セカンド・コンタクト 最終話 一つになる時

  • 2014.05.11 Sunday
  • 14:38
『一つになる時』


もう・・・何度同じ記憶を繰り返しただろう・・・・。
家族の無惨な死体が目に焼きつき、カビ垢のようにこびりついてしまった。
少年は《じゃあもう一回》と言って記憶を巻き戻すが、もはやその必要はなかった。
なぜなら・・・・記憶を巻き戻さなくても、アリアリと事故の光景が目に浮かぶからだ。
愛する家族が目の前で死んでいく・・・・そして凄惨な死にざまを晒している・・・・。
これはもう・・・地獄としか言いようがなかった・・・・・。
俺の心は破綻し、もはや少年と戦うどころではなかった。辛うじて残った自我を保つのに精いっぱいなのだから・・・。
《はい、それじゃもう一回。》
少年は目の前に現れ、淡々と同じセリフを繰り返す。彼の顔は機械のように無機質で、人間らしい表情は感じられなかった。
俺は少年を見つめる。彼の額の花びらが輝き、また記憶が繰り返される。
しかし・・・しかしほんの僅かな一瞬、少年の瞳の奥に宿る感情を見た。
それは・・・・喜びだった・・・・。
苦しむ俺を見て、言いようのないくらいの喜びを感じているのだ。
《・・・楽しんでいるのか・・・・俺の苦しむ姿を・・・・・。》
もう勝負はついている。俺は敗北を宣言し、少年の勝利を認めたのだから。
しかし、それでも執拗に記憶を巻き戻すのは・・・ただ俺を苦しめる為だった。
《・・・お前にも・・・ちゃんと感情があるんだな・・・。そうでなきゃ、苦しむ相手を見て喜びなど感じないだろう。ミリサに与えられた仮初の精神にも・・・ちゃんと人間らしい部分があるんだ・・・・。》
地獄の苦しみを味わっているというのに、妙に冷静に少年を分析してしまう。
《はいもう一回》《まだまだ、もう一回》《それじゃもう一回》
記憶の再生は留まるところを知らない。いったいどれだけ俺を苦しめれば気が済むのか・・・・。やはり・・・やはりミリサを殺されたことが許せないのか?それとも、俺と一つに戻るのがそんなに嫌なのか?
少年の考えは読めない。しかし・・・俺を苦しめることに喜びを感じていることだけは確かだ。
《この少年の怒りは正しい・・・・。俺だって、もしミサを殺されたら・・・・この少年をとことんまで苦しめるかもしれない。だって・・・愛しい者を奪われることは・・・自分が死ぬよりも辛いんだから・・・・。》
もう勝負はついた以上、俺に抗う術はない。少年の心が満足するまで、ボロ雑巾のようにいたぶられるだろう。
《・・・ミサ・・・すまない・・・。俺は・・・・お前と未来を歩むことは出来そうにない・・・。許してくれ・・・。》
胸にミサの顔を思い描き、約束を果たせなかったことを詫びた。
《・・・・・・・・・・。》
《・・・・・・・・・・・・・・。》
《・・・・・・・・・・・・・・・・・。》
《・・・・・・ん?ミサ?・・・・・そうだよ、まだミサは生きているんだ・・・。
それなら、なぜ少年はここまで俺をいたぶるんだ?彼はミサのことをミリサだと思い込んでいるはずだ。だったら・・・愛しい者を奪われてはいないということだ。それなのに・・・・ここまで俺を苦しめるのはどうしてなんだ・・・?》
とつぜん浮かんだ疑問は、悶々と煙を上げて大きくなっていく。それはやがて火となり、心を照らす大きな炎になった。
《ミサは生きている・・・。そうだよ、ミサは生きているんだ・・・。家族が死んだのは辛いけど・・・・まだミサがいるじゃないか。だったら・・・ここで負けを認めるわけにはいかない。俺には・・・俺の帰りを待つ人がいるんだ。俺はまだ・・・全てを失ったわけじゃない!》
記憶は延々と繰り返される。反対車線に乗り出し、バスと衝突して家族が死ぬ。するとまた少年が現れ、《もう一回》と呟いた。
「なあ・・・ちょっと待ってくれないか・・・・。」
少年に話しかけると、彼は何も答えずに記憶を巻き戻した。次に現れた時にも話しかけたが、やはり何の返事もなかった。
「こいつ・・・俺を無視する気か?」
少年は冷淡に俺を睨んでいる。いくら言葉を投げかけても、眉一つ動かすことなく記憶を繰り返すだけだった。
「おい・・・聞いているのか?お前に尋ねたいことが・・・・、」
しかし少年は何も答えない。ただ記憶を繰り返すばかりで、俺の言葉に耳を傾けようとしなかった。
《なんだ?俺の声が聞こえていないのか?・・・・いや、そんなはずはない。さっきやめてくれと頼んだ時、『いやだ』と答えたんだから・・・。じゃあやっぱり、俺の言葉を無視しているだけか・・・?》
少年は額の花びらを輝かせ、また記憶を巻き戻す。家族の凄惨な死体が目に映り、吐き気を催した。
《クソッ・・・・・見たくないと思っても、強制的に目に飛び込んでくる・・・。》
目を瞑ることもできず、顔を逸らすことも出来ず、まざまざと嫌な光景を見せつけられる。
いったいもう何度めになるのだろう・・・・。いくら見ても慣れることなど出来ない。それどころか、より苦痛は増していく。
《精神的な苦しみっていうのは、繰り返せば繰り返すほどストレスが増すというけど・・・・もう限界だ・・・。この光景を見せられる度に・・・・自我が崩壊しそうになる・・・・。》
それでも何とか耐えて、凄惨な光景をやり過ごす。しかし・・・そこで違和感を覚えた。
《・・・・ん?これ・・・・さっきと変ってないか?》
無惨な家族の死体は、明らかに今までと様子が違っていた。
《確か・・・目玉が飛び出しているのは健司のはずだ。なのに・・・今はお父さんの目玉が・・・・。それにお母さんは下半身を失っていたはずだ。それが・・・今はしっかりと足がついている。これはどういうことだ?》
疑問に思っていると、また記憶が巻き戻された。二度、三度、四度・・・・・そして五度目の時、また様子が変わっていた。
《今度はお母さんの目玉が飛び出している・・・・。それに・・・健司の足がない・・・・。これは、いったいどういう・・・・、》
その時、今までに幾度となく見せつけられた凄惨な光景を思い出した。
《待て、ちょっと待て!よくよく思い出すと・・・・今までにもちょくちょく死体の状態が変わっていたじゃないか。あまりの辛さに忘れてたけど、絶対に死体の状態は変わっていたはずだ・・・・。》
注意深く観察していると、また死体の状態が変わった。それも・・・今度はかなり大きな変化があった。
《健司の顔がない・・・・。それに、お父さんとお母さんが重なって倒れている。これは・・・・どう考えてもおかしい!》
もしこれが俺の記憶だというのなら、死体の状態が変わったりはしないはずだ。
それなのに、目に映る死体の様子は変わっている・・・・。いったい・・・これは何を意味しているのか・・・・?
《・・・・記憶・・・じゃないのか・・・?これは、俺の記憶じゃないのかもしれない・・・・。》
そう思った時、稲妻に打たれたようにあることを思い出した。
《そうだ!あの寂れた山で、おじさんにDVDを見せられた時・・・・俺の家族はこんな死に方をしていなかったぞ。確かに目を背けたくなる映像だったけど、ここまで凄惨な死に方じゃなかった。ということは・・・・これは・・・・もしかして・・・・、》
事故の記憶が終わり、再び少年が現れる。無機質な表情の中には、微かな喜びが浮かんでいた。
「・・・・そうか・・・・そういうことか・・・・。」
俺はようやく気づいた。何度も見せられたあの光景は、俺が作り出した幻だということを。
そして・・・この少年も、俺が生み出した幻であるということを・・・・。
「・・・ようやく分かった・・・。俺は・・・・毒に感染していたんだな・・・。心を惑わす・・・クローンの毒に・・・。」
俺が見ていたのは、記憶などではなかった。あれは・・・俺がもっとも恐れる凄惨なイメージだったのだ。
そして無機質なこの少年も、俺が描いた彼のイメージ・・・・。冷徹で、残忍で、でもその中に仄暗い喜びを感じる悪魔。
全ては俺の勝手な思い込みだった。ではなぜ、少年は俺に毒を感染させ、延々と偽の記憶を見せつけたのか?それは俺を苦しめる為でも、俺を倒すためでもない。ただ・・・・時間を稼いでいるだけだ。
「あいつ・・・・頭の回るガキだ・・・。俺が毒に感染している間に・・・ミサを奪うつもりなんだ!」
記憶は終わり、また少年が現れる。そして額の花びらを輝かせ、また記憶を繰り返そうとした。
「もうそんな手は喰わない!とっと消えろ!」
拳に花びらを浮かび上がらせ、金色に光る花粉を纏わせた。身体に熱が戻ってきて、皮膚が赤く染まっていく。俺の姿が少年から大人に戻っていく。幾度の戦いで鍛えられた拳が、この手に戻ってきたのだ。
「しょうもない小細工をしやがって・・・・。ガキだからって手は抜かないぞ!」
少年が記憶を巻き戻そうとした瞬間、俺の拳が彼の額を撃ち抜いた。
《ぎゃああああああああ!》
少年は雄叫びを上げてのたうち回り、やがて一枚の花びらとなって消え去った。
そして次の瞬間、景色にヒビが入った。ガラスのように亀裂が走り、大きな音を立てて砕け散った。
その向こうには、山の頂上が広がっていた。辺りに巨木の破片が飛び散り、朽ちた根っこが倒れていた。
「戻ってきた・・・。」
膝に手をついて立ち上がり、ミサと少年の姿を捜した。
「ミサ!どこだ!」
さっきまでミサが立っていた場所には、誰もいなかった。そして少年の姿も見えない。嫌な予感が渦を巻き、瓦礫を分けて二人の姿を捜した。
「ミサ!少年!どこだ!」
大声で叫んでいると、微かに返事があった。
「・・・浩太・・・・。」
「ミサ!」
声の聞こえた方を振り返ると、巨木の根元にミサはいた。
「ミサ!大丈夫か?」
巨木の破片を蹴り飛ばし、根っこの元へ駆け寄る。ミサは巨木の根元に座りこみ、自分の身体を抱いていた。
「ミサ・・・・。」
「・・・浩太・・・・。」
ミサの姿は変わっていた・・・。皮膚に木目模様が入り、長い髪は枝のように硬くなっている。そして身体のあちこちから枝が伸びて、赤い花を咲かせていた。
「これは・・・おじさんの時と一緒だ・・・・。ということは・・・あの少年は・・・まさか・・・。」
ミサの肩に手を回し、腕にかかえて抱き上げようとした。しかし彼女の足は根っこと繋がっていて、立ち上がることさえ出来なかった。
「おいミサ!いったい何があった?もしかして・・・あの少年に無理矢理同化させられたのか?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
そう尋ねると、ミサは何も言わずに涙を流した。
「ミサ、答えろ!少年はどこにいる?」
《ここだよ。》
とつぜん少年の声が響き、思わず辺りを見回す。
《ここ、ここ。お姉ちゃんの中に決まってるでしょ。》
「ミサの中だと・・・?」
少年の声は、ミサの背後から聞こえる。しかし彼女の後ろには誰もいなかった。
「・・・まさか・・・・。」
俺は恐る恐るミサの髪を掻き分けてみた。硬い髪がポキリと折れ、ミサは痛そうに顔を歪めた。
「ごめん・・・ちょっと我慢してくれ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
ミサは目を瞑って痛みに耐える。俺はそっと彼女の髪を掻き分け、少年の顔を見つけた。
「やっぱり・・・・同化していたのか・・・・。」
少年の顔は、ミサの後頭部に埋まっていた。顔じゅうから枝を伸ばし、赤い花びらを咲かせている。
「お前・・・・あんな下らない偽の記憶を見せている間に・・・・よくもミサを・・・。」
拳を握って睨みつけると、少年はケラケラと笑った。
《拳なんか握ってどうするの?殴るつもり?》
「ああ、今すぐにでもお前を叩き潰したい。でも・・・・それは出来ない。」
《そうだよね、お姉ちゃんが傷つくもんね。》
少年は木目模様の目を動かし、無機質に俺を睨んだ。
《お兄さんも、このお姉ちゃんが好きなんだね?》
「ああ、ミサは俺にとって一番大切な人だ。だから誰にも渡したりはしない。」
《ふう〜ん・・・。でもね、それは僕も同じ。お姉ちゃんは、僕にとって一番大切な人だもん。だから誰にも渡さないよ。》
少年の声は本気だった。もし無理矢理にでもミサを奪い返そうとするなら、きっと心中も辞さないだろう。俺は拳を下ろし、力を抜いて少年を見つめた。
「・・・どうすればミサを返してくれる?」
《・・・無理だよ。だってお姉ちゃんは、昔から僕と一緒にいるんだもん。でも・・・このお姉ちゃんは、僕の知ってるお姉ちゃんとちょっと違う気がする。いつもより、もっと優しい心を感じるから・・・・。》
「・・・・・そうだよ、彼女はお前のお姉さんじゃないんだ。ミリサなんかと一緒にするな。」
《・・・・そうだね、やっぱりちょっと違うような気がするけど・・・・僕はこの人を知ってるよ。》
「なに・・・・?」
《ずっとずっと昔にね、このお姉ちゃんは、あのお姉ちゃんの中に閉じ込められたんだ。でも僕が助けてあげたから、あのお姉ちゃんの中から逃げることが出来た。》
「なんだと?ミサを助けた・・・?」
《うん。このお姉ちゃんが、僕の知ってるあのお姉ちゃんの中に吸い込まれて、栄養に変えられようとしてたんだ。
でも、僕がそれを守った。だって・・・僕、このお姉ちゃんのこと好きになったんだもん。優しい心をしていて、近くにいるととっても暖かいんだ。だから逃がしてあげたの。もう一人のお姉ちゃんに食べられないように。》
「そうか・・・・それでミサは巨木に吸い込まれても助かったのか・・・。」
ミサが無事に巨木から逃げ出せたのは、この少年のおかげだった。ということは、彼はミサの命の恩人ということになる。
《ねえ・・・お兄さん・・・。》
「なんだ?」
《僕ね・・・・もうすぐ死ぬと思う。》
「・・・なぜだ?」
《だって・・・あのお姉ちゃんがもういないから。僕の身体は、お姉ちゃんの力がないと腐ってしまうんだ。それに・・・・、》
「それに?」
少年は一瞬口を噤み、間を置いてから答えた。
《それに・・・・もう寿命が来てるんだ。僕の心はお姉ちゃんの作りだしたクローンだから、そんなに長い寿命はないんだ。だから寿命が来るたびに、お姉ちゃんが他のクローンの寿命を吸い取って与えてくれてたんだけど・・・・それももう出来ない。だから僕には・・・宿主が必要なんだ。》
少年は悲しそうに目を閉じ、顔から生える枝をポロリと落とした。
《僕には宿主が要る。でも誰でもいいわけじゃない。悪いけど・・・・僕はお兄さんと一緒になるのは嫌だ。だってあのお姉ちゃんは、お兄さんのことを嫌っていたから。だからお姉ちゃんから生み出された僕も、お兄さんのことを嫌ってるみたい。こんなんじゃ・・・一緒にいたら苦しむだけだよ。》
「それが・・・俺と同化するのを拒む理由だったのか。」
少年の本心を知り、なぜここまで俺と一緒になることを拒絶するのか理解出来た。
彼の言う通り、ミリサが俺を嫌っていたなら、その分身である彼も俺のことを嫌うのは道理だ。
「・・・じゃあどうすればいい?俺はお前の肉体と同化したい。そしてお前は宿主を探している。俺たちの利害は一致しているが・・・それでもやはり拒むのか?」
《宿主はしっかり選ばなくちゃいけないんだ。だってこの先の寿命を、その人と一緒に生きることになるんだから。もし気に入らない人と一緒になったらどうなるか・・・・クローンといっぱい戦ってきたお兄さんなら知ってるんじゃないの?》
「ああ・・・知ってるよ。そういう奴らを食い物にする男と戦ったからな。」
《だったら・・・やっぱり僕とお兄さんは一緒になれない。》
「じゃあこのまま死ぬっていうのか?俺が気に入らないからって、同化より死を選ぶのか?」
そう尋ねると、少年は目を開けて答えた。
《お兄さん・・・僕と取り換えっこしない?》
「取り換えっこ?」
《うん。僕はこの肉体をお兄さんにあげるよ。でもその代わり・・・・このお姉ちゃんを僕にちょうだい。》
「な・・・なんだって・・・?」
顔をしかめて聞き返すと、少年はまた目を瞑った。そして苦しそうに表情を歪め、額に大きな亀裂が入った。
《やばい・・・もう・・・・死にかけてるみたい・・・。》
「おい、大丈夫か?」
《・・・ねえ、もう時間がないんだ・・・。僕の肉体をあげる代わりに、このお姉ちゃんをちょうだい。そうすれば・・・僕はこのお姉ちゃんと一緒になれる。肉体は無くなるけど・・・・・ずっとお姉ちゃんの心に住むことが出来る。それで・・・・二人でここじゃない世界へ行くんだ・・・。》
「ここじゃない世界・・・・?」
《あの世とか・・・天国とか・・・・そう呼ばれる世界・・・。でも本当は違う。僕たちは・・・この星を捨てて宇宙に帰るんだ。人の目には見えない宇宙を・・・・光になって漂うんだ・・・。この星に来る前の・・・あの光に戻って・・・・。》
少年の声は力を失くし、弱々しく枯れていく。そのことが、彼に死期が迫っていることを物語っていた。
《・・・このお姉ちゃんが・・・・お兄さんの大切な人だって分かってる・・・。それでも・・・・僕にちょうだい・・・。だって・・・もう僕たちしかいないんだもん・・・。宇宙から降り注いだ光は・・・・ここにいる三人しかいないだもん。》
少年の目から、樹液の涙が流れる。額に入った亀裂は顎まで伸び、今にも砕け散ろうとしていた。
《・・・僕は・・・もう一人ぼっちは嫌だ・・・・。一人で死ぬのも・・・一人で宇宙に帰るのも嫌なんだ・・・・。だからお願い・・・僕を一人にしないで・・・。このお姉ちゃんと・・・・ずっと一緒にいさせて・・・・・。》
「・・・それは・・・・、」
それは無理だと言おうとして、口を噤んだ。なぜなら・・・孤独の辛さは、俺もよく知っているからだ。死ぬにしろ、宇宙へ旅立つにしろ、一人ぼっちでは悲しい・・・。俺には・・・・痛いほど少年の気持ちが理解出来た。
しかしだからといって、簡単にミサを譲ることは出来ない。俺が今まで戦ってきたのは、全てミサの為なのだから・・・。
いったいどう答えればいいのか分からず、途方に暮れてしまう。
《・・・お願い・・・一人にしないで・・・・・。》
少年の顔に入ったヒビは、音を立てて広がっていく。やがて頬が取れ、左目が落ちていった。
「・・・俺は・・・・俺は・・・なんて答えたらいい・・・・?分からないよ・・・・こんなのは・・・・。」
その場に膝をつき、頭を抱えて突っ伏した。もう少年には時間がない。考えている余裕はない。今すぐにでも答えを出さないと、彼はたった一人で消えていくことになる。それは分かっているけど・・・・・。
「・・・なんで・・・なんで上手くいかないんだ・・・。最後の最後で・・・・どうしてこんな展開になるんだよおおおおお!」
思い通りにいかないことに腹を立て、そして答えの出ないもどかしさに腹を立て、地面を殴りつけて頭を掻きむしった。
「・・・いいじゃないか・・・・俺と一緒になれば・・・。そうすりゃ三人で幸せに暮らせるんだ・・・・。もうじき死ぬってのに・・・・好き嫌いで宿主を選んでる場合かよ!」
立ち上がって少年の顔を見つめ、彼の頬に触れた。
「なあ・・・もういいじゃないか・・・俺は出来る限りお前に合わせるよ・・・。ミサだって独り占めしたりしない・・・・。だから・・・もう俺でいいじゃないか・・・。俺で・・・・俺で我慢してくれよ・・・。」
少年の樹液が俺の指を伝い、ポタポタと地面に落ちていく。それは泡のように消え去り、少年の命の終わりを告げていた。
《・・・・一人は・・・嫌だ・・・・。お姉ちゃんと・・・・一緒に・・・・。》
そう呟いた時、黙っていたミサが口を開いた。
「・・・浩太・・・もういいじゃない・・・。」
「ミサ・・・・。」
ミサの目からも樹液の涙がこぼれ、地面に落ちて小さな木を生やした。
「私は・・・・本当は死ぬはずだった。でもこの子のおかげでこうして生きてるわ。だから・・・この命はこの子にもらったも同然よ。それなら・・・・この子のワガママを聞いてあげたいの。」
「いや、でも・・・・、」
言いかける俺の言葉を遮り、ミサは首を振った。
「分かってる・・・浩太の気持ちはよく分かってるわ・・・。私だって・・・浩太と一緒にいたい・・・。でも・・・やっぱりこの子を一人で死なせるわけにはいかないわ。だって・・・もう私たちだけだもの・・・宇宙から降り注いだ光は・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「大丈夫・・・私は死ぬわけじゃない・・・。ただ・・・この子と一緒に帰るだけ・・・。
あの水族館のモノレールが・・・ここじゃない世界へ旅立ったように・・・私たちもここじゃない世界へ旅立つだけよ・・・。誰の目にも見えない・・・・あの宇宙へ・・・・。」
ミサの身体にヒビが入り、ボロリと左腕が落ちていく。
「ミサ!」
「・・・浩太・・・私の子供を・・・預けるわ・・・。」
「ミサの子供・・・・?」
「そこに生えてるでしょ?私の樹液から生まれた・・・小さな子供が・・・・。だから・・・浩太はここに残って・・・その子を育ててあげて・・・。いつか・・・いつかきっと・・・綺麗な花を咲かせて・・・浩太を孤独から救い出すから・・・。」
ミサはニコリと笑い、腕を回して少年の顔に触れた。
「・・・一緒に行こうね・・・・私たちのいた・・・あの宇宙へ・・・・。」
そう言って目を閉じ、穏やかな表情で天を仰いだ。
「・・・さようならじゃないよ・・・。浩太が私のことを覚えていてくれるなら・・・・きっとまた会えるから・・・・。出会いは一度きりじゃない・・・。今度は二度目の・・・・新しい出会いが待っている・・・・・・・・・・・。」
ミサは一瞬だけ俺に向かって微笑み、小さく頷いた。そして・・・・彼女は崩れ去った。
ボロボロと身体が朽ち果て、藻屑のように土へと還っていった。
「ミサ!行かないでくれ!俺を一人にするな!」
叫びながら手を伸ばすと、二つの丸い光が土から浮かび上がった。それはユラユラと回りを漂い、やがて一つになって上昇し始めた。
《・・・・浩太・・・・またいつか・・・・会おうね・・・・。二度目の・・・・新しい出会いを・・・信じてるから・・・・・。》
「ミサああああああ!」
ミサは花びらのようにヒラヒラと舞い上がり、やがて空に吸い込まれて見えなくなってしまった。俺は呆然と立ち尽くし、空に向かって手を伸ばしたまま膝をついた。
「そんな・・・・ミサ・・・・・ミサあああああああああ。」
頭を抱えてうずくまり、脇目もふらずに泣き叫んだ。
「俺が・・・俺が今まで戦ってきたのはお前の為なんだぞ!お前と一緒に生きる為に・・・・死にそうな想いで戦ってきたのに・・・・。それなのに・・・なんで俺を残して行っちまうだよおおおおおお!」
届かなかった想いが溢れ出し、拳を握って地面を叩きつけた。目の前にはミサの残していった小さな木が生えていて、幼い枝を揺らしている。
「・・・ミサ・・・・。」
その木を両手で包み、そっと土から引き抜いた。すると何かがヒラリ落ちてきて、俺の指に触れた。
「これは・・・・赤い花びら・・・・。」
その花びらを摘まみ上げようとすると、指から抜けてスルリと落ちた。そして次の瞬間・・・俺の肉体に変わっていた。
二十年前の・・・あの時の少年のままに・・・・。
「・・・・戻ってきたんだ・・・俺の身体が・・・・。」
そっと自分の肉体の胸に触れ、その温もりを感じた。小さな胸はしっかりと鼓動を刻んでいて、安らかな寝息を立てている。
「・・・戻ろうか・・・一つに・・・・。」
目を閉じ、手の平に赤い花びらを浮かび上がらせる。その花びらを通じて、俺の心と肉体が結ばれていく。長い間離れ離れになっていた二つの自分が、ようやく再開し、本来の形に戻ろうとしていた。
「・・・二度目だ・・・。お前は産まれた時から俺の傍にいて・・・・こうして二度目の出会いを果たした・・・。だから・・・これは戻るんじゃなくて・・・前に進む為の出会いだ。」
初めてこの山へ来た時、須田は『セカンド・コンタクト』という言葉を使った。
あの巨木と会った俺に、格好をつけてそう言ったのだ。
出会いは一度きりではない。それなら・・・ミサにだってまた会えるはずだ。いつか・・・彼女との二度目の出会いが訪れるまで・・・俺は生きていないといけないのだ。
心と身体を一つに結び、正真正銘の美波浩太として・・・・ミサとの再会を果たす。
それまでは、彼女の残したこの木を大切に育てよう。毎日世話をして、いつか花を咲かせるその日まで・・・。
花びらの力は、俺の心と肉体を繋げていく。意識がまどろみ、何かに吸い寄せられるように眠りに落ちた。
・・・・どれくらいそうしていただろう。次に目を覚ました時には、俺は子供に戻っていた。二十年前の、あの時の少年に・・・・。
小さな自分の手を見つめ、妙な違和感を覚える。二十年ぶりの自分との再会は、恥ずかしいような、それでいて嬉しいような、不思議な感覚だった。
いや、それだけじゃない。だんだんと・・・大人だった頃の感覚が消えていく。記憶はそのままに残っているが、感覚は幼い少年に退行していく。
「ここからまた・・・大人になっていくんだ・・・。消えていた二十年間を埋める為に・・・・しっかり生きていかなきゃいけないんだ・・・。」
小さな木を胸に抱きかかえ、ミサの消えた空を見上げる。するとわずかに空が波打ち、意識の世界から現実の世界へと戻ってきた。
冬のように枯れていた山に緑が戻り、夏という季節に相応しい装いとなった。
しばらくそのまま空を見上げていると、登山客が俺を見つけて近寄って来た。
「僕・・・こんな所で一人でどうしたの?お父さんとお母さんは?」
若い女性は心配そうに俺を見つめ、後ろを振り返って恋人らしき男を呼んだ。
「ねえ、こんな所に子供が一人でいるんだけど・・・・。」
「子供が一人で?なんで?」
「知らないわよ。でも放ってはおけないでしょ?とりあえず下まで連れて下りようよ。登って来たばっかりだけど。」
若いカップルは、俺に目線を合わせて顔を覗き込んでくる。
「なあ僕、名前は?」
「・・・美波浩太・・・。」
「そうか。じゃあお兄さんたちと一緒に山を下りよう。お父さんとお母さんのところに連れて行ってやるから。」
俺はじっと若いカップルの顔を見つめた。そしてパッと閃いて小さく頷いた。
《この人たち・・・・どっかで見たことがあると思ったら、おじさんの大学に来ていたカップルだ。あの胡散臭い研究室で、デートをしてたカップルだ・・・。》
俺は二人に連れられて山を下りた。女の方が俺の抱えている木を見て、「それ何?」と尋ねてきた。
「・・・僕の子供・・・。」
「君の子供・・・?」
「僕の彼女の・・・子供・・・・。」
カップルは顔を見合わせ、盛大に吹き出した。
「そっかあ、じゃあ大事に育てないとね。」
女は俺の頭を撫で、背中を押して歩いて行く。男の方はリュックからコップを取り出し、「これに入れたらいい」と渡してくれた。
「ちゃんと育てたら、もっともっと大きくなって、綺麗な花を咲かせるよ。な?」
「うん、きっと赤い花びらの綺麗な花よ。それも・・・不思議な力を持った、特別な花ね。」
俺は足を止め、若いカップルを見つめた。
「なんで知ってるの?」
「ん?何が?」
「どうして・・・この木が赤い花を咲かせるって知ってるの?」
そう尋ねると、若いカップルはまた顔を見合わせて笑った。
「実はさ、大学の研究室で聞いたんだよ。不思議な力を持った、赤い花びらの木のことを。」
「そうそう、だから冗談で言ってみただけよ。」
二人は可笑しそうに笑い、また俺の背中を押して歩き出した。
「実はさ・・・俺たちこう見えても子供がいるんだよ。ケンジっていうんだけどな。」
「ケンジ・・・?」
「ああ、賢いっていう字に、治めるっていう字で賢治だ。いい名前だろ?」
「・・・・僕の弟も・・・・同じ名前だったよ。字が違うけど・・・。」
「そうか、ならいい友達になれるかもな。」
男は俺の手を取り、女も俺の手を握った。それはまるで、我が子と手を繋ぐ親のようだった。
「あ、あの・・・・・、」
言いかける俺の言葉を遮り、女が口を開いた。
「山を下りたら、一緒に暮らそうか?きっと賢治のいいお兄ちゃんになれるわよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
女はニコリと微笑みかけ、男も同じように微笑んだ。
「そうだな、それがいい。四人で一緒に暮らそう。きっと楽しいぞ。」
鼓動が高鳴る。握った手が汗ばみ、懐に入れた小さな木が揺らいでいるのを感じた。
女はまた微笑みかけ、俺の頭を撫でて言った。
「・・・二十年もよく頑張ったね。でも・・・もう一人じゃないよ。」
高鳴った鼓動が破裂しそうになる。懐にしまった小さな木に、幼いつぼみが付き始めた。
「・・・あ・・・・ああ・・・・・・・。」
声にならない声が漏れ、目元が熱くなって視界がにじんでいく。
二人は俺の手を握りしめ、声を揃えて呟いた。
「・・・おかえり・・・浩太。」
止まっていた時間が動き出す。二十年の時を超えて、二度目の人生が始まろうとしていた・・・・・。


                                −完−

セカンド・コンタクト 第十二話 エンドレスの記憶(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 14:36
巨木から大量の樹液がばら撒かれている。もしあれがこの星に広がれば、大量のクローンが生まれ、人間の心を乗っ取られてしまう。
「クソッ・・・・どうすりゃいいんだ・・・・。」
歯がゆい思いでと見上げていると、風に乗ってどこからか花粉が飛んできた。
「なんだこりゃ・・・・?どうして花粉が・・・・。」
不思議に思って見つめていると、それが花粉ではないことに気づいた。
「違う・・・これは花粉よりもっと小さい・・・・。」
そう思った時、俺は山の稜線を振り返った。
「これは・・・・胞子だ!ミサの飛ばした胞子に違いない!」
ミサは言っていた。ツクシの胞子を飛ばして、巨木のクローンの拡散を防ぐと。
「あいつ・・・・やってくれたんだ。ツクシを増やして・・・・あの樹液を止めてくれるつもりなんだ・・・。」
風に撒かれた胞子は、空高くに舞い上がって樹液に吸い込まれる。すると胞子を吸い込んだ樹液は、勢いをなくしてポタポタと落ちてきた。
ミサのおかげで樹液の拡散は防がれ、クローンがこの星を埋め尽くすことはなくなった。
俺は喜んでガッツポーズを取り、ヒビ割れた巨木を睨んだ。
「見たか!お前の思い通りにはいかないぞ。潔く諦めて、俺の拳で塵に還れ!」
全ての力を右の拳に溜め、黄金色に輝く花粉を纏わせた。そして・・・・大地を蹴って、渾身の力で殴りつけた。
地震のような重たい音が響き、巨木のヒビがクモの巣のように広がっていく。それに耐えられなくなった巨木は、内側から弾けるように砕け散った。
破片となった巨木は無数の花びらに変わり、季節外れの桜吹雪を舞い散らす。
それはブリザードのように激しく吹き荒れ、地面に落ちた樹液に吸い込まれていった。
《・・・・よくも・・・・よくも邪魔を・・・・・・。あんたあ・・・・・許さない!》
樹液はムクムクと人の形に変わり、やがてミリサの姿へと変貌した。
《もう・・・私はお終いよ・・・。でも、まだ希望が残っている・・・・。それだけは・・・・それだけは絶対に傷つけさせない!》
「強がりを言うな。もうお前に希望などない!片っ端から叩き潰してやる!」
《やってみろ!この根暗男がああああああ!》
大勢のミリサが雄叫びを上げ、髪を振り乱して襲いかかってきた。その表情は般若のように歪んでいて、もはや俺を殺すことしか考えていないようだった。
「いいさ・・・・最後の戦いだ・・・。もう何の迷いもないし、何の恐れもない。全員派手に散れ!」
襲いかかって来るミリサに、花びらの拳で迎え撃った。ミリサは一撃で砕け散り、悲鳴を上げて死んでいく。
しかし弾けた身体から白い花びらが放たれ、紙吹雪のように襲いかかってきた。
それに触れた俺の腕が、色を失くして枯れていく。
「なんだこれは・・・・。」
枯れ木になった左腕を見つめていると、ミリサは次々に襲いかかってきた。
俺はミリサの手をかわし、背後に回って拳を振るう。しかしさっきと同じように、砕けたミリサからまた白い花びらが放たれた。
「くそッ・・・・なんだこの厄介な攻撃は・・・。」
後ろへ飛んで白い花びらをかわし、ミリサたち睨みつける。
「どうしたの?私を殺すんでしょ?早くやったら?」
ミリサたち可笑しそうにケラケラと笑い、蟻の群れのように次々と襲いかかってくる。
「くそ・・・・。下手に攻撃出来ない・・・。」
はっきり言って、一人一人のミリサは強くない。しかし下手に倒せば白い花びらをばら撒かれ、俺の身体が朽ちてしまう。
成すすべなく追い込まれ、遂には回りを囲まれてしまった。
「浩太・・・あなたは強くなった。でも私の大切なものは渡せない。」
「お前の大切なものだと・・・?」
「決まってるでしょ?あの少年よ。あれだけは・・・なんとしても渡せないわ。だって・・・・あの子を失ったら、私は一人ぼっちになってしまう。」
ミリサの顔から笑顔が消え、孤独の恐怖に怯えていく。
「私は・・・ずっとこの場所に一人で立っていた。長い長い間・・・・ずっと一人ぼっちだったわ。あなたが私を生み出したクセに・・・・私をほったらかしてどこかへ行ってしまったから。」
「・・・それは・・・すまないと思っているよ。でも俺がお前を生み出したのは、俺の意志を継いでほしかったからだ。もし俺が人間と同化するのに失敗した場合・・・お前に後を引き継いでほしかったから・・・・。」
そう言うと、ミリサたちは鬼の形相で怒り狂った。
「はあ?なにそれ?今さら調子のいいこと言ってんじゃないわよ!」
「・・・・・・・・・・・・。」
「言っとくけどね、美波浩太に目を付けたのは私が先なのよ。それを・・・・それをあんたが横取りしたんでしょ!私をほったらかして一人ぼっちにしたクセに・・・自分だけちゃっかり欲しいものを手に入れやがって・・・・。」
「・・・・ミリサ・・・・。」
「今まで・・・今まで私がどんな気持ちでいたか分かるか!欲しいものは手に入らず、心を寄せられる相手は誰もいない!こんな誰もいない山の上で・・・・ただひたすら孤独に耐えてきた!それなのに・・・・あんたはまた私の邪魔をしようとしている!
絶対に許さないわ!あんたがオリジナルだってんなら、私の寂しさに責任を取れよおおおおおおお!」
ミリサたちは耳をつんざく高い雄叫びを上げ、一斉に飛びかかってきた。
「このままじゃ取り殺される・・・。もう・・・イチかバチかだ!」
拳に花粉を纏わせ、思い切り地面を殴りつけた。すると花粉は竜巻のように舞い上がり、地面に大きな渦が現れた。
飛びかかってきたミリサたちはその渦に飲み込まれ、手を伸ばしてもがいていた。
「いやあ!消えたくない!一人ぼっちのまま消えたくない!」
「・・・すまない・・・ミリサ・・・・。」
「助けてよ!あんたは私の親でしょ?娘を見殺しにする気か!」
「・・・・・・・・・・・・・。」
ミリサの悲鳴は、どんな刃物よりも鋭く俺の心を抉った。しかしここで手を抜けば、ミリサはまた復活してくるだろう。
俺はもう一度地面を殴りつけ、大きな渦を作り出してミリサたちを飲み込ませていった。
「いやあ!死にたくない!消えたくないよおおおおお!」
「・・・すまない・・・許してくれ・・・・。」
大勢いたミリサのクローンは、瞬く間に花粉の渦に吸い込まれた。最後まで手を伸ばし、助けを求める悲鳴を響かせながら・・・・。
「・・・・ミリサ、お前の言うとおり、俺には責任がある。お前を生み出したクセに・・・何も与えてやることが出来なかった。でも・・・どうすることも出来ないんだ・・・。本当にすまない。」
目を閉じて頭を下げ、ミリサが消えた地面に手をついた。
「・・・・・ミリサ・・・お前のことは忘れない、ちゃんと覚えておくよ。」
俺は身勝手な親だった。自分で生み出した分身を、自分の都合で消してしまったのだから・・・・。しかし今は感傷に浸っている時ではない。まだ・・・・まだ最後の仕事が残っている。
立ち上がって後ろを振り向くと、朽ち果てた巨木の根っこが残っていた。まるで石膏のように白く固まり、一目で死んでいることが分かった。
「あそこに・・・俺の肉体があるはずだ・・・。」
白い花びらを踏みしめ、死した根元に近づいていく。辺りには巨木の破片が散らばっていて、瓦礫のように高く積っていた。
それを掻きわけ、俺の肉体を探していく。すると手に柔らかいものが触れ、そっと瓦礫を掻きわけてみた。
「・・・・あった・・・。無事だった・・・俺の身体・・・。」
まだ少年のまま時間を止めている俺の身体は、傷一つなく無事に残っていた。
そっと手を触れると、氷のように冷たかった。しかし鼓動は刻んでいて、まだ生きていることを感じた。
「よかった・・・。これで・・・これで俺は人間になれる・・・・。」
言葉に出来ない喜びが溢れ、嬉し涙がが頬を伝う。俺は自分の肉体を抱きかかえ、そっと胸に寄せた。
「・・・長いこと待たせたな・・・。ようやく・・・俺たちは一つになれる。離れ離れだった心と身体が、元に戻る時が来たんだ・・・。」
俺は拳にいくつもの赤い花びらを浮かび上がらせ、それを宙に舞わせた。その花びらは俺の心と肉体を包みこみ、再び一つに戻そうとしている。
長かった戦いもようやく終わる・・・。安堵と喜びが押し寄せ、力が抜けていった。
《おじさん・・・・俺はやったよ。あの巨木を倒して・・・肉体を取り戻したんだ。これも全部、おじさんが力を貸してくれたおかげだよ。》
心の中でおじさんに礼を言い、感謝の念を送った。しかし・・・・ふとあることを思い出した。
《・・・・待てよ?あの時、おじさんは確か・・・・・、》
俺は思い出す。あの寂れた山の駐車場で、おじさんが言っていた言葉を。
『君が人間の肉体を得るために用意した最後の儀式。それは・・・美波浩太の肉体と戦うことだよ。』
そうだ・・・確かにおじさんはそう言っていた。しかし・・・これはどう考えてもおかしい。どうして自分の肉体と戦う必要があるんだ?俺の最後の相手は、あの巨木じゃないのか?
疑問は胸の中で渦を巻き、やがて言いようのない悪い予感へと変わっていく。そして・・・・その悪い予感は的中した。
俺の腕の中で眠っていた少年が、突然目を開けたのだ。
「なッ・・・・なんでいきなり・・・・?」
驚きのあまり、思わず落としそうになる。
《・・・僕・・・?》
「な・・・・なに・・・?」
《・・・それ・・・・僕の心だよね・・・・?返してよ・・・・。》
少年は手を伸ばし、俺の胸を鷲掴みにしてきた。その力は強く、指が胸にめり込んでいく。
「ぐあッ・・・・、やめろ!」
《・・・返して・・・返してよ・・・・。僕の心と・・・お姉ちゃんを返して・・・・。》
「お・・・お姉ちゃん・・・?もしかして・・・ミリサのことか?」
《・・・お姉ちゃんは・・・・僕の大事な人だよ・・・・返してよ・・・・。》
少年の指は胸に突き刺さり、心臓を抉ろうとしてきた。
「よせ!」
少年を突き飛ばし、胸の痛みに膝をついた。
《・・・・・・いる・・・・。まだ・・・お姉ちゃんはいる・・・・。》
「なんだと・・・まだミリサが生き残っているのか・・・?」
《・・・お姉ちゃんの花粉が飛んでるもん・・・。まだ生きてるんだ・・・。》
そう言って少年が見上げたのは、ミサの飛ばした胞子だった。風に舞い、辺り一面に漂っている。
《・・・お姉ちゃん・・・。》
少年は俺を突き飛ばし、胞子に向かって手を伸ばす。すると赤い花びらが放たれ、ミサの胞子を絡め取っていった。
「やめろ!あれはミリサじゃない!お前のお姉ちゃんじゃないんだ!」
《・・・お姉ちゃん・・・一人ぼっちにしないで・・・。僕のところに戻って来てよ・・・。》
少年はまた赤い花びらを飛ばし、空中を舞う全ての胞子を絡め取っていく。そして、それを自分の手の中に集め、土の中に埋めていった。
「お前・・・・心がないのに・・・・どうしてそんな真似を・・・。」
立ち上がって少年に近づくと、首の後ろに赤い花びらが浮かんでいるのが見えた。
「これは・・・・俺の拳に浮かんでいる花びらとそっくりだ・・・。」
手を伸ばしてそれに触れてみると、小さく脈打っているのが分かった。
「これは・・・・知っているぞ・・・。俺はこの感じを知っている。これは・・・・クローンの鼓動だ・・・・。」
そう思った時、どうして俺の肉体がこんな真似をするのかが分かった。
「・・・お前には・・・心があるんだな。でもその心は本物じゃない。いわば・・・クローンだ。お前は他のクローンとは真逆の存在なんだな。本物の肉体と、偽物の心を持っているんだ・・・。」
きっと、この偽物の心はミリサが与えたものだろう。一人ぼっちの辛さを紛らわせる為に、仮初の精神を少年に宿したのだ。
「なんてことを・・・・。偽物の心を作り出して・・・・俺の肉体に入れるなんて・・・・。」
再び怒りが湧きあがり、身体に熱が戻ってくる。俺は少年の前に膝をつき、まっすぐに目を見つめた。
「俺は・・・お前の気持ちがよく分かるよ・・・。だって・・・誰だって偽物は嫌だもんな。偽物ってのは・・・どこまでいっても偽物なんだ。だから本物に憧れ、それを欲しがる・・・。」
俺は少年の手を握り、傍へ引き寄せた。
「なあ・・・俺は本物の肉体が欲しい。でもその代わり、お前に本物の心をあげるよ。
だから・・・一つに戻らないか?そうすれば・・・俺たちは本物の人間になれるんだ。」
少年は俺の視線を押し返すように見つめ、小さく口を開いた。
《・・・僕は・・・偽物じゃないよ・・・。》
「・・・ああ、お前はお前だ。でも本物のお前じゃないんだ。だって・・・お前の持っていた本当の心は、ここにあるんだから。」
俺は自分の胸を叩き、優しく微笑んでみせた。
「ここにお前の欲しがっていたものがある。そして・・・俺はお前の肉体が欲しい。俺たちは二人で一つさ。だから戻ろう。大丈夫、怖いことなんかないよ。ただ・・・美波浩太という人間に戻るだけだ。」
《・・・・・・・・・・・・・。》
少年は何も答えずに俺を見つめる。そして何かに気づいて、ふと顔を上げた。
《お姉ちゃん!》
少年の視線の先には、宙に浮かぶミサがいた。その姿はミリサにそっくりで、少年はミサのことを完全にミリサだと思い込んでいた。
「待て!あれはミリサじゃない!ミサなんだ!お前のお姉ちゃんじゃないんだぞ。」
《そんなことない!あれはお姉ちゃんだよ!》
少年は俺を突き飛ばし、宙に浮かぶミサに手を伸ばした。
《お姉ちゃん・・・。》
ミサは少年の元に下りて来て、薄く目を開けた。
「・・・なんで・・・?なんで・・・まだ生きてるの・・・?」
そう言って不思議そうに回りを見渡し、俺に気づいて「浩太!」と叫んだ。
「ミサ!」
「浩太・・・・私・・・まだ生きてるみたい・・・。全ての胞子を飛ばして力尽きたのに・・・まだ生きてるよ・・・。」
ミサは嬉しそうに微笑み、俺に向かって駆け出した。しかし少年に腕を掴まれ、強引に引き戻された。
《お姉ちゃん!》
「誰・・・この子は・・・?」
「俺の肉体だよ・・・・。お前のことを、ミリサだと思い込んでいるんだ。」
「浩太の・・・肉体・・・・。」
ミサは膝をつき、少年に手を触れた。
「これが浩太の肉体・・・・。人間になる為の身体・・・。」
ミサは愛おしそうに少年を見つめる。そしてそっと抱きしめた。
「・・・辛かったね・・・一人ぼっちで・・・。もう大丈夫だからね。」
《お姉ちゃん・・・。》
これは・・・・ハッピーエンドなのだろうか?少年はミサをミリサと勘違いしていて、絶対に離すまいと抱きついている。
「・・・まあ、いいか。俺たちが元に戻れば、全ては解決だ。俺がミサを愛することは、少年がミリサを愛することに繋がるんだから。」
抱き合う二人を微笑ましく見つめ、その肩を抱き寄せた。
「もう終わりだ。辛いことは全てお終い。だから・・・元に戻ろう、な?」
少年の頭を優しく撫でて、ミサから引き離そうとした。しかしその瞬間、少年は怒りの形相で俺を突き飛ばした。
《また殺すの?》
「違う!俺はただ、お前と一つになって人間に戻ろうと・・・・、」
《殺すんでしょ?またお姉ちゃんを殺して、僕を一人ぼっちにさせるつもりなんでしょ?》
「だから違うと言っているだろう!俺はもう・・・誰も殺したりはしない。お前の大切なものを奪ったりはしないんだ。だから・・・戻ろう。美波浩太に戻るんだ。」
必死に宥めようとしたが、少年は俺の言葉を信じなかった。
《・・・嘘つき・・・。お前からは・・・・人殺しの臭いがする・・・。僕が子供だからって・・・上手いこと騙してまた殺すつもりなんだ・・・。》
少年はミサを後ろに隠し、彼女を守るように立ちはだかった。
《お姉ちゃんは僕が守る・・・・。お父さんもお母さんも、健司も守れなかったから・・・お姉ちゃんだけは守るんだ。》
そう言って怒りに顔を歪ませ、憎しみの目で俺を睨んだ。
「浩太・・・・。」
ミサはオドオドと俺たちを見つめ、どちらに味方したらいいのか困惑していた。
「なあ、聞いてくれ。俺はもう誰も傷つけない。だって・・・ミサもお前も、俺にとっては何よりも大切な存在なんだから。」
《・・・・・・・・・・・・・・。》
少年はじっと俺を睨んでいる。決してミサに触れさせまいと、戦う気満々でいるようだった。
「・・・・無駄だな。もう何を言っても。」
俺は少年を諭すのを諦め、拳を握って向かい合った。
「浩太!ダメだよ、自分と戦っちゃ!」
「分かってる・・・。けど、それは無理なんだ。なぜなら自分のことは自分が一番よく知っているからな。そいつはもう俺の言葉を聞くつもりはないらしい。何がなんなんでも、ミサを一人占めするつもりなんだ。」
説得するのが無理だと分かった以上、腹を括らねばならなかった。例え自分が相手でも、ミサだけは譲れない。
「・・・なあ、お前も分かってるんだろう?俺が絶対にミサを譲る気はないと。そして・・・何がなんでも、お前と一つに戻ろうとしていることを。」
《・・・・渡さない・・・。お姉ちゃんも・・・この身体も・・・全部僕のものなんだから・・・。》
少年は俺と同じように花びらの力を使った。皮膚が赤く染まり、湯気が出るほど熱を帯びていく。そして・・・額に赤い花びらを浮かび上がらせた。
「ミサは渡さない。だから・・・今はお前のことを、自分だとは思わないようにする。少年よ・・・・戦って決着をつけよう。そして勝った方が、自分の欲しいものを手にするんだ。いいな?」
《・・・いいよ・・・。だって・・・僕負けないもん!》
少年はニコリと笑って頷き、鋭い眼光で睨んできた。するとミサは少年の前に立ち、戦いをやめさせようと両手を広げた。
「やめて!自分と戦うなんてどうかしてるよ!」
「いいや、どうもしてないさ。誰だって自分と戦ってるんだ。ただ・・・他の奴とはちょっと戦い方が違うだけだ。」
そう言うと、少年はまたニコリとを笑って、額の花びらに手を触れた。
《あのね・・・僕知ってるよ。》
「何をだ?」
《人の心って、とっても弱いんでしょ?だから辛い記憶を、頭の中に閉じ込めちゃうんだ。》
「ああ、その通りだ。人の心は弱い。でも・・・それを乗り越える強さも持っている。
俺はここへ来るまでに、その強さを手に入れた。だから決して・・・自分には負けない。」
《ふう〜ん・・・・じゃあやってみれば。辛い記憶を乗り越えられるかどうか。》
少年は額の花びらを輝かせ、一瞬にして辺りの景色を変えた。
「これは・・・・あの時の・・・・。」
それは二十年前の、あの池のほとりだった。そして・・・・俺は子供に戻っていた。
「なんだこれは・・・?幻覚か何かなのか?」
そう呟くと、どこからか少年の声が聞こえた。
《それはね、お兄さんの記憶だよ。あまりに辛い記憶だから、ずっと奥の方に閉じ込められていたんだ。》
「俺が・・・記憶を閉じ込めていただと?馬鹿な、俺は全てを思い出したんだぞ?記憶を閉じ込めているわけがないだろう。」
《そうかな?人の記憶なんて曖昧なもんだよ?それに・・・ただ思い出すのと、実際に体験するのとじゃわけが違うよ。ほら、もうすぐお兄さんの嫌な記憶がやって来るよ。》
「嫌な記憶だって・・・?」
顔をしかめて尋ねると、また辺りの景色が変わった。
「これは・・・車の中か?旅行の帰りの時だな。」
《・・・もうすぐ・・・もうすぐだよ・・・。怖くて怖くて閉じ込めていた記憶が・・・・お兄さんを苦しめるから・・・・。》
少年の声は消え、クスクスと笑い声だけが響いていた。
「・・・分かってるさ、何を見せるつもりか。あの時の事故の瞬間を見せるつもりなんだろう?しかし生憎、そんなもので俺は動揺したりはしない。なぜなら・・・夢の中で、何度もあの瞬間を見てきたんだからな。」
そう、俺は幾度となくあの事故を体験している。眠っている時に記憶がフラッシュバックして、あの事故を追体験しているのだ。
子供に戻った俺が、記憶の通りに悪戯を仕掛ける。父の隙を窺い、ブレーキに空き缶を挟んでいた。そして・・・渋滞が目の前に迫った。父は空き缶を取り除き、スピードを落としていく。そこへミリサの運転する車が迫り、激しく追突した。俺の車は反対車線に押し出され、正面から迫ってきたバスと衝突した。
目の前がブラックアウトして、意識が途切れる・・・・・・・はずだった。
「なんだ・・・?いつもなら、ここで記憶が途切れるのに・・・。」
不思議に思っていると、ブラックアウトした視界に光が戻ってきた。眩しさに目を細めていると、何かが視界に飛び込んできた。
「・・・・・・・・・・・ッ!」
それを見た俺は、言葉を失くして戦慄した。俺の目に飛び込んできたもの、それは・・・・目玉が飛び出し、首が折れて絶命した、弟の姿だった。
「・・・健司・・・・。」
震える声で呟くと、また別のものが目に入った。
「・・・あ・・・・あああ・・・・・・。」
それは・・・父と母の姿だった。父は顔の半分がなくなり、手足の関節がでたらめな方向に曲がっていた。そして腹は破れ、中から臓器が飛び出していた。
母はもっと悲惨だった。美しい顔が見る影もなく潰れ、左腕と下半身が千切れている。割れた頭から脳がこぼれ落ち、赤黒い血が地面に染み込んでいた。
「・・・・知らない・・・・俺はこんなのは知らないぞ・・・。こんなの・・・・俺の記憶にはない・・・。」
恐怖に戦いて呟くと、クスクスと少年の笑い声が響いた。
《だから言ったでしょ?人は辛い記憶を閉じ込めるって。これは全部お兄さんの記憶なんだよ?でもあまりに辛いから、奥の方へ閉じ込めていただけなんだ。》
「・・・そんな・・・・俺は・・・・この光景を見ていたっていうのか・・・?」
《そうだよ。その目で見たから記憶されてるんだよ。でもあまりに辛いから、何も見なかったことにしてるんだね。だから途中で意識が途切れちゃうんだよ。》
「・・・・・・・・・・・・・。」
少年の言葉は、俺の胸を撃ち抜いた。いくら反論したくても、こうして記憶として保存されている以上、これが真実なのだろう。
そしてその真実から目を逸らす為、記憶を封じていた。
《はい、じゃあお終いね。また一からやってみようか。》
「な・・・なんだって・・・?」
目の前に少年が現れ、額の花びらを輝かせる。すると記憶が巻き戻され、事故の起きる手前の光景に変わった。
俺が悪戯を仕掛け、父が空き缶を抜き、そこへミリサの車が衝突する。そしてバスとぶつかり、家族の凄惨な死に様を見せつけられた。
《はい、じゃあもう一回。》
少年はまた記憶を巻き戻す。さっきとまったく同じ光景が繰り返され、俺の目に家族の死体が飛び込んでくる。
《はい、それじゃもう一回。》
「・・・や・・・やめろ・・・・。」
少年は俺の言葉を無視して、再び記憶を巻き戻す。見たくない凄惨な光景が目に映り、思わず叫び声を上げた。
「分かった!もう分かったからやめろ!」
《やだ。じゃあもう一回ね。》
少年は淡々と記憶を繰り返し、何度も俺に絶望を与える。いくらやめろと叫んでも、《じゃあもう一回》と言って、延々と同じものを見せつけてくる。
《じゃあもう一回。》《それじゃもう一回。》《ほら、もう一回ね。》《まだまだ、もう一回。》
俺は思った。こいつは、正真正銘の悪魔だと・・・。そしていつしか、《じゃあもう一回》と聞いただけで、心が千切れそうになっていた。
「やめてくれ・・・頼むから・・・もうやめてくれ・・・・。」
もう限界だった・・・。何度も何度も家族が死ぬところを見せつけられ、もはや心は砕け散る寸前だった。
「・・・認める・・・お前の言うとおり・・・人の心は弱い・・・。だから・・・・もうこれ以上は・・・・、」
声にならない声を絞り出し、必死に懇願した。しかし・・・少年はまたあのセリフを言った。
《じゃあもう一回。》
見たくない光景が強制的に目に飛び込んできて、俺の心を抉っていく。それは今までのどの戦いよりも、耐えがたい苦痛だった・・・。
「やめろ・・・・もうやめろおおおおおお!」
自分でも耳を疑うほどの大きな声が出る。それは・・・・敗北を認めた瞬間だった。しかしそれでも、少年はあのセリフを言う。
淡々と、そして冷徹に・・・・機械のようにあの言葉を繰り返した。
《はい、じゃあもう一回。》
俺は・・・・自分の心が割れる音を聞いた・・・・・。

セカンド・コンタクト 第十二話 エンドレスの記憶(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 14:35
『エンドレスの記憶』


夏の山に雪が降っている。まるで真冬のように、ヒラヒラと白い雪が舞っている。
雪は深く降り積もり、大地を覆い隠していく。季節を無視した異様な光景に、俺は思わず息を飲んだ。
「この雪は・・・あの巨木が降らせているのか・・・?」
目の前には巨人のような大木がそびえていて、圧倒的な迫力で俺を見下ろしていた。
《浩太・・・来ると思っていたわ・・・・。》
巨木の中からミリサが現れて、ヒラヒラと舞う雪に手を向けた。
「綺麗でしょ・・・これ。」
「・・・いや、夏に雪なんて不気味だよ。これはお前の仕業か?」
そう尋ねると、ミリサはクスクスと笑った。
「これは雪じゃないわ、よく見て。」
ミリサは手に乗せた雪をフッと吹いた。その雪はユラリと舞って俺の方へ飛んでくる。
「これは・・・花びらか?」
「そう、これは色を失くした花びらよ。まるで雪みたいでしょ。」
ミリサは花びらを握りつぶし、後ろにそびえる巨木を見上げた。
「もうそろそろ・・・・私も寿命だわ・・・。見て、全ての花びらが枯れようとしている・・・。」
巨木は無数に枝分かれしていて、色を失くした花びらを散らしている。それはとても幻想的で、そして切ない光景だった。
「綺麗よね、命が燃え尽きる瞬間って・・・・。」
ミリサは一瞬だけ俺の方を振り向き、ニコリと微笑んだ。そして巨木の中に手を突っ込み、一人の少年を引きずり出した。
その少年は死神のように真っ白な顔をしていて、人間なのかマネキンなのか分からないほど無機質な表情をしていた。
「その少年は・・・まさか・・・。」
「そう、浩太の肉体。見た目は少し変わっちゃったけど、あの時の面影を残しているでしょ?」
ミリサは少年を後ろから抱きしめ、愛おしそうに頬ずりをした。
「ああ・・・可哀想な浩太・・・。いくら肉体があったって、心がなければ意味なんてないのに・・・。」
「おい、俺の身体に気易く触るな!」
「いいえ、この肉体は私のものよ。だって・・・長い長い間一緒にいたんだから。今ではお互いに愛し合っているんだもの、ねえ?」
ミリサは少年を抱き上げ、まるで自分の子供のように胸に埋めた。
「馬鹿なこと言うな。誰がお前なんかと愛し合うものか。俺を騙し、おじさんを操り、大勢のクローンまで犠牲にしたクセに・・・。俺は断じて、お前を好きになったりはしない!」
拳を握って叫ぶと、ミリサは肩を揺らして笑った。
「私はあなたに言ってるんじゃなくて、この子に言ってるのよ。」
「同じことだ。その肉体は俺のものなんだからな。」
射抜くように指を突きつけ、拳を握ってミリサに詰め寄った。
「今日・・・俺はお前を倒しにきた。俺にとって大事なものを取り返す為、そしてクローンの拡散を防ぐ為に。」
「私と戦うっていうの?」
ミリサは背を向け、長い黒髪を揺らして呟いた。
「大人しく降参しろと言ったって、お前が頷くわけがないだろう?だったら・・・この拳で殺すしかない!でもその前に・・・・一つ聞きたいことがある。」
「なあに?」
「おじさんはどこだ?俺を置いて一人でここへ来たはずだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
ミリサは何も答えず、俺の肉体を抱えたまま巨木に歩いて行った。
「おい、質問に答えろ!おじさんはどこにいる?」
命令的に質問を投げかけると、ミリサは俺の肉体を抱いたまま振り返った。
「ふふふ。そんなに心配しなくても、ちゃんと会わせてあげるわよ。」
「・・・会わせるだって?ということは・・・やはりここにいるんだな?」
「ええ、拳銃を構えて私を殺しにやって来たわ。だから・・・・私は反撃した。」
「反撃・・・だと?いったい何をした?」
降り積もった花びらを蹴り分け、ミリサに近づいて手を伸ばした。するとその瞬間、彼女は薄く微笑みながら巨木の中に消えていった。
「おい!おじさんに何をしたんだ!」
《あの男がどうなったか・・・自分の目で確かめればいいわ。》
ミリサは笑いながら言い、巨木をドクンと波打たせた。次の瞬間、背後に気配を感じて振り向くと・・・そこにはおじさんがいた。
「おじさん!」
慌てて駆け寄ろうとしたが、異変に気づいて足を止めた。
「・・・おじさん・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
おじさんは拳銃を握ったまま動かない。いや・・・正確には動けなかった。なぜなら・・・おじさんの身体は、まるで木のように固まっていたからだ。
顔の半分に木目模様が浮かび、手足から枝が生えて花を咲かせている。
「おいミリサ!これはどういうことだ!おじさんに何をした?」
《クローンと同化させたのよ、無理矢理身体に入り込んでね。今は自分が誰だか分かっていないわ。》
「そんな・・・なんてことを・・・・。」
俺は巨木を睨み、そしておじさんに歩み寄った。
「おじさん・・・分かるか、浩太だよ・・・。」
そっと手を触れてみると、おじさんは息をしていなかった。その代わり、身体からミシミシと枝が伸びてきて、その先端に実をならせた。
「なんだ・・・この実は・・・?」
実は気持ちの悪い模様をしていた。アケビのような形の中に、黒い粒々が浮かんでいる。手を伸ばしてその粒に触れてみると、パラパラと地面に落ちていった。
「これは・・・何かの種か?」
息を飲んで様子を窺っていると、黒い種は瞬く間に根を伸ばし、そして凄まじい速さで成長していった。
「これは・・・・おじさんが生えてきているのか・・・?」
《そうよ、その男がいくつも生えてきているの。面白いでしょ?同じ人間が何人も産まれるなんて。」
「馬鹿なことを言うな!すぐにやめさせろ!」
《どうして?浩太の大切なおじさんが、何人も産まれてくるのよ。喜べばいいじゃない。》
「そんなことが出来るか!同じ人間を何人も作り出すなんて・・・そんなことが許されるはずがない!」
巨木に向かって拳を向けると、また笑い声が返ってきた。
《だったら殺せばいいわ。》
「なに・・・?」
《無駄な分のおじさんは全部殺して、オリジナルだけ残しておけばいい。そうしたら、気が向いた時にまたクローンが作れるから。便利でしょ?》
「お前・・・・・・、」
ミリサの言葉は俺を怒らせた。身体はさらに熱を帯び、より赤く染まっていく。
「もういい・・・お前と話し合うことなどない。今すぐに死ね!」
拳を握って殴りかかろうとした瞬間、後ろから大勢のクローンが抱きついてきた。
「美波君!」
「おじさん・・・離してくれ!今はあの巨木を倒さないと!」
「駄目だ!そんなことをしたら・・・僕が消えてしまう!」
「なんだって・・・?おじさんが消える・・・・、」
そう聞き返した時、おじさんは俺の腕に噛みついてきた。
「何をするんだ!」
「君の・・・・君の身体を食わせてくれ!そうすれば、僕の寿命が延びるんだ・・・。」
「おじさん・・・・。」
おじさんの顔は恐怖に歪んでいた。それは死への恐怖、そして自分が消えることに対する恐怖だった。
「・・・・違うな、あんたらはおじさんじゃない。あの人が、こんなに醜く生に執着するものか!」
握った拳を振りおろし、おじさんのクローンを叩き潰していく。しかし黒い種がパラパラと落ちて、いくらでもクローンが湧いてきた。
「クソッ・・・切りがないな・・・・。」
ジリジリと後ずさると、背中に巨木がぶつかった。
《浩太、いくらクローンを殺しても無駄よ。本体を仕留めないと。》
「本体・・・・?」
《最初に現れたおじさんが本体よ。彼を仕留めない限り、いくらでもクローンは湧いてくるわ。》
「お前・・・・俺におじさんを殺させるつもりか?」
《それ以外に生き残る道はないわ。戦ってその男を消すのもいいし、黙って殺されるのもいいし。それは浩太の自由よ。》
ミリサは勝ち誇ったように笑い、白い花びらを舞わせた。
「・・・・また・・・またこんな卑劣な手段で・・・俺を追い詰めようというのか・・・・。」
握った拳に力を入れ、思い切り巨木を殴ろうとした。しかしその瞬間、目の前に俺の肉体が出てきて盾となった。
《殴りたいならどうぞ。でもこの子が死ねば、浩太は人間になれなくなる。それでもいいの?》
「・・・お前は・・・俺の心の中をお見通しってわけか・・・・・。」
拳を握ったまま固まっていると、おじさんのクローンがまた襲いかかってきた。身を守る為に応戦したが、やはりクローンは際限なく湧いてくる。
どうしたものかと困っていると、おじさんの本体が口を開いた。
「・・・美波君・・・・・。」
「おじさん!」
「・・・僕は・・・また失敗した・・・・。格好をつけて一人で来たら・・・このザマだ。もう・・・コーヒーを飲むことも出来ない。」
「大丈夫さ、また元に戻れる!」
「・・・・無理だ。僕はその巨木に戦いを挑み・・・そして負けた。今は・・・・ただの操り人形だよ。」
悲しそうにそう言って、木になってしまった身体を動かした。
「これ以上・・・・君の邪魔をすることは出来ない・・・。だから・・・僕を殺してくれ・・・。君の手で・・・・終わらせてほしいんだ・・・。」
「駄目だよ、そんなことを言ったら!だって・・・俺はまだ、おじさんに何の恩返しもしていないんだから!」
クローンを殴り飛ばし、おじさんの本体に近寄った。先ほどよりも樹木化は進んでいて、もはや口を動かすのも辛そうだった。
「おじさん・・・また元に戻れるさ。俺が・・・俺が必ずあの巨木を倒すから!だから諦めないでくれ!」
「・・・・うう・・・ああ・・・あ・・・・・。」
「せっかく娘に会えたんだぞ!あの巨木を倒せば、俺とミサと・・・・そしておじさんの三人で暮らせるんだ!だから俺を信じて・・・・、」
しかし俺が言い終える前に、おじさんはゆっくりと首を振った。
「・・・いいんだ・・・もう・・・いいんだよ・・・・。」
「いいって・・・・なにがいいって言うんだよ?なにもいいことなんかないじゃないか!」
おじさんおの肩を掴んで揺らすと、枝からヒラリと花びらが落ちた。
「美波君・・・・僕は・・・・幸せだよ・・・・。」
「幸せ・・・・?なんで?今にも死にそうなのに・・・・。」
おじさんはミシミシと鳴らして木の身体を動かし、ツクシの生える山の稜線を見つめた。
「病院に電話を掛けて・・・・ミリサが流産していたことを知った時・・・目の前が真っ暗になった・・・・。いったい・・・僕は今まで・・・何の為に戦ってきたんだろうって・・・・。
でも・・・そんな僕に・・・君が希望を与えてくれた・・・・。」
「俺が・・・・?」
「だって・・・・ミサちゃんに会わせてくれたじゃないか・・・。僕の・・・本物の娘に・・・。」
「あれは俺のおかげなんかじゃないよ。たまたまあの場所にミサがいただけで・・・・、」
そう言うと、おじさんは苦しそうに首を振った。
「いや・・・・そんなことはないよ・・・。君が・・・君が僕をミサちゃんに導いてくれたんだ・・・。僕は・・・最後の最後で・・・・本物の娘に会うことが出来た・・・・。こんなに嬉しいことはないよ・・・。」
おじさんの目から、樹液の涙がこぼれ落ちる。その樹液を求めて、ワラワラとクローンどもが集まって来た。
「おじさんに触るな!この偽物どもが!」
拳を振ってクローンを叩きのめし、おじさんを守るように立ちはだかった。
「・・・美波君・・・・。君は・・・信じないかもしれないけど・・・・僕は君のことを・・・本当の息子のように思っていたんだ・・・。
妻と娘を失くし・・・・一人ぼっちだった僕にとって・・・君だけが生きがいだった・・・・。
だから・・・何としても・・・・君には生き延びてほしい・・・。正真正銘の人間となって・・・ミサちゃんと一緒に・・・未来を歩いてほしいんだ・・・。」
おじさんはそう言って、自分で自分の身体を毟った。割れた皮膚から大量の樹液が流れ、魑魅魍魎のようにクローンが集まってくる。
「寄るなって言ってんだろうが!」
いくら拳を振っても、流れ出る樹液に惹かれてクローンが群がってくる。そして遂には俺を突き飛ばし、おじさんを貪り始めた。
「おじさん!」
慌てて助けようとすると、おじさんは「これでいい」と言った。
「これが・・・これが僕の生み出した業だよ・・・。身勝手でワガママな僕には・・・・ピッタリの最後さ・・・。」
「そんな・・・おじさんは身勝手なんかじゃ・・・・、」
「いいや・・・僕は身勝手だよ・・・・。妻と娘を失った真実から目を逸らし、偽りの真実に浸っていたんだ・・・・。そのせいで・・・・たくさんの命を傷つけてきた・・・。だから・・・こでれいいのさ・・・・。」
おじさんは目を閉じ、クローンどもに身体を差し出した。溢れる樹液はクローンに吸い取られ、おじさんの身体が枯れていく・・・・。
「美波君・・・・君にはまだ・・・・最後の戦いが残っている・・・。あの巨木を倒して・・・・ミサちゃんとの未来を掴むんだ・・・。」
「・・・おじさん・・・。」
俺は堪らなくなって俯き、自分の頭を掻きむしった。クローンどもを叩き潰しておじさんを助けることは出来る。しかし・・・きっとおじさんはそれを望んでいないだろう。
なぜなら・・・おじさんの顔は、もう楽になりたいと言っていたからだ。
「・・・不思議だ・・・・もうじき死ぬってのに・・・全然怖くない・・・。もう・・・これで終わりに出来るのかと思うと・・・・安らぎさえ覚えてくる・・・。」
おじさんの顔は、実に穏やかだった。目を閉じ、全身で喜びを感じているようだった。
「・・・一つ残念なことがあるとしたら・・・・君たちの未来を見られないことだ・・・・。
僕は・・・・この目で見たかったな・・・・。君と・・・ミサちゃんの晴れ姿を・・・・。そして・・・・二人の子供を・・・・この腕に・・・・抱きたかっ・・・・・た・・・・・・・。」
「おじさん!」
おじさんは消えた・・・。クローンどもに食いつくされ、跡形もなく消え去った。
「てめら・・・・いつまでも群がってんじゃねえよおおおおお!」
胸の中に、灼熱のような怒りが沸き起こる。花びらの拳は赤黒く染まり、金色の花粉を纏って渦を巻いた。
俺はその拳を構え、クローンどもに向かって走り出した。そして・・・・全ての怒りをぶつけるように、拳を振り下ろした。
おじさんに群がっていたクローンに拳が触れると、一気に花粉が舞い上がった。そして蟻地獄のように渦を巻いて、クローンを土の中へと消し去っていった。
「・・・おじさん・・・・ごめん・・・。たくさん助けてもらったのに・・・・何も恩を返せなかった・・・・・。」
無力な自分の手を見つめ、がっくりと膝をついた。頭を抱えて地面に突っ伏し、恥ずかしげもなく声を上げて泣いた。
しかし・・・今は泣いている場合ではないことを、すぐに思い知らされた。なぜなら・・・あの巨木の寿命が、すぐそこまで迫っていたからだ。
全ての花びらを散らし、枝が枯れ落ち、そして太い幹には亀裂が走っている。
「・・・分かってる・・・・。お前はこのまま死なないんだろう?大量のクローンをばら撒いて・・・・この星を自分で埋め尽くすつもりなんだ・・・。そんなこと・・・・そんなことをさせてたまるか!」
再び拳に花粉を纏わせ、巨木に殴りかかった。硬い音が響いて巨木は割れ、それと同時に大量の樹液が空に飛び散っていく・・・・。
「まずい!あの樹液がクローンか!」
樹液を止めようと思って拳を構えたが、もはやどうすることも出来なかった。大量の樹液は稲妻のように炸裂し、四方八方へ飛び散っていく。
「くそッ・・・・なんてこった・・・・。」
このまま樹液が飛び散れば、それこそ巨木の思うツボだ。かといって、俺に樹液の拡散を防ぐ術はない。
歯がゆい思いを抱きながら、ただ樹液が広がるのを見ているしかなかった・・・。

セカンド・コンタクト 第十一話 ミサとの約束 

  • 2014.05.11 Sunday
  • 14:30
『ミサとの約束』


夏の山は青く茂っているものだ。木々はこれでもかと葉を茂らせ、来たるべき冬に備えて力を蓄える。
しかし・・・・ここは違った。氷ノ山の麓に来た俺たちは、山の異様な姿に言葉を失くしていた。
「これは・・・どういうことだ?木が枯れている・・・。」
命を謳歌しているはずの夏の山が、まるで真冬のように葉を落としていたのだ。
足元には茶色い葉が散らばり、木々は生気を失くして朽ち果てている。
「どうしてこんなことに・・・・?」
足元の葉を拾い上げると、須田はコーヒーを片手に口を開いた。
「きっと・・・これは幻さ・・・。」
「幻・・・?」
「この山自体が・・・・意識の世界に覆われているんだ。ほら、見てごらん。遠くに歩く人たちは、まったくこの異常な景色に気づいていない。」
おじさんは親水公園のそばにある旅館を指差した。そこには学生らしき男女が数人いて、楽しそうにワイワイとはしゃいでいた。
「みんなこの異様な景色に気づいていない。それに・・・この場所に入れるのは、僕たちだけのようだ。」
そう言いながら、今度は公園の入り口に視線を向けた。
若いカップルが登山ウェアを来てこちらに歩いてくるが、公園の入り口に入ったところで消えてしまった。
「なッ・・・消えたぞ!」
「きっと・・・あの場所が分かれ道になっているんだ。」
「分かれ道?」
「現実の世界と、意識の世界の分かれ道さ。いま僕らが立っているのは意識の世界なのさ。」
「・・・ということは・・・この景色は俺たちにしか見えていないということか?」
「ああ。そしてこんなことが出来るのは・・・・・、」
おじさんは山の上を見上げ、コーヒーを呷った。
「こんなことが出来るのは、ミリサ・・・いや、あの巨木くらいのものだろう。」
「・・・だとしたら・・・すごい力だな。山全体を意識の世界で覆うなんて・・・。」
「ははは、オリジナルの君が驚いてどうするのさ。あの巨木は君が生み出したんだろう?」
おじさんは可笑しそうに言い、近くのゴミ箱に缶を投げ捨てた。
「俺が巨木のクローンを生み出した時、多くの力を分け与えてしまったんだ。」
「どうしてそんなことを?」
「俺は・・・ただ人間と同化出来ればそれでよかったからな。だから不要なものは、あの巨木にあげてしまった。もし俺が人間と同化出来なかった時、あの巨木が俺の意志を継いでくれればいいと思って。」
「なんだよ、君もなかなかに身勝手じゃないか。こうなりゃみんな悪者だな。」
おじさんは意地悪そうに言い、ポケットから新しい缶コーヒーを取り出した。
「・・・いいや、一人だけ身勝手じゃない奴がいる。」
「へえ、それは誰だい?」
「ミサだよ。」
「ミサちゃんが・・・?」
俺はおじさんの横に並び、山の上を見上げた。
「あいつは・・・決して他人を振り回すような奴じゃなかった。小さなワガママはたくさんあったけど、どれも笑って許せる可愛いものさ。でも・・・俺やおじさん、そしてミリサのように、自分の為に他人を傷つける奴じゃないんだ。それは・・・恋人だった俺が一番よく知っている。」
「美波君・・・・。」
「ここまで来て多くの事が分かって来たけど、まだミサの事だけは分からない。あいつがクローンであるということ以外は、何一つ知らないんだ。ただ・・・あいつの正体には心当たりが・・・・・、いや、これは今言っても仕方ないか・・・。」
「彼女は・・・何も語らなかったのかい?自分のことを。」
「ああ、あいつは自分のことは嫌っていたからな。そしてミサの過去を知る奴はいたが・・・・おじさんが殺した。」
「僕が・・・・?」
おじさんは以外そうな顔で呟く。俺は指を向け、銃を撃つフリをして笑った。
「おじさんが殺しただろ、人間の肉体を持ったクローンを。斎場で焼いてもらったじゃないか。」
「ああ!彼のことか・・・・。」
「ミサの過去を知っていたのは彼だけだ。しかし・・・・もしかしたら・・・あの巨木なら・・・・。」
俺は拳を握り、花びらを強く浮かび上がらせた。それは血のように赤く染まっていき、わずかに熱を帯び始めた。
「俺には戦う理由がある。肉体を取り戻すこと、そしてミサのことを知ること。その為なら・・・たとえ俺が生み出したクローンであろうと・・・戦いを挑む。」
そう言うと、おじさんは俺の肩を叩いて歩き始めた。
「僕にだって戦う理由はあるよ。今までの愚行の罪滅ぼしさ。」
おじさんは振り向き、憂いのある顔で缶コーヒーを握りしめた。
「いくらミリ・・・、あの巨木に操られていたとはいえ、君を利用していたんだ。それに・・・多くのクローンを殺してしまった。だから・・・あの巨木を倒すことが、せめてもの罪滅ぼしさ。」
「・・・・そうだな。お互いに戦う理由はあるわけだ。」
俺はおじさんの背中を押しながら登山道に入り、枯れた木々を見上げた。
「早く行こう。この異様な景色は・・・きっと何かの前触れに違いない。放っておくと取り返しのつかないことになる気がするんだ。」
「僕も同感だよ。さっきから嫌な予感がビンビンしてるんだ。」
俺たちは並んで山を登り始めた。俺は花びらの力を、そして須田は薬の力を使い、頂上まで一気に駆け上がった。
枯れた木々は上に登るほど酷くなり、とうとう木の姿さえ見えなくなってしまった。
「みんな枯れ果ててしまっている・・・。まるで力を吸い取られているようだ。」
「実際に吸い取られているみたいだよ。ほら、これ。」
おじさんは枯れた木の根元に膝をつき、何かを拾い上げた。
「これは花びらだ。枯れて色を失くしているけど。」
「ああ、確かに花びらだな・・・。ということは、ここにもクローンが立っていたのか?」
そう尋ねると、おじさんは立ち上がって回りを見渡した。
「きっと・・・この山にある全ての木がクローンなんだ。」
「なんだって?これだけの木が全てクローン?」
「そうじゃないと、木が枯れている理由に説明がつかない。あの巨木はクローンの力を吸い取り、何かをしようとしているんだ。」
「自分が生み出した命を使ってまで・・・何かを企んでいるというのか・・・。」
「おそらく・・・枯れているのはこの山だけじゃない。きっと全てのクローンが、力を吸い取られているはずさ。」
おじさんは花びらを投げ捨て、一目散に走りだした。
「急ごう!もう立ち止まって話をしている暇はない。早く・・・早くあの巨木を仕留めないと。」
「分かっている。その為にここまで来たんだからな。」
俺とおじさんは険しい山道を駆け上った。岩を飛び越え、渓流を飛び越え、脇目もふらずに山頂を目指した。しかし、途中で足を止めた。
「どうした美波君?急がないとあの巨木が・・・、」
「分かってる。でもちょっと待ってくれ。」
俺が足を止めたのは、ミサが消えた場所だった。
「あの時・・・あいつはここで姿を消したんだ。だから・・・もしかしたら、ここにあいつのクローンのクローンが生えているかもしれない。」
目を凝らして辺りを見つめ、まだ生きている木がいないか探してみる。しかし何も見つからず、諦めて首を振った。
「駄目だな・・・。ここにはいないか。」
そう呟いて戻ろうとした時、ふと妙なものが目に入った。
「これは・・・なんでこんな所に・・・?」
俺の目に入ったもの、それは小さなツクシだった。
「どうしてこんな季節にツクシが・・・・。」
膝をついてツクシを見つめていると、おじさんが寄って来た。
「どうしたんだい?」
「いや・・・こんな所にツクシが・・・。」
「ツクシ?どれどれ。」
おじさんは腰を曲げ、眉を寄せてツクシを睨んだ。
「ああ、ほんとだね。これは間違いなくツクシだ。」
「でもツクシってのは春に生えるもんだろう?」
「ああ、ツクシは春に生えるものだよ。しかし・・・・こいつはちょっと妙だな・・・。」
おじさんは首を傾げながらツクシに触れた。
「何かおかしなところでもあるのか?」
「まず夏にツクシが生えているのはおかしい。それに・・・スギナが見当たらない。」
「スギナ?」
「ツクシっていうのは、スギナという植物が胞子を飛ばす為に生やすものなのさ。だからツクシの傍にはスギナが生えている。ほら、見たことあるだろう?ツクシの傍に、杉のような小さな雑草が生えているのを。」
「ああ・・・そういえば・・・。」
「ツクシとスギナは根っこで繋がっているのさ。ツクシは胞子を飛ばす為に、そしてスギナは光合成を行って栄養を蓄える為に生えてくる。
だからツクシは胞子茎と呼ばれ、スギナは栄養茎と呼ばれるんだ。まず最初にツクシが顔を出し、春の終わりには見られなくなる。
しかしスギナの方は、冬が来るまでは見ることが出来る。特に夏なんかになると、他の雑草と混じってそこらじゅうに生えているよ。だから農家にとっては、スギナは難防除雑草として嫌われていて・・・・、」
「ちょっと待ってくれ。ウンチクはもういいから・・・・。」
そう言うと、おじさんは「すまない・・・」と頭を掻いた。
「つい学者のクセが出てしまった。要するに、このツクシは色々とおかしいということだ。どれ、ちょっと根元を掘ってみようか。」
おじさんは指で土を掻き分け、顔を近づけて観察した。
「・・・なんだこりゃ?根が生えていないぞ・・・。」
「根っこがない?」
「こんなはずはない。根のない植物なんて、口を持たない人間と一緒だぞ。いったいどうやって生きているんだ?」
おじさんはらさに深く掘っていく。すると後ろから「やめて」と声が掛った。
《こ・・・この声は・・・・・、》
ゆっくりと後ろを振り向くと、そこにはミサが立っていた。
「ミサ!」
俺は彼女に駆け寄り、強く抱きしめた。
「よかった・・・また会えた・・・。」
「浩太・・・。」
ミサは一瞬だけ俺を抱きしめ、すぐに身体を離した。そしておじさんの手を掴み、ツクシを掘るのをやめさせた。
「やめて。私を掘り起こすのは。」
「ミサちゃん!これが君だって?」
おじさんは呆気に取られて固まっていた。
「このツクシは私なの。だから・・・このままにしておいて。もう少しで胞子が飛ぶから。」
「胞子が・・・・?いったい何を言っているんだ?」
ミサは黙って土を元に戻し、小さなにツクシに触れた。
「このツクシがないと、あの巨木の企みは止められない。」
「なんだって?あの巨木の企み?」
おじさんは顔をしかめて聞き返す。するとミサは山の上を見つめ、小さな声で語り出した。
「あの巨木は・・・もう限界なの・・・。」
俺とおじさんは顔を見合わせ、山の上を睨んだ。
「あの巨木は、自分の目的の為に力を使いすぎた。だから・・・もうすぐ寿命を迎えるわ。
その時に・・・大量のクローンをばら撒くはずよ。」
ミサは憂いのある顔で俯き、自分の手を握った。
「ミサ、いったいどういうことか詳しく聞かせてくれ。」
俺は彼女の横に立ち、背中にそっと手を置いた。
「浩太・・・・あの巨木の目的は、全ての人間と同化することよ。だから大量にクローンを飛ばして、強制的に人の心を乗っ取るつもりなの。
もしそんなことを許せば・・・この星は全てクローンで埋まってしまう。」
「それを防ぐのに、このツクシが関係あるのか?」
「・・・うん。もう少しすれば、このツクシから大量に胞子が出る。そして辺り一面ツクシだらけになるわ。そのツクシはまた胞子を飛ばして、さらにツクシを増やす。そして・・・そのツクシでもって、クローンが広がるのを防ぐの。」
「・・・たかがツクシにそんなことが出来るのか?」
「浩太・・・ツクシを侮っちゃ駄目よ。ツクシってね、とっても生命力が強いの。どこにでも生えているし、根を抜かない限りはすぐに伸びてくる。
だから私はこの植物を選んだ。ツクシと同化することで、どんどん胞子を飛ばすことが出来るから。そうすれば、巨木のクローンがばら撒かれるのを防ぐことが出来る。」
ミサは俺を見つめて笑い、そっと手を握ってきた。
「浩太・・・・私にはこれくらいしか出来ない。だから・・・浩太があの巨木をやっつけてきて。そうしないと・・・浩太はいつまで経っても人間になれない。」
「ミサ・・・・。」
「あの巨木には、浩太の身体が眠っている。だから・・・巨木をやっつけて、正真正銘の人間になって。それこそが・・・私の願い・・・・。」
ミサは身体を寄せ、そっと抱きついてきた。俺の胸に顔を埋め、長い髪を揺らしている。
「私は・・・浩太に生きていてほしい・・・。だって・・・私は浩太のことが好きだから。」
「ミサ・・・・。」
俺は彼女の髪に触れ、そっと上を向かせた。そして吸いこまれるような黒い瞳を見つめた。
「なあミサ。お前は・・・・いったい誰なんだ?俺はお前のことを愛しているけど・・・何も知らないんだ。だから教えてほしい。いったいお前が何者なのか?そして・・・どうして俺のことを好きになったのか?」
それは心の叫びだった。ミサを愛していると言いながら、彼女については何も語ることが出来ない。いつだって、ただただ『ミサ』と名前を呼んでいるだけだ。だから・・・俺は知りたい。ミサのことを、もっと知りたいんだ・・・。
じっと見つめていると、ミサはニコリと笑って「いいよ」と頷いた。そしてツクシの近くに腰をおろし、指でツンとつついた。
「私はね・・・本当は人間として生まれるはずだった。そこのおじさんの娘として。」
そう言って、ミサはおじさんを見つめた。
「僕の娘としてだって・・・・。それは・・・まさか・・・・。」
「そう、私がミリサ。あの時・・・病院で流産した赤ちゃんだよ。」
それを聞いたおじさんは、フラフラとよろけながら木にもたれかかった。
「そ、そんな・・・・ミサちゃんが・・・僕の娘・・・・。」
俺は黙って腕を組んでいた。もしかしたらそうなんじゃないかと思っていた。というより、それ以外に考えられなかった。きっとミサの家族もクローンだったのだろう。孤独を紛らわす為に、寄り添って暮らしていたに違いない。
「ビックリするよね、いきなりこんなこと言われたら。でも・・・これは本当のことなんだ。」
ミサはツクシを撫でて立ち上がり、おじさんに向かい合った。
「私はミリサとして産まれるはずだった。お母さんのお腹の中で、今か今かと外に出るのを待っていたの。そしていよいよ出産の時が近づいた時・・・・クローンが現れた。」
「クローンが・・・・。」
「私が生まれた病室の近くに、ボケの木が立っていたでしょ?あれは巨木が生み出したクローンなの。あのクローンは、ずっと私の肉体を狙っていたみたい。だから・・・出産の瞬間、私を殺しに来たわ。」
「なんだと!ミサを殺しにだって?」
俺は思わず声を荒げ、ミサに詰め寄っていた。
「浩太、顔が怖いよ。」
「ミサ、お前はクローンに殺されたっていうのか?あの・・・巨木のクローンに・・・・。」
「うん。」
ミサは何でもないことのように頷く。
「うんってお前・・・・そんなに簡単に頷くことかよ!」
「だって仕方ないもん、殺されたんだから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「何?」
「いや・・・すまない、続けてくれ。」
俺は顔を逸らして続きを促した。
「出産の瞬間になって、私は殺された。小さな毒針みたいなのを撃ち込まれて死んじゃったんだよね。そしてクローンに身体を乗っ取られたの。一旦土に還してから、また作り直して奪ったみたい。」
「なんで作り直す必要があったんだ?」
「さあ?見た目が気に入らなかったんじゃない?」
「いや・・・そんな安易な理由なわけがないだろう。」
「そんなのあの巨木に聞いてよ。私は知らないもん。」
「・・・・・・・・・・・。」
「ふっふっふ。浩太、私を誰だと思ってるの?私はミサだよ?そんな細かいこと、いちいち知るわけないでしょ。」
「・・・胸を張って言うことか。」
この懐かしいやり取り。やっぱり・・・こいつはミサだ。正真正銘、本物のミサだ。
「どうしたの?ニヤニヤして。」
「いや、なんでもないよ。先を続けてくれ。」
ミサは頷き、話を続けた。
「私の身体はクローンに乗っ取られちゃったんだけど、心の方は無事だったのよね。」
「どうしてだ?」
そう尋ねると、ミサは俺を見つめて首を傾げた。
「それはね・・・浩太のおかげ。」
「俺の・・・?」
以外な答えに、俺は面喰って間抜けな面を晒してしまった。
「覚えてない?私が生まれる時、隣の部屋では浩太が産まれてたんだよ?」
「なんだって?俺が産まれていた・・・?」
「だって私と浩太は同い年でしょ?それに誕生日も一緒だし。」
「いや、どっちも聞いてないぞ。」
「あれ?そうだっけ?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「ふっふっふ。甘いなあ、浩太は。私を誰だと思ってるの?私はミサよ。言い忘れなんていっぱいあるんだから。」
「・・・胸を張って言わなくてもいいよ。それで?どうして俺がお前の心を守ったんだ?」
そう尋ねると、ミサは表情を引き締めて俺の手を握った。
「私の心がクローンに奪われようとした時、浩太が赤い花びらを飛ばして守ってくれたの。」
「・・・なに?赤い花びらだって・・・?ちょっと待てよ、赤ちゃんだった俺に、そんな力があるわけが・・・・、」
そう言いかけた時、ミサは首を振った。
「あるよ、浩太にはあったの。」
「どうして?俺はまだ赤ん坊だし、花びらの力なんて持っていなかったんだぞ?」
「ううん、ちゃんと持っていたの。だって・・・・浩太の両親は、クローンと同化した人間だから。」
「俺の親が・・・クローンだって・・・・。」
衝撃的な事実に、一瞬思考が止まった。
「クローンじゃなくて、クローンと同化した人間ね。浩太の両親には、クローンの力が宿っていたの。浩太はそれを受け継いでいるから、最初から花びらの力を持っていたのよ。」
「そんな・・・・そんなことが・・・・・。」
俺はおじさんと同じように木にもたれかかり、目を瞑って頭を振った。
「そんな馬鹿な・・・。じゃあ何か?俺は最初から人間じゃなかったってことか?」
投げやりな口調で尋ねると、ミサは首を振った。
「そうじゃない、浩太は間違いなく人間よ。そして・・・クローンと人類から生まれた、初めての人間でもある。だからミリサは浩太に目を付けたのよ。」
「じゃ・・・じゃあなんで、俺が産まれたときに乗っ取らなかったんだよ!どうしてお前の方を選んだんだ?」
「それはすごく簡単な話よ。私の身体を乗っ取ったクローンは、もう寿命が近かったの。だから力も弱まっていた。花びらの力を持つ浩太を乗っ取るほど、強くはなかったってだけ。」
「・・・なんだよそりゃ・・・。」
俺は腰をおろし、地面に引っ張られるように項垂れた。
「・・・なんだか・・・よく分からなくなってきたよ、自分のことが・・・。真実だと信じていたものが、あまりにも裏切られ過ぎて・・・もう何がなんだか・・・・・。」
自分のこと、ミサのこと、そして両親のこと・・・・。全てが俺の知っていた真実とは違った。
誰もかれもがクローンだの巨木だのと・・・・もういい加減うんざりしてきた。
「・・・・健司は・・・?俺の弟も・・・・花びらの力を持っていたのか?」
「ううん、彼は普通の人間だよ。だって養子だもん。浩太が小さい時にもらわれてきたから覚えてないだろうけど。」
「・・・・そうか・・・健司は普通の人間か・・・・。それをきいて、ちょっとホッとしたよ。」
もし・・・もし俺の回りの人間が全てクローンだとしたら、それは耐えられない。誰もかれもがクローンだなんて・・・・そんなのは御免だった。
「浩太・・・・大丈夫?」
「・・・ああ・・・ちょっと堪えたけど、大丈夫さ。」
「じゃあ続きを話してもいい?」
ミサは心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「・・・ああ、ここまで来たなら、全部聞かせてくれ。」
「うん。じゃあ私たちが産まれてからのことを話すね。」
ミサは少しだけ口調を和らげ、俺の隣に腰を下ろした。
「あのね、肉体を奪われた私は、しばらく浩太の心の中に住んでいたんだ。でもある時、私の心はクローンに取り込まれた。そのクローンはちょっと変わっていて、他のクローンを食べて寿命を延ばしていたの。」
「他のクローンを・・・・。それってまさか、あの男じゃ・・・・。」
「あの男?」
「鮎の見える橋の上で会った男だ。彼も他のクローンを食べて寿命を延ばしていると言っていた。それに・・・ミサのことを知っているようだった。あの男は・・・ミサのことを昔の恋人のように言っていたが・・・。」
そう言うと、ミサは盛大に吹き出した。
「あははは!私に元彼なんていないよ。浩太が初めての恋人。」
「いや、しかし・・・・・、」
「多分そのクローンの男の人は、私の知っている人じゃないよ。だってクローンを食べるクローンは、ごく稀にいるもの。」
「そうなのか?」
「きっとそのクローンの男は、浩太の心の中を読んだんだよ。そして上手いこと言ってどこかに連れて行って、肉体を乗っ取るつもりだったんだよ。」
「そんな・・・まさかあの男が・・・・。」
「クローンって基本的には大人しいんだけど、中には悪い奴もいるんだ。人の心を惑わせて、人間を乗っ取ろうとする奴が。浩太、そのクローンに乗っ取られなくてよかったね。」
ミサはポンポンと俺の肩を叩きながら笑った。
「じゃあ・・・あの時おじさんが男を撃たなかったら・・・俺は乗っ取られていたってことか・・・・。」
どうやら俺は、知らないうちにまた助けられていたらしい。それなのに、俺はおじさんに殴り、蹴り飛ばしてしまった・・・・。
「おじさん・・・すまない・・・。俺は・・・・、」
そう言っておじさんに謝ろうとした時、その姿が見えないことに気づいた。
「あれ?おじさんはどこ行ったんだ?」
おじさんは忽然と姿を消していた。さっきまで近くにいたのに、今はどこにも姿が見えなかった。
「おじさん!どこだ?」
大声で呼びかけても返事はなく、まさかとは思いつつ頂上を睨んだ。
「・・・おじさん・・・一人で行っちゃったのか・・・?」
呆然と頂上を見つめていると、ミサが肩を叩いてきた。
「あのおじさん・・・・ううん、お父さんは・・・浩太にこれ以上戦わせたくないみたい。」
「どういうことだ?」
「浩太が私の話に夢中になっている時に、一人でフラっと歩いて行っちゃったの。一瞬だけこっちを見て、口に指を当ててシーってしてたから。」
「そんな・・・・なんで言わないんだよ!」
思わずミサを怒鳴りつけてしまい、すぐに後悔した。
「いや、ごめん・・・ミサが悪いわけじゃないよな・・・。」
「いいよ、謝らなくても。それよりさ、私の話の続きを聞いて。」
ミサはクイクイと俺の袖を引っ張った。
「じゃあ頂上を目指しながら聞くよ。おじさんを放っておけないから。」
「ダメ。ここで聞いて。」
「どうして?歩きながらでいいだろう?」
「無理なの。私はここを動けないから。それに・・・私のことを聞きたいって言ったのは浩太だよ。」
ミサは真剣な目で訴えかけてくる。俺はその視線に射抜かれ、仕方なしに頷いた。
「分かった・・・。でもあまり時間がないんだ。」
「うん。」
ミサは小さく微笑み、俺の手を握って話を続けた。
「さっき言った、私を取り込んだクローンっていうのが・・・あの巨木なの。」
「なんだって?あの巨木が?」
「なんかねえ・・・複雑だよね。せっかく浩太に守ってもらったのに、結局あの巨木に取り込まれちゃってさ。浩太の心から抜け出してフラフラしてたら、他のクローンに捕まってここへ連れて来られたんだよね。そして・・・パクっと一口でね。」
「・・・・よく生きてたな。」
「ふっふっふ。こう見えても私、悪運はいいんだよ。巨木に飲み込まれたのに、なぜか吸収されなかったんだよね。でもそのおかげで、あの巨木の考えていることが分かったってわけ。だから何としても浩太を守らないとと思って、必死こいて逃げ出したんだ。
そしてあの土手に先回りをしておいて、浩太に出会ったわけ。以上、話は終わり。」
ミサは握った手をブンブンと振り、ニコニコと笑った。
「ねえ浩太・・・。」
「なんだ?」
「ずいぶん冷静じゃない?」
「もう何を聞いても驚かないよ。それに・・・こうしてまたお前に会うことが出来た。それだけで満足さ。あとはあの巨木を倒して、どうにかしてお前を復活させる。そうなりゃ全てはハッピーエンドだ。」
俺はミサの手を握り返し、そっと抱きしめた。
「待っていてくれよ、ミサ。もう少し・・・もう少しで・・・また元通りになるから。そうしたら、また二人でどこかに出かけよう。そして・・・いつまでも俺の傍にいてほしい。お互い人間になって、死ぬまで一緒にいたいんだ。」
俺は素直な自分の気持ちを打ち明けた。しかし・・・ミサは何も答えなかった。
「・・・ごめん、いきなりポロポーズなんて、ちょっと引いたか?」
「・・・ううん、そんなことない。すごく嬉しいよ。」
「そのわりには浮かない顔をしているじゃないか。やっぱり・・・全てが終わったあとで言えばよかったかな?」
照れながら頭を掻くと、ミサは顔を隠すように俯いた。
「・・・ミサ?」
「・・・・・・・・・・・。」
ミサの肩は小さく震えていた。そして俺の背中に手を回し、痛いほど爪を立てて抱きついてきた。
「浩太・・・・私も浩太のこと好きだし、ずっと一緒にいたい・・・。」
「ミサ・・・。ずっと一緒にいられるよ。俺がお前を人間にしてやる、必ずそうすると約束するよ。だから・・・泣かないでくれ。何も心配することはないんだから。」
そっとミサの背中を撫で、安心させるように頭を包みこんだ。
「大丈夫、心配ない。きっと全てが上手くいく。だって・・・俺たちは散々辛い目に遭ってきたんだから。だからここらで幸せにならないと、不公平ってもんだろ?」
ミサの涙を拭い、頬を包みこんで笑いかけた。彼女の目は潤んでいる。それは涙のせいだけではなく、心から溢れる悲しみのように思えた。
「そんな目をするな。俺はいつだってお前の傍にいるし、何があっても守ってみせる。その想いだけを胸に戦ってきたんだから・・・俺を信じてくれ。」
「・・・・・・・・・・・。」
ミサは何も答えず、また俯いてしまった。
「・・・もう行かなきゃ。おじさんを一人で行かせるわけにはいかないから。それに・・・・あの巨木を放っておくわけにはいかない。だから・・・ここで待っていてくれ。必ず・・・必ず戻って来るから。」
ミサの顔を上げさせ、そっと唇を重ねた。久しぶりのキスの感触は、情熱と安らぎの火を灯してくれた。
「それじゃ・・・・。」
ミサの頭を撫で、名残惜しさを感じながら身体を離した。
「浩太・・・好き・・・好きだよ・・・・。」
「ああ、俺もお前が好きだ。全てを終えて、二人で新しい人生を歩こう。」
小さく手を振り、おじさんを追って山道を駆け上がって行く。そして途中で振り返ると、ミサの姿は消えていた。
「ツクシに戻ったのか・・・。ミサ、俺はきっと戻って来る。何があっても必ずだ。」
踵を返し、再び山を駆け上がった。今は・・・ミサのことは胸の奥にしまっておこう。戦いに余計な感情を持ちこむと、絶対に良い結果は訪れないのだから。
それは今までのクローンとの戦いで経験済みだし、そして何より・・・この燃えるような熱い心に身を委ねる必要があるからだ。
《あの湖面の魔境の時のように・・・もっと熱くならないといけない。俺自身が花びらのように赤く染まらなければ、きっとあの巨木は倒せない。だから・・・もっと、もっと熱をくれ!この身を焼き尽くすほどの・・・・耐えがたい熱を・・・・。》
もはや薬は必要ない。この心を戦いに委ねるだけで、いくらでも力が湧いてくるのだから。
身を焼き尽くす熱に晒されながら、最後の戦いが待つ山頂を目指す。やがて身体は赤く染まり、超人的な身体能力を発揮して一気に頂上にたどり着いた。
そして・・・そこにはあの巨木が待っていた。その姿を見た途端、喜びとも怒りともつかない感情が湧き上がり、身体はさらに赤く染まっていった。
やはり・・・俺は戦いの時にこそ最も輝く人種だと感じた。そして、そういう人種であることを最後にしなければと思った。
この戦いの先には、ミサとの平穏な暮らしが待っているのだから・・・。

セカンド・コンタクト 第十話 ミリサと巨木

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:49
『ミリサと巨木』


DVDを見終わった俺は、車を停めてある小さな駐車場に戻っていた。
寂れた街に寂れた山が、心地の良い哀愁をもって心に流れ込んでくる。
DVDの内容は気が滅入るものだったが、この哀愁が少しだけ心を安らかにしてくれた。
「美波君・・・・飲むかい?」
おじさんが遠慮がちに缶コーヒーを差し出してくる。俺はそれを睨みつけ、手を伸ばして奪い取った。
プルタブを開けてコーヒーをすすり、タバコに火を付けて煙を吐き出した。
「・・・ピエロになった気分だよ・・・。どうやら俺は、あんたとミサに踊らされていたらしい。」
不機嫌そうに言うと、おじさんは口を開きかけて黙り込んだ。
「何か言えよ。」
「・・・そうだな・・・。すまない・・・としか・・・。」
「それだけか?」
「・・・これはミリサの意志なんだ。人間を守りたいという彼女の意志が・・・君を戦いの道へ引きずり込んだ。」
「なんだ?娘を言い訳に使うつもりか?」
「いや、そういうつもりじゃないんだ・・・。ただ・・・僕は彼女の意志を尊重してやりたかっただけだ。」
おじさんはベンチに腰掛け、手を組んで視線を落とした。
「あのDVDの続き・・・聞きたいかい?」
おじさんは遠慮がちに尋ねてくる。俺は彼を一瞥してから顔を背け、スチールの缶を握りつぶした。
「それも自分の為か?」
「なに・・・?」
「自分の知っていることを全て喋ることで、楽になろうとしているんだろう?」
「違う!僕はただ、君に真実を伝えようと・・・・・、」
おじさんはベンチから立ちあがって後ろに近づいてきた。俺は振り向きざまに彼の胸倉を掴み、思い切り殴り飛ばしてやった。
鍛えられた拳がおじさんの顎を打ち抜く。赤い血が飛び散り、よろけながら尻もちをついていた。
「どうだ?前よりいいパンチだろ?」
「・・・ああ、強くなってるよ・・・。もう素手じゃ敵いそうにない・・・。」
おじさんは口元の血を拭いながら立ちあがる。俺はすかさす拳を構え、彼の腹にボディブローをめり込ませた。
「がッ・・・・。」
「前にあんたにボディブローを食らった時、一撃で膝をつかされた。しかし今は逆だな。」
「・・・ああ、本当に強くなったよ・・・。」
おじさんは両手を上げて首を振り、あっさりと白旗を上げた。
「拳銃を使って反撃してもいいんだぞ?」
「いや・・・そんなことは出来ないよ・・・。」
「なぜだ?今まで二回も俺を撃ったじゃないか。」
「あれは君を傷つける為にやったんじゃない。」
「そうか・・・ならあんたは黙って殴られ続けるわけだ。」
俺はまたおじさんの胸倉を掴み、腹に一発お見舞いした。口から唾液が流れ、苦しそうにうずくまっていた。
「どうした?反撃しなくていいのか?俺はこのままあんたを殺すかもしれないぞ?」
「・・・いいや、君はそんなことは出来ない。ミリサが見込んだ男が・・・そう簡単に人を殺せるものか・・・。」
その言葉を聞き、俺は笑いを堪えきれずに吹き出した。
「はははは!そう簡単にだって?それは本気で言っているのか?」
俺は靴の先端でおじさんのこめかみを蹴り飛ばした。
「あがあッ!」
「なあ、あんた・・・。今の俺が・・・いったいどんな気持ちでいるか分かるか?」
そう言って、もう一発おじさんの顔を蹴り飛ばす。彼の鼻はボキリと曲がり、噴水のように鼻血が飛び出した。
「おごおッ・・・・・。」
「俺はな・・・・ただ普通の人間でいたかった。美波浩太の姿を借りたのは、人間として普通に生きたかったからだ。肉体を持ち、色んなものに触れて、色んなものを見たかった。ただそれだけでよかったんだ。それがどうだ・・・・あんたとミリサとやらが、俺をいいように利用したせいで、俺の人生は滅茶苦茶になった。」
おじさんの脇腹を思い切り蹴りつけると、短く悲鳴を上げてのたうち回った。
「それだけじゃない。あんな映像を見せられたせいで、俺は・・・・俺はもう・・・ミサを愛することが出来なくなってしまった。」
拳を下ろし、だらりと力を抜いた。そして目を瞑っておじさんに背を向けた。
「・・・美波君・・・・。」
「・・・ミサは・・・俺の全てだった・・・。彼女がいるから、俺は生きようとしたんだ・・・。
それなのに・・・それなのに・・・俺のミサに対する愛は、彼女が仕込んだものだったんだ・・・。俺が・・・自分でミサを好きになったわけじゃなかったんだ・・・。最初からそうなるように仕組まれていただけなんだ・・・。」
俺のミサに対する愛は・・・偽物だった。俺はただ、ミリサという女の仕掛けた罠に嵌っていただけだったのだ。
そしてその想いを逆手に取られ、都合のいいように操られていた。
「俺をクローンと戦わせたのは、力を付けさせる為だろう?多くの戦いを経験させて、巨木のクローンを倒す道具にするつもりだったんだ。」
「いや、そうじゃない・・・。ミリサは・・・ミリサは本当に君のことを大切に思っていたんだ。そうでなければ・・・君を選んだりはしなかった。ミリサは君に対して心を開いたから、君を選んだんよ。だから・・・ミサちゃんも一緒さ。彼女もきっと、君のことを本当に愛していたはずだ。」
おじさんは必死な声で語りかける。彼の言葉に嘘がないことは、俺も分かっている。しかし・・・・それでも許せなかった。
俺を利用したおじさんと彼の娘が・・・・。そして、何も知らずに騙されていた自分が・・・・。
「俺は・・・自分の未来を選択しなければならない・・・。あの映像を見て、自分の取るべき道が見えた・・・。」
頬に流れる熱いものを拭い、おじさんを振り返る。そして彼の懐から拳銃を奪い取った。
「・・・この銃で・・・終わらせなければいけない・・・。俺の人生を・・・。」
「よせ!死んでどうなるというんだ!」
手を伸ばしてきたおじさんを蹴り飛ばし、自分のこめかみに銃を突きつけた。
「俺には・・・もうミサを愛することは出来ない・・・。それなら・・・生きていても仕方がないんだ・・・。」
「馬鹿な真似はやめろ!ミサちゃんは本当に君のことを愛していたんだぞ!なぜなら・・・彼女は君の思い描いた理想の女性だからだ!だからミリサとミサちゃんは別人だ。ミリサが君を利用していたからといって、ミサちゃんが君を利用していたことにはならない!」
「・・・それはただの理屈だ。俺は・・・もうミサを愛せない・・・だから・・・ここで終わらせるんだ。」
引き金に指を掛け、グッと力を込める。その瞬間、おじさんの顔が絶望に変わった。
「さようなら・・・・おじさん・・・。」
「美波君!」
俺は目を閉じ、引き金を引こうとした。しかしその時、フラッシュバックのように頭に映像が浮かんだ。
《なんだ・・・・?なんだこの映像は・・・・?》
俺の頭の中に流れた映像、それは銃で自分の頭を撃ち抜く姿だった。
弾丸が頭がい骨を貫通し、血と肉が飛び散って倒れていく。そこへおじさんが駆けてきて、必死に俺の名前を叫んでいた。
《・・・これは・・・知っている・・・知っているぞ!この映像は・・・俺の記憶だ!》
俺は今、初めて自殺をしようとしている。それなのに、過去に自殺した記憶があるのはどういうことなのか?
銃で頭を撃ち抜いて倒れた俺を、おじさんが泣きながら抱きしめている。そして小さく口を動かし、こう呟いたのだ・・・。
『また・・・失敗だった・・・・・。』
映像はそこで途切れ、次の瞬間にこめかみに衝撃が走った。
途端に身体から力が抜け、目の前が真っ黒に染まっていく。どうやら俺は、銃の引き金を引いてしまったようだ・・・。
「美波君!」
おじさんが慌てて駆け寄ってきて、俺の名前を叫ぶ。暖かい何かが俺の頬に触れ、たらりと口元まで垂れていった。
《おじさんが・・・泣いているのか・・・?》
これではまるで、あの記憶の映像と一緒だ。案の定、おじさんは俺を抱きしめてこう呟いた。
『また・・・また失敗してしまった・・・。』
おじさんは俺を抱え上げ、車へと運んでいく。
《・・・やはり俺は知っている・・・。おじさんは俺を大学に連れて行き、もう一度俺を作り出すつもりなんだ。あの鉢植えのボケの木に意識を反映させて、また俺を作るつもりなんだ。そして新しい肉体を用意して、俺を入れる。きっと・・・きっと今まで、何度もそうやって俺を・・・・、》
そのことに気づいても、時はすでに遅かった。俺はこめかみを撃ち抜き、今にも死にそうになっていたからだ。
《こんなふうに死に直面するのは、あの事故の時以来だな。あの時も、ミリサという女性にこうやって抱えられて・・・・・、》
そう思った時、何かが心に引っ掛かった。
《あれ?そういえばあの事故の時、妙なことがあったよな?》
俺は死にゆく意識の中で、あの事故の時の奇妙な出来事を思い出していた。
《あの事故で死にかけた時、ミリサは俺の名前を叫んでいた。でもこれはおかしい。
だって・・・俺は彼女に名前を教えていないはずだから・・・・。》
あの池のほとりでミリサと会った時、俺は初恋に落ちた。しかしあまりの恥ずかしさの為に、名前すら言えなくてその場を後にしたのだ。
ならば、どうしてミリサは俺の名前を知っていたのだろう?あの池で会う以前に、彼女と出会ったことなどなかったはずなのに・・・・。
《理由はどうあれ、ミリサは俺の名前を知っていた。それはすなわち、あの池で会う以前から、俺のことを知っていたということだ。そしてあの時、ミリサのポケットから赤い花びらが落ちた。それは美波浩太の頬に触れ、彼の血を吸いこんだ。だから・・・俺が今ここにいるわけだ・・・・・、》
そこまで考えた時、ある不吉な考えが過った。
《・・・もし・・・もしあの事故が偶然じゃなかったとしたら?あれはミリサという女が、わざと起こした事故だったとしたら?》
それは何の証拠もないし、何の根拠もない考えだった。しかし・・・天啓のように閃いたのだ。
俺は今までの出来ごとを、順番に思い出してみた。
二十年前、家族で旅行に行き、楽しいひと時を過ごした。海を散歩し、旅館ではしゃぎ、遊園地で遊んだ。
そして次の日、あの池に行った。そこでおじさんとミリサに会い、ボケの花びらを渡した。
そのあと、高速道路で事故に遭った。ミリサの運転する車が、俺の乗る車を反対車線に押し出したのだ。そのせいでバスと衝突し、家族は死んだ。辛うじて美波浩太が生き残り、俺は彼の意識を受けて美波浩太の幻影となった。
その後、ミリサとおじさんの手によって肉体を与えられ、自分を美波浩太だと思い込んで生きてきた。
それから・・・あの土手でミサと出会ったんだ。彼女に惹かれて、俺たちは付き合いだした。ある日、ミサが土手の桜・・・、本当はボケの木だけど、それに触れて『氷ノ山へ連れていって』と言った。俺はミサを氷ノ山へ連れて行き、そこで彼女を失った。しかしあの時、ミサはこう言っていた。
『悪い奴がやって来る』と。
だから早く頂上を目指せと言っていた。そうしないと、俺がまた孤独の辛さを味わう羽目になるからと。
俺は頂上まで登り、そこでおじさんと再会し、そして・・・あの巨木のクローンに出会ったのだ。巨木のクローンは、ミサの声で語りかけてきた。そして俺に薬を渡し、全てのクローンを殺せば、ミサを復活させると約束してくれた。
その言葉を信じて戦ってきたけど、それは嘘だと知った。だから戦いの道から外れようとしたのだが、おじさんによって湖の魔境で戦わされた。
無事に魔境を抜け出した俺は、全てを思い出した。そしてここへ連れて来られて、あのDVDの映像を見せられた。
俺はショックのあまり拳銃で自殺を図り、おじさんは嘆いた。『また失敗だった』と・・・・。
こうやって思い返していくと、どうも引っ掛かることがある。
どこかの誰かが、何とかして俺を戦いの道に引きずり込み、ある目的の為に戦わせているようにしか思えないのだ。
そして・・・そのどこかの誰かとは・・・・おそらくミリサだと思う。
彼女は何故か俺の名前を知っていた。あの池で初めて会ったのに、どうしてか俺のことを知っていたのだ。
《あの池で会う以前に、どこかでミリサに会っているに違いないんだ・・・。そうでないと、彼女が俺の名前を知っていたことに説明がつかない。》
もう一度記憶を掘り起こし、あの池で会う以前に、ミリサに出会っていないか考えた。
《・・・・・・・・。》
《・・・・・・・・・・・・。》
《・・・・・・・・・・・・・・・。》
《・・・・ん?待てよ・・・・今すごく引っ掛かることがあった・・・。》
記憶を巻き戻し、子供の頃まで遡っていく。
二十年前のあの日、俺は家族と共に旅行に出かけた。車の中で弟とはしゃぎ、母に怒られた。そしてその後、海の傍に建つ旅館に泊まったのだ。旅館に着くと、仲居さんが部屋に案内してくれた。それは木の香りがする心地の良い部屋で、窓から海が見えた。俺はベランダに出て写真を撮り、それから・・・・・部屋に飾ってある花を見つけた。
あの時、俺は父に尋ねた。
『これって桜?』
すると父はこう答えた。
『いいや、これはボケの花だよ、綺麗だろ。』
それを聞いた俺は、『ボケっていうの?変な名前、カッチョ悪い』と笑った。
そして・・・ボケの花びらをむしったのだ・・・・。
《俺は・・・確かにあの時、ボケの花びらをむしった・・・。でもむしった花びらは、いったいどこへやったんだろう?ゴミ箱に捨てたのか?・・・いや、違うな。花びらをむしった後は母に怒られて、それから・・・・・・たしかポケットに突っこんだんだ。》
そこまで思い出した時、雷に打たれたように大事なことに気づいた。
《俺はその花びらをポケットに入れて、次の日も同じ服を着たんだ。だからあの池に行った時も、その花びらを持っていたはずだ・・・。
なのに・・・・あの花びらはなくなっていた。あの時俺のポケットにあったのは、池のほとりで千切った花びらだけだった・・・・。》
そこまで思い出した時、俺はおじさんに向かって手を伸ばしていた。
「おじさん、駄目だ!」
「美波君!生きていたのか?」
「俺は・・・まだ死んでいない・・・。きっと・・・弾丸が頭を逸れたんだと思う・・・。」
引き金を引く一瞬、自殺を図る俺の記憶が見えた。あの時、手から力が抜けて狙いが逸れたのだ。だから・・・弾丸は俺の頭を貫通していない。
ただこめかみをかすっただけだ。
「おじさん・・・もうやめないと・・・・。でないと・・・取り返しのつかないことになる・・・。」
「美波君・・・いったいどうしたんだ?」
おじさんは足を止め、俺を地面に寝かせた。
「取り返しのつかないことってどういうことだ?いや、それよりも・・・君が生きていたことの方に驚きだ・・・。」
「手から力が抜けて、狙いが逸れたんだ・・・。でも、今はそんなことはどうでもいい・・・・。
それよりも、おじさんに伝えたいことがある・・・。」
俺は身体を起こし、おじさんの肩を掴んだ。
「ミリサに利用されていたのは、俺だけじゃない。おじさんも・・・・彼女に利用されていたんだ・・・。」
「僕がミリサに・・・・?」
「今・・・はっきりと分かった・・・・。ミリサは、元々人間なんかじゃないってことが・・・・。」
「なんだって?ミリサが人間じゃないだって・・・・?」
おじさんは信じられないというふうに険しい顔を見せた。
「美波君・・・ミリサは正真正銘、僕の娘だよ。彼女は間違いなく人間だ。」
しかし、俺は首を振って言い返した。
「いいや・・・違う・・・。ミリサは人間じゃない。彼女の正体は・・・・あの巨木だ。」
「ミリサが・・・あの巨木だって?そんな馬鹿な・・・・、」
言いかける須田の言葉を遮り、俺は続けた。
「それだけじゃない。俺は・・・やっぱりまだ死ねない。なぜなら、おじさんが言った通り・・・ミサとミリサは別人だからだ。」
「そうだよ。ミリサとミサちゃんは別人だ。例えミリサが元になって生まれた存在だとしても、ミサちゃんは君の思い描いた・・・・、」
「違う、そうじゃない!」
俺は須田の肩を掴んで立ち上がり、彼を見下ろすようにして言った。
「ミサとミリサは、まったくの別人なんだ。あの二人は・・・別々のクローンなんだよ。」
「なんだって?」
おじさんは顔をしかめて聞き返す。きっと彼は俺の話を理解していない。しかし・・・おそらく俺の考えは当たっている。
「おじさん・・・。」
「なんだ?」
「おじさんは色んなところに顔が利くよな?斎場だったり、警察だったり。」
「ああ、それがどうかしたかい?」
「だったら、医療関係にも顔が利くか?」
「それはまあ、大学の同期に厚生省の役人がいるけど・・・・。」
「だったらそのコネを使って、すぐに確認を取ってくれ。おじさんの奥さんが、実は流産していたんじゃないかって。」
「なんだって?僕の妻が流産だって?」
おじさんの顔が一気に曇る。そして胸倉を掴む勢いで詰め寄ってきた。
「美波君、君はいったい・・・何を考えているんだ?」
「・・・とんでもなく馬鹿げたことさ。だからそれを確かめる為に、確認を取ってほしいんだ。おじさんの奥さんが流産をしていないかどうかを。」
「馬鹿な・・・・あり得ない・・・。僕は妻と一緒に病院にいたんだぞ。流産しているなら、その場で知っているはずだ。」
「じゃあ出産には立ち会ったか?」
「いや・・・病室の外で待っていたけど・・・・。」
「ならすぐに確認を取ってくれ。説明はその後でするから。ああ、それと・・・一つだけ確かなことがあるから、それは伝えておくよ。」
俺は拳を握り、自分の胸に当てて言った。
「遥か昔に宇宙から降り注いだ光は、この星でたくさんのクローンを作ったよな?」
「ああ、人間と同化する為にね。」
「・・・そのクローンを作り出した本体は、この俺だよ。」
その言葉を聞いたおじさんは、口を開けて固まっていた。
「もう一度言う。この俺こそが、クローンを生み出したオリジナルだ。」
おじさんはキツネにつままれたような顔で放心し、ヨロヨロとよろけてベンチに座り込んだ。


            *


おじさんが背中を向けてケータイを握っている。低い声で相槌を打ち、何度も小さく頷いていた。
「・・・ああ・・・そうか・・・分かったよ、手間を取らせて悪かったな。今度お礼をするよ。」
そう言ってケータイを切り、浮かない表情で俺の隣に座った。
「・・・美波君・・・君の言うとおりだったよ。妻は・・・流産していた・・・。」
「やっぱりか・・・。」
「僕の友達が・・・ミリサの産まれた病院に問い合わせてくれたんだ・・・。当時の医者はもういなかったけど、記録は残っていた。
でもその記録っていうのが・・・・あまりに現実離れしていたせいで表に出ることがなかったんだ。」
おじさんは頭を抱え、重い荷物でも背負わされたように身体を曲げた。
「ミリサは・・・産まれてきた時には死んでいたそうだ・・・。原因は分からないが、心臓が止まっていたと・・・・。」
「・・・それで?」
「医者たちは慌てたそうだよ、だって・・・出産に入る前までは生きていたんだから。
だからもしこのことが表に出たら、病院の側に原因があるんじゃないかと疑われることを恐れたんだ。医者たちがどうしようかと悩んんでいると、ミリサの死体に信じられないことが起きた。それは・・・・、」
「それは、一瞬で土に還ったんだろう?」
そう答えると、須田は驚いた顔で「なぜ分かった?」と呟いた。
「以前・・・図書館で子供のクローンに絵本を読んでやったことがある。」
「ああ・・・そういえばあったな・・・。僕が仕留めたんだ。」
「あのクローンは、死んだ人間を土に還す力を持っていた。ということは・・・あの子供を生み出した巨木のクローンにだって、同じ力があるはずだ。
そしてあの巨木の正体は・・・ミリサだ。ミリサは死んだ赤ん坊を一瞬で土に還し、自分がミリサに成りすました。そうだろ?」
「・・・ああ、その通りだよ。医者たちはいきなり現れた赤ん坊に驚いたようだけど、それは彼らにとって好都合だった。なぜなら・・・ミリサは流産していないことになるんだから。だから自分たちにあらぬ疑いをかけられて、責められる心配もなくなるわけだ。
医者たちはミリサが流産した事実を隠し、いきなり現れた謎の赤ん坊をミリサだということにした。」
「・・・その時・・・病院にボケの木が立っていたんじゃないか?」
「ああ、それも当たってるよ。あの病院には小さなボケの木が立っていたんだ。それも・・・ミリサの生まれた部屋の近くに・・・。」
おじさんは顔を上げて息をつき、疲れた表情を見せた。
「君の言うとおり・・・ミリサは人間じゃなかったんだ・・・。いや、それどころか・・・ミリサですらなかった。僕が今まで自分の娘だと思い込んでいたのは・・・ミリサとは別人だったんだ・・・。」
そう言っておじさんは俺の方を向き、深く頭を下げた。
「今・・・ようやく君の気持が分かったよ・・・。自分が真実だと思い込んでいたものが、実はまったくの偽物だった・・・。これは・・・実に堪える・・・・。」
「謝らなくてもいいさ。俺はもう怒っていないんだから。だって・・・おじさんだって、あの巨木に利用されていただけなんだから。」
「そう言ってもらえると救われるよ・・・。」
おじさんは疲れた表情で笑い、俺の目を見つめて尋ねてきた。
「でも・・・どうして君はこの事実に気づいたんだい?僕でさえ考えもしなかったことなのに・・・。」
「・・・俺は・・・あの池のほとりでミリサと会う前に、彼女と会っていたんだ。いや・・・この言い方は正確じゃないな。俺がオリジナルなんだから、ミリサは俺が生み出したことになる。だからあの旅館でボケの花に触れた時・・・あれは二度目の接触だったわけだ。」
「旅館・・・・?」
「あの家族旅行の時に泊まった旅館さ。あの旅館の部屋に、小さなボケの花が飾ってあったんだ。きっと・・・あれは巨木のクローンだったんだ。」
「そんな場所にまでミリサが・・・・。」
「ミリサはどこにでもいるさ。自分がこの星の生命の頂点に立つために、あちこちにクローンをばら撒いているんだから。俺はあの旅館で、ボケの花びらを千切った。きっとあの時・・・・毒に感染していたんだ。」
「毒・・・・?」
「ああ、人の心を惑わせる、クローンの毒さ。俺はあの時、ボケの花びらをポケットにしまったんだ。それなのに、次の日になると消えていた。きっと・・・あの花びらは俺の中に吸い込まれたんだ。そして毒に感染し、異常なまでにミリサに惹かれるようになった。
だから池のほとりでミリサに会った時、彼女に一目ぼれしてしまったんだ。まだ恋をするような年頃じゃなかったのに。」
「でも・・・ミリサはどうして君に・・・いや、美波浩太という少年に毒を?」
「それは・・・きっと浩太に惹かれたんじゃないかな?」
「ミリサが・・・?」
「ミリサは俺と同じだったのさ。美波浩太という少年に惹かれ、彼の心に住もうとしていたんだ。だから毒に感染させ、誘惑させた。
そして浩太が家に帰る途中、池のそばの道を通ることも予想していた。だからあそこに先回りして、浩太の身体を乗っ取ろうとしていたんだ。」
そう説明すると、おじさんは何かを思い出したように頷いた。
「あの日・・・本当ならあの池に行く予定はなかったんだ。けど・・・ミリサがどうしてもと言うから、あの池へ連れて行ったんだ。」
「そうさ。ミリサの予想通り、浩太は池に下りて来て、ミリサと出会った。しかし・・・ここで予想外のことが起きてしまったんだ。」
「予想外のこと・・・・?」
「あの池には・・・俺がいたってことさ。俺はあの場所で、ずっと自分に相応しい人間を待っていた。そして・・・浩太と出会った。
本当ならミリサが手に入れるはずだった浩太という少年を・・・俺が先に手に入れてしまったんだ。浩太が俺の木に触れた時、すでに同化は終わっていたからな。」
「触れただけで・・・・?」
「これでも俺はオリジナルさ。クローンみたいにまどろっこしい真似をしなくても、相手の心に入る術は持っている。」
「なるほど・・・クローンとは一味違うってわけだ。」
「でも・・・それがミリサの怒りを買ってしまった・・・。彼女は、なんとしても浩太の心と身体が欲しかったんだ。でも浩太の心には、すでに俺が住んでいる。
だから・・・殺した。事故に見せかけ、浩太を殺して、肉体だけでも手に入れようとしたんだ。」
「そこまでして浩太君の肉体を・・・・・。」
「本当なら・・・美波浩太も家族と一緒に死ぬはずだった。でも俺が守ったんだ。だから死なずにすんだ。そして・・・俺は美波浩太になることを決めた。
彼は命を取り留めたが、そう長くは生きられないと思ったからな。だから浩太の心と同化して・・・今の俺になった。俺は宇宙から降り注いだ光であり、美波浩太という人間でもあるんだ。」
そう・・・俺は人間だ。美波浩太という心を持った、正真正銘の人間なんだ。
ベンチから立ち上がり、拳を握って赤い花びらを浮かび上がらせた。
「今まで・・・ずっと美波浩太の意識の中に生きてきた・・・。しかし、俺は思い出した。
自分が誰なのか・・・どこからやって来たのか・・・。それが分かれば、もう薬なんていらない。あの力は・・・元々俺に宿っていたものなんだからな。」
俺はおじさんを振り向き、拳を下ろして言った。
「おじさんは樹液の肉体に俺を入れて復活させ、その後にあの巨木に会いに行ったんだろう?」
「ああ・・・ミリサにそうするように言われたからね・・・。」
「きっと・・・おじさんも毒に感染していたんだ。だからミリサにつけ込まれ、彼女の言いなりになっていた。でも・・・あれはミリサじゃない。おじさんの娘じゃないんだ。だったら、もう彼女の頼みをきく理由はないはずだ。」
そう言うと、須田はわずかに俯いて首を振った。
「・・・まだ迷いがあるが・・・君の言う通りだよ。あれはミリサじゃない。だったら・・・彼女の言葉をきく必要はないわけだ。」
「そうだよ、おじさんはこれ以上あの巨木に縛られる必要はない。だから・・・最後の戦いに挑まないといけないんだ。」
「・・・分かっている。ここまで来たら、あの巨木がなに企んでいたのかを理解したよ・・・・。浩太という少年を自分のものにし、そしてこの星の生命の頂点に君臨するつもりだったんだ。なんて・・・なんて身勝手な・・・・・・。」
おじさんも腰を上げ、車に向かって歩いていく。
「君が人間の肉体を得るために用意した最後の儀式。それは・・・美波浩太の肉体と戦うことだよ。彼の肉体は巨木の中に吸いこんである。しかし・・・それもミリサの用意した罠だったわけだ・・・。ミリサは君を殺し、美波浩太の心を手に入れて肉体に宿らせる。そうすれば美波浩太は復活するからね。あとは・・・巨木が浩太君の心の中に入れば、目的は達成される。」
おじさんは車に乗り込み、窓を開けて手招きをした。
「今から氷ノ山に行こう。そこでミリサが・・・いや、巨木が待っている。」
俺は頷き、彼の車に乗り込んだ。車はゆっくりと走り出し、寂れた街を遠ざかって行く。
「僕は・・・失敗をしてしまったな。」
おじさんは唐突に呟く。俺は「何がだ?」と尋ねた。
「あの事故の後・・・君を樹液の肉体に入れ、そのあとは病院に連れていったんだ。」
「俺の肉体が眠っていた病院だな?」
「ああ・・・その時、僕は過ちを犯した。一緒について来たミリサに、浩太君の肉体を渡してしまったんだよ・・・。」
「それもミリサの指示だったのか?」
「そうだ・・・。彼の身体をミリサに預け、君を病室のベッドに寝かせた。そして・・・そのことを知っているのは、僕とミリサだけだ。なぜなら・・・薬を使って時間を止め、その隙に入れ替えたんだから。」
「全部・・・・全部ミリサの指示なんだな。」
「ああ、そうだよ。」
「だったらおじさんは悪くない。黒幕はミリサなんだから。」
おじさんを励ますように、そっと肩を叩いた。
「いや・・・いくらミリサの指示とはいえ、僕は過ちを犯した。そのせいで・・・君の肉体は巨木の中に取り込まれている。今から・・・それを奪い返しに行くんだ。僕も出来る限りの協力はするよ。」
おじさんは車を走らせ、北に上って氷ノ山を目指して行く。
《俺には・・・まだ分からないことがある。それはミサのことだ。ミリサは大人になった俺の前に現れるはずだったのに・・・俺が出会ったのはミサだった。これはただの偶然か?それとも、もっと深い理由があるのか・・・・?》
拳に浮き上がった花びらを撫で、じっと考えてみる。しかし・・・・今はまだ分からない。
《あの鮎の見える橋の上で、クローンの男は言っていた。俺は・・・戦っている時が一番輝くタイプだと。もしそうだとするなら、あの巨木と戦うことで、全てが見えてくるかもしれない。》
あの巨木は、俺が最初に生み出したクローンだ。今から・・・そいつを殺しにいくことになる。
《あの巨木は・・・俺が持っていた醜い部分を受け継いでいるのかもしれない・・・。
俺はただ人間と一つになりたかっただけなのに・・・心のどこかで、人間を支配しようと思っていたのかもしれない。それは自分でも気づかないほど小さな欲望だけど、あの巨木はきっと・・・・そういう醜い部分を色濃く受け継いでいるんだ。》
ここへきて、俺は本当に自分の未来を選択することが出来た。
あの巨木を倒し、美波浩太の肉体を手に入れる。そして完全な人間となり、もう一度ミサと会う。
ミサは言っていた。まだ自分のクローンのクローンは残っていると。
ならば・・・それを使って、どうにかしてミサを復活させてみせる。そして・・・・彼女と共に、人間として人生を歩むのだ。
車は寂れた街を抜け、大きな国道に出た。流れゆく景色の中に、今までに戦ったクローンの顔が見えたような気がした。

セカンド・コンタクト 第九話 もう一つの真実(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:45
【『私は許されないことをした。もう・・・生きているのが苦しい。ごめんなさい、お父さん。』
その書置きを見つけた僕は、家を飛び出してミリサを捜した。
《ミリサ!頼むから死なないでくれ!僕を・・・僕を一人にしないでくれ!》
それはミリサの身を案じるというよりは、自分が孤独になることを恐れていただけだった。
ミリサの捜索を始めてから一時間後、近くの土手に生えるボケの木に、ロープで首を吊っている彼女を見つけた。
「ミリサ・・・・どうして・・・・。」
身体から力が抜けて、その場にへたり込んだ。そして・・・すぐにミリサの後を追おうと決めた。妻と娘を失い、もうこの世に未練などなかったからだ。
しかし、ミリサの服に一枚の花びらが付いているのに気づいて、それを手に取ってみた。
その瞬間、また頭に声が響いた。
『・・・僕は・・・美波浩太・・・。もう一人の美波浩太・・・。今は・・・心だけ・・・。』
それはあの少年がミリサに渡した花びらだった。少年の血を吸って真っ赤に染まり、鼓動のように脈打っているのを感じた。
その時、どこからともなくミリサの声が響いた。
『・・・お父さん・・・この子を人間にしてあげて・・・。それが私の・・・最後のお願い・・・・。』
「ミリサ!」
それはとても悲しく、そして切実な声だった。
『私はここにいる・・・。お父さんの目の前の・・・このボケの花・・・・。』
「この木が・・・ミリサだって?」
『・・・私は・・・ミリサであってミリサでない・・・。彼女の意識を受けた映し身・・・。でも、その意志は受け継いでいるわ。だから・・・私のお願いを聞いて。浩太君の花びらをあの池のほとりに持って行って、そこから樹液を取り出して身体を作ってあげてほしいの。そして・・・いつか本物の人間になるまでの間・・・浩太君をその身体に入れてあげて・・・。』
僕は混乱していた。あまりに不可解な出来事に、頭が冷静に働かなくなっていたのだ。
しかしミリサの頼みとあらば聞かないわけにはいかない。質問したいことは山ほどあるが、今は彼女の頼みをきいてやることにした。
「分かった・・。この花びらを持って、あの池に行けばいいんだな?」
『うん・・・。それと、私の花びらを一枚持って行って。それを・・・その子の中に・・・・、』
そこでミリサの声は途切れた。何度も呼びかけたが、もう返事はなかった。
僕はミリサの花びらを一枚千切り、少年の声のする花びらと一緒に、そっとハンカチに包んだ。それをを内ポケットにしまい、ミリサの亡骸を下ろして車に乗せた。
そして知り合いのいる斎場に連れていき、金を渡して内密に焼いてもらった。
ミリサは小さな骨の欠片になり、それを壺に入れてもらった。そしてそのまま車を走らせ、あの池を目指したのだ。
四時間車を走らせ、あの池に着いた。そして池のほとりに立つボケの木に近づくと、またミリサの声がした。
『この木の樹液を取り出して、この子の身体を作ってあげてほしいの。もし樹液が足りなかったら、私の木を使って。』
「ミリサ・・・僕は分からないよ・・・。いったい何がどうなっているのか・・・。」
ミリサの骨が入った壺を置き、ボケの木に手を触れた。
『・・・いいよ、教えてあげる。でも科学者のお父さんには、ちょっと抵抗のある話かも・・・。』
「ミリサの言葉なら信じるよ。だって・・・ミリサはたった一人の娘なんだから。」
『ありがとう・・・。』
ミリサはたっぷり間を置き、穏やかな口調で話し始めた。
『この世界には・・・目には見えないものがあるの。見ることも触れることも出来ないけど、でも確かにそこに存在しているわ。それが・・・私やこの子よ。』
「ミリサとあの少年が・・・?」
『遥か昔・・・人類が誕生したのと同じ時代に、宇宙から光が降り注いだ。その光は命を持っていて、ずっと長い間宇宙を旅していたの。そしてこの青い星を見つけて、地上に舞い降りた。そこで初めて人間と出会い、その光は感動を覚えたわ。』
「人間と出会って感動を・・・?」
『人間は・・・二つのものを持っている。それは心と体よ・・・・。この二つはまったく正反対にあるものなに、人間はその両方を持っていた。
心は目に見えないし、触ることも出来ない。でも自分の意思を持っている。身体は目に見えるし触れられるけど、意思は持っていないわ。
心が身体に入ることで、意思が目に見えるようになり、誰かに触れられるようになる。命を持った光は、それがすごく羨ましかった。だから・・・人間というものに憧れ、この星に住むことを決めたの。』
「それは・・・確かに僕には抵抗のある話だな・・・。」
『やっぱり信じられない?』
「いいや、ちょっと戸惑っただけさ。ごめん、続きを聞かせてくれ。」
僕は目の前にミリサを思い描き、彼女に手を向けた。すると頭の中の想像でしかなかったミリサが、本当に目の前に現れた。
「ミリサ!」
思わず抱きしめると、ミリサは僕の背中に手を回して抱き返した。
『お父さん・・・これはただの幻よ。お父さんの意識を受けて、私の花びらが幻影を見せているだけ。』
「これが・・・幻だって・・・?」
『そうよ。宇宙から降り注いだ光は、人間と共にこの星に住むことを決めた。そして人間を観察するうちに、あることに気づいたの。』
「あること・・・?それはなんだい?」
そう尋ねると、ミリサは身体を話して僕を見つめた。
『それはね・・・人間の意識の波長と、光の意識の波長がとても似ているってこと。』
「意識の波長・・・?」
『科学者のお父さんなら知ってるでしょ?心っていうのは、頭の中を走る電気信号だって。その電気の流れが、とてもよく似ていたってこと。だから・・・光は人間の意識を反映させて、仮初の身体を持つことが出来るの。ほら、こんな具合に。』
ミリサは手を広げ、そっと僕の頬に触れた。
『でもこれは本物の身体じゃない・・・。だから・・・・光は本物の身体を欲しがったのよ。人間と光は意識の波長が似ているから、人間の心の中に入ることが出来る。』
「人間の心の中に入るだって?」
『人間の方が心を許してくれたら・・・光は意識を同調させて心に入り込むことが出来るの。そしてその人間が死ぬまで、ずっと心に住み着くわ。でも人間には寿命があるから、いずれ死んでしまう。その時に・・・光は人間の身体を自分のものにするの。』
「・・・それは、人間の身体を乗っ取るてことかい?」
『そう・・・なるわね。でも光は決して、人間を傷つけようとしているわけじゃないわ。
だから寿命を終えてその人の心が死ぬまで、ずっと待ってるの。それに、中にはその人間のことをあまりに愛するがゆえに、一緒に死を選ぶ光だっているわ。』
「ということは・・・その光は人間と分かりあえる部分を持っているということか?」
『うん。さっきも言ったけど、光の意識と人間の意識の波長は似ているから、同じような心を持っているってことね。』
ミリサの話はあまりに現実離れしていて、すんなりと受け入れるにはやはり抵抗があった。
『なあミリサ・・・。その・・・宇宙から降り注いだ光っていうのは、いったい何者なんだ?』
「ただの光よ。でも命を持っている。宇宙にはたくさんの波長が飛び交っているから、きっとそれが元になって生まれたんだと思う。』
「とういことは・・・その光がいつどこで、そしてどうやって生まれたのか・・・詳しいことは分からいってことか?」
『うん。』
「自分のことなのに?」
そう尋ねると、ミリサは可笑しそうに笑った。
『お父さんは、自分が生まれる前のことなんて覚えてる?』
「いいや、覚えてるはずがないだろう。」
『そうよね。自分が存在する前のことなんて、覚えてるわけがないわ。私たち光は、気がつけば自分の意思を持っていた。大事なのはそれだけよ。今、自分がここにいることこそが重要なの。だから光の成り立ちなんて考えたこともないわ。』
妙に筋の通った意見に、思わず肩を竦めて笑ってしまった。
「まさかミリサの口から、そんな哲学的な意見が出てくるなんて思わなかったな。」
『ふふふ、私はミリサであってミリサじゃないからね。彼女の映し身・・・いわばクローンだから。』
「クローンか・・・。まさか自分の娘のクローンに会う日が来るなんて思わなかったよ。」
肩を竦めてそう言うと、ミリサは陰のある表情で答えた。
『・・・実を言うと、私という存在そのものがクローンなの。』
「・・・どういうことだい?」
顔をしかめて尋ねると、ミリサはボケの木に触れて目を閉じた。
『宇宙から降り注いだ光は・・・人間に憧れ、人間の肉体が欲しいと思った。でも人間には心があるから、そう易々と身体を乗っ取るなんて出来ないし、したくなかった。そこで目を付けたのが・・・・植物ってわけ。』
「植物・・・?」
『植物には人間のような意思はないわ。だから身体に入り込むのは簡単だったの。それに・・・簡単にクローンも作れるしね。』
「植物のクローンって・・・・もしかして株分けのことかい?」
『そうよ。植物は簡単にクローンが作り出せる。それは光にとって都合のいいことだった。
なぜなら・・・光はたくさん自分を分割して、この星の全ての人間と同化しようと思ったから。人間に憧れ、人間の肉体を欲しがり、いつしか人間そのものに成りたいと願ったから。だからたくさんクローンを作り出し、人間の心に入る隙を窺っているの。』
「なるほど・・・だからボケの木に宿っているわけだ。」
そう言うと、ミリサは首を振った。
『最初はボケの木じゃなかったわ。そもそも、植物ならなんでもよかったの。だから時代によっては、桜や杉の木に入っていた。そんなことをしていると、いろんな植物の特徴が混ざってぐちゃぐちゃになっちゃったのよね。だからほら、このボケの花だって、よく見るとおかしな所がある。』
ミリサはボケの花に触れ、僕の方に近付けた。
「・・・なんだこりゃ?ボケの花にサクランボがなってる・・・。」
花びらの合間に、小さなサクランボが実っていた。いや、それだけではない。
よく見ると小さなイバラも生えているし、それに・・・これは松ぼっくりか?
『ね?色んな植物がごっちゃになってるでしょ?』
「ああ、これは不思議だな。植物学者に見せたら、涙を見せて喜びながら研究する素材だ・・・。」
『今までに宿主にしてきた植物の特徴が、全部混ざり合っちゃったの。ボケの花に乗り換えたのは最近だから、またいつか別の植物にするかもしれない。』
「どうしてそんなことを?」
『だって同じ植物でクローンを作るより、色んな植物でクローンを作った方が生き残れるでしょ?』
「ああ、なるほど。多様性で生存率を上げているわけだ。」
『それもあるけど・・・クローンは寿命が短いんだ・・・。だからなるべくたくさんクローンを作って、人間と同化する機会を増やしてるの。』
「クローンは短命か・・・。寿命はどれくらい?」
『クローンによって差はあるけど、だいたい五年から十年くらい。たまに三十年以上も生きたりするクローンもいるけど。』
「個体差があるわけだな。きっと環境や状況によって左右されるんだろう。植物なら、土や水に原因があるのかも・・・・、」
一人でブツブツ呟いていると、ミリサは可笑しそうに笑った。
『お父さん、学者の顔になってる。』
「・・・え?ああ・・・これは悪い・・・。つい興味が湧いちゃって・・・。」
苦笑いしながら謝ると、ミリサは首を振った。
『ううん、それでいいの。お父さんには、もっともっと私たちに興味を持ってもらいたいから。』
ミリサは憂いのある顔で微笑み、ボケの花から手を離した。
「・・・何か事情がありそうだね?」
『・・・あのね・・・実はちょっと困ったことになってて・・・・。』
ミリサは言いづらそうに俯き、僕の袖を握った。
『氷ノ山って知ってる?』
「氷ノ山か・・・。兵庫県と鳥取県にまたがる大きな山だな。学生の頃に一度だけ登ったことがあるよ。それがどうかしたのかい?」
『その山の頂上に・・・大きなクローンが立ってるんだけど・・・、』
「大きなクローン・・・?」
『うん・・・。宇宙を漂う光がこの星に下りて、最初に生み出したクローン。とっても大きくて、寿命だって死ぬほど長いの。』
「へええ・・・そりゃまた興味をそそられる話だな。」
『私たちは、巨木のクローンって呼んでるんだけどね。その巨木のクローンが・・・・オリジナルの意志に反発して悪いことを始めたの。』
「悪いこと・・・?」
『うん・・・。勝手にクローンを作り出して、人間を乗っ取ろうとしてるの・・・。その巨木から生まれたクローンは、人の心に住み着いたあとに、勝手にクローンを作り出すの。
それを延々と繰り返していけば、やがてこの星は・・・・、』
「ネズミ算式でクローンだらけになるわけだ。」
『うん。でもそれだけじゃない。巨木から生まれたクローンは・・・毒を持っているの・・・・。』
「毒・・・?」
穏やかでないその言葉に、わずかに鼓動が速くなった。
『巨木のクローンは、人の心を惑わす毒を持っているの。その毒を受けた人間は、心に隙が出来て乗っ取られやすくなるわ。』
「それは・・・恐ろしいな・・・。」
『氷ノ山に立つ巨木のクローンは、自分こそが地球の生命の頂点だと思ってる。だからお父さんには、その巨木と、巨木から生まれたクローンをやっつけてほしいの。そうしないと・・・いつかこの地球はクローンだらけになっちゃうわ。』
ミリサは僕の手を握り、訴えかけるような目で見つめた。その目はとても力強く、本気でこの星のことを心配しているようだった・・・。
『私は人間が好きよ。不器用だし、時に悪さもするけど・・・それでも人間が好き。だから、お父さんに人間を守ってほしいの。でも一人で戦うには無理があるから、この子を育てればいいわ。』
「この花びらの少年をか・・・?」
『その子は私と同じで、オリジナルから生まれたクローン。だから、きっと人間の為に力を貸してくれると思う。その為に・・・ちょっと細工をしておくけどね。』
「細工って・・・いったい何をするつもりだ?」
そう尋ねると、ミリサは僕のポケットからハンカチを取り出し、赤い花びらをつまんだ。
『これは私の木から千切った花びらよ。これを・・・・こうするの!』
ミリサは赤い花びらをボケの木に押し付けた。すると花びらはジュワリと溶けて、木の中に吸い込まれていった。
『これでこのボケの木には、私の一部が宿った。だからこの木から樹液を採って肉体を作り、そこに少年を入れれば・・・きっと私に惹かれるはず。
いつかその子が大人になった時、私はその子の目の前に現れるわ。そうすれば、きっとその子は私のことを好きになるはずだから。そして・・・なんとかして戦いの道に乗せてみせる。無理矢理戦わされるこの子は可哀想だけど・・・・でも人間を守る為だから仕方ないわ。』
「ミリサ・・・・。」
ミリサはハンカチに残った少年の花びらをつまみ、そっとキスをした。
『この子が大人になって、私と再会した時・・・私はもうミリサじゃなくなってる・・・。その時は、この子の思い描く理想の女性の姿になってるはずよ・・・。』
ミリサは花びらを僕の手に返し、ボケの木に触れて目を瞑った。
『・・・お父さん・・・私は人間を守りたい・・・。だって、人間と出会うことで・・・新たな喜びを得られたんだから。』
「新たな喜び・・・?」
『私たちは・・・誰の目にも見えないし、誰の手にも触れられなかった・・・。でも人間と同化することで、触れあう喜びや、愛し合う幸せを知った。
だから・・・これからも人間には生き続けてほしい。いつか種族としての寿命を全うするまで、この星で生きていてほしいの・・・。』
ミリサは僕の方を見て小さく笑い、そしてゆっくりと消えていった。
「ミリサ!」
その瞬間、ミリサの触れていたボケの花が、大量の樹液に変わっていた。お椀のような、大きな赤い花びらに包まれて・・・。
「ミリサ・・・・。」
僕は膝をつき、樹液を見つめた。するとその中に何かが浮いていることに気づき、そっと掬い上げてみた。
「これは・・・・さっきのボケの木・・・・?」
それは、とても小さくて細い木だった。
『それはその少年の本体よ、大事に育ててあげて。そして時期が来たら、その木に触れさせてあげてほしいの。きっと全てを思い出すわ・・・・。その時、その少年は自分の進むべき道を選ぶはずだから・・・・。』
「ミリサ・・・・お前はもう・・・逝ってしまうのか・・・・?」
『ううん、私はまだ死なない。あの巨木を倒すまでは・・・絶対に死ねない。だから私に会いたくなったら、いつでもあの土手に来て。お父さんの意識を映して、姿を現すから・・・・。』
そう言って、ミリサの気配は消えた。
「ミリサ・・・僕は・・・僕はどうしたらいいんだ?いきなりこんな話を聞かされて・・・いったいどうすれば・・・・。」
細い木を握ったまま、しばらく途方に暮れていた。しかしいつまでもこうしていたところで、何かが変わるわけでもない。
「とりあえず・・・ミリサの言ったとおりにしてみるか・・・。この樹液を持って帰って、少年の花びらに肉体を与えてみよう。しかし・・・いったいどうやって樹液から肉体を作り出すんだ?・・・・まあ、それは土手に行ってミリサに聞いてみるか。」
僕は車に戻り、あの池を振り返ってみた。ついこの前ミリサと一緒にここへ来て、春の陽気を楽しんだばかりであった。
それが今ではミリサを失い、こんなにわけの分からない状況になっている。
これは現実なのか、そうでないのか・・・今の僕に判断することは難しかった。もしかしたら壮大な夢を見ているだけかもしれないし、頭がおかしくなって幻を見ているだけかもしれない。
「・・・・・まあいい・・・。夢であれ幻であれ、ミリサの頼みを断るわけにはいかない。きっと・・・きっとミリサの願いを叶えてやるさ。」
樹液がこぼれないようにシートベルトで固定し、細い木をそっと胸のポケットに挿した。
エンジンを掛け、ギアを入れて車が滑り出していく。
一瞬だけ振り返った池のほとりでは、ミリサの幻が手を振っていた。】

セカンド・コンタクト 第九話 もう一つの真実(1) 

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:36
『もう一つの真実』


【「お父さん、このツクシってから揚げに出来る?」
ミリサは頬の横にツクシを掲げ、屈託のない笑顔で尋ねる。僕は首を振り、「無理だよ」と答えた。
「そんなものをから揚げにしたって美味しくないよ。」
「でも食べれるんでしょ、これ?」
「食べられるけど、から揚げにはしない。お浸しとかそういうのにするんだよ。でも苦いから、ミリサの好みじゃないと思うよ。」
そう言うと、ミリサは頬を膨らませてツクシを齧った。
「・・・・・不味い。」
「当たり前だろう。生で食うものじゃないんだから。」
ミリサの手からツクシを奪い、そっと池に投げた。
「あ、可哀想!」
「可哀想?」
「だって、それは世界で一つだけのツクシだよ?採ったんなら、ちゃんと食べてあげないと。」
ミリサは池に手を伸ばし、不味いのを我慢しながらツクシを食べ切った。
「・・・うげえ・・・不味い・・・。」
僕はそれを見て微笑ましく思った。ミリサは昔から変わったところがあり、異常なまでに命というものにこだわるのだ。
人でも動物でも虫でも、そして植物でさえも、その命を奪うことを良しとしない。
だからこの子が子供のころ、物を食べることを拒否して困ったものだった。
『命を殺して食べるなんて、バチがあたるもん!』
そうは言いながら、腹が減ると親の目を盗んで食べていた。
「ねえ、こっちのツクシはから揚げに出来る?」
「いいや、そっちのも無理だろう。ツクシっていうもの自体が、から揚げには向いていないんだから。」
「なんだ・・・じゃあ採るのやめとこ。」
ツクシに伸ばした手を引っ込め、辺りをきょろきょろ見回すミリサ。そして池の対岸に綺麗な桜とボケの花が咲いているのに気づき、そちらへ走って行った。
「おいおい・・・池に落ちるなよ。」
「落ちないよ、子供じゃないもん。」
ミリサは桜とボケの前に立ち、その匂いを嗅いでウットリとしていた。
「いい匂い・・・。私・・・桜って大好き。」
「そっちはボケの花だよ。桜はピンクの方だ。」
「どう違うの?」
「どちらも同じバラ科の植物だけど、桜はサクラ属、ボケはボケ属に分類される。
二つとも園芸品種としてたくさんの種類があるけど、日本に咲いている桜のほとんどはソメイヨシノだ。」
「ソメイヨシノ?」
「桜の種類の名前だよ。日本中に生えているソメイヨシノは、一つの木から株を分けたもので、まあいわばクローンだな。」
「クローンって・・・コピーってこと?」
「そういうことだ。」
「じゃあこの桜は偽物ってこと?」
「偽物ってことはないけど・・・みんな同じ遺伝子を持っているんだよ。分かりやくす言うと、双子がたくさんいるようなものさ。」
「ふうん・・・。」
ミリサは首を傾げながら、何とか僕の言葉を理解しようとしているようだった。
眉間に皺を寄せ、難しい顔で考えている。しかし考えるのに飽きたのか「なるほどねえ」と適当な相槌を打っていた。
「じゃあボケの花は?これもクローン?」
「それは違うよ。ボケの花は平安時代に中国から輸入された植物で、これもたくさんの種類があるんだ。でもソメイヨシノみたいに、同じ遺伝子を持った木がそこらじゅうに生えているってことはないよ。」
「じゃあこいつはオリジナルなんだね?」
「きっとね。」
ミリサはニコッと頷き、ボケの花に手を伸ばした。
「桜は大きいけど、ボケって小さいのね。」
「そうだね。でも近くで花が見られていいじゃないか。」
「うん。でも・・・桜くらい大きなボケの花があったらいいのに・・・。」
ミリサはわずかに表情を曇らせ、ボケの花びらに触れた。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって・・・さっきのお父さんの話を聞いて、あんまり桜が好きじゃなくなったから・・・。
だからボケの花が桜くらい大きかったら、もっと見ごたえがあるのにって思って。」
僕は少しだけ後悔した。根っからの学者肌のせいで、説明を求められるとつい余計なことまで喋ってしまう。
ミリサが求めていたのは、そんな理屈っぽい答えではないのだ。もっと感覚的な、そして観念的な答えだったのだろう。
僕とミリサが別の人間であるように、桜とボケとは、なぜ別の存在なのかを問いたかったのだ。ミリサは優しくボケの花を撫で、その根元に腰を下ろした。
「お父さん、下から見上げると綺麗だよ。」
そう言って地面を叩いて座るように促す。僕はミリサの横に腰を下ろし、彼女の澄んだ瞳を見つめた。
「ミリサ、最近はあまり夢にうなされていないね。心が落ち着いているのかな?」
「まあね。もうお母さんが死んで二年になるし・・・さすがに落ち着かなきゃ困るでしょ?」
ミリサは僕を見て笑い、ボケの木にもたれかかった。
そして気持ちよさそうに目を閉じ、まるでボケの木と同化するようにまどろんでいった。
そんな彼女を見つめ、僕は心底ホッとしていた。二年前に妻を失くしてから、ミリサは心を病んでしまった。元々少し精神に障害を抱えていたのだが、母が死んだことによってそれが悪化してしまった。
一時はどうなることかと思ったが、どうやら快方に向かっているようで安心した。
僕もボケの木に身体を預け、目を閉じて春の陽気を感じた。すると池の対岸に家族連れがやって来て、ワイワイとにぎわい始めた。
ミリサはその声に反応してパッと目を開き、立ち上がって僕の手を引いた。
「行こう、お父さん。」
「どうした?もう帰りたいのか?」
「いいから行こう。」
ミリサは強引に僕の手を引っ張り、池のほとりを歩いていく。
《きっと・・・あの家族がうらやましく映ったんだな。》
僕はミリサの機嫌を損ねないように、黙って一緒に歩いた。すると対岸にいた家族連れの少年が、こちらに向かって走って来た。
ぶつからないように道を空け、少年の姿を目で追う。彼はボケの花を見上げ、手を伸ばして花びらを千切った。それを興味深そうに見つめ、ポケットにしまっていた。
そして父に呼ばれて家族の元に戻る途中、躓いて転びそうになっていた。
僕は咄嗟に手を伸ばして少年を掴み、池に落ちるすんでの所で引き揚げた。
「大丈夫かい?」
少年に顔を近づけ、頭を撫でてやる。彼は恥ずかしそうに俯き、そして僕の横に立つミリサを見つめた。
少年のその目を見た途端、僕は思わず笑いそうになった。
《この子、ミリサに惚れたな。》
少年はじっとミリサを見つめ、頬を赤く染めている。そしてもじもじと手を動かし、さらに顔を赤くしていった。
そんな少年を可愛らしいと思ったのか、ミリサが珍しく自分から話しかけた。
「僕、気をつけてね。池に落ちたら溺れちゃうよ。」
そう言って頭を撫で、ニコリと微笑みかける。
少年はさらに顔を赤くして、ポケットからボケの花びらを取り出した。
「・・・これ、あげる。」
小さな手の平に、シナシナになった花びらを乗せ、ミリサの顔を見ながら差し出した。
「これは何?」
「桜。」
ミリサは一瞬困ったように笑い、小さく頷いてからそれを受け取った。
「桜・・・?うん、ありがとう。」
そう言ってまた少年の頭を撫でると、彼は一目散に家族の所へ走って行った。
「可愛い子ね。」
ミリサは受け取った花びらをポケットにしまい、少年の後ろ姿を見送っていた。
「お父さん、さっきの所に戻ろ。」
ミリサは僕の手を引き、ボケの花の下に腰を下ろした。そして車に乗り込んだ少年に向かい、ニコニコと手を振った。
「珍しいじゃないか、他人にそこまで明るく振舞うなんて。」
「そうだね・・・。でも、なんだかあの子がすごく可愛く思えちゃって。これって母性本能?」
「さあ、どうだろうね?」
僕は肩を竦めて笑い、しばらくミリサと一緒に座っていた。
春の陽気を存分に楽しみ、親子水入らずの時間がゆるやかに流れていく。
やがてミリサがスッと立ち上がり、「帰ろう」と言った。
「お母さんのお墓参りも終わったし、春の景色も楽しんだし、もうじゅうぶん。」
「そうだな、じゃあ家に帰ったらから揚げでも作るか?」
「ほんと?やった!」
ミリサは手を叩いて喜び、僕の手を引っ張って車まで走って行った。
「帰りは私が運転するね。」
「大丈夫か?いくら調子がいいって言ったって、あまり無理はしない方が・・・・、」
「心配ない、心配ない。今日の私は一味違うから。」
「そうかい?いつもと同じにしか見えないけど?」
そう尋ねると、ミサは指を立てて首を振った。
「ふっふっふ。お父さん、、聞いて驚かないでよ?」
「それは聞いてみないと分からないな。」
「あのね・・・さっきの子がボケの花びらをくれたでしょ?」
「ああ、それがどうかしたのかい?」
「・・・私ね、あの花びらから声が聞こえたの。まるで子供の頃みたいに。」
「花の声が・・・?」
「うん、さっきから声が聞こえるのよ。私は人間になりたい・・・・って。これってさ、今日の私が一味違う証拠でしょ?だって・・・私はようやく昔に戻ったんだもん。花や虫の声が聞こえていた、あの頃に・・・・。」
「ミリサ・・・・。」
僕は悲しかった・・・。心が落ち着いて快方に向かっていると思ったのに、どうやら違うようだ。
ミリサの心は、現実と非現実の境目がなくなりつつあるらしい。歳と共に治まっていた症状が再発するなんて、やはり妻の死が大きなショックを与えていたようだ。
「ミリサ、やっぱりお父さんが運転するよ。」
「ダ〜メ。今日は私に任せなさい。」
ミリサは胸を張って運転席に乗り込み、鍵を寄こせと手を出してくる。
《こうなったら聞かないからな。まあ仕方ない、途中まで運転させてやるか。》
僕はポケットから鍵を取り出し、ミリサの手の上に置いた。
「気をつけて運転するんだぞ。」
「分かってるって。それじゃ出発!」
キーを回してエンジンを掛け、危なっかしいハンドル捌きで走り出す。
しかし三十分も運転していると、ハンドル捌きも安定し、運転から危うさが消えていった。
「そうそう、その調子。」
「ふっふっふ、やっぱり今日の私は一味違うでしょ?」
ミリサは胸を張って笑い、しっかりと前を見て運転する。ゆるやかな一般道を走り抜け、やがて高速道路の近くに差し掛かった。
「もういいよ、あとはお父さんが運転するから、そこの路肩に停めてくれ。」
「いいよ、家まで私が運転するから。」
「それは駄目だ。もし何かあったら・・・・、」
「心配しなくても事故なんかしないよ。平気だって言ってるでしょ。」
ミリサの顔が僅かに曇る。これ以上何か言えば、本気で怒り出して不機嫌になるだろう。
それはミリサの精神を不安定にさせ、さらに症状を悪化させてしまう可能性がある。
「分かったよ・・・でも家までは駄目だ。ここから四時間もかかるんだから、途中でお父さんが交代する、いいね?」
「・・・・しょうがないなあ、じゃあ途中で代わってあげるよ。」
ミリサは渋々頷き、丁寧にハンドルを切って高速道路の入り口を上った。
「後ろ、車が来てるから気をつけて。」
「・・・・・うん。」
「・・・・はい、今だ。ゆっくり入っていって。」
「・・・・・・・・・・・。」
ミサはガチガチに緊張していた。肩に力が入り、眉間に皺を寄せて前を睨んでいる。
やっぱり僕が代わった方がよかったかと思ったが、サービスエリアに到着するまでは運転を代われない。
「ミリサ、落ち着いて運転するんだ。大丈夫、高速は注意さえ怠らなければ、一般道より楽だから。」
「・・・・・・・分かってる。」
分かってなかった・・・。ミリサは青い顔をして、ブルブルと顎を震わせていた。なんたって二年ぶりの運転で、それ以前もほぼペーパードライーバーだ。
僕は科学者でありながら、事故を起こさないように神に祈った。
しばらく走ると、サービスエリアの看板が見えた。
「ミリサ、あと一キロしたらサービスエリアがあるから、そこで運転を代わろう。」
「・・・・うん・・・。」
じょじょにサービスエリアへ近づき、やがて入り口が見えた。
「そこを左に曲がるんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「ほら、スピードを落として、ウィンカーを出すんだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ミリサ、落ち着いて運転すれば大丈夫だから。」
「・・・・・無理・・・・。」
ミリサはガチガチに固まり、そのままサービスエリアを通り過ぎてしまった。
「・・・・仕方ないな・・・。もう少し行けば料金所があるはずだから、そこの路肩に止めよう。」
「・・・・ごめん・・・。」
「謝らなくてもいいさ。運転させたお父さんが悪いんだから。」
ミリサの背中を撫でて落ち着かせ、今さらながら運転させたことを後悔する。
《もし何かあってお前まで失ったら、僕は生きる気力を失くしてしまうだろうな。》
ミリサの横顔を見つめながら、買い置きしていた缶コーヒーに口をつけた。
やがて料金所の看板が見えて、その前に長蛇の列が出来ていた。
「ありゃあ・・・渋滞してるな。」
渋滞はかなり長く続いていて、その一番後ろには見覚えのある車があった。
「あのワンボックスは・・・さっきの親子連れか?」
大きなタイヤをはいた特徴的なワンボックスカーには、やはりさっきの家族が乗っていた。
「同じ道だったんだな。ミリサ、スピードを落とせ。このままじゃ追突するから。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「ミリサ、早くスピードを落とすんだ。」
「・・・・声・・・・?」
「何・・・?」
「声が聞こえるの・・・。さっきの花びらから、大きな声が聞こえてくるの・・・。」
まずいと思った・・・。運転という極度の緊張の為に、ミリサの心はますます不安定になっているらしい。
僕はいざという時の為にサイドブレーキを握り、もう一度ミリサに呼びかけた。
「ミリサ、早くブレーキを踏みなさい。怖がらなくていいから・・・・、」
そう言いかけた時、僕の頭に声が響いた。
『人間に・・・・人間になりたい・・・・。』
「・・・・・・・・ッ!」
『もう・・・陰は嫌だ・・・・人間になりたい・・・・誰かの目に見える・・・存在になりたい・・・・。』
《・・・な・・・なんだこれは・・・・?》
人の声とも獣の声ともつかない奇妙な声が、僕の頭に話しかけてくる。
いや、これは・・・・僕に話しかけているんじゃない。ただ・・・声が漏れているんだ・・・。
『・・・ずっと・・・ずっと昔からいるのに・・・誰も見てくれない・・・。もう・・・陰は・・・クローンは嫌だ・・・・。』
あまりに非現実的な出来事に、頭の中が混乱する。鼓動が跳ね上がり、息が荒くなってサイドブレーキを握る腕に力が入る。
「・・・・サイドブレーキ?・・・・まずい!追突する!」
ミリサはブレーキを踏んでいなかった。僕と同じように混乱した顔をしていて、もはや運転どころではなかった。
目の前にはあの家族連れの車が止まっていて、それはもうすぐ近くにまで迫っていた。
僕は咄嗟にサイドブレーキを上げ、思い切りハンドルを切った。しかし・・・・間に合わなかった。
車の側面が前の車体にぶつかり、隣の車線へ押し出した。そして・・・・前方からやって来た大型バスと衝突して、轟音を響かせて大破した。
僕の車は蛇行して高速道路の壁にぶつかり、なんとか止まってくれた。
その瞬間、ミリサが弾かれたように車から降りた。そしてあの家族連れの元へ走って行く。
「浩太君!」
そう叫んで、道路に倒れる少年を抱きかかえた。
《ミリサ・・・なぜその少年の名前を知っているんだ・・・?》
疑問に思ったが、今はそれどころではなかった。僕もミリサの横に走り、道路に倒れる家族連れを見つめた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
一目見て、あの少年以外は全員死んでいると分かった。
首があらぬほうに曲がりっていたり、頭が割れて大量の血が流れていたり・・・、素人目にも、ハッキリと死んでいると分かる光景だった。
ミリサは少年を抱きかかえ、何度も彼の名前を叫んでいた。
少年はぐったりとして腕を投げ出し、薄く目を開けていた。頭から赤黒い血が流れ、顔の半分を染めている。
しかし・・・・辛うじて生きている。ほんのかすかだが、胸が上下して口元が動いていたからだ。
僕は近くの公衆電話に走り、すぐに救急車を呼んだ。そしてミリサの元へ戻り、膝をついて肩を撫でた。
「もうすぐ救急車が来る。あまりその少年を動かしてはいけない。」
「・・・浩太君・・・。」
ミリサは泣くじゃくっていた。涙を流して鼻を赤くして、顔をくしゃくしゃに歪めていた。
そして・・・胸のポケットから、ヒラリと何かが舞い落ちた。それは、少年がくれたボケの花びらだった。
花びらは少年の頬に落ち、彼の血を吸いこんでさらに赤く染まる。
ミリサはその花びらを摘まみあげ、ギュッと胸に抱きしめた。
やがて救急車がやって来て、少年を病院へと運んでいった。僕たちも軽い怪我を負っていたので、後からやって来たパトカーで病院に連れられた。
残念なことだが・・・やはり少年の家族は死んでいた。病院に運ばれた時点で、すでに息絶えていたのだ。
生き残ったのはあの少年だけで、集中治療室で生死の境をさ迷っていた。
僕とミリサは警察から事情聴取を受け、過失で人を死なせた罪で起訴されることになった。
ただし・・・ミリサは無罪放免だった。精神に障害を抱えていたおかげで、罪に問われることはなかったのだ。
代わりに僕が責任を追及され、施行猶予のついた有罪判決を受けることになった。
検察から解放されて自由が利くようになってから、すぐに少年のいる病院へ行った。
彼は未だに目を覚まさず、最悪は死ぬまでこのままだろうと医者が言っていた。
そして・・・近いうちに、少年の命は終わるだろうとも・・・。
僕は重い石を飲まされたような気分になり、浮かない顔で家に帰った。
しばらく検察に拘束されていたせいで、ミリサを一人ぼっちにさせてしまった。
僕は家に帰るとすぐにミリサを抱きしめ、慰めの言葉をかけてやった。
「ミリサは何も悪くない・・・。悪いのは、ミリサに運転をさせたお父さんなんだ。だから自分を責める必要はないんだよ。」
ミリサはかなり深刻なダメージを受けていた。どんなに慰めの言葉をかけても、表情一つ動かさずに虚ろな目をしていた。
そうなるのも無理はない・・・。ミリサは誰よりも命というものを大切にしていた。それなのに、自分のせいで三人も人を死なせてしまったのだから・・・。
その日から五日間、ミリサは一言も喋らなかった。そして六日目の朝早くに、書置きを残して姿を消した。
『私は許されないことをした。もう・・・生きているのが苦しい。ごめんなさい、お父さん。』
その短い文章は、一瞬にして僕を絶望へ叩き落とした。
「ミリサ・・・・ミリサ!」
書置きを投げ捨て、玄関に向かう。僕は孤独になる恐怖に駆られながら、ミリサを捜しまわった。】

セカンド・コンタクト 第八話 過去を映すシアター(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:33
【春休みに、お父さんが旅行に連れて行ってくれた。いつも仕事が忙しいのに。たくさん休みが取れたんだ。僕は嬉しくなって、車の中でずっとはしゃいでいた。弟とお菓子の取り合いになって喧嘩して、お母さんに怒られちゃったけど、でもずっとはしゃいでたんだ。
今日泊まる旅館が見えて来て、ワクワクした。海のそばにある大きな旅館だった。
ここは魚が美味しいってお父さんが言ってた。旅館の人に案内されて、木の匂いのする部屋に行った。窓から海が見えて、ベランダに出て写真を撮った。
部屋の中には綺麗な花が飾ってあって、僕はお父さんに聞いたんだ。
「これって桜?」
「いいや、これはボケの花だよ。綺麗だろ。」
「ボケっていうの?変な名前、カッチョ悪い。」
僕は弟と一緒に笑った。ボケの花は赤い花びらをしていて、それをむしったらお母さんに怒られた。
もう夕方だったから、ちょっと海を散歩してから晩ごはんを食べた。刺身や魚のから揚げが出てきて、とっても美味しかった。
夜には温泉ではしゃいだ。そうしたら怖いおじさんの頭に桶をぶつけて、大きな声で怒鳴られた。肩に龍の絵が描いてあって、ものすごく怖いおじさんだった。でもお父さんが僕を守ってくれた。ブルブル震えてたけど、大きな背中で僕と弟を守ってくれたんだ。
お風呂から上がると、すぐに眠くなって布団に入った。弟はおねしょをしちゃって、それを誤魔化そうと隣の部屋に隠した。
でも旅館の人に見つかって、お父さんとお母さんにチクられたんだ。だから拳骨を落とされて泣いていた。
朝ごはんを食べてから旅館を出て、近くにある遊園地に行ったんだ。とても小さな遊園地で、あんまり人はいなかった。
お母さんはジェットコースターに乗るのを嫌がってたけど、僕と弟が説得して、一緒に乗ることになった。途中で自動の写真を撮られて、すごく不細工に写ってた。お母さんはプリプリ怒って、「そんな写真いらない!」って拗ねちゃった。
とても楽しい旅行だったけど、今日帰らなきゃいけないんだ。お父さんは明後日から仕事だから、明日は家でゆっくりしたいんだって。
だからお昼の二時くらいに遊園地を出て、家に帰ることになった。
高速道路に行く途中に、すごく綺麗な池が見えた。僕はお父さんに言って、車を停めてもらった。
「ああ、綺麗ねえ。」
お母さんと弟は手をつないで池まで下りた。僕はお父さんに支えられながら、ビクビクして池までの坂道を下りた。
近くで見ると、池は底まで透き通っていた。メダカやザリガニがいるのが見えて、手で捕まえたんだ。そうすると、お父さんが僕の肩を叩いた。
「ほら、あそこにもボケの花があるよ。」
お父さんは池の向こうにある花を指差した。そこにはたくさん花が並んでいて、赤いのやピンク色のがあった。
「どれがボケの花?」
「あの赤いやつだよ。ピンクのやつは桜だ。」
「どう違うの?」
そう尋ねると、お父さんは困っていた。
「花の色が違うんだよ。」
自信のなさそうな顔で言って、花の話はやめてしまった。
僕は池の向こうに咲いてる花を見て、すごく綺麗だなと思った。だから近くまで行って、もっとよく見ようと思ったんだ。
「危ないから池に落ちるなよ。」
お父さんが心配そうに言った。僕は「うん」って頷いて、気をつけながら池の周りを走って行った。
池はとても大きくて、向こうに着くまで時間がかかっちゃった。こんなに大きいなら、これはきっと湖なんだと思った。
ボケの花の近くに着いた時は、しんどくなってハアハア言っていた。
「えっと・・・どれがボケの花だっけ?」
さっきお父さんに教えてもらったのに、すっかり忘れてしまった。
「・・・・このピンクのやつがボケかな?赤いやつが桜だっけ?」
どっちがどっちか分からなくなって、もうどっちでもいいやと思って花に手を伸ばした。
ピンクの花は高い所に咲いていて、手が届かなかった。でも赤いほうは、何とか手が届いたから、花びらを一つだけ千切ったんだ。
クンクン臭いをかぐと、不思議な香りがした。でも嫌いな匂いじゃなかったから、ポケットに入れて持って帰ることにしたんだ。
「お〜い、帰るぞ。」
お父さんが僕を呼んで、ブンブン手を振っている。僕は走って戻ろうとして、つまずいて池に落ちそうになった。
でもその時、近くにいたおじさんが助けてくれた。僕をしっかり掴んで、池の上まで引っ張ってくれたんだ。
「大丈夫かい?」
おじさんはコーヒー臭い息を吐きながら、僕の頭を撫でてくれた。その隣には、すごく綺麗な女の人が立っていた。
優しい顔をしていて、まるで天使のような人だと思った。
「僕、気をつけてね。池に落ちたら溺れちゃうよ。」
女の人は、僕に顔を近づけて頭を撫でてくれた。その時、僕はすごくドキドキした。
きっと・・・これが恋ってやつなんだと思った。ドラマとかで、男の人が女の人を好きになるやつだ。僕は助けてもらったお礼と、そして女に人に好きになってもらいたくて、さっきの赤い花びらを渡した。
「・・・これ、あげる。」
花びらは、ポケットの中で萎れてシナシナになっていた。
「これは何?」
女の人は首を傾けて笑った。僕はドキドキしながら、「桜」と言ってそれを渡した。
「桜・・・?うん、ありがとう。」
女の人はニコリと笑って、また頭を撫でてくれた。僕は恥ずかしくなって、走ってお父さんの所に戻ったんだ。車に乗って、さっきの女の人を振り返った。女の人は、おじさんと仲良く池のそばに座っていた。
そして僕が見ていることに気づいて、笑いながら手を振ってくれたんだ。
僕も手を振り返したかったけど、恥ずかしくなって隠れた。胸はドキドキしていて、これはやっぱり恋なんだと思った。
《将来大人になったら、あんな人と結婚したいな・・・・。》
誰にも言えないドキドキを感じて、お父さんの隣の席で揺られていた。
車は高速道路に乗って、グングン走って行った。途中でサービスエリアに寄って、ご飯を食べた。僕はジュースを買ってもらい、弟はアイスクリームを買ってもらった。
それでまた車に乗って、高速道路を走ったんだ。道はまっすぐ伸びていて、どこまでも平らだった。
お父さんは運転しながら野球のラジオを聴いていて、弟はお母さんと一緒に寝ていた。
僕はなにもやることがなくて、とにかく退屈だった。何度もあくびをして、窓の外を眺めていた。最初はよかったんだけど、だんだん景色を見るのも飽きてきた。だからちょっと悪戯をしてやろうと思ったんだ。
お父さんがラジオのボリュームをいじっている間に、空き缶をブレーキの下に入れたんだ。
バレないようにサッとやったから、お父さんは全然気づいてなかった。
僕はワクワクしながら、知らん顔でお父さんの様子を見ていた。
お父さんは僕の仕掛けた悪戯に気づかずに、どんどんスピード上げていく。車の針は100キロを超えて、グングン速くなっていく。その時、僕は少しだけ怖くなった。
《もしブレーキがきかなかったらどうしよう・・・。》
このままブレーキがきかなかったら、車はどこかにぶつかってしまうかもしれない。けど、悪戯をしたことがバレたら怒られてしまう。
言いたい気持ちと言いたくない気持ちが混ざり合って、僕は黙り込んでしまった。そして寝たフリをしたんだ・・・。
でもやっぱり気になるから、ちょっとだけ目を開けて前を見た。そしたら、前の方にたくさん車が並んでいた。
《・・・渋滞してる・・・ブレーキかけなきゃ・・・。》
僕は心配になり、心臓がバクバクしてきた。それで思いきって、空き缶のことを言おうとしたんだ。
でもその時、お父さんはブレーキを踏んで、首を捻った。そして空き缶が挟まっていることに気づいて、「あれ、落ちたのか?」と言いながらそれを取り除いたんだ。
そのおかげで、ちゃんとブレーキが掛った。車はスピードを落としていって、前の車にぶつからずに済んだ。
《・・・よかった・・・・。》
車が事故を起こすことはなかったし、悪戯がバレて怒られることもなかった。
ホッと一安心して寝たフリをすると、後ろからクラクションの音が聞こえた。ブッブー!と何度も鳴らしていて、すごく嫌な予感がした。
思わず後ろを振り返ると、ワゴン車がすごい速さでこっちに走って来た。
《このままじゃぶつかる・・・・・。》
そう思った時、お父さんが「危ない!」と言ってハンドルを切った。でも・・・・間に合わなかった。
後ろから来た車が、すごい音を立ててぶつかった・・・。
僕の車はボン!といって、前の車を押しながら隣の車線に出てしまった。そして前からやって来た大きなバスと・・・・ぶつかったんだ・・・。
その瞬間、僕の目の前が真っ白になった。一瞬だけバスのナンバープレートが見えて、それから何も見えなくなった。
辺りが真っ暗になって、身体が動かせなくなったんだ。なにか暖かいものが、頭の横に流れているのを感じた。
それはまるで、真っ暗な夜の中に、手足を縛られて放り出されたような感じだった。記憶もぐちゃぐちゃになって、さっきまで何をしていたのかも思いだせなかった。
でも・・・ほんの少しだけ、誰かに呼ばれたことを覚えている。
『・・・浩太君・・・』
それは女の人の声だった。すごく悲しい声で、泣いているように感じた。
そして・・・僕はその声を知っている。それは、あの池にいた女の人の声だった。僕が初恋をして、赤い花びらをあげた、あの女の人の声だった。
その時、僕は思った。
《・・・あの女の人は・・・・やっぱり天使だったんだ・・・。だから・・・僕はいま、きっと天国にいるんだ・・・。》
何が起きたのか分からないけど、良くないことが起きたのは間違いないと思った。
だから、僕は死んで、天国にやって来たんだと思った。あの女の人に連れられて、神様のいる天国に来たんだ。
《天国には・・・お父さんもお母さんもいるかな?健司もいるかな・・・?》
もしみんながいるなら、天国に行ってもいいやと思った。
それに、この女の人が一緒に来てくれるなら、それはとっても嬉しいことだから。
しばらくすると、耳も聞こえなくなった。でもその代わり、真っ白な光が見えて、お父さんとお母さん、それに健司が見えたんだ。
みんな手を繋いで、真っ白な光の方へ歩いて行っていた。僕はついて行こうとしたんだけど、全然追いつかなかった。みんなは僕を置いて、どんどん先に行ってしまう。
《待ってよ!置いていかないで!僕も一緒に行くから!》
僕は一人になるのが怖くて、必死にみんなを追いかけた。でもぜんぜん追いつかなくて、とうとう泣いちゃったんだ。
《嫌だよ!なんで置いていくの?一人ぼっちにしないでよ!お父さん!お母さん!健司!みんな行かないで!》
どんなに叫んでも、みんなは待ってくれなかった。そして真っ白な光の中へ消えちゃったんだ・・・。
《お父さん・・・お母さん・・・健司・・・。》
真っ白な光は消えて、また夜みたいになった。僕は座り込んで、膝を抱えて泣いていた・・・。
その時、ほっぺに何かが当たった。いったいなんだろうと思って見てみると、赤い花びらがくっついていた。
《これって・・・僕があの女の人にあげたやつだ・・・・。》
赤い花びらはシナシナになっていて、色も汚くなってた。でも・・・すごく綺麗に感じた。
僕はその花びらを手でつまんで、じっと見つめた。それで何となく、それを口の中に入れちゃったんだ。
味はしなかったけど、代わりにとても気持ちが落ち着いた。でもそのあと、すごく不思議なことが起こったんだ。
僕の目の前に、僕とおんなじ姿をした子が現れたんだ。その子は僕を見つめて、何かを言いたそうにしていた。でも何も言わずに、背中を向けて走って行っちゃったんだ。それでスーッと暗闇の中に消えていった・・・。
そのすぐあとに、頭の上から光が降ってきた。なにかと思って見上げてみると、暗い世界のなかに、ぽっかり丸い穴が空いていたんだ。
僕はじっとその穴を見つめた。もしかしたら、あそこから外に出られるかもしれないと思って、必死にジャンプして手を伸ばした。
でも全然届かなくて、また悲しくなって泣いちゃったんだ。
光が射す穴の向こうには、あの池のおじさんがいた。それで忙しそうに歩きまわっていた。
いったいなにをしてるんだろうと思って見てると、赤い花びらの桜に話しかけていたんだ。
《あの桜って・・・池のそばに立ってたやつだ・・・。》
それは僕が花びらを千切った、あの桜だった。おじさんは一生懸命桜に話しかけていて、うんうんって頷いてた。
それから大きな瓶を抱えてきて、桜の前に置いたんだ。瓶の中には、透明な茶色い液体みたいなのが入ってた。
《あれはなんだろう?ドロドロしてて、まるでカブトムシの餌みたい・・・・。》
おじさんは桜の花びらをたくさん千切って、それを茶色い液体の中に入れていた。それでまた桜の木に話しかけると、とても不思議なことが起こったんだ。
あのドロドロの茶色い液体が、グネグネ動き出して、僕の形に変わっていった。おじさんはそれを見て、すごく満足そうに笑ってた。
そして・・・・いきなり僕の方を振り向いて、手を伸ばしてきたんだ。光の射す穴はふさがれて、何も見えなくなった。
僕は怖くなって、ギュッと目を瞑ってた。でもまた光が射してきたから、そっと目を開けてみたんだ。
そしたら・・・目の前にあのおじさんがいた。
「おはよう、浩太君。」
おじさんはニコリと笑って、僕の頭を撫でてくれた。そしてこう言ったんだ。
「浩太君、今は辛いことは忘れようね。この薬を飲んだら楽になるから。」
おじさんは赤くて丸い薬を僕に飲ませた。それはまるで、あの桜の花びらみたいな匂いがした。
それから僕はすぐに眠っちゃって、目が覚めた時には病院にいたんだ。そしてお見舞いに来てくれたおじさんが、僕にこう言った。
「浩太君、これからはおじさんと一緒に暮らすんだよ。」
「・・・お父さんとお母さんは?健司はどこ行ったの?」
そう尋ねても、おじさんは何も教えてくれなかった。すごく気まずい顔で、ただ笑っているだけだった。
でも・・・僕は知っていた。お父さんとお母さんと健司は、もうこの世にはいないってことを。それでもって、それは僕が悪戯をしたせいだってことを・・・・。
けど・・・もっと大事なことを忘れてるような気がした。おじさんは僕のことを『浩太君』って呼ぶんだけど、僕ってほんとにそんな名前だったかな?
ていうか、僕っていったい誰なんだろう?これって、記憶喪失ってやつなのかな?
なにかとっても大事なことがあるはずなのに、それを思い出せなかった。
しばらく入院してから、僕はおじさんの家で暮らすようになった。おじさんは広い家に一人で住んでいて、大学の先生をやってるって言ってた。
おじさんの家には、小さなに鉢植えに植わった桜があった。そしてその横には、綺麗な女の人の写真が飾ってあったんだ。
その写真を見たとき、僕の胸はズキリと痛んだ。
《誰だろう・・・この女の人・・・・?どっかで会ったような気がするんだけど・・・・。》
それはとても不思議な感覚だった。初めて見る人だったのに、前に会ったような気がしたからだ。
おじさんにその女の人のことを尋ねると、「それは僕の娘だ」って教えてくれた。
そして・・・自分で自分の命を終わらせたって言ってた。大きな事故を起こして人を死なせてしまい、「私は許されないことをしたから、生きているのが苦しくなった」って死んだらしい。あんまり聞いちゃいけないことなんだって思って、それからはその女の人のことは聞かなくなった。
おじさんは女の人の写真をどこかに隠して、それから一度も口にしなかった。僕も、いつの間にかその女の人のことを忘れていた。
僕はおじさんに育てられて、どんどん大きくなった。新しい学校で友達も出来たし、高校に上がる頃には彼女も出来た。
けど・・・家族を死なせたことは忘れられなかった・・・。だから・・・いつも孤独だった・・・。
誰にも打ち明けられない秘密。永遠に俺を苦しめる辛い過去・・・・。どれだけ時間が経っても、心に焼きついた傷が消えることはなかった。
やがて高校を出て大学に上がった頃、おじさんは亡くなってしまった。以前から心臓に病気を抱えていて、夜に布団に入ったきり、目を覚まさなかった・・・。
俺はたった一人の身内を失い、途方に暮れることになった。いっそのこと自殺でもしようかと、本気で考えたこともあった。
あまりに精神的に辛かったので、おじさんがよく飲んでいた薬を飲むことにした。
それは真っ赤な丸い薬で、花の香りがするのだ。おじさんはこの薬のことをこう言っていた。
『もしどうしようもなく辛くなったら、これを飲みなさい。きっと気持ちが楽になるから。』
俺はタンスの引き出しを開けて赤い薬をつまみ、口の中に放り込んだ。
すると妙なことが起こった。俺の頭がぐにゃぐにゃと揺さぶられて、記憶が曖昧になっていったのだ。そして・・・おじさんの顔を思い出せなくなってしまった。
俺の・・・俺のたった一人の身内だったのに、その顔を忘れてしまったのだ。
《なんてこった・・・おじさんの顔を忘れてしまうなんて・・・。こんな薬は飲まなきゃよかった・・・・。》
今さら後悔しても遅く、その後の人生も孤独に苦しむことになった。
しかし・・・そんな俺に転機が訪れた。仕事場の近くの土手を散歩している時・・・ミサという女に出会ったのだ。
ミサはとても不思議な魅力を持っていて、一目見て好きになってしまった。
ミサの方も俺に興味を持ってくれたようで、次第に仲は深まり、付き合うことになった。
あれは・・・すごく幸せな時間だった・・・。孤独の辛さや、家族を死なせた罪悪感から解放され、ただただミサとの時間を楽しんでいた。
一人ぼっちだった俺に、ようやく光が射した瞬間だった・・・・・。】


            *


一旦映像が途切れ、おじさんが近くに来て肩を叩いた。
「大丈夫かい?」
心配そうに顔を覗き込み、窺うような視線を向けてくる。
「こうして映像で見ると・・・少し辛いな・・・。全部思いだしたから大丈夫だと思ってたんだけど・・・。」
「無理はしなくていいよ。まだ続きがあるから、それまで外の空気を吸って来たらいい。」
「・・・ああ、そうするよ・・・。」
薄暗いシアターホールを後にして、外に出て山の空気を吸った。
蒸し返るような熱気が肌をにじませ、余計に気が滅入ってくる。近くの自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに座ってタバコを吹かした。
「・・・曖昧なもんだ、人の記憶なんて・・・。あの事故は、父がハンドルを切り損ねたせいじゃなかったんだな・・・。」
長い長い時間のせいで、記憶と現実が食い違うというのはよくある。そして間違った記憶を真実と信じ込み、無駄に苦しむ羽目になるのだ。
チリチリとタバコを吹かし、足元に灰が落ちる。それを踏みつぶして、一気に缶コーヒーを呷った。
「あの事故は、俺のせいでも父のせいでもなかったんだ・・・。あれは、あの時追突して来た車のせいだ。そして・・・その車を運転していたのは、あの女だ・・・。だから、俺は悪くない。何も背負う必要なんてなかったんだ・・・。」
自分が犯したと思っていた罪は、実は他人が犯した罪だった。そしてその他人とは・・・・おじさんの娘である。
あの池のほとりで、俺が初めて恋をしたあの女が、おじさんの娘だったのだ。
俺の家族を奪ったのはおじさんの娘、だから俺は何も背負わなくていい。しかし、新たな問題が出てきた。
ミサという女は、俺が描いた幻想の女性である。そしてその元になったのは、おじさんの娘なのだ。
だから・・・俺は家族を殺した女を愛していたことになる。もちろんミサとおじさんの娘は別人だが、しかし無関係というわけではない。
あの時俺がおじさんの娘に恋をしたから、ミサが生まれた。それはつまり、ミサを愛するということは、おじさんの娘を愛するということに他ならない。
俺は・・・今の今まで、家族を殺した女を愛していたのだ。そして彼女を復活させる為、多くの命を奪ってきた。
その事実は俺を悩ませ、ミサを愛する気持ちが揺らぎ始めた。
《このまま・・・このままミサを愛し続けていいのか・・・?家族を殺した張本人なのに・・・・俺は・・・・、》
ミサを愛するか否か?それはミサを取るか、家族を取るかの選択だった。
それは簡単には答えの出せない問題ではあったが、やはり決着はつけねばならない。どちらを取るか・・・自分で選ばなければいけないのだ。
そしてその選択をするには、まだ早すぎる・・・。
なぜなら、あの映像にはまだ続きがあるのだから。きっとあの先に続く映像は、おじさん自身のことだろう。
俺の知らないもう一つの真実。それを知った時、俺は答えを出すことが出来る。
そして・・・ミサを取るか家族を取るかで、俺の未来は大きく変わる。
もしミサを選ぶなら、俺は人間の肉体を得て生きようとするだろう。しかし家族を取るなら・・・ここで終わらせなければならない。
なぜなら・・・俺はただのクローンなのだから・・・。
おじさんの持って来た鉢植えのボケに触れた時、ハッキリと自分が何者であるかを知った。そう・・・あの鉢植えのボケの木こそが、俺の本体なのだ。
そしてあのボケの木は、あの池に生えていたものだ。俺が花びらを千切り、須田の娘に渡したあのボケの木だ。
俺は・・・そのボケの木が生み出した幻影。ただし他のクローンと違い、肉体を持っていた。クローンから大量に樹液を取り出し、それを固めて作った肉体だ。
そして・・・それをやったのはおじさんだ。彼が俺の為に、この肉体を用意したのだ。
俺は覚えている・・・・。美波浩太の意識を受け、彼の姿になった時のことを。そして、おじさんの手によって樹液の肉体に入れられた時のことを。
だから・・・俺は美波浩太ではない。彼とよく似た、まったくの別人なのだ。
しかし彼の意識は受け継いでいる。どういう理由でそうなっているのか分からないが、きっとおじさんの知る真実の中に、その答えが含まれているのだろう。
「俺はただのクローン・・・。ならば、もし家族を取る選択をした場合・・・これ以上生きている理由はない。しかし、その答えを出すにはまだ早い。あの映像の続きを見て、自分の未来を選ばなければいけないんだ・・・。」
タバコを灰皿に押し付け、僅かに残っていたコーヒーを飲み干す。空き缶をゴミ箱に投げ入れ、おじさんの待つシアターに戻った。
「もういいのかい?」
「ああ、早く続きを見せてくれ。でないと・・・俺は未来を選択出来ない。」
「・・・・そうだな・・。じゃあ続きを再生するよ、そこへ座ってくれ。」
おじさんは最前列の椅子に手を向け、機械をいじり出した。
《俺は・・・・本当のことを知りたい・・・。おじさんのこと、彼の娘のこと、そして・・・・あの巨木のこと。それらの全てを知った時、必ず道が見えるはずだ。》
背後から光が投影され、スクリーンに映像が浮かび上がる。
ここから先は俺の知らない真実がある。眉間に皺を寄せ、射抜くようにスクリーンを睨んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
映像は、あの事故より少し前に遡っていた。おじさんと彼の娘が、池のほとりでボケの木を眺めている。どうやらまだ俺は来ていないようだ。
おじさんが娘に向かって話しかける。
「ミリサ・・・。」
ミリサ・・・・それが彼女の名前だった。ミリサはおじさんに振り向き、ボケの花に触れて笑っていた。
彼女の笑顔は、まさにミサの笑顔そのものだった。その表情、その立ち方、その仕草、そしてその声・・・・・。
胸に中に鮮明にミサが蘇り、思わず目を逸らす。しかしすぐに顔を上げ、彼女を見つめた。
ミリサは「お父さん」と言って、ボケの木にもたれかかっていた。そして足元に生えるツクシを抜き、「これ、から揚げに出来る?」と笑っていた。

セカンド・コンタクト 第八話 過去を映すシアター(1) 

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:30
『過去を映すシアター』


淀んだ沼に、蓮の花が咲いている。うだるような日差しの中、俺は須田とならんで蓮の花を見つめていた。
「これが・・・・あの湖の正体・・・・。」
沼のほとりに立ち、深緑に淀んだ水面を掬った。ヘドロが手に纏わりつき、生臭い臭いが鼻を刺激した。
後ろに立つ須田は、ポケットから一枚の写真を取り出して見せつけた。
「昔は綺麗だったんだよ。ほら、これがその時の写真だ。」
須田が見せた写真には、透き通るような美しい池が写っていた。ほとりにはボケの花が立ち、青い空が赤い花びらをひき立てている。
その写真を受け取り、震える瞳で睨んだ。
「・・・そうだよ・・・ここだ・・・。昔・・・ここへ遊びに来たんだ・・・。父と母と・・・そして弟と・・・。」
昔の記憶が蘇り、右腕の傷に鈍い痛みが走る。その痛みは、脳に刺激を与えてあの時をフラッシュバックさせた。
俺が悪戯をしたせいで、父の車が蛇行し・・・・対向車とぶつかって事故を起こした。
家族は死に、俺だけが生き残った。みんなを死に追いやったクセに、俺だけが生き残ってしまった。しかし・・・それは間違いだった。
「美波君・・・・。」
須田が俺の肩を叩き、ポケットから缶コーヒーを取り出した。
「飲むかい?」
「・・・・・・・・・・・。」
「昔は好きだったんだよ。僕のコーヒーをいつもせがんでいたじゃないか。忘れてしまったかい?」
須田は悲しそうな目で俺を見る。
「・・・覚えてるよ・・・。覚えてる・・・・。」
封じていた記憶が蘇り、堪らなくなって背を向けた。
「我慢することはない。泣きたい時は泣けばいいんだよ。」
「・・・・しばらく・・・・一人にしてくれないか・・・・。」
「分かった・・・車で待ってるよ。」
須田は踵を返し、あぜ道を歩いて車へ引き返していった。その背中はとても悲しく、そしてある種の闘志に燃えていた・・・。
俺は写真を握りしめて腰を下ろし、淀んだ沼を見つめた。
「変わるもんなだ・・・人の記憶ってのは・・・・。」
あの大きな湖の正体が、こんなに小さな沼だったなんて・・・・。
「あの頃はまだ子供だったから・・・・きっと大きく見えたんだな・・・。子供と大人じゃ・・・感じ方が違うもんだ・・・。」
子供のころは大きいと思っていたものが、大人になると小さく感じることはよくある。
広いと思っていた幼稚園の運動場は、フットサルすら出来ないほどの狭さだし、食べきれないと思っていたポテトチップスの袋も、今では物足りなく感じる。
大人になった今、子供のころの記憶がいかに曖昧か思い知らされた。
あの魔境の湖も・・・それと同じだった。
テニスコートほどの広さしかないのに、水平線が見えるくらいに大きいと思い込んでいた。その曖昧な記憶が、あの湖を生み出していたのだ。
「まったく・・・人の記憶ってやつはアテにならないな・・・・。でも、この場所から・・・全てが始まったんだ・・・。」
もう一度沼の水を掬い、鼻に近付けて臭いを嗅いでみる。
「・・・臭くて堪らないな・・・。あれから二十年・・・よくもここまで汚れたもんだ・・・。」
手に付いたヘドロを払い落し、近くの草で拭いた。そして沼の向こう側に回り、何もない地面にそっと手を触れた。
「ここに・・・ここにボケの花が生えていたんだな・・・。その一部が、あの鉢植えの木ってわけか・・・。」
須田に渡されたあの鉢植えには、小さなボケの木が植わっていた。それに触れた瞬間、パッと赤い花びらが咲いた。
あの瞬間、止まっていた俺の時間が動き出した。封じていた記憶が蘇り、自分のことをハッキリと知ることが出来た。
「・・・俺は・・・美波浩太ではなかったんだな・・・。彼の意識を反映させた・・・ただの幻影なんだ。」
自分だと思っていたものが、実は自分ではなかった。それは言葉に出来ないほどの衝撃であったが、思うほど俺を苦しめなかった。
自分を知ること、そして真実を知ることで、大きく救われることもあるのだから。
俺は・・・家族を死なせてはいなかった。一生背負わなければならないと思っていた十字架は、実は他人のものだったのだから・・・。
そう思うと、心が晴れやかになった。魔境の湖の空のように、一点の曇りもなく透き通っていた。
「・・・行くか・・・。そろそろ終わらせなければ・・・・この曖昧な記憶の生を・・・。」
ほとりから立ち上がり、あぜ道を歩いて須田の車に向かう。立ち止まって沼を振り向くと、一瞬だけ巨大な湖が見えた。


            *


「着いたぞ。」
須田は山間の道路の脇にある、小さな駐車場に車を停めた。
「ここからは歩きだ。そう遠くないから、五分もすれば着くさ。」
車を降り、寂れた山間の景色を見つめた。
「寂しい場所だろう?」
「ああ・・・人は住んでいるのか?」
「一応ね。ここは三つの市に隣接する街で、それぞれの市が開発に失敗したんだ。さながら現代のゴーストタウンのようだろう?」
「そうだな・・・とても寂しい感じがする。」
俺は駐車場から歩き、山間の道路に出た。遥か遠くまで道が続いていて、大きな建物がポツポツと点在していた。
どの建物も不気味なほど無機質に感じられて、人の気配はまったくなかった。
「ここには色々な施設があってね。巨大な粒子加速器や、大きな展示室とか。あとは喫茶店やスパゲッティ屋もあったな。」
「客が来ないだろう、こんな所じゃ。」
「いや、休日には以外と人が多いんだよ。それに近くに大学もあるから、学生だって利用する。」
「大学があるのか?こんな辺鄙な場所に?」
「ああ、物理ではけっこう有名な大学があるんだよ。大きな粒子加速器もあるから、全国から学者が集まってくる。まあなんというか・・・開発に失敗したゴーストタウンだからこそ、土地は余ってるわけさ。そのおかげで大きな研究施設や建物が造れるわけだ。」
「そうか・・・うまいこと出来てるんだな。」
適当に返事をして、道路を渡って街を見渡した。どこを見ても寂しさしか感じないほどさびれていて、夜になれば不気味さに拍車がかかるだろう。
しかし・・・嫌な感じはしなかった。この独特の寂しさが、胸に心地の良い哀愁を誘ってくるからだ。
「この街の名前を知ってるかい?」
須田がニヤついた顔で尋ねてくる。
「さあ?なにか可笑しな名前でも付いているのか?」
「ここは光の都と書いて、光都と呼ぶのさ。こんなに寂れた場所なのに、なかなかシャレが利いてると思わないか?」
「・・・そうか・・・光都か・・・。うん、いいじゃないか、その名前。」
「そうかい?開発に失敗した街なのに?」
「俺はこの場所が好きになった。ここは寂しい感じがするけど、その中に心地の良い哀愁を感じるんだ。まるで・・・・孤独の中に射す光にように・・・。」
そう言うと、須田は缶コーヒーを握って笑った。
「詩人だね。君は子供のころから感受性が強かったから、芸術家なんか向いているじゃないか?」
「俺にそんなものは似合わないよ。それに・・・俺が求めているのはミサだけだ。その為だけに生きている。」
「そうだったね・・・。」
須田はバツが悪そうに口を噤み、缶コーヒーを呷ってから山の階段を上り始めた。
「こっちだ。この上に・・・君に見せたいものがあるんだ。」
須田は嬉々として山の上を指差す。
「大学から四時間もかけてここまで来たんだ。見る価値があるものなんだろうな?」
「当然さ。君は全てを思い出したから、僕も全てを君に語らないといけない。でも言葉で説明するより、映像で見た方が早いと思ってね。」
「映像・・・?」
「ああ、クローンの意識をDVDに焼いたんだ。それをこれから見てもらう。」
「クローンの意識を・・・DVDに・・・・?そんなことが可能なのか?」
「出来るよ。だって僕は・・・・人とクローンの意識を研究しているんだからね。」
須田は胸を張って言い、踵を返して山の階段を上っていく。その足取りは軽く、初老の体力とは思えなかった。
《・・・須田・・・、いや、おじさん。あなたはいったい・・・何を見せるつもりなんだ?》
かつて俺を引き取って育ててくれた男の背中を見つめ、ゆっくりと階段を上っていった。
「あ、そうそう、美波君。」
「なんだ?」
「DVDを見た後は・・・・最後の仕上げが待ってる。だから一応腹を括っておいてくれ。」
穏やかなではないその言葉に、俺は足を止めて尋ねた。
「・・・おじさん・・。この先に・・・いったい何が待っているんだ?」
おじさんは足を止め、缶コーヒーを呷った。硬いスチールの缶を握りつぶし、脇にあったゴミ箱に投げ捨てる。
「・・・邪魔なものを・・・消さないといけない・・・。」
「邪魔なもの・・・?」
「君が復活する為の儀式が用意してある。もしその儀式に失敗した時・・・・君は消える。」
「・・・なんだと?そんなことは聞いてないぞ。ここへ来れば人間の肉体が手に入ると聞いたからついて来ただけだ。もしまたよからぬことを考えているなら、俺はここで・・・・、」
「待て待て。君が肉体を得て復活する為に、その儀式が必要なんだ。なぜなら・・・復活したいと願っているのは、君だけじゃないんだからね。」
「・・・なんだって?」
顔をしかめて聞き返すが、おじさんはそれ以上答えてくれなかった。顎をしゃくり、ついて来いと促すだけだった。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
《・・・いいさ。そこまで言うなら行ってやる。俺だって、人間の肉体を得て生きたいんだ。そして・・・ミサと再会するんだ。この腕にもう一度彼女を抱きしめ、二人で一つの人生を歩むんだ・・・・。》
山の上には、お椀をひっくり返したような形の建物が三つ並んでいた。
表面は赤茶色に錆びていて、手で触れてみると硬い音がした。
「美波君、こっちだ。」
須田は三つある建物の中央に入り、受付に座っていたスーツの男に話しかけた。
「五十嵐大学の須田です。ちょっとシアターを使わせてもらっていいですか?」
「ああ、はいはい。昨日電話を頂いていたそうですね。別の者から聞いています。」
男は愛想の良い笑いを浮かべ、受付表に記帳を促した。
おじさんが記帳をしている間、俺は建物の中を眺めてみた。
「これは・・・・変わった造りだな・・・。柱が一本もない・・・。」
中はドーム状になっていて、柱が一つも立っていなかった。その代わり、天井から壁に至るまで、いくつもの木が互いを支え合うように組み立てられていた。
近くには木目のドアがあり、どうやら隣り合う建物と繋がっているようだった。その反対側には大きなスペースがあり、、美しい木工細工が並んでいた。
ジロジロと建物の中を観察していると、記帳を終えたおじさんが「行こう」と肩を叩いた。
その手にはリュックから取り出したDVDを持っていて、近くの扉を開けて隣の建物に入った。
俺もその後を追い、中に入る。そして薄暗い建物の中を見渡した。
「ここもドーム状か。それに大きなスクリーンがある。椅子もたくさん並んでるし・・・。」
「ここはシアターさ。」
須田はDVDを振りながら言い、ポケットから薬を出して差し出した。
「これを飲むんだ。」
「薬を・・・?なぜ?」
「誰も来ないようにする為さ。」
「人に見られたらまずいのか?」
「とうぜん。それに・・・こいつを飲まないと意味がない。なぜなら、この建物を作っている木が、君の意識に反応しないからね。」
「この建物が?どういうことだ?」
「この建物はクローンの木を使って建てられているのさ。だからここじゃないと、このDVDは見られない。」
「・・・なんだかよく分からないけど・・・とりあえずそれを飲めばいいんだな。」
須田の手から薬を受け取り、口の中に放り込んだ。辺りは色を失くし、時間が止まる。
「それじゃ・・・上映会のスタートだ。どこでも好きな場所に座ってくれ。」
須田は並べられた椅子に手を向け、スクリーンの横にある機械に近づいていった。そして神妙な顔で機械をいじり、DVDを挿し込んだ。
俺は言われたとおりに椅子に座り、上映を待った。場所は最前列、スクリーンが大きく見える。
機械の操作を終えた須田が、俺に向かって笑いかけてくる。すると後ろから光が射して、スクリーンに映像を映し出した。
俺はやや緊張しながら息を飲み、まっすぐに目を向けて映像を睨んだ。真っ白なスクリーンには、車に乗った家族連れが映し出される。
それは二十年前の・・・あの家族旅行の映像だった・・・。

セカンド・コンタクト 第七話 湖面の魔境(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:27
・・・・波の音が聞こえる・・・・。穏やかで、とても優しい波の音が聞こえる・・・。
それは海の波音とは違い、もっと緩やかで静かな音だった。
「・・・・・・・・・・・・。」
その波音のおかげで、俺は目を覚ました。
「ここは・・・・さっきの湖か?でもこの景色は・・・・・。」
俺が倒れていたのは、あの湖のほとりだった。しかしさっきとは決定的に違うこところがある。
「景色に色がない・・・。これじゃまるで、意識の世界と一緒じゃないか・・・・。」
立ちあがって辺りを見渡し、周りに誰かいないか確認してみる。
「・・・須田はいないな。あいつ・・・また人のことを撃ちやがって・・・、」
次に会ったら、一発くらいぶん殴ってやらないと気がすまない。いくら傷つかないとはいえ、銃で撃たれるのは気持ちのいいものではないのだ。
「しかし須田を捜そうにも、どこを捜していいのか分からないな。それに・・・ここはいったいどこなんだ?」
最初にこの湖に足を踏み入れた時、景色には色があった。ということは、あれは現実に存在するどこかの湖ということだ。
「本当に綺麗な湖だったから、きっと人が足を踏み入れない場所なんだろう。そうでなければ、もっと汚れているはずだ。」
色を失くした湖を見つめ、首を振ってため息をついた。
「色がなきゃただの水たまりだな。美しさも何もあったもんじゃない。」
じっとしていても始まらないので、とりあえず歩き出した。どこへ向かえばいいかなんて分からないので、湖を一周してみることにした。
「ずいぶんと大きいな。こりゃあ湖の周りを探索するだけでも時間がかかりそうだ。」
湖面は遥か遠くまで続いていて、水平線が見えている。その向こうには山々が連なっていて、水墨画のようなシルエットが浮かんでいた。
「なるほど・・・景色によっては白黒も悪くない。」
水を吸って濡れた服を絞り、湖に沿って歩き出す。
「須田はここを魔境だと言っていたな・・・。ということは、どこかに化け物が潜んでいるってことなのか?」
ポケットに手を入れ、薬を握りしめる。しかし花びらの弾丸を撃ち込まれたことを思い出し、思わず舌打ちをした。
「ああ、そうか・・・。今は花びらの力は使えないんだったな・・・。」
試しに薬を飲んでみるが、どう頑張っても花びらは浮かんでこなかった。
「こりゃまずいな・・・。もしこんなところをクローンに襲われたら一たまりもないぞ。」
花びらの力を使えない状態では、クローンにトドメを刺す手段がない。クローンが出てこないことを祈りながら、湖の周囲を歩いていった。
「・・・何もないな。見渡すかぎり平原が続くだけだ・・・。」
足を止め、遥か先まで続く景色を見つめる。
「このまま歩いても、きっと何も変わらない気がする・・・。さっきの場所へ戻ろうか。」
そう呟いて踵を返すと、とつぜん景色が変わっていた。
「なんだ・・・これは・・・?」
さっきまではただの平原だったのに、細い木が何本も立っていた。しかも赤い花びらを付けている。
「これは・・・クローンの木か。まずいな・・・。」
ジリジリと後ろへ下がり、気配を殺して遠ざかっていく。すると足元に何かが触れ、思わず振り返った。
「な、なんで・・・・?」
クローンの木は後ろにも立っていた。穏やかな風に振られ、ヒラヒラと赤い花びらを落としている。
「いきなり現れやがった・・・・どうなってるんだ・・・。」
前後をクローンの木に囲まれ、逃げ場がなかった。もしここで襲いかかって来られたら、それは死を意味する・・・・。
「・・・・まあいいか、ここで死んでも・・・。もうミサはいないんだ。生きている理由なんてないんだし・・・。」
その場に立ちつくし、死を覚悟して力を抜いた。案の定、クローンの木は俺の意識を反映させて形を変えた。
無数に生える全ての木が、過去に戦ったクローンへと変貌していく。
不良少年の彼女、婚約指輪の青年、それにマネキンの少女や、橋の上で会った男までいた。
それらの全てが、俺の意識が生み出した幻影。しかしその幻影は、確かに命を持っている。幻でありながら、幻でない、現実と非現実の間に存在する儚い命だった。
「・・・いいさ、殺すなら殺せ。全ては俺が作った罪だ・・・。」
潔く腹を決め、その場に立ちつくす。しかし・・・・一人の女が前に出てきて、俺の心を揺さぶった。
「ミサ!」
「・・・・・・・・・・。」
思わず叫んで、彼女の前に走った。
「ミサ・・・・また会えるなんて・・・。」
そっと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。その瞬間、どうしようもなく熱い感情が湧きあがってきて、強く抱きしめていた。
「ミサ!会いたかった・・・・会いたかったよ・・・。」
これが本物のミサでないことは分かっている。それでも抱きしめずにはいられなかった。
ミサも俺を抱き返し、胸に顔を埋めてきた。
「・・・浩太・・・・。」
ミサの声・・・ミサの温もり・・・・それが偽物だと分かっていても、涙を止めることは出来なかった。
「もう離さない・・・・ずっと傍にいてくれ・・・・。」
「・・・うん、ずっと一緒にいよう・・・・。」
ミサにそう言われた途端、死ぬのが怖くなった。俺が生を放棄しようとしたのは、ミサを失ったからだ。しかしこうしてまた会えたのなら、死ぬ理由はない。
彼女が傍にいるなら、例えどんな困難があっても生きていたかった。
「そうか・・・須田はこの気持ちを思い出させたかったんだな・・・。ミサを想う、熱い気持ちを・・・・。」
この時、初めて須田に感謝した。あいつを嫌いな気持ちは変わらないが、それでもミサに会わせてくれたことに、心から感謝をしていた。
「ミサ・・・俺・・・ずっとここにいるよ。元の世界に戻っても、お前がいないんじゃ意味がない。だから・・・ここで一緒に暮らそう。」
「・・・ほんと?」
「ほんとうさ。例え偽物でも構わない。お前が傍にいてくれるなら・・・俺はそれだけで満たされるから・・・。」
「浩太・・・・嬉しい・・・。」
俺たちは強く抱きしめ会う。顔を見つめ、唇を重ねてお互いの名前を呼んだ。
《よかった・・・死ななくてよかった・・・・。》
もしあの橋で首を吊っていたら、こうしてミサと会うこともなかった。生きていてよかったと、心からそう思っていた。
しかしその時、誰かが服の裾を引っ張った。
ミサを抱きしめたまま振り返ると、そこにはマネキンの少女がいた。
「殺す?」
首を傾げ、無機質な表情で尋ねてくる。
「・・・いいや、殺さない。俺はもう・・・誰も傷つけない。」
「ウソ・・・ほんとは殺すんでしょ?」
「嘘じゃない。もう俺には戦う理由がないんだ。だから・・・君を殺したりしない、約束するよ。」
そう言って小指を差し出すと、マネキンはクスクスと笑った。
「ほんとうに殺さない?」
「ああ、殺さない。」
「何があっても?」
「ああ、何があってもだ。」
「ふうん・・・じゃあこんなことしても?」
マネキンは服の中から拳銃を取り出し、引き金を引いた。その瞬間、俺の顔に何かが飛び散った。いったい何が起こったのかと見てみると、ミサの頭が吹き飛んでいた。
「・・・ミ・・・ミサ・・・・。ミサあああああああ!」
「ふふふ、大丈夫。その人ならいっぱいいるから安心して。」
マネキンが笑うと、全てのクローンがミサに変わった。
「そ、そんな・・・そんな馬鹿な・・・。」
「ね?嬉しいでしょ?こんなにたくさん彼女がいて。」
マネキンは可笑しそうに笑い、手当たり次第にミサを撃ち殺していった。ミサの頭が吹き飛ぶ、ミサの胸に風穴が空く、そして・・・・その場に崩れ落ちていく・・・。
「やめろおおおおおお!」
「うふふ、何を怒ってるの?まだまだこんなにたくさんいるのに。」
ミサが死んだ分だけ、新しいミサが現れる。マネキンはモグラ叩きのように次々と撃ち殺し、面白そうに笑っていた。
「あははは!それそれ〜!」
「やめろって言ってんだろ!」
俺はマネキンに殴りかかった。彼女の頭がグルリと周り、元の位置に戻って笑っていた。
「効かな〜い!花びらの力がない攻撃なんて全然効かないよ〜!」
マネキンはまた拳銃を取り出し、両手に握ってミサの命を奪っていく。
「やめろ!これ以上ミサを殺すな!」
マネキンから拳銃を一つ奪い取り、目の前に突き付けた。
「あ、やっぱり殺すんだ?」
「当たり前だ!ミサを殺す奴は、俺が殺す!」
「でも殺さないって言ったじゃない。」
「ふざけるな!こんなことをされて黙っていられるか!とっととくたばりやがれ!」
俺の銃が火を噴き、マネキンの頭に穴が空く。
「効かない。」
「この化け物め・・・・。なら死ぬまで撃ってやる!」
リボルバー式の拳銃が、何度も乾いた破裂音を響かせる。とっくに弾装は空になっているはずなのに、弾が切れることはなかった。
少女のマネキンはハチの巣のように穴だらけになるが、それでも笑っていた。
「そんなの効かない。効かないも〜ん!」
マネキンの目から血の涙が溢れ、首がグルグルと回り出す。
「あはははは!殺す?ねえ殺すの?」
弾丸の切れることのない拳銃が、次々にミサの命を奪っていく。止めさせようとして掴みかかった時、右の太ももを撃ち抜かれた。
「があッ・・・・。」
「殺す?殺すんでしょ?私を殺して・・・・クローンだってみんな殺しちゃうんでしょ?」
マネキンは銃を突きつけて血の涙を流す。笑っていた顔が、じょじょに悲しみと怒りの表情に変わっていった。
「お兄さんは悪い人よ。自分は平気で他人を殺すクセに、自分の大切な人が奪われたら怒ってる。そんなの自分勝手だわ。」
「うるさい!ミサは俺にとっての全てなんだ!」
「だから?」
「だからって・・・・お前・・・・。」
「ミサなんて人は、私には関係ないもん。関係ない人が死んだって、私は悲しまない。お兄さんだって、関係ない人が死んだって泣かないでしょ?」
「話を誤魔化すな!俺はミサを殺すなと言ってるんだ!」
「でも私には関係ないもん。だからいくら死んでも悲しくないの、ほら。」
マネキンは銃を撃つ手を止めない。ミサは飛び散り、ただの肉の塊へと変わっていく。
「やめてくれ!頼むからやめてくれよ・・・・頼む・・・・。」
「い〜や。」
マネキンは意地悪そうに舌を出し、ひたすらミサを撃ち殺していく。そして俺の苦しむ姿を見て楽しんでいた。
「あははは!ばっかじゃないの?こんなのただの幻なんだよ?ほら、よく見てごらんよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
マネキンが指差した方を見ると、そこには誰もいなかった。あれだけミサを殺したはずなのに、死体の一つも転がっていない。
彼女の立っていた場所には、ただ細い木が植わっているだけだった。
「ね?あれはクローンだから、ミサなんていうのはただの幻なの。この私だって、お兄さんが作り出してるんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「私が銃を撃つのも、ミサがいっぱい死ぬのも、ぜ〜んぶお兄さんが生み出した幻。だから悲しむ必要なんてないんだよ?なのに・・・・そんなにブルブル震えちゃって・・・・ばっかじゃないの!あはははははは!」
マネキンの首が高速で周り、ボロっと取れて地面に落ちる。
「あはははははは!殺す?ねえ殺すの?あははははははは!」
地面に落ちた顔は、狂ったように笑っていた。血の涙を流し、頭だけになっても回っていた。
俺はパニックになった。何もかもが狂って見え、マネキンに背を向けて逃げ出した。
するとたくさんの細い木がミサに変わり、「浩太!浩太!」と叫んで抱きついてくる。
うじゃうじゃとミサが溢れ、我先にとしがみついてくる。
「やめろ!抱きつくな!」
「嘘つき!一緒にいようって言ったクセに!」
「お前らは偽物だろう!俺が欲しいのは本物のミサだけだ!」
そう叫ぶと、ミサたちは動きを止めた。ゆっくりと俺から離れ、死人のような顔で睨んだ。
「本物のミサなんていないわ・・・・。全ては浩太の生み出した幻。」
「そんなことはない!ミサはいる!ちゃんといるんだ!」
「そうね・・・浩太がそう思うならいるんだわ。ただし・・・・あなたの頭の中だけにね。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「分かってるでしょ?ミサは浩太の作り出した幻だって。だから・・・ここにいるのはみんなミサなのよ。浩太と一緒にいたミサと同じ。全てのミサが、浩太から生み出されたの。」
「ち・・・違う・・・ミサは一人だけだ・・・。」
「そんなことない。あのミサも、このミサも、そして私だって・・・み〜んなミサよ。だから全部愛してよ。ここにいるミサを、全て愛してよ。そうすれば、たくさんのミサがずっと浩太の傍にいるから。一人くらい死んだってへっちゃらよ。こんなにたくさんのミサが、浩太を愛してるんだから。」
ミサは手を広げ、他の大勢のミサを見つめて笑う。
俺はいよいよ正気を保てなくなり、頭を抱えてうずくまった。
「やめてくれ・・・もう・・・やめてくれよ・・・・。」
「なんで?私に会いたかったんでしょ?」
「・・・違う・・・お前らはミサじゃない・・・・。」
「ふふふ・・・まだ言ってるの?ここにいるのは、みんなミサなのよ?正真正銘、本物のミサたちなのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
逃げ出したかった・・・。この場所から、今すぐに逃げ出しかたかった・・・・。
もう正気を保てない・・・。これ以上・・・ミサのバーゲンセールをされるのは御免だ・・・・。
「・・・・いらない・・・俺は・・・ミサの安売りなんか望んでいないぞ・・・。」
ポケットに手を入れ、ありったけの薬を飲み込んだ。四錠か五錠か・・・、いや、もっと多いかもしれない。日に二粒までの限界を遥かに超えた薬が、俺の中で弾ける。身体と心が熱くなり、花びらの力が蠢き出す。
赤い花びらが全身に現れ、やがて身体そのものが赤く染まっていった。
それはまるで・・・俺自身が花びらになったようだった。
「お前らはミサじゃない・・・。あいつは・・・こんなふうに俺を苦しめたりはしない・・・。」
身体だけではなく、瞳も赤く染まっていく。まるで鬼か悪魔が乗りうつったように・・・。
「いいかお前ら・・・それ以上ミサの顔で・・・ミサの声で喋るな・・・・殺すぞ・・・。」
自分でも耳を疑う言葉だった。いくら偽物といえど、ミサに向けてこんなに酷いことを口走るなんて・・・。
「あはははは!やっぱりお兄さんは悪い人だ!恋人でも殺すような・・・・・、ぎゃあああああ!」
「うるさい・・・お前はもう喋るな・・・。」
気がつけば、マネキンの頭を踏みつぶしていた。強力な花びらの力が、一瞬にしてマネキンを絶命させた。
「浩太・・・・。」
ミサたちは恐れおののき、ジリジリと後ろに下がっていく。
「どうしてそんな酷いことをするの・・・?浩太はいつだって優しかったじゃない・・・・。」
「・・・俺だってこんなことはしたくないさ・・・。でも・・・こうさせたのはお前らだろう?」
拳を握り、ミサの方へと詰め寄っていく。彼女たちは恐怖に引きつり、顔を覆って泣き始めた。
「・・・やめて・・・・私に手を出さないで・・・・、」
そう呟いた瞬間、俺の拳がミサを殴り飛ばしていた。
「これ以上ミサの声で喋るなと言っただろう・・・・。」
ミサは倒れ、陽炎のように消えていく。その跡には細い木が立っていた。
「・・・こいつが・・・こんなものが俺を苦しめるのか・・・・。」
細い木を掴み、力任せにへし折った。胸にズキリと傷みが走ったが、気にせずに踏みつぶしていった。
「・・・お前ら全員・・・こうしてやる・・・。ミサの姿で俺を苦しめたこと・・・後悔しろ・・・。」
「や・・・やめて・・・・。」
ミサたちはいっせいに逃げ出した。俺は雄叫びを上げてそれを追いかけ、暴虐の限りを尽くした。
それは口で言うのも憚れるような、目を背けたくなるような光景だった・・・・。
「このクローンどもが!お前らに生きている価値などない!」
ミサを殺し、細い木をへし折っていく。心に湧きあがる怒りは、もはや止めようがなかった。それは感情を焼き尽くし、理性を焼き尽くし・・・・そして俺自身を焼き尽くしていった。赤い身体はさらに熱を帯び、まるで木のように固まり始めた。
《身体が動かしにくい・・・・拳を握りづらい・・・。それでも・・・・全てのミサを仕留めてやる!こいつらは偽物なんだから、生きている価値などないんだ!
俺にとって重要なのは、本物のミサだけだ。一緒にツクシを取り、一緒に山に登った・・・・あのミサだけだ!》
狂った暴力はとどまるところを知らず、目に映る全てのミサを消していく。いったいどれだけ暴れたら気が済むのか、もう自分でも分からなかった・・・。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
どれくらい時間が経っただろう・・・。気がつけば、全てのミサを殺して、細い木をへし追っていた。もう周りには誰もいない。
ミサもマネキンも、みんな土に還ってしまった。
「・・・・終わった・・・もう・・・俺を苦しめる奴はいないんだ・・・。」
ホッとしていた・・・。これ以上ミサを殺さなくて済むと思うと、急に力が抜けてきた。
業火のような怒りも消え、心が湖面のように穏やかになっていく。
しかし・・・・楽にはなれなかった。なぜなら、俺は過ちを犯してしまったからだ。
限界を超えて薬を使ったせいで、思わぬ副作用が襲いかかってきたのだ。
「・・・・なんだ・・・・景色が・・・・・・・。」
灰色の景色が、絵具をかき混ぜたように歪んでいく。そして所々に色が浮き上がり、カラーと白黒が混じった妙な景色に変わっていった。
「これは・・・・どうなってるんだ・・・・。」
その瞬間、頭に痛みが走った。まるで針を刺されて電気を流されたような、とてつもない痛みだった。
「うがああああああ!」
頭を押さえて転げ回り、手足をばたつかせてのたうち回った。
「痛い!死んじまう!」
あまりの強烈な痛みに、思わず死を覚悟した。この痛みがあとしばらく続けば、きっと脳ミソが狂ってしまうだろう・・・。
カラーと白黒のチグハグな景色は、ドロドロと溶けて地面に落ちていく。その向こう側には、白紙のようにまっさらな世界が広がっていた。
《・・・これは・・・景色が溶けているんじゃない・・・俺の意識が溶けているんだ・・・・。》
限界を超えた薬の使用は、その副作用で俺の意識を溶かし始めた。現実の世界でも意識の世界でもない、完全なる無の世界に誘おうとしていた。
《・・・・・嫌だ!消えたくない!俺が俺でなくなってしまう!》
自分が消える・・・・それはえも言われぬ恐怖だった。死ぬことは恐ろしくないのに、意識が無に還されるのは恐ろしかった。
《・・・怖い・・・俺が消えてしまうなんて・・・・そんなのは嫌だ・・・・。》
いつもなら、こういう場面で須田が助けてくれる。手を差し伸べてくれて、俺を救い出してくれるはずだ。
《・・・まて・・。俺はいったい・・・何を考えているんだ・・・・。須田に助けてもらおうだなんて・・・・なんて馬鹿なことを!》
ほんの一瞬でも、そんなことを考えた自分が許せなかった。あいつに助けてもらうくらいなら、このまま消えた方がマシだ!
《・・・・・なんとか・・・なんとかしないと・・・・。自分の力で・・・・ここから這い上がらないと・・・。》
この状況を打開する手段を必死に考える。すると、あることを閃いてポケットに手を突っ込んだ。
《・・・・・・よかった!まだ一つだけ残っていた・・・・。》
ポケットには一つだけ薬が残っていた。それを口に投げ込み、手の平に赤い花びらを浮かび上がらせた。それを強く握りつぶすと、景色は完全に色を失くして固まった。
しかし・・・また溶け始める。俺の意識の崩壊は止まらなかった。
《きっと足りないんだ・・・。もっと・・・もっと薬を・・・・、》
消えかかる意識の中で手を伸ばすと、何かが指先に触れた。
《・・・これは・・・・クローンの木か。・・・・これを・・・これを使えば・・・・。》
状況は絶望的だったが、まったく希望がないわけではなかった。上手くいくかどうかは分からないが、ほんの一筋の希望に賭けてみることにした。
《・・・俺に薬を与えたあの巨木は・・・きっとクローンだ・・・。ならばこの細い木からだって・・・薬が取れるかもしれない・・・。》
手に触れた細い木を手繰り寄せ、僅かな希望を求めて毟っていく。すると・・・・ほんの少しではあるが、樹液が滴った。
《これだ!この樹液が薬を作っているんだ!》
滴る樹液に貪りつき、乳を吸う赤子のように吸いこんだ。
「・・・・・・・・・・・・・。」
足りない・・・。もっと、もっと多くの樹液が必要だ。
残った力を振り絞り、辺りに散らばる木から樹液を貪った。
《・・・・生きたい・・・・・生きていたい・・・・・・。》
なぜ生きようとするのか、自分でも分からない。しかし・・・・生きていたかった。このままここで朽ち果てるのは、死んでも許せなかった。今ならあの男の気持ちが分かる。何がなんでも生に執着した、あの男の気持ちが理解できる。
細い木から吸える樹液は僅かだが、それでも数を集めればそれなりの量になる。
俺は力を取り戻し、再び意識の世界を生み出して、自分が消えるのを食い止めた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
頭痛が治まり、景色も元に戻った。ちぐはぐな色は消え、歪みもしっかりと直っていた。
「・・・よかった・・・・よかった・・・・・。」
胸を撫でおろして、その場に膝をついた。もしかしたら、また薬の副作用がやってくるかもしれないが、とりあえずは消える心配はなさそうだ。
「・・・とんでもない目に遭った・・・・百回は死んだ気分だよ・・・。」
フラフラと立ち上がり、頭を振って意識を保った。頭はまだクラクラしていて、顔でも洗おうと思って湖に足を向けた。
ほとりに膝をつき、水を掬おうと湖面を覗き込む。すると・・・・湖の中に、とんでもない物が映っていた。
「これは・・・・あの巨木じゃないか!」
掬った水を落とし、思わず湖面を覗き込む。
「さっきまではこんなものは無かったぞ・・・。いったいどうなってるんだ?」
湖面の中に、あの巨木がユラユラと揺れていた。じっと目を凝らして見つめていると、ある異変に気がついた。
「これは・・・・違う!氷ノ山の頂上で会った巨木とは別物だ!」
湖の中に映る巨木は、俺が会った巨木よりもはるかに巨大だった。
なぜなら、巨木は雲を突き抜けてそびえていたからだ。連なる山々を見下ろし、天を突くように枝を伸ばしている。
「なんて・・・なんて大きさだ・・・・。」
その圧倒的な迫力に息を飲んでいると、巨木はスッと消えていった。そして・・・代わりに一人の女が映し出された。
「ミサ!」
湖の中に、ユラユラとミサが揺れている。
「これは・・・本物のミサだ・・・。俺と一緒にいた・・・本物のミサだ・・・。」
湖面に手を伸ばし、ミサに触れようとする。しかしその瞬間、また異変に気づいて手を止めた。
「・・・・違う・・・これはミサじゃない。よく似ているけど別人だ・・・。」
湖に映る女性は、ミサではなかった。ミサよりもう少し大人びていて、険しい表情をしていた。そして・・・その面影は誰かに似ていた。
「俺はこの顔立ちを知っているぞ・・・。いったい誰の顔だったっけ・・・・?」
記憶の中を辿り、思い当たる人物を探した。すると、バッチリ当てはまる人物が一人だけいた。
「これは・・・須田だ・・・。須田の面影だ・・・。」
ミサに似ている女は、須田とそっくりの面影をしていた。険しい表情の中に、ほんの少しだけ陰がある。そしてやや垂れ下がった目元もそっくりだった。
「もしかして・・・これは須田の娘なのか?」
須田は言っていた。自分には娘がいたが、自殺してしまったと。ということは・・・やはりこの女は須田の娘なのか?彼女をじって見つめていると、そこに誰かが重なって見えた。須田の娘によく似た人物の顔が、薄く重なって浮かんでいた。
「これは・・・間違いない。こっちの女がミサだ。」
須田の娘に、ミサが幽霊のように重なっている。まるで二人で一つというふうに・・・。
「ほとんど双子だな・・・。ここまで似ているってことは、この二人に何か関係があるのか?」
ミサはクローンが俺の意識を反映させて生み出した女性だ。ならば、俺はどこかで須田の娘に会った可能性がある。記憶の中に残る須田の娘を無意識に思い描いて、それをクローンが反映させたのかもしれない。
じっと目を閉じ、記憶の中に須田の娘を探してみる。すると、ボンヤリと何かが引っ掛かった。
「・・・・なんとなく・・・なんとなくだけど・・・須田の娘に会ったような気がする。でも・・・それはいつだったか・・・?」
ほんの微かに、記憶の中に須田の娘が残っている。しかし靄がかかったようにハッキリとせず、いつどこで会ったかまでは思いだせなかった。
「どこだ?どこで須田の娘と会ったんだ・・・・?俺は確かにこの女と・・・・・、」
そう呟いて顔を上げた時、湖の向こうに一本の木が立っているのを見つけた。赤い花びらをつけ、湖面に花弁を舞い散らしている。
それを見たとき、雷に打たれたような衝撃が走った。
靄のかかった記憶がハッキリとして、いつどこで須田の娘と会ったのか思いだした。
「・・・そうだ・・・あの時だ・・・。俺は・・・あの時、あの場所で須田の娘と会っているんだ・・・。」
それを思い出した時、周りの景色が変わった。湖は消え、段ボールの積み上がった薄暗い部屋に戻っていた。
「ここは・・・あの物置きじゃないか。どうしていきなり・・・・、」
突然の出来事に驚いていると、扉が開いて須田が入って来た。その手には小さな鉢植えを抱えていて、幼い木が植わっていた。
「美波君、無事に戻って来られたようだね。」
「須田・・・・。」
「ここにこうして無事でいるということは、全て思い出したようだね?」
そう言いながら、須田は小さな鉢植えを俺の前に差し出した。
「これに触れてごらん。」
「・・・・・・・・・・・・。」
須田に言われるまでもなく、俺はその木に手を伸ばしていた。すると俺の手が触れた途端に、幼い木は花を咲かせた。
その花は真っ赤な花びらをしていて、クローンの木にそっくりだった。
「この花が咲くということは、君は全てを思い出したんだ。だから・・・僕も君に全てを話そうと思う。」
須田は鉢植えを手渡し、俺の肩を叩いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
俺は受け取った鉢植えを抱え、真っ赤な花びらを見つめた。そして、一言だけ呟いた。
「・・・ボケの花・・・。」
「そう、それはボケの花だ。君が幼い頃、桜と勘違いしていた花だよ。」
須田は膝をつき、俺の目を見つめて手を重ねた。
「美波君・・・僕が・・・僕が本当に生き返らせたいのは・・・君だよ。」
須田は申し訳なさそうに俯き、唇を噛んだ。二人の手が重なった上に、ボケの花びらがヒラリと落ちた。

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