ダナエの神話〜魔性の星〜 最終話 魔性の星(8)
- 2015.06.15 Monday
- 13:34
凄まじい巨体、凄まじい迫力。
黄龍、九頭龍と並ぶ三大龍神の一角が、青いマグマからダナエたちを守っていた。
「で・・・・・出た・・・・あの時の龍神が・・・・。」
「やったよコウ!これで九頭龍を止められるかも!」
二人は喜び、手を取り合って飛び跳ねる。
燭龍は灼熱のマグマを受けても平気な顔をしていて、九頭龍を睨みつける。
そしてそのまま体当たりをかました。
しかし九頭龍は動かない。いくら燭龍が山のように大きいといっても、九頭龍はそれを凌ぐ大きさである。
「むうう・・・・体格の差はいかんともし難いな。では儂も巨大化させてもらおう。」
そう言って口を開けて、海を大地を吸い込み始めた。
燭龍は周りの物質を吸い込んで、どんどん巨大化していく。
海は干上がり、大地は土を失い、まるでブラックホールのように何もかも吸収していく。
「きゃあああああ!」
「うわあああああ!」
そしてダナエやコウ、それにアドネやメタトロンまで吸いこんでしまった。
遂には海の城まで吸いこんでしまい、辺りは岩盤が剥き出しの、何もない更地になってしまった。
「・・・・うむ、ここまで大きくなればよかろう。」
目に映るもの全てを吸い込んだ燭龍は、九頭龍に匹敵するほど大きくなっていた。
そして頭の上に一輪の花を咲かせると、そこからダナエたちが現れた。
「お前たちは離れていろ。巻き添えを食うぞ。」
「ぼ・・・ボイラーさん・・・・随分大きくなったわね・・・。」
「感心しておらんで、すぐに離れるのだ。九頭龍は臨戦態勢だぞ。」
そう言って目を向けると、九頭龍はこちらに向かって突進して来た。
「いかん!すぐに退避するぞ!」
メタトロンは皆を体内に吸い込み、「でやあ!」と空に舞い上がった。
「ああ!ちょっと待って!まだ海のお城がボイラーさんの中に・・・・、」
そう言いかけた時、燭龍は「ぺッ!」と城を吐き出した。
メタトロンは宙に投げ出された城を掴み、「ここは任せるぞ!」と離れていく。
「私もすぐに駆け付ける!それまでその怪物を抑えておいてくれ!」
「心配無用。儂がすぐにこの馬鹿者を大人しくさせる。ただし・・・・少々月が滅茶苦茶になるかもしれんが。」
燭龍は再び頭の上に花を咲かせ、赤く光らせた。
「九頭龍よ!いい加減目を覚まさんか!たかが異星の邪神に乗っ取られおって!」
「グオオオオオオオオオ!」
九頭龍の体当たりが炸裂し、その衝撃で岩盤まで砕けていく。
燭龍はその衝撃を正面から受け止めて、「なんのこれしき!」と頭突きを返した。
爆音が響いて、九頭龍の頭の一つが鼻血を出す。しかし残りの八つの頭が襲いかかり、燭龍に噛みついた。
そして口から青いマグマを吐いて、灼熱で溶かそうとする。
「これしきの熱で、儂をどうにか出来るものか。」
青いマグマはとてつもなく強力だが、燭龍には効かない。それどころか、マグマを吸収し、自分の力に変えていった。
「さて・・・・奴らは遠くへ逃げただろうか?」
燭龍は後ろを振り向き、メタトロンが遠くへ飛び去るのを見つめた。
「うむ。あそこまで離れていれば、問題なかろう。」
そう言って九頭龍を睨み、頭に咲いた花を揺らした。
「言葉で止まらぬのなら、力づくで止めるのみ!九頭龍よ、正気を取り戻し、その身からクインを追い出すのだ!」
燭龍は大きく口を開け、九頭龍の頭の一つに噛みつく。そして頭の上に咲かせた花を、さらに赤く輝かせた。
その光は世界に熱と輝きを与える、森羅万象のエネルギーそのものであり、地球の核にたくわえられた、星の命ともいうべき炎だった。
その恐るべき炎が、頭の上に咲いた花から放たれる。
辺りは太陽を直視したような激しい光に包まれ、地平の彼方に一筋の閃光が走る。
たった一撃で小惑星を吹き飛ばすほどのエネルギーが、月の一角で炸裂する。
遠くを飛んでいたメタトロンにもその衝撃は襲いかかり、「なんというパワーか・・・・」と顔をしかめた。
激しい熱と風に晒され、このままでは危ないとバリアを張った。
「これが三大龍神同士の戦いか・・・・奴らはルシファーを牢獄に叩き込む時にさえ参戦しなかったが、今思えばそれでよかった。奴らが暴れたら、何もかも破壊し尽くしてしまう。」
メタトロンは熱と風が収まるまでバリアを張り続ける。そしてようやく燭龍の光が消え去ると、また遠くに向かって飛んで行った。
「とにかく私も参戦し、あの憎き邪神を討ち取らねば。その為には月の魔力が必要だ。」
月の中に広がる青い空を飛び、龍神同士が戦っている月の反対側まで退避する。
そして緑が覆う大地に降りると、そっと城を置いた。
「むうん!」
額の宝玉を光らせ、ダナエたちを外に出す。
メタトロンは城を指差し、「早く月の魔力を!」と叫んだ。
「分かってるわ!メタトロンのおかげでボイラーさんは出て来られた。それにお城だって安全な場所に避難させてくれた。だから・・・・今度こそプッチーの力を引き出してみせる!
そしてあの扉を開けてもらうの。」
コスモリングに触れて、今度こそ扉を開けて見せると、城の中へ入っていく。
そして扉の前まで来ると、目を閉じて願いを伝えた。
《お願いプッチー!どうか・・・どうかこの扉を開けて!この先には月の魔力の秘密があって、今はそれが必要なの。それにミヅキと叔父さんだって助けたい。だからお願い!》
頭の中に強く願いを描き、コウにフラれた悲しみを圧し潰していく。
そうやってじっと願いを捧げていると、どこからか波の音が聞こえてきた。
《来た!プッチーが反応してくれた!》
波の音はどんどん大きくなり、やがて頭に海の景色が浮かんできた。
ダナエはそっと目を開け、目の前の扉を見つめる。
すると辺りにも海の幻覚が浮かび、その中にぽつんと扉が建っている。
ダナエは海面の上を歩き、扉を手で押してみた。
冷たく重い石の扉が、ダナエが触れた瞬間に木の扉に変わる。美しい木目模様の、見ているだけで心癒されるような、芸術品のような美しい扉に。
手には温もりが伝わり、何の重さもなく、スッと開いて行く。
その瞬間、海の幻覚も、そして波の音も消えていく。そしてどこからか何かのヒビ割れる音が聞こえて、幻覚と幻聴は完全に消え去った。
「開いた・・・・扉が開いたわ・・・。さすがプッチー!」
そう言ってコスモリングを見つめると、大きなヒビが入っていた。
「な・・・なんで!?どうしてプッチーにヒビが・・・・、」
驚きながら見つめていると、アドネが「力を使い過ぎなのよ」と言った。
「ダナエは何度もその腕輪を使ってるでしょう。だからそろそろ限界が来てるのよ。」
「そ・・・そんな・・・・プッチーに無理させてるってこと?」
「そうよ。もし次に願いを叶えてもらったら、完全に壊れるかもね。」
「ああ・・・・そうなんだ・・・。ごめんねプッチー・・・・いっつも無理ばかりさせて。」
ダナエは労わるようにコスモリングを撫で、「これからは大事にするから、今回だけは許してね」とヒビをなぞった。
「じゃあ・・・・中に入ろう。きっとミヅキや叔父さんが待ってるわ。」
そう言って扉の中へと入って行く。アドネとコウもそれに続き、部屋の中を見渡した。
部屋の作りは先ほどと変わっていない。扇形の作りに、時計台の柱。そして六つの月の模型。
しかし先ほどとは違った部分が二つあった。
一つは月の模型が、全て同じ色になっているということ。
さっきは一つだけ黄色く染まっていたのに、今は全て青白い色になっている。
それともう一つは、時計台の柱の前には、ミヅキと幸也。そして顔のない真っ白なゴーストのような者がいた。
「ミヅキ!」
ダナエはミヅキに駆け寄り、ガバッと抱きついた。
「よかった!無事だったのね!!」
そう言って抱きしめると、ミヅキも「ダナエ・・・」と抱きついた。
「こ・・・・怖かったよ・・・。ラシルの邪神がやって来て、みんなを酷い目に・・・・、」
「うん、分かってる・・・・。ごめんね、怖い時に助けてあげられなくて。」
「だから私は一緒に連れて行ってって言ったのに!月にいる方が危なかった!!」
ミヅキは強く抱きつき、わんわんと泣いている。
するとそこへ博臣がやって来て、「ミヅキ!」と叫んだ。
「博臣!!」
ミヅキはダナエから離れ、博臣の方へ走って行く。二人は抱き合い、無事に再会出来たことを喜んだ。
「よかった・・・・ちゃんと生きててくれた・・・・。」
「博臣・・・・もっと早く来てよ・・・・アンタ強い天使に変身出来るんでしょ?だったら早く来てよ・・・・。」
「ごめん、ごめんな・・・・。もう一人で置いて行ったりしないからな。」
「当たり前よ!私も博臣から離れたくない!だって・・・・もう誰も失いたくないもん・・・・。」
ミヅキは酷く傷ついていた。目の前で妖精たちが惨殺され、その中にはサトミや彼女の赤ん坊もいた。
それが目の奥にこびりついて、病魔のように心を蝕んでいたのだ。
コウはそんな二人を見つめながら、幸也に問いかけた。
「よかったな、二人とも無事で。」
「ああ、ほんまに・・・・。もうアカンかと思ったけど、こっちの方のおかげで・・・・。」
そう言って真っ白なゴーストを振り返り、「すんでの所で助けてもらったんや」と言った。
「この人・・・ずっと月に住んでるらしくてな。ダフネやアメルが来る前から、ずっと月におったんやと。」
「へええ・・・俺たちよりも前の住人か。こんな奴初めて会ったな。」
コウは感心し、白いゴーストに近づいた。
「あの・・・・まずはありがとう。ミヅキと幸也を助けてくれて。」
コウはペコリと頭を下げる。そしてすぐに顔を上げて「それでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど・・・・、」と尋ねた。
「あんたがいったい誰なのか、それも気になるんだけど、それよりもっと聞きたいことがあるんだ。
実は俺たち、月の魔力を求めてここへ来たんだよ。それを手に入れないと、クインに勝てそうにない。だからもし月の魔力の在り処を知ってるなら、教えてほしいんだけど・・・。」
「%$&%$'($&??`'&%」
「やっぱ何言ってるか分かんねえ・・・・。」
相変わらずの意味不明な言語に、コウは困った顔をする。すると白いゴーストは、月の模型を指差した。
それは先ほどまで黄色く染まっていた模型で、それを見てみろという風に指を動かした。
「これがどうかしたのか?」
コウは膝をついて覗きこむ。ダナエとアドネも横から覗きこんだ。
するとそこには、さっきまであったはずの物がなかった。
さっき見た時はケンとアメルの名前が刻まれていたはずなのに、今は無くなっている。
三人は首を傾げ、「?」という顔をした。
「なんで名前が消えてんだ?」
「さあ?誰かが消したとか?」
「あんなもん消えないでしょ。ちゃんと彫ってあったのに。それに黄色じゃなくなってるし、どうなってるの?」
三人はまた首を傾げ、唇をすぼめた。
すると白いゴーストが近づいて来て、コウとアドネの頭にそっと触れた。
その瞬間、何か意味不明な言語が頭に流れ込み、まるで新しいソフトでもインストールしたように、頭の中に今までにない言語が浮かんできた。
「なんだこれ・・・?頭に文字が浮かんだよな、今・・・・。」
「うん、わけの分かんない文字だった。でも・・・・今は理解出来るわ。」
コウとアドネはまたまた首を傾げる。すると白いゴーストが「死んだのだ」と言った。
「うわ!喋った!」
「ほんと。しかもちゃんと言葉が聞き取れるわ・・・。」
二人は驚き、ダナエの背中を押して、前に突き出した。
「ちょ、ちょっと!何するのよ?」
「いや、だって・・・・ここはお前の出番かなって。」
「なんでよ!?」
「なんかさ、その白いゴースト、お前に喋りかけてたみたいだから。」
「そんなことないでしょ。だったらみんなに言葉が分かるようにした意味がないじゃない。」
「そうだけど、でもやっぱりお前と話したがってるように思うんだよ。アドネもそう感じたろ?」
「うん。そのゴースト、ずっと昔から月に住んでるんでしょ?だったら月の王女であるダナエに、何か伝えたいことがあるのかもよ。」
「そんな上手いこと言って・・・・。このゴーストさんが不気味だから、私に押しつけてるだけじゃないの?」
「ううん、違うよ。」
「違う違う。まったく違うわ。」
「怪しいなあ・・・・・・。」
ダナエはブツブツ言いながら、白いゴーストの前に立つ。そして「こんにちわ」と笑顔で喋りかけた。
「ミヅキと叔父さんのこと、守ってくれてありがとう。」
そう微笑みかけると、ゴーストは「死んだのだ」と答えた。
「死んだって・・・・何が?」
「アメル。だから月の模型から名前が消えた。」
それを聞いたダナエは、キツネにつままれたような顔で「え?」と答える。
「お母さんが・・・・・?ちょっと待ってよ、それどういうこと・・・・・、」
「ダフネも死んだ。」
「はい?」
「妖精を治める者たちは、ケンを残して死んだのだ。アメルが死んだことにより、ケンとアメルの永遠の愛の誓いは無効となった。ゆえに、今この月に統治者はいない。だから次なる統治者が必要だ。月の模型に、新たなに名前を刻む者が必要なのだ。」
そう言ってダナエに近づき、目のない顔で見つめる。
「ダナエ・・・・ケンとアメルの娘。私はお前の来訪を、心から嬉しく思う。私は祝福するぞ、お前とコウの未来を。永遠の愛の誓いを。次なる月の統治者となり、その身に月の加護を受けるのだ。」
白いゴーストは手を広げ、そっとダナエを抱きしめる。
そして白い身体を輝かせて、青白い光を放った。
「ダナエとコウに、月の加護と祝福を・・・・。」
青白い光を放ちながら、ダナエに力を与えようとする。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
ダナエは慌てて離れ、「いったい何なのよ!」と叫んだ。
「意味が分からないわ!なんでいきなり私が月の加護を受けるの?それにお母さんとダフネが死んだって・・・・馬鹿なこと言わないでよ!」
ダナエは本気で怒っていた。ここへ来てから多くの仲間の死を聞かされ、それに加えて家族の死など聞きたくなかった。
必死に首を振り、「そんなの信じないわ!」と叫んだ。
「お母さんとダフネが死ぬわけない!そんなの絶対に信じるもんか!」
「二人の魂は、もう現世にはない。生き返ることも、生まれ変わることもない。だから次なる統治者が必要だ。ケンは生き残ったが、彼だけでは統治は出来ない。だから・・・・ダナエ、お前なのだ。お前が新たな統治者となり、月を治めよ。コウと永遠の愛を誓い、月の加護を受けよ。」
「だからあ・・・・・わけの分からないことばっかり言わないでよ!本気で怒るわよ!!」
「ではなぜこの扉に入って来た?ここは月の模型に名前を刻み、月の加護を受ける場所。覚悟があってのことではないのか?」
「違うわ!今の私には・・・・永遠に結ばれるような相手はいない。それにお母さんとダフネが死んだなんて絶対に信じないし!」
「戦いで命を落としたのだ。死んだことに間違いはない。」
「それ以上言わないで!!本当に・・・・怒るわよ。」
ダナエは眉間に皺を寄せ、鬼のような目で睨みつける。
「私がここへ来たのは、月の魔力が必要だから。クインはとても強い敵だから、このまま戦ってたんじゃ勝てない。それに地球には恐ろしい悪魔だっているし、メタトロンが力を必要としているの。だから・・・・その為に来ただけ。私はまだ月の女王になるつもりなんてないし、お母さんとダフネが死んだことも信じない。だって・・・月の女神はダフネで、妖精王はお父さん、妖精妃はお母さんでしょ?だから・・・・もう死んだなんて言わないで・・・・聞きたくないから・・・・。」
「いいや、死んだのだ。二人とも戦いで・・・・・、」
「言うなって言ってんでしょおおおおお!!」
ダナエは金切り声を上げ、ゴーストに飛びかかろうとした。
しかし「落ち着け!」とコウに抱えられて、「離してよ!」と暴れ回った。
「アイツいい加減なことばっかり言いやがって!なんでそんな嫌なことばっかり言うのよ!?」
「お前の気持ちは分かるけど、ちょっと落ち着けって!」
「落ち着けるかバカ!コウは腹立たないの!?なんで平気な顔してるのよ!ダフネとお母さんが死んだなんて、しょうもないこと言ってるのよ!なんで怒らないの!?」
「お前が先に怒ったからだ!それとな、月の魔力なら教えてもらう必要はない!だって目の前にいるんだから。」
「はあ?何言ってんのよ・・・・どこにそんなもんがあるの!?」
「そのゴーストに決まってんだろ!そいつはお前に加護を与えて、月の統治者にしようとしてるんだぞ!だったらそいつ自身が月の魔力ってことじゃないのかよ!?」
コウはそう言って、まだ暴れるダナエの肩を掴んだ。
「俺とお前は友達だ。家族みたいに仲のいい友達だ。」
「だから何!?」
「だからお前の気持ちは分かるって言ってるんだよ。お前・・・・もうけっこう参ってるだろ?無理して誤魔化してるけどさ。」
「・・・・何よそれ・・・・分かったみたいなこと言って・・・。」
ダナエは暴れるのをやめ、コウの手を振り払う。
「私が無理してるなんて、いつものことじゃない。それこそコウなら分かるでしょ・・・・。」
そう言ってボロボロと泣き出し、「なんなのよ・・・・なんで・・・なんでえ・・・・」と崩れ落ちた。
「ああああああああああ!もうイヤだよお・・・・もう誰かが死んだなんて聞きたくないよおおおおお!ああああああああああ!」
まるで赤ん坊のように泣き叫び、天を仰いで大粒の涙をこぼす。
「うううあああああああああああ!」
身体から力が抜け、槍が落ちてコロコロと床を転がる。背中の羽は枯れたように項垂れ、喉の奥まで見えそうなほど口を開けて泣いた。
ケルトの神々の死、クトゥルーとスクナヒコナの死、そして妖精の死に、多くの天使や死神の死。
その一つ一つが心に暗い雪を積もらせて、さらにコウにフラれるという痛みが加わった。
そして最後に・・・・母とダフネの死。
降り積もる黒い雪は、とうとうダナエの心から溢れた。
とめどない怒りと悲しみは、暗い感情をさらに増幅させ、ダナエの口から叫びとなって放たれる。
「こんなんだったら・・・・みんないつか死んじゃう!コウもミヅキも、それにアドネもメタトロンも・・・・誰もかれも死んで、私だけ残ったらイヤだだよおおおおお!だったら私だって死んだ方がマシだああああ!一人にされるくらいなら、ここで死んだ方がいいよおお・・・!あああああああ・・・・・・。」
涙と鼻水、それにヨダレが洪水のように溢れ、目も当てられないくらいにぐちゃぐちゃになっていく。
そして頭を抱えて床に突っ伏し、そのまま動かなくなってしまった。
背中と肩が微かに震えているが、まるでカメのようになって動かなくなる。
コウは「ダナエ・・・・」と呟き、そっと肩を抱いた。
心配したアドネが「大丈夫・・・?」と寄って来るが、「今・・・・顔見ないでやってくれよ・・・」とコウが言った。
「幼児退行してる。赤ん坊みたいに指しゃぶってるんだ。こんなの見られたくないだろうから・・・・。」
「わ・・・・分かった・・・・。私・・・もう戻ってた方がいいかな?」
「そうだな。また俺たちが危なくなったら頼むよ。」
「うん。じゃあ・・・・ダナエのことよろしくね。」
アドネは青い稲妻を纏い、コスモリングに戻る。するとミヅキと博臣も、心配そうに近寄って来た。
「ダナエ・・・・赤ちゃんみたいになっちゃったの?」
「ああ、昔はよくこういうことがあったんだよ。今までずっと我慢してたみたいだけど、アメルとダフネのことでトドメを刺されたみたいだな。」
「お母さん・・・・亡くなっちゃったんでしょ?」
「うん・・・・。」
「コウは辛くない?仲間を亡くしたのに・・・・。」
「辛いけど・・・・でもアレだよな、不思議なもんさ。ダナエが先に取り乱したから、俺は今のところは平気さ。今は・・・・だけど・・・。」
コウはダナエの背中をゆっくりと撫でる。その優しさは、ダナエの背中を撫でるのと同時に、自分の胸の中を撫でているようでもあった。
ミヅキは膝をつき、コウと一緒にダナエを慰める。親がいなくなる悲しみはよく知っていて、少しだけ幸也を見つめてから、すぐにダナエに視線を戻した。
博臣はしばらくその様子を眺めたあと、急にゴーストの方に向かった。
「あのさ・・・・俺の中に天使が宿ってて、その天使がアンタと話がしたいんだってさ。俺にも言葉が分かるようにしてくれない?」
そう頼むと、ゴーストは博臣の頭に手を触れた。奇怪な言語が流れ込み、ゴーストの言葉を理解出来るようになる。
「俺の中の天使・・・・メタトロンっていうんだけど、アンタにお願いがあるみたいなんだ。」
そう言ってメタトロンの意志を伝えようとすると、ゴーストは奇妙な動きをした。そしてノイズのかかったテレビのように、消えたり現れたりと、姿が定まらなくなる。
「月の魔力を求めても無駄だ。・・・・月の魔力は、月を治める為にある。私は他の誰にも、月の魔力を与えるつもりはない。」
「でもさ、このままだと月までやられちゃうかもよ?そうなってもいいの?」
「滅びる運命にあるならば、それも仕方ない。」
「いや、だけどさ・・・・・、」
博臣は食い下がる。そして先を続けようとした時、額が光ってメタトロンに変身した。
「お前が月の魔力そのものだったのだな?」
メタトロンは威圧的に尋ねる。ゴーストは何も答えず、ただ奇妙なダンスを踊っている。
「事態は深刻だ。今すぐ私に協力してほしい。」
「・・・・・・・・・・。」
「月には月の掟があり、お前にもお前の流儀があるのだろう。それは分かるが、どうか私の頼みを聞いてほしい。
何もずっとお前の力を欲するわけではないのだ。クインとルシファーたちを倒したら、お前を必ず月に戻すと約束する。だからどうか、私に力を貸してほしい。」
メタトロンは威圧的な口調ながらも、その態度は真摯だった。
真っ直ぐにゴーストを見つめ、威風堂々と立っている。
それは決して嘘は言わないし、必ず約束は守るという、精一杯の誠意の表れだった。
本当なら膝をつくか、頭を下げればいいのかもしれないが、天使の長たる者、神以外の者にそこまですることは出来なかった。
だから堂々と正面に立ち、微動だにせずに返事を待った。
「・・・・・・・・・・。」
ゴーストは何も答えない。その代わり、ダンスをやめてメタトロンの目を見つめ返した。
「妖精になる覚悟があるならば、私の一部を貸してもいい。」
「妖精に・・・・?」
「人間を使えば、月の者以外にでも加護を与えられる。しかし一歩間違えば、この月は塵となる。そしてこの月の大地にいる者は、永遠に妖精となってしまう。」
「それは知っている。ならばその覚悟があると答えたら、協力してくれるのだな?」
「二度と天使には戻れない。神に仕えることもなくなる。それでもいいと?」
「・・・・良くはない。しかし正義を貫くには、危険を承知で決断する事も必要だ。ゆえに、私の答えは決まっている。」
「永遠に妖精のまま、永遠に住処を失って彷徨う運命になったとしても?」
「それでも答えは変わらない。私が考えるのはただ一つ!神の意志の代行者として、我が正義を貫くのみ!如何ような未来も恐れはしない。」
メタトロンは強い口調で、そして一句一句重い口調で言う。
彼の身に宿るのは、天使としての使命を全うすること、そして悪を打ち滅ぼす正義の炎だけである。
そんなメタトロンの答えを聞いて、ゴーストは奇怪な声で笑った。
そして・・・・ほんの、ほんの一瞬だけ、顔が浮かび上がった。
「これは・・・・人間の顔?」
メタトロンはじっと目を凝らす。しかし一瞬で顔は消えた。
ゴーストは奇妙な動きをしながら、幸也の元に歩く。そして両手でしっかりと抱きかかえた。
「うお!な・・・なんや!?」
慌てる幸也。しかしゴーストは彼を離さない。
「私の半分を天使に、そしてもう半分をダナエに与える。この人間を依り代とし、月の魔力がお前たちに降り注ぐだろう。上手くいくよう・・・・願っていろ。」
そう言って幸也の中に吸い込まれていき、彼の頭の中で奇怪な言語が溢れた。
言葉のような、歌のような、それでいて絵のようでもあるし、数式のようでもある。
そんな奇怪な言語が、幸也の頭の中に渦を巻く。
「うおおおおおお!頭が・・・・頭が吹き飛ぶうううううう!」
幸也は床に突っ伏し、辺りをのたうち回る。
それを見たミヅキは、「お父さん!」と駆け寄った。
「どうしたの!?何があって・・・・、」
「近寄ってはならん!」
「メタトロン・・・・お父さんが苦しんでる・・・どうにかしてよ!」
ミヅキはメタトロンの腕を掴み、苦しむ父を見つめた。
「あんなに苦しんでる・・・・死んじゃうよ!」
「・・・・今は見ているのだ。お前の父が、クインやルシファーを倒す鍵になるかもしれない。」
「鍵って・・・・。」
二人はじっと幸也を見つめる。そして当の幸也は、頭に溢れる奇怪な言語に苦しんでいた。
その言語は人の想像力を増幅させ、頭の中から外の世界へと呼び出す力があった。
正しく文字を理解し、それを頭の中に並べ、月の魔力からのメッセージを言葉にしなければならない。
それを終えた時、月の魔力は解放される。
しかしもし失敗したら、月は塵となる。そしてこの星にいる全ての者は妖精となり、行き場を失って宇宙を彷徨うことになる。
「お・・・・ああ・・・・。」
幸也は妙な感覚に苦しんでいた。脳ミソをミキサーで掻き回されるような、耐えがたい苦痛と気持ち悪さだった。
大量の文字、そしてイメージが交錯し、頭の隅々まで縦横無尽に駆け巡る。
しかし・・・・・少しずつ、ほんの少しずつだが、それを理解し始めた。
文字として、絵として、音として、そして・・・・やがてはパズルのように、綺麗に言葉が並び始めた。
そして頭の中に並んだ言葉を、ゆっくりと口から吐き出した。
「・・・・・神話の・・・・時代へ・・・・・還れ・・・・。」
そう呟いた瞬間、全てが消えた。まるでテレビの画面を消したように、そして読んでいた本を閉じたように、何もかもが一瞬だけ消えた。
月の全てが、ほんの一瞬だけ消え去ったのだ。
一瞬のブラックアウトの後、また元に戻る。辺りには何の変化も無く、先ほどと変わらない。
しかしゴーストはいなくなっており、幸也が床に倒れていた。
「お父さん!」
ミヅキは駆け寄り、「どうしたの!?頭が痛いの!」と揺さぶる。娘に呼ばれて、幸也は薄く目を開けた。
「だ・・・・大丈夫・・・・痛いの・・・・もう治まったみたいや・・・・。頭ん中が・・・・スッキリしとる・・・。」
そう言って笑うと、ミヅキはホッと息をついた。
その時、月全体が激しく揺れた。どこかに隕石でも落ちたかのように、一つの星がグラグラと揺れる。
そしてかすかに雄叫びが聞こえた。
「この声は・・・・・?」
コウが顔を上げると、「九頭龍だな」とメタトロンが答えた。
「メタトロン・・・。さっきのアレ、月の魔力の解放は・・・・、」
「さあな。上手くいったかどうか・・・・自分で確かめて来るとしよう。」
そう言って城の外に歩き、「ダナエ!コウ!」と振り返った。
「お前たちは、まだ戦わねばならぬぞ。」
コウは唇を結び、メタトロンの顔を見つめた。
「あのゴーストは、月の魔力の半分を私に、そしてもう半分をダナエに分け与えた。それが意味するところは何か?よく考えれば、おのずと答えが見えてくるだろう。私は・・・私の戦いに赴く。」
そう言葉を残し、城を出て行く。するとミヅキが「待って!」と叫んだ。
「お願い!私とお父さんも、あなたの中で守ってよ!」
ミヅキは必死に父を抱き起し、「お願い・・・・博臣と一緒にいたいの」と目を潤ませた。
メタトロンはしばらく迷ったが、「いいだろう」と頷いた。
「しかし私の赴く先は戦いだぞ。」
「それでもいい。こんな場所で残されるよりは・・・・。」
ミヅキは父の肩を支えながら、メタトロンの元に向かう。そしてふとコウを振り返った。
「ダナエ、まだ落ち込んでる?」
「ああ、しばらくはこのままかも。」
「そっか・・・・。じゃあちゃんと傍にいてあげてね。ダナエにとってのコウは、私にとっての博臣と一緒だから。傍にいてくれるだけで、すごく安心するの。」
「・・・・うん、ダナエは俺が支える。俺が生きてる限りは。」
そう言って、震えるダナエの肩を撫でた。
「・・・じゃあね、コウ。また・・・・。」
ミヅキは二人に別れを告げ、メタトロンの前に行く。
「あ、そうだ!ちゃんと博臣の身体を返してよ。」
「分かってる。絶対に無事に返すよ。」
「約束だからね。絶対によ。」
強く念を押し、ニコリと笑う。そしてメタトロンの宝玉へと吸い込まれていった。
「コウ、私は必ずルシファーたちを討つ!ラシルとクインのこと・・・・任せたぞ。」
メタトロンは強い眼差しを向け、その視線を受け取ったコウは、大きく頷いた。
メタトロンは城の外へ去り、元の大きさに戻って、龍神たちが戦っている場所へ向かう。
コウは両手でダナエを抱きしめ、ゆっくりと持ち上げた。そして床に落ちたダナエの槍を拾い、城の外へと歩いた。
「まだ指吸ってら。でも今はこの方がいいか。下手に暴れられるよりは・・・。」
外へ出て、ふわりと空に舞い上がる。そして箱舟を停めてある場所を目指した。
「ダナエ・・・もう一度ラシルへ戻ろう。あの邪神はここではくたばったりしない。ヤバくなったら、きっとラシルに戻るはずだ。」
コウの声は強く、そして決意に満ちている。幼児退行したダナエは、指をしゃぶりながらその声を聞いていた。
「あのゴーストは、お前に邪神を討てって言ってるんだ。だから魔力の半分を与えた。そして次にこの月へ戻って来た時、お前は月を治める女王になるはずだ。その時・・・・俺の力が必要だっていうなら、いくらでも力になる。お前が望む限り、俺はずっと傍にいるから。」
コウにとって、ダナエは誰にも代えられない存在である。
恋愛や友情を通り越した、もはや自分の分身のようにさえ思えっていた。
ダナエは今、受け入れがたい多くの仲間の死から、幼児の殻に閉じこもることで目を逸らしている。
しかし胸の中に宿る、戦いへの火が消えたわけではない。
いつか必ず自分の殻を突き破り、邪神に戦いを挑む。きっとそうであるはずだと、コウは信じていた。
その時まで、何としてもダナエを守ってみせる。その想いだけが、今のコウを支えていた。
仲間の死、そしてアリアンロッドへの消えない悲しみ。
コウの胸には、ダナエと同じくらい大きな暗い感情が溢れている。
しかしコウは強い。ダナエと違い、いつだって真っ直ぐ前を向いていられる強さがある。
次に月へ帰って来る時、それは全ての戦いが終わった時である。
自分たちの戦いはラシルにあり、あの星こそが全ての始まりだった。
コウの腕にはダナエの体温、そして息使いが伝わる。
最も大切な、そして最も愛しい者を抱え、箱舟の元へ飛んで行く。
そしてようやく船の近くまで来た頃、また大きな雄叫びが響いた。
それは間違いなく九頭龍の叫びで、苦痛を吐き出す悲鳴のようにも聞こえた。
遠い地平線の向こうで、燭龍の花が赤い輝きを放っている。
陽の出のような戦火が、月の空と大地を焼いていた。
ダナエの神話〜魔性の星〜 -完-
- ダナエの神話〜魔性の星〜(小説)
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