格闘技の抱えるジレンマ
- 2021.12.29 Wednesday
- 13:23
JUGEMテーマ:格闘技全般
格闘技にはロマンがあります。
異種格闘技をやればどの格闘技が一番強いのか?
逆転KOや、倒し倒されての凄まじい死闘。
打撃で圧倒されていた選手が寝技で逆転したり、もちろんその逆もあります。
けどやはり一番のロマンは・・・言葉は悪いけど「合法的な喧嘩」を見られるということでしょう。
暴力は御法度です。喧嘩もNGです。
しかし人間には決して消すことの出来ない闘争心や闘争本能が備わっていることもまた事実です。
もしこの世から格闘技が消えたらどうなるか?
街での喧嘩は多発し、暴力事件も増えるでしょう。
喧嘩は駄目と言いつつも、もし街で殴り合いの喧嘩が始まれば、多くの野次馬が群がります。
一方的な暴力やイジメでない限り、まるで決闘を見ているような興奮がそこにはあるからです。
自分自身が戦うわけじゃなくても、誰かの戦う姿に闘争心を刺激され、、満たされるからです。
それを合法的に見せてくれる格闘技の社会的役割はとても大きいです。
と同時に、いったいどこでスポーツと喧嘩の線を引くのかという問題もあります。
格闘技はスポーツでもあるので、当然のことながらルールがあります。
多くの選手はルールを守って試合をやりますし、悪質な反則であれば失格負けとなります。
ボクシングでキックをすれば反則だし、柔道で殴れば反則だし、総合格闘技でも噛み付きやローブローは反則です。
全ては競技性と安全性の為です。
キックを打ちたいならキックボクシングや空手を、パンチを打ちたいならボクシングや総合格闘技をやればいいですし、噛み付きやローブローは危険なので禁止は当然です。
この点について異論を唱える人はいないでしょう。
しかしレフェリーやセコンドが試合を止めるタイミングについては様々な意見があります。
選手の安全を第一に考えるなら、危険と判断した時点ですぐに止めるのがベストです。
しかしプロの試合は興業でもあるので、あまりにストップが早過ぎると、観客の満足感は低くなるし、選手も「もっと出来るのに!」と憤るでしょう。
この見極めは本当に難しいと思います。
かつての格闘技はそう簡単には止めませんでした。
滅多打ちにされようが流血まみれになろうが平気で続行していたんです。
今よりもずっとラウンド数は長く、しかもダウンした相手の近くに立っていてもいいから、立ち上がった瞬間にまたボコボコなんてこともありました。
ですのでボクシングだとラウンド数は15から12へ変更され、ほとんどの格闘技でダウンを取った場合はニュートラルコーナーへ下がることがルールになっています。
総合格闘技でもルールの改変は何度も繰り返されました。
寝技で押さえ込んでから頭部への膝蹴りをする。
倒れた相手に肘を落とす。
団体によっては寝ている状態の相手には脚を使って攻撃してはいけないとか、二度と歩けなく可能性があるので脚への関節技は禁止という場合もあります。
つまり様々な失敗や事故などを経て、なるべく安全に戦えるように変わってきたわけです。
ただそうなると昔のような死闘が繰り広げられる試合は少なくなりました。
ある有名な格闘家が言っていました。
お客さんは喧嘩を見たいのだと。
あまりにスポーツライクに偏りすぎると喧嘩とは程遠くなっていきます。しかも競技として洗練されればされるほど、これまたスポーツへと近づいていきます。
つまり競技として進化すればするほど喧嘩を見たいという観客の要望に応えることが出来ず、結果として格闘技の人気が下がってしまうというジレンマが起きてしまうわけです。
選手はより強く、上手くなりたい。そして勝ちたい。
観客はより刺激的で喧嘩に近いモノを求めている。そして満足したい。
戦っている選手、見ているお客さん。
どちらも格闘技が大好きなはずなのに、実はなかなか埋められない大きな溝があります。
格闘技が抱えている最大のジレンマだと思っています。
私は選手が帰らぬ人となってしまうような試合を見るのは嫌です。
かといって極端に安全性ばかりを追求してしまっては、今まで通り面白いと思えるかどうかは自信がありません。
選手の安全か?それとも観客の胸を満たす刺激か?
この二つはいつだって天秤に掛けられていて、格闘技の在り方を左右してきました。
スポーツライクになるのを嫌がって、グローブを外して顔面を殴り合う格闘技もあります。
競技の安全性を重視して、本気で当てること自体を禁止している格闘技もあります。
格闘家の間でも意見が分かれているようです。
今後はどうなっていくのか?
一格闘技ファンとして見守りたいです。
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