ダナエの神話〜星になった神様〜 最終話 残されたもの
- 2017.04.23 Sunday
- 17:08
JUGEMテーマ:自作小説
そこから潮風が運ばれてきて、滑るように駆け抜けていく。
ダナエは船の穂先に座りながら、心地の悪い風になびかれていた。
結んだ髪がそわそわと揺れて、風と共に踊る。
空にはどんよりと暗い雲が広がり、目の前には戦いでボロボロになった大地が横たわっている。
ダナエはどこに視線を合わせるでもなく、そんな景色を眺めていた。
コウの部屋を出てから一時間、ここでずっとこうしている。
飽きることもなく、かといって満足することもなく、感情のない石のような目をしながら。
するとそこへ誰かがやって来た。
「ダナエ。」
アドネが微笑みながらやって来る。
「よ!」っと言いながらジャンプして、船の穂先に立った。
「嫌なものね、汚れた海の風って。」
濁った海を睨んで「そりゃジル・フィンも怒るわ」と肩を竦めた。
「自分の星の海がこんな風にされちゃったんだもん。腹も立つわよね。」
光の射さない空、濁り切った海、戦いで抉れた大地。
ラシルはこれでもかと言わんばかりに傷ついていた。
「きっと他の場所も同じなんだろうね。避難してるみんなは大丈夫かな?」
心配そうに言いながら、ダナエの隣に腰を下ろした。
「邪神のやつ、よく自分の星をここまでボロボロに出来るわ。
母星がどうなっちゃってもいいのかしら?」
怒りを含んだ声で言いながら、ダナエに視線を移す。
「・・・・・・・。」
ダナエは黙ったまま景色を見ている。
どんな感情をしているのか分からない目で、ただ前を見据えている。
「どうだった?」
遠慮がちに尋ねるアドネ。ダナエの反応を待つが、何のアクションもなかった。
「顔、浮かないね。良い結果にならなかった?」
「・・・・・・・・。」
「まああれよ。すぐに許してもらうってのは難しいわよ。
だってダナエの方から約束を破っちゃったんだもん。
いくらあのバカでも、それなりに怒るわよ。」
「・・・・・・・・・。」
「でも時間が経てば許してくれるわ。あんたとコウは一心同体みたいなところがあるもん。
本気でお互いを嫌いになんかなれない。
だからさ、アイツの気持ちが落ち着くまでは、我慢するしかないよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「ダナエ?」
「・・・・・・・・・・。」
「一人の方がいい?」
慰めるつもりが、かえって傷つけてしまったかなと後悔した。
しかしダナエは首を振り、少しだけアドネに目を向けた。
「もういいって。」
「え?」
「怒ってないって。だから自分を責めるなって。」
「そう。ならよかったじゃない!」
パシパシと背中を叩くが、ダナエは表情を変えない。
また前を向き、見るでもなく景色を眺めた。
「コウは優しい。私なんかより全然大人。」
「う〜ん・・・そうかな?けっこうガキっぽいところもあるけど・・・、」
「自分勝手に約束を破ったのに、もういいよって許してくれた。
もし立場が逆なら、私はもっと怒ってると思う。」
「あんたとコウじゃ性格が反対だからね。
あいつは妙なところでカッコつけるじゃない?
泣いたり怒ったりすればいい時でも、大人ぶって我慢してるしさ。」
「そんなことないわ。コウは私なんかより、ずっと大きくて逞しい。
だから私はコウを好きになった。
好きなのは昔からだけど、でも男の人としても・・・・・。」
膝を立て、ギュッと抱く。
「時間が経つほど好きになっていって、コウのいない人生なんて考えられないくらいになって・・・。
その願いがやっと叶って、でも私から約束を破って・・・・。
でもコウは強くて優しいから、私を許してくれた。
そんなコウのことが大好き。きっとこれからもずっと。」
「ダナエ・・・・。」
寂しそうに語るダナエの顔を見て、アドネは思う。
きっと良くないことがあったのだと。
しかしそれが何かは分からなかった。
コウは許してくれたのに、何を悩んでいるのか?
尋ねようかと思ったが、今のダナエはひどく落ち込んでいる。
無駄な詮索は傷つけるだけだと思い、何も聞かないことにした。
「・・・戻るね。」
今は一人にしておいた方が良いと思い、ダナエの元を去る。
「部屋にいるから。何か話したくなったらいつでも来て。」
ダナエの背中にそう言い残し、アドネは去っていく。
潮風はまだ吹いていて、絡みつくような気持ち悪さは相変わらずだ。
ダナエはしばらく景色を眺め、物思いに耽った。
雑文のように色んなことが浮かんできて、思考がとっ散らかる。
全ては自分で選んだこと。今さらもう引き返すことは出来ない。
未来は曖昧で、濁り切った海のよう。
それを見通すことなど出来ず、ならば選んだ道を行くしかない。
吹き抜ける潮風を感じながら、強く膝を抱えた。
カプネの腰痛が暴れ出し、とてもではないが修理どころではなくなってしまったのだ。
持病は回復魔法では治せないので、修理は遅れる。
カプネは「この腰がああ・・・」と辛そうにして、「誰か揉んでくれ!」と叫んだ。
本当ならダナエが揉むはずだったが、部屋に籠ったきり出てこない。
代わりにマナが揉んで、「はい、二十万」と手を出した。
カプネの腰痛はマシになったが、財布が軽くなった。
しかしそのおかげでどうにか修理に取り掛かり、ようやく翌日の朝に完了したのだった。
「船は治った。だが腰が死んだ・・・・。」
白目を剥き、ピクピクと痙攣する。
カプネの腰痛が治まるまで、船を飛ばすのは待つことになった。
地球へ行く面々は、皆気合十分だ。
シウンは猛る眼差しで大地を見つめ、ノリスは銃の手入れをしている。
マナは「寄付は帰ってから貰う!」と息巻き、アドネは目を閉じて戦いに集中する。
そしてコウも気合十分だった。
昨日は一睡もしていない。
そのせいで神経が昂り、今すぐにでも邪神と戦えるほどの闘志だった。
みんなは船の上に集まり、お互いの顔を見る。
地球は悪魔がはびこる危険な場所で、邪神との戦いだけではすまない。
地球に行ったことのあるコウとアドネは、そのことをよく分かっていた。
コウはゆっくりとみんなを見渡す。
「一応聞いとくけど、地球に行くことに迷いはないな?」
そう尋ねると、シウンが「迷いなどない」と答えた。
「何度も言っているが、俺の答えはもう決まっている。
地球へ行き、弱い者を邪神から守る。」
「そうか。なら他のみんなは?」
そう言って見渡すと、今度はノリスが口を開いた。
「神器があるなら行くっつったろ。
俺もあの野郎には借りがあるんだ。こいつでタマをブチ抜かなきゃ気が済まねえ。」
殺気を放ちながら、手入れした銃を構える。
コウは頷き「マナは?」と目を向けた。
「私はお金が貰えるならなんでもいい。」
「言っとくけど給料は出ないぞ。」
「でも地球にはお金がたくさんあるんでしょ?ここより経済が発達してるらしいから。」
「そうだけど、まさか盗みとかするつもりじゃないだろうな?」
「まさか。ただ邪神を倒したら、いっぱいお金を請求できるかなと思って。」
「出すかどうかは向こうの奴ら次第だな。
まあ交渉するなり何なり好きにしてくれ。」
「もちろん!」
マナは嬉しそうに微笑む。
「で、アドネは?」
「もちろん行くわよ。でも向こうへ行ったら邪神だけが敵じゃない。
たくさんの悪魔がうろついてるから、それなりの覚悟は必要よね。」
「ああ。地球はラシルとはまったく違う。
文明も、文化も、経済も、それに悪魔の強さも。
最初は戸惑うと思うけど、お前らほど逞しいなら大丈夫だろう。」
コウはもう一度みんなを見渡し、グッと拳を出した。
「きっと辛い戦いになると思う。でも絶対に勝つ。」
みんなも頷き、拳を出す。
「邪神を倒すぞ。」
五人の拳が誓いのように合わさる。
ノリスは「臭えことしちまったぜ」と顔をしかめ、アドネは「こういうのもいいじゃない」と笑った。
「さて、あとはカエルの親分さんの腰が治るのを待つだけだ。」
そう言って船の中に戻ろうとすると、「もう治ったぜ」とカプネが現れた。
「船ならいつでも飛ばせる。」
「・・・・・・・・・。」
「何でいお前ら?変な目で見やがって。」
カプネは松葉杖をついていた。それもプルプル震えながら。
腰にはコルセットを巻いていて、誰がどう見ても重症だった。
「んな顔すんなよお前ら。こんなもん大したことねえんだからよ。」
ニッと笑って見せるが、腰はボキっと鳴った。
「ぬぐあああああ・・・・腰がああああ・・・・。」
「お頭!」
「しっかりして下さい!」
子分たちに囲まれて、「腰が・・・腰がああああ・・・」と悶えている。
「ぐううう・・おのれ腰痛め!邪神のようにしつこい奴だ。」
歯を食いしばり、どうにか立ち上がる。
「お頭、無茶しちゃダメですぜ。」
「そうですよ。船の操縦なら俺たちに任せて下さい。」
「ばっきゃろい!この船は飛ばすのが難しいんだ。
俺でなきゃ務まらねえ。」
反乱を起こす腰に負けじと、グッと歯を食いしばる。
「やいオメエら!船ならいつでも飛ばせる!準備が出来たら声かけろや。」
そう言い残し、子分に運ばれて行くカプネ。
マナが「お金くれるならまた揉んであげようか?」と追いかけて行った。
みんなは顔を見渡し、小さく肩を竦めた。
「あれ、本当に大丈夫なのかな?」
アドネが不安そうに言う。
コウは「まあ大丈夫だろ」と答えた。
「俺もいちおう操縦できるんだ。カプネほどじゃないけど。」
「そうなの?」
「月からここまで飛ばしてきたからな。いざとなったら俺が代わるよ。」
コウはもう一度みんなを見渡し、「準備はいいか?」と尋ねた。
「今から地球へ行く。邪神を倒すまでは戻れない。それでも本当に行くんだな?」
「クドイぞ。俺の答えはもう決まっている。」
「へ!ガキは何度も確認しなきゃ気が済まねえのさ。ヘタレだからな。」
シウンとノリスはそう言って、船の中へ戻って行く。
そしてアドネも「私も迷いはないわ」と頷いた。
「邪神を倒すまでは戻らない。
でもアイツがこの星へ逃げて来たらどうするの?」
「その時は俺たちも戻る。」
「分かったわ。なら行きましょう。モタモタしてても仕方ないから。」
「だな。今すぐ船を飛ばしてもらおう。」
二人も船の中へ戻ろうとする。
するとアドネが「ねえ?」と振り返った。
「あのさ・・・、」
「なんだ?」
「その・・・・ダナエのことなんだけど・・・・。」
言いづらそうにしながら、じっとコウの顔を見る。
「その・・・答えたくなかったらいいんだけど・・・、」
「なんだよ?お前らしくないな。ハッキリ言えよ。」
「じゃあ・・・・。」
アドネは小さく咳払いして、「昨日何があったの?」と尋ねた。
「ダナエはすごく落ち込んでたわ。
私はてっきりあんたに許してもらえなかったんだと思った。」
「・・・・・・・。」
「でもそうじゃないみたい。
あんたはダナエのことを許したのに、それでもあの子は落ち込んでる。
いったい何があったの?」
アドネの目が心配そうに揺れる。
本当は聞かない方がいいんだろうと思ったが、それでも気になって仕方なかった。
「私はダナエを親友だと思ってる。それにあんただって大事な友達よ。
だからさ、出来れば仲良くしてほしいっていうか・・・いつもの二人に戻ってほしいっていうか・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「これは二人の問題だって分かってる。でも不安で仕方ないの。
だってダナエはここに残るんだよ?
何かあっても私たちを・・・ううん、あんたを頼ることは出来ない。
それなのに落ち込んだままじゃ可哀想だわ。」
ダナエだけがこの星に残る。
アドネはそのことがとても心配だった。
「私たちがいないからって、ダナエが一人きりになるわけじゃないわ。
ジル・フィンにユグドラシル。それにニーズホッグもキーマもいる。
みんな強い仲間だから、きっとダナエを助けてくれるわ。
それにドリューやマニャだっているし、何かあったら力を貸してくれるはず。
でもそれだけじゃダメなの。」
そう言って首を振り、「あんたじゃないと・・・・」と見つめた。
「ダナエは決して弱音を吐かない。
どんなに辛い時でも、明るく振る舞ってみせる。
それは自分が辛い顔をしてたら、周りを心配させちゃうからよ。」
じっと見つめながら、コウに近づく。
そして射抜くような視線を向けた。
「でもあんただけは違う。あんたにだけは弱い顔を見せるわ。
それはあんたを一番信頼してるからよ。
コウはダナエにとって特別なの。だから自分の心を曝け出せる。
あんたなら頼ってもいいって思ってる。
きっと自分を受けて止めてくれるって。良い所も悪い所も全部・・・・。」
ゴクリと喉を鳴らし、「だから助けてあげてよ」と手を握った。
「あんな悲しい顔をしたまま残していくなんて、私は出来ない。
このままじゃあの子の心は折れちゃうわ。
だから・・・・せめて安心させてあげて。ダナエを笑顔にしてあげてよ。」
ギュッと手を握り「お願い」と呟く。
「あんたにしか出来ないのよ。だから笑って私たちを見送れるようにしてあげて。
私のたった一人の親友の為に。」
アドネの声は真剣で、ダナエを心配する気持ちが溢れている。
コウは唇を尖らせながら、ポリポリと頭を掻いた。
「・・・アイツは?」
「外にいるわ。ジル・フィンと一緒に。」
「そうか。なら地球へ行く前に、手くらい振ってくるか。」
コウは羽を動かし、船の外へ飛んで行く。
アドネもそれを追いかけた。
するとダナエの周りには、他のみんなも集まっていた。
アドネは「みんないたの?」と驚く。
シウンが「旅立ちの挨拶だけしておこうと思ってな」と言った。
ノリスも「黙って行くわけにゃいかねえだろ」とタバコを吹かす。
マナも「いちおう私たちのリーダーだしね」と笑った。
「でもアレよね?もし邪神を倒したら、ラシルの人からもお金貰っていいわよね?」
「お前は金のことしか頭にねえのか?」
「それ以外に大事なことってあるの?」
「へ!金だけ見る奴は足元掬われるんだよ。ダレスみたいにな。」
「あんな金貸しと一緒にしないでよ。私はもっと賢いんだから。」
「誰がどう見たって馬鹿だろうがよ。」
「はあ?チンピラ上がりの獣人に言われたくないんですけど?」
「んだとコラ?」
「何よ?」
「お前たち、こんな時に喧嘩するな。見苦しいぞ。」
言い争うノリスとマナ。それを諌めるシウン。
アドネが「こいつらこんな時でいつも通りね」と笑った。
「ねえダナエ?」
そう言って振り向くと、可笑しそうに笑っていた。
「みんな逞しいよね。これから知らない星へ行くっていうのに。」
「それがみんなの良い所よ。」
「アドネも気をつけてね。地球にはルシファーやサタンがいるんだから。
あいつらの強さは半端じゃないわ。」
「分かってるわ。邪神を倒して、必ず戻って来るって約束する。」
アドネは小指を出す。
「指切りげんまん。知ってる?」
「うん、お父さんから教わったから。」
二人は指切りをかわし、ニコリと笑う。
「じゃあねダナエ。ラシルのことは頼んだよ。」
「うん。アドネの方こそ気をつけてね。」
アドネは頷き、ゆっくりとダナエから離れる。
そして「ほらほら」とコウの背中を押した。
「ダナエを元気にしてあげて。」
「押すなよ。」
ダナエの前に押し出されて、顔をしかめる。
バツが悪そうに頭を掻きながら、「ええっと・・・」と切り出した。
「ちょっと地球に行って来るから、ここは頼んだぞ。」
「うん。」
「それと何かあっても一人で抱え込むな。
困ったことがあったら、すぐにジル・フィンやキーマに相談するんだ。」
「分かってる。」
「それと無茶はしないこと。俺たちがいなくても、この星にはたくさんの仲間がいる。
絶対に一人で戦おうなんて思うなよ。」
「それも分かってる。」
「ならいい。」
コウは頷き、「じゃあ」と手を振る。
そして船に戻ろうとすると、アドネが「ちょっとちょっと」と止めた。
「なんだよ?」
「なんだよ?じゃないわよ。ダナエを元気にしてあげてって言ったでしょ。」
「したじゃん。」
「どこがよ?全然浮かない顔してるじゃない。」
「んなことないだろ。笑ってるぞ。」
「無理して笑ってるに決まってるでしょ。いいから何か言ってあげて。」
「もう言った。」
「ならもっと、ほら。」
またアドネに押されて、ダナエの前に立たされる。
「ええっと・・・なんだ。俺たちは俺たちで頑張るから、お前も無茶しない程度に・・・、」
そう言いかけた時、ダナエは小さく首を振った。
「いいの、気を遣わないで。」
「いや、別に気なんか遣ってないけど・・・・、」
「ここに残るのは私の意志だから。そんなに心配しなくてもいいよ。」
「別に心配なんか・・・・、」
「それに昨日のことだって同じ。
女王の地位を捨てたのも、永遠の寿命を捨てたのも、全部私の選んだこと。
だから・・・・やっぱりもう月には戻れないよね。」
そう言ってニコリと笑う。
「コウの言う通り、私は甘えてた。一緒に月へ戻ろうなんて。」
「・・・・・・・。」
「私は色んなものを捨てた。その結果、コウとの約束まで捨てることになった。
そこまでして自分の生き方を選んだんだから、それを行くしかないよね。
だからもう迷ったりしない。」
力強く言う声には、確かに迷いはない。
悲しみはあるが、それでも強い意志を感じさせるものだった。
「この戦いが終わったら、私たちはそれぞれの道を歩くことになる。
コウは月へ行って、妖精の国を復興させる。
私は船に乗って、宇宙を旅する。そして大きな神様に会いに行って、その後はどこかの星に会社を立てるわ。」
空を見上げ、果てしなく広がる宇宙を思い浮かべる。
コウも同じように空を見て、「宇宙か」と呟いた。
「どこまで続いるか分からないほど広いよな。お前にはピッタリの世界だよ。」
そう言ってダナエに視線を戻した。
「お前は月なんかに収まる器じゃない。もっともっと大きな世界で羽ばたく奴だ。」
「ありがとう。」
ダナエは頷き、コウを見つめる。
「気をつけてね。」
「ああ。」
しばらく見つめ合い、ダナエの方から「それじゃ」と手を振った。
「邪神を倒せるように祈ってるわ。」
「・・・・・・・・・。」
「大丈夫、みんなならきっと勝てる。」
「・・・・・・・・・。」
「あ、でもこの星に逃げてきたら、手伝いに来てね。
アイツは絶対に強くなってるだろうから。」
「・・・・・・・・・。」
「みんななら出来る、そう信じてるから。」
ダナエはもう一度手を振り、「じゃあ」と見送る。
するとその瞬間、コウは彼女を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと・・・・、」
「ダナエ。」
強く抱きしめながら、ギュッと頭をくっつける。
「別々の道を歩くことになっても、俺たちは一緒だ。」
そう言って、さらに強く抱きしめる。
「お前が宇宙のどこにいようが、俺は忘れない。
月からずっとお前のことを想ってる。」
「・・・・・・・・・。」
「別々の道を歩いてたって、俺たちはずっと一緒だ。
月で生まれ育って、今までずっと一緒にいたんだから。
俺たちの絆は誰よりも深い。だからどんなに離れてたって、ずっと一緒なんだ。」
「・・・・・・・・・。」
「この先何があっても、俺の心にはお前がいる。
例え寿命が来てこの世からいなくなっても、ずっと俺の中にいる。
だからお前も俺のこと忘れないでくれ。いつかこの世から旅立つその時まで。」
それはダナエを元気づける為ではなく、自然と出てきた言葉だった。
コウは今までで一番強く抱きしめる。その温もりを刻み込むように。
「ダナエ、大好きだ。お前と会えてよかった。」
「・・・・・・・・・・。」
ダナエは足元から力が抜けていくのを感じた。
寂しい別れにならないように、絶対に笑顔でいようと決めたのに、それが崩れていく。
足元の感覚がなくなって、やがて宙に浮いているような気分になった。
「コウ・・・・・。」
ボロボロと涙が出てきて、笑顔でいられなくなる。
コウの背中に手を回し、ギュッと抱きついた。
「コウ・・・・好き。私も大好き・・・・・。」
頬を寄せ、体温と匂いを吸い取るかのように顔を埋める。
どんなに離れていても、ずっと一緒。
そう言われて、胸からこみ上げるものを押さえることが出来なかった。
「ずっと一緒にいる・・・・。私の胸の中にも、コウはずっと・・・・。」
忘れなければ、離れることはない。
お互いがお互いを想っていれば、離れていても関係ない。
どこにいようとも、目を閉じればすぐそこにいる。
ダナエの瞼の裏には、コウの姿、匂い、体温、声、仕草、全てが写真よりも鮮烈に焼き付いている。
だからこれで終わりではないのだと思った。
忘れなければ、ずっと一緒にいられるのだと。
「コウ、愛してる・・・・。」
抱き合う二人の元に、濁った潮風が吹いてくる。
絡むように二人を包み、肌にまとわりついた。
それは邪神の残した遺物。
濁った潮風は、二人の中に戦いの意志をもたげさせた。
ダナエはラシルに、コウは地球に。
二人の道はここで分かれる。
それは悲しいことだったが、ずっと抱き合ってはいられないのだと身体を離した。
二人は見つめ合い、悲しみを払うように頷く。
顔を近づけ、そっとキスをした。
「じゃあな、ダナエ。」
「行ってらっしゃい、コウ。」
二人の距離は少しずつ離れていく。
コウの向かう先には仲間が待っていて、一緒に船の中へ消えていった。
やがて箱舟の車輪が回り始めて、ゆっくりと宙に浮き上がる。
アドネは窓から乗り出し、「ダナエ〜!」と手を振った。
ダナエも手を振り「気をつけてね〜!」と見送る。
船の高度は上がっていき、遠く大地から離れていく。
するとジル・フィンが「いいのかい?」とダナエの肩を叩いた。
「今ならまだ間に合うよ?」
「ううん、私はここに残る。」
「本当にいいのかい?
神器さえ置いて行ってくれるなら、今すぐ追いかけてもいいんだよ?」
「もう決めたの。私は私の道を行くって。」
「後悔しないかい?」
「それはまだ分からない。でも選んだ道を行くしかないわ。」
「大事な人と会えなくなるかもしれないんだよ?それでもいいと?」
「・・・・いいとは思わないわ。でもいいの。
大事な人はずっと一緒だから。いつでも瞼の裏にいるもの。」
ダナエは目を閉じ、一番大事な人を思い浮かべた。
ジル・フィンは悲しそうな顔をしながら「ダナエ」と呟いた。
「前にも言ったけど、無理に大人ぶる必要はない。
君たちはまだ若いんだから、いくらでも道を選べるんだよ。
だからもし本当に辛くなったら、その時は自分の気持ちに素直になるんだ。」
そう言ってポンと肩を叩く。
ダナエは「ありがとう」と頷き、船を見上げた。
回る車輪が船を運び、雲の近くまで飛んでいく。
そして暗い雲の中へと、じょじょに姿を消していった。
その時、雲から雨が落ちてきた。
ポタポタと降り始めたその雨は、やがて激しくなる。
雨は透明で、前の様に黒くは滲んでいない。
それは現時点では、この雲に邪神が潜んでいないことを意味する。
しかし放置しておけば、いつまた邪神が生まれるか分からない。
ダナエは空を見上げ、全身で雨を受け止めた。
視界が霞み、船が見えにくくなる。
しかし視界が霞むのは、雨のせいだけではない。
目からこぼれる滴のせいで、余計に霞んでいたのだ。
遠ざかる船には、二度と会えないもしれない大事な人が乗っている。
一緒に過ごした十数年の思い出が、流れる雨のように蘇る。
ダナエは目を閉じ、コウとの思い出に浸る。
いつでも一緒にいるのが当たり前で、家族以上の存在だった。
ずっと昔から愛していて、その愛に異性への愛も注ぎ足された。
コウはダナエの全てだったし、今でもその思いは変わらない。
だから船が遠ざかるにつれて、身体をもぎ取られるような痛みを感じた。
目からこぼれる滴は、痛みの結晶。
打たれる雨に晒されて、頬へと流れていく。
もう以前のようには一緒にいられない。
しかしそれでも完全に離れるわけではない。
目を閉じれば、いつでもそこにコウがいる。
この先、どんな出会いがあって、どんな出来事が待っていても、それだけは変わらないと信じた。
瞼を開けた時、船はすでに消えていた。
暗い雲を突き抜け、ラシルから飛び立った。
広い宇宙に躍り出て、あの青い星へ向かう為に。
そこでは、今までよりもさらに過酷な戦いが待っている。
邪神、ルシファー、サタン。そして多くの恐ろしい悪魔たち。
新しい戦火はすでに起こっている。
ダナエはみんなの無事を祈り、そしてコウの未来を祈った。
彼の人生が、幸せなものでありますように。
誰もいなくなった空を見つめながら、雨に消え入りそうな声でこう呟いた。
「さようなら、コウ。元気で。」
愛しい人は去り、新たな戦場へ赴いた。
ダナエは目を拭い、ふうっと深呼吸をした。
「私には私の戦いがある。まだ終わってないんだから。」
気合を入れ、いつ邪神が現れても戦えるように闘志をたたえる。
するとその時、ふと誰かの気配を感じた。
「何?」
後ろを振り向くと、透き通るような緑の風がなびいていた。
ダナエは口を開け、その風に見入る。
「ギーク・・・・・。」
消えたはずの武神。
緑の風の中に、彼の気配を感じた。
驚くダナエの耳に、武神の声が響く。
《ダナエ、この星を君に託す。どうか再び平和を。あの美しいラシルを。》
その声と共に、緑の風は消え去った。
そしてほんの一瞬だけ、武神が微笑んでいる姿が見えた。
「大丈夫、任せて。あなたの愛した星は、必ず守ってみせる。」
ダナエの呟きと共に、武神の気配は消え去る。
星になり、いつでもラシルを見守っていた彼は、ついにこの世から旅立った。
ダナエは空を見上げ、青い空に輝いていたあの星を思い出す。
「さようなら、星になった神様。」
天に輝くあの星はもういない。
代わりに、最強の魔女キーマがこの星を見守っている。
大切なものの傍には、常に誰かがいる。
それは遠く離れていても、確かに傍にいる。
ダナエとコウ。
二人の道は分かれても、全てが断たれるわけではない。
忘れなければ、心に置いておけば、遠くても近くにいる。
武神がこの星を見守っていたように。
ダナエは踵を返し、ジル・フィンを見つめる。
その目に強い意志を宿しながら。
「それじゃ行こうか。バージェス大陸に。」
「うん。みんなを守らないと。」
初めて向かう新しい大陸。
そこには邪神の陰に怯える、ラシルの命が身を寄せている。
ダナエは考える。
そこで怯えている者達に、自分はいったい何ができるだろうかと。
先を行くジル・フィンの背中を見つめながら、自分にやれることを探さなければと思った。
激しい雨はまだ続く。
この雨を降らせている雲を晴らさない限りは、何も終わらない。
青い空は戻ってこないし、透き通る海も戻ってこない。
そして何より、平和が戻って来ない。
コウは地球へ、自分はラシルに。
それぞれが選んだ道には、新たな戦いが待っている。
ダナエの目には、今までにないほどの強い信念が宿っていた。
するとその時、髪の毛がピクピクと動いた。
「これは・・・もしかして!」
動く髪の毛を掴み、あることを思い出す。
あれはいつだったか、サンマの魚人に自分の髪を渡したことがある。
助けが必要になったら、この髪を千切ってと。
魔法をかけたその髪は、千切るとダナエの髪が反応するようになっていた。
「あの魚人さんも、バージェス大陸に避難しているはず。
だったら向こうで何かあったんだわ。」
ダナエはジル・フィンの肩を叩き、「急ごう」と促した。
自分の助けを必要とする者がいる。
ダナエの闘志は、別れの悲しみを燃やし尽くすほど強くなる。
必ずこの雲を晴らし、美しい空と海を取り戻すのだと。
激しい雨に打たれながら、ぬかるんだ大地を踏みしめた。
ダナエの神話〜星になった神様〜 完