不滅のシグナル 最終話 不滅のシグナル(3)

  • 2017.05.02 Tuesday
  • 10:43

JUGEMテーマ:自作小説

喜衛門の声が響く。
威厳に満ち、それでいて険しい。
子孫たちは黙って耳を傾けていた。
自分たちが信じる神の言葉。
誰もが真剣な目で喜衛門を見つめていた。
喜衛門は争いをやめるようにとは言わなかった。
長く続いた子孫たちの因縁。
それは最早、神たる自分の言葉でも止められないと分かっていた。
ならばやることは一つ。
自分をルーツとする、不思議な力を持った子孫たちから、その力を奪う以外にない。
全ての仏像と御神体を破壊すれば、力の継承は止まる。
例え喜衛門の血を引いていても、時代と共にその血は薄くなり、人知を超えた力は消滅する。
《今日、ここで最後の御神体が壊された。せやけど悲しむ必要はない。
こんな大昔のジジイに縛られて、争いを続けることはなくなるんや。
みんな普通の人間になって、普通に生きる。それでええんや。》
耳に馴染みやすい声で、大勢の子孫に語り掛ける。
誰もが困惑する中、あの若い男だけが反論した。
「でも俺たちはあなたの子孫です。その力を受け継ぐ義務があるんです。
この力はぜったいに役に立つんですよ。
人の色が見えるとか、幽霊を従えるとか。
これを活かせば、世の中はもっと良くなるはずなんです。
ただそれを邪魔する奴らがおるから問題で。」
そう言って対立する子孫たちを睨んだ。
「喜衛門さんの力は元々神道系のモンですが、仏派のモンの方が上手く使えるんです。
それやのに、こいつらはいつまで経ってもそれを理解せえへん。」
憎しみの目で神道系の子孫たちを睨む。
「元凶はこいつらにあるんですよ。」
すると白髪の男が「何を言うか!」と怒鳴った。
「そっちが無理矢理横取りしようとしてきたんだろう!争いの原因はそちらにある。」
「お前らじゃ喜衛門さんの力は使いこなせへん。だから俺らが・・・・、」
「百歩譲ってそうだとしても、そっちにだって喜衛門の力を宿した仏像があっただろう。
御神体は私たち神道系の子孫達が預かる物だ。それをどうして仏派の人間が奪おうとするのか・・・・、」
「それを言うなら、俺たちの仏像を破壊したのは誰だ?お前たちの仲間だろう?」
「先に奪おうとしたのはそちらだ!私たちに否はない!」
「ほら、すぐにこれだ。話し合いにもならない。」
「それはこちらのセリフだ!」
二人の言い争いはエスカレートして、周りの者達まで喧嘩を始める。
喜衛門はため息をついて、田所を振り返った。
《というわけや。儂の言葉でさえ止めることは出来へん。》
「誰もかれもが、あんたの力が欲しくてたまらんのですね。それで憎しみに突き動かされて・・・・。」
《こいつらは悲しい連中や。儂の力は人知を超えたモンではあるが、今の世の中にはもっと大きな力がある。
儂のおった時代より、はるかに文明が進んでるんやからな。今さらこんなカビ臭い力を欲しがって・・・・・アホな連中やで。》
憐れむように首を振り、《お前には迷惑かけたな》と労った。
《もうこれで終わりや。レプリカに残された力も、時間と共に消える。
これから先、誰も儂の力に悩まされることはないやろう。》
「ほなもう・・・・、」
《この世には戻って来おへん。安桜山神社には、いつか新しい祭神が来るやろう。儂はもうお払い箱や。》
「あなたはそれでええとして、この人らはどうするんですか?きっと納得しませんよ。」
《しばらくは争うやろな。でも儂の力は消えるんや。いつか争うのがアホらしいなって、勝手にやめるやろ。》
「でもそれまでにまた死人が出たりはしませんか?この町みたいに、無関係な人らが巻き込まれたり。」
《するかもしれへんな。》
「・・・・失礼ですが喜衛門さん。このまま消えるのはあまりに身勝手やと思います。
あなたはまがりなりにも神様やのに、子孫らをほったらかしにするなんて。」
《どうすることも出来へん。》
「ほんまに方法がないんで?」
《無いことはない。》
「例えば?」
《ここにおる子孫どもを、全員殺すとかやな。》
「そんな・・・・、」
《やろう思たら出来るで。みんな鳥居の中や。もういっぺん呪いで満たせば、一瞬で世行きや。》
「それはやり過ぎでしょ。この人らはあんたの子孫なんですよ。」
《ほな放っていくしかないな。》
「・・・・・・・・。」
《納得できんか?》
「どうにか命を奪わずに解決出来んもんですか・・・・?」
田所は眉を寄せる。
呪いで皆殺しにするしか、子孫の争いを止めることが出来ないなんて、頷くことは出来ない。
《こいつらほんまにアホや。こんな時にまでまた喧嘩を・・・・、》
口喧嘩から殴り合いになり、殴り合いから殺し合いにまで発展しそうだった。
田所は思う。
いったいどうしてここまで狂うことが出来るんだろうと。
同じ祖先を持つ仲間ではないのか?
どこまで争えば気が済むのだろうか?
《これが人間や。考えるだけ無駄やで。》
喜衛門に言われ、「そういうもんですか?」と見つめる。
《賢いようでアホやし、学んでもすぐに忘れよる。一時は改心したって、またおんなじことを始める。
新しい世の中が来たと思っても、そのうち気づくねん。ああ、これはいつか来た道やってな。》
「そんな虚しい生き物ですか?人間は・・・・。」
《虚しいというより、ただのアホや。真剣に考えるだけ損するで。》
喜衛門は《ほな儂はこれで》と手を挙げる。
《お前もいつか天に来る。そんときゃ酒でも注いだるわ。》
「喜衛門さん、もう二度と降りて来んといて下さいね。」
《分かってるがな。》
「それと美由希らによろしくお伝えください。助けてくれてありがとうって。」
《それも分かっとる。》
そう言って陽炎のように消えていく。
田所は手を叩き、じっと頭を下げた。
そして目を開けると、レプリカから光が失われていた。
妖しい輝きは消え去って、薄汚れたただの鏡に戻っている。
田所はその鏡を持って、ゆっくりと立ち上がる。
子孫たちはまだ争いを続けていて、とうとう死人が出てしまった。
若い男の腹にナイフが刺さって、あの世へ旅立ってしまった。
仏派の人間は悲鳴をあげ、それと同時に怒り狂う。
ガタイの良い男が銃を撃って、白髪の男の頭が吹き飛んだ。
「殺せ!皆殺しにしろ!」
「お前らこそ死ね!」
暴力と殺戮、争いはエスカレートして、田所はうんざりと首を振った。
「もう好きにせえ・・・・。」
こんな馬鹿な争いに付き合うだけ無駄というもの。
さっさとその場から退散した。
山を駆け、国道まで出る。
一目散に安桜山神社まで走り、レプリカの御神体を戻した。
「またいつか、別の神さんが宿るやろ。その時、この町を護ってやって下さい。」
いつか来るであろう神に、六度目の神頼みをする。
そして車に乗り込んで、この町を後にした。
・・・・それから二日後、田所は神戸駅にいた。
険しい顔をしながら、売店で買った新聞を広げていた。
『山間の小さな町で大量死!地下から漏れた有毒ガスが原因か?』
新聞にデカデカと載った文字。
そしてあの町の写真。
駅のベンチに座りながら、田所は唸った。
「有毒ガスなあ・・・・。そら不思議な御神体を巡って殺し合いとは、誰も思わへんよな。でもなんでガスなんやろ?」
不思議に思っていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。
「ちょっといいですか?」
振り向くと、若い女が立っていた。
その女を見た瞬間、田所は雷に打たれたように痺れた。
「あんた・・・・、」
「あの町にいた者です。」
それは若い男に耳打ちされて、寺へと走っていったあの女だった。
「・・・・俺を殺しに来たか?」
身構えると、女は「いえ・・・」と首を振った。
「もう御神体はないし、あなたを殺したって戻るわけじゃないし。」
「ほななんで追いかけてきた?」
「偶然です。」
「嘘つけ。」
「ほんとです。あの町は今は誰も入れなくて、警察や検事さんでいっぱいなんです。それに政治家の人も。」
「政治家?」
「喜衛門の子孫の中には、そういう人とコネを持つ人がいるんです。
そもそも国の偉い人達は、喜衛門のことは知っていますから。」
「そうなんか?」
「その新聞、有毒ガスって書いてあるでしょう?」
「おお、えらい意味不明やなと思ってるんや。なんでガスなんかなって。」
「なんでもいいんですよ、大量死に説明が付くような言い訳なら。
だって真実がバレたら、コネを持ってた偉い人まで追求されるかもしれないから。」
「ああ、隠蔽っちゅうわけか?」
「そういうことです。」
女は隣に座って、「私も遠くへ行こうと思って」と言った。
「あの町にいたほとんどの子孫が死にました。」
「やろな、アホみたいに争ってたから。」
「でも生き残った人もいます。喜衛門を呼び戻そうとする人もいれば、もう関わりたくないっていう人もいるし。」
「あんたはどっちや?」
「私はもういいかな。あれだけ人が死ぬのを見せつけられると、ちょっとなんていうか・・・・、」
「いつ自分が死ぬか分からんと、怖あなったか?」
「それもあるし、それになんか馬鹿らしくなって。もう喜衛門はいないんだし、仏像も御神体もないんだし、関わっても仕方ないかなって。」
「そらええこっちゃ。あんたまだ若い、まともに生きるべきやで。」
新聞を畳み、近くのゴミ箱に捨てる。
「読んでたら気が滅入ってくるわ。」
「あなたはずっと喜衛門に関わってたんですよね?」
「ずっとっちゅうか、あの町におる間だけな。色んな厄介事を押し付けられたもんや。」
「後悔してますか?」
「何を?」
「喜衛門とか、私たち子孫に関わってしまったこと。」
「後悔っちゅうか、面倒くさいなあ思ったわ。これ、今やから言うけどな・・・・、」
田所は小声になる。
女は耳を近づけた。
「喜衛門って絶対に疫病神やろ?神さんは神さんでも、傍におられたら困る神さんや。」
そう言うと、女はクスっと笑った。
「そうかもしれません。」
「・・・・で、あんたはこれからどうするの?あんな殺し合いがあったんやから、警察に捕まったりとかは?」
「無いです。だって有毒ガスですから。」
「なるほど、偉い人らは、何がなんでも事故にしたいわけか。」
「そういうことです。そもそも喜衛門に関することはタブーが多いんです。
そして今回のことで、最後の御神体が破壊された。
厄介なものが消え去ってくれて、喜んでる人もいると思いますよ。」
「偉い人の中にか?」
「偉い人もそうだし、子孫の中にも。」
「そうか・・・。なんや俺にはよう分からん世界や。」
「分からなくていいと思います。私もこれからはそういうのに関わらずに生きていこうと思いますから。」
女の口調は淡々としている。
田所は腕を組み、「嬉しそうやな?」と睨んだ。
「なんか企んでる顔や。」
「そんな。」
「あんた・・・・ほんまは喜衛門が戻って来てくれるのを望んでるんとちゃうか?」
「まさか。」
「あの子孫どもは、喜衛門の狂信者みたいなもんや。あんたかてその一人やろ?
ほな喜衛門が消えたいう事実を、そない簡単に認められるとは思えんけどなあ。」
「子孫っていったって、みんな同じじゃないですよ。ただ同調圧力が強いから、喜衛門に関心がなくても、そうだとは言えない空気だったんです。」
女は立ち上がり、「迷惑だったらごめんなさい」と頭を下げた。
「何が?」
「なんとなく誰かと話したかったんです。喜衛門や、私たちの事情を知る人と。」
「それで話しかけてきたんか?」
「あなたって人が好さそうだから、話くらいなら聞いてもらえるかなって。
でもご迷惑だったみたいで・・・、」
「迷惑やな。俺は喜衛門にもあんたらにも関わりたあない。もういかがわしいもんはゴメンなんや。」
田所も立ち上がり、女に近づく。
「だからな・・・・、」
そう言って手を伸ばし、女のポケットから何かを奪った。
「こういうことはゴメンや。」
田所はナイフを握っていた。
女の目の前に突き付けて、ユラユラと振ってみせる。
「ただ話を聞いてほしいだけで、こんなモンが必要になるか?」
「・・・・・・・。」
「殺すつもりで追いかけてきたんやろ?」
ナイフをゴミ箱に投げ捨てる。
女は小さく舌打ちをして、一目散に逃げていった。
「何が話したかったや。お前らそんなタマちゃうやろ。」
あれだけバンバン人が死ぬような場所にいた連中だ。
ならば繊細な神経など持ち合わせているわけがないと思った。
田所は後ろを振り向き、「忠告ありがとう」と言った。
「危うく刺されるとこやったわ。」
《ええって。》
あの少年がニコリと笑う。
美由希と手を繋ぎながら、《助かってよかったな》と頷いた。
「ほんまに。それもこれも、お前らのおかげや。」
《俺ら天国で待ってるからな。いつかおっちゃんも来てな。》
「いつかな。」
ニコリと頷くと、美由希が《私も・・・・》と言った。
《私も待ってる。でもその時まで、しっかりと自分の人生を生きて。》
「そやな、もうゾンビみたいな生き方は終わりにして、ちょっとは前向かなあかんな。」
《生きてるってええことよ。それを忘れんといて。》
二人は手を振りながら消えていく。
肉塊となった彼女の夫も、別れを告げるようにウネウネと動いた。
「またいつか。」
帰らない者達に別れを告げて、やって来た電車に乗り込む。
窓際の席に座り、動き出した景色を眺めた。
今、田所には何もない。
愛する人も、纏わりついていた幽霊さえも。
ようやく嫌なことが終わって、しばらく旅に出たい気分だった。
だから車も売ってしまって、路銀に換えた。
こうして電車に揺られながら、ぼんやりと景色を眺める旅をしたかった。
あの町に行くまで、神様だの幽霊だのと関わるとは思わなかった。
自分の人生で、こんなオカルトじみた出来事が待っていたなんて、一ミリたりとも想像していなかった。
今、色んなものが周りから消えて、とてもスッキリした気分だった。
濁流が押し寄せ、もう嫌だと思っていたのに、事が終われば何もかも平ら。
余計な荷物を背負わなくていいというのは、最高の喜びであった。
田所はぼんやりと景色を眺めつづける。
過行くビル、遠くに見える山。
なんだか瞼が重くなってきて、微睡み始めた。
・・・・夢か現か、微睡む中であの神社が見えた。
安桜山神社。
その境内に美由希や少年の霊が立っていて、手を振っている。
桜が咲き誇り、鮮やかな彩の中で、別れを告げている。
田所も手を振り返した。また会おうと。
・・・やがて美由希たちはいなくなる。
それと同時に桜が散って、冬に変わった。
田所は少し離れた国道に立ちながら、舞い散る雪を見上げた。
かつて喜衛門の作った天国にいた時のように、絵画のように美しい冬だった。
雪は瞬く間に積もり、何もかも白く染めていく。
真っ白な景色の中、安桜山神社だけが浮かんで見える。
雪は光を反射して、ダイアモンドのように輝いている。
田所はじっと見ていた。
喜衛門の消えたあの神社を。
・・・・やむことのない雪。
いつまでも降り続ける小さなダイア。
そんな中、一際大きな雪が、神社の中に吸い込まれていった。
その瞬間、本殿が眩く光った。
《新しい神さんが・・・・・。》
祭神が不在となった神社に、新たな神が降りた瞬間だった。
境内は妖しい輝きに満ちて、雪まで妖艶に輝く。
美しい雪景色は、一瞬にして魔性の景色に変わった。
見ているだけで、心まで・・・・いや、魂まで吸い込まれそうな、異常なまでに美しい景色に。
人知を超えたものが、再びこの世にやって来る。
喜衛門がいなくなっても、別の何かが訪れる。
新たにやって来た神がもたらすのは、幸か不幸か?
・・・・田所は考えるのをやめた。
この先、人知を超えたものが何を引き起こすのか?
それは神のみぞ知る。
ただ一つ確かなのは、あの神社は不滅であるということ。
今の神がいなくなれば、また別の神が降りてくる。
御神体に宿り、妖しい輝きを放ち、その魔性で人を惹きつける。
彷徨う魂を共鳴させるシグナルのように。
・・・・微睡みの中、田所は神社に背を向けた。
ザクザクと雪を鳴らしながら、遠くまで伸びる国道を歩いていく。
もうこの町に来ることはない。
関わることもない。
自分ではない別の誰かが、自分と同じような役目を果たし、また新たな神を降臨させるだけ。
田所は寒気を覚え、白い息で手を温めた。
背中を向けていても、安桜山神社から強烈な光を感じる。
気を抜けば、再び引き寄せられそうなほどに・・・・。
人知を超えた、不滅のシグナル。
田所は誓う。
もう決して振り向かないと。
人を超えたものには、二度と関わりたくない。
歩く度、ザクザクと雪が鳴る。
冷たい手を温めながら、逃げるように足跡を伸ばしていった。
        不滅のシグナル-完-

不滅のシグナル 第二十話 不滅のシグナル(2)

  • 2017.05.01 Monday
  • 09:32

JUGEMテーマ:自作小説

見渡す限りの浮遊霊。
右にも左にも、空にも足元にうごめいている。
浮かばれない死者がこんなにもいるのかと、田所は眉をしかめた。
しかし今は浮遊霊に気を取られている場合ではない。
早く御神体を破壊しなければ、喜衛門の子孫の手に渡ってしまう。
とにかく急いで走り、山の麓までやってきた。
茂みを掻き分け、奥宮へとたどり着く。
するとそこには幾つもの死体が転がっていた。
老若男女、様々な人間が、アリの死骸のように横たわっていた。
田所は吐き気を覚える。
「これ・・・・殺し合ったんか?」
喜衛門の子孫は御神体を巡って争っている。
神道系と仏教系の人間によって、紛争ともいうべき戦いを繰り返してきた。
田所は小さく首を振る。
「おんなじ祖先を持つのに、なんでこんな・・・・。」
横たわる死体を見つめて、どうしようもないほど切ない気持ちになる。
しかしその時、妙なことに気づいた。
「あれ?これって・・・・、」
横たわる死体には、外傷がなかった。
それどころか血も流していない。
「これ、争ったんと違うんか?ほならなんで死んで・・・・、」
そう呟いた時、ハッと気づいた。
ブルーシートに覆われた神社を見上げ、「喜衛門さん・・・」と震える。
「あなたが殺したんですか?」
10年前、この町を離れる前のことを思い出す。
「あなたは言うてましたね。御神体を奪おうとする奴がおったら、呪い殺すって。」
田所は死体の山を抜ける。
そして本殿の前まで来ると、パンパンと手を叩いた。
「戻って来ました。美由希とあの子に呼ばれて。今度こそ御神体を破壊させて下さい。」
じっと願い続けると、本殿の奥から喜衛門の声が響いた。
《無理や。》
「なんで?」
《徳が足りん。》
「そやけどこれ以上放っといたら・・・・、」
《今から徳を積め。》
「そんな悠長なこと!いつ奪われるか分かりませんよ。」
《奪おうとする者は殺す。誰も儂には触れられへん。》
「せやけどこのままやったら、町は滅茶苦茶です!殺された人までおるいうし・・・もう終わりにせんとアカンでしょ。」
《その通りや。でもな、今のお前じゃ無理や。お前も死ぬ羽目になるで。》
「死んでもいいです。この10年、ゾンビのように生きてきました。
そんな人生を続けるくらいやったら、ここで死んでも構いません。」
田所は本気だった。
この命を使って全てが終わるなら、それはとても幸せなことだと感じていた。
「多分ですけど、俺はあんたの御神体を破壊する為に生まれてきたんやと思う。
きっとあんたとは別の神様が寄越した命なんや。」
《それはない。お前は特別な使命は背負ってへん。》
「ほな・・・・自分で決めます。俺の人生は、あんたに出会う為にあったと。
だからもう逃げることは出来ません。どうか扉を開けて下さい。」
そう言って頭を下げる。
すると喜衛門は《安桜山神社に行け》と言った。
「麓のですか?」
《そや。そこにレプリカの御神体があるやろ?あれをここへ持ってこい。》
「どうするんで?」
《ええから。モタモタしてたら追いかけて来よるぞ。》
社の前に、ぼんやりと喜衛門が浮かぶ。
そして鳥居の向こうを指差した。
「あいつら・・・・・。」
暴徒と化した子孫たちが、ワラワラと群がってくる。
しかし鳥居を潜った瞬間に、パタリと倒れてしまった。
糸が切れた人形のように、あっけなく死んでしまう。
《境内は儂の呪いで満ちとる。邪なモンが入ったら死ぬ。》
「・・・・・・・。」
足を踏み入れただけで死ぬ。
そんな恐ろしい場所に今、自分はいる。
田所は寒気を覚えて、泡立つ肌を撫でた。
「すぐにレプリカを取ってきます。」
《鳥居とは反対側から行け。茂みが深いから見つかりにくい。》
「はい!」
神社を駆け出し、深い茂みを降りていく。
そして国道まで出ると、「これは・・・」と唸った。
「浮遊霊の数が減ってる・・・・。」
町を覆うほどいた幽霊たちは、まばらに残っているだけだった。
なぜなら喜衛門の子孫たちが除霊を行っていたからだ。
数珠を握ったり、勾玉を握ったり、お経をあげたり祝詞を捧げたり。
そのせいで次々に幽霊が昇天していた。
「マズイな、急がんと。」
また茂みに戻って、見つからないように移動していく。
しかし数を減らした浮遊霊では、煙幕にならない。
田所はあっさりと見つかってしまった。
「おったぞ!」
あの若い男がやって来て、田所の腕を掴んだ。
「離せコラ!」
田所は男を蹴り飛ばそうとする。
しかし腕を捻られて、「あだあッ!」と膝をついた。
「残念やったな。」
男はニヤリと笑う。
そこへ仲間も駆けつけて、周りを囲まれてしまった。
田所は言葉を失う。
なぜなら若い男の手には、神社から出てきた女の首がぶら下がっていたからだ。
「抵抗するとあなたもこうなりますよ?」
女の首を見せつけられて、魂まで凍えそうになる。
しかしここで引き下がっては何も出来ない。
「なあアンタ?」
不敵に笑いながら、「御神体が欲しいんやろ?」と言った。
「ほなら俺が取ってきたるで。」
「ん?」
「あの神社に入ったら、アンタらは呪い殺される。でも俺なら入れる。」
「それで?」
「アンタらの代わりに、俺が御神体を取ってきたる。それで見逃してくれや。」
「しょうもない取り引きですね。そんなもんが通用するとでも?」
「でも御神体が欲しいんやろ?ほなら俺が・・・・、」
「必要ありません。私たちだけでも呪いを打ち消すことは可能ですから。」
「何を言うてんねん。みんなバタバタと死んでいったど。」
「今は神道系の奴らと争ってる最中ですから。でももうじき決着がつく。私たち仏派の人間が勝利します。」
そう言って女の生首を掲げた。
「邪魔者がいなくなれば、仲間と一緒に呪いを打ち消す儀式を行う。そうすれば御神体はこっちの物です。」
「そこまでやるんか・・・・。敵対する奴を皆殺しにしてまで・・・・、」
「殺らなければこっちが殺られるんですよ。」
「嘘つけ。どう見てもお前らの方が喧嘩っ早いやないか。そっちから喧嘩をふっかけとんやろ?」
「だとしても、喜衛門の力を欲しがるのは一緒です。争いは避けられません。」
集団の中からガタイのいい男が出て来る。
そして軽々と田所を担いだ。
「行きましょうか。」
男は山を下りていく。
仲間もそれに続き、田所は《クソ!》と舌打ちした。
《アカン!このままやったらなんも出来んと殺される。》
ジタバタともがくが、どうにも出来ない。
万事休すかと諦めかけた時、田所を抱えている男が悲鳴を上げた。
「ぎゃあッ!」
どこからかミミズのような肉塊が現れて、男を締め上げる。
「怨霊!」
若い男が叫ぶ。
数珠を握り、ブツブツと経を唱えた。
するとミミズのような肉塊は、毒でも打ち込まれたように悶え始めた。
《これ・・・・美由希の旦那さんやないか!》
田所は肉塊を見つめて、《助けてくれたんやな》と頷く。
すると今度は美由希が現れた。
《今のウチに!》
そう言って安桜山神社がある方を指差す。
田所は「すまん!」と駆け出した。
「待て!」
喜衛門の子孫たちが追いかけてくる。
そのうちの一人が銃を向けた。
しかし引き金を引く前に、その銃は誰かに奪われてしまった。
《おっちゃん早く!》
あの少年が銃を奪い、遠くへ投げ捨ててしまう。
そこへ下半身のない少年、そして少女の幽霊が現れた。
「また怨霊が!」
子孫たちは一気にパニックになる。
今ここに現れた幽霊たちは、誰しも不遇の中で死んでいった魂。
浮遊霊とは違い、強い怨念を宿した恐ろしい霊だ。
人を超えた力で、次々に喜衛門の子孫を苦しめていく。
「お前ら・・・・。」
田所は呆気に取られる。
そして「すまん!」と駆け出した。
国道を走り、かつての職場を通り過ぎる。
しかしここにも喜衛門の子孫がいて、田所を見るなり追いかけてきた。
「どんだけおんねん!」
この町そのものが乗っ取られている。
周りを囲まれた田所は「お前らこそ怨霊やないか!」と叫んだ。
しかしここでも彼を助ける霊が現れた。
《兄ちゃん、早よ行き。》
「オヤジさん!」
喜衛門の分霊が現れて、カッと目を見開く。
すると喜衛門の子孫たちは、見えない鎖で縛られたように動けなくなった。
「すんません!」
《ええから。》
次々に出て来る子孫を、オヤジは金縛りに遭わせていく。
田所は必死に走り続けて、どうにか安桜山神社までやって来た。
体当たりをかまし、本殿の扉をこじ開ける。
しかし・・・・、
「ない!レプリカが・・・・、」
ここに安置したはずなのに、どこにもなかった。
「まさか喜衛門の子孫どもが壊したんか?」
本殿の中を探すがどこにもない。
外に駆け出し、辺りを探し回った。
すると小屋の裏側に、薄汚れた鏡が落ちているのを見つけた。
誰かに踏まれたのか、蜘蛛の巣のようにヒビが入っている。
「これ・・・・間違いない!あのレプリカや!本物やないから、子孫どもが捨てたんやな。」
鏡を拾い、急いで来た道を引き返す。
しかし今度は神社から人が出てきて「止まれ!」と詰め寄ってきた。
「まだおるんか・・・・。」
辺りの神社から何人も現れて、ナイフを向けてくる。
「あんたか?御神体を破壊しようとしてんのは?」
白髪の男がジリジリと詰め寄る。
田所は「そうや」と頷いた。
「あれはこの世にない方がええねん。」
「あんたの勝手で壊されては困るな。ここにいる者はみんな、あれを必要としているんだ。」
「お前らな・・・・ええ加減目え覚ませ。子孫同士で喧嘩して何になんねん。殺しまでやって・・・・・、」
「先に喧嘩を吹っかけてきたのは仏派の方だ。喜衛門の力は本来神道系のものなのに・・・・、」
「そんなんどうでもええわい。あんなもんのせいで、無駄に不幸になる奴が出て来る。それが一番の問題なんじゃ!」
人知を超えたモノはいらない。
この町で争う者たちを見て、改めてそう感じた。
「あんたらもええ加減に争いはやめたいやろ?御神体さえなくなったら、もうこんなことは終わりになるんや。」
「部外者のあんたから見れば、私たちは愚かに見えるかもしれない。
しかしな、喜衛門の一族には長く続く因縁があるんだ。それはあんたには理解できない。」
「それやったら自分らだけで争っとけ!巻き込まれるモンのことは考えへんのかい!」
「悪いとは思っている。しかし仏派が争いを仕掛けてくる以上、こちらも応戦しなければならない。
奴らさえいなくなれば・・・・、」
男の顔は憎しみに満ちている。
田所は《こら無理やな》と首を振った。
《どいつもこいつも、欲と憎しみに振り回されとる。言葉では止まらんな。》
奥宮へ行きたいが、立ちはだかる子孫に足止めを喰らう。
白髪の男は「御神体を壊すなんてやめてくれ」と訴えた。
「あれは私たちには必要なものなんだ。」
「必要あらへん。人知を超えたモンは不幸を生むだけや。」
「どうしても壊すというなら、あんたを殺すしかなくなる。」
男はナイフを向ける。
鋭利な刃がこちらを向いて、少しずつ近づいてくる。
《じっとしてたら死ぬな・・・・。》
イチかバチか、田所はこんな提案をした。
「あんたらは知らんやろけどな、御神体は他にもあるねん。」
「まさか。」
「ほんまや、喜衛門さんが言うてた。」
「嘘をつくな。私には人の持つ色が見える。あんたは嘘をついているとハッキリ分かるぞ。」
「ほな一緒に行こうや。今から喜衛門さんに会いに。」
「会いに?」
「あんたらは鳥居の中に入られへんやろ?だから俺が連れて来たる。その耳で、崇拝する喜衛門さんの言葉を聞いたらええ。
あの人がどれだけあんたらの行いに心を痛めてるか。俺を殺すのはその後でもええやろ。」
「見え透いた嘘を・・・・、」
「でもあそこには間違いなく喜衛門さんがおる。それはあんたらも分かってるやろ?」
「・・・・本当に会えるのか?」
「御神体があるさかいな。俺が鳥居の外まで連れて来たる。約束する。」
田所は強く頷く。
男はじっと睨んで、「嘘ではないようだな」と言った。
「本気や。」
「なら・・・・、」
男は仲間を見渡し、「いいか?」と尋ねる。
仲間も頷きを返し、田所の提案に同意した。
《よっしゃ!》
心の中で小さくガッツポーズをする。
《俺は嘘はついてへん。喜衛門さんに会わせたるいうのは本心やからな。
ただ・・・・あの神様があんたらに会うかどうかは知らんけど。》
知りようのないことは嘘とは言わない。
田所はレプリカの鏡を抱えながら、奥宮へ走り出した。
後ろを喜衛門の子孫がついてくる。
しかししばらく走った所で、あの若い男が出てきた。
「お前・・・・、」
「怨霊の力を借りるとはやるな。」
「美由希らは・・・・、」
「昇天してもらった。」
そう言って空を指差す。
「ほな無事なんやな?」
「無事も何も、元々死んでいる。いるべき場所に戻っただけだ。」
「そうか・・・・。」
田所はホッと胸を撫で下ろす。
もし地獄にでも落とされたらどうしようかと不安だった。
「なあ?あんたらも一緒に行かへんか?喜衛門さんの所。」
「なに?」
「俺の後ろの人らも行くねん。俺が喜衛門さんに会わせたるんや。」
「・・・・・・・・・。」
「俺を殺すのは容易いやろ?ほなその前にな、直にご先祖様の言葉を聞いてみたらどうや?
今ここでそれが出来るのは俺だけや。」
「必要ない。」
「自分らで出来るからってか?対立する宗派のモンを殺してまで。」
「それしか方法がないからな。」
「・・・・好きにしたらええけどな、それやったら余計な争いになるやろ?
ほな俺を利用して、今から喜衛門さんに会うてみたらどうや?
喧嘩を再開するのは、それからでも遅うないやろ。」
田所は真っ直ぐに睨みつける。
男は傍にいた仲間に耳打ちをした。
《また俺の色を見てるみたいやな。》
田所は嘘は言っていない。
若い男は耳打ちを終えて、小さく頷いた。
「・・・・もし妙な真似をしたら・・・、」
「そんときゃ殺せ。」
これも嘘ではない。
男は頷き、踵を返した。
「一時停戦だ。」
そう言って山の中に入っていく。
田所は後に続き、皆で奥宮の前までやって来た。
鳥居の前に立ち、横たわる死体を見つめる。
《えらいもんやな、これだけ死人が出るなんて。これを見ても争いをやめようと思わへんのかな?》
複雑な気持ちが過り、小さくため息をついた。
「ここで待っといてくれ。」
そう言い残し、一人鳥居を潜った。
階段を上がり、社の前に立つ。
「持って来ました。」
レプリカの御神体を置くと、喜衛門の声が響いた。
《手間かけたな。》
「あの、今そこに・・・・、」
《分かっとる。》
社の前に喜衛門が現れて、険しい表情をした。
《悲しいもんやな、自分の血を引くモン同士が争うのは。》
「あの人らに喜衛門さんの声を聞かせてもらえませんか?いったい自分らがどれだけ醜いことをやってるんか、教えてやって下さい。」
《それは出来へん。》
「どうしてです?」
《長いこと続く因縁や。今さら儂の声では止まらんやろ。》
「そんなこと・・・・、」
《それよりもやらなあかん事がある。》
喜衛門はレプリカの御神体に触れる。
するとその瞬間、妖しい輝きを放つようになった。
「これは・・・・、」
《儂の力をほんの少しだけこっちに移した。》
「なんでそんなことを?」
《力を移すことで、本物の方の力を少しだけ削いだんや。
これはレプリカといえども、長くここにあったもんやからな。
儂の分霊が宿ってたもんや、こういうことも出来る。》
「そんなことをして、いったいどうするつもりで?余計に御神体が増えるだけやと思うんですけど・・・、」
《その心配はない。移したのはほんの少しの力やからな。せやけどそのほんの少しが大事や。
本物の方の力が削がれたおかげで、今のお前でも破壊出来るようになったはずや。》
喜衛門は社の扉を開ける。
中から御神体を取り出して、田所に向けた。
《以前にお前が積んだ徳、まだ残っとる。今なら壊せるで。》
田所は鏡を受け取る。
それは以前と変わらず、人を惹きつける妖しい輝きを放っていた。
《あんまり見るな、心が引込まれる。》
「はい。」
田所は鏡を持ち上げる。
そして思い切り地面に叩きつけた。
・・・バリンと鋭い音が響く。
鏡は粉々に割れて、足元に散らばった。
《これで終いや。》
喜衛門は小さく頷く。
その瞬間、外で待っている子孫たちが叫びを上げた。
「おいアンタ!今何した!?」
鏡が割れる音を聴いた若い男が、鬼気迫る声で怒鳴る。
田所は「壊した」と答えた。
「なに?」
「御神体はもうない。」
「・・・・・・・・。」
「喜衛門の力は消えたんや。」
「お前・・・・・、」
外から怒号と悲鳴が飛んでくる。
御神体が壊れたせいで、境内に満ちる呪いは消えた。
そのせいで、子孫たちは一斉になだれこんでくる。
若い男は鬼のような顔で田所の前に立った。
「騙したのか?」
「いいや、嘘はついてへん。」
「・・・色に嘘はなかった。でも騙したんだろう!?」
銃を抜き、田所の頭に突きつける。
「お前何をしたのか分かってるのか?あれが俺たちにとってどれだけ重要なものだったか・・・・。」
目に涙が滲んでいる。
いつ引き金を引いてもおかしくないほど、怒りに震えていた。
しかし田所は動じない。
「殺したいんやったら殺せ。俺はもう仕事を終えた。これでようやく美由希らの所に行けるんや。」
ゾンビのような人生を送るくらいなら、天国に行った方がマシ。
目を閉じ、この命が潰えるのを待った。
しかし待てども待てども、男は引き金を引かない。
いったいどうしたのかと目を開けると、そこには喜衛門が立っていた。
「なんで?御神体は壊したのに・・・・。」
そう呟く田所だったが、すぐに気づいた。
レプリカの御神体が光っているのだ。
《こっちに移した力が残ってるからか。》
喜衛門は厳しい顔で睨んでいる。
子孫たちは呆気に取られ、ヘビに睨まれたカエルのように、微動だに出来なかった。
《喜衛門さん、頼むわ。そいつらに聞かせたってくれ。あんたの口から、あんたの言葉を。》
これ以上の争いはもういらない、そして不幸もいらない。
何よりも、人知を超えたモノはどこにもいらない。
喜衛門の背中を見つめながら、祈るように手を合わせた。

不滅のシグナル 第十九話 不滅のシグナル(1)

  • 2017.04.29 Saturday
  • 18:09

JUGEMテーマ:自作小説
月だけが灯る暗い夜。
田んぼの畦は青く染まり、遠い山は水墨画のように滲む。
田所は御神体の鏡を抱えて、安桜山神社の奥宮に向かっていた。
途中で職場に寄り、車に乗り込む。
山まで向かい、山道を上り、ブルーシートに覆われた小さな神社にやって来た。
人の背丈ほどの社、手に乗るほどの小さな狛犬。
その手前に鏡を置いた。
「持ってきました。ここからどうしたらええですか?」
鏡に向かって語りかけると、中に喜衛門が映った。
《ちょっと待っとれ。》
そう言ってピカリと光ると、社の扉が開いた。
奥にはレプリカの御神体がある。
《それはもういらん。代わりにこれを。》
「はい。」
レプリカの鏡をどかして、御神体を置く。
すると扉は勝手に閉まって、ガチャリと鍵がかかった。
《これでええ。》
奥から喜衛門の声が響く。
田所は手を叩き、そっと頭を下げた。
「喜衛門さん、これで俺はもう自由ですか?」
《そや。黄泉のモンが関わることはもうない。自由に生きろ。》
「あの・・・・・、」
《なんや?》
「もし誰かがここを見つけたら?この御神体を奪おうとしたら、その時はどうされるんで?」
《呪い殺す。》
「また死人を作るんですか?」
《それしかないがな。儂の力を悪用されてはたまらんからな。》
「・・・・・・・。」
《納得いかんか?》
「人知を超えたもんは、不幸しか招きません。だからやっぱり・・・・もういっぺんチャンスをくれませんか?」
《御神体を破壊したいんか?》
「そうです。もう俺や美由希のような人間を生み出したあないんです。」
《気持ちは分かるけどな。無理はやめとき。下手に関わると、また災いが降りかかるで。
お前だけやのうて、周りにおるモンにも。》
喜衛門の声は優しい。
聞き分けのない子供を諭すように、とても耳に馴染んだ。
田所は納得のいかない顔をしていた。
しかしこれ以上できることはない。
一礼を残し、奥宮を後にした。
鳥居を出る時、一度だけ振り返る。
喜衛門が《もうここへ来るなよ》と忠告した。
《お前は自由や。自分の人生を。》
「はい。」
頷き、山を降りていく。
路肩に停めた車に乗り込んで、安桜山神社に向かった。
・・・・奥宮を出る時、レプリカの御神体を持ってきた。
助手席に置いたそれを見つめて、「神社なんやから、レプリカでも御神体はいるやろ」と呟いた。
「安桜山神社に神様はおらん。でもこれがないと、お参りした人が神様を想像できへんからな。」
神社に着いた田所は、レプリカの御神体を安置した。
蛍光灯の光を受けて、鈍く輝いている。
しかし妖しい輝きはない。
本物の御神体のように、人を惑わせる力はない。
「これでええんや。これで。」
扉を閉め、石を置いて開かないようにする。
「鍵は誰かが直すやろ。」
パンパンと手を叩き、「もうここへ来ることはありません」と語りかけた。
「美由希、オヤジさん、それに今までに出会った幽霊。俺はここを離れます。
これからどうなるか分からんけど、そろそろ自分の人生を生きようかなと・・・・・。
天国で見守ってて下さい。」
踵を返し、神社から出る。
家に向かう車の中で、ここへ来てからのことを考えた。
「色々あったな・・・・。」
ボソっと呟き、首を振る。
「これでよかったんかどうか、俺には分からん。
喜衛門の御神体がある限り、またおんなじ事が起きるような気がするわ。
でも・・・もう俺はええ。もう疲れた。」
家に着くと、泥のように眠った。
そして翌日、朝早くに職場に向かった。
オヤジはいなくなっていて、みんな混乱している。
家にもいないし、ケータイにも繋がらない。
社長が行方不明とあって、大騒ぎだった。
田所はオヤジと仲が良かったものだから、「居場所を知らないか?」としつこく聞かれた。
しかし「知りません」と首を振って、逃げるように職場を去った。
「オヤジさん、今までありがとうございました。」
どうしても職場へ行って礼を言いたかった。
もうオヤジはいないが、それでも感謝を述べたかった。
それから田所は、町を離れ、一年間東京で過ごした。
その後は大阪、広島、福岡と転々とした。
仕事もコロコロ変えて、何か一つに安定するということを嫌った。
まるで巡業師のように、全国を転がり続け、気がつけば町を出てから10年も経っていた。
歳は48になり、白髪が増えた。
皺も増えて、体重だけが減っていた。
あの町を離れてから、一度も幸せを感じることができなかった。
心の底から笑えないし、何をしても楽しいと思えない。
なぜか?
それは御神体のことが気になって気になって仕方なかったからだ。
あれがある限り、また同じような事が起きる。
しかし再びあれに関わるには、気力も体力も衰え過ぎた。
モンモンと憂鬱を抱えながら、ただ人生を消費するだけ。
そんなある時、夢の中にあの子が出てきた。
美由希と手を繋いで、《久しぶりやな》と笑う。
田所は喜んだ。
『おお!久しぶりや!』
これは本物の幽霊か?ただの夢か?
どちらか分からないが、それでも嬉しかった。
『どうや?天国で元気にやってるか?』
《うん。》
少年は微笑む。
美由希も微笑み、彼女にまとわりつく肉塊も、喜びを表すようにうねった。
『そうか、みんな幸せなんやな。』
そう呟いた瞬間、ボロボロと涙が出た。
そして『俺も連れてってくれんか?』と尋ねた。
『あの町を離れてから、生きてる心地がせえへん。どうしてもあの御神体が気になるんや。』
《ほなもっぺんあの町来れば?》
『そうしたいけど、もう疲れたっちゅうか・・・・また黄泉のモンと関わらなあかんかと思うと、気が滅入ってな。』
《ていうか来てほしいねん。》
『なんで?』
《あのな、奥宮にあの御神体があるのがバレたんや。そんでな、喜衛門の子孫が集まって来て、喧嘩してんねん。》
『それホンマか!?』
《町はもう滅茶苦茶やで。喜衛門の子孫に占領されとんや。
元々おった人は、住みにくうなって引っ越した。あとは追い出そうとして、逆に殺されたり。》
『殺すやと!そんな・・・・、』
《なあおっちゃん。もういっぺん戻って来てえや。》
《私からもお願い。》
『美由希・・・・町はそんなに酷いんか?』
《喜衛門の子孫てな、遺された力を巡って、すごい対立してるんよ。
それぞれ組織があって、それが争ってるもんやから、あんな小さい町なんかすぐに飲み込まれる。》
『・・・・御神体は?今はどうなってる?』
《まだ奥宮にあるよ。でも奪われるのは時間の問題やと思うわ。》
『ほなすぐに行かな!』
《気をつけて。あいつらすごい危ないから。下手したらあんたも殺されかねへん。》
『いっぺん死んだ身や。今さら死ぬのなんか怖いことあるかい。
それより怖いんは、死人みたいに生き続けることや。今の俺はゾンビやで。』
この10年、本当にゾンビのように生きてきた。
何の感慨もなく、何の感動もない。
ゼンマイで動かされているような人生だった。
『俺な、それが終わったらもう死んでもええわ。多分やけど、喜衛門の残した力を破壊する為に俺は生まれてきた。そういう気がするねん。』
ニコっと笑うと、美由希は《そんなん言わんといて》と悲しい顔をした。
《私は死んで分かったことがある。それはまだまだ生きていたかったってことや。
だからな、死んでもええなんて言わんといて。危険な仕事やけど、どうか無事に・・・・・・、》
そう言い残し、美由希と少年は消えた。
夢から目覚めた田所は、すぐにあの町に向かった。
今は神戸に住んでいる。ここからだとそう遠くない。
車を飛ばし、早る気持ちに胸を弾ませた。
《怖いけど、なんでか嬉しいと思ってる。》
田所の顔は緩んでいた。
これでようやくゾンビのような人生に終止符を打てる。
心残りだったあの御神体、それと向き合う時が来たのだ。
《喜衛門さん、あんたの御神体は、やっぱりこの世にあったらあかんのや。俺が終わりにしたるさかい、加護を頼むで。》
10年経って、五度目の神頼み。
しかし今度の神頼みは、神を守る為の神頼みだ。
恐怖と喜びを感じながら、あの町へ向かって行った。


            *

「なんやこれ・・・・。」
町は異様な光景に変わっていた。
そこかしこに寺や神社が建ち、殺気だった人間で溢れている。
田所は国道を走りながら、その様子を観察した。
寺にいる人間は神社にいる者を睨み、神社にいる人間は寺にいる者を睨んでいる。
「そういえばオヤジさんが言うてたな。仏教と神道で派閥が分かれてるって。」
喜衛門の力は本来神道系のものだが、後に仏教の人間も関わってきた。
そのせいで二つの宗教にその力が残されている。
どちらも喜衛門の力を欲しがっていて、そのせいで争いが起きていた。
「細かい宗派を含めたら、もっとある言うてたからな。」
路肩に車を停めて、町へ降りる。
するとさっそく絡まれた。
「すいませんがこの町の方で?」
寺から出てきた数人の男女が近づいてくる。
口調は柔らかいが、目は笑っていない。
「ええっと・・・・ただ通りすがっただけです。えらい寺や神社が多いから、珍しい場所やなあと思って。」
そう答えても、まったく信じていない様子だった。
《そういえば喜衛門の子孫には、人の色が見える奴がおる言うてたな。
その色を見れば、嘘ついてるかどうかも分かるって・・・・。》
オヤジから聞いた話を思い出し、背筋が寒くなる。
《これ、確実に疑われてるよな・・・・。》
どうしたもんかと困っていると、すっかり周りを囲まれていた。
近くの寺からぞろぞろ人が出てきて、殺気だった目を向けてくる。
「ちょっとそこまで来てもらえますか?」
一人の女が出てきて、腕を掴む。
それを振り払おうとすると、ガタイのいい男が威圧してきた。
「抵抗しない方がいいですよ。」
低い声でそう言われて、田所は目を逸らした。
《ヤバイなこいつら・・・・明らかに普通の奴とちゃうで。》
誰も彼もが異様な目つきをしている。
抵抗しても勝目はなさそうで、ここは大人しく従うしかないと思った。
・・・・するとその時、別の寺から一人の男が出てきた。
「あかんて、あんまり手荒なことしたら。」
まだ若い男だ。
しかし声には威厳があり、田所を囲っていた集団は、サッと道を開けた。
「どうしました?ここに何か御用で?」
ニコリと笑うその顔は、とても不気味だった。
爽やかな顔をしているが、この世のものとは思えない、冷たい気配を放っている。
「・・・・・・・・・。」
「ここ、寺と神社以外はなんもないですよ。遊ぶ場所もないし、見所もない。」
そう言って国道に手を向けた。
「ここからちょっと北に行ったらね、棚田やら滝があるんですよ。すごいええ所やから、そっち行かれた方がええと思いますよ。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・なんか事情がおありで?」
男の顔から笑顔が消える。
田所は本当のことを話そうかどうしようか迷った。
《喜衛門のこと、伝えた方がええかな・・・・・。》
唇をすぼめながら、若い男を睨みつけた。
「あの・・・・、」
「はい?」
「実はですね、山奥にある神社に行きたいんです。」
「山奥に神社なんかありませんよ。」
「いえ、あるんです。安桜山神社の奥宮が。そこにね、喜衛門ちゅう人の御神体を祀ってあるんですわ。」
そう答えると、男は険しい顔をした。
周りの者たちも色めきだつ。
「ええっと・・・・喜衛門のご子孫で?」
「違います。でもしばらく前にこの町に住んでたんですよ。そこでね、ちょっと喜衛門さんと因縁がありまして。」
「ほう。会ったことがあると?」
「ええ。色々と頼みごとをされまして。」
「どんな?」
「それは言えません。」
「う〜ん・・・・。」
若い男は、後ろにいた女に耳打ちする。
女は頷き、寺へと戻っていった。
しばらくすると、神社の方からも人が出てきた。
その中から中年の女が現れて、田所へと近づいた。
「ここに何か御用で?」
柔らかい笑顔で尋ねるが、やはり目は笑っていない。
「ちょっとね。」
「ちょっと?」
田所は先ほどと同じことを説明した。
女は頷き、「喜衛門さんとねえ・・・」と腕を組んだ。
「それで?」
「へ?」
「その因縁というのは?」
「言えません。」
「あなたがこの町へ来たことと関係が?」
「言えません。」
「どうして?」
「・・・・・・・・。」
「聞かれるとマズイことでも?」
女はしこつく尋ねてくる。
すると寺に戻った女が出てきて、若い男に耳打ちをした。
男は頷き「あの・・・、」と手を向けてくる。
「はい?」
「お名前は?」
「田所といいます。」
「じゃあ田所さん。ちょっとこっちで詳しくお話を聞かせて頂けますか?」
男は寺へ手を向ける。
すると神社の女が「勝手なことをされては困ります」と詰め寄った。
「無関係な人間には手を出さない。それがお互いが決めたルールでしょう?」
「無関係ではないでしょう。この方は喜衛門と因縁があるそうだ。」
「でも子孫というわけじゃないでしょう?お引き取り願った方がいいんじゃありませんか?」
「それはこちらが決めることです。」
「また余計な争いになります。上の方に叱られるのではありませんか?」
「それこそそちらにとやかく言われることではない。そもそもウチの住職が連れて来いと行っているんです。
この方はウチで預かります。」
「預かりますって・・・・なんの権利があってそんなことを・・・・、」
「そちらこそ引き下がって下さい。でないとそれこそ余計な争いになりますよ?」
男が手を上げると、周りの寺からぞろぞろと人が出てきた。
その気配を感じたのか、神社からもぞろぞろと人が現れる。
両者はピリピリと睨み合う。
まるで暴動寸前のような緊迫感だった。
よく見れば銃やナイフを持っている者もいて、田所は冷や汗を流した。
《なんやねんコイツら・・・・ちょっとおかしいぞ。》
二つの集団に挟まれて、田所は身動きが取れない。
しかしこのままじっとしていれば、それこそ危険な目に遭いそうだった。
《どうにか逃げんと。》
ジリジリ後ずさると、若い男が「動かないで」と言った。
「喜衛門に詳しいならご存知でしょう?私たちの中には、人の発する感情や人格が、色として見える者もいます。
よからぬことを企んでも無駄ですよ。」
「・・・・ほな正直に言います。俺ね、喜衛門の御神体を壊しに来たんですよ。」
「なに?」
男の顔が・・・・いや、その場にいる全員の顔が曇る。
《やっぱり殺気だつよな・・・・でもいつかはバレることや。》
この集団相手に、隠し事は不可能。
田所は一筋の希望に賭けることにした。
「あのね、喜衛門さんは自分の子孫が争うことに心を痛めてはるんです。
だから俺に頼んで、最後の御神体を破壊しようとしてたんです。」
「破壊って・・・・、」
男の顔がさらに曇る。
首を振り、ため息をつき、「死にたいですか?」と睨んだ。
「そんなこと言ってると、今ここで死にますよ?」
幽霊よりも冷たい顔、冷たい殺気。
田所は震え上がった。
「多くの仏像や御神体が破壊され、あれは唯一残された御神体なんです。
破壊するなんて言うだけで、ここにいる人間が何をするか分かりませんよ。」
田所を囲う集団は、針のような殺気を向けてくる。
《あ、これ死ぬな・・・・・。》
生きてここから出られない。
そう思った。
《死ぬのは構へん。その前にどうにか御神体を壊さんと・・・・。》
そう思った時、奥宮のある山が光った。
それは閃光のように眩い光で、誰もがそちらを振り返る。
・・・次の瞬間。
辺りに無数の幽霊が現れた。
それは町全体を覆い尽くすほどで、誰もが呆気に取られる。
《今のウチや!》
田所はその隙に逃げ出した。
「おい!」
若い男が叫び、「追いかけろ!」と怒鳴る。
そこへ神社の女が「ちょっと待って!」と止めに入った。
「どけ!」
「誰が呼んだの!?」
「何が!?」
「この浮遊霊!そっちでしょ!」
「俺たちじゃない!」
「ならどうしてこんなに・・・・、」
「だから知るか!いいからどけ!」
男は女を突き飛ばす。
その瞬間、二つの集団が争いを始めた。
銃声が鳴り、ナイフが振り下ろされて、本当に暴動が起きてしまった。
田所は浮遊霊に紛れて、暴徒と化した集団を駆け抜けた。
《喜衛門さん!すまん!》
さっきの閃光、そしてこの浮遊霊たち。
きっと喜衛門の仕業だろうと思った。
《護ってくれて助かる。その代わり、絶対に御神体を壊したるからな!》
右を見ても左を見ても幽霊。
足元も空にもウヨウヨいる。
後ろからは銃声と怒声が響いて、それに混じって悲鳴も響いた。
《勝手に喧嘩しとれ!》
走りながら、田所は思う。
こんな子孫ばかりなら、そりゃあ喜衛門も頭を悩ませるだろうと。
《やっぱり人知を超えたモンなんかこの世にいらん!》
大きな力は、幸せよりも災いをもたらす。
下らない身内争いに終止符を打つ為、幽霊の波を掻き分けていった。

不滅のシグナル 第十八話 雪桜の幻郷(2)

  • 2017.04.28 Friday
  • 16:20

JUGEMテーマ:自作小説

必ず明日がやって来るというのは、何の根拠もない希望だった。
一日後、いや数分後でさえ、人が生きているという保証はどこにもない。
毎日やってくる朝陽は、無事に命を長らえた証拠。
しかしそうではないこともある。
今、田所は朝陽を眺めているが、生きてはいない。
肉体を失い、魂だけとなって、ふわふわと彷徨っていた。
四カ月前の夜、田所は安桜山神社に行った。
そこで充分な徳も積まないままに、御神体を破壊してしまった。
結果、彼は死んだ。
喜衛門の呪いを受けて、あっけなくこの世を去った。
あの時、痛みのあまり気絶した。
そして全てがオレンジに溶ける夢を見て、何もかもこうして溶けてしまうんだと思った。
しかし溶けたのは肉体だけで、魂は残った。
幽霊となった田所は、社殿の中に横たわる、哀れな自分を見つめた。
強酸に浸けたように、身体の半分が溶けていた。
周りには美由希や少年の霊がいて、田所にこう言った。
《ごめんなさい・・・・。》
それだけ言い残し、天国へ消えていった。
一人残された田所は、御神体の鏡を睨んだ。
『喜衛門、許さへんぞ。お前を許すことはあらへん。』
無限の泉のように、いくらでも怒りが湧き上がる。
良いように利用され、たった一つ間違いを犯しただけで、命を奪われた。
いくら神様とはいえ、こんな理不尽を我慢できなかった。
『消したる・・・・お前なんかこの世にいらん。』
怒りを纏わせながら、鏡に触れる。
しかしその瞬間、焼けるような痛みが走って、思わず叫んだ。
『お前な!覚えとけよ!絶対に復讐したる!許さんからな!』
そう言い残し、神社を後にした。
あれから四カ月、季節は冬に変わった。
今日は雪で、灰色の雲からキレイな粉が舞い落ちる。
田所は思った。
死んだ後でも情緒を抱くのだなと。
降り注ぐ雪を見て、心が洗われるような美しさを感じていた。
《・・・いつまでもずっと見てたい。》
もう自分は死人で、この世のしがらみに囚われることはない。
社会も、法律も、犯した罪も。
自分を縛るものは何もなくて、それならばずっとここで雪を眺めていたいと思った。
今、田所がいる場所は、安桜山神社の奥宮がある山だった。
あの神社から、しばらく登った場所に沼がある。
人工の沼で、麓に向かう水路には堰があった。
降り注ぐ雪と、誰からも忘れられたような人工の沼。
情緒と無機質、自然と人工物。
相反するものが、奇妙なほど上手く調和して、極楽のように田所を和ませた。
田所は長く同じ場所に座っていた。
一年、二年、いや、もっとかもしれない。
時間の概念さえ消えそうなほど、ずっと同じ場所にいた。
・・・・不思議なことに、その間ずっと雪はやまなかった。
春になり、夏になり、秋になっても、雪は絶えない。
田所は不思議な思いでそれを見ていた。
《・・・・・あれ?ここってもしかして・・・、》
立ち上がり、山を駆け下りる。
今、季節は春。
山を下りれば桜が咲いていて、国道沿いを彩っていた。
そして雪も降っている。
淡いピンクに真っ白な雪。
それは何とも美しい光景で、極上の絵画のようだった。
田所は国道を歩いていく。
ザクザクと雪を踏みしめ、辿った足跡を振り返った。
しかし足跡はない。
降り注ぐ雪が消したのかとも思ったが、そうではなかった。
一歩前の足跡さえないのだ。
《・・・・・・・・・。》
歩き、振り返る。
その度に足跡が消えている。
・・・今度は桜の枝を掴み、ボキっとへし折った。
そして花弁を千切って、辺りにまき散らした。
目を閉じ、そして開ける。
すると折れた枝は元に戻り、散った花弁も消えていた。
《美しい景色が傷つへん・・・・。これはやっぱり。》
どこを見渡しても極上の景色。
傷つけてもすぐに元通りになってしまう。
田所は頷く。きっと間違いないと。
《ここ天国か。》
フラフラと彷徨う浮遊霊だと思っていたのに、いつの間にか天国へ来ていた。
なぜか?
田所は考える。
《自分が行きたいと望んだからか?》
あの少年は言っていた。
行きたいと願えば、いつでも天国に行けると。
田所は雪を見上げ、《そういえば思ったな・・・》と呟いた。
《この雪をずっと見てたいって。なんにもしたあなくて、こうやってずっと・・・・・。》
そう思ったのは、田所の本心。
行きたいという願いは、田所を天国へと運んでいた。
・・・・不思議だった。
誰もいなのに、寂しさを感じない。
あの少年は周りには友達や母(美由希)がいる。
なのに自分はどうして・・・・・?
雪の上に座り、じっと考える。
《天国は善人が行く場所や。それやったら、ここにようさん善人が来てるはずや。
やのになんで俺だけ・・・・・・。》
色々と考えを巡らせる。
《天国ちゅうのは、本人が望んだ世界になるんか?それとも、もうちょっと歩いたら人がおるかな?》
立ち上がり、後者に賭ける。
長い長い国道を歩き続けて、かつての職場まで辿り着いた。
建物はあるが、人はいない。
田所は職場を後にして、安桜山神社を目指した。
《あそこに行ったら、美由希かあの子があるかもしれんな。》
ザクザクと雪を踏みしめ、安桜山神社までやって来る。
そこで不思議な光景を目にした。
《なんやあれ?》
神社のある場所だけが、真っ黒に塗りつぶされていた。
墨汁でもぶちまけたみたいに、綺麗に景色から浮いてみえる。
《他はそのままやのに、なんであそこだけ・・・・・。》
足を進め、鳥居の前までやってくる。
《これ・・・・なんちゅう不思議な光景や。》
黒く塗りつぶされた神社。
それは三次元のシルエット、奥行きをもった影のようだった。
鳥居に手を触れると、焼けるような痛みが走る。
それは御神体の鏡に触れた時と同じ痛みだった。
《触るなっちゅうことか。》
ここは天国。
それは間違いない。
そうでなければ、傷ついた景色が、美しく元に戻るわけがない。
そう思ったが、この神社だけは異様だった。
およそ天国に相応しくない物体。
3Dのシルエットは、そこだけ空間が抜けたような、言葉にできない不気味さがあった。
《どうなってんねや・・・・。》
中に入ってみたいが、踏み込めば痛みが襲う。
田所は迷った。
深いことは考えず、あの沼に戻って、永遠に景色を眺めていようか?
それともこの神社の謎に挑んでみるべきか?
《これ、間違いなく喜衛門が関わってるよな。》
腕を組み、雪桜を見つめる。
《ええ景色や。ほんまに・・・・なんでも忘れて、心地ええ気分になる。》
ここに身を留め、穏やかな快楽に浸るのも悪くない。
しかしそう決断するには、ちょっぴりの悔しさがあった。
《これがもし喜衛門の用意した景色やとしたら、それは癪やなあ。
利用されて、殺されて、その後は美しい天国か。
ここでずっと景色を眺めてたら、それはある種の飼い殺しやろ。》
田所は迷う。
ここは良い場所だが、あいつに尻尾は振りたくない。
だから決めた。
ここを後にしようと。
そしてその為には、この神社に挑まないといけない。
触れれば焼ける痛みが襲うが、自分はもう死んでいる。
それならば恐れるものなどないはずだと、腹を決めた。
《行こか。》
ゆっくりと深呼吸して、一歩踏み出す。
鳥居をくぐった瞬間、焼けた鉄を押し付けられるような痛みが走った。
《・・・・・・・ッ!》
頑張って階段を登っていくが、とても耐えられない。
《死ぬ!》
階段を転げ落ちて、鳥居の外に逃げ出した。
身体を見ると、傷一つ負っていない。痛みもない。
《景色だけじゃなくて、俺の傷もすぐに治るんか。》
神社の外にいる限りは安全。
しかしここへ踏み込めば、魂ごと焼き尽くされそうな激痛が襲ってくる。
《どうしたもんか・・・・。》
鳥居の前に座り込んで、恨めしそうに見上げた。
・・・・何か方法はないか?
思案するうちに、一つのことが思い当たった。
《そういえば神社は穢れを嫌うんやったな。》
今の自分は死人。
それならば、鳥居を潜ることは許されないのかもしれない。
しかし美由希やあの少年は神社にいた。
ということは、祭神の許しを貰えば、この中に入れるのではないか?
《喜衛門から許可を取らんとアカンのかもしれへん。でもそれはアイツに頭を下げることになるな。》
そこまで考えて、ふと思い当たった。
《・・・・そうか!あいつ・・・俺を怖がってるんかもしれへん。
復讐するからな!なんて言うてもたから、俺をこんな場所に閉じ込めて・・・・。》
ここは天国、とても良い場所だ。
永遠にここに住むならそれで良し。
しかし復讐を果たそうとした時、この神社に足を踏み入れねばならない。
だがその為には喜衛門に頭を下げる必要がある。
《復讐する相手に頭を下げるって・・・・えらい矛盾や。》
田所はとても不愉快だった。
《喜衛門よ、お前はそれを狙ってるんやな?俺が頭を下げ、許しを乞うのを。》
彼の用意した仮初の天国で過ごすか?
それとも復讐心を捨て去って、ここから抜け出すか?
・・・・仮に抜け出したとして、その後はどうするのか?
《もういっぺん復讐に走ろうとしたら、またここへ閉じ込められるやろな。
そもそも復讐心を持ったままやったら、いくら頭を下げても許してくれそうにないしな。》
かつて田所は、自分の為に頭を下げたことがある。
あの少年と、その両親に対して。
しかしそれは間違いだと知った。
謝罪は自分の為にあるのではなく、傷つけてしまった相手の為にある。
傷つけてしまった相手へ許しを乞うのは、謝罪ではないのだ。
申し訳なかったと、ただその気持ちを伝える。それが謝罪だ。
田所は雪の上に膝をつく。
そして両手もついて、深く頭を下げた。
《喜衛門さん、俺をここから出して下さい。
ここはええ場所やけど、あんたが用意した天国にはおりたあない。
俺は美由希がおる天国に行きたいんや。》
まずは自分の願望を伝える。
これは神頼みだ。
《神様に頼むのに、リスクがあるのは承知です。でもやっぱり本物の天国がええ。》
賽銭があれば投げ込みたかったが、今は頭を下げるしか出来なかった。
《謝ります。神様のあなたに対して、無礼な言動を取ってしまいました。その上復讐までしたいなんて、大それたことを。
いち人間が思い上がってました。・・・・・申し訳ありません。》
神頼みと謝罪。
喜衛門がこの二つをどう受け取るか、神のみぞ知る。
田所はじっと頭を下げ続ける。
利用されたこと、美由希を殺されたこと、そして自分も殺されてしまったこと。
憎しみはあるが、今はただ謝るだけ。
神の威厳を傷つけてしまうような態度を取ってしまって、申し訳ありませんでしたと。
田所は一時間もそのままだった。
目を閉じ、喜衛門に対する畏敬の念を抱きながら、ただ頭を下げていた。
・・・・その時、誰かが頭に触れてきた。
顔を上げると誰もいない。
その代わり、神社の様子が変わっていた。
「色が・・・・。」
真っ黒だった神社が、いつも通りに戻っている。
境内には桜が咲き、白い雪が積もっている。
田所は立ち上がり、鳥居の前で一礼する。
足を踏み入れても、もう痛みはない。
ザクザクと雪の感触を確かめながら、階段を上っていった。
そこにはもう一つ鳥居があって、また頭を下げた。
そしてその先にある小屋まで来ると、《止まれ》と喜衛門の声が響いた。
田所は直立不動になる。
本殿を見上げ、『喜衛門さん』と語りかけた。
『お会いできますか?』
真っ直ぐに本殿を見つめて、喜衛門の声を待った。
《座れ。》
『はい。』
いつものように、小屋の椅子に腰かける。
すると喜衛門が現れた。鏡に映っていたあの男だ。
喜衛門は向かいに座り、こう言った。
《まだ死んでへん。》
『俺生きてるんですか?』
驚く田所。
喜衛門は続けた。
《一つ頼み事があるんや。》
『なんですか?』
《ここにある御神体を、奥宮に移してほしいんや。》
『あのオヤジさんがおった所にですか?』
《御神体を破壊するのはもう無理や。》
『なんでです?俺、まだ生きてるんやったら、また徳を積んで・・・・、』
《これを必要とするモンがおる。》
『必要・・・・・誰ですか?』
《お前や。》
『俺?』
《生きてるが、瀕死の状態や。お前と親しかったモン、お前に助けられたモン、みんな頼んでくんねや。
これ以上お前を苦しめんといたってくれと。》
『それは・・・・美由希やあの子が?』
《他にもおる。儂の分霊もな。》
『オヤジさんも!?』
《儂としては御神体を破壊してほしいんやがな。でもお前を助けるには、御神体の力が必要や。
そんでアレを破壊するとなると、またお前みたいな人のええ奴を探さなあかん。
これな、けっこう骨が折れるんや。徳を積ませるのも大変やし。》
そう言ってどこからか煙管を取り出し、プカリと吹かした。
《吸うか?》
『いえ・・・・。』
《儂の願いは御神体を破壊し、この世から儂の力を消し去ることや。
でもそれはなかなか難儀なことや。ほならな、壊すよりも隠した方がええかと思ってな。》
『だから奥宮に移すんですか?』
《そや。引き受けてくれるんやったら、お前は助かる。そんで儂はもう二度と人間を利用せえへんと約束しよう。どや?》
田所の答えは決まっている。二つ返事で引き受けた。
『やります。』
《ほな頼むで。失敗したら・・・・分かってるな?》
『神様は怒らせたら怖い。よう知ってます。』
喜衛門は満足そうに頷く。
煙管を吹かしながら、ゆっくりと消えていった。
その次の瞬間、田所のこめかみに痛みが走った。
頭痛と吐き気、この二つが襲ってきて、その場にうずくまる。
・・・・そして次に目を開けた時、本殿の前に転がっていた。
辺りは暗く、蛍光灯に虫がたかっている。
「・・・・・・・・・。」
もしやと思い、スマホを取り出す。
「・・・・あの日のまま。」
日付は呪い殺されそうになった日と変わっていなかった。
時刻も同じ。
「幻か・・・・。」
本殿を見上げ、一つ頷く。
「やりますよ、喜衛門さん。」
壊したはずの扉も元に戻っていて、また体当たりをかました。
その時、悲鳴を上げるほどの痛みが全身を襲った。
「なんッ・・・・、」
鋭く焼ける痛みが走る。
服をめくってみると、胴体と手足の一部が溶けていた。
「なんや!」
驚き、固まっていると、見る見るうちに傷が治っていった。
「そうか・・・・これ、喜衛門さんが治してくれて・・・・、」
自分は瀕死の状態だった。
きっと奥にある御神体のおかげで、一命を取り留めたのだろうと頷いた。
・・・・ふうっと息をつき、扉に飛び蹴りをかます。
それを三度繰り返すと、鍵が外れた。
取っ手を掴み、深呼吸。
御神体を奥宮に移せば、全てが終わる。
誰も喜衛門に利用されることはなくなる。
緊張しながら取っ手を引き、扉を開けた。
蛍光灯の明かりが、アメーバのように中に漏れていく。
その時、一瞬だけ美由希たちの姿が見えた。
オヤジ、あの少年、今までに出会った幽霊たち。
ほんの一瞬だが、漏れる光の中に浮かんだ。
「・・・・・・・・・。」
田所は無言で頷く。
自分を助ける為に、喜衛門に頭を下げてくれてありがとうと。
皆が消えた向こうには、御神体の鏡がある。
漏れる光を反射して、鈍く輝いている。
神秘的で、魔性的で、人を惹きつける妖しい輝き。
田所は手を叩き、頭を下げた。
人知を超えたものは、人目に触れる場所には置いておけない。
神を宿すその鏡は、幸と不幸を同時にもたらす、諸刃の剣。
神は拝むもの。
頼るものではないのだと、改めて感じた。

不滅のシグナル 第十七話 雪桜の幻郷(1)

  • 2017.04.27 Thursday
  • 17:40

JUGEMテーマ:自作小説
暦は秋でも、暑さは居座り続ける。
一日の仕事を終えた田所は、まどろむような空を見上げた。
太陽はとろけそうで、空は光に滲む。
いつの日か、全てがあのように溶けてしまうのではないかと、妙に感傷的になった。
淡い情緒を抱いたまま、職場に戻る。
するとオヤジが手招きをして、事務所へ呼んだ。
「なんですか?」
「まあ座りいな。」
ギシっとパイプ椅子に座り、オヤジを見つめる。
「・・・・もしかして、」
「今日で終わりや。」
「クビですか?」
「卒業と言え。」
「やっぱり俺はこの町から離れなあかんので?」
「他の仕事を紹介したる。だから食いっぱぐれることはないで。」
「そらありがたいですけど、俺はまだやることがあるんです。」
「ここでの事はもう忘れ。兄ちゃんの為にならん。」
「・・・・本霊は?」
田所は遠慮がちに尋ねる。
真っ直ぐに見つめながら、「もう一人のアンタはなんて?」と言った。
「ほんまもんの喜衛門さんはなんて言うてるんですか?」
「そら嫌がってるわ。でもな、別に兄ちゃんやのうてもええねん。
あんたがおらんようになったら、他のモンにやってもらうだけや。」
「代わりを見つけるんですか?ほなまた不幸な目に遭う人間が出ますね?」
「そういうことやな。」
「アンタはそれでええんですか?あんたかて喜衛門や。ほならそれを止めようとは?」
「昨日も言うたけど、俺にそこまでの力はない。出来るならとうにやっとるわ。」
「御神体の破壊はそれほど難しいんで?」
「呪いがかかっとるからな。下手に手え出したら俺でも終わりや。
破壊するにはようさん徳をつんだモンやないとあかん。」
「ほならね、どこぞの高名なお坊さんにでお頼んだらどうですか?普通の人より徳があるでしょ?」
「無理や。」
「なんで?」
「あのな、徳いうのはそういうモンと違うねん。坊主やから、神職やからって、徳があるわけと違う。」
「ほな何が徳なんですか?」
「さあなあ。」
「さあなあって・・・・適当に言うただけですか?」
「徳とは何か?難しい問題やで。でもな、少なくとも喜衛門にとっての徳というのは、人助けや。
それも自分の危険もかえりみんと、誰かを助けようとするような。」
「ほな消防士とか救命士にでも頼んだら?」
「そういうのは仕事でやってるわけやろ?そうと違て、仕事だの金だの関係ないところで、人を助けられるようなモンのことや。
兄ちゃんは優しい。思いやりもある。だから困ってる奴は放っておけへんやろ?相手が幽霊でも。」
「まあ・・・そのせいでようさん損してるなあとは思います。」
「そういうことやねん。あんた人が好すぎて、利用されんねん。美由希ちゃんとおんなじくらい人がええで。
だからな、これ以上苦しんでほしいないんや。今日でこの町を離れ。」
オヤジは立ち上がり、机から封筒を取り出した。
「これは?」
「退職金や。それと次の仕事の紹介状。」
「・・・・受け取らなあきませんか?」
「あきまへん。」
「・・・・ほな。」
田所は素直に受け取る。
そしてペコリと頭を下げた。
「今までお世話になりました。」
「おう、新しい街に行っても頑張れよ。」
「いや、ここは離れません。」
「なんやて?」
オヤジの顔が曇る。
田所は笑顔を返した。
「仕事は辞めます。でもここに住むのは続けます。」
「それやったら辞める意味がないやないかい。」
「いや、ここにおったらアンタに心配かけてまう。
だから俺のことはもう忘れて下さい。しょうもない社員をクビにしただけやって。」
「・・・・本気かい?」
オヤジの顔はますます曇るが、田所は笑顔を崩さない。
「今までお世話になりました。」
深くお辞儀をして、事務所を出る。
「どうなっても知らんど!」とオヤジの声が追いかけてきた。


            *

陽が沈む頃、田所は安桜山神社に向かった。
小屋の椅子に座り、少年が現れるのを待つ。
しかし待てども待てども現れない。
時刻は午前二時で、ここへ来てから六時間も経っていた。
「いっつも来てくれるわけと違うんか。」
立ち上がり、本殿を見上げ、煌々と輝く蛍光灯に目を細める。
もう少し待って来なかったら帰ろう。
そう思って腰を下ろした時、誰かが背中をつついてきた。
「・・・・おお!」
田所は「よう来てくれた!」と肩を叩いた。
「いつもはすぐ出て来るクセに、今日はえらい時間がかかったな。なんかあったんか?」
『うん。』
少年の表情は浮かない。
田所は「どないした?」と尋ねた。
「天国で嫌なことでもあったか?」
『向こうは楽しいで。お母さんもおるし。』
「美由希はどうや?元気にしとるか?・・・死んだモンに元気かって聞くのもアレやけど。」
笑いながら尋ねると、コクリと頷いた。
「そらよかった。でもほんならなんでそんな悲しい顔してんねん。いっつもニコニコしとるのに。」
『おっちゃんがな・・・・、』
「ん?俺?」
『ちゃう。喜衛門のおっちゃんがな、神様を殺したんや。』
「なんやて?」
田所の顔が引きつる。
しかし少年の顔はもっと引きつっていた。
『俺にも手伝って言われて、さっきまで神様殺してた・・・・。』
そう言ってポロリと泣いた。
「どういうことや?詳しい話せ。」
『喜衛門のおっちゃんが、違う喜衛門のおっちゃんを殺したんや。そんで俺もさっきまで手伝ってた。』
「なんやて!それ奥宮の喜衛門さんのことか!?」
『山ん中の小さい神社に、もう一人喜衛門のおっちゃんがおってな、それをさっきまで殺してたんや。
喜衛門のおっちゃんがギュウって押さえつけてな、そんで俺が刀で刺して殺したんや。』
「なんやそれ・・・・・。」
田所は言葉を失う。
なんと言っていいのか分からず、眉間の皺が深くなる。
『俺は嫌やったのに、喜衛門のおっちゃんが怖い顔して怒るから、やったんや。』
少年は涙を拭う。
田所は「お前は悪うない。なんも悪うない」と抱きしめた。
「悪いのは喜衛門や。あいつなんちゅうことを・・・・、」
神殺しを子供に手伝わせる。
そんなことがあっていいのか?
田所は怒りに湧く。
それと同時に、分霊の喜衛門が殺されたことがショックだった。
《オヤジさん・・・・俺を逃がそうとしてたから・・・・、》
分霊の喜衛門のことを、本霊の喜衛門はよく思っていなかった。
これ以上邪魔をされないように殺したのだろう。
田所はそう考え、「オヤジさん・・・」と嘆いた。
「なあ?この神社の喜衛門は今どこにおる?」
少年に尋ねると、本殿を指差した。
「ここにおるんかい。」
田所は鬼のような目で睨む。
「なあ、今の俺ってどのくらい徳が溜まってんねん。」
そう尋ねると、少年は首を振った。
『そんなん俺にわからへん。喜衛門のおっちゃんじゃないと。』
「もしも充分に徳が溜まってるんやったら、御神体を壊すことは出来るはずや。無理やったら・・・・死ぬやろな。」
田所は腹を括る。
これ以上、身勝手な神の行いを放っておけなかった。
「ここにおれよ」と少年に言い残し、本殿の前に立つ。
鍵のかかった扉を睨みつけながら、鼻が触れそうなほど近づく。
中は真っ暗で、何も見えない。
しかしここには喜衛門がいる。
彼の力を宿した御神体がある。
田所は賽銭箱を掴み、力いっぱい引きずった。
かなり重いが、最後は蹴り飛ばした。
賽銭箱をどかしたおかげで、本殿の前はスッキリする。
田所は助走をつけて、本殿の扉に体当たりした。
重く、大きな音が響く。
錆びかけた南京錠がギチっと鳴って、木造りの扉もミシミシと軋んだ。
もう一度体当たりをかます。
また軋む。
そして三度目は飛び蹴りをかました。
硬い靴のかかとが、上手く鍵を捉える。
大きな音が響いて、鍵の付け根がへこんだ。
「ええ加減開かんかい!」
もう一度飛び蹴りを放つと、小さな雷鳴のように音が鳴った。
扉は開き、中に蛍光灯の光が漏れる。
「・・・・・・・・。」
奥に安置された鏡が、光を受けて反射する。
田所はヅカヅカと近づき、鏡を手に取った。
人の顔くらいの大きさで、表面が曇っている。
反射する鈍い光が、神様のようにも魔物のようにも思えた。
「これさえ壊したら。」
持ち上げ、床に叩きつける。
バリンと鳴って、粉々に砕けた。
「なんや、えらい簡単なことやんか。」
ビビっていたのが恥ずかしくなるほど、あっけなく壊れた。
破片を掴み、「こんなもんのせいで・・・」と睨む。
「どれだけの人間が不幸になったか。人知を超えたモンなんかこの世にいらんねん。」
人間は人間らしく生きればいい。
人を超えたものなど、不幸しかもたらさない。
田所は破片を握りしめて、「これで満足やろ?」と呟いた。
「もう御神体はない。これを巡ってしょうもない争いが起きることはないんや。」
そこに喜衛門がいるかのように、重い声で語り掛ける。
・・・・その時、不思議なことが起こった。
握りしめていた破片が、突然消えてしまったのだ。
「なんや?」
何もない手の平を見つめて、眉を寄せる。
「あれ?破片が・・・・、」
足元に散らばった破片も全て消えていた。
田所は息を飲み、「まさか・・・」と顔を上げた。
「・・・・・・・。」
御神体は復活していた。
傷一つなく元通りになっている。
「まだ無理やったんか・・・・。」
壊した鏡が元に戻る。
こんなことが出来るのは喜衛門だけで、田所は「どこにおるんじゃい!」と叫んだ。
「出て来い!俺の前に来んかい!」
また鏡を破壊する。
破片を踏み砕き、「こんなもんがなんじゃい!」と吠えた。
「おうコラ喜衛門!お前な、神様のクセにコソコソしとんとちゃうど!
ここまでようさん人を利用してきたんや!ええ加減姿見せえ!」
社の中に声が響く。
それと同時に、鏡はまた復活した。
《ここにおる。》
鏡から声が響く。
田所は一歩後ずさった。
「喜衛門・・・・出てこい。」
恐怖を抑え込むように、グッと歯を食いしばる。
すると鏡の中に人が映った。
彫りの深い顔に、色黒の肌。
頭は江戸時代の町人のように結っていて、なんとも大きな目をしていた。
「これが喜衛門・・・・。」
田所は目が離せない。
ランランと輝く、喜衛門の大きな目。
それは妖しい魅力を放っていて、今にも虜にされそうだった。
《もう少し・・・・。》
「何がや?」
《もう少しやった、徳が溜まるまで。お前は焦って・・・・・。》
「ほなすぐに徳を積んだるわい。神頼みでもなんでもしたるから、役目を寄こせ。命懸けでもやり遂げたる。」
《もうアカン・・・・お前は死ぬ。》
「なんやて?」
《徳を積まんと鏡を壊した。もう呪いが始まってるんや・・・・。》
喜衛門は残念そうに首を振る。
田所は「なんやと・・・・」と引きつった。
「おい喜衛門。お前はここまで来て俺を殺そういうんか?
そんなことしたら、また新しい奴を探さなあかんぞ?
それやったら俺に猶予をくれ。その間に徳を積んで、御神体を壊し・・・・、」
そう言いかけた時、後ろから誰かが首を絞めてきた。
「なんや・・・・、」
あの少年が首に腕を回している。
子供とは思えない怪力で、田所を締め上げた。
「ぐッ・・・・あ・・・・、」
どうにか振りほどこうとするが、どうにもならない。
たまらず外へ駆け出すと、そこにはミミズのような肉塊がいた。
《こいつは美由希の旦那やないか!》
天国にいるはずの彼女の夫が、田所に襲い掛かる。
身体に巻き付いて、万力のように締め上げた。
「ひいぎッ・・・・・、」
短い悲鳴が響く。
田所の手足は一瞬で砕かれ、折れた肋骨が肺に刺さった。
「ぐひゅうッ・・・、」
息が出来なくなる。
陸にいるのに、溺れたようにもがいた。
すると今度は、以前に助けた少女の霊が現れた。
その隣には下半身のないあの少年が立っている。
《こいつらも・・・・、》
二人は田所の目に指を突っ込んで、眼球を抉り出してしまった。
「ああああああああああ!」
痛みと共に光が消える。
すると今度は、耳元で誰かがささやいた。
『あんた・・・・。』
《美由希か!助けてくれ!》
声にならない声で悲鳴を上げる。
美由希は指を立て、田所の耳にグリグリと押し込んだ。
《やめい!お前まで・・・・、》
鼓膜を突き破り、脳にまで達する。
あまりの痛みに、田所は気絶した。
・・・・無数の霊が自分に覆いかぶさる。
手が、足が、そして指が絡みついてきて、ここではないどこかへ誘おうとした。
《んなアホな・・・・・こんな・・・死に方は嫌や・・・・・。》
気絶した頭の中で、ぼんやりと意識が加速する。
昨日の夕暮れに見た、全てが溶けてしまいそうな空。
太陽はとろけ、空は滲む。
いつか全てあのように溶けるのではないか。
あの時感じた妙な感傷が、再び蘇る。
《俺も・・・・溶けてなくなるんか・・・・。》
暗い意識の中、絵具をぶちまけたように、鮮やかなオレンジが広がっていった。

不滅のシグナル 第十六話 降ろせない荷物(2)

  • 2017.04.26 Wednesday
  • 17:23

JUGEMテーマ:自作小説

翌日、田所は朝一番にあの神社に向かった。
陽は登りかけているが、まだまだ山の向こう。
薄い明かりだけが空を包んでいた。
それでも夜の山よりかは道が見える。
うろ覚えの記憶を頼ろりに、どうにか昨日の神社まで辿り着いた。
「おるか?」
声をかけながら、ブルーシートをめくる。
淡い期待を胸にしていたが、あの青年はいなかった。
「おらんか・・・・。まあ昨日の今日やからな。警戒してるか。」
社の向かいに座って、昨日のことを思い出す。
あの絶望した表情、仙人みたいな風貌。
世捨て人というのは、ああいう人間のことを言うのだろうと思った。
それから一時間ほど待ったが、青年は現れなかった。
「今日は来んか。」
ふうっと息をつき、手をついて立ち上がる。
その時、指先に何かが触れた。
「なんや?」
最初は小石かと思った。
しかしすぐにそうではないことに気づく。
「これ・・・・歯か?」
黄ばんだ小石のような物。
それは人間の歯にそっくりだった。
「なんでこんなモンがここに・・・・、」
そう言いかけた時、ふと目眩がした。
こめかみに痛みが走り、吐き気を覚える。
「なんやこれ・・・・。」
酔っぱらいのように、千鳥足になる。
パチパチと瞬きをしていると、目の前にあの青年が現れた。
「おお!来たか。」
田所は嬉しそうに笑う。
青年は小さく首を振って『もっと・・・』と呟いた。
「ん?」
『もっと早く会いたかったです。ほんなら違う未来があったんかなって。』
そう言い残し、青年は陽炎のように消え去った。
「おい!」
手を伸ばして駆け出すと、足元に何かが触れた。
それはコツンと音を立てて、コロコロと転がっていく。
そして大きな石にぶつかって、階段の方へと落ちていった。
「・・・・・・・・・・。」
田所は呆気に取られる。
眉間に皺が寄って、鼓動が速くなる。
ブルーシートを抜け出して、階段を駆け下りて、鳥居の向こうまで走った。
そこには先ほど蹴飛ばした物が転がっていた。
「・・・・・なんちゅうことや。」
それは髑髏だった。
あちこち土で汚れていて、何かに齧られたような跡がある。
目はぽっかり空洞で、悲しみを訴えるように、田所を見つめていた。
「・・・・・・・・・。」
恐怖はある。
しかし勇気を出し、その髑髏を手に取った。
《もっと早く会いたかったです。》
またあの青年の声が聴こえる。
《あなたに会ってれば、違う未来があったんかなって・・・・。》
「お前・・・・。」
《死ぬんやなかった・・・・・・。まだ生きてたかった。死んでから分かった・・・・・。》
髑髏の目から涙がこぼれる。
それっきり青年の声は聴こえなくなってしまった。
田所は唇を噛みしめ、怒りとも恐怖ともつかない目で髑髏を睨んだ。
「もう死んでたんか・・・・。」
ゴクリと喉を鳴らして、昨日のことを思い出す。
あの青年は幽霊だった。
それは別に驚かない。
美由希もあの少年も幽霊なのだから、今さら幽霊に会ったくらいで驚かない。
しかし・・・・、
「すまんな、もっと早く会うことが出来んで。」
あの青年は見ず知らずの他人。
しかしそれでも悲しみが湧いて、「すまん」と呟く。
「せめてきちんと弔ってやるからな。」
髑髏を抱えながら、山を下りていく。
そして車に乗り込んだ時、神社のある方から重々しい声が聴こえてきた。
『汚すな馬鹿垂れ。』
「・・・・・・・・・。」
それを聞いた瞬間、田所はゾッとした。
「そうか・・・・この青年と引き合わせたのは・・・・、」
神社は穢れを嫌う。
忌中に鳥居をくぐってはいけないのはその為だ。
この青年は神社で死んでいた。
それはあそこに祀られている祭神にとっては、穢れ以外の何物でもなかった。
だから自分を呼んで、これを掃除させようと・・・・、
そこまで考えて、頭を振った。
「掃除いうのは失礼やな。でも神さんの言うことは当たってるで。その歳で命を絶つのは馬鹿垂れのすることや。」
膝の上に髑髏を置き、ポンポンと頭を撫でる。
死んだ命は戻らない。
自ら命を絶ってしまった青年の後悔は、どうやっても取り戻すことは出来なかった。
田所は「馬鹿垂れ」と呟く。
生きていれば、何かが変わったかもしれないのにと。
山を越えた陽が、葬祭のように道を照らしていた。

            *

残暑を喜ぶセミの声を聴きながら、田所は警察署から出た。
今日の朝、山の中で人の骨を見つけた。
警察は遺体を回収し、田所は先ほどまで話を聞かれていた。
「幽霊に会ったんです」などと言えるわけもないので、お参りした時にたまたま見つけたと言った。
田所は警察署を振り返り、グッと唇を噛みしめた。
「まだ若いのに・・・・。」
あの青年は28だと言っていた。
人生を絶望するには若すぎるし、まだまだやり直しがきく年だ。
いったい彼に何があったのか?
どうして死を選ぶほど追い詰められていたのか?
知りたい気持ちはあるが、それと同時に知らない方がいいという思いもあった。
深く関わってしまえば、余計に気が滅入るだけ。
人生を上手く歩くコツは、無駄な荷物を背負わないこと。
38年生きてきて見つけた答えだ。
しかし人の好い田所は、それをこなすのが難しい。
だから自ら耳を塞ぐことで、余計な重荷を背負わないことにした。
車を駆り、仕事に向かう。
オヤジに事情を話すと、笑いながら煙を飛ばした。
「まさか幽霊とは思いませんでした。」
「何がおるか分からんのが夜の山や。あんまり首突っ込んでると、天狗にでもさらわれるかもしれんで。」
冗談交じりに忠告して、「ほな仕事や」と立ち上がった。
熱い陽射しに焼かれながら、野菜を収穫していく。
それと同時に、秋に採れる野菜の種を撒いていった。
軽トラを駆り、野菜の配送に走り、陽が傾く頃に、「お疲れ様でした」と職場を出た。
すると昨日と同じように、オヤジが「いっぱいやらへんか?」と声をかけてきた。
「昨日は行きそびれたさかいな。」
「いいですよ。俺もいっぱいやりたい気分なんですわ。」
「昨日の幽霊のことか?別に兄ちゃんが気に病むことやないやろ。」
「そうなんですけど、どうもね・・・・引っかかるというか。」
「何が?」
「あの子の骨を拾った後にね、神社から声が聴こえたんですよ。『汚すな馬鹿垂れ』って。
だから俺とあの子を引き合わせたのは、あの神社の神様ちゃうかと思って。」
「そうかもな。あれは安桜山神社の奥宮やから。」
「奥宮?」
「神社は二つに分かれてることがあんねん。
みんながお参りする社殿とは別に、山ん中に小さい社が建ってることがあるんや。」
「ほなあれも安桜山神社ってことですか?」
「そや。」
「ということは・・・あそこにも御神体が?」
「いや、御神体はいつもの神社の方や。奥宮にあるのはレプリカみたいなもんや。」
「でも祭神は一緒なんですよね?ほなあの声は喜衛門ちゅうことに・・・、」
「そやな。でもまあ・・・・深あ考えん方がええで。気が滅入るだけやろ?」
「そうですね。飲んで忘れます。」
二人は昨日行くはずだった居酒屋に向かう。
こぢんまりした店だが、雰囲気は悪くない。
本物の囲炉裏があって、それで鍋だの汁物だのを作ってくれる。
ちらほらと客がいて、酔ったオヤジが仲良く話しかけていた。
田所は一人胡坐をかいて、おちょこを呷る。
囲炉裏の火は神秘的で、いつまでも見ていられるほど心が落ち着いた。
《ここへ来てから、ようさん幽霊に出会ったなあ。みんな不幸な死に方をしてて、誰かに助けを求めてた。
俺はちょっとは役に立ったんかな?》
囲炉裏の火を見つめながら《こんなんいつまで続くんやろ?》と考える。
《この先も幽霊に出会って、悩み事を聞いてやらなアカンのかな。喜衛門の御神体を破壊するまでは。》
安桜山神社には鏡がある。
喜衛門の御神体だ。
それを破壊するには徳を積む必要がある。
下手に壊そうとすると、呪いがかかって死んでしまうのだ。
《今、どれくらい徳が溜まってるんやろう?近いうちにあの少年に尋ねてみるか。》
グイっとおちょこを呷り、「大将、お代わり」と徳利を振った。
それから二時間後、田所とオヤジは代行の車に揺られていた。
オヤジは職場で降りて、「ほなまた明日」と手を挙げる。
「オヤジさん、ここでええんですか?家まで送ってもろたら。」
「ちょっと仕事が残ってんねん。」
そう言って代行業者に「釣りはええから」と金を渡す。
「ほなお先に失礼させてもらいます。」
「おう!」
オヤジは事務所へ消えていく。
田所は家に向かっていったが、「ちょっと引き返して」と車を止めさせた。
「さっきオヤジさんを降ろした所まで戻ってくれ。」
そう言って、真っ暗な職場まで引き返した。
車を降り、じっと辺りを見渡す。
代行の車が去る音を聞きながら、「なんでや?」と首をひねった。
「事務所に明かりが点いてへん。」
オヤジは言っていた、まだ仕事があると。
田所は「まさかな・・・」と腕を組んだ。
「まさかとは思うが・・・・。」
オヤジに対して、前からある疑惑を抱いていた。
「どうも怪しいんやなあ。」
首を傾げ、口をへの字に曲げる。
テクテクと歩いて、事務所を覗き込んだ。
中には誰もおらず、ほんのりと月明かりが射しているだけ。
他の場所も見回ったが、人の気配はなかった。
その代わり、あるはずの物が消えていた。
「・・・・ないな。」
オヤジの車が消えている。
いったいどこへ向かったのか?
田所には心当たりがあった。
「あそこに行ってみるか。」
ポケットに手を突っ込み、暗い夜道を歩いていく。
月を見上げながら、いい酔い覚ましだと思った。
しばらく歩くと、へこんだガードレールが現れた。
昨日事故を起こした場所だ。
後ろには山がそびえていて、暗い木立に覆われている。
田所は山へ入る。
そして安桜山神社の奥宮までやってきた。
人が一人通れるくらいの、木造りの鳥居。
一礼してから潜って、階段を上がった。
ブルーシートの前には「立ち入り禁止」のテープが張ってある。
今朝にあの青年の骨が見つかったからだ。
警察はほぼ自殺で間違いないとしているが、いちおうの事件性も考えて、神社の中には入れないようにしてある。
田所はそのテープを乗り越えて、ブルーシートをめくった。
「・・・・・・・。」
中には誰もいない。
小さな社と、手に乗るほど可愛い狛犬がいるだけ。
しかし昨日とは違って、人の気配を感じた。
小さく息をつき、社の前に座る。
じっと見つめながら「おるんでしょ?」と尋ねた。
「オヤジさん、ここにおるんでしょ?」
そう尋ねて、返事を待つ。
するとズキズキとこめかみが痛んで、目眩がした。
今朝に青年の幽霊が現れた時と、まったく同じ感覚だった。
《来るな・・・・。》
頭痛と吐き気を我慢しながら、ゆっくりと顔を上げる。
『おう。』
社の前にオヤジが立っていた。
田所の前に座り、『バレたか』と笑う。
「ちょっと前から疑ってたんです。オヤジさんが喜衛門やないかと。」
『そやで、俺が喜衛門や。』
そう言ってニコリと笑った。
『あのな兄ちゃん、もう気づいてるかもしれへんけど・・・・、』
「ええ、オヤジさん、死んでたんですね。俺に刺されて。」
『そや。』
「胸におっぱい仕込んでて、それで助かったなんて・・・・そんなアホなわけがない。
でもあの時は信じてました。そういう事もあるんかなって。
せやけどこうも立て続けに起こる妙な出来事・・・・絶対になんかあると思ったんです。
俺の近くで、なんか得体のしれんモンが動いてるんやないかと。」
『神様に得体の知れんっちゅう言い方はないやろ。』
「でもアンタしか考えられへん。こうも奇妙な出来事ばっかり起こせるのは、神様か仏様くらいのもんや。
そんで俺の近くで考えたら、それが出来るのは喜衛門しか思いつかんかった。」
『でもよう俺がそうやと見抜いたな?』
「さっきも言うたけど、おっぱいのオモチャでナイフを防ぐなんて無理があるでしょ?
ほならね、もうオヤジさんは死んでるとしか考えられへんのですよ。
でも現にこうして生きてる。それは喜衛門の仕業やないかと。」
『それだけか?』
「いや、他にもあります。やたらと喜衛門に詳しいこと・・・それも疑ってました。
まるで自分のことのように語る時がありますよね?
人から伝え聞いたくらいでは、あそこまで詳しいは語れません。
それにね、俺に降りかかる奇妙な出来事を話しても、ちっとも驚く素振りを見せへん。
こんなんおかしいでしょ?」
『だから俺が喜衛門やと?』
「疑ってはいました。でも確信はなかったんです。せやけど昨日の出来事で納得しました。
オヤジさんがわざわざ居酒屋に行こういうて、そこでたまたま猪と事故に遭うた。
そこでたまたまあの幽霊の青年に出会って、骨を見つける羽目になった。
これね、どう考えても偶然やないですよ。きっとこの神社の祭神が、俺を呼び寄せたんです。
神社を汚す自殺者の骨、どうにかしてくれって意味で。」
そう言って小さな社を睨んだ。
「オヤジさんが飲みに行こうなんて言わへんかったら、ここを通ることもなかった。
しかも偶然猪が飛び出してくるなんて、ちょっと出来過ぎでしょ?」
田所は淡々と語る。
オヤジはタバコを取り出し、『吸うか?』と向けた。
「自分のあるんで。」
『なあ兄ちゃん。』
「はい。」
『もうここから出て行き。』
「・・・・・・・・・。」
『危ないから。』
オヤジは心配そうに言うが、田所は首を振る。
「多分そう言われるやろうと思ってました。」
『心配なんや、兄ちゃんのことが。』
「あんたは喜衛門やけど、でも本物とちゃうんでしょ?」
『なんでそう思う?』
「本物の喜衛門やったら、俺を心配するなんてせえへんはずやから。この町から出られたら困るでしょ?
でも喜衛門は喜衛門や。となると、奥宮に祀られてるもう一人の喜衛門やないかと思って。」
『そや。この奥宮で祀られてる分霊や。御神体もレプリカやしな。
本体の方は下の神社や。兄ちゃんを利用して、御神体を壊してもらおうと企んどる。』
「やっぱり。」
『でもな、兄ちゃんは喜衛門の一族には関係ない人間や。これ以上関わる道理はないんやで。』
「せやけど俺はオヤジさんを殺してしまいました。ほんまならムショに逆戻りです。」
『あれはあの子が押したからや。言うなれば事故やな。気にせんでええ。』
「でもあの少年を死なせたのは俺です。」
『あんな兄ちゃん、俺は心配なんや。本霊の俺のせいで、無関係な人間を巻き込みたあない。
せやけど俺には本霊を止めるほどの力はないんや。兄ちゃんを逃がしてやることくらいしか。』
「なんでそこまで俺を心配してくれるんです?あんたの言う通り、俺は無関係な人間やのに。」
そう尋ねると、オヤジは『三人目や』と答えた。
『兄ちゃんが三人目や、本霊の喜衛門に利用されたのは。』
「他にもおったんですか?」
『そや。でもみんな死んだ。俺はどいつにも忠告したんやで。ここから逃げろって。
でもな、カッコつけてとどまって、ほんで最後はあの世行きや。
兄ちゃんかて分かるやろ?神様だの幽霊だのに関わるのが、どれだけ危ないか。』
「身をもって実感してます。でもね、ここまで来て降りるのはどうかと思うんです。
それにあの少年はまた会いに来るやろし。」
『利用されてるんや、あの子も。』
オヤジは不満そうに首を振る。
『兄ちゃんをここに縛り付けるには、うってつけの人物やからな。
ほんまなら天国で楽に過ごしてるはずやのに・・・・。』
「ということは、御神体さえ破壊すれば、あの子はもう喜衛門に利用されんですむっちゅうことですね?」
『それか兄ちゃんがここから逃げるかや。そうしたらあの子も解放されるやろ。』
「・・・・・・・・。」
『兄ちゃんがここにおると、誰も得せえへんのや。本霊だけ除いてな。
だからもう関わるな。ここにおる限り、いつまで経っても黄泉のモンに追いかけられるで。』
オヤジは立ち上がり、『帰ろか』と言った。
『明日も仕事や。そんでそれが終わったら、兄ちゃんはこの町を出る。それで終いや。』
「でもこのまま降りるんは・・・・、」
田所は納得いかない。
ここから離れたい気持ちはあるが、それは自分の役目から逃げているような気がした。
「死んだモンは、自分の声を聴いてくれる人間を探しとるんです。
俺はあの青年を助けてやれへんかった。
そら俺なんかにはなんも出来へんかったやろけど、でもねえ・・・・心残りというか。
もしこの先ああいう奴が現れたら、どうにかしてやれんもんかと・・・・、」
『兄ちゃん。』
オヤジは鋭い目で言葉を遮る。
『人生ちゅうのは、余計な重荷は背負わんでええんや。その方が幸せになれるんや。もう忘れ。』
「・・・・・・・・。」
田所は決められない。オヤジの言うことは分かるが、心情的に納得できなかった。
「俺、もうちょっとこの町に・・・・、」
そう言いかけた時、またこめかみが痛んだ。
万力で絞められるようにズキズキして、吐き気を覚える。
目眩を感じ、その場にうずくまった。
「オヤジさん・・・・いや、喜衛門さん。もうちょっと時間を下さい。もうちょっとだけ・・・・、」
頭痛と吐き気の中で、必死に訴える。
そして痛みが治まった時、オヤジは消えていた。
「・・・・・・・・。」
気がつけば朝になっていた。
頭がボウっとして、「気絶してたんか?」と叩く。
目の前の社を睨み、「守って下さい」と言った。
「喜衛門の御神体、あれは残してたらアカンもんです。
あれがあったら、また誰かが俺とおんなじ役目を押し付けられる。
だから事が終わるまで、どうか護って下さい。」
鈴を鳴らし、パンパンと手を叩く。
神頼みは危険だと承知の上。
しかし誰かがやらないと終わらない役目があるなら、逃げたくなかった。
人生を上手く生きるコツは、余計な重荷を背負わないこと。
38年かけて知った答えを、あっさりと放棄した。
婚約者を事故で失い、その後に子供を事故で死なせた。
そして美由希まで失い、何人もの幽霊から助けを求められた。
自分は今、すでに大きな重荷を背負っている。
捨てれば楽になれるが、捨てたら後悔しそうだった。
大きな荷物を下ろすには、それなりの理由が必要。
田所は誓う。
必ず御神体を破壊すると。
祈りを終え、ブルーシートを出ると、朝陽が眩しい。
手をかざし、指の隙間を縫う光明に、じっと目を細める。
神に祈る心と共に、神を畏れぬ心が芽生え始めた。

不滅のシグナル 第十五話 降ろせない荷物(1)

  • 2017.04.25 Tuesday
  • 16:55

JUGEMテーマ:自作小説
年々夏は長くなる。
九月の中頃になっても、暑さは増すばかり。
セミは喜ぶが、人は体力を消耗し、外に出るのも憂鬱になる。
田所は掘り起こした野菜を集めながら、グイっと汗を拭った。
「熱中症になるな。」
頭に巻いたタオルは汗でジットリ。
持って来たお茶も飲み干して、同僚から分けてもらった。
熱中症の危機を心配しつつ、どうにか一日の仕事を乗り越えた。
タイムカードを切り、「お先に」と職場を後にする。
するとオヤジが追いかけてきて、「今日暇か?」と尋ねた。
「特になんもないですけど、飲みですか?」
「古いダチがな、居酒屋をオープンしたんや。一杯付き合わんか?」
そう言っておちょこを呷る真似をした。
「ええですよ。」
「ほな行こ。」
オヤジは軽トラを駆って、居酒屋に向かって行く。
田所は助手席でぼんやりと外を眺めた。
「帰りはどうするんです?」
「代行呼ぶがな。」
「ほな大丈夫ですね。」
軽トラは国道を北に走り、深い山の中へ入っていく。
「あの・・・街に行くんとちゃうんですか?」
「居酒屋に行くんやないか。」
「だから街にあるんかなと思って・・・・、」
「ちゃう、山奥や。」
「なんでそんな所に?」
「この山の向かいに、なんぼか集落があるんや。そこのモンは飲みに行きたい言うても、いちいち街まで出なあかん。
それやったらな、近くに作ったれいうことらしいわ。」
「ここら辺なんもないですもんね。」
「もうちょっと発展してもええと思うんやけど、若いモンが少ないさかいな。」
人がいなければ店は出てこない。
当たり前の理屈だが、田所は「もうちょっと進出してきてほしいですね」と唸った。
「なんもかんも街に持っていかれたら、それこそ限界集落ですよ。」
「ほんまにな。地方再生とかぬかしとるけど、俺らの所は地方ですらないんやで、政治家の頭ん中では。
アマゾンかどっかの秘境やと思ってんねんやろ。」
軽トラは山道を登っていく。
山道といっても、山の向こうへ抜ける大きな国道で、夜でもそこまで危なくない。
気をつけるべきことは、たまに飛び出してくる鹿や猪くらいだ。
そしてたまに飛び出してくる猪が、今飛び出してきた。
「うお!危なッ・・・・、」
オヤジは慌ててハンドルを切る。
しかし間に合わない。
猪を撥ねてしまい、そのままガードレールを擦って、プスンと停車した。
「大丈夫か兄ちゃん!」
「大丈夫です・・・・でも車が・・・・、」
二人は車を降りる。
そして「あちゃ〜」という顔をした。
フロントがべっこりへこんでいる。
窓の下が割れて、ワイパーはグニャグニャだった。
「えらいことですね、これ・・・・。」
「こらあかんわ、走られへんかも・・・・。」
オヤジはエンジンを掛ける。
しかしプスンと空回りするだけで、「あ〜あ・・・」と首を振った。
「えらいこっちゃで。山ん中で立ち往生や。」
「ここ携帯は?」
「通じるで。そやないと代行呼ばれへん。」
「ほな警察呼びましょ。」
田所はスマホを取り出し、110番しようとする。
しかしすぐにその手を止めた。
なんと撥ね飛ばされた猪が起き上がったのだ。
その大きさは小岩ほどもあって、立派な牙を備えていた。
「マジか・・・・なんちゅうタフさや。」
驚いていると、猪はフラフラと山の中へ帰っていった。
「よう生きてるな、あいつ。」
「野生のモンやからな。ビックリするくらい頑丈やで。前に近所に出た猪は、槍で首刺されても死なへんかったからな。」
「逞しいもんですね。」
感心しながら猪を見送る。
その時、木立の中にふと何かが見えた。
「人か?」
人間らしき影が、こちらを窺っている。
しかし田所と目が合った瞬間に、山の中へ逃げてしまった。
「おい兄ちゃん、早よ警察。」
オヤジは車をいじっている。
田所は110番して、猪を撥ねてしまったことを伝えた。
「はい、はい、誰も怪我してません。猪は逃げました。でも車がえらいへこんで・・・・。
ええ、はい。あ、お願いできますか?はい、それじゃ待ってますんで。」
電話を切り、オヤジを振り返る。
「ちょっと時間かかるらしいです。30分ほど待っててくれって。」
「えらい悠長やな。税金で飯食うてんねんから、さっさと来んかい。」
オヤジはどうにか車を動かせないか、あちこちいじってる。
「すんません、俺ちょっと行ってきますわ。」
「どこに?」
「山ん中に誰かおったんですわ。」
「ああ、どうせ浮浪者かなんかやろ。ここら辺はたまにおるねん。」
「山ん中に?」
「秋になったら食いモンが実るやろ?それに田舎やから水も綺麗やし。
あれは何年前やったかなあ・・・・長いことこの山に住んでた奴がおったんや。
勝手に畑とか作ったりしてな。狩りまでしてたみたいや。
見つかった時、ちょっとしたニュースになったんやで。」
「はああ・・・・色んな人がおるんですね。」
田所は本気で感心する。
そんなことを言われては、余計に気になって仕方ない。
「ちょっと行ってきますわ。」
「あんま関わらん方がええで。何してくるか分からん。」
オヤジの忠告を背中で聞きながら、暗い山の中に分け入る。
田舎の夜空は明るくて、今夜は月もよく出ている。
そのおかげで真っ暗ということはないが、楽に歩けるほど明るくもない。
慎重に足を進めて「誰かおんのか!」と叫んだ。
するとすぐ近くでガサガサと音がした。
田所は咄嗟に身構える。
近くの枝を拾って、音のする方に向けた。
「誰かおるんか?」
ツンツンと茂みをつつく。
その瞬間、仙人みたいにヒゲを生やした男が飛び出てきた。
「うおッ・・・・、」
思わず仰け反る田所に、男は奇声を上げた。
「ひゃあ!」
「なんやお前!浮浪者か?」
「どっか行け!」
男は石を投げつける。
田所は咄嗟にかわして、枝を投げ返した。
「危ないことするな!」
「帰れ!」
シッシと手を振って、鬼のような形相で睨んでくる。
田所も「なんじゃい」と睨み返した。
男はボロボロのポロシャツに、汚れまみれのスラックスを穿いていた。
ヒゲは仙人のように伸び放題で、髪は怒髪天。
誰がどう見ても浮浪者のようだった。
「お前・・・・ここに住んでんのか?」
少し柔らかい口調で尋ねると、男は逃げ出した。
「おい待て!」
男の足は速い。獣並みだ。
田所は息を切らしながら、必死に追いかけた。
やがて木立が開けた場所が出てきて、その奥に鳥居があった。
「こんな所に神社?」
木造りの小さな鳥居は、人が一人通れるほどの大きさ。
その奥には、ブルーシートのかぶさった建物があった。
・・・・夜の山の中の神社。
安桜山神社に通じる不気味さがあって、思わず引き返しそうになる。
「あんまええ雰囲気がせんなあ・・・・行かん方がええんやろうけど・・・、」
頭の中で警報が鳴り、引き返せ!と告げている。
しかし先ほどの男が気になって仕方ない。
恐怖よりも好奇心が勝って、気がつけば鳥居をくぐっていた。
奥には小さな階段があって、側面には木がそびえている。
一歩一歩慎重に進んで、階段の上までやってきた。
そこにはブルーシートに覆われた建物があって、田所は中を覗いた。
「やっぱり神社・・・・。」
シートの中にはとても小さな神社があった。
人の背丈より低い社、手に乗るほどの可愛い狛犬。
その後ろにはプレハブのような壁があって、その上にブルーシートが被さっている。
田所はじっと中を見渡す。
そして・・・・・、
「あんた何してんねん?」
先ほどの男が、社の向かいに座っていた。
膝を抱え、背中を丸め、体育の授業で話を聞く時のように、じっと前を睨んでいる。
「何しとんねん?」
田所はゆっくりと近づく。
男は虚ろな目で前を睨んでいた。
「ここに住んでるんか?」
「・・・・・・・・。」
「服もボロボロやないか。けっこう前からおるんか?」
「ちょっと・・・・、」
「何が?」
「行くとこないから。」
「ほなホームレスか?」
隣に膝をつき、「仕事、無くなったんか?」と尋ねる。
「・・・・・・・・。」
「いつからここにおる?」
「三ヶ月くらい。」
「歳は?」
「28。」
「めっちゃ若いやん!それでこんなことしてんのか?あかんでそんなん。」
「もうええから、ほっといて。」
「ほっとけへんやろ。こうやって見つけてもたんやから。」
「もうええねん。」
「何がやねん。お前が50とか60でリストラされたんやったら、こうしたい気持ちも分かるけどな。
まだまだ絶望する年頃ちゃうやろ?」
仙人みたいな風貌のせいで、もっと年上かと思っていた。
田所は「28なあ」と唸った。
「俺にとったら10年前か。そん時、もうちょっと希望を持ってたもんやけどなあ。」
しみじみ言いながら、「死ぬ気なんか?」と尋ねる。
すると男は首を振った。
「ずっとここにおる。」
「乞食と役者は三日やったらやめられへんいうからな。気持ちは分かるで。
でも人生棒に振る歳とちゃうやろ?それとも悟りでも目指してんのか?」
「もうなんもしたあない。死ぬまでここにおる。」
男は俯く。何も見たくないという風に。
しかし田所は、この青年が本気で絶望しているとは思えなかった。
《ここは神社や。絶望した奴が来る場所やない。》
人は追い詰められた時、目に見えない何かに頼ろうとする。
こうして神社に身を置くということは、彼もまた神頼みをしようとしている証拠。
そう思って「なあ?」と肩を叩いた。
「こんな所におったって、なんもないで。なんちゅうかな・・・・神さんちゅうのは、けっこう淡泊なもんや。」
「もうほっといて。」
「いやいや、ほっとけへんやろ。お前が死にかけのジジイやバアアやったらほっとくかもしれへんけどな。
・・・・いや、冗談やけど。」
男はクスリとも笑わない。
いったいこの青年に何があったのか?
田所は眉を寄せた。
《28いうたら、まだまだ悩みやすい年やわな。》
大学を出ていたとしたら、社会に出てたったの六年。まだまだ子供である。
ポンと背中を叩き、「話してみ」と言った。
「俺が聞いたるから。」
「ええ。」
「そんなん言わんと。これでもお前よりは10年長く生きてんねん。なんか言えるかもしれへんで。」
「・・・・・・・・・。」
「こうして出会ったのも何かの縁や。別に俺に話したからって、恥ずかしがることもないやろ。」
丁寧に諭しながら、青年が心を開くのを待つ。
するとしばらくしてから、青年は立ち上がった。
神社の鈴を鳴らし、パンパンと手を叩いたのだ。
頭を下げて、何かをお願いしている。
《やっぱり神頼みか。》
青年の背中は助けを求めている。
しかし悲しいかな、神様は淡泊である。
仮に手を差し伸べてくれたとしても、そこには大きなリスクが伴う。
「やめとき。」
青年の肩を叩き、「痛い目に遭うで」と忠告した。
「人知を超えたもんに頼るいうことはな、それ相応の危険があるんや。
上手くいったらええけど、下手こいたら死ぬかもしれへんで?」
「なんもお願いなんかしてへん。」
「ほななんで拝んでんねや。」
「お邪魔させてもらってるから。」
「は?」
「ここ神社や。でもシートがあるから雨風が凌げる。だからここにおるんや。
でも賽銭もないから、せめてお祈りだけしとこうと思って。」
「お礼を言うてるわけか?」
「うん。」
「そうか・・・・それやったら別にええけど。」
田所は思った。
なんと律儀な青年だと。
そしてそれと同時に不安も覚えた。
あまりに真面目で優しすぎると、かえって生きづらくなる。
死後も呪われていた美由希のように。
「あのなアンタ、もうちょっと嫌な奴になってもええんやで。素直過ぎたらしんどいやろ?」
「・・・・・・・・。」
「俺と一緒に山を下りようや。ほんでな、俺が仕事を紹介したる。肉体的にはちょっとキツいけど、慣れたらどうってことあらへん。
こうな、身体を動かす仕事や。気持ちええで。」
そう言って鍬を振る真似をした。
「なんもしたあない。」
「そんなこと言わんと。」
青年は顔を上げない。
田所は《どうしたもんか》と頭を掻いた。
《なあ神さん。ちょっと手え貸したってくれへんか?
そない大したことやのうてええねん。ほんのちょっとでええから。》
気がつけば自分も神頼みをしていて、《人のこと言えんな》と苦笑いした。
青年の隣に座ったまま、時が過ぎるのを待つ。
すると「お〜い!」とオヤジの声が響いた。
「どこや!?もう警察来たど!」
「はい!すぐ行きます!」
田所は立ち上がり、オヤジの方へ走っていく。
「また戻って来るからな、ちょっとここにおれよ。」
警察がいるなら、この青年を保護してもらおうと思った。
階段を駆け下り、鳥居を抜け、ブルーシートを振り返る。
「まだまだ絶望するには早いで。」
何があったのか知らないが、人を殺したわけでもあるまい。
あの青年に必要なのは、一刻も早くこの山から連れ出すことだった。
「待っとれよ!迎えに来るから!」
そう言い残し、オヤジと山を下りていく。
そして警察に事情を話した。
「けっこうヤバイ感じです。ほっといたら自殺するかも。」
話を聞いた警官は、田所と一緒に神社へ向かった。
しかしそこには誰もいなかった。
「逃げたか?」
辺りを見渡し、小さく舌打ちをする。
警官もライトを照らしたが、どこにもいなかった。
田所は社の前に立ち、《伝えてくれんか?》と言った。
《またここへ戻ってきたら、ここにおるように伝えてくれ。それがお前にとっての助けになるって。》
賽銭を入れ、パンパンと手を鳴らす。
山を下りる頃、レッカー車が到着して、壊れた軽トラを運んでいった。
田所とオヤジもパトカーに乗り込み、山から遠ざかる。
《何があったんか知らんけど、死んだりするなよ。》
不安を抱えたまま、ルームミラーに映る山を見つめていた。

不滅のシグナル 第十四話 人間らしくしろ!(2)

  • 2017.04.24 Monday
  • 17:25

JUGEMテーマ:自作小説

陽が沈む頃、田所は安桜山神社に向かった。
隣にあの女はいない。
一人でここへ来た。
小屋の椅子に座り、美由希が現れるのを待つ。
遠い空に残った光が消える頃、どこからともなく美由希が現れた。
田所は手を挙げて、「おう」と迎えた。
美由希は隣に座り、『どう?』と尋ねる。
『自殺したい人は見つかった?』
「見つかったで。」
『どこに?』
美由希は辺りを見渡す。
田所は「警察や」と答えた。
「鉈で人を怪我させたからな。警察に自首させた。」
『どういうこと?』
不思議そうに首をひねる美由希に、事の経緯を話した。
「・・・ちゅうわけや。」
『自分が死にたいから人を殺すなんて・・・・、』
「いや、あの女は死ぬ気はなかったみたいや。最後の晩餐として寿司を食わせてやったんやが、嬉しそうに食うのよ。
ほんでな、ほんまに死ぬ気があるんか、もういっぺん問いただした。」
『なんて答えたん?』
「死ぬって答えたけど、本気には思えんかった。あれは死ぬつもりの人間の目やないで。
まだまだ希望を抱いとる。この先何か転機があるんちゃうかと。
お気楽な希望やけど、でも生きようとするモンを殺すわけにはいかん。
だから警察に連れてった。悪いことしてたさかいな。」
『ほな・・・・・、』
「また探す。もうちょっと待っといてくれや。」
ニコリと笑い、ポンと肩を叩く。
美由希は夫に締め上げられて、苦しそうに歯を食いしばった。
「大丈夫か?」
『大丈夫じゃないな・・・・。でもこれでよかったんかもしれん。』
美由希はどこかホッとしていた。
辛そうにしているが、安堵の息をつく。
『私の為に無関係な人を殺すなんて・・・・そんなん出来へん。』
そう言って肉塊と化した夫を撫でた。
『これは私の罪なんや。それを人様に擦り付けるなんて、やったらアカンことや。』
「お前ならそう言うと思ってた。でもな、神頼みをした以上、約束は果たさなアカン。
そうやないと、あの子が何をしてくるか分からんからな。」
『ううん、約束は私が守る。どうにかこの人を引き剥がして、あの子の親になったるわ。
だから・・・・もう忘れて。迷惑かけてごめん。』
美由希は頭を下げる。
そして薄く消え去ろうとした。
「待て待て!いきなり帰るな。」
美由希の手を掴み、隣に座らせる。
「俺も力になる。気い遣うな。」
『でもあんたかて参ってるやん。あんた生きてるんやから、これ以上私に付き合うことはないよ。』
「でもお前から頼んできたんやんか。どうにか・・・どうにか出来んか、俺も一緒に考えるから。」
美由希の手を握り、落ち着かせるように撫でた。
二人は黙ったまま座り込む。
夜に包まれる神社はとても静かで、時間が流れているのかいないのか分からない。
本殿を灯す蛍光灯は、黄泉へ誘う光のよう。
時々飛んでくる羽虫は、死者の魂のように思えた。
何も語らないまま、時が止まった中、二人の時間だけが過ぎていく。
田所は思う。
隣には美由希がいて、見ることも触れることも出来る。
肉塊と化した夫に苦しめられていることを除けば、生きている時と変わりがなかった。
もし・・・もしこのままずっとここにいたら、自分はどうなるのか?
美由希と離れることはないし、自殺者志願者を探す必要もない。
「なあ美由希。死ぬってなんなんやろな。」
唐突な質問に、美由希は首を傾げた。
「死んだら会えなくなる。だから死別は悲しい。でも俺とお前はこうして話してる。
ほな死ぬってなんなんやろな?死ぬっちゅうのは、そんなに悲しむことなんかな?」
『あんたがそんな事を言うなんて珍しいな?どうしたん?』
「このままここにおれば、何もする必要はないんちゃうかと思ってな。
お前と一緒にいられるし、自殺したい人間を探す必要もない。
死んだらお別れっちゅうのは、嘘やったんや。何も悲しむことなんかないねん。」
田所は肉塊の夫に触れる。
冷たく、そして硬い。
ウネウネと動くその姿は、狂乱するミミズのよう。
以前は吐き気さえ覚えたのに、今ではこうして触ることが出来る。
「不思議なもんや。気味悪いと思ってたのに、今はなんにも感じへん。
・・・・人間ちゅうのは、なんでも思い込む生き物なんやなあ。」
『思い込む?』
「気持ち悪いとか、死んだら会えへんとか。未知のモンに対して、勝手に想像して、勝手に思い込む。
見た目が気持ち悪くても、気持ち悪いとは限らん。身内が死んだからって、自分が死んだわけと違う。
それやのに、あれやこれやと考えて、知りもせんことを信じこんで、なんでも怖がってしまう。
そう思うとな、ここでずっとお前と一緒におるっていうのも、悪くないよなって思って。
そらお前は苦しむやろ。夫に苦しめられて、天国に行かれへん。
でも俺は・・・・・、」
言い終える前に、美由希は『もうええ』と首を振った。
『もうええねん。もう私のことは気にせんといて。忘れてくれてええから。
あんたは生きてるんや。死んだ人間に縛られたらアカン。』
美由希は立ち上がり、『さよならや』と笑った。
『死んだあとままでワガママ聞いてくれてありがとう。』
「美由希、俺の身体を・・・・、」
『それが嫌やからもう会わへん。あんたを乗っ取ってまで、天国に行きたいとは思わへんから。』
美由希はニコリと頷く。
そして『さようなら』と言い残して、どこかへ消え去った。
「美由希!」
田所は神社を捜し回る。
しかし彼女はどこにもいなかった。
朝になるまで待ったが、二度と現れることはなかった。
「なんでや・・・・俺の身体を使ったらええやんか。俺が自殺したる!ほんならお前は天国に行けるんやど。」
美由希は嘘はつかない。
『さようなら』ということは、その言葉通りになる。
田所は不満だった。そして悔しかった。
美由希はこの先もずっと苦しむことになる。
一人であの夫を解放出来るものか。
そう思うと、胸に蓋をされたように苦しかった。
朝陽を見上げ、照らされる神社を振り返る。
すると本殿の前にあの少年が立っていた。
「・・・珍しいな、朝に出てくるなんて。」
少年はピョンと階段を飛び降りる。
田所に駆け寄り、『はい』と何かを渡した。
それは『歯』だった。
「なんやそれ?」
『お母さんの。』
「お母さん?誰の?」
『俺の。』
「は?」
『だからおばちゃんやん。』
少年は田所にその歯を握らせる。
『おばちゃんが事故に遭った場所のな、溝の中に落ちてたんや。おっちゃんにあげる。』
「なんで?」
『お礼やで。』
「お礼って・・・・なんでや?」
『おばちゃんは俺と一緒に天国に行くから。』
「なんやて?だってあいつは呪われたままやぞ?」
『呪われたまま天国に行くねん。』
「・・・・どういうことや?」
『良い人は天国に行ける。呪われてるとかどうとか関係ないんやで。』
「いや、待て待て。だって美由希は死んだ夫に縛られてるんやぞ?ほなどうやって天国に行くねん。」
『何が?』
「は?」
『縛られたまま行けばええやん。』
「・・・・・それで行けるんか?」
『あのおばちゃんが天国に行けへんかったんはな、行けへんで思い込んでただけやねん。
自分は悪い奴で、だから死んだ後でも呪われてる。そんな奴は天国に行けへんって。
でも別にそんな決まりはないねん。行きたいんやったらいつでも行けるから。
あ、ちなみにあのミミズみたいなおっちゃんもな。』
「アイツも!?」
『だって生きてる時に悪い事したことないし。』
「でも死んだ後に美由希を呪ってたやないか!」
『死んだ後のことやんか。関係ないで。』
少年は踵を返し、本殿の前に戻る。
そしてニコっとピースをした。
「・・・・お前、またイタズラか?」
『何が?』
「だって知ってたんやろ?美由希は天国に行けるってことを。」
『うん。』
「ほななんで教えへんかった?また俺を困らせるためのイタズラなんやろ!」
『違うで。あのおばちゃんに気づいてもらう為。ほんまの自分の気持ちに。』
「どういうことや?」
『あのおばちゃん良い人過ぎて、なんでもかんでも自分を責めるねん。
でもそんなんやったら、いつまでも天国に行けへん。
だからな、自分の気持ちに気づかなあかんかったんや。
死んだ人のことで悩んでたら、いつまで経っても天国に行かれへん。
そうれやたったらもう、こんな人捨ててもええから楽になりたいって。』
「・・・ああ、ああ。そういうことか。言いたいこと分かった。」
田所は強く頷いた。
「あいつは俺を頼ればどうにかなると思ってた。でもそれは無理やったし、これ以上俺に頼んだら迷惑かけてまう。
でもだからって自分一人ではどうしようもない。カッコつけて俺の前から去ったものの、途方に暮れたはずや。
そこできっとこう思ったんやろ?もうこんな夫なんてどうでもええと。私だけでも天国に行かせてくれと。」
『うん。』
「お前の言う通り、あいつは人が好過ぎる。でもそれが仇になって、本心を気づかへんかったわけや。
死後も呪われるいわれなんかない。私は天国に行きたいんやって。」
『そやで。だから今は天国やねん。そんで俺のお母さん。』
そう言って『ほな!』と手を振った。
「おい待て!お前・・・・なんやねん!なんでいっつも俺を試すようなことばっかりするんや!?」
『だって今度だって救われた人がおるやん。』
「はあ?」
『おっちゃんのおかげで、二人も人が助かったんやで。
あの女子プロのおばちゃんと、あの人に殺されそうになってた女の人と。
これでまた徳が積めた、よかったな。』
「それが目的か!俺に徳を積ませて、御神体を破壊させる為に!」
『そやで。また来るから待っててな。』
少年は手を振りながら消える。
そしてこう言い残した。
『その歯はあげるわ。おばちゃんの形見やと思って大事にし。』
「おいふざけんなお前!ええか!次からな、ちゃんと言え!人を騙すような真似じゃなくて、ちゃんと目的を言え!
そうやないと、俺はもう手伝わんぞ!」
少年が立っていた場所に吠えるが、もう返事はなかった。
「クソ・・・・またからかわれただけかい・・・・。」
美由希の歯を見つめ、「お前は救われたんか?」と尋ねる。
「天国に行ったかて、呪われてることは変わらんのやろ?それでほんまにええんか?救われたんか?」
天国に行ったことがない田所は、美由希が幸せになれるのかどうか分からない。
しかし現世で苦しむよりかは、いくらかマシだろうとは思った。
「なんも力になってやれんで悪かったな。」
歯を握りしめ、本殿を見上げる。
照りつける陽が、神社の影を長くしていた。

            *

翌日、田所は警察署にいた。
あの女子プロの件で呼び出されたのだ。
女はかなり反省していて、自分の行いを悔いている。
それが本当かどうか裏付ける為に、事情を聴かれていた。
「あの人は本気で死ぬ気はなかったと思いますよ。ただ本気で人を殺す気がなかったかどうかは・・・・分かりません。」
田所は曖昧な答え方しか出来なかった。
殺す気がないのなら、鉈で切り付けたりしないだろう。
しかしあの女に人を殺す度胸があるとは思えない。
一時間ほど話を聞かれてから解放された。
「これからどうなるんやろなあ?」
警察署を見上げ、あの女のことを考える。
人生に絶望した様子ではあったが、それと同時に希望も抱いていた。
この先何か良いことが起こるのではないか?
転機が訪れて、幸運がやってくるのではないか?
子供じみた希望ではあるが、そう感じさせる目をしていた。
どんなに薄っぺらい希望であれ、前を見るなら死ぬ気にはなれるはずがない。
「きっと鬱憤を晴らしたかったんやろなあ。」
どうでもいい事のように呟きながら、車に乗り込む。
「もしあの女を乗っ取ってたら、美由希はどうなったんやろう?」
美由希は言っていた。
人を乗っ取ってまで天国に行きたくないと。
しかし本心では天国へ行くことを望んでいた。
いよいよともなれば、殺人すらいとわずに、目的を果たしたのではないか?
・・・・そう考えながら、警察署から遠ざかる。
「誰だって楽に歩きたいし、幸せになりたいもんや。
どんなにカッコつけたって、追い詰められたら本音が出るわな。」
美由希は天国へ行った。
田所にとってはそれで充分で、あの女子プロのことはどうでもよかった。
しかし気になることが一つ・・・・、
「俺、あの時本気やったな。ずっとあの神社におって、美由希の傍におりたいと。
あれは本心やった。それやったら、俺も追い詰められたらそうしたってことか?
自殺でもして、あの神社に居ついてしまおうと・・・・、」
嫌な考えがもたげで、慌てて追い払った。
「もう終わったことや。美由希は天国で、後のことは・・・・神様に任せよう。」
気分を変えようとラジオを入れる。
名前も知らないミュージシャンの曲を聞き流し、明日の天気に耳を傾ける。
そして今日のニュースが流れて、思わず顔をしかめた。
《今日の午前11時半ごろ、大阪府○○市の路上で、人が倒れているとの通報がありました。
警察が駆け付けた所、路上に倒れていた女性はすでに死亡していました。
腹と首を刺された痕があり、怪我が元の失血死と見られています。
現場から大柄な男が逃走したという目撃情報があり、警察は殺人事件も視野に入れて捜査を・・・・、》
ニュースは終わり、別のニュースに切り替わる。
田所は思った。
その男もまた、あの女と同じように、人を殺して死刑になりたかったのだろうかと。
もしそうだとすれば、一人で死ねばいいと思った。
死にたいという本心に気づいているのなら、余計なことなどせずに自殺しろと。
「なかなか自分の気持ちには気づかへんもんや。他人から見たら一目瞭然やのにな。」
誰だって自分に正直でありたい。
それが人間らしく生きる道だとしたら、いったいどれだけの人間が道を違えていることか。
青臭い哲学に満たされながら、美由希がいるであろう空を見上げた。

不滅のシグナル 第十三話 人間らしくしろ!(1)

  • 2017.04.23 Sunday
  • 17:14

JUGEMテーマ:自作小説
死者が死者を呪う。
そんなことがあるのだなと考えながら、田所は食器を洗っていた。
今日の夕方、安桜山神社で美由希と会った。
死者となった彼女は、今でも呪われていた。
事故で死なせてしまった夫の霊に。
これを解決するには、美由希も夫と同じような目に遭わないといけない。
そしてその為には、自殺したがる人間を乗っ取って、凄惨な死に方をしなければならない。
「気が滅入るな。」
ボソっと呟き、洗った食器を並べる。
テレビを点け、一人晩酌をしながら、「これある意味殺人やんな」と眉を寄せた。
「いくら自殺したい人間やからって、それを乗っ取って死なせるなんて・・・立派な人殺しやで。」
辛い日本酒を舐めながら、小さく首を振る。
「そら法律では裁かれへんやろけどなあ・・・・後味悪いでこれは。」
美由希は助けたい。
しかしその方法はあまりにも酷すぎる。
オヤジに相談しようか迷ったが、「やめとけ」と言われるのがオチなので、「言わんとこ」と頷いた。
「どうしよ・・・・どないしたら・・・・。」
何も決められないまま、朝を迎えた。
・・・・・次の日、田所は仕事に行く前に、安桜山神社に向かった。
昨日美由希が立っていた場所、そこを見つめながら、「どう思う?」と呟く。
「お前は人を殺してまで、天国に行きたいか?・・・・そんな奴とちゃうよな?」
そんな事をして喜ぶ奴じゃない。
そう思って、「やっぱりやめとこ」と頷いた。
頷いたが、「あかん・・・」と首を振った。
「もう神頼みはしてもたんや。ここでやめることはできへんか。」
昨日、あの少年と約束してしまった。
美由希を助ける方法を教えてもらう代わりに、おっぱいを飲ませると。
しかしおっぱいは昨日すでに飲んだ。
なぜなら美由希が救われる頃には、彼女は夫と同じような肉塊に変わっているからだ。
そうなる前に、嬉しそうな顔で吸っていた。
「あのエロガキめ・・・・。」
ちょっとイラっとしながら、「しゃあないか」と諦める。
「一人だけで天国に行ってもたんや。甘えたくもなるわな。だけど問題は・・・・、」
少年の求める見返りは、おっぱいではない。
美由希に親になってもらうことだ。
天国には親と一緒にいる子供が多く、少年は寂しがっていた。
だから今さらやめるなんて言ったら、少年はまたしても呪いを掛けてくるだろう。
「やらなアカンわけか、人殺し。」
出所し、ここで一年リハビリをし、ようやく元気が出てきたのに、また呪われてはたまったものではない。
生きている人間は前に進まないといけないのだから、これ以上幽霊に付きまとわれたくなかった。
「・・・・やるか。自殺したがってる人間ならまあ・・・・望みを叶えるってことにもなるもんな。」
田所は決めた。
あの少年の言う通りにしようと。
問題は誰をターゲットにするかだ。
「子供は無しやな。若者も無しや。いくら自殺願望があるからって、未来あるモンを殺すわけにはいかん。
となると・・・・スーツで公園のブランコに乗ってるおっちゃんか?
それとも独居老人とか、結婚できずに絶望してるおばちゃんとか・・・・。」
腕を組み、誰にしようか考える。
「まあええわ。明日街へ行ってみよ。ええ感じに絶望してる奴がおるかもしれん。」
その日は黙々と仕事をこなし、残業することなく切り上げた。
そして翌日の休み、街へと繰り出した。
美由希とデートしたあの街だ。
田所は大きな通りを歩く。
そこから商店街へ行き、デパートに入り、コンビニ入り、人が多い場所をくまなく廻った。
しかしいい感じに絶望している人間はいなかった。
「まあ当たり前か。絶望してる人間が、土曜日の繁華街に来るはずないよな。」
駅前のベンチに座り、行き交う人を眺める。
「・・・そうか、人が少ない場所の方がええんやな。」
死にたいと思うような人間なら、楽しい場所にいるはずがない。
田所は後ろを見上げ、遠くに続く高架線を睨んだ。
「向こうの方・・・人気がなさそうやな。」
立ち上がり、「どうか自殺志願者がいますように」と願う。
我ながらなんて願いをしているのかと思ったが、全ては美由希の為。
罪の意識はあるが、先まで伸びる高架の下を歩いて行った。
するとその時、駅前から悲鳴が響いた。
「ああッ!」
短い女の悲鳴だった。
「なんや?」
振り向くと、大柄な男がいた。
夏だというのにジャンバーを羽織っている。
髪はボサボサで、遠くからでも臭いそうなほど、みすぼらしい格好をしていた。
田所はその男を見て固まる。
「あれは鉈か?」
男は大きな鉈を握っていた。
それを振り上げ、目の前にいる女を切りつける。
「あッ・・・・、」
田所は手を伸ばして固まる。
女は悲鳴を上げる間もなく、その場に倒れた。
咄嗟にバッグで庇ったおかげで、大きな怪我は負っていない。
しかし恐怖にすくんで、腰が抜けていた。
男はまた鉈を振り上げる。
女はバッグを握り締め、頭を覆った。
周りにいる者は誰も動かない。いや、動けない。
漫画や映画のように、刃物を持った者に向かえる人間など、そうそういないのだ。
それは田所も一緒で、足が震えた。
《あかん、このままやったら死ぬ。》
どうにかしなければと思い、男に向かって「死にたいか!」と叫んだ。
男はピタリと固まる。そしてこちらを振り返った。
《なんで今叫んだんやろ・・・・。》
自分でも分からないうちに声が出ていた。
こうなれば自棄だと思い、「お前アレやろ!」と怒鳴りながら、少しだけ近づいた。
「どうぜアレやろ!死刑になりたかったとかいう奴やろ!人殺して死にたかったとかいうんやろ!」
震える声を誤魔化す為に、必要以上に声が出る。
「死にたいんやったら俺が殺したろか?今な、自殺したい人間を探してんねん!俺が手伝ったるど!」
いきなりわけの分からないことを叫んだせいで、周りの誰もが田所を見る。
「こっち来い!自殺手伝ったるから!別に死刑やなくてもええやろ!死んだら一緒や!俺が殺したるから!」
そう言ってキュっと首を締める振りをした。
男は動かない。じっと田所を睨む。
その隙に、勇気ある通行人が女を助けた。
男はそれを振り返るが、田所が気になって仕方ない。
またこっちを睨んで、鉈を握ったまま近づいてきた。
そして・・・・、
「ああッ!」
「え?」
「あああッ!」
「この声・・・さっきの悲鳴?」
男はどんどん近づいてくる。
そして近づくにつれて、ある事に気づいた。
「胸が・・・・。」
男は豊満な胸をしていた。歩くたびに揺れている。
「ちょっと待て!お前女か!?」
「ああッ!」
「怖ッ・・・・、」
鬼の形相で迫る女。
田所は「こっち来い!」と走り出した。
女は奇声を上げて追いかける。
二人は全速力で、高架下を駆け抜けた。
そしてある程度走ると、人気のない荒地が出てきた。
周りはフェンスで囲ってあり、中にはボロボロのタイヤが転がっている。
田所はフェンスをよじ登り、中に逃げ込む。
女もフェンスに飛びつき、よじよじと登った。
しかし大柄なその身体は、体重を支えるので精一杯。
どうにか登りきったものの、降りるのに難儀していた。
「助けて!」
「は?」
「足が届かへん!」
「・・・・アホかこいつ。」
呆れる田所だったが、これはチャンスだと近づいた。
「それ寄越せ。」
鉈に向かって手を差し出す。
すると女はブンブンと振り回した。
「うお!危なッ・・・・、」
「どけ!」
「助けて言うたやん・・・・。」
女はバタバタと短い足を振って、ピョンと飛び降りた。
しかし着地を失敗して、だるまのように転んでしまう。
田所はその隙に鉈を掴む。
「これ離せ!」
「ああッ!」
「なんちゅう腕力してんねん・・・。」
大の男が両手で引っ張っても、女は鉈を手放さなかった。
「寄越せ言うてるやろ!」
腕を踏みつけて、強引に奪う。
女は「ああッ!」と叫んで、頭を抱えた。
「ああッ!ああッ!」
「なんやコイツ・・・・心を病んでるんか?」
奇声を喚く女。
丸まったその姿は、小さな岩のようであった。
《ゴツイ身体しとんな・・・・女とは思えんで。》
田所は遠くの茂みに鉈を捨てる。
そしてポンと女の背中を叩いた。
「どうした?」
「殺せ!」
「やっぱり自殺したいんか?」
「はよ殺せ!」
「約束は約束やから守ったる。でもここじゃ無理や。ちょっととある神社まで付き合ってもらうで。」
「ああッ!」
小さな岩と化した女は、その場から動かない。
やがてパトカーの音が響いて、「おい逃げるぞ!」と手を引っ張った。
「捕まったらムショ行くだけや!死なれへんぞ!」
「死刑でええ!」
「だから俺がそうしたるがな。ちょっと付き合え。」
必死に女を立たせて、またフェンスをよじ登る。
そしてグルっと遠回りして、コインパーキングに向かった。
「乗れ。」
女を押し込み、車を出す。
「今から神社に行くからな。でもまだ陽が高いか・・・・ちょっとどっかで時間潰そ。
その間になんで死にたいんか教えてくれや。」
女は助手席でも小岩になる。
そして小さく震えていた。
「なんか事情があるんやろ?よかったら聞かせてくれ。」
「ああッ!」
「辛いのは分かったから。人間らしく喋ってくれ。」
ポンポンと背中を撫でながら、自殺志願者を運んでいった。


            *

「狭い家やけど楽にしてくれや。」
女の前に座布団を置き、冷えた麦茶を差し出す。
「すいません・・・・。」
家に着いた途端、女は大人しくなった。
さっきまでの錯乱が嘘のように、全身から申し訳ないという気持ちが滲んでいた。
田所は向かいに座って、「で、なんで死にたいの?」と尋ねた。
「人を傷つけてまで死のうとしたんや。それ相応のわけがあるんやろ?」
「はい・・・・。」
「どんなん?」
「一昨年までプロレスラーやったんです。」
「それでええ身体しとるんか。力も強かったし。」
「でも才能ないからって言われて引退して、それからロクに仕事も見つからんと・・・・。」
「歳はいくつ?」
「45です。」
「え?」
田所は固まる。
「ほな43までプロレスラーやったん?」
「はい・・・・。」
「ようそこまで続けたな。すごいやんか。」
「全然無名なんて。試合もここ10年出てなかったし、道場行くたびにみんなに嫌な顔されてました。
それである日会長から、もう来ないでほしいって言われたんです。」
「クビかいな。」
「同期はとうに辞めてて、私だけ残ってました。昔からプロレスが好きで、OL辞めて始めたんです。
最初の方はちょっと期待されてて、深夜やけどテレビで放送されたこともあります。」
「すごいやん!」
「でも最初だけで、後は全然ダメで・・・・。でも好きで始めた道やから、辞めたらアカンと思って。
でもそうこうしてるうちに、友達は結婚とか子供ができたとか、どんどん離れていって。
そうなると余計に辞められへんようになって・・・・。」
「まあ意地やわな。今さら引けへんようになったわけや?」
「だって悔しいじゃないですか。負けたと思われたくなかったから・・・・。
でもクビ言い渡されて、新しい仕事も見つからんで、生活保護で暮らしてたんです。
でもだんだん虚しくなってきて・・・・・。」
「それで人を殺して自分も死のうとしたんか?」
「最初は自殺するつもりでした。でも街で幸せそうにしてる人見るたびに、なんで私だけこんな不幸なんやろうって思って。」
「完全な逆恨みやん。」
「そんなん分かってます!でも本気で殺す気はなかったんです!」
「嘘つけ。鉈持ってたやないか。」
「脅すだけのつもりやったんです!」
「ほななんであの女の人を叩いたんや。下手したら死んでたで。」
「それは勢いっていうか・・・・、」
「死んだら殺人やったな。ほんまに死刑になるかもしれんとこやったで。」
「・・・・どうせもう死ぬつもりやからいいです。」
「ほな一人で死ねや。」
「・・・・・・・・。」
「人を巻き込むな。」
女は小さい声で「うるさい・・・」と呟く。
「なんやて?」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・・・まあええわ。」
この女を諭す為に連れてきたのではない。
美由希を助ける為に連れてきたのだ。
田所は気持ちを切り替え、「夕方まで待っといてくれ」と言った。
「お前の望みを叶えたるから。」
「あんたが殺してくれるんですか?」
「ええっと・・・ある意味そうやな。」
「ほなお願いします。もう生きててもしゃあないんで。」
「日本にも安楽死制度があったらよかったな。」
「ほんまに。」
女は強く頷く。
田所は小さく舌打ちをした。
《お前の為に言うたんちゃうわ。》
死にたいなら一人で死ねばいい。
誰かを殺して死ぬつもりなら、安楽死してもらった方が世の為だと思ったのだ。
《でもまあ・・・これで迷いは無くなったな。
ただの自殺志願者やったら心が痛むけど、人を殺すつもりの奴やからな。
死ぬのが望みなんやったら、そうしたろやないか。》
今日は最後の晩餐。
田所はちょっと奮発して、寿司を取ってやった。
「最後の飯や。たんと食え。」
「すんません!」
笑顔で寿司をがっつく女。
それを見た田所は《ほんまに死ぬ気なんかな?》と迷い始めた。
「あんた名前は?」
「久豆木敬子です。リングネームはファルコン久豆木でした。」
「大層な名前やな。」
「若い頃は身が軽かったんです。だからファルコンで。」
「・・・・今はアホウドリやな・・・・。」
「なんか言いました?」
「別に、もっと食え。」
「頂きます。」
女はガツガツと寿司を食う。
田所はタバコに火を点けて、《こいつ絶対に死ぬ気ないやん》と思った。
《このまま警察に突き出したろか。》
顔をしかめながら、女の食いっぷりを眺めていた。

不滅のシグナル 第十二話 恨みは忘れた頃に(2)

  • 2017.04.22 Saturday
  • 16:18

JUGEMテーマ:自作小説

農業の朝は早い。
田所は目をこすりながら、野菜を積んだ軽トラを駆っていた。
遠くまで伸びる大きな国道。
陽はもう登っているが、そびえる山が邪魔をする。
ヘッドライトの明かりを睨みながら、くあっと欠伸した。
「もうちょっと遅う出勤できんもんかな。」
一年以上経っても、朝の早い仕事は慣れない。
以前の仕事は営業だったので、ある程度は時間をコントロールできた。
しかし今は・・・・・、
「あ〜あ、眠・・・・。健康的なこっちゃで。」
独り言を呟きながら、野菜の配送に駆け回った。
・・・・それから三時間後、職場に戻ってきた。
同僚と談笑しながら、タバコを吹かす。
そこへオヤジがやってきて、「ちょっとええか?」と顎をしゃくった。
タバコを消し、オヤジと共に事務所に向かう。
「なんですか?」
「まあ座りいな。」
ギシっと鳴らしながら、パイプ椅子に座る。
「タバコ吸うか?」
「自分の持ってます。」
「そらそうやな。」
「何なんですか?えらい引きつった顔してますけど。」
「実はな・・・・、」
オヤジは語る。
昨日、安桜山神社の前を通った時に、美由希を見たことを。
「ほんまですか!?」
「本殿の前におったんや。鈴鳴らして、手え叩いとったで。」
「俺も会ったんですよ!一昨日に。」
「言うてたな。次は私をお願い・・・・そう言われたんやろ?」
「ええ。でもあれから全然会いに来んで・・・・、」
田所は俯く。
もう一度美由希に会える、そう期待していたのに、なぜオヤジの元に現れたのか?
「オヤジさん、美由希はどうでした?」
「どうって・・・何がや?」
「なんか言うてましたか?」
「知らん。見かけただけやからな。」
「そうですか・・・・。」
「いずれお前にも会いに来るやろ。でもな、これは要注意やで。」
「なんで?俺はすぐにでも会いに来てほしいですけど。」
「だってお前、また厄介なこと頼まれるぞ。この前はガキのイタズラやったからええけど、美由希ちゃんはそんなことせえへん。
ほんまに未練があって、だから会いに来たわけや。となるとやな・・・・、」
「言いたいことは分かります。また神頼みってことになる。
下手こいたら俺があの世行きってことになるかも・・・・そう言いたいんでしょ?」
「そや。兄ちゃん、出所して一生懸命がんばってきた。最近はええ顔しながら仕事しとる。
それやのにな、幽霊だの神様だのとそういうモンに関わりすぎて、おかしいなってまうんやないかと心配でな。」
ギシギシと椅子を鳴らしながら、天井に煙を飛ばす。
昼前なのにビールを飲んで、「いるか?」と向けた。
「いや、また運転があるんで。」
「ほうか。」
グビグビとビールを煽り、げふっとげっぷを鳴らす。
「あのな兄ちゃん・・・・。」
「はい。」
「あんたもうここにはおらん方がええかもしれんな。」
「それは・・・・クビいうことですか?」
「悪い意味でとちゃうで。」
「ええ意味でクビなんてあるんですか?」
「自分の身を守る為やがな。これ以上あの世のモンに関わったら、いつどうなるか分からん。
でもここにおる限り、兄ちゃんはまたあの神社へ行くはずや。」
「・・・・おそらくですけど、喜衛門が呼んでるんやと思います。」
「俺もそう思う。喜衛門さん、兄ちゃんに期待しとんや。
あんたがようさん徳を積んで、あそこの御神体を壊してくれることを。
でもな、あんたは喜衛門とは関わりのない人間や。これ以上義理立てする必要はないで。」
「分かってます。でも美由希の頼みだけは聞いてやりたいんです。
それが終わったら・・・・ここを離れてもええかもしれません。」
田所は考える。
一年ここに置かせてもらって、いいリハビリになったと。
シャバの空気にはもう慣れたし、前より活気も出てきた。
だったら、そろそろ街へ出てもいいかもしれないと思っていた。
「オヤジさん、いつも心配してくれてありがとうございます。」
「ええって、頭なんか下げんで。」
「美由希のことが終わったら、ここを離れます。」
「それがええ。そうせんといつまでも黄泉のモンに付き纏われるわ。」
その日、田所はまた安桜山神社に向かった。
配送の終わりに、仕事用の軽トラで立ち寄った。
空気はムシムシしているが、境内に立つと寒ささえ感じた。
腹の中から凍るような、異様な緊張感が漂っていたのだ。
「なんや・・・今日はえらい不気味な感じやな。」
小屋の椅子に腰掛けて、本殿を見上げる。
「美由希よ・・・・出てきてくれ。俺にお前の未練を聞かせてくれ。」
そう呟くと、ゾクゾクっと背筋が波打った。
全身に鳥肌が立ち、慌てて立ち上がる。
「なんや・・・・。」
恐る恐る振り返ると、そこには美由希がいた。
「おお!会いにきてくれたか!」
そう言って駆け寄ろうとした瞬間、ピタリと固まった。
「なんやそれ・・・・・。」
美由希は頭から血を流している。
事故に遭った時と同じように。
しかし田所が驚いたのはそれではない。
死者は亡くなった時と同じ姿をしているから、異様であっても、異常な姿ではないのだ。
田所が異様だと感じたのは、美由希にまとわりつく、不気味な肉の塊だった。
それは挽き肉のように潰れていて、しかし生き物のようにうねっている。
しかもあちこちに大きな切り傷があって、失敗した千切りキャベツのようであった。
「なんやこれ・・・・・。」
思わず吐きそうになって、口元を押さえる。
すると美由希が『助けて・・・・』と呟いた。
「何?」
『助けて・・・・・。』
「美由希・・・・それはなんや?その変な肉の塊みたいなんは・・・・、」
『夫・・・・。』
「なに?」
『切断機に巻き込まれて亡くなったから、こんな姿してんねん・・・・。』
「・・・・・・・・・。」
それを聞いた田所は、我慢できずに吐いてしまった。
『大丈夫?』
「・・・・すまん。まさか人やったとは・・・・。」
ゲホゲホと咳をして、口元を拭う。
「それ・・・・言うたら失礼やな。その人・・・・えらい姿やから・・・、」
『私のせい。私が殺したから・・・・、』
「だから殺す言うな。あれは事故やったんやろ?」
『それは生きてるもんの言い分や。死んだ人間にとっては、事故も殺人も同じことや。』
美由希は悲しそうに首を振る。
肉塊と化した夫は、ヘビのように絡みつく。
彼女を締め上げるかのように。
「お前・・・・まさか・・・・、」
『笑えるやろ?死んだ後も呪われてるんや。』
美由希はニコリと笑う。
しかし目だけは悲しそうだった。
『お義父さんに許してもらって、これで救われたって思った。
でもそうやなかった。この人は私のこと許してくれへんみたい・・・・。』
「・・・・・・・・・。」
肉塊と化した夫は、鎖のように美由希を縛る。
なんとしても成仏などさせないという風に。
『怒ってるんよ。私が殺したから。』
「・・・・・・・。」
『そらそうやんな。一番大事な人に殺されるなんて、許せるわけないよな。』
夫に触れて、『ごめん・・・・』と呟く。
『最初は仕方ないかなって思った。でも・・・・ずっとこのままは辛い。
だから一緒に天国に行こうって言うた。でもこの人にその気はないみたい。
天国に行くくらいやったら、ずっと私を苦しめるって、そう思ってるんや。』
スッと涙を流し、『助けて・・・・』と見つめた。
『私とこの人を助けて・・・・。』
「そいつも?」
『この人は悪くない、私のせいでこうなったんや。一緒に助けてあげて。』
「・・・・どうしたらええねん、それ・・・・。」
田所は途方に暮れる。
《俺は除霊師やないど。こんな悪霊みたいなもん、どうやって追い払えいうねん。》
見るのも躊躇うその姿は、もはや人ではない。
しかし彼をどうにかしなけれな、美由希は天国へ行けない。
田所は《また厄介な・・・・》と困り果てた。
「なあ美由希、俺はどうしたらええ?どうしたらお前らは天国に行けるんや?」
『分からん。私にも・・・・・。』
「お義父さんに会わせてみるか?そんであの人から説得してもらって・・・・、」
『それはアカン!お義父さんはずっと辛い思いをしてはった。今さらまた負担を掛けるなんて出来へん。』
「そらそうやけどな、他に方法が思いつかへん。」
首を振りながら、椅子に腰を下ろす。
美由希も隣に座って、『一緒に考えて』と言った。
『こんなこと相談できるの、あんたしかおらへん。』
「力になってやりたいけど、これはなあ・・・・。」
かつて人だった肉塊は、田所の目の前でウネウネと動いている。
また吐き気を覚えて、「あかん・・・」と背中を向けた。
「そら辛いわ、ずっとそれに縛られてたら・・・・。」
『なあ、どうしたらええ?』
「・・・・・・・・・。」
『除霊師とか探してみる?』
「・・・・いや、アイツに頼んでみよ。」
『あいつって誰?』
「俺が撥ねた子供や。なんかええアイデア持ってるかもしれへん。」
田所は本殿の前に立ち、賽銭を入れて手を叩いた。
《喜衛門、四度目の神頼みや。もっぺんあの子に会わせてくれ。》
目を閉じ、じっと祈る。
・・・次の瞬間、誰かがツンツンとお尻をつついてきた。
「・・・・おお!来てくれたか。」
『もう俺に会いたくないんとちゃうの?』
「ちょっと事情がな・・・・。」
そう言って美由希に手を向ける。
少年は『怖・・・・』と引きつった。
『何あれ?』
「幽霊が幽霊を呪ってるんや。あれをどうにかするには、どうしたらええ?」
『なんで俺に聞くん?』
「なんか知ってるかと思ってな。」
『なんで?』
「お前は死人や。俺より幽霊に詳しいと思う。なんかええ知恵ないか?」
『ないこともないけど、でも・・・・、』
「約束やな。お菓子か?それとも玩具がええか?」
『おっぱい。』
「なに?」
『あのおばちゃんのおっぱい飲ませて。』
「・・・・お前マジで言うてんのか?」
田所の顔が引つる。
しかし少年は本気だった。
『甘えたいねん。』
「甘える?」
『だってな、天国におる子供って、親が一緒におる子が多いねん。宏太君もそうやし。
でもな、そうじゃない子もけっこうおるねん。』
「なるほど、親に甘える子供を見て、羨ましいなったっちゅうことか?」
『うん。』
「でもおっぱい飲む年頃ちゃうやろ?他のことじゃあかんか?」
『あかん、おっぱいがええ。』
「お前・・・・甘えるっていうより、ただマセてるだけと違うんか?エロいこと考えてんねやろ?」
『嫌やったらええで。おっちゃんらだけでなんとしたら。』
少年は薄く消えていく。
しかしその時、『ええで』と美由希が言った。
『それで私らが救われるんやったらかまへん。』
「おい美由希、いくら子供やいうたってな、もうおっぱいの年頃ちゃうぞ。しかも見ず知らずの他人やし。」
『いや、その子はそういうつもりで言うてるんと違うよ。きっとほんまに甘えたいだけなんや。』
そう言って少年の手を握る。
『もしおばちゃんとこの人を助けてくれたら、一緒に天国に行こか?』
『ほんま!?』
『私が親代わりになったる。それでどう?』
『ええで!』
少年は嬉しそうに手を握り返す。
『ほな教えたるわ。あんな、そのおっちゃんはすごい恨みを感じてるんや。』
『私が殺してしもたから・・・・。』
「だから殺す言うな。」
『ほんでな、それをどうにかするには、おばちゃんもおんなじ姿になればええんや。』
少年は朗らかに言う。
しかし田所は「アホか」と首を振った。
「なんで美由希が・・・・、」
『ええで。』
「おい美由希!何言うて・・・・、」
『どうせもう私は死んでる。格好なんてどうでもええよ。この人と一緒に天国に行けるんやったら。』
「何をアホな・・・・。」
田所は少年を振り向き「君かて嫌やろ?」と言った。
「二人が助かったら、君は一緒に天国に行くんや。その時にな、二人ともこんな姿になってたら嫌やろ?」
『全然。』
「なんでや!」
『そんなんどうでもええねん。だって天国には、もっとぐちゃぐちゃになってる人もおるから。』
「マジか・・・・。」
『最初は嫌やったけど、もう慣れた。だから見た目とか気にせえへんねん。』
「・・・・生きてる俺には分からん感覚やな。」
『死んだら分かるで。おっちゃんもすぐ慣れるから。』
「かもな。もう幽霊見ても驚かんし。」
そうは言ったものの、美由希がこんな肉塊になるなんて耐えられない。
「他にええアイデアはないか?」
『ない。』
「ちっとは考え。」
『だって恨みを晴らすには、その人が怒ってることとおんなじ目に遭えばええんやもん。
だからな、おばちゃんもそのおっちゃんみたいになればええんや。』
「逆は無理なんか?その人が元に戻るのは。」
『無理やで。』
「なんで?」
『だってその格好で死んだから。』
「ほな美由希だって今の姿で死んどるから、変えることは無理やろ。」
『出来るで。』
「だからなんで!」
『あのな、死にたい人見つけてな、その人に乗り移ればええねん。
それでな、酷い死に方をしたら、そのおっちゃんみたいになれるから。』
「乗り移る?身体を乗っ取るいうことか?」
『自殺したい人とかおるやん?そういう人を乗っ取って、酷い死に方をすればええんや。ほんなら解決するで!』
少年は美由希に抱きつく。
『一緒に天国に行こな!ほんならな、俺自慢すんねん!俺もお母さんおるでって。』
嬉しそうに抱きつく少年に、美由希は眉を寄せた。
『あんた・・・・これどないしたら・・・・。』
「分からん・・・・。こいつがどこまで本気で言うてんのか。」
ついこの前イタズラを仕掛けられたので、素直に信じることが出来ない。
しかしこの少年だけが頼りなのも事実で、田所は本殿を見上げた。
《喜衛門・・・・これも徳を積むことに関係あるんか?
だってなあ・・・いくら自殺したい人間がおるからって、身体を乗っ取って死なせるいうのは・・・・。
それに美由希がこんな肉塊になるのも嫌やし。》
これは神の与えた試練か?
それとも少年のイタズラか?
田所には分からない。
はっきりしているのは、美由希は死後も呪われているということ。
・・・・少年は言った。肉塊と化した夫は、美由希を恨んでいると。
恨みは忘れた頃にやってくる。
美由希に甘える少年を見つめながら《こいつも死後に俺を呪うやろか?》と不安になった。

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