木立の女霊 最終話 女霊は消えない(2)

  • 2014.09.29 Monday
  • 11:11
あの悪霊の事件から一年経つが、紗恵には会っていない。一度だけ連絡があったが、それも無視した。
誰も彼女を話題にしようとしなかったし、触れてはいけない空気になっていた。
このまま何年も経てば、紗恵のことどころか、去年の忌まわしい出来事さえ風化していくのかもしれない。全ては幻で、ただの悪夢だったと思うようになるかもしれない。
「俊一・・・。なんや切ない顔して・・・。」
克博に肩を叩かれ、草に止まった蛍から顔を上げた。
「ちょっと考え事しててな。」
「去年のことか?」
「ああ・・・。あの時は大変やったけど・・・いつかただの悪夢やったと思うようになるんかな・・・。」
そう言うと、克博はニコリと笑って肩を殴った。
「痛ッ!何すんねん・・・・。」
「ええやないか、それで。あれはただの悪夢やった。あの時しつくこく聞いてきた警察だって、結局はそう言いくるめたやないか。」
「そうやったな。紗恵のお父さんが顔の広い人やから、上手い具合に誤魔化してくれたっていうのもあるけど・・・。」
そう言ってから、しまったという風に口を噤んだ。
この一年間禁句にしていた名前がポロリと出てしまい、気不味い顔で木立の中を見つめた。
「なあカッちゃん。もうあのこと言うてもええんとちゃう?」
朱里が克博の腕を引いて上目遣いに見上げる。
「なんやねん、あのことって?」
興味を引かれて身を乗り出すと、克博は険しい顔で唸った。しばらく腕を組んで蛍を見つめ、真っ暗な木立の方を睨んで喋り出した。
「実は・・・紗恵のことなんやけどな・・・・。」
「なんやねん、お前が言い淀むなんて珍しいな。俺に気い遣ってんのか?」
「・・・ああ、遣ってるよ。パッと言える内容じゃないからな。」
克博は真剣な目で睨む。俊一は思わず顎を引いて息を飲んだ。
「あいつな・・・亡くなってんねん。今年の春に・・・・。」
「はあ?亡くなってる?どういうことや・・・・。」
思わず強い口調で聞き返すと、克博は足元の草をブチブチと引き千切りながら答えた。
「その・・・事故で亡くなったんや・・・。猛スピードでトンネルの壁に激突してな。」
「それほんまか?だってあいつ・・・車の運転は上手かったのに・・・。」
「酒を飲んでたんや。それもベロベロになるくらいに・・・。」
「酒を飲んで・・・でもあいつは見かけによらず慎重な性格やぞ。そんなことするはずが・・・・・。」
そう言いかけた時、朱里が言葉を遮って呟いた。
「あの子・・・ごっつう落ち込んでたらしいで。姉ちゃんの事故を黙ってたこと・・・。それと・・・俊一に愛想を尽かされたこと・・・。」
「俺に愛想を尽かされて・・・?どういうことや?」
「あんた覚えてるかな?奥田っていうあたしの同級生。お父さんが電車の事故で亡くなった子なんやけど・・・。」
「ああ、お前が入院してる時に話したな。俺が写真を見せてくれるように頼んでくれって言うた子やろ?」
「うん。実はな、その子と紗恵って従姉なんや。」
「・・・・マジで?」
「あたしも最近知ったんや。だからここまで紗恵の事故に詳しいわけなんやけど・・。
それでな、紗恵って、ほんまにあんたのことが好きやったみたいで、どうやったら許してもらえるかずっと考えてたんやって。
だからもう一回会って、きちんと謝って許してもらおうと思ってたみたい・・・・。でもあんた、それを無視したやろ?」
朱里は顔を上げて切ない目で見つめる。俊一は雷に打たれたように固まっていた。
確かに紗恵からメールが来たことがあった。
『もう一度会いたい』
その一行だけの、シンプルなメールが。
「あの子・・・物凄いショックを受けたみたい。俊一はもう二度と私のことを許してくれへんのやって・・・。
それから死人みたいに落ち込んで、姉ちゃんが死んだ時のあんたみたいになってらしいで。」
「・・・そ・・そんな・・・。そこまで思い詰めてたんか・・・。」
「ずっと家に引きこもってたらしいんやけど、ある日発狂したように喚き出して、ずっとお酒を飲むようになったんやって。
それでそのまま車に乗って・・・あんなことに・・・・・。」
俊一は身体から力が抜けていくのを感じた。それと反比例するように鼓動だけが早くなり、乾いた唇から荒い息が漏れる。
克博はそんな俊一を落ち着かせるように肩を叩いた。
「お前さ、あの時のこと覚えてるかな?紗恵のカメラにおかしなもんが写ってたことを。」
「おかしなもんって・・・。お前のアパートに集まった時の写真か・・・?」
「そうや。去年のあの夜、紗恵がおらんようになった時にあいつのカメラを確認したやろ?」
俊一は思い出していた。あの恐ろしい夜、突然紗恵がいなくなり、そのカメラの画像を確認して妙な写真を発見した。
写っているはずのない紗恵が、皆と楽しそうに談笑している写真だった。
「これは朱里ちゃんと話し合って考えたんやけど、あれって志士田が写したんとちゃうかな?」
「志士田が・・・?」
「だってそれしか考えられへんやろ?他に写真を撮れる奴はおらんかったんやから。
だからな、あれは紗恵が志士田に頼んで撮ってもらったんちゃうかと思って。」
「何でそんなことすんねん?わざわざ志士田に頼まんでもええやろ。」
すると克博は首を振り、千切った草を投げ捨てて言った。
「紗恵はな、あんまり人に好かれるタイプとちゃうねん。だから・・・ほとんど友達がおらんかった。俺の知る限り、希美ちゃんに匹敵するくらい交友関係は狭かったなあ。
でも希美ちゃんとの一番の違いは、お前がおらんへんかったってことや。いくら友達が少なかろうが、希美ちゃんとお前は親友以上の仲やろ?でも紗恵にはそんな相手はおらへん。
だから・・・きっと憧れてたんやと思うで。お前と一緒に、みんなで集まってワイワイ喋ったりすることに・・・。」
意外な言葉だった。性格の派手な紗恵には、たくさんの友達がいると思っていた。
紗恵と付き合っている時、俊一をなかなか友達に紹介しようとはしなかった。
しかしそれは紹介するのが嫌なのではなく、紹介するほどの友達がいないだけだった。
「今思えば、バシャバシャとみんなの写真を撮ってたのも、それが理由かもしれんな。紗恵は・・・どうしても四人で写ってる写真が欲しかったんやろ。」
克博はしみじみした声で言い、俊一と顔を見合わせた。
言いようの無いモヤモヤした感情が渦巻き、俊一は蛍に指を近づけて言った。
「あの時のカメラって・・・今はどこにあるんや?」
「分からん。警察が捜したらしいけど、どこにも見つからへんかったってさ。」
「そうか・・・。・・・どいつもこいつも、なんで生きてる時にハッキリ言わへんねん。」
宗方、立花、そして紗恵。誰もかれも相手の正面に立つ勇気のない者だと思ったが、それは自分にも言えることだった。
「俺も人のことは言えへんわなあ・・・。あんなことがなかったら、ずっと希美に気持ちを伝えられへんままやったから・・・・。」
希美に愛していると伝えた時、彼女は笑ってこう言った。
『それ、生きてる時に言うてほしかったわ』
あの言葉は紛れもない本心だったのだろう。きっと希美は、昔からあの言葉を待っていたはずだ。お互いの気持ちは知っているはずなのに、ずっと目を逸らしていた。
《ごめんな・・・勇気の無い男で・・・。これからは何回でも言うよ。毎年ここへ来て、お前に『愛してる』って伝えるから・・・許してや・・・・。》
そう思いながら飛び交う蛍を見つめる。美しい蛍は踊るように舞い、暗い木立の中を揺らいでいる。闇を遊泳するように、死者の宴が行われている。
その美しさは目を奪うほど幻想的で、思わず見惚れてしまった。
その時、ふっと木立の中で何かが動いた。
「なんや・・・・?」
月の青白い光を受けて、木立の中に四角い何かが浮かび上がる。そして月明かりを反射してギラリと光った。
克博と朱里もそれに気づいたようで、手を握り合って見つめていた。
四角い何かはスッと動いて木立の中から現れ、ゆらゆらと宙に浮いていた。
「あれは・・・・・。」
それはカメラだった。黒く、そして頑丈そうな造りをした高そうなカメラだった。
月明かりを受けて光ったのは、装着しているレンズのせいだった。
「おい・・・俊一・・・あのカメラって・・・・・。」
克博は朱里の手を引いて思わず立ち上がる。俊一もゆっくりと腰を上げ、唾を飲んでそのカメラを凝視した。
高級感のある頑丈そうなカメラ。それは紛れもなく紗恵のカメラだった。
よく見るとストラップが着いていて、真ん中からいびつに千切れている。
宙を浮くカメラはひとりでに動き、スッとレンズを持ち上げてこちらを向いた。
「い・・・嫌・・・・また・・・・またこんなことが・・・・。」
朱里は恐怖に瞳を揺らして克博にしがみつく。そして恐怖を感じているのは俊一と克博も一緒で、土手からじりじりと下がりながらそのカメラを睨みつけた。
宙に浮くカメラのレンズは確実に三人を捉えていて、気味悪く光っている。
そしてカメラの後ろに白い霧が現れ、ゆらりとスタイルの良い女が出て来た。
「さ・・・・紗恵・・・・。」
死んだはずの紗恵が木立の中でニコリと笑い、カメラを構えてレンズを向ける。
そしてシャッターに手を掛け、ゆっくりとこちらに迫って来た。
「お・・・おい・・・俊一・・・・。」
「分かってる・・・。」
俊一と克博は朱里の腕を掴み、木立の舞う土手から離れて行く。
しかし紗恵は小川の縁まで歩き、水に沈むことなく川面に立った。そしてファインダーを覗いたまま、またニコリと笑った。
「に・・・逃げよ・・・・。」
朱里の震える声と同時に、紗恵はシャッターを切った。
カシャリという機械的な音が響き、カメラを構えたままこちらに走って来る。
「いやああああああああ!」
「逃げるぞ俊一!」
「分かってる!朱里!手え離すなよ!」
二人は朱里の手を引っ張って駆け出した。月明かりが照らす青白い土手道を、全速力で逃げていく。
後ろからは紗恵の足音とシャッターを切る音が響き、物凄い速さで迫って来る。
三人は振り向くことなく走り続け、心臓が爆発しそうな勢いで足を動かした。
終わったと思った悪夢は、一年の時を経て再び始まった。
これが本物の夢なら、今すぐに覚めてほしい。誰もがそう思ったが、紗恵は確実に迫って来る。
シャッターを切りながら、笑顔を振りまいて・・・。
その顔は嬉しそうで、そして幸せを感じさせるほど楽しそうだった。
『みんな・・・・こっち向いて・・・。一緒に写ろう・・・。』
明るい声が背中に響き、ぞくりと悪寒が走る。
車まで百メートル足らずだが、そこに着くまでに紗恵に追いつかれそうだった。
《ほんまに・・・どいつもこいつも・・・・・・。》
ロクな女が寄ってこないと嘆きながら、俊一は朱里の手を引いて逃げて行く。
しかし紗恵の足音はすぐそこまで迫っていた。シャッターを切る音を聞く度に、恐怖で心臓が跳ね上がる。
『逃げきれない』
三人はそう思った。しかし足は止められない。またあの悪夢の中に足を踏み入れることだけはごめんだった。
絶望を感じながら走り、息が切れて顔が上がる。
そしてふと見上げた夜空には、月をバックにあのシルエットが浮かんでいた。
丸い目に鋭い爪、そして人の何倍もある大きな翼。
あの時恐悪霊を連れ去った恐ろしい猛禽が、翼を羽ばたいて冷たい風を起こした。
その風は三人の間を駆け抜け、思わず目を瞑った。
『みんな・・・もう一度・・・・一緒に・・・・・。』
紗恵の手が俊一の首元に迫る。冷たい指が彼を捕まえようとしていた。
しかしその瞬間に突風が吹き抜け、恐ろしいミミズクが弾丸のように飛び去った。
かつての恋人は鋭い爪で捕らえられ、月夜の空へと連れ去られて行く。
俊一達は呆気に取られてその光景を眺めていたが、すぐに我に返って車に駆け出して行く。
そして慌てて車に乗り込む途中、高い空から冷たい声が響いた。
『まだ・・・終わりじゃない・・・。私には・・・まだ時間がある・・・。終わりじゃない・・・・終わりじゃないよ・・・・俊一・・・・・。』
身も凍る恐怖を感じながらミミズクの舞う空を見上げ、克博に背中を押されて車に乗り込んだ。
「行くぞ!飛ばすからな!」
克博はエンジンを掛けてギアを入れ、思い切りアクセルを踏み込んだ。
誰もいない夜の道を高速で駆け抜け、あの恐ろしい場所から逃げていく。
「しゅ・・・俊一・・・・肩・・・・・。」
朱里が震えながら肩を指さす。するとそこには一匹の蛍が止まっていた。
「うわあああああああ!」
窓を開け、慌ててその蛍を追い払う。
淡い光はふわっと舞い上がり、死者の集うあの木立へ戻って行った。
俊一は頭を抱えて恐怖に項垂れた。もう何も見たくないし、何も聞きたくなかった。
それは克博と朱里も一緒で、限界を超えた恐怖が冷静さを奪っていった。
車は信号を駆け抜け、猛スピードで走って行く。その先には遮断機の下りた踏切があった。
しかし車は止まらない。それどころかさらにスピードを増していく。
目の前の赤い点滅に気づいた朱里が、必死に克博の腕を揺さぶった。
「ちょ・・・ちょっとカッちゃん!」
「え・・・・・ああッ!」
克博は慌ててブレーキを踏むが、勢いのついた車は止まらない。
朱里は助手席で身を屈めて顔を覆い、克博は引きつった顔でハンドルを握りしめた。
車は踏切に迫り、電車が警告音を鳴らす。目の前に眩いライトが走っていく。
「ハンドル切れ!」
俊一は弾かれたように身を乗り出し、サイドブレーキを力いっぱい引き上げた。
車は蛇行して歩道の段差に乗り上げ、大きな音を立てて踏切の横にある電柱にぶつかった。
電車は車のすぐ横を走り抜け、赤い点滅が消えて遮断機が上がっていく。
間一髪で危機を脱した車は、側面がへこんでタイヤが歪んでいた。
「みんな・・・大丈夫か・・・?」
前の席を見ると、克博と朱里は青ざめた顔で放心していた。
俊一は力が抜けて座席にもたれ、虚ろな目で宙を睨んだ。
事故を免れた安堵と、死にかけた恐怖で思考が止まっていく。乾いた唇を舐め、じっと前を見ていると、ルームミラーに丸い月が映っていた。
流れる雲が丸い月を覆い始め、青白い光が失われていく。
《もう・・・ごめんや・・・こんなことは・・・・・・・。》
事故の音を聞きつけた周りの住人がパラパラと現れ、不安そうな顔でこちらを見つめている。
その内の一人が車に駆け寄り、窓を叩いて尋ねた。
「大丈夫?救急車呼ぼうか?」
それはとても美しい女で、短い髪にクリーム色のワンピースを着ていた。
それは立花とは別人だったが、フラッシュバックのようにあの悪霊のことが蘇り、俊一は首を振って頭を抱えた。
克博も朱里も、これ以上はごめんだとばかりに呆然と俯く。
「ねえ、救急車呼ぼうか?」
俊一は項垂れたまま顔を覆い、もう二度とあの場所には行くまいと決めた。


              -了-

 

木立の女霊 第十五話 女霊は消えない

  • 2014.09.28 Sunday
  • 17:52
木立の中に、ちらほらと蛍が飛んでいる。
晴れた夜空の光を受け、青白くゆらめく小川の上にも舞っている。
初夏の温い風が茂る草を揺らし、土手の斜面がなびいていく。
「去年より・・・少ない気がするなあ。」
俊一は胡坐を掻いて土手の縁に腰を下ろしていた。
遠くの方から人の喋る声が聞こえ、賑やかしく笑っている。
時折ライトの明かりが見え、オレンジの光線が木立を走っていく。
「お前ら、もっと静かに見ろや。」
「ああ、ごめんごめん。」
土手の向こうから返事が聞こえ、砂利を踏む足音を響かせてこちらにやって来た。
「ちょっと綺麗やったもんやから、ロマンチックな雰囲気になってもてな。」
「まさかここでセックスするつもりやったんちゃうやろな?」
俊一は眉をしかめて克博を見上げた。その腕には朱里がくっついていて、頬を赤くして笑っていた。
「カッちゃんな、思い切りここでエッチなことするつもりやってん。だってあたしのズボンの中に手え入れて・・・・、」
「いらんこと言うな!」
「お前らは一年経ってもバカップルのままやな。来月結婚するんやったら、もうちょっと落ち着けよ。」
「いやいや、俺は変なことするつもりはなかったで。ただ子作りの予行演習を・・・・、」
「やかましい。同じことやないか。」
克博は照れ笑いを見せて朱里を抱き寄せ、隣に腰を下ろした。
「なんか去年より蛍が少なくなってへん?」
「ああ、こういうのは毎年変化すんねん。多い時もあれば少ない時もある。去年は多い方やったんやろなあ。」
「へえ・・・カッちゃん物知りやなあ。」
「まあ伊達にカメラ屋に勤めてるわけちゃうからな。ははは。」
「カメラ屋と物知りと何の関係があるねん。」
バカップルもここまで来ると立派なものだと思い、仲良く手を握り合う二人を見ていた。
一匹の蛍が群れから離れて土手の方に飛んで来て、近くの草に止まった。
淡い光を点滅させ、必死に自分の存在をアピールしている。
俊一はその光を見つめながら、去年のことを思い出していた。


            *


暗い意識の底から目を覚ますと、木立の中に倒れていた。
立ち上がろうとすると背中に激痛が走り、思わず膝をついてしまった。
《あかん・・・ここで倒れたら紗恵が・・・・・。》
希美はこの小川の先に紗恵がいると言っていた。
俊一は背中の激痛をこらえ、浅い小川の中を歩いて下流へと下った。
すると川べりに人が倒れていて、ぐったりとした様子で腕を投げ出していた。
「紗恵!」
痛みに我慢しながら駆け寄ると、彼女は真っ青な顔で気を失っていた。
身体の半分が水に浸かっているせいか、恐ろしく冷たかった。
「紗恵!しっかりせい!」
肩を掴んで抱き起こし、強く揺さぶっていると小さく唸った。
「まだ生きてるな・・・でも・・・・・。」
今の俊一には、彼女をおぶって運ぶ力はなかった。フルマラソンを走った後のように疲弊し、背骨の激痛が意識を奪いそうになる。
しかしこのまま放っておけば、紗恵は確実に死んでしまいそうだった。
どうしたらいいのか途方に暮れていると、遠くの方からサイレンの音が聞こえて来た。
「この音は・・・救急車じゃないな・・・。パトカーか?」
しばらく待っていると赤い光が見え、サイレンを鳴らしたまま土手道に入って来た。
車のライトが暗い夜道を照らし、俊一のいる所まで走ってくる。
「お〜い!ここや!早く来てくれ!」
二台のパトカーが土手の上に停車し、数人の警官が降りてくる。
そして警官に混じって克博が姿を現し、一目散に駆け寄って来た。
「俊一!大丈夫か!」
彼の顔を見た途端に安堵が押し寄せ、力が抜けてへたり込む。
警官は倒れた紗恵に話しかけ、瀕死の状態にあることを確認して顔色が変わった。
「ほら、立てるか?」
克博に引っ張られて立ち上がり、肩を支えてもらいながら歩いて行く。
紗恵は体格の良い警官に抱えられ、急いでパトカーまで運ばれていった。
「何があったんや?」
「・・・色々や。ここで全部を話してたら夜が明けるくらいにな。」
そう言って笑うと、克博は怪訝な顔で眉を寄せていた。
それから急いで病院に運ばれ、俊一と紗恵は治療を受けた。
同じ病院には朱里もいて、命に別条がないことを知ってホッとした。
その翌日、治療を終えた俊一は個室に寝かされていた。
背骨にヒビが入っていて、もう少しで脊椎が損傷を受けるところだったと言われた。
しばらくは絶対安静。移動するときは車椅子が義務付けられた。
見舞いに来た両親は泣きそうなほど心配し、朱里の両親も顔を見せに来てくれた。
そして皆が帰ったあと、面会時間がギリギリになって克博がやって来た。
「これトコブシヤのケーキな。まさか男に買う羽目になるとは思わんかったけど。」
「悪いな、高っかいケーキやのに。」
克博はテーブルにケーキを置いて、椅子に座ってから切り出した。
「どうや具合は?」
「背中が痛むな。治ってからも、ちょっとリハビリせなあかんらしい。」
「そうか・・・。でも無事でよかったわ、ほんまに。」
「朱里は大丈夫らいしな。オーナーが言うてたけど。」
「うん、もうけっこう元気になってるで。運ばれた時はヤバかったけどな。」
克博が神妙な顔で呟くと、病室のドアが開いて朱里が入って来た。
「おお、俊一!えらい大袈裟に寝かされてるなあ。」
「ああ、アカンて!大人しくしとけって言われてたやろ。」
「嫌や。暇なんやもん。」
克博の言うことも聞かず、朱里は小走りに駆け寄り、ベッドに腰掛けて俊一の手を握った。
「ずっと心配してたんや・・・。背骨が折れてたんやって?」
「折れてたら生きてないよ。折れかけてたんや。」
「そうなんや・・・痛い?」
「ちょっとだけな。お前はどうやねん?もう大丈夫なんか?」
「うん、めっちゃ元気!」
そう言ってニコリと笑い、足をブラブラさせて俯いた。
「どうした?暗い顔して。」
俊一が尋ねると、朱里は躊躇いながら上目遣いに切り出した。
「あのな・・・夢の中に姉ちゃんが出て来たんや・・・。」
「希美が・・・?」
「うん。ほんの一瞬やったけど・・・。『さよなら朱里、元気で』って・・・・。」
「そうか・・・。お前の所にも別れを言いに来たか・・・・。」
「お前も所にもって・・・俊一も姉ちゃんに会ったん?」
「会ったどころじゃない。希美が助けてくれへんかったら、俺はここにおらんかったかもしれんからな・・・・・。」
「なあ・・・それ詳しく聞かせて。あの後何がどうなったんか。」
朱里は身を乗り出して言い、克博も足を組みかえて頷いた。
「俺もそれを聞きたいわ。あの後あそこで何があったんか・・・ちゃんと説明してくれ。」
二人は真剣な目で見つめ、じっと俊一の言葉を待っている。
それは逃げることを許さない重い視線で、正面から受け止めるのが辛くなって頭を寝かせた。
「分かった。お前らが病院に行ったあと、あそこで何があったんか説明するわ。信じてもらえへんかもしれんけど・・・。」
俊一は宙を見つめ、そこにあの時の夜空を思い出しながら説明した。
あまりに現実離れした出来事だった為に、その説明はたどたどしいものになってしまった。
しかし朱里も克博も、一切茶化すことなく真剣に聞いていた。
俊一の言葉を一つ一つ噛み砕くように、そしてそれを自分の頭に叩き込むように、ただ黙ってじっくりと聞いていた。
全てを話し終えると、俊一は二人に笑ってみせた。
「な、信じられへんやろ?笑ってもええで。」
明るい声でそう言うと、朱里は首を振って俯いた。
「私は信じるで・・・。だって・・・私だって姉ちゃんに助けてもらったんやから・・・。それに最後のお別れだって言いに来たし・・・。」
低い声で呟き、グスっと鼻をすすって唇を噛む。
「そうやな・・・。確かに現実離れしてるけど・・・お前の言うことは信じるわ。希美ちゃんはほんまにお前のことが好きやったからな。それは死んでからも変わらんかったんやろ。」
克博は神妙な顔のまま笑い、そして厳しい表情になって尋ねた。
「でも紗恵のことは許せんな・・・。希美の事故の原因を知っておきながら、シレッとお前に近づいて来たんや。
自分勝手なところがある奴とは思ってたけど、まさかここまでとは・・・。」
その声には怒りが含まれていて、組んだ足が忙しなく揺れていた。
「なあ、紗恵はどうしてんねん?あいつも危なかったけど、今は大丈夫なんか?」
俊一が尋ねると、朱里は足をブラブラさせたまま答えた。
「もう目え覚ましてるで。私もカッちゃんも会いに行ったからな。でも・・・すごい思い詰めた顔してた。元気もないし、口数も少なかったし・・・。
あの子、きっと後悔してるんちゃうかな。俊一を誤魔化し続けてたことを。」
「そうか・・・。」
じっと天井を見つめながら、重い息を吐き出す。紗恵に対して許せない気持ちがあるのは俊一も同じだった。しかし最後に希美が言った言葉を思い出し、グッとその怒りを抑え込む。
「なあ、ちょっと車椅子押してくれへんか?紗恵に会いに行きたいから・・・。」
「やめとけよ。あんな奴に会わんでええ。どう考えても絶交しかないやろ。」
克博は不機嫌そうに言うが、俊一はベッドから身体を起こして車椅子を引き寄せた。
「おい・・・無理すんなや。絶対安静なんやから・・・。」
「いや、俺は紗恵に会いに行く。あいつの気持ちを知りたいし、それに俺の気持ちも伝えたい。」
克博と朱里は顔を見合わせ、諦めたように息を吐く。
「分かった・・・。連れて行ったるから車椅子を貸せ。」
克博は渋々という感じで立ち上がり、俊一の肩を支えて車椅子に座らせた。
「あたしも行く!」
朱里はベッドから跳ね下り、点滴の棒を掴んで歩きだす。
「待て待て!針が抜けるやろ。」
「早よ来いな。先行ってまうで。」
「点滴だけ運んで意味あるかい・・・。」
三人は病室から出てエレベータに乗り、紗恵の病室まで向かった。
そこは俊一の入っている個室よりもさらに立派な個室で、躊躇いがちにノックをしてドアを開けた。
「よう、元気になったか?」
「俊一・・・・・。」
紗恵はベッドに座って窓の外を見ていて、疲れた顔で振り向いた。
克博は紗恵の元まで俊一を運び、気を遣うように離れていく。
「外におった方がええか?」
「・・・悪いな。そうしてくれるか?」
「朱里ちゃんは・・・・、」
「あたしも外で待っとくわ。二人でじっくり話して。」
朱里は手を振り、克博と寄り添いながら病室を出て行く。
カタンとドアが閉じられ、立派な個室には俊一と紗恵だけになってしまった。
「凄い豪華な部屋やな。さすが金持ちのことだけある。」
「・・・それ嫌味?」
俊一の冗談で僅かに笑う紗恵だったが、また疲れた表情に戻って俯いた。
膝の上で組んだ手を不安そうに動かし、その目はここではないどこかを見ているようだった。
俊一は車椅子を動かして紗恵の前に行き、唾を飲んでから切り出した。
「あの夜・・・信じられへんことがあってな・・・。悪い霊から希美が助けてくれたんや。それで・・・・その時にお前のことを・・・・・。」
上手く言葉が出てこず、口ごもって唇を舐めた。
思い詰めた空気が二人の間に漂い、空調機の機械音がやけに大きく感じられた。
俊一は車椅子の車輪をさすりながら、鼻から息を吐いて顔を上げる。
「希美を撥ねた車は・・・お前の・・・・・、」
そう言いかけた時、紗恵の顔がくしゃりと歪んだ。ポロリと涙がこぼれ、呻くような声で呟く。
「・・・ごめんなさい・・・・・・。」
紗恵の目から決壊したダムのように涙が溢れ、ベッドのシーツを掴んで項垂れる。
長い髪が顔にかかり、むせるように肩を揺らしていた。
俊一は思った。多くを語る必要はないと。彼女の涙と、『ごめんなさい』という言葉が、全ての気持ちを表していた。
心の中で準備していた言葉は露のように消え、俊一は車椅子を引いて紗恵を見つめた。
「・・・希美は・・・お前のことを恨んだりしてなかった・・・。それで・・・俺にも・・・お前を恨んだり憎んだりしたらアカンって言うてた・・・。
だから・・・お前を責めるようなことはせえへん。後のことはどうするかは、お前が決めたらええ。」
そう言い残し、車椅子を反転させて背を向ける。
片手で車輪を動かし、片手で点滴の棒を握りながらゆっくりとドアへ向かう。
「俊一!・・・私・・・・ごめん・・・。黙ってて・・・ごめんなさい・・・。」
紗恵の本気の言葉が背中に突き刺さる。しかし俊一は振り向くことなくドアに向かい、一言だけ返した。
「・・・じゃあな・・・・・。」
ドアを開けると朱里と克博が待っていて、俊一は思わず顔を逸らした。
「終わったんか?」
「・・・うん。」
二人は頷き、車椅子を押して病室を出る。そして紗恵を見つめながらゆっくりとドアを閉めた。
去りゆく病室から、紗恵の低い泣き声が響く。
三人は淡々と廊下を歩き、無言のままエレベーターに乗った。
俊一はゆっくりと流れる点滴を見つめながら、もう二度と紗恵に会うことはないだろうと思った。

木立の女霊 第十四話 木立の女霊(2)

  • 2014.09.27 Saturday
  • 18:16
俊一は息を飲みながらゆっくりと立花に近づく。そして彼女の前に立ち、そっと手を伸ばして触れようとした。
《アカン!やめて!》
希美が飛びつき、強く抱きしめて後ろへ引っ張っていく。
俊一は手を伸ばしたまま悲しみに暮れる立花を見つめ、切ない顔で呟いた。
《立花・・・こんなことせんと・・・生きてる時に言うてくれれば・・・・。》
その言葉に彼女は顔を上げ、何かを求めるような視線を向けた。
《・・・もっと素直に言うてくれれば・・・・友達くらいにはなれたかもしれんのに・・・。》
泣いていた立花の顔が見る見るうちに希望に満ち溢れ、小川から立ち上がって歩いて来た。
『ほんと・・・・?ねえ・・・・それほんと・・・・・?』
《アカンて俊一!あんたは何も分かってない!悪霊に隙を見せたらどういうことになるか・・・・・・、》
言いかける希美の言葉を遮り、立花は俊一に抱きついて来た。
その力は強く、あっさりと希美から引き離されてしまった。
《やめて!それ以上俊一を傷つけんといて!》
希美は必死に俊一を守ろうとするが、立花に突き飛ばされて小川の中に倒れた。
『ねえ・・・ほんとに・・・ほんとに友達になってくれるの・・・?』
抱きしめる腕にさらに力を入れ、拒否を許さない目で睨んでくる。
《そ・・・その前に・・・・、この腕を離してくれ・・・・・。》
『嫌!もう逃がさない・・・・。だって俊一君言ったじゃない。友達ならいいって。だから・・・・・ずっと友達でいましょ・・・。これから先も・・・・二人だけの世界で。』
立花は喜びで涙を流しながら、さらに力を入れて抱きしめる。
俊一の首元に顔を埋め、絶対に離すまいと万力のように締め上げる。
『逃がさない・・・どこへも行かせないから・・・。私達は友達・・・・。ずっとずっと一緒にいる・・・・・。誰にも邪魔はさせない・・・。』
そう言って顔を上げ、満面の笑みで俊一を見つめた。
《ま・・・待ってくれ・・・・・。俺はそんなつもりで言うたんとちが・・・・、》
『逃がさないから!絶対に絶対に、あなたを逃がさないからあああああッ!』
凄まじい雄叫びを上げて俊一を押し倒し、小川の中から彼を引き上げる。
『行くの・・・・二人だけの世界に・・・・・行くのよ・・・・。だって・・・・私達は友達なんだから・・・・・・。』
《待ってくれ!やっぱり今の無しや!お前とは友達も無理や!》
『そんなの許さない・・・。だって・・・・友達になってくれるって言ったじゃない。』
俊一は激しく後悔していた。下らない同情をしたが為に、この悪霊は勘違いしてしまった。
なぜ希美があれほど止めようとしていたのか、今になって理解した。
《俊一を返してって言うてるやろ!》
希美は小川から駆け出して立花に掴みかかるが、蚊でも払うように簡単に突き飛ばされてしまった。
《希美に手え出すなや!》
そう叫んで立花の手を振り払い、倒れた希美の元へ駆け寄ろうとした。
しかし立花はそれを許さない。美しい顔を歪ませ、鬼のような表情で迫って来る。
『逃がさないって言ってるでしょおおおお!どこへも行くなああああああああああッ!』
その叫びと共に、彼女の顔と身体は醜く腐敗していく。土葬した墓場から抜け出して来たような、おぞましい姿で襲いかかってくる。
『俊一いいいいいいいいいいいッ!』
骨が剥き出しになった手で俊一の襟首を掴み、凄まじい力で持ち上げる。
そして思い切り地面に叩きつけ、馬乗りになって首を絞めにかかった。
『あんたはまだ生きてる!ちゃんと背骨を折ったのに、希美が余計な力を使って守ったからまだ生きてる!
だから・・・・・ここで殺す!ちゃんと殺して、二人だけでここじゃない世界へ行くのよおおおおおおおッ!』
「がッ・・・・・がはッ・・・・・・。」
腐敗した立花の手が喉に食い込み、首の骨がメキメキと音を立てる。
力を込めて引き離そうとするがビクともせず、殴っても蹴ってもまるでこたえていなかった。
《・・・ええ加減に・・・・せえよ・・・・。この・・・・自己中女が・・・・・。》
俊一は怒りを込めて睨み、ガンガンと立花の背中を蹴り上げる。
『あんたが言ったんでしょおおおおお!友達になろうって!だったら友達になってよ!
今さら逃げるなんて絶対に許さない!どこへも行かせないからああああああああッ!』
首の骨が嫌な音を立て、背骨を折られた時のように軋み出す。意識が遠のき、視界がぼやけて滲んでいく。
《もう・・・・終わりか・・・・。ここで・・・・・死ぬんか・・・・・・。》
その時、頬に暖かいものを感じて手を触れた。するとそこには蛍が止まっていた。
触れた瞬間にそれが希美だと分かり、そっと手で包み込んだ。
《大丈夫・・・・守るから・・・・大丈夫・・・・・。》
優しい声が響き、蛍は俊一の手の中から飛び上がった。
そして淡い光を強く輝かせ、暗い木立の中に消えていった。
すると木立から大量の蛍が押し寄せ、立花の目の前でピカピカと点滅しだした。
『邪魔するなああああああああ!』
立花は蛍を鷲掴みにして握り潰していく。しかし蛍は怯まない。
木立の中からどんどん押し寄せ、立花を取り巻いて光を点滅させる。
『・・・・やっぱり・・・・みんな私のことを嫌ってるのね・・・・・。こんな場所でも・・・・・私を求める人はいない・・・・・。』
その声は切なく、そして悲しみに満ちていた。立花は蛍を無視し、首を絞める手に力を入れた。
『でもいいの・・・・。もうすぐ俊一君が一緒に来てくれるから・・・・・。あなたが傍にいれば・・・・・・他に何も要らないわ・・・・・。』
立花は腐乱した顔で涙を流し、泣き笑いの表情で見つめる。
俊一は彼女の頬に触れ、落ち着いた声で静かに言った。
《ごめん・・・・俺は・・・・お前と友達になるのは無理や・・・・。同情はするけど・・・・でも・・・・俺はお前が嫌いや・・・・。》
『・・・・・・・・・・・・・・・。』
その言葉は立花の胸を貫いたが、それでも彼女は表情を崩さなかった。
悲しみに満ちた目で笑い、涙を流しながら顔を近づけて来る。
《やめろこの変態女!誰がキスさせるか!》
俊一は顔を逸らして立花を押しのけようとする。
しかし彼女は動かない。さらに顔を近づけ、腐敗した顔で唇を求めてくる。
『俊一君・・・・好き・・・・。あなたのことが・・・・好き・・・・。』
立花の目から溢れる涙は、赤い血に変わっていく。
死んでも消えない激情が、彼女を本物の化け物へと変えようとしていた。
無数の蛍はそれを警戒するように忙しなく飛び回り、淡い光を警報のように光らせる。
立花の力は強く、俊一には成す術がなかった。彼女の唇が目の前に迫り、抵抗するのを諦めて力を抜いた。
《・・・ええか、よく聞けよ。俺が好きなのは・・・希美だけや。女として愛しているのは・・・・希美だけや。俺を殺したって、そのことは変わらん。
俺は・・・死んだら希美のところへ行く。あいつと二人だけで、ずっと一緒におる。死んでも・・・・お前のもんになったりせえへん・・・・・。》
俊一は真っすぐに立花を見つめて言った。その瞳は一点の濁りもなく、その言葉は一切の嘘がなかった。
それは確実に立花の胸を貫き、歪んだ激情が壊された。
彼女はピタリと動きを止め、身を反らして顔を覆った。
『・・・んんんんん・・・・うううえええあああああああああああ!』
今までで最も大きな叫びが響き渡る。悲しみと怒りと絶望が入り混じった、地獄の悪魔のような叫びだった。
『てえめえええええええ!私がどれだけ愛してると思ってんだよおおおおおお!どれだけ守ってやったと思ってんだよおおおおおおおおお!
自己中なのはてめえのほうだろうがああああああああああッ!』
激しい怒りは身体を震わせ、腐った肉がそげ落ちて骨が露わになっていく。
それは悪霊というより、魂を狩りに来た死神のような姿だった。
『消してやる!私のものにならないんなら・・・消してやるううううううう!』
恐ろしい化け物になった立花は、また首を絞めにかかってきた。
その力は先ほどの何倍も強力で、ギロチンに掛けられているような絶望感だった。
《もう・・・マジで・・・・無理や・・・・。》
今度こそ終わりだと諦めかけた時、冷たい風が吹いて木々がざわめいた。
そして木立の中から何かが飛び出し、暗い夜空へ舞い上がって行った。
《来た・・・・。もう・・・・時間切れや・・・。》
蛍となった希美が呟き、ふわっと俊一の胸に舞い降りる。
《じっとしてて!動いたらアカンよ。》
そう言ってピカピカと光りを点滅させる。
辺りを舞う無数の蛍が一斉に飛び散り、何かを避けるように逃げていく。
分厚い雲が途切れて月明かりが射し、俊一は思わず顔を上げた。
《あれは・・・・。》
輝く月に何かのシルエットが浮かんでいる。そのシルエットは空気を切り裂くように翼を羽ばたき、ビュっと冷たい風が走った。
それはミミズクだった。まん丸な目を光らせ、鋭い爪をギラリと光らせてこちらに飛んでくる。
立花はそれに気づかずに首を絞め続ける。怒りと憎しみだけを宿した化け物となって、今にも俊一の命を奪おうとしていた。
あまりの苦しみに身を悶えさせると、また希美が言った。
《動いたらアカン!じっとしてないと・・・・・、》
その時だった。強い風が頭上を駆け抜け、俊一は思わず目を瞑った。
立花は異変に気づいて顔を上げたが、時はすでに遅かった。
巨大なミミズクの恐ろしい爪が、彼女の身体を貫いて鷲掴みにしていた。
そして弾丸のように駆け抜け、一気に空高く舞い上がった。
『いやあああああああ!待って!お願い待ってええええええ!』
月明かりが照らす夜空に、立花の悲鳴が響き渡る。
『行きたくない!あの世になんか行きたくないいいいいいい!地獄なんか嫌ああああ!俊一いいいいいいいいいいい!うえああああああああああ!』
俊一は呆気に取られてその光景を見つめていた。
ミミズクは立花を鷲掴みにしたまま、深い山の方へと飛んで行く。
その先にはうっすらと赤い鳥居が浮かんでいて、この世ならざる怪しい気を放っていた。
『嫌ああああああああああ!ごめんなさい!ごめんなさいいいいいいいいい!
あそこに連れて行かないでえええええええええ!俊一いいいいいいいいいいッ!』
しかしミミズクはその頼みを聞き入れない。それどころかさらに爪を食い込ませ、絶対に逃がすまいとしっかりと締め上げる。
そして二度、三度と羽ばたいて、風を切ってスピードを増していった。
ミミズクは吸い込まれるように山の鳥居を目指し、立花は恐怖で絶叫していた。
《俊一・・・・・。》
人の姿に戻った希美が、寄り添うように抱きつく。
俊一は彼女の肩を抱き寄せ、立花の最後を見つめていた。
『俊一いいいいいいいいい!嫌あああああああああああ!』
ミミズクは立花を鷲掴みにしたまま、風のように鳥居の下をくぐる。
恐ろしい悪霊は、悲鳴を響かせて鳥居の向こう側へと連れ去られてしまった。
《お・・・・終わったんか・・・?》
息を飲んで睨んでいると、この世ならざる怪しげな鳥居は、ぼやっと陽炎のように消え去った。
辺りには静寂が戻り、月明かりが照らす木立の中に無数の蛍が舞っていた。
《俊一・・・・・大丈夫?》
希美は心配そうに顔を覗き、彼の手を握りしめた。
《ああ・・・間一髪やったわ・・・。もう少しで首が折れるところやったけど・・・。》
ゾッとしながら首を擦っていると、希美は強く抱きついてきた。
《よかった・・・よかった・・・・。》
《希美・・・・・。》
俊一は彼女の背中に手を回し、しっかりと抱きしめた。
二人はしばらく抱きしめ合い、小川の流れる心地の良い音に耳を傾けていた。
《お前が助けてくれたんやな・・・。あの時、背骨を折られて死んだと思ってたけど・・・。》
《・・・うん。間に合ってよかった・・・。》
希美は顔を上げ、目と鼻を赤くして小さく笑っていた。
《なんか・・・夢みたいやな・・・。さっきまでの出来事も、こうしてお前と会えるのも。出来ればずっとこの夢が覚めんといてほしいな・・・・。》
俊一は本心からそう言った。ずっと希美と一緒にいられるなら、このまま死んでも構わない。
しかし希美は強く首を振り、立ち上がって言った。
《そんなんアカンよ。俊一はまだ生きてるんやから、ずっとこんな所におったらアカン。》
木立の中を舞う蛍が希美の周りに集まり、踊るように回り始める。
《ここはあの世とこの世の狭間なんや・・・。向こうに行く前に少しだけ時間がもらえる場所。
無念のうちに死んだ魂とか、どうしても想い残した事がある魂がここに集まってくる。
私は・・・・俊一のことが気がかりやった・・・。私が死んでから抜け殻みたいになってしもて・・・。ほんまはもっと明るくて元気やのに・・・・・。》
彼女の声は風のように俊一の耳に吸い込まれる。心地よく、そして切なく・・・・。
《それにあの子がずっと俊一のことを狙ってたから、このまま向こうに行くわけにはいかへんかった・・・。何としても・・・・あんたのことを守らんとと思って・・・。
だから・・・・・・。》
希美は言葉に詰まり、俯いて肩を震わせる。俊一はゆっくり立ち上がって彼女を抱きしめ、耳元で呟いた。
《ありがとうな・・・ほんまにありがとう・・・。やっぱりお前は、俺にとって一番の存在や。死んでからでもそれは変わらへん。俺が愛してるのは・・・・・お前だけや。》
希美は俊一の顔を見つめ、透き通るような涙を流して笑った。
《それ・・・生きてる時に言うてほしかったわ。》
《・・・・ごめん・・・。勇気が無くて・・・・よう言い出せへんかった・・・。こんなん今さら言うても困らせるだけやのに・・・・・。》
俊一は申し訳ない思いで俯いた。しかし希美は首を振り、俊一の頬に手を当てた。
そしてそっと唇を重ね、すぐに顔を離してニコリと笑った。
《・・・最初で最後のキスやね・・・。でも・・・向こうに行く前に夢が叶った・・・。俊一・・・私も愛してるよ・・・・・大好き・・・・。》
《・・・希美・・・・・・。》
二人は優しく抱き合い、強くお互いの存在を感じ合った。
今日、ここで本当にお別れする。もう二度と、こうして抱き合うことも、触れ合うこともない。
それは胸を締め付けるほど悲しかったが、これ以上ここに留まる時間は残されていなかった。
俊一にも、そして希美にも・・・・・。
《もう行かなアカン・・・。私の思い残すことはなくなったから・・・。それに・・・俊一にはまだやらなアカンことがあるやろ?》
《やらなアカンこと・・・?》
《そう・・・。紗恵ちゃん、まだ生きてるんやで。この小川の向こうで、どんどん体温が奪われてる・・・。早く行かんと死んでしまうから・・・・助けてあげて・・・。》
俊一は希美の肩に手を置き、真剣な目で尋ねた。
《お前は・・・知ってるんか?紗恵がお前の事故に関わってたことを。》
《・・・知ってるよ。でも・・・紗恵ちゃんが撥ねたわけじゃないから・・・。それにどっちにしたって私はもう死んでるんや。生き返ることはないから。
だから助けに行ってあげて。紗恵ちゃんだって、きっと悔やんでると思う。自分を責めて・・・私と俊一に申し訳ない事をしたと思ってるはずやから・・・。
だから・・・憎んだり恨んだりしたらあかんよ。絶対にそんなことしたらあかんで。》
そう言って希美は俊一から離れて行く。
愛おしそうに見つめながら、ゆっくりと木立の方まで下がっていく。
《希美!また・・・また会えるよな?》
しかし彼女は何も答えず、月明かりに照らされた木立の中まで下がって行った。
そして小さく笑い、手を振って囁いた。
《・・・またね・・・俊一・・・・・・バイバイ・・・・・。》
《希美!》
俊一は駆け出し、小川を渡って希美に手を伸ばした。
しかしその手が触れようとした瞬間、彼女はパッと弾けて光の粒子に変わり、蛍となって夜空に舞い上がっていった。
《希美いいいいいいい!》
《・・・さようなら・・・・・・元気でね・・・・・・。》
踊るように、そして歌うように舞いながら、蛍は青白い夜空の中へと消えていく。
俊一は手を伸ばしたまま呆然とし、雲が流れる空を見上げていた。
辺りを飛び回っていた無数の蛍が木立の中に消えていき、それと同時に意識が揺らいでいく。
視界がぼやけて力が抜け、木立の中で仰向けに倒れ込んだ。
《希美・・・また・・・会えるよな・・・。今度は蛍じゃなく・・・人間として・・・。》
黄色い月に向かって手を伸ばし、青白い夜空に希美の顔を思い浮かべる。
流れる雲が月にかかり、光が失われて闇が押し寄せる。
何も見えなくなり、何も聞こえなくなり、何も感じなくなっていく。
俊一は無音の闇の中で目を閉じ、希美と抱き合った温もり、そして彼女とキスをした感触を思い出していた。
やがて身体から完全に力が抜け、眠るように意識の底へ落ちていく。
一匹の蛍が、別れを告げるように夢の中から飛び去っていった。

木立の女霊 第十三話 木立の女霊

  • 2014.09.26 Friday
  • 17:43
私の名前を覚えていてくれたなんて嬉しい・・・。
あなたの言った通り、私は立花美佐。希美の友達よ。
初めて会ったあの日から、ずっとあなただけを見ていた。だって、私とあなたは運命の赤い糸で結ばれた恋人なんだもの。
なのに・・・色んな人がそれを邪魔するの・・・・。
まずは宗方さん・・・あの人はずっとあたなのことをつけ回していた。私と同じようにあなたに一目惚れして、コソコソとストーカーみたいにつけ回していたわ。
まったく・・・汚らわしい女よね。私とあなたとの間に入る隙間なんて無いのに、あんなに必死になっちゃって・・・。だからね、私はあなたを助けようとしたの。
志士田君のことは知ってるわよね?あの宗方さんと付き合っていた、地味で貧相な男。
彼も可哀想よね。あんな馬鹿な女を好きになっちゃって、しかも全然自分の方を見てもらえないんだからさ。ああいうのを、女心に疎いっていうのよね。
志士田君はそのことを悩んでいて、いつも私に相談していた。
それはもう真剣に、本気で悩んでたわよ。だから私も本気でアドバイスしたの。
宗方さんが志士田君に振り向かないのは、俊一君がいるせいだって。
だから彼のいない世界へ行けば、きっと宗方さんはあなたのことを見てくれるって。
そしたらさ、あの男は面白いことになっちゃったの。
彼ね、宗方さんと心中しようとしたのよ。ナイフを買って、それで彼女を殺して、自分も死ぬつもりだった。でもね・・・逆に殺されちゃったのよ!
面白いでしょう?彼女と遠い世界へ旅立つはずが、自分だけで逝っちゃったのよ。
これってもうコントよね!せっかく彼に宗方さんを殺させようとしたのに、自分だけ殺されてるんだもの。ほんとう・・・・外見だけじゃなくて中身もないダメ男だわ。
だからね、宗方さんは私が殺したの。彼女も馬鹿な女だから、志士田君を殺してしまったことを私に相談しに来たの。ふふふ・・・彼をそそのかしたのは私なのにね。
私は宗方さんと一緒に、志士田君の死体を車に乗せてここまで来た。
そして彼の死体をこの山に埋めて、ついでに宗方さんも殺して埋めたの。
どう?凄いでしょ私。あなたをつけ回す悪いストーカーをやっつけたのよ!
あなたの為なら、人を殺すことくらい何てことはないからね。
でも・・・まだ邪魔者は残っていた。
あの野々村紗恵とかいう芸術家気どりの狡賢い女が・・・。
ひどい女よね、彼女は。希美が死んで落ち込んでいるあたなを見捨てたんだもの。
でもね、それだけならまだよかった。それで大人しく身を引くなら、私は何もしなかったわ。
なのにあの女ったら、いつまで経ってもあなたのことを忘れようとしなかった。
自分からフッたくせに、またヨリを戻そうとしていたの。
だからね、ちょっと懲らしめてやろうと思ってさ。
最初に言っておくけど、彼女はまだ生きているわよ。殺そうと思えばいつでも出来たけど、そんな生温いことはしないわ。生きたまま地獄を味あわせてやろうと思ったの。
私ね、野々村紗恵の秘密を知っているのよ。何か分かる?
ものすごく、ものすご〜くとんでもない秘密よ。
彼女ね、希美の死に関わっているのよ。希美を撥ねた暴走車は、たくさんお酒を飲んでいたの。
で、それを誰と飲んでいたかっていうと、野々村紗恵と一緒に飲んでいたの。
あの車の運転手は彼女の元恋人で、あなたと付き合っている時もちょくちょく会ってたのよ。そして彼が車を運転することを知りながら、一緒にお酒を飲んでいたの。
野々村紗恵は、べロべロに酔っぱらった元カレの車で家に送ってもらったわ。
そしてその後、あの車は希美を撥ねることになった。
あはは!私はあなただけじゃなくて、あの女のこともずっと見てたからね。だからことあるごとに邪魔をしてやったわ。
新しい恋人が出来た時、新しい仕事が決まった時、そして・・・恋人と婚約した時。
全部全部、私がブチ壊してやった!私が死んだあとだって、ずっとずっと苦しめてやったわ!
でもそれに耐えられなくなったんでしょうね。あの馬鹿女、こともあろうにあなたの所に助けを求めに行ったの。
自分が希美の死に関係していることは上手い具合に伏せて、あなたに取り入ろうとした・・・。
しかも途中で志士田君に罪を着せようとしていたわよね。『宗方さんに頼まれて志士田君が撥ねたんだ〜』なんて言ってさ。ほんとうに、狡賢くて意地の悪い女だわ・・・・。
私の一番嫌いなタイプよ。
でもね、まだ生きている。もう死にかけているけど、一応生きているわ。
だって楽に死なせたら腹が立つでしょ?こういうのは、最後までとことん追い詰めて苦しめないとね。
でも・・・あの子には悪いことをしちゃったわ。
あの朱里ちゃんっていう子、健気よね。あんなに幽霊を怖がっていたクセに、野々村紗恵を助けようと私に掴みかかって来たのよ。
そしたらさ、野々村も調子づいちゃって、カメラで私に殴りかかって来たの。
だから仕方なく朱里ちゃんも襲ったわけ。まだ死んでないと思うけど、ほんとうに悪いことをしちゃったわ・・・。だってあなた、彼女のことを妹のように可愛がっていたんでしょ?
それならあの子は敵じゃないわ。あなたの愛する妹なら、私の愛する妹だもの。
私ってこう見えても家族愛は強いのよ。ううん・・・憧れっていうのかな?
ずっと昔に両親と弟を失くしてるから、こういう家族の絆には弱いのよ。
だからこそ・・・希美には手を出さなかった。
あなたは彼女のことを家族のように想ってたんでしょ?女というより、もっともっと大切な存在として見ていたんでしょ?だからね、それは私にとって複雑だった・・・・。
出来れば希美を消してしまいたいけど、それをするとどれだけあなたが悲しむか・・・。
昔に家族を失ったことがある私には、そのことが簡単に想像出来たもの・・・。
それに希美のことは女として見ていないようだったから、大きな障害にはならなかった。
いい、全ては宗方と野々村という邪魔者のせいなの。
あの下らない馬鹿女どもが余計なことさえしなければ、私は生きている時にあなたと付き合えたかもしれない。
でも・・・・私は遅かった・・・・。
希美は死んじゃって、あなたは心を閉ざしてしまった・・・。
死んだ人間っていうのは、心の中で永遠の存在になってしまうの。
その人が愛しければ愛しいほど、忘れられない存在になってしまうのよ。
だから・・・そこに割って入るには、私も死ぬしかないと思った。
希美に勝つ方法はそれしかない。自分も死者となって、あなたの心に永遠に生き続けてやろうって決めたの。
普通はね、生きている時に出会って、その後に死んで心に残るものなの。
だから私は順番が逆になっちゃったわね。死んでから会いに来ちゃったんだもの。
でもそんな些細なことはどうでもいい。
私達はこうして二人だけの世界に来ることが出来たんだから!
ほんとうはあなたを殺すつもりなんてなかったのよ。
ただ私のことを永遠に心に住まわせてくれればそれでよかった。いつでも私のことを想って、いつでも私のことを考えていてくれれば、それでよかった・・・。
でもね、あなたが最後にあんなことを言うんだもの・・・。
愛してるって言ってって頼んだのに、あんな暴言を吐くんだもの。
『誰が言うか、この変態女』
これってね、女の子に向かって言う言葉じゃないわよ。あなたは知らないでしょう?
私がどれだけあなたのことを愛していたか、どれだけあなたのことを見つめていたか。
そういう私の気持ちとか、私の努力とか、何にも知らないでしょ?
なのに・・・・あの言葉はないわ・・・。いったいどれだけ私が傷ついたと思っているの?
宗方というストーカーから守ってあげて、野々村という狡賢い女から遠ざけて、たくさん守ってあげたのよ。
私がいなかったら、あなたはあの女達に不幸な目に遭わされていたかもしれないのに。
感謝されることはあっても、あんな暴言を吐かれる覚えはないわ。
でもね、今さらそんなことはどうでもいいの。
だってほら、あなたと私は、こうして二人だけの世界に来たんだもの。
ここでお互い蛍になって、暗い木立の中を美しく飛び回ればいいの。
蛍の光は死者の魂。この世ならざるものが舞い踊る、黄泉の宴なのよ。
さあ、私の手を握ってちょうだい。あなたはもう死んだんだから、細かいことは気にしなくていいの。ずっとずっとこの場所で、私と踊るのよ。
もう木立の中の女霊はおしまい。これからは愛しい人と、永遠に愛し合って飛び回るんだから。美しい蛍になってね・・・・・。


            *


暗い闇がどこまでも続いていた。いくら目を凝らしても光は見えない。
《俺は・・・殺されたんか・・・立花美佐に・・・・。》
まるで深海を漂うようにゆらゆらと揺れながら、何の感情も湧かずに闇を見つめていた。
《死ぬってのは・・・こういうことなんか・・・。何の感覚もないし、何の感情も湧かへん。全てが・・・無に還っていくようや・・・・・。》
『自分がいなくなる』
その考えだけが頭を満たし、木立の女霊の言葉を聞いていた。
恐ろしいほど自分勝手で、醜いほど醜悪な考え方。
あんな女に殺されたのかと思うと、情けなくてたまらなかった。
《何が殺す気はなかったや・・・。最初からそうするつもりやったんやろうが・・・。俺の周りで一番性質の悪い女は・・・間違いなくお前や!》
いくら怒っても状況は変わらず、深海のような闇を漂い続けていく。
どうせこのまま消えるのならば、難しいことは考えずにただ目を閉じていようと思った。
《・・・・・・・・・・・・。》
その時、闇を切り裂く一筋の光が降り注ぎ、そこから大きな手が現れた。
神々しく光るその手は、まるで救いの手を差し伸べる仏のように思えた。
俊一はじっとその手を見つめ、弾かれたように闇を泳いでいった。
《もしかしたら生き返れるかもしれん!きっとあれは観音様とか大仏様の手や!》
胸に希望が溢れ、力が漲って闇を泳いでいく。
光り輝く大きな手は、まるで俊一のことを待っているように忙しなく動いていた。
《もうちょっとや!神様仏様!どうか・・・どうか助けて下さい!》
渾身の力で前に進み、腕を伸ばして救いの手に触れようとした。
しかしその時、目の前を一匹の蛍が横切った。
《なんで・・・蛍が・・・・・。》
淡い光を放つ蛍は、ゆらゆらと飛んで俊一の手に止まった。
呆気に取られて蛍の光を見つめていると、頭の中によく知る声が響いた。
《その手に触れたらアカン・・・・。それは救いの手なんかと違う。俊一を地獄へ誘う、恐ろしい女の手・・・・・。》
蛍はピカピカと点滅し、羽を開いて飛び上がる。
そして円を描くようにぐるぐると舞い、パッと弾けて光の粒子に変わった。
《の・・・希美!》
弾けた光の中から希美が現れ、俊一の横にふわりと舞い下りた。
《俊一・・・その手に触れたらアカン。もうすぐ時間が来るから、それまで持ちこたえて。》
《時間が来る?何のことや・・・・・。》
《いいから私の手を握ってて。絶対に・・・俊一のことは守ってみせるから!》
希美は手を伸ばして微笑む。俊一は戸惑いながら腕を伸ばし、彼女の手をしっかりと握った。
すると救いの手だと思っていた神々しい手が、急に血管を浮き上がらせて拳を握った。
《怒ってる・・・・・。》
巨大な拳は怒りで震えていた。
神々しい輝きは失われ、その代わりに醜く腐敗した手へと変わっていく。
『俊一いいいいいいいいいいッ!』
闇を切り裂く絶叫が轟き、地震のように周りが揺れて巨大な女の顔が現れた。
《た・・・立花・・・美佐・・・?》
彼女の顔は、その手と同様に醜く腐っていた。醜悪な瘴気を撒き散らし、怒りに顔を歪ませて雄叫びを上げた。
その途端に深海のような闇は消え去り、蛍の舞う小川に戻っていた。
『もうちょっとだったのに・・・・もうちょっとで・・・私と俊一は結ばれたのに・・・。邪魔するんじゃねえよおおおおおおおお!』
立花美佐は小川の中に立ち、元の美しい姿に戻って絶叫を上げた。
欲しい物を買ってもらえない子供のように地団駄を踏み、爪を立てて自分の顔を掻きむしっている。
『何で!何でいっつもこうなるのッ!何で私だけ損するのッ!失うばっかりで・・・なんで何も手に入らないのよおおおおおおおお!』
掻きむしった顔から血が流れ、血走った目から涙が溢れて小川に落ちていく。
短い髪は嵐を受けたように振り乱れ、クリーム色のワンピースに顔から流れる血が滴っていく。
『私は・・・・私は一人だった!いっつもそう!誰も私を欲しがらない!
私はいつだって誰かを求めてるのに・・・・誰も私を求めてくれないッ!』
絶叫は悲痛な泣き声へと変わり、立花美佐は小川の中に膝をついた。
《お前・・・・苦しんでんのか?》
《アカンで、同情したら!この子を救うのは私らの役目とちゃうんやから!》
希美は俊一を抱き寄せ、その手をしっかりと握りしめる。
《で・・・でも・・・・なんかこいつの叫びは・・・・。》
俊一は小川の中に突っ伏した立花を見つめた。
彼女は拳を振り回して水を掻き上げ、ただひたすら泣いて悲しみに暮れている。
『・・・何にも無いもん・・・・。私には何にも無い・・・・。なんで大事な家族を奪われなきゃいけないの・・・・?
なんでいきなり一人ぼっちにならなきゃいけないの・・・?どうして・・・・誰も私を見てくれないの・・・?誰か・・・私を・・・。
一人は嫌だ・・・・。寂しいから・・・・怖いから・・・・・。お願い・・・・誰か・・・・・・。』
立花は放心したように空を見上げ、細い声で泣き続ける。
《お前は・・・・。》
俊一はハッキリと分かった。どうして彼女が自分に執着していたのかを。
立花は、男として俊一を欲しがっているわけではなかった。
希美や朱里に向ける愛情を、少しでいいから自分に分けてほしかっただけなのだと。
他人でありながら家族のように希美や朱里に接する俊一は、もしかしたら自分にもその愛情を向けてくれるのではないか?
彼女が欲していたのは、男女の愛ではない。ただ傍にいて、自分を見つめてくれる相手が欲しかっただけだと。
《俊一、アカンで!あの子はもう悪霊なんやから、変な同情を見せたらまた・・・・。》
《分かってる!でも・・・放っとけへんやないか。お前が死んだ時、俺は本気で後を追おうかと考えたこともあった。それくらい大事な人間を失うのは辛いことなんや。
こいつだって昔に家族を失ってる。だから・・・その辛さは分かる。こいつはただ・・・・俺と仲良くなりたかっただけやろ・・・・。》
俊一は希美の手を離し、ゆっくりと立花の方に向かう。
《アカンて!あんたは悪霊がどういうもんか分かってないんや!私だって、今までに何度も止めようとした!でもその度に痛い目に遭ってきたんや!
その子はもう人間と違う!心に隙を見せたら、なんぼでもつけ込んでくるで!》
希美の叫びは鬼気迫るものだった。しかし俊一は止まらなかった。息を飲みながら、ゆっくりと立花に近づいて行った。
木立の中から温い風が吹き、ミミズクの声が聞こえていた。

木立の女霊 第十二話 闇から這い出る死者(2)

  • 2014.09.24 Wednesday
  • 16:48
太いストラップは真ん中から真っ二つに千切られていた。それは力任せに引っ張って千切ったような、いびつな切れ方だった。
俊一は朱里を抱えたままカメラを拾い、ボタンを操作して画像を表示させた。
「これは・・・あの頭を撮った奴やな。これを掴んで蹴ってたんかと思うとゾッとするな。」
身を震わせながら画像を送り、液晶に映される写真を確認していく。
「これは焼き肉の時か・・・。こっちは志士田の家から帰る時やな。他に何か写ってないんか?」
十字キーを押しながら画像を送っていくと、ふと妙な写真が目に入った。それは克博のアパートに集まった時の写真だった。
俊一や克博、朱里が話し込んでいる。
「確か志士田が写ってないんやったよな・・・。」
まるでパソコンで加工して消したように、志士田だけがぽっかりと写真から抜けている。
しかしそのことは問題ではなかった。もっと奇妙なことが、この時の写真に起こっていた。
それは・・・・・紗恵が写っていることだった。
「なんであいつが写ってるんや?このカメラで撮ってたのは紗恵のはずやろ?」
紗恵は笑いながら俊一達と向き合い、身ぶりを交えて何かを喋っている。
その写真には俊一、朱里、克博も写っていて、志士田を除けばあの場にいた人間が全員揃っている。
「どういうことやろ・・・?おい克博!ちょっとこれ見てくれ!」
克博は素早く振り向き、電灯を向けてこちらに走って来た。
「どうした?」
「お前眩しいねん!ライト下げろや。」
「おお、すまんすまん。」
「ちょっとコレ見てくれや・・・。」
俊一は液晶を向けてカメラを差し出す。克博は膝をついてそれを覗き込んだ。
「これは今日の夕方やな。みんなええ感じで写ってるやん。」
「いや、感心しとる場合か。これ見て何かがおかしいと思わへんのか?」
「おかしい?何がおかしいねん?みんなちゃんと写ってるやんか。」
「だから、それがおかしい言うてんねん!このカメラにみんなが写ってるわけないやろ!誰が撮影してたと思ってんねん!」
「んん?誰が撮影してたって・・・・・、ああ!・・・な、何で紗恵が・・・・。」
「そうや。あいつがこのカメラに写ってるはずないんや。あいつがずっと写真を撮ってたんやからな。
お前と朱里はあの時この写真を見たんやろ?変やと思わへんかったんか?」
「いやあ・・・あの時は紗恵が操作しながら見せてくれたからなあ・・・。こんな写真は見せてもらってないで・・・。」
「それマジか・・・?」
暗闇の中に沈黙が落ちる。二人はじっと画像を睨みつけ、困惑して顔を見合わせた。
「他にも見てみた?」
「ああ、一応今日の写真は全部確認した。紗恵が写ってるのはこれだけや。」
「そうか・・・。まあええわ。とりあえずもう一回車に戻ってみようや。
ここにおってもしゃあないし。もしかしたら紗恵も戻ってる可能性があるやろ?」
「・・・そやな。とりあえずここから早いとこ逃げたいわ。」
「じゃあ朱里ちゃんは俺が運ぶわ。懐中電灯とカメラは頼むぞ。」
「分かった。」
俊一は頷いて朱里を預けようとする。しかしふと異変を感じて手を止めた。
「どうした?」
克博が強張った顔で尋ねる。俊一は何も答えず、朱里を寝かせて胸に耳を当てた。
「おい!どうしたんや?朱里ちゃんに何かあったんかッ?」
「シッ!黙って!」
俊一は耳に神経を集中させて、朱里の心音を聞く。
僅かに鼓動が聞こえるが、その音は耳を澄まさなければ聞こえない程弱いものだった。
「まずいぞ!朱里の心臓が止まりかけてる!」
「はあ!なんでや!」
「俺に聞かれても知るか!とにかくこのままやったらヤバイ。早よ車に運ぶぞ!」
克博は血相を変えて朱里を抱き上げ、全力で走り出した。
「ここに来てからおかしなことばっかりや。やっぱり来るべきじゃなかったか・・・。」
今さら悔いても遅く、顔をしかめてカメラと懐中電灯を握った。
そして克博に並んで走り、前を照らして土手道を駆けて行く。
先ほどとは違い、今度は確実に前に進んでいた。
百メートルの道を走り抜け、車のドアを開けて朱里を後部座席に寝かせた。
「紗恵はおるかッ?」
「ええっと・・・後ろまで見えへん。照らしてくれ!」
克博に言われて車内をくまなく照らすが、紗恵の姿は無かった。
「あいつどこ行ったんや!」
「まだ戻ってないんか・・・。でもこのままやと朱里ちゃんが・・・・・。」
思い詰めた顔で朱里を見つめる克博。
俊一は唇を噛んで顔を歪め、舌打ちをしてから木立の方を睨んだ。
「お前は朱里を連れて病院に行ってくれ!俺は紗恵を捜してくる!」
「一人であそこに戻るつもりか?」
「しゃあないやろ!紗恵を一人だけ残して行くわけにはいかへん!ええから早よ行け!」
「わ・・・分かった・・・。朱里ちゃんを病院に運んだらすぐ戻って来るからな!」
「いや、朱里を病院に運んだらその後は警察に行け!人の頭があったんやから動いてくれるやろ。」
「そ、そうやな・・・。ほなすぐ行って来るわ!あんまり無茶するなよ!」
克博は運転席に飛び乗り、エンジンを掛けて車を発信させた。
クラクションを鳴らして手を振り、街灯が照らす夜道を高速で走って行った。
「俺一人になってもたな・・・。朱里はあんなことになってまうし、紗恵はどこに行ったんか分からんし・・・。
これやったら、最初から一人で来といた方がよかったかもな・・・。」
暗闇に一人佇み、彼女達を連れて来たことを後悔していた。妹のように大事な朱里、かつての恋人である紗恵。
そして・・・この世で一番大切だった親友、希美。
どうして自分の周りの女は、普通じゃない目に遭うのか?
もしかしたら、自分のせいでみんなを不幸に巻き込んでいるんじゃないか?
そう思うとさらに後悔が強まり、先ほどの怒りとは別の意味で身体が熱くなってきた。
「俺は・・・誰も守れてないんや・・・。それどころか、いっつも守られてばっかりや。情けない・・・腹が立つほど・・・・情けないわ・・・・。」
握った拳に力が入り、プラスチック製の懐中電灯がミシミシと音を立てる。
『悔しい』
その言葉だけが胸を満たし、希美の言葉がふと蘇る。
《自分に負けたらあかん。怒りとか憎しみとか、それは自分に負けてるんや。》
頭の中でその言葉がリフレインし、希美の笑う顔が思い浮かぶ。
いつでも傍にあった、あの大切な親友の笑顔。もう二度と、その笑顔を見ることは出来ない。
俊一は腹を立てていた。それは希美を撥ねた人間にではなく、彼女を守ってやることが出来なかった自分に対してだった。
そして腹が立っても怒っているわけではなかった。
怒りは恐怖を打ち消すほど強力だが、長くは続かないし、我を忘れてしまう。
「忘れたらあかん・・・今日、何でここに来ようと思ったんかを・・・。」
それは戦う為だった。幽霊と向き合い、いったい何を伝えようとしているのかを聞かなければいけない。そうでなければ、恐らくこの現象は終わらない。
俊一は覚悟を決めた。
先ほどからビンビンと背中に殺気を感じていて、振り向くことを躊躇っていた。
身も凍るような冷たい視線が、自分に突き刺さっている。
それは恐ろしく、そして鳥肌が立つほど気持ち悪く、肌にねっとりと絡みつくような嫌らしい視線だった。しかしここで逃げ出すわけにはいかない。
短く息を吐き、腹を括って瞳に力を入れる。
そして拳を握ったまま、ゆっくりと後ろを振り返った。
「・・・・・・・・・・・・。」
辺りに闇が広がっている。静寂に包まれた暗い夜が、全ての光を奪っている。
そして・・・・その中に真っ白な女の顔が浮かんでいた。
闇からクッキリと浮かび上がり、じっとこちらを睨んでいる。
俊一はその顔を真っすぐに見つめた。恐怖はあったが、目を逸らすことは出来なかった。
ここで逃げれば何も変わらないし、それにこの女が獲物を追いかける猛獣のように襲いかかってくることが分かっていた。
しばらく二人は見つめ合う。女の顔は見れば見るほど美しく、思わず目を奪われるほどだった。
しかしその美しさはどこか不自然で、人工的に作られたもののように感じられた。
女は闇に浮かび上がったまま、ニコリと笑う。
その顔を見て、俊一は自分でも思いもよらない言葉が出て来た。
「お前・・・・・宗方と違うな・・・・。」
女は質問に答えず、ただ笑っている。美しく、そして不気味に・・・・・。
俊一は自分を奮い立たせ、一歩前に出た。
女の表情がわずかに変化し、笑った口元が真一文字に結ばれていく。
「お前は誰や?何で俺のことをつけ回す?」
女は答えない。俊一はもう一歩前に出て尋ねた。
「俺はてっきりお前が宗方やと思ってた。でも・・・・違うな。何でそう感じるんかは分からんけど、でも絶対に宗方じゃない。あいつはもっと違う雰囲気を持ってからな。」
俊一はさらに女に近づく。目を逸らさず、拳を握って足を前に踏み出して行く。
「なあ、教えてくれや。お前はいったい誰なんや?」
女はまたニコリと笑い、音もなくスーッと近づいて来る。
しかし俊一は逃げない。真っすぐに見据え、根の生えた木のようにしっかりと立っていた。
目前に女の顔が迫る。美しい顔が、真っすぐに迫って来る。
そして鼻が触れるかと思うほど近くで止まり、笑顔のまま言った。
《・・・誰だと思う?・・・いいえ、あなたは知っている・・・・。初めて会うわけじゃないもの・・・・。ちゃんと私のことを知っている・・・。》
その声は女にしては低く、そして妙に張りのある聞き取りやすい声だった。
彼女の声は俊一の記憶の深い部分を揺さぶり、眠っていた人物の顔を思い出させた。
「・・・ああ、確かに知ってるわ。俺は・・・一回だけお前に会ったことがある。あれは希美に呼ばれて家に行った時、お前もそこにおったな。
宗方と、志士田と、希美と・・・・そしてお前がおった。」
そう言うと女は嬉しそうに笑い、ふわふわと飛びまわって短い髪を揺らした。
《・・・良かった、思い出してくれたのね・・・・。でも一つ間違いがある・・・。私と会ったのは一回だけじゃない・・・希美のお葬式の時に会ってるわ・・・。
だから二回・・・・二回もあなたと会ってる・・・・・・。》
女はぎこちない動きで気持ち悪く飛び周り、木立に向かって奇声を発した。
それは耳を塞ぎたくなるほど鋭い叫びで、ビリビリと空気が揺れて木立がざわめいた。
すると、暗い闇の向こうで女の悲鳴が響き渡った。
『ぎゃああああああああああッ!』
「こ、これは・・・間違いない!これは宗方の声や!いったいどうなってんねん・・・。」
困惑する俊一を尻目に、女はなおも奇声を発する。
その度に宗方の悲鳴が聞こえ、女は可笑しそうにクスクスと笑った。
《なんや・・・何なんやいったい・・・・。》
息を飲んで悲鳴が聞こえる方を見つめていると、誰かがこちらに走って来る音が聞こえた。
ジャリジャリと土手道を踏みしめ、確実に俊一の方に向かっている。
じっと目を凝らして見つめていると、闇の中からクリーム色のワンピースを着た者が走って来た。もの凄い速さでこちらに駆けて来るが、その者には首がなかった。
さすがに恐怖を怯えて固まっていると、女は首のない身体に向かってふわっと飛んで行った。
そして吸い込まれるように顔と身体が繋がり、ワンピースを翻してこちらに走って来た。
よく見るとその手には丸い物を掴んでいて、こちらに走りながらポイっと投げて寄こしてた。
「な、なんや・・・・?」
思わず反射的に受け取ると、それは腐乱した人の頭だった。
頭蓋骨がパックリと割れ、いくつもヒビが入っている。
「これは・・・・さっき俺が蹴ってた頭やないか・・・・。」
震える手でそれを見つめ、地面に落として後ずさる。すると女はその頭を踏みつけ、ニコリと笑ってメキメキと潰した。
『ぎゃあああああああああああッ!』
潰された頭は空洞になった目を向けて絶叫し、ガクガクと顎を震わせている。
「ちょ・・・ちょっと待て・・・。もしかしてその頭は・・・・・。」
《・・・宗方弓子・・・・。あなたのストーカーだった人・・・・。あなたを困らせた・・・物凄く悪い女・・・・・・・。》
女は笑顔を保ったまま足に力を入れ、遂には踏み砕いてしまった。
『ギャアアアアアアアアアアア痛あああああああああいッ!』
恐怖を喚起する声が響き、小川も木立も波のようにざわめき出す。
そしてその悲鳴が消えると、潰れた頭の中から一匹の蛍が舞い上がった。
それは淡い光を点滅させ、暗い木立の中へと消えて行った。
「・・・あれは・・・宗方やな・・・。さっきのが宗方弓子やなッ?」
女は何も答えない。砕かれた頭を蹴り飛ばし、俊一に抱きついてきた。
その力は凄まじく、胸が圧迫されて呼吸が苦しくなった。
《ねえ・・・呼んで・・・・。私の名前を・・・呼んでよ・・・・。》
そう言ってさらに力を入れて抱きしめてくる。胸だけではなく背中も圧迫され、ミシミシと背骨が軋み出す。
《ねえ呼んでよ・・・私の名前・・・。知ってるでしょ・・・・?呼んでくれいないと・・・・私・・・・・・。》
女の力はさらに強くなる。抜け出そうとするにも、万力のような怪力で締められて身動きすら出来ない。
命の危険を感じた俊一は、声を振り絞って呟いた。
「・・・た・・・立花・・・・。立花美佐・・・・・。」
女は俊一の耳元で満面の笑みを浮かべ、ささやくように言った。
《・・・嬉しい・・・。やっと・・・やっと私の名前を呼んでくれた・・・・。》
そしてベロリと俊一の顔を舐め、強く抱きしめたままキスをしてきた。
嫌らしいほど唇を貪り、目を見開いて舌を絡ませてくる。
「ぐうッ・・・・・がはッ・・・・・。」
《・・・ねえ・・・私のこと好きって言って・・・・。愛してるって言って・・・・。》
女は真っ白な顔に血走った目を浮かばせながら、吐き気がするほど気持ちの悪いキスをしてくる。
「・・・だ、誰が・・・・、誰が言うか・・・・・この変態女・・・・・・。」
女の顔は一瞬にして怒りに歪み、抱いた腕に力を入れた。
「・・・がはッ・・・・・や・・・やめ・・・・・・・、」
俊一は聞いた。自分の背骨がミシミシと悲鳴を上げ、ボキリと折れる鈍い音を。
激痛が走って白目を剥き、痙攣しながら涙を流す。
女の顔が滲んで見え、プツリと意識が途切れて真っ暗な闇に落ちていく。
消えかかる命の中で、ふわりと舞う蛍の光が見えた。

木立の女霊 第十一話 闇から這い出る死者

  • 2014.09.23 Tuesday
  • 15:46
四人は克博の車でのあの蛍の小川に来ていた。
「うう・・・気持ち悪い・・・。」
「大丈夫?顔色悪いで・・・。」
朱里は今にも吐きそうな勢いで身を屈める。
「お前飲み過ぎやねん。ビール三本にワイン一本やぞ。」
「だって怖いんやもん。酒で誤魔化そうと思って・・・。」
俊一は呆れた顔で息を吐き、克博が背中を撫でて心配そうにしていた。
「車の中おるか?」
「嫌や!一人だけ残ったら余計怖いもん!」
そう叫んだ途端に嘔吐し、紗恵がハンカチで口元を拭ってやる。
「出だしから締まらんなあ・・・。」
朱里が落ち着くまで待ち、気を取り直してから出発した。
「ここから遠いんか?」
「いいや、百メートルほどやからすぐや。」
俊一は懐中電灯を取り出し、スイッチを入れて土手を歩いて行く。
「なんか・・・不気味やわ・・・。」
「だから家におれって言うたのに。」
空には厚い雲が覆っていて、辺りは完全な暗闇だった。
山の麓に流れる小川の音が妙に不気味に聞こえ、時折風が木立をゆらしてざわめきが響く。
土手の砂利を踏みしめる足音が緊張感を掻きたて、四人の心に不安と恐怖が湧き上がる。
皆は黙って歩く。気を紛らわす為に何かを話したいと思うが、思うように言葉が出てこなかった。
「ここや。」
俊一は足を止め、木立の中に懐中電灯を向けた。
「蛍がおらんな?もう時期が過ぎたんか?」
「いや、懐中電灯のせいや。消したらよう見えるで。」
そう言ってスイッチを切ると、周りに暗闇が押し寄せる。
しかしその代わりにポツポツと緑の淡い光が浮かび上がり、暗い木立の中を舞い始めた。
「おお!綺麗・・・・。」
朱里はパッと表情を明るくし、思わずその光景に見惚れる。
「そうやな、ほんまに綺麗や。余計なもんさえおらんかったらな・・・。」
再び懐中電灯のスイッチを入れ、木立の中に向ける。
闇を切り裂く橙の光が、暗い木立の中を映し出していく。
四人は注意深く木立の中を見つめ、恐怖と戦いながら意識を集中させる。
「・・・・・おる?」
朱里が不安そうに尋ねるが、俊一は首を振った。
「分からん。前はあのあたりにおったんやけど・・・。」
そう呟いて電灯を向けると、何かの顔が浮かび上がった。
「きゃああああ!出たああああ!」
朱里は克博の後ろに隠れ、紗恵は唾を飲んで後ずさる。しかし俊一は落ち着いた様子で言った。
「あれはただの鹿や。この山にはようおるんや。」
「し、鹿・・・?」
朱里と紗恵は気が抜けたように息を吐き、ホッと安堵の顔を見せる。
「ん?どうした克博?」
「・・・・・・・・・・・・。」
克博は直立不動で立ち尽くし、足元を震わせて一点を見つめていた。
そしてゆっくりと手を上げ、木立の中に向かって指さした。
俊一は顔を強張らせてその指の先を追い、懐中電灯で照らした。するとそこには小さな影が動いていた。
「・・・あれは・・・野良猫か?」
「いや・・・違う。タヌキや。」
「ああ、この山は原生林やから、野生動物がようさんおんねん。そんなにビックリするもんと違うやろ。」
「そうじゃない・・・・。タヌキの足元をよう見てみい!」
「タヌキの足元・・・?」
震える克博の言葉を聞いて、注意深くタヌキの足元を見つめた。
そこは土が掘り返されていて、その中から何か丸いものが覗いていた。
カジカジと音を立て、タヌキはその『何か』に必死に齧りついている。
「何を食うてんねん?」
目を凝らしてじっと見つめると、そこには顔を逸らしたくなる恐るべきものがあった。
「あ、あれは・・・・・・。」
懐中電灯を持つ手が震え、思わず落としそうになる。
タヌキが必死に齧りついているもの。それは人の頭だった。かなり腐敗しているようで、肉がそげ落ちて骨が見えている。
しかし、それでもハッキリと人の顔だと分かった。
「な、なんで・・・?なんであんな所に人の頭が・・・・。」
幽霊を探しに来たつもりが、気がつけば死体の頭を見つけていた。それは心霊現象とは異なる生々しい恐怖感だった。
「おい俊一!引き返そう!これは警察に知らせた方がええで!」
「そ、そやな・・・。ちょっと車まで戻るか・・・。」
咄嗟に踵を返すと、何かにぶつかってこけそうになった。
「痛ッ・・・。何やねん・・・・って、紗恵!どうしたッ?」
「あ・・・あ・・・・アカン・・・。腰が抜けてもて・・・足が立たへん・・・・。」
その顔は血の気が引いて真っ青になっていて、手にしたカメラがカタカタと揺れていた。
「お前・・・まさか撮ったんか?」
「・・・勢いで・・・シャッター押してもた・・・。どうしよう・・・・。」
「撮ったもんはしゃあない。それも警察に見せよう。ほら、おぶったるから肩に手え回せ!」
「ご・・・ごめん・・・。ありがとう・・・・・。」
カメラを受け取り、背中に紗恵をおぶる。昔より軽くなったなと余計なことを考えながら歩きだすと、克博が困ったようにこちらを見ていた。
「朱里ちゃん・・・気を失ってるわ・・・。」
「だから家におれ言うたのに・・・。しゃあない、お前抱えたれ!」
「そ、そやな・・・。ふん!・・・・・って、けっこう重いな・・・。」
よろめきながら朱里を抱きかかえ、二人は顔を見合わせてから走り出した。
車までは百メートルほどだが、なぜかとても長い時間のように感じられた。
「まだ着かんのか?もうけっこう走ってるぞ!」
「もうすぐや!早よ行くぞ!」
片手で懐中電灯を持ち、片手で紗恵を支えて走る。息を切らせながら、必死に暗闇の土手道を駆け抜けていく。
しかしいくら走っても車は見えてこず、体力が尽きかけて足が遅くなった。
「そんなアホな・・・たった百メートルやぞ・・・。もう着いてもええやろ。」
「これちょっとおかしいぞ。絶対に百メートル以上走ってるって!」
克博の言う通り、確かに百メートルは過ぎていた。しかしいくら進んでも車は見えず、ついに体力の限界を迎えて足が止まった。
「ちょっと休もう・・・。すまん、一旦下りてくれ・・・。」
「ああ・・・ごめん・・・。」
そっと紗恵を下ろし、懐中電灯を落として大の字に寝転ぶ。克博も朱里を抱えたまま腰を下ろした。
「なんで車に着かへんのや?これおかしいやろ・・・・・。」
「・・・いや、それだけじゃないぞ・・・。もっとおかしなことが起こっとる・・・。」
克博は息を切らしながら木立の中を指さす。
地面に落ちた懐中電灯が暗闇を照らし、その先でタヌキが人の頭を齧っていた。
「なんでや・・・さっきと同じ場所やないか・・・。」
「そうや。あんだけ走ったのに、全然進んでないねん。」
「んなアホな・・・。いったいどうなって・・・・・、」
呆然としてそう言いかけた時、突然女の悲鳴が聞こえた。
『ぎゃああああああああああッ!』
一瞬にして全員が凍りつき、恐怖を通り越した悪寒が背中を駆ける。
ざわざわと木立が揺れ、蛍の光がポツポツと消えていった。
「な、なんや・・・・。誰かおるんか・・・・・。」
朱里を抱く手に力が入り、克博は必死に辺りを見回す。
紗恵はギュッと俊一に抱きつき、震える手でカメラを握りしめた。
・・・・・静寂が訪れる。風がやみ、小川の音さえ消えて無音の闇が広がる。
『ぎゃああああああああああああッ!』
再び闇を引き裂く恐ろしい叫びが響き、三人は身を寄せ合って木立の中を見つめた。
『逃げ出したい』
全員がそう思った。ここから一刻も早く逃げ出したい。
それは恐怖に負けたからではなく、確実に襲って来るであろう恐ろしい気配に怯えていたからだった。
『うううう・・・・・いやああああああああああ!』
耳を塞ぎたくなる雄叫びがこだまし、不安と恐怖が極限まで高まる。
紗恵は強く目を瞑って耳を塞ぎ、克博は唇を震わせて朱里を抱きしめた。
しかし俊一は違った。今までの三回の叫びは、間違いなくあの女の声だと気づいていた。
それが怒りと闘志を湧き立たせ、身体をカッと熱くして立ち上がらせた。
「来るんやったら来んかいコラアアアアアアッ!いつまでも調子乗ってんとちゃうぞこのクソボケエエエエッ!」
無音の闇に俊一の叫びが響く。それは暗い木立の中に吸い込まれ、溶けるように消えていった。
「おいコラ宗方ッ!ちまちま人のことつけ回しやがってッ!出て来んかいこのヘタレのダボハゼ女がッ!勘違いしてつけ上がるなよ!
ビビってるのは俺らとちゃう。お前の方とちゃうんか?おおコラアアアアアッ!」
俊一の怒りは止まらない。身体はますます熱くなり、怒号は獣の咆哮のように辺りに響き渡る。
「ビビってんなやコラアアアッ!お前から売った喧嘩やろ!何隠れとんじゃあああああッ!」
そう叫んで土手を駆け下り、小川を渡って木立の中へ走って行く。
「おい俊一!戻れ!」
克博の制止も無視し、人の頭が埋まる場所まで駆け寄った。
「どけこのクソタヌキッ!」
頭を齧っていたタヌキは怯えて山の中に逃げていく。
怒りで抑制の効かなくなった俊一は、腐乱した頭を掴んで持ち上げた。
「これか?これがお前か?この腐った頭がお前なんかああああ!」
掴んだ頭を振り上げ、思い切り地面に叩きつけて蹴り飛ばす。
腐乱した頭はサッカーボールのようにコロコロと転がって木にぶつかった。
「なんぼでも蹴ったるわ!オラ!どうしたコラ!何とか言うてみいボケエエエッ!」
ガツン、ガツンと鈍い音が響き、頭の骨にヒビが入っていく。
俊一は猛獣のように歯を剥き、目を見開いて蹴りを入れ続けた。
「もうやめろ!落ち着けって!」
克博が叫ぶが、俊一は止まらない。何度も何度も蹴り飛ばし、ついにはその頭を割ってしまった。
「あのアホ・・・恐怖に負けとるだけやないか・・・。」
克博は知っていた。繊細で傷つきやすい俊一は、追いつめられるとキレて手がつけられなくなることを。それは自分の心を守る為であり、こうなるとしばらくは抑制が効かなかった。
「クソッ・・・・。ごめん紗恵、朱里ちゃん頼むわ。」
「え?ああ・・・・・。」
紗恵の腕に朱里を押し付け、小川を渡って俊一の元に駆け寄る。
そして割れた頭を蹴り続ける俊一を羽交い絞めにし、力任せに抑え込んだ。
「やめろ言うてるやろ!落ち着かんかい!」
「じゃかあしゃああああ!放さんかいコラアアアアア!」
「ええから落ち着け!あんなもん蹴ってどうすんねん!冷静になれ!」
暴れる俊一を何とか抑え込み、彼が大人しくなるまで地面に押し付けていた。
やがて怒号の嵐は治まり、辺りに無音の闇が戻る。
「俊一・・・冷静になれ。怖いのは分かるけど、そんなことしたって何にもならん。」
「・・・はあ・・・はあ・・・・クソッ・・・。出て来い宗方・・・・。」
だんだんと息が落ち着き、熱いほどの怒りが収まっていく。
それと同時に途端に身体が震え、暗い木立の中が恐ろしい監獄のように思えた。
それは激しい怒りの代償だった。激昂するほどの怒りは、確かに恐怖を打ち負かすほどの力があった。しかしその怒りが収まった時、かえって冷静になってしまう。
それはバネのように感情の力を反転させ、先ほどよりもさらに恐ろしい恐怖に見舞われた。
《俺は・・・何をした?死んだ人間の頭を蹴り飛ばして・・・割ってしもた・・・。俺は・・・とんでもないことを・・・・何であんなことをしたんや・・・・。》
自分のしでかしたことを思い出してゾッとし、頭を抱えて呻きだす。
押し殺した声が細く重い泣き声に変わり、暗い木立の中にしんしんと響き渡った。
「俺・・・人の頭を割ってしもた・・・。呪われる・・・酷い目に遭う・・・。」
「大丈夫や。死んだ人間の頭を割ったから何やねん。生きてる人間ならアレやけど・・・。」
「でも・・・これ・・・ヤバイやろ・・・。何で止めてくれへんかってん・・・。」
「何回も止めたがな。今さら何を後悔してんねん、まったく・・・。」
うずくまる俊一を立たせ、服の汚れを払ってやる。そして肩に手を置き、小さく揺さぶって話しかけた。
「ええか、自分に負けんな。ほら、希美ちゃんもよう言うてたやん。『自分に負けたらあかん。怒りとか憎しみとか、それは自分に負けてるんや』って。
ええか、この場で一番ビビってるのはお前や。幽霊が怖いんじゃない。幽霊を怖がる自分にビビってるんや。」
「・・・そうやな。自分に負けたら・・・あかんよな。」
「そうや。まあ取り合えず向こうに戻ろうや。川に入ったから足がびちょびちょや。」
克博は笑いながら言い、俊一の背中を押して歩き出す。そして小川を渡ろうとした時、また女の悲鳴が響いた。
『ぎゃあああああああああッ!』
「またか!」
「おい、落ち着けよ!今は朱里ちゃんと紗恵の所に戻るんや!」
克博に引っ張られ、俊一は木立を睨みながら土手を駆け上がった。
そして元の場所に戻ると、倒れた朱里とストラップの千切れたカメラが落ちていた。
「あれ?紗恵はどこ行った?」
慌てて周りを見渡すが、辺りに人の気配は無かった。
克博は落ちている懐中電灯を拾い上げ、慎重に周りを照らした。
「お〜い!紗恵!どこや?」
電灯を動かしながら呼びかけるが、まったく返事がない。
「紗恵!どこ行ったんや?返事しろ!」
俊一も大声で呼びかけるが、その声は闇に吸い込まれるだけだった。
「車に戻ったんかな?」
「いや・・・さっき戻られへんかったやん。」
「ほなどこ行ったんや?」
克博は辺りを照らしながら呼び続け、俊一は困惑した顔で倒れた朱里の元に寄った。
「まだ気を失ったままか。まあその方がええかもしれんな・・・。」
膝をついて朱里を抱き上げると、彼女の足がカメラに当たった。
「これ・・・何でストラップが千切れてるんやろ?よっぽど強い力で引っ張らんとこんな風にならへんぞ。」
太いストラップは真ん中から真っ二つに千切られていた。それは力任せに引っ張って千切ったような、いびつな切れ方だった。
《紗恵・・・・・。》
俊一はカメラを拾い上げ、千切れたストラップを睨んでいた。

木立の女霊 第十話 対峙する決意

  • 2014.09.22 Monday
  • 19:06
朱里の言う通り、希美の部屋には志士田の住所を記したアドレス帳が残っていた。
それを頼りに志士田の家までやって来たが、彼の母に意外な事を聞かされた。
「行方不明なんです・・・。去年の秋ごろから・・・。」
「行方不明ですか・・・?」
痩せ形で疲れた顔をした志士田の母は、胸の前で手を組み、落ち着かない様子で話した。
「一応警察に相談はしたんですけど、事件性が無い限りは捜せないって言われて・・・。」
「でも・・・息子が行方不明なんですよね?普通は捜してくれるんじゃ・・・。」
「その・・・書き置きがあったんです。」
「書き置き?どんな書き置きですか?」
「ちょっと待ってて下さい。」
志士田の母は腰を上げ、階段を上がって二階へ行った。
俊一は出されたお茶を飲みながら、殺風景な家の中を見渡した。
「なんか・・・時間が止まってるみたいな家やな。すごい寂しい感じがする。」
「そら息子が行方不明やからな。賑やかな部屋やったらおかしいやろ。」
「いや、そういう意味じゃなくて・・・。」
朱里と間のずれたやり取りをしていると、志士田の母が一枚の紙を持って戻って来た。
「これなんですけど・・・。」
そう言ってテーブルの上に萎れた紙を置く。
俊一は頭を下げてそれを手に取り、横の三人が首を伸ばして覗き込んだ。
『俺はクズや。どうしょうもないクズや。何の取り柄もない、見た目もパッとしないしょうもない男や。初めて出来た彼女も、俺の事は真剣に見てくれへん。
弓ちゃんには好きな男がおる。それは分かってる。でもいつか俺の方に振り向いてくれると思って、何でも彼女に尽くしてきた。どんなワガママでも聞いたし、どんなお願い事でも聞いた。
でも・・・やっぱり俺の事は見てくれへん・・・。ほんまに・・・どんな頼みでも聞いてきたのに・・・。もうええ、俺は生きてる価値なんか無いんや。
そう、俺はクズなんや。外見も中身もない、正真正銘のクズや。
だから・・・旅に出る。ちゃんとケジメをつけて、ここじゃない所へ旅に出る。俺は、生まれ変わらなあかんのや。だからお母さん、俺のことは捜さんといて。ごめんな・・・。』
俊一は何度も書置きを読み返し、息を吐いてテーブルに置いた。
「なんか意味ありげな書き置きやな・・・。」
朱里が口を尖らせて言う。
「これは警察には見せたんですか?」
俊一が尋ねると、母は小さく頷いた。
「持って行きました。でも・・・そのせいで警察は捜してくれなくなったんです。」
「どういうことですか?」
「利夫はもう大人ですから、自分の意志でどこかへ行ってしまったんだろうと・・・。事件性を臭わせるものじゃないし、多分恋愛関係のトラブルで悩んでたんじゃないかって。
だったら警察は何も出来ないと言われました。」
「ああ、あたしそれ知ってる。民事不介入ってやつやろ?」
朱里が胸を張って言うが、誰も相槌さえ打たずに黙っていた。
「元々大人しい子だったから、急にいなくなるなんて考えられないんです。でも興信所に頼んで捜してもらうようなお金も無いし・・・。」
「あの・・・失礼ですが、もしかしてお父さんはいらっしゃらないんですか?」
「はい、大分昔に亡くなりましたから。だからあの子だけが家族だったんです。どこかにいるなら、早く帰って来てほしい・・・・。」
母は涙ぐみ、指で目尻を拭っている。涙もろい紗恵も同じように目尻を濡らし、小さく鼻をすすっていた。
克博は肘で俊一を突き、顔を近づけて小声で言った。
「・・・おい、どうする?行方不明なんやったら話聞かれへんで・・・?」
「・・・そやな・・・でも一個だけ確認したいことがあんねん・・・。」
俊一は背筋を伸ばして座り直し、書き置きを母に返して尋ねた。
「すみません。一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい・・・何でしょうか?」
「利夫君って、車を持ってますか?」
「車ですか?持ってますよ。」
「その車を見せてもらうことって出来ますかね?」
「すいません。今は無いんです。多分利夫が乗って行ったんやと思いますけど・・・。」
「じゃあ利夫君は、自分の車に乗って行方不明になったってことですか?」
「多分・・・そうやと思います。それ以外考えられへんから・・・。」
「じゃあその車って、最近何か変わった所はありましたか?」
「さあ・・・。私はほとんど車に近づかへんから、よく分かりませんけど・・・。」
「そうですか・・・。」
俊一はガックリと肩を落とし、克博がまた小声で聞いてきた。
「なんで車のことなんか聞くねん?」
「ちょっとな・・・気になることがあって・・・。」
俊一と克博は小声で話し合う。すると母は書き置きを手にして呟いた。
「でも・・・あの子がおらんようになる前、ちょっと変わったところがあったんです。」
「変わったところ?どんなところですか?」
「特別なことじゃないですけど・・・すごい元気が無いというか、何かを考えてるというか。まるでずっと自分を責めてるような感じでした。ブツブツ独り言も多かったし・・・。」
「それっていつ頃くらいから?」
「・・・去年の夏前くらいやったかなあ・・・。急に元気が無くなって。でも中々自分の感情を表に出さん子やったから、何があったんかは知りませんけど・・・。」
「そうですか・・・。去年の夏前から・・・。」
俊一にはある考えがあった。しかしそれを志士田の母の前で言うわけにはいかず、お茶を飲み干して立ち上がった。
「お忙しいところをすみませんでした。お話聞かせて頂いてありがとうございます。」
「ああ、いえ・・・あの子の友達が家に来るなんてほとんどなかったですから。
こっちこそ、ありがとうございました。久しぶりに息子のことを話せて、ちょっと楽になりましたから。」
俊一が目配をすると、横の三人も立ち上がった。母は玄関まで見送りに来て、頭を下げて言った。
「もしあの子のことで何か分かったら、何でも教えて下さい。」
「はい、もちろんです。それじゃあ失礼します。」
俊一達は会釈を残して外に出る。母はゆっくりと玄関のドアを閉め、四人はその様子を振り返った。
「なんか可哀想やな・・・あのお母さん・・・。」
「うん・・・。たった一人の家族やのに・・・。」
朱里と紗恵はしんみりとして俯くが、俊一は別の意味で俯き、暗い顔をしていた。
「どうした?お前もしんみりしてんのか?」
克博が尋ねると、俊一は首を振って重い息を吐いた。
「ちょっとな、考えたくないことを考えてたんや・・・。」
「なんやねんな?抱え込まんと言うてみろよ。」
俊一は頷き、志士田の家を見上げながら言った。
「去年希美が死んだやろ。あれは・・・事故じゃなかったんちゃうかと思ってな・・・。」
「事故じゃない?ほな何やねん?」
「志士田の書き置きを読んだ時に、直感みたいなもんが働いた。あの書き置きの中にこう書いてあったやろ、『弓ちゃんの頼みは何でも聞いた』って。
だから・・・もしかしたら、希美を撥ねた奴って志士田ちゃうかと思ってな・・・。」
「はあ?何を馬鹿なこと言うて・・・・、」
呆れた声で言い返す克博だったが、紗恵と朱里がその言葉を遮った。
「実はあたしもそう思った・・・。お母さんの前やからよう言わんかったけど・・・。」
「うん、多分何にも感じてないのカッちゃんだけやで。」
「おいおい、何やねん。人を鈍い奴みたいに・・・。」
克博は不機嫌そうに三人を睨むが、朱里はそれを睨み返して言った。
「あの書き置きをよく思い出してみいな。志士田は宗方の為やったら何でもしたんやで。どんなワガママでも聞いたし、どんな頼み事でも聞いたって書いてあったやんか。
だから・・・・・・、」
「だから?」
問い返す克博だったが、朱里は言いづらそうに口を噤んだ。そして代わりに紗恵が答える。
「志士田君は、宗方さんに頼まれて希美ちゃんを撥ねたんかもしれん・・・。」
「はあ?なんでそんなことすんねん?」
「だって宗方さんは俊一のストーカーなんやで。俊一と仲の良い女の子は気に食わへんはずや。実際に私も嫌がらせを受けたわけやし。」
「でも希美ちゃんは彼女とちゃうやんか。」
「そう、彼女じゃないよ。でも・・・ある意味恋人以上の関係やんか。
私が付き合ってる時だって、二人の間に入る隙間はなかった。それが原因で別れたようなもんなんやから。
それくらい二人は強い絆で結ばれてた・・・。それなら、宗方さんは希美ちゃんのことを恨んでてもおかしくないやろ?」
「いや、そらそうやけど・・・。でも普通そこまでするか?」
克博は納得のいかない様子で腕を組む。しかし俊一は静かな声で言い返した。
「普通やったらそこまでせえへんやろな。でも宗方を普通の奴と思うか?色々とあいつのことが分かって来たけど、明らかに普通じゃない奴や・・・。」
「・・・でも、それやったら希美ちゃん・・・殺されたってことになるで?」
「・・・そうやな。希美を撥ねた奴はまだ捕まってないから、真相は分からん。でも・・・宗方が関係してるのは間違いない・・・。」
全てのことは想像でしかないが、俊一には確信があった。宗方弓子が希美を殺したと。
しかしその宗方弓子はもういない。そして志士田は行方不明。
これ以上何かを調べるのは無理だと思い、克博は皆に言った。
「宗方は死んでるし、頼みの綱の志士田は行方不明。もう無理やな・・・。」
「何が無理なんや?」
俊一は威圧的な声で返す。
「だって何の手掛かりもないんやで?これ以上何を調べるいうねん?」
「お前・・・何か勘違いしてないか?」
「勘違い?何がや?」
克博も威圧的な声で返す。
「ええか。俺らは探偵ごっこやってるんと違うで。志士田が行方不明なんてどうでもええねん、あのお母さんには悪いけどな。
それと・・・希美が事故死やったかどうかなんて、今さら分からんのや。どっちにしたって、希美が生き返るわけじゃないんやし・・・。
俺が知りたいのは唯一つ。いま身の周りで起こってる心霊現象のことや。
宗方弓子が関係してるのは間違いなさそうやけど、あいつはもう死んでんねん。それやったらどうするか?」
「どうするねん?俺がさっき言うた通り、何の手掛かりも無いんやぞ。」
「いや、ある。」
俊一はハッキリと言い切った。強い目で、強い口調で、確信を持って言い切った。
「なんやねん・・・えらい自信たっぷりに・・・。」
俊一はポケットに手を入れ、ティッシュを広げて蛍を取り出した。
「俺が病院で言うたことを覚えてるか?」
「ん?何か言うてたっけ?」
「ああ、やらなあかんことがあるって言うたんや。」
「あたし覚えてる。えらいカッコつけて言うてたもんなあ。」
「別にカッコはつけてないけど・・・。」
「あたし気になってたんや。やらなアカンことって何なん?」
朱里は興味深そうに顔を寄せる。
「・・・実はな、こっちから乗り込んだろうと思ってんねん。」
「乗り込む・・・って、どこに?」
「幽霊のおる場所に。」
「幽霊のおる場所!もしかして・・・あの蛍の所?」
紗恵が怯えながら言う。
「そうや。元々はあそこに行ってから始まったんや。あの日から俺らの周りでおかしなことが起こり始めてる。それに・・・どうも蛍ってのが重要な気がするんや。
それやったら、もう一回あそこに行って確かめたろうと思ってな。」
「でも確かめるって・・・何をどうすんの?」
「あの場所に行って幽霊に会うことが出来たら、全ての謎はハッキリすると思うねん。俺・・・今度は逃げへん!つけ回されてばっかりはゴメンやからな。
だからもし幽霊に会うことが出来たら・・・・・戦うしかないやろ。」
「戦うって・・・・相手は幽霊やで?どうやって戦うの?」
朱里が疑問符の浮かぶ顔で首を傾げた。
「何も殴り合いをするわけとちゃうで。ほら、お前居酒屋で言うてたやんか、幽霊は伝えたいことがあるから現れるって。
だから幽霊が出て来たら、逃げるんじゃなくて向かい合うんや。それで・・・そいつが何を伝えようとしてるかを聞く。」
「なんか・・・カウンセリングみたいやな。」
首を傾げたまま、朱里の眉に皺が寄る。
「でも襲いかかって来たらどうする?私・・・幽霊となんか戦いたくないで・・・。」
紗恵は肩に掛けたカメラのストラップをギュッと握りしめ、不安そうに言う。
しかし俊一は安心させるように笑った。
「大丈夫、そうなったら俺を残して逃げてくれ。怖かったら今ここで降りてくれてもええで。」
「そんな言い方されたら、逆に降りにくいわ・・・。」
紗恵の困る顔を見て、俊一はポンと肩を叩いた。
「正直な・・・あんまりええ予感はせえへんねん。あの場所に行ったら、多分良くないことが起こると思う。でも・・・これ以上ビクビクしてるのは嫌やねん。
幽霊にしろ人間にしろ、ストーカーされるのはゴメンや。だから・・・ここらで向き合わんとあかん。これは俺の問題やから、みんなを巻き込むつもりは無いで。
嫌やったらなんも気い遣う必要はない。ここで降りたらええねん。」
「・・・俊一・・・・・・。」
紗恵は切ない顔でカメラを握る。そして覚悟を決めたように頷いた。
「私も行くよ。怖いけど・・・ここで降りるのは嫌や。私だって幽霊を見たんやし。それにあの幽霊が宗方さんやとしたら、逃げるのはゴメンや。
なんで死んだ後までつき纏われなあかんの?自己中なのもええ加減にしてほしいわ。」
怒りを含んだ声でそう言い、「私の武器はこれや!」とカメラを掲げてみせた。
「俺も行くぞ。ここまで来たら最後まで付き合うわ。」
「おお、克博。やっぱり勢いだけはあるな。」
「それが取り柄やからな。それにお前は何でも一人で抱え込むから、近くで見とかんと心配なんや。」
「お前は俺のオカンか。」
俊一は笑い、朱里の方に目を向けた。
「お前は・・・・家におるか?」
「嫌や!あたしも行く!そら怖いけど・・・でも大丈夫!きっとまた姉ちゃんが守ってくれるから。」
「そうやな・・・。希美はお前のこと大事にしとったから、きっと守ってくれるわ。」
「それに姉ちゃんにメールで言われたからな。俊一に力を貸してあげてって。
だから協力したる!でも事が終わったら本骨ラーメン奢ってや、四杯くらい。」
「だから太るぞお前・・・。」
朱里の冗談で皆が笑い、克博が「よっしゃ!」と声を上げる。
「ほな今日の夜に行ってみよう。それまで俺の家で焼き肉でも食べようや。」
「ええなそれ!女子は金出さんでもええよね?」
「当たり前や。俺と俊一の奢り。最後の晩餐や!」
「だからさあ、毎回嫌な例えをするなや・・・。」
四人は冗談に笑いながら志士田の家を後にする。
克博と朱里は腕を組んでイチャつき、紗恵はカメラを向けて二人を撮る。
俊一は足を止めて志士田の家に引き返し、手に乗せた蛍をそっと庭に埋めてやった。

木立の女霊 第九話 死んでも消えない想い(2)

  • 2014.09.21 Sunday
  • 19:02
「黒くて長いもん?どれ?」
克博が指さした先には、人の髪らしきものが散らばっていた。
「うそ!何これ・・・。」
紗恵が怯えて後ろに隠れる。
「なんで人の髪が落ちてんねん・・・。」
「・・・克博。お前別の女を連れ込んだな?」
「アホ言え!俺は朱里ちゃん一筋や!」
「じゃあこの髪はなんやねん?どうも女の髪っぽいけど・・・。」
そう言って俊一が膝をついて見下ろした時、トイレから悲鳴が上がった。
「いやあああああああッ!」
「どうした!」
克博が慌ててドアを開けようとする。
「待って!今パンツ下ろしてんねん!ちょっと待って!」
中から朱里の声が響き、少し待ってからノックをした。
「もうええか?」
「うん・・・。」
克博はゆっくりとドアを開け、その途端に朱里が抱きついてきた。
「トイレに虫が浮いている!」
「虫?」
俊一と克博はトイレの中を覗き込んだ。すると便器の中に大量の黒い虫が浮いていた。
「なんや・・・これ・・・。」
「気持ち悪いな・・・。お前ちゃんと掃除しとんか?」
「当たり前や!こんなに虫が湧くことあるかい!それにこれ、便所に湧くような虫とちゃうぞ。」
克博はトイレットペーパーを手に巻きつけ、便器に浮かぶ虫を掴んだ。
「見てみい。これ蛍やぞ。」
「蛍?んなアホな・・・。なんで便所に蛍が・・・。」
その時背後で何かが光り、カシャンッ!という機械音が響いた。
「今度はなんやッ?」
慌てて振り向くと、紗恵がカメラを構えてクローゼットの中を写していた。
「お前何してんねん・・・。おどかすなや。」
「いや・・・なんか写るかなと思って・・・。」
そう言ってカメラをいじり、何回もシャッターを切っていく。
「嫌や!怖い!」
「大丈夫や。みんながついてる。」
克博は朱里を抱き寄せ、クローゼットの中をじっと睨みつける。
「ついでにトイレも撮っとこか。」
紗恵は蛍が浮かぶ便器に向けて、数回シャッターを切った。
「もうええやろ。」
俊一が言うと、紗恵はカメラを渡してきた。
「怖いから俊一が見て。」
「何やねんそれ・・・・。」
俊一はしぶしぶカメラを受け取り、たくさんあるボタンを見て顔をしかめた。
「どれを押したらええねん?こんなごついカメラの操作なんか分からんわ。」
「ここのボタン。」
紗恵はポチっとボタンを押し、撮った画像を表示させた。そしてサッと俊一の後ろに隠れた。
「自分で撮ったんやったら自分で見ろよ・・・。」
十字キーを押して画像を送り、先ほど撮った写真を確認していく。
「どれも普通の写真やな。変なもんは写ってないぞ。」
「ちゃんと最後まで見てよ。」
紗恵は俊一の服を掴んで顔だけ覗かせる。
「クローゼットの写真はおかしなとこはないな。トイレの写真も・・・変わったところはない。なんも写ってへんわ。」
そう言って次々に写真を送っていくが、途中で手を止めて画像に見入った。
「これ俺らやんか。」
「うん、さっき撮ったんや。」
「いつの間に・・・。」
液晶に表示される写真は、先ほど皆で座っている時のものだった。
朱里が克博に寄り添い、俊一はじっと前を睨んで神妙な顔をしている。
「こんなん撮ってるなんて気づかへんかったわ。」
「みんな話に夢中やったからな。何となく撮ってみたんやけど、上手いやろ?」
「そら上手いけど・・・黙って撮るなよ。」
「自然な表情がええんよ。それが人を撮る極意や。」
「偉そうに言いよって。」
俊一は紗恵にカメラを返した。
「どれもええ感じに写ってるなあ。もういっぺん写真に熱中してみよかな。」
紗恵はご機嫌に画像を確認していく。しかし途中で「ん?」と声を上げ、首を傾げながらカメラを操作していた。
「どうしたん?」
朱里が克博の手を引いて覗き込む。
「いや・・・ちょっとおかしいねん。写ってるはずのもんが写ってないんや・・・・。」
「・・・どういうこと?」
「ずっとみんなの表情を撮ってたんやけど、一人だけ写ってない・・・。ちゃんとシャッター切ったのに・・・・。」
「どれどれ。」
克博と朱里は顔を近づけて覗き込み、紗恵は怪訝な顔で画像を見せていく。
俊一は三人から離れて居間に戻り、ある異変に気づいて立ち尽くしていた。
そしてそっと床に膝をつき、ここにいるはずのない生き物の死骸を見つめていた。
「おい、みんな・・・・。」
画像を見ていた三人は、俊一に呼ばれて近づいて来た。
「なあ俊一・・・この写真やけど・・・。」
「分かってる。志士田が写ってないんやろ?」
「なんで分かるの?」
紗恵と朱里は身を寄せて怯え、克博は部屋の中を見渡していた。
「あれ・・・志士田は?」
彼は忽然と姿を消しており、克博は不思議に思って窓に近寄ってみた。
「鍵は・・・閉まってるな。玄関から出たんやったら、俺らの近くを通るから気づくはずやし・・・。どういうこっちゃ?」
紗恵と朱里、そして克博は困惑して顔を見合わせる。
「この写真にも写ってないし・・・どうなってんの?」
不穏な空気が恐怖を呼び、克博の表情さえ固くなっていく。
「おるぞ・・・ここに。」
俊一は重い空気を切り裂くように呟いた。
「志士田やったら・・・ここにおる。」
「どこにおんねん?隠れる場所なんかないぞ。」
そう言ってツカツカと歩いて来て、克博は俊一の足元を見つめた。
「ん?なんやそれ?」
「・・・蛍や。もう死んどる・・・。」
「ここにも蛍が・・・?でもどっから入って来たんや?窓なんか開いてへんし。」
「玄関から入って来たやんか、人の姿で。」
「人の姿・・・?お前まさか・・・それが志士田や言うつもりちゃうやろな?」
「いいや、言うつもりやで。それしか考えられへんやん。」
俊一は死んだ蛍を手に乗せて立ち上がった。
「お前らが写真を見てる時に、こっちに戻って来たら志士田はおらんかった。そんでこの蛍が死んでたんや。」
「そんなもん、あいつが置いていったんとちゃうんか?」
「じゃあどっから出て行ったんや?窓は内から鍵が閉まってるし、玄関から出たんやったら、俺らの近くを通ったはずやんな?」
「いや・・・そらそうやけど・・・。でもいくら何でもその蛍が志士田いうのはちょっと。」
「それだけやあらへん。これで確認してみたんや。」
俊一はポケットからケータイを取り出した。
「それが何やねん?」
「さっき志士田に電話を掛けたんや。部屋におらんから、どっか行ったんかと思ってな。でも・・・あいつには繋がらへんかった。」
「それは電源を切ってたからとちゃうの?」
「いいや、そうじゃない。別の人が出たんや。」
「別の人?」
克博は怪訝そうに顔をしかめる。すると紗恵が恐る恐る尋ねた。
「もしかして・・・番号の持ち主が変わってるってこと?」
「そうや。電話を掛けたら、まったく別の人が出た。」
「で、でも!」
朱里が紗恵の腕を握りながら身を乗り出した。
「あんたが志士田に電話を掛けてここへ呼んだんやろ?それやったら番号が変わってるはずないやん!」
「そうやねん。だから不思議なんや。」
「掛け間違えとかちゃうの・・・?」
克博が少し青ざめた顔で言う。
「いいや、それはない。メモリーに登録してあるんやから、間違えようがないやろ?」
「いや、だから別の登録してある人に掛けたとか・・・。」
俊一はケータイを操作し、発信履歴を見せた。
一番新しい履歴は『志士田利夫』になっていた。
「これが最後に掛けた電話や。ちゃんと志士田になってるやろ?」
「・・・・・・・・・・。」
誰もが口を噤み、この事実を認めたくないという風に俯いていた。
「でも・・・その蛍が志士田君っていうんやったら、トイレの蛍は何なん?それに人の髪の毛も散らばってるし・・・。」
「ああ、それなんやけどな・・・。」
俊一はケータイをしまい、手に乗せた蛍を見つめた。
「俺が病院で話した悪夢のことを覚えてるか?」
「悪夢って・・・お前が幽霊に追いかけられて、希美ちゃんに助けられたやつか?」
「そうや。」
すると紗恵は首を捻って尋ねた。
「悪夢って何の話?」
「ああ、お前には話してなかったな。実はな・・・・・、」
あの恐ろしい夢のことを説明すると、紗恵は肩を竦めて朱里に身を寄せた。
「あの夢の中で、俺は希美に助けられた。でも助けてくれたのは希美だけと違う。無数の蛍と、ミミズクのおかげなんや。
だからな、ここから先は俺の想像でしかないけど・・・ええかな?」
「もったいぶらんと早よ言え。ここまで来て遠慮すんなや。」
「それもそうやな。」
俊一は小さく笑い、あの悪夢のことを思い出しながら話した。
「おそらくやけど・・・この部屋に宗方弓子が来てたんとちゃうかな?」
「はあ?何を恐ろしいことを・・・。」
「でも考えてみ、あの濡れた地面と散らばった髪の毛を。クローゼットの中に、普通あんなもんが散らばってるわけないやろ?
お前が浮気してなかったらやけど・・・。」
「だからしてへん言うてるやろ!」
すると朱里はキッと克博を睨みつけた。
「カッちゃん浮気してんの?」
「いやいや、してへんて!俊一!ええ加減にせえよ!」
「悪い悪い、まあそれは冗談として、普通はあんなことにならんわな。でも・・・今ここにおる三人は、ここ数日の間に普通じゃないことを体験してんねん。
俺も朱里も、紗恵だって心霊現象を体験してる。そう考えるとやな、普通じゃありえへんことだって起こる可能性があるやろ?
一番シックリくるのが、宗方弓子がここへ来てたということや。死んだ後も、俺のストーカーを続ける為にな。」
「・・・何よそれ・・・めっちゃ気持ち悪い・・・。」
朱里が泣きそうな顔で紗恵に抱きつく。
「じゃ、じゃあ・・・トイレの蛍は何なん?なんであんなとこに蛍が死んでんの?」
「きっと・・・助けてくれたんとちゃうかな?」
「助ける?誰をや?」
「ここにおる人間。もっと正確に言えば俺やろな。」
そこで紗恵が声を上げた。
「ああ!だから悪夢の話をしたんか?蛍が助けてくれたから・・・。」
「そうや。多分宗方弓子はここで襲いかかってくるつもりやったんやろ。でも蛍がそれを防いでくれた。便所に浮かんでる蛍は、宗方弓子にやられたやつとちゃうかな。」
「ほな蛍が宗方を撃退したいうんか?」
「・・・いや、蛍は守ってくれただけや。ミミズクを呼んで。」
「ミミズク・・・・・?」
「あの悪夢の中に出て来た宗方が本物の幽霊やったとしたら、ごっつう手強い相手や。
押しても引いてもビクともせえへんかったからな。あの時蛍がピカピカと光って、それからミミズクが現れた。
そのおかげで助かったんや。俺だけやったら、とうにやられてたやろな・・・。」
また沈黙が流れる。あまりに馬鹿げた話だったが、誰も口を開こうとしなかった。
「だから言うたやろ。これは俺の想像でしかないって。」
それは誰もが理解していたが、俊一の話は妙に説得力があった。しかし克博は納得のいかない様子で言い返した。
「それやったら・・・お前が手に持ってる蛍は何やねん?そいつが志士田やっていうんやったら、ちょっと矛盾してないか?」
「矛盾?どういう風に?」
「だって蛍はお前を助けてくれたんやろ?でも・・・志士田は宗方と付き合ってたんやで。それやったら宗方の敵に回るようなことするか?」
「・・・それは・・・・。」
言葉に詰まる俊一だったが、その質問には紗恵が答えた。
「・・・志士田君・・・やっぱり納得してなかったんとちゃうかな?」
「何を納得してないねん?」
「だって・・・宗方さんて、志士田君のことどうでもええって思ってたんやろ。それどころか、ずっと俊一のこと好きやったわけやん。
そんな状態で恋人なんか続けられるもんじゃないと思う。だから・・・ずっと我慢してたんとちゃうかな?
自分のことを見てくれへん宗方さんに、嫌気が差してたんかもしれへんで?」
「・・・まあ・・・それは・・・・・。」
今度は克博が言葉に詰まった。しかしすぐに気を取り直して言い返す。
「でも全てはただの想像やん。あんまりにも現実離れしてるし、俺はそんなん信用出来へんわ・・・・・。」
その言葉には強い拒否感が込められていて、俊一と紗恵は黙り込んだ。すると朱里がおずおずと皆を見渡して言った。
「あのさ、ちょっとええかな?」
「ん?どうした?」
「いや、さっきから話聞いてるとな、それって志士田が死んでるってことが前提じゃないと成り立たへんよな?」
「まあ・・・そう考えたらそうやな・・・。」
「だからさ、志士田の家に行ってみいへん?あいつ近所に住んでるんやろ?
姉ちゃんの部屋は昔のまま残してあるから、どっかに志士田の住所とかあるかもしれへんで?」
朱里の言葉に、俊一と克博は顔を見合わせて頷いた。
「私もそれ賛成する・・・。このままモヤモヤして終わるの嫌やもん・・・。」
紗恵もこの提案に納得し、克博は「よっしゃ!」と声を上げた。
「こうなったらとことんまでやったろ!溜まったモヤモヤはウンコと一緒や!外に出さなスッキリせえへん!」
「その例えやめろや・・・なんか気が抜けるわ。」
克博の冗談に朱里と紗恵が笑い、俊一は蛍をティッシュに包んでポケットに入れた。
「ほな朱里の家に行くか。」
「いや、その前に掃除させてくれ。髪の毛やら蛍の死骸やら、気持ち悪うてしゃあないわ。」
俊一と紗恵は掃除を手伝い、朱里は気持ち悪そうに後ろから覗いていた。
掃除を終えて外に出ると、生温い風が吹きつけていた。初夏だというのに、肌寒さを覚えて腕をさすった。

木立の女霊 第八話 死んでも消えない想い

  • 2014.09.20 Saturday
  • 19:14
ずっとあなたを見てた。
初めて会ったあの日から、あなただけをずっと見てた。
買い物に行く時も、彼女とデートをしている時も、友達と遊んでいる時も、そして家にいる時だって、ずっとずっとあなたを見てた。
ねえ、知ってる?
私すごく綺麗になったのよ。希美から聞いたの。あなたは意外と面食いだって。
それに髪の短いボーイッシュな女が好きだって。
だからほら、私はこうして生まれ変わった。あなたの望む、綺麗な女に。
なのに・・・どうして私の気持ちに気づいてくれないの?
こんなに好きなのに、こんなに愛してるのに、どうして別の女ばかり見ているの?
私は気づいてほしいの。このどうしようもないほど狂おしい想いに。
世界で一番あなたのことを愛しているのは、この私よ。他のどの女より、あなたを幸せに出来るのよ。
ねえ、どうして私が死んだか知ってる?
それはね、あなたに想いを伝える為よ。
希美が死んだ時、あなたはずっと落ち込んでた。でもそれって、永遠に希美があなたの心に生きているってことでしょ?
だったら私も、あなたの心に永遠に生きてやるわ。希美を押し退けて、あなたの心を奪ってやる・・・・・・。
ねえ、幸せでしょ?こんなに自分を愛してくれる女がいるなんて。
私は世界一いい女。他の馬鹿女どもとは違うの。だから気づいてよ、私のこの想いに。
そして私を愛して。私はあなただけを見るから、あなたも私だけを見つめて・・・。
そうよ、二人の愛は誰にも邪魔出来ない。
あなたと私は、赤い糸で結ばれた運命の恋人なんだから。
だから・・・二人だけの世界に行きましょ。誰にも邪魔されない、あなたと私だけの世界に。
ここは蛍の舞う素敵な場所よ。あなたも好きでしょ、蛍。
私はあなたを奪う。そしてここへ連れて来て、一緒に蛍になるの。
綺麗な綺麗な、淡い光を放つ蛍に・・・・。
もう・・・時間がないの・・・。このままだと、あなたを残して私だけ蛍になっちゃう。
もし蛍になるのを拒否すれば、恐ろしいミミズクに地獄に連れて行かれるから・・・。
だからすぐに会いにいくわ。あなたを奪いに、そしてあなたを殺しに・・・・。


            *


克博と朱里が母を説得してくれたおかげで、俊一はその日のうちに退院することが出来た。
そして一旦家に帰って着替えたあと、克博のアパートに集まっていた。
「で?あの地味な友達とは連絡取れたん?」
朱里が俊一に尋ねる。
「おう、家に帰った時に電話したで。男の方と連絡取れたわ。」
「そらよかった。」
朱里は喜んだ顔を見せる。
「で、宗方の家はどこにあんねん?」
「それが・・・あいつ東京の出身やねん。」
「東京?えらいまた遠いな。」
克博は腕を組んで顔をしかめた。
「あいつ訛りがなかったからな・・・。関東の出身やとは思ってたけど、さすがに東京は遠いなあ・・・。」
俊一も顔をしかめてテーブルの湯飲みを掴んだ。
「でも仕事はこっちでしてたんやろ?じゃあ自殺する前に住んでた場所に行ってみいへん?」
朱里は棒付きの飴を嘗めながら皆を見渡す。
「いや、それは志士田に電話した時に聞いたんや。」
「志士田?誰それ?」
「だから、希美の地味な友達やん。」
「ああ、なんかそんな名前やったなあ・・・。で、宗方の住んでた場所はどこにあるって言うてたん?」
「・・・あいつ、自殺する前に住んでたアパートを引き払ってるらしくてな。そんでそのアパートも少し前に取り壊されたんやと。」
「マジで?」
「志士田が言うてたわ。・・・ここでちょっと驚きの事実なんやけど、ええかな?」
俊一が上目づかいに言うと、皆は興味をそそられて身を乗り出した。
「その志士田なんやけど・・・・宗方と付き合ってたらしいわ。」
「ええ!」
「マジでッ!」
朱里と紗恵が目を見開いて驚く。
「俺も聞いた時ビックリしたわ。あの地味な感じの男が、宗方みたいな変人と付き合ってたなんて・・・。でもな、これはラッキーなことやねん。」
「何がラッキーなん?」
紗恵は興味津々に身を寄せる。彼女の胸が俊一の腕に触れ、朱里は二人の間にチョップを放った。
「近いねん。それと胸くっつけんな。」
「ああ、ごめん・・・。そういうつもりじゃ・・・。」
「お前ら喧嘩すんなよ。ええか、志士田は宗方と付き合ってたんや。だから志士田に話を聞いたら、色々と宗方のことが分かるやろ?」
「おお、確かに!」
「志士田にはここへ来るように言うてある。あいつけっこう近所に住んでるらしくて、場所分かるからすぐ来るって言うてたわ。」
「そうか、なら志士田待ちっちゅうことやな。」
「その通り。俺らみたいな素人が宗方の家に行ったって、調べられることなんて限られてるからな。それやったら、彼氏やった奴に話を聞いた方が早いやろ。」
「おお〜、俊一名探偵みたいやん!」
朱里が手を叩いて喜び、紗恵はふんふんと納得したように頷いていた。
俊一はポケットからケータイを取り出し、液晶の時刻を睨みつけた。
「4時20分か・・・。半くらいには来るって言うてたからもうすぐやろ。迷ったら電話しろ言うてるしな。」
「ああ、あかん・・・。あたしなんか緊張してきた。」
朱里は克博の膝に倒れ込む。
「大丈夫や。俺が守ったる。」
克博が頭を撫でながらさりげなく胸に手を回す。
「お前ら・・・バカップルぶりもええ加減にしとけよ。」
俊一はタバコに火を点けて二人に煙を飛ばし、紗恵は微笑ましく笑っていた。
そしてしばらく談笑をしていると、俊一のケータイが鳴った。
「おお、志士田からや。」
立ち上がってドアに向かい、外に出ると志士田がウロウロしていた。
「こっちこっち!」
「ああ・・・・。」
手を振ると、志士田がアパートの二階に走って来た。
「いきなり呼び出して悪いな。そこまで面識もないのに。」
「いえいえ、別にいいですけど・・・。」
短い黒髪に掘りの浅い顔立ち、しかし丸みのある輪郭には多少の愛嬌がある。
ジーパンにグレーのシャツという地味な服装だが、志士田のルックスにはマッチしていた。
「じゃあ中入って。」
「ああ、お邪魔します・・・。」
「別に敬語使わんでえええで。あんた俺より年上やろ?」
笑いながら言うと、志士田ははにかんで靴を脱いだ。
そして緊張した面持ちで俊一のあとをついて行き、皆の顔を見渡して頭を下げた。
「紹介しとくわ。こっちのバッタみたいな女が朱里。希美の妹なんやけど、会ったことあるよな?」
「ちょっと!バッタって何よ!」
朱里を無視し、隣に座る克博を紹介した。
「こっちは俺の友達の克博。バッタの彼氏な。」
「お前・・・ええ加減にしとけよ。」
「冗談や冗談。」
そして紗恵に手を向けて言った。
「この子は野々村紗恵。なんというか・・・・俺の友達や。」
「どうも。」
紗恵はカメラを抱えて頭を下げた。
「友達ちゃうで。元カノや。」
「いらんこと言わんでええねん。」
朱里のおでこにデコピンをかまし、紗恵の隣に座り込んだ。
「まあまあ、志士田君も座ってんか。お茶持ってくるから。」
「ああ、いえ、お構いなく・・・。」
克博はキッチンに向かい、志士田はまだ緊張した面持ちで部屋の中を見渡していた。
「そんなに固くならんといてや。バイトの面接とちゃうんやから。」
「ああ・・・ちょっと人見知りなもんで・・・。」
「うん、そんな顔しとる。」
朱里は面白そうに言う。そして克博がコーヒーを運んできて、志士田の前に置いた。
「さて、電話でも言うたけど、ここに来てもらったんは宗方弓子のことを聞きたいからや。自分、あいつと付き合ってたんやって?」
「ああ、はい・・・。そんなに長い間とちゃうけど・・・。」
「でも俺らよりは知ってるよな?だからさ、ちょっと宗方のことを教えてもらえへんかな?」
「まあ僕の知ってることでよかったら・・・。」
志士田はそわそわしながらポケットに手を入れた。
「ここ・・・タバコは?」
「ああ、どうぞどうぞ、これ灰皿。」
克博はテーブルの上に灰皿を滑らせ、志士田はタバコを咥えて頭を下げた。
「ええっと、弓ちゃんの事を話す前に聞きたいんですけど、なんであの子の事を知りたいんですか?電話で尋ねた時は、なんか誤魔化してましたけど・・・。」
「ああ、ええっと・・・・それはちょっと言うても信じてもらえへんかなあ・・・。」
「・・・・もしかして、ストーカーのことですか?」
志士田は煙を吐きながら尋ねる。四人は顔を見合わせ、真剣な顔で彼を見つめた。
「・・・やっぱりそのことなんですね。」
「・・・ちょっと違うけど、でもまあ似たようなもんや。ほんで、ストーカーってどういうこと?」
「・・・気い悪くせんと聞いて下さいよ。」
志士田はタバコを叩いて灰を落とし、コーヒーで口を湿らせてから言った。
「僕が弓ちゃんと付き合い始めたんが、確か去年の春ごろやったと思います。
それから亡くなる三日目前まで付き合ってたから、だいたい半年くらい一緒におったんかな?」
「亡くなるって・・・もしかして自殺か?」
「・・・・・・まあ、そんなとこです。」
志士田は言い淀み、一瞬口を噤んだ。
「どうした?えらい神妙な顔してるけど・・・。」
「え?ああ!いえいえ・・・何でもないです。弓ちゃんが亡くなったのが、確か去年の10月頃やったと思います。それで・・・ずっとある人をストーカーしとったんですわ。」
「ある人って、もしかして・・・・。」
朱里がゴクリと唾を飲む。
「そこに座ってる俊一さんです。時間の許す限り、あなたのことをつけ回してましたよ。」
「うわあ・・・・怖・・・・。」
朱里は腕をさすり、ぶるっと肩を震わせる。紗恵も顔をしかめていた。
「なんで宗方は俺のことをストーカーしてたん?」
「好きやったんですよ。僕と一緒におる時も、ずっとあなたのことを話してましたからね。いかに愛しているか、いかにあなたのことを想っているかって。
自分と俊一君は赤い糸で結ばれた恋人やって言うてましたからね。」
志士田は表情を変えずに淡々と話し、それがかえって怖かった。
「・・・最悪・・・人の恋を邪魔して・・・・。」
紗恵が怒りの籠った声で紅茶を飲む。志士田は静まりかえった皆を見つめて煙を吐いた。
「続けていいですか?」
「あ、ああ!どうぞ・・・。」
俊一は苦い顔で頷いた。
「弓ちゃんはちょっと変わったところがあって、とにかくこだわりが強いんです。好き嫌いがハッキリしてて、嫌いな相手には容赦ないんですよ。
でもね、一度好きになった相手には心を許すんです。それはもう引くくらいにね。」
「ちょっと質問。」
紗恵が手を上げて、志士田を見つめる。
「なんで志士田君は宗方さんと付き合ってたん?彼女は俊一のことが好きやったんやろ?」
「ああ、簡単なことですよ。さっきも言うたけど、あの子は好き嫌いがハッキリしとるから、それ以外のことはどうでもいいんです。
僕は弓ちゃんにとってどうでもええ存在やったから付き合うことが出来たんですわ。」
「どうでもええ存在って・・・。志士田君はそれでよかったん?」
紗恵が納得のいかない顔で尋ねると、志士田は少し笑いながら答えた。
「僕ね・・・女の子と付き合ったんは弓ちゃんが初めてなんです。25にもなって・・・・・恥ずかしながら童貞やったんですよ。
だから弓ちゃんが初めての相手なんです。そうなるとね、もう離れられへんっていうか・・・。
俺を男として扱ってくれる女の子なんて、弓ちゃんくらいしかおらんかったから・・・・・。」
志士田は顔を伏せながらタバコを消した。紗恵はさらに納得のいかない様子で追及する。
「でもそんなん悲しすぎへん?25で童貞なんていくらでもおると思うよ。
どうでもええ存在やから付き合うなんて、ちょっと寂しいというか・・・・、」
こういう部分にこだわりの強い紗恵は、追い詰めるような目で志士田を睨む。
「まあまあ、今は宗方弓子の話やから。」
克博が柔らかい口調で宥めるが、紗恵は納得のいかない様子でカメラをいじりだした。
「ごめんな、話の腰を折って。ええっと、じゃあ続きを聞かせてもらえるかな?」
「はい・・・。その・・・弓ちゃんは変わったところがあって、好き嫌いがハッキリしすぎてるんです。でもそれだけじゃなくて・・・・。」
「それだけじゃなくて?」
「オカルトに傾倒しているところがあったんです。」
「ああ・・・なんか分かるわあ・・・・。」
朱里がため息混じりの声で呟いた。
「弓ちゃんって、元々勘の鋭いところがあったんです。いや、勘ていうより、目が鋭いっていうんかな・・・。相手の心理を読むのが上手いというか・・・。」
「うん、それ分かるわ。俺も何回かしか会うたことないけど、あの子の目には不気味なもんを感じてたから。」
「観察力というか、洞察力というか・・・そういうのは確かに凄かったんです。でもね、それを霊力があると勘違いし始めてもて・・・。
それから心霊現象の本とか、宗教の本とかにはまり出したんです。もの凄い読み漁ってましたよ。」
「なんか・・・聞けば聞くほど気持ちの悪いやっちゃな・・・。」
克博は顔をしかめて口元を歪ませる。
「それからですかね・・・やたらと蛍を見に行くようになったのは。」
「蛍?」
「ええ、蛍は死者の魂やとかいうてね。何の本を読んだんか知らんけど、それから浮き世離れした性格になってしもて。
私と俊一君は死んだあとの世界で結ばれるんやって言うてました。」
「蛍・・・また蛍か・・・・。」
俊一は顎に手を当てて考え込んだ。するとまたしても紗恵が手を上げた。
「あのさ、いっこ疑問なんやけど・・・。」
「なんですか?」
「そこまで俊一のことが好きなんやったら、なんで告白せえへんかったん?アホみたいに私に嫌がらせしてくるくらいやったら、自分から気持ちを伝えたらええのに。」
「それが出来たら苦労しなかったでしょうね。これもさっき言うたけど、弓ちゃんはこだわりが強い性格やったんです。
だから・・・・・自分から告白するんじゃなくて、俊一君から告白されるのを待ってたんやと思います。」
「でも自分から動かな恋愛は上手くいかへんのに・・・。」
「そうですよ。でも弓ちゃんは信じてましたからね。自分と俊一君は赤い糸で結ばれてるって。いつか彼が自分の気持ちに気づいてくれるはずやと。」
「ますます痛い女やな。」
朱里はそう言い捨てて立ち上がり、トイレに向かった。
「ああ、今紙切れてるからちょっと待って。」
克博はトイレの反対側のクローゼットからトイレットペーパーを取り出した。
「はい。」
「ありがとう。」
朱里はそれを受け取ってトイレに入る。そして克博がクローゼットを閉めようとした時、何かに気づいた。
「ん?なんやこれ・・・・・。」
「どうした?」
「いや・・・地面が濡れてんねん。それにこれは・・・・・。」
俊一と紗恵は顔を見合わせ、克博の傍に行った。
「どうしたん?何かあったんか?」
「・・・地面が濡れて、黒くて長いもんが・・・・。」
「黒くて長いもん?どれ?」
克博が指さした先には、人の髪らしきものが散らばっていた。

木立の女霊 第七話 死者は手招きする

  • 2014.09.19 Friday
  • 13:48
俊一は夢の中でうなされていた。
青白い顔をした短い髪の女が、こちらに向かって手招きをしている。
蛍が飛び交う小川の向こうに立ち、ニッコリと微笑みながら手招きをしている。
《俊一君・・・こっちおいでよ。俊一君・・・・・。》
女は木立の中に立っている。月明かりを受けて、クリーム色のワンピースが冷たい青色に映っている。
《ねえ、こっちにおいでよ。希美ちゃんもいるから・・・こっちにおいで・・・。》
俊一はゆっくりと後ずさり、背中を向けて逃げ出した。
土手の砂利道を力いっぱい走り、車が止めてあるコンビニまで向かう。
女は手招きをやめ、顔だけ浮かせて追いかけて来る。音も無く、スーッとこちらに飛んで、笑いながら追いかけて来る。
俊一は後ろを振り向かずに走っていく。土手を抜け出し、コンビニまで走って車に乗り込む。
すぐにエンジンを掛け、ギアを入れて急発進する。周りには何の灯りもなく、ヘッドライトだけが頼りだった。
信号を曲がり、大きな道をぐんぐんとスピードを上げて逃げていく。
その時、ヘッドライトの照らす先に女の顔が浮かんだ。
《行こうよ・・・。私と一緒に行こうよ・・・。》
女は笑い、こちらに向かって飛んで来る。
俊一は絶叫してハンドルを切り、女の顔をかわして走り抜ける。
アクセルを全開まで踏み込み、メーターが振りきれるほどスピードを出した。
そして家に到着すると、車から降りて家に逃げ込んだ。
必死に父と母を呼ぶが、誰も出て来ない。明かりは点いているのに、まったく人の気配がなかった。
《誰か・・・誰かおらんのか!オトン!オカン!誰でもええ!誰か来てくれ!》
必死に叫んでいると、カタカタとドアが揺れた。
そしてゆっくりとノブが回され、ドアの向こうから女の顔が現れた。
《俊一君・・・俊一君・・・・。わたし・・・綺麗になったでしょ・・・。もう・・・ブスじゃないでしょ・・・・だから一緒に行こうよ・・・俊一君・・・。》
女はまっすぐに家の中を飛んで来る。
俊一はまた絶叫して窓から逃げ出そうとする。
しかし窓には雨戸が引いてあって、いくら開けようとしてもビクともしなかった。
《ねえ・・・好きなの・・・ずっと前から・・・好きなの・・・・。だから・・・・私と一緒に行こう・・・俊一君てば・・・・。》
《来るなああああああッ!》
テーブルを持ち上げ、渾身の力で女を叩く。
しかしテーブルは女の顔をすり抜け、俊一の目の前に迫った。
《うわああああああッ!嫌やあああああああッ!》
するとガタガタとドアが揺れ、その向こうから女の身体が走って来た。
首の無い恐ろしい身体が、全力でこちらに向かってくる。女の顔は身体とくっつき、俊一に手を回して抱きついてくる。
顔を舐め回し、服を引き裂いてキスをしてくる。その力は強烈で、まったく抗うことが出来なかった。
《俊一君!好きなの!あなたのことが好き!ねえ好きなの!俊一君!私の俊一君!ずっと一緒にいて!ねえ俊一君!》
《嫌やああああああッ!離れろおおおおおおおッ!》
女は大きく口を開け、俊一の顔に噛みつく。そして歯を立てて肉を食い千切ろうとしてきた。
俊一は恐怖と痛みで失禁し、一番大切な親友の名前を叫んで手を伸ばした。
《希美いいいいいいいいいッ!助けてくれえええええええええッ!》
その時、ふっと辺りが暗くなった。
木々のざわめく音が聞こえ、暖かい風が頬を撫でていく。
暗闇の中に青白い夜空が浮かび、ミミズクの鳴き声が響いて木立から飛び出していく。
そして・・・・蛍の光が舞った。
淡い薄緑の光が、ふわふわと揺れて女の上に降りてくる。蛍の光はパッパと点滅し、それを合図に無数の蛍が舞い出した。
女は蛍に気を取られ、顔を上げてそれを睨みつける。
女にとまっていた蛍は俊一の顔に舞い降り、パッと光って弾けた。
《・・・俊一・・・守るから・・・・大丈夫だから・・・・・。》
《希美・・・・。》
弾けた光の中から希美が現れ、俊一を抱きしめる。
女は絶叫して希美に襲いかかるが、夜空を舞う無数の蛍がそれを許さなかった。
女の前に飛び出し、何かの信号のように光を点滅させる。
すると先ほどのミミズクが颯爽と現れ、女を鷲掴みにしてさらっていった。
《いやああああああッ!俊一くうううううううんッ!》
耳を塞ぎたくなる絶叫を残し、女は暗い夜空に連れ去られていった。
《あ、ああ・・・・助かった・・・・・。》
安堵の涙を流していると、希美が腕をほどいて離れていった。
《・・・まだ・・・終わりじゃない・・・。あの子は・・・またやって来る・・・。でも・・・心配しないで・・・。私が・・・俊一を守るから・・・・・。》
希美はパッと光って弾け、蛍に戻って夜空に消えていく。
俊一は手を伸ばし、泣きながら彼女の名を叫んだ。
《希美!行くな!俺は・・・俺はお前が好きやねん!傍におってくれえええええ!》
その叫びは月明かりの照らす夜空に吸い込まれ、風が揺らす木立のざわめきだけが響いていた。


            *


誰かの声が聞こえる。
一つだけではない。二つの声が自分の名前を読んでいる。それもよく知る親しい者の声が・・・。
闇の中に薄っすらと光を感じ、俊一はゆっくりと手を伸ばした。
すると誰かがそれを掴み、強く握って揺さぶりかけた。
《・・・あったかい・・・。これは・・・誰の手や・・・?》
光が強くなり、自分を呼ぶ声が大きく響く。
握られた手は強く引っ張られ、俊一を闇の中から引き上げていった。
「・・しゅ・・・ち・・・、しゅん・・・いち・・・。・・・・・・おい俊一!」
ハッキリと自分を呼ぶ声が聞こえ、俊一はハッと目を開けた。
「おお!よかった・・・。目え覚ましたか・・・・。」
そこには安堵を見せる克博の顔があった。
そしてその隣では、朱里が俊一の手を握って涙ぐんでいた。
「俊一いいい・・・・よかったあ・・・・・・。」
朱里はグスグスと鼻を鳴らし、手を握ったまま抱きついてきた。
「お前ら・・・・。ここで何してんねん?」
「何してんねんやあるかい!家に行ったら、お前が部屋で倒れてたんやないか!」
「は?倒れてた・・・・?」
「そうや。白目剥いて、死人みたいに真っ青な顔して倒れてたんや。」
「・・・なんのこっちゃ分からん・・・。俺は写真を見てただけやのに・・・・・。」
「混乱しとるな・・・。まあしゃあないけど・・・。」
俊一は朱里の頭を撫でて身体を起こし、じっと辺りを見回した。
「どこやここ?俺の部屋とちゃうな・・・。」
「病院や。部屋で倒れてるお前を見つけて、すぐに救急車を呼んだんや。」
「救急車って・・・そんな大袈裟な・・・。」
「大袈裟なことあるかい!こっちがどれだけ心配したと思ってんねん!」
ここまで怒っている克博を見るのは初めてのことで、俊一は目を伏せながら朱里の背中を撫でた。
「お前も心配してくれてたんやな・・・。」
「当たり前やん・・・。死んだんかと思ってたわ・・・。」
「死ぬわけあるかいな。いや、でも・・・・・。」
「でも?」
朱里は抱きついたまま顔を上げ、潤んだ瞳でじっと見つめてくる。
「・・・夢をな・・・見たんや・・・。恐ろしい夢を・・・。」
「夢?何の夢?」
「それは・・・・、」
ごにょごにょと口を噤んでいると、俊一の母が病室に入って来た。
「ああ!良かったあ〜・・・。」
「オカン・・・・・。」
母はベッドの横にバッグを置き、ホッとした顔で俊一の手を握った。
「克博君らが来てくれて、あんたが倒れてるのを見つけてくれたんや。」
「それは聞いたよ。」
「お母さん、それ聞いた時にビックリしてもて・・・。どうしょうかと思ってる時に、克博君が人工呼吸をしてくれたんや。」
「じ、人工呼吸ッ?」
「そうやで・・・。あんた呼吸が浅くなってたから、必死に人工呼吸してくれたんや。朱里ちゃんは一生懸命心臓マッサージをしてくれて・・・ほんまに感謝しいや。」
「・・・そんなにヤバかったん?」
克博の方を向いて尋ねると、腕を組んで難しい顔をしていた。
「まるで死人やったな。いつ死んでもおかしくないって感じやったわ。」
「・・・そこまでひどかったんか・・・。」
「救急車で運ばれてる時も、だんだん呼吸が弱くなってたんや。救急隊の人もマジで焦ってはったわ。」
「そうなんか・・・。えらい大変なことになってたんやな・・・。」
母の手を握り返して呟くと、朱里が鼻水をすすりながら言った。
「でもな、途中で急に元気になったんや。」
「途中で?」
「うん。病院に着く直前に、いきなり姉ちゃんの名前を叫び出して、必死に手を伸ばしてたんや。そしたら急に落ち着き初めて、顔色も良うなってきた。」
「希美の名前を・・・・・。」
「ずっとうなされてたんやで。『来るな!』とか『離れろ!』とか、まるで何かに襲われてるみたいやった・・・・。」
「・・・・・それマジ?」
「大マジや!ほんまに死んでまうんかと思ったわ!」
朱里はまた泣き出し、克博が肩に手を回して抱き寄せた。
「あの時のお前、まるで死神に追いかけられてるみたいやったで。どうなるんかと心配してると、急に希美ちゃんの名前を叫んで・・・・。
それからや、急に元気に成り始めたのは。救急隊の人もビックリしてたで。どうなっとんか分からんって。」
そう言って克博は笑ってみせた。
俊一はやや目を伏せながら二人に顔を向けた。
「あのな・・・俺、悪夢を見たんや。」
「悪夢?」
克博と朱里は同時に首を捻った。
「そうや。とんでもない恐ろしい悪夢やった。でも・・・希美が助けてくれたんや・・・・。」
「希美ちゃんが?それ、詳しく聞かせてくれや。」
俊一は頷き、あの恐ろしい夢を思い出した。たどたどしい説明だったが、皆は真剣な顔で黙って聞いていた。
全てを話し終えると、突然気分が悪くなった。そして近くにあったビニール袋を掴み、顔を突っ込んで嘔吐した。
「大丈夫か?先生呼んでこよか?」
「いや、ちょっと気持ち悪くなっただけやから・・・。」
心配する母の言葉に首を振り、テーブルの上のお茶を飲んだ。
全員が黙りこみ、重い空気が漂う。
その空気を壊したのは、病室に入って来た一人の女だった。
「俊一!」
皆が一斉に振り向くと、そこには長い髪を後ろで括ったスタイルの良い女が立っていた。
「紗恵!」
俊一以外の全員が固まり、重い空気は気不味い空気に変わる。
しかし紗恵はおかまいないしに駆け寄り、俊一の手を握って心配そうに言った。
「さっき家に行ったら、俊一のお父さんに会ってな。あんたが病院に運ばれたって聞いて、心配になって飛んできたんや。」
「オトンが?なんでオトンがおんねん?仕事中ちゃうんか?」
すると母は首を振って言った。
「さっきまでお父さんもおったんよ。でも特に心配ないってお医者さんが言うから、とりあえず家に帰って必要なもん取ってくるって。」
「必要なもん?」
「あんた入院するねん。ここの精神科に。」
「はあ?精神科?ちょっと待てよ!なんでそんなとこに入院せなアカンねん!」
「なんでって・・・昨日から調子悪うなってたやないの。」
「いや、でも・・・俺はどっこも悪くないし・・・・・。」
「そんなことあらへん!またおかしなことになったらどうすんの?今日は克博君と朱里ちゃんが見つけてくれたからええけど、あのままやったら死んでたかもしれへんねんで。
もうこれ以上・・・・・心配させんといて・・・・。」
母は強く目を瞑って悲しい顔を見せる。その顔を見ていると、これ以上何も言い返せなかった。
「俊一・・・何があったん?」
紗恵が顔を覗き込む。
「・・・分からん。俺にも分からんわ・・・。」
顔を逸らし、窓の外の木を見つめた。風に揺れながら、陽を受けて青い葉っぱを輝かせている。
朱里は克博から離れ、紗恵の肩をつついた。
「ん?ああ、朱里ちゃん・・・。」
「ああ、朱里ちゃんやあらへん。あんたここへ何しに来たん?もう終わった女のクセに。」
「いや・・・それは俊一が心配になったから・・・。」
「そうじゃなくて、何で俊一の家に行ったん?あんたとっくの昔に別れた女やん。しかも結婚して海外に行くんやろ?やのに何で俊一の家になんか行ったん?」
朱里の口調は厳しかった。明らかに敵意を剥き出しにしていて、紗恵は肩を竦めて俯いた。
「ちょっと・・・困ったことがあって・・・。」
「困ったこと?何よ?」
「・・・宗方弓子って知ってる?」
その言葉に、俊一と朱里は凍りついた。
「あんた・・・何でその人のこと知ってんの・・・?」
朱里の顔は青ざめ、唇が震え出す。
「どうした?大丈夫か?」
克博が心配して手を握ろうとするが、朱里はそれを振り払って紗恵に詰め寄った。
「何であんたがその名前を知ってんのッ?」
「何でって・・・。」
紗恵は朱里の迫力に圧されて困惑する。しかしグッと顎を引いて睨み返した。
「俊一と付き合ってる時、その人に嫌がらせを受けてたからや。」
「嫌がらせ・・・?」
「そうや。無言電話を掛けてきたり、別れろとか手紙を出してきたり・・・。車にペンキぶちまけられたこともあったわ・・・。」
「それホンマかッ?」
俊一はベッドから飛び上がり、紗恵の肩を掴んだ。
「その話詳しく聞かせてくれ!頼む!」
「ええけど、肩放してえや。痛いから・・・・。」
「あ、ああ!すまん・・・。興奮してもて・・・。」
俊一は申し訳なさそうに俯き、ベッドに腰掛けた。
「あんたもあの人のこと知ってんの?」
朱里に尋ねられ、俊一は強く頷いた。
「希美の友達やろ?何回か会ったことがあんねん。」
「そう・・・。で、どんな印象やった?」
「なんというか・・・両極端な奴やなって・・・。」
「あたしと一緒やん!あいつ・・・ちょっと普通じゃなかったよな?」
「お前もそう思うか?俺もあいつに得体の知れんもんを感じることがあったんや。それと・・・実を言うとこの前連絡を取ろうとしたんや。」
「はあ?何でそんなことすんの?あんたの友達でもないのに。まさか・・・気があるとか?」
「違うわ!ちょっと気になることがあったんや。でも番号が変わってるみたいでな、別の知らん人が出たわ。」
そう言うと、紗恵は指をモジモジさせてとんでもないことを言った。
「宗方弓子って・・・もう死んでるで。」
「はあッ?」
「はいッ?」
ステレオのように俊一と朱里の声が重なり、病室に響き渡る。
「ちょっと俊一!病院の中で大きな声を・・・・、」
「オカンはちょっとは黙っといてくれ!今大事な話をしてんねや!」
俊一の剣幕さに、母は憮然として黙りこんだ。
「で、死んでるってどういうことや?」
「どういうことって・・・そのままの意味やけど・・・。宗方弓子って、去年の秋に自殺したんやで。」
「自殺?なんで!?」
「さあ・・・。人づてに聞いただけやから理由は分からんけど・・・。」
「それは確かな情報なんか?」
「どうやろ・・・私の友達の友達がその人と知り合いらしいねんけど、そう言ってたから。」
「そうか・・・。で、お前がさっき言ってた嫌がらせってどういうことなん?」
「どうもこうもないよ。どこから嗅ぎつけたんか知らんけど、私と俊一が付き合ってることを知ったみたいで・・・。なんでか電話番号もバレてたし・・・。
なんとか私とあんたを別れさせようとしてたみたいやで。嫌がらせの手紙とかもだいたいそんな内容やったし。」
「全然知らんかった・・・。なんで付き合ってる時に言わへんかってん?」
「だって、心配するかなと思って・・・・。」
「お前・・・相変わらず変なところで気い遣いよるな。どうでもええとこでは強引なクセに。」
紗恵は機嫌が悪そうに唇を尖らせ、またしてもとんでもないことを言った。
「あの子な・・・なんか整形してたらしいで・・・。」
「整形?」
「うん。だって美人ってわけじゃなかったやん?だから全部整形して生まれ変わるって。」
「それも確かな情報なんか?」
「・・・微妙やな。これも人づてやし・・・・。」
俊一と紗恵、そして朱里は暗い顔で俯く。克博は不機嫌そうに眉を寄せ、俊一を睨んだ。
「何の話か分からん。俺にも説明してくれや。」
「ああ、お前は知らんのやったな。」
俊一が腕を組んで説明しようとすると、母は急に立ち上がってバッグを掴んだ。
「どこ行くねん?」
「一階の喫茶店。ただでさえあんたのことで心配やのに、そんな話聞かされたら余計に気が滅入るわ。あとは若いもん同士でやってんか。」
「ああ、ごめん・・・。」
「別にええよ。だんだん元気になってるみたいやし。下におるから何かあったら呼びに来て。」
「うん、ありがとう。」
母はいそいそと病室を出て行き、俊一は胡坐を嗅いで克博を見上げた。
「宗方弓子っていうのはな・・・・・・、」
俊一は手ぶりを交えて説明していく。途中で朱里と紗恵が合いの手を入れ、克博は神妙な顔で聞いていた。
「・・・なんか、痛い女やな・・・。」
「あ、やっぱりカッちゃんもそう思う?」
「そらそうやろ。そんな嫌がらせして、そんで整形までして、最後は自殺やろ。どう考えても普通の奴と違うやろ。」
「そうやねん。普通の奴と違うねん。なんか・・・気味が悪くなる雰囲気があんねん。」
また重い空気が流れるが、紗恵が唐突に手を上げて質問した。
「あの・・・、もしかして朱里ちゃんと四島君って付き合ってんの?」
「そやで。カッちゃんはあたしにベタ惚れやねん。」
「はああ・・・そうなんや。なんか意外。」
「何が意外やねん?」
「だって、四島君って面食いやと思ってたから・・・。」
「ちょっと!それどういう意味?」
「いやいや、そういう意味とちゃうけど・・・。」
「お前ら、こんな所でバトルするなよ。」
俊一はベッドから立ち上がり、腕を組んでうろうろし始めた。
「あ、落ち着かんようになってる。」
「ほんまや、これまたヤバいんとちゃうか?」
朱里と克博が茶化すように笑う。
「うるさい!ちょっと考え事しとんや。」
ぶつぶつ呟きながらベッドの周りを歩き、急に足を止めて振り返った。
「克博、朱里。」
「ん?」
「何や?」
「うちのオカンを説得してくれ。」
「説得?」
俊一は真剣な顔で昨日の夜のことを話した。朱里の家に行こうとしたら幽霊が現れたこと。
そしてその幽霊が写った写真が消えてしまったこと。
その話を聞いた朱里は恐怖に青ざめ、克博は顔をしかめて難しい表情をしていた。
「お前らやったら、俺の言うてることが嘘じゃないって分かってくれるやろ?
だからオカンを説得してほしいねん。精神科に入院せんでもええって。」
「別にええけど・・・。」
「ん?どうした朱里?暗い声出して。」
「いや、実はあたしも昨日の夜に、似たようなことがあったから・・・。」
「ああ、あのメールのことか?希美から来たって?」
「そう。部屋に誰かの視線を感じて逃げ出そうとしたんや。そしたら蛍が横切って・・・・、」
朱里も昨日の夜のことを説明し、ぶるっと肩を震わせて腕をさすった。
「そうか・・・また蛍が・・・。」
「それでケータイぶっ壊して、ベッドに引きこもってた。」
「・・・・・・・・・・。」
「なあ俊一。あんたこの前冗談で言うたやん。姉ちゃんが蛍に生まれ変わったって。あれな、もしかしたらほんまのことかもしれんで。」
「・・・そやな。俺も今となっては冗談とは思えんわ。何となく言うただけやのに・・・。」
俊一はしばらく目を閉じて考え、一人で頷いて手を叩いた。
「まあ色々ごちゃごちゃしとるけど、今はさっき言うたこと頼むわ。」
「ああ、おばちゃんの説得。」
「そうや。ちょっとやらなアカンことがあるから、こんな所に入院なんかしてられへん。」
「やらなあかんことって何?」
「後で説明する。ああ、それと紗恵。」
「ん?何?」
紗恵は長い髪を揺らして首を傾げる。
「聞きそびれたけど、お前がここに来た理由って宗方弓子が関係してんのか?」
「うん・・・。あのな、信じられへんかもしれんけど、私も一緒やねん。」
「一緒?一緒ってまさか・・・。」
「そう、俊一と朱里ちゃんと同じように、幽霊を見たんや。」
「・・・・・マジで?」
「マジ。ほら、あの日俊一に頼まれて写真取りに行ったやん、蛍の。それであの時写った幽霊が、夢の中に出て来るようになってん。」
「・・・背筋が寒くなるな。」
「それで今日の朝な、その幽霊を実際に見たんや。朝起きてカーテンを開けたら、そこに女の顔が浮かんでた・・・。」
「ほんまかッ?お前大丈夫やったんか?」
「すぐ逃げたから大丈夫やったけど・・・。それからは怖くなって部屋には入ってへん・・・。
そのことを相談しようと思って来たら、あんたのお父さんから病院に運ばれたって聞いてん。」
「そうか・・・。お前も幽霊の被害者か・・・・。」
この場にいる三人の人間が、ここ数日の間に心霊現象を体験している。
そしてそれが始まるようになったのは、あの場所に蛍を見に行ってからだった。
「私な、あの幽霊を見た時にピーンと来たんや。あ、これ絶対に宗方弓子やって。」
紗恵は確信を持ったようにそう言った。
「なんでそう思ってん?」
「・・・分からん。でもそういう直感が働く時ってあるやん。言葉では上手いこと説明出来へんけど、感覚的に悟るっていうか・・・。」
「虫の知らせみたいなもんか?」
「まあそんな感じかな。虫の知らせを受けたことがないから知らんけど・・・。」
「でもお前って、宗方弓子に直接会ったことあんの?」
「一回だけ。俊一と付き合い始めてから、一ヶ月後くらいやったかな?いきなり家に来て、無言で去って行ったけど・・・。」
「でもあの幽霊ってすごい美人やんな。宗方弓子とは似ても似つかん感じやけど・・・。」
そう言うと、朱里が青ざめた顔のまま呟いた。
「宗方弓子って整形してたんやろ?それなら顔が変わってるのは当たり前ちゃうんかな・・・・・?」
「ああ!確かに・・・・・。」
紗恵は納得して頷き、俊一は朱里と同じように青ざめていった。
《間違いない・・・。俺が感じてたモヤモヤはこれや・・・。あの幽霊って、どっかで会ったことがある気がしてたんやけど、宗方弓子なんや・・・。
だからあいつのことがあんなに気になってたんや・・・。》
黙りこむ三人を見て、克博が声を張り上げた。
「ここは葬式会場か!暗いわお前ら!」
「病院で大きな声出さん方が・・・。」
紗恵が顔をしかめて言うが、克博は首を振って言った。
「ええか!うじうじしとってもしゃあない!ここは一発、宗方弓子とかいう女の所に行ったろやないか!」
「いや、もう死んでんねんで?」
「朱里ちゃん、君はこのままでええんか?幽霊だの宗方だの、スッキリせえへんままでええんか?」
「そらええことはないけど・・・・。」
「なら行こうや。その女の家に行ったら、全てがハッキリするやろ。」
克博は威勢良く吠え、病室を通りかかった看護士に怒られた。
「・・・ええか?何でも溜めこんだらアカンねん・・・。外に出さなアカン・・・・。ウンコと一緒や。」
「急に声ちっちゃくなったな。例えも下ネタやし。」
「そんなことはどうでもええねん。行くんか行かへんのかどっちや?」
なぜか踏ん反り返って胸を張る克博。その姿が可笑しくて、俊一はここへ来てから初めて笑った。
「お前はほんまに勢いあるよな。」
「それが俺の取り得や。」
「それしか取り柄がないけどな。」
「朱里ちゃん、それひどいわ・・・。」
「ああ、あと床上手。皮被ってるけど。」
「い、いや・・・だからそういうことは・・・・。」
俊一は声を上げて笑い、ベッドに座り込んだ。そしてお茶で口を湿らせ、息を吐いて言った。
「確かに克博の言う通りや。うじうじしとっても始まらん。ここは一発、宗方弓子の家に行ってみるか。」
しかし朱里は腕を組んで困った顔を見せた。
「でも・・・誰か宗方の家知ってんの?」
「それは・・・・・。」
行くといっても場所が分からなければ意味がなく、俊一は意気消沈して顔をしかめた。
しかしあることを思い出し、表情を変えて朱里に指を向けた。
「希美の友達やったら知ってるかもしれん。ほら、地味な奴が二人おったやろ?」
「ああ、あれか・・・。でも連絡先とか知ってんの?」
「ああ、ケータイに入ってるはずや。昔に教えてもらったやつやから、番号変わってるかもしれんけど・・・。」
「んん〜、宗方の家になあ・・・・。」
朱里が唸っていると、紗恵は小さく手を上げて言った。
「私もついて言っていい?ちょっと怖いけど・・・。」
「おう!来い来い!こういうのは仲間が多い方がええ。」
克博は豪快に言い、紗恵は嬉しそうに笑った。
「よっしゃ!そうと決まれば早よ病院を抜け出さんとな。克博と朱里、悪いけどオカンの説得頼めるか?」
「おお、任しとけ。バッチリやったる。」
克博はグッドサインを見せ、朱里と一緒に病室を出て行った。
「こんな時でも手え繋ぎよるぞあいつら。バカップル度100パーセントやな。」
「ええやん。そんだけ仲の良い証拠や。」
紗恵はにこやかに笑い、後ろで手を組んで窓の外を見つめた。
「なあ・・・俊一・・・。」
「ん?なんや?」
「私な・・・・・・。」
歯切れの悪い声でもじもじと指を動かす紗恵。俊一は首を傾げて尋ねた。
「どうした?言い淀むなんてお前らしいないぞ。」
「ああ・・ええっと・・・。いや!何でもないわ。」
「なんやねん。言いたいことがあるんやったらハッキリ言えよ。」
「ええねん。大したことじゃないから・・・・。」
「お前がそう言う言い方する時は、だいたい大した時やねん。言うてみろよ。」
「いや、だからええって。・・・・ああ、そや!私カメラ取って来るわ。」
「カメラ?何でや?」
「何かの役に立つかもしれへんやろ。ちょっと家に帰って来るわ。すぐ戻って来るから。」
紗恵は長い髪を揺らして病室を駆け出していった。
そして入り口で顔だけ覗かせ、ニコリと笑って手を振った。
「・・・なんやねん。変なやっちゃ・・・。」
お茶を飲み干してゴミ箱に投げ捨てると、向かいのベッドの患者がニコリと笑った。
「可愛らしい彼女やな。兄ちゃんのコレか?」
初老の患者は茶化すように小指を立てた。俊一は苦笑いを見せ、布団を被って寝転んだ。

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