カオスジャーニー 最終話 世界が始まる時
- 2014.06.27 Friday
- 11:01
世界が始まる時
よくここまで辿り着いた。
幾多の試練を乗り越え、幾多の屍を積み上げ、お前は私に手を伸ばした。
旅の果てに己の『意思』を知り、その身に宿したる『闘争』を知った。
お前はようやく触れたのだ。自分の意思、自分の心に。
それは幻の中に浮かぶ真なるもの。『闘争』こそがお前の真実である。
私はその手を掴もう。全ての資格者を退けたお前を迎えよう。
もう迷いはないはずだ。しかしそれは新たな迷いを呼び起こす。
お前はまだ知らないことがある。自らの『意思』を知りながら、それでもなお知らないことがある。
お前の内には世界がない。歴史創始の舞台に立ちながら、己の描く世界がない。
しかし案ずることは無い。
お前の意思は『闘争』である。戦いの中に真実を見出す過酷な『意思』である。
ならば戦いを用意しよう。歴史創始の旅を締めくくるに相応しい戦いを置こう。
お前はその戦いの中で、未だ見えぬものが見えるようになるだろう。
そして未だ知らぬものを知り、己の世界を描くようになるだろう。
『意思』と『世界』。この二つを知った時、どのように道を歩むかはお前の自由である。
新しき世はお前の『意思』、そしてお前の『世界』に委ねられる。
お前はまだ『世界』を持たない。知ることである。そして意志を貫くことである。
永き時を経て、今ふたたび世界は生まれ変わろうとしている。
我は石碑の主として世界を見つめ、我が力を宿す資格者と共に世界を創り上げてきた。
それは今壊される。お前の手によって、終わりを迎えるのだ。
これは喜びである。死は旅立ちの喜びであり、生は孤独の苦行である。
我は還ろう。本来在るべき場所へ。命の連鎖を見つめる、悠久の時の中へ。
そして最後の役目を果たそう。『闘争』を戴くお前に、我が力を以って応えよう。
我と、我が資格者との戦いの中で、お前に『世界』を描かせよう。
これは最後の試練である。お前は持てる全ての力で挑むのだ。
さあ、戦いの鐘を鳴らそう。
我は『黄龍』
悠久の時の中で、生きとし生けるもの全てを見つめる、光り輝く龍神である。
我が力、我が牙を以って、お前の拳に応えよう。
命を懸けて挑むがよい!
*
龍二は大きな円形の床に立っていた。
石碑の中に入ると、眩い光に照らされた道がここへ続いていた。辺りを照らす光は薄くなり、代わりに石碑の中の壁が映し出される。円形の壁は龍二の立つ床をぐるりと囲い、周りには多くのかがり火が灯っていた。そしてかがり火の後ろには大きな穴が空いていて、その中に何かがぼんやりと浮かんでいた。
《龍二よ・・・。》
石碑の主の声が響き、龍二は光が降り注ぐ天井を見上げた。すると目を開けられないほどの眩い光の柱が下りてきて、石碑を揺るがして黄金の龍が現れた。
神々しい光を纏い、威厳と強さに満ちた顔で龍二を見下ろしている。
黄金の龍の巨体に圧倒され、龍二は息を飲んで見つめ返した。
《我が名は黄龍。石碑の主であり、百万年に及ぶ世界の創始者である。
まずは賛辞を送ろう。よくぞここまで辿り着いた。》
黄龍の声は力強さと優しさを備えていた。腹に響くほどの重い声なのに、なぜか心地良さを感じさせた。
《お前は見事石碑に辿り着き、次なる歴史創始の舞台に立った。
しかし『世界』を持たぬお前では、新たな世を生むことは出来ぬであろう。》
黄龍の言葉は龍二の胸を揺らした。
メリッサとの再会で『闘争』という自分の意思を知り、彼女との戦いの中で自分の『世界』が持てるようになると考えていた。
しかしまだ『世界』は無い。自分の胸には何も描けない。
その心を見透かしたように、誰かが声を掛けてきた。
《足りないのさ、戦いがね。だから黄龍と私がお相手をするのだ。
君に自分の『世界』を描かせる為に・・・・・。》
それは張りのある涼やかな男の声だった。龍二は辺りを見回して声の主を探した。
すると黄龍の巨体の下に黒い影が現れ、蛇のように伸びながら人の姿に変わっていった。
「ようこそ石碑へ。私の名はオベロン。妖精の王だ。」
「妖精王オベロン・・・。」
オベロンは精悍な顔つきをした迫力のある男だった。
美男子ではあるが強い戦士の目をしていて、それはあのクリムトにそっくりの目だった。
流れるような銀色の髪に、煌めく蒼い鎧を纏っている。
そして腰には細身の長剣を携えていた。
特徴的な長い耳を小さく動かし、透き通る美しい羽を羽ばたかせて会釈を寄こしてきた。
「ここまで来ればもう言葉はいらないだろう。私は妖精王オベロン。自然の民を束ねる者なり。さあ、君の全てをぶつけてくるがいい!」
オベロンは剣を抜いて構える。龍二は拳を見つめ、これが最後の戦いになると感じた。
そして、それは新たな戦いの始まりであると思った。
拳を構え、スサノオの力を解放してオベロンに向かい合う。
「俺は円龍二だ。迷いながら戦い、ここまでやって来た。
自分の『世界』を知る為、全力でお前に挑む!」
オベロンはニコリと頷き、黄龍に向けて剣をかざした。
「ゆくぞ黄龍ッ!」
石碑の中に黄龍の雄叫びが響き渡る。
周りのかがり火は猛々しく燃え上がり、その後ろにある大きな穴に神々の姿が現れた。
ヴィローシャナ、フェンリル、アフラ・マスダ、シヴァ、ゼウス、そして燭龍。
他にも見たことのない神々がいて、皆が最後の戦いを見守っていた。
龍二は拳を光らせ、持てる力の全てを解放した。
金属はより硬くなり、身体じゅうに大きな力が蠢きだす。
「これは終わりじゃない、始まりだ。いくぞオベロン!」
床を蹴って駆け出し、一気に間合いを詰めて行く。
疾風より速い動きでオベロンの前に迫り、両手を向けて『天叢雲剣』を放った。
強烈な振動がオベロンに襲いかかるが、彼はビクともしなかった。
「心地のいいそよ風だ。そんな力では私の鎧を貫けない。」
余裕の笑みで剣を構え、見えないほどの速さで突いてくる。
「ぐあッ・・・。」
オベロンの剣はあっさりと龍二の右の肩を貫き、風を放って彼を吹き飛ばした。
「まだまだ、こんなもので倒れてはいけないよ!」
オベロンの動きは龍二より遥かに速かった。
見えない突きが襲いかかり、龍二は両腕をクロスさせて身を守った。
「スサノオ!もっと力を!もっと身体を硬くッ!」
胸の紋章は強く輝き、金属の身体は黒い石に変化していく。
極限まで硬くなった龍二の身体は、オベロンの剣を弾いて身を守ってくれた。
「ふうむ、ずいぶん頑丈だな。しかしそのままでは戦えないだろう?」
オベロンの言葉は当たっていた。龍二は防御の体勢のまま動くことが出来ない。
黒い石の身体は頑丈だが、それは攻撃を捨てた守りの力だった。
「その目は何か考えているね。どんな策か楽しませてもらおう!」
オベロンは「炎!」と叫んで剣を振り上げる。
すると黄龍の口から炎が吹き出され、オベロンの剣に宿った。
「これは龍神の炎だ。どんなものでも焼き切る魔法の剣さ。
じっとしているとそのまま真っ二つだぞ!」
オベロンは剣を大上段に構える。それは灼熱の火柱となって石碑の上まで伸びていった。
《こんなものをまともに喰らったらおしまいだ。でも俺にだって武器はある。
強力な武器が二つ。それを合わせれば・・・・・。》
龍二は石化を解き、足を踏ん張って両手を広げた。
「私の剣を受け入れるつもりか?なら痕かたも無く焼き尽くしてくれよう!」
オベロンは龍二の頭にめがけて剣を振り下ろした。
灼熱の火柱がうねり、龍二に襲いかかって来る。
「パワー勝負なら負けない!お前こそスサノオの力に耐えてみろッ!」
左手には『七支刀』、右手には『天叢雲』、それぞれの力が胸の紋章に集まり、青く輝き出す。そして集まった二つの力が混ざり合って解放された。
青く光る紋章から凄まじい光が放たれ、一瞬にして火柱とオベロンを飲み込んでいく。
「このまま消え去れッ!」
龍二は力を込めて紋章の光をより強力に輝かせていく。
火柱は掻き消され、オベロンは黄龍の下に吹き飛ばされていった。
青い光を放ったあと、龍二はがっくりと膝をついた。
彼が放ったのは、スサノオの最後の武器『草薙の剣』であった。
それは『天叢雲剣』さえ上回る最強の神器であったが、その力を使った代償は大きかった。
彼の中の力はほとんど失われ、立ち上がるのさえ一苦労するほど疲弊していた。
それでもなんとか足を踏ん張り、拳を構えてオベロンを睨んだ。
《あいつはまだ死んでいない。何か大きな力を隠している・・・・・。》
オベロンは黄龍の下で倒れたまま笑っていた。煌めく蒼い鎧は粉々に砕かれ、自慢の剣にはヒビが入っていた。しかしそのことが逆に嬉しかった。百万年もの間石碑の中に閉じ込められ、これほどの刺激を感じることはなかった。
「いいねえ。私の鎧を砕くなんて最高じゃないか。前の歴史創始の時に君のような男がいれば、もっと楽しめただろうに・・・・・。」
そう呟いて身を起こし、握っていた剣をポイと捨てた。
そしてよっこらしょっという感じで立ち上がり、汚れを払ってにこやかに笑った。
「力で勝負しても分が悪いか。ならば・・・・、」
オベロンは黄龍を見上げた。
「黄龍よ、あれをやってくれ。」
黄龍は再び雄叫びを上げ、神々しい光を放ってオベロンを包んだ。
その光は黄龍の持つ『命の連鎖』を担う力だった。
オベロンは見る見るうちに幼く退化していき、やがて胎児となって消えてしまった。
「な、なんだ・・・。いなくなっちまったぞ・・・・・。」
龍二は困惑しながら黄龍の光を見ていた。
すると胎児となって消えたはずのオベロンが、まったく別の姿になって現れた。
それは花だった。全身にイバラを巻いた、薄く透き通る紫色の大きな花だった。
《この花はかつて私が戦った相手だ。そして勝利を収め、私の糧となった。
黄龍の光は、己の糧としたものに姿を変えることが出来る。さあ、いくぞ。》
オベロンは花粉をまき散らし、黄龍はそれに向かって息を吐いた。すると花粉はたちまち小さな妖精に変わり、龍二の頭上に舞い上がって歌を歌い始めた。
「なんだこいつらは・・・。なんで歌なんか・・・・・。」
歌は石碑の中に響き渡り、龍二は眠気を感じて膝をついた。
《これは子守唄さ。眠ったら最後、君は死ぬ。なぜなら・・・・・、》
無数の妖精達は龍二の身体に纏わりつき、クスクス笑いながら彼を食べていく。
「うおおお!離れろッ!」
『天叢雲剣』を放って纏わりつく妖精を消し飛ばしたが、頭上に舞う妖精達は次々に襲いかかってくる。龍二は何度も技を放って妖精を倒していくが、オベロンはまた花粉をまき散らし、それを黄龍が妖精に変えていく。
そして妖精の歌声が強烈な眠気を誘い、視界がぼやけて意識が薄れていく。
《だ、駄目だ・・・。このまま眠っては・・・・。》
妖精は龍二の姿が見えなくなるくらい群がり、飢えた犬のように彼の身体を貪っていく。
しかし龍二は痛みを感じない。妖精の歌声が神経を麻痺させ、眠気だけを感じさせていた。
《さあ、どうにかしないと妖精達に食べ尽くされてしまうよ。》
オベロンはまた花粉をばら撒き、黄龍が息を吹きかけて妖精に変えていく。
龍二は必死に応戦するが、いくら倒してもキリがなかった。
《黄龍よ、もう一度『命の連鎖』を。》
オベロンは神々しい光を受けて元の姿に戻る。そして指を鳴らして数匹の妖精を集めた。
「私は知っているよ。君はこういう逆境の中でこそ力を発揮する。
なぜなら戦いの中に真実を見出すのだからね。だからここらで幕を降ろそうと思う。
さあ、妖精達よ。私の武器になれ。彼を貫く弓矢となれ。」
集まった数匹の妖精は、小さく歌って灰色の弓と黒い矢に姿を変えた。
「これで撃たれた者は矢の中に吸い込まれ、私の糧となる。
さあ、君の魂を私のものとしよう。」
オベロンは矢を構え、妖精が群がる龍二に狙いを定めた。
「何も出来なければこれで終わりだ。さあいくぞ!」
オベロンは番えた矢を放った。
黒い矢は群がる妖精の隙間をぬい、硬い音を響かせて龍二の胸に当たった。
しかし当たった矢はポトリと床に落ち、矢の先端は潰れたようにへこんでいた。
「これは・・・・・。」
オベロンは指を鳴らして妖精達を退かせた。
龍二は腕をクロスさせ、再び黒い石の身体になって身を守っていた。
「ほう、上手い具合に防いだな。しかしそのままでは戦えまい。守りだけでは勝てないのだぞ。」
オベロンは弓を剣に変化させ、指を鳴らして全ての妖精を集めた。
「ちまちま戦っても仕方がない。これは最後の戦いだからね。
それを締めくくるに相応しい戦いにしよう。私は最大の奥義で君を討つ。
君が真の資格者なら、きっと生き残れるはずだ。もしそうでなければ・・・ここで死ぬ。」
集まった妖精達が剣に吸い込まれ、七色に輝く光の刃が現れる。
オベロンはその刃を握り、頭上に向かって高く振り上げた。
「黄龍よ、これが最後だ!この剣に君の力を!」
神々しい光がさらに輝きを増し、黄龍は大きく口を開けて咆哮した。
空気がビリビリと揺れ、床は地震のようにぐらつく。
黄龍は石碑の天井まで高く舞い上がり、オベロンの剣に向かって稲妻のように落ちていく。
七色の刃と黄龍は激しい雷鳴を轟かせてぶつかり、黄金に輝く長い剣に変わっていた。
「これは妖精の力と黄龍の力が合わさった、最強の魔法の剣さ。
これが私の切り札だ。君がどんなに丈夫でも、一瞬で塵に還すことが出来る。
君が生き残る方法はただ一つ。この剣で斬られる前に、私を倒すことだ。」
龍二は石化を解いて拳を構えた。
オベロンの言葉に嘘はない。あの剣は、今まで出会ったどの資格者の力よりも上だった。
フェンリルの牙より、クリムトの雷霆より、そしてスサノオの『草薙の剣』より・・・。
これまでのように力で押し切れる相手ではなかった。
《どうしてこれほどの力を?オベロンと俺の差は、いったいどこにある・・・・?》
パワーだけならスサノオの方が上のはずだと思った。並はずれた頑強さとパワー。これこそがスサノオの力だった。黄龍はとても不思議な技を使う分、力ではスサノオに引けを取るはずである。決して非力ではないが、スサノオと同等のパワーの持ち主とは思えない。
《俺には不思議な技は使えない。あくまで力で敵を破壊する技だけだ。
しかしあの剣とまともにぶつかったら、確実に負ける。
だからといってあの剣を防ぐ方法は・・・・思いつかない・・・。》
防ぐことは不可能。『草薙の剣』で迎撃しても、おそらくあの剣には勝てない。
もし仮に上手くかわしたとしても、スピードはオベロンの方が上。
すぐに追い詰められて斬られるだけだろう。ならばどうするか・・・・・・。
オベロンは剣を構えて龍二に向けた。もう考えている時間はない。
「さあ、これが最後の攻撃だ。生き残ってみせろ!」
背中の羽を羽ばたかせ、オベロンは一直線に向かってきた。
《速いッ!逃げられない!でも迎え撃つことも出来ない!どうしたら・・・。》
一気に間合いを詰められ、オベロンの剣が振り下ろされる。
黄金の刃が目の前に迫り、龍二は『死』を覚悟した。
その時、全ての色が消えて、剣の動きがスローモーションに見えた。
頭の中に光が弾け、走馬灯のように宿敵達の顔が浮かんだ。
ハルバティ、アンネ、鳴上、そして・・・・、
《生きろよ、龍二。死んだらダメだ。》
クリムトの顔が浮かび、彼が最後に言った言葉が蘇る。
《あなたは本当に強くなった。最後まで戦ってね。》
メリッサの笑う顔が浮かび、彼女の明るい声が蘇る。
しかしまだ走馬灯は続く。最後に浮かんだ顔は・・・・、自分だった。
《戦え。》
走馬灯の中に浮かぶ自分は、一言だけそう言った。
戦い。それは自分の『意思』。そして『闘争』こそが自分の真実。
しかしまだ足りない。走馬灯の中の自分は、まだ納得していない。
『意思』の他に必要なもの。それは・・・・、
その答えに気づいた時、龍二はオベロンの剣を素手で受け止めていた。
いや、正確には龍二とスサノオが受け止めていた。彼の後ろには、白い布服を纏った逞しい肉体の神が立っていた。
黄龍より一回り大きく、岩石のような拳で『天叢雲剣』を握っている。
その顔は猛獣のように猛々しく、鋭い眼光は見ただけで震えあがるほどの迫力があった。
長い黒髪を乱し、『天叢雲剣』で龍二と共にオベロンの剣を受け止めていた。
《儂の力を身に宿したわっぱよ。ようやく出て来られたわ。》
スサノオは満足そうに笑い、剣を振り上げてオベロンを弾き飛ばした。
あまりの勢いにオベロンは壁に叩きつけられ、黄金の剣を握ったまま床に倒れ込んだ。
「スサノオ・・・。俺の外に出て来たのか・・・。」
龍二は巨大なスサノオを見上げ、畏れを抱いて生唾を飲んだ。こんな神が自分の中に宿っていたのかと思うと、喜びとも恐れともつかない感情が湧き上がった。
《身に宿る神を怖がる馬鹿があるか。儂は待っていたぞ。
お前が『意思』と『世界』を持つ時を。それは今ようやく訪れた。
戦いの中で見出したお前の『世界』。その口で儂に言うてみよ。》
スサノオはおっかない目を向けて龍二を睨みつける。
しかし龍二は動じない。スサノオの問う自分の『世界』を、今ようやく知ったからだ。
龍二は胸を張ってスサノオを見上げた。そして何の迷いもない目で答えた。
「戦いの中で俺の描いた『世界』。それは『混沌』だ。」
《ではなぜ『混沌』を描いたか?》
その声は黄龍とは違った意味で重く、思わず背筋が伸びるほどの威厳があった。
龍二は軍にいた時のようにシャンと背を伸ばし、大きく息を吸って答えた。
「俺はここに来るまでの戦いで、多くの命を絶ち、多くの『意思』を潰してきた。
その中には俺を助けてくれた者や、俺を愛してくれた者もいた。
でも・・・俺は戦ってきた。そしてここに立っている。
今、俺の立つこの場所では何も決まってない。何も無いんだ。
オベロンの剣で『死』を覚悟したが、それは初めてのことじゃない。
今までに何度も『死』を突きつけられた。それを乗り越える為に、ひたすら戦った。
死にたくなかったからだ。生きたかったからじゃない。
だから『死』の向こう側には、何も無いんじゃないかと思った。
その何も無い先を決めるのは自分だ。善も悪も無い。光も闇も、幸も不幸もない。
未だに何も決まらないまま『混沌』があるだけだ。
俺は・・・・・創りたい。そういう『混沌』の中でこそ、自分の世界を・・・。
何も無いなら・・・何かを頼ることも出来ない。何かを成すのは自分だけだ。
だから、俺は『混沌』の世界を描いた。その中を生き、その中でこそ世界を創りたい。」
スサノオは黙って聞いていた。
龍二の言葉を吟味し、その言葉の向こうにある彼の『世界』を感じる為に。
そして、龍二の言葉はスサノオを満足させるものだった。
『何かを頼らない』『自分で成す』
勇ましい武神は、彼の見出した『世界』に大きく頷いた。
《それでこそ『闘争』の意思を宿す者よ。ならば最後の仕上げをせいッ!》
スサノオは剣を持ち上げ、倒れるオベロンを指した。
《ここより先、神は立ち入らず。お前とあの者との戦いだ。
見事その拳で討ち取り、お前の『世界』を拓いてみせい。》
オベロンは立ち上がった。黄金の剣は消えていて、黄龍は彼の上に浮かんでいる。
傷ついたオベロンはふらふらと歩いて、投げ捨てた自分の剣を握った。
そして龍二に向けて剣を構え、羽を動かして浮き上がる。
「見事だ・・・。君を真の資格者と認めよう。しかしここから先は、私と君の一騎打ちだ。神は頼れない、お互いの力だけで決着をつけよう。」
「望むところだ。」
龍二は拳を構え、オベロンに向かって駆け出した。
今の彼にスサノオの力は宿っていない。しかしそれはオベロンも同じだった。
スサノオと黄龍はただ見ているだけ。戦うのは龍二とオベロン。
世界を拓こうとする者と、世界を創ってきた者。
二人の拳と剣がぶつかろうとしていた。
龍二は素早く駆けてオベロンの懐に入り、右の拳を打ち出した。
しかしオベロンは高く舞い上がってそれをかわし、剣を向けて飛びかかってくる。
妖精王の剣が龍二の心臓を狙う。しかし龍二は逃げることなくその剣に向かっていった。
両者の拳と剣が交錯し、鮮血が飛び散って床に赤い点を作っていく。
オベロンの剣は龍二の拳を斬り落としていた。石碑の床に彼の右拳が転がっていく。
オベロンは刃を返して龍二の胸を斬りつける。皮膚を切り裂き、肉に食い込んで骨を断つ。
しかしオベロンの剣は止まった。
彼の剣が心臓を切り裂く前に、龍二の拳が顎にめり込んでいた。
硬い音を響かせ、オベロンの顎を砕いていた。
妖精王は剣を落とし、血を吐きながらゆっくりと後ろに倒れていく。
百万年の間世界を創ってきた者は、大の字で床に沈んだ。オベロンは立ち上がることが出来ず、薄く目を開けて、ぼやける視界で天井を見上げているだけだった。
龍二は勝った。かつて歴史創始の戦いを制した者を、この拳で沈めた。
胸は深く切り裂かれているが、心臓は無事だった。しかし血は溢れてくる。
手で押さえても濁流のように溢れ、意識が遠のいてその場に崩れた。
《勝った・・・。でも、このまま俺は死ぬのか・・・・・。》
身体から力が抜けていく。胸から暖かい血が溢れ、視界が黒く霞んでいく。
しかし誰かが自分の胸に触れるのを感じ、霞む視界を向けてみるとオベロンが笑っていた。
「お見事。人の身でよく私を倒したものだ。」
オベロンは手から暖かい力を発し、龍二の傷を塞いでいく。
そして二人の戦いを見守っていた黄龍も、小さく口を開いて輝く息を吹きかけた。
龍二はたちまち力を取り戻し、オベロンは手を引っ張って彼を立たせた。
「もう私の役目は終わった。次なる世界は君に任せよう。」
オベロンは黄龍を見上げ、戦いに満足して頷いた。
黄龍は長い髭を揺らして龍二を見つめ、神々しい光を消して高く舞い上がる。
石碑の中の光は失われ、かがり火だけが灯りをともしていた。
《龍二よ、お前はよく戦った。しかしこれで終わりではない。
ここより『混沌』の世は啓かれ、新たな戦いの道が始まるだろう。
自分の『意思』を見失わず、自分の描いた『世界』をその足で歩いていくがいい。
私は悠久の時の中で、その姿を見守ろう・・・・・。》
黄龍は再び神々しい光を放ち、咆哮を響かせて消えた。
そして石碑にはかがり火の灯りだけが残り、気がつけばオベロンの姿も消えていた。
《龍二、私は生まれ変わる。百万年の時を経て、新たな命に旅立つのだ。
もしまた会うことがあったら、その時は再び剣を交えよう。ではまた・・・・・。》
どこからともなくオベロンの声が響き、彼の気は完全に消え去った。
丸い穴から龍二の戦いを眺めていた神々の姿も消え去り、かがり火の光も失われて、石碑の中は完全な闇に包まれた。
《わっぱ、・・・いや、龍二よ。》
真っ暗な闇の中に、スサノオの姿だけがクッキリと浮かび上がる。
龍二は振り返り、我が身に宿っていた神を見上げた。
スサノオは剣を向け、強い口調で彼に問いかけた。
《ここより新たな世が始まる。しかしその前に褒美を授けねばならん。
お前はその心の内に、復活を望む魂がいるか?》
資格者にはご褒美がある。クリムトはそう言っていた。
それは自分にとって最も愛しい者を、一人だけ生き返らせることが出来るというもの。
家族でも恋人でも、なんなら飼い犬でもいい。
そして・・・自分自身でも・・・・。
龍二は迷うことなく答えた。
「俺を生き返らせてくれ。」
《そうか。お前は己の創り出した『混沌』の世に生きようというのだな。》
「ああ、まだまだ知りたいこと、そして分からないことは山ほどある。
しかし『混沌』の世界を生きることで、それを掴めるかもしれない・・・。」
スサノオは大きく頷き、『天叢雲剣』を振り上げた。
剣は赤く光り、石碑の中の闇を照らす。龍二はその光を受けて顔を上げた。
《よかろう。儂は石碑の主として、『混沌』の世を創ろう。
しかし儂は甘くない。お前の想像以上に過酷な世となるかもしれんぞ。》
スサノオの眼光は威圧的に光を増す。しかし龍二は躊躇うことなく頷いた。
「構わない。俺の意思は『闘争』だ。きっと生き抜いてみせる。」
《ならばゆくがいい!儂はここより、お前の生き様を見守ろう!存分に戦ってこい!》
スサノオは剣を振り下ろして龍二を斬りつけた。
赤い光が走り、龍二は二つに割れて光の粒子に変わっていく。
そして暗い石碑の中を昇っていき、一瞬輝いてから闇に消えていった。
《ここより新たな世が始まる。石碑の主として、儂はぞんぶんに働こう。
いつか終わり迎え、次なる資格者が現れるまで・・・・・》
スサノオは膝を立てて床に座り込み、剣を振り上げて赤い光を灯した。
石碑から眩い光が放たれ、まさに世界は生まれ変わりの時を迎えた。
古き世界は死に、新たな世界が産声を上げる。
全てのものは壊され、そして別のかたちとなって生まれていく。
それは龍二の描いた『混沌』の世界。
何も決まっておらず、全てのものが等しく同じ位置に立っている。
人も、精霊も、妖精や動物も。そして命を持たないものも。
ここから新たな世界が創られていく。煮えたぎる原始の世界から、いつか形を成す為に。
生まれ変わりの瞬間は、石碑の光が放たれると共に始まり、光が消えると共に終わった。
今まさに次の百万年後に向かい、終わりの始まりを迎えた。
役目を終えた石碑は黄色く霞む空の中に消えていく。
またいつか、新たな『意思』を持った資格者が集うその時まで・・・・。
旅のはじまり
見慣れたものは全て消えていた。知っている者も誰もいない。
吹きさらしの大地の上に立ち、一人空を見上げて拳を握った。
青い空が広がっている。そこにはもう石碑はない。
自分は戻ってきた。一人の人間、円龍二として。
もうこの身に神の力は宿っていない。頼れるのは己のみ。
それは自分で選んだ道、そして自分で選んだ世界。
一人だった。家族も仲間も、友や恋人もいない。
しかしまったく寂しさはなかった。なぜなら、戦いの中で真実に気づいたのだから。
この何も決まっていない『混沌』の世界を歩いていけば、いつか出会える。
クリムトのような強い者に。そしてメリッサのような愛しい者に。
その時、またその者達と戦うことになるのかもしれない。
しかし、それならそれでいい。それこそが自分の描いた『世界』。
戦いの為の戦いではない。知る為、進む為の戦いである。
何もない大地を歩き出していくと、遠くの方に大きな樹が立っているのが見えた。
吹く風に枝を揺らし、葉を散らしているのが分かる。根元には人影のようなものがあった。
《とりあえずあそこまで行ってみよう。誰かがいるかもしれない。》
黙々と歩いていると、戦いの記憶が蘇った。
どの相手にも苦戦した。しかしどの戦いも無駄には感じなかった。
戦いを通して知った全てのことが、自分の糧になっている。
生きていける。まだまだ戦える。そして、きっと未だに知らないものに出会える。
それは言いようの無い喜びだった。至福といっていいくらいの喜びだった。
立ち止まって後ろを振り返ると、点々と足跡が残っていた。
歩いた距離はとても短い。しかし、いつかあの歩き出した場所が見えなくなるくらい遠くまで歩かなければ。そうでなければ、この世界に生き返った意味がない。
何も決まっていないこの世界で、意味を持たせるのは自分。
戦うしかない。この拳で戦い、この手で新たなものを掴むまで。
もう一度あの大きな樹を見上げ、再び歩き出した。やはり樹の下には誰かが立っている。
足元に小さな影が動き、空を見上げると、鳥に乗った風の精霊がこちらを見下ろしていた。
どうやらむこうもあの樹に向かっているらしい。
風の精霊は二コリと笑みを向け、鳥の背中に乗って飛んでいく。
戦いの予感がした。あの樹に辿り着けば、また大きな戦いの道が始まる。
飛びゆく精霊を目で追いながら、生まれたばかりの世界を歩いていった。
よくここまで辿り着いた。
幾多の試練を乗り越え、幾多の屍を積み上げ、お前は私に手を伸ばした。
旅の果てに己の『意思』を知り、その身に宿したる『闘争』を知った。
お前はようやく触れたのだ。自分の意思、自分の心に。
それは幻の中に浮かぶ真なるもの。『闘争』こそがお前の真実である。
私はその手を掴もう。全ての資格者を退けたお前を迎えよう。
もう迷いはないはずだ。しかしそれは新たな迷いを呼び起こす。
お前はまだ知らないことがある。自らの『意思』を知りながら、それでもなお知らないことがある。
お前の内には世界がない。歴史創始の舞台に立ちながら、己の描く世界がない。
しかし案ずることは無い。
お前の意思は『闘争』である。戦いの中に真実を見出す過酷な『意思』である。
ならば戦いを用意しよう。歴史創始の旅を締めくくるに相応しい戦いを置こう。
お前はその戦いの中で、未だ見えぬものが見えるようになるだろう。
そして未だ知らぬものを知り、己の世界を描くようになるだろう。
『意思』と『世界』。この二つを知った時、どのように道を歩むかはお前の自由である。
新しき世はお前の『意思』、そしてお前の『世界』に委ねられる。
お前はまだ『世界』を持たない。知ることである。そして意志を貫くことである。
永き時を経て、今ふたたび世界は生まれ変わろうとしている。
我は石碑の主として世界を見つめ、我が力を宿す資格者と共に世界を創り上げてきた。
それは今壊される。お前の手によって、終わりを迎えるのだ。
これは喜びである。死は旅立ちの喜びであり、生は孤独の苦行である。
我は還ろう。本来在るべき場所へ。命の連鎖を見つめる、悠久の時の中へ。
そして最後の役目を果たそう。『闘争』を戴くお前に、我が力を以って応えよう。
我と、我が資格者との戦いの中で、お前に『世界』を描かせよう。
これは最後の試練である。お前は持てる全ての力で挑むのだ。
さあ、戦いの鐘を鳴らそう。
我は『黄龍』
悠久の時の中で、生きとし生けるもの全てを見つめる、光り輝く龍神である。
我が力、我が牙を以って、お前の拳に応えよう。
命を懸けて挑むがよい!
*
龍二は大きな円形の床に立っていた。
石碑の中に入ると、眩い光に照らされた道がここへ続いていた。辺りを照らす光は薄くなり、代わりに石碑の中の壁が映し出される。円形の壁は龍二の立つ床をぐるりと囲い、周りには多くのかがり火が灯っていた。そしてかがり火の後ろには大きな穴が空いていて、その中に何かがぼんやりと浮かんでいた。
《龍二よ・・・。》
石碑の主の声が響き、龍二は光が降り注ぐ天井を見上げた。すると目を開けられないほどの眩い光の柱が下りてきて、石碑を揺るがして黄金の龍が現れた。
神々しい光を纏い、威厳と強さに満ちた顔で龍二を見下ろしている。
黄金の龍の巨体に圧倒され、龍二は息を飲んで見つめ返した。
《我が名は黄龍。石碑の主であり、百万年に及ぶ世界の創始者である。
まずは賛辞を送ろう。よくぞここまで辿り着いた。》
黄龍の声は力強さと優しさを備えていた。腹に響くほどの重い声なのに、なぜか心地良さを感じさせた。
《お前は見事石碑に辿り着き、次なる歴史創始の舞台に立った。
しかし『世界』を持たぬお前では、新たな世を生むことは出来ぬであろう。》
黄龍の言葉は龍二の胸を揺らした。
メリッサとの再会で『闘争』という自分の意思を知り、彼女との戦いの中で自分の『世界』が持てるようになると考えていた。
しかしまだ『世界』は無い。自分の胸には何も描けない。
その心を見透かしたように、誰かが声を掛けてきた。
《足りないのさ、戦いがね。だから黄龍と私がお相手をするのだ。
君に自分の『世界』を描かせる為に・・・・・。》
それは張りのある涼やかな男の声だった。龍二は辺りを見回して声の主を探した。
すると黄龍の巨体の下に黒い影が現れ、蛇のように伸びながら人の姿に変わっていった。
「ようこそ石碑へ。私の名はオベロン。妖精の王だ。」
「妖精王オベロン・・・。」
オベロンは精悍な顔つきをした迫力のある男だった。
美男子ではあるが強い戦士の目をしていて、それはあのクリムトにそっくりの目だった。
流れるような銀色の髪に、煌めく蒼い鎧を纏っている。
そして腰には細身の長剣を携えていた。
特徴的な長い耳を小さく動かし、透き通る美しい羽を羽ばたかせて会釈を寄こしてきた。
「ここまで来ればもう言葉はいらないだろう。私は妖精王オベロン。自然の民を束ねる者なり。さあ、君の全てをぶつけてくるがいい!」
オベロンは剣を抜いて構える。龍二は拳を見つめ、これが最後の戦いになると感じた。
そして、それは新たな戦いの始まりであると思った。
拳を構え、スサノオの力を解放してオベロンに向かい合う。
「俺は円龍二だ。迷いながら戦い、ここまでやって来た。
自分の『世界』を知る為、全力でお前に挑む!」
オベロンはニコリと頷き、黄龍に向けて剣をかざした。
「ゆくぞ黄龍ッ!」
石碑の中に黄龍の雄叫びが響き渡る。
周りのかがり火は猛々しく燃え上がり、その後ろにある大きな穴に神々の姿が現れた。
ヴィローシャナ、フェンリル、アフラ・マスダ、シヴァ、ゼウス、そして燭龍。
他にも見たことのない神々がいて、皆が最後の戦いを見守っていた。
龍二は拳を光らせ、持てる力の全てを解放した。
金属はより硬くなり、身体じゅうに大きな力が蠢きだす。
「これは終わりじゃない、始まりだ。いくぞオベロン!」
床を蹴って駆け出し、一気に間合いを詰めて行く。
疾風より速い動きでオベロンの前に迫り、両手を向けて『天叢雲剣』を放った。
強烈な振動がオベロンに襲いかかるが、彼はビクともしなかった。
「心地のいいそよ風だ。そんな力では私の鎧を貫けない。」
余裕の笑みで剣を構え、見えないほどの速さで突いてくる。
「ぐあッ・・・。」
オベロンの剣はあっさりと龍二の右の肩を貫き、風を放って彼を吹き飛ばした。
「まだまだ、こんなもので倒れてはいけないよ!」
オベロンの動きは龍二より遥かに速かった。
見えない突きが襲いかかり、龍二は両腕をクロスさせて身を守った。
「スサノオ!もっと力を!もっと身体を硬くッ!」
胸の紋章は強く輝き、金属の身体は黒い石に変化していく。
極限まで硬くなった龍二の身体は、オベロンの剣を弾いて身を守ってくれた。
「ふうむ、ずいぶん頑丈だな。しかしそのままでは戦えないだろう?」
オベロンの言葉は当たっていた。龍二は防御の体勢のまま動くことが出来ない。
黒い石の身体は頑丈だが、それは攻撃を捨てた守りの力だった。
「その目は何か考えているね。どんな策か楽しませてもらおう!」
オベロンは「炎!」と叫んで剣を振り上げる。
すると黄龍の口から炎が吹き出され、オベロンの剣に宿った。
「これは龍神の炎だ。どんなものでも焼き切る魔法の剣さ。
じっとしているとそのまま真っ二つだぞ!」
オベロンは剣を大上段に構える。それは灼熱の火柱となって石碑の上まで伸びていった。
《こんなものをまともに喰らったらおしまいだ。でも俺にだって武器はある。
強力な武器が二つ。それを合わせれば・・・・・。》
龍二は石化を解き、足を踏ん張って両手を広げた。
「私の剣を受け入れるつもりか?なら痕かたも無く焼き尽くしてくれよう!」
オベロンは龍二の頭にめがけて剣を振り下ろした。
灼熱の火柱がうねり、龍二に襲いかかって来る。
「パワー勝負なら負けない!お前こそスサノオの力に耐えてみろッ!」
左手には『七支刀』、右手には『天叢雲』、それぞれの力が胸の紋章に集まり、青く輝き出す。そして集まった二つの力が混ざり合って解放された。
青く光る紋章から凄まじい光が放たれ、一瞬にして火柱とオベロンを飲み込んでいく。
「このまま消え去れッ!」
龍二は力を込めて紋章の光をより強力に輝かせていく。
火柱は掻き消され、オベロンは黄龍の下に吹き飛ばされていった。
青い光を放ったあと、龍二はがっくりと膝をついた。
彼が放ったのは、スサノオの最後の武器『草薙の剣』であった。
それは『天叢雲剣』さえ上回る最強の神器であったが、その力を使った代償は大きかった。
彼の中の力はほとんど失われ、立ち上がるのさえ一苦労するほど疲弊していた。
それでもなんとか足を踏ん張り、拳を構えてオベロンを睨んだ。
《あいつはまだ死んでいない。何か大きな力を隠している・・・・・。》
オベロンは黄龍の下で倒れたまま笑っていた。煌めく蒼い鎧は粉々に砕かれ、自慢の剣にはヒビが入っていた。しかしそのことが逆に嬉しかった。百万年もの間石碑の中に閉じ込められ、これほどの刺激を感じることはなかった。
「いいねえ。私の鎧を砕くなんて最高じゃないか。前の歴史創始の時に君のような男がいれば、もっと楽しめただろうに・・・・・。」
そう呟いて身を起こし、握っていた剣をポイと捨てた。
そしてよっこらしょっという感じで立ち上がり、汚れを払ってにこやかに笑った。
「力で勝負しても分が悪いか。ならば・・・・、」
オベロンは黄龍を見上げた。
「黄龍よ、あれをやってくれ。」
黄龍は再び雄叫びを上げ、神々しい光を放ってオベロンを包んだ。
その光は黄龍の持つ『命の連鎖』を担う力だった。
オベロンは見る見るうちに幼く退化していき、やがて胎児となって消えてしまった。
「な、なんだ・・・。いなくなっちまったぞ・・・・・。」
龍二は困惑しながら黄龍の光を見ていた。
すると胎児となって消えたはずのオベロンが、まったく別の姿になって現れた。
それは花だった。全身にイバラを巻いた、薄く透き通る紫色の大きな花だった。
《この花はかつて私が戦った相手だ。そして勝利を収め、私の糧となった。
黄龍の光は、己の糧としたものに姿を変えることが出来る。さあ、いくぞ。》
オベロンは花粉をまき散らし、黄龍はそれに向かって息を吐いた。すると花粉はたちまち小さな妖精に変わり、龍二の頭上に舞い上がって歌を歌い始めた。
「なんだこいつらは・・・。なんで歌なんか・・・・・。」
歌は石碑の中に響き渡り、龍二は眠気を感じて膝をついた。
《これは子守唄さ。眠ったら最後、君は死ぬ。なぜなら・・・・・、》
無数の妖精達は龍二の身体に纏わりつき、クスクス笑いながら彼を食べていく。
「うおおお!離れろッ!」
『天叢雲剣』を放って纏わりつく妖精を消し飛ばしたが、頭上に舞う妖精達は次々に襲いかかってくる。龍二は何度も技を放って妖精を倒していくが、オベロンはまた花粉をまき散らし、それを黄龍が妖精に変えていく。
そして妖精の歌声が強烈な眠気を誘い、視界がぼやけて意識が薄れていく。
《だ、駄目だ・・・。このまま眠っては・・・・。》
妖精は龍二の姿が見えなくなるくらい群がり、飢えた犬のように彼の身体を貪っていく。
しかし龍二は痛みを感じない。妖精の歌声が神経を麻痺させ、眠気だけを感じさせていた。
《さあ、どうにかしないと妖精達に食べ尽くされてしまうよ。》
オベロンはまた花粉をばら撒き、黄龍が息を吹きかけて妖精に変えていく。
龍二は必死に応戦するが、いくら倒してもキリがなかった。
《黄龍よ、もう一度『命の連鎖』を。》
オベロンは神々しい光を受けて元の姿に戻る。そして指を鳴らして数匹の妖精を集めた。
「私は知っているよ。君はこういう逆境の中でこそ力を発揮する。
なぜなら戦いの中に真実を見出すのだからね。だからここらで幕を降ろそうと思う。
さあ、妖精達よ。私の武器になれ。彼を貫く弓矢となれ。」
集まった数匹の妖精は、小さく歌って灰色の弓と黒い矢に姿を変えた。
「これで撃たれた者は矢の中に吸い込まれ、私の糧となる。
さあ、君の魂を私のものとしよう。」
オベロンは矢を構え、妖精が群がる龍二に狙いを定めた。
「何も出来なければこれで終わりだ。さあいくぞ!」
オベロンは番えた矢を放った。
黒い矢は群がる妖精の隙間をぬい、硬い音を響かせて龍二の胸に当たった。
しかし当たった矢はポトリと床に落ち、矢の先端は潰れたようにへこんでいた。
「これは・・・・・。」
オベロンは指を鳴らして妖精達を退かせた。
龍二は腕をクロスさせ、再び黒い石の身体になって身を守っていた。
「ほう、上手い具合に防いだな。しかしそのままでは戦えまい。守りだけでは勝てないのだぞ。」
オベロンは弓を剣に変化させ、指を鳴らして全ての妖精を集めた。
「ちまちま戦っても仕方がない。これは最後の戦いだからね。
それを締めくくるに相応しい戦いにしよう。私は最大の奥義で君を討つ。
君が真の資格者なら、きっと生き残れるはずだ。もしそうでなければ・・・ここで死ぬ。」
集まった妖精達が剣に吸い込まれ、七色に輝く光の刃が現れる。
オベロンはその刃を握り、頭上に向かって高く振り上げた。
「黄龍よ、これが最後だ!この剣に君の力を!」
神々しい光がさらに輝きを増し、黄龍は大きく口を開けて咆哮した。
空気がビリビリと揺れ、床は地震のようにぐらつく。
黄龍は石碑の天井まで高く舞い上がり、オベロンの剣に向かって稲妻のように落ちていく。
七色の刃と黄龍は激しい雷鳴を轟かせてぶつかり、黄金に輝く長い剣に変わっていた。
「これは妖精の力と黄龍の力が合わさった、最強の魔法の剣さ。
これが私の切り札だ。君がどんなに丈夫でも、一瞬で塵に還すことが出来る。
君が生き残る方法はただ一つ。この剣で斬られる前に、私を倒すことだ。」
龍二は石化を解いて拳を構えた。
オベロンの言葉に嘘はない。あの剣は、今まで出会ったどの資格者の力よりも上だった。
フェンリルの牙より、クリムトの雷霆より、そしてスサノオの『草薙の剣』より・・・。
これまでのように力で押し切れる相手ではなかった。
《どうしてこれほどの力を?オベロンと俺の差は、いったいどこにある・・・・?》
パワーだけならスサノオの方が上のはずだと思った。並はずれた頑強さとパワー。これこそがスサノオの力だった。黄龍はとても不思議な技を使う分、力ではスサノオに引けを取るはずである。決して非力ではないが、スサノオと同等のパワーの持ち主とは思えない。
《俺には不思議な技は使えない。あくまで力で敵を破壊する技だけだ。
しかしあの剣とまともにぶつかったら、確実に負ける。
だからといってあの剣を防ぐ方法は・・・・思いつかない・・・。》
防ぐことは不可能。『草薙の剣』で迎撃しても、おそらくあの剣には勝てない。
もし仮に上手くかわしたとしても、スピードはオベロンの方が上。
すぐに追い詰められて斬られるだけだろう。ならばどうするか・・・・・・。
オベロンは剣を構えて龍二に向けた。もう考えている時間はない。
「さあ、これが最後の攻撃だ。生き残ってみせろ!」
背中の羽を羽ばたかせ、オベロンは一直線に向かってきた。
《速いッ!逃げられない!でも迎え撃つことも出来ない!どうしたら・・・。》
一気に間合いを詰められ、オベロンの剣が振り下ろされる。
黄金の刃が目の前に迫り、龍二は『死』を覚悟した。
その時、全ての色が消えて、剣の動きがスローモーションに見えた。
頭の中に光が弾け、走馬灯のように宿敵達の顔が浮かんだ。
ハルバティ、アンネ、鳴上、そして・・・・、
《生きろよ、龍二。死んだらダメだ。》
クリムトの顔が浮かび、彼が最後に言った言葉が蘇る。
《あなたは本当に強くなった。最後まで戦ってね。》
メリッサの笑う顔が浮かび、彼女の明るい声が蘇る。
しかしまだ走馬灯は続く。最後に浮かんだ顔は・・・・、自分だった。
《戦え。》
走馬灯の中に浮かぶ自分は、一言だけそう言った。
戦い。それは自分の『意思』。そして『闘争』こそが自分の真実。
しかしまだ足りない。走馬灯の中の自分は、まだ納得していない。
『意思』の他に必要なもの。それは・・・・、
その答えに気づいた時、龍二はオベロンの剣を素手で受け止めていた。
いや、正確には龍二とスサノオが受け止めていた。彼の後ろには、白い布服を纏った逞しい肉体の神が立っていた。
黄龍より一回り大きく、岩石のような拳で『天叢雲剣』を握っている。
その顔は猛獣のように猛々しく、鋭い眼光は見ただけで震えあがるほどの迫力があった。
長い黒髪を乱し、『天叢雲剣』で龍二と共にオベロンの剣を受け止めていた。
《儂の力を身に宿したわっぱよ。ようやく出て来られたわ。》
スサノオは満足そうに笑い、剣を振り上げてオベロンを弾き飛ばした。
あまりの勢いにオベロンは壁に叩きつけられ、黄金の剣を握ったまま床に倒れ込んだ。
「スサノオ・・・。俺の外に出て来たのか・・・。」
龍二は巨大なスサノオを見上げ、畏れを抱いて生唾を飲んだ。こんな神が自分の中に宿っていたのかと思うと、喜びとも恐れともつかない感情が湧き上がった。
《身に宿る神を怖がる馬鹿があるか。儂は待っていたぞ。
お前が『意思』と『世界』を持つ時を。それは今ようやく訪れた。
戦いの中で見出したお前の『世界』。その口で儂に言うてみよ。》
スサノオはおっかない目を向けて龍二を睨みつける。
しかし龍二は動じない。スサノオの問う自分の『世界』を、今ようやく知ったからだ。
龍二は胸を張ってスサノオを見上げた。そして何の迷いもない目で答えた。
「戦いの中で俺の描いた『世界』。それは『混沌』だ。」
《ではなぜ『混沌』を描いたか?》
その声は黄龍とは違った意味で重く、思わず背筋が伸びるほどの威厳があった。
龍二は軍にいた時のようにシャンと背を伸ばし、大きく息を吸って答えた。
「俺はここに来るまでの戦いで、多くの命を絶ち、多くの『意思』を潰してきた。
その中には俺を助けてくれた者や、俺を愛してくれた者もいた。
でも・・・俺は戦ってきた。そしてここに立っている。
今、俺の立つこの場所では何も決まってない。何も無いんだ。
オベロンの剣で『死』を覚悟したが、それは初めてのことじゃない。
今までに何度も『死』を突きつけられた。それを乗り越える為に、ひたすら戦った。
死にたくなかったからだ。生きたかったからじゃない。
だから『死』の向こう側には、何も無いんじゃないかと思った。
その何も無い先を決めるのは自分だ。善も悪も無い。光も闇も、幸も不幸もない。
未だに何も決まらないまま『混沌』があるだけだ。
俺は・・・・・創りたい。そういう『混沌』の中でこそ、自分の世界を・・・。
何も無いなら・・・何かを頼ることも出来ない。何かを成すのは自分だけだ。
だから、俺は『混沌』の世界を描いた。その中を生き、その中でこそ世界を創りたい。」
スサノオは黙って聞いていた。
龍二の言葉を吟味し、その言葉の向こうにある彼の『世界』を感じる為に。
そして、龍二の言葉はスサノオを満足させるものだった。
『何かを頼らない』『自分で成す』
勇ましい武神は、彼の見出した『世界』に大きく頷いた。
《それでこそ『闘争』の意思を宿す者よ。ならば最後の仕上げをせいッ!》
スサノオは剣を持ち上げ、倒れるオベロンを指した。
《ここより先、神は立ち入らず。お前とあの者との戦いだ。
見事その拳で討ち取り、お前の『世界』を拓いてみせい。》
オベロンは立ち上がった。黄金の剣は消えていて、黄龍は彼の上に浮かんでいる。
傷ついたオベロンはふらふらと歩いて、投げ捨てた自分の剣を握った。
そして龍二に向けて剣を構え、羽を動かして浮き上がる。
「見事だ・・・。君を真の資格者と認めよう。しかしここから先は、私と君の一騎打ちだ。神は頼れない、お互いの力だけで決着をつけよう。」
「望むところだ。」
龍二は拳を構え、オベロンに向かって駆け出した。
今の彼にスサノオの力は宿っていない。しかしそれはオベロンも同じだった。
スサノオと黄龍はただ見ているだけ。戦うのは龍二とオベロン。
世界を拓こうとする者と、世界を創ってきた者。
二人の拳と剣がぶつかろうとしていた。
龍二は素早く駆けてオベロンの懐に入り、右の拳を打ち出した。
しかしオベロンは高く舞い上がってそれをかわし、剣を向けて飛びかかってくる。
妖精王の剣が龍二の心臓を狙う。しかし龍二は逃げることなくその剣に向かっていった。
両者の拳と剣が交錯し、鮮血が飛び散って床に赤い点を作っていく。
オベロンの剣は龍二の拳を斬り落としていた。石碑の床に彼の右拳が転がっていく。
オベロンは刃を返して龍二の胸を斬りつける。皮膚を切り裂き、肉に食い込んで骨を断つ。
しかしオベロンの剣は止まった。
彼の剣が心臓を切り裂く前に、龍二の拳が顎にめり込んでいた。
硬い音を響かせ、オベロンの顎を砕いていた。
妖精王は剣を落とし、血を吐きながらゆっくりと後ろに倒れていく。
百万年の間世界を創ってきた者は、大の字で床に沈んだ。オベロンは立ち上がることが出来ず、薄く目を開けて、ぼやける視界で天井を見上げているだけだった。
龍二は勝った。かつて歴史創始の戦いを制した者を、この拳で沈めた。
胸は深く切り裂かれているが、心臓は無事だった。しかし血は溢れてくる。
手で押さえても濁流のように溢れ、意識が遠のいてその場に崩れた。
《勝った・・・。でも、このまま俺は死ぬのか・・・・・。》
身体から力が抜けていく。胸から暖かい血が溢れ、視界が黒く霞んでいく。
しかし誰かが自分の胸に触れるのを感じ、霞む視界を向けてみるとオベロンが笑っていた。
「お見事。人の身でよく私を倒したものだ。」
オベロンは手から暖かい力を発し、龍二の傷を塞いでいく。
そして二人の戦いを見守っていた黄龍も、小さく口を開いて輝く息を吹きかけた。
龍二はたちまち力を取り戻し、オベロンは手を引っ張って彼を立たせた。
「もう私の役目は終わった。次なる世界は君に任せよう。」
オベロンは黄龍を見上げ、戦いに満足して頷いた。
黄龍は長い髭を揺らして龍二を見つめ、神々しい光を消して高く舞い上がる。
石碑の中の光は失われ、かがり火だけが灯りをともしていた。
《龍二よ、お前はよく戦った。しかしこれで終わりではない。
ここより『混沌』の世は啓かれ、新たな戦いの道が始まるだろう。
自分の『意思』を見失わず、自分の描いた『世界』をその足で歩いていくがいい。
私は悠久の時の中で、その姿を見守ろう・・・・・。》
黄龍は再び神々しい光を放ち、咆哮を響かせて消えた。
そして石碑にはかがり火の灯りだけが残り、気がつけばオベロンの姿も消えていた。
《龍二、私は生まれ変わる。百万年の時を経て、新たな命に旅立つのだ。
もしまた会うことがあったら、その時は再び剣を交えよう。ではまた・・・・・。》
どこからともなくオベロンの声が響き、彼の気は完全に消え去った。
丸い穴から龍二の戦いを眺めていた神々の姿も消え去り、かがり火の光も失われて、石碑の中は完全な闇に包まれた。
《わっぱ、・・・いや、龍二よ。》
真っ暗な闇の中に、スサノオの姿だけがクッキリと浮かび上がる。
龍二は振り返り、我が身に宿っていた神を見上げた。
スサノオは剣を向け、強い口調で彼に問いかけた。
《ここより新たな世が始まる。しかしその前に褒美を授けねばならん。
お前はその心の内に、復活を望む魂がいるか?》
資格者にはご褒美がある。クリムトはそう言っていた。
それは自分にとって最も愛しい者を、一人だけ生き返らせることが出来るというもの。
家族でも恋人でも、なんなら飼い犬でもいい。
そして・・・自分自身でも・・・・。
龍二は迷うことなく答えた。
「俺を生き返らせてくれ。」
《そうか。お前は己の創り出した『混沌』の世に生きようというのだな。》
「ああ、まだまだ知りたいこと、そして分からないことは山ほどある。
しかし『混沌』の世界を生きることで、それを掴めるかもしれない・・・。」
スサノオは大きく頷き、『天叢雲剣』を振り上げた。
剣は赤く光り、石碑の中の闇を照らす。龍二はその光を受けて顔を上げた。
《よかろう。儂は石碑の主として、『混沌』の世を創ろう。
しかし儂は甘くない。お前の想像以上に過酷な世となるかもしれんぞ。》
スサノオの眼光は威圧的に光を増す。しかし龍二は躊躇うことなく頷いた。
「構わない。俺の意思は『闘争』だ。きっと生き抜いてみせる。」
《ならばゆくがいい!儂はここより、お前の生き様を見守ろう!存分に戦ってこい!》
スサノオは剣を振り下ろして龍二を斬りつけた。
赤い光が走り、龍二は二つに割れて光の粒子に変わっていく。
そして暗い石碑の中を昇っていき、一瞬輝いてから闇に消えていった。
《ここより新たな世が始まる。石碑の主として、儂はぞんぶんに働こう。
いつか終わり迎え、次なる資格者が現れるまで・・・・・》
スサノオは膝を立てて床に座り込み、剣を振り上げて赤い光を灯した。
石碑から眩い光が放たれ、まさに世界は生まれ変わりの時を迎えた。
古き世界は死に、新たな世界が産声を上げる。
全てのものは壊され、そして別のかたちとなって生まれていく。
それは龍二の描いた『混沌』の世界。
何も決まっておらず、全てのものが等しく同じ位置に立っている。
人も、精霊も、妖精や動物も。そして命を持たないものも。
ここから新たな世界が創られていく。煮えたぎる原始の世界から、いつか形を成す為に。
生まれ変わりの瞬間は、石碑の光が放たれると共に始まり、光が消えると共に終わった。
今まさに次の百万年後に向かい、終わりの始まりを迎えた。
役目を終えた石碑は黄色く霞む空の中に消えていく。
またいつか、新たな『意思』を持った資格者が集うその時まで・・・・。
旅のはじまり
見慣れたものは全て消えていた。知っている者も誰もいない。
吹きさらしの大地の上に立ち、一人空を見上げて拳を握った。
青い空が広がっている。そこにはもう石碑はない。
自分は戻ってきた。一人の人間、円龍二として。
もうこの身に神の力は宿っていない。頼れるのは己のみ。
それは自分で選んだ道、そして自分で選んだ世界。
一人だった。家族も仲間も、友や恋人もいない。
しかしまったく寂しさはなかった。なぜなら、戦いの中で真実に気づいたのだから。
この何も決まっていない『混沌』の世界を歩いていけば、いつか出会える。
クリムトのような強い者に。そしてメリッサのような愛しい者に。
その時、またその者達と戦うことになるのかもしれない。
しかし、それならそれでいい。それこそが自分の描いた『世界』。
戦いの為の戦いではない。知る為、進む為の戦いである。
何もない大地を歩き出していくと、遠くの方に大きな樹が立っているのが見えた。
吹く風に枝を揺らし、葉を散らしているのが分かる。根元には人影のようなものがあった。
《とりあえずあそこまで行ってみよう。誰かがいるかもしれない。》
黙々と歩いていると、戦いの記憶が蘇った。
どの相手にも苦戦した。しかしどの戦いも無駄には感じなかった。
戦いを通して知った全てのことが、自分の糧になっている。
生きていける。まだまだ戦える。そして、きっと未だに知らないものに出会える。
それは言いようの無い喜びだった。至福といっていいくらいの喜びだった。
立ち止まって後ろを振り返ると、点々と足跡が残っていた。
歩いた距離はとても短い。しかし、いつかあの歩き出した場所が見えなくなるくらい遠くまで歩かなければ。そうでなければ、この世界に生き返った意味がない。
何も決まっていないこの世界で、意味を持たせるのは自分。
戦うしかない。この拳で戦い、この手で新たなものを掴むまで。
もう一度あの大きな樹を見上げ、再び歩き出した。やはり樹の下には誰かが立っている。
足元に小さな影が動き、空を見上げると、鳥に乗った風の精霊がこちらを見下ろしていた。
どうやらむこうもあの樹に向かっているらしい。
風の精霊は二コリと笑みを向け、鳥の背中に乗って飛んでいく。
戦いの予感がした。あの樹に辿り着けば、また大きな戦いの道が始まる。
飛びゆく精霊を目で追いながら、生まれたばかりの世界を歩いていった。
- カオスジャーニー(小説)
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