稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 最終話 誰かを照らす(4)

  • 2016.06.04 Saturday
  • 13:49
JUGEMテーマ:自作小説
『稲松文具に新社長誕生!!』
選挙の翌日、経済新聞の一面にデカデカとそう載った。
そこには俺の顔と名前も載っていて、「期待の若きホープ!」と書かれていた。
社長の椅子に座りながら、ニヤニヤその記事を眺める。
「う〜ん・・・・・いいもんだなあ・・・社長って。なんかこう・・・・いいよ、うん。何がって聞かれると難しいけど。」
稲松文具の最上階で、ゆったりと椅子に座る。
ちょっと偉そうに足を組み、葉巻でも咥えたい気分だった。
すると机の上の電話が鳴って、仰々しく受話器を持ち上げた。
「何の用かね?」
秘書からの内線電話を、カッコつけて応える。
『北川課長がお見えです。』
「うむ、通してくれたまへ。」
『かしこまりました。』
ウィーンとドアが開き、「おはようございます」と課長が入って来る。
そしてたくさんの書類を抱えながら歩いて来て、ペコリと頭を下げた。
「課長〜!」
立ち上がって駆け寄ると、課長はニコリと微笑んだ。
「俺・・・社長ですよ・・・・社長になったんですよ!」
歓喜に震えながら言うと、「もう何度も聴きました」と頷いた。
「俺ね、絶対にこの会社を盛り上げてみせますから!加藤社長みたいに立派な社長になって、みんなが満足できるような会社に・・・・、」
「ええ、それも何度も聴きました。」
「だからね課長・・・・この会社に残りませんか?俺と二人で頑張って、今よりももっと良い会社に・・・・、」
「そのお誘いも、昨日から何度も受けました。そして何度もこう答えているはずです。」
課長はニコリと微笑みながら、髪を揺らして首を傾げた。
「辞職を撤回するつもりはありません。」
「そ、そんな・・・・・考え直してくれませんか?」
「決めたことは決めたことです。」
「でも・・・・、」
「以前から決めていたことですから。」
「そこをなんとか!」
手を合わせて頼むと、「社長」とため息を吐かれた。
「ご自分の立場を理解して下さい。」
「へ?」
「あなたはもう平社員じゃないんですよ?部下に手を合わせて頭を下げるなんて・・・・みっともないです。」
「いや、課長は永遠に俺の課長なんです!身分とか関係ないですから。」
「関係あります。ここは会社なんですから。」
「それはそうだけど・・・・・、」
「もっと堂々と、そしてどっしりと構えていて下さい。」
課長は出来の悪いペットを躾けるように言う。
でも俺はどうにか食い下がった。
「な・・・なら長期休暇とかどうですか!?」
「長期休暇?」
「ええ。だって課長、以前の事件と今回の事件で疲れてると思うんです。だからしばらく休んだらどうかなあって。」
「もうすぐ辞めるのに長期休暇ですか?」
「だって有給とかたくさん溜まってるでしょ?いつも忙しくしてたから。」
「それはまあ・・・・、」
「ならここはパーッと有給を使っちゃいましょう!どっか旅行にでも行って、身体と心を落ち着けて。」
「はあ・・・・。」
「そうすれば考えも変わるかもしれないですから。」
「結局引き止めるのが目的なんですね?」
「いえいえいえ!課長の為を思って言ってるだけです。今まで頑張ってきたんだから、羽を伸ばして頂きたいなと。」
笑顔でそう進言すると、また「はあ・・・」とため息を吐いた。
「やっぱダメですか・・・・・?」
「そういうことではなくて・・・・、」
「なら・・・・どういうことで?」
「こういうことです。」
そう言って、両手いっぱいに持った書類の山を押し付けた。
「うお!重・・・・・、」
「それ、今日中に全て目を通して下さい。」
「え?この書類の山を?」
「社長たる者、現在の会社の状況を詳しく把握しておく必要があります。」
「これ・・・・全部会社の資料ですか?」
「そうです。それに経営についても学んでいただきます。」
課長はスケジュール帳を取り出し、「それを読み終えたら、経営の講座を受けて頂きます」と言った。
「講座・・・?」
「経営についての基礎知識や、会社を運営する上での法律のこと。それに経営とは何たるかを知って頂く為に、他の重役からみっちり教えを受けて頂きます。」
「ええ〜・・・・そんな・・・・、」
「全て必要なことです。しばらくは勉強が続くと思います。それもかなり大変な勉強が。」
「・・・・・・・・・・。」
「嫌な顔をしないで下さい。冴木社長は経営については素人なんですから、当然のことです。」
「・・・・・はい。」
「その間は私がお目付け役になりますので、ビシバシ鍛えさせて頂きます。」
そう言って懐から差し棒を取り出した。
そいつをビシッと突きつけ、「覚悟しておいて下さいね」と厳しい顔になった。
「勉強・・・・か。でも課長がお目付け役なら、常に一緒にいられるわけで・・・・、」
「ちなみに草刈取締役も付き添います。」
「えええ!あいつも!?」
「私だけでは大変だろうということで、気を利かせて下さったんです。」
「なんて余計な気遣いなんだ・・・・・。」
「はあ・・・」とため息をつくと、、目の前に差し棒を突きつけられた。
「顔を上げて下さい!」
「は・・・はい!」
厳しい口調で言われて、ビシッと背筋を伸ばす。
「これからはあなたが稲松文具のトップです。」
「いや、トップは会長なんじゃ・・・・、」
「でも実際に会社を取り仕切るのはあなたです。その為の社長なんですから。」
「まあ・・・そうですね・・・・。」
「これからは一切の甘えを許しません。しばらくゆっくり寝る暇もないこと、覚悟しておいて下さい。」
そう言ってピシっと差し棒を叩いた。
俺はがっくり項垂れながら、《社長って大変なんだなあ・・・・》と肩を落とした。
当たり前っちゃ当たり前だけど、こりゃ前途多難だ。
いつか加藤社長に追いつく日は来るのか・・・・ちょっと不安になってきた。
すると課長は「冴木君」と呼んだ。
「君はみんなに選ばれたの。だからそんな顔をしちゃダメ。」
「はい・・・・・。」
「ほら、顔上げて。」
そう言われて、俺はしょんぼりした顔を上げた。
「君の肩には大勢の社員の生活が懸かってるのよ。それを忘れないで。」
「そう言われると余計にプレッシャーが・・・・、」
「加藤社長みたいになるんでしょ?」
「なりたいです。なりたいですけど・・・・・なれるんですかね?」
自信のない声で言うと、「なれるよ」と返された。
「信じていればなれる。そして・・・・いつか彼を超えなきゃ。」
「超える・・・・。」
「憧れの人の背中を追うのはいいけど、でも追いかけるばかりじゃダメ。その背中を追い抜くつもりじゃないと、いつまで経っても追いつかないわ。」
「・・・・・・・・・。」
「だから私も協力する。短い時間しか残されてないけど、その時間は全て君の為に使うわ。」
そう言ってニコリと微笑み、「だから頑張ろう」と頷いた。
「君を鍛え上げることが、私の最後の仕事。」
「課長・・・・・。」
「いつか立派な社長になってくれるって信じてる。怪人の前でスピーチした言葉・・・・嘘じゃないって信じてるからね。」
拳を握り、目の前に突き出す。
俺は手に抱えた資料を置いて、その拳を見つめた。
「信じる・・・・。」
「うん。」
「信じてやれば、きっと出来る。」
「私も手伝う。」
「俺・・・・社長になったんですもんね。なれるって信じて、こうして社長になったんですもんね。」
「そうよ。」
「だったら・・・・今度は立派な社長になれるって信じます。その為に努力しないと・・・・。」
俺も拳を握り、前に突き出す。
課長の拳と合わせ、「やって見せます」と頷いた。
「せっかく社長になったんです。だから・・・・信じてやります。みんなが満足できる会社にするって。」
「期待してる。絶対に君なら出来るって。」
「はい!」
合わせた拳から、課長の期待と優しさが伝わってくる。
脳裏に加藤社長の顔が浮かび、《弱音吐いてる場合じゃない!》と言い聞かせた。
「課長・・・・俺、絶対に立派な社長になって見せます。」
課長の手を取り、グッと顔を近づける。
「ちょ、ちょっと・・・・、」
「その時、改めて課長を誘います。ウチで働かないかって。」
「冴木君・・・・。」
「だから今は引き止めません。課長には課長のやるべき事が、俺には俺のやるべき事があるから。」
握った手を離し、「残された時間は短いけど、よろしくお願います!」と頭を下げた。
「うん、私で出来る限りのことはするから。だから一緒に頑張ろう。」
そう言って「それとあの約束も守らなきゃね」と微笑んだ。
「あの約束?」
「ほら、社長になったらデートしようって言ったじゃない。」
「・・・・・・ぬああああ!」
今の今まですっかり忘れていて、「そうですよ!」と叫んだ。
「デートです!デートしましょう!」
「うん。今度の休みにどこかへ出かけて・・・・・、」
「いいえ!これからは休む暇も無いんです!だって俺、勉強しないといけないから。」
そう言って課長の手を掴み、社長室から駆け出した。
「善は急げ!今から行きましょう!」
「ちょ、ちょっと!今からって・・・・、」
慌てて部屋を出て、「ちょっと出かけてくる」と秘書に言う。
「え?あ・・・・社長!」
「夕方くらいには戻るから。」
慌てる秘書を尻目に、課長の手を引く。
「ちょっと冴木君!」
「どこへ行きます?映画?それとも水族館?」
「そんないきなり・・・・、」
「思い立ったらすぐ行動!すごい経営者はみんなそうしてます!多分・・・・。」
俺は課長の手を引き、エレベーターに乗り込む。
「さあ・・・・どこ行こうかなあ。」
ウキウキしながらデートコースを考えていると、課長は「ほんとに君は・・・」と呆れた。
「そういう所だけは行動が早いよね。」
「もう!だって課長とのデートですから!」
「いいよ、今から行こう。でもその代わり・・・・、」
「分かってます。デートが終わったら、ビシバシしごいて下さい。俺、課長の期待に応えますから!」
グッと拳を握ると、「約束だよ」と言われた。
「課長は動物が好きでしたよね?なら動物園にしますか?」
「う〜ん・・・・ちょっと前に行って来たのよね、動物園。」
「そうなんですか?じゃあサファリパークにでも・・・・、」
「それも行って来た。」
「ええっと・・・・ならクマ牧場に・・・・・、」
「それ、近くにないよ。」
課長は可笑しそうに笑う。俺は頭を掻きむしりながら、「ええっと・・・なら他に動物の見れる所って・・・」と悩んだ。
「別に動物じゃなくてもいいよ。」
「ならどこがいいですか?どこでも課長のお好きな所に!」
そう尋ねると「なら・・・・海がいいかな」と呟いた。
「海ですか。」
「うん。海の見える所に行きたい。」
「分かりました!ならサンゴ礁のある海に行きましょう!ついでにスキューバダイビングも!」
「それも近くにないってば。」
課長はクスクスと笑う。俺はスマホをいじり、なるべくロマンチックな海が見れる場所を探した。
恋も仕事も前途は多難だけど、でも諦めない。
課長に振り向いてもらう為、そして加藤社長の背中に追いつく為に、どんな困難だって乗り越えてみせる。
自分なら出来るって、そう信じて進んでいくんだ。
冴木晴香、23歳。
平社員から社長に昇進。
予想もしない未来になってしまったけど、それは多分これからも同じだ。
嫌なこともあるだろうけど、明るいことだってきっとある。
傍に立つ課長の笑顔が、いつもより眩しく感じた。

            
        稲松文具店 〜ボンクラ社員と小さな社長〜   -完-

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第四十三話 誰かを照らす(3)

  • 2016.06.03 Friday
  • 13:37
JUGEMテーマ:自作小説
今まで真剣に話を聞いていたのに、そのほとんどが伊礼さんの想像でしかなかった。
俺はガックリときて、真剣に聞いていたのが馬鹿らしくなった。
そんな俺を見て、伊礼さんはニヤリと笑った。
「確かにほとんどが俺の想像でしかない。しかしな、それはさっきまでの話だ。」
「さっきまで?」
「祐希が言っただろう?怪人はもうくたばったって。」
「ええ・・・・。」
「鞍馬がトドメを刺したんだ。自分の正体を明かし、俺はもう死んでるとな。そしてお前も同じだと言って。」
「・・・・よく分かりません。」
首を傾げると、「私から説明するわ」と祐希さんが言った。
「いい?怪人は自分が死人だってことを知らなかったわけ。そして加藤社長からそう告げられても、それを信じようとしなかった。」
「それはそうでしょ?自分が死人だなんて認めるわけないですよ。」
「だったら認めさせればいいのよ。」
「どうやって?」
「こうやって。」
祐希さんはニコリと笑い、テーブルに置いたバッグからカメラを取り出した。
「これは・・・・祐希さんのカメラ?」
「そうよ。あの怪人を隠し撮りしたの。」
「なんでそんなことを?」
「記事に載せる為よ。ねえ風間君?」
そう言って弟子を振り返ると、「まあね」と頷いた。
「あんた・・・・今度は何をしでかしたんだ?」
「怖い顔で睨むなよ。俺、今は君らの味方だから。」
「はあ?」
「祐希さんに雇われたんだよ。」
「ん?」
「ん?じゃないよ。怪人を潰す為の記事を書いてくれって頼まれたの。」
そう言って自分の鞄から原稿を取り出した。
「あの怪人のことは、昔からよく知ってるんだよ。持ちつ持たれつの関係だったからさ。」
「怪人があんたにネタを提供して、あんたが怪人の邪魔者を潰す記事を書く。そうだろ?」
「まあね。でも今回は別。あの怪人を潰す記事を書くことにしたんだ。」
「なんで?あいつと組んで上手い汁吸ってたんだろ?どうして敵に回るんだよ?」
威圧的に尋ねると、「一つは祐希さんからの依頼だから」と答えた。
「いくら怪人との付き合いが長いって言っても、祐希さんとはそれ以上の付き合いだから。仕事のイロハを教えてもらった師匠でもあるし。」
「あんたみたいなのでも、恩義はあるんだな。」
「人を冷血漢みたいに言うなよ。俺はプロのジャーナリストだから、プロとしての仕事をこなしてるだけで・・・・、」
「いいから先を言えよ。」
「そっちが突っかかってきたんだろ?ガキだねえ。」
風間は肩を竦めて笑う。俺は「お前なあ・・・」と睨んだが、「冴木君」と課長が止めた。
「すぐに喧嘩しない。君の悪いクセよ。」
「でも・・・・・、」
「・・・・・・・・・・。」
「すいません・・・・。」
大人しく引き下がり、「で、続きは?」と尋ねた。
「祐希さんから依頼されたから、俺たちの味方になったわけ?」
「それもあるけど、もう一個の方がデカイかな?」
「何?」
「ほら、俺って喫茶店やってたでしょ?あれね、けっこう儲かってるんだよね。」
「そっちが本業なんだろ?」
「どっちかって言うとね。趣味で始めただけなのに、意外と儲かっちゃって。だからこっちの方に専念しようと思ったんだけど、出来るなら支店を出したいんだよ。」
「支店?」
「うん。将来的にはチェーン店にしたいんだよね。そんな大きな規模じゃなくてもいいからさ。」
「あ、そ。上手くいくといいな。」
「でもその為にはお金がいるじゃない?だからまあ・・・それなりの額を貰ってるわけよ。祐希さんから。」
「結局は金かよ。」
「金がなきゃ首も回らないって。あっても困るもんじゃないし。」
「祐希さんからこいつに流れた金・・・・元を辿れば俺の貯金だ・・・・。腹立つな。」
また突っかかってやろうかと思ったが、課長に睨まれたのでやめておいた。
「まあとにかく、僕は怪人との付き合いが長いわけよ。だから今までのアイツの悪行をネタにしようと思ってさ。」
「なら最初からそうしろよ。もっと早くにカタが着いたのに。」
そう睨むと、「分かってないなあ」と言われた。
「いいかい?ただアイツの悪行だけ書いたって、インパクトが弱いんだよ。」
「へえ。」
「売れるようにするには、何かキャッチコピーがいるわけ。まあでっち上げでもいいんだけど、それが真実なら尚いい。」
「そうかい。相変わらずクズだな。」
「そういう商売なんだよ。でさ、加藤社長のおかげで面白い売り文句が出来たわけ。」
「ああ?」
「次々と会社を乗っ取る怪人!その正体は死人だった!ってね。」
「はあ?」
俺は顔をしかめる。でも風間は馬鹿にしたように笑い飛ばすだけだった。
「今思ったでしょ?コイツ馬鹿なんじゃないかって。」
「当たり前だろ。そんなもん三流週刊誌の見出しでも見ないぞ。」
「そうだね。でもこれは事実だから。」
「いや、事実かどうか分かんねえだろ。さっきのは伊礼さんの想像でしかないんだから。」
「いいや、事実なのさ。」
風間はそう言って、口を開けて見せた。
「なんだ?挑発してんのか?」
「違うよ。歯。」
「歯?」
「いくら双子っていったって、一から十まで同じわけじゃない。歯並びは別。」
「・・・・・・ああ!」
「気づいた?」
「・・・・・・うん。」
俺は眉を寄せながら、「あれだろ?歯の治療痕ってやつだろ?」と尋ねた。
「正解。誰だって一度は歯医者に掛かるからね。だからあの姉妹の経歴を洗って、通っていた歯医者を突き止めたんだよ。」
「なるほど・・・・。それを調べれば、あの怪人の肉体はお姉さんのもんだって分かるわけか。」
「その通り。糸川百合は、怪人になってからも歯医者に通ったことがあるんだよ。だからコネを使って、カルテを調べさせてもらったわけ。
そうすると・・・・・一致しないんだよ。今の歯と昔の歯が。」
「なるほど・・・・。ならお姉さんの方とは一致したのか?」
「同じ治療痕だったね。だから奴の肉体はお姉さんのもの。」
「そうか・・・・信じられないけど、やっぱ事実だったのか・・・・・。」
俺は驚きを隠せずに唸る。
「でもさ、だからってあいつがお姉さんの肉体を乗っ取ってるって書いても、信じてもらえないだろ。そんなの事情を知ってる俺たちだから理解できるわけで。」
「そうだよ。」
「そうだよって・・・・・じゃあダメじゃんか。」
「ダメなことはない。だってさっきも言ったけど、売り文句なんてでっち上げでもいいんだからね。」
「はあ?」
「要は僕の書いた記事が売れればそれでいいわけ。」
「いや、だからそんな馬鹿みたいなキャッチコピーを付けても・・・・、」
「ならこう変えよう。次々と会社を乗っ取る怪人、通称パラサイト。過去に双子の姉を殺害!その凶行から人生が変わる!」
「・・・・・・・・・・。」
「登山中に遭難し、姉を殺して生き延びる!身内を手に掛け、肉体を乗っ取って欲望を貪る寄生虫。・・・・・どう?」
「・・・・・嫌な売り文句だな。」
「でも興味は惹かれるでしょ?そうすれば読んでもらえる。そしてたくさんの人に読んでもらえるってことは、あいつの存在が世間に知れ渡るってことなんだよ。
今までどんな悪行を積んで、どれだけの人を傷つけてきたか。それが明るみに出るんだ。」
風間はどうだと言わんばかりに胸を張る。
俺は黙って考え込み、「そのことを怪人は・・・・」と尋ねた。
「知ってるよ。歯の治療痕のことも、記事を載せることも全部伝えた。君たちが怪人の元に向かう、ほんの少し前にね。」
「・・・・・・・・・・。」
「本当はね、加藤社長がスピーチの時に暴露するはずだったんだよ。みんなが注目してる時にね。でもそれが叶いそうになかったから、咄嗟に作戦を切り替えたんだ
万が一スピーチを妨害された時、別の手段で怪人を追い詰める方法に。」
「それがあんたに記事を書いてもらうことだったと?」
「そう。ていうか祐希さんに相談してたみたいでね。だから僕の所に依頼が来たわけさ。」
「なら・・・・怪人は怯えてるってわけだな?自分の悪行が明るみに出ること。」
「それだけじゃない。素顔だって載せるし、顔を変えられるってこともバレる。」
「丸裸だな・・・・。」
「それに今までは法律上死人になってたけど、それももう通用しなくなる。おそらくそれが一番効くだろうね。」
「もう自由の身じゃないってわけか・・・。」
「だからこそ加藤社長は告げたんだよ。お前も死人だってね。そうなると、あいつの死亡は取り消しになる。その上僕に記事まで書かれちゃ終わりでしょ?」
「もう陰でコソコソ出来なくなるわな。モグラが地面に引っ張り出されたようなもんだ。」
そう言うと、「上手いこと言うね。それ頂こうかな」と笑った。
風間は可笑しそうにしながら、こう続けた。
「加藤社長は誘拐されそうになり、選挙そのものが危うくなった。だから作戦を切り替え、あいつの記事を世に出すことにした。
本当なら選挙中に暴露した方が手っ取り早かったろうに、それが出来なくなったんだから仕方がない。」
風間は嬉しそうに、そして楽しそうに続ける。まるで落語家みたいに饒舌になりながら。
「加藤社長はこういう事態になった時、怪人を僕の喫茶店に誘導するように頼んでいたんだ。」
「誘導?」
「だから僕は怪人にこう言っておいたんだよ。もし何かヤバイことがあったら、いつでも店に駆け込んで来てくれって。合鍵だって渡してあるしね。」
「隠れ蓑にしてるわけか。」
「ああ。でもどうしてわざわざあの喫茶店なのか分かる?」
そう尋ねられて、「う〜ん・・・」と首を捻った。
「・・・・取り囲みやすいから?」
「それもある。けど逃げられる可能性の方が大きいよ。あいつは短時間で顔を変えられるからね。別人になられた後じゃ、いくらでも逃走出来るじゃない?」
「じゃあなんで?」
「眠らせる為さ。」
「眠らせる?」
「実はあの喫茶店には、ちょっとした仕掛けをしておいたんだ。」
「どんな?」
「コンロから睡眠ガスが漏れるようにしておいた。」
そう言って、コンロの摘まみを動かす仕草をした。
「あの怪人、ウチの紅茶が好きでね。だからもし喫茶店に隠れに来たら、多分飲むだろうと思ってたんだよ。」
「紅茶を飲むために、お湯を沸かすから?」
「そう。でも火は点かない。なぜなら出て来るのは睡眠ガスだから。」
「ああ・・・・それで眠らせるわけか。」
「そういうこと。」
それを聞いて、俺は「ああ!」と思い当たった。
「そうか・・・・あのチッチッチって音・・・・あれコンロの音だったんだ。」
そう言うと、課長が「どういうこと?」と首を傾げた。
「ほら、怪人から電話が掛かってきた時、チッチッチって音が鳴ってたでしょ?」
「ああ、あの時計みたいな音?」
「あれは時計じゃなくて、コンロの音ですよ。火が点かない時、チッチッチって鳴るでしょ?」
「ああ・・・なるほど。じゃああの時に睡眠ガスを吸い込んで・・・・。」
「今頃寝てるはずですよ。もしボディガードたちがいたとしても、きっと同じように寝てるはずです。店の中に広がってるだろうから。」
課長は頷き、「じゃあ怪人を捕まえるのは楽勝ってことね」と笑った。
「ええ。あの怪人はもうお終いって、そういう意味だったんですね?」
祐希さんに向かって尋ねると、「そういうこと」と頷いた。
「しばらくは眠ったままよ。そして目を覚ます頃には、もう記事が出てる。あいつの悪行の記事、そして素顔や正体を暴露される記事がね。」
「あ、ちなみにその記事が載る週刊誌には、あいつの居場所を伝えてあるから。今頃喫茶店を取り囲んでるんじゃないかな?」
「マジで・・・・・?」
「僕も行ってくるよ。ジャーナリストとして最後の仕事にするつもりだから、とことん面白くしなきゃ。楽しみだなあ。」
風間はウキウキしながら立ち上がり、「まあ落ち着いたらまた店に来てよ」と言った。
「紅茶一杯くらいならサービスしてあげるから。」
キザったらしくウィンクを飛ばし、軽い足取りで部屋から出て行った。
「なんか・・・・最後まで好きになれない奴だったな。」
去りゆく足音を聴きながら、「でもこれで怪人は終わりだな」と拳を握った。
「もう捕まえられないと思ったけど、まさかこんな終わり方とは・・・・ざまあ見ろってんだ!」
そう言うと、祐希さんが「まさか怪人も死人だったなんてねえ」と呟いた。
「世の中不思議なことが多いわ。」
「信じられないけど・・・でも加藤社長もそうだったし。納得するしかないですよね。」
「まあとにかく、怪人は二度と悪さは出来ないわ。前にも言ったけど、あの手の輩はコソコソと動くことしか出来ないからね。
明るみに引っ張り出されると、途端に大人しくなるものよ。」
「だといいですけど。」
「心配しなくて大丈夫よ。風間君は決して手を緩めないから。敵に回すと恐ろしいけど、味方にすると頼もしいんだから。なんたって私が育てたんだからね。」
そう言って立ち上がり、「これで私の仕事はお終い」と頷いた。
「また何かあったら呼んで。仕事ならいつでも引き受けるから。」
軽く手を振り、部屋から出て行こうとする。すると猛君が「あ・・・・」と追いかけた。
祐希さんの手を握り、寂しそうにする。
「猛君。」
祐希さんは握った手を離しながら、「私じゃないの」と言った。
「君を引き取るのは私じゃないのよ。」
「・・・・・・・・・。」
「何度も言ったでしょ?そこのおじさんがお父さんになってくれる。だから彼と一緒に行きなさい。」
そう言って伊礼さんの方へ背中を押した。
「彼はずっと君の傍にいた人よ。覚えてないだろうけど、常に君を守ろうとしていた。だから・・・・きっと大切に育ててくれるわ。」
「・・・・・・・・・・。」
猛君は悲しそうな顔で祐希さんを見上げる。
そこへ伊礼さんが近づいて、「なあ」と呼びかけた。
「俺はずっと君の傍にいたんだ。でも・・・・会うのは初めてだ。」
そう言って肩に手を置き、「今は話せないが・・・・」と呟いた。
「でもいつか本当のことを話してやる。だから・・・・不安かもしれないが、俺のことを信用してほしい。君を引き取って育てることは、親友からの頼みなんだ。」
「・・・・・・・・。」
「大丈夫、きっと良い父親になって見せる。君から信頼を得られるような父親に。」
猛君の手を取り、しっかりと握りしめる。
その目は悲しそうで、でも強い決意に満ちていた。
猛君はまだ戸惑っていたけど、もう祐希さんに甘えることはしなかった。
伊礼さんに手を握られたまま、不安そうに俯いているだけだった。
「じゃあね、またいつか会いましょ。」
みんなに手を振り、祐希さんは去って行く。
それと入れ替わるように草刈さんがやって来た。
「話は終わったか?」
そう言いながら、眉間に皺を寄せてみんなを見渡す。
すると伊礼さんが「棄権者がもう一人」と手を挙げた。
「加藤もここで棄権します。」
「あ、そう。まあそれがいいんじゃない。」
興味もなさそうに言って、俺の方を向く。
「伊礼と加藤は棄権、そしてカグラの二人も棄権、怪人は失格ときた。残るは・・・・そっちの二人だけだな。」
そう言って俺と課長を交互に見つめた。
「最低でも六名の候補者が必要だったのに、それが二人だけになっちまうなんて・・・。」
ポリポリと頭を掻きながら、「もういっそのこと中止にするか?」と言った。
「ちょ・・・ちょっと待って下さいよ!中止なんて・・・、」
慌てて言い返すと、「冗談だ」とおでこを叩かれた。
「選挙は予定通り行う。」
「よかったあ・・・・。」
「お前と北川課長だけか・・・・。投票する前から結果が見えてるな。」
そう言ってポンポンと俺の肩を叩き、「憐れっちゃ憐れだが、良い経験だと思え」と笑われた。
「せいぜい頑張ってスピーチしてくれ。」
「俺、本気でやりますから。」
「うんうん、その方が良い経験になる。人間は恥かいて成長するもんだからな。」
草刈さんは高らかに笑いながら去って行く。
「あの人・・・・良い人なのか嫌な奴なのか分からないな。」
嫌いじゃないけど、好きにもなれない。まったく掴みどころの無い人だった。
「冴木。」
伊礼さんが猛君の手を引き、俺の前に立つ。
「しっかりと聴かせてもらうよ。お前のスピーチ。」
「はい!」
「鞍馬にも聴かせてやりたかったが・・・・残念と言うしかない。」
「俺・・・お墓参りに行きますよ。加藤社長の。」
「そうか・・・きっと喜ぶ。」
コクリと頷き、伊礼さんは出て行く。猛君が一度だけ振り返り、不安そうな眼差しを残していった。
「・・・・・・・・・。」
複雑な気持ちになって、ソファに座り込む。
すると課長が「私も本気でやるからね」と言った。
「手は抜かない。もうすぐ辞めるからって、いい加減な気持ちではやらないから。」
「俺・・・・負けませんよ。いくら課長でも、この選挙だけは・・・・。」
そう答えると、課長は嬉しそうに笑った。
「初めて聞いた。」
「何がです?」
「だって冴木君、いつだって私の言うことは頷くじゃない?でもそういう風に言い返されたのは初めて。」
「だって本気ですから。こういうのは余計な感情を交えちゃいけないんです。」
「・・・・やっぱり大人になったね。今までで一番カッコいい顔してる。」
そう言って「また後でね」と出て行った。
「・・・・・・・・・。」
一人になった俺は、窓から街を見下ろした。
この街で一番高いビル。街が一望出来て、もうすぐそのてっぺんの椅子に座ることになるかもしれない。
「偉くなりたいわけじゃない。お金が欲しいわけでもない。でも人の上に立たないと出来ないこともある。だから・・・俺は社長になる。」
空は青く澄み渡り、雲が遠くの方へ去っていく。
不安があっても、困難があっても、いつか必ず光が射すって信じてなきゃいけない。
そしていつかは、自分が誰かを照らす太陽になってみたい。
加藤社長がみんなを照らそうとしたように、課長がいつだって俺を照らしてくれたように、俺だって誰かを・・・・・。
空は青く、街が輝いて見える。
今日見たこの光景、それは写真のように俺の頭に残る。
ここから見える全ての景色、今までに起きた全ての出来事、そして出会った人たち。
何もかもが記憶に焼き込まれ、俺の一部になっていく。
陽射しに照らされながら、その眩しさに目を細めた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第四十二話 誰かを照らす(2)

  • 2016.06.02 Thursday
  • 14:04
JUGEMテーマ:自作小説
本社に着くと、箕輪さんたちが駆け寄って来た。
俺は車から降り、「みんな待っててくれたんですね!」と駆け寄った。
「冴木〜!」
箕輪さんが手を振りながら走って来る。俺も「箕輪さ〜ん!」と手を振り返した。
「俺、やりますよ!ばっちりスピーチを決めて、絶対に社長に・・・・、」
そう言って駆け寄って行くと、思い切りエルボーを喰らった。
「ぐへえあッ!」
硬い肘がめり込み、もんどり打って倒れる。
口からヨダレをまき散らし、危うくKOされそうになった。
「あんたまた危険なことしてたんでしょ!」
「え・・・えええ・・・?」
「祐希さんから聞いたわよ!怪人のいる店に行ってたって!課長と二人でそんな所に乗り込むなんて・・・・バカじゃないの!」
「す・・・すみません・・・・、」
「もし課長まで危険な目に遭ったらどうすんの!あんた責任とれるの!」
「も・・・申し訳ない・・・・、」
「そんな事ばっかりしてるとねえ・・・・いつかあんたも死んじゃうわよ!それでもいいの!?」
「よ・・・良くないです・・・・、」
「だったら勝手に一人で突っ走るな!この大ボケ!」
箕輪さんは鬼のようにカンカンになっている。そして肘を押さえながら、「おお、痛・・・・」と言った。
すると美樹ちゃんがやって来て、「生きてますか?」と顔を覗き込んだ。
「ま・・・・まあね・・・。」
「すっごい音しましたよ、今・・・・。本当に大丈夫ですか?」
「うん、平気平気・・・・。」
「ほら、起こしてあげますよ。」
そう言って肩をかそうとする美樹ちゃん。でも俺は「ほんと平気だから・・・」と首を振った。
「全然平気じゃないじゃないですか。目がぶっ飛んでますよ。」
「いいのいいの・・・・しばらくそのままで・・・。」
「?」
美樹ちゃんは首を傾げながら、不思議そうな顔をする。
俺はある一点を見据えながら、笑顔になっていた。
「いや、だって・・・・さっきからずっとパンツが見えてるから。」
倒れた俺の前で、心配そうにしゃがんでいる美樹ちゃん。
その太ももの奥に、可愛い水玉模様のパンツが・・・・、
「最低!」
「ほげうあッ!」
「せっかく心配してるのにどこ見てるんですか!」
「ちょ・・・痛い!踏まないで!」
「箕輪さん!もう一回さっきのやって下さい!」
「ごめん・・・肘が痛くて。ビンタでもいいかな?」
「あ、それなら私もやります。」
「待って待って!それ以上やられたら病院送りになる!」
慌てて立ち上がり、二人から離れる。
すると遠くから「ふぁいと〜!」と声がした。
「冴木君・・・・ふぁいと〜・・・・。」
「店長・・・・ここ応援するとこじゃねえよ。」
なぜか頭にリボンをつけて、「ふぁいと〜」と連呼する店長。
この人・・・・完全に美樹ちゃんのオモチャにされてるな・・・・・。
でもこうしてみんなが待ってくれていたのは嬉しい。
箕輪さん、美樹ちゃん、店長・・・・・。店の仲間が妙に眩しく見えて、そして妙に遠く感じた。
「冴木君。」
課長に肩を叩かれ、「中に入ろう」と言われた。
「加藤社長が待ってる。」
「はい。」
課長と並んで歩きながら、本社に入る。するとロビーに草刈さんがいて、「お前!」と怒った。
「勝手なことするなと言ったろうが!しかも北川課長まで・・・・。」
「すみません。怪人を取り逃がしてしまいました。」
ペコリと頭を下げる課長。草刈は「まったく・・・」とため息をついた。
「何かあったらどうするんですか?俺が会長に殺されるんですよ。」
「勝手なことをしたのは謝ります。だけどあのままじっとしてることは出来なかった。どんな処分でもお受け致します。」
「もうじき辞める人に処分なんてしてもね・・・・。」
顔をしかめながら、「冴木い・・・」と詰め寄ってくる。
「お前はほんっとにじっとしてられん男だな。」
「そういう性分なんですよ。」
「周りの身にもなれ。お前なんてどうでもいいが、もし北川課長に何かあったら・・・・、」
「その時は死ぬ気で守るつもりでしたよ。」
「ほんとかよ・・・・。」
「ほんとですよ。課長の為なら火の中水の中ですから。」
そう言って拳を握ると、「お前なんかフラれちまえ」とおでこを叩かれた。
「もう知ってると思うが、加藤は無事だ。」
「ええ、祐希さんが守ってくれたそうで。」
「あの女・・・・前の事件の時も関わってたな。いったい何者なんだ?」
「カメラマンですよ。」
「嘘つけ。ただのカメラマンが、怪人の手から加藤を守れるか。」
「俺もあの人のことは深く知らないんです。だけど報酬に見合った仕事をしてくれる、本当のプロですよ。」
「そうかい。なら今度の新商品の撮影でも頼むか。絶対に売れるようにって注文付けて。」
面白くなさそうに言いながら、「奴らは五階にいるよ」と踵を返した。
「加藤の控室だ。伊礼も戻って来てる。」
「伊礼さんも?」
「お前に話があるそうだ。早く行ってやれ。」
カツカツと靴を鳴らしながら、キザッたらしく手を振る。
「あ、そうそう。加藤が無事だったから、選挙は予定通り行う。時間は12時からだ。」
「ほんとですか!」
「スピーチはその一時間前に始める。今度は勝手にどっか行くなよ。」
そう言ってロビーの向こうへと消えて行った。
「よかった・・・・選挙はやるんだ。」
もしかしたら中止になるんじゃないかと、ちょっとだけ不安だった。
だけどそんな不安は杞憂に終わり、「よっしゃ!」とやる気に燃えた。
「冴木君、早く加藤社長に会いに行こ。」
課長がポンと背中を叩き、エレベーターに向かって歩き出す。
俺はネクタイを締め直し、その後をついて行った。
そして五階までやって来ると、エレベーターが開いた途端に伊礼さんと鉢合わせした。
「伊礼さん!」
「おお、冴木。」
伊礼さんは手を挙げながら、「怪人の所に行ってたんだって?」と笑った。
「北川課長と二人だけで行くなんて・・・・相変わらず無茶するな。」
「なんかもう・・・勢いでね。ははは・・・。」
「ちょっとビビってるんじゃないのか?」
「いや、まさか・・・・。」
「いいんだよ、そうやって恐怖を覚えるのは。これから社長を目指そうってんだ。無鉄砲なだけじゃ務まらないからな。」
そう言って「来いよ、加藤が待ってる」と歩き出した。
「加藤社長・・・無事でよかったです。」
「ん?まあ・・・・、」
「どうしたんですか?」
「無事と言えば無事なんだか・・・・無事ではないんだ。」
「はい?」
何を言ってるのか分からず、唇を尖らせる。
すると伊礼さんは立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。
「・・・・・・・・・・。」
「どうしたんですか?神妙な顔して。」
「・・・さっきまでトイレにいてな・・・・。恥ずかしい話だが、この年で・・・・、」
「漏らしたとか?」
「お前と一緒にするな。」
「俺だって漏らしたりしませんよ。ヤバイ時はあるけど。」
「・・・・・・・・・。」
「伊礼さん・・・ちょっと変ですよ?」
「ああ・・・・・。」
「なんか目が赤くないですか?すごい充血してますよ。」
「・・・・さっきトイレでな・・・・、」
「?」
「人に見られたくなかったんだ・・・・。我慢してたんだが・・・・どうしてもな。」
そう言って唇を噛み、思いつめたように俯いた。
すると課長が何かを察したように、「行こう」と俺の背中を押した。
廊下を歩きながら、先を行く伊礼さんの背中を見つめる。
その時、ふと嫌な予感がした。
「まさか・・・・、」
最悪のことが頭をよぎり、鼓動が早くなる。
部屋に向かうのが憂鬱になって、鉛のように足が重くなった。
「・・・・・・・・・・。」
伊礼さんはもう部屋に入ってしまった。
でも俺は・・・・中に入る勇気が無かった。
部屋の手前で立ち止まり、この現実から逃れたいと思った。
「冴木君・・・・・。」
課長が前に立ち、「会ってあげなきゃ」と言った。
「辛いだろうけど・・・・・ね?」
「でも・・・加藤社長はもう・・・・、」
「だとしても、ここで背中を向けちゃ駄目。」
「・・・分かってます・・・・分かってますけど・・・・。」
重い息を吐きながら、部屋の入り口を見つめる。
中から誰かの話声が聴こえて、じっと耳を澄ました。
《伊礼さんに祐希さん・・・・それに加藤社長の声だ。だけど・・・違う。これは加藤社長だけど、加藤社長の声じゃない。》
声は一緒でも、口調や喋り方が違う。
増々足が重くなって、このまま引き返したい気分だった。
すると中から祐希さんが出て来て、「お帰り」と笑った。
「あなた達だけで怪人の所に行ってたそうね。相変わらず無茶するわ。」
そう言って肩を竦め、「中に入って」と促した。
「君に会わせたい人がいるのよ。」
「会わせたい人?」
「前に一度会ってるわ。いいから入って。」
俺の背中を押し、強引に部屋の中に連れ込む。
するとそこにはアイツがいた。
「お前・・・・・、」
「おお、久しぶり。」
そう言って手を挙げたのは、風間守だった。
「お前・・・・こんなとこで何してんだよ!」
思わず掴みかかると、祐希さんが「まあまあ」と止めに入った。
「彼は敵じゃないから。」
「何言ってるんですか!コイツの店に怪人がいたんですよ!」
「分かってるわ。でもあれは罠だから。」
「罠?」
「そう・・・加藤社長の仕掛けた罠よ。」
そう言って加藤社長に目を向けた。
「・・・・・・・・・・・。」
加藤社長は暗い顔で俯き、手をもじもじとさせている。
誰とも目を合せようとせず、見知らぬ群れの中に放り込まれた子犬のようになっていた。
その表情は幼く、年相応の顔つきだった。
以前のような貫禄や気迫はなく、緊張しているのか頬が赤くなっていた。
「・・・・・・・・・・。」
俺は少しだけ彼に近づき、「猛君?」と呼んだ。
すると肩を竦ませ、祐希さんの後ろに隠れてしまった。
「・・・加藤社長・・・・。」
今、俺の目の前に加藤社長はいない。いるのは小学六年生の、加藤猛君だった。
加藤社長・・・・いや、鞍馬真治の魂は、もうここにはいない。
本来逝くべき世界へ戻ってしまったんだ。
だからいくら望んだって、もう帰って来ない。
怪人を倒す為にもらった、ほんの少しの猶予はもう終わってしまった・・・・・。
「お別れ・・・・くらい言いたかったな。」
切なさがこみ上げ、脳裏に浮かぶ加藤社長に別れを告げる。
祐希さんがポンと肩を叩き、「彼、最後にこう言ってたわよ」と頷いた。
「楽しい時間だった。お前と会えてよかった。」
「・・・・・・・・・。」
「泣いたっていいのよ?我慢しなくても。」
「・・・・今、泣けないんです・・・。でも後できっと泣くと思います。」
「そう。なら・・・・話を続けてもいい?」
祐希さんはそう言って、猛君の肩を抱きながらソファに座った。
「知らない人ばかりで怖がってるの。加藤社長の魂が蘇ってる間の記憶がないから。」
「びっくりしてるでしょうね・・・・・。」
「落ち着くまで大変だったのよ。今は私にだけ懐いてる。」
猛君の頭を撫でながら、「君も座って」と向かいに手を向けた。
俺と課長は並んで座り、祐希さんの話に耳を傾けた。
「まず怪人のことだけど、あいつはもうお終いよ。」
いきなりそう言われて、「はい?」と聞き返した。
「お終い・・・?」
「もうじきくたばるわ。」
「くたばる・・・?」
「そう。ていうか元々死んでるんだけどね。」
「はい?」
「わけが分からないわよね?まあ早い話が加藤社長と一緒ってことよ。」
そう言われて、「まさか・・・」と息を飲んだ。
「まさか怪人も・・・・、」
「怪人、糸川百合はとうの昔に死んでるの。山で遭難してね。」
「・・・・・・・・・。」
「でも本人は気づいてなかったみたい。自分が死んでることを。」
「気づいてない・・・・・?」
「ええ、まだ生きてると思い込んでたのよ。だけど加藤社長がトドメを刺した。」
「どういうことですか・・・・?」
顔をしかめながら尋ねると、「加藤社長が自分の正体を明かしたのよ」と答えた。
「本当は選挙の時に明かすつもりだったんだけどね。でもその前に正体をバラすことになった。自分が誘拐されそうになったから。」
「・・・・なんで?なんで今になって・・・・、」
そう尋ねると、伊礼さんが「それこそが加藤が言ってた武器なんだよ」と答えた。
「あいつは知ってたみたいなんだ。怪人、糸川百合が死人だってことを。」
「知ってたって・・・・いつからですか?」
「つい最近だ。」
「最近・・・・。」
「あいつは最近よく意識が遠のくって言ってただろう?」
「ええ。」
「あの婆さんと一緒にいる時も、ふらっと倒れたことがあるらしいんだ。」
「そうなんですか?」
「その時に気づいたらしい。糸川百合はもう死人なんだって。」
「ということは・・・・その時に何かあったんですか?」
「加藤は・・・・もうこう呼ぶのはやめようか。鞍馬は怪人の素顔を直に見たんだよ。」
「素顔を・・・。」
「怪人の奴・・・・ベッドで寝ている鞍馬の前で、ベリベリっと顔を剥がして、素顔を見せたそうなんよ。そして顔を近づけて、じっと覗き込んできた。
その時、鞍馬は気づいたらしい。こいつも自分と同じだと。すでに死んでるんだとな。」
「どうして?何かおかしな所があったんですか?」
そう尋ねると、伊礼さんはこう答えた。
「怪人は顔を近づけながら、こう言ったそうだ。『私はずっと地味な顔のまま。昔から何一つ変わらない。遭難して死にかけたあの日から、まったく変わらないのよ。
それどころか年を取らない。老けることもなければ、体力が衰えることもない。不思議ね』と。」
「・・・・・・・・・・。」
「そしてこう続けた。『私はきっと、いつまでも生き続ける。そしてまた誰かを騙し、会社を乗っ取り、寄生し続けていく。終わらない、終わらないのよ・・・・』と。」
「それ・・・・つまりは・・・・、」
「スピーチが始まる前、ここで鞍馬から聞いたんだよ。あいつはもう死んでるってな。その時はまさかと思って信じられなかった。しかし・・・・、」
「しかし?」
「事実だった。」
伊礼さんは声のトーンを落とし、「実はな、俺は今まで鞍馬を捜してたわけじゃないんだ」と言った。
「鞍馬は祐希に保護されてた。だから俺は、すぐに昔の伝手を頼って調べに走ったわけさ。
本当に糸川百合が死んでるのかどうかをな。そしたら・・・・墓があったそうだ。」
「墓?」
「あいつな、一人で山を登ってたわけじゃないんだ。双子の姉と一緒に登ってたそうでな。そして両方とも亡くなっていた。」
「・・・・・・・・・・。」
「だけど二人の遺体は見つからなかった。そして行方不明のまま七年が過ぎ、死亡扱いになった。それぞれに墓が建てられ、寺の墓地で眠ってることになってる。」
「お寺で・・・・、」
「身寄りがいなかったそうでな。だから引き取り手のない遺骨を預かる寺に眠ってるんだ。」
「そんな・・・・。いや、でも遺体が見つかってないなら、まだ生きてる可能性が・・・・、」
「俺もそう思った。しかし・・・・鞍馬の言うことが正しかった。糸川百合はもう死んでいたんだ。姉の身体を乗っ取ってな。」
「姉を・・・・乗っ取る?」
意味不明なことを言われ、「すいません・・・なんかぶっ飛び過ぎてて・・・」と唸った。
「さっき祐希が言ったことを思い出せ。奴は鞍馬と一緒なんだ。一度死んで、別の人間の身体に宿ってる。だからつまりは・・・・、」
「・・・・・ああ!」
「あいつが入っていた肉体は、自分のもんじゃない。姉の身体なんだよ。」
「それで・・・加藤社長と一緒ってことか・・・・。」
「でも本人は気づいていない。なぜなら自分の入っている肉体は、瓜二つの双子なんだからな。目が覚めた時、横には自分の死体が転がっていたはずだが、自分はこうして生きている。
おかしいと疑いはしたろうが、でも生きているのに死んだとは思わないだろう?」
「なら・・・あいつはお姉さんの身体を乗っ取って・・・、」
「そうだ。」
「でもそうなると、自分の死体が残るじゃないですか。だけどさっきは死体は両方とも見つからなかったって・・・・、」
「一つは怪人が乗っ取ってるからな。ならもう一つはどうなったか?」
「どうして見つからなかったんですか?」
「・・・・おそらくだが、奴が処分したんだろう?」
「処分?」
「埋めたか、それとも谷底にでも捨てたか・・・・・。」
「どうしてそんな事を?自分のお姉さんなのに・・・・・。」
「邪魔だったからだろう。」
「邪魔?お姉さんが嫌いだったってことですか?」
「いや、そうじゃない。これからの自分の人生にとって、邪魔だったんだ。」
そう言って、「あいつ・・・」と眉間に皺を寄せた。
「あいつが詐欺や乗っ取りを始めたのは、遭難した後からだ。要するに死亡扱いされた後からだな。」
「それ以前はやってなかったんですか?」
「おそらく。」
「おそらくって・・・・ただの想像ですか?」
「あいつは山で遭難し、そして死んだ。しかし姉の身体を乗っ取って復活してきた。もちろん自分が死人であることは知らないが、それでもこう思ったはずだ。
このまま行方不明になれば、いずれ死人扱いされる。そうなれば、法律や社会に囚われずに生きていけるはずだと。」
「それ・・・・前にも言ってましたね。あいつは死人だから、何にも縛られない自由なんだって。」
「怪人もそう考えたはずだ。だからあえて死人でいることに決めた。本当に死んでるってのにな。」
可笑しそうに笑いながら、「その時に怪人が誕生したわけだ」と言った。
「後はお前も知っての通り、詐欺だの乗っ取りだのをやらかす寄生虫になった。新たな害虫の誕生だよ。」
「う〜ん・・・・なんかぶっ飛び過ぎてて信じられないですね。」
「だろうな。ここまでのほとんどが、俺のただの推測なんだから。」
「推測って・・・・じゃあ何の根拠もないじゃないですか。ただの屁理屈と一緒ですよ。」
「もちろん真実もある。怪人の姉妹の墓があったこと。二人の遺体が見つからなかったこと。これは事実だぞ。」
「でもその先からはただの想像なんですよね?」
「ああ。」
「ああって・・・・・、」
せっかく真剣に聞いていたのに、拍子抜けしてしまう。
すると伊礼さんはニヤリと笑った。
「しかしそれはさっきまでの話だ。」
そう言って、小さく眉を上げた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第四十一話 誰かを照らす(1)

  • 2016.06.01 Wednesday
  • 13:37
JUGEMテーマ:自作小説
スピーチってのは、大勢の人に聴いてもらう為のもんだ。
自分の考えや思いを、たくさんの人の前で伝える。
だから俺は真剣にスピーチを考えた。
二分っていう短い時間だけど、その中で全てを出し切るつもりで作った。
だけど今、周りに人はいない。
傍にいるのは課長だけで、俺の声を聴こうとする人間は他にはいない。
だけど・・・・それでもいい。
課長が傍で聴いてくれるなら・・・・そしてあの怪人に怒りをぶつける為なら、大声で言ってやる価値があるってもんだ。
明かりの点いていない喫茶店を睨み、すうっと息を吸い込む。
「おい怪人!よく聴け!」
獣のような顔をしながら、雄叫びのように吠えた。
「俺は最近、一人の社長と出会った。その人は誰よりも仕事熱心で、誰よりも会社のことを考えてる。
どうやったら商品が売れるか、どうやったら会社が儲かるか。それを真剣に考えてる人だ。
だけどそれは、社長なら誰でも考えることだと思う。だって儲からないと会社が潰れちまうんだからな。
そうなったら困るから、頭捻って必死に考えるんだ。生き残る為にはどうしたらいいだろうって。
それを考えない奴なら、きっと社長なんて向いていないと思う。一人で出来る仕事を探すか、大人しく誰かに雇われていればいいんだ。
でもな、儲ける為なら何をしたっていいわけじゃないぞ。どんな手え使っても会社が潤えばいいんだって輩は、一番社長になんて向いてない。
それどころか、組織の上に立つこと自体が向いてないんだ。
そういうこと考える奴は、会社の為にやってるんじゃない。自分の為にやってるだけなんだ。
自分の懐に、自分の口座に、今よりもたくさんのお金が入ってくればいい。ただそう考えてるだけなんだよ。
そんな奴は人の上に立っちゃ駄目なんだ。人を傷つけたり、人を悲しませたりしてもいいから、自分だけが良い思いをしたい。
そう考えてる奴は、社長どころか平社員でも必要ねえんだ!
だって会社は誰のもんでもないからだ!一人の力で成り立ってるわけじゃないし、一人で動かすことだって出来ないんだ。
たくさんの人が集まって、それぞれがちゃんと仕事をこなして、そうやって上手くお互いを支え合ってるんだよ。
誰かが失敗したら、誰かが助けたりする。誰かが出来ないことがあったら、出来る奴が代わりにやる。
助けたり助けられたり、みんなで支え合って成り立ってるんだ。社長はもちろん偉いけど、でもその社長だって大勢の社員のおかげでその椅子に座ってんだよ。
だからいくら社長だからって・・・・いや、違うな。社長だけじゃない。経営に直接関わるポストなら、そのことを忘れちゃ駄目なんだ。
懐に入ってくるその金は、てめえだけで稼いだもんじゃねえんだからな!」
喫茶店の中は暗い。人影も見えない。でも怪人はいる。目に見えないけど、確かにいる。
だから俺は続けた。課長の手を握りしめ、理想と怒りをぶつける為に。
「俺が出会ったその社長はな、会社のことを考えてた。自分のことをじゃないぞ。本当に会社のことを考えてたんだ!
そこで生まれる商品、それを買ってくれるお客さん、そして会社で働く人たちのこと・・・・・。
その為には、いくらだって努力を惜しまない人だ。どんなに辛くても、どんなに過酷でも、みんなを励まし、支えようとする人だ。
優秀な人とか、能力のある人とか・・・・そういう人はたくさんいると思う。
だけど周りから信頼を得られる人なんて、そうはいないんだ!
たくさんの人から好かれて、頼りにされて、信じてもらえる・・・・これほど価値のあるもんはない。
この人ならついて行きたいとか、この人なら自分の全てを預けてもいいとか・・・・そういう信頼を得られる人っていうのは、滅多にいないんだ。
それはただ優秀とか、能力があるとか、そういうものとは比べものにならないんだよ。
そういう人がトップに立って、会社を引っ張っていく。下で働く人間にとっては、これほど幸せなことはないよ。
だから俺が出会ったその社長は、俺の憧れなんだ。もうすぐいなくなってしまうかもしれないけど、でもずっと忘れることはない。
俺はいつだって、あの人の背中を追いかける。あの人がしていたように、俺もいつかみんなから信頼を得て、会社を引っ張っていきたい。
そこで生まれる商品が、買ってくれるお客さんが、そして働いてくれる人たちが満足できるような、そういう会社にしたいんだ!
だから尊敬するあの人の意志を引き継いで、戦って見せる!どんなに過酷だろうと、どんなに辛かろうと、会社の為に戦ってやる!!」
自分の考え・・・自分の理想・・・・全ての想いのたけを伝えた。出せるだけの声で叫んだせいで、頭がキンキンする。
終える頃には息が切れていて、喉が痛いほどだった。
顔をしかめながら咳き込んでいると、課長が手を離した。
そして小さく微笑みながら拍手をした。
「課長・・・・・。」
頷きながら、しばらく拍手を送ってくれる。
大勢の人に聴かせる為に考えたスピーチ・・・・それを傍で聴いていたのは、課長ただ一人。
そして拍手も一つだけ。
でも俺は満足だった。いつでも傍にいて、いつでも俺のことを見てくれている人が、俺の本気を聴いてくれた。
それに対して拍手を送ってくれるなら、俺のスピーチは悪いもんじゃなかった。
俺ははにかみながら課長を見つめる。そして喫茶店を振り返った。
すると課長のスマホに電話が掛かってきた。表示は祐希さんからで、険しい顔をしながら電話に出た。
「・・・・・・・・・・・。」
無言のまま眉を寄せ、「冴木君」と俺に渡す。
「怪人から。君に言いたいことがあるって。」
俺はスマホを受け取り、液晶を睨む。そしてゆっくりと耳に当てた。
しばらく何も聴こえない。でも次の瞬間、怪人は笑いながらこう言い放った。
『気持ちの悪いスピーチ。鳥肌が立つ。』
「・・・・・・・・・・・。」
それだけ言って電話を切られた。
窓の傍に怪人が現れ、中指を立てる。声は聞こえないが、口の動きで「馬鹿」と言っているのが分かった。
「あの野郎・・・・。」
メラっと燃え上がり、ドアに手を掛ける。すると課長も手を掛けて、「入るなら一緒に」と言った。
「課長・・・・危ないです。だから・・・・、」
「じゃあ帰ろう。私と一緒に。」
「でも・・・・・、」
「言ったでしょ。行くのも一緒、帰るのも一緒。それが嫌なら、手を引っ張ってでも本社に戻る。」
そう言って俺の手を握り、「君が決めて」と頷いた。
「一人では行かせない。何があっても絶対に。」
「・・・・・・・・・・。」
「自分だけが傷つけばいいなんて考えはやめて。そんなのきっと加藤社長だって望んでないよ。私やハリマ販売所のみんなだって・・・・。」
「俺・・・・俺は・・・・、」
「うん。」
「怪人を捕まえたいんです。あいつを逃がしたくない。」
喫茶店の中にいる怪人を睨みながら、ギリっと歯を食いしばる。
「でもそのせいでみんなが心配するっていうなら、それは身勝手な行動なのかもしれない。俺は・・・・怪人のように身勝手な奴にはなりたくない。」
ドアから手を離し、ゆっくりと後ずさる。
怪人はまだこっちを睨んでいて、手招きをしていた。
「挑発しやがって・・・・・、」
「冴木君。」
「分かってます。もう一人で突っ走ることはしません。」
課長の手を引き、喫茶店から離れる。
怪人はまだ手招きをしていて、窓に顔を張り付けた。
『こっちへ来い』
まるで井戸の底のように暗い目をしながら、俺たちを睨む。
それを見た時、ああ・・・・なるほどと思った。
「あいつは本気で思ってるんですね。世界が自分を中心に回ってるって。他人に共感するとか、優しさや愛情とか・・・・そういうのが一切ないんだ。
本当に自分のことしか考えられない・・・・一種の悪魔みたいな・・・・、」
怪人に対する憎しみが、憐れみに変わる。これ以上ここにいても、何の意味もないんだと悟った。
「仮にあいつを捕まえても、罪を悔いさせることなんて出来ない。潰すことは出来たとしても、きっと最後まで自分は正しいと思ったままだ。」
「そうね・・・・。だけど世の中には、色んな人間がいるのよ。人の為に生きる人もいれば、死刑になる瞬間でも反省しない人間もいる。
あいつは間違いなく後者だわ。だからこれ以上関わるのは・・・・、」
「悔しいな・・・。きっとまたどこかで悪さをするんだろうな・・・・。」
「どんなに願ったって、叶わない事もあるのよ。君の尊敬する加藤社長だって、あの怪人には勝てなかった。
もし彼がここにいたら、きっとこう言うはずよ。冴木、もう諦めろって。」
「・・・・どう言うかは加藤社長にしか分かりませんよ。」
「ごめん・・・そうだね。だけど私は嫌。これ以上あんな奴に関わりたくないし、それに何より君が傷つくのが・・・・。」
そう言って踵を返し、車まで俺を引っ張った。
「さあ、もうお終い。本社に戻ろう。」
「でも加藤社長は・・・・、」
「ここにはいないわ。それは間違いないと思う。」
「でも万が一ってことが・・・・、」
「じゃあ確かめましょ。」
「確かめる?」
「うん、彼女に確かめればいいの。」
課長は誰かに電話を掛けている。番号をプッシュし、真剣な顔で相手が出るのを待っていた。
「・・・・ああ、もしもし?」
怪人の方を睨みながら、「ええ・・・」とか「はい・・・」と頷いている。
そして「やっぱり・・・」と表情を崩した。
「分かりました。ありがとうございます。」
そう言って電話を切り、ニコッと笑って見せた。
「本社に戻ろう。」
「え?いや、さっきの電話は・・・・、」
「車の中で話すよ。」
「はあ・・・・、」
「加藤社長なら大丈夫だから。」
課長は車に乗り込み、エンジンを掛ける。「ほら、早く」とドアを開け、小さく手招きをした。
俺は喫茶店を振り返り、怪人を見つめた。
まだ窓に顔を張り付けていて、仄暗い視線で睨んでいる。何度も何度も手招きをしながら・・・・。
「まるで奈落にでも誘ってるようだな・・・・気味が悪い。」
車に乗り込み、怪人に一瞥をくれる。
すると悔しそうに顔をゆがませ、店の奥へと消えていった。
「多分・・・・もう会うことはない。だけどてめえの顔は忘れねえよ。どんなに地味な顔でも、俺の記憶には焼き付いてんだ。
だから・・・もしまた会うようなことがあったら、そん時は絶対に潰してやる。お前が傷つけた人たちの痛みを、何倍にもして・・・・、」
そう言おうとした瞬間、課長が手を押さえてきた。
「冴木君、それ以上言っちゃダメ。」
「・・・・・・・・・。」
「そういうのは口にしちゃいけないの。言葉にしたら形を持つわ。だから胸の中でそう思ってたとして、それは思ってるだけにしておかないと。」
「・・・・・はい。」
ゆっくりと車が滑り出し、喫茶店から離れて行く。
結局あの怪人を捕まえることは出来なかった。
あいつはまたどかかへ行き、同じように悪さをするだろう。
そして傷つく人が出て来て、それを糧に甘い汁を吸う。
それは絶対に許せないことだけど、でも今の時点ではどうしようもない。
《いつか天罰が下ればいいけど、ああいうのに限ってしぶといからな。俺にもっと力があれば・・・・・って思っても、無いもんを求めても仕方ないか。》
別に権力者になりたいわけじゃないし、世の中を思い通りにしたいなんて思わない。
だけどそれでも、絶対に社長にならなきゃいけないと思った。
怪人を仕留めることが無理でも、せめて二度と稲松文具にああいう奴が現れない為に。
ミラールームには遠ざかる喫茶店が映っている。
悔しさと苛立ちを感じながら、見えなくなるまで睨んでいた。
《選挙だな。選挙に集中しないと。俺は社長になる。良い商品を作って、それを買ってくれたお客さんに満足してもらって、みんなが安心して働ける職場を作るんだ。》
本社に向かう車の中で、課長がさっきの電話について話してくれた。
それを聞いた俺は、「さすが祐希さん・・・」と感心した。
「加藤社長・・・・無事だったんだ。」
「だから早く本社に戻らないとね。彼に見せるんでしょ?君が社長になる瞬間を。」
「はい!」
流れる雲を見上げながら、《もう一回スピーチか・・・》と唸った。
《今度が本番だ。さっき一回喋ったおかげで、上手くいきそうだ。》
拳を握り、壇上に立つ自分を思い浮かべる。
大丈夫・・・・きっと上手くいく・・・・。
そう信じて、本当の戦いの場所へと向かって行った。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第四十話 俺のスピーチを聴け!(3)

  • 2016.05.31 Tuesday
  • 13:56
JUGEMテーマ:自作小説
祐希さんに電話を掛けたはずなのに、なぜか怪人が出た。
しかも祐希さんを誘拐して、酷い目に遭わそうとしている。
俺は今にもキレそうになり、「今どこにいやがんだ!?そっちに行ってやる!」と怒鳴った。
『あら?ずっと目の前にいるじゃない。』
「はあ!?目の前って・・・・、」
『だからすぐ目の前よ。ほらここ。』
そう言った後、喫茶店の窓からコンコンと音がした。
「・・・・・・・・・・。」
『ね?』
「糸川百合・・・・・。」
『素顔を見せるのは二度目ね。地味な顔だけど、記憶力の良いあんたなら覚えてるでしょ?』
「忘れるわけねえだろ!すぐ行ってやるから待ってろ!」
喫茶店の窓の向こうにいる、憎き怪人。そいつの元に走り出そうとすると、「待って!」と課長が止めた。
「言っちゃダメ!」
「なんで!?加藤社長と祐希さんが捕まってるんですよ!」
「何を言われたか知らないけど、挑発に乗っちゃダメ!あいつは私たちを誘い込もうとしてるんだから。」
「え?」
素っ頓狂な声で固まると、「貸して」とスマホを取られた。
「もしもし?」
課長は怪人を睨みながら話しかける。俺は耳を寄せ、電話から漏れる声を聞いた。
『ああ、あんた・・・・兄貴が誘拐犯の妹じゃない。』
「そうよ。でもそれはもう終わった事件。今はあなたを捕まえに来たの。」
『じゃあ入って来なさいよ。ここには加藤も祐希もいるわよ。早くしないとどんな目に遭わせるか分からない。』
「いいえ、お断り。」
『仲間を見捨てるの?』
「そんなに入って来てほしいなら、そっちから来れば?目と鼻の先にいるんだから。」
課長はそう言って怪人を睨みつける。いつになく怖い顔をして、怒りのこもった目だった。
「ほら、こっちへ来なさいよ。」
『・・・・・・・・・・。』
「どうしたの?じっと見てないで出てくれば?」
『・・・・狡賢い小娘。』
怪人は憎らしそうに言う。そしてプツッと電話が切れた。
「課長・・・これは・・・・、」
「冴木君・・・・私たちは大きな勘違いをしてたみたい。」
「勘違い?」
「加藤社長・・・・怪人にさらわれたんじゃないのかもしれない。」
「はい?」
「だってそうでしょ?あいつは君を挑発して、中に誘い込もうとしてた。でもそれをするには、さらった加藤社長を見せつけるのが一番じゃない。」
「いや、そうかもしれないけど・・・・、」
「それにこっちに出て来ようとしなかった。」
「だってわざわざ向こうから出てきたら、逆に自分が捕まるじゃないですか。そりゃ出て来ないでしょ。」
「そんな事ないわ。もし加藤社長を連れ去ってるんなら、こっちは安易に手が出せない。人質を取られてるようなものなんだから。」
「まあ・・・そうですけど・・・・、」
俺は口元に手を当てながら、「なら祐希さんも・・・」と呟いた。
「無事のはずよ。」
「でもさっき掛けた番号って、祐希さんの電話ですよね?なんで怪人に繋がったんでしょうか?」
「分からない。でもあの人がそう簡単に捕まるはずがないわ。きっと何か理由があるのよ。」
「理由・・・?」
「例えば電話を盗まれたとか。」
「いやあ・・・それはどうかなあ。」
そう言って首を傾げると、「何か思い当たることがあるの?」と課長も首を傾げた。
「俺、てっきり祐希さんが捕まったもんだと思ってたんですよ。あいつの声を聞いた途端にカッとなっちゃったから。
でもよくよく考えれば、確かにあの人が捕まるなんてあり得ないなあって思って。」
「だからそう言ったじゃない。」
「でもそうなると、電話を盗まれたっていうのもあり得なくないですか?あの人が自分のケータイを盗られるようなヘマをしますかね?」
そう尋ねると、今度は課長が口を噤んだ。
「そんなヘマをする人じゃないと思うんですよ。」
「なら・・・・君はどう考えるの?どうして祐希さんに電話がつながったわけ?」
「・・・・・・番号・・・・とか?」
「番号?」
「番号に細工をしたのかなあって。」
そう答えると、「そんなの簡単に出来るわけないでしょ」と言われた。
「SNSのアカウントじゃないのよ。それに祐希さんの電話に細工なんて・・・・・、」
「いや、そうじゃなくて・・・・課長のスマホの方に・・・。」
そう言って指をさすと、「私の電話に?」と首を傾げた。
「ええ。だって俺たち候補者は別々の個室に入れられたでしょ?あの時にスマホだって取り上げられたでしょ。」
「・・・・・・ああ!」
「課長だって係員に渡したんですよね?」
「ええ・・・・・。」
「そのスマホを、怪人の仲間の係員が預かってたら・・・・・中をいじることも出来たんじゃないですか?」
「でもちゃんとロックが掛かってるわ。勝手に操作なんて・・・・、」
課長は険しい目でスマホを見つめる。すると「あ・・・」と固まった。
「どうしました?」
「私・・・・バカだ。」
「何が?」
「これ見て。パスコードの四桁のところに・・・・べったり指紋が・・・・。」
そう言われて、俺は液晶を覗き込んだ。するとクッキリと指紋が付いている場所があった。それも四か所・・・・・・。
「これ・・・・めちゃくちゃハッキリ残ってますね。」
「今日の朝・・・急いでたから近所のハンバーガーショップで済ませたのよ。あの時確か・・・・ポテトを触った手でパスコードを押したんだった。」
「でも指紋が付いてるのは四か所だけですね?他には付いてない。」
「ロックを解除した時にべったり付いたから、すぐに指を拭ったのよ。でも液晶の方はそのままだった・・・・・。」
「これ、指紋認証じゃないんですか?」
「うん・・・・。もうじき変えようとは思ってたんだけど・・・・、」
「とにかく祐希さんの番号を確認してください。もしかしたら細工されてるかも。」
課長は慌てて祐希さんの番号をチェックする。そして眉を寄せて唇を噛んだ。
「冴木君の言う通りだった・・・・番号が変わってる。」
「やっぱり。」
「私・・・・本当にバカだ。係員の中にも怪人の仲間がいたのに、どうしてそこまで考えが及ばないかなあ・・・・。」
悔しそうに言って、怪人のいる喫茶店を振り返る。
「ここに加藤社長はいないわ。」
「でもそうなるとどこにいるんでしょうね?」
「・・・・・・・・・・。」
「怪人が加藤社長を連れ去ろうとしたのは間違いないと思うんですよ。だって加藤社長の係員に知らない番号から電話が掛かってきて、その後にいなくなったんでしょ?
それってきっと怪人の仕業だと思うんです。」
「そうね・・・・。となると、加藤社長は危険を察知してどこかへ身を隠したってことになるわ。」
「怪人は加藤社長の持ってる武器を怖がってる。でも連れ去るのに失敗した。そう考えると、今頃めちゃくちゃ焦ってると思うんです。
だから課長の番号に細工をしておいたんじゃないですかね?」
「どういうこと?」
「万が一の保険ですよ。怪人がいなくなったら、きっと俺たちが捜すに決まってる。その時に祐希さんを頼ると思ったはずですよ。」
「ああ、なるほど・・・。風間は祐希さんの弟子だったもんね。彼から祐希さんのことを聞いて、それを警戒していた。」
「ええ。もし何かあったら、俺たちは祐希さんを頼るから。」
「だから私の番号をいじっておいた。おそらく君のスマホも・・・・、」
「はい。まだ返してもらってないんですけどね。」
「私たちが祐希さんに掛けても、それは怪人の番号にすり替えられてる。そして祐希さんを誘拐したと言って、私たちをおびき出すつもりだった・・・・。」
「加藤社長を誘拐出来なかったから、代わりに俺たちを狙ったんだと思います。そしてここへおびき出して、捕まえるつもりだった。」
「私たちを人質に取って、加藤社長をおびき出す為に・・・・・。」
「でもそれは失敗した。俺たちがこの喫茶店へ入らなければ、あいつの目論見は崩れます。」
「そうね・・・・。だけどその代わり、怪人を逃がすことになるわ。あいつはまた顔を変えて、どこか別の場所で悪さをするだろうから。」
「いいえ、逃がしはしませんよ。ここであいつを捕まえます。そして選挙の会場まで引きずっていってやる。」
俺は拳を握ってそう言った。すると課長は眉を寄せ、不安そうな表情をした。
「捕まえるって・・・・どうやって?」
「中に入ります。」
「ダメよ!また前みたいに酷い目に遭わされる。そんなの絶対にさせないからね!」
課長はガシっと俺の腕を掴む。「君は放っておくと危険なことに突っ走るから」と言って。
「もう前の事件みたいなことは嫌・・・・。あの時みたいに、また死ぬような目に遭うかもしれないのは・・・・、」
「でもここで逃がしたら終わりなんです。稲松文具からは離れてくれるだろうけど、他の場所で悪さをするから。それは加藤社長の望む所じゃないんです。」
「でも・・・・、」
「俺はあの人の信頼を受けて、ここに立ってるんです。だったらそれに応えなきゃいけない。」
「それは分かるけど、でもどうしてそこまでするの?君は加藤社長とそう長い付き合いじゃないじゃない。ごく最近知り合ったばかりで、どうしてそこまで・・・・、」
「そんなの関係ないですよ。だって俺、あの人に憧れてますから。」
「憧れる?」
「あそこまで周りや社員のことを考える社長はいませんよ。だから俺・・・・あの人みたいになりたいんです。その為には、あんな怪人から逃げてちゃいけないんですよ。」
課長の腕をそっと離し、ニコリと笑いかける。
「課長は本社へ戻って下さい。」
「なんでよ!?君一人になっちゃうじゃない。」
「いいんです。課長まで危険な目に遭わせるわけにはいかないから。」
「だったら本社に連絡すればいいわ。ウチの会社にだって、ちゃんと腕の立つボディガードが・・・・、」
「無理です。応援が来る前に逃げられる。」
「でも君一人にするなんて出来ない!どうしても捕まえに行くっていうなら、私も一緒に行くわ!」
そう言ってまた腕を掴み、「絶対に一人で行かせないからね」と睨んだ。
「課長・・・・、」
「どうしても帰れって言うなら、君も一緒に連れて帰る。」
「だけど・・・・、」
「加藤社長に対する君の気持は分かる。でも申し訳ないけど、私は彼より君の方が大事なの。」
「・・・・・・・・。」
「いくら彼に憧れてるからって、その為に一人で危ない目に遭わせるわけにはいかない。だって私はずっと君の傍にいたのよ。
なのに最近現れた人のせいで、君が危険な目に遭うなんて・・・・そんなことさせない。」
課長は強い口調で言い、でもすぐに目を伏せた。
「多分私・・・妬いてるんだと思う。」
「妬いてる?」
「君はいつだって「課長、課長」って傍にいて、それは・・・・嫌なことじゃなかった。君のことを男性として意識はしてなかったけど、でもいつでも傍にいる大切な人だから。
自分でも気づかないうちに、君に慕われるのが当然になってて・・・・だから私も、君の為なら何でも力になろうと思った。」
「・・・・・・・・・。」
「恋愛とか男女の関係とか・・・・そういうのじゃなくて、言葉じゃ上手く言えない何かで、君と繋がってるような気がしてる。
だからもし会社を辞めたって、君とはこの先もどこかで繋がってるんだろうなって・・・・。」
そう言って顔を上げ、俺の腕を離す。そしてそっと手を握ってきた。
「捕まえに行くなら一緒に行く。でも帰る時も一緒。それが嫌だって言うなら、このまま手を引っ張ってでも本社に戻るわ。例えあの怪人を逃がしても。」
課長の声は真剣そのもので、握った手に力を込める。
《課長・・・・やっぱ細いわりに力が強いよな。》
学生時代は陸上に打ち込んだらしいけど、その体力は今でも健在らしい。
この手を振りほどくとなると、相当強い力で払わなくちゃいけない。
でも課長にそんなことは出来ないし、それに何よりこの手は振りほどいちゃいけない気がした。
今、自分の思いだけでこの手を振りほどいたら、もう二度と元には戻れないような気がする・・・・・・。
俺と課長を繋ぐ何かが、この場で断ち切れてしまう・・・・そんな予感がした。
《でもだからって、課長まで危険な目に遭わせたくない。だけどここで帰ったら加藤社長は無念のまま消えてしまうかもしれないし・・・・。》
眉間に皺を寄せながら、どうしたものかと悩む。
課長は俺以上に眉間に皺を寄せ、さらに力を込めて握った。
「・・・・・・・・・・・。」
繋いだ手を見つめながら、俺は喫茶店を振り返る。そして・・・課長の手を引っ張って歩き出した。
さっきまで窓の傍にいた怪人はもういない。きっと奥に潜んでるんだろうけど、でも声は届くはずだ。
俺はドアの近くで立ち止まり、すうっと息を吸い込んだ。
「おい怪人!てめえのせいで選挙が台無しだ。せっかくスピーチを用意していたのに、それが無駄になっちまった!どう責任取ってくれるんだ!」
大きな声で叫ぶと、課長は髪を揺らして見つめた。
「冴木君・・・・、」
「俺はな・・・・絶対に社長になるって決めたんだ!てめえごときにそれを邪魔されてたまるか!」
店の中に怪人の姿は見えない。でも声は届いているはずだと信じて続けた。
「だから俺はここで喋る!俺のスピーチを聴け!」
腹の底から響くほどの声で怒鳴る。課長は驚いて目を丸くしていたけど、でもすぐに頷いてくれた。
「私も聞きたい。君の一番傍で、君の言葉を。」
そう言ってドアに目を向け、今までで一番強く手を握った。
こんな所でスピーチを披露して、いったい何になるのか?
自分でも分からないけど、でもそうせずにはいられなかった。
あのどうしようもない自己中の身勝手な怪人に、加藤社長の怒りと、俺の怒りをぶつけたかったから。
ドアに映った自分は、すごく険しい顔をしていた。
こんな顔出来るんだって思うくらいに、すごく獰猛な顔だった。
でもそれでいい。優しいだけじゃ手の届かないことだってあるし、覚悟だけじゃ叶わない願いだってある。
敵を引き裂いてやろうって思うくらいに、獰猛な心が必要な時だってあるんだ。
課長の手を握り返し、すうっと息を吸い込む。
獣が雄叫びを上げるように、「よく聴け怪人!!」と吠えた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第三十九話 俺のスピーチを聴け!(2)

  • 2016.05.30 Monday
  • 13:07
JUGEMテーマ:自作小説
「俺・・・・一つだけ心当たりがあるんですよね。」
そう答えると、「ほんとに!?」と顔を上げた。
「どこにあるの!?」
「ここです。」
俺は自分の頭を指さした。
「ここって・・・・冴木君の頭?」
不思議そうな顔をしながら、首を傾げる課長。
でもすぐに、「ああ!」と叫んだ。
「もしかして・・・・君の記憶の中に、何かヒントになる物があるってこと?」
「本当にそこにいるかどうかは分からないけど、でも行ってみる価値はありますよ。」
「君の記憶力は本物・・・・期待してみる価値はあるかも・・・・。」
課長は少し迷っていたけど、「行こう」と立ち上がった。
「君を信じる。」
「いいんですか?空振りに終わったら、後で草刈さんに怒られるかも。」
「だから君を信じるって言ったじゃない。」
「課長・・・・・。」
「草刈さんの言う通り、私は君の将来に期待してる。でも将来だけじゃなくて、今の君にも大きな期待をしてるの。この子なら、絶対にあの怪人を倒してくれるんじゃないかって。」
そう言ってニコリと笑い、「早く」と俺の腕を引っ張った。
「もたもたしてると逃げられるかもしれないから。」
「もしそこにいたらですけどね。」
「何度でも言うわ。君を信じる。」
課長は俺の腕を引っ張って走り出す。その足はとても速くて、途中で転げそうになった。
《課長って細いわりに、けっこう力が強いんだよな・・・・・。》
ギュっと俺の腕を握りしめた感触が、なんだか胸に突き刺さる。
勝手な妄想だけど、この先も課長と一緒にいられるような気がした。
例えこの会社を辞めたとしても、決して離れることはないだろうなって・・・・・。
運命の赤い糸なんて言うつもりはないけど、でもどこかで俺とこの人は繋がってる。
強く握られた腕から、そう思える何かを感じた。
でも今はそんなことを考えてる場合じゃない。怪人と加藤社長のことを考えないと。
余計な煩悩を振り払い、昇ってくるエレベーターの表示を見上げる。
チンと鳴ってドアが開き、課長が入っていく。
ぼうっとそれを見ていると、「何してるの?早く」と言われた。
「多分俺・・・・社長になります。」
「?」
「分かんないけど、でも確信っていうか・・・そんな気がするんです。だから絶対に加藤社長を助けないと。それで俺が社長になる瞬間を見てもらうんです。」
エレベーターの中の鏡を見つめながら、そこに映った自分に語り掛ける。
課長は小さく微笑みながら、「うん」と頷いた。
根拠はないけど確信はある。
そう感じる時は、誰にでもあるのかもしれない。
今の俺は、社長になるという確信、そして・・・これから向かう先に、あの怪人がいるという確信があった。
鏡の中の自分を睨みながら、少しだけふと思う。
課長が言うように、前よりちょっとだけ大人っぽい顔になったかもしれないと。

            *

本社から車を走らせ、目的の場所に着く。
砂利が敷き詰められた駐車場に降りると、課長は「ここは・・・」と見上げた。
「ここは・・・・喫茶店?」
「そうです。美樹ちゃんの家の近くの。」
俺たちの目の前には、レンガ造りのオシャレな喫茶店が建っていた。
ドアには準備中の札が掛かっていて、店の電気は点いていない。
課長はゆっくりと喫茶店に近づき、「ここって確か・・・」と呟いた。
「そうです。白川常務と美樹ちゃんが会っていた場所です。」
「彼女から聞いたわ。ここで待ち合わせをしていたって。」
「美樹ちゃんはあれ以来ここへ来てないみたいですけどね。」
「そりゃ来たくないわよ。でもここがどうしたっていうの?まさかこんな場所に怪人が?」
「俺の記憶が正しければ、あいつもこの店に来たことがあるはずなんですよ。」
「そうなの!?」
「俺、前に一度だけここへ来たんです。その時に気になる奴がいて。」
「ここに・・・あの怪人が・・・・・。」
「その時に箕輪さんにシバかれそうになったけど。」
「?」
「あ、いや・・・全然関係ない話です。」
苦笑いして誤魔化し、「それに・・・ここにはちょっと気になる奴もいるんですよ」と言った。
「前に怪人がでっち上げの記事を載せようとしてたこと・・・話しましたよね?」
「うん。私のことを書いた記事でしょ?その記事で君に脅しをかけて、大人しくさせるつもりだった。」
「それを書いたのは風間守って奴なんですよ。」
「それも聞いたわ。祐希さんのお弟子さんだったのよね?」
「あいつはフリーライターで、金さえ貰えばどんな記事でも書くような奴なんです。だけど祐希さんが言うには、今はほとんど喫茶店に専念してるって。」
そう言いながら、一歩喫茶店に近づいた。
「前にここへ時、何人かお客さんがいたんですよ。ザッと見ただけだけど、でも全部記憶に焼き付いているんです。」
課長の横に並び、あの時の光景を思い浮かべる。
頭の中に鮮明な映像が浮かび上がってきて、まるで一枚の写真のように蘇る。
「あの時・・・そんなにたくさんの客がいたわけじゃありませんでした。俺、箕輪さん、美樹ちゃんの他に、五人だけでした。
若いカップルが一組、おばさんが二人、そして・・・若い男が一人。」
「ならそのお客さんの中に、怪人がいたってこと?」
「一人で座ってた若い男・・・・あれがすごく気になるんです。だってあいつの顔、別の場所でも見たから。」
「別の場所・・・・いったいどこ?」
課長は首を傾げる。
俺は記憶の中から、その場所の光景を蘇らせた。
「あいつの顔をもう一度見た場所・・・・それは課長の部屋です。」
「私の!?」
課長は大きな声を上げて驚く。
俺は頷き、「あの時、祐希さんから写真を見せられたでしょう?」と尋ねた。
「写真・・・・?」
「怪人の詐欺に遭った人たちの写真ですよ。」
「・・・ああ!あの結婚詐欺の?」
「そうです。その被害者の男性の方・・・・・あいつの顔が引っかかるんです。」
記憶の中から、男の被害者の顔を蘇らせる。それと同時に、喫茶店で見た若い男の顔も思い浮かべた。
頭に浮かんだ二つの顔を、ゆっくりと近づけていく。そして・・・・モンタージュのように、ピタリと重ね合わせた。
「・・・・・・・・・・。」
「冴木君?」
「・・・・ピッタリだ。ほとんど一緒の顔だ。」
「何が?」
「あいつ・・・・化けてたんです。自分が騙した男の顔に。」
俺は「課長・・・」と振り向き、二つの顔が同じであることを説明した。
「・・・そんな・・・まさか・・・・、」
「あいつちょくちょくこの店に来てたんだと思います。風間って奴は怪人と繋がってて、きっと今でもお互いを利用し合ってるんですよ。」
「利用?」
「怪人は風間にネタを提供し、風間は怪人の敵となる奴を潰す。でっち上げの記事を書いたりして。」
「なるほど・・・・共生関係ってことね。」
「あの時、怪人がこの店にいたのは、きっと白川常務が理由だと思うんです。ここで美樹ちゃんと会ってたから、それをネタに脅してやろうと。」
「風間って人が、怪人に白川常務の情報を売ったってこと?」
「おそらく美樹ちゃんと白川常務の会話を盗み聞きしてて、これは使えると思ったんじゃないですかね。
だって怪人は、加藤社長を本社の社長にするつもりだったから。」
「白川さんは女性関係で問題を抱えている。それを暴露して蹴落とそうとしたってことね。」
「白川常務って、けっこう野心家じゃないですか。だから選挙となれば絶対に出て来ると思ったはずですよ。
だから強力な対抗馬を潰す為に、この店に来て女性関係の問題の証拠を掴もうとしてたのかも。」
「もしそうだとすると、その風間って人と怪人は仲間ってことよね?なら・・・・、」
課長は喫茶店を睨み、緊張を抑えるように息を飲んだ。
「ここに隠れてる可能性が高いね。」
「そうです。しかももっと厄介な事が・・・・、」
「何?」
「風間は祐希さんの弟子なんです。だから絶対に油断の出来ない相手ってことです。だってあの人に鍛えられたんだから、無能なわけがないでしょう?」
「そうね・・・・。だったら二人で乗り込むのは危険かな・・・。」
課長はさらに緊張した顔になって、「祐希さんに知らせよう」と言った。
「私たちだけで乗り込んでも、逆に捕まるだけかも。」
「そうですね。もしそうなったら加藤社長を助けられないし、選挙は確実に流れるだろうし。」
そう答えると、課長はスマホを取り出した。そして「もしもし?」と祐希さんに電話を掛けた。
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・どうしたんです?」
「電話・・・・繋がったんだけど、返事がないの・・・・。」
「返事がない?」
「無言なのよ・・・・・。でも微かに音がしてる。何の音か分からないけど・・・・、」
「俺にも聞かせて下さい。」
スマホを受け取り、じっと耳を澄ます。
「・・・・ああ、なんか音が鳴ってますね。チッチッチッチって・・・・小さな音が・・・・。これ何だろう?」
「チッチッチって小さな音・・・しかも正確にリズムを刻んでるよね。もしかして時計の音かな?」
「ああ・・・言われてみれば。祐希さん、もしかして寝坊してるとかかな?」
「寝坊?」
「まだベッドの中にいて、傍の時計が鳴ってる音とか。」
「あのね・・・・冴木君じゃないんだから。祐希さんが寝坊してるわけないでしょ。今日は箕輪さんたちを守らないといけないんだから。」
「ですよね・・・。俺がそう頼んだんだから、寝坊なんかしてるわけが・・・・。ていうか・・・チッチッチって音が止まっ・・・・・、」
そう言いかけた時、突然『もしもし?』と声がした。
「・・・・・・・ッ!」
『おはよう冴木君。私が誰だか分かるわね?』
脳の中に電気が走る。口の中が乾き、下で湿らせた。
「・・・・・・ああ。」
グッとスマホを握りしめ、ゴクリと唾を飲む。
課長が「どうしたの?」と尋ねて来て、俺は小さく首を振った。
『今シャモールの近くにいるわね?』
そう言われて「シャモール?」と聞き返した。
『レンガ造りの喫茶店よ。紅茶の美味しい。』
「ああ・・・・いるよ。」
『せっかく閉じ込めといたのに、案外早く出て来たわね。』
「不幸中の幸いってやつだ。給料は天引きだけどな。」
『何をわけの分からないこと言ってるの?』
「こっちの話だ。それよりお前・・・・なんで祐希さんの電話に出てるんだ?あの人に何かしたんじゃないだろうな?」
眉間に皺を寄せながら、不安を押し殺して尋ねる。すると『殺したわ』と答えた。
「なッ!ころ・・・・、」
『冗談よ、まだ生きてる。』
「てめえ・・・・、」
『今のところは無事よ。あくまで今のところはだけど・・・・。』
そう言って可笑しそうに笑い、『今は屈強な男どもと戦ってるわ』と言った。
「何?」
『ほら、私のボディガードがいたでしょう?あいつらと戦わせてるの。四対一でね。』
「てめえ!何ふざけたことを・・・・、」
『勝ったら無事に解放してあげる。でも負けたら男たちの慰みもの。面白い戦いでしょ?』
「ふ・・・ふざけんな!今どこにいやがんだ!?そっちに行ってやる!」
『あら?ずっと目の前にいるじゃない。』
「はあ!?目の前って・・・・、」
『だからすぐ目の前よ。ほらここ。』
そう言った次の瞬間、喫茶店の窓からコンコンと音がした。
「・・・・・・・・・・。」
『ね?』
「糸川百合・・・・・。」

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第三十八話 俺のスピーチを聴け!(1)

  • 2016.05.29 Sunday
  • 12:50
JUGEMテーマ:自作小説
怪人と加藤社長がいなくなった。
これから選挙だってのに、忽然と姿を消してしまった。
課長が言うには、加藤社長は怪人に連れ去られた可能性が高いらしい。
誰かがその場面を目撃したわけじゃないけど、でもそう考えるのが自然だと思う。
だって加藤社長は、怪人を再起不能なまでに叩きのめす武器を持っていたから。
それがどういう武器か知らないけど、手紙には確かにそう書いてあった。
もし怪人がどこかであの手紙を見たとしたら、その武器とやらのことを警戒したはずだ。
だから連れ去った。
みんなが注目する選挙で、その武器を使われたら堪らないと思って。
「・・・・と、俺は考えてるんですけど、どう思いますか?」
加藤社長の部屋を漁りながら、課長を振り返る。
「私も伊礼さんの手紙を読ませてもらったの。だから君の考えは当たってると思うわ。」
「あの怪人・・・実は見捨てたように見せかけて、加藤社長を泳がせていただけなんじゃないですかね?自分が傍にいたら尻尾を掴ませないだろうから。」
「そうかもしれない。でも今はとにかく二人を捜さないと。」
課長はくまなく部屋の中を捜す。
テーブルの上に散らかったオモチャやお菓子。
備え付けのテレビの棚。それに小さなロッカーやテーブルの下など、思いつく限りの所を調べていた。
俺も隅々まで部屋を調べ、何か手がかりになるような物はないか探す。
するとソファに寝かせていた草刈が「うう・・・・」と目を覚ました。
「草刈さん!」
課長が駆け寄り、「大丈夫ですか?」と心配そうに尋ねた。
「大丈夫じゃない・・・・まだ背中が痛いぞ・・・・。」
「すみません・・・・いきなりあんな事を・・・・、」
「どうして北川課長が謝る?悪いのはあのアホだろうが。」
そう言って身体を起こし、「ここは?」と尋ねた。
「加藤社長の部屋です。何か手がかりになる物はないかと思って。」
「無駄だ。伊礼がすでに調べてるはずだからな。」
草刈は背中を押さえながら、「あのガキめ・・・」と立ち上がる。
そしてすぐに俺に気づいて、「お前!」と怒った。
「なんだお前は!いきなり人を投げやがって!」
鬼の形相で掴みかかってきて、「せっかく助けてやったのに!」と怒鳴る。
「恩を仇で返すとはこの事だ!いますぐ首にしてやる!」
そう言って首を締めてきたので、もう一回投げてやった。
「げふッ!」
「冴木君!」
課長が俺たちの間に割って入り、「なんで乱暴なことするのよ!」と睨んだ。
「草刈さんが君を見つけてくれたのよ!それを・・・・、」
「そこが分からないんですよ。」
「え?」
「俺・・・・てっきりそいつに閉じ込められたんだって思ってました。でも違うんですか?」
「なんで草刈さんが君を閉じ込めるのよ?」
「だって俺だけ物置みたいな部屋にされたんです。そいつ俺のこと嫌ってるみたいだから。」
「分からない・・・・どういうこと?」
課長は不思議そうに首を傾げる。すると草刈は「やっぱりそういうことか・・・」と立ち上がった。
「おい冴木・・・・、」
「なんだよ?」
「お前は誤解してるぞ。」
「誤解?何を?」
「お前をあの部屋に入れるように指示したのは俺じゃない。」
「・・・・は?」
「だからお前を閉じ込めてもいない。」
「いや、だって係の人が・・・・、」
「その係の奴も行方不明なんだよ。」
「・・・・・ん?」
「お前は嵌められたんだ。あの怪人にな。」
そう言って痛そうに背中を押さえ、ソファに腰を下ろした。
「順を追って話してやる。そこに座れ。」
草刈は向かいのソファに手を向ける。
でも俺は「加藤社長を捜す方が先だ」と言った。
「あの人は怪人にさらわれたんだ。早く見つけないとどんな目に遭わされるか・・・・、」
「いいから座れ。」
「嫌だね。俺は加藤社長を捜しに行く。お前みたいに嫌がらせばっかりする奴の言うことなんか聞くか。」
「ガキかお前は。」
「何とでも言え。俺はあの人の信頼を裏切るわけにはいかないんだ。早く見つけ出して、予定通り選挙をやる。そんで俺が社長になる瞬間を見てもらうんだ。
それがあの人の信頼に応える一番の方法だからな。」
一瞥をくれ、部屋を出て行こうとする。
すると「冴木君」と課長が腕を掴んだ。
「ちょっと落ち着いて。」
「落ち着いてられませんよ!」
「捜すって言ったって、闇雲に捜したって見つかるわけないじゃない。だから今は話を聴こう。」
「じゃあ課長だけで聴いて下さい。俺は行かなきゃいけないんです。」
「君だけで捜したって意味がないって言ってるの。一人で突っ走ったってしょうがないのよ。」
課長はギュッと俺の腕を握りしめる。
これが他の誰かなら振り払っただろうけど、課長にそんな事をするわけにはいかない。
だから俯いたままこう答えた。
「俺・・・・腹が立ってるんですよ。」
そう言って顔を上げ、課長の目を見つめた。
「自分勝手なことする奴に・・・腹が立ってるんです。あの怪人にも、風間って記者にも、それに・・・・そこの草刈にも。」
ソファに座った草刈を睨み、「なんでもっと協力し合えないんですかね?」と頭を掻いた。
「どいつも自分のことだけ考えて、好き勝手なことしやがる・・・・・。」
「何言ってるの。草刈さんはそんな人じゃ・・・・、」
「でも課長だって言ってたじゃないですか。そいつはあんまり信用出来ないって。」
「そんなこと言ってないわよ。草刈さんは監査役だから、悪いことしないように注意しないといけないよって言っただけじゃない。」
「・・・そうでしたっけ?」
「そうよ。彼は社内で不正を行う者を監視するのが仕事なの。だから冴木君も悪いことしちゃ駄目よって言っただけじゃない。」
そう言われて、「そう言えばそうだったかな・・・」と頭を掻いた。
「君は草刈さんが自分のことを嫌ってるって言ったけど、それは逆よ。君が彼のことを嫌ってるの。だから都合の良いように私の言葉を受け取ったんでしょ?」
「ええっと・・・・、」
「私は草刈さんが信用出来ない人なんて、一言も言ってないわ。」
「・・・・・・・・・・。」
「よく知りもしないのに、勝手にそうやって決めつけて・・・・・。今勝手なことをしてるのは君の方よ。」
課長はキツイ口調で言い、俺の腕を離した。
「草刈さんはただの監査役じゃなくて、素行の悪い社員を監視する役目も持ってるの。」
「・・・そうなんですか?」
「白川常務・・・・最後は怪人の手で追い込まれたけど、でもあのままじゃ近いうちに常務の椅子から降ろされてたわ。
だってあまりに女性関係が酷すぎるから。草刈さんはその証拠を掴んでて、もしこれ以上女子社員を利用するようなことがあれば、処分を与えるつもりだったのよ。」
「・・・・・・・・・。」
課長はソファに座り、「ほら」と隣を叩いた。
「こっちへ来て話を聞いて。」
「・・・・・・・・・・。」
「君は男になったんでしょ?でもそのまま拗ねてたらただの男の子よ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「冴木君。」
「・・・・・・・・・・・。」
「あ、そう。ならもういいわ。勝手に好きなようにすればいい。でもその代わり、みんなには迷惑を掛けないでね。
突っ走るのは勝手だけど、君のせいで加藤社長を見つけるのが遅れるかもしれないから。」
今日の課長はいつもより厳しい。
キッと目を吊り上げ、「さっさと行けば?」と言った。
「捜しに行くんでしょ?早く行きなさい。」
「いや・・・・、」
「何?草刈さんの話を聴く気はないんでしょ?だったらここにいてもしょうがないじゃない。」
「それは・・・・、」
「君は成長したと思ってた。でもそうやって拗ねてるだけじゃ、前と同じね。悪いけど、もし君が社長になってもデートは無しよ。」
「えええ!?」
「当然でしょ。「男の子」とデートしたってしょうがないじゃない。それはデートじゃなくて、ただ遊びに連れて行ってるだけだから。」
「ぐほあ!」
「私は君のお母さんじゃないのよ。いつまでも勝手なことやって、それを許してもらえると思ったら大間違い。ちょっと甘いんじゃない?」
「げほッ!」
「ほら、さっさと行きなさい。邪魔だから。」
そう言ってシッシと手を振る課長。その表情はとても厳しく、心が折れそうになった。
「あ、あの・・・・・、」
俺はフラフラと歩き、課長の傍に立った。
「その・・・・ちょっと調子に乗ってたかなあって・・・・、」
「何を?」
「いえ・・・その・・・・最近俺のことを褒めてくれる人が多かったから・・・・調子に乗ってたのかなあって・・・・、」
「だから?」
「それに・・・課長にも褒めてもらって・・・・デートの約束もしてもらって・・・・ちょっと浮かれてたっていうか・・・・、」
指をもじもじさせながら、飼い主に叱られる犬のように俯いた。
「だからその・・・・ごめんなさい!」
そう言って頭を下げると、「私に謝ってどうするの」と言われた。
「謝るのは私にじゃないでしょ。」
「ええっと・・・・じゃあ誰に・・・・?」
「言われなきゃ分からないの。そんな簡単なこと。」
課長の目は増々厳しくなる。
俺は「すいません・・・」と項垂れるしかなかった。
「その・・・どなたに謝ればいいのか・・・・、」
「草刈さんに決まってるでしょ!」
「え?その人に・・・・?」
「せっかく君を助けに来てくれたのに、それをいきなり投げるなんて・・・どうしてそんな乱暴なことするの!」
「はあ・・・・、」
「しかも子供みたいに拗ねて、話も聞こうとしない。こんな失礼なことがある?」
「いや、でもですね・・・・俺はてっきりその人に閉じ込められたと思って・・・・、」
そう言い返すと、課長の目はさらに険しくなった。
「す・・・すいません!俺が悪かったです。」
草刈の傍に行き、「申し訳ありませんでした!」と頭を下げた。
「その・・・とんだ勘違いで酷いことをしてしまって・・・・。」
「まったくだ。」
「全て俺の早とちりのせいです。本当に・・・ごめんなさい!」
肩を竦めながら、小さく丸まって謝る。
草刈は「ふん」と鼻を鳴らし、「北川課長も大変だな」と言った。
「こいつの面倒を見るのは、さぞかし骨が折れるでしょう?」
「ええ、まったく。」
「この手のタイプはすぐに調子に乗る。でも褒めてやらないと伸びない部分もある。まさに飴と鞭だ。」
「使い分けがすごく難しくて・・・・・最近はちょっと甘やかしすぎてたかなって反省してます。」
「男ってのは、下手に育てるとガキのままなんですよ。なんなら私が預かって、一から鍛え直しましょうか?」
「あ、お願い出来ますか?」
課長は嬉しそうな顔で言う。俺は「ちょっと!」と割って入った。
「何なんですかいきなり!二人でそんな話を進めないで下さい。」
そう言うと、草刈がパチンと俺のおでこを叩いた。
「痛ッ!」
「馬鹿かお前は。」
「な・・・何が?」
「いいか?北川課長はな、お前の将来に期待してるんだよ。」
「期待?」
「お前はまだまだケツの青いガキだ。でも中身はいいもん持ってんだよ。だからお前に期待してるんだ。」
「そ・・・・そうなんですか?」
「こうやって厳しくするのも、全部お前の将来を期待してのことだ。今までみたいに甘やかしてたんじゃ、この先伸びないだろうからな。」
「・・・・・・・・・。」
「それともお前は何か?ずっと甘やかしてほしいのか?」
「そ・・・そんなことは・・・・、」
「ケツの青いガキのままじゃ、いつまで経っても彼女と対等になれない。仕事でも恋愛でもだ。」
「なッ・・・・、」
顔が真っ赤になるのを感じて、「なんでそのことを!」と叫んだ。
「んなもん見てりゃ分かる。彼女に惚れてんだろう?」
「う・・・・、」
「でもな、ガキみたいに甘やかされてるだけじゃ、絶対に男として見てもらえないぞ。お前それでもいいのか?」
「い・・・・嫌です・・・・。」
「だったらこれ以上彼女に迷惑を掛けるな。お前のボンクラさ加減のせいで、いったいどれだけ尻拭いをさせられてるか・・・・お前知ってるのか?」
「尻拭い・・・・?」
「お前の普段のしょうもないミスのせいで、始末書180枚、取引先に謝りに行くこと75回、残業だって数えきれないほどやってる。」
「ま・・・・マジすか?」
「誰かがミスをすれば、それをフォローする人間が必要になる。身近なとこだと箕輪がそうだろう?」
「うぐッ・・・・、」
「お前が今までクビにならずに済んだのはな、全部北川課長のおかげなんだよ。それもこれも、お前の将来に期待してのことだ。
なぜなら彼女こそが、お前の秘めてる可能性に一番に気づいたんだからな。」
そう言ってまた俺のおでこを叩いた。
「課長が・・・・俺の可能性に・・・・?」
「だからいつだってお前のミスをフォローしてきた。そしてお前がクビにならないように、上司や取引先にどれだけ頭を下げてきたことか・・・・。」
草刈はソファに腰を下ろし、タバコを吹かした。
「厄介な奴だよお前は・・・・・。優秀な人間は、なぜかお前のことを評価したがる。会長だってお前の覚えはいい。
いくら前の事件があったにしても、あの会長が人を気に入るなんて滅多にないんだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「忌々しい奴だよまったく。しかし・・・・会社の将来を考えると、俺だって優秀な奴はクビにしたくない。今は使い物にならなくても、いつか化ける可能性があるならな。」
そう言って灰皿にタバコを押し付け、グリグリと揉み消した。
「どうでもいいような奴なら、誰も目を掛けたりしない。北川課長のことを大事に想うんなら、今は落ち着いて話を聴け。」
草刈の表情は険しく、この人も焦ってるんだなと分かる。
怪人と加藤社長がいなくなって、それをどうにかしないとと思ってる・・・。
俺は課長の隣に座り、「熱くなってすみませんでした」と謝った。
「その・・・・話を聴かせて下さい。」
真っ直ぐに見つめながら、膝の上で拳を握る。
課長と草刈は目を合わせ、小さく頷いた。
「加藤は間違いなく怪人に連れ去られてる。あいつは伊礼と一緒にこの部屋にいたんだが、ほんの一瞬の隙をついて誘拐された。」
「一瞬の隙?」
「加藤がジュースを飲みたいというから、伊礼が買いに行ったんだ。その時、傍にいた係員に加藤のことを頼んだ。
しかしそいつが少し目を離した隙にいなくなってたらしい。」
「それ・・・どれくらいの時間ですか?」
「30秒もなかったって言ってたな。ケータイに知らない番号から掛かってきて、出てみれば無言電話だと言っていた。」
「なら・・・それも怪人の仕業じゃ・・・・。」
「だろうな。伊礼が戻って来た時、係員は加藤がいないことを告げた。すぐに辺りを捜したが見つからなかった。
まさかとは思って怪人の部屋を覗いてみると、奴もいなくなってたというわけだ。」
「でも怪人の部屋の前にも係員はいたんですよね?だったらいつ抜け出したんでしょう?」
「言い忘れたが、奴の傍にいた係員も行方不明だ。」
「・・・・共犯?」
「その可能性が高いな。どうやら本社の中にも、怪人の手の者がいたらしい。もっと俺が目を光らせとけば・・・・なんて思っても、後の祭りか。」
そう言ってタバコを咥え、「それからは全ての部屋を調べたよ」と言った。
「候補者全員の部屋を確認した。するとお前までいなくなってた。」
「だって俺・・・物置みたいな部屋にいましたからね。」
「怪人の奴がわざとそこへ入れたんだ。」
「なら俺を案内した係員も・・・・、」
「奴の手駒だろう。」
「・・・・・・・・・・。」
「北川課長から聞いたよ。あの怪人、ずいぶんとお前のことを警戒してたみたいだな。奴のマンションへ連れて行かれて、散々に殴られたんだって?」
「ええ・・・しかも俺だけじゃなくて、美樹ちゃんまで怖い目に遭わせて・・・・、」
「可哀想にな、なんの関係もないってのに。白川のこともあるし、特別手当でも出してやるか。」
「お願いします。あのままじゃ可哀想だから。」
俺はグッと拳を握り、「それで?」と先を促した。
「それからはみんなで大捜索だ。とりあえず選挙は保留にして、手の空いた者は全て捜索に回した。
北川課長、伊礼、選挙にやって来た大勢の社員・・・・・。ちなみにカグラの連中は引き揚げて行った。面倒には関わりくないから、ここで棄権すると言ってな。」
「冷たい奴らですね。」
「元々そういう連中だ。しかし優秀な奴が多い会社だから、会長も好きにさせてる。ウチのグループの売り上げの三割を占めてるしな。」
「三割・・・・ってすごいんですか?」
「年間のグループ全体の売り上げが二兆二千億・・・・どれだけ貢献してるかくらい分かるだろ。」
「ちなみに靴キング!は・・・・、」
「900億、全体の約4パーセントだ。本社とカグラには遠く及ばない。」
「なんか悔しいな・・・・。」
「お前は靴キング!の人間じゃないだろう。それに今は関係のない話だ。」
「そうですね。で・・・・その後は?」
草刈はトントンと灰を落とし、短く煙りを吐いた。
「いくら捜しても見つからなかった。怪人と加藤とお前・・・・三人も一気に消えたんだ。それがどこにいるか分からないっていうんだから焦ったよ。
でもその時、五階から一枚の窓ガラスが落ちてきた。」
「ああ!」
俺は思わず叫ぶ。そして恐る恐る「あれはわざとじゃなくて・・・」と肩を丸くした。
「立てつけが悪かったもんだから、つい強引に開けようとして・・・・、」
「幸い誰も怪我しなかった。給料からの天引きだけで許してやる。」
「ほげえッ!」
恐れていたことを言われて、がっくり項垂れた。
「怪人はよほどお前のことを恐れていたみたいだな。だからあんな部屋に閉じ込めたておいたんだろう。もし窓ガラスが落ちてなきゃ、きっと今でも閉じ込められたままだ。」
「なんか複雑だな・・・・良かったような悪かったような・・・・。」
「もしやと思って物置部屋を見上げると、お前が隠れるのが見えた。だから急いで五階まで向かってると、北川課長と出くわしたってわけだ。」
「課長は元陸上部ですからね。足速いんですよ。」
そう言って「ね?」と笑いかけると、真剣な顔で「話の腰を折らない」と注意されてしまった。
「すいません・・・・。」
「その後はお前も知っての通りだ。俺は二回も投げられ、背骨がイカれそうになった。」
「すいません・・・。」
「せっかく助けに来たのに酷い仕打ちだ。」
「すいません・・・。」
「後で病院に行かなきゃな。治療費はお前の給料から天引きだ。」
「そんなあ〜・・・・・・、」
泣きそうになりながら、「しばらく米と漬物だけの生活になる・・・」と嘆いた。
「悔しかったら稼いでみろ。」
「うう・・・・・。」
「とにかく今は二人の行方を捜索中だ。目ぼしい所はすでに捜してるし、伊礼も動いている。あいつは腕利きの探偵だったそうだから、何か掴んできてくれるだろ。」
そう言ってタバコを揉み消し、「だから今は下手に動かない方がいい」と煙を吐いた。
「あの怪人が何を企んでるか分からない以上、勝手に動かれちゃ困るんだよ。」
「だから・・・・さっき課長が怒ったんですね。」
「とにかく今は待つしかないんだ。もし昼までに見つからなければ、選挙は中止だ。」
「・・・・・・・・・。」
「お前は北川課長と一緒にここにいろ。何か分かったら知らせてやるから。」
草刈は立ち上がり「おお・・・背中が痛てえ」と呻いた。
「これが中止になったら、次があるか分からない。」
「ですよね・・・・選挙で社長を決めるなんて、普通はしないから・・・。」
「まあせいぜい祈っとけ。加藤の無事と、選挙が流れないことをな。」
そう言って、俺たちを残して部屋から出て行った。
足音が遠ざかり、部屋がしんと静まり返る。
俺はすぐに立ち上がり、「やっぱり捜しに行きましょう」と言った。
「冴木君・・・・草刈さんの話を聞いてた?」
課長が険しい顔で言う。でも俺はこう言い返した。
「もちろん聞いてましたよ。でもあの人・・・・加藤社長の手紙のことは知らないんでしょ?」
「そのことは教えてないわ。だって加藤社長の秘密に触れちゃうから。」
「ならやっぱりじっとしてられませんよ。あの手紙の内容を知らないんじゃ、加藤社長が連れ去られた本当の理由を分かってないってことだから。」
「例の武器のことね?怪人を倒せるっていう・・・・。」
「きっとそのことを恐れて誘拐したんですよ。だから早く見つけないと危険なんです。今頃顔を変えてどっかに隠れてるはずですよ。」
「その隠れ家か分からないから問題なのよ。下手に動くと余計に混乱するだけだし・・・・。」
課長は口元に手を当て、不安そうな顔をする。
眉間に深い皺が寄って、「いったいどこにいるのか・・・」と呟いた。
「俺・・・・一つだけ心当たりがあるんですよね。」
そう答えると、「ほんとに!?」と顔を上げた。
俺は頷き、「ここです」と自分の頭を指さした。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第三十七話 いざ選挙!(3)

  • 2016.05.28 Saturday
  • 13:33
JUGEMテーマ:自作小説
選挙のスピーチは8時から。
しかも俺がトップバッターである。
緊張と共に控室で過ごし、ドアの前で名前が呼ばれるのを待っていた。
だけど時間が近づいても全然呼んでくれなくて、とうとう8時になってしまった。
本当なら係員が呼んでくれるはずなんだけど、時間が来ても呼ばれる様子がない。
ルールでは勝手に部屋を出てはいけないことになってるけど、もう我慢出来ない。
ドアを開けて出ようとすると、なんと外から鍵が掛かっていた。
しかも内側から開けることが出来ないようになっている。
俺はノブを回し、「開けてくれ!」と叫んだ。
「早くしないと時間が無くなる!」
ノブをガチャガチャ回しても、係員は来ない。
「おい!そこにいんだろ?早く開けてくれ!」
そう叫んでも、うんともすんとも返事がなかった。
「なんだ?いないのかよ?」
バンバンとドアを叩き、「開けろって!」と叫ぶ。
「便所でも行ってんのか!?俺がトップバッターなんだよ!さっさと開けろ!」
叫んでも喚いても、ドアを叩いても返事がない。
こうなりゃヤケだと思って、思い切りドアを蹴飛ばした。
でも全然ビクともしなくて、「痛ってえ・・・」と足を押さえた。
「んだよ・・・ドアってけっこう頑丈なんだな・・・・。」
蹴った足がジンジンする・・・・。ドラマとか漫画なら簡単に蹴破ってるのに、実際はけっこう固いもんだった。
「クソ!開けこの野郎!」
今度は体当たりをかますが、やっぱりビクともしない。
「おのれ〜・・・・こうなったら必殺の回し蹴りで・・・・・。」
カンフー映画みたいに、クルっと回ってキックを放つ。
でも埃だらけの床のせいで、ズルっと足元が滑った。
「ふぎゃッ!」
一回転しながら派手に倒れる。思い切り背中を打って「ぬおおお・・・・」と悶えた。
「い・・・息が・・・・呼吸がああ・・・・・。」
ゲホゲホと咳をしながら、「ふざけんなよ・・・」と立ち上がる。
「なんだってんだよ・・・・なんで誰も呼びに来ないんだよ・・・・。」
背中を押さえながら、「ぐふッ!」と咳き込む。
時計を見ると8時3分になっていて、「ぬああ!」と叫んだ。
「もう始まってんじゃん!」
一気に焦りが出て来て、「ここを開けろ〜!」と叩きまくった。
「俺の時間なんだよ!俺がトップバッターなんだ!」
いくら叫んでも誰も来ない・・・・・。これはいよいよヤバイことになった。
「・・・確か草刈が言ってたな・・・・。8時になったら、候補者は全員会場へ移動するって・・・・・。てことは・・・もしかしてこの階には誰もいないんじゃ・・・・。」
この部屋のある五階は、普段は誰も使わない。
緊急の会議とか、他の部屋が開いていない時にしか使用しないのだ。
だからこんな物置みたいな部屋があるわけで・・・・。
「なんてこった・・・・俺だけ忘れられてる・・・・。」
がっくりと項垂れ、埃まみれの床に座り込んだ。
「・・・・・そうだ!スマホで・・・・、」
そう言いながらポケットに手を入れて、「あ!」と固まった。
「ダメだ・・・・取り上げられてるんだった。」
またガックリと項垂れ、「ああ・・・もう!」と床を叩いた。
「ドアは開かない!係員はどっか行っちまう!スマホも無けりゃ、この階自体に人がいない!もうお手上げじゃないか!!」
ガリガリと頭を掻きむしり、「どうすりゃいいのさ!」と叫んだ。
でもそこで「そうだ!」と思いついた。窓に駆け寄り、庭を見渡す。
「・・・・・・いなくなってる。」
さっきまで箕輪さんたちがいたのに、ベンチには誰もいなかった。
「中に入っちゃったのか・・・・クソ!」
せっかく直したパイプ椅子を蹴飛ばし、また倒れて来る。
「ぎゃうッ!」
ガラガラと音を立てながら、幾つものパイプ椅子に組み敷かれた。
「なんってこった・・・・今日は厄日だ。」
もうどうにでもなれと思い、本気でこのまま寝てしまおうかと考える。
《ああ、もう!一番決めなきゃいけない日なのに・・・なんでこんな事になるかね?ていうかそもそも草刈の野郎が悪いんだ。
あいつがこんな部屋さえ用意しなきゃ・・・・・、》
そう思った時、「まさか・・・」と顔を上げた。
「これ・・・・わざとか?わざと俺を閉じ込めたのか?スピーチをさせない為に・・・・・。」
ふつふつと湧き上がった疑惑は、炎のように燃え上がる。
「絶対にそうだ・・・・俺だけ呼び忘れるわけがない・・・・。これも草刈の野郎が企んだことなんだ・・・・・。」
今日は厄日だ・・・・・そう思ったことを撤回する。
これは厄日なんかじゃない。全部草刈の野郎が悪いんだ・・・・。
「あの野郎・・・・・・屋上から巴投げかましてやる!」
椅子を押しのけ、「オラあ!」とドアに突っ込む。でも全然ビクともしなくて、「こっちはダメか・・・」と諦めた。
「自力で出るのは無理だな。なら・・・・誰かに気づいてもらうしかない!」
また窓に駆け寄り、外に人はいないか探してみる。
するとたくさんの人が集まっていて、入り口の前で固まっていた。
「おお、たくさんいるじゃん!」
これだけいれば、大声で叫べば誰かが気づいてくれる。
俺は窓に手をかけ、「ふぎ〜・・・・」と引っ張った。
「ほんっと立てつけ悪いなこれ・・・・・・。」
ほとんどハメ殺し状態の窓を思い切り引く。
するとガコ!っと音がして、サッシから外れてしまった。
「あ、ヤバッ・・・・・、」
そう呟くのと同時に、窓が落ちて行く。
そして数秒後にはバリーン!と大きな音が響いた。
「・・・・・・・やっちまった。」
背中に冷や汗が流れ、すぐに窓から身を乗り出す。
下を見ると、窓は盛大に割れていた。
五階からでも分かるくらいに、辺り一面にガラスが飛び散っている。
でも幸いなことに、周りに人はいなかった。
俺は「よかったあ〜・・・」と息をつき、サッシにもたれかかった。
もし誰かが怪我をしていたら、それこそ給料の天引き程度じゃすまなくなる。
ていうか選挙どころじゃなくなるだろう。
「やっぱ今日は厄日かもしれんね・・・・・。」
ガックリと項垂れ、もうどうにでもなれと運命を呪う。
すると「誰かいるのか!?」と下から声がした。
「ヤベッ・・・・、」
咄嗟にしゃがんで隠れる。また「上に誰かいるのか!」と声がして、俺はじっと固まった。
「ああ・・・・見つかったら弁償させられる・・・・。頼むからこれ以上の天引きは勘弁してくれ。」
貯金は祐希さんを雇う為に使い果たし、給料は元々安月給。
もし社長に当選しなかったら、生活そのものが危うくなる。
「どうにかここから抜け出さないとな。」
事情を説明したら、今からでもスピーチをさせてもられるはずだ。
落ちた窓ガラスのことは・・・・まあ風が強かったとか、ポルターガイストのせいとか、どうにか言い逃れしよう。
一番の問題はどうやって抜け出すかで、ドアの前に立って考えた。
「壊す以外に方法が思いつかない・・・・。でもそんな事したら、やっぱ給料から引かれるのかな?・・・いやいや、これは全部草刈が悪いんだから、あいつのせいにしとけばいいんだ。
課長に事情を話せば、きっと分かってもらえるさ。」
そう自分に言い聞かせ、床に転がったパイプ椅子を掴んだ。
「助走つけてこいつで殴れば、多分壊せるだろ。」
ゆっくりと壁際まで下がり、「うおおおお!」と駆け出す。
そして椅子を振りかぶって、思い切り叩きつけようとした。
しかしその時、ガチャリとドアが開いた。
「うおッ・・・・・、」
慌ててブレーキを掛け、椅子を振り下ろすのを止める。
でも勢いは止まらず、前のめりに転んでしまった。
「ぎゅうッ!」
「きゃあッ!」
誰かとぶつかって、そのまま押し倒してしまう。
部屋の外に倒れ込んで、「なんなんだよ・・・」と立ち上がろうとした。
その時、床に手を着いたつもりが、何か柔らかいものに当たった。
いや、当たったというより、握ったという方が正しいかもしれない。
なぜならその柔らかいものは、ちょうど手の平に収まるくらいの大きさだったからだ。
しかも妙に肉感的で、触っているとこう・・・・ある種の本能が目覚めて来るような・・・・・、
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・手・・・・・どけてくれる?」
そう言われて、俺はゆっくりと手を離した。
それと同時に、床に頭をついて謝った。
「すすすすすす・・・・すみません!!」
「・・・・・・・・・・。」
「わざとじゃないんですよ!いや、ほんとに!絶対にわざとじゃないんです!!」
「・・・大丈夫、分かってるから。」
「だ・・・だってですね!まさか課長が急に現れるなんて思わなくて・・・・・、」
床に穴を空ける勢いで頭を下げる。
何度も何度も「ごめんなさい!」と謝っていると、「もういいから」と肩を叩かれた。
「い・・・いやいや!一発くらい殴って下さい、ええ!」
「だから気にしてないってば。」
「俺が気にするんです!だって・・・この・・・・この汚れた手が・・・・課長のお胸を鷲掴みに・・・・・、」
「言葉に出さなくていいから!」
まだ感触が残る手を見つめていると、ペチンと叩かれた。
《お・・・おお・・・・おっぱ・・・・おっぱいを・・・・・課長の・・・・課長のおおおおおお・・・・。》
喜び?興奮?・・・・いやいや、それより申し訳なさを先に感じないといけない。
いけないんだけど・・・・・やっぱ喜び?
震えながらその手を見つめていると、「目がイヤらしい・・・」と言われた。
「え?・・・・ああ!いやいや・・・そんな・・・・、」
「もしかしてわざとだった?」
「め・・・・滅相もない!この冴木晴香、天地天命に誓ってそのような事は・・・・、」
「もしわざとだったら、ちょっと嫌いになったかも・・・・・。」
課長はジトっとした目で睨む。胸を隠し、怒るような視線で・・・・。
俺はすぐに謝ろうとしたけど、でもすぐに違和感を覚えた。
《あれ?いつもなら「別に怒ってないよ」とか「気にしてないから」って許してくれるのに・・・・。こうやって怒ってるってことは、やっぱ弟君から卒業したってことなのかな?
俺のことを男として意識してるから、こうやって怒ってるのかも。》
じっと考えていると、「いつまでイヤらしい目してるの」と怒られた。
「え?いやいや・・・・別にそんな・・・・、」
「今はそんな事考えてる場合じゃないのよ。」
課長は立ち上がり、「もしかしたら選挙どころじゃなくなるかもしれないんだから」と言った。
「はい?」
「いなくなっちゃったのよ。」
「いなくなった・・・・・って誰が?」
「怪人よ。」
「・・・・・・・ええええ!?」
思いがけないことを聞かされて、「どうして!?」と立ち上がる。
「なんでいなくなっちゃったんですか!?」
「分からない・・・・。でも逃げたのかもしれない。」
「逃げるって・・・・だって選挙に出る気満々だったじゃないですか!」
「理由は分からない。でも突然いなくなっちゃったの。」
「そんな・・・・、」
「だけどそれ以上に深刻な事がある。」
そう言って表情を引き締め、「落ち着いて聞いてね」と眉間に皺を寄せた。
「いなくなったのは怪人だけじゃないの。加藤社長も・・・・。」
「加藤社長も?」
「というより、連れ去られた可能性が高いわ。」
「連れ去られたって・・・・・誘拐ってことですか?」
ゴクリと息を飲み、恐る恐る尋ねる。
課長は無言で頷き、「だから選挙どころじゃなくなるかもしれない」と答えた。
「・・・・・・・・・・・。」
「驚くよね・・・・・・。」
「なんで・・・・?どうして加藤社長を誘拐して・・・・・。」
「今は伊礼さんが捜してくれてる。」
「もし本当に誘拐だとしたら、選挙なんてやってる場合じゃないですよ!早く警察に・・・・、」
そう言いかけると、課長は首を振った。
「無理よ。だって加藤社長は怪人の養子だもの。」
「いや、でも見捨てたんじゃ・・・・、」
「確かに見捨てたけど、法律上はまだ養子のはず。だから・・・・警察に頼んでも意味はないわ。自分の子供なんだから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「どうして怪人が加藤社長を連れ去ったのかは分からない。だけど君の言う通り、今は選挙をやってる場合じゃないわ。早く加藤社長を見つけないと。」
課長は深刻そうな顔で言う。でも俺は、もっと深刻な顔になっていた。自分では見れないけど、きっとそんな顔になってるに違いない。
《加藤社長・・・・・。》
もし怪人が狙ってくるなら、それは課長だと思っていた。
なのになぜ見捨てたはずの加藤社長を連れ去ったのか?
《・・・・一つだけ心当たりがある。もしそれが理由だとすると、最悪は加藤社長は・・・・・。》
嫌な予感がこみ上げ、「捜しましょう!」と言った。
「早く見つけないと加藤社長が危ない!」
「分かってる。でもどこを捜せばいいのか・・・・・。」
「とにかく捜すんです!加藤社長が最後にいたのはどこですか?」
「多分自分の部屋だと思うわ。候補者は別々に隔離されてたから、私も直接見たわけじゃないけど・・・・・。」
「なら加藤社長のいた部屋に行きましょう!」
「でもそこはもう調べて・・・・、」
「もう一度調べるんです!何か見つかるかも!」
そう言って駆け出した時、また誰かとぶつかった。
「痛ッ!」
「うお!」
お互いに頭を押さえ、「どこ見てんだ!」と罵り合う。
「・・・・ああ!」
「・・・・またお前か・・・・。」
ぶつかったのは、憎きあの男だった。
俺は胸倉を掴み、ガクガクと揺さぶった。
「てめえこの野郎!よくも閉じ込めやがって!」
「はあ?何を言って・・・・、」
「問答無用!」
腕を掴み、「どうりゃあ!」と一本背負いを決める。
草刈の身体は綺麗に宙を舞い、背中から落ちていった。
「げふッ・・・・!」
「思い知ったかこの野郎!」
ガッツポーズをして勝ち誇ると、「何やってるの!」と課長が怒った。
「何って・・・・こいつが俺を閉じ込めたから・・・・、」
「大丈夫ですか!草刈さん!」
課長は慌てて草刈を抱き起す。背中をさすりながら、「なんてことするの!」と睨まれた。
「え?いや・・・・だってそいつが・・・・・、」
「怪人と加藤社長がいなくなって、みんなパニックだったのよ!でも草刈さんだけが君のこと思い出して助けに来てくれたのに。」
「・・・・・へ?」
わけが分からず、首を傾げながら唇をすぼめる。
草刈はゲホゲホと言いながら、「やっぱりお前はクビだ・・・・」と気絶した。
「・・・・わかが分からない。いったい何なの?」
まったく状況が理解できず、肩を竦める。
課長は目を吊り上げて怒り、草刈は泡を吹いていた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第三十六話 いざ選挙!(2)

  • 2016.05.27 Friday
  • 12:42
JUGEMテーマ:自作小説
五階にある狭い会議室に、候補者が顔を揃えている。
俺、課長、伊礼さん、加藤社長、カグラの社長と副社長。そして・・・・怪人。
テーブルを囲うようにしてみんなが座っていて、難しい顔で腕を組んでいる。
「選挙は九時からです。あと一時半ほどですね。」
そう言って草刈取締役が腕時計を見つめた。
本来なら課長が進行役だが、候補者になってしまったので代わりを務めている。
差し棒をバンバンと叩きながら、「何か質問は?」と見渡した。
誰も手を挙げず、草刈取締役は小さく頷く。
「確認の為にもう一度繰り返しますが、選挙前のスピーチは、それぞれ二分です。順番は今からクジで決めます。」
そう言って小さな箱を取り出し、「じゃあ右側の方から」と俺に渡した。
俺は箱を受け取り、中からクジを引く。次に課長が引き、そして伊礼さんと加藤社長。
その次に怪人が引いて、カグラの二人も引いた。
それぞれの手にクジが渡り、「では番号を確認してください」と言われた。
「・・・・・・・・・。」
折りたたまれたクジを開くと、「3」と書いてあった。
「先ほども言いましたが、お互いに順番を教えるのは厳禁です。いいですね?」
そう言ってバシバシと差し棒を叩きつける。
《前の演説であんなことがあったから、順番にも気をつけてるんだろうな。誰がいつ喋るか分かったら、怪人が何か仕掛けてくるから。》
俺はクジを折りたたみ、手の中に握りしめた。
「ではクジを回収します。箱の中に戻して。」
みんな順々にクジを戻し、また難しい顔で腕を組んだ。
《いったいどういう順番なんだろうな・・・。もし怪人が一番手なら、また何か仕掛けてくるんじゃ・・・・、》
怪人の方を睨むと、澄ました顔で扇子を仰いでいた。
誰とも目を合せようとせず、勝ち誇った笑みを浮かべている。
《余裕の表情だな。白川常務を潰して、俺を脅して、もう敵はいないって安心してんのか?》
怪人は加藤社長を手駒にして本社を乗っ取るつもりだった。
でもその加藤社長はもう使えないと切り捨てた。だから加藤社長のことは敵とは思っていない。それに人数合わせで出馬した伊礼さんも眼中にはないだろう。
カグラの二人は最初からやる気がないから、相手にする必要はない。
となると・・・・・課長だ。
ギリギリになって出馬してきた、最も強力な対抗馬。
会長の一人娘で、その美貌ゆえにファンも多い。
それに誰にでも丁寧に接するから、男女問わず人気がある。
だから何か仕掛けてくるとしたら、それは課長以外に考えらない。
《怪人の順番は問題じゃない。課長の順番を知らないといけないんだ。じゃないと何かあった時に対処できない。》
俺は課長に目配せをした。すると課長もこちらを見て、小さく頷いた。
《きっと課長も同じことを考えてるはずだ。後でこっそり順番を教えてもらわないと・・・・、》
そう思っていると、「では各自別々の部屋へ移動してください」と言われた。
「先ほども説明した通り、スピーチまでは自分の部屋にいてもらいます。用がある時は係の者に言いつけて下さい。」
そう言われて《そうだったあ〜!》と唇を噛んだ。
《スピーチが終わるまでは、候補者は隔離されるんだった。結託して不正を働かないようにする為に・・・・・。》
「ちなみにケータイやスマホ、それにパソコンなどの通信機器はこちらで預からせて頂きます。」
《くっそ〜・・・・スマホまで奪われるのかよ・・・・。これじゃ課長の順番が分からないじゃないか!》
いったいどうしたらいいのか困っていると、伊礼さんが手を挙げた。
「何ですか?」
「あの・・・実は加藤社長のことなんですが・・・、」
そう言って隣に座る加藤社長を見つめる伊礼さん。草刈取締役も目を向け、わずかに眉を寄せた。
なぜなら加藤社長は、車のオモチャで遊んでいたからだ。
「ぶ〜ん!」と言いながら楽しそうに笑っている。
「・・・・話は聞いています。病院に運ばれてから幼児退行してしまったとか?」
「ええ。ですから一人でスピーチをさせるのは不安かと。ここは私が付き添っても構わないでしょうか?」
伊礼さんはいかにも不安そうな表情で訴える。すると草刈取締役は「駄目です」と答えた。
「スピーチが終わるまでは、候補者同士の接触は厳禁です。」
「しかし・・・、」
「係の者を付き添わせます。」
「・・・加藤はまだ子供です。見知った人間でないと落ち着かない。」
「なら棄権なさっては?」
「棄権・・・?」
「こうして様子を見ている限りじゃ、とてもスピーチなど出来ないでしょう?」
「棄権・・・・出来るんですか?」
「してはいけないという決まりはありません。それに加藤さんが抜けても、最低枠の六名は保てますから。」
「そうですか・・・棄権は可能・・・・。」
伊礼さんは小さく頷き、「なら私が棄権します」と言った。
「あなたが?」
「加藤は我が社の社長です。それを差し置いて私が立候補するわけにはいきません。」
「社長といっても、今は幼児退行してるんでしょう?ならあなたが出た方が・・・・、」
「しかし社長は社長です。ここは私が・・・・、」
「いや、別に誰か棄権しようと構いませんよ。ただその様子じゃどうかと思ってね・・・・。」
加藤社長は車に飽きて、今度は戦隊ヒーローの人形で遊んでいる。
「でゅくし!」とか「ぴしゅん!」とか叫びながら。
「というより、あなたが棄権しなくてもまだ一人いるじゃないですか。靴キング!の人間が・・・・。」
草刈取締役は憎らしそうな目で怪人を睨む。
「香川部長、あなたが棄権なさっては?」
そう促すと、笑顔のまま首を振った。
「わたくしは棄権など致しません。加藤社長がこのようなことになってしまった以上、わたくしが責任をもって立候補させて頂きます。」
「あなたに何の責任が?」
「だってわたくし、靴キング!の総務部長ですから。社長、専務、常務に次ぐ、四番目のポストですのよ。責任を持つのは当然じゃありませんの。」
「伊礼本部長が出るんだから、あなたは棄権しても問題ないと思いますが?」
「それはそれ、これはこれ。わたくし、選挙には出させて頂きますわ。誰がなんと言おうと・・・・ねえ?」
怪人はみんなを見渡し、「おほほほほ!」と扇子を仰いだ。
草刈取締役は小さく舌打ちをして、殺気のこもった目を向けた。
《この人も怪人をどうにかしたいんだろうけど、白川常務があんな目に遭った後じゃあなあ・・・・。
課長が言うには、草刈さんもあんまり信用出来る人じゃないらしいし。きっと裏では色々悪いことやってんだろ。
後ろめたいことがあるから、怪人に逆らえないんだ。もし弱みを握られてたら終わりだから。》
悔しそうな顔をする草刈取締役だが、これ以上は何も反論しなかった。
《もしかしたらすでに脅されてる可能性もあるよな。近いうちにこの人も消えるかも・・・・・。》
そんな風に思っていると、伊礼さんが「私が棄権します」と言った。
「棄権はルールに違反しないのであれば、問題ありませんよね?」
「ええ・・・・まあ・・・・。」
「なら私はこの場で棄権します。そして加藤の付き添いをさせて頂きたい。」
「どうぞご自由に。」
草刈取締役は面倒くさそうに言い、「ではもう一度クジを」と言った。
「一人抜けたんでやり直しです。ちなみにもう棄権したいという方はいませんよね?」
そう言いながらみんなを見渡して、なぜか俺の所で目を止めた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・なんすか?」
「・・・いや・・・・本当に出るんだなと思って・・・・。」
「はい?」
「馬鹿というか、恥知らずというか・・・・・。」
「あんたに言われたくねえ。」
「まあいいさ。選挙が終わったら首を飛ばしてやる。どうせお前なんかが当選するわけないからな。」
「てめえ・・・・、」
カチンと来て、思わず腰が浮く。すると課長が俺の肩を押さえた。
「落ち着いて。」
小声でそう言われて、「すいません・・・」と座る。
《いかんいかん・・・・。こんな所で怒ったって意味ないんだ。冷静に冷静に・・・・。》
草刈はニヤニヤした顔で挑発してくる。俺は目を逸らし、《今に見てやがれ!》と罵った。
「では棄権者はいないようですので、クジを引いて下さい。」
再びクジ箱を回され、順番に引いていく。今度はさっきとは逆の左回りで、俺は一番最後に引いた。
「・・・・・マジかよ。」
番号を見て思わず唸る。
「1」
なんとトップバッターだ。
当然のことだけど緊張する。それに何より、誰かが俺より良いスピーチをしてしまうと、俺のスピーチは霞んでしまう。
《こういうのはトリがいいのに・・・クソ!でも順番は順番だ、仕方ないか。》
クジを戻し、むっつりした顔で腕を組む。
草刈が「では皆さん別室へ移動して下さい」と言い、係員が候補者を案内していった。
加藤社長だけは伊礼さんが付き添い、二人して部屋から出ていく。
カグラの二人もさっさと出て行って、怪人も扇子を仰ぎながら去って行った。
課長も立ち上がり、引き締まった表情で歩いて行く。
俺は最後に立ち上がり、緊張を胸に部屋を後にした。
それぞれの候補者が別室へ案内されていく。
ちゃんと候補者用に用意した部屋で、中には食べ物や飲み物が置かれていた。
「へえ、気が利くな。」
ちょっと小腹が空いていたのでありがたい。
スピーチの前に腹ごしらえをと思っていると、「あ、冴木さんはこっちです」と係員に言われた。
「え?」
「それは他の候補者の部屋ですから。あなたはこっちです。」
そう言われて案内されたのは、パイプ椅子が積み上がった小さな部屋だった。
足の欠けた机や、古いパソコンも転がっている。
しかも全体的に埃っぽく、積み上がったパイプ椅子のせいで、窓の光もちょっとしか入らない。
「・・・・・・・・・・。」
「どうぞ。」
「あの・・・・どうして俺だけこんな部屋に?」
「草刈取締役の指示です。」
「・・・・・・・・・・。」
「急に候補者が増えてしまったので、人数分の部屋を用意出来なかったんですよ。埃っぽい場所だけど我慢して下さい。」
中に押し込まれ、「外にいるので、用がある時は声を掛けて下さい」と言われた。
「あの・・・・もう少しマシな部屋は・・・・、」
「ああ、それと通信機器はお預かりします。」
「いや、あの・・・・もう少しマシな部屋を・・・・、」
「出して下さい。」
「・・・・・・・・。」
「早く。」
「・・・・・・・・。」
「従わないのなら、ルール違反で失格にしますよ?」
「・・・・・分かったよ。」
ポケットからスマホを取り出し、「ほら」と突き出す。
相手はそれを受け取ると、何も言わずにバタンとドアを閉めた。
「・・・・・・・・・・。」
閉じられたドアを睨み、積み上がったパイプ椅子を振り返る。
「あんの野郎〜・・・・・・。」
腹が立ってきて、積み上がったパイプ椅子を蹴った。
するとグラグラと揺れて、俺の方に向かって倒れてきた。
「ぎゃうッ!」
大きな音を立てながら崩れるパイプ椅子。俺は下敷きになって、「クソッタレ!」と叫んだ。
「草刈の野郎〜・・・・しょうもない嫌がらせしやがってえええ・・・・。」
パイプ椅子をどけながら、埃まみれになったスーツを払う。
「俺が社長になったら絶対に首にしてやっかんな!」
バシ!っと拳を打ち付け、パイプ椅子を立てる。
ドスン!と腰を下ろすと、メキっと鳴って壊れた。
「ぎゃうッ!」
ドアが開き、「静かにして下さい」と怒られる。
「他の候補者に迷惑です。」
「だったらもちっとマシな部屋用意しろよ!」
「急に候補者が増えたんだから仕方ないでしょう。」
「あのな・・・俺が先に立候補してたんだ。だったら後から出馬した奴をここにすればいいだろ。」
「なら北川課長に替わってもらいますか?」
「なんで課長なんだよ!あの婆さんでいいだろ!」
「それはこちらが決めることです。それと壊した椅子・・・・給料から天引きになりますよ。」
そう言ってバタンとドアを閉める。
俺は「ぐううう〜・・・・・・」と拳を握り、「だったら椅子くらいまともなもん用意しとけ!」と怒鳴った。
「なんなんだよいきなり・・・・。ああ、出だしから腹立つ!」
また椅子を蹴り飛ばそうとしたが、これ以上天引きされるのは嫌なので我慢した。
「ふん!まあいいさ・・・・俺がトップバッターなんだ。しばらく我慢してりゃ出られる。」
腕を組み、どうにか気持ちを落ち着かせる。
椅子が崩れたおかげで、窓から光が入って来た。
部屋は照らされ、さっきよりも明るくなる。
「暗い雰囲気って嫌いなんだよな。窓開けよ。」
鍵を外し、窓に手を掛ける。
「んん〜・・・・立てつけ悪いなこの窓・・・・。」
どうにか全開まで開き、外の空気を吸い込んだ。
「ああ・・・ちょっと雲が出てきたな。」
さっきまでは澄み渡るような青空だったのに、今は雲が流れている。
それも遠くの空からたくさんの雲が。
まだ陽は照っているけど、そのうち陰ってしまいそうだ。
「曇りって嫌いなんだよな。まだ雨の方がマシっていうか。」
晴れるでもない、雨が降るでもない、どんよりとグレーに染まった空が一番嫌いだ。
それならまだ夕立の方がいい。ピシャっと雷が鳴って、痛いほどの雨が降る方が気持ちいい。
「せっかく気持ちの良い空だったのに。気分も天気も最悪だよ。」
窓を閉め、「はあ〜・・・」とため息をつく。
腕時計を見ると7時40分。
スピーチは8時から始まるから、あと少しでみんなの前に立たないといけない。
「やっぱ緊張するな。」
そわそわと動き回り、どうにか気を誤魔化す。
倒れた椅子を戻したり、腕立てやスクワットをしてみたり。
こういう時、全然時間が進んでくれない。
緊張とイライラの中で過ごしていると、窓の外によく知った顔を見つけた。
「箕輪さんたちだ!」
窓を開け、「お〜い!」と手を振る。でも全然気づいてくれなくて、庭のベンチでお喋りをしていた。
「お〜い!箕輪さ〜ん!美樹ちゃ〜ん!店長〜!」
大きく手を振って叫ぶと、ふとこっちを見上げた。
「お〜い!」
身を乗り出して手を振ると、向こうも手を振り返してきた。
「バシっと決めてやりますからね〜!ちゃんと聞いてて下さいよ〜!」
そう叫ぶと、「途中で噛むなよ〜!」と箕輪さんが笑った。
「大丈夫ですって!何度も練習しましたから!」
そう答えると、みんなはまた手を振った。俺は窓を閉め、グッと拳を握る。
ちょっとだけ元気が戻ってきて、「よう〜し!」とやる気に燃えた。
時計を見ると7時50分。もうそろそろ呼ばれる頃だ。
ドアの前に立ち、髪型を整え、ネクタイを締め直す。
「よっしゃ!いつでも来んかい。」
バシバシ頬を叩いて喝を入れる。ドアの前で拳を握り、戦いの準備は万全だった。
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・まだ?」
時計を見ると7時55分。スピーチまであと5分しかない。
「早くしろよ。遅れちゃうだろ。」
ドアの外には係員がいるはずで、時間が迫れば呼んでくれるはずだ。
だけどいつまで待っても呼んでくれなくて、時計は7時58分を指した。
「おかしいな・・・・。もしかして時計が狂ってんのか?」
そう思って窓の傍に行き、庭の時計を見つめた。
「・・・7時58分・・・・合ってるな。」
再びドアの前に戻り、名前を呼ばれるのを待つ。
だけど全然呼んでくれない。そしてとうとう8時になってしまった。
「どうなってんだよ・・・・。」
ルールでは勝手に部屋から出てはいけないことになっている。
でもこれ以上過ぎたらスピーチの時間がなくなってしまう。
「たったの二分しかないんだぞ。何してんだよ。」
我慢の限界に達して、もういいやとドアを開ける。
だけど外から鍵がかかっていて、全然開かなかった。
「クソ!なんで鍵なんか掛けてんだよ!」
愚痴りながらドアノブを見ると、中からは開かないようになっていた。
「なんだよこれ!ふざけんなよ!」
思い切りノブを回し、「ここ開けてくれ!」と叫んだ。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第三十五話 いざ選挙!(1)

  • 2016.05.26 Thursday
  • 09:01
JUGEMテーマ:自作小説
選挙の当日は気持ちの良い朝だった。
空は晴れ、小さな雲が流れている。
最近はじめじめした空気が流れていたけど、それを吹き飛ばすような爽快感だった。
《いよいよだな・・・。》
自宅のマンションの前で朝陽を浴びながら、胸いっぱい息を吸い込む。
大きく深呼吸をして、不安と緊張を吐き出した。
スマホを見るとLINEが届いていて、《おはよう》と課長からのメッセージが表示された。
《いよいよ選挙だね。気分はどう?昨日はよく眠れた?》
俺はすぐに《よく眠れました》と返した。
本当は全然寝れなかったんだけど、心配させたくなくてそう打った。
すると《私は全然寝れなかった。やっぱり冴木君は強いね》と返ってきた。
「課長も不安なんだな。でも不安にならない方がおかしいか。」
俺は《今から行きます。その前に店に寄ってから》と打つ。
課長は《私もお店に顔を出そうと思ってたの。先に行って待ってるね》と答えた。
スマホをしまい、青い空を見上げる。
今日・・・・稲松文具の社長が決まる。そしてあの怪人との決着がつく。
社長になるのは俺か課長か?それともあの怪人か?
投票は午前九時から行われ、昼の十二時には終わる。
本社へ直接行ってもいいし、ネットから投票してもいい。
箕輪さんと美樹ちゃんは本社まで行くと言っていて、店長だけがお留守番だ。
「大丈夫かな・・・あの二人。ネットで投票でもいいのに。」
本社には怪人も来る。だからお店から投票した方が安全なんだけど、あの二人は「絶対に行く!」と言ってきかなかった。
『あの怪人が悔しがるところを見たいのよ!』
『私もです!だから絶対に当選して下さいね!』
そう言って課長の家から帰るまで息巻いていた。
「でもその方がいいか。俺たちの目の届くところにいてくれた方が安全かもしれないし。それにいざとなったら祐希さんが守ってくれるし。」
祐希さんがどういう風に動くのかは知らない。でもあの人の仕事に間違いはないから、安心して二人を任せられる。
「俺は俺のことをやるだけだ。ビシッとスピーチを決めて、たくさんの人に入れてもらわないと。」
気合を入れ、「よっしゃ!」と言いながら車に乗り込む。
空は絵に描いたように晴れていて、遠い世界へ吸い込まれそうになる。
もし・・・もし社長に当選したら、冗談じゃなくて本当に別の世界へ行くことになるだろう。
その時、俺にはやりたいことがある。
怪人を倒すのは当然として、それ以外にもう一つだけやりたいことが・・・・・。
「加藤社長、見てて下さい。あなたがこの世に戻ってきたこと、決して無駄じゃなかったって証明しますから。だから俺が羽ばたくところを見てて下さい。」
車を飛ばし、大きな国道を一直線に走って行く。
不安と緊張はまだある。いくら吐き出しても消えない。
でもそれと同時に、大きな希望を感じていた。
どこまでも晴れ渡る空と同じように、人間の世界だって俺が知るより遥かに広いはずだ。
社長になったら、まだ見ぬ広い世界に行くことが出来る。
別にお金持ちになりたいとか、権力を持ちたいとかが目的じゃない。
今までに立ったことのない場所で、この世界を眺めてみたかった。
俺が思うより、この世界はずっと広いはずだから。

            *

店に着くと、みんなが先に来ていた。
課長、箕輪さん、美樹ちゃん、店長。
みんないつもより早くやって来て、店を開く準備をしていた。
箕輪さんはシャッターを開け、美樹ちゃんはレジを立ち上げ、店長はゴミを捨てている。
課長はモップを掛けていて、棚の下まで丁寧に拭いていた。
「おはようございます!」
大きな声で挨拶すると、顔に雑巾が飛んできた。
「ぶほ!」
「早く掃除する。選挙に行くんだから開店準備を終わらせとかないと。」
「はい!」
雑巾を掴み、棚の上を拭いていく。
いつもなら適当に終わらせるけど、今日はしっかりと拭いた。
「冴木君、今日はいつもと顔が違うね。」
課長にそう言われて、「そうですか?」と答えた。
「なんかやる気に満ちてるって感じがする。」
「ああ、それはあるかも。緊張してるんですけど、でもその分だけ楽しみっていうか。」
「楽しみ?」
「はい。だって普通はどんなに頑張ったって、俺みたいのが社長になれないですから。でもこうして選挙に出て、社長のチャンスに恵まれたんです。なんか嬉しくて。」
そう答えると、「すごいね」と言われた。
「普通は緊張してガチガチになると思うのに・・・。それが楽しいって思えるのはすごいと思う。」
「だって二度とないチャンスじゃないですか。怖いけど楽しいんですよ。」
「冴木君・・・やっぱり前より逞しくなったね。」
「そうですか?」
「うん、すごく男らしくなった。」
「お・・・男らしい・・・・?」
「カッコよくなったと思う。」
「ほ・・・・ホントですか!」
「もう手の掛かる弟じゃないんだなって・・・なんだかそう思う。」
「か・・・・課長・・・・。」
握っていた雑巾を落とし、「なら俺は・・・」と息を飲んだ。
「俺は・・・・男として合格ってことですか?」
「ん?」
「いや、だから・・・・弟から男に昇格したってことですよね?なら・・・俺を異性として見てくれるってことですよね?」
ガチガチに緊張しながら、「もし社長になったら、是非もう一度デートを!」と手を差し出した。
すると「ニヤニヤすんな」と箕輪さんにチョップされた。
「痛ッ!」
「ほんっとすぐ調子に乗るんだから。」
「いや、でも・・・・、」
「課長もあんまり褒めない方がいいですよ。コイツは基本的にアホなんですから。」
「あ・・・アホって言わないで下さい!」
「じゃあ何?バカ?ボンクラ?それとも童貞?」
「なッ!箕輪さんまで・・・・・、」
顔を真っ赤にしていると、「私もそれ思ってたんです」と美樹ちゃんが言った。
「冴木さんって、きっとそういう経験ないんだろうなあって。」
「美樹ちゃんまで・・・・、」
「もしかして・・・童貞のまま30になったら、魔法使いになれるとか思ってます?」
「思ってないよ!」
「どうかなあ〜・・・・なんか思ってそうだけど。」
「うん、きっと思ってる。」
「だから思ってませんて!」
「いいや、あんたは思ってる。ていうかさ、多分あれね、あんたって素人どうて・・・・、」
「ああ!それ言わないで下さい!!」
慌てて箕輪さんの口を塞ぐと、課長が「そういえば・・・」と呟いた。
「ああ、課長!もうこの話は・・・・、」
「あれから伊礼さんどうなったんだろう?」
「伊礼さん?」
「だって伊礼さんも怪人に連れて行かれたんでしょう?」
「・・・・・・あああ!」
今の今まですっかり忘れていて、「そうだった・・・」と震えた。
「もしかしたらあの人も酷い目に遭わされてるかも!」
そう言いながらスマホを取り出し、伊礼さんに掛けようとした。
すると店のドアが開いて、「心配は無用だ」と誰かが入って来た。
「俺なら無事だ。」
「い・・・伊礼さん!」
伊礼さんは軽く手を挙げ、「よう」と微笑んだ。
「あれからどうなったんです!ていうか大丈夫だったんですか!?」
「まあな。」
「まあなって・・・・けっこうヤバイ感じだったじゃないですか。」
「それはお互い様だろ?そっちも中々ヤバかったって聞いてるぞ。」
「聞いてるって・・・・誰にですか?」
「御神祐希ってカメラマンだ。」
「祐希さんから?」
「加藤の奴、俺の身を案じていたみたいでな。万が一の為に、祐希って女に俺を守るように頼んでくれていたらしい。」
「伊礼さんも・・・・。」
「お前もあの女に助けてもらったんだろ?」
「そうなんですよ。そのおかげででっち上げの記事が載らなくてすんだんです。」
「俺は靴キング!連れて行かれ、しばらくそこで監禁されてたんだ。きっと後から暴行でも加えるつもりだったんだろう。でも突然会社にマスコミが来てな。」
「マスコミ?」
「なんか優男風の兄ちゃんが、週刊誌の連中を連れて来たんだよ。もうすぐウチで選挙があるから、その取材をさせてくれって。
その話が怪人にも伝わったらしくて、俺はすぐに解放された。」
「ああ、そういうことか・・・。もし監禁とか暴行とかがバレたら、それを記事にされるから。」
「あの怪人は憶病なんだよ。だから俺は無事だった。」
伊礼さんは小さく笑いながら、「加藤のおかげだ」と言った。
「あいつ・・・こんな時にまで周りのことを考えてたんだ。頭が下がるというか・・・・。」
そう言いながら内ポケットに手を入れ、「ほら」と封筒を差し出した。
「これは?」
「あの時の手紙だ。途中で怪人が入ってきて読む暇なかっただろ?」
「これ・・・・回収してたんですか?」
「奪われちゃマズイだろ?咄嗟に隠したんだよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「ここにはあいつの思いが書いてある。どれだけ靴キング!のことを大事に想ってるか。どれだけ従業員のことを大事に想ってるか。
それを読んだ時、俺はあの怪人を倒すことに決めた。追い出すだけじゃダメだってな。また他の所で悪さをしないように、ここで潰しておかなきゃならん。」
俺は手にした手紙を見つめる。伊礼さんは「ほら」と顎をしゃくった。
「・・・・・加藤社長。」
封を開け、中から一枚の手紙を取り出す。
そこには俺に宛てた手紙と同じように、達筆な文字が並んでいた。
《この手紙を読んでるってことは、俺は危険な状態なんだろうな。でもまだ生きてるはずだ。
その時は徹底的に子供のフリをして、あの怪人の手から離れていると思う。中身まで子供になったんじゃ、もう利用価値は無くなるからな。
まあ俺とお前の仲だ。下らない前置きはすっ飛ばして、とりあえずこれからのことを書く。
実は俺には一つだけ武器があるんだ。あの怪人を地獄のドン底へ叩き落とす武器がな。
でもそれはまだ言えない。選挙の時が来るまでは、胸にしまっておかなきゃならないんだ。
なんたってあの怪人、裏でコソコソ動き回るのが得意だからな。今この武器を使ったとしても、きっと潰されてしまう。
だから誰もが注目する選挙の時に、この武器を使おうと思う。上手くいけば、あの怪人は二度と立ち直ることが出来ないほどのダメージを負うはずだ。》
ここまでは俺の手紙に書かれていたことと同じだ。加藤社長だけが持っている武器・・・・それが何のかは分からないけど、でもきっと強力な武器なんだろうと思う。
「あなたはまだ戦おうとしてるんですね。こっちも準備は整ってます。みんながあの怪人を倒したい・・・・その思いは一緒ですよ。」
加藤社長を思い浮かべながら先を読んだ。
《きっと近いうちに俺は消える。でも悔いはないよ。こうして現世に戻って来ることが出来ただけでも嬉しい。
またお前に会えたし、それに冴木なんて面白い男にも会えた。それに何より、また靴キング!で働けるのが嬉しかった。
あれは親父の形見みたいなもんだ。そして俺にとっての宝なんだ。だから怪人の手駒とはいえ、またあそこに戻れたのは本当に嬉しかった。
ここだけは唯一あの怪人に感謝してるところだ。まあ感謝する義理なんてないんだけどな。
俺はまたあの会社に戻って、改めて感じたよ。ここに俺の全てがあったんだって。
ここには親父の魂があって、それを支えたお袋の思いがあって、たくさんの社員の努力が眠ってる。
働くってのは一人じゃ出来なくて、会社を支えようと思ったら尚更だ。
一人一人の力が合わさって、大きな山になる。みんなそれぞれ違ってて、でもそれが上手く繋がってみんなの為になるんだ。
親父が亡くなって、お袋も亡くなって、でも俺は寂しくなかった。それは靴キング!があったからだ。
ここには俺の全てがある。ここにいる限り、俺は一人じゃない。
お前がいるし、一生懸命頑張ってくれるたくさんの社員がいる。そう思うといつだって幸せな気分になれたんだ。
だから俺は守りたい。近いうちにこの世から消える運命だとしても、この場所を守りたいんだ。
多くの努力や熱意が積み重なったこの場所を、あの怪人の好きにはさせたくない。だから俺は最後まで戦う。靴キング!を守る為に。
伊礼、お前は最高の友達だ。家族にも等しいと思ってる。だから最後のわがままと思って付き合ってほしい。どうかあの怪人を倒すまで、俺の傍にいてくれ。
あんな奴は野放しにしちゃ駄目なんだ。自分だけが良ければいいなんて奴は、決して許しちゃいけない。
どうか俺の最後のわがままを聞いてくれ。》
手紙はそう締めくくられていた。最後に《たった一人の親友へ》と宛てて。
俺は手紙を折りたたみ、そっと封に戻す。そして伊礼さんの手に渡した。
「あの人が・・・どれだけ靴キング!のことを想ってるのか分かりました。そしてどれだけ伊礼さんのことを信頼してるのかも。」
渡した手紙を見つめながら、胸を締め付けるような感情がこみ上げる。
足元に落とした雑巾を睨み、それを掴んで掃除に戻った。
「早く終わらせて本社に行きましょう。」
棚の埃を拭き、商品を整理し、事務所の水道で雑巾を絞る。
しっかりと手を洗い、鏡を見ながらネクタイを直し、パンパンと頬を叩いて気合を入れた。
「・・・・・・・・・・。」
鏡に映った自分の顔を見つめ、頭の中でスピーチを繰り返す。
《祐希さんは言った。自信の無い顔で喋っても、誰も聴いてくれないって。だから俺は、本気で自分の想いをぶつける。
稲松文具グループ全ての人に、冴木晴香って男を見てもらうんだ!》
気力は充分。不安と緊張はあっても、それを上回る闘志が湧いてくる。
ふうっと息を吐き、《自分なら出来ると信じろ》と言い聞かす。
そして店に戻ると、課長が「はい」と俺のカバンを渡してきた。
「選挙に行こう。」
「はい!」
カバンを受け取り、「よっしゃ!」と気合を入れる。
箕輪さんが「しっかりやんなよ」と背中を叩き、美樹ちゃんも「私たちも応援してますからね!」と拳を握った。
「ありがとう。頑張ってきます。」
そう言って頷くと、「あの・・・」と店長が呟いた。
「僕も・・・応援してるよ。」
「店長・・・。」
「だから・・・・僕のこと首にしないでくれ!」
「はい?」
「もし社長になっても、僕を首にしないでくれ!ようやく嫁さんが戻って来てくれそうなんだ!」
「・・・まあ考えときます。」
最後までダメだなこのオッサン・・・・。
でも何となく気持ちは伝わってきたので、「頑張ってきます」と頷いた。
すると伊礼さんも「俺も楽しみにしてるよ」と言った。
「前の演説は素晴らしかった。だから今回も楽しみにしている。」
「俺・・・難しいことを言うつもりはありません。ただ今よりももっと良い会社にしたいなって・・・その思いだけを伝えるつもりです。」
「それでいい。」
そう言って頷き、「じゃあ俺も行くよ」と踵を返した。
「俺だって一応候補者だからな。」
「あの・・・・加藤社長は・・・・、」
「もちろん出るさ。ただし俺が傍についてな。」
「伊礼さんが?」
「手紙にも書いてあったろ?最後まで傍にいてくれって。だからあいつ、きっと何かをやらかすつもりなんだ。」
「それって・・・加藤社長だけが持ってる武器のことですか?」
「おそらくな。それがどういう武器なのか知らんが、でも俺の力が必要なんだろう。なら最後まで付き合ってやるさ。あいつは親友だからな。」
そう答える伊礼さんの顔は、どこか嬉しそうだった。
「じゃあまた後で。」
手を振りながら店を出て行く。
課長も「私たちも行こう」と歩き出した。
「誰が社長になっても、稲松文具は大きく変わると思う。でもどうせ変わるなら、良い方へ変えたいじゃない。この会社を大事に想ってるみんなの力で。」
「はい!」
俺はみんなを振り向き、「じゃあ行ってきます」と手を振った。
「ビシっと決めるのよ、私たちも後で行くから。」
「冴木さん、ファイト〜!」
「・・・・・・・・・。」
「ほらほら、店長も!」
「さ・・・冴木さん・・・ふぁいと〜・・・・。」
引きつった顔で応援する店長。俺は笑いを堪えながら頷いた。
店を出ると課長が車を回していて、「乗って」と言った。
俺は課長の隣に乗り込み、「いよいよですね」と言った。
「緊張してる?」
「すごく・・・。」
「でも楽しみなんでしょ?」
「はい。」
「こういう大きな場面で楽しめるって、冴木君は器が大きいのかもね。もし社長になったら化けるかも。」
「俺、頑張りますよ。だからもし社長になったら・・・・、」
「いいよ、デートしよう。」
「ほ・・・ホントですか!?」
「だから今は選挙に集中。」
「は・・・はい!」
別の意味で楽しくってきて、「やったるぞ〜」と前を向く。
課長はクスクス笑いながら車を走らせた。
空は青く澄んでいて、このままどこかでも突っ走っていけそうな気がした。
大丈夫、未来はきっと明るい。
もし暗いことがあったとしても、きっと明るく照らすと信じてなきゃいけない。
不安と緊張に勝る期待を胸に、本社へと向かって行った。

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