同時に、ほんの少しでもこんな事を考えてしまった。
この身体はもう私だけのもの・・・・。
ふとそう思ってから、凄まじい自己嫌悪に囚われた。
『違う!こんなの私は望んでいない!!』
だんだんと滝壺に沈んでいく妹。
姫月さんは目の前の光景を直視できず、後ろへ視線を逃がす。
すると奇妙な物が目に飛び込んできた。
『なんで・・・・?』
祠が倒れていたのだ。
扉は開き、中には何もない。
さっきまでは傾きながらもまだ立っていた。もちろん扉も閉まったままだ。
『恋花がやったの・・・・?』
恐怖を堪え、もう一度滝壺を覗き込む。
そこにはもう妹の姿はなかった。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第八話 憂鬱な依頼

  • 2020.07.30 Thursday
  • 12:32

JUGEMテーマ:自作小説

「高木様ならもうチェックアウトされましたが。」
お姉さんが泊まっている旅館、訪ねてみるとフロントでそう言われた。
「いつですか!」
由香里君が身を乗り出す。
女将さんは「ええっと・・・」と上目遣いに記憶を探った。
「たしか昨日の夜だったと思います。」
「何時頃ですか?」
「かなり遅い時間でしたねえ。たしか12時を回ったくらいに。」
「そんな夜中に・・・。」
「本当は明日の朝までのご予約だったんですけど、お連れの方が迎えに来られたようで。」
「連れ?」
由香里君が俺を振り返る。
俺は姫月さんを振り返る。
三人で目を合わせ、しばらく沈黙がおりた。
「どんな人でした?」
姫月さんが尋ねる。
女将さんは「あなたによく似た方でしたよ」と答えた。
「ていうかあなた、高木様とご一緒に泊まられていた方ですよね?」
「そうです。」
「でもって一昨日に先にチェックアウトなされた。」
「ちょっと急用が出来たもので。」
「ということは、高木様を迎えに来られたのはあなたじゃないんですか?」
「・・・どういうことですか?」
「だって本当にそっくりだから。先に帰られたお連れ様が迎えに来られたのかなって思ってたんですけど・・・・違うんですか?」
「もしそうならここへ来ていませんよ。」
「ですよねえ・・・・。でも本当にそっくりだったんですよ。あれがあなたじゃないって言うなら、まるで双子みたいに。」
「・・・・・。」
「でも雰囲気はかなり違ってたかも。男物のスーツを着ていたし、髪もオールバックだったし。だけど顔はほんとにそっくりでした。」
一人で頷きながら「もしかして一卵性双生児?」と興味津々に目を輝かせた。
姫月さんは口を開きかけたが、すぐに目を逸らして返事を放棄した。
代わりに俺が答える。
「まあ世の中にはそっくりさんが三人はいるって言いますから。そのうちの一人だったんでしょう。」
「それにしたってあまりにそっくりというか・・・・、」
「偶然でしょう。それより女将さん、高木さんはどこへ行くとか言ってませんでしたか?」
「さあ?チェックアウトされたお客様の行き先はちょっと。」
困ったように首を傾げる。
そもそもチェックアウトした時点で客ではなくなるから、行き先を知らなくても当然である。
しかし俺は探偵である。
些細な情報を収集してなんぼの商売だ。
何か得られる可能性があるなら尋ねるのが筋というもの。
「なんでもいいんです。思い当たるようなことは?」
「そう言われましても・・・・。」
「ほんの些細なことでもいいんです。」
「些細な事と言っても・・・・というより、お客様の情報を安易に漏らすわけはいきませんから。最近はプライバシーの問題もありますし。」
「ごもっともで。」
「だいたいそちらのお連れの方・・・ええっと姫月様がいらっしゃるからこそ、ここまでお話したわけで。
もしお連れの方がいらっしゃらなかったら、いくら探偵さんでもお客様の個人的なことはお話しませんよ。」
「それもごもっとも。ごもっともなんですが、もう少し融通を利かせて頂けるとありがたい。何か細かいことでもいいので教えてもらえませんか?」
女将さんは口を結んで困っている。
俺は「どうかこの通り」と手を合わせた。
すると眉間に皺を寄せながらも、「少々お待ちを」と内線の受話器を取った。
「ああ、もしもし私だけど。釘田さんって高木様のお部屋を担当してたわよね?チャックアウトされた後にどこへ行くか仰ってなかった?
・・・・はいはい、あらそうなの?へえ、うん。あらそう。まあ!・・・・ほう〜!」
コクコクと相槌を打ち、「うんうん、ありがとう」と受話器を置く。
「どうでした?何か分かりましたか?」
「いえなにも。」
「は?」
「なにも知らないって。」
「いやでもめちゃくちゃ相槌打ってたじゃありませんか。」
「ああ、あれ?ごめんなさい。途中から世間話に変わっちゃって。」
《紛らわしいぞ!》
イラっとするのを堪え、「女将さん自身は何かご存じありませんか?」と営業スマイルを保つ。
「そうですねえ・・・・。」
頬に手を当て、やや演技臭い表情で思い出そうとしている。
待つこと10秒ほど、「そういえば」と手を打った。
「懐かしい場所へ行くとかなんとか。」
「懐かしい場所?」
「お連れの方がそう呟いていたんです。宿から出て行かれる時に。」
「連れの人がそう言っていたんですね?」
「ええ。ほんの小さな声だったから、もしかしたら聞き間違えかもしれませんけど・・・・たしかにそう聞こえました。」
「ありがとうございます。」
これ以上ここで聞けることはないだろう。
俺たちは宿を後にし、自分たちが泊まっている旅館へと戻った。
三人でテーブルを囲み、茶柱の立ったお茶をすする。
「まさかチェックアウトしていたとはな。」
「しかも連れが迎えに来たって言ってましたよね。」
「ああ。それも姫月さんにそっくりな人が。」
「お母さん、大丈夫かな・・・・。」
心配そうな顔で呟く。
「ねえ久能さん。これってもしかして・・・・、」
「妹よ。」
姫月さんが言う。
「あの子やっぱり成仏なんかしてないんだわ。」
「ただのそっくりさん・・・・とは考えられないですかね?」
由香里君が尋ねると、「あの女将さんの話を聞いたでしょ」と首を振った。
「男物のスーツにオールバック。そして私とそっくり。妹しかいないわ。」
「ということは・・・、」
由香里君は窓を振り返り、「久能さんが見たっていう、窓の外に立ってた男の人って・・・・、」
「かもしれない。」
「だとしたら、どうしてここへ来たんですかね?まさか姫月さんに会いに?」
そう言って彼女に視線をやると、「違うわ」と言った。
「あの子が会いに来るはずがない。私を憎んでるはずだから。」
「そうとは限らないじゃないですか。昔は仲良しだったんでしょ。だったら・・・・、」
「いくら仲良しだからって、私だけが生き残ったのよ。あの子はきっと恨んでる。」
呟く姫月さんの表情は頑なで、「私が・・・・」と声を絞り出す。
「私が殺したも同然だから。」
「そんなこと・・・・、」
「いいのよ慰めは。」
どんな言葉も受け付けない。
俯いたまま湯呑に目を落とすだけで、顔さえ見ようとしなかった。
由香里君は俺に目配せをする。
俺は頷きを返した。
「姫月さん。さっきの女将さんが言っていた、連れの人が呟いたという『懐かしい場所』というのは、例の『祠』のことなんじゃありませんか?」
「かもね。」
「あなたが由佳子お姉さんの前から姿を消したのは、その祠に行く為だったと言いましたね?」
「そうよ。あそこに行けば会えるかもと思ったから。」
「しかし妹さんは現れなかった。かといってお姉さんのいる宿へ戻るわけにもいかない。黙って姿を消した手前、合わせる顔がなかったから。」
「この島に誘ったのは私なのよ。妹を見つけるのに手を貸してくれって。由佳子は家出までして協力してくれた。
なのにあの子に黙ったまま宿を出て行ったんだから、戻れるはずないじゃない。」
そう言って顔を上げ、「ごめんなさい」と由香里君に謝った。
「お母さんをこんな事に付き合わせてしまって。あなたにまで迷惑を掛けたわね。」
「いいんです、事情さえ分かれば。」
ニコリと笑みを返す。
そして「ちょっと整理しましょうか」とメモ帳とペンを取り出した。
「一連の経緯を簡単にまとめてみます。その方が話もしやすいだろうし。」
「うむ、さすがは由香里君。こりゃ本当に将来は所長になるかもしれないな。」
「その時は久能さんが助手をやってくれるんですか?」
「雇ってくれるなら。」
「仕事中にエッチな本を読まないなら。」
「再就職先を探す必要があるな。」
「私も助手を探す必要があります。」
「ふふ、冗談さ。」
「私は本気です。」
「へ?」
「冗談です。」
「どっちさ?」
「さあ。」
意地悪に微笑む。
由香里君が楽しいならずっと続けたって構わないのだが、今は仕事中だ。
「先に進めよう」と言ったら、「腰を折ったのは久能さんですよ?」と、なんとも言えない冷たい目を向けられた。
これはこれで快感なのだが、「そりゃ失敬」と肩を竦めて返した。
「ええっと、話を整理しますね。まずはお母さんが家を出てからのことを・・・・、」
由香里君はペンを走らせる。
俺も今までの流れを頭の中で思い描いた。


     *****


由佳子お姉さんが家を出たのが一ヶ月前。
そしてその原因はさらに一週間前に遡る。
朝、いつものようにポストを確認すると、懐かしい友人から手紙が届いていた。
『姫月愛子』
名前を見ただけで鼓動が早くなった。
30年も前に音信が途絶えた大親友からの知らせである。
手が震えたとお姉さんは語っていた。
いったいどんな内容なのか?
単なる世間話でもあるまいし、封を切るには勇気が必要だった。
そしてじっくりと手紙を読み終えた後、勇気をもって臨んで正解だったと頷いた。
完結にまとめると内容はこうだ。
『もしまだ私に友情を感じるなら助けてほしい。私一人じゃ妹を成仏させてあげられない。』
30年ぶりの友の声は、お姉さんの気持ちを強く叩いた。
一週間悩み続け、出した結論は友を助けにいくことだった。
しかし詳しい内容は言えないので、あんな意味深な書置きを残して出て行ったのだ。
お姉さんは最初、大阪へ飛んだ。
姫月さんは会社を経営していて、そこそこ儲かっているらしく、なかなか立派なビルを建てていた。
ロビーで待つ間、30年ぶりの再会を前に緊張した。
いつもより唾を飲み込む回数が増えたと語っていた。
膝の上で手を組み、俯き加減に目を落としていると、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
『久しぶり。変わってないからすぐ分かったよ。』
『・・・・そっちこそ。』
懐かしいような怖いような、嬉しいような不安なような、初めて会った時のような複雑な感情に包まれたという。
『ちょっと外で話そうか。』
昔とほとんど変わらないほどのスタイルの良さ、美しい顔、モデルのように颯爽と歩く姿。
派手な柄のスーツを自然に着こなすセンスの良さ。
お姉さんは高校時代にタイムスリップした気分になりながら、近くのカフェで話をした。
それぞれの目の前にはアイスが置かれていて、『懐かしいね』と微笑んだ。
『昔さ、アタリが出て次の日に二人で新しいのを貰いに行ったよね。』
『そうそう。また出るかなって思ってたけど、そう甘くはなかったね。』
『姫月さん、意地張って何本も買ってさ。でも当たらずじまいだった。』
『二人じゃ食べきれないから、高台で遊んでた子供たちにあげたんだよね。』
しばらく思い出話に花が咲く。
楽しい時間だった。
と同時に不安な時間でもあった。
たしかに思い出話は楽しいが、その為に大阪に呼ばれたわけではない。
いつ本題を切り出してくるのか?
笑顔の奥で身構えていた。
やがてアイスが無くなる頃、姫月さんは『あのさ・・・・』と急に声のトーンを変えた。
お姉さんはまだ少し残っていたアイスをスプーンで掬っていたのだが、器に戻しながら背筋を伸ばした。
『手紙・・・読んだよね?』
『うん。』
『だよね。だからこうして会いに来てくれたわけだし。』
姫月さんは何かを言いたそうにしながら、遠慮がちに目を伏せた。
空になった器をスプーンでつつきながら。コンコンと音が鳴る。
それは緊張と不安のリズムだった。
お姉さんは『なんでも言ってよ』とそのリズムを遮った。
『30年ぶりだけどさ、私たち大親友じゃない。遠慮する仲じゃないでしょ?』
『・・・あの子は・・・・、』
『うん。』
『まだ成仏してない。させてあげられてない。』
『辛いね。』
『そうだよ、きっと苦しんでる。』
『違うよ。姫月さんが。』
『私が?』
『だって何十年も悩んだままだから。』
『自業自得だから仕方ないよ。』
『昔もそう言ってたよね。私が何度もそれは違うって言ったって、頑なに自分のせいだって聞かずに。』
『じゃあ私以外に誰がいる?あの日、『祠』にあの子を誘ったのは私なのよ。しかも・・・・、』
喉元で言葉がつかえ、それでも力を入れて絞り出した。
『助けなかった。』
『・・・・・・。』
『怖かったからだけじゃない。・・・・ふと思っちゃったんだよ。この子がこのままいなくなればって・・・・、』
両手で頭を抱え、『あんなに仲が良かったのに!』と声を荒げる。
『ああいう状況になって頭に過ぎったのは、あの子を助けることじゃなかった。両親のことだった。
このまま妹が・・・・恋花がいなくなれば・・・・親は私だけを見てくれるんじゃないかって・・・・。
一番嫌ってたはずなのに・・・・親なんてこの世で一番嫌いだったのに・・・・。
私は恋花より・・・・憎んでる親に好かれることを望んだ・・・・。こんなに悔しいことない!』
あまりに大声で叫んだので、周りの客が何事かと好奇の目を向けた。
しかしお姉さんは表情を変えずに『辛かったね』と慰めた。
『姫月さんはもう充分苦しんだ。』
『・・・・・・。』
『だったらこれ以上苦しむ必要はない。と言っても聞き入れないんだろうけど。』
『自分が許せない・・・・。これはあの子の為じゃない。妹を成仏させてあげたいなんて言い訳で、私が私を許せないだけなのよ。
あの時、恋花より親に愛されることを選んだのは・・・・人生の一番の屈辱よ・・・・。だから・・・夢を叶えたって心の靄は晴れなかった。
華やかな世界でスポットライトを浴びたって、憧れてた海外へ出たって、いつだって晴れやかな気分にはなれなかった・・・・。』
姫月さんはずっと自分を責めていた。
妹さんを亡くしてから40年、一日たりとも自分への後悔と叱責は忘れたことがない。
しかしそんな辛い時間を少しだけ忘れられる時間があった。
お姉さんと一緒に過ごした時間だ。
『私さ、人と接するのが苦手なんだよね。ほんとは仲良くしたいと思っても、なんか怖がられたり取っ付きづらいと思われたり。
そうやって他人と溝が出来ちゃうと、こっちまで人を敬遠するっていうか、寄せ付けないオーラを出すようになっちゃってさ。』
『前にもそう言ってたね。これも悩みの一つだって。』
『まあ仕方ないかなって。性格が不器用だからさ。でも由佳子の前だと苦手意識も感じなかった。』
姫月さんがお姉さんに声を掛けたのは偶然だった。
海の見える高台には姫月さんもよく行っており、最近ちょくちょく見慣れない子がいるので少し気になる程度だったそうだ。
しかし高台へ来ては何かを悩むようにボーっと海を眺めているので、自分と重ねてしまった。
胸につっかえた大きな悩み。
もしかしたらこの子も私と同じような傷が・・・・。
いったん気になり始めたら、どんどん話しかけたい衝動に駆られていった。
しばらく離れた場所でウロウロしつつ、どう声を掛けようか考えていた。
だが上手い言葉が思い浮かばず、こうなったら突撃しかないと迫っていったのだ。
最初に出会った時、姫月さんがハンターのように怖い目をしていたのは緊張していたからなのだ。
お姉さんはその視線に怯え、慌てて立ち去ろうとしたせいでカバンを忘れてしまった。
それは姫月さんにとっては声を掛ける最高の出来事だった。
以来、二人は親友としてなんでも話し合える仲になり、姫月さんにとっては唯一の幸せな時間であった。
しかしだからといって妹さんのことが胸から消えるわけではなかった。
日に日に気分は重くなり、島から離れる事を決意した。
・・・・それから数年後、ひょんな場所で再会を果たした。
しばらく海外で暮らしていた姫月さんだったが、やはり妹さんの事が胸に残ったままだった。
だから日本へ帰ってきた。
桜が満開の季節だった。
本当はすぐに島へ戻るはずだったが、なかなか向き合う勇気が出なかった。
まったく違う街にアパートを借りて、向き合う勇気が出るまで待とうと思った。
日本へ戻ってきて半年が経つ頃、隣に誰かが引っ越してきた。
最初は特に気にしなかったのだが、隣人さんは律儀に挨拶に訪れた。
これがお姉さんとの再会だった。
二人は驚くと同時に、懐かしさと嬉しさがこみ上げ、また高校時代のような大親友に戻った。
お互いの部屋へよく行き来したし、旅行にも行った。
お姉さんは初めての一人暮らしで不安だったし、姫月さんもまた悩みを抱えたまま一人で苦しんでいた。
そんな時に再会したのは運命のようだったと、お姉さんは語っていた。
だがずっと青春時代を謳歌できるわけではなかった。
どんなに楽しい時間を共有しようとも、子供の頃から続く大きな悩みが消えるわけではない。
二人が再会して翌年の夏、姫月さんはまた日本を離れていった。
『今はまだ向き合う勇気が出てこない。あの島へ戻るには時間が必要なんだと思う。』
お姉さんとしてはもっと一緒にいたかったが、引き止めることは出来なかった。
寂しい気持ちを隠し、『またいつか』と笑顔で見送るのが精一杯だった。
まだケータイも無い、ネットも普及していない時代、一度離れた友人と連絡を取る手段はない。
お姉さんは友を心配する気持ちを抱えたまま、一人になった寂しさを募らせていた。
そんな中で俺と出会い、多少は気が紛れていった。
また社会人としの生活も板に付いてきたおかげか、若くして仕事ぶりが評価され、遠い街への栄転が決まった。
新しい街での新しい生活。
お姉さんは気持ちを切り替えることにした。
たしかに親友は大事だ。心配だし会いたい気持ちもある。
だがそれにだけ囚われているわけにはいかなかった。
自分には自分の人生がある。
お姉さんは新しい人生をスタートさせる為、仕事だけでなくプライベートも充実させたいと思うようになっていた。
友人を作り、恋愛にも積極的になった。
充実した生活の中、良い人に出会い、子供を授かった。
それから30年、お姉さんはちゃんと自分の人生を生きてきた。
たまに姫月さんのことを思い出す瞬間はあっても、居場所を捜して会いに行こうとまでは思わない。
今手にしているモノの方が大事だったからだ。
だからこそ突然の手紙に驚いたのだった。
30年ぶりに顔を合わせると、なんだか申し訳ない気持ちなったと語っていた。
自分は幸せな人生を送ってきた。だが友はそうではなかった。
正直なところ、こうして会いには来たものの、お姉さんの胸にはまだ迷いがあった。
はたして自分が力になれるのだろうか?
下手に協力したら足を引っ張るだけじゃないのか?
だがこうして顔を合わせることで、そんな迷いは消え去った。
力になれるかなれないかではなく、姫月さんは私を頼っているのだと。
きっとこんな相談は私にしか出来ない。それも散々迷った挙句に手紙を送ったのだ。
最後の別れから30年も辛さを我慢してきて、とうとう一人では限界を迎えたのだ。
ならば行くしかない。
ここまで来て迷うくらいなら、最初から来なければよかったのだと腹を括った。
そして翌日、二人はこの島へやって来た。
まずは姫月さんの実家があった場所へ行った。
とても大きな家だったが、今は取り壊され、敷地の半分は駐車場に、半分は介護施設になっている。
次に向かったのは山の麓にある神社だった。
大きな山のせいで常に日陰になっていて、しかも鬱蒼とした木立に囲まれているから昼間でも薄暗い。
ほとんど人が来ない場所で、鳥居は所々が欠け、境内は落ち葉と枯れ枝にまみれ、社殿もかなり朽ちている。
妹とよく遊んだ場所だった。
その次には海岸の端っこにある磯へ向かった。
波が荒く、岩がゴツゴツしているので、ここもあまり人が来ない。
よく妹と一緒にヤドカリや貝を採って遊んだ場所だ。
その次に向かったのは海の見える高台だった。
ここにもしょっちゅう遊びに来たという。
それも夜か明け方に。人のいない時間だ。
他にも幾つか思い出の場所をまわった。
途中、せっかくだからとお姉さんの両親の墓参りにも行った。
二日かけて島を巡ったが、妹に会うことは出来なかった。
当然だ。もう亡くなっているのだから。
しかし姫月さんは信じている。
この島のどこかに妹さんの遺体が眠っていると。
そして未練を残したまま漂っているはずだと。
幽霊だろうが霊魂だろうが構わない。
もし会うことが出来れば・・・・もし遺骨を弔うことが出来れば・・・・。
と同時に、妹と対面するのは怖かった。
お前が私を殺したんだと、指をさされるのが何よりの恐怖なのだ。
会いたい気持ちと会いたくない気持ち。
相反する複雑な感情は、最も妹さんに会える確率が高い場所へ行くことを躊躇わせていた。
それが『祠』である。
妹さんが亡くなった場所。
そして姫月さんがその後数十年も後悔に悩まされる感情を抱いた場所。
トラウマである。
しかし行かなわいわけにはいかない。
お姉さんの墓参りの後、二人は宿に戻った。
そしてお姉さんは風呂へいった。誘われたが断った。
一人になる瞬間が欲しかったのだ。
こっそりと出ていく為に・・・・・。
向かったのは『祠』だった。
それは山奥にあった。
よく妹と遊んだ麓の寂れた神社の奥、社殿の隣には山へ続く道が伸びていて、険しい獣道を一時間ほど我慢して登ると小さな『祠』が現れる。
その奥は滝になっていて、そう高さはないものの、水量が多いせいで滝壺は深い緑に染まるほどだ。
水はいつでも冷たく、底が見えない。
妹さんが亡くなった場所である。
もし出会えるとしたらここが一番可能性が高かった。
だが姫月さんは何事もなく山を下りることになった。
妹さんは会いに来てはくれなかった。
そして黙って出て行った手前、お姉さんのいる宿へ戻ることも出来なかった。
仕方なしに別の宿を借り、暖簾のかけ違えのせいで女湯が男湯になり、奇妙な探偵と出会った。
これがお姉さんと姫月さんの今に至る流れだった。


     *****


由香里君はメモ帳に目を落とす。
ペンを置き、難しい顔で自分で書き込んだ文字を睨んでいた。
姫月さんは黙ったまま湯呑を握り締めている。
誰も喋らない。
セミの声がうるさいほど響く。
俺は頬杖をつきながら窓の外に目やる。
そしてふと思った。
夏ってのは楽しい空気が溢れる反面、どこか寂しくて怖い雰囲気もある。
どうして夏にお盆があり、死者がこの世に帰ってくるのか?
もし世界がこの世とあの世に分かれているのだとしたら、この季節だけはどこかで扉が繋がっているのかもしれない。
こっちから向こうへ旅立つ者もいれば、向こうからこっちへ帰って来る者もいる。
俺は姫月さんを見つめ、どこか浮世離れしたその眼差しに少しばかり恐怖を覚えた。
《死人の捜索は難しい。だがそれ以上に難しいのは幻影を見つけ出すことだ。》
いくら俺が腕の悪い探偵だろうと、実在している人間なら見つけ出せる可能性はゼロではない。
実在していた人物の亡骸も同様だ。
まだこの島のどこかに眠っているのなら、宝くじのような確率ではあるが、やはり可能性はゼロではないのだ。
しかし相手が幻影となると・・・・。
《気分が重いさ、まったく。》
揺れる茶柱を指で弾く。
立つどころか沈んでいくだけだった。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第七話 疑う助手

  • 2020.07.26 Sunday
  • 11:36

JUGEMテーマ:自作小説

物事を隠し通すのは難しい。
「浮気したでしょ?」と問い詰められ、最後までシラを切り通せる男がどれだけいるだろう。
理屈を並べるだけならどうにかなるかもしれないが、吹き出す冷や汗と泳ぐ視線だけはどうしようもない。
今、俺は取り調べを受けている。
旅館の部屋、向かいに座る女から尋問をされている。
ただし浮気の尋問ではない。
ないのだが、もしこれが浮気だったとしても、やはり俺はシラを通しきる事は出来ないだろう。
「久能さん。」
由香里君が静かな声で呼ぶ。
「答えるまで何度でも尋ねます。いったい何を隠してるんですか?」
「何も。」
「冷や汗拭いた方がいいですよ。」
「今日は特別に暑いな。年々猛暑で嫌になる。」
「エアコンはばっちり効いてます。」
「年取って暑がりになってしまったらしい。もうひとっ風呂浴びて来るかな。」
「また女湯に行くんですか?」
「まさか。」
「さっきの女の人は誰ですか?」
「だから赤の他人だよ。」
「赤の他人と抱き合うんですか。ずいぶんモテるようになったんですね。」
「抱き合ってたわけじゃないさ。君とあの人がぶつかる未来が見えたから手を引いただけだ。その勢いでああいう形になってしまっただけで。」
「その割にはしばらく抱き合ってたじゃないですか。」
「ほんの少しの間さ。」
「ずっと目が泳いでますよ?」
「最近目が乾きやすくなってね。ドライアイかな?」
「ドライアイで目は泳ぎません。」
「眼球を動かして鍛えることによって涙を分泌させる訓練なんだ。」
「冷や汗もひどくなってますよ。」
「風呂から上がったばかりだからね。まだ身体が火照ってるみたいだ。」
「・・・・質問を変えます。昨日はどこ行ってたんですか?」
「飲みに行ってたのさ。」
「ウソですね。」
「ほんとさ。」
「全然お酒臭くなかったじゃないですか。」
「俺が帰って来た時、君は寝てたじゃないか。酒臭いかどうかなんて・・・・、」
「起きてましたよ。」
「え?」
「だってまた同じ部屋ですから。こっちの布団に入って来ないように警戒してたんです。」
「俺にはそんなに信用が無いのかい?」
「まったく。」
「笑顔で言わないでくれ。地味に傷つく。」
「で、昨日の夜はどこで何をしてたんですか?」
「だから酒を飲んで・・・・、」
「久能さん。」
スっと真顔になる。
心が読み取れない表情というのは恐ろしい。
「何か手がかりを掴んだんじゃないですか?」
「手がかり?」
「私のお母さんのこと。」
「もしそうなら君にも話してるさ。」
「私だから話せないんじゃないですか?」
「え?」
ドキっとする。冷や汗と目の泳ぎが倍増したのが自分でも分かる。
「お母さんは意味深な書置きだけ残して出ていきました。ということは、家出した事情を家族に知られたくないってことです。」
「ま、まあ・・・助手にしてはなかなかの推理かな。」
「誰でも分かることです。そもそも家族に知られたくない事があるから黙って出ていったんですよ。
そして久能さんはお母さんの居場所について何らかの手がかりを掴んだ。・・・・・いえ、もしかしたらもう見つけてるのかも。」
「そ、そんなわけないさ!俺はそこまで優秀な探偵じゃないぞ。君が一番よく知ってるはずだろう。」
「もちろん知ってますよ。だからきっと偶然なんだと思います。ひょんな事から手がかりを掴んだんです。」
「あ、あのね由香里君。君も探偵の助手なら分かると思うけど、手がかりなんて偶然で掴めるほど簡単なものじゃないさ。
苦労して苦労して散々苦労しまくって、それでも尻尾の先っちょすら掴めないことだってあるのに。」
「そうですよ。だからこそ偶然って言ったんです。」
「う、うむ・・・・。」
「きっと久能さんはお母さんの居場所を知ってるはず。昨日の夜はしばらく帰って来なかったけど、あれはお母さんに会ってたんでしょう?」
「だ、だから違うと言って・・・・、」
「また汗が吹き出してますよ。」
そう言って俺の湯呑にお茶を注いでくれる。
「これでも飲んで落ち着いて下さい。」
「あ、ああ・・・・。」
湯呑を握り、口元へ運ぼうとした時だった。
「お!もうちょっとで茶柱が立ちそうだ。」
立つか立たないか、微妙なところでグラグラと傾いている。
すると由香里君が「私はいいことありそう」と湯呑を覗き込んでいた。
「見て下さい。」
「ほう、しっかり立ってるじゃないか。」
「ねえ。滅多にないことですよ。久能さん見たことあります?」
「あるよ。実は昨日も茶柱が立ってるところを見たんだ。」
「へえ、それはすごいですね。きっといい事ありますよ久能さん。」
「いやいや、俺じゃないんだよ。俺のはこんな風に立つか立たないか微妙な感じだったんだ。でもお姉さんの茶柱はしっかり立って・・・・、」
言いかけて固まる。
《しまった・・・・。》
恐る恐る顔を上げると、由香里君は満面の笑みを浮かべていた。
「今なんて言いました?」
「え、あ・・・なんと言ったかな?」
「お姉さんの茶柱が立ってた。そう言いましたよね?」
「・・・・・言ってない。」
「いいえ、はっきりそう言いました。ちなみに久能さんって一人っ子ですよね?それともまさかお姉さんがいるんですか?」
「いや・・・・。」
「じゃあお姉さんって誰のことですか?」
「ああ、ええっと・・・・実はだね・・・・、」
もはや冷や汗が吹き出すどころではない。
汗は引っ込み、眼球さえまともに動かすことが出来ない。
しかし負けてはいけない!
ここは開き直ってはいけない場面だ。
「分かった、正直に白状しよう。」
ビシっと背筋を伸ばし、「実はキャバクラに行ってたんだ」と答えた。
「昨日は夜のお店で女の子たちと酒を飲んでた。」
「へえ。」
「けどこんな事がバレたら怒られると思ってね。仕事で来てるのに何してるんですか!って。」
「ふうん。」
「黙っててすまなかった。」
膝に手を付き、頭を下げる。
すると由香里君、「ないですよ」と言った。
「へ?」
「この島にキャバクラはないです。」
「・・・・・あるよ。」
「ないです。」
笑顔が増していく。比例して圧力も増していく。
もはや顔を見ることさえ出来ない。
「ねえ久能さん。」
「な、なんだい・・・・。」
「私ね、一人だけ知ってるんです。久能さんがお姉さんって呼ぶ人。」
「ほう・・・・。」
「つい最近久能さんが教えてくれたじゃないですか。子供の頃、近所に住んでたお姉さんによく遊んでもらったって。膝枕が大好きだったって。」
「そ、そうだったかな・・・・。」
「でもってこんな事も言ってました。そのお姉さんは私のお母さんだって。」
「ああ、あれね!あの時はそう言ったけど、よく考えたら勘違いだった。君のお母さんなわけがない。」
「でも名前が同じだとか、私とそっくりだとか言ってたじゃないですか。」
「幼い頃の記憶なんて曖昧なものさ。ちゃんと思い出したら別の名前だった。顔もぜんぜん違う。」
「ふうん。」
由香里君は新しい湯呑を掴み、お茶を注ぐ。
そいつを俺に差し出すと、また立つか立たないか微妙なところで茶柱が揺れていた。
そしてもう一つ湯呑を取り出し、自分の分を注ぐ。
そっちは綺麗に茶柱が立っていた。
「こりゃすごい。二度も立つなんて。君こそ本当に良い事があるんじゃないか。」
感心しながら覗き込んでいると、「コツがあるんです」と言った。
「母から教わったんですよ。」
「そ、そうか・・・・。」
「さっき昨日も茶柱が立ってるのを見たって言いましたよね?」
「覚えてないな・・・・。」
「私は覚えてます。」
「まあ偶然っていうのはあるものだから。」
「でも偶然を否定したのは久能さんじゃないですか。」
「仰る通りで・・・・。」
「もしやと思ってお茶を淹れてみたんだけど、上手く引っかかってくれましたね。」
そう言ってニヤリと微笑む。
ああ・・・由香里君・・・・君はいつからこんなに尋問が得意になったんだい?
昔はもっと素直で良い子だったじゃないか・・・・。
というより、そもそもどうしてお姉さんと会ってたんじゃないかと疑ったんだろう?
これが女の勘ってやつか?
「久能さんて・・・・、」
ふと真面目な顔をするので、「なんだい・・・・」とたじろいでしまった。
「けっこう寝言を言うんですね。」
「寝言?」
「同じ部屋に泊まって初めて知りました。ほら、一昨日に私の布団に潜り込んできた時も膝枕がどうとかムニャムニャ言ってたし。」
「残念ながら自覚症状がないな。」
「本人は寝てますもんね。でも私はハッキリ聞こえましたよ。『お姉さんは相変わらず綺麗だ』とか『あの頃と変わってない』とか。」
「いや、それはだな・・・・・、」
「たしかにお母さんは今もすごく綺麗です。昔の知り合いからもほとんど変わってないねって羨ましがられるくらいですから。
でもどうして久能さんがその事を知ってるんですか?子供の頃から会ってないはずなのに。」
「そ、それはだね・・・・君のお母さんならきっと今でも美人のままだろうと思ってだね・・・・、」
「でも相変わらず綺麗だとか、あの頃と変わってないだとか、実際に会わないと出てこないセリフですよね?」
「そ、そうだね・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
由香里君はまた新しい湯呑にお茶を淹れ、綺麗な茶柱を立たせる。
そいつを俺の前に置きながらこう尋ねた。
「まだ続けますか?」
「・・・・・・・。」
「ちなみにですけど、久能さんが昨日飲んだお茶、今みたいに茶柱が立つか立たないか微妙な感じだったんじゃないですか?」
「そ、そうかもね・・・ああいや!どうだろう?なんというか・・・うん、よく覚えてないな。」
「それね、お母さんがたまにやるイタズラなんです。」
「イタズラ?」
「あれすごくモヤモヤするでしょ。立ちそうなのに立たないって。」
「まあな。だがどうしてそんなイタズラを?」
「お母さんは基本的にすごく真面目な人です。でもたまにはふざけたい時もあるみたいで。
だけどやっぱり真面目な人だからあんまり冗談とかは言わないんですよ。なんか昔にトラウマがあるみたいなことを言ってましたけど。」
おそらくそのトラウマというのはイジメのことだろう。
子供の頃に受けた痛みというのは後を引くものだ。
だが由香里君には黙っておこう。
「人への振る舞いにすごく気をつけるんです。私も子供の頃は口をすっぱくして注意されました。」
「君の誰に対しても礼儀を忘れない振る舞いはお母さんのおかげなんだな。」
「はい。子供の頃は嫌だったり反抗したりもあったけど、今はすごく感謝してます。」
誇らしそうに言って「でもお母さん、やっぱりちょっとふざけたい時だってあるんですよ」と、揺れる茶柱に目を落とす。
「そういう時は心を許してる人にだけこういうイタズラをするんです。」
「なるほど。だったら立つか立たないかの茶柱を出されるということは、お母さんから信頼されているというわけだな。」
「そうです。私かお父さんか、ほんとに仲の良い友達か。あとは・・・・、」
言葉を溜め、じっと俺を見る。
「久能さんか。」
俺の湯呑を引き寄せ、「これを淹れるってことはそういう事なんです」と呟く。
「心を許してるんです。だからこそ頼ろうとしたんだと思います。」
「頼る?」
由香里君は背筋を伸ばし、「もう一度聞きます」と言った。
「昨日の夜、お母さんに会ってたんでしょう?」
「・・・・・・・。」
「そして久能さんに何かを依頼した。」
「・・・・・・・。」
「助手の私が言うのもアレですけど、正直なところ久能さんはそう簡単にいなくなった人を見つけられるほどの腕前は・・・・、」
「ああ、無い。」
「だったらその・・・お母さんの方から会いに来たんじゃないかって。」
「・・・・・・・。」
「お母さんは私がこの島にいることを知ってるんだと思います。
だから下手に久能さんに会いに来たら、私に見つかる危険がある。
それでもやって来たってことは、何か依頼したかったんじゃないかって思うんです。」
俺は驚いていた。
由香里君はとても賢い子だけど、ここまで鋭いとは思わなかった。
いや、以前はどちらかというと鈍いところがあった。
けっこうトンチンカンなことだって。
だが今はどうだ?
俺よりもずっと探偵らしいじゃないか。
《来年には所長が交代してたりしてなあ。》
冗談で考え、冗談ではすまないかもしれないことに、焦りと不安を感じてしまった。
《お姉さん・・・・申し訳ない。ここまで来たらもう隠し通すのは難しい。》
ウソをつくのは簡単だ。
しかし行動までウソはつけない。
俺が旅館を抜ける度、由香里君は一緒について来るだろう。
ならばもう話すしかあるまい。
「由香里君、君の言う通りさ。」
「じゃあやっぱり・・・、」
「昨日だ。君のお母さんから会いに来た。君がいない瞬間を見計らってね。」
「それで・・・何を依頼していったんですか?」
「さすがにそれは言えない。」
「私だって探偵の助手だから守秘義務くらい承知してます。でも依頼人はお母さんだけじゃない。私だって・・・・・、」
「だがもう依頼は・・・、」
「ええ、終わりって言いました。だから改めてお願いします。お母さんに会わせて下さい。」
「そんなことをしたら給料が無くなってしまうぞ?」
「構いません。」
由香里君の目はいつにもないほど真剣だ。
さて、これはどうしたものだろう?
《お姉さんに会っていたことを白状してしまった以上、誤魔化しは利かない。だが由香里君の気持ちだけで事を運ぶわけにもいかないしなあ。》
腕を組んだまましかめっ面をする。
すると「どうしても無理っていうなら教えて下さい」と言った。
「教える?なにを?」
「昨日の夜、お母さんと何を話してたんですか?」
「だからそれは言えないと・・・・、」
「不安なんです。」
「不安?」
「何も知らないまま、ただお母さんが帰って来るのを待つことがすごく不安なんです。」
「それは・・・例えば二度と戻って来ないんじゃないかってことかい?」
由香里君はまだ知らない。
お姉さんと一緒にいたという男が、実は女で昔の友達だということを。
「一つ良いことを教えてあげよう。」
そう言って指を立てると、希望に近い眼差しを向けられた。
「君のお母さんは不倫なんてしていない。だから駆け落ちして二度と帰って来ないなんてことは有り得ないさ。」
「分かってますよ。」
「え?」
「絶対にそんな事にはならないって分かってます。」
「あ、ああ・・・なら俺の早とちりだったな。すまない。」
「お墓で一緒にいた男の人、誰かは分からないけど、不倫相手なんかじゃないと思います。
もし仮に不倫だったとしても、お母さんは用心深いから、昔の知り合いがたくさんいるこの島に不倫してる人と一緒に来たりはしないはずです。
管理人さんから男の人と一緒だったって聞かされた時はショックを受けたけど、よくよく考えればそういう関係の人じゃないですよ。」
「う、うむ・・・・。」
やはり鋭い。
由香里君、数年後には本当に君が所長を務めてるかもしれないぞ。
もしそうなったら俺は雇ってもらえるんだろうか?
今のうちにゴマをすっておいた方がいいかもしれない。
「さすがは由香里君、君は将来きっと大物になるよ。そうなった暁にはこの久能司が傍でお仕えして差し上げ・・・・、」
「心配なのは久能さんなんです。」
「そう、俺も俺が心配だ。もし君が所長になったらクビにされるんじゃないかと。
そりゃたしかに俺はチャランポランでいい加減で、暇なら仕事中でもエロ本を眺めるような男さ。
でもね由香里君、こんな俺でも良いところはあるもんさ。どこが良いかと聞かれたら困るんだけど、多分どこかにはあるだろう。
だからどうかクビだけは勘弁してほし・・・・、」
「違いますって。そういう意味じゃなくて。」
「ならどういう意味さ?」
「お母さんはしっかり者だから、待ってればきっと帰って来てくれます。
けどこのまま私だけ帰ったら、久能さんに良くないことが起こるんじゃないかって不安なんですよ。」
「・・・・意味が分からない。なんで俺が良くない目に?」
「ただの勘です。でもなんか本当に悪い事が起きそうな予感がして・・・・。」
「よしてくれ。まさか君も超能力に目覚めたっていうのかい?」
「そういう感じじゃなくて、ほんとにただの勘なんです。て言っても超能力者じゃないからよく分からないんですけど・・・・。」
「ふうむ・・・・俺が良くない目にねえ。」
俺の人生、不幸ならよくあることだ。
悪どい霊能力者に目を付けられたり、古代人の因縁に巻き込まれたり、頭のブっ飛んだオカルト雑誌の編集長に利用されたり。
しかし由香里君がこんな事を言い出すなんて今までにあっただろうか?
《まさか本当に超能力が・・・・。》
お茶をすすりながら、なんとも言えない気持ちで窓の外を見る。
すると知らない男が立っていて、じっと部屋の中を睨んでいた。
「だ、誰だ貴様!?」
ガバっと身構える。
由香里君が「どうしたんですか!」と怯えた。
「窓の外に男がいるぞ!」
「ウソ!」
慌てて振り返るが、「誰もいないじゃないですか」と拍子抜けしていた。
たしかに誰もいない・・・・・。
「おかしいな。さっきはそこに立ってたのに。」
「なにかの見間違えじゃないですか?」
「ならいいんだが・・・・。」
またお茶をすすり、ふと窓に目をやる。
《やっぱりいやがる!》
スーツを着た背の高い男がこっちを睨んでいる。
ずいぶん整った顔で、しかもモデルのようにスタイルがいい。
美しいその顔は、見ようによっては女にも見える。
そう、よく見ればあの顔は・・・・、
「あれ?まさかあの男は・・・・、」
「どうしたんです?じっと窓を見つめて。」
「ああ、いや・・・・。」
由香里君が振り返ると、スっと消えてしまった。
「誰もいないじゃないですか。」
「そ、そうだな・・・・。」
「多分疲れてるんですよ。ちょっと休んだらどうですか。」
そう言って「布団敷いてあげます」と立ち上がる。
その時、誰かが部屋のドアをノックした。
トントン叩きながら「すみません」と声がする。
「はい。ちょっと待って下さい。」
ドアへ向かう由香里君を、「待つんだ!」と止めた。
「俺が出よう。」
「いいですよ。疲れてるんだから休んでて下さい。」
「いやいや、これくらいはなんてことないさ。君はゆっくりお茶でも飲んでてくれ。」
サっとドアへ向かう、
由香里君が「なんか怪しい・・・・」と後ろから覗き込んできた。
「すみません。」
ノックの音がだんだんと大きくなっていく。呼びかける声も。
《この声・・・・間違いない。》
そっとドアを開けると、そこには姫月愛子が立っていた。
「やっぱり貴女ですか。」
「さっきはごめんなさい。助けてもらったのにロクにお礼も言わずに。」
「こちらこそ。」
「さっき女将さんに聞いたんだけど、あれ実は女湯だったのね。」
「らしいですね。暖簾をかけ違えてたとか。」
「てことは私は男湯って書いてる方に入っちゃったってことよね。」
「そうなりますね。」
「普段なら絶対こんな間違いしないのに。やっぱりボーっと考え事しながら歩くのはよくないわね。」
肩を竦めるこの美人、やはりさっき窓の外に立っていた男とそっくりだ。
というより瓜二つと言っていいだろう。
じっと顔を見入っていると、後ろから「入ってもらったらどうですか」と由香里君が言った。
「その人、お風呂で抱き合ってた人でしょ?」
「え?ああ・・・・抱き合うというか、不可抗力というか。」
「そして多分、お母さんに関係してる人。」
俺は無言で肩を竦めた。
もはや誤魔化すまい。
本当になんでこんなに鋭いんだ?
由香里君は「どうぞ」と招き入れる。
姫月さんは「お邪魔します」と部屋に上がり、「由佳子の娘さんね」と言った。
「私のこと知ってるんですか?」
「ええ。写真で何度かね。」
そう言って「由佳子の若い頃にそっくり」と微笑んだ。
「けどあの子より芯の強そうな目をしてる。」
「あの・・・・お母さんとはどういう関係の方で・・・・、」
「友達よ。それも大親友。」
「なら書置きにあった忘れられない人って・・・、」
言いかける由香里君の口元に手を向け、言葉を遮る。
「ごめんなさい。あとでちゃんと話してあげるから。今はこの人に用があって来たのよ。」
俺を振り返り、「久能さんって言ったわよね?」と小首を傾げた。
「あなたの超能力、正直なところ信じることは出来なかった。」
「慣れっこですよ。」
「だけど由佳子が頼るくらいだから、それなりの人なんだと思う。・・・・探偵としてのあなたにお願いしたいことがある。」
なんとなくそう言われるんじゃないかと思っていた。
そしてこれは気が滅入ることなのだ。
「妹を見つけて。」
ペコリと頭を下げる。
俺はすぐには返事が出来なかった。
いくら俺が腕の悪い探偵であろうと、生きている人間なら見つけられる可能性もある。
だがこればっかりは・・・・。
「もうこの世にいない人の捜索は無理です。」
「分かってる。ただ・・・・あの子が眠っている場所を探り当ててほしい。
きっと天国に行っていない。いや、行けていないはず。まだこの島のどこかで眠ってるはずだから。」
姫月さんは「お願い」と頭を下げる。
由香里君が「久能さん」と腕を引いた。
「引き受けましょう、この依頼。」
「いや、彼女の依頼は相当に難しいものだ。そもそも探偵の仕事の範疇ではないし。」
「でもお母さんが家出したことに関係あるんでしょう?」
「ああ。」
「だったら私たちで解決しましょうよ。そうすればお母さんも安心して家に帰れる。そして久能さんも。」
「俺も?」
「久能さんが悪い目に遭うんじゃないかって予感、きっとこの事に関係してると思うんです。私たちも気持ちよく帰る為に、この依頼引き受けましょ。」
悩んだ。どうしたもんかと険しい顔で。
迷った挙句、「姫月さん」と呼んでいた。
「貴女の依頼、お引き受けいたします。」
「ほ、ほんとに!?」
「ええ。」
「ありがとう!」
手を握って泣きそうになっている。
「この久能司にお任せ下さい。必ずや貴女の妹さんを見つけて差し上げましょう。」

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第六話 探し人

  • 2020.07.23 Thursday
  • 14:19

JUGEMテーマ:自作小説

朝風呂ってのは気持ちいいもんだ。
野天の湯船に肩まで浸かり、そよ風に揺れる緑を眺める。
これで酒と美女でもいれば言うことなしだが、あいにく酒の持ち込みは禁止だし、この旅館に混浴はない。
まあいい。こうやってゆっくり湯を楽しむのも悪くない。
時刻はまだ午前5時。
夏の夜明けは早いが、さすがにこの時間に風呂に入っているのは俺だけのようである。
なんにも気にせずに手足を伸ばし、「ああ〜・・・」とオッサン丸出しの声を出してしまった。
昨日、お姉さんから聞いた話はグルグルと頭を回っている。
姫月愛子という女性のこと、彼女とお姉さんの関係。
それらを踏まえると、多少なりとも姫月さんの行きそうな場所が見えてくるかもしれない。
「実家はもう無いから除外だな。となると海の見える高台か、両親が眠る墓地か。はたまたよく妹さんと行っていたという山奥の祠か・・・・、」
ブツブツ言っていると、野天にあるサウナルームのドアが開いた。
《お、誰かいたのか。》
てっきち俺一人だと思っていたのに先客がいたようである。
昨日間違えて女湯に入り、由香里君に正拳突きを食らったことを思い出す。
まだムズムズする鼻をいじっていると、サウナから出てきたその人はじっと俺の方を睨んでいた。
《なんだ?》
ふと目を向ける。
とても背の高い人だ。
まるで海外のモデルのように。
俺と視線が合うと、タオルでサっと身体を隠した。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
俺たちは見つめ合う。
なぜかって?
ここは混浴ではないからだ。
《まさか・・・またしても俺は・・・・、》
風呂の暖簾を潜る時、ちゃんと男湯であることを確認した。
だからぜったいに間違いないはずなのだが・・・・、
《こりゃマズイ・・・・。もしまた女湯だったらえらいことだ。》
相手は由香里君ではない。
正拳突きで済ませてはくれないだろう。
《お姉さんから聞いた話を考えながらボケっとしてたかならなあ。ちゃんと確認したつもりで出来てなかったのかもしれない。》
ちゃんとしているつもりでも、思うほどちゃんとできていない。
俺のチャームポイントである。
そのせいでよく由香里君に怒られるのだが、やはり彼女だからこそ怒るだけで済ませてくれるのだ。
俺は湯船から立ち上がり、無言のまま脱衣所に向かう。
《とりあえず入口の暖簾を確認してこよう。それでもし女湯だったら・・・・まあそれはその時考えるしかない。》
ガラっと脱衣所のドアを開ける。
するとビール腹のオジサンがモソモソと服を脱いでいた。
続いて腰の曲がった爺さんもやってくる。
「・・・・・・。」
少し迷った挙句、オジサンに「ちょっとすみません」と尋ねた。
「ここって男湯ですよね?」
何言ってんだコイツみたいな顔をされる。
そして「俺が女に見えるか?」と、すっぽんぽんのまま堂々と正面を向いた。
「立派なモノをお持ちで。」
ペコリと頭を下げる。
野天風呂を振り返ると、さっきの女はいなくなっていた。
風呂の周りには高い壁がある。登って逃げ出すのは不可能で、となると隠れる場所は一つしかない。
俺は野天へ引き返し、サウナルームのドアをノックした。
中からガタっと音がする。
磨硝子の窓の向こうで人影く。
どうやらドアノブを押さえているみたいだ。
《さて、これはどうしたもんか・・・・・。》
対処に悩んでいると、さっきのオジサンが野天へやって来た。
一直線にサウナへ歩いてくる。
「あ、ちょっと!」
慌てて止める。
オジサンは訝しそうに睨んできた。
「さっきからなんだアンタ。」
「ああ、いえ・・・・。どうもこのサウナは壊れているみたいで。入らない方がいい。」
「壊れる?」
「ぜんぜん暖かくないんですよ。」
「そんなの聞いてないぞ。」
「おそらくついさっき故障したんでしょう。」
「じゃあ俺が直してやろう。」
「な、直す・・・・?」
「こう見えてもボイラーの技師でな。」
「・・・・・・・。」
「なあに、こんな小さいサウナの故障なんぞ見れば分かる。ちょっとドアを開けて・・・・、」
「ダメだ!」
ビタっとドアに張り付く。
オジサンは「どうした・・・」と引いていた。
「ドアも故障してるんですよ!下手に空けると壊れるかもしれない。」
「じゃあなおのこと見てやらんと。ボイラー技師の前は大工だったからな。」
「マジかよ・・・・。」
「ほら。」
「ああ、ちょっとダメだって!」
「なんで?」
「開けた瞬間にバックドラフトが起きたらどうするんです!?」
「ありゃあ火事の時に起きるもんだ。」
「故障したボイラーから出火してるかもしれない!」
「もし火事だったら煙が出てるはずだ。それにこう見えても大工の前は消防士だった。出火の可能性があるならそれこそ見ないと。」
「あんた多才過ぎだろ!」
なんだこのオヤジは・・・・。
しばらく「開けろ」「イヤだ」の押し問答が続く。
俺はなにがなんでも開けさせまいと、しっかりとドアに張り付いた。
それはサウナの中の人物も一緒で、内側からしっかりと身体を押し付けて開かないようにしていた。
《なんで男湯に女がいるんだ。まあ俺が言えた義理じゃないけど。》
目が合った瞬間、向こうはビックリしただろけど、それはこちらも同じである。
まさか女がいるとは思わない。
それもモデルみたいに背が高くてスレンダーで、しかもかなりの美人だった。
彫りが深くて、目鼻立ちが通って、宝塚にいそうなイケメン風の美人だった。
・・・・そう、イケメンだった。
《あの顔・・・・見覚えがあるぞ。》
記憶の深い部分、僅かに重なる顔がある。
あれはそう・・・・お姉さんの部屋だ!
初めて部屋に行った・・・・というより侵入した時のこと、タンスの上の写真立てにイケメンが写っていた。
お姉さんと肩を組んでピースしていた。
あのイケメンとそっくりなのだ。
まだ子供だった俺は大して気にも止めなかった。
しかし記憶には残っている。
あの顔は間違いなくサウナに隠れているこの女性・・・・、
「もう・・・限界・・・・。」
ドアの向こうから弱々しい呟きがした。
そしてドサっと人が倒れる音が・・・・。
「まずい!」
ガバっとドアを開ける。
女性は真っ赤な顔で倒れていた。
のぼせているようだ。下手をすると脱水症状もありうる。
俺は彼女を抱え、慌てて脱衣所まで運んだ。
多才なオジサンが「いったいなんなんだ?」と顔を覗かせる。
「扇風機!この人の近くへ!」
「え?」
「サウナでのぼせてるんだ!」
「なんと!」
ぐったりする女性を見て「こりゃイカン!」と叫んだ。
三つある扇風機を全て持ってきて、風力を最大にする。
エアコンの温度も落とし、タオルを丸めて頭の下に敷いた。
俺も近くのバスタオルを掴み、そっと身体に掛ける。
本当はもう少し眺めていたかったけど、冗談を飛ばせる状況じゃない。
女性はわずかに口を動かして「喉が・・・・」と呟いた。
「カラカラ・・・・。水が・・・飲みたい・・・・、」
「分かった!すぐ買ってきてやる!」
外の自販機へ駆け出そうとした時、「こいつを飲め」と誰かの手が伸びてきた。
爺さんだった。
まだ服を脱ぐ途中だったらしく、ズボンが足元にずり落ち、上着がフラフープのようにぶら下がっている。
「ありがたい!」
爺さんの手からペットボトルのお茶を受け取る。
・・・いや待て。これお茶なのか?
なんかすごく黒いし独特の臭いがするし・・・・。
「爺さん、これってもしかして・・・・、」
「養命酒じゃ。」
「のぼせた人間が飲むもんじゃないぞ!」
「風呂上りにクイっとやるのが楽しみでな。ちゃんと冷えとるじゃろ?」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあこっちにするか?」
ドロっとし緑色の液体が入ったペットボトル、臭いからして間違いなく青汁だろう。
しかもキンキンに冷えている。
「ま、まあ・・・・水分補給にはなるか。」
そう言って受け取ろうとしたら、「こっちにしろ」とオジサンの手が伸びてきた。
「これは?」
「経口補水液だ。」
「おお!」
なんというナイスタイミング!
「脱水症状ならこれが一番だ。」
オジサンは胸を張る。
俺は「しかしよくこんなタイミングでこんな良い物を持ってたな」と感心した。
「消防士の前は救急隊員だったからな。いざという時の為に。」
もはや多才を通り越している。
救急隊員の前は弁護士か?役者か?それとも・・・・いや、今はそんなことはどうでもいい。
ペットボトルのキャップを開け、彼女の口へ運んだ。
最初の一口二口はゆっくりと飲み込んでいたが、途中からガバっと起き上がってゴクゴク飲み干した。
顔に精気が戻り、真っ赤にのぼせていた様子もマシになる。
「大丈夫ですか?」
「なんとか・・・・・。」
さっきよりは落ち着いたようだが、まだ火照りが収まらないのか「これ、まだある?」と空になったボトルを振った。
「あいにくその一本だ。」
「なら・・・・誰か買ってきてくれない。水でもお茶でもスポーツドリンクでもなんでもいいから。」
「なら儂が。」
爺さんはヨタヨタと脱衣所を出ていく。
足元にずり落ちたズボンを引きずりながら。
それじゃ転ぶぞと心配していたら、案の定途中で転んでいた。
多才すぎるオジサンが「おいおい、大丈夫か」と駆け寄っていく。
代わりに俺が飲み物を買いに行き、「どうぞ」と差し出そうとしたら、いつの間にかいなくなっていた。
「ん?どこ行った?」
「浴場に入ってったぞ。」
オジサンが指をさす。
彼女は火照った身体を冷やす為に水風呂に浸かっていた。
そして数分ほど冷水に癒されてから脱衣所に戻ってくる。
「ちょっと向こうむいててくれない」と、身体に巻いたタオルを押さえながら。
俺たちは慌てて背中を向けた。
後ろからゴソゴソと音が聴こえる。
急いで服を着ているのだろう。つまづいて「痛!」とどこかにぶつかっていた。
そして逃げるように外へ駆け出していく。
慌てていたせいか服が乱れている。
靴を履くのも焦っているようで、なかなか上手くいかない。
すぐ傍にはヘラが掛かっているのに気づかないようである。
俺は「どうぞ」と差し出した。
彼女は折れんばかりの勢いでヘラを差し込み、ギュギュっと踵を押し入れている。
「姫月さん。」
ふと呼びかけてみる。
彼女はピタリと動きを止めた。
「姫月愛子さんですね。」
「・・・・違います。」
背中を向けたまま呟く。
俺は構わず喋りかけた。
「お姉さんが捜していますよ。」
「お、お姉さん・・・・?」
「由佳子お姉さんです。あなたの親友の。」
「・・・・・・・。」
「突然いなくなって心配していますよ。連絡くらい返してあげたらどうですか?」
姫月さんはしばらく無言だった。
居心地悪く背中を丸めていたのだが、とつぜんスっと立ち上がってこっちを振り返った。
「アンタ誰よ?」
「お姉さんの友人です。」
「だったら私たちのことは関係ない。首突っ込まないで。」
「そうもいきません。なぜなら私は・・・・、」
探偵だからと言いかけてやめる。
自分からバラすのは愚の骨頂だ。
「私は?」
「ええっと・・・・、」
「アンタがあの子の友達だったとして、だからなんなの?」
「友人があなたを心配しているんです。なら俺も気になるってもんですよ。」
「私はアンタの友達でもなんでもない。」
「仰る通りで。ですが一度連絡くらいは返してあげた方が・・・・、」
「しつこい!」
耳がキーンとする声で怒鳴る。俺は「まあ落ち着いて」と宥めた。
「こう見えても怪しい者じゃありません。」
「めちゃくちゃ怪しいわよ。」
そう言ってハンターのような目で睨む。
ううむ・・・・お姉さんは初対面でこの視線に怯えたと言っていたが、たしかになかなか鋭い眼光だ。
だがこうしてパッタリ出会って、じゃあさようならってわけにはいかない。
「俺はお姉さんと約束したんですよ。あなたを見つけ出すと。」
「だからなんでよ。」
「詳しいことは言えません。」
「まさか探偵とかじゃないでしょうね?」
「へ?」
「警察以外で人を捜す仕事っていったら探偵しかいないじゃない。」
「ええっと、まあそうなりますね・・・・。」
「由佳子が雇ったのね?」
目つきがだんだん鋭くなっていく。
これはもう何をどう言い訳しても誤魔化すのは難しいだろう。
となれば、隠すのが無理なら開き直ってしまえ。
堂々と胸を張って「超能力探偵、久能司と申します」と名乗った。
「ちょ、超能力探偵・・・・?」
コイツ本気か?みたいな目をしている。まあこれも慣れっこだ。
「信じる信じないはお任せしますよ。ただし超能力があるのは本当のことです。」
「それ、信じろって言ってるようなもんじゃない。」
「そう受け取ってくれて構いません。」
事実なので仕方ない。堂々と胸を張ったままでいると、「本当に超能力を・・・・」と思案気な顔で何やらブツブツ呟いていた。
「ねえ。」
「はい。」
「本当に超能力が使えるんだったら、今ここで見せてくれない?」
「お安い御用です。」
俺が本物だと納得してくれたら言うことを聞いてくれるかもしれない。
心配しているお姉さんに電話の一本でも入れてあげたらどうかと。
「ではいきます。」
気合を入れ、精神を集中させる。
「洗面台の上にある空のペットボトルを見て下さい。」
眉間に意識を集中させ、『動け!』と念じる。
空のペットボトルはスーっと3センチだけ動いた。
「今のが物に触れずに物体を動かす力、念動力です。すごいでしょう!?」
「すごいでしょうって・・・・洗面台の上が濡れてただけでしょ。」
「いえいえ、そんなことはありません。ちゃんと台の上は乾いて・・・・、」
そう言いながら触ったら濡れていた。
「ほら。」
誤算である。
たぶんペットボトルから垂れた水のせいだろう。さっきまで乾いていたのに!
「いいでしょう。では次の能力をお見せします。」
俺はオジサンから財布を借りた。
革製の長財布だ。
「中身を確認せずに所持金を当てます。」
おでこに財布をくっ付け、『透視!』と念じる。
「・・・・万札が10枚、千円札が4枚。それと500円玉が一枚に10円と1円玉がそれぞれ2枚。」
財布から全てのお金を取り出す。
俺が宣言したのとまったく同じお金の数と種類だった。
ドヤ顔で姫月さんを振り返る。
「・・・・・で?」
「はい?」
「それがなんなの?」
「なんなのとは心外な。中身を見ることなく当てたんですよ?いわゆる透視能力です。」
「元々知ってたんでしょ?」
「まさか。このオジサンとは初対面です。財布の中身を知るわけがない。」
「じゃあ証明してよ。中身を知らなかったって。」
「いいでしょう。」
オジサンを振り返り、「俺たちは初対面ですよね?」と尋ねた。
すると「どうだったかな?」と首を傾げた。
「なぜ迷う!どう考えても初対面だろう。」
「実は救急隊員になる前の記憶が無くてな。」
「き、記憶が無い・・・・?」
「ある日気づくと浜辺で倒れていたんだ。それ以前の記憶が無い。覚えているのはピアノを弾くことだけだった。」
そう言って滑らかな指さばきでピアノを弾くふりをする。
もう一度言おう。アンタは多才すぎる!そして特殊すぎる!
「もし記憶喪失以前に会っていたとしたら覚えていない。だから初対面とは断言できんな。」
「し、しかし・・・・俺はアンタとは初めて会ったぞ!」
「人の記憶は曖昧だ。アンタも覚えていないだけかもしれない。」
「そんな馬鹿な・・・・。」
頭を抱える。
もし面識のある人物だったら、前もって中身を教え、口裏を合わせることも可能である。
つまり透視能力に信憑性は無くなるのだ。
「他には?」
姫月さんは半ば呆れた様子で腕を組んでいる。
俺は「あるにがあるが・・・」と首を振った。
「未来予知が出来る。」
「ほんと!?」
「ただし一秒先までだが。」
「・・・・・・・。」
「それも自分の好きなタイミングで発動出来ない。危険が迫った時に自動的に発動して・・・・、」
「もういいわ。」
背中を向け、脱衣所から出ていく。
俺は「待ってくれ!」と追いかけた。
「ほんとなんだ!俺は本当に超能力が使えるんだよ!」
「はいはい。よかったわね。」
「信じてくれ!・・・いや、信じなくてもいい。」
「どっちよ?」
「貴女が言った通り、俺は探偵です。貴女を見つけるのが仕事だ。」
「だったら由佳子に言っといて。これ以上余計なお世話はいらないって。」
「心配してるんですよ、親友だから。」
「いくら親友でも首を突っ込んでほしくないことくらいあるわ。いい加減構わないでよ。」
怒った足取りで浴場を出ていく。
しかしその時だった。
とつぜん未来予知が発動した。
外へ出る暖簾をくぐった瞬間、誰かとぶつかる未来が見えたのだ。
「危ない!」
咄嗟に腕を引く。
姫月さんはよろけ、俺に抱きつく。
そして間一髪、暖簾をくぐって入ってきた人物にぶつからずにすんだ。
「ちょ、ちょっと!何するのよ!」
「驚かせてすみません。人とぶつかる未来が見えたもので。」
「ぶつかる?」
「ええ。そこの暖簾をくぐった瞬間に人とぶつかる未来です。もし転んで怪我でもしたら危ない。」
そう言って暖簾の向こうから入ってきた人物を指差す。
「久能さん・・・・。」
「ゆ、由香里君!?」
「なにしてるんですか?」
「なにって風呂に入ってたのさ。ていうか君こそなんでこっちにいるんだ?ここは男湯だぞ。」
「女湯ですけど?」
「へ?女湯?」
「ほら。」
暖簾をめくって『おんな』の文字を見せる。
「・・・・・・・。」
「ね?」
「ええっと・・・・、」
「昨日に続いてまたですか?」
「あ、いや・・・・わざとじゃないんだ!」
「ていうか・・・・なんで女性と抱き合ってるんですか?」
「抱き合う?」
「しっかり抱き合ってるじゃないですか。」
見るとたしかに抱き合っていた。
急に引っ張ったものだからお互いが抱きつく感じになって・・・・、
「離して!」
姫月さんはドンと俺を突き飛ばす。
そして外へ走って行ってしまった。
と同時にオジサンがやって来て「まずいぞアンタ!」と叫んだ。
「こっち女湯だ!」
「・・・・・・。」
「さっき爺さんがロッカーを開けた時に女物の服が忘れてあったんだ。もしやと思ってフロントに電話してみたら、暖簾をかけ違えていたらしい。」
「・・・・・・。」
「もう直したって言ってたから早く出ないと変態に間違われるぞ!」
オジサンは慌てて逃げ出していく。
続いて爺さんもヨタヨタと出ていった。
「・・・・・・。」
女湯に俺と由香里君だけが残される。
彼女の目がずっと俺を射抜いている。
怒り?呆れ?哀れみ?それとも冷酷?
なんというかあらゆる感情を含んだ目をしていた。
だが俺は慌てない。
いつものことさと、肩を回して緊張をほぐした。
ピンチの時は開き直るに限る。
由香里君の肩にポンと手を置き、「一緒に入ろう」と言った。
「今日は野天風呂が気持ちいいぞ。そよ風が吹いて緑が揺れて。熱いお湯と大自然を堪能しながらお互いの背中でも流し合おうじゃないか。」
肩を組み、野天風呂を見つめる。
俺の顔にまたしても正拳突きの痕が刻まれた。

不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 第五話 彼女との出会い

  • 2020.07.20 Monday
  • 13:04

JUGEMテーマ:自作小説

目の前の湯呑をじっと見るめる。
もう少しで茶柱が立ちそうなのだが、微妙に斜めになったまま沈んでいく。
ズズっと一口すすり、部屋の中を見渡した。
「最近は国民宿舎ってのも立派なもんですね。」
旅館とそう変わらないレベルの部屋に感心してしまう。
窓の外ではまだ花火が上がっていて、遠くから低い音が鳴り響いている。
テーブルの向かいに座るお姉さんは「料金も安いしお得よ」と、茶柱の立ったお茶を飲んでいる。
「俺が学生の頃はいかにも安宿ってイメージだったんですけどね。」
「それを言うなら私の頃なんかもっとよ。トイレは部屋の外だし浴場は狭いし。」
互いにもう一口お茶をすすり、「それで・・・」と俺は切り出した。
「昼間言っていたことを詳しく聞かせてもらえますか?」
「ええ。」
湯呑を置き、やや不安そうに瞳を揺らしながら手を揉んでいた。
「姫月さんを捜してほしいのよ。」
「いなくなってしまったんですね。」
「三日前に二人でここへ来たわ。昨日は一緒にお墓参りをして、夕方まではこの部屋にいたのよ。」
そう言って窓の外に目を向ける。
「私は夕食の前にお風呂に行ったわ。お墓参りで汗をかいてたから。一緒に入らない?って誘ったんだけど、彼女は晩ご飯の後に入るって。」
「なるほど。」
メモ帳を取り出し、ペンを走らせる。
「お風呂に浸かってたのはそう長くなかったわ。汗を流したいだけだったし、15分か20分ほどで戻ってきたと思う。そうしたら・・・・、」
「いなくなっていたと?」
お姉さんはコクリと頷く。
「連絡は繋がらないんですか?」
「電話しても出ないし、LINEを送っても返事はなし。既読にはなってるんだけどね。」
「黙って出ていって連絡も返さないか・・・・。一人で先に帰ったとかは?」
「かもしれない。でもまだこの街にいるような気がするのよ。」
「ちなみになんですが、そもそもお二人はどうしてここへ?お互いの実家はもうないはずでしょ。まさかお墓参りの為だけに家出というわけでもあるまいし。」
「お墓参りはついで。せっかく来たんだからお花くらい活けておこうと思って。」
「では他にここへ来た理由があるんですね?」
「そうよ。」
「聞かせてもらっても。」
「もちろん。」
飲むでもなく湯呑を掴み、茶柱に目を落とす。
少し呼吸を置いてからお姉さんは語りだした。

 

     *****


昔のお姉さんは夢見がちな少女だった。
高校生になっても小さな子供のように純粋なままで、人を疑うことや、世の理不尽なことにはまったくの無頓着だった。
この世はメルヘンな世界のように良いことがたくさん満ちていて、人間という生き物も基本的に悪い人はいないと思っていた。
そして年相応に恋にも夢を抱いていた。
少女漫画や恋愛小説が好きだったこともあって、現実ではありえないような恋物語を妄想し、いつか必ず自分にもそういう機会が訪れると信じていた。
そして運が良いのか悪いのか、その機会は意外と早く訪れた。
高校三年の春。
春休みが終わり、登校初日に一番気になる事といえばクラス替えだ。
またあの子と一緒のクラスがいいなとか、この子とは嫌だなとか、好きな子と隣になれたらいいなとか、たくさんの不安と期待でクラス表を確認する。
俺にも甘酸っぱい思い出がある。
高一の時からずっと好きだった女子と同じクラスになり、しかも席まで隣だった。
高校生活最後の年、これは神が与えてくれた幸運だ!と喜んだけど、その子は俺とは反対側の隣の男子といい感じになっていた。
後から知ったのだがそもそも付き合っていたらしい。
俺の恋は0秒で撃沈されたのだ。
・・・・・・・。
話を戻そう。
お姉さんの場合はそうではなかった。
隣の席はめちゃくちゃカッコイイ男子で、学校一のモテ男と噂されていたほどのナイズガイだ。
そしてなんとその男子も前々からお姉さんのことが気になっていたらしい。
モテ男だが決してチャラ男ではなく、下手に女子を寄せ付けない硬派な態度も人気の理由だったそうだ。
そんな硬派な男子が珍しく自分から女子に話かけ、一ヶ月後には付き合う事とあいなった。
お姉さんにとっては初めての彼氏だった。
だが大きな幸運は時として周りから嫉妬を買うもの。
最初のうちは幸せだったお姉さんも、だんだんと彼と会うのが辛くなっていった。
イジメである。
モテ男を密かに狙っていた女子たちから反感を買ってしまい、特にその中の女王格の子からのイジメは相当なモノだったという。
一時期は不登校寸前にまで追いやられてしまったそうだ。
このままではまともに学校へ通えない。
そう思ったお姉さんは彼と別れることを決意した。
おかげでイジメは止まったが、お姉さんは深く傷ついた。
今まではメルヘンを絵に描いたような性格だったが、初めて人間の嫉妬やら理不尽に触れることによって、この世は思っていたほど明るい世界ではないのだと知ったのだ。
それからというもの、自分の振る舞いが誰かの反感を買わないかということに、ものすごく気をつけるようになったという。
明るくよく喋っていた性格も、地味で控えめに変わり、学校が終わっては一人で海の見える高台に行くことが多くなった。
友達がいないわけではないが、一人で景色に触れていたいと思うことがよくあったらしい。
初めは特別なことは何もなかった。
ただ一人で高台へ行き、海を眺めながら、駄菓子屋で買ったアイスを頬張っているだけだった。
・・・・そして夏。
特別な出会いがやってきた。
いつものように高台でアイスを食べていると、ふと人の気配を感じて振り返った。
そこには映画の中から飛び出してきたかのような物凄い美人が立っていた。
まず身長が高い。
クラスのどの男子よりも高い。
しかも足が長い。
全身の半分以上が足の長さである。
ウェストがキュっとくびれているので余計に長く見える。
それに顔も小さい。
八頭身はあろうというスタイルの良さであった。
顔立ちは彫りが深く、目鼻立ちもハッキリしている。
だが髪はとても短く、超ベリーショートであった。
お姉さんの高校時代にここまでの短い髪をした女性は珍しく、一瞬だけ男かと思うほどであった。
しかし胸のふくらみや体型は女だし、服装もそうだった。
真っ白で細身のパンツ、ショルダーレスの赤いシャツ。
首にはシルバーのネックレスに、足元はカジュアルなパンプスである。
『海外のモデルさん?』
お姉さんはそう思った。
どこか遠い世界の人のような、現実感を超えたその美人から目が離せずにいると、ふと目を向けられた。
まるでハンターのような鋭い視線に、思わず目を逸らした。
そして食べかけのアイスを咥えたまま、慌てて立ち去ろうとしたのだ。
『ちょっと。』
不意に声を掛けられ、ビクっと固まる。
恐る恐る振り向くと学生カバンを差し出された。
お姉さんの物だった。
慌てていたので忘れてしまったのだ。
ペコリと頭を下げ、ひったくるように受け取り、逃げるように高台を後にしたのだった。
帰り道、自転車を漕ぎながらドキドキが止まらなかった。
言葉にするのが難しい奇妙なドキドキ感だった。
次の日の下校時、お姉さんは迷っていた。
今日も高台に行ってみようか?
それとも・・・・、
鮮烈な印象だけが残っていて、どういう人なのか分からない。
だがずっと心から離れなくて、夜もロクに眠れなかった。
同時に怖さもあった。
あのハンターのような鋭い視線・・・・もしおっかない人だったら・・・・。
人間はみんな良い人ではないと知ってしまったお姉さんは、もしあの女性もそんな人だったらと思うと恐ろしかったのだ。
だが気づけば高台に向かって自転車を漕いでいた。
なぜか分からないけどもう一度会いたい。
根拠はないけど行けば会える気がしていた。
高台の頂上へ続く階段を登るたびに、心臓の波打つ回数が早くなっていく。
途中で何度か足を止めて深呼吸した。
そして頂上まであと少しの所まで来た時、ふと冷静になった。
会ってどうするつもりなんだろう?
なにを話せばいいんだろう?
そもそもあの人を目の前にしたら、昨日みたいに緊張してただ固まるだけなんじゃ・・・・、
立ち止まり、悩んでいるとポンと肩を叩かれた。
振り返ると昨日の女性がいた。
今日も抜群のスタイルを見せつけるかのような服装で、見惚れるのと同時に気後れしてしまった。
口を半開きにしたまま固まっていると、目の前にレジ袋を掲げられた。
『アイス買ってきた。一緒に食べない?』
まるで友達かのように砕けた口調で言われた。
なんで?どうして一緒にアイス?初対面なのに・・・・、
色んな思考が駆け巡る。
だが目の前の女性はそんなものを一蹴するほどの魅力的なオーラを放っていた。
お姉さんはもう深いことは考えなかった。
コクコクと頷き、並んでベンチに座った。
二人で海を眺めながらアイスを齧る。
棒が二本あるアイスで、真ん中でパキっと割って半分こにするやつだった。
それを二人で分け合った。
初めは緊張していた。
しかしだんだんと打ち解けていった。
見た目は近寄りがたいオーラがあるけど、話してみればとても親しみやすい。
時間が経つにつれ、ずっと昔からの友達であるかのように、なんでも喋るようになっていた。
お互いの名前、住んでいる場所、好きな事や嫌いな事、最近あった出来事など、なんでも話した。
一番驚いたのは、これだけ大人びているのに同い年であることだった。
しかもこの島の出身であるという。
時間も忘れるほど楽しいお喋りだった。
傷打ついていた心が癒されていき、本来の明るい性格に戻っていくのを感じた。
食べ終えたアイスの棒には『アタリ』と書いてあって、なんと姫月さんの棒も『アタリ』だった。
このアイス、二本の棒の『アタリ』が揃うと、もう一本新しいのが貰える。
だから約束した。
明日、二人でこれを持って新しいアイスを貰いに行こうと。
・・・・この日からお姉さんと姫月さんは誰よりも仲のいい友達になった。
なんでも話し合える大親友に。
やがて学校は夏休みに入り、二人は毎日のように会っては、高台へ来てアイスを食べ、お喋りをした。
しかし夏休みが終わり、秋がやって来る頃、姫月さんは島を出て行った。
『また戻ってくるからさ。私のこと忘れないでね。』
突然そう言われた。
お姉さんは引き止めたかった。
しかし出来なかった。
なんでも話し合ううちに、姫月さんの悩みや家の事情を知ってしまったので、ずっとこの島にいてとは言えなかったのだ。
『ぜったい忘れない。またいつか会おうね。』
泣きそうな気持ちを堪え、笑顔で見送ったのだった。
もしかするともう二度と会えないかもしれない・・・・。
悲しむお姉さんだったが、それから数年後に思わぬ所で再会した。
大学を卒業したお姉さんは就職した。
地元を離れ、初めての一人暮らしだった。
独り身の若者が住むような安いアパートだったが、部屋はそこそこ広くて悪い場所ではなかった。
引っ越しの荷解きも終わって一段落した頃、とりあえず同じアパートの人には挨拶しておいた方がいいだろうと、まずは隣の部屋をノックした。
インターフォンなんてないので、『すみません』と呼びかけながら、トントンと叩く。
部屋の中から足音がした。
ガチャリとドアが開く。
『初めまして。隣に越してきた高木といいます。』
ペコリと頭を下げ、『今後ともよろしくお願いします』と、こういう時に定番のタオルを手渡そうとした時だった。
ふと相手の顔を見て固まった。
それは相手も同じだった。
二人ともしばらく口を開くことが出来ない。
二度と会えないと思っていた友達がそこにいた。
五年ぶりの再会だった。
そして二人はまた友情を再開させ、島にいた時のようにしょっちゅう二人でいたし、なんでも話し合った。
しかし翌年の夏、姫月さんは引っ越していった。
もちろん引き止めたかった。
しかし出来なかった。
なぜなら姫月さんの抱えている悩みはまだ解決していなくて、ずっとここにはいられなかったからだ。
『またいつか。』
『うん、またいつか。』
そう言って見送るしかなかった。
・・・・それから一年の間、お姉さんは悶々とした気分で過ごしていた。
姫月さんはどうしているのか?
ちゃんと悩みは解決できたのか?
気が気でならなかったが、ケータイなど無い時代、一度離れてしまえば連絡の取りようがなかった。
お姉さんはずっと姫月さんのことを考えていて、新しい友達を作る気分にもなれず、恋愛も興味が湧かなかった。
だからずっと一人だったのだが、さすがに寂しさは募る。
そんな時、一人の悪ガキと出会うことになった。
ある日のこと、仕事でミスをしてしまい、自棄酒をした。
グダグダに酔っ払ってアパートへ帰り、ベッドへ直行した。
布団に潜り込んだ時、足元になにやら違和感を覚えたけど、ぬいぐるみか何かだろうと、太ももで挟んで抱き枕代わりにした。
そして翌朝、目覚めると知らない子供が足元にいた。
超能力少年と名乗る変わり者の子供だった。
最初はビックリした。
しかしなぜか懐いてくるので、寂しさを紛らわせるにはちょうどいいだろうと遊んであげるようになった。
変わり者のその子は一緒にいると退屈しないので、いつしか良い友達になったという。
よく膝枕をしてあげた。
そのまま一緒に寝てしまうこともあった。
今となっては良い思い出だと、茶柱が傾きかけたお茶をすすりながらそう語ってくれた。


     *****


「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
お茶を注いでもらう。
お姉さんも自分の湯呑に継ぎ足し、「長かったでしょ」と笑った。
「こんなおばちゃんの昔話、退屈じゃなかった?」
「とんでもない。とても良い話が聞けました。」
お姉さんと姫月さんの関係、そして姫月さんの抱える悩み、彼女の家の事情。
それらを知ることによって、どうしてお姉さんは家出をしてしまったのか?
どうしてこの島へやって来たのか?
あと・・・・なんとなくだけど、姫月さんが姿を消した理由も分かるような気がした。
ただ問題は彼女がどこに行ってしまったのかということだ。
「お姉さんの話を聞く限り、そう遠くへ行っていないんじゃないかと思います。」
「やっぱり?」
「ただモタモタしていると島から出ていってしまうかもしれません。なるべく早く見つけた方がいい。」
「だからこそ司くんにお願いしてるのよ。探偵の君なら見つけられるでしょ?」
「お姉さんの期待には応えたい。しかし絶対に見つけられると断言は出来ません。ぶっちゃけ俺はそう腕の良い探偵じゃ・・・・、」
「何言ってるのよ。君には超能力があるじゃない。ほら、子供の時によく見せてくれたでしょ。」
そう言って雑誌を手に取り、目を閉じて額に当てた。
「一緒に本屋さんに行った時にさ、こうやってエッチな本の袋とじを見てたじゃない。」
「よく覚えてますね。」
「この子、まだ5歳なのに将来が心配だって思ったものよ。」
「出来ればその思い出は忘れて頂きたい。」
「あとほら!自動販売機の下を覗き込んでは、手の届かない100円玉を超能力で拾ってたでしょ。たしか念動力だっけ?」
「懐かしいですね。実は今もちょくちょくやってるんです。」
「しかもさ、テレビを見てる時にミニスカートのアイドルが出てくると、画面に向かって念じてたわよね。めくれろ、めくれろってブツブツ言いながら。」
「残念ながらテレビの向こうまでは通用しませんでした。・・・・というよりそんな黒歴史を持ち出さないで頂きたい。」
「極めつけはアレよね!犬のウンチ。」
ポンと手を打ちながら「ほら、覚えてない?」と嬉しそうに指をさした。
「一緒に花火大会に行った帰りにさ、犬のウンチが落ちてたじゃない?」
「そうでしたっけ?」
「あの頃は今みたいに飼い犬のウンチを拾う人なんてほとんどいなかったでしょ。だからけっこう道端なんかに落ちてたわ。」
「そういえばそうですね。今はずいぶんとマナーがよくなった。」
「でさ、あの時は夜だったから足元はあんまり見えなかったじゃない。私がウンチに気づかずに踏みそうになったら、お姉さん危ない!って手を引っ張ってくれたでしょ。」
「ええっと・・・なんとなく思い出してきたような・・・・、」
多分良い思い出じゃない。
だがとりあえず黙って聞くことにした。
「おかげで私はウンチを踏まずにすんだ。けど司くん、そのあと普通に踏んづけてたわよね。」
そう、俺は普通に踏んでしまったのだ。
なぜなら未来予知は一秒先までしか見えない。
つまり犬のウンチは一つとは限らないわけで、お姉さんが踏まずにすんでよかったとホッとした瞬間、まったく違う所のウンチを踏んづけてしまったのだ。
「お姉さん・・・それらの出来事は記憶から抹消して頂きたい。」
神妙な顔で頼むと、「忘れるわけないじゃない」と首を振った。
「私は嬉しかったのよ。こんな小さな子が身を呈して足元が汚れるのを守ってくれたんだもの。たとえ自分が嫌な目に遭っても。」
「あのあとウンチを踏んづけたのはただの不注意で・・・・、」
「分かってる。でもね、それでも私は嬉しかった。司くんみたいな子が友達になってくれて本当に嬉しかったのよ。この子は将来大物になる。そう確信したわ。」
「だったら俺は謝らないといけません。お姉さんの期待を裏切り、今では場末のしょうもない探偵をやってるんですから。」
「そんなことないわ。もししょうもない人なら由香里はぜったいに君の所でなんか働いてない。
知ってる?あの子が司くんの事務所に就職するって言った時、夫は猛反対したのよ。」
「そうなんですか?まあでも当然のことかもしれません。場末の探偵事務所を一生の仕事に選ぶのは、親としては許しがたいでしょう。」
「夫も同じようなこと言ってたわ。けど由香里は断固として決意を曲げなかった。久能さんはいい加減でエッチでちゃらんぽらんだけど、こんなに信用できる人はいないからって。」
「恐ろしいほど矛盾した反論ですね・・・・。お父さんは余計怒ったんじゃないですか。」
「大丈夫、私も味方したから。」
「お姉さんも?」
「由香里がここまで言うんだから、きっと素晴らしい人なのよって。だって私は知ってるもの。君が優しくて頼りになる子だって。」
俺は褒めらることに慣れていない。お尻がムズムズしてくる。
お姉さんはクスっと微笑んでから「私も由香里と同じよ」と言った。
「司くんを信用してる。だから・・・・どうかお願い。姫月さんを見つけ出して。このまま二度と会えないなんてことになったら、きっと一生後悔して・・・・、」
言いかけた時、俺のスマホが鳴った。
由香里君からの着信だ。
『もしもし?』
「おお、由香里君かい?花火はどうだった?」
『あれからすぐに帰りました。久能さんは?まだお酒を飲んでるんですか?LINEを送ってもぜんぜん返事がないし。』
「そりゃ申し訳ない。ちょっと酔っ払ってフラフラしてたもんでね。でも大丈夫、ほとんど酒は抜けたからもう帰るよ。」
『分かりました。じゃあ私は先に寝てますから。』
「ああ、君もぐっすり休んでくれ。」
『それと・・・・、』
「ん?」
『女将さん、もう一つ部屋を空けてくれる予定だったんですけど、急に予約が入って無理になっちゃったって。だから今夜も・・・・、』
「おお!同じ部屋か?」
『そういうことです。布団は思いっきり離しておきました。だからくれぐれも今朝みたいなことはしないように。』
「うんうん、分かってる分かってる。」
声が弾んでしまう。由香里君は『怪しい・・・・』と唸る。電話の向こうで眉を寄せている顔が目に浮かんだ。
『言っときますけど、もしまたおんなじことしたら本当に窓から蹴落としますからね。』
「それはそれでご褒美というかなんというか・・・・、」
『・・・・・・・・。』
画面越しに殺気が漏れてくる。
慌てて「冗談さ」と肩を竦めた。
「心配しなくても今朝みたいに寝ぼけたりしない。」
『あれわざとでしょう?』
「いやいや、ほんとに寝ぼけてただけさ。」
『怪しい・・・・。』
納得しない由香里君だったが、『まあいいです』と言ってくれた。渋々という顔がこれまた目に浮かぶ。
『田舎の夜は暗いですから。気をつけて帰って来て下さい。』
「ああ、おやすみ。」
『おやすみなさい。』
電話を切る。
顔を上げると、お姉さんが「早く戻ってあげなきゃね」とドアに手を向けていた。
「あの子拗ねてたでしょ?ああ見えてけっこう寂しがり屋なのよ。」
「ほう、それは知りませんでした。てっきり鋼のメンタルかと。」
「芯は強いんだけど、たまに脆いところもあるのよね。私が家出して心配かけてるから、きっと今の心の支えは司くんだけなのよ。」
お姉さんは「外まで送るわ」と立ち上がる。
花火はとっくに終わっていて、帰っていく人の群れがまばらにいる。
「明日また連絡するわ。おやすみなさい。」
背中を向け、宿の中へ消えていく。
俺は由香里君の待っている旅館へ歩き出す。
空を見上げ、「さあて、これからどうしたもんか」と頭を掻きむしった。
お姉さんの依頼、由香里君にバレないまま遂行できるだろうか?
これはかなり難易度の高いミッションである。
悩みながら夜道を歩いていると、ふと一秒先の未来が見えた。
パっと脇へ飛びのき、犬のウンコを回避する。
「ふ・・・・甘いな。」
前髪をかきあげながら勝利の余韻に浸る。
数メートル先で別のウンコを踏んづけた。

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