全てを支配する事は何も持っていないのと同じこと 最強にして虚しい妖魔 サガフロのオルロワージュ

  • 2021.01.03 Sunday
  • 12:55

JUGEMテーマ:ゲーム

PSゲームの名作、サガフロンティアにオルロワージュという最強の妖魔がいます。
妖魔自体が他の種族を圧倒する優れた存在なんですが、オルロワージュはその中でも特別な存在。
これまた最強の一人であるヴァジュイールと双璧を成す妖魔です。
欲しいものは全て手に入れ、思い通りに支配してきました。
一見無敵の存在に思えますが、実はかなり虚しい人生を送っています。
側近の一人は彼をこう語っていました。
「器の小さな男」
美しいものが大好きなオルロワージュは周りに美女を侍らせています。
しかしそこに愛や信頼はありません。側近の侍女は彼を見下しています。
同性の妖魔からも尊敬や信頼はされていないようでした。
口には出さずとも、彼の周りにいる妖魔たちは知っているからです。
小心者で、寂しがり屋で、力はあっても中身がない。
となると常に力と恐怖で支配しないといけないわけで、そうやって手に入れたあらゆる物は心を満たしてくれない空虚ばかりです。
オルロワージュを簡単に表すならこうです。
「全てを支配するということは、何も持っていないのと同じこと」
オルロワージュには心を許せる相手もいなければ、一緒にいて幸せを感じる相手もいません。
どんなに高価で、どんなに美しいモノを手に入れようと、満たされることもありません。
いくら戦いに勝っても勝利の余韻もありません。
最強であるがゆえに苦難を乗り越えた勝利の喜びを味わうことが出来ないからです。
そして最強と謳う割にはオルロワージュとヴァジュイールは衝突を避けています。
二人ともお互いのことはほぼ話題に出さないし、接触しないように距離を取っている感じです。
最強の妖魔たちがその威厳を示せるのはあくまで自分より弱い相手だけであり、同等かそれ以上の者には基本的に戦いを挑みません。
傷つくこと、威厳が崩れることを恐れているように思えました。
妖魔は強い存在です。肉体も魔力も寿命も生命力も人間とは比較になりません。
と当時にどこか脆いというか、儚い存在にも思えます。
ゲームをプレイしている時、オルロワージュもヴァジュイールも強いと感じたことはありませんでした。
怖さも威厳もまったくなく、カリスマ性は多少はあるものの、同じ系統のゲームであるロマサガに登場した四魔貴族や七英雄に比べると微々たるものです。
四魔貴族は誰もが強く、カッコイイです。グウェインと共闘してビューネイに挑んだ時は緊張が半端じゃなかったです。
七英雄も同じです。洞窟でダンダークと出くわした時なんて冷や汗ものでした。
しかしサガフロの妖魔にはまったくそれがなく、オルロワージュもヴァジュイールも設定上は最強であるものの、プレイヤーの目線からすると最強感はありません。
同じ系統のゲームなのにどうしてこうも差がつくのか?
おそらくですが、制作側がわざとそうしているんだと思います。
妖魔は強い。中でもオルロワージュは別格。
反面、全てを支配する最強の妖魔は、何をしようと、何を手に入れようと満たされない、空虚で儚い存在。
オルロワージュの最期はある意味では屈辱的なものでした。
戯れで拾ったアセルスという人間の少女。面白半分に妖魔の血を与え、半人半妖としました。
実は妖魔にもランクがあり、半分が人間のアセルスは、オルロワージュから見れば眼中にもない下等な妖魔です。
ですが最終的にはアセルスに倒されます。
理由は単純でしょう。
最初から最強の者は、最後まで成長をしないからです。
強い妖魔は鍛錬などしません。そんなものは下等な者のやることだと思っているからです。
しかし結果はどうか?
苦難を乗り越え、戦いをくぐり抜けることで鍛えられたアセルスに敗北しました。
全てを持っているはずの妖魔は、最強だったはずの妖魔は、裏を返せば何も持っていない最弱の存在でした。
きっとオルロワージュは自覚していたでしょう。自分は虚しく空っぽな者なのだと。
アセルスに血を分け与えたのは、いつか自分を殺しにくることを期待してのことかもしれません。
何も持っていないちっぽけで弱いアセルスだからこそ、最初から最強であるがゆえに、成長とは無縁の自分の天敵になってくれるかもしれない。
彼はどこかで人生の終わりを望んでいたように思えました。
その願いを託したのはヴァジュイールでもなく、マジックキングダムに現れた地獄の君主でもなく、彼から見れば取るに足らない人間の少女でした。
これもまた彼の弱さを感じさせます。
もしかしたら彼はアセルスに抱かれたかったのではないかと思います。
自分の血を与え、成長を願い、自分を超える存在になってくれることで、甘えられる者が欲しかったのかもしれません。
シャアがララアに母になってくれるかもと望んでいたように、オルロワージュもアセルスのどこかに母性を見出し、虚しく儚い自分を包んでくれる存在になってほしかった。
しかし彼女は一ミリたりともオルロワージュの言うことを聞かす、最初から最後まで反発し、成長してトドメを刺しに現れました。
もしオルロワージュが死を望んでいたのなら、夢は叶ったことになります。
虚しいだけの人生を終わらせ、永遠の安らぎを与えてくれたのですから。
彼からすればこれ以上ないほど母性で満たしてくれた女神かもしれません。
以前、メガテンのキャラクターについて語りました。
メガテンには実に人間臭いキャラクターが多いんです。
それはサガシリーズも同じです。
妖魔はとても人間臭いです。力はあっても神や仏のように完璧ではなく、悪魔のように迷いなく悪に生きることも出来ません。
面白いゲームには必ず人間臭いキャラクターがいるものです。
だからこそ感情移入し、おもしろくプレイすることが出来ます。
最強を謳うキャラクターの中では、オルロワージュはこれ以上ないくらいに人間らしい弱さを見せてくれたキャラクターでした。

女神転生における天使と悪魔と人間

  • 2020.11.06 Friday
  • 12:13

JUGEMテーマ:ゲーム

女神転生3のHDリマスターが発売されました。
今でも神ゲーとして名高い名作です。
メガテン3ではコトワリという思想はありますが、それまでシリーズを通してのロウやカオスという思想はありません。
3は個人の生き方や思想に重きを置いています。けっこう原始仏教的な世界観が強いように思いました。
ですがそれまでのシリーズはキリスト教的な世界観なので、光と闇、善と悪というのが重要になってきます。
そこで登場するのが天使と悪魔です。
メガテンにおける天使と悪魔の役割は表面上は簡単なものです。
天使は秩序。悪魔は混沌。だからロウとカオスという二大思想が支配する世界だったわけです。
主人公は天使と悪魔のいわば板挟み状態で、どちらの勢力に付くのか選ばないといけません。
両方のお誘いを蹴るニュートラルという思想もありますが、これは人間による人間のための世界といっていいでしょう。
ある意味王道な選択です。
天使と悪魔、秩序と混沌。それぞれの思想にメリットデメリットがあって、表面上は単純でも内容は単純ではありません。
一見すると天使に委ねる秩序の方が平和に思えますが、そこに自由はありません。
まず生き残ることが出来るのは天使に選ばれたひと握りの人類のみ。それは以外は楽園(地球)を汚す者として抹殺されてしまいます。
神の教えこそ絶対であり、神に従う者には天使の恩恵と加護が与えられますが、そうでなければ処罰されてしまいます。
つまり人間が本当の意味での自分たちの自由を持つことは許されません。
あくまで天使の用意した箱庭のような世界の中で、限られた自由を許されるだけです。
その代わりは犯罪や戦争はありません。
飢えも病もないでしょう。格差も差別もありません。
自由意思を捨てて天使に従う限りは永遠の楽園暮らしが約束されます。
それに対して悪魔に委ねる混沌の世界はどうでしょう。
これは天使の秩序とはまったく逆になります。
混沌の世界にはあらゆる規制も制限もありません。
全てが自由です。己の望むままに生きられます。
例えばメガテン2のルシファーの目的な人間を神の支配から解放して自由にしてやることでした。
悪魔が人間を支配し、虐殺するような世界ではありません。
誰にも縛られない真の自由を求めたわけです。
ですが全てが自由ということは、生きる自由だけでなく死ぬ自由もあるということです。
混沌の世界にルールはありません。戦争も犯罪もなんでもやり放題です。
野心と力を備えた者にとっては良い世界かもしれませんが、そうではない人間にとってはまさに地獄でしょう。
慎ましく平和に生きるなんて望むべくもないし、常にあちこちで争いが起き、戦わなければ生き延びることすら難しい世界です。
しかしその代わり自由だけは保障されます。
もはや人間は誰の支配も受けていません。
悪魔と共存するもよし、戦って覇権を狙うのもよし。ただし勝ち目は相当薄いので、結局は悪魔には逆らえない世界かもしれません。
ただそれでも自由だけはあります。
天使の秩序、悪魔の混沌。果たしてどちらが人間にとって良い世界なのか。
主人公は要所で選択を迫られます。
どちらが正しいというのはありません。
ロウにもカオスにもメリットとデメリットがあるからです。
ちなみに天使にも悪魔にも味方しないニュートラスにもメリットとデメリットはあると思います。
メリットは天使にも悪魔にも干渉されす、人間が人間のために世界を創れるということ。
デメリットはすがる者は何もないということです。良いも悪いも一から十まで人間が背負わなくてはなりません。
もしニュートラルを選んだ場合、ルシファーはこう言います。
「人間は頼るものなくして生きていけるほど強くない。」
これ、かなり当たっていると思います。
個人個人なら強い人は大勢いても、集団となるとそうはいきません。
人間は常に頼るものを求めています。
神であったり思想であったり学問であったりお金であったり。
中でも大昔から今に至るまでもっとも頼ってきたのが神です。
ニュートラルの世界には天使も悪魔も神さえもいません。
いつか人は頼るものを求め、右往左往した挙句に人間同士で争う羽目になるかもしれません。
全ては人間の選択次第。自分で選べるということはメリットもデメリットも同じというわけです。
女神転生は勧善懲悪の世界ではありません。
完璧な思想、完璧な世界はなくて、常に選択を迫られることになります。
秩序か混沌か?それとも人間が創る世界か?
天使と悪魔と人間。
実は永遠に決着のつかないバトルを繰り返しているのかもしれませんね。

天才にとっては冬の時代

  • 2018.11.24 Saturday
  • 12:42

JUGEMテーマ:ゲーム

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

私が子供の頃、ちょうどファミコンが普及し始めた時代です。
それまでのゲームといえばパソコンゲームが主流で、あとはゲーゼンに行ってやるか。
でもパソコンは高価だし、ゲーセンなんてしょっちゅう行けないし。
だからファミコンが登場した時は衝撃的でした。
同じ頃にメガドライブやPCエンジンというハードもありましたが、人気は圧倒的にファミコンです。
今では十字キーと幾つかのボタンで操作するというのは当たり前だけど、それを最初に生み出した任天堂は偉大としか言えません。
そしてファミコンと同時に大人気になったのがマリオです。
そのあとにドラクエやFFが出てくるわけですが、全てファミコンありきの上で成り立ったことです。
後のスーパーファミコンも同じ。
この頃は実に色んなゲームが発売されていたけど、そのほとんどがスーファミのカセットです。
プレステの時代が訪れるまではファミコンの一強だったわけで、こういった黎明期は一番面白い時代です。
名作と呼ばれるゲームも多く、ネットの動画なんかでも未だに人気があります。
天才と呼ばれるクリエイターが多かったゲームの黎明期、でも天才の才能を発揮できる場所を作った任天堂の偉業は、天才よりさらに上です。
漫画で言うなら手塚治虫ですよ。
面白い漫画というだけなら、手塚治虫よりも上の人がいると思うけど、でもそれって手塚治虫が生み出した漫画の手法の上にしか成り立たないものです。
土台を作った人がもっとも偉大なんですよ。
今の漫画家が昔にタイムスリップしたら、逆に今の時代に手塚治虫がやってきたら、今の漫画家と渡り合えるかといえば難しいでしょう。
でも漫画の歴史は手塚治虫以前と以降に分けられるほど変わったわけで、今の漫画は全て手塚治虫という存在ありきです。
だからタイムスリップしてどうこうって比べても意味がありません。
現在は過去の積み重ねですから、部分部分だけ抜き出してもほんとに意味がないんですよ。
最近、私はほとんどゲームをしていません。
まあ当然でしょう、もういいオッサンですから。
もちろん歳を取ったからってゲームをしちゃいけないわけじゃないんだけど、昔よりやらなくなった人の方が多いんじゃないでしょうか。
だから最近のゲーム事情にえらそうに言える立場じゃないんだけど、でもやっぱり昔のゲームの方が面白いなあと思ってしまいます。
映像のクオリティは間違いなく上がりました。
まるで映画かと思うほど綺麗なものもあります。
昔よりも複雑なシステムになってやり込みがいがあったり、操作の自由度が上がったりと、至れり尽せりだと思います。
しかし残念ながら年々ゲームの売上は落ち込み、今はスマホゲームの一人勝ち状態です。
そしてそのスマホゲームすら、黎明期に流行ったゲームのキャラクターが登場します。
今一番流行っているゲームさえも、過去の遺産に頼らないと売上が伸びないというのが現状なのでしょう。
どうしてこんな状況になったのか。
きっとファミコンのような新しい世界を生み出す土台がないからなんでしょうね。
今の時代、才能のあるクリエイターがいなくなったわけではないと思います。
ただそういう人たちが力を発揮できるチャンスや土壌が少ないだけなのでしょう。
いくら天才でも自分一人じゃ何も出来ません。
ゴッホには弟のテオがいたように、宮崎駿監督には鈴木敏夫さんという名プロデューサーはいたように、鳥山明先生には鳥嶋和彦さんという名編集長がいたように。
例え周りから認められていなくても、自分だけは人その才能を理解して、なおかつ活躍出来るような土台がないと、世間を変えるほどの作品は出てこないと思います。
そしてそれが可能なのは、何もかもがごった煮状態の黎明期だけでしょう。
栄枯盛衰。
安定しているように見えても、緩やかに下降を続ける今の時代、天才にとっては冬だと思います。

RPG史上屈指の印象的なボス ロマサガ2の七英雄

  • 2018.08.25 Saturday
  • 13:11

JUGEMテーマ:ゲーム

RPGに出てくるボスですごく印象的だったやつらがいます。
その名は七英雄。
ロマサガ2のボスたちです。
かつて世界を救った英雄でありながら、そのあとは厄介者扱いされて異世界へ飛ばされてしまった哀しき戦士たちです。
消えない怒りと復讐心を抱いて、七英雄は元の世界に戻ってきました。
しかしすでに世の中は変わっており、自分たちを裏切った古代人たちは姿を消していました。
滅んだわけじゃありません。
自分たちも異世界へと逃げていたんです。
いま世界中にいるのは七英雄を裏切った古代人とは関係のない現代人たち。
七英雄は復讐を果たす為、どうにか古代人を追いかけようとします。
その為には無関係な現代人を傷つけても構わないとばかりに、世界中にモンスターをばら撒きました。
七英雄というくらいですから、全部で七人います。
しかもそれぞれの名前は東京の駅名を逆さまにしたものだそうです。
七英雄のリーダであり、自称最強のワグナス。これは品川。
ワグナスの親友であり、一流の剣士でもあるノエル。これは上野。
ノエルの妹でり、死霊を操るのが得意なロックブーケ。これは池袋。
狡猾な傀儡師ボクホーン。これは大久保。
獰猛で心身ともに筋肉質なダンダーク。これは五反田。
なんとなく影は薄いけど実は一番戦闘力が高いんじゃないかと思える海の戦士スービエ。これは恵比寿。
コンプレックスと嫉妬心にまみれた七英雄最弱でありながら最も残忍なクジンシー。これは新宿。
そしてラスボスは七英雄全員が融合したとんでもない怪物です。
七英雄にはとても悲しいバックボーンがあります。
本来なら世界を救った英雄として讃えられるはずだったのに、魔物を追い払った途端に邪魔者扱いされ、異世界へ飛ばされてしまったのですから。
それに七人全員に個性があります。
本当に復讐を成し遂げようとしているのはワグナスとノエルくらいです。
ロックブーケはワグナスとノエルの二人について行っているだけ。
スービエも同じくです。
オグホーンとダンダークは自分の欲望を満たす為に暴れ、クジンシーに至っては弱者をいたぶって喜んでいるだけです。
理解のあるノエルは自分のせいで現代人が困っていることを知り、もうモンスターに人里は襲わせないと約束してくれます。
しかし心身共にマッチョなダンダークにそんな理解は期待できず、クジンシーはむしろ楽しんで人を襲います。
七人全員が共通した意志を持っているわけではありません。
それでも全員がバラバラにならないのはワグナスとノエルのおかげです。
二人のカリスマ性と実力がバラバラである他の者たちの意志を束ねているんです。
クジンシーは弱者には強いけど、ワグナスやノエルにはまったく頭が上がりませんし。
ボクホーンやダンダークからは馬鹿にされているみたいなので、そのコンプレックスも相まって人間を襲うのかもしれません。
普通RPGのボスってだいたいが悪魔的な感じだけど、七英雄はとことん人間臭いところが面白いです。
七英雄内でも序列や好き嫌いがあったりと、人が集まればまあこうなるよなってところを上手くついています。
そして戦闘BGMもかっこいいです。
七英雄バトルとラストバトル。
どちらも悲壮感と緊迫感にあふれた名曲です。
ロマサガシリーズはとにかく音楽がかっこいいです。
同じスクエアでもFFや聖剣伝説とはまた違った良さがあります。
どこかに悲しみとか怒りを感じさせる切ない雰囲気があるんです。
だけど戦闘曲らしく胸が熱くなるメロディでもあります。
こういう曲を作れる伊藤賢治さん、ほんと天才です!
良いRPGには印象的なボスがいるもの。
次作の四魔貴族しかり、ドラクエのバラモスやゾーマ、FFのケフカやセフィロスなど。
魅力的な敵がいるからこそ主人公も輝く。
ただの悪魔的な存在ではない七英雄には、涙さえ出そうなほどのインパクトがありました。

悪魔とデジタル

  • 2018.06.12 Tuesday
  • 15:27

JUGEMテーマ:ゲーム

モンスターを召喚して戦わせるってゲームは多いです。
ずっとその場にとどまって戦う場合と、FFみたいに強力な魔法扱いとしてその瞬間だけ出てくるパターンがあります。
いずれにしろ多くの場合は魔法で召喚します。
ゲームによってはお札だったり妖術だったりするかもしれないけど、超自然的な方法で呼び出すことは共通しています。
そんな中で悪魔とデジタルを掛け合わせた女神転生って、改めて斬新さを感じます。
コンピューターの中に悪魔がいるんです。
どうやって保存しているかというと、悪魔をデジタルデータとして扱っているんですよ。
悪魔召喚プログラム。
こいつのおかげで小さなPC内に最大で12体も悪魔を保存可能です。
たった12体かよって思っちゃいけません。
悪魔なんて人知を超えたもの、デジタル化したら相当なデータ量になるでしょうから。
悪魔との会話もPCを通じて行います。
腕に装着可能なPCだったり、銃タイプのPCだったりと、持ち運びに便利な大きさなので、いつでも悪魔との会話が可能です。
あと悪魔を合体させるのもPC内で行えたり。
悪魔という超自然的なものを扱うのに、PCという機械を用いる。
超常的なことは全て魔法や妖術に頼るというゲームの概念を一変させました。
だからPCさえ稼働するならいつでも悪魔を召喚可能です。
MPは必要ありません。
代わりにマグネタイトと呼ばれる悪魔のエネルギー源を必要としますが。
どうしてただの人間である主人公が悪魔と優位に戦えるのか?
それは自身が悪魔を使役できるだけでなく、PCという悪魔は持っていない文明の利器を持っているからです。
戦闘などで死んでしまった悪魔はPC内に戻ります。
ここも重要なポイントです。
死んだら死んだで、そういうデータとしてPC内に保存されるだけ。
さすがに復活には魔法などの超常的な力が必要になりますが、データそのものは残るんです。
こいつは死んでますよって最新のデータに上書きされるんでしょうね。
悪魔をデータ化しているので、オンラインで受け渡しすることも可能です。
特定の依頼をこなすと報酬として悪魔がもらえたり。
直接本人には会いません。
おそらくですがオンラインで送ってもらっているのでしょう。
ソウルハッカーズにそういうシステムがありました。
メギドラオンを継承したピクシーが手に入るとか。
人修羅やライドウなど、シリーズによってはPCに頼らない者もいます。
けどそれは主人公自身が悪魔だったり、時代が大正なのでまだPCが無いだけだったり。
PCを必要としないで召喚できる方法を持っているわけです。
そういう例外もありますが、やっぱり悪魔をデータ化して使役するってアイデアが最初にあって、斬新だなあと感動しました。
本当なら合わないような組み合わせ。
けどそれ組み合わせることで、意外なマッチングの良さが見つかることもあります。
モンスターや悪魔を召喚できるなら、魔法だろうが筒だろうがPCだろうがなんでもいいわけです。
なんでもいいんだけど、PCの画面に色んな文字が出てきて、何やら計算が始まってから、「Summons OK、GO!」って表示されるのがカッコイイんです。
悪魔もいきなり出てくるんじゃなくて、3Dモデルが組み上がっていくように形になっていったりと、シリーズによっては細かい演出があります。
神話の時代に生きていた大昔の悪魔でも、最新のデジタル機器で利用可能。
よくよく考えれば、科学ってとうに魔法を超えているかもしれないですね。

巨大生物から逃げ延びるゲーム 巨影都市

  • 2018.05.16 Wednesday
  • 10:56

JUGEMテーマ:ゲーム

JUGEMテーマ:特撮

巨影都市っていうゲームがあります。
PS4のゲームなんですが、私は持っていないのでプレイしたことはありません。
ただ実況動画を見ていてすごく面白そうだなと思いました。
様々な巨大生物や宇宙人(ゲーム内では影と呼称)が現れ、人間のことなどお構いなしに戦いを始めます。
主人公はそこからどうにかして生き延びるというゲームです。
登場する影はオリジナルの物ではなく、ゴジラやウルトラマンといった有名なキャラクターたちです。
ウルトラマンシリーズ、ゴジラシリーズ、エヴァンゲリオン、ガメラシリーズ、パトレイバーが登場します。
こういった巨大な影たちがなんの前触れもなく突然に現れてくるので、すごくドキっとします。
通常のゲームとは違い、プレイヤーに戦う術はないので、とにかく逃げるしかありません。
けどエヴァと使徒が戦っている最中にゴーゴーカレーで大盛りを食べていたり、ゴジラとキングギドラが喧嘩しているのに残業をこなしていたりと、かなりシュールな場面もあります。
印象的だったのは怪獣よりも仕事のミスを恐れる会社員。
大きなプロジェクトに失敗して何億って借金を背負うくらいなら、巨大生物の戦いに巻き込まれて死んだ方がマシだってセリフがあります。
その気持ち、なんとなく分かってしまうような・・・・・。
怪獣からは逃げ延びれば済むけど、借金から逃れることは出来ませんからね。
お金で回る人間社会の中では、ゴジラや使徒よりもお金の方が怖いって感じる生々しい心理です。
まあ実際に巨大生物が出てきたらそんなこと言ってられないですけどね。
ほとんどの人が一目散に逃げ出すでしょう。
(悲しいかな、このセリフを放った会社員は完全にブラック企業に心を支配されている感じでしたが)
それぞれのステージは前後のステージとは独立してます。
影同士の戦いも同じ作品のキャラクターでしかやりません。
ゴジラVSガメラのようなクロスオーバーは無しです。
この辺は仕方ないですね。
あちらを立てればこちらが立たず。
異なる会社のキャラクターたちなんだから、その辺は大人の事情ということでしょう。
このゲームの爽快なところは、街中で巨大な影が暴れまわるということです。
その被害は甚大なものですが、同時に爽快感があるのはどうしてか?
おそらくだけど、誰の中にも破壊願望があるからだと思います。
現実にやったらアウトだけど、ゲームや映画の中からスカっとするのは、人として正しい心理だと思います。
ゴジラとキングギドラの喧嘩、エヴァと使徒の戦い。
さっさと逃げないと死んでしまうにも関わらず、その場に留まって眺める実況者もいます。
もし私がプレイしても同じことをするでしょう。
見上げるほど巨大な者同士がバチバチやり合ってるってすごい迫力ですから。
最近ゲームはご無沙汰だったんですが、ちょっとやりたくなってきました。
こういうゲームってある意味お祭りみたいなものだと思います。
失礼な言い方かもしれないけど、映画で例えるならB級を見ている感覚なら楽しめるんじゃないかと。
良い意味で言うならお祭り、意地悪に言うならネタってことです。
肩の力を抜いて楽しむのが大事なゲームであるように感じました。
プレイヤーとしてだけでなく、自分が観客になったつもりでいれば、すごく楽しそうなゲームだと思います。

ゾイドのPSゲームのBGM

  • 2018.05.02 Wednesday
  • 13:11

JUGEMテーマ:ゲーム

JUGEMテーマ:メカ系 いろいろ

ゾイドのゲームでPS版のやつがあります。
一作目はヘリック共和国VSゼネバス帝国、二作目はヘリック共和国VSガイロス帝国です。
このゲームは当時かなりハマった思い出があります。
タクティクス系のゲームとしては、一作目、二作目共に個人的にトップ5に入るほどです。
このゲームってじわじわ人気が出てきたみたいで、今ではプレミアが付いているんだそうです。
確かに面白いんですよね。
シンプルなんだけどやり込み要素があるんです。
グラフィックだって今見るとカクカクしてるんだけど、それでも大型ゾイドの重厚感とか、ライガー系ゾイドの疾走感とか伝わってくるんですよ。
初期の骨ゾイドとか箱ゾイドとかは可愛く見えるし。
ガリウスなんかまんま骨みたいで、下手するとペーパークラフトのようにさえ見えます。
でもそれがいいんですよ、愛着が湧くんです。
強いゾイドが手に入ってからも骨ゾイドを使い続けたりとか。
で、このゲームの最も素晴らしい要素の一つにBGMがあります。
なんていうかこう・・・とにかくカッコいんですよ。
「もっとこう・・・あるだろう!」っていうのを、実際にもっとこうくれる感じです。
マジでくれるんだみたいな。
けっこう不思議なメロディだったり、変わったテンポだったり、特徴的な曲が多いです。
けどこれがピッタリとゾイドにハマっています。
特に二作目の終盤で流れる戦闘曲、最高です!
曲名が付いていないので紹介するのが難しいんですが、すごく上品で、それでいて熱くて、それでいてなぜか涙が出そうになるんです。
この涙が出そうになるって部分は、全ての曲に共通しています。
なぜかグッとこみ上げるものがあるんですよ。
ああ、ゾイドたちが一生懸命戦っているなあとか、この戦いも歴史に埋もれて語られることもなかったりするのかなあとか、後ろ向きじゃない悲壮感が良いんですよ。
決してカッコつけていないカッコ良さがあって、ほんとにゾイドの為にある曲というか、ゾイドの戦いとか世界が伝わってくるBGMばかりなんです。
曲を聴くだけで色々思い浮かびますからね。
野戦だったり、海底での戦いだったり、青空の平原だったり、夜の基地だったり。
ゴジュラスが巨体を翻してダッシュして格闘戦をするシーンとか。
良い曲っていうのは絵が思い浮かびます。
もちろん自分がそのゲームをやり込んでいたからっていうのもあるけど、それでも曲が悪いと絵は思い浮かびません。
アニメ版のゾイドも良い曲が多かったです。
特に「破滅の魔獣」のテーマは絶望感とカリスマを備えたデスザウラーにピッタリの曲です。
良作には良い曲があるもの。
音楽がいいと思い出の良さも倍増しますね。

ゲームのボス 強さとは相対的なもの

  • 2018.04.17 Tuesday
  • 12:50

JUGEMテーマ:ゲーム

RPGには必ずラスボスがいます。
なんじゃこりゃ?と拍子抜けするほど弱いのもいれば、円盤を投げてやろうかと思うほど強い奴もいます。
まあラスボスの強さってプレイヤーとの相対的なものだから、一概には語れませんけどね。
フリーシナリオなら選ぶ主人公によっては強いボスも弱く感じてしまいます。
サガフロに例えるなら、完全体のブルーであればどのルートのラスボスだろうとそこまで苦戦しないだろうし。
あとスターオーシャン2のラスボスであるガブリエルは単純な強さだけなら相当なものです。
けど毒で倒せるって時点で実はそう苦労しないんですよね。
いくら強かろうが状態異常が通るボスは苦戦せずに倒せます。
昔のゲームってラスボスであっても麻痺したりとかあったんですよ。
大した仲間じゃないのに状態異常攻撃を持ってるだけでラスボス戦で活躍したり。
耐性や相性という概念が希薄だった時代、レベルを上げて物理で殴るがまかり通っていました。
要するに単純なパワーインフレが起こるわけですよね。
勝てないならとにかくレベルを上げて、高い火力を持てばいいみたいな。
しかし現在では耐性や相性というのが重視され、単純にレベルを上げて物理で殴るが通用しないボスが増えました。
高いHPと高い火力が全てではなく、上手く考えてスキルを付けたりパーティーを編成しないと、強いボスで詰むってこともしばしばです。
RPG最強ボス候補によく上がるのは、ウィザードリィのダイアモンドドレイク。そしてアバタールチューナの人修羅です。
私はウィザードリィのことはよく知らないので、偉そうに論じることは出来ません。
ただ人修羅は鬼ですね。
キャラを最高レベルまで育てて、しっかりと対策を練って、それでも勝てる見込みはそう高くないですから。
単純な力押しが通用しないからです。
ドラクエやFF、サガフロや聖剣伝説やさっき挙げたスターオーシャン。
各RPGに存在する強いボス同士が戦えばどうなるかをよく想像するんですが、結局は分からないで終わってしまいます。
人修羅は万能と地殻と銃撃以外の攻撃は無力化してしまいます。
しかし他のゲームにはメガテンにはない属性も存在しているので、それらの攻撃は充分に通る可能性があり、クロスオーバーしてボス同士が戦えば最強と呼ぶのは難しいかもしれません。
そもそもメガテン最強は閣下ですしね。
FFのボスはやたらとHPが高いけど、攻撃の通りやすさがあるので大きな苦戦をした覚えはありません。(ていってもやったのは9までですが)
ダメージの通りもいいので、高い火力を有しているボスと戦えばどうなるか分かりませんね。
こういうのって想像するのは楽しいけど、結果を決めることは無理です。
やはり作品ごとに決まりや特徴があって、その中での最強だったり強敵だったりするわけですから。
強さとは相対的なもの。
それは現実の世界でもゲームの世界でも同じなのでしょうね。

女神転生に見る人間の業 祐子先生と希望の神アラディア

  • 2018.03.22 Thursday
  • 16:00

JUGEMテーマ:ゲーム

私の大好きなメガテン。
女神転生3では、それぞれのキャラクターがコトワリを掲げて創世を目指します。
シジマもヨスガもムスビも、完璧な世界ではありません。
けどそれぞれのコトワリを掲げるキャラクターは、みんな自分なりの信念を持ち、痛みを受ける覚悟もしています。
それは主人公も同じで、やがて自分の道を選び、カグツチとの戦いに挑みます。(閣下ルートも含めて)
しかしみんながみんな必死に戦っている中で、一人だけとても無責任なキャラクターがいました。
それは祐子先生。
東京受胎においては氷川に手を貸し、世界の在り方を変えてしまいました。
そのせいで三人の生徒以外の人間は死にました。
主犯は氷川ですが、彼は彼なりの信念があってそうしたわけです。
もちろん間違ったやり方ですが。
でも氷川にはどうしても拓きたい世界があり、その為に明確なビジョンも持っていました。
先生は「元の世界が悲しかったから」という理由で、彼について行ったに過ぎません。
氷川がアーリマンを降ろす時、自分の行いは間違いではなかったのかと疑問を感じ、彼を止めようとします。
氷川はそんな先生に向かってグウの音も出ないド正論をぶつけました。
「自由や可能性を望んでいるようだが、それなら元の世界にもあった。
目的があるなら元の世界でもやり遂げることが出来たのではないか?」
「どうして生徒まで巻き込んだ?自分が出来ないことを彼らにやってほしかったのか?
それとも自分と同じ挫折を味あわせてみたかったのか?」
「あなたはただ逃げ出したかっただけじゃないのかね?」
胸の奥を突かれた先生は膝から崩れ落ちます。
そして降臨したアーリマンのせいで、虚無の中に消えていきました。
しかし死んだわけではありません。
別の世界からやってきた神、アラディアが宿っていた為に、魂まで消滅しなかった模様です。
先生ルートでエンディングを迎えるなら、先生自身が自分の弱さに気づきます。
「私はただ悲しかっただけなのね。でももう大丈夫、この世界で生きていける。」
元の世界に戻った中、校舎の屋上で主人公にそう語ります。
けど他のルートを選んだ場合、おそらくですがアマラ宇宙を漂っているのだろうと思います。
先生に宿ったアラディアという神は、ある意味偽物の神様です。
力のない世界で、人々の祈りによってのみ生み出された、希望のみを戴く存在です。
それゆえに希望しか与えてくれません。
アラディア自身に創世を行えるだけの力はありません。
アーリマンもバールもノアも、コトワリは違えど創世の主になれるほどの力の持ち主です。
そうではないアラディアは、力という意味においてはその辺をうろつく悪魔と大差ありません。
ということは、アラディア自身は知っているわけです。
自分には創世は出来ないということを。
にも関わらず宿主に希望を与えます。
これ、とても残酷なことです。
出来もしないことをちらつかせて、いたずらに希望を与えるのは苦痛でしかありません。
そしてそんな神様に取り憑かれた先生は、つまりはそういう人物ということなのでしょう。
元いた世界では何もできず、東京受胎後のボルテクス界においても何も出来ませんでした。
それどころか主人公に希望を託すばかりで、ともすれば利用してるだけなのでは?と思える節もあります。
アマラ宇宙を漂う先生とアラディアは、創世の力を持つボルテクスを目指すでしょう。
しかし創世の力を持つほどのボルテクスには、やはり氷川や千晶や勇のような人物がおり、力と覚悟でもってコトワリを拓こうとしているはずです。
その時、先生とアラディアにできることはありません。
元いたボルテクスと同じく、希望だけ抱いたまま、何もできずに他のコトワリが拓かれるのを黙って見ているだけです。
二人が追い出されることのない世界は、創世の力を持たないボルテクスだけ。
しかしそんな世界で創世を成し遂げることは出来ません。
いずれは自らアマラ宇宙へと旅立ち、また次なる世界をボルテクスを探すだけ。
そうやって延々と希望だけを抱いたまま漂うのでしょう。
無責任な人間と無責任な神様は、夢の世界だけを夢みたまま、いつまでも自らの望む世界を得ることは出来ません。
希望と無責任とが合わさった時、成し遂げることも諦めることもできず、ただただ浮遊物のように海面を漂う人生になってしまう。
それどころか、いたずらに希望だけを与え、周りを傷つけて混乱に陥れる。
そして自分はまた都合の良い世界を求めて去っていく。
ある意味悪魔よりも恐ろしい・・・そんな印象を受けるキャラクターでした。
それならば最初から理想など持たず、慎ましく生きるという手もあります。
ていうか多くの人がそうしているはずです。
理想はあっても胸に隠したままで、表に出すこともないでしょう。
メガテンって実に人間くさいキャラクターが多いです。
どちらかというと悪い意味で。
だからこそ人間らしさを感じるんですよね。
綺麗なもので包み隠してみても、いざ混沌の世界が訪れると、見たくない人間の性が出てくるんです。
そういったキャラが多いから、ごく稀にいるまともなキャラクターを見ると、心から応援したくなります。
メガテンは人間の業を感じさせてくれる面白いゲームです。

一般受けするゲームとニッチなゲーム

  • 2018.03.21 Wednesday
  • 11:02

JUGEMテーマ:ゲーム

一般受けするゲームとマニアックなゲームがあります。
私は個人的にはマニアックなやつが好きです。
もちろん一般受けするゲームも好きですよ。
ドラクエもFFもやりました。
ストリートファイターもマリオも。
みんなに支持される作品を創るっていうのはすごいことです。
普通はヒットなんて飛ばせないものです。
あるミュージシャンが言っていたけど、「売れたいってことはワガママなこと」だと。
なぜなら会ったこともない人たちに自分を受け入れてくれっていうのと同じだからです。
そう考えると、万人に受け入れられる作品を生み出す人はすごいです。
でもその分毒がなくなるのも事実です。
みんなに支持されるってことは、丸みを帯びた棘のない作品ってことでもあります。
そういった作品は、みんなにとっての最高の作品にはなっても、私にとっての最高の作品には成りにくいように思います。
過去を振り返り、「あれよかったなあ」と思うゲーム。
それってニッチであるが故に、他人に理解されなかったりします。
だからニコ動やYoutubuでそういったニッチな作品がアップされると、ファンがこぞって集まり、そして喜びます。
ゾイド好きの私としては、ロボットといえばガンダムという中で、ずいぶんと肩身を狭くしました。
「ああ、ゾイドね・・・」という対応を何度受けたことか。
けどそういったそっけない態度を見せた人たちの中にも、実はゾイドが好きだという人はいたでしょう。
でもなかなか言い出せない雰囲気というのがあるものです。
服だって実はライオトンが好きだけど、そんなの学生が着るものじゃんって言われるのが怖くて黙っている人もいるでしょう。
これを言ったが為に周りから敬遠されることってあって、そういう時は悔しくても我慢するのは一つの手です。
私は空気が読めない為に、みんなが好きなものを否定して、自分の好きなものを褒めちぎって、孤立したことが多々あります。
一般受けするゲームが嫌いなわけじゃなく、自分の好きなものを好きと言ってるだけなんですが、けっこう勇気の必要なことですよ、これは。
周りに「実は自分も好きだった」って人がいれば「話してよかった」と思えるけど、「え?」みたいな雰囲気になると「黙ってればよかった」と後悔するものです。
でも私自身、誰かが自分の好きな作品を語っても、それを興味もなく聞き流すことはしょっちゅうです。
だからよくよく振り返ると、私もやってるんですよね、「自分にとって最高の作品」を語る人を傷つける行為を。
日本はアメリカとは違う文化だから、下手に大きな声をだして主張していると、かえって悪い状況に陥ることがあります。
文化の違いなので、それがいいことはどうかは分かりません。
よく「アメリカは〜」とか「ヨーロッパは〜」なんて声を聞きますが、隣の芝は青く見えるもの。
いざ足を踏み入れると、「やっぱり日本に帰りたい・・・」ってパターン、けっこうありそうな気がします。
遠くの仏より近くの鬼って諺もありますし。
好きなものを声を大にして語るのは難しいです。
でもそれでいいのかもしれません。
インディーズバンドがメジャーになったら興味を失う人がいるように、もしもゾイドがガンダムやエヴァンゲリオンのようにもて囃されていたら、私はどこかで離れていたかも。
ニッチだからこその良さってありますよ。
普段人と語れない好きなもの。
みんなで集まる機会があると、初対面なのにけっこう仲良く盛り上がったりするものです。
逆にメジャー作品になると、大勢集まってギスギスするなんてことも珍しくありません。
それに大ヒットする作品ほど消耗度は早いです。
ニッチな作品ほど息が長かったりするのは、無駄に消耗しないせいかもしれません。
「次に出す作品は、以前と同レベル以上のヒットになるはず」なんて余計なプレッシャーもかかりませんしね。
売れるのにこしたことはないけど、みんなに支持されること・・・メリットだけではありません。
個人的なワガママだけど、ゾイドや女神転生にはこれからもニッチでいてほしいと思っています。
商売上辛いことは承知ですが、大衆路線に走ってほしくないのが本音です。

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