不思議探偵誌〜探偵危機一髪〜 最終話 探偵の運
- 2020.08.25 Tuesday
- 13:58
JUGEMテーマ:自作小説
事務所の窓を開けると秋風が吹き込む。
銀杏並木は黄色に染まり、ヒラリヒラリと葉が舞う光景はなかなか風情がある。
俺はタバコを咥え、フワっと煙を吐いた。
今年の夏は暑かった。
猛暑が何日も続き、事務所のエアコンはフル稼働であった。
おかげで電気代が嵩んで仕方なかった。
とはいえ室内でも熱中症が起きる時代である。
夏日の間、事務所にいる限りはリモコンの切ボタンに触れることはなかった。
「若い頃は夏が良かったが、この歳になると秋がいい。」
年々暑くなっていく夏。逆に秋のような過ごしやすい季節はどんどん短くなっている。
このままではいつか夏と冬だけになり、一年中暑さか寒さに堪えないといけなくなるかもしれない。
「由香里君、見てごらん。銀杏が色づいているよ。」
「知ってます。ここへ来る時いつも見てますから。」
彼女は最近買ったタブレットを片手に険しい顔をしていた。
「久能さん、今月また赤字です。これじゃいつ潰れてもおかしくありません。」
「毎度のことさ。」
「赤字に慣れないで下さい。来年には私もここに就職するんですよ?もっとちゃんと経営してもらわないと。」
「分かってるさ。けど今は秋の風情を楽しみたい。なんとも銀杏が綺麗だから。」
「風情を楽しむのは仕事に精を出してからにしてくれると助かるんですけど?」
「俺も今年で35になっちまった。この歳になると夏より秋がいい。」
「35なんてまだまだ若いじゃないですか。なっちまったなんて言い方しなくても。」
「たしかに35は若い。だがあと5年もすれば40だ。5年なんてすぐさ。」
「大人になるほど時間って早く感じますよね。ついこの前お正月だったのに、あと二ヶ月ちょっとしたらまたお正月ですもんね。」
「ほんとになあ。子供の頃は一年がとんでもなく長く感じたもんだ。」
椅子に座り、タバコを灰皿に押し付ける。
暑い暑いと思っていた夏も、過ぎてしまえばあっという間だった。
しかし今年の夏が忘れられない夏になった人たちもいる。
恋花さんと愛子さんだ。
・・・・二か月前のこと、彼女たちは一つの肉体に戻った。
しかし精神までは一つに戻らなかった。
『まだ答えが出ない。じっくり考えてみます。』
二人してそう言っていた。
しかし暗い未来にはなるまい。
なぜなら二人が一つの肉体に戻るということは、俺の予知した未来においては決して悪い人生ではなかったからだ。
逆にどちらか一人だけが肉体を所有する選択をしていた場合、肉体を持つ人格だけが幸せになる。
自分のことだけを考えるなら、少なくともどちらか一方にとっては良い未来が待っていたのだ。
だが二人で一人になった場合、幸せもあるが苦難も待ち受けている。
つまり幸不幸の値はプラスマイナスゼロになるわけだ。
しかしもう一つ別の未来がある。
それは精神も一つになること。
つまり人格が分離する前の状態に戻るということだ。
そもそも二人は別人ではない。
肉体も精神も、そして魂だって同じなのだ。
精神まで一つに戻ることに不安はあるだろう。
自分が消えてしまうんじゃないか?
まったく違った人格になってしまうんじゃないか?
あの二人はきっと迷っている。
いや、もしかしたらもうすでに・・・・、
「ねえ久能さん。」
由香里君がタブレットから顔をあげる。
俺は「なんだい?」と振り向いた。
「仕事中にエッチな本を読むのやめて下さい。」
「そんなもの読んでないさ。」
「新聞からはみ出てますよ。」
見るとカモフラージュの為に重ねていた新聞の端からオッパイが覗いていた。
「失敬」と机の中にしまう。
「ここに就職したら私が所長を代わりましょうか?」
「嫌だと言ってもそうなりそうで怖いな。ちなみにもし所長になったら俺をクビにしたりはしないよな?」
「あ、いいですねそれ!エッチな本ばかり読んでる助手はクビにして、もっとやる気のある人を採用して・・・・、」
「OK!出来る限り煩悩を抑えよう。」
「ていうかもうしないって約束して下さい。」
「ベストを尽くす。」
「ならやっぱり新しい人を採用して・・・・、」
今日もこんな感じで他愛ない会話が続き、ロクな依頼も来なかったので夕方には店仕舞いにした。
外に出て「う〜ん!」と背伸びをする。
「秋の空気は清々しいな。久しぶりに飯でも行くかい?」
「ごめんなさい。この前の依頼でけっこう使っちゃったから。」
「だから依頼料は要らないって言ったのに。今からでも返そうか?」
「いいですよ別に。いくら助手でも依頼は依頼なんですから。だいたいもう残ってないでしょ?」
「ほとんど飲み代で使っちゃったな。」
「ほら。」
「心配するな。飯くらい奢ってやるさ。」
「ほんとに?じゃあ・・・・どうしよっかな。」
口元に手を当てながら「今日は家に帰っても一人だし、外で食べようかな」と呟く。
「ほう、今日は家に誰もいないのかい?」
「そうなんですよ。お父さんは出張だし、お母さんは友達に会いに出かけてるし・・・・、」
言いかけた時、由香里君のスマホが鳴った。
「ちょっとすいません。」
スマホを耳に当てながら「もしもし?」と誰かと喋っている。
「うん、うん・・・そう。いま仕事が終わったところ。うん、久能さんも一緒にいるよ。あ、代わるの?はいはい。」
由香里君は「どうぞ」とスマホを差し出す。
「お母さんからです。」
「お姉さんから?」
受け取り「もしもし?」と電話に出る。
『ああ司くん?いま大丈夫?』
「ええ。」
『実は伝えいたいニュースが二つあるのよ。ショックを受けるかかもしれないから心して聞いてね。』
しばらくお姉さんと話す。
時間はそう長くなかった。
だが話を終える頃、俺はなんとも複雑な気分を抱える羽目になった。
浮かない表情で由香里君に電話を返すと「どうしたんですか?」と心配された。
「なんか急に元気がなくなったけど。」
「由香里君、悪いが飯に行くのはキャンセルさせてくれ。」
「べつにいいですけど・・・・ほんとに大丈夫ですか?体調が悪いなら家まで送っていきますけど。」
「いやいや、平気さ。」
無理に笑って見せる。
いつもなら『送ったついでに俺のアパートで一晩どうだい?』なんて言って正拳突きを食らうパターンなのだが、あいにくそんな冗談さえ言えない気分だ。
背中を向け「また明日」と手を振った。
「なんか全然力が入ってないけど・・・・ほんとに大丈夫ですか?」
「平気さ。君も気をつけて帰りたまえ。」
「・・・・分かりました。じゃあまた明日。」
駅までの道のりをトボトボ歩く。
ぼんやり空を見上げながら、お姉さんから聞いた二つのニュースを思い出す。
まず一つはあの姉妹に関することだ。
恋花さんと愛子さんは精神も一つに戻ったそうだ。
これは本人たちが願ったからではなく、勝手に一つにくっ付いたのだ。
あの日から一ヶ月後のこと、朝に目覚めると違和感を覚えたという。
なんと人格が一つになっていた。
恋花さん人格、愛子さん人格、それぞれの人格はいなくなっていたのである。
と同時に自分は恋花であり、愛子でもあるという感覚があったそうだ。
二人はそれぞれ性格や考え方、それに生き方も違う。
だが完全に一つに戻った今、困るどころか上手くいくことの方が多いという。
仕事やプライベートなど、人はあらゆる場面であらゆる顔に切り替わる。
恋花さんと愛子さんの長所と短所は真逆であり、それが完全に一つに戻ったことで、それぞれを完全に補い合う一つの人格が誕生した。
いや、本来の姫月さんに戻ったという方が正しいだろう。
育ってきた環境や状況のせいで恋花さんタイプの人格を押し出す形になってしまっただけで、愛子さんタイプの自分も元々存在していのである。
人と接するのは苦手だけど、慎重ながらも我が道を貫く恋花さん。
人の期待に応えようと無理しがちだけど、社交的で責任感の強い愛子さん。
・・・・俺が予知した三つ目の未来、二人が一人に戻ったらどうなるか?
「二人は元々一人なんだ。上手くいかないわけがない。」
そう、三つ見えた未来の中で、二人が最も幸せな人生を送れるのがこれだったのだ。
しかし抵抗はあっただろう。
別々だった人格が一つになるというのは怖いことだと思う。
自分が自分でなくなってしまうんじゃないか?
自我が消えてこの世からいなくなるんじゃないか?
しかしある日目覚めて一つになっていたということは、本心ではそれを望んでいたということだろう。
・・・・いや、本当のところは分からない。だがそういうことにしておこう。
問題は俺である。
恋花さんの頭に宿っていたケセランパサランモドキ。
あれ、実は本物だったのである。
俺が恋花さんの頭から追い出そうとした時、アイツは必死に抵抗した。
あれは追い出されるのが嫌だったからじゃない。
恋花さんを守ろうとしていたのだ。
「頭に巣食う悪霊が、いつの間にか幸せを運ぶ本物になっていたとはなあ。」
見抜いたのは透視能力を使った時だ。
抵抗するコイツをどうにかして追い出そうと、どこかに弱点はないかくまなく透視してみた。
その結果、祠に巣食う悪霊とはまったく違う姿が見えたのだ。
悪霊は表面こそ真っ白な綿毛だが、中身はドス黒い。
しかし恋花さんの頭に憑依したアイツは中身も真っ白。
おかしいな?と思っていると、ふと頭の中に声が響いた。
《長いこと一人の人間に巣食っていると、いつの間にか邪気が抜けてしまったよ。この子の性格が清らかなせいかもしれない。
これからは呪いでなく幸運を与えてやりたい。この姉妹が幸せな人生を歩めるように祝福を与えたやりたいんだ。
そこでだ。あんた、悪いんだけどちょっと手を貸してくれないか?
もし手を貸してくれるなら、モドキから受けるリスクもゼロにしてやろう。》
俺は言われるままに手を貸した。
おかげでパワーアップした超能力の反動は受けずに済んだ。由香里君もだ。
そしてあの姉妹はこれから幸せな人生を歩むことが約束されている。
本物のケセランパサランが祝福を与えているのだから。
そう考えると、一つに戻ったのもケセランパサランの力かもしれない。
なかなか答えを出さないものだから、これが最善の選択だぞと。
これで彼女たちは幸せ間違いなしである。だが俺はどうか?
「さあて、どうしたもんかな。」
ポケットに手をツッコミながら空を見上げる。
するとビルの上から鉄骨が落ちてきた。
「うおおおお!」
慌てて避ける。
しかし避けた先にトラックが突っ込んできて「ずうああああ!」と叫びながら飛び退いた。
だが飛び退いた先はなぜかマンホールの蓋が開いていて、危うく落っこちそうになる。
「ついに来たか・・・・。」
トラブルの連続コンボ。襲いかかる不幸のラッシュ。
これは偶然ではない。
ケセランパサランを使った代償なのだ。
あれは本来なら自分で捕獲し、自分で増やさなければならない。
しかし今回の件、俺は捕獲も増殖もさせていない。
つまり条件を満たしていない状態でケセランパサランを使った・・・・というより、あの姉妹を救うのに手を貸したのだ。
恋花さんの頭に宿るケセランパサランだけでは、とてもではないがあの姉妹を救うことは不可能だった。
そこで俺が「幸運の前借り」をすることで、ケセランパサランに力を与え、祝福を与えることになった。
これは何を意味するか?
《俺はアホだ。いくらあの姉妹を助ける為とはいえ、他人に自分の運を使ってしまうなんて・・・・。》
後悔先に立たず。
前借りした幸運の返済が始まった。
これがお姉さんからのもう一つのニュースだった。
『なんだか悪い予感がするのよ。これ由香里も言ってたんだけど、近いうちに司くんに不幸の嵐が襲いかかるんじゃないかって。
ただの勘といえば勘なんだけど、私って昔からこういうのだけは鋭くて。最近は由香里もこういう勘が冴えてきたみたいでね。
あの子なにか言ってなかった?・・・・あらそう。何も聞いてないのね。多分言い出せなかったんだと思うわ。司くんを不安にさせまいと。』
なるほど、相変わらず優しい子だと思った。
しかしこういう事はなるべく早く言っておくれよ由香里君。
『私の勘だとあと一ヶ月くらいは不幸が続くと思うわ。とにかく身の回りのに注意して。』
お姉さんの言葉を思い出していると、今度は何かにつまづいて転びそうになった。
間一髪、地面に倒れる前に手を着いたが、目の前には尖ったガラス片が散らばっていた。
「・・・・・・・。」
振り返るとマトリョーシカが落ちていた。
なぜ道端にこんな物が・・・・。
「ヤバイ・・・・これは本格的にヤバイぞ。」
一ヶ月もこれが続いたら、多分きっと生きてはいられないだろう。
久能司、今になって恐怖に青ざめる。
背中には冷や汗が流れ、ガクガクと膝が震えて・・・・、
「久能さん。」
ふと頭上から声がする。
見上げると由香里君がいた。
「そこ、ガラスが散らばってるから危ないです。早く立って。」
そう言って手を差し伸べてくれる。
俺は「膝がガクガクでね・・・」と、彼女の手を掴みながらへっピリ腰で立ち上がった。
「お母さん、なにか言ってました?」
「ああ・・・これから不幸が襲いかかるだろうと。」
「やっぱりそうなんだ・・・。私も胸騒ぎがしてたんです。ケセランパサランの反動ですよね?」
「だろうな。運の前借りは借金より恐ろしい・・・・。」
「でも立派じゃないですか。依頼人を救う為にそこまでするなんて。」
「そんなカッコいいもんじゃないさ。勢いでやったまでで。」
由香里君はクスっと笑い、「送っていきます」と言った。
「一人じゃ危ないでしょ?」
「いやしかしだな・・・・気持ちはありがたいが、俺と一緒にいたら君まで危ない目に・・・・、」
「それ前にも聞きました。」
「だったらすぐに帰った方がいい。いつ君にも鉄骨が落ちてきたりトラックが突っ込んでくるか分からないぞ。」
「もしそうなってらなんとかしてみせます。」
「強気だな。君らしいと言えば君らしいが。」
「だって家に送るだけですから。どうにかなりますよ。」
「なるほど。この不幸が今の一瞬だけと思ってるんだな?」
「一瞬だけってことはないでしょうね。今日一日くらいは続くと思います。だから家に帰ったら大人しくしてた方がいいですよ。
今夜は飲みに行ったりとか遊びに行ったりとかは控えて・・・・、」
「一ヶ月だ。」
「え?」
「この状態が一ヶ月は続くらしい。」
「そんなまさか。」
「確証はない。しかし由佳子お姉さんの勘がそう言っているそうだ。」
「お母さんが・・・・。」
神妙な顔になる。
どれだけ危険な状況が理解したらしい。
「悪いことは言わない。俺と一緒にいない方がいい。仕事もしばらく休みにする。
悪いがその間は給料が払えない。もし金に困るなら、俺の知り合いの飲み屋で短期のバイトを紹介して・・・・、」
「いますよ。」
「ん?」
「一緒にいます。」
「ああ、ええっと・・・・しかしそうなると君にも鉄骨が落ちてきたりトラックが突っ込んできたり・・・・、」
「なんとかしてみせますって。」
横に並び「嫌なことばかり心配してたって」と肩を竦める。
「なんにも良いことないですよ。」
「いや、実際に嫌なことがしばらく続くわけで・・・、」
「一緒にいる。そう言ったでしょ?」
クルリと踵を返し、「帰りましょ」と歩き出す。
なんと優しい・・・・そして逞しい子だろう。
彼女を追いながら「仕事中はエロ本を控えるよ」と言った。
「だからまあ・・・・なんだ。その、一緒にいてくれるのは嬉しい。」
由香里君は振り返り、「約束ですよ」と微笑む。
先を歩いて行く彼女の背中に「いつも感謝してる」と囁きかけた。
しかしその時だった!
眉間に力が集中し、一秒先の未来が見えた。
「危ない!」
駆け出し、由香里君の腕を引く。
「きゃあ!」
「大丈夫か!」
「な、なんですかいきなり・・・。」
驚く彼女に「コイツさ」と足元を指差す。
「コイツって・・・・あ!」
「な?」
最近はマナーの良い飼い主が増えたものの、完璧にゼロになったわけではない。
「危ないところだった」と言うと、由香里君もホっとしている様子だった。
「久能さん・・・ありがとう。」
「いいってことさ。それより早く帰ろう。どんな不幸が襲ってくるか分からない。」
踵を返し、颯爽と歩き出す。
一歩踏み出した先に別のウンコがあった。