子供が興味を示す作品には色と動きがある

  • 2018.06.17 Sunday
  • 11:49

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:子供

昨日甥っ子と映画やネット動画を見ていました。
そこで気づいたことが一つあります。
ウルトラマンや怪獣映画やゲームの実況を動画を見ている中で、明らかに反応する部分が二つかあったんです。
まず一つは色です。
ウルトラマンティガを見ている時、ティガの色が変わるとすごく反応するんです。
ティガは赤、青、その両方の三タイプにチェンジします。
ティガの色が変わった時、「違うの出てきた!」と興奮していたんです。
色が変わってもティガはティガなんですが、甥っ子はそうは認識していなかったようです。
造形が変わらなくても、色が変わると別の者として受け取るんですね。
また怪獣に対しても同じで、こっちがガメラでこっちがレギオンでと説明しても、あまりピンとこない様子でした。
だけどガメラが赤い炎で、レギオンが青いビームだって説明すると、そこから区別がつくようになっていました。
ゲームの実況動画も同じで、一番好きなのはマリオです。
マリオって色に溢れているんです。
キャラクターも背景もカラフルで、しかも原色に近い色が多いです。
だからウルトラマンやガメラの時と同じように、色に反応しているんだなと思いました。
もう一つ強い反応を示すものがありました。
それは動きです。
ゆっくり動くものよりも、素早く動く者に興味を示します。
あと無駄な動きがない者よりも、忙しなく動いているキャラクターの方が好きなようでした。
そういえばアメリカのセサミストリートのキャラクターも色にあふれています。
喋る度に動きがあって、それが子供の興味を引くのかもしれません。
色と動き。
この二つが子供が興味を示すキーワードなんじゃないかと思いました。
おかあさんといっしょ、ポンキッキ、アンパンマンなど、自分が子供の頃に見ていた番組も、思えば色と動きに溢れていました。
そういえば明石家さんまさんが、ある芸能人の赤ちゃんをキャッキャと笑わせているのがちょっとだけネットで話題になりました。
お母さんの腕に抱かれている赤ちゃんが、身を乗り出してテーブルを叩くほど喜ぶんです。
さんまさん曰く、小さな子供はオーバーな動きに反応するとのことでした。
動きを大きく見せた方が食いつくんですね。
赤ちゃんは実に楽しそうに笑っていました。
自分が子供の頃を振り返ると、好きだった番組の内容やストーリーはあまり覚えていません。
だけどキャラクターの色はよく覚えています。
アンパンマンがぐるぐる手を回してからアンパンチを打つことも、バイキンマンのUFOが弧を描いて山の向こうに消えていくことも覚えています。
自分もかつては色と動きに反応していたんだなと、甥っ子を見て思いました。
そう考えると子供向けの番組って、ほんとに子供のことを考えて作られているんですね。
何に興味を示すとか、どういうことを喜ぶとか、そういうのを踏まえて作品を生み出しているんです。
子供の為にってけっこう難しいです。
大人が想像する子供はこういうのを喜ぶだろうっていうのは、あまり通用しないんでしょうね。
頭からそれを排除して、子供の目や耳にはどう届くのかって考えることが大事なんだと思います。
毎週のように子供を楽しませる番組を作っている人や、動画やオモチャで子供を喜ばせることが出来る人は、クリエイターとして本当に才能がある人じゃないと出来ないのでしょうね。
自分がどうこうじゃなくて、相手が喜ぶかどうか。
子供が好きになる作品を生み出す人はプロの鑑だと思います。

水筒を担いでお茶を届けに行ったおじいちゃんとおばあちゃんの畑

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 13:45

JUGEMテーマ:日常

誰にだって記憶に残っている景色というのはあるんじゃないでしょうか。
私にはあります。
まだ幼稚園くらいの頃、家の周りに畑が多かったんです。
おじいちゃんとおばあちゃんは近くにある畑を借りて、野菜や果物を育てていました。
夏になると、幼かった私は水筒を二つほど担いで出かけました。
畑にいるおじいちゃんとおばあちゃんにお茶を届ける為に。
畑の隅にある物置小屋のそばに腰を下ろし、一緒にお茶を飲んだことを覚えています。
それから数年が経ち、おばあちゃんは足を悪くして畑に行けなくなりました。
その頃、ちょっと大きくなっていた私はもう畑にお茶を持っていくこともなくなり、夏休みは友達と遊んでばかりでした。
ある時、家の近くの畑が一つ消えました。
そこはお茶を届けに行く時に通る道だったんだけど、いつの間にか駐車場に変わっていたんです。
それからさらに年月が過ぎ、おばあちゃんは持病で亡くなりました。
おじいちゃんは一人で畑を耕しています。
だけどさらに数年が経って、その畑も無くなることになりました。
アパートが建ったんです。
おじいちゃんはもう畑が出来なくなり、それからさらに年月が経ってから、おじいちゃんも亡くなりました。
畑もおじいちゃんもおばあちゃんも消えてしまって、あの時のことは胸の中にあるだけです。
幼い頃の景色って、自分の原風景としてずっと残ることがあります。
だけどその景色は時間と共に変わっていって、そこにあったはずの物、人、そういうものまで消え去っていきます。
あれは私の懐かしい原風景だけど、でもふと思うこともあります。
おじいちゃんとおばあちゃんが幼い頃は、まったく違った景色だったんだろうと。
お茶を届けに行ったあの頃よりも、もっとずっと畑が多くて、そういえば竹林なんかもたくさんあったと言っていました。
空き地なんてそこらじゅうにあって、道路だって舗装されていなかったそうです。
私が懐かしいと思っていたあの景色は、もしかしたらおじいちゃんとおばあちゃんからしたら、変わり果てた風景だったのかもしれないと。
甥っ子も姪っ子もまだ保育園で、今見ている景色が原風景になるかもしれません。
もし私が「あの頃はここに畑があって・・・」と説明しても、ピンとこないでしょう。
自分にとって忘れられない景色というのは、すでに胸の中にしか存在しないものです。
消えてしまったから懐かしいと思うし、二度とそこへ行けないから切なく感じます。
そこにいたはずの人に会うことも出来ないし、小さな体で水筒を担いでいくこともありません。
畑のあった場所を通る時、ただ懐かしい思い出がこみ上げるだけです。

海外でも通用する日本のお笑い

  • 2018.06.08 Friday
  • 13:27

JUGEMテーマ:テレビ全般

JUGEMテーマ:お笑い

日本のお笑いって海外でも通用するほどレベルが高いです。
特にドリフ、ダウンタウンの人気はかなりのものみたいです。
ほんとに面白い笑いって万国共通なんですね。
ドリフは誰が見ても分かりやすい面白さがあります。
王道に見えてけっこうシュールだったり、ブラックユーモアたっぷりだったりするんですよ。
かつてPTAが見せたくない番組一位に選んだそうですが、子供はそういう物をこそ好みます。
子供の為に〜なんて作ったもの、子供は見向きもしません。
感覚的に大人の欺瞞を見抜くからでしょうね。
子供だからってバカにすんなって。
志村さんが外国人に英語を教えるコントがあります。
志村さんが教師役、生徒はみんな外国人です。
英語の授業で教科書を読ませるんですが、ネイティブの正しい発音をダメ出しして、なぜか東北訛りの強い英語を教えます。
これ、外国人にかなりウケているみたいです。
ダウンタウンの場合だと、なんといっても笑ってはいけないシリーズでしょうね。
特に人気なのはジミーちゃんです。
1から100まで英語で数えるんですが、20以降は「テンテンワン、テンテンツー」となり、100は「テンテンテンテン・・・」と指折り数えていきます。
あとマサチューセッツという発音もずっと詰まっていました。
「マサチュ、マサチュ・・・マサチューセッチュ・・・マセル・・・マサチュ・・・・、」
英語圏の人でもこれを笑うのがジミーちゃんのすごいところです。
ダウンタウンの笑いって当然日本語なわけですが、あの独特な空気は外国人の笑いも誘うようで、言葉の壁を超えてしまっています。
松本さんもさんまさんも言っていましたが、笑いは緊張と緩和だそうです。
どのルートを通ろうが、たどり着くのはこの一点のみ。
そこに言葉なんて関係なくて、外国人でも面白いと感じる。
これぞ真のグローバルじゃないでしょうか。
世界に解決しなきゃいけない問題は数あれど、何に対しても一々つっこみを入れていたら、全てが一色に塗りつぶされた平坦な表現しか生まれてこなくなります。
笑いって時には人を不愉快にさせることもあるけど、それが全てじゃありません。
むしろクオリティの方が大事です。
面白い漫才も出来ない、面白いコントも出来ない、面白いトークも出来ない。
そんな世の中になってしまったら、右見ても左見ても退屈な作品が並ぶだけです。
もちろん日本のお笑いの全てが優れているわけじゃありません。
大勢の芸人さんが出て、ただ大声で喚いているだけの番組は、当の芸人さんたちからしても面白くないそうですよ。
あれは芸人さんが悪いのではなく、テレビ局の方に責任があるでしょう。
脚本家かプロデューサーかディレクターか、はたまたスポンサーかは分からないけど、芸人さんをただの駒みたいに思っている人がいるんでしょうね。
そして自分たちは表に出てこないから、芸人さんに責任を丸投げして非難をかわすことが出来ます。
テレビをつまらなくしているのはタレントさんではなく、表に出てこない裏方のお偉いさんじゃないでしょうか。
せっかく海外に通用する日本のお笑い。
ただの消耗品みたいに成り下がってほしくないですね。

職場の人間関係 仲の良い縦の繋がり方

  • 2018.06.06 Wednesday
  • 14:00

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:仕事のこと

人の繋がりは縦と横があります。
組織の中では縦、友人同士なら横です。
例えば仕事をしていて一番のストレスになるのは人間関係です。
パワハラがひどいブラック企業などは、縦の繋がりによって引き起こされる人間関係の問題です。
でもだからって横の繋がりがいいかというと、そうでもありません。
クラスメートは横の繋がりですが、イジメは頻繁に起きています。
上下関係のない横の繋がりでも、上下関係の強い組織と同じように、パワハラやイジメは起きます。
私が一番最初にお世話になった職場は、とても人間関係が良好でした。
理由は仲の良い縦の繋がり方をしていたからです。
上下関係はハッキリしているんだけど、だからって息苦しさはありませんでした。
上司は部下に命令を下します。
当然ですよね、上の人は権限があるんですから。
部下はその命令を聞くしかないわけですが、責任を持つ必要はありません。
もし何かトラブルが起きても、その責任を負うのは上司の役目だからです。
上司は素直に言うことを聞いてくれる部下を喜び、部下は何かあったら責任を負ってくれる上司を信頼します。
そして気さくな話だってしました。
暇は時はバカ話もよくやったし、世間話で盛り上がったり。
けど仕事の時はみんなキュっと気を引き締めていました。
こういう仲の良い縦の繋がり方だったから、人間関係によるストレスはほとんどありませんでした。
そうすると仕事もやりやすくなるんですよ。
田舎のそう大きくない店なのに、売上がいいものだからわざわざ重役や社長が視察に来たくらいです。
人間関係が険悪になると仕事の能率も落ちるし、逆に良好になると上がるものです。
嫌々仕事をすることがなくなるから、みんなテキパキ動くんですよ。
結果的に回転の良い店になって、セールの日にはお客さんが行列を作るほどでした。
けど店長の異動が決まり、従業員も入れ替わっていくうちに、かつての勢いは消えてしまって、売上もそう大きなものではなくなりました。
次の店長はどちらかというとワンマンタイプであり、しかも自身は責任を背負いたがらない人でした。
そしてそういう人の下には同じ種類の人が集まるものであり、最終的には忙しいんだけど売上の立たない、ただの息苦しい店になったことを覚えています。
アイデアとか行動力とか、仕事において大事なことは色々あります。
けどもっとも重要なのは人間関係です。
時代が変わっても、人が働くという構図は変わらないからです。
売る物が変わろうがサービスが変わろうが、それも全て人がやっているんですよ。
仲の良い縦の繋がりは、職場において最高の人間関係だと思います。
けどそれを目指すのは難しいです。
人の繋がりに恵まれる。
今の時代、多くの人が求める理想だと思います。

文化としての自傷行為

  • 2018.06.05 Tuesday
  • 15:48

JUGEMテーマ:日常

クレイジージャーニーでボディサスペンションというものが紹介されていました。
正直に言うと、これはちょっと引いてしまいました。
だって痛々しくて見てられないから!
顔中にピアスを着けたりする人もいますね。
ピアスって耳にするものだと思っていたんですが、必ずしもそうではないようです。
日本でもおへそにしている人がいるし、耳にしたって幾つも穴を空けている人がいます。
その人なりに理由があってそうしているのは分かるんですが、けどあれも痛々しくて見ていられません。
そういえば「殺し屋イチ」って漫画で、舌にピアスをしているキャラクターが出てくるんですよ。
しかも究極のドMで、自分の体が傷つくことに快感を覚えます。
常時亀甲縛りしていますからね。
そのキャラクターが言っていました。
海外にはカッコイイからという理由で、肉体の一部を切断する者もいると。
・・・・これ、まったく感覚が分かりません。
髪や爪みたいにまた生えてくる物ならともかく、腕や足などはそうはいきません。
それを自ら切り落としてしまうとは・・・・・。
普通、生き物っていうのは自分が傷つくことを嫌います。
どうしても傷つける場合は、トカゲの尻尾切りのように、身の危険が迫っている場合に限られるでしょう。
でもあえてそれをやる人がいるんですよね。
私なんか耳にピアスの穴さえ空けるのも嫌です。
理由は痛いし怖いから。
自傷してまでファッションをしたいとは思わないから。
だからタトゥーだって絶対に入れません。
入れたい人は入れればいいと思うんですが、私はお金を積まれてもやりませんね。
ボディサスペンションも、自分の意志で決めたことなら、自分の責任においてやるのは自由です。
自由なんだけど、見るだけで痛々しいあの映像は、私個人としては目を背けたくなりました。
別にそういうのを放送するなとか言っているわけじゃないですよ。
むしろ興味を引かれる人もいるでしょうから。
ただね・・・・やっぱりああいう行為は理解しがたいというか、自分を傷つけてまでそんな事をしようとする情熱ってなんなんだろうって考えてしまいます。
格闘技で流血っていうのは全然平気です。
あれは傷つきたくて傷ついているんじゃないからです。
基本は攻撃されないように防御するんだけど、無傷でっていかないのが格闘技だからです。
だって相手も勝つために攻撃してきますからね。
こっちからダメージを貰いに行ってるんじゃないんです。
けど自分で自分の肉体を切ったり刺したりっていうのは・・・・・。

文化としての自傷行為ということなのでしょう。
ほんとに世の中には色んな趣味を持つ人がいるんだなと思い知らされました。

見た目の筋肉と実際の力は比例するとは限らない

  • 2018.06.04 Monday
  • 14:12

JUGEMテーマ:日常

見た目の筋肉と実際の力は必ず比例するとは限りません。
良いガタイをした人が見た目ほど力がなかったり、逆に細身の人がけっこう力が強かったり。
とあるイベントの時、大きな棚を運ばないといけませんでした。
人の背丈よりも高い棚です。
けっこうな重さがあって、一人では中々運べないほどの重さです。
だから最低でも二人で運んでいたんですが、細身の人がヒョイっと持ち上げて、軽々と運んでいました。
後から聞けば、その人は建設業の方とのことでした。
似た例は他にもあって、とても重い荷物が詰まったダンボールを運ばないといけない時、けっこう良いガタイをした人がヨロヨロと持ち上げていました。
逆に小柄で細身の人が軽々と持ち上げているということもありました。
人の力って見た目だけじゃ分かりません。
そりゃヘビー級の格闘家とか力士とかプロレスラーとか、そういった人たちはガタイ通りのパワーをしていると思います。
最近話題になっているアメフトの選手たちもすごいパワーをしているでしょう。
けど本気でスポーツに打ち込んでいるような人でもない限り、良い体をしているからといって、必ずパワーがあるとは限りません。
骨格が良ければその分体は大きく見えるし、筋肉質に見えて実際は脂肪と半々みたいなこともあるからです。
あと体の使い方が下手だと、筋力があってもそれを活かすことが出来なかったり。
単に筋トレだけしていても、実用的なパワーが身につくわけではありません。
元々ガタイが良いからといっても、体を使う機会が少なければ、腕力だけに頼ってしまって重い物が持ち上がらないこともあります。
建設現場で働いている方たちは、仕事の中で全身の筋肉を使っているわけだから、細身でも力があります。
見せる為の筋肉じゃなくて、細くてもギュっと引き締まった実用的な筋肉を持っています。
あとやっぱり体の使い方が上手いと思います。
ああいう現場では、重い物を重たくないよう運ぶ技術が大事だと聞いたことがありますから。
そういえば江戸の後期か明治の初期か忘れたけど、昔の人は女性でも米俵一表を担いでいたそうです。
あれって確か60キロくらいあるんですよ。
60キロの人間をおんぶするのはそこまで難しくないけど、60キロの米俵ってかなり難しいと思います。
担ぐどころか持ち上げるのも困難でしょうね。
けど昔の人たちは女性でもそれを担いで歩き、男性の場合だと三表くらい担いでいたそうですよ。
ていうか子供であってもけっこう重い物を運んだりというのがあったでしょうね。
昔の人って体は小さいです。
プロレスラーのようなガタイをした人はほとんどいなかったでしょう。
それでも平気で重い物を担げるのは、筋肉が発達していたからでしょうね。
その筋肉は見せる為のものではなくて、田んぼや畑を耕す為の物。
要するに生きていく為の筋肉です。
また軍人もすごかったそうです。
鎧を着て刀や槍を持って、しかも馬上から弓を射るんですから。
現代でも流鏑馬という伝統行事があるけど、あれってものすごく力がいるそうですよ。
けど身体能力だけなら農民も負けていなかったでしょうね。
今は訓練無しの徴兵なんて有り得ないけど、昔は農民がそのまま戦に出ていくこともあったそうです。
常日頃から仕事で鍛えられているから、武器さえ持たせればそのまま兵士として戦えるほど強かったってことでしょうね。
そもそも昔の農民って決して大人しい存在ではなくて、金品目当てに落ち武者狩りとかやることもあったそうですよ。
日々の生活の中で自然に鍛えられた筋肉こそが、もっとも強いのかもしれません。
私は筋トレを日課にしていますが、建設現場などで働いている方には絶対に力で敵わないと思います。
私がハアハア言いながら持ち上げているダンベル、それ以上の重たい物を軽々と担いで仕事をしている方たちと張り合っても、勝負にすらならないでしょう。
どうして筋トレをするのか?
どうして鍛えるのか?
良い体になりたいっていうのもあるけど、それ以上に強くなりたいからです。
見た目は細いのにパワーがある。
とてもカッコイイ肉体ですよね。憧れます。

大きなストレスよりも小さなストレスの積み重ねの方が怖い

  • 2018.05.17 Thursday
  • 12:00

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:社会の出来事

JUGEMテーマ:ココロと闘う

心を病んだり精神的に参ったりするのは、ストレスの積み重ねのせいです。
一度の大きなストレスよりも、日々積もっていく小さなストレスの方が恐ろしいものです。
小さなストレスによるダメージは自覚症状がありません。
本当はかなり参っているのに、まだまだ大丈夫と思い込んで無理をして、余計に心身に負担をかけたりしがちです。
また周りからの助けが得られにくいのも、小さなストレスの恐ろしいところです。
家庭でも職場でも、暴力だとかお金を強要されるだとか、そういう分かりやすい悪事は周りから助けを借りやすいです。
なぜなら理解が得られやすいし、場合によっては法律に訴えることも可能だからです。
しかし日々積み重なっていく小さなストレスは、中々そうはいきません。
周りに相談しても「それくらいみんな一緒」とか、「それくらい我慢するべき」といったありきたりな答えが返ってくるばかりでしょう。
パワハラやモラハラからくるストレスは、一つ一つの事が暴力やお金の無心のように大きなものではないから、すぐに助けを得られることが出来ません。
また法律に訴えるのも難しいでしょう。
口が悪い、態度が悪い、威圧的、高圧的。
そういった態度で人を不快にさせたとしても、法律はなかなか味方をしてくれないからです。
小さなストレスの積み重ねによる辛さは本人にしか分からず、いくら力説しようとも理解してもらうことは困難です。
「疲れてるんじゃないの?」とか「考えすぎだよ」とか、これまたありきたりなセリフしか返ってこないでしょう。
たった一つだけの小さなストレスなら充分に耐えられます。
しかしそれが何度も続くとなると、だんだんと心は蝕まれていきます。
些細な悪口、悪意のない暴言、スキンシップのつもりのボディタッチ、躾やツッコミと称する拳骨やビンタ。
これらをどう感じるかは人それぞれでしょう。
まったく気にしないという人もいれば、チクチクと針で刺されるような痛みを感じる人もいるはずです。
後者の人にとっては、こういう状況が続けばいつ心を病んだりしてもおかしくありません。
だからモラハラやパワハラって怖いんですよね。
そしてそういった人を不快にさせるのが得意な人というのは、自分の身を守ることにも長けていたりします。
下手に反撃すれば余計に痛い目に遭ったり、然るべき所へ訴えても上手く誤魔化されたりしてしまいます。
少し話が脱線しますが、最近になってよく耳にするサイコパスって、実は昔からいたんだと思います。
江戸時代には辻斬りなるものがあり、海外でも切り裂きジャックという恐ろしい殺人鬼がいます。
資料に残っていないだけで、もっとたくさんの殺人鬼みたいなのはいたでしょう。
こういう人たちって昔から一定数いて、最近になってようやくサイコパスって名前がついて、認知され始めたのだろうと。
となるとモラハラとかパワハラの塊みたいな人も、恐らくですが昔から一定数いるんだと思います。
今はまだ病名が付いていないだけで、そのうち○○疾患とか○○神経症とかって名前が付く可能性はあるんじゃないかと思っています。
精神的な疾患や障害って定義の問題だったりすることもあるので、時代が変われば病人とされていた人がそうでなくなったり、逆にそうじゃない人が病人となったりします。
強迫神経症を患っていても、本人が生活に支障を感じておらず、周りにも迷惑を掛けていないならば、それって特に医者にかかる必要ってないんだそうです。
社会的に迷惑をかけたり、本人が苦しみを感じていないのであれば、定義を満たしていないということで病気扱いにならない症状もあるんですよ。
パワハラやモラハラの加害者は誰でもなりえます。
そして被害者にもなりえます。
そこに老若男女は関係ありません。
よく人種や性別だけで一括りにする人がいるけど、よくよく調べれば本人の人格の問題だったりするわけです。
「○○の国の人は〜!」とか「男は〜!」とか「女は〜!」とか「若者は〜!」とか「年寄りは〜!」と叩くのは簡単だけど、実際の問題は別の所にあったりします。
これは私の個人的な感想ですが、モラハラやパワハラの塊である人ほど、上のような物言いをしているように感じます。
自分という人格に攻撃が行かないように、大きな問題やテーマを持ち出して、そちらに話をすり替えているようにしか思えない場合があります。
しかもそういう人に限って声が大きく、まるで社会全体の意見であるかのように錯覚してしまいがちです。
けどやっぱりそれは違っていて、一部の声の大きな人のせいで、本当に困っている人や苦しんでいる人が放置されたままというのも珍しくないでしょう。
基本的にモラハラやパワハラの塊のような人は、ただ自分のことしか考えていません。
人種差別や性差別の問題を提起しているように見せかけて、自分の懐を肥やしたいだけの人間がどれだけいることか。
正論を言っているように見せかけて、子供や老人を虐待している人がどれだけいることか。
今の時代、正しいとか間違いとかではなく、とにかく声の大きな人が強いように感じます。
となればやはりモラハラやパワハラの塊のような人が強いです。
昔から一定数いたであろうこういう人たちが力を持つのが今の時代なんだと思います。
この時代、まっとうな人はとにかく息を潜めていた方がいいかもしれません。
いくら声を上げようとも、時代の流れにそぐわないのであれば、その声はかき消されてしまうものだからです。
正しいとか悪いとかでは時代は変わらなくて、なにか大きな流れみたいなものに乗っかって動いているんだと思います。
まっとうな人にとっては今は冬の時代です。
暖かい春が来るまで、希望を信じて生き延びるしかないのかもしれませんね。
良くも悪くも時代は変わるものですから、いつまでも同じ流れが続くことはありません。
まだ見ぬ未来に光を描く。
それは曖昧な希望かもしれないけど、希望を信じていないと人は生きていけないですから。

整理しても棚に残る本

  • 2018.05.08 Tuesday
  • 13:22

JUGEMテーマ:日常

漫画や本がたくさん溜まっていたので整理しました。
数年に一度やるんですが、昔に大事だと思っていた本が、数年後にはそうではない場合もあります。
漫画も好みが変わりますから、棚の中の作品も変化していきます。
けど昔っからずっと変わらずに置いてある本があって、そこにある共通点があることに気づきました。
何度整理しようととも、辞典だけは残るんです。
英語辞典、国語辞典、あまり使うことがないんですが、どうしてか今も棚に残っています。
それにいつ買ったのかも分からない辞典があります。
年代別の出来事の辞典です。
というより図鑑に近い感じです。
昭和初期から2000年代までの流れが載っており、整理する時にいつも残ります。
なんとなくパラパラっと眺めて、まあ一応置いておくかという流れが続いた結果です。
だから生き物図鑑とか宇宙図鑑みたいな物も残っています。
あまりページを開くことはないんですが、なぜか整理する時に残ってしまうんです。
別にそれで困った事は一度もないからいいんですが、ちょっと不思議だなと思いました。
それでふと思ったんですが、何度整理しようとも残る本って、思い出の物というよりか、知識が詰まっている物が多いような気がします。
今やネットの時代で、調べたいことがあればスマホ一台で事足りるのに、そういった本を整理できないのはなぜか?
本屋さんは数が減っているそうですが、図書館へ行くといつでもそこそこ人がいます。
もちろん無料だからというのもありますが、それ以上に本が好きな人が一定数いるからなんでしょうね。
そして図書館へ行っても、知識が詰まっているような本はあまり代わり映えしません。
小説などは新刊が並んでしますが、辞典や図鑑などは古くなっても同じ物であることが多いです。
そういえばユダヤ人の格言にこんな言葉があるそうです。
「転んだら服よりも先に本を拭け。」
本の本来の役目は知識の共有と継承という意味なんでしょうね。
服は多少汚れても着られるけど、汚れてしまった本は読めなくなるかもしれません。
そうやって知識の継承が途絶えないように本があるのでしょう。
実際に文字を持たない文明は、文字を持つ文明に負けた歴史があります。
隆盛を誇ったインカ帝国も、あっさりとスペインに侵略されてしまったのはその為です。
いくら整理しても棚に残る本。
日常で使うことが少ないとしても、ただそこに知識の宝庫があるだけで安心する。
そういう本能が人間にはあるのかもしれませんね。

悪酔いする人は迷惑千万 酒を飲む資格なし

  • 2018.05.07 Monday
  • 12:56

JUGEMテーマ:日常

お酒の席は楽しくあるべきだと思いますが、それなりに人が集まれば必ずといっていいほど悪酔いする人がいるものです。
お酒の席で敬遠されるタイプは幾つかいます。
吐く人、寝る人、泣く人、愚痴る人。
しかし何より一番嫌われるのが絡む人です。
明るい絡み方ならまだ許せます。
だけど説教じみた絡み方、暴言を飛ばす絡み方はもっとも敬遠されるタイプです。
中には暴力を振るう人もいるので、下手すれば警察の厄介になったり、仕事を失ったりということもあるでしょう。
実は最近、身内のある集まりがあしました。
みんなそこそこお酒が入り、あちこちで楽しそうに談笑が始まりました。
しかしとある二人組だけがまあ質の悪いこと!
酔って気が大きくなったのか知りませんが、その言動は酷いものでした。
実は私、悪い酔いをするのって質の悪いオジサンくらいだと思っていたんです。
でも違うんですね、女性でもまるで質の悪いオジサンそのものみたいに悪酔いすることがあるんだと知りました。
悪酔いに性別は関係ないということを学んだので、そういう意味では一つ賢くなったのかもしれません。
身内の集まりで喧嘩など出来ませんから、みんな笑顔で受け流していたんですが、最終的にはうんざりした表情に変わっていました。
もちろん私も。
どちらもいい大人だし、片方には子供もいて、まさに隣に座っています。
私が印象的だったのは、親が喋っている時にその子がピクリとも笑っていなかったことです。
身内が集まる場所でも悪酔いできるくらいだから、家ではどんなものなのか・・・・というのは、その子の表情を見ていれば想像に固くありません。
家では好きにすればいいと思いますが、少なくともこういった場所で良識も持てないような人とは話もしたくありません。
宴会の終わり、突然に話しかけられましたが、適当にあしらって外へ出ました。
もう一人の方は数年に一度会うかどうかの方なので、そもそもが仲良くする必要もなく、こちらから会話になることを遮断していました。
お酒の席においては、後味が悪くなるのがもっとも嫌な展開です。
当人たちは気持ちが良いのかもしれませんが、絡まれる周りの人間は迷惑千万です。
そこまで酔っておきながら、夜になったらまた飲みに行くんだなんて会話が聴こえて、これではただのアルコール依存症なのではと思ってしまいました。
アルコールは確実に脳の細胞を破壊するそうで、一度壊れた脳細胞は元には戻りません。
適量ならばそこまで問題ないでしょうが、それを超えて飲むなら徐々に脳を破壊し続けることになるわけです。
酔った時に自身の制御が出来ない人間は、それだけ脳細胞が破壊されてしまっている証拠かもしれません。
飲んで質が悪くなるのは、どちらかというとお酒が好きでよく飲んでいる人に多い印象があります。
適量しか嗜まない人と比べて、やはりアルコールのダメージで脳がやられているのかもしれません。
タバコばかりが槍玉にあげられるけど、アルコールの毒性だってかなりのもので、悪酔いした人の迷惑行為はタバコの副流煙と同じく害悪でしかありません。
他人の健康を守るため、タバコはマナーを守って吸うのが当たり前ですが、お酒も同じです。
悪酔いの結果、他社に迷惑を掛けるのであれば、誰もいない場所で一人で飲むのが良いでしょう。
非喫煙者がどうして喫煙者の害を受けないといけないのか?迷惑だ!
よく分かります。
酒を飲まない人間がどうして酔っ払いに絡まれないといけないのか?迷惑だ!
これも同じことです。
お酒の席は楽しくあるべき、自分だけが気持ちよければいいという酒飲みは、事前にプラカードでも掲げていてほしいですね。
そうでないなら、悪酔いする人間に酒を飲む資格はないと思います。

筋トレ以外の時間の筋トレは効果的

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 12:15

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:健康

かのブルースリーはいついかなる時でも肉体を鍛えていたそうです。
もちろんトレーニング専用の時間は取っていたと思いますが、それ以外の時間でも自らを鍛えることを怠らなかったといいます。
例えばテレビを見ている時でも、片手にダンベルを持って鍛えていたそうです。
生きること全てが鍛えること、自らを磨き上げること。
武道家としても俳優としても。
究極の戦士であり、表現者です。
昔の武士は生活と武術が一体化していたそうです。
宮本武蔵の五輪の書にもあるように、もし敵が襲ってきたらというのを想定して、食事中の箸の上げ下げにまで気を配っています。
漫画、花の慶次では、主人公の慶次は一見隙だらけに見えて一切の隙がありません。
刺客に狙われているにも関わらず外で昼寝をしたりしますが、決して油断はしていないのです。
刀は常に手の近くに置き、いつでも応戦できる状態にしています。
また敵のいる方には足を向けて寝ています。
最悪斬られても、足ならばまだ助かるからです。
真に自らを鍛えるということは、生活と戦いが一つになるということなんですね。
じゃあ筋トレをする時、決まった時間にした方が強くなれるのか?
それともいついかなる時でも鍛えた方がいいのか?
私も週に二回ほど筋トレをしています。
ちゃんと続けていれば週二でもちゃんと効果が出るんですよ。
しかしこういう意見もあります。
鍛えるということが生活の一部になっていないと効果がないと。
とある古武術の先生はウェイトトレーニングに否定的です。
というのも、昔の人は日常生活がトレーニングになっていたからとのこと。
今のように便利な社会ではないので、肉体を使うことが多かった。
重い物を担いだり、長い距離を歩いたり。
生活の中で鍛えられるのだから、実用的な筋肉が付くということなのでしょう。
あと体の使い方が上手くなると言っていました。
いくら筋肉が付こうとも、その使い方を知らないのであれば意味がないということなのでしょう。
私はガッツリやる筋トレは週二だけですが、暇さえあればつま先立ちをして、そのつま先だけで体を上げ下げしています。
要するにつま先のみのスクワットです。
大きな動きをするわけじゃないので、場所を取りません。
ちょっと空いた時間にできるので、専用に時間を設ける必要もありません。
それでいてけっこう効くトレーニングなんですよ。
毎日ちょっとでも空いた時間があるとやっています。
おかげで足裏、特にふくらはぎが鍛えられました。
あとお尻も引き締まった気がします。
足裏ってそうそう鍛える機会ってないもので、ここを鍛えておくとけっこう便利なものですよ。
人は歩く時も走る時も地面を蹴って動きます。
そんな時、足裏が発達しているとすごく楽なんです。
ただしこのトレーニングだけでは充分ではありません。
やはり専用に筋トレの時間を設けて、それと併用することで効果が出ているんだと思います。
肉体を追い込んでガッツリ鍛えたいなら専用の時間を設けるべきです。
しかしちょっと空いた時間にできるトレーニングを見つけておくと、それはそれでちゃんと鍛えられるものです。
今や刀を持った武士が歩いている時代ではなく、いついかなる時でも戦いを意識する必要はありません。
だから日常の全てをトレーニングに使う必要はないわけですが、筋トレをすると決めた以外の時間にも鍛えておくと、それなりに効果的です。
要はバランスなんでしょうね。
メインの筋トレとサブの筋トレ。
専用の鍛える時間と日常の中でちょっと鍛える時間。
メインを助ける補助的な役割だと思えば、日常の中にトレーニングを取り入れるのは良いことだと思います。

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