風のない夜 最終話 風よ吹け(2)
- 2017.09.13 Wednesday
- 10:02
JUGEMテーマ:自作小説
頭の中ではとんでもない大都市をイメージしていたが、あんがい大阪と大差ないのだなと、無駄な緊張がほぐれた。
「お父さん、何してんの?」
嫁が手招きをしている。
「早よ行くで。」
「おお。」
立ち並ぶビル、行きかう人。
どれもが新鮮に感じて、しばらく眺めていたい気分だった。
「お父さん方向音痴なんやから。はぐれたら迷うで。」
「珍しいてな。ずっと田舎の川原におったから。」
「あんな所に15年もおったら、なんでも珍しい見えるがな。」
クスっと笑いながら、「早よ早よ」と先を歩く。
今日、東京へ来たのは先生の墓参りの為だ。
慣れない街を歩きながら、会ったら何を話そうかと悩んでいた。
電車を乗り継ぎ、先生の眠る町までやって来る。
実家から少し離れた場所に菩提寺があるというが、土地勘がないので分からない。
「お父さん、こっちや。」
嫁がスマートフォンをいじっている。
どうやらあれで地図が見られるらしい。
「進んでんねんな、最近は。」
「そやで、お父さんの知らん間にな。」
「便利になったもんやなあ。」
嫁はスマホと道を交互を睨み、「こっちやな」と交差点を曲がっていく。
道は長く伸びている。
遠くには山がそびえ、田んぼの向こうに送電線鉄塔が建っていた。
その鉄塔から少し離れた所に、民家が密集している。
細い路地を歩き、民家の間を抜けていった。
すると大きな松の木に囲まれた、古い寺が現れた。
「ここやな。」
嫁はスマホを閉じて、門を潜っていく。
俺も後に続き、狭い境内を見渡した。
かつて鹿威しであっただろう、ボロボロになった竹と、雑草にまみれた岩。
その隣には小さな慰霊碑があって、さらにその隣には稲荷神社があった。
門から続く参道の正面には寺が建っていて、かぜかここだけ真新しい。
火事か何かで建て替えたのだろうか?
「お父さん、ボケっとせんと。」
「おお。」
お寺の横には民家がある。
チャイムを押すと、トタトタを足音が近づいてきた。
ガラリと引き戸が開き、袈裟を着た坊さんが現れる。
頭はフサフサの黒髪で、顔立ちから見るにまだ若い。
「すいません、お電話で言うてた登和です。」
そう名乗ると、住職らしき男は「ああ、はい」と会釈した。
「窺っております。遠い所をわざわざ。」
「いえ、こちらこそ無理言いまして。」
「無理だなんて。お参りしてくれる人がいるというのは、仏様にとって一番嬉しいことですから。」
そう言って表に出てきて、寺の後ろ側へ歩いていった。
「どうぞ。」
柔和な顔で手を向ける。
嫁と二人で後ろを歩きながら、「なんで死んだ人間の気持ちなんか分かるんやろな?」と呟いた。
「ん?」
「仏さんって死んだ人間のことやろ?ほならなんで仏さんが嬉しいなんて分かるんやろな?」
「そういうこと言うたらあかんの。葬式に来た子供やないんやから。」
「そやけど不思議やなあ思て・・・・。」
赤の他人だった死人の気持ちを代弁するなんて、死んだ者に無礼なのではないかと思うが、これ以上は口に出すまい。
今日は坊主に議論を吹っ掛けに来たのではないのだから。
寺の裏側には生垣があって、右端に小さな門がある。
その先には学校の教室三つ分ほどの広さの墓地があった。
どの墓石にも苗字が掘られている。
後ろには卒塔婆が幾つも立っていて、どこかから線香の香りが漂っていた。
「こちらが太刀川家の墓地になります。」
坊さんが手を向けた先には、先生の苗字が掘られた墓石があった。
真新しい卒塔婆が立っているので、ちゃんと戒名も付いているようだ。
「お電話でもお話しましたが、遠縁の方がお葬式を出して下さいました。ただほとんど面識のない方なので、お参りには来られていませんが。」
「いや、葬式出してくれただけでもありがたいもんです。」
「ご本人は葬儀も墓も望んでおられなかったようですが、何もしないというのは、かえって周りに迷惑になるんじゃないかと思われていたようで。
もし自分が亡くなることがあったら、遠縁の者に連絡するようにと言われていたんですよ。費用は全て自分が持つからと。」
「ほなお坊さんがその親戚の方に連絡を?」
「ええ。」
「そうでしたか。えらいすんまへん。」
深く頭を下げると、「それも坊主の仕事ですから」と笑った。
「仏様になられた後では、現世の方と語り合うことは出来ません。気になることがある場合、生前に伝えに来られる方もいらっしゃるんです。」
「ほう・・・ほな先生も死後のことは心配してはったんでんな。」
「ここへ来られた時、ほとんど覇気がありませんでした。まさかこのような形でここへ入られるとは・・・・、」
そう言ってから、余計なことを呟いたと思ったのか、あからさまな咳払いで誤魔化していた。
「私は寺の方におりますので、何かあればお声かけ下さい。」
去りゆく坊さんに、嫁が頭を下げる。
そして俺を振り向き、「お花活けてあげよ」と、手にした袋を掲げた。
色とりどりの仏花を、墓前に添えていく。
線香を立て、数珠を握り、そっと手を合わせた。
《先生、こんな形で再会するなんて思いませんでした。こうなると知っとったら、殴ってでも引き止めたのに。》
あの日川原で一杯やったことを思い出す。
先生から会いに来てくれるなんて、ほとんどない事だった。
今思い返せば、いつもより辛そうな顔をしていた。
独り身が寂しいと言っていたが、その寂しさは、命の火を消すほどだったのだなと、悔しい思いに駆られる。
《散々お世話になって、最後は遺産まで頂いて・・・・。この金がなかったら、嫁も隣にはおらんかったと思います。
ほんまにもう・・・先生にはどうお礼を言うてええんか。》
隣で手を合わせる嫁は、今俺と一緒に住んでいる。
籍は入れていない。
苗字だって別々だし、寝る部屋も違う。
共に暮らしてはいるが、男と女の関係ではないのだ。
それはお互いに歳だからということもあるが、それ以上に男女の関係に戻ってはいけないという、ある種の危機感があったからだ。
俺はこの15年、先生という理解者がいた。
嫁には子供たちがいた。
しかし先生は天へ旅立ち、子供たちは社会へ旅立っていく。
俺も嫁も一人になるのが辛かった、だから手を繋ぐことにしたのだ。
しかし男女としてではない。
傍に誰かがいてくれる。
そんな安心感が欲しかったのだ。
嫁は再婚する予定だったが、相手の男が気変わりしてしまって、籍を入れることはなかった。
やっぱり結婚出来ないと言われた時、多少は落ち込んだが、それ以上にどこかホッとしたそうだ。
結婚ということは、男と女の関係になるということ。
いくら独り身が寂しいとはいえ、今さらそういう関係を築くことに、抵抗もあったらしい。
相手は60前だったそうだが、夜になればそういうことも求めてくるだろう。
それが億劫だと言っていた。
しかし結婚する以上、多少は受け入れなければなるまいと、その事については肚を括っていた。
最も危惧していたのは、いつか終わりが来るのではないかという危機感だった。
男女の愛ほど苛烈なものはないが、男女の愛ほど脆いものもない。
これから先、年老いていく中で、かつて俺と別れた時のような思いをするのは、もうごめんだと言っていた。
嫁が最も欲しかったのは、年老いていくまで、傍にいてくれるパートナーだ。
克也も晋也もそのことを見抜いていた。
母が求めているのは男ではなく、共にいて落ち着ける相棒だと。
だからこそ克也は俺に会いに来た。
そして晋也も。
《ほんまに母親思いな息子らですわ。嫁と育ててくれた親父に感謝せなあきません。
俺みたいなもんの為に、こうしてチャンスもくれたわけで・・・・・。
でもね先生、先のことって誰にも分かりませんわ。
先生が自殺するなんて思わへんかったし、また嫁と暮らすことになるとも思わへんかった。
そう考えるとね、この先に大きい不幸が待ってるんちゃうかと、不安になることもあるんです。
考えても仕方のないことやのに・・・・・。》
目を開けると、線香の煙が風にまかれていた。
それを目で追いかけていくと、ふと先生の姿が見えた。
幽霊か?それとも幻か?
どちらか分からないが、じっと俺のことを見ている。
しかしそれはほんの束の間。
ものの数秒で消えてしまった。
俺は立ち上がり、先生の姿が見えた空中に頭を下げた。
《先生は待っててくれたんですか?俺が夢を諦めるのを。
俺がもっと早うにまっとうな道に進んでいれば、先生はどうされてました?
もっと早くにこの世を去っていましたか?それとも誰かええ人見つけて、幸せになっていましたか?
先生は俺にとっての救いでした。先生がおらんかったら、俺が先にくたばってたでしょう。
先生はどうです?俺が救いになってましたか?それとも邪魔者でしたか?
いつでもええんで、また目の前に出て来て下さい。そん時、こいつで一杯やりましょう。》
頭を上げてから、足元に置いた紙袋に手を突っ込む。
店員に勧められて買った、なんとかいう高いワイン。
そして瓶に詰まった本物のキャビア。
墓前に添えて、もう一度手を合わせた。
「・・・・・・行くか。」
目を開けると、嫁が「もうええの?」と尋ねた。
「さっきな、そこに先生が出てきたんや。」
「うそ!どこ?」
「そこらへんの宙に浮かんでた。ほんでな、また飲もうって約束したんや。」
「先生、まだアンタのこと心配してはんねんで。またしょうもない夢掲げるんちゃうかって。」
「やっぱりお前もしょうもない夢やと思ってたか?」
「どうやっても叶いっこないやん。でもあの時のアンタは本気やったから、そんなん言えるわけない。先生かておんなじやったんちゃうか?」
「先生は早よう諦めろって言うてはったわ。そうは言いながらも、毎回ちゃんと向き合ってくれんねん。」
「私らの結婚式の時にお見えになってたけど、優しそうな方やったね。」
「そうや、優しい人やねん。その分だけ傷ついてる人やった。
いつでも自分の弱さを見せへん人やったけど、今思えば無理してはったんやなあ。」
墓前のワインとキャビアを見つめ、《今日はそいつでやって下さい》と語りかけた。
《また必ず来ます。今日はこれで。》
頭を下げ、墓地を出る。
坊さんに礼を言って、先生の眠る寺を後にした。
その日、本当なら東京に泊まるはずだったのだが、家へ帰ることにした。
嫁が「やっぱり家の布団じゃないと寝られそうにない」と言い出した為だ。
「昔は全然平気やったんやけどな、歳いってから家の布団やないと落ち着かんようになって。」
「ええってええって、俺もいつもの川原やないと寝る気せえへんかったからな。」
新幹線の窓に流れる景色を見つめながら、他愛ない話で笑う。
やがて陽が落ち、景色が街明かりの光線に変わる頃、肩に嫁の頭が乗っかってきた。
顔を覗くと、小さな寝息を立てている。
少し迷ったが、そっと手を重ねた。
再び景色に目を戻すと、流れていく光が走馬灯のように見えた。
今から俺は死ぬわけではない。
それなのに、流れる光の中に死別した者たちの顔が浮かんだ。
母に殺された父、俺に殺された母、そして自らを殺してしまった先生。
他にも船の中で亡くなっていたあの爺さんや、死の縁に立たされていた松本さんまで。
さらには自殺しようとしていた、子供の頃の自分まで浮かんできた。
どうしてこうも俺の傍には、「死」がまとわりつくのだろう。
もしかすると、俺自身が「死」を運ぶ死神なんじゃないかと、暗いことまで考え始める。
死別が怖いから始めた不死身の研究。
いつしか「死」そのものを恐れるようになり、それを克服するのが夢であると、目的がすり替わっていた。
しかしこうも景色の中に「死」にまつわる人物が流れていくと、やはり「死」そのものを恐れていたんじゃないかと、疑問が浮かび上がる。
今、隣で寝ている嫁も、いつかは死ぬ。
克也も晋也も、そしてこの俺も。
そう思い始めると、手が震えてきた。
腕、肩と伝播して、最後は痙攣に似た震えが全身を襲った。
嫁が目を開け、「どうしたん?」と尋ねる。
「震えてるで。寒いん?」
「寒い・・・怖あなって・・・・、」
「何が怖いん?」
「・・・・なんでもない。平気や。」
立ち上がり「タバコ吸ってくる」と言い残して、席を離れた。
車両を仕切るドアの窓には、怪訝そうに見つめる嫁の顔が映っていた。
その顔から目を逸らし、逃げるように喫煙ルームへ駆け込む。
一服つけ、ふうと煙を吐き出した。
窓に当たった煙は、幕を張るように四方へ拡散していく。
その向こうには走馬灯に似た光がある。
タバコのせいで煙った光の線は、空を駆ける死神の鎌のよう。
怖くなり、ポイとタバコを投げ捨てて、背中を向けた。
喫煙ルームを出ようと、取っ手に指をかける。
するとドアの窓に死者の顔が浮かび上がった。
・・・・みんなが口を揃えて言っている。
いつかお前もこっちへ来るんだよと。
嫁、克也、晋也の顔まで浮かんできて、足のコブが全身に広がった松本さんの姿も浮かんでくる。
振り返ると、外の窓には俺の顔が写っていた。
その周りに、死者や家族の顔が浮かんで、ボソボソと口を動かしている。
「・・・・・・・・。」
こちらを睨む大勢の目を睨み返しながら、そっと外へ逃げ出した。
『・・・・夢を諦めてはいけない。家族まで捨て、15年も追いかけてきたのだから・・・・。
人生の目的を捨てるなんて、血迷ったことをしてはいけない。再び夢を追いかけないと・・・・・。』
そう思った瞬間、窓に浮かぶ顔は消えていった。
最後まで残っていたのは先生の顔で、なぜか悲しそうな目をしていた。
俺が再びその道を歩くことを、良く思っていないのだろうか?
だったらどうして俺の前に現れたのか?
わざわざ俺を怯えさせるようなことをしなくてもいいのに。
席に戻ると、「大丈夫?」と嫁が心配そうにした。
俺は無言のまま外を睨んだ。
高速で駆ける新幹線は、次々に光の線を走らせる。
過ぎていくビル、民家、鉄塔。
様々な線が走る中、田んぼの傍に木々のシルエットが見えた。
枝も葉も揺れている様子はない。
今日は風がないのだろう。
「嵐でも来たらええのに。こんな夢連れ去ってくれれば・・・・。」
恐怖から生まれた歪んだ夢は、また俺を間違った道へ引き込もうとしている。
こんな物さえなければ、俺はもっとまっとうに生きていたはずだ。
また震えが戻ってくる。
目眩さえするほどの震えが・・・・。
あの川原へ戻る日は、そう遠くないような気がした。
「寒いんやったらこれ掛けとき。」
嫁のカーディガンが、俺の膝に掛けられる。
しかしこれは、俺が着ていたカーディガンではなかったか?
振り向くと、隣の席には誰もいなかった。
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