「・・・・鱗粉・・・・。あいつの猛毒・・・・・、」
混乱と不安が押し寄せ、胸の中を掻き乱す。口が乾き、生唾が喉に引っかかる。
早苗は立ち上がり、潰れそうなほどペットボトルを握りしめた。
「・・・・どこ?それ・・・・どこで見つけたの・・・・・?」
「ガキどもが燃やした寺院だ。消火に当たっていた消防隊員が、突然吐き気に見舞われた。胃袋がひっくり返るほど強烈な嘔吐で、辺りは一瞬でゲロまみれ。
中には呼吸困難で気絶する者もいたそうだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そのせいで、危うく消防隊員まで焼け死ぬところだった。幸いは火はそこまで大きくなかったから、すぐに消し止められた。
そして実況検分で警察が入った時も、同じように嘔吐に見舞われた。中に入った者は全員ゲロまみれになり、二人ほど失神した。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「こりゃあ普通の状況じゃないってんで、自衛隊の科学防護班が出動。下手したら毒ガステロの可能性もあるから、本庁も動く準備をしていた。
万が一に備えて、俺にも声が掛かったよ。もう一度SATの指揮を取ってくれないかと。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「しかし現場から「ある物」が回収されて、テロの線はなくなった。その代わり・・・別の厄介事を心配しなけりゃならなくなった。」
そう言ってビニール袋を揺らし、「災害がやって来るかもしれない」と顔を強張らせた。
「捕まったガキどもに話を聞くと、現場で奇妙な生き物を見たそうだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そいつは人の形をしているが、頭から触覚のような物が生えていた。しかも背中に羽らしき物まで付いていて、その手にはナイフのような物を持っていたと。
まあ寺院の中は暗かったから、ハッキリとは見えなかったそうだ。しかし確かに奇妙な生き物を見たと、全員が証言している。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それを最初に見つけたガキがパニックを起こし、周りのガキどもも異変に気づいた。慌てて逃げようとしたが、あいにくその奇妙な生き物は出口へ繋がる廊下にいた。
ガキどもはどうにかしなければと思い、咄嗟にロケット花火を打ち込んだってわけだ。そいつが掛け軸に燃え移り、襖や柱に延焼した。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「幸いなことに、その奇妙な生き物は別の部屋に走り去ってくれた。そしてその後すぐに、別の奇妙な生き物が現れた。」
それを聞いた早苗は、「別の・・・・、」とオウム返しに呟く。
「ああ。さっきとよく似た奇妙な生き物が、また現れたんだ。そしてそいつの傍には、妖精のように小さな人型の生き物が飛んでいたとさ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そいつは大きなノコギリを持っていて、ガキどもの方をチラリと睨んだ。燃え上がる掛け軸の明かりがそいつを照らし、恐ろしい顔が露わになった。
人のような顔をしているが、その目は宇宙人みたいにデカかったんだ。しかも気味悪く赤色に染まっている。
そいつはガキどもに向かって『逃げろ』と言った。そしてさっきの生き物を追うように、別の部屋へと消えていった。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ガキどもは呆気に取られていたが、すぐに逃げ出した。その時、背後から金属がぶつかるような音が響いて、後ろを振り返った。
するとキラキラと光る粉が飛んできて、ゆっくりとこちらに迫ってきた。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ガキどもは本能的に『ここにいてはいけない』と感じたらしい。そして一気に出口まで逃げ出すと、そこにはすでに警察と消防が駆け付けていたわけだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「消防隊はすぐに消火活動に入った。まだ人が残っていないか確認する為、何人かが中に突入したんだ。
火はそこまで大きくなかったので問題にならなかったが、別の問題にでくわした。そいつが・・・・コレだ。」
そう言ってまたビニール袋を振って見せる。
「部屋にはまだこいつが残っていた。それを吸い込んだ隊員たちが、嘔吐に見舞われたってわけだ。
だからガキどもが寺を燃やしちまったのは、ただの悪ふざけってわけじゃない。奇妙な生き物に出くわして、パニックを起こしたがゆえの事だ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「現場にはまだ少しだけ粉が残っていたので、防護班が回収した。今は必死に成分を解析中だが、まったくもって何の物質か分からんとさ。
しかも空気に触れると、次第に薄くなり、やがては消えちまう。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「今は最高機密扱いで調べてる。そして俺の手元にあるこの粉は、自衛隊にいる知り合いに、無理言って貸してもらったものだ。
すぐに返さないといけないが、その前にお前にも見せておきたかった。」
光る粉をテーブルに戻し、「何か聞きたいことはあるか?」と尋ねる。
早苗は目を見開いたまま、テーブルの上を睨んでいた。
ペットボトルを強く握りしめ、水が減った分だけへこんでいる。
それをテーブルの上に置くと、そっとビニール袋をつまみ上げた。
「・・・・その子たち・・・・、」
「ん?」
「現場をネットに上げてたんでしょ?」
「ああ、写真を撮ってな。しかし残念ながら、その奇妙な生き物は写っていないぞ。」
「ケータイ?」
「ああ、スマートフォンだな。押収して中を確認したが、どこにも奇妙な生物は写っていない。だからこそガキどもは口を噤んでいたわけだ。
そんな奇妙な生き物に遭遇したなんて、誰も信じないだろう?自分たちの悪ふざけで火事になったと思われちゃ困るから、あえて生意気な態度を取ってたんだろうな。
まあ一喝したらベラベラ喋りだしたが・・・・。」
「話は聞けますか?」
「もちろん聞けるが、今俺が説明した事が全てだ。何度聞いても変わらんと思うぞ。」
「取り調べは捜査の基本じゃないですか。自分で聞きます。」
そう言って東山を押しのけ、部屋を出て行こうとする。
「一人で全部やる気か?」
東山は彼女の腕を掴み、グイと引き戻す。
「お前・・・・あの山に行く気だろう?」
「そうですよ。その子たちに話を聞いてからね。」
「あのな・・・・あの山へ行ったところで何もない。もう「こっち」と「向こう」は完全に隔てられてるんだ。行っても意味はない。」
「そうですかね?その子たちが見た奇妙な生き物・・・・どう考えても父と緑川だと思いますけど?
なら「向こう」から「こっち」にやって来たってことです。隔てられてなんかいません。」
「そうじゃなくて、もう下手に関わるなと言ってるんだ。」
「だったらなんでそんな物を見せたんですか?隠しておけば分からなかったのに・・・・、」
早苗はビニール袋を睨み、「あいつはまた人を殺すつもりなんです」と言った。
「だから寺院で学生を狙おうとした。でも誰も死なずにすんだのは、父がいたからです。父は・・・・まだあの死神を追いかけてる。」
早苗は拳を握り、どうしてその場所に自分がいなかったのかと腹が立つ。
もし・・・・もしもあの寺院に自分がいれば、父に頼んで「向こう」へ連れて行ってもらったのに・・・。
悔しさは顔に滲み、胸の「疼き」が強くなる。
すると東山は手を放し、「お前の親父に言われたよ」と呟いた。
「娘を見てやってくれ、手綱を引いてやってくれってな。」
「手綱?」
「お前は沢尻の娘だ、この鱗粉を隠したところで、いつか自力で辿り着いただろう。だったらさっさと見せておいた方がいいと思ったんだ。
俺の知らないところで暴走されちゃ困るからな。」
「暴走なんて・・・・、」
「するさ。沢尻がお前を心配していたのは、ただ自分の娘だからってだけじゃない。自分と似たような狂気を持ってるからだ。
しかしそれは、あの緑川に通じる狂気でもある。お前みたいに若い奴を好きにさせたら、いつ緑川と同じようになるか・・・、」
「なるわけないでしょう!なんであんな死神なんかと・・・・、」
「そうかな?なってもおかしくないと思うぞ?」
「・・・・いい加減にして下さい。いくら東山さんでも・・・・、」
「でも疼いてるんだろう?胸に宿る狂気が。」
東山は目を見開き、獲物を見据える猛獣のような視線を向ける。
「お前の親父と一緒にいるうちにな、俺だって妙に勘が鋭くなっちまった。だから・・・・感じるんだよ、お前の中の狂気が疼いているのを。」
「そんな事・・・・、」
「緑川にアチェ。それにミノリやケント。みんな似たような狂気を持ってた。でもな、沢尻は奴らのように心まで化け物に落ちなかった。なんでか分かるか?」
「そういう説教は聴きたくありません。私はただ緑川を追いかけたいだけ・・・・・・、」
「経験だよ。」
東山は強い口調で言った。
「お前の親父には経験があった。人として、そして刑事として多くの経験があった。きっと並の人間よりも、何倍も濃い経験だ。
それがギリギリのところで心を支えてた。逆に言えば、あの緑川だって良い経験に恵まれていれば、殺人鬼なんぞにならなかったかもしれない。」
「・・・・その言い方だと、父だって殺人鬼になった可能性があるみたいじゃないですか。」
早苗は眉に皺を寄せて睨みつける。自分のことはともかく、父のことを馬鹿にされたくなかった。
いくら父の信頼した友人とはいえ、決して緑川のような男と一緒にしてほしくなかった。
しかし東山は「本当のことだ」と言い切った。
「お前の親父だって気づいてたはずだ。経験が・・・そして境遇が違えば、自分と緑川が入れ替わってもおかしくないと。
だからこそあいつは緑川を諭そうとしていた。残念ながら失敗に終わったが、でも入れ替わっていてもなんにも不思議じゃないんだ。」
早苗はまだ強い目で睨むが、東山は穏やかな口調で続ける。
「紙一重だよ、どっちに傾くかなんて。」
そう言って表情を緩め、「ほんのちょっとの差なんだ」と続けた。
「沢尻には経験があった。でもお前にはまだそれがない。だから下手に奴らに関わると、第二の緑川になっちまう。
もしそうなったら、俺は沢尻との約束を破ることになるんだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「あいつは友人が少なかったそうだが、実は俺も同じでな。だから数少ない友人との約束を破りたくない。それだけなんだよ。」
そう言って肩を叩き、「今はまだ俺の下にいろ」と諭した。
「お前を第二の緑川にするわけにはいかん。もしそんな事になってしまえば、きっと沢尻はお前を殺す。自分の愛した娘を、その手で殺さなけりゃならなくなるんだ。
あいつにとって、こんな不幸なことはない。だから・・・・今は堪えろ。必ず緑川と戦える時が来るから。」
そう諭す声は優しく、普段の鬼のような彼からは想像できないほどだった。
東山が優しい人だということは、もちろん早苗も知っている。
しかし疼き出した胸の狂気は、どうにも止められなかった。
そしてその疼きを見透かすように、東山は笑いかけた。
「親父のようになるには、まだ時間がかかる。でもお前の中に宿った狂気は、必ずしも悪いものとは限らない。
良い経験をつんで、周りに恵まれていれば、その狂気は誰かを助ける力になるはずだ。お前の親父がそうしていたように。」
そう言われて、早苗は驚いた顔をした。口を半開きにして、瞳を揺らす。
「この疼きが悪いものじゃない・・・・?」
「ああ。沢尻は腕の良い刑事だったからな。ぶっ飛んだ奴ではあったが、でもその力は常に誰かの為に使っていた。それはお前もよく知ってるだろう?」
「・・・・・・・・・・・。」
「だから気に病むことはない。胸に宿る狂気が怖いからって、自分からイカれた世界に飛び込もうとしなくていいんだ。
そりゃあ似た者同士の世界に行けば気は紛れるだろうが、失うモノの方が多いぞ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「お前はきっと良い刑事になるよ。だからまだ奴と戦う時じゃない。そしてその時が来たときの為に、もっと鍛えてやるから覚悟しとけ。」
「・・・・・・・・・・・。」
早苗は俯き、眉を寄せながら腕をさする。
この狂気が悪いものではない・・・・・そんな風に思ったことはなく、自分でもどう受け止めていいのか分からなかった。
「まあアレだ。お前はまだ若いんだし、そう思い詰めるな。」
東山はまた肩を叩き、「非番に呼び出して悪かったな」と微笑んだ。
「伝えたかったのはそれだけだ。何か進展があったら話してやる。娘が待ってるんだろう?早く帰ってやれ。」
そう言って背中を向け、手を振りながら去って行った。
「・・・・・・・・・・。」
早苗はまだ自分の腕をさすっていて、堪りかねたように頭を掻きむしった。
「なに・・・・なんなのよ・・・・・、」
突然呼び出され、とんでもない事を聞かされたかと思うと、今度は胸の内を見透かされたように説教をされてしまった。
緑川と父が再び「こっち」に現れたのは驚きだが、それと同じくらいに東山の言葉は衝撃だった。
・・・・胸に疼くこの狂気は、悪いものとは限らない・・・・。
腕をさするのをやめ、胸に手を当てる。
父が消えたあの日から、毎日のように疼いていたこの狂気が、悪いものではない?
そんな風に考えたことは一度もなかったので、やはりどう受け止めていいのか分からなかった。
混乱したまま署を出ると、沈んだ気分とは裏腹に、空は晴れていた。
陽射しは暖かく、春日和の爽快さが、かえって苛立ちを募らせる。
車に乗り込み、目を閉じてハンドルに突っ伏す。一瞬だけクラクションが鳴り、それが何かの警告音のように、耳の奥にこびりついた。
ケータイを取り出し、家に電話をかける。
下の娘が『もしもし?』とあどけない口調で出た。
早苗はすぐに帰ることを伝え、今日はどこかに出掛けようと言った。
娘は喜び、そのまま電話を切ってしまう。
早苗は小さく笑いながらケータイを見つめ、ポイと助手席に放り投げた。
「・・・・どうすりゃいいんだ・・・・私・・・・。」
すぐには整理のつかない事が多く、またハンドルに突っ伏す。
もし・・・・もしも頻繁に父や緑川が現れるようになったら、たちまち12年前と同じ状況になってしまう。
彼らにつられて、化け物まで「こっち」に押し寄せる可能性もある。そうなれば、また必ず大勢の死人が出る。
「もしそうなったら、私の戦う機会なんてあるのかな?あの時みたいに大勢の人が死んで、私も、それに私の家族も、その中の犠牲になったりして・・・・、」
悪い考えが走り出し、頭をハンドルにぶつける。またクラクションが鳴ってしまい、耳の奥にこびりつく。
そう遠くない将来、大きな不幸が訪れる気がしてならない。
父譲りの勘が、嫌というほど暗い未来を予感していた。
「・・・・やめよ、どうせなるようにしかならない。あの鬼上司の言う通り、思い詰めるだけ無駄だわ。」
胸に宿るこの疼きが、いったいどのような働きを見せるのか、今はまだ分からない。
しかし今は東山の言うことを信じ、これが悪いものではないと自分に言い聞かせることにした。
アクセルを踏み、ゆっくりと車を滑らせる。
大きなSUV車を器用に操り、国道へ駆け出していく。
ふと見たルームミラーには、遠ざかる警察署と、青い空が映っている。
空には点々と雲が浮かび、風によって流されていく。
「・・・・・・・・・・・。」
早苗はじっとルームミラーを睨む。スピードを落とし、鏡の中を覗き込む。
「・・・・・・・・・・・。」
口を半開きにしながら、二つの目が一点を凝視する。
今、彼女の目には、言葉を失うものが映っていた。
点々と流れゆく雲に混じって、光り輝く謎の物体が駆け抜けていったのだ。
一瞬の出来事だったが、早苗ははっきりとそれを見た。
そして・・・・その物体の上に、一つの人影が立っているのを。
それは吐き気がするほど気味悪く、猫のように全身の毛が逆立つほどだった。
・・・・遠くない将来、大きな不幸が押し寄せる・・・・。
・・・・それは災害のように、大勢の人の命を奪っていく・・・・。
・・・・地震のように、竜巻のように、噴火のように、そして・・・・荒れ狂う死神の鎌のように・・・・・。
耳の奥にこびりついたクラクションの音が、絶え間なく鳴り響いていた。
*
寺院での花火、酔っぱらっての大乱闘。
若い頃のヤンチャは付き物で、しかし度が過ぎれば痛い目に遭う。
早苗が警察署に向かう少し前、七人の大学生が亀池山を登っていた。
12年前の惨事以来、この山への登山は規制されていた。
木々が生え、草が茂り、本来の姿を取り戻した今でも、許可のない立ち入りは認められていなかった。
しかしそういう不気味で怪しげな場所にこそ、若者の興味は向く。
かつて化け物と人間が争った場所。かつて死神が暴れた場所。
そういういわく付きの場所こそが、スリルを楽しむには最高だった。
しかし期待していたスリルはどこにもなく、なんの問題もなしに頂上まで辿り着いた。
頂上はかつて、大きな人工の溜め池があった。
現在では水が抜かれていて、ぽっかりと口を開けた、大きなクレーターのように佇んでいる。
学生たちは化け物の骨でも残ってないかと、しばらく探索を続けた。
しかし見つかったのは鹿の糞や虫の死骸だけで、やはりスリルを感じるものなどどこにもなかった。
小一時間もすると飽きてきて、誰かが帰ろうと言い出す。
そして水のない池に背を向け、登山道へ引き返していく。
一人が「つまらなかったね」と言う。もう一人が「まあ予想はしてたけど」と冷たく返す。
するとまた一人が「骨くらい残ってると思ったんだけど」と落胆し、別の一人が「どっか飲みに行かね?」と提案する。
それを聞いた一人が「そうしようか」と言い、別の一人が「今日親いないから宅飲みする?」と尋ねる。
皆がそれに賛成し、どこで酒を買うとか、今日泊まってもいい?などと喋り合う。
しかし登山道の手前までやって来た時に、ふと違和感を覚えた。
何気なく喋っていたが、明らかに一人足りないのだ。
さっきまでは全員いたはずなのに、一人欠けている。
誰もが不思議に思い、まだ池の傍に残っているのかと、後ろを振り向く。
「・・・・・・・・・・・・。」
その瞬間、学生たちは言葉を失った。
水の無い池の傍に、頭部と胴体が切り離された仲間の死体が転がっていたのだ。
斬られた首元がこちらを向いていて、骨と肉が鮮明に見えている。
頭は後頭部を向けているが、切られた首からは赤い血が垂れていた。
恐怖は一瞬遅れてやってきて、一人が悲鳴を上げる。
しかしその悲鳴は、仲間の死体のせいだけではなかった。
死体の傍に、人の形をした奇妙な生き物が立っていたのだ。
頭から大きな触覚が生えていて、それをヒラヒラと動かしている。
背中には虫のような羽があり、目は宇宙人のように大きい。
その手には薄汚れた茶色いナイフを持っていて、赤い血が滴っていた。
『・・・・・・・・・・・。』
奇妙なその生き物は、無言で死体を見つめている。
そしてふとこちらを振り向いた。
全員が悲鳴を上げ、一目散に逃げ出す。
しかし駆け出そうとしたその瞬間、背後からナイフが飛んできて、風のように学生たちの間を駆け抜けた。
ナイフは豆腐のように首を切り裂き、三人の頭がその場に落ちる。
残った学生は発狂したように喚き、慌てて登山道へ駆け下りる。
しかし目の前からも奇妙な生き物が現れ、大きなノコギリを振りかざした。
その隣には妖精のように小さな生き物がいて、こちらに迫って来る。
学生たちはへたり込み、その場に震える。頭を抱えて突っ伏す者もいれば、失禁して気を失う者もいた。
しかし一人だけはカッと目を開けていて、恐怖のあまりうずくまることも、泣き出すことも出来なかった。
ノコギリを持った奇妙な生き物は、鬼の形相で迫りくる。
目を見開いて固まっていた学生は、確実な死を予感しながら、遠い空を凝視していた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
すぐそこに死が迫っているというのに、ある一点に目が釘付けになっていた。
流れる雲を縫いながら、謎の飛行物体がこちらに迫ってくる。
小さな太陽のように輝きながら、凄まじい速さで飛んで来る。
それは山の向こうへ消えていき、大きな音を立てて土煙を上げた。
「・・・・墜落?」
呆然とする学生の頭上で、ノコギリとナイフがぶつかる。耳を突くような金属音が、鼓膜の奥まで響いた。
そして少し遅れてから、キラキラと光る粉が降り注いだ。
その粉はとても綺麗で、まるでオーロラを散りばめたようだった。
「・・・・・・・・・・・。」
学生は言葉を失い、ただその光景に見惚れる。
しかしそれを吸い込んだ途端、内臓が飛び出るほどの嘔吐に見舞われ、息が出来なくなった。
酸素が欠乏し、顔は青紫に染まり、暗い意識の底へと落ちていく。
そして消えゆく意識の途中で、また奇妙なものを見た。
それはとても大きな蛾だった。
キラキラと光る粉の中で、風を起こすように羽ばたいている。
それは生き物でありながら、命を持たない不気味な物体に思えた。
命を刈り取って、己の命に代える。
大きなその虫は、まるで風を纏う死神のようだった。
次の瞬間、その蛾の持つ薄汚れたナイフが、学生の首を駆け抜けた。
痛みは無かったが、骨の髄まで切断される感触を味わう。
頭が傾き、ゆっくりと胴体から離れていく。
命が潰える中で、学生は再び奇妙なものを目撃する。
先ほど何かが墜落した方角から、得体の知れないモノが迫ってきたのだ。
それは人でありながら、人ではないもの。
大きな大きな刀を手に、こちらへ駆けて来る。
その刀からは髑髏の数珠が伸びていて、そいつの腕に巻き付いていた。
学生は奇妙なその光景を見ながら、ついに絶命する。
そしてこの世から去る時、大きな叫びを聞いた。
『王を手に入れた!俺の勝ちだ!』
-了-
季節は春。
桜は満開の時期を過ぎて、アスファルトにに花弁を散らしている。
昨日降った雨が地面を濡らし、まるで絨毯のように花弁を張りつかせていた。
道路に落ちた桜は車に轢かれ、茶色い泥にまみれている。
楠田早苗は膝をつき、薄汚れた花弁の一枚を拾った。
指に泥がつき、しっとりと濡らす。すると手を繋いでいた娘が、そっとハンカチを差し出した。
「ありがとう。」
早苗は微笑み、アニメのキャラクターが描かれたハンカチで指を拭う。
キャラクターがプリントされた部分を汚さないように、端っこの白地の部分で拭った。
娘のお気に入りのハンカチは、ほんの少し泥に汚れる。
帰ったらすぐに洗濯してやらないとと思いながら、また「ありがとう」と言って返した。
汚れた花弁をじっと見つめながら、立ち上がって景色を見渡す。
右手には長閑な田園が広がり、左手には山がそびえていた。
緑に覆われた山を見上げながら、「植物の力ってすごいわ」と感心する。
「12年前は丸焼けの状態だったのに、今じゃすっかり緑が茂ってる。生き物の力ってすごいね?」
そう言って娘に笑いかけると、汚れたハンカチを丁寧に畳んでいた。
そして悲しそうな顔をしながら、小さなカバンに仕舞う。
「汚しちゃってごめんね。帰ったらすぐに洗うから。」
「いいよべつに。」
悲しい顔を見せながら強がる娘を見て、申し訳ないような、そして抱きしめたいような気分になる。
「お姉ちゃんの学校が終わったら、みんなでご飯食べに行こうね。」
今年で四歳になる次女に笑いかけると、嬉しそうにはにかんだ。
「お父さんは少し遅くなるかもしれないけど、ちゃんと来るから。先にお店で待ってようね。」
「うん。」
あまり表情を表に出さない次女は、嬉しい時は俯いて頷く。
早苗は娘の手を引きながら、土手沿いの道を歩いて行った。
土手のすぐ傍には川が流れ、コンクリートの護岸から雑草が伸びている。
その護岸の所々は、何かが爆発したように抉れていた。
それにドリルで穴を空けたかのように、一列に大きな穴が並んでいる箇所もある。
そんな場所からも雑草が生え、早苗は改めて生き物の逞しさに感心した。
「爆弾や銃が穴を空けても、ちゃんと根を張るんだね。やっぱり生き物の力ってすごいね。」
次女は「うん」と頷くが、何のことかまったく分かっていない。
カバンからハンカチを取り出し、悲しそうな目で見つめているだけだった。
・・・・娘は知らない。かつてここで大きな戦いがあったことを。
人ではない生き物が溢れかえり、人間と戦いを繰り広げたことを。
護岸の傷はその時に出来たもので、今でもしっかりと残っている。
しかしあと数年もすれば、完全に雑草に覆われ、何も見えなくなるだろう。
昔のことは、時間と共に全て覆い尽くされる。
生き物がいる限りは、どんな環境であれ変化を免れることは出来ない。
早苗は少しだけ足を止め、12年前の出来事を思い出す。
警察署で死神と戦ったこと。化け物と手を組み、おそるべき殺人鬼と向かいあったことを。
あの時、自分には何の力もなかった。世間知らずの青臭い子供で、流されるがままにあんな状態になってしまった。
あの時は自分の意志で戦ったと思っていたが、そうではなかった。
あれは青臭い正義感に突き動かされた結果に過ぎず、今同じことをやれと言われれば、確実に足が竦むだろう。
こうして生きているのが不思議なくらいだと、時折ゾッとする事もある。
しかしそんな恐怖を感じながらも、早苗にはある決心があった。
それは12年前に相対した、あの死神を仕留めること。
いくら恐怖を感じても、その思いだけは変わらなかった。
12年前、あの死神は姿を消した。そのおかげで罪もない人々が殺されることはなくなったが、代償も大きかった。
世間の人々にとっては代償でも何でもない事だが、早苗にとっては最も大きな代償だった。
あの死神が姿を消した日、父もまた姿を消した。
世間の誰もそんな事は知らない。あんなに大きな争いのあった中で、一人の刑事が消えたなど、誰も知る由もないし、感心もない。
しかし早苗は事細かにその経緯を知っていた。
父の友人である東山から、詳しい話を聞かされたのだ。
12年前、この場所で父は姿を消した。あの恐るべき殺人鬼、緑川鏡一を追う為に。
人間を捨て、化け物になる事を選んでまで、あの死神を追いかけた。
あれ以来、死神は一度たりとも現れていない。
東山はあの死神を災害に例えたが、幸いなことに、まだその災害は訪れてはいなかった。
しかし父もまた帰ってこなかった。化け物になったのだから、「こっち」へ留まることが出来ないのは知っている。
だが生きているのなら、一度くらいでいいから会いに来てほしかった。
化け物になっていてもいいから、今の自分を見てほしかった。
父を目指して刑事になり、結婚もして二人の娘をもうけた今の姿を、一目でもいいから見てほしかった。
早苗は娘の手を引いて歩き出す。
靴の裏に花弁を張りつかせながら、ゆっくりと歩く。
彼女は沢尻に似て勘が鋭い。そしてその勘がある事を告げていた。
『父と死神はまだ生きている』
何の根拠もないが、常にそう感じていた。
いや・・・・もしかしたら、ただそう思いたいだけなのかもしれない。
勘の鋭さは父譲りだが、何も百発百中というわけではない。
勝手な行動で犯人を取り逃がし、東山から思い切り殴られたこともある。
良かれと思って取った行動で、捜査全体の足を引っ張ったこともある。そのおかげでしばらく謹慎を命じられ、これまた東山に怒鳴られた。
だから父と死神が生きているという勘も、もしかしたらただの思い込みではないかと思う時があった。
最も敬愛した父、最も憎むべきあの死神、この二人が生きていると思うことで、自分の生きる糧としてきた。
あの二人はまだこの山で戦っている。ならばいつか自分もその戦いに加わり、父の役に立ちたい。そして大きな罪を犯したあの死神を、この手で仕留めたい。
それは後ろ向きな情熱かもしれないが、早苗を支える柱になっていることは間違いなかった。
あれから12年、少しは鍛えられたと思っている。
歳は今年で33、親から自立し、目指していた職業に就き、東山という鬼のように厳しい上司からしごかれ、結婚して家庭まで持った。
しかしそれでもまだまだ父には遠いと思っている。
成長すればするほど、いかに父が偉大だったか、身に染みて分かるようになった。
いくら頑張っても父のようにはいかず、まだまだ自分は未熟なのだと思い知る。
早苗は山を見上げ、そこに父と緑川の姿を重ねる。
あの二人はきっとまだ生きている。
父譲りの勘がそう告げているし、そう思わなくては生きていけない。
なぜなら自分の胸の中には、父と似たようにある種の狂気が宿っているから。
平和な日常は大切だが、それだけでは満足できない「疼き」がある。
いつか自分も、魂がひりつくような、肌が裂けるような戦いの中に身を投じたい。
あの死神の前に立つのは怖いが、それでもこの山の「向こう」へ・・・・。
恐怖を上回る狂気が、早苗の中で首をもたげていた。
*
人間というのは、暇を持て余すとロクなことをしない。
特に夏のような気分が浮かれる季節になると尚更だ。
酒を飲んで騒ぎを起こしたり、火器禁止の場所で焚火をしてみたり。
特に学校が夏休みに入る頃、そういった下らない事案で、警察の仕事は増すことになる。
そして今日もまた、暇を持て余した学生のせいで、警察の仕事が増えた。
観光名所の寺院に忍び込み、花火をやった学生がいるのだ。
しかもそれを面白半分にネットに投稿し、すぐに警察に通報が入った。
花火は寺院の掛け軸を焼き、文化財に指定されている襖絵にまで延焼した。
火は燃え広がり、壁にまで炎が伸びた。
消防と警察がすぐに駆けつけ、現場には野次馬が詰めかける。
火はすぐに消し止められたが、幾つかの文化財を失なってしまった。
怪我人がいなかったのが幸いだが、翌日、事件はすぐにニュースに流れた。
早苗は自宅のテレビでそれを眺めながら、どうして夏には馬鹿が湧くのだろうとうんざりした。
しかし思い返せば、自分だって若い頃は褒められた人間じゃなかったなと苦笑する。
三崎信という男と付き合い、将来の展望もないまま結婚するつもりでいた。
そのうち妊娠までしてしまって、挙句の果てに三崎は捕まる始末。
そのおかげで今の長女がいるのだが、しかし三崎はもうこの世にはいない。
彼は幾つも殺人を重ね、死刑を免れることは出来なかった。
しかしそれはミノリという化け物にそそのかされていたせいであり、彼だけに責任があるわけではない。
東山は、彼の罪を軽くする為に動いてくれたが、それでも死刑は覆らなかった。
早苗は一度だけ三崎と面会したことがある。本来なら面会できるのは身内だけだが、東山が気が口を利いてくれたのだ。
その時の彼は、憑き物が落ちたかのようにスッキリした顔をしていた。
『もし生まれ変わったら、今度はまっとうな人間になりたい。』
澄んだ笑顔でそう言っていたのを思い出す。
長女の父が三崎であることは、東山しか知らない。
三崎は生まれて来る子供の為に、早苗に自分の子供が宿っていることは一切口にしなかったのだ。
だから父から話を聞かされた東山だけが、この事実を知っている。
長女は昔付き合っていた男との間に出来た子供であり、その男はもういない。夫にはそれだけ言ってある。
夫も長女も、今後一切真実を知ることはないだろう。
そう思うと、自分も到底褒められた人間ではないなと反省する。
若いうちは誰だって向こう見ずで突っ走ることがある。
そう考えると、夏になれば若者が騒ぎを起こすのも、ある程度は仕方のないものだと納得出来た。
しかしそのせいで、家族との休日が壊されるとなれば話は別だ。
テレビを見ているとポケットのケータイが鳴り、直観的に眉をしかめた。
表示を見ると東山からで、電話を片手に家族の輪から離れた。
通話ボタンを押し、そっと耳を当てる。すると聴きなれた声が届いた。
『俺だ。いま家か?』
「今日非番です。テレビに戻りま〜す。」
『すぐに署に来い。ちょっと人手がいる。』
「もしかしてニュースでやってるやつですか?学生がお寺を燃やしたやつ。」
『今ウチの署にそのガキどもがいるんだよ。人手がいるからお前も来い。』
「いや、私たち刑事課ですよ?そんなの生活安全課に・・・・、」
『バカ野郎、放火なんだぞ。俺たちの仕事だろうが。』
「でも怪我人はいないんでしょ?それに犯人は未成年なんだし、向こうに任しとけばいいじゃないですか。』
『別の場所でガキどもが乱闘騒ぎを起こしてやがるんだよ。だから人手足りないってんで、こっちに回ってきた。』
「家族と一緒にテレビ見てたいんですけど。」
『テレビならこっちでも見られる。』
「いや、だから私は家族と一緒に・・・・、」
『なに、ちょっと大声出してガキどもビビらせりゃいいだけだ。根っから人生舐め腐ってる甘ちゃんだから、少しでもビビらせりゃベラベラ喋る。後は書類仕事だけだ。簡単だろう?』
「だったら東山さんがやればいいじゃないですか。全員一列に並べてから、軍隊みたいに怒鳴ればいいんですよ。
みんなあなたの顔と迫力にビビッて、喜んでボランティア活動だってしますよ。」
『顔は余計だ。』
東山は憮然とした口調で言い、『いいからさっさと来い』と急かした。
『人手が足りないだけじゃなくて、お前に見せたいものがあるんだよ。』
「見せたいもの・・・・?」
『来りゃ分かる。多分・・・・・いや、必ず心臓が縮み上がるぞ。だからさっさと来い。』
そう言ってブツリと電話を切る。早苗はしかめっ面で電話を睨み、苛立混じりのため息をついた。
せっかく家族との休日を楽しんでいたのに、どうして頭の悪い学生のせいで台無しにされないといけないのか?
しかし東山に『すぐに来い!』と言われたら、断るわけにはいかない。
きっと父なら「そんなもん知るか」と断るだろうが、あいにくまだ東山に逆らうほどの度胸はない。
「お父さんって・・・どんだけ凄かったかよく分かる。元SATの鬼みたいな男が振り回されるくらいだもんな・・・・。」
東山と飲んでいると、ことあるごとに「お前の親父は滅茶苦茶だ」と絡んでくる。
そして酔った顔を真っ赤にしながら、「いったい何度冷や汗掻いたか分かりゃしねえ。生きてるのが不思議なくらいだ」と締めくくるのだ。
やはり自分はまだまだ父には及ばないのだと感じつつ、娘の頭を撫でてから家を出た。
車を飛ばして署に着くと、すぐに東山から呼ばれた。
そして鑑識課に連れていかれて、「これを見ろ」とテーブルの上を指された。
そこには小さなビニール袋が置かれていて、中には何かの粉が入っている。
それは光の加減でキラキラと輝き、オーロラの欠片のように美しかった。
「あの・・・何ですかこれ?」
「何だと思う?」
「さあ?ていうか、悪ガキどもを締め上げる為に呼ばれたんでしょ、私?そっちはどうなったんです?」
「ああ、別の奴がやってる。生意気な態度ばかり取ってたから、お前の言うとおりに一列に並ばせて怒鳴ってやったんだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ガキどもは全部で六人、そのうちの四人は泣きだして、ごめんなさいと連呼し出した。今じゃ素直に喋ってるよ。」
「・・・災難だったな、その子たち・・・・。」
「お前がやれって言ったんだぞ?」
「そうですけど・・・・・。でも自分たちのやったことを考えれば、いいお灸ですね。これからはもうちょっとマシになるでしょ。」
「そうだといいがな。しかしガキどもを一方的に責めることも出来ん。」
「どうしてです?寺院に忍び込んで花火やったんですよ?下手すれば放火で刑務所行きですよ。」
「まあ確かに寺は燃えた。文化財だって失われたし、それ相応の罰は下るだろう。」
「ほらやっぱり。」
「でもな、寺が燃えるほど花火をやったのには訳がある。」
「訳?どんな訳ですか?」
早苗は不思議そうに尋ねる。すると東山はテーブルのビニール袋を摘まみ、ゆっくりと中を開けた。
「嗅いでみろ。」
「これを?」
「ああ。」
「まさか毒とかじゃないですよね?」
「・・・・・・・・・・。」
「ちょっと・・・何ですかその顔?まさか本当に毒?」
不安になって尋ねると、「嗅げば分かる」と言われた。
早苗は怪訝そうに眉をひそめる。
そして恐る恐るビニール袋に鼻を近づけると、「おうえ!」とえづいた。
激しい嘔吐を催し、涙目で口を押える。
「そこにバケツがあるぞ。」
東山に言われて、部屋の隅にあるバケツに駆け寄る。
するとすでに誰かが嘔吐した後で、よけいに気分が悪くなった。
早苗は堪りかたように、胃の中の物を全て吐き出した。
吐いて吐いて吐きまくって、最後は胃酸までのぼせ上がってきた。
「おうえ・・・・えほ!げえ・・・・・、」
「大丈夫か?」
「だ・・・・大丈夫なわけないでしょ・・・・。何なのよこれ・・・・、」
目を真っ赤にしながら、ハンカチで口元を拭う。
東山は「ほれ」とペットボトルの水を差し出した。
「・・・・えほ!・・・ダメ・・・・また・・・・・・、」
もう一度バケツに駆け寄り、胃酸を吐き散らす。
口の中に酸っぱい臭いが広がり、ツンと鼻をついた。
「まるで・・・・胃袋がひっくり返ったみたい・・・・・。内臓まで吐き出しそう・・・・、」
そう言いながら、どうにか吐き気をこらえる。慌ててペットボトルのキャップを開け、口をゆすいだ。
「・・・はあ・・・・はあ・・・・冗談じゃないわよ・・・。何てもん嗅がせるんですか・・・・・、」
怒った目で睨みつけると、東山はそっとビニール袋を閉じた。
そしてそれを小さく振りながら、「何だと思う?」と尋ねた。
「何って・・・・何ですか?臭いを嗅いだ途端に、胃袋がひっくり返る様な感じがした・・・・。つわりの時でもこんなに酷くなかったのに・・・・、」
「これは毒だ。」
「・・・だから・・・・何でそんなもんを嗅がせるんですか!危うく呼吸困難で死ぬとこ・・・・・、」
そう言いかけて、ハッと固まった。
ごくりと唾を飲み、口元が小さく震え出す。
目の奥には恐怖が宿り、暗闇にいるかのように瞳孔が開いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
「気づいたか?」
「それ・・・・あいつの・・・・・、」
「ああ。」
「・・・・鱗粉・・・・。あいつの猛毒・・・・・、」
早苗は立ち上がり、光る粉を見つめる。
手にしたペットボトルが、潰れそうなほど握りしめられていた。
- 2016.04.16 Saturday
- 10:52
ドッペルゲンガーに運ばれて、二人は「こっち」へ帰って来た。
そして「こっち」へ着くなり、突然命の危機に晒されてしまった。
「どうなってる!?これじゃ焼け死ぬぞ!」
東山が顔をしかめながら叫ぶ。なぜなら「こっち」の亀池山は、辺り一面火の海に覆われていたからだ。
木々が吹き飛び、斜面は抉れ、地盤が剥き出しになって、真っ赤な炎に包まれている。
二人の立つ場所も点々と火が飛び散っていて、周りは炎の壁に塞がれていた。
空には戦闘機が飛び交い、轟音を立てて駆け抜けていく。
「おい沢尻!これは・・・・、」
「ああ、緑川が「こっち」に現れたんだ。」
「自衛隊が火の海にしやがったんだな!」
「それ以外に考えられん。さっそく災害が降りかかったってわけだ。」
そう言って可笑しそうに言う沢尻を見て、「笑ってる場合か!」と怒鳴った。
「ちくしょう!麓に降りてから戻ればよかった!」
灼熱の風に顔をしかめながら、「ドッペルゲンガー!」と呼ぶ。
「ここじゃ駄目だ!いったん「向こう」へ戻してから、麓まで運んでくれ!」
後ろを振り返ってそう頼むと、そこにはもうドッペルゲンガーはいなかった。
「あいつ・・・・・どこ行きやがった!?」
「帰ったんだろ。」
「帰ったって・・・・・こんな状況で俺たちをほったらかしてか?」
「だろうな。」
「落ち着いてる場合か!もういっぺん呼び寄せて・・・・・、」
そう言って菱形の鏡を取り出そうとすると、「あれ?」と首をかしげた。
「・・・・無い。あいつもしかして・・・・・、」
「持って帰ったんだろうな。もうパートナーは解消なんだから。」
「な・・・・なんて事しやがる!元相棒が焼け死んでもいいってのか!」
悔しそうに叫び、「薄情な野郎め!」と石を蹴り飛ばした。
「おいどうすんだ!?このままじゃ焼け死ぬぞ!」
「・・・・・・・・・。」
「沢尻!」
「・・・・・いや、迎えが来たみたいだ。」
そう言って空に指を差すと、一機のヘリが近づいて来た。
バタバタと音を立てながら、風を起こして降下してくる。
「無事か!?」
中から隊員が顔を覗かせ、「今すぐ助ける!」と言った。
ヘリからロープが下ろされ、隊員が降りて来る。
「大丈夫ですか?怪我は?」
そう言って心配そうに尋ねると、沢尻は「平気さ」と答えた。
「それより・・・・緑川は「こっち」に現れたんだな?」
「ええ。少し前に頂上を飛んでいるのを確認したんです。現れたら山ごと焼野原にしろとの命令でしたから。」
「鏑木がそう言っていたな。・・・・・で?奴は?」
「残念ながら見失ってしまいました。まだ仕留めたとの報告は入っていません。」
「そうか・・・・。まあいつでも「向こう」に逃げられるからな。とりあえずこの火の海から抜け出そう。」
そう言うと、隊員はすぐに沢尻の身体にロープを巻こうとした。
「待て、先にこいつを乗せてやってくれ」
東山の背中を押し、「俺は後でいい」と答えた。
「おい、何言ってやがる。お前が先に行け。」
「いや、俺は後でいい。」
「これでも俺はSATの隊長だ。先に行けるか。」
「いいから行けよ。ああ・・・・それとそいつは預かっとくよ。」
そう言って、東山の手から骨切り刀を奪った。
「誰かの手に渡ったら大変だ。俺が預かっておく。」
「俺は子供か?」
「いいから行けって。」
顔をしかめながら背中を押すと、東山は「何を企んでる?」と睨んだ。
「何も。」
「嘘を言うな。お前・・・・・・もしかして緑川の居場所を知ってるんじゃないのか?」
そう言いながら目の前に詰め寄る。
「奴の居場所を知っていて、自分一人で仕留めに行くつもりなんじゃないのか?」
「まさか。」
「いや、そうに決まってる。奴と刺し違えるつもりなんだろう?」
「違うと言ってるだろう。」
「俺がいたら邪魔か?戦力にならんか?」
「そうじゃない。ただお前に先に行けと言ってるだけだ。他意はない。」
沢尻は肩を竦めて笑う。しかし東山は表情を変えず、猛るような目で睨んだ。
「俺は普通の人間だ。」
「ああ、それがどうした?」
「だからお前ほど上手くあの男とは戦えない。」
「俺だって上手く戦えない。だから逃がしちまったんだ。」
「そうだな。でもお前はまだ諦めていない。」
「そりゃすぐには納得できないさ。でもさっきも言った通り、奴は災害みたいなもんで・・・・、」
「違う!あいつは災害なんかじゃない!自分の意志で人を殺してるんだ!台風や竜巻と違って、殺すつもりで殺してやがる!そんな屁理屈納得できるか!」
そう言って沢尻の胸倉を掴み、「あまり俺を馬鹿にするなよ」と凄んだ。
「あんな理屈で本当に納得したと思ってるのか?」
「してたじゃないか。熱血漢のお前にしちゃ、大人しく引き下がってた。」
「そういう振りをしただけだ。」
「なんで?」
「決まってるだろ!お前が次の考えを持ってると思ったからだ!」
掴んだ胸倉を捩じり上げ、沢尻の足が浮きそうなほど力を込める。
「お前は簡単に真意を見せない!だからあんな屁理屈を言いながらも、心の中じゃまだ諦めてないと分かってた。だからそれに付き合っただけだ!」
「そりゃお前の勝手な妄想だ。」
「妄想じゃねえだろ!今!お前は!実際に奴の所へ行こうとしてる!それもたった一人でだ!ふざけんじゃねえぞこの野郎!!」
東山の怒りは、この山を焼く炎のように激しかった。こめかみに血管が浮き、今にも殴りかかろうとする。
「ここまで付き合わせといて、最後の最後で降りろってか?それじゃ俺はピエロと一緒じゃねえか!あんなわけの分からん場所で、わけの分からん化け物どもと戦って来たんだ!
SATだろうが自衛隊だろうが、本来はあんなもんは仕事に含まれていない!本心を言えば、途中で降りたかった!犯罪者と戦う覚悟はあっても、化け物と戦う覚悟なんて無いからな!」
激しく唾を飛ばしながら、さらに力が入る。沢尻の足は浮き、息が苦しいほどだった。
「それでもここまで来たのは、お前がそうさせたからだ!テメエがここまで付き合わせたんだろうが!無茶な言動ばかりで、いったい何度冷や汗を掻いたか分かりゃしねえ!
だったら最後まで付き合わせろ!テメエ一人でおいしい所持ってこうとしてんじゃねえぞ!」
鼻が触れるほど顔を近づけ、「ヒーロー気取りで死ぬなんて許さねえ」と言った。
「こんな所まで来て、テメエだけでカッコつけさせるか・・・・。でなけりゃ、お前を信じて命張ってきた俺たちはどうなる?」
東山の胸には、死んだ部下のこと、仲間のこと、そして罪もなく首を狩られていった人たちの無念が渦巻いていた。
途中で降りる機会なら何度もあったのに、そうしなかったのは沢尻に期待していたからだ。
彼に命を預け、ここまで戦って来た。死神や化け物との戦いの果てに死んだとしても、それは己の職務を全うしたという誇りになるはずだった。
だからこそ、この男を信用して命を張った。
それが最後の最後で蚊帳の外に放り出されるのが許せなかった。
そして何より、ここまで無茶に巻き込んだクセに、最後の最後で気遣いを見せるのが許せなかった。
「俺はな・・・・お前に心配されるほど弱くないぞ。例え死神が相手だろうが、お前を守る盾くらいにならなってやれる。だから・・・・・俺を除け者にするんじゃねえよ。」
掴んでいた胸倉を離し、沢尻の答えを待つ。
言いたい事は全て言い、怒りも覚悟も伝えた。
それでもまだ一人で行こうとするのなら、その時は銃を突き付けてでも引き留めようと思っていた。
ここで蚊帳の外にされるなら、やる事は一つ。
沢尻を無駄死にさせない事。
いくらこの男といえど、一人で緑川に挑むのは自殺行為に等しい。
あの男は完全に化け物に成り下がり、もはや人ではなくなったのだから。
東山はじっと答えを待つ。一人で行くのか?それとも俺を連れて行くのか?
「・・・・・・・・・・。」
沢尻は宙に視線を彷徨わせ、ここではないどこかを見ていた。
この世でもなくて、あの世でもない場所。この山に重なるもう一つの世界、「向こう」を見透かそうとするような視線だった。
「・・・・ありがたいな、そこまで言ってもらえるなんて。」
ぽつりとそう呟き、東山に目を向ける。
「まるで昔の刑事ドラマみたいに暑苦しい。でも・・・・お前のそういう所は嫌いじゃない。ちょっと羨ましくもあるぐらいだ。」
そう言って小さく笑い、「一つだけ頼まれて欲しい」と真顔になった。
「早苗の事を見てやってほしいんだ。」
それを聞いた東山は、「答えになってないぞ」と睨んだ。
しかし沢尻は「まあ聞け」と続ける。
「あいつは必ず刑事になるだろう。しかも俺に似て無茶ばかりしやがる。だからお前が手綱を引いてやってくれないか?」
「どういう意味だ?」
「・・・・あいつは刑事になって、緑川を追おうとするはずだ。きっと誰が止めても無駄だ。だからお前が手綱を引いてやってほしいんだよ。
止めるのが無理なら、せめて無茶をしないように見張っていてほしい。」
「ならお前がやればいいだろう。自分の娘なんだから。」
「・・・そうしたいが、そうもいかない。俺も緑川と同様に、災害になる必要があるからな。」
そう言って燃え盛る山を見つめ、「まだ諦めちゃいない」と呟いた。
「お前の言う通り、俺は諦めてなんかいない。なんとしても緑川を仕留めるつもりだ。」
「ほら見ろ。だったら俺も一緒に・・・・、」
「出来ればそうしてもらいたいが、そうもいかないんだよ。」
「まだ意地を張るのか?」
「・・・・お前は屁理屈と言ったが、緑川を災害と例えたのは本心だ。なぜなら、あいつはもう人間では止められないからだ。
だったらこっちも人間じゃなくなるしかないだろう?あいつと同じように、人間やめなきゃいけないんだ。」
「人間やめるって・・・・お前も化け物になるってのか?」
「ああ。そうすれば奴を追って「向こう」まで行ける。災害に太刀打ち出来るだろ?」
「なら奴を仕留めた後はどうする?化け物のまま「向こう」で生きるってのか?」
「そうだな・・・そうなるな。」
「そうなるな・・・・って。何を呑気に・・・・、」
「しかしそれでもいいさ。いつまた緑川みたいな奴が出て来るか分からないんだ。だったら俺が「向こう」を見張っておくよ。
そして俺だけじゃ手に負えなくなったら、その時はお前に頼みに来るさ。」
そう言って笑顔を見せ、「だから早苗を頼む」と頷きかけた。
「もしそんな日がきたら、あいつだってきっと戦おうとする。だからお前が手綱を引いてやってくれよ。」
小さく頭を下げ、自分のわがままを聞いてくれと頼む。
東山は憮然としながら、「自分勝手な・・・・」と吐き捨てた。
「やっぱりお前は無茶苦茶だな。最後まで変わらん。」
「自覚してるさ。でも頭下げて頼むなんて、嫁さんの両親に会いに行った時以来だ。だからまあ・・・・大目に見てくれよ。」
また笑顔に戻り、ポンと肩を叩く。
炎は広がり、沢尻たちの元に迫る。隊員が「どちらを先に?」と急かした。
「・・・・・俺だ。」
東山が答え、隊員がロープを巻こうとすると「いらん」と突っぱねた。
「素人じゃないんだ。このままでいい。」
そう言ってヘリの下まで歩き、ロープを掴んだ。
「・・・・・・・・・。」
沢尻を振り返り、何かを言いたそうに口を動かす。しかしその言葉を飲み込み、「上げてくれ」と言った。
隊員もロープを掴み、そのまま上昇していく。
「おい沢尻!」
東山は叫び、「早苗ちゃんのことは任せろ」と言った。
「俺がちゃんと鍛えてやる。お前みたいな無鉄砲にならんようにな。」
「ああ、頼む。」
「あの子が刑事になったら、顔を見せに来い。化け物にっててもいいから。」
「ああ。」
頷く沢尻を見届けると、東山はもう振り返らなかった。
ロープが上昇していき、彼はヘリの中に消える。
ヘリはしばらく上空にとどまっていたが、やがて山から離れていく。
次のロープが垂らされそうになっていたが、東山がそれを止めていた。
もうここには戻って来なくていいと言う風に、隊員と言い合っている。
そして沢尻を残したまま、遠くへ飛び去ってしまった。
「・・・・・・・すまん。」
最後の最後で、またわがままを言ってしまったことを詫びる。
事が終わったら酒を飲もうと約束していたのに、それを守る事が出来なかった。
「せっかく出来ない少ない友達だってのに、悪いことしちまった。」
心の底から申し訳なさそうに言い、もう一度「すまん」と呟く。
辺りを覆う炎は、山を丸裸にしようとしている。
木々は焼け、斜面は爆撃で抉れ、機銃の痕が生々しいほど足元に走っている。
いったいどれだけの砲弾や弾丸が撃ち込まれたのか、一目で分かるほどの惨状だった。
しかしそれでもなお、あの男が死んでいるとは思えなかった。
例え「向こう」に逃げなくても、このような狙いの定まっていない攻撃では、到底仕留める事は無理だろう。
山を焼野原にされようが、あの男だけは生きている。
沢尻の胸の中には、そう確信があった。
「アチェの言う通りだ。毒針を残しておいてもらってよかった。」
そう言ってズボンのポケットから一本の針を取り出す。
それはアチェの持つ毒針だった。
「アチェ・・・・何もかもお前が予想した通りになってる。しかも悪い方の予想だ。
あいつはお前の説得でも改心することはなかった。そしてお前の立てた作戦でも仕留める事は出来なかった。
だったらやる事は一つ。俺がお前の代わりに緑川を追い詰める。その為にこの毒針を残してくれんだからな。」
鋭い針を立て、その切っ先を睨みつける。
「俺の中から消える時、お前はもう疲れたと言っていたな。今頃は王様と一緒に、宇宙旅行でも楽しんでるのか?」
そう言って自分の首に毒針を突き刺した。
中に残った毒は少量だが、通常のものより何倍にも濃縮されている。
毒が体内に流れ込み、身体中に激痛が走った。
悲鳴を上げながらのたうち回り、危うく炎に焼かれそうになる。
しばらくすると痛みは治まり、むしろ爽快な気分になる。
二つの目には万華鏡のように景色が映り、再びUMAになった自分の身体を見つめた。
『もう人間に戻ることはないだろうな。』
そう言って首に刺さった針を抜き、ポイと投げ捨てた。
『なんでこんな厄介な事になったんだか・・・・俺ものんびり宇宙旅行に行きたい気分だよ。』
心底うんざりしながらそう言って、大きくため息をつく。
しかし自分以外にあの男を追い詰める者はおらず、自分だけがアチェから望みを託された事実は変わらない。
退職したらのんびり暮らそうと考えていたのに、それも全てパアになる。
刑事という職に命を懸けるのは誇らしいが、化け物になって人間を捨てるとは思いもしなかった。
『まあ愚痴っても変わらんな。人生なんて思い通りにいかないもんだ。・・・・いや、もう化け物だから人生ですらないか。』
自嘲気味に言って、肉挽き刀と骨切り刀を掴む。
そして二つの刀を構え、処刑人のように交差させた。
『緑川・・・・お前のせいで人生が台無しだよ。いったいどう責任を取ってくれる?』
早苗のこと、東山のこと、そして刑事という職。捨てるものはあまりにも大きく、得られるものはほとんどない。
しかしそれでも、ここで引き返すことは出来なかった
すでに戻れない道に踏み込み、やるべきことはたった一つしかないのだから。
『もしかしたら、俺は誰よりもお前に恋焦がれていたりしてな。一番心配なのは、お前の首を落とした後だよ。俺はその後どうすりゃいい?
だから・・・・簡単にはくたばってくれるなよ。』
複眼が赤く染まり、興奮と殺気で膨れ上がる。
四枚の羽を大きく広げながら、陽炎のように揺らぎ始める。
炎が全てを飲み込む頃、彼は「向こう」へと消え去っていた。
河童モドキに投げた刀が撃ち落とされる。
緑川は落ちた刀を睨みながら、ゆっくりと後ろを振り返った。
『沢尻・・・・・・・。』
「・・・・・・・・・・。」
二人は睨み合い、無言の中に幾つもの言葉を交わした。
しかしそのどんな言葉も口にせず、絡みつくような殺気だけが二人を満たした。
沢尻は拳銃を抜き、それを緑川に向ける。
そして彼の隣には東山もいた。刀を撃ち落としたのは彼で、小銃を握りしめている。
緑川は彼らを睨んだまま、ゆっくりと首狩り刀を引き寄せた。
すると河童モドキがまた粘液を吐き、首狩り刀を絡めとる。
刀はべっとりと濡れて、地面に張り付いてしまった。
『・・・・・・・・・・・。』
緑川は髑髏を一つ千切り、それをナイフに変えようとした。
しかしその瞬間、千切った髑髏は、ゆっくりとペケの頭へ吸い込まれていった。
『忘れたか?刀から離れた髑髏なら吸い取ることが出来るってことを。』
『・・・・・・・・・・・・。』
緑川は刀から手を放し、ズボンの後ろに隠した匕首を握ろうとする。
すると今度は東山が『動くな』と言った。
『じっとしてろ。動いたら撃つぞ。』
『・・・・・・・・・・・・。』
そう言われて匕首も放し、大人しく両手を挙げた。
前には河童モドキと化け物の群れ。後ろには沢尻と東山。
逃げ場は無くなり、武器を使うことも許されない。
この状況で出来る事はたった一つ。「向こう」へ逃げる事だけだった。
緑川は『仕切り直しだな・・・・』と呟き、陽炎のように消えようとする。
すると沢尻が「無駄だ」と言った。
「どこにも逃げ場はない。「向こう」へ行ったところで、自衛隊に囲まれるだけだ。」
『・・・・・・・・・・・・。』
「今度は大部隊だぞ。陸にも空にも逃げ場は無い。お前が「向こう」へ行った瞬間、山ごと焼き払うつもりだ。」
『・・・・・・・・・・・・。』
「逃げる事も出来ない。戦う事も出来ない。もう終わりだ。」
沢尻はゆっくりと近づき、彼の眉間に銃を当てた。
カチリと撃鉄を起こし、引き金に指を掛ける。
そして緑川の全身を見渡し、「化け物のまま死ぬなんてな・・・・」と呟いた。
「そんな醜い姿のまま、お前は死ぬんだ。人間に戻れるチャンスは何度もあって、でもお前はそれを不意にしてきた。
問題なのは見た目じゃない。お前の心が腐ってるってことだ。でも今さら何を言ったところで意味はない。だから・・・・そういう風に生まれてしまったという事を、呪うしかない。」
そう言って、ほんの少しだけ寂しそうに眉をひそめた
「俺とお前は似ているが、これでも俺は一応人間だ。でもお前は芯から人間とは違う・・・・・本物の死神だよ。」
沢尻の目、緑川の目、二つの目が弾丸のような視線を飛ばし合い、空気が濁るほどの殺気が漂う。
沢尻は無言のまま睨みつけ、引き金の指に力を入れる。
その瞬間、緑川は舌の毒針を伸ばし、沢尻の心臓を打とうとした。
しかし東山が銃を撃ち、その毒針を砕く。河童モドキも粘液を放ち、完全に緑川を絡めとった。
『・・・・・可哀想に。』
そう言って、沢尻は引き金を引いた。
銃口が火を吹き、一発の弾丸が放たれる。
その弾丸は緑川の頭に穴を空け、後頭部にまで貫通した。
『・・・・・・・・・・・。』
空いた穴から血が流れ、大きな複眼を伝っていく。
赤い滴がポタポタと落ちて、膝の上に垂れていった。
『・・・・・可哀想なのは・・・・みんな・・・同じだろ・・・・・・、』
そう言い残し、緑川は項垂れる。
がっくりと首を垂れ、力が抜けて動かなくなる。
赤い滴はまだ垂れていて、小さな血だまりが出来る。
筋肉が緩んで失禁し、血だまりと混ざって滲んでいった。
「・・・・・・・・・・・。」
沢尻は銃を向けたまま、しばらく睨みつける。
そしてそっと手を伸ばし、彼の頸動脈に手を当てた。
「・・・・・・・終わった。」
悲しそうに、切なさそうに言い、銃をしまう。
夜明けの死神、緑川鏡一。もはや彼の魂はここにはない。
沢尻は立ち竦み、もう一度「終わった・・・・」と呟いた。
緑川が死んだことを見届けると、河童モドキは奇声を上げた。
横に立つのっぺらぼうに手を伸ばし、自分の頭を受け取る。
『黒い太陽が、「こっち」の世界を維持する。この山に巣食う妖怪とUMAは、今後二度と「向こう」に関わることはない。お前たちが手を出さなければの話だけど。』
そう言って頭に爪を立て、ゆっくりともぎ取る。
『もう守り神はいない。ペケは死に、黒い太陽も「こっち」を維持させるために燃え尽きる。これからは自分たちの手で住処を守らないと。ずっとこの夜が終わらないように。』
ペケの頭を完全にもぎ取り、元の頭に戻す。そして『グェッ』っと一声鳴くと、踵を返した。
丸い甲羅を揺らしながら、亀池山の頂上から去っていく。化け物の群れも、それを追いかけるように去っていった。
長い長い行列が、連なる山々を行進していく。それは来た時と同じように、百鬼夜行の絵巻にそっくりだった。
「夜は終わらない・・・・か。これかさら先、「こっち」はずっと暗いままのかもな。」
東山は空を見上げ、構えていた銃を下ろした。
「・・・・・終わったな。」
沢尻にそう語りかけると、何も答えなかった。
絶命した緑川を睨んで、ただ立ち尽くしている。
それを見た東山は、彼が感傷に浸っているのだろうと思った。
緑川は憎き敵だったが、それと同時に双子のような共通性を感じていたはずだ。
ここで死んでいるのは、果たして緑川か?それとも自分か?
自分が死に、緑川がこうして見下ろしていたとしても、それは何ら不思議な事ではないのではないか?
沢尻の横顔からは、そんな哀愁が感じられた。
東山は話しかけるのをやめ、彼の後ろに下がる。
死んだ緑川、生きている沢尻。その対比が奇妙に嘘っぽく感じられ、この光景はどこか間違っているのではないかと思った。
緑川は確かに死んでいる。眉間を撃ち抜けれ、後頭部が弾け飛んでいる。
そして沢尻は生きている。じっと立ち尽くし、緑川を見下ろしている。
「・・・・・・・・・・・。」
この二人を見れば見るほど、やはり違和感が強くなった。
そしてとうとう我慢できずに「なあ?」と尋ねた。
「その・・・・俺が見ているこの光景は、幻なんかじゃないよな?なんだか奇妙な感じがするんだが・・・・、」
そう尋ねると、沢尻は小さく頷いた。
「・・・・・俺もだ。」
そう言って肉挽き刀を振り上げ、緑川を切り裂く。
すると彼の身体ははふにゃふにゃとへこんでしまい、その場に崩れ落ちた。
「おい!これは・・・・・、」
東山は驚きを隠せずに駆け寄る。
沢尻は膝をつき、ふにゃふにゃに倒れた緑川の身体に触れた。
「中身が無い・・・・これはただの皮だ。」
「皮・・・?」
「ああ。」
「どういう事だ?ただの皮って・・・・、」
「・・・・おそらくだが・・・・脱皮だろう。」
沢尻は緑川の皮を摘まみ、それを裏返して見せた。
「これ・・・・よく見ると透けてるだろう?月明かりに当てると分かるはずだ。」
「・・・・・ああ。わずかに透けてるな。」
「虫の抜け殻なんかも、こういう感じで透けて見える。それに・・・・ここ。この頭の部分。」
穴の空いた眉間の部分を指さすと、そこにはべっとりと血が付いていた。
「かなりの血が流れてる。」
「そりゃあ当然だろう。撃たれたんだから。」
「ならどうして中身が無い?頭から大量の血が流れるってことは、中身が傷ついていないとおかしいだろう。」
「ああ・・・確かに・・・・、」
「もし・・・・もしも緑川が脱皮をして逃げたんだとしたら、俺たちは罠に嵌められたって事だ。」
「罠・・・・?」
「脱皮をして逃げたのなら、血が流れるはずがない。」
「それは・・・・・脱皮が間に合わなかったとか?」
「何を言ってる。これはただの皮だ。中身なんてどこにもないぞ。」
「・・・・・そうだな。ならその血はいったい・・・・、」
「フェイクだ。」
「フェイク?」
「この血自体は緑川のものだろう。しかしこれはあらかじめ用意していた物だ。」
「だからどうしてそんな事を・・・・、」
「自分が死んだと思わせる為だ。そうすりゃ俺たちは満足して帰る。現に化け物どもは去ってしまったからな。」
「・・・・要するに、俺たちや化け物の目を欺くために、わざわざ血を用意してたってのか?」
「ああ。それが咄嗟に用意した物なのか?それとも戦う前から用意していた物なのか?それは分からないが、おそらく前者だろう。
あいつは追い詰められ、この状況をどうにかしなければと思ったはずだ。」
「それでフェイクの血を用意したと?」
「アイツは頭も回るし、器用な事も得意だ。そうだな・・・・多分毒針で血を吸い上げ、それを頭のの中にでも溜め込んでいたんだろう。」
「いや、しかしどこにも毒針なんて刺してなかったじゃないか。」
「中から刺せば済むだけだ。あいつは一言も喋らずに俺を見ていやがった。お喋りなアイツにしちゃおかしいと思ったんだ。」
「だったら・・・その黙ってる時に自分の血を吸い取り、脱皮がバレないように細工をしたって事か?」
「ああ。」
沢尻は頷き、緑川の皮を捨てた。
「昨日天文台でコイツと戦った時、小さく縮みやがった。」
「縮む?」
「アチェと同じくらいの大きさにな。確かアチェも大きさを変える事が出来たはずだ。小さくなったり、人間大になったり。
だから同じモスマンである緑川も、そういう事が出来る。」
「なるほど・・・・。しかし脱皮まで出来るもんなのか?アチェはそんな事をしていたか?」
東山は怪訝そうに尋ねる。
沢尻は眉を寄せ、やや躊躇いながら答えた。
「・・・これは単なる想像だが、緑川はUMAになって間もない。ということは、これから成長を重ねて成体のモスマンになるんだろう。
だったらその過程で、脱皮をしたとしてもおかしくない。」
「理屈は分かるが、しかし想像の域は出ないな。」
「だからそう前置きしただろう。しかしそう推察出来る根拠はある。」
「根拠?」
「アチェは大きさを変えるだけでなく、蛾の化け物に変身出来ただろう?」
「ああ、人よりデカい蛾にな。」
「あの巨大な蛾の姿こそ、彼女の正体だ。彼女はUMAになって長い。その間に脱皮を繰り返して成体になり、化け物みたいな蛾に変身することが出来るようになったとしたら?」
それを聞いた東山は、「それはつまり・・・・緑川の奴も・・・・?」と慄いた。
「いずれそうなるだろう。まあ俺の仮定が正しければの話だが。」
空気が抜けた風船のような緑川を睨み、「あいつは生きている」と言った。
「今のは仮定の話だが、しかし緑川は確実に生きてるぞ。」
「だな・・・・・。でなけりゃ皮だけ残ってるはずがない。」
「問題はどこへ逃げたかだ。首狩り刀はここに残してあるが、その気になればいつでも取り戻せる。」
「ならもう一度化け物どもに協力してもらわないと。今ならまだ遠くへ行っていないはずだ。」
そう言って菱形の鏡を取り出すと、沢尻は「無駄だ」と首を振った。
「どうして?まだ生きてるのなら、化け物にも協力してもらった方が・・・・、」
「今更遅い。あいつを仕留める作戦は失敗したんだ。また化け物と手を組んでも、同じように追い詰めるのは無理がある。」
「しかし・・・・、」
「ここまでアイツを追い詰めることが出来たのは、アチェがお膳立てをしてくれたからだ。今から同じようにしたところで、もうアイツは引っかからないさ。」
「・・・・・なんてこった。せっかく仕留めたと思ったのに。」
東山は悔しそうに舌打ちをする。近くの草を蹴り飛ばし、「結局何も出来なかったってわけだ」と吐き捨てた。
「なあ沢尻、これは俺たちの敗北だぞ。アイツを見失うってことは、いつまた殺しを始めるか分からないんだからな。誰も安心して眠れなくなる。」
「そうだな。だからこの事実は伏せておこう。アイツはくたばったって事にしておけばいい。」
「事実を隠蔽しようってのか?」
「俺がそうしなくても、お偉いさんたちはそうするだろうさ。」
「・・・・・胸糞悪いな。それじゃ表立って緑川を追うことも出来なくなる。ますますアイツの好きにさせちまうだけじゃないか。」
小銃を構え、「さっさとコイツをぶち込んでやればよかった」と後悔した。
「さっさとこいつを浴びせりゃ、その時点で終わってた。何をボケっとしてたんだか・・・・、」
「今更嘆いても仕方ない。とりあえず戻ろう。」
そう言って歩き出すと、東山は「やけに落ち着いてるな?」と尋ねた。
「あの死神を仕留めそこなったんだぞ?次はまたいつ現れるか分からない。お前は焦らないのか?」
「まあ・・・・確かにしっくり来ない結末ではあったかもな。」
「おいおい・・・・結末ってどういうことだ?まだ何も終わってないぞ?」
「いや・・・・もう終わりだよ。アイツを仕留めるチャンスはもう無い。これは断言できる。」
「どうして?」
「アチェがいない、ミノリがいない、ペケがいない、ケントがいない。そして・・・・・王がいない。もうあいつに敵と呼べる存在はいない。
おそらく「こっち」で最強の生き物だ。もうアイツを脅かす存在はどこにもいない。」
「何を言うんだ。まだお前もいるし、自衛隊や警察だって・・・・、」
「殺されるよ。」
「何?」
「俺たちは羊だ。たまに狼みたいな奴もいるが、アイツはもっと強い生き物だ。だからノコノコ挑んでも殺さるだけだ。」
「しかし・・・・また仕留められるチャンスが来るかもしれない。それに俺たちは羊じゃなく、狼の部類だろう?
強い者同士が手を組めば、より強い者にだって勝てる。」
「そうだな。でもあの河童モドキが言った事を忘れたか?」
そう尋ねられて、東山は眉を寄せた。
「河童モドキはこう言ったんだ。もう「向こう」に関わる気はないと。だったらお前のパートナーだって、二度と俺たちに関わることは無くなるだろう?」
そう言われて、東山は「あ・・・・」と呟いた。
「お前と組んでるドッペルゲンガーも、俺たちを「向こう」へ運べばさよならだ。だから・・・人間が「こっち」に来ることは二度とない。」
「いや、それならまた化け物に協力を頼めば・・・・・、」
「それは出来ない。」
「どうして!?」
「河童モドキは警告のつもりで言ったんだ。自分たちはもう人間に関わらない。だからお前たちも「こっち」に関わるなと。
黒い太陽のせいで、「こっち」はずっと夜のままだろう。それはつまり、「こっち」が完全に化け物の住処になるってことだ。
だったらもう人間には入って来てほしくないのさ。下手に手を出せば、今度は人間と化け物の戦争になる。」
「自分勝手な・・・・・、」
「そうか?」
「そうだろう。緑川を仕留めるのに、俺たちは協力し合った。それは俺たち人間だって、「こっち」を守るのに貢献したって事だ。
なのにあの河童モドキの警告は、あまりに一方的過ぎるんじゃないか?」
「・・・・なら聞くが、もし人間の住処に化け物が入って来たらどう思う?俺たちはそれを見過ごすのか?」
沢尻は鋭い眼光を向ける。東山もその眼光を押し返すが、何も答える事が出来なかった。
「人間と化け物は、根っこから異なる存在だ。だから互いに干渉すれば、良い結果にはならない。
俺たちの世界に化け物が来てほしくないように、化け物も「こっち」へ人間が来てほしくないのさ。
だからもう二度と「こっち」へは来られない。」
「・・・・・・・・・・・。」
そう説明されて、東山は憮然と黙り込む。
なぜなら二度と「こっち」へ来られないという事は、二度と緑川を追い詰めるチャンスを失うという事だからだ。
いくら人間の世界で暴れても、「こっち」へ逃げられたら手の出しようがない。沢尻の言うとおり、もう彼を追う事は出来ないのだと知る。
「あの河童モドキは・・・・・緑川が生きてる事を知らない。しかし知ったところで、もう人間に協力はしないか?」
「おそらくな。奴は最後に言っていただろう。もう守り神はいない。これからは自分たちの手で住処を守ると。
もう人間を介入させないつもりなんだ。なぜなら今の「こっち」の世界は、ずっと夜が続く、化け物の為の世界だからだ。
いつだって夜が明けない、光の射さない世界。それを人間に触れさせたくないんだろう。」
「・・・・・・・・・・。」
「妖怪とUMAの争いが終わり、ようやく共存の道を築いた。それは自分たちの本当の居場所を手に入れたってことだ。よそ者はお呼びでないさ。」
「しかしまだ緑川がいるのに・・・・・、」
「今のアイツはUMAだからな。「こっち」で問題を起こしたとしても、それは自分たちの問題として処理するつもりなんだろう。」
「なんか・・・・・釈然としないな。というかまったく納得できない終わり方だ。」
「だから言っただろう?しっくり来ない結末だと。」
沢尻は小さく笑い、「もう帰ろう」と言った。
「残念だが、この件はここで終わりだ。死神は健在、いつまた襲って来るか分からない。」
「しかし世間にそれを公表する気はないと?」
「してどうなる?仕留めるのが無理な死神がうろついてると知ったら、誰も安眠出来なくなるぞ?」
「実際に安眠出来ない状況だろうが。しかし・・・・・お前の言う通りだ。これ以上奴を追えない。」
「お前も変わったな。前なら熱血漢丸出しで食ってかかって来たのに。」
可笑しそうに言うと、「それで状況が変わるならやってる」と言い捨てた。
「しかしいくら食ってかかっても、無理なもんは無理だ。」
「そう・・・無理なんだよ。あの男はもう天災と一緒だ。地震だの雷だの竜巻だの、そういうのと一緒なんだよ。
来る時は来るし、防ぎようもない。まるでイナゴの大群みたいに、自然の脅威を相手にするようなもんだ。
そう考えると、不思議と焦らなくなる。あいつがいなくたって人は死ぬんだ。地震や竜巻と同じと思えば、それは仕方ないと受けれるしかないからな。」
そう言ってから、「あいつはもう人間じゃない」と続けた。
「身も心も人じゃないんだよ。いや・・・・あるいは生まれた時からそうだったのかもしれない。
手を差し伸べれば変わるかもしれないと思っていたが、それは甘かった。改心も駆除も無理な、ただの災害なんだよ。」
「こっち」に瞬く星空を見上げ、「アイツは俺たちの知らない所からやって来た、宇宙人だったりしてな」と笑った。
東山は「かもな・・・」と頷き、菱形の鏡を見つめた。
背後にぬらりとドッペルゲンガーが現れ、「頼む」と頷きかける。
不気味な黒い影のUMAは、大きく口を開けて二人を飲み込んだ。
そして「向こう」へ着く前に、初めて語りかけてきた。
たった一言、『サヨナラ・・・』と。
- 2016.04.14 Thursday
- 10:48
緑川が化け物の群れと戦う少し前、沢尻達は亀池山の麓に到着していた。
空に浮かんでいたUFOはゆっくりと上昇していき、陽炎のように消え去った。
沢尻は橋の前に立ちながら、その光景を眺めていた。
全ての元凶となった厄介者が、ようやくこの星から去ってくれた。
それは嬉しい事のはずなのに、なぜか寂しさも感じていた。
親に見捨てられた子供のような、飼い主に捨てられた犬のような、何とも言えない複雑な感情を抱いていた。
「お前でも感傷に浸るんだな。」
東山が言い、UFOの去った空を見上げる。
「切ない顔して何を考えてる?」
「別に。ただ何となく寂しさがある。」
「どこが?あんな物のおかげで、どれだけの惨劇が起きたか・・・・。俺は心底ホッとしてるよ。」
「・・・・そうだな。アレはまだ俺たちには必要のない物だった。王もここへ帰って来るのは早すぎたと後悔してるだろう。」
そう言って麓を見渡し、そこに広がる凄惨な光景に目を細めた。
昨日の戦いで果てていった人間たちは、今もそのまま残されている。
自衛隊や在日米軍の兵士が、物言わぬ肉の塊となって転がっていた。
「こうして見ると・・・・残酷だなと思う反面、どこか冷めた目で見てしまう。死んだら肉の塊・・・・当たり前のことなのに、そう思うのは不謹慎かな?」
「今はそうだとしても、彼らは生きていた。必死に戦ったんだ。俺にはとてもそんな風には見えない。」
「なら俺は冷たい奴か?」
「かもしれんな。まあ今さら驚きはしない。そういう見方の出来る奴じゃないと、緑川を仕留めるのは無理だろう。
あいつは人間の持つ善悪の観念を逆手に取る。それはつまり、あいつ自身がそういうものに縛られていないってことだ。自由過ぎるんだよ、あいつもお前も。」
東山は吐き捨てるように言う。沢尻は頷き、山に視線を移した。
「王が消えた今、緑川はもう動き出してるはずだ。」
「分かっている。だからドッペルゲンガーを使わせた。きっと化け物どもが動いてくれているはずだ。」
「妖怪とUMA・・・・かなりの数で攻めるつもりだろうが、緑川に勝てると思うか?」
「無理だろう。しかし勝てなくてもいい。追い詰めることが出来ればそれでいいんだ。そうなりゃあいつは必ず「こっち」に逃げて来る。そこを俺たちが叩く。」
「あいつもさすがに人間と化け物の両方を相手にしちゃ勝てないか・・・・。しかしそうそうこっちの思い通りに動いてくれるとも思えん。」
沢尻は橋を渡り出し、「俺たちは「向こう」へ行こう」と言った。
「ここは自衛隊に任せればいいさ。」
「じっとしてるつもりはないってか?」
「当然だ。」
「あいつはお前の事を一番警戒してる。だからお前の方から来ることも予想してるだろう。下手にこっちから行けば、返り討ちに遭うかもしれんぞ?」
「今更死ぬのをビビッてられるか。」
「そうじゃなくて、お前が死んだら緑川を仕留めるのが難しくなると言ってるんだ。チャンスが来るまで待つべきだ。」
二人が橋の真ん中で言い合いをしていると、「行きたきゃ行ってこい」と誰かが言った。
「別にお前らなんざいなくても、俺たちだけで充分だ。たかが警官二人いなくなったところで、こっちに支障が出るとでも思ってるのか。」
そう言ったのは鏑木だった。
遺体を回収する部下を見つめながら、チラリと視線を流す。
「もうじき応援も来る。お前らなんか抜けても問題ない。」
不機嫌そうに言って、死んでいった仲間を見つめる。
「おい。」
そう言って沢尻に目を向け、「ここに肉の塊なんてない」と睨んだ。
「こいつら俺の部下だ。化け物から街を守る為に戦ったんだ。分かってるか?」
「・・・・すまない。軽率な言い方だった。」
「お前はアレだろ?緑川と同類なんだろ?」
「よくそう言われる。」
「そうか。ならお前もあいつと一緒にくたばったらどうだ?」
鏑木は小さく笑いながら言う。すると東山が「おい」と食ってかかった。
「こいつがあんたの部下をなじったのは悪かった。しかしな、そういう言い方はするもんじゃないだろう。」
「緑川と同類ってことは、いつアイツみたいになってもおかしくないって事だ。だから俺個人としては、緑川と刺し違えてくれるのが一番うれしい。」
「何言ってやがる。確かにこいつは緑川と似てる所がある。しかしまったく同じというわけじゃない。だからこそ、あいつを仕留めようとここまで来たんだ。」
「同類だからこそ、相手が気に食わんってこともある。」
「だとしても、こいつがいなきゃ緑川はもっと人を殺していた。あんただって奴と戦ったんだろう?あいつが俺たちだけで止められると思うか?」
「思うね。いくら強かろうが、しょせんは一人の人間だ。」
そう言って二人の前まで歩いて来て、「UFOは消えたが、応援は予定通り来る」と頷いた。
「ここへ大部隊が向かってる。前回の戦いとは比べものにならないほどの部隊だ。負けることはあり得ない。」
「UFOが消えたのに大部隊が?」
沢尻が尋ねると、「この山を丸裸にする為さ」と答えた。
「UFOは去ったが、まだ油断は出来ない。もし緑川が「こっち」に現れたら、この山ごと焼き払う。逃げ場なんてないくらいに、ミサイルや砲弾が降り注ぐだろう。」
「しかし「向こう」へ逃げられたら・・・・・、」
「その為の化け物との連携だろうが。」
「それはそうだが・・・・・、」
「それにお前らだって「向こう」へ行くんだろう?なら緑川を「こっち」へ追い出すくらいの事はしてみせろ。でなけりゃ奴と刺し違えればいいんだ。」
鏑木は本気でそう言った。
こんなわけの分からない争いの為に、いったいどれほどの部下が死んでいったか。
それを思うと、とても平静ではいられなかった。
「俺たちはな、確かにこの国を守る為にいる。でも化け物と戦う訓練なんざ積んじゃいないんだ。奴らと戦うってことは、死にに行くのと同じようなもんだった。」
遺体袋に回収されていく亡骸を見ながら、「俺だってこうして生きてるのが不思議なくらいだ」と言った。
「昨日の戦いで全滅していてもおかしくなかった。現に米軍の方はほぼ壊滅状態だったからな。」
「ああ・・・。」
「もう御免だよ、こんな事は・・・・・。相手が化け物だろうが、国や国民を守る為だというなら戦うしかない。でもな、俺たちはゴーストバスターズじゃないんだ。
あんなわけの分からない奴らの為に、これ以上犠牲を出してたまるか。」
悔しそうに眉をひそめ、「お前らに愚痴ったところでしょうがないが・・・」と言った。
「もしまた化け物の大群が現れたら、こんな風に死人が出る。その時俺たちが負けてしまったら、さらに大勢の人が犠牲になる。だから・・・・死んでも緑川を仕留めて来い。
それが無理なら「こっち」へ炙り出せ。俺たちが必ず叩き潰してやるから。」
鏑木は強い口調で言う。沢尻の目を睨み、「あいつは生かしておいたら何をしでかすか分からない」と首を振った。
「そうだな。UFOは去ったが、「向こう」が消えた様子はない。ならここで緑川を仕留めないと、あいつは延々と暴れ続ける。」
沢尻も回収されていく遺体に目を向け、小さく黙祷を捧げた。
「俺たちは「向こう」へ行く。あんたは「こっち」で戦う。お互い命懸けで。」
「だから刺し違えろって言ったんだ。死んでも役目を果たして来い。でなきゃこっちから行って、ケツを蹴り上げてやる。」
そう言って踵を返し、遺体が転がる土手に降りていく。
「なああんた!」
「なんだ?」
「娘が世話になったってな。礼を言うよ。」
深く頭を下げると、「助けられたのはこっちだ」と答えた。
「あの子が来てくれなきゃ、もっと大きな被害が出ていた。今はどうしてる?」
「安全な所にいるよ。色々とあって傷ついてるが、でも必ず立ち直る。あいつは俺の娘だからな。」
「そうか・・・・。だったら刑事にだけはならないように言っておけよ。ああいうタイプは無茶をする。きっと長生きできない。」
「散々言ってるよ。でも本人はどうやらこっちに来たがってる。」
「だったらお前が守ってやらないとな。親父がこんなんじゃなけりゃ、もっと別の道に進もうとしたかもしれないのに。」
皮肉っぽくそう言って、もう話すことはないとばかりに去っていく。
東山は「なんなんだあいつは・・・」と顔をしかめた。
「緑川と刺し違えろなんて言っときながら、今度は娘を守ってやれか。いったい何が言いたいんだか。」
「多分・・・・あいつも元々は自衛官になる気はなかったんじゃないか?ただ親の背中を見て育ったから、気がつけばここにいたって口だろう。」
「ならお前の親父も?」
「いや、いたって普通の仕事だった。」
「そうか。ならあいつの言うことの方が正しいかもな。お前みたいな変わり者の親父じゃなければ、早苗ちゃんも苦労しなかったろうに。」
そう言って歩き出し、「早く来こう」と振り返った。
「ああ。でもまだドッペルゲンガーが・・・・、」
「戻って来たよ。」
菱形の鏡を取り出すと、東山の隣にドッペルゲンガーが現れた。
「こいつが戻って来たってことは、化け物どもはすでに戦ってるってことだ。今なら緑川の背後を突けるかもしれん。」
「そうだな。この騒ぎもそろそろ終わりにしないと。」
肉挽き刀を振り、空を切る音を響かせる。
ペケの遺した形見でどこまで戦えるか?この歪な刃で、緑川の腐った魂を切り裂けるか?
死ぬ覚悟はあっても、確実に仕留められる自信はない。しかしそれは、緑川も同じかもしれないと思った。
あいつと自分が似ているのなら、抱えている不安も同じだろうと。
「緑川・・・・俺はお前が怖い。だけどお前も俺を怖がってるんだろう?だったら今すぐ行ってやるよ。」
山を見上げ、完全に顔を出した陽に目を細める。
東山が合図を出し、ドッペルゲンガーは大きく口を開けた。
二人を飲み込み、緑川の待つ「向こう」へと消えていく。
鏑木は橋を振り返り、彼らが健闘してくれる事を祈った。
*
大きな大きな首狩り刀が、死神の鎌のように命を刈り取る。
たった一閃するだけで、周りにいるUMAや妖怪を切り裂いていく。
しかしそれでも化け物は怯まない。数に物を言わせて、緑川に襲いかかる。
殺しても殺しても群がって来る化け物たち。
緑川はイナゴの大群を思い出し、『こいつら虫と一緒だな』と舌打ちをした。
『空から殺虫剤でも撒いてやりたいよ。』
そう言って羽を動かし、鱗粉をばら撒いた。
化け物は鱗粉を吸い込み、激しく嘔吐する。しかしそれでも怯む様子を見せなかった。
敵の数は圧倒的で、緑川は苦戦を強いられる。
しかしどんなに猛攻を仕掛けられても、決して池の傍から離れなかった。
なぜならそこには無数の髑髏が並べられていて、それこそが首狩り刀の力を支える物だったからだ。
すでに100匹以上の化け物を切り裂いているので、刀はどんどん短くなる。
しかし池の傍にいれば、いつだって髑髏を補充できる。柄の部分から伸びた数珠つなぎの髑髏が、池の周りの髑髏を吸い上げて力を保っていた。
刀はゆうに10メートルは超えていて、たった一閃でウェンディゴや牛鬼まで葬ることが出来る。
それにツチノコやのっぺらぼう、スカイフィッシュなどの小型の化け物は、ほんの一振りで10匹は死んでいく。
かつて戦ったUMAや妖怪は、もはや敵ではなかった。
戦い方も倒し方も熟知しているので、いくら多勢で来られても引けは取らない。
しかし中々倒せない厄介なUMAもいる。それがオボゴボだった。
オボゴボは池に浸かり、牙の先から毒を飛ばしてくる。そして池に近づきすぎると、その巨体で水中に引きずり込もうとしてくるのだ。
しかも攻撃を仕掛けようとすると、サッと水中に逃げてしまう。
緑川は鬱陶しそうに舌打ちをして、『虫殺しの槍があればな・・・』と呟いた。
『あれってどこにいったんだっけ?確かミノリに向かって投げて、その後は・・・・・、』
そう言いかけた時、目の前にドッペルゲンガーが現れた。
黒い影のような身体をうねらせながら、手を振って攻撃してくる。
緑川はかがんでそれをかわそうとするが、咄嗟に後ろへ飛び退いた。
なぜならドッペルゲンガーの手の中から、虫殺しの槍が伸びてきたからだ。
『お前が持ってんのか!』
この毒を喰らえばひとたまりもない。緑川は首狩り刀を振り、ドッペルゲンガーを一刀両断した。
そして虫殺しの槍を奪おうと時、斬られたドッペルゲンガーの中から、別のドッペルゲンガーが現れた。
『ちょッ・・・・・、』
緑川は驚き、また後退する。
ドッペルゲンガーは虫殺しの槍を拾い、緑川の喉目がけて突いてきた。
『手品みたいことするなよこの雑魚!』
首を捻ってそれをかわすと、ズボンの後ろに手を突っ込む。
そこから匕首を取り出し、虫殺しの槍を叩き落とした。
ドッペルゲンガーは武器を失い、背中を向けて逃げようとする。
『逃がすか馬鹿。』
首狩り刀を振り回し、逃げていくドッペルゲンガーを切り裂く。
その時、背後に気配を感じて、振り向きざまに斬りつけた。
『ああああああああああああ・・・・・、』
そこには煙々羅がいて、虫殺しの槍を拾おうとしていた。
『これ元々お前の仲間が持ってたんだよな?でも返さないぞ。』
そう言って槍を拾うと、池の上に舞い上がった。
巨大ムカデやモスマンが邪魔をしてくるが、鱗粉を放って嘔吐を見舞わせる。
そして池の中央までやって来ると、わざと水面まで近づいてオボゴボを挑発した。
首狩り刀でバシャバシャと水を叩き、おびき出そうとする。
すると緑川の挑発に引っかかって、オボゴボが顔を出した。
『イイイイイイイイイ!』
姿に見合わない甲高い声で、牙を剥いて襲いかかって来る。
緑川は槍を逆手に持ち、オボゴボの口の中へ投げ入れようとした。
しかし遠くから銃声が響いて、咄嗟に後退した。
『なんだ?もう沢尻が来て・・・・・、』
そう言って銃声のした方を見ると、そこには河童モドキがいた。
ウェンディゴの頭の上で、緑川が隠しておいた機関銃を向けている。
『なんだアイツ。』
緑川は素早く飛び回り、銃弾を回避する。するとそこへオボゴボが飛びかかってきて、毒液を吐いた。
『鬱陶しいなお前。』
サッと毒液をかわし、オボゴボの頬に槍を突き立てる。
『イギイイイイイイイイイ・・・・、』
槍の尖端から毒液が注がれ、オボゴボの体内は一瞬にして腐敗する。
すると緑川の背後から水柱が上がり、またオボゴボが現れた。
『まだいたのか・・・・、』
咄嗟に反転し、虫殺しの槍を振る。するとそこへ機関銃が連射され、羽を撃ち抜かれてしまった。
『あの雑種野郎・・・・・、』
羽に穴が空いたせいで、わずかに機動力が落ちる。
そこへ今がチャンスとばかりに、空を舞う化け物たちが襲いかかってきた。
ウェンディゴも遠くから電撃を放ち、河童モドキは銃を連射する。
空中で四方八方から攻撃を受け、さすがの緑川も狼狽える。
『ほんっと鬱陶しいなお前ら・・・・。』
苛立たしそうに舌打ちをするが、このままでは殺されかねない。
ここはいったん退いて、体勢を立て直そうとかと考えた。
しかし勢いづいた群れにそれをやると、戦いの流れが不利になる。
緑川は『しょうがない』と呟き、追い詰められた時の最終手段に出た。
あえて機関銃の銃撃を受け、大怪我を負ったのだ。
するとその瞬間、首狩り刀の髑髏が巨大化して、周りの化け物たちに襲いかかった。
断末魔の叫びを上げながら、無念のうちに殺された苦痛を吐き出す。
オボゴボもスカイフィッシュも巨大ムカデも、そして迫りくる弾丸ですら、その呪いによって腐敗していく。
呪いは強大で、池の周りの髑髏を消費ながら、どんどん広がっていく。
それは遠くから銃を撃っていた河童モドキにまで迫り、慌てて逃げ出していった。
池の周りはおぞましい髑髏によって埋め尽くされ、地獄の蓋が開いたような、見るのも躊躇われる光景に変わっていく。
緑川はしばらくの間は傷を治さなかった。
血が流れて意識が朦朧とするが、回復してしまえば呪いが終わってしまう。
池の傍に横たわり、地獄の蓋が開いたような光景の中で、じっと目を閉じていた。
四方八方から髑髏の叫びが聞こえていて、逃げまどう化け物の阿鼻叫喚も響いてくる。
彼の周りにいた化け物は全て死に、池の中のオボゴボも息絶える。
しかしそれでもまだ傷を治さず、呪いを放ち続けた。
このまま化け物を圧倒する事が出来れば、戦意を失って逃げ出してくれるかもしれない。
そう願いなら、傷口を押えて意識を保っていた。
《もう・・・・そろそろ限界かな・・・・・。》
傷口から血が流れ、さすがに意識を保つのに限界がやって来る。
死んでしまっては元も子もないので、毒針を打ち込んで治そうとした。
しかし彼の傷が癒える前に、髑髏の叫びが消えた。
《なんだ・・・・?》
どうしたのかと思って目を開けると、呪いの髑髏がある場所に向かって吸い込まれていた。
『あ・・・・・・・、』
緑川は思わず声を上げる。
なぜなら河童モドキが掲げるペケの頭に、髑髏が吸い込まれていたからだ。
『なんで?あいつ死んだんじゃ・・・・・、』
ペケには人の思念を操る力があった。だから髑髏の呪いを吸い込んだとしても、おかしなことではない。
しかしどうして死んだはずのペケが、呪いを吸収しているのか?
緑川は傷が癒えるのと同時に立ち上がり、河童モドキを睨みつけた。
『あの雑種・・・・やっぱ普通の化け物じゃないな。』
ペッと唾を吐き、朦朧とする頭を叩く。
血を失った分目眩がするが、今はよろけていられない。
首狩り刀を構え、呪いが吸い込まれていく様子を眺めた。
やがて全ての呪いが吸い込まれ、死んだはずのペケの顔が震え出す。
すると河童モドキは驚く行動に出た。
なんと自分で自分の頭をもぎ取ってしまったのだ。
河童ともチュパカブラとも付かない頭が、ごろりと地面に転がる。
河童モドキは頭を失い、首の先から千切れた骨が伸びていた。
そしてその千切れた骨の先に、ペケの頭を乗せた。
するとペケの頭からも骨が伸び、河童モドキの骨と結合した。
『おい・・・・なんだよそれ・・・・、』
さすがの緑川も慄き、一歩後ずさる。
結合した骨は、河童モドキとペケの頭をしっかりと繋ぐ。
そして骨の周りに肉が付き、皮膚まで再生した。
『・・・・・・・・・・・・。』
緑川は顔をしかめ、無言で立ち尽くす。
こんなの有りなのか?と思いつつ、冷や汗を垂らしながら刀を構えた。
ペケの頭に変わった河童モドキは、その繋がり具合を確かめるように、グルリと頭を動かした。
そしてパンパンと頬を叩き、『おい』と隣ののっぺらぼうに呼びかけた。
『頭持っといて。』
そう言われて、のっぺらぼうは河童モドキの頭を拾う。
『ちゃんと持っててな。』
指を差しながらそう言って、緑川の方に目を向ける。
『・・・・お前、もう終わりだから。』
河童モドキは声までペケに変わっていた。緑川はさらに慄き、ごくりと唾を飲んだ
『まさか生き返ったとかじゃないよな?』
そう尋ねると、河童モドキは『流石にそれはない』と答えた。
『俺たちの守り神、ペケは死んだ。これはただの頭だから。』
『・・・・でもさっき髑髏を吸い込んでた。それに声までアイツになってるし・・・・、』
『俺がやったの。』
『お前が・・・・?』
『俺、頭が一番重要な部分じゃないんだよ。あんなもんはいくらでも取り換えられるから。』
『だったらどこに身体の中心があるんだ?心臓か?それとも腹?』
『教えるわけないだろ。馬鹿じゃないのお前。』
そう言ってペケの頭を叩き、『俺は死んだ身体を再利用できるんだ』と答えた。
『ペケは死んだけど、でも頭は不敗せずに残ってる。俺の粘液をぶっかけて保存してたから。』
『粘液で保存・・・・・?』
『空気に触れなきゃ腐らないだろ?薄い膜みたいに張り付かせて、この頭を保存しといたわけ。まあ真空パックと一緒だな。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『例えばさ、人間でも臓器移植とかするだろ?アレと一緒だよ。使えるパーツを再利用してるだけ。』
『でも・・・・頭をくっ付ける前に髑髏を吸い込んでたじゃん?』
『まああれくらいなら結合しなくても出来るよ。こうやって爪を指せば、部分的に繋がれるから。』
そう言って、頭に爪を突き立てた。
『これでお前の切り札である、髑髏の呪いを封じたってわけ。ペケにはそういう力があったから、頭さえ再利用できるなら俺にも可能なんだよ。』
『・・・・・ほとんど反則だなそれ。』
『どこが?さっきも言ったけど、人間だって臓器移植をするんだ。そして移植は人間の専売特許じゃない。俺たちだって出来るんだよ。』
そう言い返され、緑川は黙り込む。
『もうお前に手は残されていない。切り札が通用しないんじゃ勝てないだろ?』
『そんな事ないよ。まさか化け物が機関銃を撃つなんて思わなかったから、ちょっと焦っただけだ。次にあんな奇襲が通用すると思う?』
そう言って池の周りの髑髏を吸い上げ、首狩り刀を大きく伸ばした。
その長さは15メートル以上あり、『これが短くなるまで、いったいどれだけ殺せると思う?』と笑った。
『きっとお前は、池の周りの髑髏を吸い取る事も出来るんだろう?』
『出来るよ。かなり時間がかかるけど、やれない事はない。』
『でも首狩り刀の髑髏は無理だ。呪いになって放たれれば別だけど、数珠繋ぎになってる状態じゃ吸い取れない。もしそんな事が出来るなら、とうにやってるだろうから。』
『それがどうした?』
『簡単な事じゃんか。お前は池の周りの髑髏を吸い取れる。でも時間がかかる。なら俺はその間にお前らを殺しまくる。』
『そうだな。』
『お前が池の周りの髑髏をすい尽くす頃、もう仲間はいない。全部俺が殺すからな。その時、お前は一人で俺と戦わないといけない。勝つ自信がある?』
『さあね?』
『強がるなよ。ビビってるんだろ?』
緑川は挑発的に笑う。しかし河童モドキは小さく首を振った。
『お前・・・・やっぱ馬鹿だな。』
『何が?』
『お前が相手にするのはUMAや妖怪だけじゃないってこと・・・・忘れてないか?』
河童モドキはそう言って、緑川の後ろに目をやる。
その視線に釣られて緑川も後ろを向いた瞬間、身体に何かが纏わりついた。
『なんだ・・・・?』
見てみると、背中から足元にかけて、べっとりとした粘液が絡まっていた。
羽にもたっぷりと絡んでいて、歩く事も飛ぶ事も出来ない。
『お前・・・・・、』
緑川は眉間に皺を寄せ、まとわりつく粘液を睨む。
『古臭い手え使ってんじゃねえよ。』
そう言って首狩り刀を振り回し、河童モドキに投げつけた。
しかしその瞬間、背後から銃声が響いた。
ギン!という金属音が響き、投げた首狩り刀が撃ち落とされる。
『・・・・・・・・・・・。』
緑川は落ちた刀を睨みながら、ゆっくりと後ろを振り返る。
彼の複眼に、最も警戒すべき男の姿が映った。
- 2016.04.13 Wednesday
- 09:36
誰にだって疑問はある。不思議に思うことはある。
特に幼い子供の頃は、何もかもが不思議に見える。
虫捕りの最中に妖精を見たとか、知らない道を歩いていたら、別の世界へ出たとか。
それらはただの錯覚に過ぎないが、万物を不思議に思う心は、確かにある。
緑川鏡一は、亀池山の頂上で幼い頃を思い出していた。
この世が不思議に満ち、何もかもが未知なる世界に映っていた時のことを。
思えば物心ついた時から、強烈にある疑問を抱いていた。
『命って何だ?』
命とは生き物がもつモノであり、それを失うと死ぬ。
歳と共にそれを理解するようになったが、実感がなかった。
自分はこうして生きていて、他人も同じように生きている。
息をして、飯を食って、風呂に入ったり買い物をしたりする。
それは生きているから出来ることであって、死ねば何も出来なくなる。
でも・・・・本当にそうなのか?
死んでしまうと、本当に何も出来なくなるのか?
逆に、生きていると何でも出来るのか?
命さえあれば、どんな願いでも叶えることが出来るのか?
そんな疑問は子供心に強く残り、消えることのないままに大人になった。
やがてナイフ好きが高じて、それで人を殺してみたくなった。
生きている人間を殺すとどうなるのか?
ナイフを実戦で使いたいという欲求と共に、そういう思いも抱いていた。
しかし人を殺したところで、何も理解出来なかった。
殺せば確かに動かなくなるが、それは機能を停止しているからであって、壊れた機械と大差ない。
一人殺しても二人殺しても、壊れた機械のように動かなくなるだけ。
やがて緑川は、命というものに懐疑的になった。
『自分以外の生き物は、本当に命を持っているのか?』
そういう疑問が湧き上がり、周りは全て作り物にしか見えなくなった。
しかし心のどこかで、生きているのが自分だけのはずがないと思っていた。
だがそんなわずかな思いは、アチェとの出会いで変わってしまった。
彼女に導かれ、「こっち」で戦うようになり、数多くの化け物を切り裂いた。
そして首狩り刀を大きくするために、何百人という人間の首を刎ねた。
戦えば戦うほど、殺せば殺すほど、相手はただ動かなくなるだけ。
死んだ肉体は人形のようで、ただの物にしか見えない。
そうやって多くの命を刈り取っていくうちに、緑川はなるほどと思い当たった。
生き物というのは、何度殺しても、そして幾つ殺しても、結局は壊れた機械のように動かなくなるだけなのだと。
ということは、どんな生き物も命など持っておらず、まるで生き物のように振る舞っているだけの、機械人形なのだと。
確かにどの生き物も、自分と同じように息をして、飯を食い、痛みを感じたり苦しんだりする。
しかしそれは、そうプログラムされただけの、安易な機械なのだと気づいた。
『自分以外のすべての命は紛い物。生き物に似せて作られた、ただの人形』
そんな人形を誰が作ったのかは知らないが、そんな事はどうでもよかった。
神だろうが仏だろうが、悪魔だろうが異星人だろうが、人形の作り主などどうでもいい。
問題なのは、自分以外のすべてのモノは、命など持っていないという事だった。
この宇宙がどこまで広がり、どれだけの星に生き物がいるのかは分からない。
しかし少なくとも、今この地球上においては、自分以外に生き物などいないと思っていた。
自分はこの星でたった一つの生命。それは何にも代えられない素晴らしいものである。
であるにも関わらず、その素晴らしい命を奪おうとする者達がいる。
ただの人形のくせに、この星でたった一つの命を刈り取ろうと目論む者達がいる。
緑川は頂上の崖に立ち、南へ連なる山々を睨んだ。
そこには黒い太陽が浮かんでいて、その下を化け物どもが行進している。
まるで百鬼夜行のように、うるさいほど喚きながらこちらを目指している。
『作り物のクセに・・・・・、』
命を持たない人形たちが、何を勘違いしてか戦いを挑んでくる。
緑川は化け物たちの方へ向かって唾を飛ばす。
そして「向こう」へ戻り、麓の町並みを見下ろした。
田んぼと民家が並び、その手前に川が流れている。
川の傍には土手があり、一本の道が通っていた。
その一本道を、戦車や装甲車が連なっている。銃を持った歩兵もいるし、大きな護送車のような車も走っている。
それは真っ直ぐに麓を目指していて、これから戦争でもするかのような物々しさだった。
空には戦闘機やヘリも飛んでいて、轟音を立てながら飛び抜けていく。
緑川は「こっち」へ戻り、『クズばっか・・・・』とうんざりした。
『人間も化け物も、なんで俺を殺そうとするんだ?工場の機械と大差ない連中のクセに、なんで生き物の俺を殺そうとする?こんなの間違ってる。』
そう言って池の傍へ歩き、首狩り刀を手に取った。
池の周りには、UFOがばら撒いた無数の髑髏が置かれている。
まるで花壇の生垣のように、池の周囲に綺麗に並べられていた。
緑川は花を植えるように、丁寧に髑髏を置いていく。首狩り刀で地面を掘り、種でも撒くように並べていく。
やがて池を一周して、髑髏の輪が繋がる。
その髑髏の輪は、一つだけではない。全部で三つの輪が、池の周りを囲っていた。
そして最後の髑髏を並べ終えると、『疲れた・・・・』と呟いた。
『首狩り刀は、人の首を落とせば落とすほど強くなる。それは髑髏が刀の力になるからだ。でもこんなに髑髏があるなら、わざわざ人の首を落とさなくてもいいかもしれない。』
そう言って、池の周りに並べた髑髏を眺めた。
『二千個近くあるんだ。これだけあれば、俺を殺そうとする奴らを皆殺しに出来る。』
最後に並べた髑髏を睨み、そこに首狩り刀を突き刺す。
その状態でしばらく放置していると、変化があった。
刀に刺された髑髏が砕け散り、刀身へと吸い込まれたのだ。そして柄の髑髏が一つ増えた。
『あは!』
緑川は手を叩いて喜ぶ。髑髏さえあれば刀が成長するという事が分かって、嬉しそうにはしゃいだ。
『王は良い物を残していってくれた。こんなもん持ってても邪魔だから捨てたんだろうけど、でも俺にとっちゃ宝だ。』
そう言って、また並べた髑髏に刀を突き刺す。
すると次々と髑髏を吸収していって、刀はたちまち大きくなった。
『いいぞ。でもあんまり大きくなると使いづらいから・・・・・っと。』
刀を持ち上げ、空を一閃させる。
『・・・・・うん。振れないことはないな。』
首狩り刀は、その長さが五メートルにまって達していた。しかしまだまだ髑髏は残っていて、もっと大きくすることが出来そうだった。
『これは機関銃の弾と一緒だ。乱射してたらすぐに無くなる。大事に使わないと。』
大事な弾丸を敵に奪われては困る。緑川は大量に鱗粉を巻き、髑髏の上に降り注がせた。
『こんだけ撒いとけば手は出せないだろ。』
そう言って、一仕事終えたようにうんと背伸びをする。もう準備は万端とばかりに、大地に寝転んだ。
『王は去っていった。でもまだ「こっち」は残ってる。きっとどこかの誰かが「こっち」を維持してるんだろうな。』
そう呟いて、遠くに浮かぶ黒い太陽を睨んだ。
『どうもあの太陽が怪しいんだよなあ。あれってきっと、化け物どもの親玉なんだろうな。妖怪やUMAを守る為に、「こっち」を存続させようとしてる気がする。
まあそれは俺にとってもありがたいけど。』
黒い太陽からは、とてつもなく大きな力を感じる。それは「墓場の王」にさえ匹敵するほどだった。
『こっちへ向かってるけど、敵意は感じないんだよな、あの太陽・・・・。戦う気は無いってことか。』
しばらく黒い太陽を睨んでから、『あれは相手にしなくていいや』と寝そべった。
『あの太陽には勝てる気がしないけど、でも襲って来ないなら問題ないだろ。』
緑川は空を睨みながら、ゆっくりと目を閉じた。
『あの黒い太陽、なんか王と似たような雰囲気を感じる・・・・。きっとあれも、大昔に宇宙からやって来たんだろうな。
多分・・・いや、きっと・・・この星にはそういう奴らがまだいるはずだ。そいつらは生きてるのかな?俺と同じように、命を持ってるんだろうか?』
思いを馳せながら、目を閉じて触覚を立てる。
化け物たちはどんどん近づいていて、あと20分ほどでここに到達するだろう。
ピンと立てた触覚は、その数が圧倒的であることを感じていた。
しかしほとんどの化け物が戦ったことのある者ばかりで、特に脅威に思うことはない。
ミノリやペケがいない今、脅威となる妖怪やUMAはこの山にいなかった。
しかし化け物の大群の中に、一つだけ覚えのない気配を感じた。
それは河童に近いが、少し違う気配も混じっている。
『なんだこれ、チュパカブラか?・・・・・違うな、初めて感じる気配だ。』
身体を起こし、迫り来る化け物の大群を睨む。
『・・・・・・気味悪いな。なんだこいつ・・・・・、』
今までに感じたことのない、異様な気配。緑川は刀を握り、木立の中へと駆けこんだ。
そこには機関銃とロケットランチャーを隠していて、『よいしょ』と言いながら引きずり出した。
『自衛隊の残骸から拾って来たけど、役に立ってくれよ。』
得体の知れない敵が迫っている今、じっとしていられない。
こちらから攻撃を仕掛けて、様子を窺うことにした。
ロケットランチャーを構え、空中に舞い上がる。
そして自分から化け物の大群に近づき、武器の射程内にまで入った。
『・・・・あいつか。河童でもチュパカブラでもない。・・・・まるで二つの雑種みたいな・・・・・、』
そう言いかけて、『・・・・・ああ!』と何かに気づいた。
『あいつら・・・・手を組んだのか。殺し合うほど仲が悪かったのに、子供なんか作ってやがる。これまずいな・・・。』
ここへ来て、緑川はある誤算に気づいた。
妖怪とUMAが大群で襲って来ようとしているのは、利害の一致のせいだと思っていたのだ。
『俺の事が邪魔だから手を組んだのかと思ってたけど、そうじゃないらしい。あいつら和解しやがったんだ。妖怪とUMAは共存関係を築こうとしてる。これ厄介だな・・・・・。』
もし利害の一致で共闘しているだけなら、手の打ちようがある。
最悪はどちらかの味方をしてやれば、同士討ちをさせることも可能だと思っていたからだ。
しかし共存関係を築こうとしているのなら、それも無理である。
妖怪とUMAは完全に手を組み、「こっち」の世界を守ろうとしているのだから。
『・・・・となると、あいつら人間とも手を組んでる可能性があるな。河童は以前に俺を援護してくれたから、人間には好意的だし。』
緑川は考える。本気で戦えば、あの化け物の群れに勝てないわけではない。
しかしそこへ人間が介入してくるとなると、これはかなり不利になる。
『UMAや妖怪と戦ってる間に、沢尻どもに背後を突かれるのは痛い。それに「向こう」へ逃げたって、きっと自衛隊や警察が待機してるはずだし・・・・、』
自分が完全に孤立してしまっている事に気づき、どうしようかと悩む。
『・・・・ミノリを殺すのは早過ぎたかもしれない。あいつがまだ生きてれば、俺だけに攻撃が集中することもなかったから・・・・・。』
ミノリがいないということは、残された敵は自分だけということになる。
そうなれば人間も化け物も、お互いに手を組んで討ち取りに来ることは目に見えていた。
『偶然こんな結果になるわけがない。どこかで糸を引いてる奴がいるはずだ・・・・。沢尻か?それともケントか?』
いったい誰が仕組んだ事かと考えた時、ふと背後に気配を感じた。
『誰?』
思わず振り向くと、そこにはよく知る顔がいた。
『・・・・・・アチェ。』
目の前にアチェがいた。初めて会った頃のように、不適な笑みを湛えながらこちらを見ている。
『・・・・・ああ、これはお前の描いた絵か。お前がここまでお膳立てして・・・・、』
そう呟いた時、アチェは池の方へと飛んで行った。
『おい。』
緑川はそれを追いかけ、池の傍に降りた。
『お前・・・・沢尻の中から抜け出して来たのか?』
『・・・・・・・・・。』
アチェは微笑みを残したまま、池の周りを囲う髑髏を見つめる。
『あんたはまだこんな事をやってるのね。』
『こんな事?』
『・・・人の頭をこんなに並べて、それで刀を強くして・・・・それって何の為?』
『決まってるじゃん。俺を殺そうとする奴を殺す為だよ。』
『そうね。あんたは誰からも嫌われてるから、みんなが命を狙ってるわ。』
『だから困ってるんだよ。別に嫌うのは構わないけど、どうして殺そうとするかな?放っといてくれればいいじゃん。』
『あんたを放っとくと、何をするか分からないじゃない。』
『喧嘩を売るから勝ってるだけだ。別に俺は野望なんてないし、世の中をどうこうしようなんて思いもない。UFOだって結局手に入れなかったし、王だってもうここにはいない。
だったらもう何もしなくていいじゃん。』
緑川は不満そうに言う。いったい自分のどこに非があるのかという風に。
『合理的じゃないよ。俺と戦ったって死者が増えるだけだ。だったら放っとくのが一番だ。化け物も人間もアホだよ。所詮作り物だ。』
『じゃあどうする?誰とも関わらないで、たった一人で生きて行くの?』
『さあね。分からないけど、必要以上にこっちから関わることはないよ。』
『嘘言うんじゃない。』
アチェは笑みを消し、強い口調で睨みつけた。
『あんたは必ず誰かを殺す。人間でも化け物でも、遊び半分で殺すに決まってる。』
『うん。』
『だから嫌われるのよ。あんたみたいなのは誰も受け入れない。変わるチャンスはあったはずなのに、最後まで変わろうとしなかった。』
『だってみんな作り物なんだもん。人形に囲まれて生活して、いったい何が楽しいの?壊すなら面白いけどさ。』
『あんたは死ぬしかない。もし生きていたいのなら、誰とも関わらないこと。それが出来る?』
『ああ、一人で生きろってこと?』
『そうよ。でもそうやって生きたとしても、それはきっと虚しい事よ。何をするわけでもない、何を生み出すわけでもない。たった一人で死ぬまで息してるようなもの。
そんな人生に意味がある?いくらあんたでもきっと耐えられなくなって、必ず誰かに関わろうとする。そしてまた殺しを始める。分かり切ってることよ。』
そう言って緑川に近づき、『これが最後よ』と尋ねた。
『偉そうにあんたの事を批判してるけど、私だって許されない事をした。あんたに手を貸して、多くの人間を殺したんだもの。』
『共犯だよ。』
『そうね・・・。そしてあんたを「こっち」に招いたのも私。だから私にも責任がある。』
アチェは手をかざし、首狩り刀を奪い取る。それを緑川に向けると、『一緒にいてあげるわ』と言った。
『一人で生きていたら、きっと殺しを繰り返す。だから私が一緒にいてあげる。』
『何が?』
『ここであんたの首を落とさせてちょうだい。その後に私もこの身体を捨てる。』
『心中ってこと?』
『違うわ。肉体を捨てて、王と一緒にこの星を出ようって言ってるの。』
そう言って遠い空に目を移し、『今ならまだ間に合う』と呟いた。
『身体を捨てて、思念だけになるの。そして王の一部にしてもらう。』
『一部って・・・・それは嫌だよ。どの部分になるか分からないじゃん。』
『心配しないでいいわ。ちゃんと意識は残る。私とあんたで、ずっと宇宙を漂えばいいわ。身体を失えば殺しも出来ない。それに私が傍にいてあげるから、一人にはならない。
だから一緒に生きましょ。遠い遠い宇宙旅行に。』
アチェは触覚を立たせ、目の色を青くした。
『ほんの少しだけね、王の脳を残してある。UFOに追いつくくらいなら思念を保っていられるわ。』
『・・・・・・・・・・。』
『緑川鏡一。もう充分でしょ。好きなだけ暴れ回って、好きなだけ生き物を殺したじゃない。だからもう終わりにしましょ、ね?』
笑みを湛え、ゆっくりと首狩り刀を振り上げる。
すると緑川は『殺したいなら殺せばいいじゃん』と言った。
『いちいち俺に同意を得なくても、バッサリやればいい。その刀がある限り、お前の方が強いよ。』
『無理なの。私にはもうそこまで力は残されていない。あんたが抵抗したなら、それを仕留める力なんてないのよ。』
『そうなの?』
『今・・・・私を殺そうと思ったでしょ?』
『うん。』
『そんな事しても意味がない。あんたは人間と化け物に殺されるか、死ぬまで息をしているだけの虚しい人生を送るだけよ。だからこれが最後、私と一緒に行こう、ね?』
そう言って笑うアチェに、一瞬だけ人間だった頃の姿が重なる。
『もうお終い、お終いなの。良い子だから・・・・・、』
振りかぶった刀を、緑川の首目がけて振り下ろす。しかし彼は『行かない』と答えた。
『俺はどこにも行かない。終わりじゃないし、殺されもしない。』
振り下ろされた刀が、首を刎ねる手前で止まる。
『嫌だよそういうの。俺、生きてるんだもん。作り物のお前となんか一緒に行かない。人形とずっと一緒にUFOの中なんか生きたくないよ。』
『作り物じゃない。私もあんたも生きて・・・・、』
『違う、俺以外はみんな作り物だ。』
『緑川・・・・、』
『何が一人ぼっちだよ。俺しか生きてないんだから、最初から一人ぼっちに決まってるだろ。今に始まったことじゃないよ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『俺はここがいい。宇宙なんて行かないし、UFOにも乗らない。俺はこの世でたった一つの素晴らしい命なんだ。それを邪魔するなら、人間だろうが化け物だろうが壊してやる。
どうせ全部作り物なんだ。俺以外はみんな石ころと同じなんだから。』
『じゃあどうするの?この先もそんな考えで生きていくつもり?馬鹿みたいに戦って、馬鹿みたいに殺し合って、あんたいったい何がしたいの?』
アチェは悲しみとも怒りともつかない声で尋ねる。刀を止めたまま、その答えを待つように緑川を見つめる。
『そういう質問はおかしい。何かしてないと生きていちゃダメってことはないはずだ。俺はここがいい。ここで生きる。』
『でもきっと退屈するわよ?寂しくなるわよ?』
『アチェ、お前は良い人形だったよ。人形の中では一番好きだった。でも人形は人形だよ。石ころと同じで、命なんてないんだ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『俺はここがいい。ここが好きなんだ。ただ死ぬまでここにいるだけでいい。これ・・・・俺の星なんだよ。俺だけが生きてる、俺の為の星だよ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『凄いだろ?俺だけなんだよ、生きてるのは。だから何もしなくていい。たった一つの命だから、それだけで尊いんだ。
生きてるだけで充分なんだよ。この星にいるのは俺だけ。あとはぜ〜んぶ石ころだから。』
『・・・・・・・・・・・・。』
緑川は微笑みながらそう答える。
アチェは刀を下げ、それをポイと彼の足元に投げ捨てる。
その顔はとても悲しそうで、想いが届かないことを嘆くような目だった。
『・・・・・・可哀想に。』
悲しみの表情のまま、アチェはゆっくりと消えていく。彼女が消えた後には一匹のUMAがいて、それは彼女にそっくりの小さなモスマンだった。
『自分の子供に宿ってたのか。』
アチェの思念が抜けた子供は、わけが分からずに首を傾げる。そして緑川を見るなり、『悪い奴』と指を指した。
『お母さんが言ってた悪い奴。』
『なんだよ、まだ兄弟が残ってるじゃん。』
『・・・・・・お父さん?』
『うん。』
『悪い奴。』
『かもな。』
『さよなら。』
子供は怯えたように去っていく。殺されては敵わないとばかりに、すぐに遠くへ消えていった。
緑川は首狩り刀を拾い、目の前に構える。
アチェはどうなったのか?思念が消滅して死んだのか?それとも王を追ってこの星から出て行ったのか?
それは分からなかったが、彼女が最後に呟いた言葉が強く残っていた。
『可哀想に』
いったい何が可哀想なのか?それはきっと、彼女の言う所の『変われるチャンス』とやらを不意にしてしまったことなのだろうと思った。
アチェもケントも、常に優しさの手を差し伸べてくれていた。そんな事くらい、自分でも気づいていた。
それはあの沢尻からも感じたことだった。
この手を掴めば、どこか別の場所に出られる。ここではない違う場所へ行ける。
そういうものに気づきながら、いっこうに態度を変えようとしなかった。だからアチェは『可哀想』と言ったのだろうと。
『知らねえよ・・・お前らの望む俺なんか。』
あの三人が、いったい自分の中に何を見ていたのかは、知る由もない。
しかし自分では気づかない何かを見出し、どうにか変えてやろうとしていたのは分かっていた。
『変わらないから可哀想・・・・・なんなんだろうな、いったい。どうして俺があいつらの価値観に合わせなきゃいけない?』
優しさは欺瞞。
あの三人が差し伸べる手は、ある意味猛毒のように思えた。
その毒にかかったら最後、心を蝕まれ、身体まで朽ちてしまう。
そしてその後は、自分が望まない自分に生まれ変わるだけ。他人が喜ぶだけの、どうでもいい自分が待っているだけだった。
それは虫殺しの槍の毒よりも性質が悪い。あの槍の毒は死ぬだけで済むが、優しさという欺瞞の毒は、本人の望まない自分へと作り変えられてしまう。
もしそんな事になれば、それは他の人間と同様に、命を持たない石ころになるような気がしてならなかった。
『可哀想ねえ・・・・・。そんな事言い出したら、人間なんかみんな可哀想だろ。』
消え去ったアチェの影を追うように、緑川は空を見上げる。
ケントもペケもいなくなり、ミノリもいなくなった。
残るは沢尻だけで、必ずこの命を狙いに来る。
『石ころの分際で・・・・ほんとにさあ・・・・・・、』
先ほどからビンビンと触覚が反応していて、化け物の群れがもうそこまで迫っていることを告げている。
緑川は刀を振り、目の裏に残るアチェの影を切り払った。
『化け物と人間の挟み撃ちか。前も後ろも逃げ場なし。だったらとりあえず・・・・楽な方から潰さないと。』
人間を相手にすれば、沢尻と戦うことになる。
彼の中にもうアチェはいないが、それでも油断のならない相手である。
そして戦うことを避けて通れない相手でもあった。
それならば、まずは目の前の邪魔な石ころを蹴り飛ばす必要がある。
おそらく戦っているうちに沢尻が来るだろうが、その前にどうにか化け物どもの勢いを削がなくてはと思った。
『全滅は時間がかかる。数さえ減らせりゃそれでいい。』
後ろを振り向き、『こんだけ弾丸があるんだから』と髑髏を睨んだ。
やがて黒い光が射してきて、化け物の群れが到来したことを告げる。
『グェッ!』
河童モドキが崖をよじ登ってきて、ペケの頭を掲げた。
『そんなもんいつまでも持ってんじゃねえよ。』
ロケットランチャーを拾い、河童モドキに向ける。引き金を引いて、砲身から爆薬の詰まった弾頭を発射した。
弾は命中し、轟音と共に凄まじい煙が上がる。
しかしどこからか『グェッ!』と鳴き声が響いて、緑川は首狩り刀を構えた。
声は崖の向こうから響いていて、河童モドキが現れる。
しかも牛鬼の頭に乗っていて、全身を透明な粘液で覆っていた。
『生きてんのかよ。まあいいや、こっちなら死ぬだろ。』
そう言って首狩り刀を振り回すと、河童モドキの後ろから大量の化け物が這い出て来た。
次から次へとワラワラと涌いてきて、奇声を挙げながら河童モドキの周りに集結する。
『まとめて死ね。』
緑川は素早く刀を投げる。化け物たちは散開し、その一撃をかわした。
『グェッ!グェッ!』
河童モドキは鳴き続け、それに合わせるように化け物も鳴く。
緑川は刀を戻し、また鎖鎌のように振り回した。
『あのさ、時間かけてられないんだよ。さっさと死んでくれる?』
そう言って二撃目を放つと、河童モドキが粘液を吐いて刀に纏わりつかせた。
『なんだよこれ?汚ねえな。』
『グェ!』
開戦の狼煙とばかりに、河童モドキはペケの頭を放り投げる。
化け物たちは雄叫びを挙げ、憎き死神に群がった。
「向こう」は騒然としていた。
なぜなら亀池山の上空に、巨出なUFOが現れたからだ。
空母のような巨大さ、太陽のように眩い光。
しかもその光は白銀に輝いていて、船体の先には人の顔の像が付いている。
これを見て平静を装うことの出来る人間はいなかった。
UFOは大きく、遠く離れた避難所からも見ることが出来る。
報道のカメラがその姿を捉え、テレビやネットの画面で見ることも出来た。
興奮する者もいれば慄く者もいて、中には神を拝むように祈りを捧げる者もいた。
UFOはゆっくりと動きながら、我が物顔で空を舞う。
山の周りを旋回するように、孤を描いて飛んでいた。
自衛隊の戦闘機はすぐにスクランブル発進して、UFOを攻撃の射程内に置いていた。
四機の戦闘機がUFOを囲うように飛び回り、交信を試みる。
しかし返事はなく、警戒態勢を保ったまま飛び続けるしかなかった。
このUFOが超文明の産物であることは、誰に目にも明らかである。
戦いを挑んでも勝ち目は薄く、かといって交信も出来ない。
事態がどう転ぶかは、このUFOの行動次第だった。
日本政府はすぐに閣僚会議を開き、今までの亀池山の事件を鑑みて、もしもの事態に備えて大部隊を投入することにした。
沢尻の話から、あのUFOこそが一連の事件の原因であることは分かっていた。もし暴れられたら、甚大な被害をもたらすことになる。
政府は米軍に協力を頼んだが、あっさりと断られてしまった。
理由は二つあって、一つは前回の戦いで大きな被害を被ったことにある。
自分の国にアレが現れたのなら別だが、他国の為に前回のような被害を被ることは出来ないと言われたのだ。
もし共闘を願いたいのなら、まずは自衛隊が戦い、敵の行動や能力を見極めてからにしろと言われた。
そして二つ目は、新開発した化学兵器を使用したことが、マスコミによってバラされてしまった為だ。
そのニュースは本国にも伝わり、大きな批判を呼んだ。
ベトナムやイラクだけでなく、日本まで戦場に変えてしまう気かと、反戦論者から激しいバッシングを受けた。
化け物を退治するのだから、これは正当な戦いだと主張する声も多かったが、アメリカとしては日本の為に世論を混乱させる気にはなれなかった。
化け物を潰したところで、何かメリットがあるわけでもない。
もしあのUFOがアメリカにとって有益なものならば、それは協力しても構わないと思っていた。
しかし今の時点では、敵か味方かの判断すらつかない。
アメリカはしばらく静観することに決め、その代わりとして、他国がこの件で日本に干渉してくるのを抑えてくれると約束した。
日本は自分たちの力だけで、有事の際に備えなければならなくなった。
もちろん事態が悪化すればアメリカは手を貸してくれるだろうが、そうなるまでの間には、大きな犠牲を払う。
前回の戦いでは、自衛隊も米軍もほぼ壊滅状態に追い込まれた。
ならばもう二度と同じ轍を踏むわけにはいかず、大きな戦力を投入することに決めた。
前回の戦いでは一個中隊規模だったが、今回はもっと大規模な部隊を投入することにした。
使える武器も大幅に広げ、戦争でもするかのような部隊と装備を投入することにした。
しかし戦力が大きくなればなるほど、動きは鈍くなる。
もしもあのUFOが攻撃を仕掛けてきた場合、戦力を集結させる前に、大きな打撃を受けることは目に見えていた。
だから先行部隊として、鏑木が率いる一個中隊、そして沢尻と東山もそれに同行した。
戦車と歩兵、それに装甲車や自走榴弾砲が、亀池山の麓を目指していく。
上空には戦闘ヘリも飛び、応援の戦闘機も駆け付けた。
山の麓へ続く一本道を、自衛隊の車両が列を作って進んでいく。
のどかな田園、ポツポツと並ぶ民家、そんな中を、轟音を立てながら行進していく。
それは場違いな光景にも見えたが、遠くの山には巨大なUFOが浮かんでいる。
景色の中には元々場違いな物体が浮かんでいて、人々の目は全てそちらに向ている。
誰も自衛隊の行進など見てはいなかった。
沢尻と東山は、その列の中にいた。装甲の施された輸送車の椅子に揺られていた。
亀池山へ続く道は、川沿いに遠くまで伸びている。
すぐ横は土手になっていて、河童やチュパカブラの棲む川が流れている。
沢尻は防弾ガラスの窓からその様子を眺め、瞳に川や山を映す。
亀池山は別の山々と連なっていて、その山は遥か遠くまで伸びている。
草木が茂り、木立が鬱蒼としている。
傍を流れる川は、護岸工事が施されている。逞しい植物の種子が、コンクリートの隙間から芽を覗かせていた。
地方ならばどこにでもある光景、どこにでも目にする景色。
しかしこの変哲のない景色の「向こう」には、化け物が蠢く世界が重なっている。
沢尻は遠くに浮かぶUFOを見ようと、ふと上に目をやった。
すると亀池山から続く稜線の上に、陽が重なっているのが見えた。
稜線から半分だけ顔を出し、鋭い陽射しを投げかけている。
沢尻は目を細め、向かいに座る東山に視線を移した。
「化け物は共闘してくれるんだな?」
そう尋ねると、東山は「ああ」と答えた。
「お前が言っていた河童モドキとやらが、こちらの申し出に応じてくれたよ。緑川を討つために、自分たちも戦うと。」
「そうか・・・・。」
「緑川は完全に追い詰められている。人間も化け物も敵に回し、そして・・・・・UFOを乗っ取ることにも失敗した。」
「だな。もしあいつが乗っ取てるなら、UFOはとうにこの星を去ってる。これみよがしに「こっち」で遊覧することもないだろう。」
「あいつはもう何もかも失ってる。きっと王の心臓や脳でさえ失くしてるはずだ。」
「お前もそう思うか?」
「UFOが乗っ取れなかったってことは、そういう事なんだろう。しかし不思議だな。そこまで追い詰められても、なぜかあいつが死んでるとは思えない。
根拠はないが、確信が持てないんだ。」
「お前も「向こう」で戦ううちに、だんだんとそういう勘が備わってきたみたいだな。」
沢尻は可笑しそうに笑う。しかし東山は「そんなもんは欲しくないな」と言い捨てた。
「俺は人間だ。お前らの仲間入りなんぞしたくない。」
「俺だって今は人間だぞ?」
「馬鹿を言うな。お前の中にはアチェが宿ってるんだろう?」
「まさか。」
「緑川はそう言ってたじゃないか。あいつが見誤るなんて考えられない。」
東山は鋭い目を向け、「どうなんだ?アチェはまだ生きてるのか?」と尋ねた。
「はっきり言ってあの女も信用出来ん。あいつだってある意味ミノリと同様だ。目的の為なら手段を選ばない化け物だろう?」
「確かにそうだが、しかし彼女はもう生きてはいない。俺の中に彼女はいないよ。」
「しかし緑川はそう言って・・・・・・、」
「残り香だ。」
「何?」
「アチェはもういない。・・・・俺が生き返ったのは、彼女の残り香がそうさせただけだ。」
そう言って窓の外に目をやり、「アチェは自分で死を選んだ」と呟いた。
「俺が生き返った時、確かに彼女の存在を感じた。しかし今はまったく無い。」
「・・・・・自分で死を選んだって・・・・・あいつがそんな事をするか?」
「アチェはきっと、王の脳のおかげで思念だけ保ってたんだろう。それを緑川が吸い込み、ミノリが吸い込んだ。
彼女は死んでなんかいなかったんだ。ただ・・・・チャンスを窺っていた。」
「チャンス?」
「緑川を討つチャンスだよ。アチェだって気づいてたはずだ。ミノリよりも、緑川の方が遥かに厄介だと。そして緑川を倒すには、あいつを孤立させる必要があった。」
「なるほど。もしミノリが生きている状態だと、いつ邪魔をしてくるか分からないってことか?」
「ああ。緑川を倒す上で、ミノリは障害になる。俺たちが争っているうちに、漁夫の利とばかりにUFOや王をかっさらう危険があった。
だからまずはミノリを潰す必要があった。しかしその途中で俺がくたばっちまった。これはアチェとしては頂けない事だ。
だからわざわざミノリの中から出て来て、俺を生き返らせるのに力を貸したってわけだ。」
「じゃあもしお前が死んでいなければ、アチェがミノリを殺していたと?」
「おそらくな。王の脳を吸い込んだ時点で、アチェはミノリの中に宿ることになる。」
「王の脳には、死者を宿らせておく力があるのか?」
「死者じゃない。意識だ。」
「違いが分からん・・・・。肉体が無くなれば、死んだも同然だと思うが。」
「でもそう考えるとしっくり来る。アチェは王の脳を宿していたから、その力を知っていたんだろう。対してミノリは、王の脳の力を知らない。だから安易に吸い込んだんだ。」
「なら・・・・それはアチェの思うツボだったと?」
「だと思う。アチェはミノリの頭に入り込み、中から乗っ取るつもりだったんだ。完全には無理だとしても、半分くらいなら操れるかもしれない。
そうなれば、ミノリは本来の力を発揮出来なくなる。そんな状態で戦えば、緑川に殺されるか、人間に討たれるかのどっちかだ。」
「・・・・そうやってミノリを死に追い込み、緑川を孤立させる。あとは俺たちと化け物が手を組み、緑川を討てばいいと?」
「そうだ。今までのことは、全てアチェの手の平の上ってわけだ。」
「・・・・化け物の描い絵に、俺たちは踊らされていたのか・・・・・。」
「孤立した緑川を、人間と化け物で挟み撃ちにする。今、まさにそういう状態になってる。アチェの思い描いた通りになってるんだ。
だから・・・・彼女は死んだ。もう役目を終えたとばかりに、俺の中から消え去ったよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「アチェは最後の最後、俺を生き返らせるのに力を使った。本当ならミノリを乗っ取るのに使うはずだった力を、俺に託したんだ。」
「・・・・だから残り香か。」
「ああ。」
「そしてすぐに消えたと?」
「そうだ。だから今の俺は普通の人間だ。お前が嫌うような化け物じゃないぞ。」
沢尻は稜線の陽射しに目を細める。なんの変哲もないこの山が、どうしてここまで大きな騒動を巻き起こすことになったのか?
それは化け物のせいか?UFOのせいか?それとも「向こう」という世界があるせいか?
答えははっきりしなかったが、それでも分かることがあった。
ここまで凄惨な事件になってしまったのは、多くの人間が関わってしまったからだろうと。
ペケもアチェも元は人間で、それは「墓場の王」でさえ同じだった。
元は人間だった者、今でも人間のままの者、そうやって多くの人間が関わってしまった為に、大量に死人を生み出す騒ぎになってしまった。
誰もが触れてはいけない物に手を伸ばし、しかもその場所から離れようとしなかった。
沢尻は考える。
この凄惨な事件の一番の原因は、『静観出来る人間』が一人もいなかった為だろうと。
遥か昔、ムメ・アランという一人の人間が、UFOによって連れ去られた。
彼を連れ去った異星人は、すぐにムメ・アランを地球へ戻してやるつもりだったのだろうと思った。
争いや嘘を知らなかったというその異星人が、ムメ・アランを酷い目に遭わせるとは思えない。
興味本位でこの星に立ち寄り、興味本位で人間に触れてみただけ。
だから騒ぎを起こすつもりなど毛頭なかっただろうと。
しかしムメ・アランはUFOを乗っ取った。異星人に殺し合いをさせ、大きな力を我が物とした。
そしてよせばいいのに、何の気紛れかこの星に戻ってきた。挙句の果てには、着陸に失敗して人身事故まで起こすという始末。
その事故が元で、アチェが関わり、ペケが関わり、ミノリが関わり、そして緑川や自分が関わった。
まったくもって人間とは、いらぬ騒ぎばかり起こす生き物だなと自嘲した。
「・・・・なんで人間ってのは、静観することが出来ないんだろうな?」
その呟きに、東山は眉を寄せる。
「もしかしたら・・・・もしかしたらだが、この騒動に関わった人間の、誰か一人でも静観していることが出来たなら、ここまでの騒ぎにはならなかったんじゃないかと思うんだ。」
「それはどうかな?俺たちのうちの誰かが静観していたとしても、他の誰かが関わるだけだ。」
「・・・・正論だな。結局人間は、何にでも首を突っ込んで、何にでも手を触れたがる、子供みたいな生き物なのかもしれない。
その好奇心で何度も痛い目を見てるはずなのに、態度を改めようとしない。戦争しようが、自然を破壊しようが、そんなのは時間と共に忘れやがる。
頭が割れるほどの二日酔いになったって、三日もすりゃまた大酒を喰らうんだ。・・・・学ばない。いや、学んでもすぐ忘れる。それが人間だよ。」
自嘲でも自虐でもなく、沢尻は本心からそう言った。
悪いのはUFOでも化け物でもなく、尽きることのない好奇心を抱く人間だと。
欲望とも違う、思想や信念とも違う。
何かに興味を惹かれ、手を伸ばして触れてみる。
そんな些細な好奇心こそが、人間の持つ一番の毒なのではないかと。
動物も植物も、そして化け物でさえも、不要なことはほとんどしない無精な生き物である。
なのに人間だけが、無用な事に力を注ぎ、無用な事に手を伸ばす。
人間を死に誘う一番の毒、それこそが好奇心。そしてその好奇心は、人間が人間である限り消えることはない。
陽射しに目を細めながら、死にもの狂いでこの事件を終わらせたところで、それがいったい何になるのだろうと考えた。
もしかしたら、緑川を仕留めることは可能かもしれない。
しかし先ほど東山が言った通り、誰かが静観しても、他の誰かが手を触れたがる。
だからいつかまた、緑川やミノリのような者が現れ、世を乱す災いを振り撒くのだろうと思った。
「人が死に・・・・恐怖と悲しみが広がって・・・・俺たちみたいな奴がそれを阻止しようとする。ずっと昔から続いている構図だ。何も変わりやしないのかもな・・・・。」
すると黙って聞いていた東山が、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「刑事を辞めて哲学者にでもなるか?」
「ん?」
「ほら、ニーチェとかいう哲学者は、そうやって頭がイカれて自殺したんだろう?だからお前も哲学者になるのかと聞いてるんだ。」
「まさか、自殺は望んでいない。ただ同じ事を延々と繰り返して、それに何の意味があるのかと・・・・・、」
「生きている。」
「・・・・・?」
「こんな大きな騒動に巻き込まれ、化け物や死神と戦いながらも、俺たちは生きている。死んでるわけじゃないんだ。」
「そうだな。誰が見ても当たり前のことだ。」
「その当たり前ってやつを、俺たちは大事にしなきゃいけない。当たり前が当たり前じゃなくなったら、死人が生きて、生きてる人間が死んだような世界になっちまう。」
「・・・・・・・・・・。」
「そんな世界はごめんだよ。死人が生きてる人間を押しのけて、我が物顔で歩く世界なんて・・・・まだミノリや緑川と戦ってた方がマシだ。」
そう言って、沢尻の後ろにある窓を睨んだ。
流れて行く景色を見つめながら、沢尻と同じように目を細める。
「俺たちは生きている。当たり前のことだが、でもそれは大事なことなんだ。なぜ大事かというと、俺たちにはやるべき事があるからだ。
ペケも死に、ミノリも死に、アチェまでくたばったってのに、まだしぶとく生き残ってる奴がいる。しかもそいつは、誰からも嫌われる恐ろしい死神だ。
そいつを生かしておいたら、きっと当たり前の事が当たり前じゃなくなる。だから俺たちは、緑川を仕留めなきゃいけない。こうして・・・・当たり前に生きてるんだから。」
東山は銃を握りしめ、「あいつにこの弾丸をぶち込むまでは死ねん」と言った。
「それはお前だって同じはずだろう?その歪な刀で、あいつの首を刎ねるまでは死ねないはずだ。」
そう言って沢尻の持つ肉挽き刀に目を向ける。さらにその隣には、骨切り刀が横たわっていた。
刃は茶色く錆び始め、足で踏んだだけでも折れそうなほど腐っていた。
「その刀は、生き物に似た性質があるんだったな?確かミノリの分身から出来るんだとか?」
「ああ。」
「あれだけ強い武器だったのに、酷い有様だ。俺の家の包丁よりも錆びてやがる。でもまだ形は成している。全身が錆びに侵されても、まだ武器として形を残してる。
死人になって生きるってのは、きっとそういうことだ。見ちゃいられないくらいに、汚くておぞましい事なんだ。」
「やけに語るな。もっと寡黙な男だと思ってたに。」
沢尻は小さく笑いかける。東山は憮然と鼻を鳴らした。
「そうだな。普段はこんなにペラペラ喋るわけじゃない。でもな、腑抜けみたいなことを言うお前なんざ見たくない。今のお前は、腐りかけた骨切り刀と同じだ。
どんなに切れ味が鋭くても、そんなんじゃ戦えないだろう?」
「・・・・・・・・・・・。」
「これから緑川と最後の喧嘩をしようってんだ。泣き言みたいな屁理屈は聴きたくない。」
そう言って沢尻から視線を逸らした。
「なあ沢尻・・・・。」
東山はそっぽを向いたまま尋ねる。
「ん?」
「友達少ないだろ?」
「よく分かるな。偏屈だし、それに理屈っぽいんで鬱陶しがられる。」
「だろうな。」
東山は目を動かし、チラリと沢尻を見る。
「もし緑川を仕留めたら、いくらでも屁理屈を聴いてやるよ。酒でも飲みながら。」
そう言ってほんの少しだけ笑い、すぐに真顔に戻った。
沢尻はポリポリと頭を掻き、「お前も友達が少なさそうだな」とにやけた。
「うるさい。友人なんてのは、本当に信頼できる奴だけでいいんだ。馬鹿みたいに集まって騒ぐのは好きじゃない。」
「ならこれが終わったら飲みにでも行くか?飲み代はあの長官の名前で領収証を切っとけばいい。」
「そりゃ名案だな。」
冗談を飛ばしながら。二人は子供のように笑い合った。しかしすぐに静けさが戻る。
「・・・・河童モドキはこっちの動きに合わせるとさ。」
東山がポツリと呟く。
「そうか。なら俺たちは好きに暴れていいわけだ?」
「ああ。今お空を飛んでるUFOは問題じゃない。あんなもんは、ほっときゃいずれいなくなる。」
「だろうな。駅のホームで立ち尽くしながら、旅立つ故郷を眺めてる感じだ。多分もう・・・・戻って来ないだろう。」
「あれが消えたら、すぐに緑川は動くだろう。そうなったらやる事は一つ、奴の頭に弾丸をぶち込むか、その刀で首を削ぎ落としてやるかだ。」
「肉挽き刀・・・・ペケの形見だ。きっと力を貸してくれるさ。」
「そうだな。それに骨切り刀だってある。もう腐りかけてるが、それでも斬れることは斬れるだろう。きっとミノリの怨念が宿ってる。役に立ってくれるぞ。」
「俺にはこれがある。骨切り刀は譲るよ。」
そう言って腐りかけた骨切り刀を摘まみ上げ、「ほら」と渡した。
「お前・・・・・そんな事やってるから友達が少ないんだよ。」
東山は顔をしかめながら受け取る。
沢尻はニコリと笑い、また窓の外に目を向けた。
陽は少しずつ顔を出し、稜線の上へ昇っていく。その光は強烈で、窓から突き刺すような光が射し込んできた。
その向こうには、もう一つ激しい光を放つ物がある。
白銀の輝きを放つ巨大なUFOが、ゆっくりと空を昇っていく。
二つの光が地上を照らし、大地が鏡のようにそれを反射する。
山の麓には、それと対比するように強い影が伸びていた。
光が強くなればなるほど、影も濃くなる。
二人の目には、その影が死神のおぞましい鎌のように思えた。
*
沢尻達が麓へ向かっている頃、「向こう」では化け物たちが集結しつつあった。
亀池山から連なる、南の方へ長く伸びる山々。
その山々の中で、一等高い頂上に河童モドキがいた。
ペケの頭を掲げ、『グェッ、グェッ!』と喚いている。
その喚きに呼応するように、続々とUMAや妖怪が集まってきた。
ウェンディゴ、煙々羅、ツチノコにのっぺらぼう。スカイフィッシュに巨大ムカデに、モスマンにオボゴボ。
それにチュパカブラや河童に、牛鬼やドッペルゲンガーにミルメコレオ。
他にも多くの化け物が集い、河童モドキの周りを取り囲む。
山の頂上には千匹近い化け物が集まり、河童モドキの掲げるペケの頭に目を向けている。
妖怪にとっての英雄、そしてミノリから捨てられたり、殺されそうになったUMAも、ペケに護られてきた。
ペケはいつだって弱者の味方で、いつだって世の中から弾かれた歪な者達の味方だった。
人間でさえ、ペケに救われた者は大勢いる。
彼のマントに宿っていた人間の思念は、変人や狂人のレッテルを張られて、医療の名の元に拷問を受けていた者達である。
世の中から弾かれる、迫害される、傷つけられる。
そういう者達にとって、ペケこそが唯一の理解者だった。
彼こそが弱者の希望であり、光であり、崇拝に値する神であった。
その神を殺した人間、緑川鏡一。
ペケに護られてきた者達にとって、緑川は絶対に許すことの出来ない存在だった。
かつて妖怪とUMAは対立し、激しく争っていた。
しかしペケの登場で、それは終わった。
ミノリによる妖怪への迫害は無くなり、UMAと妖怪の争いは終わった。
小さな争いやいざこざは今でもあるが、種族を挙げての戦いは無くなった。
完全な対立は血を流すだけで、だからといって完全な共生も互いの良さを失ってしまう。
付かず離れず、お互いのテリトリーを侵さず、必要のない争いはなるべく避ける。
戦いの末に見出した、お互いにとって最も良い距離。
これを維持することこそが、妖怪にとってもUMAにとっても大切なことだった。
そしてその象徴となるのが、河童モドキである。
妖怪とチュパカブラの雑種であるこの生き物は、UMAでありながら、妖怪でもある。
この変てこな生き物こそが、二つの種族を繋ぐ架け橋であり、共存を守る秩序となる。
この山にいる全ての妖怪とUMAは、河童モドキを頂点とし、長くこの地で生きていこうと決めた。
そして本来ならば、ペケの加護の元にそれを成そうとしたが、そのペケはもういない。
これからは自分たちの力だけで、お互いにとって最良の世界を守っていかなくてはならなくなった。
河童モドキはペケの頭を掲げ、士気を高めるように鳴き続ける。
千匹近い化け物たちも、声をそろえて雄叫びを挙げる。
そしてその頭上には、黒く輝く太陽が浮かんでいた。
それはとても巨大で、王のUFOと変わらないほどの大きさをしている。
激しく燃え上がり、黒い光を山に投げかけている。
しかしその姿は、どこか儚く、燃え尽きる寸前のロウソクのように、激しい炎を放っていた。
黒い太陽はもうじき死を迎える。
最後の輝きを放ちながら、宙へ分散して消えていく。
しかしそうなる前に、この太陽にはやるべき事があった。
それは「こっち」の世界を維持すること。
王の宿ったUFOがこの星から飛び去ろうとしている今、「こっち」はじきに消滅する。
しかしそうなると、せっかく築き上げたUMAと妖怪の共存関係も崩れてしまう。
この星には「こっち」と似た世界は幾つもある。
この星に降り立った異星人が、自分たちの居場所を確保する為に作り上げたものだ。
それは互いに干渉しないように成り立っていて、行き来をするのにも一苦労する。
それはさながら、地球で多くの国が成り立ち、国境を自由に超えられないのと同じだった。
しかしこの場所のように、妖怪とUMAの共存が築かれている所は少ない。
王が生み出した「こっち」の世界は、地球に幾つものある「こっち」の見本になれるものだった。
こうやって異なる種族も共存可能なのだと、異星人同士の間にも友好関係を築かせることが出来る。
かつては自分も地球外生命体だった黒い太陽は、異星人同士がこの星で仲良くしてくれることを願っていた。
幸い今まで大きな争いは起きていないが、一度衝突が起きれば、この星の文明などあっという間に吹き飛んでしまうからだ。
黒い太陽はこの星を愛していて、出来るならずっと今のままの美しい姿であり続けてほしいと願っている。
その為には、「こっち」の世界を維持する必要があった。
ムメ・アランが築いた、UMAと妖怪が共存できる素晴らしい世界。
ならば命を賭してでも、それを守りたかった。
自分自身が緑川の討伐に参加するつもりはない。緑川を倒せるかどうかは、妖怪やUMA、そして人間に託すつもりだった。
彼を倒せるかどうかは、妖怪やUMAにとっての試練であり、人間にとって人知を超えた物に対する免疫になる。
自分が出ていってカタを付けるのは楽だが、それはこの星の住人にとって、良いことではないのだ。
自分のやるべきことは、「こっち」の世界を残すこと。
ムメ・アランが生み出した、妖怪とUMAが共存できる素晴らしい世界を維持する事にこそある。
黒い太陽は光を放ち、妖怪やUMAに祝福を与える。
その光を受けながら、化け物たちは黒く輝く。するとそこへ、東山とパートナーを組んでいるドッペルゲンガーがやって来た。
『・・・・・・・・・・・。』
ドッペルゲンガーは伝える。
人間たちが緑川の討伐に向かうので、呼吸を合わせろと。
化け物たちは奇声を上げ、ペケの頭に祈りを捧げる。
そして河童モドキを筆頭に、緑川のいる亀池山の頂上を目指していった。
長い行列を作りながら尾根を歩き、まるでお祭り騒ぎのように奇声を挙げる。
歪な姿をした生き物たちが、己の世界を勝ち取ろうと、死神に戦いを挑みに行く。
黒い太陽は、その行列の一番最後をついて行った。
化け物たちの行く先に黒い光を照らしながら、殿を務めるようについていく。
その光景はまるで、百鬼夜行のようであった。
異界の者達、歪な姿をした者達、それらがパレードのように行進していく。
百鬼夜行の絵には、一番最後に真っ赤な太陽が描かれている。それは妖怪たちが去った後の太陽を示している。
陽が昇り、妖怪が人間の世界から去っていくことを意味している。
しかし今、この場に浮かんでいるのは黒い太陽である。夜明けを意味する真っ赤な太陽ではない。
黒い太陽は、真っ赤な太陽とは対照的に、闇をもたらす存在である。夜明けを黒く染め、いつだってこの世界が夜である為の光である。
殿を務める黒い太陽がもたらすもの。それは夜明けではなく、歪な者達がいつまでも生きられる、常闇の世界であった。
夜を運ぶ黒い太陽に見守られながら、化け物たちは死神の元を目指す。
この世界から、いつまでも夜が終わらないように、そして闇が失われないように、全てに厄災もたらす死神を討伐しにいく。
ペケの頭を掲げ、黒い太陽に見守られながら、百鬼夜行は亀池山へ向かって行った。
大地が激しく揺れ、穴の中から凄まじい光が溢れる。
そして・・・銀色に輝く、楕円形の飛行物体が現れた。
大きさはゆうに300メートルはあり、さながら空母が空を舞っているようだった。
その物体の両脇には、虫の足のような突起が幾つも付いていて、気味悪く動いている。
先端には人の顔らしき像が彫ってあり、目の部分が青く輝いていた。
「・・・・・・・・・・・・。」
緑川はその物体の光を受け、爛々と目を輝かせる。
今までに見たこともない物、受けたことのない衝撃。自分の理解と力を超えたものが、煌々と目の前に浮かんでいる。
それはまるで、胎児が産道を通り、初めてこの世の光を見た時のような感動だった。
緑川は思い出す。記憶の片隅に埋もれる、母の産道を通ってこの世に生まれて来た時のことを。
それは感動であり、喜びであり、興奮であり、不安であり、不思議と不気味に満ちた、ある種の卑猥ささえ感じる幸福の瞬間だった。
あの時は恥ずかしく、それと同時に誇らしかった。
謎に満ちたこの世界を、これから歩いて行く。
まだ自我すら芽生えていないのに、そんな感情が胸を満たしていたことを思い出す。
緑川はこの世に生を受けて、二度目の本当の涙を見せた。
生まれてきた時に見せた、生の涙。そして今、またしても生の喜びを感じる涙を流していた。
「すごい・・・・・。」
ポツリと呟いて、煌々と浮かぶUFOを見つめる。
そしてなぜか首狩り刀を振り回し、UFOに斬りかかった。
刀はUFOに当たったが、硬い音を響かせて跳ね返る。
「・・・・・生き物じゃないんだな。」
もしかしたらこのUFOは生きているのではないかと思い、それを確かめたかった。
もしこのUFOが生き物ならば、今の身体を捨ててでも同化したいと思ったのだ。
しかしそれは無理だと悟り、涙は消える。
「おい!」
大声で呼びかけると、UFOから子供が飛んで来た。
『なあに?』
「俺・・・・・これに乗るのやめるわ。」
『どうして?』
「どうしても。」
『乗らないの?』
「乗らない。」
『どうして?』
「・・・・・・乗ったら完全に自分の物にしたくなる。ていうかこのUFOと一体化したくなる。でもそれは無理だから乗らない。」
『変なの。』
「変じゃないよ。欲しいのに手に入らない物を、ずっと見せつけられることになる。そんなの目の前にニンジンを下げられた馬と一緒だよ。」
『・・・・・・?』
「いいよ、理解出来なくても。」
『でも乗ってくれないとお母さんとの約束が守れない。』
「守らなくていいよ。」
『どうして?』
「どうしても。」
『でも約束したから・・・・・、』
「だからいいって言ってるだろ。」
鬱陶しそうにそう言って、「それよりさ・・・・」と笑う。
「俺とパートナーになろう。」
『でもUFOに乗らないと・・・・・、』
「乗らないなら、俺のことをどうするつもりだ?」
『無理にでも乗せろって。』
「へえ。」
『もし断ったら、イナゴに食わせるか、ずっとここに閉じ込めておけばいいって。』
「なら殺すってことだな?」
『分からない。そう言われただけだから。』
「・・・・・・・・・・。」
緑川は口をへの字に曲げて考える。
「もし俺がUFOに乗るのを拒否した場合、アチェは時間を稼ごうとするはずだ。ここに閉じ込めて、その間に沢尻に追いかけさせる。
ならここでUFOに乗るのを拒否したら、結局沢尻に追いつかれるな。」
しばらく考え込み、どうすればいいか悩む。
「・・・・・あのさ・・・・・・、」
『なあに?』
「UFOに乗ればそれでいいんだよな?」
『うん。』
「じゃあ乗り方まで指示されてないわけだ?」
『?』
「とにかくUFOに乗ればいいわけだから、中に乗り込もうが、UFOの上に立とうが、乗ることに変わりはないよな?って聞いてるんだよ。」
『分からない。UFOに乗せろって言われただけだから。』
「なるほど。だったらどこに乗ろうと問題ないわけだ。」
そう言ってニコリと笑い、「乗るよ」と頷いた。
「UFOに乗る。でも中には入らない。上に立ってる。」
『うん。』
「それでいいだろ?乗ることに変わりはないんだから。」
『うん。』
言っている意味がよく分からないという風に、子供は首を傾げた。
するとミントが『悪いこと企んでる』と口を挟んだ。
『悪い目をしてる。ちゃんとUFOの中に乗らないと駄目だよ。』
「なんで?別にどこに乗れなんて言われてないんだぞ?」
『でも乗れっていうのは、中に入ることだと思う。』
「それはお前が勝手にそう思ってるだけ。アチェはどこに乗れなんて言ってないんだから。」
『でも・・・・・、』
「グダグダ言うなら乗らないぞ?」
『ちゃんと中に乗らないと駄目だと思う。』
「しつこい奴だな。」
緑川は子供に目を向け、「あいつがUFOに乗るのを邪魔しようとする」と指さした。
「俺はUFOに乗るって言ってるのに、なんだか気に入らないみたいだ。あいつは悪い奴だよ。」
『分からない。』
「でもこれじゃお母さんとの約束を守れない。そうだろ?」
『うん。』
「じゃああいつをどうにかしないと。だってあいつがいるとUFOに乗れないから。」
『うん。』
「お母さんとの約束を守る為に、あいつをやっつける。ここで大人しく見ててくれる?」
『うん。』
「良い子だな。」
そう言って頭を撫で、ニコリと笑う。
そして次の瞬間には、首狩り刀がミントの頭に刺さっていた。
『イギッ・・・・・・・、』
頭の後ろまで貫通し、茶緑の液体が飛び散る。
「クソ虫が・・・・・くたばれ。」
刀を振り下ろし、そのまま股の間まで切り裂く。ミントは真っ二つに両断されて、左右に分かれながら倒れていった。
しばらくピクピクと動いていたが、やがてまったく動かなくなる。
緑川はトドメとばかりに、細切れに切り裂いた。
「よし!じゃあ邪魔者もいなくなったし・・・・乗ろうか?」
『うん!』
子供は嬉しそうに頷き、宙へと舞い上がる。緑川は地面に転がったケントの死体を睨み、頭を蹴り飛ばした。
「こいつも八つ裂きにしたいけど、身体をバラしたらイナゴが襲って来るかもしれないからな。」
そう言ってもう一度蹴り飛ばし、UFOを見上げた。
「なあ。」
『なあに?』
「ちょっとお願いがあるんだけど、俺に毒針を刺してくれないか?」
『毒針?』
「お前の口の中に、鋭い針があるだろう?それを俺の首に刺して、たっぷり毒を注いでほしいんだよ。」
『なんで?』
「親子だから。親子はそうやって愛情を確かめるんだ。」
『?』
「難しく考えなくていいよ。お父さんに針を刺して、毒を入れればいい。そうしたらたくさん褒めてやるから。」
『分かった。』
子供は近くに寄って来て、緑川の首に毒針を突き刺す。そして言われた通りに毒を注いだ。
「あああああ・・・・・・、」
緑川は痛みにのたうち回るが、「もっと毒入れろ!」と叫んだ。
「そんなんじゃ足りない!ありったけの毒を注げ!」
『うん。』
子供はまた針を刺し、毒を注ぐ。すると緑川の身体に変化が起き始めた。
目は大きく膨れ上がり、虫の複眼になる。頭からは触覚が伸び、背中には羽が生えてきた。
そして身体には白い毛が生えて、UMAへと変貌を遂げた。
『・・・・・・・痛った・・・・・。』
首を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
『ありがとう。おかげでUMAに戻れたよ。』
『うん。』
『で、お前はもういらない。さよなら。』
手を伸ばし、子供を捕まえる。そして思い切り握りしめた。
『イギャアアアアアア・・・・・、』
『馬鹿だなお前は。俺とアチェの子供ならもうちょい賢くなれよ。』
そう言ってさらに握りしめる。子供は悲鳴を上げ、嫌な音を立てながら潰れていく。
『お・・・・・お父さん・・・・・・悪い奴・・・・・・・、』
『俺が悪いんじゃない。俺を信じたお前が悪いんだよ。』
我が子を地面に叩きつけ、そのまま踏みつける。
『ギャッ・・・・・・・・、』
『土に還れ。』
踏みつけた足をグリグリと動かし、すり潰すように蹴りつける。
子供は何もかもぺちゃんこにされて、潰れた身体が地面に張り付いていた。
緑川は無感情のまま子供の死体を眺め、『虫の子供なんかいらないよ』と言った。
『さて・・・・・、』
UFOを睨み、空へと舞い上がる。そしてUFOの上に乗ると、先端にある人の顔らしき像を見つめた。
『このUFOは生き物じゃない。でもあれは生き物だ。』
そう言って人の顔の像に近づき、『ムメ・アラン?』と呼んだ。
『お前が王だろ?』
返事はなく、像は何の反応も示さない。
『このUFOにお前の意識が宿ってるんだろ?出て来いよ。』
顔の像まで近づき、首狩り刀を向ける。
すると青い目が何度か点滅して、UFOはゆっくりと動き出した。
『お前・・・・この星から飛び出すつもりなのか?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『もしかして、宇宙を旅するのに充分なエネルギーが溜まっちゃったの?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『また宇宙へ飛び出して、どこか別の星へ行くつもり?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『今度はいつ戻って来るの?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『もう帰って来ないつもり?』
王は何も答えず、ゆっくりと動いて行く。そして青い目から強烈な光を放つと、眼下にいたイナゴの群れを一瞬で焼き払った。
『すご・・・・・。』
数十万の巨大なイナゴが、たった一発の光線で灰に還る。
そして大地に横たわっていたケントの死体も、イナゴの群れに混じって焼き払われた。
緑川は息を飲みながらその様子を見つめる。すると王はまた目を光らせて、ケントの生み出したこの空間そのものを焼き払った。
辺りは眩い光に包まれ、青い炎がほとばしる。
空間は灼熱の炎に焼かれ、水泡のように消えていく。
ケントの空間が消えた先には、亀池山の景色が広がっていた。王はその景色ゆっくりと昇っていく。
『お前やっぱり地球から飛び去るつもりなんだな。』
離れていく大地を見つめながら、緑川は像の傍に座った。
『俺さ、生きてるのは自分だけって思ってるんだけど、お前はどう思う?これって正しいと思う?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『なんかさ、みんな作り物に見えるんだよな。全部が嘘臭く感じるんだよ。お前はどう思う?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『おいムメ・アラン。お前に聞いてんだぞ。なんか答えろよ。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『喋れるだろ?なんか言えよ。』
そう言って刀で突くと、また目が光った。
『俺も焼き尽くすつもり?』
王の目は何度も点滅し、空に閃光が走る。
その時、像の上に、ぼんやりと人間の姿が浮かんだ。
一糸纏わぬ姿に、長い黒髪が乱れている。顔は緑川によく似ていて、じっとこちらを睨んでいた。
『・・・・・・・・・・。』
それは幻のように一瞬で消え去ったが、緑川の目に強烈に焼き付いた。
あれは間違いなく墓場の王、ムメ・アランの姿であると。
自分とよく似た顔をしていて、まるで鏡を見ているかのようだった。
しかし目だけは異なっていて、王の目はとても明るかった。
この世に満足しているような、至福の中にいるような、生まれてきてよかったと思えるような、とても明るい目をしていた。
その目は緑川と対照的で、だからこそ鮮明に彼の姿が目に焼き付いた。
緑川は思う。王はもう一人の自分なのだと。
もし自分が先にUFOと出会っていたら、きっと自分こそが・・・・・。
『王は・・・・・・ちょっとだけ故郷に帰りたかっただけなんだろうな。でも間違ってアチェの家族を死なせて、だからしばらくこの星に留まった。
多分すぐ飛び去るつもりだったんだ。アチェの家族さえ死ななかったら・・・・・・。』
緑川は首狩り刀を持ち上げ、『全部人間が始めたことだ』と言った。
『王はきっと・・・・自分の身体を復活させようとしたんじゃなくて、アチェの家族を生き返らせようとしてたんだ。
でもアチェはそうは思わなかった。家族を殺されたと思ってるから、どうにかしてそれを生き返らせようとして・・・・・・。
そこにペケが絡んできて、ケントが絡んできて、ミノリが絡んできて、そして俺が絡んできて・・・・・みんな元々人間じゃないか。
そうやってたくさんの人間が関わって来て・・・・・すごく単純なものを、複雑にしてただけなんじゃ・・・・・・、』
王の真意は分からない。しかし王の幻を見た時、なぜかそんな思いが湧いてきた。
UFOはゆっくりと飛び続け、やがてその動きを止めた。
そして底の部分が開き、大量の髑髏をばら撒いた。
『あれ・・・・もしかしてUMAを作るのに吸い込んだ人間か?』
髑髏の数は2000個以上にもなり、大地がポツポツと白く染まっていく。
緑川は自分の子供が言っていた事を思い出し、『ああ・・・この星には戻って来られないってこういうことか』と納得した。
『中に入ったら最後、俺もああなってたわけだ。』
アチェの企みを知り、思わず笑ってしまう。
『捨てると見せかけて、しっかり殺すつもりだったんじゃん。ほんっと油断のならない奴。』
そう言って笑っていると、UFOは陽炎のように薄くなっていった。
『あ、「向こう」へ行くの?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『もうこの星も見納めだな。どうせ戻って来ないだろ?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『まあ戻るも戻らないも、好きにしたらいいよ。ここはお前の故郷なんだし。』
UFOはゆっくりと消えて行き、「向こう」へと去ってしまう。
緑川は宙へ羽ばたき、『バイバイ』と手を振った。
結局UFOを手に入れることは出来ず、王の心臓と脳も奪われてしまった。
『・・・・これからは自分の力だけでどうにかしなきゃな。』
いずれ沢尻が追って来る。それもアチェと一緒に。
ならばこのままだと必ず殺されると思った。
『首狩り刀・・・・また大きくしないと。』
折れた首狩り刀を見つめ、『あ・・・』と何かを思いつく。
『あれ使えないかな。』
大地に落ちた髑髏を睨み、『あれだけあれば・・・・』と頷く。
『上手くいくか分からないけど、やってみる価値はある。』
本当ならば「向こう」へ行って人の首を落としたかったが、それは沢尻の思うツボだろうと思った。
下手に戻れば、今度は大部隊で戦いを挑んでくる。かといって「こっち」へ逃げても首狩り刀は大きく出来ない。
やがては人間と化け物の双方から挟み撃ちにされ、殺されることは目に見えていた。
『もし上手くいけば、今までにないくらいに刀を大きく出来る。化け物もアチェも・・・・そして沢尻も全員壊してやる。』
そう言って、大地を白く染める髑髏へ飛んで行く。
王はこの星からいなくなる。だったら今度は、自分が王になればいいと思った。
『生きてる限りは、人生はやり直せる。邪魔な物を全部壊したら・・・・・・ちょっとだけ善人になってみよう。ムメ・アランに近づけるかもしれない。
そうすれば、今度アイツが戻って来たとき、一心同体になれるかも。』
大地に広がる髑髏は、王が残してくれた生まれ変わりの希望。
緑川の目には、光り輝く宝石のように映っていた。
緑川は亀池山の頂上に来ていた。
池の傍に立ち、穏やかに揺れる水面を眺めている。
ここへ来るまで、一匹も妖怪やUMAと出くわさなかった。
きっと群れで襲いかかって来るだろうと思っていたのに、ツチノコ一匹現れなかった。
緑川は考える。どうして妖怪やUMAが襲ってこないのかと。
自分を恐れているからか?それともどこかに戦力を結集させて、一気に潰しに来るつもりなのか?
どっちにしろ、妖怪やUMAが来たところで敵ではないと思っていた。
ミノリやペケが死んだ今、「こっち」に敵はいない。
ケントの気配も感じないので、きっと死んだのだろうと思った。
もう自分を邪魔するものは何も無い。あとはこの池に眠るUFOさえ手に入れれば、目的は達成である。
適当に宇宙旅行でもして、適当に他の星を探索でもして、飽きたらまた地球へ戻って来ればいい。
そして誰もが自分のことを忘れ、平和が戻って来たと思った頃に、再び暴れてやればいい。
首狩り刀で人間も化け物も切り裂き、首を落としてやればいい。
なぜならこの世で生きているのは自分だけで、後は石ころに過ぎないのだから。
そうやって好きなように生き、好きなように過ごし、好きな事だけを楽しんで、人生に飽きたら死ねばいいと思っていた。
無限の命などない。いつかは自分も死ぬ。それが命だと思っているし、それでいいと思っている。
かつて抱いていた命への疑問は、もう無い。
命とは、この世に生まれて、好きな事をするためにあるもの。
だから散々好きなことをして死ねるのなら、それはとても良い人生になるはずだった。
しかしいつかは死ぬにしても、誰かに殺されるのは我慢ならない。
寿命による死は納得できても、それ以外の死は受け入れるわけにはいかない。
命を持たない石ころどもが、命を持つ自分を殺すなどあってはならないことだった。
「沢尻・・・・・一番厄介な石ころだよ。」
彼の目はまだ何かを企んでいた。
これ以上ここにいれば、必ず追って来る。
だからあの場で殺してしまうのが一番だったが、彼の中からはアチェの気配を感じた。
もしアチェが沢尻に味方しているのなら、それは安易に手が出せない。
彼女のことだから、下手に襲いかかると返り討ちに遭う可能性がある。
緑川は背中から蛾の羽を生やし、宙に舞い上がる。そして池の真ん中までやって来た。
「とっととUFOを手に入れて、宇宙旅行でも行こう。100年先か、1000年先か・・・いつかまたここに戻って来て、石ころどもを潰してやる。」
池は深い緑色をしていて、まったく底が見えない。
しかし王の脳と心臓は、この池の底から何かを感じ取っていた。
ここには巨大な何かが眠っていると、緑川に告げていた。
「・・・・・・・・・・・。」
一つ深呼吸をして、池に飛び込む。小さな水柱が上がり、水底へと突き進んでいく。
水は淀んでいて、一メートル先も見えない。
それでもずっと進んでいくと、やがて水底に降り立った。
王の脳と心臓が強く反応している。何かに共鳴するように、激しく脈打っている。
緑川はじっと神経を研ぎ澄まし、どこからこの共鳴が響いてくるのか探った。
そしてほんの数メートル先に、その共鳴の元となるものを見つけた。
それは人間の背丈ほどもある大きな墓石で、英語で文字が書かれていた。
「ケント・テーラー」
墓石には確かにそう彫られていて、しかも足元には花が活けられていた。
緑川はその花に触れ、一輪だけ手に取る。
王の脳と心臓は激しく脈打ち、もはや痛いほどだった。
なんとなくその花を握り潰し、ポイと投げ捨てる。
花弁の欠片が水の中を漂っていき、ゆっくりと落ちていく。
すると墓石が揺れ出し、真ん中に亀裂が入る。そして観音開きの扉のように、左右へと開いていった。
「・・・・・・・・・・・。」
中を覗くと、真っ暗で何も見えない。
一歩だけ中へ入り、さらに様子を窺う。
すると墓の奥から風が吹き、掃除機のように水を吸い込み始めた。
緑川は水と一緒に中へ吸い込まれ、それと同時に墓石の扉は閉じてしまった。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
水に揉まれながら、墓の奥へと運ばれて行く。
やがて少しずつ水の量が減っていって、完全に消えてしまう。
緑川は硬い地面に投げ出され、「痛ッ・・・」と肘をさすった。
「・・・・・・・・・・・・・。」
肘の痛みを堪えながら、ゆっくりと立ち上がる。
辺りは薄暗く照らされていて、どうやら長い通路になっているようだった。
光はその奥から射していて、思わず目を細めた。
王の脳と心臓は、通路の奥から激しい共鳴を感じている。
緑川は「ここにUFOが・・・・」と呟き、奥へ向かって歩き始めた。
するとその時、何やら妙な音が聴こえてきた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
良くない気配を感じ、首狩り刀を構える。
すると通路の奥から、一匹の巨大なイナゴが現れた。
それは人の三倍はあろうかという大きさで、目が真っ赤に染まっている。
足にはノコギリのような棘が並んでいて、顔の左右からペンチのような牙が伸びていた。
その牙をカチカチと鳴らしながら、こちらへ飛んでくる。
緑川は咄嗟に刀を振り、イナゴを一刀両断する。
真っ二つに裂かれたイナゴは、そのまま地面に激突して死んだ。
「・・・・・・・・・。」
緑川はイナゴの死体に近づき、刀で突いてみる。
真っ二つになった身体から茶色い内臓がはみ出ていて、辺りに悪臭を放っている。
「臭・・・・・・・、」
思わず鼻をつまむと、またイナゴの羽音が聴こえてきた。
今度はアリの大群のように群がってきて、細い通路につっかえている。
どのイナゴも凶悪な顔をしていいて、大きな顎をカチカチと鳴らしている。
緑川は真っ二つになったイナゴの死体を睨み、「この臭いが・・・・」と呟いた。
「死体の臭いに引かれて集まって来るのか。」
通路の先はイナゴでぎゅうぎゅう詰めになっていて、とても先へ進めそうにない。
殺せば通れるかもしれないが、死体が増えればさらに集まって来るだろうと思った。
「どうしよ・・・・・。」
普段ならここで退散するが、今はそうはいかなかった。
早くUFOを手に入れないと、いつ沢尻が追って来るか分からない。
少し悩んだが、ここは強行突破することに決めた。
羽を羽ばたき、毒の鱗粉をまき散らす。
イナゴの群れは激しい嘔吐に見舞われ、顎をカチカチ鳴らして苦しんだ。
緑川はその隙に斬りかかり、イナゴの頭を落としていく。
通路にギュウギュウに詰まったイナゴは、首狩り刀によって豆腐のように切り裂かれていく。
しかし斬っても斬っても先はイナゴだらけで、しかも次々に群がって来る。
「キリがないな。」
鬱陶しそうに言って、「あ、そうだ」と何かを思いつく。
そしておもむろに自分の胸を斬って、中から青い心臓を取り出した。
「痛った・・・・・。」
激しい痛みを我慢しながら、左手に心臓を持つ。それをギュッと握ると、辺りに血が飛び散った。
その血はすぐに生き物へと変わり、やがて緑川とそっくりの人物となった。
その数は20人はいて、首狩り刀とよく似た武器を持っている。そして一斉にイナゴに斬りかかった。
道を塞ぐイナゴは次々に狩られていき、通路が開けていく。
緑川は後ろからその様子を見ながら、時折鱗粉を放った。
そしてどうにか全てのイナゴを倒し、光の射す方へ出ることが出来た。
そこは草一本生えない荒れた大地で、空も地面もグレー一色に霞んでいた。
「なんだこれ?まるで廃墟だな。」
そう言って空を見上げると、先ほどとは比べものにならないほどのイナゴの大群が飛んでいた。
小さなイナゴもいれば、ウェンディゴのように巨大なイナゴもいて、空も大地も我が物顔で占領している。
しかも共食いをしていて、巨大なイナゴは小さなイナゴを貪り、小さなイナゴは群れで巨大なイナゴを襲っていた。
「こいつらお互いに殺し合ってるのか・・・・・・?」
イナゴ同士が貪る異様な光景を睨んでいると、その中に見知ったUMAがいた。
「あれ・・・・ミントか?」
イナゴの群れの中に、黒と黄色の縞模様のUMAがいた。
その姿はアブにそっくりで、なぜかイナゴに襲われていない。
そしてそのすぐ傍には、誰かが横たわっていた。
「あれは・・・・・・・、」
緑川は目を凝らし、「ケント・・・・?」と呟く。
ケントは大地に横たわっていて、じっと目を閉じている。
彼にの周りにだけ花が咲いていて、まるで死者を弔っているかのようだった。
「やっぱ死んだのかアイツ・・・・。もう身体も光ってないし、生きてる気配も感じない。」
ケントは眠るように穏やかな顔をしていて、天国にでもいるかのようだった。
ミントは彼の傍に立ち、グレーに霞む景色を見つめている。
「・・・・多分あの下だな。ケントの死体の下にUFOがあるはずだ。」
王の脳と心臓は、ケントのいる方から強く共鳴している。
彼の下を掘れば、必ずUFOが現れるはずだと頷いた。
緑川は頭から触覚を生やして、辺りをうろつくイナゴを警戒する。
「とんでもない数だな。きっと何万・・・・いや、何十万匹っているはずだ。」
イナゴの群れは凄まじい数で、さすがにこの大群に襲われたらひとたまりもない。
ならばイナゴに襲われる前に、一気にケントの元まで駆け抜けようと思った。
「ミントは敵じゃない。それにもしイナゴが襲ってきても、こいつらが盾になってくれる。その間にUFOを乗っ取るしかないな。」
そう言ってまた心臓を取り出し、ギュッと血を絞った。
大量の血が地面を染め、何百人もの緑川が現れる。
「・・・・・・キツイなこれ。あんまり何度も使えない。」
血を失った心臓は鼓動が弱くなる。その分緑川の身体にも負担がかかり、ゆっくりと心臓を戻した。
毒針を使い、胸の傷を塞ぐ。
「お前ら俺を守れよ。」
数百人の緑川にそう言って、一気にケントの元を目指す。
するとミントがそれに気づき、笛のようなかんだ高い声で鳴いた。
数十万のイナゴが一斉に緑川の方を向き、真っ赤に染まった目で睨む。
そして空気を揺るがすほどの羽音を響かせて飛びかかってきた。
緑川はイナゴの群れには構わず、真っ直ぐにケントを目指す。
しかしイナゴはそれを喰らおうと、アリのごとく群がって来た。
コピーの緑川は、オリジナルの緑川を守る為に盾となる。
刀を振り、イナゴを切り裂いていく。
しかしイナゴの表皮は硬く、コピーの刀ではなかなか切り裂けない。
首狩り刀や骨切り刀でもない限り、豆腐のように切り裂くのは無理があった。
数十万のイナゴの大群に囲まれて、どこにも逃げ場がなくなる。
コピーの緑川は必死にオリジナルを守ろうと、死にもの狂いで刀を振った。
硬い表皮を貫き、内臓を潰す。しかしその間に別のイナゴに襲われて、頭をもぎ取られた。
四方八方を敵に囲まれて、倒しても倒してもキリがない。
コピーの緑川はどんどん殺されていき、イナゴの腹に収まる。
しかし彼らを食べた途端、鱗粉の毒によって悶え始めた。
オリジナルの緑川は首狩り刀を振り、道を塞ぐイナゴを切り払う。
一振りで数匹のイナゴが切断され、悪臭を放ちながら死んでいく。
緑川はピンと触覚を立てて、四方八方から襲い来るイナゴの動きを察知する。
無駄のない動きで刀を振り、相手に攻撃する暇を与えない。
しかしそれでも圧倒的な大群の前に、中々前に進むことが出来なかった。
「ウザい害虫ども・・・・・、」
だんだんと腹が立って来て、首狩り刀を鎖鎌のように振り回す。
それは死神の鎌のように、ほんの一太刀で敵の命を奪っていった。
しかしイナゴを斬れば斬るほど、刀は短くなっていく。
じょじょに髑髏を消費していって、刃渡りが一メートルほどにまで縮んでしまった。
「駄目だなこれ、戦ってると死ぬ。」
圧倒的な数の前に、これ以上の戦いは無理だった。
ここはいったん退くべきかと考えたが、すぐに名案が浮かんだ。
「あ、そっか・・・・・。小さくなれば狙われにくくなるな。」
そう言って人間の手のひらサイズまで縮んだ。
「大きさを変えられるって便利だよな。」
首狩り刀はその場に捨てて、一気にケントの死体を目指す。
イナゴは大群で襲いかかって来るが、緑川はなんなくそれをかわす。
手のひらサイズまで小さくなった分、巨大なイナゴの隙を縫うのは造作もなかった。
緑川は機敏に動き回ってイナゴを翻弄する。そしてようやくケントの元まで辿り着いた。
するとミントが、ケントを守るように立ちはだかった。鋭い口吻を伸ばし、襲いかかって来る。
緑川はサッとそれをかわすと、すぐに元の大きさに戻った。
そして頭上に手をかざし、首狩り刀を呼び寄せた。
投げ捨てた首狩り刀が、イナゴを貫きながら飛んで来る。
緑川はその刀を掴み、ミントの頭に向かって振り下ろした。
しかし刀がミントを一刀両断する手前で、誰かがそれを止めていた。
首狩り刀を素手で掴み、そのままへし折ってしまう。
「・・・・・・・・・・・・。」
緑川は慄き、すぐさま後ろへ飛び退いた。
「・・・・・・ケント。」
首狩り刀を止めたのはケントだった。へし折った刀を掴んだまま、ゆっくりと立ち上がる。
そしてポイとそれを投げ捨てると、クスクスと笑った。
それを見た緑川は、「アチェ?」と尋ねる。
「お前・・・・・沢尻に宿ってたんじゃないのか?」
そう言いながら後ろへ下がると、イナゴの羽音が聴こえた。
振り返るとイナゴの大群に囲まれていて、空も大地も見えないほどだった。
解き放った数百人のコピーはとうに殺されていて、イナゴの腹に収まっている。
緑川はため息をつき、「なんだよこれ?」とケントに向き直った。
「どうしてお前がケントに宿ってる?」
そう尋ねると、ケントは自分の頭を指さした。
するとそこから小さな蛾が出て来て、緑川に話しかけた。
『お父さん?』
「・・・・・・・・・・。」
『こんにちわ。お父さん。』
小さな蛾はそう言って、また笑い声を響かせた。
『あのね、お母さんが生まれたらすぐここへ行けって。』
「・・・・・・・・・・・・。」
『きっとお父さんが来るから、その邪魔をしろって。』
「・・・・・・・・・・・・。」
『お父さんは悪い奴で、王様の身体を食べてるから、それを取り戻しなさいって言われたの。』
「・・・・・・・・・・・・。」
『他にもいっぱい兄弟がいたんだけど、みんなイナゴに食べられちゃった。だからここへ来たのは私だけ。』
そう言ってケントの頭に潜り込み、彼の身体を操った。
ゆっくりとこちらに近づき、『痛くしないから大丈夫だよ』と緑川の頭を掴む。
『脳?とか心臓?を取り戻しなさいって。きっとミノリを殺してどっちも手にれてるから、それを取り返しなさいって言われた。』
そう言って頭を押さえつけ、『ミント』と呼んだ。
『ミントのお口で、脳とか心臓?とかを吸ってあげて。』
ミントは頷き、緑川に近づく。そして長い口吻を頭に向けた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
緑川はミントを睨み、首狩り刀を動かす。
『死ぬよ?』
ミントはイナゴを指さし、『ケントから離れたら襲って来るよ』と言った。
『大丈夫、死なない。王の脳と心臓を吸うだけ。それをUFOに戻すだけだから。』
そう言って緑川の頭に口吻を当てる。
「・・・・・・・・・・・・。」
緑川は刀を下ろし、抵抗するのをやめた。
周りにはイナゴの大群、目の前には自分の子供が操るケント。
どちらも強敵で、しかも首狩り刀まで折られている。こんな状態では勝ち目はなく、「向こう」へ逃げようとした。
しかしいくら頑張っても「向こう」へ行くことが出来ない。
するとミントが『ここからじゃ行けないよ』と言った。
『ここはケントの墓の中だから、「向こう」へ行けない。大人しくしてて。』
そう言って頭に口吻を突き刺し、王の脳を探る。そして『ここだね』と言って、脳を吸い取り始めた。
「・・・・・・・・・・。」
緑川は激しい痛みに耐える。抵抗するのが無理なら、今は大人しく従うしかなかった。
ミントはチュルチュルと音を立てて脳を吸い取る。そして完全に吸い尽くすと、今度は胸に口吻を当てた。
『・・・・・・・・・・・。』
少しだけ口吻を動かし、王の心臓の位置を探る。そして右の胸に鼓動を感じて、またブスリと突き刺した。
「・・・・・・・・・・・ッ。」
緑川は声にならない声で叫び、カッと目を見開く。
胸の中から心臓が吸われていく痛みを感じながら、ただひたすら耐えていた。
ミントはものの数秒で心臓も吸い取り、緑川から離れていく。
そして地面に向かって口吻を突き刺し、それをドリルのように回転させて穴を空けた。
口吻はどんどん伸びていって、地中深くまで穴を空ける。
やがて口吻は硬い何かに当たって止まる。するとミントは吸い込んだ心臓と脳を、地中に向かって吐き出した。
口吻の中を通って、ドロドロとした青色の物体が流れていく。
「・・・・・・王に送ってるのか?」
緑川はその様子を見つめながら、どうやってこの状況から抜け出そうかと考えていた。
王の心臓も脳も吸い取られて、今は完全に人間に戻ってしまった。
羽も触覚も消えて、「向こう」へ戻る事すら出来ない。
しかしまだ希望はあるはずだと、ケントの頭を睨み付けた。
「おい。」
呼びかけると、『なあに?』と子供が答えた。
「お前は俺の子供なんだろ?」
『うん。』
「だったらどうしてお母さんの言うことばっかり聞くんだよ?同じ親なら、俺の言うことだって聞いてほしいんだけど。」
『それはお母さんが駄目だって。』
「なんで?」
『お父さんは悪い奴だから。』
「そんなことないよ。」
『お父さんは悪い奴で、平気で嘘をつくから、話を聞いたらダメだって。』
「ウソつきはお母さんの方だぞ。あいつは平気で人を利用するからな。お前だって利用されてるんだよ。」
『どうして?』
「それはお母さんが悪い奴だから。目的の為なら、自分の子供だって利用するんだよ。それにお前がお父さんに懐くのが許せないんだよ。
お母さんは嫉妬深いから、子供を独り占めにしたいんだ。だから嘘をついて騙してる。」
『ほんとに?』
「ほんとだよ。」
『そうなんだ。』
「だからお父さんにも力を貸してくれよ。お父さんはすごく困ってて、お前の力が必要なんだ。悪い刑事に追いかけられて、やってもいない罪を押し付けられようとしてる。
だからお父さんを助けてくれないか?」
『でも・・・・・、』
「お前はもうお母さんの言う事は聞いただろ?だったらきちんと約束を守ったってことだ。」
『まあね。』
「お前はえらい子だ。ちゃんと約束を守ったんだから。」
『まあね。』
「だったら次はお父さんと約束してくれないか?」
『どんな約束?』
子供はケントの頭から顔を出し、じっと緑川を見つめた。
「あのな、お父さんとパートナーになってくれないか?」
『パートナー?』
「うん、お父さんと一緒に頑張って、悪い奴らをやっつけるんだ。」
『どうやって?』
「簡単さ。さっき俺から奪った心臓と脳ミソを返してくれればいい。」
『でもそんな事したら、お母さんとの約束を破っちゃう。』
「・・・・・そうか。ならこうしよう。この下に埋まってるUFOに、お父さんを乗せてくれないか?」
緑川は子供に歩み寄り、そっと手を伸ばす。そして手の平に乗せると、頭を撫でた。
小さな蛾は大人しく頭を撫でられていて、二つの複眼に父を映す。
「お父さんは宇宙へ行きたいんだよ。よかったらお前も一緒に行かないか?」
『私も?』
「親子水入らずで行こう。きっと楽しいぞ。」
そう尋ねると、『いいよ』とあっさり頷いた。
『だってお父さんをUFOに乗せるように言われてるもん。』
「そうなの?」
『うん。だってお父さんはしぶといから、殺そうとすると何をしでかすか分からないって。だったら宇宙へでも捨てた方が安全だって。』
「お母さんがそう言ったのか?」
『うん。』
「そっか・・・・・宇宙に捨てるか。俺はゴミってわけだな。」
いかにもアチェの企みそうなことだと思い、「じゃあ一緒に行くか?」と立ち上がった。
「お父さんと一緒にこの星を飛び出そう。」
『でもね、、もう戻って来れないよ。』
「どうして?」
『知らない。お母さんがそう言ってたから。』
「・・・・・・・・・・・。」
緑川はじっと考え込み、アチェが何を企んでいるのか考える。
しかしこの状況では、とにかくUFOに乗る以外に手は無かった。
「なら・・・・・乗せてくれるか?」
『うん。』
子供はケントの頭の中に潜り込み、彼を動かす。
そしてミントの空けた地面の穴を睨み、そこへ花の種を落とした。
しばらくすると、その種は大地に根を張り、蜘蛛の巣のように地中を駆け巡った。
そして地面を盛り上がらせて、太い根っこを飛び出させる。
土は吹き飛ばされ、大地に大きな穴が空いた。
『ここで待っててね。』
子供はそう言って、穴の中へ飛び込む。
しばらく待っていると、やがて地震のように大地が揺れ、穴の中から凄まじい光が溢れた。
そして激しく大地を揺らしながら、地面を吹き飛ばして巨大な何かが現れた。
それは銀色に輝く、楕円形の飛行物体だった。
- 2016.04.09 Saturday
- 09:21
警察と犯罪者、刑事と殺人鬼、そして人間とUMA。
沢尻と緑川は何もかもが対照的であるが、根底に流れるものは同じだった。
何が何でも自分の目的を達成するという執念と、その目的に対しての異常なまでの執着心。
沢尻は緑川を殺したがっていて、緑川は沢尻を殺したがっている。
沢尻はその為にケントから託された花を飲み、緑川はその為だけにわざわざ沢尻と戦っている。
ミノリに加勢すれば沢尻を殺すことはたやすいが、自分だけの手で沢尻を殺したかったのだ。
二人は刃を交え、鱗粉を飛ばし、花粉の吐息を吐き、一歩も譲らない戦いを演じる。
実力はほぼ互角だった。
しかもお互いがお互いの性格、それに戦い方をよく知っているので、なかなか致命傷を与えられない。
沢尻は堂々と正面から斬り込み、その中で隙を探そうとする。
緑川は相手の攻撃を受け流し、奇襲を仕掛ける隙を窺っている。
しかし決定的な一撃は生まれず、チャンバラ映画さながらの斬り合いを演じていた。
肉挽き刀の歪な刃が、緑川の頬をかすめる。
首狩り刀の鋭い刃が、沢尻の首をかすめる。
どちらもまともに喰らえばその時点で勝負は決するが、しかし分は緑川の方にあった。
彼の持つ首狩り刀は、所有者が危険に晒された時、呪いを放って守ろうとする。
もし沢尻の刃が緑川に致命傷を与えた時、その時は髑髏の呪いが襲いかかってくることになる。
緑川はそれを計算に入れて戦っていて、あえて致命傷を受けてもいいと思っていた。
そうすれば髑髏が沢尻を呪い殺してくれる。受けた傷は、その後に毒針で治せばいい。
注意すべきは即死するような攻撃を受けないようにすることで、一瞬で首を落とされればそこで終わる。
このまま退屈な斬り合いを演じるくらいなら、腹に一撃を喰らい、呪い殺してしまうのもアリだなと考えていた。
しかし沢尻も当然呪いは警戒していて、だからこそ下手な攻撃は出来なかった。
呪いを放つ暇もないほど、致命的な攻撃を加えなければいけない。
戦いは平行線を辿り、鱗粉も花粉も決め手にならない。
お互いが素早く攻撃をかわしてしまうので、やはり刀で首を落とす以外に決着がつきそうになかった。
鋭い斬撃が飛び交い、一進一退の攻防が続く。
しかし時間が経つにつれて、緑川の方に変化が現れ始めた。
なんと彼の身体も色が変わ出し、皮膚に赤い花弁が浮かび始めたのだ。
『ヤバ・・・・、』
緑川は小さく呟く。
このままではいずれ花に侵されて死んでしまう。
どうにか沢尻を殺さないと、花に養分を吸い取られ、土に還ってしまう。
このまま持久戦になれば負けるのは確実で、ここは一かバチかの賭けに出ることにした。
彼は大きく後退してから、自分で自分の腹を切り裂いたのだ。
『・・・・・・・・・・・。』
激しい痛みが走り、切られた傷から腸がはみ出してくる。
バケツをひっくり返したように大量の血が流れ、立っていることさえ出来なくなって、膝をついた。
大きな怪我を負い、緑川は動けない。
そこへ沢尻が迫って来て、肉挽き刀を振り上げた。
それを見た緑川は、咄嗟に身をよじる。
急所への攻撃を避けて、肩に喰らおうと思っていたのだ。
腹の傷は自分で付けたものだが、そこへ沢尻からも攻撃をもらえばどうなるか?
肩に一撃を喰らっただけでも、それは致命傷を後押しするダメージになる。
そうすれば呪いが発動して、沢尻を殺せると考えていた。
しかし沢尻は途中で手を止めた。
緑川に当てる寸前で、ピタリと刃を止める。
そして刀の向きを変えて、ゆっくりと首に向けた。
「自分で怪我して呪いを撃つ気だったか?」
『・・・・・・・・・・。』
「お前にしちゃ安易な策だな。」
『・・・・・・・・・・。』
「・・・・かなり深く切れてるな。これなら・・・・何もしないでもくたばりそうだ。」
そう言って刀を下げ、一歩後ずさった。
「俺が攻撃しなけりゃ呪いは撃てないだろ。」
『・・・・・・うん。でもまあ・・・・自分で怪我は治せるから。』
緑川は舌の毒針を伸ばし、腹を刺そうとする。
すると沢尻は素早く刀を振り、毒針を切り落とそうとした。
緑川はこの動きを読んでいたように、サッと毒針を引っ込める。
そして自分から腕を出して切らせようとした。
沢尻は慌てて刀を止め、舌打ちをする。
「狡い奴め。」
『なんで?チャンスなんだぞ・・・・・殺せよ・・・・・、』
「いや、やめておく。」
『じゃあ傷を治すだけだ。』
「構わん。そうなればまた斬り合いを演じるだけだ。そして時間が経てばお前は死ぬ。ケントの花の力でな。」
そう言って赤く変色していく緑川を睨んだ。
「黒い太陽が教えてくれたよ。あの花は化け物を殺す力を持ってると。」
『みたいだな。化け物が全滅するんだろ?』
「いや、そうはならない。」
『は?』
「あの花は若い化け物だけを殺すんだ。」
『若い・・・・、』
「誕生して間もないUMAや妖怪だけってことだ。全ての化け物が死ぬわけじゃない。だから残念ながら、ミノリを殺すことは出来ない。お前は死ぬがな。」
『・・・・・・・・・・・・。』
「そしてお前が死ぬなら、俺は本望だ。例えここで死んでも悔いはない。」
『・・・・・俺が死んでもミノリが残ってるぞ・・・・。』
「そうだな。しかしミノリよりもお前の方が手強い。何をしでかすか分からないし、それに頭がイカれてる。それならまだ明確な目的を持つミノリの方がマシだ。
目的さえ分かっていれば、手段も推察できるからな。ミノリはいずれ死ぬよ。人間と化け物の手でな。」
『・・・・・・・・・・。』
「だから死ぬのはお前と俺だ。巻き添えを喰らう化け物たちは可愛そうだが、しかしこれしか手段がない。」
『・・・・・嘘だな。』
「何が?」
『ミノリは以前に・・・・この花でケントに殺されそうになったって言ってた。だから若いUMAだけが死ぬなんて・・・・、』
「ならその時のミノリは若かったんだろう。きっとUMAになって間もない頃だったのさ。」
『・・・・・・・・・・。』
「なあ緑川・・・・もう終わりだ。終わりにしよう。」
そう言って刀を下げ、じっと彼を見下ろした。
「お前はもう充分戦ったよ。これ以上生きたって、同じような戦いが続くだけだぞ?」
『・・・・・・・・・・・・・。』
「そうやって戦い続けて何が楽しい?一人で生き続けて、いったい何がしたい?アチェはそう尋ねなかったか?」
『・・・・・・・・・・・・・。』
「俺もアチェも、それにケントだって・・・・・ある意味じゃお前のことは認めてた。
お前の犯した罪は許されないが、それでも・・・・間違った道にさえ進まなければ、きっと世の中で活躍していただろうに・・・・。」
『・・・・・興味ないよ・・・・。』
緑川は腹を押さえながら、今にも死にそうな顔で答える。
どうにかこの状況を脱したかったが、沢尻は常に殺気を漲らせている。
下手な動きをしたところで、未然に防がれるだけだった。
「もし・・・・もしお前が俺の子供だったら、きっとこんな風にはならなかった。なぜならお前は俺とよく似ているからだ。
良い所も悪い所もよく分かるから、ちゃんと躾が出来たろうに。」
『・・・・・・・・・・・・・・。』
『それに俺の子供だったら、早苗ってよく出来た妹までいるんだ。あいつはいいぞ、俺より刑事に向いてる。なるつもりはないと言ってるが、多分そっちへ進むだろう。」
そう言って小さく笑い、「残念だ・・・・・」と首を振った。
「俺の子供じゃないにしても、お前が幼い頃に出会えていたら、こんな風にはならなかった。残念だよ・・・・・・。」
沢尻はゆっくりと刀を構え、「もういいだろ」と睨む。
「ここまで戦ったんだ、自分で付けた傷で死にたくないだろう。最後は俺の手で終わりにさせてくれないか?」
そう言って肉挽き刀を振り上げ、「動くなよ」と釘を刺した。
「もう終わりなんだ。お前はよく戦ったし、好きに生きただろう。だからもう終わりにしよう。ちゃんと弔ってやるから。」
『・・・・・・・弔いなんかいらない。死んだら終わりなんだから・・・・、』
緑川は死にそうな声で言って、その場に倒れる。
身体じゅうには花弁が浮かんでいて、いつ花が咲いてもおかしくない状態だった。
『・・・・・・死にたくない・・・・・・まだ・・・・・・・、』
そう呟き、ゆっくりと動かなくなっていく。
沢尻は複雑な感情でそれを見つめていて、彼の最後の瞬間を看取ろうとした。
やがて緑川はピクリとも動かなくなる。
口を半開きにして、壊れた人形のように横たわる。
その時、沢尻はポロリと呟いた。
「すまん・・・・・。」
なぜか熱いものがこみ上げてきて、彼の傍に腰を下ろした。
「殺す以外に何も出来なかった・・・・・すまん・・・・。でも・・・俺もすぐに逝くさ。」
沢尻は自分の手を見つめる。
その手は紫に変色していて、びっしりと花弁が浮かんでいた。
呼吸をする度に花粉をまき散らし、それは風に乗って宙へ飛んで行く。
それを見つめていると、空から何かが向かって来た。
大きな羽を羽ばたき、『あはははは!』と笑っている。
『よくやってくれた!ありがとね!』
ミノリが笑いながら飛んできて、緑川の死体をかっさらっていく。
そして脳に毒針を突き刺し、チュルチュルと吸い始めた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
沢尻は立ち上がり、無表情な目でそれを睨む。
もう何もすることも出来ないが、それでも刀を構え「ミノリ・・・・」と呼びかけた。
「王の脳が欲しいなら、もって行けばいい・・・・。ただし・・・緑川の身体は返してくれないか?この手で弔ってやりたいんだ・・・・・、」
『いいわよ、こんな物に用はないもの。』
そう言ってチュルチュルと音を立てて緑川の脳を吸っていく。
半透明の管の中を、彼の脳が流れていく。
その脳は青味がかっていて、それは王の脳である証だった。
それを美味そうに吸い尽くすと、『はい』と緑川を投げ捨てた。
ぼとりと地面に落ち、手足が妙な方向へ曲がる。
すると沢尻の背後から銃声が響いて、ミノリを撃ち落とそうとした。
「沢尻!」
東山が駆けてきて、「クソッタレが!」と吐き捨てる。
「何をボケっとしてる!緑川を仕留めたんなら、こっちに手を貸せ!」
そう言って銃を撃ち続け、舌打ちしながらマガジンを交換した。
「あいつを逃がすな!ここで仕留めないと・・・・・、」
「そうだな・・・・。」
「これを使え!お前も撃つんだ!」
予備のライフルを渡し、「射撃は得意だろ」と促した。
「あんな奴を逃がしちゃ駄目だ!この星から飛び去ったって、またいつ戻って来るか分からない!ここで殺すんだ!」
「ああ・・・・・、」
銃を受け取った沢尻は、それをミノリに向ける。
しかしすぐに膝をつき、そのまま倒れ込んだ。
「おい沢尻!」
「・・・・・・・・・・。」
「どうした!?立て!」
東山は心配そうに肩を掴む。
すると彼の身体は、砂のようにボロボロと崩れ始めた。
「なんだこりゃ・・・・・、」
「・・・東山・・・・もう・・・時間だ・・・・、」
「まさか緑川の毒でも受けたのか?」
「・・・・・俺は・・・・役目を全うした・・・・。ミノリは・・・・お前たちと・・・・化け物の手で・・・・・、」
「おい!しっかりしろ!」
「・・・・それと・・・・早苗に・・・・さよならと・・・・・・・・・。刑事になっても・・・・俺のように・・・・無茶はするな・・・と・・・、」
そう言って小さく笑い、そのまま動かなくなる。
「沢尻!おい沢尻!!」
東山は激しく揺さぶる。すると沢尻の身体から無数の茎が生えてきて、色とりどりの花を咲かせた。
そこからキラキラと光る花粉が放たれ、辺りを漂って行く。
それは空に舞い上がり、オーロラのように輝いた。
そのオーロラに触れたミノリの群れは、身体から花を咲かせた。そして干からびた人形のように、砂となって崩れ落ちた。
誕生して間もないUMAや妖怪は、全てこの花粉の犠牲になる。
花を咲かせ、養分を吸い取られていく死んでいく。
やがてミノリの群れは壊滅し、オリジナルのミノリだけが残った。
河童モドキはこの花粉の犠牲になる前に、「向こう」へと戻っていく。化け物の群れを引き連れながら、陽炎のように消え去った。
後に残されたのは東山とミノリ、そして緑川と沢尻の死体だけだった。
沢尻は全身から花を咲かせ、養分を吸われていく。
そして瞬く間にすべてを吸い尽くされ、ボロボロと土に還っていった。
「沢尻!」
東山は土を手に取り、悔しそうに握りしめる。
厳つい顔がさらに厳つくゆがみ、歯を食いしばって彼の死を悼んだ。
「・・・・・・・・・・・。」
握った土を落とし、空に舞うミノリを睨む。
「・・・・逃がすか・・・・絶対に逃がすものか・・・・・・。」
『もうこんな星に用はないわ。さっさと「向こう」を消して、私は宇宙へ出る。』
「逃がさんと言ってるだろうが!」
東山は銃を撃つ。しかしミノリはケラケラ笑いながらそれをかわし、虫殺しの槍を投げてきた。
「うお・・・・、」
間一髪それをかわすと、ミノリは『バイバイ』と手を振った。
「おい待て!」
『そんなに私を殺したいなら、追いかけてくればいいじゃない。あなただってパートナーを持ってるんでしょ。』
そう言って陽炎のように薄くなり、向こうへ消えようとした。
『王の心臓を使って、またたくさんの私を生み出すわ。そして「向こう」の生き物を全て殺してやる。
その後はUFOを乗っ取って宇宙へ出る。「向こう」はすぐに消滅するわよ。』
可笑しそうに笑いながら、『今日は良い日だわ』と微笑む。
東山は彼女を追う為に、ドッペルゲンガーを呼び寄せる。
自分一人で勝てるとは思っていないが、何もせずに見逃すことは出来なかった。
しかし「向こう」へ行こうとしたその瞬間、「なんだ?」と顔をしかめた。
『・・・・・・あ・・・・・・、』
ミノリが頭を押さえて苦しみ始めたのだ。
顔を歪め、『ギイヤアアアアアアアア!!』と悲鳴を上げる。
元の姿に戻り、気が狂ったように空を飛び回る。
『アアッギャアアアアアアア!!イダアアアアアアアアアアアアイ!!』
爪を立てて顔を掻きむしり、『嫌ああああああああ!』と叫ぶ。
東山は「なんだ・・・・?」と息を飲んだ。
「なんで苦しんでる?誰かから攻撃でも受けてるのか?」
そう言って周りを見渡すと、おかしなことに気づいた。
「・・・・・な・・・・・・、」
脳を吸われた緑川の死体から、無数の花が咲いていた。
それは花粉をまき散らし、まっすぐに空へと昇っている。
その花粉はミノリに纏わりつき、彼女の体内へ吸い込まれていた。
やがて花は枯れ、色を失って崩れていく。そして緑川の身体も土に還り、馬糞のようにこんもりと土が盛り上がった。
『イッギャアアアアアアアア!!』
ミノリはまだ叫んでいて、必死に頭を押さえている。
獣のように口を開け、大きな複眼はガラスのようにヒビ割れていった。
『あんたああああああああ!!ふざけんじゃないわよおおおおおお!!』
そう言って骨切り刀を振り上げ、自分の頭を突き刺そうとした。
しかしその瞬間、ミノリの頭の中から、一本のナイフが飛び出してきた。
額を突き破り、ゆっくりと顔面を裂いていく。
『ぎゃあああああああああ!!』
そのナイフは茶色くくすんでいて、まるで豆腐でも斬るかのように、簡単にミノリの顔を裂いていく。
そして首元まで切り裂くと、彼女の顔はパックリと割れた。
『・・・・・あ・・・・ああ・・・・・・あああ・・・・・・、』
ミノリはガクガクと震え、割れた顔のまま宙に浮かんでいる。
すると彼女の顔の中から、一匹の蛾が現れた。
その蛾はナイフを持っていて、刃先にミノリの血がポタポタと垂れている。
『・・・・・・・・・・・・。』
蛾はすぐに地面へ降り、土に還った緑川の死体に飛び込んだ。
すると土に還った緑川の身体が、油粘土のように人の形になっていく。
東山は銃を撃つことさえ忘れて、ただ立ち竦んでいた。
土は人の姿になっていき、やがて本物の人に変わっていく。
東山はそれを見つめながら、ゆっくりと後ずさった。
「・・・・・・・・・・・・・。」
言葉を失い、背を向けて逃げ出したくなる。
その時、ふと傍を見ると、また信じられない光景が目に入った。
「・・・・・・・・・・・・。」
土に還った沢尻から咲いた花が、幾つもの小さな蛾を解き放ったのだ。
その蛾はアチェのような姿をしているが、顔には別の誰かの面影があった。
「・・・緑川・・・・・?」
出て来た無数の蛾を見つめて、東山は呟く。
しかしそのうちの一匹は、沢尻の面影を持っていた。
花から生まれた無数の蛾は、そのまま空へと舞い上がる。
そして陽炎のように、ゆっくりと「向こう」へ消えていった。
しかし沢尻の面影を残した蛾はその場に留まり、じっと宙を睨んでいた。
するとまたミノリが『ギャアアアアア!!』と叫び、彼女の顔の中からもう一匹蛾が現れた。
その蛾はアチェと瓜二つで、真っ直ぐにこちらへ飛んでくる。
そして沢尻の面影を持った蛾に近づくと、その手を取って微笑みかけた。
『まだ終わってないわよ・・・・・。』
そう言って手を引き、土に還った沢尻の死体に飛び込む。
するとその土も、もこもこと動いて、油粘土のように人の姿に変わっていった。
東山はだらりと銃を下げ、放心したように立ち尽くす。
「なんなんだお前ら・・・・・・・、」
もうついて行けないという風に、深くため息をつく。
人の姿へと変わっていく土は、やがて東山のよく知る人物へと形を成していく。
片方は緑川、もう片方は沢尻と、死を覆してこの世に戻ってきた。
復活した緑川は、人間に戻っていた。そして沢尻も、傷一つなく完璧に蘇っている。
片方が死ねば片方も死ぬし、片方が生き返れば片方も生き返る。
東山は「お前らは双子か何かか?」と呟き、「まるで鏡映しだな」と笑った。
すると『てめえらああああああ!!』とミノリが叫びが響いた
その顔はパックリと割れたままで、水道のように血が飛び出している。
そしてゆっくりと地面へ降りて来て、鬼の形相で睨んだ。
『よくも・・・・・私の身体を使って・・・・・・、』
二つに割れた顔が、憎しみに歪む。そして『私はお前らの養分じゃねえんだよ!!』と叫んだ。
『こんな・・・・こんなのが王の脳ミソの力なんて・・・・・・。だったらいくらでも生き返るってことじゃない・・・・・。身体は滅んでも思念は消えないなんて・・・・・・、』
そう言って蝶の化け物に変身し、割れた顔に毒針を突き刺した。
『もういい!ほんっとにこんな星はもうたくさん!誰もかれもが私の邪魔をする。挙句の果てには、死に損ないどもが私を養分に生き返るわ・・・・・・もうこんな星はうんざりよ!』
六本の腕を広げ、『あとは馬鹿どもで好きにやってりゃいいわ』と罵った。
『頭の悪い馬鹿が、頭の悪い争いを続けてる。いい?この星にはあんた達の知らない生命体がウヨウヨいるのよ?
そいつらが争い始めたら、あんたらなんか一瞬で滅ぶのよ!だから私がそれを変えよとうとした。
宇宙へ飛び出して、王よりももっと強い生命体の力を宿して、この星を住みやすい世界に変えようとした。
でももういいわ。これ以上馬鹿には付き合えない。私はどうにかして宇宙へ行く。そしてどこか別の星で暮らして・・・・・・、』
怒りとも諦めとのつかない表情で、沢尻たちを見下ろす。しかし言い終える前に、背後から首を刎ねられた。
『あんた・・・・いつの間に・・・・、』
頭が宙を舞い、ぼとりと地面に落ちる。ボールのようにコロコロと転がり、岩に当たって止まった。
『・・・・・クソ野郎・・・・・・。』
上を向いたミノリの目には、緑川が映っていた。
首狩り刀を構え、刃先から赤い血が垂れている。
『お前は本当に死神ね。災いばっかり振り撒く。今まで私が出会った中で、一番頭の悪い奴よ。』
ゴミでも見るような目で、恨みつらみを吐き出す。
『明確な目的も無い、信念や思想も無い。やってることは行き当たりばったりで、気に入らなければすぐに殺す。
生きてるのは自分だけなんて妄想を信じて、世の中を滅茶苦茶にしようとする。あんたみたいのがいるから、住みにくい世の中になるのよ。
自分が誰からも必要とされていないゴミだって分かってる?死神どころか、ただの疫病神だって自覚してる?』
淡々とした口調で言い、『きっとあんたは全てを敵に回すわ』と笑った。
『自分以外のものを全て敵に回す。あんたは人でも妖怪でもUMAでも平気で殺す。平気で裏切る。生きてるのは自分だけで、他は石ころなんて本気で思ってる。
そんな奴はね、生命の敵なのよ。あんたはこの星に住む全ての生き物の敵よ。いずれ細菌やウィルスまで敵に回して、居場所を無くす・・・・・、』
「長いよ、セリフが。」
そう言って緑川は、ミノリの頭に首狩り刀を突き刺した。
ミノリは『ぎゃッ・・・・、』と悲鳴を上げ、苦痛に顔を歪めた。
「グチグチ不満ばっか言ってんじゃないよ。てめえが馬鹿だから世の中が馬鹿に見えるんだろ?」
そう言って首狩り刀をグリグリと回し、ミノリの頭を抉る。
『い・・・・ぎい・・・・・・、』
「何がこの星から去るのが目的だよ。後で戻ってきて、自分の好きなように作り変えるつもりだったんだろ?」
『ぎゃッ・・・・・・、』
「ほんっとどうしようもねえゴミだなお前は。世の中なんてさ、思う通りにいくわけないじゃん。
だから俺も戦ってんだよ。生きてるのは俺だけなのに、なぜか石ころがぶつかってくる。そんで俺を殺そうとするんだよ。」
『ぐぎゃッ・・・・・・ぎい・・・・・・、』
「だから嫌でも戦ってんの。アホどもは「一人で戦い続けて何が楽しい?」とかほざくけど、戦いたくて戦ってんじゃないんだよ。
邪魔な石ころがぶつかってくるから戦ってるだけ。だいたい俺は誰も殺してないんだよ。石ころ砕いて殺人になるわけないだろ?」
ドリルのようにグリグリと刀を回し、ミノリの顔を抉っていく。
『お・・・・お前・・・・・ほんとに・・・・・最悪の・・・・・クズね・・・・・、』
「クズなんか世の中にいっぱいいるよ。でもクズを潰したって、またクズが湧くんだよ。だからどうやったって理想の世界なんてあり得ないわけ。
なのにお前はさ、宇宙に飛び出せば何かが手に入るんじゃないかって期待してんだろ?この星が嫌だからって、宇宙へ逃げ出そうとしてるだけじゃんか。」
淡々と言いながら、ミノリが潰れて行く様子を眺める。
「それってさ、仮病使って学校サボるガキとどう違うんだよ?引きこもってオナニーばっかしてるニートと何が違うんだ?何かを変えたいなら、この星に残って戦えってんだよ。」
そう言ってミノリの頭を突き刺したまま、川の方へ向かう。
そしてコンクリートの護岸に向かって、思い切り叩きつけた。
『ぎゃぐッ・・・・・・・、』
グチャリと音がして、頭の半分が潰れる。
「お前が宇宙へ飛び出すことはないよ。ここで死ぬんだから。」
何度も何度も護岸に叩きつけ、ミノリの頭を潰していく。
そしてトドメの一撃を加えようとした時、刀の先から頭がすっぽ抜けた。
彼女の頭は、ボチャリと音を立てて川に落ちる。そしてプカプカと浮かびながら、ゆっくりと流れて行った。
「まあいいか。どうせ死ぬだろ。」
ミノリの頭は、もうほとんど原型を留めていない。
川に流されながら、中身がドロリとはみ出していった。
すると「向こう」から一匹の河童が現れ、面白半分に石をぶつけ始めた。
ミノリはパクパクと口を動かして、まだ怒りや恨みを綴っている。
しかし大きな石をぶつけられて、遂に絶命した。
「アホな最後だな。ゴミに相応しい死に方だよ。」
可笑しそうにその光景を見つめてから、地面に横たわるミノリの胴体に目を向ける。
そして首狩り刀で胸を切り裂き、中から心臓を取り出した。
「心臓が二つあるな。青い方が王で、こっちの茶色いのがミノリのやつか。」
茶色い心臓は地面に捨てて、グチャリと踏み潰す。
そして青い心臓を睨み、「頂きます」と頬張った。
「・・・・・・・・・・きっしょ。」
肉が苦手な緑川は、吐きそうになりながら心臓を頬張る。
「・・・・生臭い・・・・焼けばよかったな。」
拳大の心臓をもごもごと噛み砕き、胃の中へ流し込む。
するとその心臓はすぐに元通りに戻って、緑川の胸に移動した。
「・・・鼓動が二つ。気持ち悪いけどすぐ慣れるか。」
とんとんと胸を叩き、「さて・・・・」と東山を睨んだ。
「どうする?まだ続ける?」
そう言って首狩り刀を向けると、東山は「化け物が・・・・」と息を飲んだ。
「死んだと思ったら生き返り、挙句の果てにはミノリまで殺しちまいやがる・・・・・。どうかしてんじゃないのか、お前。」
「なんで?ミノリはみんなの敵だろ?むしろ感謝されるべきだと思うけど?」
「お前も全員の敵だ!」
「だったら戦う?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ほら、ビビってる。」
緑川はケラケラと笑い、「で・・・・そっちはどうする?」と、東山の横に立つ者を睨んだ。
「沢尻・・・・・お前まで生き返ってやがる。とっととくたばっとけよ。」
そう言って首狩り刀を向けると、沢尻は小さく首を振った。
「・・・・残念だが・・・・今の俺じゃお前に勝てそうにない。」
「そりゃそうだよ。だって王の力を全部頂いたんだから。」
「ならこの場で俺たちを殺せばいい。そうすれば、もうお前に敵はいなくなる。」
「いいや、まだ残ってるよ。たくさんの妖怪やUMAが俺を殺そうとしてる。」
「そうだな。しかしお前にとっては敵じゃないだろう。このまま「向こう」へ行って、UFOを奪えば目的は達成だ。」
「なんか白けた口調だな。どうしたの?」
「どうもしないさ。ただお前にこの星から出て行ってほしいだけだ。そしてもう二度と戻って来るな。」
沢尻は肉挽き刀を拾い、「とっとと消えろ」と刀を向けた。
「UFOでも何でも乗っ取って、月でも火星でも好きな所へ行って来い。ここはお前のいる場所じゃない。」
「そうだな。でも・・・・やっぱり引っかかるな。お前があっさりと俺を見逃すはずがないもん。一体何を企んでるの?」
「何も。」
「嘘つくな。どんなに誤魔化しても、その目は何かを狙ってる感じじゃん。」
「じゃあ今ここで殺せばいいだろう。俺はもうただの人間だ。楽に勝てるだろう?」
「冗談言うなよ。お前の中からさ、あいつの気配を感じるんだよ。」
「あいつ?」
「アチェだよ。」
緑川は鬱陶しそうに言う。
「あいつまだ生きてるんだろ?お前の中でさ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「王の脳ミソって、身体が滅んでも思念だけは残る力があるんだよ。だからアチェの思念はまだ残ってる。
あいつも王の脳ミソを持ってたから、きっと今でも思念は生きてるはずなんだ。」
そう言って背を向け、「もういいや」と宙に舞い上がった。
「とりあえず「むこう」に行って、王のUFOを乗っ取る。その後は宇宙旅行でもして、また戻って来るよ。」
緑川は陽炎のように消えながら、「みんなが忘れた頃に戻って来て、また暴れようかな」と笑った。
「じゃあね、みんな。いつか必ず戻って来るから。」
そう言って「向こう」へ消え去っていく。
沢尻は何もせずにそれを見送ると、すぐに踵を返した。
「おい!」
東山が追いかけ、「これからどうする・・・」と尋ねた。
「あのまま奴をほっとくのか?」
「まさか。」
「じゃあどうする?」
「もちろん仕留めるさ。」
「しかしあいつはUFOを乗っ取るつもりだぞ?もしそうなれば、宇宙へ逃げられる。手の出しようがなくなるぞ。」
「そんなことはさせない。」
「させないって・・・・じゃあどうやって止めるんだ?」
「イナゴ。」
「は?」
「ケントの放ったイナゴが、しばらくの間だけUFOを守ってくれるさ。それにミントもいるしな。」
沢尻は足を止め、亀池山を見上げる。
「もう緑川に味方はいない。人間もUMAも妖怪も、全てがあいつの敵だ。」
山に一瞥をくれ、背中を向けて歩き出す。
「東山。」
「なんだ?」
「骨切り刀と虫殺しの槍を回収しといてくれ。」
「・・・・・ああ!そうだな。」
「それとドッペルゲンガーを使って、化け物どもにコンタクトを取ってくれ。一緒に緑川を討とうと。」
「一緒に・・・・?」
「挟み撃ちにするんだよ。「向こう」からは化け物に攻めてもらって、「こっち」からは俺たちで攻める。あいつの逃げ場を全て奪うんだ。」
「いや、しかしUFOを乗っ取られたら・・・・・、」
「すぐには無理だ。UFOに近づくには、ケントの放ったイナゴのいる場所を通らなきゃならない。あのイナゴは「向こう」そのものを消すほど凶悪だそうだ。
となれば、緑川はまた首狩り刀を大きくする必要がある。」
「なるほど・・・・それで「こっち」へ出て来たところを叩くと?」
「ああ、今度は大部隊で叩く。もっと強い武器も用意してな。そうすりゃあいつは「向こう」へ逃げようとするだろう。その時は化け物どもに攻めてもらう。」
「それなら確かに挟み撃ちに出来るな。しかし・・・・そう上手くいくか?相手はあの緑川だぞ?」
東山は不安そうに尋ねる。すると沢尻は「大丈夫だ」と笑った。
「他にもまだ味方がいる。」
「味方?どこに?」
「俺が蘇る時、無数の蛾が飛んで行っただろう。」
「ああ、花の中から出て来てたな。あれはもしかして・・・・・、」
東山は小さな蛾が消え去った空を見る。
沢尻は「あれは希望さ」と言い、ニコリと微笑んだ。
その顔には、アチェの面影が強く滲んでいた。
calendar
| | | | | 1 | 2 |
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 | | | | | | |
|
GA
にほんブログ村
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
powered