短編小説「夏の夢」

  • 2020.07.06 Monday
  • 14:35

JUGEMテーマ:自作小説

古くからの言い伝えには意味がある。
迷信もあるだろう。
昔の人の想像力も、現代となっては単なる妄想に成り下がって、口にしたら笑われることもある。

でもそれは全てじゃない。
俺は信じている。いや、信じなきゃいけない。
地元にあるこんな言い伝えを聞いた。
夏の朝、雨上がりで前も見えないほどの朝靄が出る時、ある場所へ行くと願いが叶うという。
川沿いの細い道路、赤い橋の袂にお地蔵さんがいる。
普段はなんの変哲もない地蔵だ。
しかし夏になると地蔵の魂が現世にやって来て、生きた地蔵に変わるという。
もし生きた地蔵に出会うことが出来れば、どんな悩み事も一つだけ解決してくれるというのだ。
ただし条件がある。
まず一つ。
先述したように前も見えないほどの朝靄が出ている日であること。
この地蔵はかなりの恥ずかしがり屋なので、この世に魂が現れる瞬間を見られたくないのだという。
もしその瞬間を見ようと待ち伏せなどしていたら、絶対に現れないのだそうだ。
そして二つ。
最低でも一ヶ月は地蔵になんらかの施しをしているということ。
いきなり会ってお願いをしても聞いてくれない。
ちゃんとお供え者をしたり掃除をしたりして、お世話をしていないといけない。
なんの労力もなしに願いは聞いてもらえないのだ。
最後の三つめ。
それは夏であること。
これは謎だった。
先の二つの条件は分かるけど、三つ目だけがいまいち理解出来ない。
夏の朝は靄が出やすいから?
それともお盆のようにあの世の魂がこの世にやってくる季節だから?
俺は不思議だった。
だからこの言い伝えを教えてくれた人物に尋ねてみたことがある。
その人はいつも駅前の広場に座っていた。ホームレスだ。
カエルみたいにギョロっとした目をしていて、丸刈りの頭は大仏のようだった。
恰幅の良いお腹も大仏みたいだし、いつも座禅みたいな形で座っているから、もしあれで笠でも被っていれば修行僧に見える。
ずっと同じ場所で座り続け、目の前に置いた空き缶に施しを受けるのを待っているのだ。
いつからそこにいるのかは教えてくれない。
ただ相当な年季は入っていると思う。
この人が二ヶ月ほど前にこの言い伝えを教えてくれて、俺はそれ以来ずっと地蔵にお供え物をしているわけだ。
別にどうして夏じゃなきゃいけないのか知らなくても問題はない。
ないんだけど気にはなるので、以前に尋ねてみたのだ。
すると妙な答えが返ってきた。
『夏は近くて遠い所へ旅立つ季節だから。』
それでおしまいだった。
近くて遠いところ・・・なんだろう?あの世か?
この人は口数は多くない。
こうやって簡潔に答えるってことは、それ以上のことは言いたくないのだなと、あえてそれ以上尋ねることはしなかった。
別にいいのだ。
夏だろうが冬だろうが問題ない。ただ少し気になったからの質問だ。
俺は二ヶ月の間、頑張って地蔵の世話をした。
我慢して夏が来るのを待った。
そして今日、数メートル先も見えないほどの朝靄が出ている。
ボロいアパートを出て、今にも崩れそうな階段を下りていく。
途中でコンビニに寄り、お供え物のお菓子を買った。
あの人曰く、地蔵は甘い物が好物らしい。
シュークリームだのケーキだのプリンだの。
朝に供えると決まって夕方には無くなっている。
地蔵を管理してる人が回収してるのか?
それとも仕事のない人がありがたく頂戴しているのか?
まあ俺にとってはどっちでもいいことだった。
二ヶ月の間続けてきたお供え物、頼み事をする時だけ手ぶらというわけにはいかない。
いつもより多めに、そして少し高めのお菓子を提げ、地蔵の立つ川沿いまで向かった。
朝靄のせいで視界が悪く、信号の光さえもぼんやりとしか見えない。
こんな朝早く、しかも視界が悪い時にそうそう車は走っていないだろうけど、万が一を考えて慎重に歩いていく。
横断歩道を渡る時だけは足早に通り過ぎたのだが、ふと誰かの気配を感じて振り返った。
・・・・人だろうか?
靄のせいでシルエットしか見えないが、ほんの一瞬だけ人影が通り過ぎた・・・・ような気がした。
視界が悪いのですぐに見失ってしまったけど。
まあいい。人だろうが見間違いだろうがどうでもいい。
そんな事に構っている場合じゃなくて、川沿いの道を目指し、数分かけて赤い橋の袂までやって来た。
靄の少し向こうに地蔵らしき影が見える。
もし・・・もしもあの世から魂がやって来ていたら、この地蔵は生きた人間のようになっているはずだ。
どんな風だろうと想像してみる。
地蔵は小さいから子供みたいな感じだろうか。
靄の向こうのシルエットは、上背こそいつもと変わらないが、横幅はいつもより大きい気がする。
「本当に・・・・地蔵の魂がやって来たのか・・・・。」
深呼吸をする。ラジオ体操のように腕を伸ばしながら。
かなり緊張するが、思い切って靄の向こうへ向かった。
そこにいたのは命を持ったお地蔵様ではなく、いつも駅前に胡座を掻いているホームレスのおじさんだった。
俺に言い伝えを教えてくれた人だ。
目が合い、どうリアクションしていいか分からない。
俺はよっぽど間抜け面していたんだろう。
おじさんは声に出して笑った。
「キツネにつままれたみたいな顔しとるな。儂じゃ不満か?」
「だってアンタはただの人間・・・・、」
「地蔵の代わりに儂がおる。偽物なわけあるかいな。」
「どかしたんだろ?」
「あんな重いモン、一人でどかせるもんか。それより悩みがあるんだろう?聞かせてみい。」
からかってる・・・・そう思った。
そもそも言い伝えなんて嘘で、このおじさんが勝手に考えただけなのかもしれない。
俺は「読めたぞ」と言った。
「あんたアレだな?あんな嘘ついて地蔵にお菓子をお供えさせるのが目的だったんだろう?
夕方にはいつもなくなっていた。あれはアンタが持って帰ってたんだろ。」
「美味かったな。」
「ほらやっぱり!」
「感謝しとる。今時道端の地蔵にお供えしてくれる若者はほとんどおらんでな。」
「アンタなあ・・・・俺は本気で信じてたんだぞ!俺には悩みがあるから・・・・、」
「金じゃな。」
おじさんは断言する。悩みの内容は一度も話していないのに。
ニコリと笑ってから「よいぞ」と頷いた。
「いくら欲しい?」
「アンタ金なんて持ってないだろ。」
「そんなもんいくらでも生み出せる。ほれ。」
サっと手を振ると札束が現れた。
「足りるか?」
「あ、いや・・・・、」
「もっとか。ほれ。」
何度も手を振る。おじさんの前には札束の山が積み上がった。
ざっと見積もっても二億はありそうだ。
「持ってけ。」
「・・・・・・。」
お金は欲しい。でもはいそうですかと受け取れなかった。
まず信じられない。この人がどこに二億も隠し持っていたのか不気味である。
それにこんな大金を受け取ってしまうのは怖かった。
後から何を要求されるか分かったもんじゃない。
だがおじさんは言う。
「見返りは期待しとらん。そもそもお前さんはこの二ヶ月の間、儂の世話をしてくれたろう。」
「信心からじゃないですよ・・・・。あなたが良い話を教えてくれたから・・・・。」
つい敬語になってしまう。
だがおじさんは遠慮もなしに札束を増やしていった。
次々に積み上がっていき、おじさんが見えなくなってしまうほどに。
「もういいですって!充分です!こんなになくても足りますから!」
「遠慮するな。これはある意味では元々お前の物だ。」
「そんなわけないでしょ。こんな大金持ってたらそもそもここに来てないんだから。」
止めても聞かない。やがて俺の背丈よりも高く積み上がり、見たこともないお金の量に足が竦んでしまった。
「ほんとにもういいですって!俺が金を必要としてるのは・・・・、」
「理由はよい。望む物を取り出してやるだけだ。」
お金の増殖は留まるところを知らない。
こんな所を誰かに見られたら犯罪に巻き込まれそうな気さえする。
俺は無言のまま逃げ出した。
アパートに着く頃、あれだけ濃かった靄はすっかり晴れていた。
敷地を囲う植え込みのレンガに腰を下ろして、ついさっきの光景はいったいなんだったのかと頭を抱えた。
「・・・・束の一つくらい持って帰ればよかったなあ。」
今さらになって後悔する。でも引き返そうとは思わない。
俺の悩みは解決しないまま、この年の夏は秋風に押し出されていった。


     *


誰に頼まれるわけでもなく新しい夏はやって来る。
アパートの家賃さえ払えなくなった俺は、春先から駅前の広場を根城にしていた。
去年までここにいたあのおじさんはもういない。
そして赤い橋の袂にあった地蔵も・・・・。
実は一週間前のこと、濃い朝靄が出たので行ってみたのだ。
もしまだあそこにいるのなら・・・・そう期待したんだけど、いつの前にか消えていた。
撤去されたのか?それとも地蔵ごとあの世へ帰っていったのか?
俺には分からない。
はっきりしているのは今年は例にないほどの猛暑になるということ。
エアコンどころか扇風機さえ持っていない。・・・・この暑さをどう乗り切るべきか?
これが今一番の悩みだった。
別にもう金はいらない。ただ涼しく眠れる場所が欲しい。
あと食べ物も。
埋まらない辛さを抱えたまま、ボロボロのバックを枕にベンチで横になるしかなかった。
・・・・翌日の朝、また靄が出た。数メートル先さえ見えない濃い靄だ。
身体じゅう汗がべっとりで、砂漠を彷徨ったみたいに喉が乾いている。
ペットボトルに溜めていた水道水を一気に飲み干した。
去年のことを思い出し、あの時どうして俺は逃げてしまったのだろうかと、時間を巻き戻したい気持ちに駆られる。
もう大金はいらない。せめて一万円あれば、しばらくはまともな物が食えるのに・・・・。
だけど叶わない事を望むのは辛いことで、せめて木陰で横になろうとベンチから立ち上がった。
ボロボロのバックを肩に揺らしながら、駅の隅に植わっている木へ向かう。靄で先は見えないので慎重に。
するとそこには先客がいた。
靄の向こう、ぼんやりとシルエットが浮かんでいる。
なんだか覚えのある形だった。
もしやと思って駆け寄ると、あのおじさんがいた。
俺は一にも二にもなく「少しでいいんであの時のお金を・・・」を嘆願した。
するとおじさんは、俺が言い終える前に「ほれ」と何かを差し出した。
一万円札だった。
俺はそいつが目に映るのと同時に、ふんだくるようにして受け取っていた。
たった一枚のお札が輝いて見える。
去年目にした札束の山よりもずっと。
「助かります。実は俺が金に困ってるのは・・・・、」
「理由はいい。」
去年と同じように言う。
「あの時、大金を受け取らんでよかったな。」
「かもしれません。でも今はこんな生活ですけど。」
根城の駅前に手を向けると、「意外と住めるもんだろ」と笑われた。
「辛いことや嘆くこともあるだろう。ただあの時大金を受け取っていたら、お前はこの場所にすらいなかったろう?」
「そうですね。満足して死んでいたかもしれません。」
俺はたった一枚のお札を握り締めながら、これではまったく足りないと先が心配になっている。
でもそれでいい。不安になるからこそ生きていられるのだ。
もしたんまり金があったら、己の夢に邁進し、今年を迎える前にこの世を旅立っていたかもしれない。
「これだと決めた道があるんです。でもそれはよくよく考えればお金がなくても出来ることでした。
俺はこの為だけに生まれてきたって自負があって、それを達成してしまったらもう・・・・。」
「役目を終えてしまえばこの世に用はなくなる。お前のようにたった一つの道に全てを注ぐ者はな。」
「おかげで精進出来ました。去年より良い作品が創れそうなんですよ。」
孤独と辛さと不安に塗れるこの一年は、ある意味で俺を鍛え上げてくれた。
こうすれば完成形だとイメージしていた夢は、今となってはとても幼稚なものに思える。
だからやっぱり、あの時に大金を受け取らずに正解だったのだ。
叶えたい夢は変わらなくても、理想とするイメージは飛躍的に進化し、よりよいものへと生まれ変わる。
辛かったこの一年がそう実感させてくれた。
「これで帰れる。」
おじさんはのそりと立ち上がる。
いつから座っていたのか知らないけど、背中が痺れているのか気持ちよさそうに背伸びをしている。
「あの、もしかしてずっと俺のこと待ってくれてたんですか?」
「まあの。」
「昨日はいなかったから、夜中のうちにですよね?遠慮せずに声を掛けてくれればよかったのに。」
「もっと前からおる。それもお前のすぐ傍にな。」
「だったら気づかないわけがない。」
「いいや、誰よりもお前の近くにいたぞ。ただしお前からは見えない場所だ。」
「隠れてたってことですか?」
「隠れてはおらん。ただ見えないだけだ。目玉が180度後ろへ回るなら別かもしれんが。」
言っている意味が分からない。
ただ相当な自信を持って言い切る。
俺はまさかと思って「もっと前からって去年の夏から?」と尋ねた。
「条件は整った。だから出てきた。」
「たしかに今日は靄が出ています。でも・・・・、」
「去年は受け取らなかったろう?まだ望みは聞いておらんかったでな。」
そう言って「今日は靄が出てよかった」と真っ白な空気に包まれる景色を見渡した。
「なにより夏が来るまで待つしかなかった。」
「そういえば去年に尋ねた時にこんなこと言ってましたよね。夏は近くて遠い所へ旅立つ季節だからって。あれ、どういう意味なんですか?」
おじさんは無言のまま手を振る。
すると札束が現れた。
二度三度と振って瞬く間に増やしていく。
「いるか?」
「いえ。」
「じゃあコイツは?」
今度は金塊を生み出した。
そいつを地面に落とし、次々に財宝を出現させる。
銀、プラチナ、そして数々の宝石。
更には車まで出現させた。
ウン千万もするような高級車がポンと現れる。
売ればどれも凄まじい金額に変わる物ばかりで、俺は開いた口が塞がらなかった。
不思議に思う。だけど尋ねることはしなかった。
どうやって?なんて尋ねるのはナンセンスに感じたのだ。
これは理屈で説明できることじゃない。
だけど事実として受け入れるには抵抗があって、不気味さに後ずさるしかなかった。
「すごいだろう?」
「・・・・・・。」
「しかし驚くことはないぞ。これはお前の頭の中にあったもんだ。」
「俺の?」
「去年の話だがな。」
「あの時はとにかく金が欲しいと・・・・。」
「今年はどうかな?」
そう言って手を振ると小さな扇風機が現れた。
乾電池で動くタイプだ。
もはや俺は驚かない。
なるほど、近くて遠い所へ・・・・というのは、こういうことだったのか。
「持ってけ。」
俺の手に小型扇風機を押し付ける。
これはずっと欲しかったやつだ。
今年の夏に入ってから、あまりの暑さに耐えかねて電機屋へ避難したことがある。
エアコンの風はとても涼しかったが、小銭しか入っていない俺の財布では贅沢品もいいところだった。
かといって扇風機でさえ手に入らない。
よしんば誰かにもらったとしても、いったいどこにコンセントを挿すというのか。
そこで目に止まったのが乾電池で動く小型扇風機だった。
こいつなら・・・・これが手に入ったなら・・・・。
「分かりましたよ。近くて遠い所ってのはつまり・・・・。」
顔を上げるとおじさんはいなくなっていた。
だんだんと朝靄が晴れていく。
すると靄が消えるのと同時に札束や金銀宝石、それに高級車も消えていった。
残ったのは一万円札と小型扇風機だけ。
俺はふと思い立って、川沿いの赤い橋の袂に行ってみた。
「やっぱりか。」
いなくなったはずの地蔵が佇んでいる。
でもこの前は間違いなくいなかった。
なぜなら俺が手にしている一万円札や小型扇風機と同じ場所にいたんだから。
手を合わせようと思ったけど、その前にコンビニに立ち寄った。
甘いお菓子を幾つか買う。
そいつを供えてから手を合わせた。
俺は生きている・・・・夢だけ詰まったボロボロのバックを提げながら。
もし去年、大金を受け取っていたらと思うとゾっとする・・・・。
空は抜けるほど高く、遠くの積乱雲が唸りを上げている。
地蔵が少しだけ笑っているような気がした。

 

短編小説「魂の奏」

  • 2020.07.02 Thursday
  • 15:27

JUGEMテーマ:自作小説

熱気に歪む空から梯子が降りてくる。
そいつは地面を突き刺して地中深く埋まっていく。
僕は橋の上からその光景を眺める。
川には鮎釣りをする人たちがたくさんいるけど、どうやらあの梯子は僕にしか見えてないらしい。
届くだろうか?
目一杯伸ばしても距離が足りない。
橋の上からじゃ届かない。
だったら橋から飛べばいけるかも。
手すりの上に足を踏ん張る。勢いを付けようと力を溜める。
そして思い切り飛び出そうと瞬間、目の前に珍しい虫が飛んできた。
輝く緑色の羽。
赤い筋が入って色合いも美しい。
綺麗な虫だ。
玉虫だった。
美しいこの虫に目を奪われて、梯子が目に入らなくなっていた。
玉虫はしばらく僕の頭上を旋回してから、青い空、緑の山の方へ消えていく。
「まだいるんだな。」
ずいぶん少なくなった虫だ。
不意打ちの登場に感動すら覚えてしまう。
川に目を戻すと梯子は消えていた。
陽炎に歪む空はそのままに、地面を突き刺しているのは太陽の光だけ。
ああ、眩しい・・・・僕は・・・・僕たちは熱に弱いのに・・・・。
太陽を見上げると目眩がする。
夏は・・・夏の光は特に・・・・。
どうして僕はここにいるんだろう。
過去を振り返ってみても、あらゆる出来事が原因であるような気もするし、そうでもないような気もする。
ただ一つ言えることは、命を支える力はもうそろそろ尽きるってことだ。
だからこそ陽炎の空から梯子が降りてきたんだ。
あれを登っていけば天国か極楽か、はたまた桃源郷か分からないけど、誰かが僕の為に寄越してくれたことは間違いない。
邪魔したのは玉虫だ。
じゃあ嫌な気分かというと、決して嫌じゃない。
あの虫は勝手に飛んできた。
誰の為でもなく、頼まれるわけでもなく。
目の前を掠めていった美しい緑の羽は、まだこの目に焼き付いている。
「追いかけてみようか。」
もうほとんど力は残っていない。
でも自分で寿命を決めるのは良くない気がする。
別に今この瞬間が最期とは限らないんだ。
だから橋を飛び立った。
あと一日くらいならまだ生きられる。
そんな気力が湧いてくる。
頑張って山まで向かった。
でも麓まで行くのが精一杯だった。
ここはよく人が散歩をしている開けた林道だ。
残念ながら玉虫は見つからなかった。
でもどうせまだ生きられるんなら、最期が来るまで鳴いておこうと思う。
腹に力を込めて魂の叫びを奏でるのだ。
どれくらいそうしていただろう・・・・。
太陽はとっくに傾いて、空は黄金色に染まっている。
玉虫と同じくらい綺麗な空だ。
こんな風に感傷的になるのは、もうそろそろ僕が旅立つから、何もかもが綺麗に思えるだけなのかもしれない。
なんでも美しいと思うと、魂の奏でにも伝わるみたいで、散歩をしていた人がふと足を止めて木立を見上げた。
射し込む夕陽に目を細めている。
僕の魂の音に耳を澄ましている。
自慢じゃないけど、僕の奏でる音は同族たちの中でも美しい方だと思う。
ジージーだのツクツクホーシだの、あれはあれで面白いと思うけど、もっともっと切なくて風情のある音を奏でられるのだ。
特に空が夕陽に染まる頃には最高の音になる。
だからその人はしばらく聴き入っていた。
夕陽を見つめ、木々の匂いに包まれ、全身でこの季節の風情を吸い込むかのように。
そして歩き出す。
去り際に一度だけ振り返り、「もう夏も終わりだな」と呟いた。

短編小説「100年の時」

  • 2020.07.01 Wednesday
  • 20:11

JUGEMテーマ:自作小説

私には前世の記憶がある。
もう100年も前の記憶だ。
だから知っている。
娘の家の井戸の向こうにあの子がいることを。
夏休み、お盆には毎年娘の家に来て、井戸のあの子と顔を合わせる。
夜、みんなが寝静まった頃を見計らって、こっそり部屋を抜け出して。
古い家だから歩く度にギイギイ音が鳴るけど、みんなぐっすり寝てるから気づかれることはない。
庭に出ると虫の声がとても大きく聴こえてくる。
私はサンダルを滑らすようにして歩きながら、もう使われなくなった井戸に近づいた。
今夜は満月で、ほんのりと井戸の中が見える。
田舎の月光は都会の街灯よりずっと明るいのだ。
私は井戸を覗き込む。
縁に手を掛けて、グっと首を伸ばして。
名前を呼ぶと水が跳ねる音がした。
「来たよ。」
井戸の中に呟く。
また水が跳ねて、『来たよ』と返ってくる。
それは私とそっくりの声で、まるで双子がしゃべっているみたいだった。
『こっちはもう慣れた。そっちは?』
「こっちも慣れたよ。」
『こっちは不便だけど楽しいね。』
「こっちは便利だけど息が詰まるね。」
『こっちは危ないこともあるけど、自由もあるね。』
「こっちは安全だけど、自由なようで自由がないね。」
『こっちのお米は美味しいけど、田植えが大変だね。』
「こっちの田植えは機械で楽チンだけど、お米はそっちの方が美味しいだろうね。」
『どっちがいいんだろうね?』
「どっちがいいんだろう?」
私にはあの子の気持ちが分かる。
100年前に住んでいた町の記憶があるんだから。
そしてあの子も私の気持ちが分かるはず。
100年後の来世の町の記憶があるんだから。
こっちが井戸を覗き込むと、向こうも井戸を覗いているのが分かる。
ほのかな月の光に照らされて、底の水にぼんやりと顔が浮かんでいるから。
それはあの子の顔でもあるし、私の顔でもある。
そういえば私たちが初めて出会った時も、こんなに明るい夜だった。
昔はトイレって家の外にあって、怖いのも我慢して庭まで出ていた。
あの夜だってそうだ。
私は庭のトイレに行ってから、早く家に戻ろうとした。
でもなんとなく井戸が気になって覗き込んだら、あの子と目が合ったのだ。
始めは自分の顔が反射しているのかと思った。
でも違った。
私はおかっぱだけど、井戸の中のあの子は長い髪をしていた。
私は着物だけど、あの子は洋服を着ていた。
でも顔はそっくりだし、自分の生き写しみたいで、怖いというより不思議な感じがして、ずっと見つめ合っていた。
思い切って「こんばんわ」って言ったら、『こんばんわ』って返ってきた。
顔だけじゃなくて声までほとんど同じで、もっともっと不思議な気持ちになった。
そしてお互い一緒にこんなことを呟いた。
「未来の私?」
『昔の私?』
まったく同じタイミングで、同じ声で同じことを呟いて、これはもう間違いないって確信した。
そしてまた同じタイミングで同じことを叫んでいた。
「私と代わって!」
『私と代わって!』
別に深い意味はなかった。
いま自分がいる時代が嫌だとか、辛い目に遭ってるとかじゃない。
いきなりこんな不思議なことが起きて、このチャンスを逃したら二度と無いと思ったのだ。
それはあの子も同じだったみたいで、私たちは答えを聞く前に井戸に飛び込んでいた。
・・・・あれから五年が経った。
最初は戸惑ったし、頭がおかしくなったんじゃないかってみんなから疑われることもあった。
まあ当然だ。私は100年前の記憶のまま生きているんだから。
でもそれはあの子も同じだと思う。
こんな便利な時代から、あんなに不便な時代に飛ばされてしまったのだ。きっと苦労してるはずだ。
100年後の時代は楽しかった。でも慣れないことや嫌なこともたくさんあった。
便利な反面、息が詰まりそうなことがたくさんで、もうそろそろ・・・・、
『戻ろうか?』
「戻ろうか?」
あの子も同じだった。だから五年前みたいに井戸に飛び込んだ。
・・・・・・・・・。
そして私は100年後に戻ってきた。
なんて便利で楽チンな時代。そしてなんて息苦しくて窮屈な時代。
だけどそれでも慣れた時代が懐かしくて、戻ってきてよかったって思う。
私は井戸を覗き込む。
もうあの子の姿は見えない。
どんなに月が照らしても、底には水が溜まっているだけで、不思議なことが起こる予感はまるでなかった。
「じゃあね」と井戸に手を振って家に入る。
40年前に建て替えた新しい家だ。
100年前の私の弟の子供が建ててくれたのだ。大工さんだったから。
五年も離れていたのにそこまで違和感がないのは、あの子がこの時代で暮らした記憶が残っているせいかもしれない。
何も変わらない。まるで昨日までずっとここで暮らしてたみたいに馴染む。
布団に入り、目を閉じる。
すごく良い夢を見た・・・・ぐっすり眠れた。

 

     *

 

次の日の朝、朝食を食べてから川へ遊びにいった。
家に戻るとお婆ちゃんがスイカを切ってくれていて、弟と一緒に縁側に座りながら食べた。
なんだか100年前のあの子と入れ替わっていたのが嘘のように感じる。
ぜんぜん現実感がなくて、ただ夢を見ていただけみたいに。
もしかしたらそうなのかもしれない。私はずっとこの時代にいて、あれはただの妄想だったのかも・・・・・。
そんなことを考えてると、お婆ちゃんが「そういえば」と手を叩いた。
「ずっと昔のことなんだけど、私のお母さんが不思議なこと言ってたんだよねえ。」
「不思議なこと?」
「100年後の私はあんたの孫として生まれてくるだろうって。多分その頃に私はいないだろうから、よろしく言っておいてって。
あの時は私もまだ子供だったし、なんとなく頷いたんだけど・・・・、」
そう言いながら井戸を見つめる。
「きっとあの井戸から戻ってくるからってさ。あれなんだったんだろうねえ。」
私は何も答えずにスイカを頬張る。
すると続けてこんなことを言われた。
「ああ、それと・・・、」
「うん?」
「一度あることは二度あるって。私はあの後もう一度井戸の向こうに行ったから、100年後の私にもそう伝えておいてほしいってさ。」
私はスイカを頬張るのをやめた。
井戸からじっと目が離れない。
・・・その日の夜、また部屋を抜け出して庭に出てみた。
今日はたくさん雲があるから空はそんなに明るくない。
井戸へ近づく。覗き込むのが少し怖い。
けどやっぱり気になる。
恐る恐る井戸を覗いてみると、真っ暗で何も見えない。
ちょっと安心する。けどちょっとガッカリもする。
やっぱり何もないやって顔を上げようとした時、ふわっと辺りが明るくなった。
流れる雲の隙間から月光が射していた。
井戸の中がほんのりと月明かりに染まる。
五年前のあの時みたいに不思議な空気が漂う。
水底には私とそっくりな誰かの顔が映っていた。

短編小説「去年の夏」

  • 2020.06.30 Tuesday
  • 16:24

JUGEMテーマ:自作小説

夏、酒を飲んで浮かれることも多いだろう。
地元に帰って昔の友達と会った時なんかは特に。
俺は古いトンネルの前に佇みながら、去年の夏を思い出す。
この一年間、ずっと気分が沈んでいる。
あんな事があったせいでずっと・・・・。

 

     *

 

去年の夏こと、地元へ帰った時に同級生と酒を飲んだ。
同じ部活で特に仲の良かった奴らと集まったのだ。
高校を出てから10年。
滅多に会わなくなった奴がほとんどで、なかなか楽しい夜だった。
一次会、二次会と続き、ほんとならそれでお開きだった。
けどみんなで集まるなんてほんとに久しぶりだったし、酒の勢いもあって肝試しに行こうとなった。
一人下戸がいるので、そいつが車を出すことになった。
場所はどこがいいか話し合った。
やっぱり一番はあそこだろうと、町の外れにあるトンネルへ向かうことにした。
隣には大きな街があって、このトンネルを通るのが一番近い。
けどその分交通量も多く、しかも狭いときてる。
長さはそんなにないんだけど、照明がショボイせいで中はかなり暗い。
なもんだから事故が多い。・・・・いや、多かった。
老朽化の進んだトンネルは、事故防止も兼ねて使われなくなった。
今は少し離れた場所に新しいトンネルが出来ている。
こっちはとても広いし明るい。歩道もかなりの幅があるので事故はほぼ皆無である。
こんな場所で肝試しをしても面白くない。
だから事故の多かった旧トンネルへ向かった。
町の外れにある坂道を登る。
トンネルへ続く細い別れ道の前には立入禁止のロープが張られていた。
俺たちは路肩に車を停め、徒歩で入口まで向かう。
まずトンネルってのは山を通すものだ。
だから旧トンネルへ続く道は草木が茂っていた。
ライトを照らすと気持ち悪い虫が足元を這って逃げていく。
伸びた枝が行く手を阻み、道路には蔦が伸び、ピー!だのギャ!だの鳥だか動物だかの不気味な鳴き声が響いてくる。
それらを我慢して奥へ進むとトンネルの入口が現れる。
当たり前のことだけど中は真っ暗だ。
ライトを向けると余計に不気味だった。
ヒビ割れたコンクリートの壁、二度と灯ることのない電灯、それに舗装されなくなったアスファルトの道は雑草が根を張ってでこぼこしている。
なにより怖いのは、ここは事故が多発した場所ということだ。
噂は絶えない。
夜に一人で帰っていた学生が幽霊の声を聴いただの、車のルームミラーに人の顔が映っていただの。
後ろからとつぜん誰かに肩を叩かれて、服を脱いだら手形が付いていただの。
数え上げればキリがないほどだ。
その中でも一番多い噂が、ボサボサ頭にモジャモジャの髭をした幽霊に追いかけられたって話だ。
奇声を上げながら走ってきて、車に乗っても追いかけようとしてくるらしい。
今まで耳にした噂が蘇り、恐怖が増していく。
俺一人なら間違いなく引き返しているだろう。そもそも来なかっただろうけど。
他の連中も顔が引きつっていた。
さっきまでの酒の勢いはどこへやら。
誰もが無口になる。
俺たちはしばらく立ち尽くす。
そして誰かがこう言った。
「ジャンケンして負けた奴だけ行くってのは?」
すると別の奴がこう答えた。
「あみだクジで負けた奴にしよう。」
するとまた別の奴がこう言った。
「・・・・帰らないか?」
またみんな無言になる。
でも答えはもう決まっていて、誰ともなく足が車を停めてある方へ向かい出す。
・・・・その時だった。
後ろから誰かがついて来る足音がしたのだ。
みんな立ち止まり、振り返る。
足音は確実に迫っていて、だんだん距離を縮めてくる。
一人が恐怖に耐えかねて後ずさる。
別の一人は逃げる体勢に入る。
そしてもう一人は思い切ってライトを照らした。
真っ暗な夜道の向こう、光が切り裂いた先に人の姿があった。
ボサボサの髪にモジャモジャの髭。服はボロボロだった。
目は血走っていて、わけの分からない寄声を上げながら走って来る。
俺たちは一目散に逃げ出した。
足がもつれそうになる・・・・でも足音は追いかけてくる・・・・だから余計にもつれそうになる・・・・・。
それでもなんとか車にたどり着いた。
俺の車じゃないけど、慌てていたから運転席に乗り込んでしまった。
「早く出せ!」
鍵を渡され、エンジンを掛ける。
ギアをドライブに入れ、サイドブレーキを下ろした時だった。
奇声と共に足音が追いかけてきて、ドンドンドン!と車を叩いた。
車内はパニックになる・・・・・・・・。
もう何かを考えている余裕はない。
アクセルを踏み込んで急発進させた。
猛スピードで坂道を下る。トンネルから離れていく。
でもまだパニックは収まらなくて、俺たちはみんな青い顔をしていた。
とにかくもっとトンネルから離れないといけない・・・・。
法定速度なんて無視して夜道を突っ切る。
・・・・そして事故を起こした。
赤信号を見落としてしまったのだ。
右から車が走ってくる。
俺は咄嗟にハンドルを切った。
相手も急ブレーキを掛けたみたいで、キュキュキュ!とタイヤと道路の摩擦音が耳を刺す。
けど合わなかった。
俺たちの車の後ろに、相手の車のフロントの角がぶつかる。
すごい音がした・・・・・ひっくり返るかと思うほどの衝撃があった・・・・。
俺たちは電柱にぶつかり、相手は歩道を乗り上げてコンビの車止めにぶつかっていた。
「どこ見てんだテメエ!」
車から厳つい感じのオジサンが降りてくる。
コンビニの店員さんが何事かと顔を覗かせている。
俺たちはただただ呆然としていた。
やがて警察が来る。事情を聴かれる。
「実はトンネルに肝試しに行って、そこで誰かに追いかけられて・・・・、」
言葉に詰まりそうになりながらたどたどしく説明する。
話を聞き終えた警官は、表情を険しくしてこう言った。
「つまり酒飲んで運転してたのね?」
「え?」
「あんた酒入ってるんでしょ。」
「いや、ええっと・・・・・、」
「これ君の車?」
「違います・・・・。」
「行く時に運転してた下戸の子は誰?」
「助手席の奴で・・・・・、」
「行きはその子が運転して、帰りは君だった。だから運転席に座ってるんでしょ?」
「はい、まあ・・・・。」
「じゃあ飲酒でしょうが。」
「で、でもいきなり誰かに追いかけられたから・・・・、」
「そもそも旧トンネルは立入禁止でしょうが。」
「中には入ってませんよ!途中で引き返して・・・・・、
「旧トンネルへ続く別れ道にロープ張ってあったでしょ。立入禁止って。」
「まあ・・・・。」
「この季節になるとよくいるんだよ。ああいう場所に行ってトラブル起こす奴が。なんで行ったの?」
「ちょっと肝試しに・・・・・、」
「ほらそうでしょ。そういうこと言ってるんだよ。」
「・・・・・・・・。」
「だいたいさ、老朽化して危ないから立入禁止なんだよ。」
警官は「現行ね」と手錠を取り出す。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「抵抗しない方がいいよ。」
「でもいきなりそんな・・・・、」
「大量に酒飲んで事故起こしてさ、捕まるに決まってるでしょ。」
「だけどアイツが悪いんですよ!あの変な奴がいきなり追いかけて来るから慌てて逃げ出したんです!
あそこが立入禁止なら、アイツだって悪いわけじゃないですか!」
「あとで調べる。」
「今から調べて下さい。アイツが追いかけて来なかったらこんな事にならなかった!」
「だから言ったでしょ。トラブル起こすって。」
「はい?」
「ああいう場所は誰が入り込んでるか分からないんだからさ。仕事も家もない人が雨風凌ぐのに使ったりとかあるんだよ。」
「ホームレス?」
「かもしれない。まあとりあえず署まで来てよ。」
俺は手錠を填められた。
そして警察はトンネルへ行き、俺たちを追いかけたアイツを調べてくれた。
しかし誰もいなかったという。
そんなはずはないと訴えたけど無駄だった。
この年、俺にとっては史上最悪の夏になったのだった。

 

     *

 

翌年の夏、俺は免許を持っていなかった。しばらく持つことが許されないからだ。
あの事故では幸い怪我人はいなかった。
だけどそれでも相応の罰は食らうことになった。
運転が出来ないと不便なもので、配達をやっていたから仕事もクビになってしまった。
今は地元に戻り、バイトで食いつないでいる。
あの時のメンバーとはもう連絡を取り合っていない。
互いに気まずくなってしまったから。
去年は本当に最悪の夏だった。
一年経った今でも気分は沈んだままだ。
・・・・・俺はトンネルの前に佇む。
ゆっくりと足を踏み入れ、夜になるまでひたすら待った。
真っ暗な中、外から響いてくる鳥だかなんだか分からない鳴き声を聴きながら。
最初は怖かった。けどもう慣れた。
こうして夜のトンネルで過ごすのは今日で10日目だからだ。
誰もいないトンネルの中、一人で時間が過ぎるのを待つ。
そしてとうとうお目当ての獲物がやって来た。
外から声が聴こえる。
おそらく若い男女のグループだろう。
「やっぱり怖い」とか「私ぜったいムリ!」とか叫んでいる。
怖がる女に良いところを見せようと、男が「俺がついてるから」とか「なんかあったら守るから」なんて言っている。
入口付近をウロウロしながら、入ろうかどうしようか迷っていた。
俺はカツラを被り、髪をボサボサにかき乱す。
そして仙人みたいなモジャモジャの髭を付けた。
やがてライトが中を照らした。
一筋の光がトンネルの闇を切り裂き、ゆっくりと移動しながら俺の顔を直撃する。
何も見えない・・・・でもライトの持ち主がどういう感情を抱いているのかは分かる。
トンネルの外から悲鳴が上がった。
続いて誰かが逃げ出す足音。
「置いてかないでよ!」と女も駆け出す。
俺は立ち上がり、これみよがしに足音を響かせながら追いかけた。
「車!早く車に!」
逃げていく獲物たち。
俺は奇声を上げながらダッシュした。
「来た!ちょっと・・・・、」
「シュウジ!車!運転早く・・・・、」
「いや運転はお前だろ!俺酒飲んで・・・・、」
「じゃあ運転席に乗るんじゃねえよ!」
席を代わろうとしている。
俺は車に飛びかかり、ドンドンドン!と窓を叩いた。
また悲鳴が上がる。
車内がパニックになる。
そしてタイヤをスリップさせながら猛スピードで走り去っていった。
「・・・・・・・・。」
彼らは逃げていった。でも獲物を逃がしたわけじゃない。
俺としては出来る限りのことはやったわけで、後は運に任せるしかないのだ。
しばらく息を潜める。
じっと耳を澄ます。
・・・・数十秒後、遠くから音が聴こえた。
急ブレーキの音と、何かががぶつかる凄まじい衝突音が。
俺は笑いを噛み殺す。
吹き出しそうな口元を押さえ、誰にも見つからないようにトンネルから離れていく。
去年の夏から沈んでいた気分がようやく晴れた。

短編小説「日暮れの待ち人」

  • 2020.06.29 Monday
  • 10:48

JUGEMテーマ:自作小説

夏の登山は辛い。
汗だくになるし喉は乾くしTシャツは貼り付くし。
それに山道の蜘蛛の巣も手強い。
木陰になるような場所では二メートルおきくらいに張り巡らされていて、こいつを払うだけでも鬱陶しい。
油断してると顔に掛かるし。
それに山頂にたどり着いたからといって涼しいとは限らない。
1000メートル級の山ならともかく、標高が400メートルと少しくらいでは大して気温は変わらない。
それでも僕は山へやって来た。
毎年思う。来年はやめとこうって。
なのに今年は今年でまた夏の登山に挑もうとしている。
別に辛い事や過酷な事が好きなわけじゃない。
なのにこうして麓までやって来て、うだるような暑さに負けまいと、すでに水を飲み始めている。
鮮烈な青さの空と、目眩がしそうなほど濃く染まった緑に、油絵の中に閉じ込められたような気分になるけど、ここまで来て踵を返すことはありえない。
トンビの鳴き声に背中を押され、麓の奥へと続く山道へ向かった。
「今から登るの?」
ふと誰かに声を掛けられる。
振り向くと細身のおばさんがいた。
足元には桶と柄杓、手には仏花を握り、手首には数珠?・・・・と思ったけど、古い縄のような物を巻いている。
ペコリと頭を下げ、柔和な表情でこっちを見る。
「山に登るの?」
「はい、ちょっと。」
相槌を打つと「男の子だもんねえ」と言われた。
「私も子供の頃にお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達と一緒に来たんだけど、登らせてもらえなかったのよ。
女の子には無理だって。特にお前は怖がりだし引っ込み思案だからって。
疲れたりトイレに行きたくなっても言わないままで、ギリギリになって慌ててみんなを心配させるからって。
だからここで待ってろって。それか帰るか。だからずっと麓で待ってたわ。」
僕は愛想笑いを返し、すぐに登山へ向かおうかとした。
けど話しかけてくれた人を無碍にするのは悪い。
これは性格の問題なんだろうけど、気を使ってくれる人にはこっちも気を返さないとモヤモヤしてしまう。
だから「お墓参りですか?」と尋ねた。
おばさんは墓地を見渡しながらさっきと同じ話を繰り返した。
「小さい頃にね、お兄ちゃんたちと一緒に来たのよ。でも登らせてもらえなかったわ。
お前は臆病なくせに我慢強いから、歩けないほどしんどくなってから歩けないとか言ってみんなを困らせるからって。」
「きっと危ないと思ったんですよ。この山って標高は低いけど道は険しいから。途中にロープを掴まないと登れないほど急な道とかもあるし。
ずっと昔に滑落事故があったって話を聞いたことがあります。あと何年か前にも同じような事故があったらしいですよ。
小さい女の子だと危ないから、お兄さんは心配したんでしょうね。」
「でね、私はずっと待ってたのよ。一人で虫を捕まえたり、そこの小川で魚を眺めたりしながら。日が暮れるまでずっと。」
おばさんは目の前の墓石に茂る雑草を撫でる。
「おばさんはお墓参りですか?」
「男の子は力があるものね。だからお兄ちゃんたちは元気いっぱいに登って行ったわ。でも私は駄目だって。
一緒に行きたかったけど、引っ込み思案だから言えなかったわ。」
「子供なのにこの山をすぐ登るってすごいですね。僕なんか途中ですぐ息が切れて・・・・、」
「私はここで待ってなさいって。お兄ちゃんと友達はスイスイ登っていって。私は夕方になるまで一人で遊んでた。親が迎えに来るまでずっと。」
首を伸ばして山道を見つめている。
「山に登るんでしょ?」
「はい、今からちょっと。」
「私はここで待ってなさいって言われて、ずっと待ってたわ。一緒に登るって言ったらお前には無理だって。」
「・・・・・・・・。」
「一緒に行きたかったけど、怒られるのが怖くて我慢してたわ。ずっと待ってたんだから、せめてお帰りって言ってくれたらいいのに。
私はずっと待ってたのに。お前はここにいろって、お兄ちゃんは登って行って。」
「・・・・・・・・。」
何度も同じ会話が繰り返される。
こっちの話はほとんど聞いていなくて、自分の思ってることだけを話している。
僕はしばらくその場にいた。
おばさんは一歩も動かない。ずっと墓石の前に立っている。
いつまでたっても柄杓で水を掛けることもなく、仏花を供えることもしないまま。
やがて寂しそうな目で墓石に茂る雑草を撫でていた。
僕はおばさんが変わり者だとは思わない。
何度も同じ受け答えをしたって、墓石の前から一歩も動かなくたって、柄杓も仏花も手に持ったまま寂しそうに固まっていたって。
少しも変わり者だなんて思わなかった。
少し人とは違うけど、変わり者じゃない。
もっと違う理由で同じ受け答えを繰り返し、その場に佇んでいるんだろうと感じた。
でもそれは尋ねなかった。
たんなる僕の思い込みかもしれないし、おばさんにとっては聞かれたくないことかもしれないし。
「じゃあ今から登って来ます。」
「頑張ってね。」
おばさんは手を振る。
この時だけは同じ受け答えはしなかった。
僕は大変な思いをしながら山に登った。
流れる汗と喉の渇きと蜘蛛の巣と格闘しながら。
ロープを掴む急な斜面は特に気をつけた。
黒と黄色の模様をした真新しいロープに体重を預け、斜面を蹴る。
去年はもっとボロボロだった。傷んでいたから替えたんだろう。そういえば何年か前にも替わっていたことがある。
何年か毎にこうして新調するんだろう。
頑張って登って、頂上で弁当を食べた。
別に涼しくない。特別に綺麗な景色でもない。
でも夏になると無性にここへ登りたくなる。
楽しいわけでも気持ちいいわけでもないのに。
強いていうならこの場所が呼んでいるような気がするのだ。
夏になったらここへ来いって。
「もう何年もここへ来てるのに、あのおばさん初めて話しかけてきたな。今までは姿さえ見せなかったのに。
きっと似てたんだろうな。僕は童顔だし背も低いし。だったらもっと早く言ってくれれば・・・・。」
そういえば引っ込み思案だって言っていたっけ。
そのクセ我慢強くて、我慢が限界に来るまで辛いことを言い出さないって。
きっと遠慮してたんだろう。他人に頼むようなことじゃないって。
いつもなら弁当を食べて少し休んだら下山する。
だけど今年はいつもより長めに頂上にいた。
傾いていく太陽を見上げ、そろそろかなと思って山を下りていく。
麓のお墓に来るとおばさんはいなくなっていた。
変わりに小さな女の子がいて、虫を採ったり小川の魚を眺めたりしている。
やがて一人遊びにも飽きたみたいで、おばさんが立っていた墓石の前に座り、オレンジ色に染まっていく空を見上げて寂しそうな顔をした。
僕は驚かせないように近づき、腰を屈めながらこう言った。
「ただいま。」
女の子は寂しそうな顔を消し、はしゃぎ出しそうな笑顔に変わる。
「もう日暮れだし早く帰ろう。」
僕が歩き出すと、トコトコと後ろをついて来る。
そして麓から離れて田園に差し掛かる頃、僕の背中に一言だけ呟いた。
『おかえりなさい。』
一瞬だけ風が吹く。夏を思わせる草木の匂いだった。
僕は振り返らなくても分かった。後ろをついて来る気配が消えたことを。
このまま帰ろうかと思ったけど、ふと立ち止まって麓へ引き返した。
案の定、あの子はもうどこにもいない。
・・・・いや、いるにはいる。
僕の目の前、枯れ果ててボロボロに崩れた仏花が活けてある向こうに。
夏の陽は長い。夕暮れといっても、もう七時前だ。
花屋は無理でもホームセンターなら開いているだろう。
僕は車を走らせて街へ出て、もう一度山へ戻って来た。
墓前が彩る。柄杓の水に濡れる。
翌年から山に呼ばれることはなくなった。

短編小説「風鈴塔」

  • 2020.06.26 Friday
  • 14:15

JUGEMテーマ:自作小説

夏といえば風鈴。
あの涼しい音色が僕は大好きだ。
近所のお寺に風鈴塔と呼ばれる塔がある。
その名の通り風鈴が付いている塔だ。
五重の塔を小さくした感じのような建物で、高さは二メートルほどしかない。
とても細いので中に住めるわけでもない。
つまりオブジェだ。
この塔には夏になると数え切れないほどの風鈴がぶら下がる。
たくさんの風鈴がチリンチリンチリンチリンと忙しなく音を響かせるものだから、少し五月蝿く感じる時もある。
だけど近所の人たちは慣れたもので、道路を走っていく車の音のように、日常音として聞き流していた。
僕は暇な時はよく風鈴塔を眺めている。
狭いアパートの二階、少し身を乗り出しながら。
他所から来た人は珍しがって写真を撮っていくこともある。
季節は夏の終わり、明日から九月に変わる。
ぼんやりカレンダーを眺めつつ、風鈴塔に目を移す。
お寺から住職が出てきて、風鈴を五個もぶら下げた。
そして数珠を握り、手を合わせて拝む。
「毎年八月の終わりになると増えていくな。てことは今年は五匹旅立ったわけか。」
あの風鈴の数は命の数である。
風鈴塔はお寺の床下や蔵に住み着く猫たちの墓標である。
住職は野良猫に住処を提供しているのだ。
別にどこかから拾って来るわけじゃない。
あちこち彷徨う猫が流れ着き、居候しているのである。
このお寺、猫たちにとってはよっぽど居心地がいいのか、一度住み着いたら離れない。
ということはここで一生を終えるわけで、天に召される度に墓標の風鈴は増えていく。
住職なりの供養なんだろうけど、なぜ風鈴なのかは知らない。
そもそも決まって夏の終わりに旅立つのはどうしてだろう。
暑さのせいで年寄りの猫なんかは耐えられなくなるんだろうか。
いつか尋ねてみようと思いつつ、なんとなくキッカケもなくて、ずっと尋ねられないままだった。
翌年の春、僕は大学を卒業して就職した。
遠い街に引っ越し、四年が経つ頃には、それなりに仕事もこなせるようになって肩書きも一つ上がった。
営業職は大変だけど、もともとの性格が向いていたのか、そうストレスを溜めずに続けられていた。
ある夏の日のこと、出張で学生時代に住んでいた街に行った。
案外早く仕事が終わったので、ちょっとノスタルジーにでも浸ろうかなと、街をブラブラ歩いていた。
大学、よく行ったファミレス、彼女と喧嘩別れした映画館。
良くも悪くも色んな思いでが詰まっている。
そしてふと風鈴塔のことを思い出した。
「あの頃とは比べ物にならないくらい風鈴が付いてるだろうな。」
あの住職はどうして猫が亡くなる度に風鈴を付けていたのか?
知らないまま街を離れてしまったことを思い出す。
「せっかくだし行ってみるかな。」
バスに乗り、昔住んでいたアパートの近くまでやって来る。
向かいにあるお寺を覗き込むと、そこには予想に反して風鈴が一個も付いていない塔が立っていた。
一瞬なんで?と思った。
風鈴が多すぎて五月蝿いから外したのかなと考えていると、お寺から住職が出てきた。
「住職も別の人になってるな。」
俺の知っている人じゃなかった。
どうしようかと迷ったけど、もう二度と来ることもないだろうから、モヤモヤした疑問を抱えたままでいたくない。
「あの、すいません・・・・、」
声をかけると「はい」と愛想のいい返事をくれた。
僕は軽く自己紹介をしてから、「前にここにいた住職は?」、「塔に付いていた風鈴は?」と口早に尋ねた。
「なるほど、向かいのアパートにおられたんですか。残念ですが前の住職は一昨年の夏に亡くなられました。
身内に後を継ぐ方がおられなかったので、私が本山から派遣されて来まして。
風鈴はですね・・・・あまりに数が増えたものだから音がすごくて。ご近所からやんわりとですがクレームが出たのです。
でもあれはこのお寺の風物詩みたいなものでしょう?だからかなり悩んですけど、これ以上の苦情が出るのは良くないので取り外すことにしました。」
「そうだったんですか。・・・あのですね、もしご存知だったら教えてほしいんですけど、どうして前の住職は風鈴を付けていたんですか?
猫が亡くなる度に増えていったから、供養か何かだとは思うんですけど、なんで風鈴なのかなって。」
そう尋ねると「ちょっと待っていて下さい」とお寺に引っ込んでいった。
数分後、大きな段ボールを抱えて出てきた。
「覗いてみて下さい。」
言われるままに覗き込むと、たくさん風鈴が詰まっていた。
その中には一際大きな風鈴が混ざっていた。
住職はその大きな風鈴を手に取り、音色を奏でる。
涼やかな音が響き、心地良さを感じた。
すると塀を飛び越えて一匹の猫が入ってきた。
そして境内の木陰に寝そべり、後ろ足で耳を掻きながらリラックスしていた。
「音色に惹かれた・・・・?」
不思議そうにする僕に「あの猫、もうこの世にはいません」と住職が言った。
「風鈴を鳴らすと行き場のない猫の魂がやって来るんです。」
「あの・・・・意味がよく分からないんですけど・・・・、」
「夏は不思議な季節です。この世とあの世の境目が曖昧になり、場所によっては繋がることさえあるんですよ。このお寺のように。
だからね、この大きな風鈴を鳴らして知らせてあげるんです。このお寺は今あの世と繋がってるぞって。
音色に惹かれてやって来た猫は一夏の間だけここで寛いていきます。そして夏が終わる頃、この世とあの世の繋がりが消えてしまう前に天へ旅立って行くんですよ。
塔に付いていた小さな風鈴は墓標です。夏が閉じる前に涼しい音色に乗って、苦しみや辛さから解放され、あの世へ旅立てるようにと。」
「ええっと・・・・。」
「そういえば前の住職とお話をされたことはありますか?」
「いえ・・・・。」
「ではよくご存知ない?」
「まあ・・・・。」
曖昧に頷くと、住職は段ボールの中から小さな風鈴を一つ取り出した。
「これ、一昨年の夏にぶら下げた風鈴です。八月の終わり、前の住職が亡くなられた時に。」
どういう意味か分からずに唇をすぼめていると、胸の内を見透かされたように「そのままの意味ですよ」と笑われた。
「せっかくなので塔に付けておきましょう。一つくらいなら苦情も出ないでしょうし。」
何もなかった塔に涼やかな音色がぶら下がる。
すると住職は「おや?」と首を傾げた。
「気配が似ていたのでまさかとは思ったんですが・・・・まだ旅立っていなかったのですか?何か未練が?」
そう言って木陰で休む猫を振り返る。
猫は大きな声で鳴きながら、尻尾をふわりと振った。
いま気づいたんだけど尻尾が二つに分かれている・・・・・。
まるで何かを伝えるように鳴き続け、大きな欠伸をして眠り込んだ。
「・・・・そうですね。苦情は来るかもしれませんが、これを必要としている猫はいますものね。」
そう言って「すみませんが手伝って頂けますか?」と、段ボールの中の風鈴を差し出された。
かつて向かいのアパートに住んでいた頃のように、塔にたくさんの風鈴がぶら下がっていく。
風鈴塔が復活する。
木陰にいた猫はいつの間にか消えていた。

短編小説「夏が来る前に」

  • 2020.06.23 Tuesday
  • 12:02

JUGEMテーマ:自作小説

俺はバッタだ。
今年の梅雨に生まれた。
まだ羽も生えてない小さな身体だけど、ジャンプ力には自信がある。
だけど今日、向こう岸までのジャンプが届かなくて用水路に落ちてしまった。
ああ終わった・・・・。
俺は夏を謳歌することが出来ないんだ・・・・。
いやまあ、もう何度もこの世に生まれ変わってるから、去年も一昨年も夏は謳歌したんだけど、今年は今年で楽しみたいじゃないか。
でもそれも無理だ。
バッタの俺じゃ用水路の水でさえ大河の激流に飲み込まれたのと同じだから。
さよならこの世、またいつか生まれ変わる日まで・・・・。
そう思いながら水に流されていると、巨大な手に掬われた。
見上げると人間がいた。
ああヤバイ・・・・。
すぐに逃げ出そうと思ったけど、ふと思いとどまった。
用水路に落ちた小さなバッタを助けるこの人間、悪いヤツじゃないのかもしれない。
顔を見るとしょぼくれていて、ぜんぜん自信のない感じがした。
なにか悩んでるみたいだ。
人間てのはとにかく悩みがいっぱいらしいから、こいつもきっとそうなんだろう。
まあ命を助けてもらったわけだし、ここは一つ恩返をしするのも悪くない。
実はこれ内緒のことなんだけど、虫は人間の言葉が分かる。
喋りかけることだって出来るんだ。
理由は簡単。
俺たちは妖精の末裔だからだ。
そのおかげで、そう大したもんじゃないけど魔法が使える。
あと妖精の体質的に、死んでも一年すれば同じ姿で生まれ変わってくるし。
人間が知らないだけで、虫ってのは意外とすごいモンなんだ。
ただいきなり話しかけるとビックリして、踏み潰されたり捕まえられたりするかもしれない。
そこでこいつの顔だけしっかり覚えておいて、今日の夜に夢で話しかけてみることにした。
やがて夜が来て、俺はちょっとした魔法を使った。
出会ったことのある人間の夢に出るって魔法を。
ただし顔を覚えておかなきゃいけないんで、何日も経ってからじゃ使えない時もあるけど。
人間は夢ってやつを現実とは思わない。
だからバッタの俺が話しかけても特に驚いたりはしなかった。
『今日は助けてもらってありがとな。お返しになんか出来ることあるか?』
人間は悩みを打ち明けた。
なんとこいつ、人間を辞めたいらしい。
でもって他の生き物に生まれ変わりたいと言う。
『もう人間は疲れた・・・・それに人生にも飽きた・・・・。これ以上生きる自信もないし、自殺でもしようかと思ってたところなんだ。
けど死ぬのはやっぱり怖い。出来るなら人間以外の生き物になりたいな・・・・・。』
俺は『じゃあ何に生まれ変わりたいんだよ?』と尋ねてやった。
『何も考えなくていい生き物に。』
そんなことを言うのでこう返してやった。
『悪いけど他の生き物に変えてやる魔法は使えないんだ。でも考えなくていいだけなら出来るぜ。』
俺はちょっとした魔法を使った。
『あんたに恩返しをしてやるよ。嫌なことや辛いことがある度に考える力が減っていく魔法を掛けた。これで楽になるはずだぜ。』
人間はまだ自信のない顔のまま辛そうにしてたけど、これ以上話を聞くこともない。
『これで借りは返したからな。じゃあな。』
良いことをすると気分がいい。
俺はピョンと夢の中から飛び出した。
・・・・それから二ヶ月が過ぎて夏になった。
八月は暑い。雲も高いし緑がギラギラしてる。
いいじゃないか、夏ってやつは。この解放感と高揚感。
素晴らしいの一言に尽きる!
ああ、生きててよかったあ・・・・。
これもあの人間が助けてくれたおかげだ。
今頃は何してんだろってちょっと気になって、魔法で居場所を探ってみた。
『ほうほう、こんな場所にいるのか。ここからそう遠くないな。羽も生えたことだしちょっと飛んでいくか。』
俺は30分ほどかけて病院って所に来た。
あいつの部屋は三階の端っこだったはずだ。
頑張って飛び上がって、窓に張り付く。
そこには無表情でベッドに横たわるあいつがいた。
もはや何も考えてないって顔をしてる。
ていうか考える力が消えてるんだ。
そのおかげか、この前みたいに辛そうな顔はしていなかった。
ずっと雲を見てるみたいにポカンと口を開けたままだから。
『やっと悩みから解放されたんだな。』
これであいつも願いが叶った。
こんな素晴らしい季節に悩むなんて馬鹿らしいってもんだ。
何も考えずにセミの声でも聴いてればいい。
きっと今は幸せなはずだ。
良いことをすると気分がいい。
高い空を見上げながらピョンと飛び上がった。

読み切り小説 「少年の後悔 アニメはアニメのままで」

  • 2019.02.04 Monday
  • 12:41

JUGEMテーマ:自作小説

ある街角に怪しげな店がありました。
並んでいる商品も怪しげな物ばかり。
魔法のランプだの惚れ薬だの。
そこへ一人の少年が通りかかりました。
少年はアニメの少女に恋をしていて、部屋にはグッズがいっぱいです。
周りからオタクだとか気持ち悪いと罵られても、まったく気にすることがないほど、少女に恋焦がれていました。
夜寝る時など、枕元に必ずフィギュアを置くほどです。
いつかあの子が画面の向こうから現れてくれる。
今は無理でも、自分が大人になる頃には科学が進んで、ぜったいにそういう未来になるはずだ。
少年は信じて疑いませんでした。
なぜならいくら恋をしてみても、相手は実在しない人物です。
恋心が強くなればなるほどに、手の届かない少女への想いに苦しむばかりでした。
そんなある時、たまたま通りかかった道で怪しげな店と出会ったのでした。
興味本位で足を踏み入れると、なんとアニメのキャラクターを現実世界に召喚できるアプリが売られていました。
値段も手頃で、子供のお小遣いでも買えるほど。
少年はすぐにそのアプリを購入しました。
早速スマホにインストールしていると、店主から一つ注意が言い渡されました。
そのアプリで召喚されたキャラクターは二度と元に戻せないと。
少年はなんの問題もないよと答えながら店を出ました。

不思議なことに、振り返ると店は消えていました。

少し怖くなる少年でしたが、まあいいかと気を取り直し、ウキウキと家に帰りました。
そして高鳴る気持ちを抑えながら、大好きなアニメのキャラクターを召喚しました。
今まで液晶の向こうにしかいなかった彼女が実体を持って現れます。
と同時にアプリは消滅しました。
憧れ、恋焦がれた少女が実物となって目の前にいる。
ぜったいに手が届かないと思っていたのに、まさかこうして会えるなんて・・・・。
これでようやく恋が実るんだ!
少年は嬉しさと緊張と興奮のあまり、直視することさえ出来ませんでした。
顔を真っ赤にしながらそわそわしていると、少女はおもむろに立ち上がり、こう呟きました。
いつも画面の中から見てた世界だ。まさか本当に来ることが出来るなんて。
そして少年に向かって「ありがとう」と言い残し、どこかへ去ってしまいました。
我に返った少年は、すぐに少女を探しに出かけました。
しかしいくら探しても見つかりません。
せっかく恋が叶うと思ったのに・・・・。
がっかりしながら家に戻ると、ある異変が起きていました。
あの少女が出ていたアニメを見ても、どこにも登場しないのです。
DVDにも、録画していたテレビにも。
それどころか部屋に貼っていたポスターからも消えていました。
まさかと思って棚を振り返ると、フィギュアまで消えています。
彼女が出ているあらゆる映像、イラスト、グッズ。
全てから彼女の存在が抹消されていました。
少年は気づきました。アニメのキャラクターを召喚してしまったから、アニメの世界から消えてしまったんだと。
もう二度とあの少女を見ることは出来ない。
ひどく落ち込む少年でしたが、立ち直るキッカケはすぐにやってきました。
数日後のこと、なにげなくテレビを見ていると、なんとあの少女が出ていたのです。
千年に一人の美少女現る!という謳い文句とともに。
この日を境に、少女は毎日のようにテレビに引っ張りだこになり、瞬く間にスターダムに駆け上がりました。
曲を出せば飛ぶように売れ、ライブをやれば満員御礼。
彼女が出ているというだけで映画も大ヒットするほどの人気者になりました。
少年はもちろんCDも買ったし、映画も見に行きました。
ライブにも行きましたが、どう頑張っても近くで会うことは叶いません。
一度だけ握手会が催されたことがあり、この時だけ直に話しかけ、手を握ることが出来ました。
しかしそれも束の間、次から次へと押し寄せるファンの波に逆らうことは出来ず、自分は見渡す限りいるファンの中の一人に過ぎないのだと思い知りました。
それでも諦めきれない少年は、毎日のようにファンレターを送りました。
高校を卒業し、大学生になり、社会人になってからも。
あれだけ憧れた画面の向こうの彼女が現実の世界にいる。
ちょっとやそっとで諦めることは出来ませんでした。
しかし何年ファンレターを送り続けても、返事が来ることはありませんでした。
それもそのはず、彼女は世間の注目を浴びる人気者で、一日に何百通と送られてくる手紙をいちいち読み返している暇などありません。
アニメならではの完璧な美しさ、それを現実の人間として具現化した彼女の美貌は、世界一といっても過言ではなかったからです。
少年が社会人となって三年後、少女も立派な大人になり、テレビからこんなニュースが流れました。
映画で共演したイケメン俳優と熱愛発覚。
翌年には破局してしまいましたが、さらに二年後には若くして大成功を収めた実業家との結婚を発表しました。
売れるということを味わいつくした彼女は、もう芸能界に未練はないとばかりに、結婚を機にあっさりと引退を決意します。
そしてあらゆるメディアからその姿を消してしまいました。
テレビを点けてもネットを開いても、もう生の彼女を見ることは出来ません。
この時、かつて少年だった男は自分の愚かしさを後悔しました。
アニメの中にいようと現実の世界に出てこようと、彼女は自分の手が届く存在ではなかったのだと。
そして同じ手が届かないのなら、まだアニメの中にいてくれた方がよかったと。
それならば永遠の心の恋人として、いつでも会うことが出来たのに・・・・・。
あれだけ大事にしていたアニメのDVD、部屋を埋め尽くしていたグッズ。
もうどこにも彼女の姿はありません。
アニメのイラスト集でさえ、彼女の部分だけが空白です。
後悔を抱えながら街をぶらついていると、なんとまたあの怪しげな店を見つけました。
しかし彼は踵を返して去ります。
画面の向こうから誰かを呼び出そうとは二度と思いませんでした。

読みきり小説 「不幸を知らせる警報音」

  • 2019.01.30 Wednesday
  • 15:43

JUGEMテーマ:自作小説

子供の頃、警報音が怖かった。
火災報知機のベル、湯沸かし器のエラー音、テレビで流れる緊急速報の音。
異常を知らせる音だから、不安や恐怖を煽るのは仕方ないんだろうけど、それでも怖いものは怖い。
なにより怖かったのは二階に取り付けられていたブザーだ。
ウチは五人家族で、両親と兄と僕は二階で寝ていた。
でもおばあちゃんは足が悪いので、いつも一階で寝ていたのだ。
おばあちゃんは昔から心臓の持病があって、何度か発作を起こしていた。
だからもしもの時の為にブザーを取り付けたわけだ。
一階にいるおばあちゃんがリモコンのボタンを押すと、二階のブザーが警報を鳴らす。
ベランダ側の壁の隅にあったんだけど、この音が怖いのなんのって。
例えるなら火災報知機なみの大音量と緊迫感、緊急速報のえも言えない不安と恐怖。
二つを合わせたようなとんでもない音で、僕は警報器のある場所を見るのも嫌だった。
最初にこの音を聞いたのは8歳の時だ。
両親は用事で一晩帰って来れなくて、二階では僕と兄だけが寝ていた。
初めて過ごす親のいない夜。
隣には兄が寝ているけど、僕と二つしか違わない。
真っ暗な部屋の中、怖くて布団をかぶっていた。
早く眠れないかなと思っていた時、今まで聞いたこともないような音が鳴ったのだ。
「ピリリリリリ」だったかもしれないし、「プロロロロロロ」だったかもしれない。
あるいは両方を足したような、とにかく口では言い表せないような、不気味で奇妙な音が響いたのだ。
僕は耳を塞ぎ、布団の中で蹲っていた。
すると兄に『起きろ!』と布団を引っ張られ、一階まで連れていかれた。
『ばあちゃん!』
兄が駆け寄り、身体を揺さぶった。
なぜならおばあちゃんは胸を押さえながら、ブザーのリモコンを握り締めていたからだ。
兄はおばあちゃんを助けようと必死だったけど、僕はなにも出来なかった。
一階にいても響くほどブザーの音が大きかったからだ。
詳しい時間は覚えていないけど、10時は回っていたと思う。
遅い時間に鳴るブザーの音は外にまで響いていたみたいで、近所の人が玄関をノックした。
兄はすぐに鍵を開けて事情を話した。
それから救急車がやってきて事なきをえたんだけど・・・・そういうこともあって、とにかくあのブザーの音はトラウマだったのだ。
僕が高校に上がる頃、おばあちゃんは入院し、半年後に亡くなった。
必要のなくなったブザーはいつの間にか取り外されていた。
でも誰に聞いても取り外した覚えはないというのだ。
母に聞けば『お父さんでしょ』と言い、父に聞けば『お母さんだろ』と言い、兄に聞けば『俺じゃない』と首を振った。
当然僕でもない。
あのけたたましい音を放つブザーは忽然と失くなった。
誰がやったのかは分からなかったけど、とにかくあのブザーがなくなったことは嬉しかった。
高校生になってもぜったいに聞きたくないと思えるほど怖い音だったから。
それから数年後、大学を出て社会人になり、一人暮らしをすることになった。
引越し初日、足を踏み入れたワンルームの部屋。
最小限に抑えたはずの荷物を詰めたダンボール数箱でさえ、とても邪魔になるほどの狭さだった。
まあ仕方ない。いつかここを出られるように頑張ろうと、数日後に訪れる初出勤の緊張を誤魔化した。
目を閉じ、うつらうつらとしてくる。
そして数秒後、僕は心臓を掴まれたほどの恐怖を感じて飛び起きることになった。
「ピリリリリリ」「プロロロロロロ」
あの音が部屋に響いたのだ。
トラウマが蘇り、ベッドに潜り込んだ。
そして「なんで?」とパニくってしまった。
どうしてこの部屋からあのブザーの音が聞こえるのか。
ベッドに潜り込んでいても耳を掻き回されるような音量だった。
このままじゃ余計に怖いだけだ・・・・そう思って顔を上げると、音はダンボールの中から響いているようだった。
まさかと思い、手前のダンボールを開けてみる。
すると入っていたのだ。あのブザーが。
こんな物を入れた覚えはないし、そもそも家から無くなっていたはずだ。
不気味で不快な音に顔をしかめながら、どうやったら止められるんだろうと手にとってみた。
でもスイッチがない。
そういえばこれ、リモコンでしか操作が出来なかったのだ。
パっと見た限り、リモコンは一緒に入っていないようだったので、カバーを開けて電池を抜くことにした。
そして・・・・・、
「入ってない・・・・。」
単三電池が三つ入るようになっていたはずだ。なのになにも入っていない状態で音が鳴っていた。
僕はブザーを投げ捨てた。
いったいどうなってる・・・・。
いっそのこと窓から投げ捨ててやろうかと思った時、スマホの着信が鳴った。
母からの電話だった。父が急病で倒れたというのだ。
それを聞いた瞬間、ブザーは鳴りやんだ。
僕はすぐに地元へ戻り、父のいる病院へ向かった。
幸い命に別状はなく、ホっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。
二日後、マンションに戻るとあのブザーは消えていた。
あんな物はいらないけど、だからっていきなり失くなるのも恐ろしい。
だから深く考えないことにした。
それから10年後、結婚して家庭を持った。昇進して給料も上がり、ローンを組んで一戸建てを買った。
穏やかで安定した日々、たまに喧嘩もするけれど、それでも幸せな毎日だった。
でもそんなある日のこと、僕はまたあのブザーの音を聞くことになった。
寝室のベッドから飛び起きると、枕元の時計の横で鳴っていたのだ。
もちろんベッドに入る時にこんな物はなかった。
不気味な大音量が響いている。なのに隣にいた妻は起きない。
まるで何も聞こえていないみたいに。
一緒に寝ていた子供たちでさえも。
きっとまた誰かに不幸があったんだ。
こいつが鳴る時は決まってそんな時だ。
次は母か?それとも兄か?
ゴクリと息を飲んで待つ。
しかし誰からも電話はかかってこない。
だからブザーも鳴りやまない。
こんなのおかしい・・・・。そう思いながらふと横を見ると、妻と子供たちが痙攣を起こしていた。
真っ青になってガグガクと震えているのだ。
おでこを触るととんでもない熱で、すぐに救急車を呼んだ。
食中毒だった。お隣さんが釣ってきた魚をおすそ分けしてもらったんだけど、その魚にあたってしまったのだ。
僕は仕事で帰りが遅かったから、お茶漬けだけですましていたけど・・・・。
幸い妻と子供はたちは助かった。
でも・・・・・、
『もうぜったいに二度と聞きたくない。』
例のごとく、家に帰るとブザーは消えていた。
いったい次にあの音が鳴るのはいつか?
怯えて暮らす毎日が始まり、2年、3年と経っても鳴らなず、5年も過ぎる頃にはだんだんと忘れかけていた。
そんなある日、出張で海外へ行くことになった。
初めての海外、短い間とはいえ、期待と不安が渦巻いていた。
飛び立つのを待つ飛行機の中、何気なく外を眺めていた。
すると妻からLINEでメッセージが入ってきた。
『怖い!』
一言そうあった。
心配になり、『どうしたの?』と返すと、『変な音が鳴ってる』と答えた。
『リビングから警報みたいな音がしてる!買った覚えのない警報器みたいなのがあってそこから鳴ってる!』
ゾっとした。
忘れかけていたから余計に。
『すぐに戻る!』
そう返して、近くにいたCAさんに「搭乗をキャンセルしたいんですが」と伝えた。
しかしCAさんはこっちを見ない。
引きつった顔で後ずさっていくだけだ。
僕はCAさんの視線の先を追い、何があるんだろうと窓の外を睨んだ。
着陸してきた飛行機が滑走路を逸れていく。
エンジンから煙を吹き上げながら、真っ直ぐにこの飛行機へ向かっていた。

読み切り小説 「焼いて」

  • 2019.01.28 Monday
  • 11:15

JUGEMテーマ:自作小説

あれは冬の初め、ストーブを出そうとかどうしようか迷う季節のことでした。
いつもと変わらない仕事帰り、ちょっと気分転換にと、普段は通らない道へ車を走らせました。
見慣れない景色は新鮮で、退屈な帰り道が一服の清涼剤のように感じました。
暮れていく空、オレンジ色に染まる川、その川を渡す橋の上を走りながら、なぜか少しだけ得をしたような気分にさえなっていました。
短い橋を渡りきり、ふと右側へ目を向けた時でした。
鬱蒼とした木々に囲まれた小高い丘があったんです。
麓には鳥居が立っていて、あの木々は神社を守る木立なのだろうと思いました。
どうせなら寄り道をしていこうと思い、ハンドルを切って鳥居の方へ向かいました。
思った通り、鳥居の奥には社殿がそびえ、境内を囲うように木立が並んでいました。
しかし木立の奥、丘の上の方に見慣れない建物がそびえていたんです。
木立の陰からチラチラと覗いてみましたが、なんの建物なのか分かりません。
興味を引かれ、どうにかあそこまで行けないかと、丘を迂回して道を探しました。
すると住宅地へ抜ける細い道があって、さらに細い道が左へ分かれていました。
車一台通れるギリギリの幅です。
脇には看板が立っていますが、西陽を反射して読みづらく、無視して先へ進むことにしました。
対向車が来ないようにと願いながら、左へとハンドルを切ります。
道は緩やかな上り坂になっていて、所々蛇行していました。
先へ進むにつれて細くなり、大丈夫かなと不安になりながら走らせていくと、だんだんとあの建物が近づいてきました。
やがて舗装路は途切れ、砂利道に変わりました。
その先には錆びた門があって、あちこちに雑草が茂っていました。
奥には灰色の薄汚れた建物があり、なんとも言えない奇妙な形をしていて、どう形容すればいいのか分かりません。
貯水塔のような、灯台のような、でも旅館に見えなくもないという、とにかく変てこな形です。
いくつも窓があって、どうやら二階建てになっているようでした。
壁にはヒビが入り、長いこと雨ざらしにあったかのように薄汚れていて、かなり年季が入っていました。
人の気配はなく、今はもう使われていない何かの施設のようでした。
もし私が中学生か高校生なら、好奇心に負けて門を乗り越えたでしょう。
しかし今はいい大人です。子供ならイタズラですむことも、下手をすれば警察沙汰。
興味はあるけど、諦めて引き返すことにしました。
道が細いのでUターンは出来ません。
慎重にバックしていこうとしたら、ふとおかしな事に気づきました。
なぜか道がなくなっているんです。
さっきまではあったはずの道が、草が茂った野原のように変わっています。
いったいどうなってるんだと前を向いた時、またおかしな物が目に入りました。
錆びていたはずの門が新品のようにまっさらになっていたんです。
しかもなぜか勝手に開いていきました。
恐ろしくなり、急いでこの場から離れようとしたら、車も勝手に動いて中へ入っていきます。
車から降りようとしても、ドアロックがかかり、解除することも出来ません。
だんだんと建物が近づいてきます。
そしてまたおかしな事に気づき、車の中で身震いしました。
ヒビが入り、薄汚れていたはずの建物までまっさらになっていたからです。
しかも全ての窓が開き、中から人が手を振っていました。
誰もが真っ黒にただれ、炎で焼かれたかのような状態です。
私は息をすることさえ忘れそうなほど固まり、恐怖のあまり、かえって目を背けることが出来ませんでした。
真っ黒にただれた人たちはどんどん数を増していきます。
窓から溢れるほど現れて、こっちへ来いとばかりに手招きをしていました。
車はさらに建物へ近づき、とうとう入口に着いてしまいました。
その時です。窓から一人、ボンネットに落ちてきました。
大きな音と共に車が揺れます。
目の前には痛々しいほど肌がただれ、目が空洞になった顔がこっちを見つめていて・・・・。
私はとうとう悲鳴をあげました。
ポッカリ空いた眼孔、焼けてそげ落ちた鼻と唇。
フロントガラス一枚隔てた先にその顔があって、慌てて後部座席へと逃げました。
しかしトランクにも人が降ってきて、また私を見つめます。
そのうちボトボトと車の上に落ちてきて、辺りが埋め尽くされてしまいました。
みんなこっちを見ながら窓を叩いています。
とにかく車から出てはいけない。
そう思って身を固くしていると、突然建物のドアが開き、中へ押されていきました。
もしここへ入ってしまったら二度と戻れない。
下手をすれば自分まで同じような姿に・・・・・。
それだけは御免です。思い切って窓を割り、車から逃げ出そうかと思いました。
しかしふと誰かの声が聞こえ、窓を割る手を止めました。
『焼いて』
私はボンネットを振り向き、耳を澄ませました。
『ちゃんと焼いて』
最初に落ちてきた人がそう呟いていました。
そして耳を澄ませば澄ますほど、同じような声が周りから聞こえてきました。
誰もが『焼いて』と口にしながら、車を叩いてきます。
そして誰かがこう呟きました。
『きちんと弔ってくれ。ちゃんと焼いて・・・骨になるまで』
・・・・なるほどと納得しました。
ここは火葬場だったのです。
塔のような部分は煙突、旅館のような部分は遺族の待合室だったのでしょう。
しかし私にはどうすることも出来ません。
思い切って窓から逃げることくらいしか・・・・・。
覚悟を決め、窓を割ろうとしたその時でした。
誰かが走ってきて、『やめなさい』と言いました。
振り返ると、そこには神主さんがいました。おそらく麓の神社の人でしょう。
神主さんがパンパンと手を叩くと、焼けただれた人たちは消えました。
同時に火葬場も消え去り、ただの木立に変わっていました。
呆気にとられる私に神主さんはこう言いました。
『看板見てなかったんですか?』
そういえばここへ来る途中、看板が立っていました。
陽射しを反射して読みにくかったので無視してしまった看板が。
私の顔を見て察したのでしょう。神主さんは言いました。
『あの看板にはこう書かれていたんです。
この先、火葬場跡地。不審な人影の目撃情報多数。
また行方不明者も数名出ています。無断での立ち入りを禁止します。』
それを聞いた私は背筋が寒くなりました。
『ここにはかつて火葬場があったんですが、責任者がいい加減な仕事をしていたもので、上手く焼かれなかったご遺体があるそうです。
それを誤魔化す為、遺族にはまったく関係のない骨を渡し、遺体はここの土に埋めていたんです。
ご遺体は警察が回収したそうですが、報われない今でも魂がウロウロしているんですよ。
何事もないと思いますが・・・・万が一を考えてお祓いを受けた方がいいかもしれません。
この神社は悪霊を鎮める神様を祀っていますので。』
恐ろしいことを聞いてしまい、慌ててその場から逃げ出したました。
『何かあったらいつでもお祓いを!』
背中に声を聞きながら、一目散に家まで飛ばしました。
そしてその日の夜のこと、まだ恐怖が冷めなくて、夕食を作る気にもなれませんでした。
買い置きのレトルトカレーでも食べようと、鍋に水を入れてコンロの火を点けた瞬間、背後に気配を感じて振り向きました。
『焼いて』
あの焼けただれた人がそこに立っていました。
思わず腰が抜け、後ろへよろめいてしまいました。
鍋をひっくり返してしまい、水がかかってコンロの火が消えました。
と同時に焼けた人も消えていったんです。
そういえば神主さんが言っていました。
何事もないと思うけど、万が一があると。
これはすぐにでもお祓いを受けるべきだと思い、あの神社へ向かうことにしました。
車に乗り、いったん気分を落ち着かせようとタバコを咥え、ライターを擦って火を点けました。
『ちゃんと焼いて』
ルームミラーにまたさっきの人影が・・・・・。
思わずタバコを落としてしまい、脇に置いてあったティッシュに燃え移って・・・・。
逃げようとしてもドアが開きません。
なぜなら外で焼けた人たちが押さえていたからです。
『焼いて、ちゃんと焼いて』
ティッシュの火はだんだんと大きくなり、ルームミラーに映る人に燃え移っていきます。
そのうち窓を突き破って、外の人たちまでもが手を伸ばし、同じように炎に焼かれていきました。
・・・・・翌日、私はあの神社のある丘にいました。翌日も、その翌日も、次の年が来てもずっと。
焼けただれた体で、ここに迷い込んできた人たちに手招きをしながら。
『焼いてよ』

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