蝶の咲く木 最終話 蝶の咲く木(3)

  • 2018.02.13 Tuesday
  • 11:32

JUGEMテーマ:自作小説

宇宙はとてつもなく広い。
地球と月の間でさえ38万4千キロもある。
子供の国はその中間に浮かんでいるから、約19万2千キロ。
今は地球の傍まで接近しているからもっと近いはずだ。
だがここは広大な宇宙。
近いといってもかなりの距離がある。
地球はすぐそこに見えているが、実際はとてつもなく遠いのだろう。
羽ばたいて行くとなると、いったいどれだけ時間が掛かることか。
・・・・ヴェヴェは倒した。
妻が命と引き換えに。
ヴェヴェを倒した嬉しさ、妻を失った悲しさ、二つの感情に挟まれて、今は何も感じることが出来ない。
しかしずっと放心しているわけにはいかなかった。
俺はこうして生き残ったのだから、大人としての責任を果たさないといけない。
地球へ向かい、子供たちを救うのだ。
その役目を果たさなければ、妻はあの世から戻ってきてキレるだろう。
『命まで懸けたのに何やってんの!』と。
もちろん俺は子供たちを見捨てる気はない。
ないのだが・・・・遠い。
すぐそこに見えているはずの地球へ、なかなか辿り着くことが出来ない。
ヴェヴェの奴が子供の国をめちゃくちゃにしやがったもんで、繭の道がなくなってしまったのだ。
あそこを通ればすぐなのに・・・・・。
《・・・・あ、そっか。》
・・・そう、すぐなのだ。
あの真っ白な竜巻にも似た道、あれを使えばすぐに地球へ行ける。
繭の道はリニアモーターカーと同じ原理。
電磁力を利用して、とんでもない速さで子供の国まで送り届けてくれる。
それならば、俺も同じことをすればいいのだ。
この触覚から磁気を飛ばして、磁石のレールを敷けばいい。
その後俺自身が磁力を纏えば、リニアモーターカーのごとく速く飛べるかもしれない。
繭の道には及ばなかったとしても、やってみる価値はある。
・・・・そう思い立ってから数分後、俺は地球の近くまで辿り着いていた。
磁場の道は、俺を猛スピードで運んでくれたのだ。
傍で見る地球はとてつもなく大きく、振り返った宇宙には無数に輝く星がある。
・・・俺は今から旅に出るのだ。子供たちと一緒に。
羽ばたき、鱗粉を振り撒いてバリアを張る。
大気圏を通り抜け、青い空の中へと降下していった。
《根っこはまだ残ってるんだな。》
地表に突き刺さった幾つかの根っこは、そのままそびえ立っている。
しかしもう死んでいるも同然だ。
ヴェヴェのパルス攻撃のせいで、子供の国はボロボロ。
そのせいで地球へ伸びていた巨木の根も、ボロボロに朽ち果てていた。
放っておけばいつかは枯れ果てるだろう。
《これで地球は安心だな。》
大きな被害が出たものの、侵略だけは免れた。
最悪の事態だけは避けることが出来て、今になって安堵がこみ上げる。
あとは子供たちさえ助ければ・・・・・と思ったのだが、蝶も蛾もどこにもいない。
大木の街まで飛んできたのに、一匹も見当たらないのだ。
《どこ行ったんだろう?》
見渡しても誰もいない。
戦いによって破壊された街があるだけで、大木だけがポツンと立っている。
《・・・捜してみるか。》
触覚を立て、磁場を探る。
しかし気配を感じない。
《ステルスでも使ってるのかな?》
もし人間に見つかったら駆除されてしまう。
それを恐れて姿を消しているのかと思ったが・・・・これも違った。
景色の色を反転させても、やはりこの近くには誰もいない。
赤外線やサーモグラフィーでも探ってみたけど、蝶一匹見つかりもしなかった。
《どこか遠くに避難してるのかな?》
俺は触覚を振動させて、マイクロ波を飛ばした。
周囲360度、日本を覆い尽くすほどの電波だ。
《・・・・・分からないな。》
あまりに膨大な情報が帰ってくる為、判別が出来ない。
ならばともう少し範囲を狭めてみた。
・・・それでも分からない。
広範囲を探れるマイクロ波のレーダーだが、ピンポイントで探し物が見つかるわけじゃない。
《パソコンで検索する時みたいに、条件を入力して探ることが出来れば・・・・・。》
触覚を揺らしながら悩む。
どうしたものかと困っていると、ふと目の前に鱗粉が舞った。
忙しなく触覚を振っていたもんだから、撒き散らしてしまったらしい。
《・・・・・・そうだ!》
ふとあることを思いつく。
《マイクロ波だけ飛ばすんじゃなくて、この鱗粉も一緒に飛ばしてみたらいけるかも。》
こいつはナノマシンという機械で出来ている。
あの巨木も、そして今の俺も。
要は脳ミソとパソコンが直結しているようなもので、だからこそイメージするだけでステルスを使ったり、巨木を動かしたりできるのだ。
だったら鱗粉も同じかもしれない。
『蝶や蛾になってしまった子供を捜したい』
頭の中でそう命令すれば、マイクロ波と一緒に飛んでいってくれるはずだ。
俺はイメージする。
ここにいた蝶や蛾の群れを。
《頼む!見つけてくれ!》
強くイメージしながらマイクロ波を飛ばすと、触覚の先から鱗粉が放たれた。
そいつは俺のイメージ通り、忠実に命令を実行してくれる・・・・はずだ。
《・・・・・・。》
飛ばしたレーダーが跳ね返ってくる。
するとその中に・・・・・、
《これは野戦病院だな・・・・河井さんと彼女がいる。》
遠くの情報を記録した鱗粉が、頭の中に映像を流してくる。
そこには心配そうに我が子を待つ彼女、そしてあの変態親父の腕を引っ張る河井さんがいた。
変態親父は警官の前に突き飛ばされる。
周りを大勢の警官に囲まれ、うろたえている姿が見えた。
河井さんは仁王立ちで睨みつけ、あの家から持ってきたパソコンを指さして、親父を問い詰めていた。
《すごいな・・・こんな状況でよく捕まえてきたもんだ。》
さすがは河井さんと、胸の中で手を叩く。
しかし我が子を待つ彼女は不安そうだ。
眉間に皺を寄せたまま、祈るように手を握りしめている。
落ち着かないのかウロウロしていて、何度も空を見上げていた。
《大丈夫、亜子ちゃんは助けるから。》
早く母親の元へ帰してやらないといけない。
その為には蝶と蛾を見つけないといけないのだが・・・・、
《なんでだ?まったく何も感じない。》
いくら探ってもどこにもいない。
もしや日本から逃げたのかと思い、《探してみるか》と街から飛び立った。
しかしその直後、《待て待て》と声が響いた。
《・・・・爺さん?》
大木を振り返ると、《どこ捜しても無駄だ》と言われた。
《何が?》
《あの子らはみな死んだ。》
《死・・・、》
《人間に撃たれてな。》
《そんなッ・・・・、》
《仕方ないだろう。人間からすりゃただの敵にしか見えん。》
《・・・・さっきヴェヴェを倒したんだ。》
《ここへ戻って来たってことは、そうなんだろうな。負けたなら殺されてるはずだ。》
《なつちゃんたちもお母さんも死んだ。あいつを倒す為に命を懸けたんだ。》
《ああ。》
《それもこれも全部子供を救う為だ。なのにそれが死んだって・・・・・どういうことなんだよ!!》
エコーが空気を揺らす。
波紋のように広がる衝撃が、大木の枝を揺らした。
《あの子たちが死んだっていうなら、俺たちなんの為に戦ったんだ!妻もなつちゃんも無駄死にじゃないか!》
大木の傍へ飛んでいき、《あんた何してたんだ?》と問い詰める。
《あの子たちが殺される最中、黙って見てたのか?》
《ああ。》
《ああって・・・・あんた今まで子供を守ってきたんだろ?あの少年の幽霊だって守ってたじゃないか。ならどうして・・・・、》
《人の話は最後まで聞け。》
《どういうことだよ?》
《確かに死ぬのは死んだが、魂は回収した。》
《回収・・・?》
《あんたがヴェヴェに勝ったら、生き返らせてもらおうと思ってな。》
《だからどういうことだよ?》
《そのまんまの意味だ。あんた宇宙人なんだ、ヴェヴェと同じ力を持ってる。だったら繭で包めば生まれ変われるだろう。》
《・・・・・・ああ!》
《あの子らは爆弾を落とされて死んだ。だから遺体も残っとらん。》
《まさか核?》
《いや、核じゃない。でもすごい威力の爆弾だった。ここから西へ行けば、その痕が残っとるはずだ。》
《そうか。いやでも・・・・生きてるうちに助けようとは思わなかったのか?》
《そんなことしたらまた狙われるだけだ。死んだと思わせといた方がいい。》
《それはそうだけど爆弾なんて・・・・可哀想に・・・・、》
《気持ちは分かるが、これしか方法がなかった。もっともあんたがヴェヴェに勝ってくれなきゃ意味のないことだったがな。》
そう言って《よく帰って来てくれた》と笑った。
《じゃあ・・・どうすればいい?あんたごと繭で包めば復活するのか?》
《ああ。》
《じゃあ今すぐ・・・・、》
《ただしあんたの命と引き換えにな。》
《え?》
《普通の方法で生まれ変わると・・・・どうなるかは知ってるはずだ。》
《・・・・長生きできない?》
《その通り。魂に宿っとる記憶から情報を読み取って、寿命の短いクローンを作るだけだからな。》
《ナノマシンの力でか?》
《そうだ。しかしクローンといえども、完成度が高けりゃ長生きする。
寿命が短いのはクローン自体に問題があるからじゃなく、エネルギーが足りんからだ。
分かりやすく言うなら、電池切れを起こすようなもんだな。》
《なら俺の身体を全て使えば・・・・・、》
《回収した魂は200ちょっとってところだ。一人一人にエネルギーを分け与えたとして・・・・そうだな、だいたい一人あたり80年前後ってとこだろう。》
《そうか・・・ほぼ人間の寿命だな。でも蝶や蛾になった子はもっといたんじゃないのか?だって世界中でこんな事が起きてたんだろう?》
《ほとんどは殺された。》
《・・・・・・・。》
《この大木の傍へ来たのは生き残った子たちだけだ。》
《じゃあここへ来なかった子は・・・・、》
《無理だ。諦めるしかない。》
《でも・・・・・、》
《気持ちは分かるが無理なんだ。それに全ての子供に分け与えるほどエネルギーもないだろう。》
《そうか・・・・なら・・・仕方ないな。》
仕方なくなどない!・・・・と言いたかったが、無理はものは無理なのだろう。
だったら今助けられる子供たちを助けるしかない。
《・・・あ、でも・・・、》
《なんじゃい?まだあるのか?》
《助ける子供は二通りいるんだ。死んで蝶や蛾になってしまった子と、生きてるうちに変えられてしまった子がいる。
元々が蝶や蛾の子はエネルギーを与えなくてもいいんじゃないか?》
《どうして?》
《だってあの子たちは寿命に制限なんてないんだろ?だったら残ったエネルギーは人間に戻る子に与えてやった方が・・・・、》
《駄目だ。》
《なんで?その方が長生きするんじゃないのか?》
《蝶や蛾が永遠に生きるのは、子供の国があってこそだ。ほれ、儂はあそこへ電力を送っていただろう?
その電力は雲海にエネルギーとして溜まっていた。そして巨木を通して、常に子供たちに流れ込んでいたんだ。》
《なるほど・・・・。》
《ヴェヴェやあんたほど大きな触覚を持っていれば、儂のマイクロ波で充電できるんだがな。だがあの子たちの小さな触覚じゃ無理だ。》
《じゃあやっぱり全員にエネルギーを与えた方がいいんだな。》
《さっきからそう言っとるだろう。》
《ごめん・・・ちょっとでもいい形で復活させてあげたいと思って。》
《もう時間がない。いつ軍隊や自衛隊があんたに攻撃を仕掛けてくるか分からん。》
《その程度で負けないさ。》
《あんたが良くても人間が死ぬ。屁理屈はいいからさっさとやれい。》
俺は頷き、空へ舞い上がる。
羽を広げ、糸を伸ばして大木を巻いていった。
『なあ?自分を糸に変えるにはどうしたらいいんだ?』
『イメージしろ。あとはナノマシンがやってくれる。』
言われた通り、俺は糸になるイメージを思い浮かべた。
その糸が子供たちに力を与えるようにと。
するとすぐにその通りになった。
羽から糸を出せば出すほど、俺の身体が縮んでいくのだ。
《自分でも分かる・・・・どんどん力が衰えていくのが・・・・、》
なつちゃんたちからしてもらったことを、今度は俺がやろうとしている。
みんなからもらったこの命を、今度は子供たちに分け与えるのだ。
大木はすでに真っ白な糸に覆われている。
だけどこれでは足りない。
俺の命を全て使わないと。
見る見るうちに身体は縮み、やがては人と同じほどの大きさになってしまう。
それでもまだ終わりじゃない。
まだ体内にはエネルギーが残っている。
グルグルと大木の周りを飛び回る姿は、蛍光灯に群がる羽虫に似ているかもしれない。
なぜなら糸に覆われた大木は、虫を引き寄せる街灯のごとく、ぼんやりと輝き出したからだ。
《あの中で生まれ変わってるんだ。》
もうすぐ子供たちが戻ってくる。
優馬も亜子ちゃんも。
それはとても嬉しいことだけど、悲しいことでもあった。
なぜなら優馬は親を亡くしてしまったからだ。
父も母もいない。お爺ちゃんもお婆ちゃんも生きているか分からない。
もし・・・もしもすべての身内が亡くなっていたら・・・・・。
一瞬だけこう思う。
優馬も連れて行った方がいいのかなと。
あの子も蝶に変えて、一緒に子供の国へ・・・・。
《・・・何考えてんだか俺は。》
我が子を宇宙人に変えてどうするのか。
例え孤児になろうとも、人間として地球で生きる方が良いに決まっている。
子供の国は、悪い大人のせいで命を落とした子供の為の、救いの国なのだ。
優馬には必要ない。
《優馬、もうお父さんもお母さんもいないけど、どうか強く生きてくれ。
辛いだろうし悲しいだろうけど、どうか・・・・。》
我が子を思いながら、ひたすら糸を巻いていく。
身体は本物の蝶と同じくらいにまで縮み、飛ぶのさえも辛くなってきた。
しかしまだ残っている・・・ほんのかすかでもエネルギーがあるなら、子供たちの為に使いたかった。
《大丈夫・・・・みんな助かる・・・・みんな・・・・、》
子供たちに、そして自分に言い聞かせるように、残った命を糸に変えていく。
その時だった。
遠くからパンと音がした。
何かと思って振り向くと、また同じ音が・・・・、
《あ・・・・、》
右の羽が吹き飛ぶ。
ヒラヒラと落ちていく途中、三度目の音が響いて、今度は胴体が弾け飛んだ。
《・・・・銃?》
離れた場所に迷彩服を着た男たちがいる。
小銃を構えながら俺を睨んでいた。
『・・・・・・・・。』
俺はその目を睨み返してやったが、やがて地面へ落ちて空を仰いだ。
《・・・・なんだよ・・・カッコよく終わろうと思ったのに。》
最後の一滴まで子供たちの為に命を使おうと決めていた。
なのに撃たれて終わりとは・・・・。
《でもまあ・・・・いいか。出来ることは全てやった。後はあの爺さんに任せよう・・・・。》
ナノマシンの肉体はすごいもので、胴体を弾き飛ばされても生きている。
しかしもう俺にはエネルギーが残されていない。
きっと二度と復活することはないだろう。
《いいさ・・・子供たちさえ助かるなら・・・・・、》
視界の隅には大きな繭が光っている。
ドクドクと脈つように、光を点滅させながら。
《・・・・あ、でもこの後はどうするんだろう?俺がいなくなったら、誰が子供の国を守るんだ?》
今になってそんな事に気づく。
《爺さんがなんとかしてくれるのかな?・・・・きっとそうだ。でなけりゃ俺を犠牲にして子供を復活させろとは言わな・・・・、》
そう思いかけた時、人の足音がこちらへ近づいてきた。
硬いブーツの音が幾つも。
そいつらは俺を見下ろす。
小銃の先を向けながら。
《・・・あんたらも大変だったな・・・・こんなわけの分からない宇宙人と戦う羽目になって。》
犠牲者は子供だけじゃない、大人もいる。
いま銃を向けている大人たちは、こっちの事情など知らないのだ。
敵だと思って撃たれても文句は言えなかった。
《いいよ・・・そのまま撃ち殺してくれて・・・。》
しかし迷彩服の男たちは、あろうことか繭に銃を向けた。
そして・・・・、
《おいよせ!》
銃口が火を吹く、パパパパと短い炸裂音が鳴る。
一斉に発射された小銃の弾は、繭を貫こうと次々に襲いかかった。
《何してんだ!そこには子供がいるんだぞ!優馬も亜子ちゃんもいるんだ!》
叫ぼうにも声が出ない。
どうにかやめさせられないかと思っていると、突然銃声はやんだ。
《そうだ・・・壊さないでくれ・・・・それは希望なんだ・・・子供が生まれ変わる為の・・・・。》
迷彩服の男たちは去っていく。
しかしホッとしたのも束の間、今度は空からアイツが襲いかかってきた。
《攻撃ヘリ!》
三機のヘリがこちらに向かってくる。
機体の下に装備された機関砲が、繭目がけて火を吹いた。
《だからやめろって!なんてことすんだよ!!》
凄まじい機関砲の音は、連続で空爆されているかのような恐ろしさだ。
しかし繭はその攻撃さえも通さなかった。
《ざまあみろ!巨大な蛾の身体で紡いだ糸だ、そんなことで壊れるか。》
そう思った直後、今度はミサイルを飛ばしてきた。
爆音と共に炎が上がる、俺もこのまま燃やし尽くされる・・・・そう思ったのだが、俺も繭も傷一つ負うことはなかった。
《ああ、これ・・・・バリアが・・・・、》
繭から不思議な色の粉が舞い散り、辺り一帯を覆う結界のようになっている。
何度もミサイルを撃ち込むヘリであったが、効果なしと悟ったのか、遂には退散していった。
《まずいな・・・・これで終わりならいいけど・・・・・。》
きっと人間はこう思っているのだ。
この巨木から大きな蝶が生まれてくると。
だとしたら最後にはアレが来るはずだ。
なんでも焼き尽くしてしまうあの炎が。
しかしもう俺には何も出来ない。
ただ繭が無事であることを祈るしか・・・・・。
《・・・・・あれは?》
繭が激しく鼓動を刻む。
光の点滅が増していき、繭の一部が破けた。
そこから出てきたのは・・・・子供の手だった。
繭から出した手を動かして、必死に這い出ようとしている。
ようやく顔を覗かせる頃、俺は《優馬!》と叫んでいた。
《おい優馬!ここだぞ!お父さんはここにいるぞ!》
そう叫ぶも、ほとんど声は出来ない。
優馬は完全に繭から出て来て、その後から女の子も出て来る。
優馬より少し上だろうか・・・・幼稚園くらいに見える。
《あれ・・・・もしかして亜子ちゃんか?》
彼女から聞いた特徴と似ていたので、おそらくそうなのだろう。
亜子ちゃんは眉から出たあと、優馬と一緒に丸い繭の上を滑り降りてきた。
それを皮切りにして、次々に子供たちが孵化してくる。
優馬のように小さな子もいれば、高校生くらいの子もいる。中には赤ん坊まで。
次から次へと現れて、繭の周りは子供だらけになってしまった。
すると亜子ちゃんが優馬の手を引きながら、俺の元へと歩いてきた。
小さな手に俺を乗せ、「これ?」と繭に尋ねている。
《なんだ?》
俺に用があるのだろうか?
出てきた子供たちは、繭の傍から離れようとしなかった。
というより結界から出ようとしなかった。
小さな子は外へ出ようと走ったりしているが、年長の子がそれを止めていた。
《なんだ・・・自由になったはずなのに。》
不思議に思うが、すぐにその理由が分かった。
子供たちはみんな目を閉じ始める。
そしてその数秒後、空からアレが降ってきた。
《やっぱり・・・・。》
何度も目にしたあの閃光が、再び空を覆う。
光が降り注ぎ、白塗りの部屋にいるかのような、心がおかしくなってしまうほどの輝きだ。
《爺さんだな。爺さんが子供たちに忠告してたんだ。ここから出るなって。》
辺り一帯が灼熱の火球に飲み込まれる。
激しい光はしばらく続き、子供たちは身を寄せ合っていた。
亜子ちゃんも優馬もギュっと目を閉じ、光を見まいと俯いている。
俺は二人の子供を見つめながらも、その背後にある繭に目を奪われていた。
《来た・・・・・。》
破けた繭の中から、次々に蝶と蛾が飛び出してくる。
その数は100匹以上はいるだろう。
大勢の蝶と蛾は、核の閃光を背負いながら、こちらにシルエットを投げかけている。
《・・・あ、繭が・・・・、》
恐らくすべての子供を復活させたのだろう。
真っ白な繭は、緩んだ紐のようにほどけていく。
遂には砂のように崩れ去り、跡形もなく消滅してしまった。
《よかった・・・。》
ホッと安堵する。
俺は子供たちの為に出来ることを成し遂げたのだ。
これでもう思い残すことはない。
優馬のことは心配だが、もうそろそろこの世を離れなくてはいけなくなっていた。
視界が霞み、光さえ感じ取れなくなっていたから・・・・。
するとその時、群れの中から一匹の蝶が飛んできた。
《おじさん。》
少年の声が俺を呼ぶ。
《おじさんも生まれ変わるんだよ。》
《・・・君は誰だ?》
《僕は優馬。》
《・・・・まさか優馬に宿ってたもう一人の・・・?》
《僕らを守ってくれるんでしょ?一緒に子供の国に行くんでしょ?》
《・・・ごめん・・・もう無理だ・・・・。》
《行けるよ、生まれ変われば。おじさんもおばさんも。》
《おばさん・・・?》
《二人で子供の国を守ってよ。悪い大人がいない世界へ連れてって。》
優馬君は俺を抱えて舞い上がる。
亜子ちゃんは「バイバイ」と手を降り、優馬は何がなんだか分からないといった顔で見つめていた。
俺は大木の枝にそっと寝かされる。
優馬君は羽を広げ、糸を出して大木に巻き付けていった。
《おい・・・まさか自分の命を捨てて助ける気じゃ・・・・、》
《死なないよ僕たちは。》
心配するなという風に笑って、どんどん糸を巻いていく。
すると他の蝶や蛾も糸を巻き付け始めた。
《おじさんもおばさんも生まれ変わる。新しい命に。》
そう言って俺の隣に何かを置いていった。
《これは・・・・?》
《髪の毛。》
《誰の?》
《おばさん。まだ細胞が生きてる。その細胞から新しい命が生まれる。》
優馬君はまた糸を巻き始める。
大木は見る見るうちに糸に覆わていった。
《新しい命か・・・・なら本当の意味で生まれ変わるってことなんだな。》
子供の国から地球へ生き返る時、クローンの他にもう一つ道がある。
それはまったくの別人として誕生するということ。
記憶も自我も消えて、魂だけを引き継ぐのだ。
この大きな繭の中で、俺も妻も別人に変わってしまうだろう。
《お母さんの魂はまだ近くにいるのかな?もしそうなら会いに来てほしいな・・・・・。》
意識がゆっくりと消えていく。
疲れた夜に眠りにつくように、ウトウトと微睡んでいった。
次に目を開けた時、俺は俺でなくなっている。
魂は同じでも、もう俺はどこにもいなくなるのだ。
だけどずっと妻といられるのなら悪くない。
互いに生まれ変わり、また再会できるのなら・・・・・。
視界が薄くなって、暗い闇が押し寄せる。
眠りにつく前、すぐ隣に妻の息遣いを感じた。


     *****


暮れかけた空の若い月に、光る繭が重なっている。
もうすぐ夜がくる。
繭は小さな胎動を始め、二つの命を羽化させた。
一匹は巨大な蝶、もう一匹は巨大な蛾だ。
互いに羽の形も違うし、触覚の形も、顔つきだって違う。
しかし青白く光っていることは同じだった。
まずは蛾が空へ舞い上がる。
羽ばたいた後には鱗粉が降り注ぎ、空へ繋がる道のように光芒を残す。
次に蝶が舞い上がった。
こちらも鱗粉の光芒を滲ませて、蛾の隣へと舞い上がった。
役目を果たした繭は、ボロボロと崩れ去る。
波にさらわれる砂城のように、どこかへ消え去ってしまった。
その中から現れた大木には、小さな蝶と蛾がの群れとまっている。
こちらも青白く光っていて、空に滲む光芒の道をたどっていった。
巨大な蝶と蛾は大木を見下ろす。
そこには人間の子供たちがいて、まん丸に目を見開きながら、二匹のことを見上げていた。
しばらくすると、日は完全に暮れた。
太陽は沈み、月が空を照らす。
月の光は大木にかかり、薄い影を伸ばした。
その影には老人の姿が映っている。
老人は蝶と蛾を見送るかのように、ゆっくりと手を振った。
《達者でな。》
そう言い残し、老人は友に消え去ってしまう。
次の瞬間、大木から凄まじい雷が放たれて、宇宙へと飛んでいった。
夜空に舞う蝶と蛾は、雷が昇っていった空を見上げる。
すると空の遥か向こうから、糸で紡いだ繭の道が降りてきた。
白い竜巻のようなその道は、大きな口を開けて子供の来訪を歓迎している。
小さな蝶と蛾は、次々にその中に飛び込んでいった。
群れの全てが飛び込んだのを見届けると、今度は巨大な蝶が飛び込んだ。
大きなその身体は、繭の道をギリギリ通れるサイズ。
なぜならこの道は、本来子供の為に用意されたものであり、大人を歓迎してくれないからだ。
ここを通れるのは、子供の守護者となる大人だけ。
巨大な蝶はギュウギュウ詰めになりながらも、繭の道の奥へと消えていった。
次は巨大な蛾の番だ。
羽をたたみ、入口に脚を掛ける。
しかし一度だけ地上を振り向いて、触覚の中から何かを投げ落とした。
それは一枚の絵だった。
ヒラヒラと宙を舞い、幼い男の子の手に落ちる。
そこに描かれているのは、子供が夢想するようファンタジックな世界。
空に大きな木が浮かび、幾つもの蝶が舞っている。
ただし画面の下は空白だった。
幼い男の子が、この空白に何を描くのか?
巨大な蛾はとても興味を持っていたが、もうこの星を離れる時間が迫っていた。
地上に背を向け、繭の道へと飛び込んだ。
それからしばらくして、一つの星が地球を離れた。
大きな木が並び、根っこに雲海を張った不思議な星だ。
ここは子供の国。
子供の守護者となる大人と、子供だけが住むことを許される国だ。
今から遠い宇宙へ旅に出る。
巨大な蝶と蛾は、それぞれ星の左右に張り付いた。
そして鱗粉を撒き散らしながら、めいっぱい羽ばたいた。
地球の重力圏を離れる為、とにかく必死に羽ばたき続けた。
羽ばたく度に鱗粉が遠くへ飛んで行く。
不思議な色に光るその鱗粉は、いつしか羽の形となった。
巨大な蝶と蛾が、この星を飛ばす羽が欲しいと願ったからだ。
鱗粉を構成するナノマシンは、主の命令を受けて、子供の国の何倍もの羽を作り上げる。
子供の国の左右から伸びたその羽は、七色に輝くモルフォ蝶のよう。
羽を振れば磁場のレールが伸びていき、まるで列車のごとくその道を駆け抜けていった。
それはあまりに強い磁場の為、地球のどこにいてもオーロラが見えるほどだった。
子供の国はもう二度と地球へは戻って来ない。
地球を離れ、土星を超え、太陽の重力圏からも抜ける頃、羽はより巨大になっていた。
宇宙を駆ける七色の蝶が飛び去った後には、飛行機雲のような光芒が伸びていた。

 

 

     蝶の咲く木 -完-

蝶の咲く木 第三十八話 蝶の咲く木(2)

  • 2018.02.12 Monday
  • 11:33

JUGEMテーマ:自作小説

繭から誕生することが生まれ変わりを意味するなら、俺は二度生まれ変わったことになる。
一度目は人間から蛾へ。
二度目はなつちゃんたちの命をもらい、疵の癒えた完全な身体へ。
『焼けた部分が元通りになってる・・・・。』
羽も脚も身体にも、焦げ痕一つない。
そして自慢の触覚も見事に復活していた。
繭から這い出た俺は、まず周りの異様な景色に息を飲んだ。
『なんだこれ・・・・あちこちに巨木の根が・・・・、』
山をも超える巨大な根っこ、それが至る所にそびえたっている。
しかも無数の蜘蛛の巣を絡ませながら。
『これは戦いの後だな。』
触覚を動かし、周りの気配を探ってみる。
すると雲海の中、二つの巨大な磁場を感じた。
『下か!?』
目を向けるが何も見えない。
景色の色を反転させて、じっと雲海の様子を探った。
『・・・・ヴェヴェ、またステルスを使ってるのか。』
奴の姿だけがハッキリ見える。
その前方にはネガフィルム色をした巨大な蝶がいる。
これは妻だ。
妻は姿の見えない敵に苦戦していた。
糸、鱗粉、そして触手を使って、巨木を操っている。
しかしどれもヴェヴェにはヒットしない。
それどころかヴェヴェのレーザーが巨木を貫通し、じりじりと追い詰められていた。
『待ってろ!すぐ行くからな!』
繭の上から飛び立ち、雲海へ飛び込む。
肉眼では視界が霞むが、触覚を通してなら全てを感じ取ることが出来る。
俺の前方約10キロ、ヴェヴェが妻を追い掛け回している。
《今行くぞ!》
高く舞い上がり、ヴェヴェめがけて隼のように急降下した。
妻に気を取られている奴は、俺の接近に気づかない。
油断大敵とはよく言ったもので、あれだけ用心深い奴だったのに、まともに俺の体当たりを食らった。
『あぎゃッ・・・・・』
変な悲鳴を上げながら、真っ逆さまに落ちていく。
俺は鱗粉を振り撒き、特大の雷を落としまくった。
雲海全体がピカピカと光るほどの稲妻が走る。
しかしヴェヴェには届かない。
直撃する前に、強力な磁場によって防がれてしまう。
雷はヴェヴェの直前で方向を変え、あさっての方角に飛んでいった。
『あんた!』
ヴェヴェの怒りが響く。
俺はかまわずに雷を落としまくってやった。
何十億Vもある雷だが、やはりヴェヴェには届かない。
全て奴の手前で曲がってしまうだけ。
だがこれでいい。こうして雷を落としていれば・・・・、
『死にぞこないが!とっととくたばれ!!』
青白い鱗粉を撒き散らし、レーザーを放ってくる。
その直前に俺はさっさと逃げ出した。
真っ白な光の束が、さっきまで俺がいた場所を駆け抜けていく。
『逃がさない・・・・。』
殺気のこもった声が追いかけてくる。
振り向けばまたレーザーを撃とうとしていた。
それも今まで一番鱗粉をばら撒いて。
青白い光がヴェヴェの周囲へ広がっていく・・・。
真っ白な光が輝いて、広範囲へ向けてレーザーを放とうとしている。
あんなもんが発射されたら、避ける間もなく撃墜されてしまうだろう。
《頼む!気づいてくれ!!》
心で祈りながら逃げまくる。
その願いが通じたのか、ヴェヴェのレーザーが俺まで届くことはなかった。
なぜなら巨木の根っこが何本も立ちふさがって、俺を守ってくれたからだ。
分厚い盾に阻まれて、レーザーは途中で力尽きてしまう。
と同時に、根っこが鞭のようにしなって、ヴェヴェを叩き落とした。
『お父さん!』
妻が飛んでくる。
俺は『お母さんナイス!』と触覚を振った。
『よくやってくれた!』
『雷がバリバリ落ちてたからさ、きっとお父さんだろうと思って。』
『そうじゃなくて、ヴェヴェをシバいてくれたこと。』
『ああ!だって雷が一箇所で曲がってたからさ。もしやそこにヴェヴェがと思ったのよ。
その上の方にはお父さんがいるし、こりゃ間違いないと思って。』
レーザーから俺を守ってくれたのも、ヴェヴェを叩き落としてくれたのも妻のおかげだ。
『俺がヴェヴェの居場所を知らせる。お母さんは思い切りぶっ飛ばしてくれ!』
『それはいいんだけど・・・なつちゃんたちは?お父さんのことは任せてって言ってたけど・・・・、』
心配そうに呟く妻に、『もういない』と伝えた。
『いない?』
『天国へ行った。』
『なんで・・・・、』
『身を削って糸を紡いてくれたんだ。俺を助ける為に。』
『・・・・・・・・。』
『最後はあの少年と一緒に、蓮の中へ消えていったよ。』
ついさっきのことを思いだし、胸が締め付けられる。
それは妻も同じようで、言葉をなくしていた。
『二人でやっつけてって言われたよ。』
『え・・・・?』
『俺とお母さん、二人の力を合わせて、悪い大人をやっつけてって。子供たちを守ってくれって。』
『なつちゃん・・・・、』
『彼女はもう大人だった。だから自分の命を懸けて、子供たちを守ろうとしたんだ。それが大人になった自分の責任だって。』
『・・・・・・・・・。』
蝶に涙を流す機能はない。
しかし妻の気持ちは痛いほど伝わってくる。
触覚を通して、悲しみと怒りと、そして申し訳ないという思いが。
『ごめん・・・何もしてあげられなくて・・・助けられてばっかりで・・・・。』
複雑な気持ちは俺も同じで、だからこそ戦わなければならない。
ヴェヴェはまだ生きている、あの程度でくたばるような奴じゃあない。
・・・・触覚を通して、雲海の下から強力な磁場を感じた。
またレーザーを撃とうとしているのだろう。
俺は妻を抱え、雲海の上へと逃げ出した。
その直後、真っ白な光が乱射される。
巨木の根っこは穴だらけになって、もうもうと炎を上げた。
『俺がヴェヴェの位置を知らせる!だからお母さんは・・・・、』
『やってやるわよ!言われなくても。』
妻の羽から糸が伸びてくる。
とても細い糸だ。
それをなぜか俺の身体に纏わせた。
『お母さん?』
『これで知らせて。奴の居場所。』
『・・・・ああ、なるほど。糸電話ってわけだ。』
糸を通して鱗粉を飛ばせば、意志の疎通が可能になる。
そうやって妻は巨木を操っているのだから。
『分かった。なら前衛は任せるよ。』
『言われなくてもやってやるわ!アイツだけはぶっ飛ばさないと気がすまない!!』
妻の怒りは最高潮に達する。
『来るぞ!またレーザーだ!』
糸を通してイメージを送る。
妻はサッと左に旋回して、見事に攻撃をかわした。
『雲海から出てくる!』
またイメージを送る。
妻はお尻の触覚を振って、周りにそびえる根っこを動かした。
・・・・次の瞬間、雲海から奴が飛び出してくる。
奴もまた根っこを従えていて、こちらに向けて鞭のように振ってきた。
『うおおおおお!』
山と同じほどの巨大な鞭が、荒れ狂う龍のごとく襲いかかってくる。
しかし俺には見えている・・・・触覚に神経を集中させると、まるで高性能なコンピューターのように、どのような軌道で襲いかかってくるのかハッキリと分かった。
俺も妻も、ガンダムに乗ったアムロ・レイのごとく、ヒラヒラと攻撃をかわしていく。
《こりゃすごい!》
蛾の身体に慣れてきたせいか、さっきよりも触覚が鋭敏になっている気がする。
そして・・・それは妻も同じだった。
『さっきのお返しよ!』
羽を震わせ、青白い鱗粉をばら撒く。
真っ白が光がヴェヴェに向かって飛んでいった。
しかし奴には当たらない。
羽を透明に変えて、幽霊のように攻撃をすり抜けてしまう。
『またこれか!いったいどうなってんだ・・・・、』
このままではこっちの攻撃は一切通らない。
困っている間にも、根っこは襲いかかってくる。
そのうち巨木の枝までもが・・・・、
『上からもかよ!』
攻撃を予測することは出来る。
しかし全てかわすとなると・・・・、
『うおッ・・・・・、』
触覚のすぐ先を根っこがかすめる。
慌てて後ろへ回避したが、今度は上から枝が・・・・、
《あ・・・・、》
もうかわせない・・・・尖った枝が俺の身体めがけて刺さるイメージが・・・・、
しかしすぐに別のイメージがそれを打ち砕く。
横から巨木がそびえて、枝を受け止めたのだ。
『大丈夫!?』
『お母さん・・・・、』
『お父さんが串刺しになる光景が見えたから。』
『そうか・・・イメージを共有してるんだったな。』
間一髪セーフとなったが、次はどうなるか分からない。
ヴェヴェはまたぞやレーザーを乱射して、俺たちを追い詰めてくる。
逃げた先からは枝が襲いかかり、蜘蛛の巣のように網を張った。
ドロっとした粘液がにじみ出て、触れただけでも大怪我を負うだろう。
『クソッ・・・ほんっと厄介な。』
遥か後ろの方から『私から逃げられるわけないでしょ』と笑い声が響いた。
『子供の国は渡さない。私こそが子供を幸せにしてあげられるんだから。』
『自分こそが悪魔だって気づかないのか?』
『悪魔は人間の大人でしょ?それを根絶やしにすることが、子供にとって一番良い事なのよ。』
『親を奪われる子の気持ちを考えないのか!』
『子供を虐待する親がゼロになったら考えてもいいわ。そんなのあり得ないけど。』
四方八方に蜘蛛の巣が張り巡らされていく。
これではもう逃げ場がない・・・・。
『お母さん!どうにかできないか?』
『やってるけど・・・支配を奪われてるみたなの。』
『なんだって?』
『巨木と意志疎通してみて分かったんだけど、これって生き物というよりコンピューターに近いみたい。』
『コンピューター?』
『なんかネットをやってる感じなのよ。頭とパソコンが直に繋がってて、考えるだけで動かせるみたいな。』
『でもこれって、元はといえばヴェヴェの触手なんだろう?』
『・・・・・鱗粉。』
『ん?』
『私たちの鱗粉って、小さなコンピューターなのかも。』
『どういうことだ?』
『一つ一つが生き物みたいな感じで、だけど命は持ってない。命令をすれば色んな仕事をしてくれるけど、自分で勝手に動いたりしない。
・・・・この巨木も同じなのかもしれない。小さな何かが集まって出来ていて、命令を下すと動くのよ。』
『要するに・・・・機械ってことか?』
『うん、だからネットみたいな感じ。鱗粉も巨木も小さな機械・・・繋がってみてそう感じるの。もっと言うなら・・・・、』
そこまで言いかけた時、頭上から粘液が落ちてきた。
そいつは俺の羽に触れて、焼け付くような痛みが走る。
『・・・・・ッ!』
次から次へと降ってくる粘液は、もはやかわしようがない。
やがて蜘蛛の巣が狭まってきて、このままで身動きさえも封じられてしまうだろう。
『どうにか支配を奪い返せないか!?』
『・・・・・無理だわ。ヴェヴェが邪魔してくる。どんなに命令を飛ばしても、すぐにキャンセルされるような感じ・・・・。』
『クソ!』
奴を睨むと、じっとこちらを見つめていた。
優雅に羽ばたきながら、俺たちが息絶えるのを楽しんでいるようにさえ見える。
『どうする?このままじっくり溶かされるか?それともレーザーで即死がいい?』
クスクスと笑って『死に方くらい選ばせてあげるわよ』と言った。
『舐めやがって・・・・。』
腹立たしい奴だが、こっちは打つ手がない。
妻の言う通り、この巨木がコンピューターだとするなら、支配を奪い返すのは難しいかもしれない。
奴はこの機械の扱いに長けているのだ。
その支配を奪い返すとなると、素人がハッカーの操っているパソコンを奪い返せというのと同じくらい無理な話だ。
モタモタしているうちに、粘液は俺たちを蝕んでいく。
右の触覚にポタリと落ちて、一部が溶けてしまった。
《マズい・・・・また触覚を失ったらもう・・・・、》
なつちゃんたちが命と引き換えに助けてくれたこの命。
こんな所で倒れるわけにはいかない。
どうにか・・・どうにか出来ないか・・・・、
『・・・・・ああ!』
ふとあることを思いつく。
『お母さん!』と振り向くと、すでにそれを実行していた。
鱗粉を全て落とし、羽を透明に変えていたのだ。
『そうだ!それなら出られる。』
羽が透明になった妻は、薄く幽霊のように透き通る。
そして・・・・・、
『おお!』
スルリと蜘蛛の巣を抜けて、外へと羽ばたいていった。
これにはヴェヴェも驚いたようで、『あんたどうして!』と叫んだ。
『蝶になって間もない奴が、なんでそんな高度な技を・・・・、』
『巨木が教えてくれた。』
『はあ?』
『あれって大きなコンピューターみたいなもんなんでしょ?』
『・・・・・・。』
『だったらさ、中にいろんな情報が保存してあるんじゃないかと思って。
支配を奪うのは無理でも、情報の検索くらいなら出来るなって。』
『アンタあ・・・・・、』
『パソコンで検索かける要領でさ、頭の中で思い浮かべたの。透明になるにはどうしたらいい?って。
じゃあ教えてくれたわ。全ての鱗粉を落としてからステルスを使えばいいって。
でもステルスの使い方が分かんないから、それも検索した。これも簡単なのね。
頭の中で、光が透けていくイメージをすればいいだけだもん。
そうすれば本当にそうなる。光の屈折がゼロになって、誰からも見えなくなるのよ。』
『・・・・・・・。』
『頭で思うだけでそうなるのは、私たち自身がコンピューターと一緒なんでしょ?
小さくて生き物に近い機械、ナノマシンだっけ?巨木がそう教えてくれた。
鱗粉も巨木も、そして私たちも、小さな機械の集まりなのよ。
だからこの身体に付属している機能は、イメージするだけで使える。多少の慣れは必要だけど、理屈が分かれば簡単よ。』
そう言ってからヴェヴェに体当たりをかました。
するとさっきまでどんな攻撃も通らなかったのに、まともにヒットした。
大きな音が響き、ヴェヴェは下へと落ちていく。
妻はその隙に支配を奪い返し、蜘蛛の巣を解いてくれた。
『お父さん!』
『大丈夫・・・大丈夫だ・・・・。』
あちこち爛れているものの、レーザーを食らった時ほど酷い怪我じゃない。
それよりも・・・・、
『お母さん、さっき言ってたこと本当なのか?俺たち自身が機械だって。』
『ヴェヴェのいた星じゃ、ここより文明が発達していたみたい。生き物は生の肉体を捨てて、機械の肉体に意識を宿すようにしたのよ。』
『それがナノマシンってわけか。まるでSF映画だな。』
『でね、透明になったアイツに攻撃を仕掛けるには、こっちも透明になる必要があるわけ。
なんでかっていうと、力場っていうのを形成してるからだって。』
『力場?』
『すごい高性能なバリアみたいなもん。鱗粉のバリアと違って、このバリアはなんでもすり抜けて無力化しちゃうんだって。
けど同じバリア同士がぶつかると、相殺して攻撃が当たるようになるの。』
『そりゃすごい!これであいつを倒せるかも・・・・、』
『でも弱点もある。』
『どんな?』
『このバリアを使うと、物に触れなくなるの。そうなるとお父さんから情報をもらうことも出来ない。』
『・・・・ああ!糸を繋いで交信が出来なくなるからか・・・・。』
『うん。それに巨木も操れなくなる。』
『え?でもさっきヴェヴェは操って・・・・、』
『前もって巨木に命令を与えとくのよ。時間差で動くように。』
『なるほど。』
『このバリア、強力だけどそういうマイナスなこともある。』
『じゃあ・・・どうすればいい?情報を共有できないんじゃ、向こうの動きを把握しづらいぞ。』
『その通り。だからね・・・・マイクロ波を使ってほしいの。』
『マイクロ波?それってなつちゃんが言ってたあの?』
『そう。このバリアってね、なんでも無力化しちゃうけど電波は無理なのよ。』
『無敵じゃないってわけか?』
『そうよ。ほら、鱗粉のバリアだって弱点があるでしょ?あれは光は防げない。』
そう言われて、俺は核が落ちた時のことを思い出した。
あの時、熱や衝撃は遮断していたが、光だけはこの目に届いていた。
『そうか・・・よくよく考えればそうだよな。光が届くから閃光が見えたわけだもんな。だからレーザーも防げないわけか。』
『マイクロ波って電波でしょ?それを使えば、力場をすり抜けてラジオみたいに情報の受信が出来るのよ。』
『なるほど。なら力場をすり抜けて、お母さんに情報を送ることが出来るな。でも・・・・どうやって使うんだ。蛾にそんな力は・・・・、』
『ある。』
妻は言い切る。
『巨木は色んな情報を保存してたわ。だから蛾のことも検索してみたのよ。そうしたら・・・・、』
『そうしたら?』
『電磁波を飛ばす力があるんだって。』
『電磁波?電波じゃなくて?』
『ええっと・・・・、』
妻はじっと黙り込む。おそらく検索を掛けているのだろう。
『電波は電磁波の仲間なのよ。それで・・・光よりも波長が長いもので、マイクロ波とか短波を電波って呼ぶみたい。
その反対が紫外線とか放射線。光よりも波長が短くて、レントゲンで使うX線も同じ。』
『なるほど。』
『要するに蛾の触覚は電波も飛ばせるってこと。』
『それは分かったけど、具体的にどう飛ばすんだ?』
『触覚から出るみたい。例えばレーダーみたいに。』
『なるほど・・・あれも電波を飛ばして、跳ね返ってきたやつを受信してるんだっけ。』
『そうやってより遠くの物を探知したり、視界が悪い場所でも正確に見ることが出来るのよ。だから・・・・・、』
『だからマイクロ波を飛ばせば、お母さんに情報が送れると?』
『私の触覚はお父さんみたいな優れ物じゃない。けど受信くらいなら出来ると思う。だから私に向かって飛ばしてくれれば・・・・、』
そう言いかけた時、下からヴェヴェが迫ってくるのを感じた。
今までにないほど磁場が歪んでいる。
『何か仕掛けてくる気か?』
ヴェヴェは羽を広げる。
そして自分自身を真っ白に発光させた。
『まさか・・・・、』
ヤバいと思い、妻を抱えてその場から逃げる。
ヴェヴェはますます輝いて、遠く離れていても光が届くほどだ。
こうなってはもうごちゃごちゃ言っていられない。
『お母さん!電波を飛ばすやり方は?』
『触覚を広げて!』
『広げる?』
『蛾の触覚は櫛みたいになってるでしょ?それを羽みたいに広げるのよ!それを振動させれば電磁波が飛ぶ。
振動が強ければ紫外線や放射線を、弱ければ赤外線や電波を。』
『分かった!』
俺は言われた通りにやってみた。
触覚を羽みたいに広げ、ゆっくりと揺さぶる。
すると空気が揺れる音が響いてから、触覚から何かが出ている感じがあった。
『どう?イメージを送れてる?』と妻に尋ねる。
『・・・・何も見えない。』
『じゃあもっとゆっくり振動させてみる。』
『・・・・・来た!見える見える!お父さんのイメージが。』
『何か来るぞ!気をつけろよ。』
片方の触覚はヴェヴェに向け、もう片方を送信に使う。
かなり疲れるやり方だが、奴を倒すまでは続けるしかあるまい。
『もういい・・・・。』
怒りのこもったヴェヴェの声が響く。
『巨木へアクセスする方法を知られたんじゃ、何がなんでも殺すしかない。』
エコーのかかった声ははやまびこのように響き、四方八方から飛んで来る。
『けどさすがに二人も相手にしてると分が悪いわ。』
『じゃあもう諦めたらどうだ?』
『馬鹿言わないで。地球みたいな星は滅多にないのよ。私がここへ辿り着いたのは偶然じゃない、きっと子供たちが呼んでいたのよ。
この星の大人から救ってくれって。』
『お前の子供対する愛情は認めるけどな、やり方が強引すぎるんだよ。そんなんじゃ酷い大人と変わらない。』
『子供なんだか大人なんだか分からないお前に言われたくないわ。とにかく・・・・もうここはいらない。』
『なんだって?』
『子供の国なんていらないって言ったの。地球さえ手に入れば、あの星そのものを子供の楽園に変えることが出来るんだから。』
『自分で作っといてよくもそんな・・・・、』
『自分で作ったから言えることなのよ。お前らこそ私が作った国を勝手に乗っ取ろうとして・・・・何様なの?』
『お前が勝手なことしてくれるからだ!地球を侵略ってふざけんじゃねえ!』
『侵略じゃない、子供の為に良いことをしようとしているの。それが分からないお前こそふざけんじゃないわよ。』
『お前がやってることは、子供を不幸にしてるだけなんだよ!いい加減気づけよこの宇宙人!』
『だからそういうことは虐待や犯罪をゼロにしてから言いなさいよ。進化途中のサルの分際で偉そうに。』
ヴェヴェとのやり取りは平行線で、汚い言葉だけが飛び交う。
『もういいでしょ、口喧嘩も飽きたわ。』
ヴェヴェの輝きはさらに増す。
俺は『お前・・・・』と震えた。
『自爆するつもりか?』
『まさか。ただここを潰すだけ。お前らも一緒にね。』
どんな攻撃をするつもりなのか予想もつかないが、タダではすまないことはだけは確かだろう。
『お父さん!もういいからやっちゃおう!』
妻は羽を広げ、ヴェヴェに向かって飛んでいく。
『おい!正面から突っ込むな!何がくるか分からないのに・・・・、』
『何か来たら知らせてよ!』
迷うことなく突っ込んでいく妻は、勇敢と同時に無謀だ。
俺に出来ることはただ一つ、ヴェヴェの動きを探ることだけ。
触覚からマイクロ波を飛ばしつつ、ヴェヴェの様子を探った。
『磁場がどんどん大きくなってる・・・・これってまさか・・・・、』
一つ、思い当たる攻撃がある。
それはEMP兵器、いわゆる電磁パルス攻撃ってやつだ。
核兵器を地上100キロ以上で爆発させると、熱や爆風の代わりに、強烈な電磁気の影響で電子機器が壊れることがある。
爆発時に放射されたガンマ線が、大気の空気分子に衝突し、電子を飛ばすのだそうだ。
そいつは地球の磁場に乗って強力な電磁パルスを発生させる。
すでにアメリカと旧ソ連が実験済で、電磁パルスの影響で停電が起きたほどだという。
生き物にはほとんど影響はないというが、子供の国は小さな機械であるナノマシンで出来ている。
ていうか俺たちも・・・・、
《もし電磁パルスで攻撃したらヴェヴェまで死ぬんじゃないか?》
そう思ったが、奴は「自爆ではない」と言った。
『いったい何を仕掛けてくる気なんだ?』
ヴェヴェの周囲の磁場はさらに大きく、強力になっていく。
そして・・・ついにその攻撃は来た。
『お母さん!くるぞ!』
妻にメージを送る。
それと同時にヴェヴェの攻撃は放たれた。
・・・俺の予想通り、やはり電磁パルス攻撃を仕掛けてきた。
奴の周囲から強烈な電磁波が放出されて、波状に広がっていく。
そいつは瞬く間に周囲を飲み込んで、巨木を枯らしてしまった。
・・・いや、機能を停止させたといった方が正しいかもしれない。
巨木はボロボロと崩れ去り、砂のように分解されてしまった。
雲海も同様だ。
その攻撃範囲は広く、たった一度の放出で、子供の国の三分の一を塵に変えてしまった。
《なんて威力だよ・・・・。》
鱗粉のバリアのおかげで、どうにか難を逃れた。
逃れたが・・・・まだ脅威は終わっていない。
なぜならヴェヴェはすでに二発目の体勢に入っていたからだ。
『今度はレーザーも一緒に飛ばしてやるわ。』
またぞや真っ白に輝いて、大きな力を蓄えていく。
『お母さん!無事か?』
そう信号を送ると、『平気』と声がした。
『どこだ!?』
『ヴェヴェの後ろ。』
いつの間にか奴の背後に回っている。
力場のおかげでダメージは受けていないようだが、接近し過ぎるのは危険だ。
『邪魔。』
ヴェヴェはまた電磁パルスを飛ばす。
子供の国はボロボロと崩れて、ほとんど原型を失くしてしまった。
と同時に、妻にもダメージがあった。
近い距離で受けたせいか、完全に防ぐことが出来なかったようだ。
羽の一部が損傷している。
《マジかよ・・・・。》
あの電磁パルス、どうやら電波をを含んでいるらしい。
そうでなければ力場をすり抜けるはずがない。
羽を傷つけられた妻は、それでもヴェヴェから離れない。
『お母さん!レーザーがくる!』
ヴェヴェはいつの間にか青白い鱗粉を撒き散らしていた。
『逃げろ!』
頭に浮かんだレーザーの軌道を送る。
しかし妻は逃げない、ヴェヴェの傍から離れようとしない。
そのせいで左羽のほとんどを失うほどの重傷を受けていた。
『なんで逃げないんだよ!殺されるぞ!』
『・・・・・・。』
『お母さん!』
レーザーの軌道は教えたはずだ。
逃げようと思えば逃げられたはずなのに・・・・、
『お父さん・・・・、』
妻の声が小さい・・・・かなり弱っている。
ヴェヴェはまたしても光り輝き、『次で最後』と言った。
『これで子供の国は消滅する。ついでにお前らもね。』
磁場は今までにないほど強力に膨れ上がる。
強い磁場は核反応の熱さえ封じ込めるというが、もしこの直撃を受けたら、鱗粉のバリアで完全に防げるだろうか?
ヴェヴェは俺たちを殺すつもりでいる。
次に来るであろう特大の電磁パルス、そいつは俺と妻さえも砂塵に変えてしまうのでは・・・・、
『お父さん・・・・、』
また妻の声が響く。
とても弱々しい声だが、触覚にはハッキリと届いた。
『感じて・・・・。』
『何を!』
『それを私に教えて・・・・、』
『だから何を!?』
『ヴェヴェの弱点を・・・・、』
『弱点?』
『こいつは・・・・普通に戦っても勝てない・・・・。』
『そんなの分かってるよ!だから傍から離れろ!』
『私がコイツから離れたら・・・・すぐにお父さんを・・・・殺しに来るはず・・・・、』
『え?』
『襲ってきたら・・・確実に殺される・・・・せっかくなつちゃんたちが・・・助けてくれたのに・・・・、』
『・・・・・・・・。』
『でもこのままじゃ・・・私も死んじゃう・・・・。そうなったら・・・・お父さんも死ぬ・・・・。』
妻は巨木の根っこを動かし、俺の前にそびえ立たせる。
おそらく盾のつもりだろう。
『さっきから・・・ずっとお父さんを・・・・狙ってるのよ・・・。だから早く弱点を・・・・、』
『・・・・・・・・。』
『コイツは強い・・・・私たちよりずっと・・・・。同じ宇宙人のはずなのに・・・・何か秘密があるはず・・・・、』
『秘密?』
『きっと・・・・それが弱点・・・・。だからお願い・・・・私が生きてるうちに・・・・・、』
俺は言葉を失くす。
妻があえて攻撃を喰らっていたのは、俺を守る為だった。
『お母さん・・・まさかとは思うけど・・・・・、』
『いいから早くして!もう長くもたないから!!』
『・・・・分かった。』
触覚に全神経を集中させる。
《弱点・・・・弱点か。》
よくよく感じてみると、ヴェヴェの他にもう一つ磁場の広がりがあった。
これは妻のものだろう。
こうすることで、電磁パルスの威力を抑えていたのだ。
もしフルパワーのまま放たれていたら、子供の国は消滅していただろう。
妻は身を盾にして子供の国を守っていたのだ。
『お母さん・・・・。』
言いたいことは色々ある。
なぜなら・・・・妻は自爆をしようとしているからだ。
身を盾にするどころか、その身を武器に変えようとしている。そういう意志が伝わってくる。
しかし弱点を見抜かなければ、その自爆も無駄に終わるだろう。
次にヴェヴェが攻撃を放ったら、ここは完全に消滅してしまう。
それだけはなんとしても避けないと。
『秘密・・・・ヴェヴェが俺たちより強い秘密・・・・・、』
必死に探るが、なかなか思い当たらない。
そもそも触覚の一つをマイクロ波の送信に向けているので、さっきほど強く探ることが出来ないのだ。
《こうなったら一時的にマイクロ波の送信を止めて、奴の弱点を探ることに全力を・・・・、》
そう思いかけて、《ん?》とあることを思い出した。
《マイクロ波・・・・送信を止める・・・・・・・・あああああ!》
二度目のピコンがきた。
頭の中に音が鳴りそうなほど、これだ!って思い当たるものがあったのだ。
《そうだよ!マイクロ波だ。ここには爺さんの大木からマイクロ波が送信されているんだ。
もし・・・もしもヴェヴェがその電力を吸収していたら?子供の国を維持するほどのエネルギーだ。
その一部でも自分の力に変えていたとしたら・・・・・。》
ヴェヴェはあり得ないほど強力な攻撃を連発してくる。
鱗粉を消耗したって、すぐに新しい鱗粉をばら撒いて、レーザーを撃ってくるし・・・・。
《もしそうなら、奴の強さにも納得がいく。だって地球から延々とエネルギーを受け取ってるってことなんだから。
じゃあそれさえ断ち切れば、俺たちにも勝機はある!》
ヴェヴェの弱点を探るのに全神経を傾ける。
すると・・・・・、
《・・・これか?ヴェヴェの磁場のせいで気づかなかったけど、遠くから電波らしき物が飛んできてる。》
飛んできた電波を、ヴェヴェは触覚で受信しているようだ。
てことはあの触覚を切り落とせば・・・・、
《迷うな!もうそれしかない。》
マイクロ波を通じて妻に語りかける。
《お母さん、そいつの弱点は触覚だ。そこから大きなエネルギーを受け取ってる。それさえ絶つことが出来れば勝てるかもしれない。》
妻は頷き、根っこを動かして、触覚を狙おうとしている。
しかしきっと当たらない。
ヴェヴェはすんなりかわしてしまうだろう。
《いつ電磁パルスが発射されてもおかしくない!俺が・・・・俺がやってやる!》
蛾もステルスは使えるはずだ。
頭の中でひたすら透明になることをイメージした。
すると光の屈折がゼロになり、身体が景色の中に溶け込んだ。
ヴェヴェは『奇襲なんか無駄よ』と笑う。
『お前なんか怖くない。臆病者のダメな大人なんだから。』
俺を舐め切っている・・・・でもそれでいい。
油断してくれた方がいい。
《俺だって戦える!こっちにも武器はあるんだからな。》
マイクロ波、この電波は通信だけでなく、あることにも使えるのだ。
例えば・・・・そう、電子レンジ。
あれもマイクロ波を発生させることで、食べ物の中にある水分を振動させて、摩擦熱を起こしているのだ。
だったら俺も同じことをすればいい。
ヴェヴェの触覚を目がけて、このマイクロ波を飛ばせば燃やせるはずだ。
いわゆるメーザー砲ってやつだ。
《気づかれちゃ終わりだからな。なるべく気配を殺しながら・・・・、》
ゆっくりと死角へ回りこむ。
触覚を振動させ、マイクロ波のビーム、メーザー砲を撃った。
・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・ヴェヴェは違和感を覚えたようで、キョロキョロと俺を捜し始める。
『お前・・・・どこに隠れてる?何を企んでるの?』
『・・・・・・。』
『・・・・なに?触覚が熱い。』
『・・・・・・・。』
『・・・・・・・。』
『・・・・・・・。』
『・・・・まさか・・・・、』
今頃気づいても遅い。
メーザーは波長の長い光であり、力場をすり抜けてしまう。
やがてヴェヴェの触覚は煙を挙げ、ついには燃え始めた。
『あんた・・・・これが狙いだったのね!』
怒って俺を捜そうとするヴェヴェ。
意識は完全に俺に向いている。
するとその隙をついて、妻が攻撃を仕掛けた。
巨木の枝をあやつって、鞭のようにしならせたのだ。
『あ・・・・・、』
ヴェヴェは短く叫ぶ。
なぜなら妻の放った一撃が、燃えて脆くなった触覚を叩き潰したからだ。
これでエネルギーの元は経たれたはず。
『て・・・テメエらあああああああ!!』
エコーが何重にも響く。
激しいほどの怒りは焦っている証拠だ。
それとは逆に、妻は落ち着いていた。
『くたばれ。』
ボソっと呟いて、巨木の根っこを振り下ろす。
そいつはヴェヴェの右羽を叩き潰し、返す刀で左の羽も叩き潰した。
『ああ!』
焦るヴェヴェ、妻は羽を広げて真っ白に輝いた。
『エネルギーが断たれて羽も失った・・・・。この状態で電磁パルスを喰らったら・・・・、』
『や、やめて・・・・、』
妻は真っ白に輝く。最後の攻撃を放つために。
『あんたは死ぬ、私の一撃で・・・・。』
『こ、来ないで・・・・、』
『電磁パルスは自分にもダメージがいく。なのにアンタは無事だった。
その秘密は大木からエネルギーを受け取っていたからでしょ?
傷ついた身体を瞬時に再生させてたから無事だった・・・・違う?』
『来るなって言ってんでしょ!』
羽を奪われながらも、ヴェヴェは宙に浮いている。しかしもう素早く飛ぶことは出来ない。
まるでイモムシのように、えっちらおっちらと身体を動かし、妻から逃れていく。
『心配しなくても、あんた一人が死ぬんじゃない。私と一緒だから。』
『だから来るなって!こっち来ないでよ!!』
『子供の国から離れましょ。でないと・・・・私のせいで滅んじゃうから。』
妻はガッチリとヴェヴェを捕まえる。そして俺を振り返った。
『お父さん、優馬のことお願いね。』
『・・・・・・・・。』
俺は何も言えずに固まる。
妻は残された力を振り絞って、瞬く間に遠ざかっていった。
壊れかけた子供の国を飛び出して、宇宙空間へと羽ばたいていく。
『お母さん!』
一瞬だけ俺を振り返り、小さく頷いてみせる。
それから一分もしないうち、遠く離れた場所で閃光が走った。
放たれた電磁気が触覚を刺激して、妻の声を響かせる。
『あとは任せた。』
小さな声だが、はっきりとそう聴こえた。
閃光が消えたあと、砂塵となった二人の欠片が、宇宙へ霧散していく。
妻は自分の命を武器として、ヴェヴェを葬り去ったのだ。
『・・・・・・・・・。』
不思議と感情が湧かなかった。
ヴェヴェを倒した喜びも、妻を失った悲しみも。
なぜなら二つの感情がぶつかり合い、どちらともつかずに放心するしかなかったからだ。
妻が最後に残した『後は任せた』という言葉。
・・・そう、俺は託されたのだ。子供たちを、そして子供の国を。
しかし今すぐ動くことは出来なかった。
魂の抜けた亡骸のように、二人が消えた場所をただ見つめていた。

蝶の咲く木 第三十七話 蝶の咲く木(1)

  • 2018.02.11 Sunday
  • 11:28

JUGEMテーマ:自作小説

反論できない言葉というのはある。
「お前は戦いに向かない」と言われた俺は、まったくその通りだと受け入れるしかなかった。
なにせ奴には手も足も出なかったのだ。
かなり手加減されていたのに、俺ときたら情けなくも震えるばかりだった。
勇気にも色々あるから、一つの事ができるからといって、別の事が出来るとは限らない。
人間を捨ててまで宇宙人になった俺だが、やはり殴り合いの喧嘩は怖かった。
妻が加勢してくれたものの、俺たちのような平凡な夫婦では、ヴェヴェには勝てない。
どうしたもんかと困っていると、また核弾頭が迫ってきた。
ヴェヴェは背を向け、どこかへ姿をくらます。
俺と妻は必死に鱗粉を振り撒いて、核の灼熱に備えるしかなかった。
雲の上から落下してくる弾頭は、街の上空で眩い閃光を放った。
辺り一面真っ白に染まり、何も見えなくなる・・・・。
だが鱗粉のおかげか、熱も爆風も俺たちまで届かない。
《すごいなこれ・・・・。》
いったいどういう原理か知らないが、核爆発を防ぐバリアなんて地球上にはない。
やはりヴェヴェは超文明の宇宙人なのだ。
『お母さん!無事か?』
後ろを振り返ると、そこに妻はいなかった。
『え?あれ?』
さっきまでここにいたたずだ。
もしやステルスかと思ったが、そんなものを使う意味もない。
『お母さん!どこだ?』
まさか吹き飛ばされたのかと不安になる。
しかし・・・・すぐにそうではないことが分かった。
真っ白な閃光の中、触覚を通してある情報が流れ込んできたのだ。
《まただ・・・またネガフィルムみたいに景色が・・・・、》
オレンジと茶色の中間の、色が反転した景色が浮かび上がる。
辺りは核の光で見えないはずなのに、なぜか周りの様子がハッキリと感じることが出来た。
そしてそんな変てこな景色の中、もうもうと昇るキノコ雲の中に、二匹の蝶が見えた。
これはヴェヴェと妻だ。
妻は周りの景色と同じように、色が反転して見える。
しかしヴェヴェは違った。
ハッキリと色が出ている。
キラキラと輝くモルフォ蝶のような姿が。
《なぜこいつだけ色が反転してないんだ?》
ヴェヴェは妻を抱え、高い空に昇っていく。
そしてクルっと旋回してから、羽を閉じて急降下していった。
『まさか叩きつけるつもりか!』
雲に近い高さから降下して、ぐんぐんスピードを上げていく。
いくら巨大な蝶になったからって、あの速度で叩きつけられたら無事ではすまないだろう。
『クソ!ヴェヴェの奴これを狙ってやがったのか!』
核が落ちる寸前、奴はステルスで姿を消した。
おそらく奇襲を仕掛ける為だ。
『油断した・・・・てっきりどこかへ逃げたと思ったのに。』
俺は羽を振るい、大量に鱗粉をばら撒く。
そのままバサバサと羽ばたくと、鱗粉は風に乗って広がっていった。
するとその分だけバリアも広がって、核の火球の外へと続く一本の道が通った。
『今行くぞ!』
バリアの道を飛びぬけ、外へと躍り出す。
景色は相変わらず反転したままで、ヴェヴェが妻を抱えながら落下していく様子が見えた。
『うううおおおおお!』
これでもかと羽を動かし、急いで助けに向かう。
案の定、ヴェヴェは真っ逆さまに妻を投げ落とした。
《クソ!間に合うか・・・・、》
まるで隕石のように落ちていく妻。
このままじゃ間に合わない・・・・と思った時、妻はめいっぱい羽を広げた。
羽は湾曲しながら、風を受け取るようにしなっている。
そのおかげか、速度が落ちて間一髪助けに入ることが出来た。
俺は妻の下敷きになり、また河原へと叩きつけられる。
『ぐぎゅッ・・・・、』
『お父さん!?』
どうやら妻は無事のようだ。俺はけっこう効いたけど・・・・、
『仲の良い夫婦だこと。でも奥さんの方には死んでもらうわよ。』
ヴェヴェは羽ばたきを繰り返し、鱗粉を撒き散らす。
そいつは今までの鱗粉と違い、青白く輝いていた。
とても綺麗な光景だが、嫌な予感がする・・・・。
『逃げるぞ!』
妻を抱え、慌てて飛び退く。
・・・・その直後、青白い鱗粉は真っ白に輝き、何本もの光の束を降らせた。
《なんだあれ?レーザーか?》
光はしばらく降り注ぎ、そいつが消える頃には地面に穴が空いていた。
まるでダムのような大きな穴が・・・・。
『何が起きたのあれ!なんでいきなり地面に穴が・・・・、』
『何って・・・・レーザーみたいなのが降ってきたからだろ。』
『レーザー?いつ降ってきたのよそんなもん。』
『ついさっきだよ。見えなかったのか?』
『何も見えないわよ。』
『・・・・・・・。』
『・・・どうしたの?』
『お母さん、ヴェヴェの姿見えてるか?』
『見えるわけないじゃない。あいつ今透明になってるんでしょ?でもさっき投げられたのは絶対にアイツの仕業よ!』
どうやら何が起きたのかまったく分かっていないらしい。
《・・・・なるほど。景色の色が反転して見えるやつ、ステルスを探知する機能なのかも。》
ヴェヴェはまだ空に浮いている。
もう一度青白い鱗粉を振り撒いて、光の束を降らせてきた。
慌てて妻を引き、その場から逃げる。
と同時にヴェヴェが動いた。
急降下してきて、ガッチリと妻に組み付く。
『あんたは死んでもらうから。』
ガッチリとホールドして、また青白い鱗粉を振り撒く。
『離せお前!』
『邪魔。』
羽で叩かれて弾き飛ばされる。
『お父さん!』
『後ろだ!お母さんを掴んでる!』
『それは分かるけど見えないのよ!』
『触覚だ!触覚で感じるんだ!』
そう言って俺の触覚を振って見せると、ヴェヴェは『無理よ』と笑った。
『蝶の触覚は蛾ほど敏感じゃないの。よっぽど今の身体に慣れないとステルスを見破れないわ。』
『ヴェヴェ!お前アレだろ!触手を奪われるのを怖がってるんだろ!!』
『なんのこと?』
『とぼけるな!さっきお前は尻から触手を伸ばしてただろうが!あれは子供の国の巨木と繋がってるんだろ?』
『・・・・なるほど、なつちゃんから聞いたのね。』
憎らしそうに俺を睨む。
『まったく・・・大人になるとほんとロクなことしないわ。後で殺さないと。』
『今はお前のこと話してんだよ!なつちゃんは関係ない。』
ヴェヴェのリアクションを見て、どうして妻を狙うのかハッキリした。
『さっき巨大な蛾と戦う時は、触手を使ってたよな?あのおかげで楽に勝てたんだろ?
なのに今は使おうとしない。それってつまり、あの触手は蝶だけが使えるものなんだろ?
もし妻にそれを使われたら困る、だから真っ先に殺そうとしてるんだろ!』
『妄想ね。』
『いいや違う。俺たちを殺すのだって、アレを使えばすぐにすむはずなのに。』
蝶と蛾は違う虫だ。
だったら別々の機能を備えていたっておかしくない。
例えば俺の触覚の方が、蝶の物より優れているみたいに。
『きっと蛾は触手を出せないんだ。あれは蝶だけが使える武器なんだろ?』
『だとしたら何?』
『妻も触手を出せばいい。そうすれば・・・、』
『だからそれはあんたの妄想。』
『なら俺がお前を・・・・、』
『無理よ、私には勝てない。』
『・・・・それはそっちも一緒だろ?これ以上卵を産もうと思ったら、交尾する相手が必要だ。
俺を殺したら最後、もう卵は産めないぞ。』
『ふふふ、そうでもないわよ。地球さえ侵略すれば、いくらでもエネルギーは手に入る。単身でも産卵できるわ。』
『じゃあなんで俺を殺さない?いくらでもチャンスはあったのに。』
『だってあなた子供じゃない。歳も身体も大人だけど、心は大人になり切れてない。だから殺すのは可哀想と思ってね、それだけよ。』
クスクスっと馬鹿にしたように笑う。
そして妻を睨み『でもこいつは違う』と言った。
『こいつは大人よ。そんな奴が私と同じ生き物になるなんて許せない。だから殺すの。』
『いいや違うな。お前は子供の国を奪われることを恐れてるんだ。
下手に根を下ろせば、そこに触手を繋がれて支配を奪われるかもしれないから。』
『好きに思ってなさいな。』
もう相手にしていられないとばかりに、妻に目を向ける。
『口うるさい旦那を持って苦労してるんじゃない?』
また青白い鱗粉をばら撒く。
そいつは真っ白に光り、今にもレーザーを発射しようとしている。
しかし妻は落ち着いていた。
そして一言こう呟いた。
『いいこと聞いた。』
笑い声を響かせて、お尻からミミズのような触手を伸ばした。
『お母さん!それ・・・・、』
『お父さんの言うこと当たってたみたい。実は蝶になってからお尻がムズムズしてたのよね。
だからさっきの話を聞いて、もしやと思ったのよ。そうしたら・・・ほら、力むと生えてきた。』
触手はヴェヴェに絡みつき、ドロドロの粘液を滲ませた。
『ぎゃああ!』
『あんたも馬鹿よね。いくら透明になったって、掴んでるならどこにいるか分かるっての!』
そう言って触手を振り回し、『さっきのお返しだ馬鹿野郎!』と叩きつけた。
『ぐッ・・・・・、』
苦しむヴェヴェ、俺は『チャンス!』と捕まえた。
『自分で自分の攻撃を喰らえ!』
青白い鱗粉からレーザーが発射される。
そこへ『とおりゃ!』と放り投げてやった。
『ああああぎゃああああああ・・・・、』
『おお、効いてる・・・・。』
鱗粉のバリアでもこのレーザーは防げないらしい。
あのヴェヴェが苦しそうに悶えている・・・・。
『お母さん、大丈夫か!』
『平気。それよりお父さん、子供の国へ行こう。』
『え?でもヴェヴェを倒さないと・・・・、』
『ヴェヴェを倒す為に行くの。だってこれを使えば巨木を乗っ取れるかもしれないんでしょ?』
触手を伸ばし、ウネウネと動かしてみせる。
『だと思う。上手くいけば子供の国はこっちのもんだ。』
『あとは巨木を使ってヴェヴェを倒せばいいだけね。』
『なら今すぐ行こう!あいつ多分この程度じゃくたばらないだろうから。』
レーザーに苦しむヴェヴェはステルスを解除した。そして羽を透明に変化させる。
すると幽霊のようにレーザーがすり抜けてしまった。
『ヤバイ!』
妻と二人、急いで繭の道に向かった。
空から伸びる白い竜巻のような道、これを通れば子供の国へ行けるはずだ。
『狭いな・・・・。』
どうにか入れないかと、羽を閉じてから顔を突っ込む。
中には微妙にが吹いていて、その風がアメーバのように巻き付いてきた。
『うおッ・・・・、』
『お父さん!』
まるで掃除機に吸い込まれるように、風に飲まれて繭の道へ入っていく。
『うおおおおおおお!』
とんでもない速さで中を飛んでいく。
触覚を通して、辺りから強力な磁場が出ているのを感じた。
その磁場は俺の発している磁場と反応しているようで、どんどん先へと飛ばされていった。
《そうか・・・これ磁場の力を利用して移動してるのか。》
この道、どうやらリニアモーターカーと同じ原理らしい。
磁力の反発し合う力、引き寄せ合う力、それらを交互に利用することで、凄まじい加速を得ているのだ。
高速で運んでくれるのはありがたいが、いかんせん道が狭い・・・・。
とにかく脚を折り曲げ、羽を縮め、触覚を寝かせて、なるべく身を小さくした。
しばらく窮屈な道を我慢していると、突然広い空間に投げ出された。
・・・そこはかつて来たあの場所、子供の国だった。
巨木がそびえ、雲海が流れ、あちこちに光る蝶が飛んでいる。
『まったく変わってないな。』
そう思ったのだが、遠くの景色には異変があった。
以前は神話のように壮大な景色が広がっていたのに、今はそれが狭まっている。
巨木は枯れ落ち、雲海は霧散している。
子供の国の周囲はほぼ崩壊していた。
『もしかして・・・。』
ここは大木から受け取った電力で維持している。
さっき俺と妻がその電気を蓄えてしまったもんだから、ここへの供給が止まったのかもしれない。
『短時間止めただけでこんな風になっちゃうのか。』
ヴェヴェの言った通り、やはりここは仮初の星ということなんだろう。
常にギリギリの状態で維持しているに違いない。
これじゃいつ消えてしまってもおかしくない・・・・なんて思っていると、後ろから『お父さん!』と声がした。
『おお、お母さんも来たか。ヴェヴェは?』
『多分すぐこっちに来ると思う。あいつもここを通ろうとしてたみたいだから。』
『じゃあ急がないと。お母さん、お尻の触手を巨木と繋げて・・・・、』
『そうはさせない。』
繭の道からヴェヴェが飛び出してくる。
あちこちレーザーで焼かれて煙が上がっているが、それがかえって怒りを掻き立てているようだ。
目は赤く染まり、青い羽は殺気を昂らせるように、強い光を放っていた。
『お母さん急いで!』
『任せて!』
妻は触手を伸ばし、巨木に絡ませる。
俺はその隙に、光る蝶たちを離れた場所へ誘導した。
巨木の陰まで連れて行って、『危ないからここから出るなよ』と忠告をする。
するとその時、妻が『あれ?』と叫んだ。
『どうした!』
『巨木を操れないんだけど・・・・、』
『なんで!?』
『知らないわよ!』
『突き刺してみたらどうだ?』
『・・・・無理。刺してもどうにもならない。』
『そんな・・・・、』
二人して慌てていると、『馬鹿ね』と笑われた。
『だから無理って言ったでしょ。』
『そんな・・・そんなはずは・・・・、』
『はいもいお終い。無駄な抵抗するならお前も殺すわよ?』
ヴェヴェは俺に睨みを利かせる。
さっきボコボコにされた恐怖が蘇り、情けなくたじろいでしまった。
すると妻が『私が戦う!』と前に出た。
『お父さんはサポートして!』
『サポートって・・・どうやって?』
『またステルスを使うかもしれないでしょ!そうなったら触覚で見つけて!』
『わ、分かった・・・・。』
妻は羽を広げ、ヴェヴェに突撃していく。
しかしその特攻が成功することはなかった。
なぜなら雲海から根が伸びてきて、妻の前に立ちふさがったからだ。
『うわッ・・・・、』
『逃げろ!その根っこは蜘蛛の巣みたいになって・・・・、』
言い終える前に、根っこから細い枝のような物が伸びてくる。
妻は自分の触手を振るい、そいつを叩き落としていった。
しかし後ろからも巨大な根っこが飛び出してきて、遂に捕まってしまった。
『お母さん!』
『何よこんなもん!』
触手をからませて抵抗するが、なかなかほどけない。
必死に暴れているうちに、蜘蛛の巣から粘液があふれてきた。
『痛だああああああッ・・・・、』
強酸で焼かれるように、妻の羽から煙が出る。
『お母さんも粘液を出すんだ!蜘蛛の巣を溶かせ!』
『やってるわよ!でも溶かしても溶かしても絡みついてくんの!!』
『ええっと・・・じゃあ・・・・、』
『助けて!』
『うう・・・・、』
『このままじゃ死ぬ!』
『・・・・・・・・。』
なんてこった・・・・油断しちまった。
妻が巨木を操ることが出来なかったのは、先にヴェヴェが操っていたからだろう。
しかし・・・・そうなると分からないことがある。
《だったら触手を出し惜しみする必要はなかったはずだよな。先に操ってるなら奪われることはないわけで・・・・、》
苦しむ妻の悲鳴は、俺の思考を加速させる。
どうにかこの状況を打開できないものかと。
《・・・・何か秘密があるんだ。それを探るにはこれしかない!》
またぞや大きな触覚を動かし、何か感じ取れないか試してみた。
・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
《・・・・なんだろうコレ・・・・?根っこの周りに・・・小さな粒々みたいな物が漂ってるような・・・・、》
この触覚は微細な振動も感じ取れる。
何かが動いている・・・・・・・・妻を苦しめている根っこで・・・・。
《絶対に何かある。・・・・いや、何かいるって言った方が正しいな。》
もしやと思い、景色の色を反転させてみた。
しかし何も浮かばない。
じゃあ磁場はどうか?
巨木からは陽炎のようなものが昇り、磁場が出ている。
しかしそれ以外に何も感じない。
赤外線やサーモグラフィーでも何も感じない。
なのにどうしてか振動だけが伝わってくる・・・・。
『誰か助けて!!』
妻の悲鳴が響く。
《クソ!》
考えていても仕方ない。
俺は蜘蛛の巣に飛びかかって、『待ってろ!』と叫んだ。
『すぐ助けるからな!』
脚で引き千切ろうとしてみたが、頑丈でビクともしない。
羽で叩きつけても壊れないし、雷や炎を出すと妻まで焼かれてしまうし・・・・、
『お前は邪魔しなくていいの。』
ヴェヴェが跳びかかってくる。
前脚で俺の首を引っかけて、力任せに投げ飛ばした。
『ぐッ・・・・、』
『警告はしたわよ?』
『何が!』
『抵抗するなら殺すって。』
『・・・・お・・・俺だって・・・ずっとビビってるわけじゃないぞ!』
『でしょうね。大事な奥さんがピンチなんだもん。キレて暴れられても困るから、すぐ殺してあげるわ。』
『だ・・・黙ってやられるか!』
怖い・・・・怖いけど、誰かの為だと思えば多少の勇気も出て来る。
それが家族の為なら尚更だ。
俺は『とおりゃあああ!』と特攻をかました。
するとヴェヴェは羽を透明に変えて、スルリと俺の攻撃をすり抜けてしまった。
『またこれか!』
『これも蝶だけが使える技ね。お前じゃ私に手は届かない。』
『な、なんかないのか!蛾のメリットって触覚だけなのか?』
『あるにはあるけど、教えるわけないでしょ。』
ヴェヴェはクスクスと笑って、身体を震わせる。すると青白い鱗粉が・・・・、
『か、身体からも鱗粉が出るのか!』
『羽より少ないけど、出るのは出るのよ。これでお前はお終い。』
このレーザーはバリアで防げない。
かといってかわしたら後ろには妻が・・・・・。
《この身を盾にするのは構わない。だけどここでくたばったらお母さんまで・・・・。》
ここへ来れば巨木の支配を奪えると思ったのに・・・・そう上手くはいかなかった。
せめて操り方さえ分かれば・・・・。
焦りが触覚に伝わって、感覚が鋭敏になっていく。
頭に流れ込む情報は何倍にも膨らんで・・・・、
《・・・・・ん?》
今、触覚を通してヴェヴェから何かを感じた。
《なんだこれ?・・・奴の周りに小さな何かが動いてる。これって根っこから感じた粒々みたいな何かと同じような・・・・、》
・・・・ピコンと頭の中で音がした。
まるで一休さんがトンチで良いアイデアが閃いた時みたいに。
もしくはロマサガで新しい技を閃いた時みたいに。
《なるほど・・・そういうことか!》
この触覚、まだ俺の知らない探知機能があったようだ。
それは鱗粉の有無。
陽炎のように揺らぐ磁場の中、小さな粒々を感じ取ることが出来る。
そいつは生き物のように動き回って、小さなうねりの中を漂っている。
そのうねりは繭の道に似ている。
そう、これは糸だ。
とてもとても細い糸が、ヴェヴェと根っこを繋いでいる。
その中を鱗粉が通っていたのだ。
それも根っこからヴェヴェに、ヴェヴェから根っこにという具合に、まるでコミュニケーションを取るかのように。
《間違いない。ああすることで巨木に自分の意志を伝えてるんだ。
そして巨木からも反応が返ってきている。てことは、この巨木そのものに自我があるってことになるな。》
ただ触手を刺すとか巻き付けるだけでは、巨木は操れない。
糸と鱗粉で互いにコミュニケーションをとらないと。
《なんかインターネットに似てるな。もしかしたらこの巨木、大きな機械なんてことも・・・・、》
そこまで考えた時、目の前が真っ白に輝いた。
もうじきレーザーが発射される。
《こうなったらイチかバチかだ!》
俺は妻の方へと飛んだ。
『あら?奥さんと心中するつもり?慌てないでも両方殺してあげるのに。』
そう言いながら、『まあ手間が省けていいけど』と笑いを響かせる。
『お母さん!頑張れ!まだチャンスはあるんだ!!』
俺は羽から糸を伸ばす。
そいつを根っこに絡ませてから、妻の触手と繋げた。
『鱗粉だ!身体を揺すって鱗粉を出せ!蝶の鱗粉なら・・・お母さんなら巨木と意思疎通が出来るんだ!力を貸してくれって伝えろ!』
蛾の糸で代用できるかどうかは分からない。
しかしもうこれしか・・・・、
・・・・直後、レーザーが俺の背中を焼いた。
羽を、頭を、そして触覚を・・・・、
そのせいでさっきまで大量に流れ込んでいた情報が、何も伝わってこなくなる。
もう磁場も見えないし、鱗粉も赤外線も感じることが出来ない。
地面に大穴を空けるほどのレーザーは、怪獣のようなこの肉体をもってしても、耐えることは出来なかった。
もう俺には何も出来ない・・・・ただ死ななかっただけで、もう何も・・・・・、
自分が燃えているのが分かる、焦げる臭いが伝わってくる。
《神様・・・・どうか俺の家族を助けて下さい・・・・。お母さんと優馬を助けて下さい・・・この命と引き換えでもいいから・・・・、》
無駄に生き残るくらいなら、この命を糧として、妻と子供に生きてほしい。
その願いを神様が聞いてくれるかどうか分からないけど、出来るならどうか・・・・、
『お父さん。』
・・・・妻の声がする。
自分が焼ける臭いを嗅ぎながら顔を上げると、目の前にアゲハ蝶の羽が見えた。
酷く爛れているが、これでもかと立派に広げている。
その羽から鱗粉を撒き散らし、俺を燃やす炎を消し去ってくれた。
『・・・・お母さん・・・・巨木を操るには・・・・、』
『分かってる。糸と鱗粉を使うんでしょ?』
『し、知ってたのか・・・・・?』
『ううん、なつちゃん達が教えてくれた。』
妻は半分溶けた触覚を振る。
その先には蝶の群れが飛んでいた。
『円香さん!』
群れから一匹の蝶が出てきて、焼けてしまった俺の触覚にとまった。
『ごめんなさい!助けに来るのが遅れて!』
『ここ・・・危ないよ・・・・早く逃げないと・・・・、』
『ヴェヴェが生きてる限り、どこへ逃げてたって危ないです。それより戦わないと。』
なつちゃんは『みんな!』と叫ぶ。
群れがこちらへ飛んできて、みんな俺の頭にとまった。
『・・・さっきより少ないね・・・・まさか蛾にやられたんじゃ・・・・、』
『はい。』
『・・・・・・・。』
『あ、でも優馬君は無事です。やられたのは大人の蝶だけで。』
『蛾の群れは・・・?亜子ちゃんはどうなった・・・・?』
『そっちも無事です。糸で絡めて動けないようにしてあるだけだから。
それとここに残ってた子供たちを避難させてたんです。』
『避難?』
『だってここは戦場になるでしょ、ヴェヴェと戦うんだから。
だからいったん地球へ逃がしたんです。そのせいで助けに入るまで時間が掛かっちゃったんですけど。』
クスっと笑ってから、『円香さん』と呼んだ。
『大人には責任があります。子供を守るって責任が。』
『・・・・心配しなくても、俺とお母さんが君たちを守るよ・・・・必ず・・・・、』
『いえ、私たちはもう大人ですから。でも地球にはまだ子供の蝶と蛾の群れがいます。
その子たちをどうか守ってあげてほしいんです。
すでに死んでしまっている子は子供の国へ、そうでない子は繭に包んで人間に戻してあげて下さい。』
『ああ、もちろんそのつもりだ・・・・・』
『円香さんも奥さんも、信頼できる大人です。だから・・・・同じ大人として、私たちも責任を果たします。』
なつちゃんは羽から糸を出す。
他の蝶も糸を紡ぎ、俺を包んでいった。
『な、何をしてるの・・・・?』
『傷を治すんです。繭に包んで。』
『出来るの・・・・そんなこと?』
『やってみせます。』
蝶たちはどんどん糸を出し、俺を包んでいく。
しかし今の俺は怪獣のように巨大だ。
とてもじゃないけど繭に包むなんて・・・・、
『・・・・なつちゃん、それ何してるんだ・・・・?』
糸を出す度、彼女たちの身体が小さくなっている。
『自分を糸に変えてるんです。』
『え?』
『私たち自身が繭になって包みます。』
『そんなことして平気なの・・・・?』
『そうすればきっと傷は治るはず。私たちみんなの命を使えば。』
『ちょ、ちょっと待って!命を使うってどういう・・・・、』
『言ったでしょ?私たちも責任を果たすって。』
蝶たちは激しく飛び回り、どんどん俺を巻いていく。
しかしその分だけ自分たちは縮んでいった。
『ダメだよなつちゃん!死んじまうから!』
『いいんです、そうなっても。円香さんたちが子供の国を守ってくれるなら。』
『何言ってんだ!なつちゃんたちも一緒に行くんだろ!俺たちを手伝ってくれるって・・・・、』
『だからいま手伝ってるじゃないですか。』
『いや、そうじゃなくてさ・・・・、』
『私もここにいるみんなも、復讐の為に人殺しをしました。ほんとなら裁かれなきゃいけない人間なんです。』
『でもそれは相手が悪いからで・・・・、』
『だとしても人殺しは人殺しです。私たちはヴェヴェじゃない、人を殺して平気になったらいけないんです。
そんなものは子供の国から無くさないと。』
こうして話している間にも、俺はどんどん糸に覆われていく。
そしてついに一匹の蝶が力尽きた。
『おい!もういいって!』
叫んでも止めても聞かない。
一匹、また一匹と、命の火が消えていった。
動かなくなった蝶たちと引き換えに、俺は大きな繭にくるまれていく。
身体も羽もすっぽり覆われて、外が見えなくなってしまった。
たくさんいた蝶の群れは次々に倒れていき、遂にはなつちゃん一人だけとなってしまった。
『なつちゃん!もういいって!もう充分だから!』
『じっとしてて下さい。もう終わりますから・・・・・、』
そう呟いてすぐ、彼女も落ちていった。
『なつちゃん!』
『奥さんは・・・いま・・・戦っています・・・・、』
『お母さんが?』
『巨木を操って・・・・。だけど・・・円香さんがヴェヴェを見つけて・・・あげないと・・・・上手く・・・戦えない・・・・、』
『・・・・・・・。』
『二人で・・・・やっつけて・・・・あの・・・悪い大人を・・・・、』
『なつちゃん!』
『子供・・・たちを・・・・守って・・・あげ・・・て・・・・、』
『なつちゃん!なつちゃん!』
何度呼びかけても、もう彼女は返事をしなかった。
『そんな・・・・・。』
俺の周りには命が尽きた蝶たちが横たわっている。
ヴェヴェが倒れる瞬間を見ることもなく・・・・。
その時、ふと人の気配を感じた。
・・・・倒れた蝶の上に人の姿が見える。
みんな若い男女だ・・・・二十前後の若者に見える。
その中で一人だけ子供がいた。
《あの少年・・・・・。》
さっき俺に力を貸してくれた天国の少年。
彼が俺の前に立っている。
その隣には一人の女性がいた。
《・・・・なつちゃん?》
かつて見た子供時代の彼女、その面影が宿った女性だった。
少年は彼女の手を握り、ゆっくりと去っていく。
まるでどこかへ導くように。
二人が歩く先には大きな蓮が咲いていて、まるで天国への入口のようだった。
二人の後を追い、他の若者たちも続いていく。
大きな蓮の花は、少年と若者たちを飲み込んでいく。
そしてピタリと花弁が閉じてから、また大きく花開いた。
そこにはもう誰もいない。
蓮の花は風に吹かれる砂山のように、どこかへ消え去ってしまった。
《・・・・ありがとう。》
胸の中で手を合わせる。
今、ここに残されたのは俺と妻だけ。
なつちゃんとの約束を破るわけにはいかない。
子供たちを守る為、もう殴り合いが怖いなんて言っていられなかった。
彼女たちが紡いてくれた繭が、勇気と力を与えてくれた。

蝶の咲く木 第三十六話 宇宙人の卵(2)

  • 2018.02.10 Saturday
  • 10:25

JUGEMテーマ:自作小説

初めて車に乗った時・・・・そう、例えば無免許運転とか、教習所とか。
そんな時、アクセルを目いっぱい踏み込んで、メーターがグングン上がっていく時の加速感は、尻がムズムズするような不思議な感覚になる。
恐怖を覚える人もいるだろうし、快感を覚える人もいるだろう。
まあどちらにせよ、今までの人生で体感したことのない、奇妙で不思議な感覚に襲われるはずだ。
しかしそういった感覚も、何度か車に乗れば慣れてくる。
初心はどこかへ消え去り、そうなるのが当たり前のことだと。
・・・・が、人生で一度しか体験しないであろう出来事の中で、似たような・・・いや、もっと強烈で奇妙な感覚に襲われたら、人はどうなるだろう。
やはり同様に恐怖か快感を覚えるのではないだろうか。
俺は根が小心者なので、この手の感覚は苦手だ。
だからジェットコースターだって、30年近い人生の中で、片手で数える程しか乗ったことがない。
《勘弁してくれ!》
今、俺は新しい生き物へと生まれ変わろうとしている。
その為についさっき命を終えたばかりだ。
・・・・死ぬことへの恐怖はあったけど、体感してみるとそう大したものじゃなかった。
大木を覆う繭の中にいた蝶たちは、これでもかと優しく殺してくれたからだ。
鱗粉で俺を眠らせ(そんな作用があるとは知らなかった)、次に目を開けた時には、足元に俺の身体が横たわっていた。
大量に睡眠薬を摂取した時のように、夢心地の中で命を終えたわけだから、まあそれはいい。
問題はその後で・・・・そう、卵が孵化してからだ。
蝶たちは卵を俺の亡骸に叩きつけた。
どぎつい色をした石みたいな玉が、硬い音と共に砕ける。
すると中からこれまたどぎつい色をしたイモムシが這い出てきて、俺を睨みつけた。
亡骸の方にではない、魂だけとなった俺の方を・・・・。
イモムシはイモムシとは思えないほど俊敏に動いて、俺の頭めがけてダイヴしてきた。
反射的に手で防御しようとしたが、イモムシはそれより速かった。
俺の頭は貫かれ、中にイモムシが入ってくる。
その瞬間から、俺は俺でなくなり始めていた。
意識が朦朧として、頭の中が溶けていくような感覚に襲われる。
思わず膝をつき、重力に引っ張らるようにして(魂なのに!)、自分の亡骸へと倒れ込んだ。
・・・その次に起こったことは、これまたビックリだ。
亡骸からワラワラと糸が伸びてきたのだ。
その糸に巻き付けられて、繭に閉じ込められてしまった。
俺の入っていた肉体は、繭から出る粘液のような物のせいで、すぐに分解されてしまった。
スープ状になった亡骸は、狭い繭の中で俺の魂を満たしていく。
・・・・ここからだ!あの奇妙な感覚が襲ってきたのは。
初めて車に乗り、グングンと加速していく時の、尻がムズムズする感覚。
あれの何百倍も強烈な感覚が襲いかかってきた。
例えるなら・・・・そうだな、オープンカーに乗ったまま、高速道路をマッハで走っているような感じ・・・とでもいうのか。
人によっては楽しいと思うんだろうけど、俺にとっては恐怖でしかない。
凄まじいスピードの中、タイムトラベルか走馬燈か知らないが、今まで生きてきた人生が周りを流れていき、自分の意識も魂も崩れ去っていく感覚があった。
《怖ええええ!》
ただただ恐怖・・・それ以外の感情が沸いてこない。
これが別の生き物に生まれ変わるってことなら、俺は人生なんて一度きりでいいと思う。
死んだ後までこんな体験を乗り越えないといけないなんて、なんの罰ゲームなんだか。
でもまあ・・・・我慢だここは。
これを乗り越えた先には、もっと大きな障害が待っているのだから。
そう、ヴェヴェとの戦いだ。
あの凶悪で強大な宇宙人を、葬るか地球から追い出すかしないといけない。
・・・・いや、葬らないといけないんだろうな。
生きていたらまた戻ってくる可能性がある。
そうなったら、俺が人間をやめた意味もなくなってしまうじゃないか。
その為には力が必要で、イモムシのままでは勝てない。
この大木からエネルギーを与えてもらい、すぐにでも成虫にならなければ・・・・、
いきなり話が逸れるが、人は複数のストレスには耐えられないそうだ。
病気、借金、リストラ、辛い出来事は幾つもあるが、それらが重なった時、心にかかる負荷は何十倍にも膨れ上がる。
だからこそ自殺したり、自棄になって犯罪に走る者がいるわけだが、今の俺も同じ状態になってしまった。
というのも、新たな生き物へ生まれ変わろうしているストレスの中、別のストレスが襲いかかって来たからだ。
《痛ってええええッ・・・・これなんなんだよ・・・・、》
地面を突き破って鋭い針が飛び出してくる。
・・・いや、よく見ると針じゃない、これも根っこだ。
ただ針のように細いだけで、ちゃんと樹皮のようなでこぼこが付いている。
そいつはイモムシへと生まれ変わろうとしている俺に突き刺さり、何かを注入してきた。
全身の神経が逆立ちするような、筋肉が勝手に動き回るような、とてつもない痛みだった。
多分人間のままだったら即死しているほどの・・・・。
《これ・・・・電気か?》
なつちゃんは言っていた。
短時間で成虫へと成長するには、大木からエネルギーをもらう必要があると。
それでもって、この大木が蓄えているエネルギーってのは、地熱を吸い上げて電気に変換したものだ。
いわばこの大木は発電機。
地殻の底を流れるマントルを頼りに、電気を生み出しているわけだが・・・・、
要はこれ、俺の中に電気が注がれているわけだ。
針みたいな根っこを通して。
こいつがいったい何万ボルトあるのか知らないが、子供の国を維持できるほどのパワーなので、雷さえも凌ぐんだろう。
そんな電気が体内に注がれるなんて・・・・やはり人間のままでは即死しているだろう。
しかし幸か不幸か、今の俺へ宇宙産のイモムシへと生まれ変わりつつある。
そのおかげで死にはしないが、痛みだけはどうにもならない。
《・・・・・ッ!》
仕方がないと分かっている。
短時間であの巨大な蛾へと成長するのは、これだけのエネルギーが必要なんだろう。
しかしだ!
イモムシへと変わっていく不思議で奇妙な感覚への恐怖。
それに加えて筋肉も神経も引き裂かれるほどの痛みが加わると、これはもう耐えられるもんじゃない。
心も肉体も、もう限界。
《誰か・・・・助けて・・・・、》
そう思った時、ふと人の気配を感じた。
音が聞こえる・・・・繭の外から誰かが触れているのが分かる。
目を向けてみると、そこには一枚の絵があった。
《あの子の・・・・・。》
大きな夢想を描き出したあの絵。
どうしてここに?と思った。
外に置いてきたはずのに・・・・。
不思議に思っていると、どこからか《おじさん》と声がした。
《ごめんなさい、僕のせいで。》
・・・この声はあの少年だ。
成仏したはずではなかったのか?
《僕もう子供の国なんかいらない。だって天国ってすごくいい所だもん。》
声が聴こえる度に、身体が楽になる。
耐えがたいはずだった痛みが、波が引くように治まっていく。
《でも子供の国が必要な子もいる。だからおじさんが守ってよ。辛い目に遭った子たちを・・・・、》
痛みは完全に消えて、それと同時に少年の声も消えた。
しかし絵だけは残っている。
その絵の向こうからゆっくりと髑髏が現れた。
《これはあの子の・・・・、》
頭の骨の続き、背骨、腕、足と、ブルーシートに入っていた骨の全てがやってくる。
いったいどうしてこんな事になっているのか分からないが、どうやらこの骨のおかげで痛みが和らいだらしい。
というのも、いつの間にか針のような根っこが少年の骨に刺さっていたからだ。
頭蓋骨のてっぺんにプスリと突き刺さって、俺が受け取るはずだった電気を蓄えている。
そして・・・・・、
「あ・・・、」
爆薬が弾けるように、頭蓋骨は吹き飛んでしまった。
粉々になった破片は他の骨に降り注ぎ、まるで磁石のようにピタリと張り付く。
背骨、腕、足の骨はカタカタと揺れて、生き物のように動き出す。
《・・・・・・・。》
俺は呆然とそれを眺める。
魂はもうないはずなのに、どうして動いているのか・・・。
不思議に思ったが、すぐに謎が解けた。
《爺さん・・・・。》
屋敷の爺さんが少年の骨の後ろにいる。
《あんた出てきちゃダメだろ!もしヴェヴェに見つかったら・・・・、》
《すぐに隠れるわい。それより早く大人になれい。》
《もう大人だ。》
《何言ってる、イモムシのままじゃないか。》
《・・・・あ。》
いつの間にか完全なイモムシへと変わっている。
真っ白で毛のフサフサしたイモムシに。
《なんだこれ?俺の頭に飛び込んできたイモムシと全然違うじゃないか。》
《そりゃそうだ。あんたの魂が宿っとるんだから。》
《魂が宿ると変わるのか?》
《本人の性格や考え方が色濃く出る。あんたは真っ白でフサフサの体毛をしたイモムシだ。てことは純粋な反面子供っぽく、優しい反面憶病ってことだろうな。》
《当たってる・・・・。》
《とにかくさっさと成虫になれい。でないと外にいる子供たちが皆殺しにされかねん。あんたあの子らを守ってやるんだろう?》
《成虫になれって言われても、いったいどうしたらいいのか・・・、》
《なんの為にこの子が電気を蓄えたと思っとる?アンタが痛い痛いと喚くから、わざわざ天国から助けに来てくれたんだろうが。》
《え?俺のせいなの?》
《つべこべ言わんとこの子の骨と一緒になれ。》
そう言って手を向けるので、俺はのそのそと這いよって行った。
《のたのたするな、ピョンと飛ばんかい。》
《あ、ああ・・・・。》
ゴムみたいに身を縮め、ピョンとジャンプする。
するとポ〜ンと孤を描いて、少年の骨の上に乗った。
それも首の上に。
《すぐに成虫になる。ヴェヴェを倒して子供たちを解放してやってくれ。》
そう言い残し、《それじゃ》と地中へ隠れてしまった。
その直後、俺の身体から糸が伸びてきて、少年の骨を包んだ。
再び繭となり、新たな姿へ生まれ変わっていく。
俺も少年の骨もドロドロに溶けて、大人の身体へと再構築されていく。
そう、俺は今から蛾になるのだ。
もう人間には戻れない。
俺はどんどん成長していって、やがて繭を突き破って外に出た。
「お父さん・・・・。」
妻の声が聴こえる。
振り返ると、まるで小人のように小さくなっていた。
『お母さん・・・なんで縮んでるんだ?』
「違うわよ!お父さんが大きくなったの!」
「・・・・ぬうあ!」
自分の身体を見て驚く。
脚が六本に、背中には真っ白な羽が生えている。
胴体もまんま虫になっていて、しかも・・・・・デカイ!
小さく見えるのは妻だけでなく、川も、大木までもがミニチュアみたいに・・・・。
『本当に成虫になったんだ・・・・。ていうか声にもエコーが掛かってるし・・・・、』
呆然と自分を見つめていると、「ボケっとしてないで!」と言われた。
「早くなつちゃんたちを助けて!」
言われて振り向くと、ヴェヴェはすぐそこまで来ていた。
蝶の群れと蛾の群れが戦っているすぐ傍まで。
『待ってろ!今行くぞ!』
これ以上子供たちを死なせるものか!
背中の羽を羽ばたくと、突風が起きて空へと舞い上がった。
「私もすぐ行くから!大きな蝶になって!」
『お母さん!あれすごく痛いんだ!無理しない方が・・・・、』
「一人でヴェヴェと戦えないでしょ!これでもお父さんより我慢強いから心配しないで。」
そう言ってゴクンと卵を飲み込んでから、「てや!」と勇ましく繭の中に飛び込んでいった。
『・・・・ようし、やるか。』
前を向くと、目の前にヒラヒラした物が二つある。
『触覚か?』
櫛状の大きな触覚は、あらゆる情報を探知して、頭の中に流し込んでくる。
風向きや空気の振動、それに・・・・これは赤外線か?
頭の中にモノクロみたいな映像が流れてくる。
かと思えばサーモグラフィーのような画像も出てくるし・・・どうやら熱も探知できるらしい。
それに他にも色々と感じることがある。
ヴェヴェの周りは陽炎のように空間が揺らいでいて、それは繭の道の周辺も同じだった。
《これは磁場か。てことは磁力も探知できるんだ。》
陽炎のような歪みは俺の周りにも出来ているし、蝶や蛾の群れからも出ていた。
あとは・・・これはなんだろう?
ちょくちょく景色の様子が変わるだ。
眼下を流れる川が、遠くに見える山が、・・・・いや、景色の全てが、まるでネガフィルムのように色が反転している・・・・。
《これは何を探知してるんだろう?》
触覚を通して流れ込んでくる情報は膨大で、とてもじゃないけど処理が追い付かない。
なんだか吐き気まで催してくるし、それに飛ぶのって意外と難しいし。
生まれ変わったばかりのこの身体、すぐに慣れるのは難しそうだった。
『円香さん!』
なつちゃんの声が響く。
『早くヴェヴェを!このままじゃこっちに突っ込んで・・・・、』
言い終える前に、ヴェヴェは大きく羽ばたいた。
それは弾丸のような突風で、蝶と蛾の群れを吹き飛ばしてしまう。
『なつちゃん!』
風は空を駆け、なつちゃんたちを遥か彼方まで追いやってしまった。
『ヴェヴェ!』
憎き敵を振り向くと、『慌てない慌てない』と笑った。
『避難させただけだから。』
『避難?』
『だって子供じゃない。それより・・・あなたそんな身体になっちゃって。それなりの覚悟の上なのよね?』
『当たり前だ。誰が冗談で宇宙人に生まれ変わるか。』
『目的は何?だいたい見当はつくけど。』
『お前を駆除して子供たちを解放したい。』
『それで?』
『その後は俺と妻で子供の国を管理する。ただし地球から遠い場所でな。』
『ふふふ。』
『なんだよ?』
『宇宙のことなんて何も知らないクセに。地球から出たことのない生き物が、いったい何をどう出来るっていうの?
どうして私が子供の国を地球へ根付かせようとしたか、そんなことも分からないのね。』
『地球を侵略する為だろ?ここを第二の母星にしようと企んでるんだ。それも自分の理想の形で。』
『もちろんそれもある。だけどもう限界だから。』
『限界?』
『あんな仮初の星じゃ、遠くない未来に崩壊する。今は大木からのエネルギーでもってるけど、それもいつまで続くか。
年々雲海のエネルギーは薄くなって、なのに子供は増えていく。宇宙ってね、地球よりずっと過酷な場所なの。
常に放射線が降り注いでいるから、磁場と鱗粉でバリアを張らなきゃいけないわ。
水もなければ大気もなければ、エネルギーを確保するのも難しい。
何が言いたいかっていうと、あの星を維持するだけでもすごく大変ってことなの。
じゃあこれからもっと増えていく子供を守るにはどうしたらいい?
地球へ根付かせるしかないでしょう?』
『もっともな理屈を言いやがって。そんなことで誤魔化されたりは・・・・、』
『それに万が一軌道上から外れてしまったら、どこへ飛んでいくか分からないわ。
地球の外はあまりに広いから、延々と漂流を続けるでしょうね。
お月様へ行くのがせいぜいのあなた達にはピンと来ないでしょうけど。』
『要するに・・・俺と妻じゃ子供の国を守ることは無理だって言いたいんだな?』
『その通り。だから無駄な抵抗はやめてほしいの。
あなたは私と同じ宇宙人に生まれ変わった。そして奥さんもそうなるでしょう。
だったら私たち三人で守ればいいわ。ここへ子供の国を根付かせて、子供たちが安心して暮らせるようにしてあげればいい。
それが大人の責任ってものよ。』
ヴェヴェはもっともらしい言葉を並べ、余裕の笑みを見せる。
その自信は俺を説き伏せる自信があるからか?
それとも戦って勝つ自信があるからか?
あるいは両方かもしれない。
だが俺は自分の決意を譲る気はなかった。
なぜならこいつの言っていることには、大きな穴があるからだ。
『なあヴェヴェ。』
『なあに?』
『子供はずっと子供のままってわけじゃない。いつか大人になるんだよ。』
『そうね。』
『例え蝶に生まれ変わろうが、間違いなくそうなる。なつちゃんが大人になったように。』
『手のかかる厄介な子よ、あの子は。』
『なつちゃんだけじゃない。彼女と一緒にいた蝶たちは、きっともう大人だ。
それはもっともっと増えていくぞ。子供の国は大人で溢れかえるはずだ。
もしそうなったら、お前はどうするつもりなんだ?
地球の全てを子供の国にしたって、みんな大人になっていくんだ。
その時、お前はみんなをどうするつもりだ?
宇宙へ追放するか?それとも殺すのか?』
『それは重大な問題よね。どうにかして止めないといけないわ。
遺伝子操作して大人へ成長しないようにするとか、ホルモンのバランスをいじって成長しないようにするとか。
まあ色々やり方はあるわ。いずれにせよ大人が増えたら困るから、ちゃんと手は打つつもりよ。
あなたが心配することじゃない。』
自信満々に言い切るその姿に、こいつの本性を再確認する。
やはりこいつはあの青年の母親と一緒なのだ。
いつまでも子供を服従させ、手元で弄ぶつもりでいる。
あの母親が青年を虐待し続け、心の成長を止めてしまったように・・・・。
なつちゃんが言った通り、年齢を重ねただけでは大人になれない。
心が成長して初めて大人になるのだ。
それをどうにかして阻止しようとするヴェヴェのやり方は、まんま虐待者と同じだ。
『お前はクズだよ。誰がお前の提案なんか飲むか。』
『それが答えでいいの?たとえ私に勝ったとしても、子供の国はあなた達じゃどうにも出来ないっていうのに。』
『そうやって相手の意見や考えを遮るのって、子供の成長を邪魔する親と同じだよ。
いつまでも自分の手の中に置いておきたいんだ。大人になられちゃ困るから。』
『事実を言っただけ。実際にあなた達じゃどうにも出来ないでしょ?』
『人間のままだったらな。でもほれ、今の俺はお前と同じ宇宙人だ。
じゃあどうして無理なんて言える?不安になる言葉を重ねて相手の心を挫く。今までもそうやって子供たちを従えてきたんだろうな。
時には思い通りにならない子供を殺したりして。』
初めて向こうへ行った時、ヴェヴェは子供を手に掛けていた。
だからやっぱりなんのことはない、こいつは残虐で暴力的で、まごう事なき虐待者で、子供の天敵なのだ。
『俺も妻も、子供を守る側の大人だ。だからお前みたいな害虫は駆除する義務がある。』
『いいわ、ならかかって来なさいな。お前がどれだけアホか教えてやるから。』
声に怒りが宿る。
エコーが何倍にも響き、全身の体毛が逆立つほど寒気を覚えた。
《俺一人じゃ・・・たぶん殺されるな。》
同じ宇宙人になったからって、対等になれるわけじゃないってのは分かってる。
なんていうか・・・・そう!俺とヴェヴェとでは宇宙人としてのキャリアが違う。
だが俺の背中、遥か空の彼方には、さっき吹き飛ばされた子供たちがいる。
そしてこの空の上にも・・・・・。
『怖いけど・・・・やるしかないよな。』
とりあえず羽ばたいて、鱗粉を撒き散らす。
こうすれば雷とか炎とかが撃てるはずだから・・・・・と思ったのだが、それは甘かった。
ヴェヴェはこちらの攻撃を待つつもりはないようだ。
なぜなら手品のように俺の前から消えてしまったからだ。
『ステルスか!』
ええっと・・・こういう時は確か、鱗粉を全て落として、羽を鏡のようにして・・・・、
なんて考えているうちに、頭上から大きな衝撃が走った。
何もない空から雷が落ちてきたのだ。
幸い鱗粉のおかげで守られたけど、空気の震えは全身を揺らすほどだ。
《ど、どうしよう・・・・鱗粉を全部使い切ったら、それこそ雷を落とされて終わりなんじゃ・・・・。》
迷いは確実に俺を不利へ導く。
また稲光が走って、雷が落ちてくる。
『クソ!』
とにかく動かねば。
同じ場所にいたら何をされるか・・・・、
『うぎゅおッ・・・・、』
また衝撃が走る・・・・今度は背中にだ。
しかも雷じゃない・・・・デカイ何かで叩きつけられたかのような・・・・、
俺はゆっくりと大地へ落ちていく。
振り返ると、ステルスを解除したヴェヴェがいた。
『あなた喧嘩をしたことないでしょ?』
『な、何おう・・・・、』
『まがりなりにも大人なんでしょ?なら今までに一度くらい殴り合いの喧嘩とかしたことないの?』
『あるかそんなもん!俺は平和主義者なんだ、余計な争いは避ける生き方だ。』
『ふふふ、臆病者の言い訳ね。』
ヴェヴェは羽ばたき、一息で俺の下へと回る。
『ただ落っこちるのはつまらないでしょ?思いっきり叩きつけてあげる。』
六本の脚でガッチリと掴まれる。
そのままクルリと回転して、大地へ向けて俺を放り投げた。
『うおおおおおお・・・・、』
地面が猛スピードで迫ってくる。
羽ばたくのも追いつかず、そのまま川原へと叩きつけられた。
『ぐぎゅおッ・・・・・、』
『受け身の取り方も知らないのね。そんなんでよく喧嘩を売ってきたもんだわ。』
『こんな姿でどうやって受け身なんか・・・・、』
『羽を開いて空気抵抗を増やせばいいだけじゃない。それだけ大きな羽なんだから、一気にスピードが落ちるわ。
なのにお前ときたら羽ばたこうとするんだもん。』
『そんなのいきなり出来るわけが・・・・、』
『いいからさっさと起き上がれば?でないと・・・・、』
ヴェヴェは頭を逆さまにして、急降下してくる。
そして地上スレスレで羽を開き、ボディプレスのように圧し掛かってきた。
『がはッ・・・・、』
『ほらまた。ちゃんと防ぐなりかわすなりしないと。』
『ぐッ・・・・・、』
『ほらほら、早くどうにかしないとやられてばかりよ。』
そう言って六本の脚でガンガン殴ってくる。
その次は爪を立てて、身体のあちこちを切り裂かれた。
『ちょッ・・・痛・・・・、』
『まさかタンマなんて言わないわよね?』
『た、タンマ!』
『・・・・呆れた。自分から喧嘩しようって言ったくせに。』
本気で呆れたような声で言って、俺から離れていく。
そして巨大な羽で思い切り叩かれた。
『ごはッ・・・・、』
『私まだ全然本気じゃないわよ?』
『うう・・・ぐ・・・・、』
『何よブルブル震えちゃって。情けない。』
もう一度叩かれ、『そんなんでよく子供を守るとか言えるわね』と罵られた。
『喧嘩になってブルブル震える大人が、どうやって子供を守る気よ?』
『お、俺は・・・・争い事は苦手で・・・・、』
『なら最初から大人しくしておけばいいじゃない。下手にカッコつけるからそうなるのよ。』
『お、お前は・・・・悪い大人だから・・・・、』
『そうね、じゃあ優しくしてあげる。』
そう言ってペシペシと軽く叩かれた。
『どう?これなら痛くないでしょ?』
『・・・・・・ッ!』
『・・・・ほんっと呆れた。こんなのでも怖がるの?』
ヴェヴェは脚を振り上げる。
俺はビクっと身を竦めた。
『まったく暴力に耐性がないのね。』
『・・・・・・・・。』
『殴られるのが怖いんじゃ戦いなんて無理よ。子供の国を守るって言ったって、外敵が襲ってきたらどうするつもりよ?』
『そ、それは・・・・・、』
『どうせこう考えてるんでしょ?いざとなれば捨て身で子供たちを守ってやるって。』
『・・・・・・・。』
『自分は人間を捨ててまで宇宙人になったんだ。そこまで出来るんだから、子供だって守ってやれるって、そう考えてるんじゃない?』
『それは・・・・・・。』
『まあ確かにあなたなら、自分を盾にして子供を守ってあげられるかもね。』
そう言いながら俺の頭を撫でてくる。
まるで子供扱いするように・・・・・。
『いいこと教えてあげるわ坊や。捨て身で誰かを守るより、敵と向かい合って戦う方が勇気が要るの。
身を挺して車から我が子を守れるような親でも、ナイフを手にした狂人から救い出すとなると・・・・どうかしらね?』
『お、俺は・・・・本当に子供たちを守ろうと・・・・、』
『分かってる、その気持ちは本物だって。けどね、誰にだって向き不向きがあるわ。
戦いに向かない者は、何をどうやっても向かないの。どれだけ鍛えようが、どれだけ技を身に着けようが、心が憶病な者は戦えないのよ。』
『・・・・・・・・。』
『坊やは戦いに向いていない。相手に殴られたら、むしろやり返してやろうって気持ちにならないとね。』
ポンポンと頭を撫でてから、『もういいわ』と離れていく。
『あなたの処遇は後で考える。これ以上痛い目見たくなければ大人しくしてることね。』
『・・・・・・・・。』
『何その目?また殴られたいの?』
そう言って大きな羽を振り上げる。
俺は情けなくも身を竦めた。
『ほらね、そういうことよ。』
クスクスと笑いを響かせて、『さて』と空に舞う。
『坊やはともかくとして、問題はこっちね。』
ヴェヴェはピクピクと触覚を揺らす。
そして突風のような速さで上昇していった。
その直後、巨大な何かが俺の傍を駆け抜ける。
『お父さん!』
それは妻だった。
俺と同じほど巨大な姿になり、俺と同じような虫の姿に・・・・。
いや、違うな、同じじゃない。
なぜなら俺は蛾で、妻は蝶だから・・・・。
『アゲハ蝶・・・・。』
妻は黄色と黒の羽を持つ、美しいアゲハ蝶に生まれ変わっていた。
空中でクルっと一回転して、俺の傍へ降りてくる。
『大丈夫!?』
『・・・・ごめん、何も出来なかった・・・・、』
『喧嘩とか苦手なのは知ってるけどさ・・・・もうちょっと根性見せてよ。』
『だって強いんだアイツ・・・・。』
ヴェヴェは完全に手加減していた。
あれは戦いというより、ただ遊んでいただけだろう。
『二人がかりでも勝てるとは思えない・・・・。』
『かもね、私も殴り合いの喧嘩なんてしたことないから、ほとんど自信ない。』
颯爽と登場してくれた妻ではあるが、俺たちはいたって平凡な夫婦だ。
漫画や映画に出てくるような、普通を装った超人じゃあない。
宇宙人になったはいいものの、追い詰められて『能力が覚醒!』なんてことにはならないのだ。
ヴェヴェは高い空から見下ろしている。
それは余裕の笑みのようであり、呆れた態度のようでもあった。
・・・しかし腑に落ちないことが一つある。
こんな平凡な夫婦、殺そうと思えば出来るはずなのに、どうしてかかってこないのか?
ていうか俺の時はボコボコにしたクセに、妻が出てきてから・・・・、
《そういえばさっきこんなことを言ってたな。坊やはともかく、問題はこっちね・・・・って。
あれってつまり、お母さんの方を警戒してたってことだよな。》
分からない・・・・俺も妻も平凡な人間なのに、どこに警戒する必要があるのか?
違いといえば、俺は蛾で妻は蝶で・・・・、
《・・・・・蝶?そこに何か秘密があるのか?》
寝ていても仕方ないので、怖いのを我慢して起き上がる。
奴と目を合わせるのも怖いので、視線を景色に逸らした。
《・・・・そういえばここには根が張ってないな。》
核で焼き払ったのかとも思ったが、それならまた根を下ろせばいいだけだ。
そもそも今のヴェヴェはあの巨木と繋がってるわけで、いつでも根を下ろせるはずなのに。
そうすれば俺たちなんて簡単に倒して・・・・、
《・・・・・ない?》
あることに気づく。
頭上のヴェヴェを見上げると、やっぱりアレがなかった。
《触手がない。巨大な蛾と戦ってる時はお尻から生えてたのに・・・・。》
なぜかと不思議に思う。
地球を侵略したいなら、さっさと根を降ろせばすむはずだ。
《・・・・もしかして・・・いや、まさか・・・・。でも・・・もしそうだとしたら、こっちにも勝ち目があるもしれない。》
「眠った能力が覚醒!」なんてあるわけないと思っていたけど、それに近いことが可能かもしれない。
俺の考えが正しければだけど・・・・。
『お母さん、もしかしたら・・・・、』
そう言いかけた時、触覚を通してある映像が伝わってきた。
景色がモノクロのようにぼんやりと見える・・・・。
高い空の向こう、雲よりもっと遠い場所から、一つの塊がここへ目がけて落ちてくる。
「・・・・お母さん!鱗粉撒いて!」
『え!ど、どうしたの?』
『また核が落ちてくる!』
『・・・はあああああ!?』
『きっと俺たちを狙ってるんだ!』
バサバサと羽を振るい、ありったけの鱗粉をばら撒く。
するとヴェヴェはクルリと背中を向けた。
そしてステルスを使い、姿をくらましてしまった。
『あいつ逃げた!』
『いいから鱗粉を撒くんだ!』
どこかへ消えたヴェヴェ。
迫ってくる核弾頭。
それから一分もしないうち、街の上空で眩い光が炸裂した。

蝶の咲く木 第三十五話 宇宙人の卵(1)

  • 2018.02.09 Friday
  • 11:30

JUGEMテーマ:自作小説
夢が現実になるのは恐ろしいことだ。
スポーツ選手になりたいとか、金持ちになりたいとか、現実に起こりうる夢なら構わない。
しかし子供の夢想ともいうべき夢が、この現実へ押し寄せたら、それはただの悪夢でしかない。
本来夢なんてものは、自分にとって都合の良い妄想であると、俺は思っている。
人生に目標は必要だが、夢は必ずしも必要なわけではない。
夢は頭の中にあるからこそ夢であり、頭の中にとどめておく事柄だと思う。
冷めた奴だと思われても、俺はそう信じている。
・・・さて、現実に押し寄せたこの夢、果たして夢の世界へ追い返すことが出来るだろうか?
その為の努力はしているし、お空を飛んで、遠路遥々目的の場所までやって来た。
ここは大木のそびえるあの川原。
街は戦火によって潰れてしまっていたが、あの大木だけは残っている。
荒野にポツンと立つその姿は、勇ましくも見えたし、滑稽でもある。
「お父さん、すごいねあの木。街はめちゃくちゃなのに・・・・、」
「ああ、きっとあの子たちのおかげだろう。」
今、大木には蝶が咲いていた。
それも全ての枝を埋め尽くすほどに。
そして大木の上空には、真っ白な竜巻にも似た、繭の道が出来ている。
その周りにはオーロラのような不思議な光が漂い、大木まですっぽりと覆っていた。
広い空には戦闘機も攻撃ヘリもいない。
地上は破壊しつくされ、人の姿もない。
そして巨木の根もないので、核で焼き払ったのかもしれない。
「酷いな・・・・とても人が近づける状態じゃないな。」
ついこの前、この街へ初めてやって来た。
あの時、こんな風に様変わりするなんて想像も出来なかった。
感慨深く見つめていると、なつちゃんが『降りますよ』と、高度を下げていった。
俺と妻はハンモックから降りて、大木の傍へと歩く。
今は緊急事態で、すぐにやるべきことを済ませないといけない。
それなのに、しばらく言葉を失ったまま、大木に咲く蝶を見上げていた。
《こんなにたくさん・・・・・。》
あまりの多さに枝がしなっている。
枝垂桜のような佇まいに、無数にむらがる光る蝶。
「これ、全部亡くなった子供なんだよね・・・・。」
妻が呟くと、なつちゃんが『そうでもないです』と答えた。
『ヴェヴェが地球を襲って、たくさんの子供を連れて行っちゃったから。』
「ねえ!優馬もいるのよね?」
『子供の国にいるはずですよ。でも今はとにかく数が多くて、探すだけでも大変ていうか・・・・、』
「会わせて!」
なつちゃんは卵を埋める方が先だと言うが、妻は譲らない。
「お願い!」
『・・・・分かりました。』
渋々という感じで頷き、繭の道へと消えていく。
それから数分後、一匹の蝶を連れて戻ってきた。
「優馬?」
そう尋ねると、その蝶は妻の肩にとまった。
「なつちゃん、この子・・・・、」
『優馬君です。』
「ほんとに?ほんとに優馬・・・・。」
そっと両手で包み込み、顔を近づける。
「優馬、お母さんだよ。」
囁くように語りかけると返事をした。
エコーがかかった小さな声なので、よく聴きとりにくい。
しかし妻には聞こえたようで、「優馬!」と喜んだ。
「よかった・・・・戻って来てくれた・・・。」
顔を寄せ、抱きしめる代わりに頬ずりしている。
「ねえなつちゃん。優馬を元に戻せない?」
『私には無理です。けど大木のお爺さんならできるかも。』
「呼んで!お願い!」
『今は・・・・無理です。』
「どうして?だって生きてるんでしょ?」
『生きてますけど、今は死んだことにしておかないと。』
「どうして?」
『ヴェヴェがこの大木を狙ってるからです。』
「狙う?」
『子供の国を作るのには、あのお爺さんも関わってたのは知ってますよね?』
「ええ・・・ヴェヴェに手を貸したんでしょ?」
『この大木には不思議な力があって、それを依り代にして子供の国を作ったんです。
半分はヴェヴェの力、もう半分はこの大木を通して、地中からエネルギーを吸い上げているんです。』
「エネルギーを・・・・?」
『この大木の根っこ、すごい深い所まで刺さってるんです。ヴェヴェが自分の触手の一部を与えて、地中深くまで伸びるようにしたから。
そうやってすごい深い所まで突き刺すことで、地熱を吸い上げているんです。』
「地熱・・・・。」
『マントルまで届いているんですよ。』
「マントルって確か・・・・、」
妻が俺を振り向くので、「地中を流れるマグマみたいなもの」と答えた。
「それが表に飛び出してくると噴火になる。」
「じゃあつまり・・・マグマの熱を吸い上げてるってこと?」
『そうです。その熱を電気に変換して、マイクロ波で子供の国まで飛ばしているんです。』
「マイクロ波って・・・・何?いや、聴いたことはあるんだけど、よく知らなくて・・・・、」
『波長の短い電磁波のことです。色んな所で使われているんですよ。
レーダーとか電子レンジとかケータイの通信とか。役に立つ便利な電波だと思って下さい。』
「な、なるほど・・・・。」
「それで色々役に立つ中に、マイクロ波送電っていうのがあるんです。
言うなれば、この大木は発電機のような物だと思って下さい。
その電気をマイクロ波を使って、子供の国に飛ばしているんです。」
「な、なるほど・・・・。」
『子供の国は巨木によって支えられています。その巨木のエネルギーがあの雲海です。
雲海は電気とヴェヴェの鱗粉をまぜて作ったもので、エネルギーを雲に似た形で保存しているわけです。
それが巨木の根っこを通って、全体にエネルギーを与えて、国のシステムを維持してるわけで・・・・、」
「ご、ごめん・・・そういう細かい話はいいから、なんでお爺さんに会えないのか教えてよ。」
『ヴェヴェは国を成すエネルギーの源を、自分の物にしたがっているからです。
そうすれば自由にエネルギーを取り出せるし、地球を侵略した後も役立つし。
だけどそんなのお爺さんが許すわけがない。』
「てことはつまり、お爺さんはこの大木を自由に使われるのが嫌ってことね。」
『そうです。それがヴェヴェの怒りをかって、ずっと狙われていたんです。
だけど本気でお爺さんを怒らせたら、いつエネルギーが絶たれるか分かりません。』
「じゃあヴェヴェは困ったでしょうね。手を出したくても出せないんだから。」
『その通りです。だからお爺さんの魂を大木から排除して、別の魂を宿そうとしたんです。』
「別の魂?」
『誰でもいいんです、自分の言うことを聞く魂なら。だから子供の国にいる誰かを犠牲にしようとしていたみたいで・・・・、』
「はあ?何それ?子供を犠牲って・・・・、」
『変ですよね、子供の国なのに、子供を犠牲にして成り立つなんて。』
「そうよ!やっぱりアイツはクズだわ、子供の天敵よ。」
妻の顔に怒りが宿り、「お父さんもそう思うでしょ?」と憤った。
「そう思うもなにも、実際にそういう奴だろ。あいつが子供の味方じゃないなんて、前から分かってたわけだし。」
「そうだけどさ・・・でもやっぱりムカつく。」
眉間に皺が寄り、怒りが増していく。
なつちゃんは話の先を続けた。
『もしそうなったら困るから、お爺さんはこう考えたんです。
自分を死んだことにして、ヴェヴェを騙そうって。』
「騙す?」
『お爺さんはわざとヴェヴェを挑発していました。時々エネルギーの供給を止めたり、私たちの謀反に手を貸したり。
そうすればヴェヴェは怒って、お爺さんを本気で大木から追い出そうとするだろうから。そして事実そうなったんです。
お爺さんが円香さんを子供の国へ飛ばしたあの日、ヴェヴェはお爺さんに襲いかかりました。
そこでわざと負ける振りをして、大木から出ていったんです。
身体を失ったお爺さんは、もうこの世に留まれません。だからそのまま成仏するはずだったんですけど・・・、」
「それは芝居だったと?」
今度は俺が尋ねる。なつちゃんは『はい』と頷いた。
『出ていったと見せかけて、実はすぐに戻って来てたんです。』
「どこに?」
『マントルまで刺さった根っこに。』
そう言って地面を指差す。
『魂だけなら地中でも平気だし、マントルの熱でも燃えないし。』
「なるほど、そりゃ確かに見つかりそうにない。」
『ヴェヴェは新しい魂を宿しました。けどそれは子供じゃなかったんです。』
「じゃあ誰?どっかから大人でも捕まえてきたとか?」
『いえ・・・・卵です。』
「卵?」
『また産んだんです。』
「マジで・・・・・?」
『それも蛾の卵を。だって前に産んだ奴は人間に奪われて、しかも孵化しちゃったから。』
「青年の母親だな。」
『ほんとは交尾しないと産めないんだけど、子供の国の半分以上のもの電力を使って、交尾なしで産んだんです。
それを大木に宿して、孵化してきたイモムシに管理させるつもりだったんですよ。』
「子供の国の電力を半分かあ。かなりのリスクを犯したんだな。だってもし失敗したら・・・、」
『ええ、失った電気が補充できないまま、子供の国はピンチになっちゃう。
それに単独で産むのってすごい疲れるみたいで、かなり弱ってました。
けどそうまでしてエネルギー源を自由にしたかったんですよ。地球そのものを子供の国に変える為に。』
「じゃあ卵はもう・・・・、」
『いえ、まだ孵化していません。』
「そうか。だから生きてるのがバレたら困ると・・・・、」
『ヴェヴェに見つかったら終わりなんです。だから今は会えません。』
そう言いきって『ごめんなさい』と呟く。
『きっとヴェヴェはもうあの蛾を倒してると思います。
今はきっと私たちを捜してるはず。だからもしお爺さんが出てきた所を見つかったら・・・・。
優馬君は可哀想だけど、私たちの力じゃどうにも・・・・、』
申し訳なさそうに言うその言葉は、妻に絶望をもたらした。
もちろん俺にも・・・・。
「・・・だったら・・・、」
「ダメだ。」
妻が言いかけた言葉を止める。
「なにがよ?」
鋭い目で睨むので、こう言ってやった。
「自分も蝶モドキに変わるとか言い出すんだろ?」
「そうよ、それしかもう優馬と一緒にいる方法が・・・・、」
「子供の国に大人は住めない。」
「子供の国になんか返さない。優馬はずっとここにいるのよ。」
「それも無理だよ。」
「なんで!?何が無理なのよ。姿が変わっても私たちの子供じゃない。周りに何言われようが育てればいいじゃな・・・・、」
「夢を押し返すんだ。」
「え?」
「子供の夢想はもう終わりだ。本当は何もなかったことに出来ればよかったけど、あの青年が死んだ以上は無理だ。
だったら・・・・もう夢を終わらせるしかない。」
俺は卵を取り出し、大木の元へと歩いた。
「優馬は大事だ。でも俺たちの子供の為だけに、こんな状態を放っておくわけにはいかない。」
「そんなの分かってる!だったら優馬だけでも残せばいいじゃんって言ってるんでしょ!」
「この卵を埋めて、爺さんをヴェヴェに生まれ変わらせるつもりだった。」
「だったって・・・どういうことよ?今からそれをやるんでしょ?それで優馬だけ残してもらえば・・・・、」
「俺たちが行こう、子供の国へ。」
「へ?」
「卵は二つある。一つはこの蝶の卵、もう一つは大木に宿ってる蛾の卵。これ使ってさ、俺たちが宇宙人になればいい。」
「・・・・・・・。」
「俺とお母さんでさ、子供の国を連れて、地球から離れよう。」
そう言って振り向くと、キツネにつままれたような顔をしていた。
「馬鹿なこと言ってると思うか?」
「・・・・なんていうか・・・・突拍子もないっていうか・・・・、」
「優馬は置いて行こう。」
「はあ!なんで?」
「優馬だけじゃない。まだ死んでないのに、ヴェヴェに連れて行かれた子は地球に残そう。
どっちかが蝶になれば、その子たちを人間に戻してやれるはずだ。
一緒に行くのは、大人に傷つけられて、命を終えてしまった子供だけ。
その子たちをさ、これから俺とお母さんで守っていこうよ。
だって俺たちは子供の天敵じゃない。守る側の大人なんだから。」
勝手なことを言っていると分かっている。
こんな事を一人で決めていいわけがないっていうのも分かってる。
だけど俺はそうするつもりでいた。
「爺さんだけに全てを任せて、はい終わりってのも・・・・よく考えりゃ酷い話だ。
だからそうしないか?俺たちが宇宙人になって、不幸になっちまった子供をさ、ほんとの夢の世界へ連れてってやればいい。
あんなヴェヴェみたいな大人が支配する世界じゃなくて、俺たちが子供を守って、安心して暮らせる世界にして。・・・どうかな?」
尋ねてはみたものの、もう決めていることだ。
ことだが・・・・妻が拒否したら、その時は爺さんに頼むしか・・・・、
「いいよ。」
妻はあっさりと頷いた。
「それで優馬が元に戻れるなら、私は構わない。」
「じゃあ・・・・、」
「そうしよう。」
妻はなつちゃんを見上げ、「蛾の卵は?」と尋ねた。
「この大木の中にあるんでしょ?」
『ええ。』
「それ、すぐに取り出せる?」
『出来ますけど・・・・ほんとにいいんですか?』
「だってそれしかないかなあって。そうしないと優馬は元に戻れないし、地球は侵略されちゃうし。それに・・・・、」
『それに?』
「子供の国にいる子たちは、大人のせいで苦しんだ子供たちよ。じゃあさ、同じ大人として責任取らないとと思ってさ。」
そう言ってから、「まあ一番は優馬の為だけど」と笑った。
『・・・・後悔しませんか?』
「全然。」
『本当にいいんですか?もう人間に戻れなくなるのに・・・・、』
「じゃあ一緒に行こうよ。私とお父さんだけじゃ心細いから、なつちゃんたちも手を貸してくれたら助かる。
魂は子供かもしれないけど、心はもう大人でしょ?だったらさ、私とお父さんと一緒に、あの国の子供たちを守ってあげようよ。」
妻は手を差し出す。
なつちゃんはじっとその手を見つめてから、『分かりました』と頷いた。
妻の指先に止まり、『信じていいんですよね?』と尋ねる。
『お二人とも信頼できる大人だって分かってます。ヴェヴェとは違うって・・・・。
でも私たちはずっと大人に傷つけられてきました。・・・・信じていいんですよね?』
「もちろん。もし子供の国がピンチになったら、身を挺してでも守るわ。」
『ほんとに?』
「約束する。あ、でも先にお父さんに盾になってもらってからね。私は予備の盾ということで。」
冗談っぽく言いながら俺を振り返る。
「いいぞ。俺でダメならお母さんがみんなを守る。だから信じてくれ。」
『・・・・ありがとう。』
エコーのかかった声が、小さく響き渡る。
それから数分後、なつちゃんたちは繭で大木を覆った。
そしてその中へと入って、小さな丸い玉を持って出てきた。
『これです。』
「これが蛾の卵?」
『はい。』
「なんか石みたいだな。あちこち穴が空いているし、色もどぎついし。」
『どうぞ。』
「あ、ああ・・・・。」
手に乗せた卵は、蝶のものより幾分重かった。
『もうじき孵化するはずです。』
「・・・だろうね、中でなんか動ているし。」
妻に手を向け、「持つ?」と尋ねる。
「いい。」
ブルブルと首を振り、「私はこっちで」と蝶の卵を奪った。
「お父さん、蛾にしなよ。」
「ジャンケンしないか?」
「最初はグー!ジャンケンぽん!はい私の勝ち。」
卵を乗せている俺の手に、容赦なくチョキを繰り出す。
なんて酷い・・・・。
《まあいいか。俺から言い出したことなんだから。》
元々無茶な提案をしているのだ。
それに付き合ってくれるというのだから、不満は言えない。
「ええっと・・・じゃあどうすればいいんだっけ?確か蝶の卵は飲むんだよな?」
『はい。奥さんは女性なので、産道を通って産まれてくるはずです。
そうすればイモムシが誕生して、そこに奥さんの魂が宿ります。』
「か、身体はどうなるの?」
『孵化したあと、養分として吸収されます。』
「そ、そっか・・・・。」
ごくりと喉を鳴らしながら、なんとも言えない形相で卵を見つめている。
『蛾の方は死体を糧とします。だから円香さんにはいったん死んでもらう必要があるんですけど・・・一人で出来ますか?』
「・・・・それは嫌だな。」
『じゃあやっぱりやめておきますか?』
「いや、そういうわけじゃないんだけど、死ぬってのは覚悟がいるなあと思って。」
『ちゃんと蘇ります。あの青年のお母さんがそうだったように。』
「そうだよな・・・生き返るんだよな。死んでも問題な・・・・、」
そう言いかけて、とんでもないことに気づいた。
「ぬああああああ!」
『ど、どうしました!?』
「そうだよ!生き返るんだよ!」
『はい・・・・?』
「だってこの卵、死人が復活するんだろ?だったらこれを使えばさ、あの青年を生き返らせて、全てを無かったことにしてもらって・・・・、」
そう言いかけた時、空の彼方から風が吹いてきた。
ほんの一瞬、嵐のような風が・・・・、
『円香さん、残念だけどそれは無理です。』
「ああ、分かってる。ヴェヴェが近づいてきて・・・・、」
『ヴェヴェが来なくても無理なんです。』
「・・・・どうして?」
『あの人、自分で死にたいって言ってたんでしょう?』
「ああ、だから父親に殺してくれって頼んだんだ。」
『それってある意味自殺ですよ。自分の意志で死んだ人は戻って来ません。』
「そ、そうなの・・・・?」
『生きていたくないから死んだんです。だったらその卵を使っても、魂がそこに宿ったりはしませんよ。』
「・・・・・・・。」
『もうお二人に蝶と蛾になってもらうしかないんです。それも今すぐ。』
なつちゃんは空を振り返る。
また風が吹いてきて、空がチカチカと光った。
「なんだあの光・・・・たくさん浮いてるけど。」
『おそらくですけど・・・・蛾だと思います。』
「蛾?でもあいつはヴェヴェにやられたんじゃ・・・・、」
『そっちの蛾じゃなくいて、小さな蛾の群れです。あの巨大な蛾、子供をさらって奴隷にしようと企んでたんです。
野戦病院で襲いかかってきた蛾の群れは、あの巨大な蛾に命令されてのことだと思います。
戦いを挑んではきたけど、どこか怯えてるように感じたから。』
「怯えてる?」
『あの蛾になったお母さん、虐待してたんでしょう。だからきっと、あの時の蛾の群れも同じ目に遭ったんだと思います。
暴力で抑えつけられて、無理やり言うことを聞かされて・・・・。』
「・・・・・・・・。」
『それを今度はヴェヴェがやろうとしている。
あの巨大な蛾がいなくなったもんだから、代わりに自分の手下にしたんだと思います。』
「そんな・・・・」
『知ってると思うけど、ヴェヴェは敵対する者に容赦しません。だから敵の奴隷だったあの子たち・・・・今度はヴェヴェに利用されてるんです。』
なんてこった・・・・と唇を噛む。
まったくどうしてこうも子供を傷つけたがる大人がいるのか?
《ようやく虐待者から解放されたと思ったら、今度は新しい虐待者が出てきたわけか。・・・・可哀想に。》
こちらに向かってくる蛾の群れは敵だ。
しかし憎むべき敵じゃない。
戦うべき相手でもない。
それは分かっているんだけど、放っておけばどうなるか?
妻と顔を見合わせ、複雑な心境になる。
『私たちが行きます。』
なつちゃんが群れを率いて舞い上がる。
『円香さんたちは子供を守る大人です。だから子供と戦わないで下さい。』
「でもなつちゃん、それだと君たちが辛い役割をすることに・・・・、」
『いいんです、それでも。これから自分たちの世界を託す大人に、子供殺しなんてしてほしくないから。』
空に浮かぶ繭の道から、無数の蝶が現れる。
怒るようにピカピカと点滅しながら、なつちゃんに続いていった。
『円香さん!大木の繭に入って下さい!』
「へ?」
『その卵を飲んで、繭の中に!そうしないと蛾に生まれ変わってもイモムシのままです!』
「・・・ああ、そっか!いきなり巨大な蛾になるわけじゃないんだよな。」
『早く繭の中へ入って下さい。そうすれば中にいる蝶たちが殺してくれます。』
「お、おう・・・・、」
『そのあと蛾に生まれ変わって、それから大木のエネルギーで急成長すればいけるかも・・・・。』
「大木のエネルギー?」
『大木の中に宿るんですよ!そうすれば直にエネルギーがもらえる。短時間で成虫に・・・・・、』
言い合っている間に、蛾の群れが迫ってくる。
その遥か後ろには、真っ赤に光る点が二つ・・・・。
《あれ・・・ヴェヴェの目か?》
なつちゃんたちは蛾の群れを迎撃に向かう。
妻は「待って!」と叫び、「亜子ちゃんを助けて!」と言った。
「彼女の子供なの!殺さないで!」
そう叫ぶも、すでに戦いは始まっていた。
蛾は雷を落とし、蝶は炎の竜巻で迎え撃つ。
俺は卵を握りしめたまま、大きな繭の前で立ち尽くしていた。
《行かなきゃな・・・・。》
死ぬのは怖い・・・・例え大きな使命であっても、我が子の為であっても。
しかし行かねばならない。
自分から言い出したことだ、今さら逃げることは出来ない。
「お母さん、すぐ戻ってくるから。・・・・優馬を頼む。」
妻の手には俺たちの息子がいる。
なつちゃんを追って飛び立とうとしているが、「ダメ!」と妻が手で覆った。
「行かせないからね!」
そう言って止めようとするも、蝶の力は半端ではない。
やがて妻の手から飛び立って、仲間の群れを追いかけるように、空へと昇っていった。
「優馬!!」
すでに高い空へと昇った優馬に、いくら声をあげても届かない。
妻は「そんな・・・」と呆然とした。
《きっと事態は把握してないだろうな。まだ二歳の子供だ。》
仲間が飛んで行くからついて行ってるだけに違いない。
このままだと、優馬はわけもわからずに殺される・・・・。
《もう迷ってる場合じゃない!》
卵を握りしめ、繭の中に飛び込む。
俺はもう人間をやめる、地球さえも離れて、子供たちと遠い宇宙へ・・・・。
だがその前に、やらなければならないことがある。
それは悪い大人を退治することだ。
遠い宇宙からやってきた子供の天敵、ヴェヴェ。
子供を守る大人として・・・・いや、子供の国を守れる大人かどうか、その為の試練を乗り越えないといけない。
少年の骨が入ったブルーシートと絵を置く。
ふうっと深呼吸して、バンバンと頬を叩いた。
「・・・・いくか。」
覚悟を決め、真っ白な繭の中へ飛び込んだ。

蝶の咲く木 第三十四話 子供たちの決断(2)

  • 2018.02.08 Thursday
  • 10:57

JUGEMテーマ:自作小説

電子機器が使えないというのは不便なものだ。
写真くらいは旧式のフィルムカメラで代用が利くが、他はそうはいかない。
パソコンもダメ、スマホもダメ、そしてネット自体もダメ。
強力な磁場は磁器障害を引き起こし、最新の利器ほどダメージを被る。
「ああもう!なんて不便な!」
繋がらないスマホを叩きつけ、河井さんのイライラが増していく。
遠くにそびえる根っこを見上げて、「くたばっちまえ!」となじった。
・・・ここは野戦病院。
さっきよりも患者の数が増えている。
それに加えて最新の医療機器が使えないとなれば、人手でカバーするしかないわけだが・・・・、
「医者も看護師もぜんぜん足りないみたいですね。」
慌ただしく走る医療従事者たち。
ボランティアらしき人達も頑張っているが、いかんせん医療は気持ちだけでどうにかなるものじゃない。
患者の数が増えた分だけ、手の回らない怪我人が増えるということ。
テントの並んだ野戦病院の奥、ブルーシートで仕切られた先には、俺がここにいた時よりも遺体が増えていた。
もはや遺族が引き取りに来るのを待つなんて言っていられない。
積み上がった遺体は腐敗をはじめ、いずれ病気をばら撒くだろう。
そうなる前にと、古い遺体から火葬が始まっていた。
「見てられないな・・・・。」
目を逸らし、遠くにそびえる根っこを睨んだ。
「まさかあれからも磁気が出てるなんて。」
蝶やあの怪獣どもから強い磁気が出ているのは知っていた。
しかしまさか巨木からもなんて・・・・。
「さっきはどうもなかったのに、どうして今になって磁気が出てるんでしょうね。」
そう呟くと、河井さんは「さあ?」と首をひねった。
「本格的に侵略してきたんじゃない?」
「もしこのままだったら・・・・、」
「確実に人類は負けるわね。」
「俺、すぐにあの大木まで行ってきます。なつちゃんたちに運んでもらって。」
「OK。私はこいつのデータをどうにか復活させてみせる。」
そう言ってアルミホイルで包んだパソコンを叩いた。
「それ、磁気でやられたりしてませんよね?」
「こんだけアルミ巻いてりゃ平気でしょ。」
「いや、そうじゃなくて・・・・あの家にある時に。」
「分からないわ。あそこにも蝶の群れが来てたから、もしかしたらってこともあるかも。
けど何もせずに諦めるのは好きじゃない。絶対にあの親父をブタ箱に叩き込んでやるわ!」
鼻息荒く息巻いて、「後は任せる」と言った。
「ほんとなら一緒に行きたいけど、こっちの方が気になっちゃって。」
「河井さん、こういう事件の記者の方が向いてるんじゃないですか?だってこんな状況なのに、犯罪者の罪を暴こうとしてるから。」
「かもしれない。」
そう頷き、ブルーシートの前に立つ警官を見つめた。
ここへ着いてすぐに、あの警官に事情を話した。
俺たちに少年の遺骨を渡してくれたあの警官だ。
『なんとまあ・・・・。』
苦い顔で俺たちの話を聞いて、『今は何も出来ないが・・・・』と前置きした。
『もし侵略者どもを倒すことができたら、どうにかしてみるよ。』
そう言って青年の遺体を預かってくれた。
あとは河井さんと警察に任せて、すぐに大木へ向かうことにした。
「じゃあ河井さん、行ってきます。」
「うん、気をつけて。・・・・っていうか、それも持ってく気?」
「え?」
「だからそれよそれ。子供の遺骨。」
怪訝な顔をしながら、肩に担いだブルーシートを指さす。
「もう必要ないでしょ?」
「ええ、まあ・・・・、」
「ていうかその子の骨も置いていってくれない?あの親父を追い詰める証拠になるかも。」
「この子も被害者ですからね。けど・・・預けるのは後からでもいいですか?」
「どうして?こう言っちゃなんだけど・・・その子の骨、もう役に立たないでしょ?」
「そう思うんですけど・・・なんか手放せなくて。」
遺骨を手に持ち、「あの子の魂はもういないですけど・・・」と言った。
「でもまだ終わってないんです。あの子は何も報われないまま逝ってしまって・・・、」
「可哀想にね・・・・辛い思い出しかないなんて。」
「だからせめて、最後まで見届けさせてやりたいんです。魂は天国にあっても、身体はまだここにある。こいつを通して見てくれればと思って。」
「そう・・・分かった。ならその子は君に預ける。全てが終わったらみんなで弔ってあげよ。」
「ええ、お願いします。」
頭を下げ、「じゃあ」と病院を後にする。
なつちゃんたちはステルスを使って、外で待っているはずだ。
しかしそこへ行く前に・・・・、
「・・・・いたいた。」
走り回る医者や看護師、運ばれてくる患者。
その隙間を縫いながら、「お〜い」と妻に駆け寄った。
「どう、彼女の様子?」
「大したことはないみたい。」
妻は頷き、横たわる彼女を見つめた。
実はここへ戻って来るまでの間に、突然「苦しい・・・」と息が荒くなった。
聞けば喘息持ちらしく、あまりにストレスが重なると、こうして発作を起こすことがあるという。
「すいません・・・・最近は全然平気だったんですけど・・・色々ありすぎちゃって・・・、」
「いいわよそんなの。あれだけのことがあったんだもん、落ち着いてられる方がどうかしてる。」
「もっと早く・・・真実を知ってれば・・・・あの両親から主人を引き離すことができたかもしれないのに・・・・、」
「そういうのは考えちゃダメ。辛くなるだけよ。」
「主人も亜子も・・・・あの人たちのせいで辛い思いをしたんです・・・・。
ううん、今でもしてるはず・・・・。主人は父親に殺されて、亜子はあの母親にさらわれて・・・・。
あんなどうしようもない人たちは・・・・初めて・・・・、」
「あなたが悪いわけじゃないから、そんなに思いつめないで。また喘息が酷くなるよ。」
握った手を揺らし「あとは私たちに任せて」と頷きかけた。
「私と旦那とで、全てを終わらせてくるから。」
「亜子は・・・帰ってきますか・・・?」
「なつちゃんたちに頼んでみる。あの子たちは子供の味方だから、きっと力になってくれるはずよ。」
「お願い・・・・亜子だけは・・・・無事に帰してほしい・・・・。」
「必ず連れて帰る。そのあとはご主人を弔ってあげよう。ね?」
「・・・・ありがとう。」
妻は立ち上がり、「行ってくるから」と手を振った。
「じゃあお父さん。」
「ああ、それじゃ。」
彼女に会釈を残し、二人並んで外へ向かう。
「大丈夫?必ず連れ戻すなんて言って。」
亜子ちゃんのことを尋ねると、「他になんて言えばいいの?」と返された。
「私たちだって優馬を奪われたのよ?」
「もし立場が逆だったら、そりゃああ言って欲しいけどさ・・・・。
でも無理だった場合はかえってショックを受けるんじゃないか?」
「今ショックを受けるよりマシよ。だって希望がなきゃ生きていけないもん。」
「あの人・・・自殺したりしないよな?」
「そうなったら困るからああ言ったんじゃない。だけどもし亜子ちゃんを連れ戻せなかったら・・・・、」
「責任重大だな。」
上手くいけば侵略を防げるかもしれない。
だけど奪われた子供を取り戻すことは・・・果たして可能なのか?
《優馬はまだ生きてるはずだ。ヴェヴェは理由もなく子供を殺したりしないからな。だけどヴェヴェもどきに生まれ変わってる可能性はある。》
もしも蝶になってしまっていたら、俺たちはどうすればいいんだろう?
もちろん見捨てるなんてことはしないが、あの姿のまま地球にはいられないだろう。
となると、子供の国にいるままになってしまうんだろうか?
「お父さん!」
妻が腕を引っ張る。
何事かと思う前に、事態の異変に気づいた。
「あれは・・・蛾か?」
光る蝶とよく似た小さな蛾が、自衛隊と戦っている。
「お父さん・・・あの蛾ってまさか・・・・、」
「うん、多分モスラもどきの仲間だ。」
「亜子ちゃんはあの蛾に連れて行かれた。てことはあの蛾も・・・まさか子供の生まれ変わりってこと?」
「かもしれないな・・・・。」
蛾と自衛隊は戦い続ける。
するとそこへ蝶の群れがやって来た。
蝶は自衛隊に加勢して、蛾と激しく戦う。
「おお・・・・。」
身体は小さいのに、ぶつかる度に大きな音が響いていた。
まるで砲弾と砲弾が激突するみたいに・・・・。
やがて蛾の群れが、羽から雷を落とし始めた。
蝶の群れの一部はそれに焼かれ、黒焦げになって墜落していく。
しかしやられっぱなしというわけではない。
鱗粉を振り撒き、雷を防いでいる。
そして羽ばたきで風を起こし、激しいつむじ風を発生させた。
さらに羽から炎を放って、つむじ風に纏わせる。
炎は途端に竜巻となり、蛾の群れを後退させていった。
「熱っつ・・・・、」
妻が俺の後ろに隠れる。
風に巻かれる炎の柱は、辺り一帯に熱風を巻き散らす。
群れから近い場所にあった民家が発火するほどだ。
『円香さん!』
なつちゃんが飛んできて『離れて下さい!』と叫んだ。
『ここにいたら燃えちゃいます!』
「なつちゃん・・・これっていったい・・・、」
『いいからもっと離れて!』
なつちゃんたちの群れが、俺と妻を抱えて空に舞う。
炎の竜巻はさらに激しさを増し、空にまで熱風が襲いかかってきた。
「死ぬ!」
妻は頭をかかえてうずくまる。
俺も両手で顔を覆った。
《なんなんだいったい!》
いきなりの出来事にパニックになる。
いったい何がどうなっているのか・・・わけが分からないまま混乱していると、急に熱風が治まってきた。
恐る恐る目を開けると、不思議な色の光がキラキラと舞っていた。
「これは・・・なつちゃんの鱗粉?」
光は頭上から降り注ぎ、まるでバリアのように熱風を遮断している。
『風が強い・・・。みんな!もっと羽ばたいて!』
俺たちの頭上で、蝶たちが羽ばたきながら旋回する。
すると・・・・、
「おお!」
核の爆風を防いだ時のように、周りに風の盾が出来上がっていた。
しかも鱗粉と一緒に回っているもんだから、ここだけオーロラが発生したみたいに、神秘的な光景になっている。
しかしこのバリアの外はというと・・・・、
「なつちゃん!炎が・・・・、」
『分かってます!』
炎の竜巻が振り撒く熱風は、野戦病院へも押し寄せている。
悲鳴が上がり、次々にテントが飛ばされていった。
『ここで待ってて下さい!』
なつちゃんは俺たちをビルの陰に下ろし、病院へと飛んでいく。
するとどこからか応援に駆け付けた自衛隊が、なつちゃんたちの群れに向けて発砲し始めた。
「おいやめろ!その子たちは味方だ!」
彼らからすれば、どの蝶も敵に映ってしまうだろう。
銃弾は全ての蝶と蛾に向けられ、争いの火が拡大していった。
「クソ!どうすりゃいいんだこれ・・・・、」
もしここでなつちゃんたちが倒れれば、大木まで辿り着くことは出来ない。
「頼むからやめてくれ!その子たちを撃たないで・・・・、」
ビルの陰から飛び出し、なつちゃんたちの方へ走る。
妻が「危ないよ!」と叫びながらも、「もう!」と走り出てきた。
「熱ッ・・・・、」
「焼け死ぬ!」
物陰から出たはいいものの、熱風が俺たちの足を阻む。
慌てて引き返し、腕や顔をこれでもかとさすった。
「なんてこった・・・ここも戦場になっちまうなんて。」
「お父さん・・・もしなつちゃんたちがやられたら・・・、」
「もうどうしようもない・・・・。」
「野戦病院には彼女や河井さんだっているのに・・・・。」
熱風は激しさを増し、ビルの陰にまで押し寄せる。
「もっと奥に!」
妻の手を引き、襲いかかる熱風から逃れる。
しかし走り続けたその先は・・・・、
「マジか・・・・。」
建物の陰はここまで・・・・先には広い道路が伸びていて、熱を遮るものがなかった。
俺と妻は身を寄せ合い、炭に変わってしまうのだと諦めた。
だが予想もしない急展開というのは、なにも悪い事ばかり起こるわけじゃない。
・・・いや、悪いことと言えば悪いことなんだけど、今の俺たちにとっては好都合な出来事が空から・・・・、
「お父さん・・・・、」
「ああ、来やがった・・・・。」
突風が吹き下ろす。
その風は熱風を一瞬で彼方へ押しやる。
道路に転がっていたバイクや車までもがひっくり返った。
「うおおおおお!」
身をかがめ、近くにあった電柱にしがみつく。
風を起こした主はビルの上に舞い降り、大きな複眼で辺りを見渡した。
『・・・・・この近くに気配を感じたんだけど。』
エコーのかかった不気味な声が響く。
巨大な羽を広げて、これでもかと鱗粉を放った。
辺り一面が七色のような、黄金のような、銀色のような不思議な色に染まっていく。
その光は瞬く間に炎の竜巻を消し去った。
「ヴェヴェ・・・・。」
息を飲み、見上げていると、妻が「優馬を返せ!」と叫んだ。
「私たちの子供を返せ!」
大きな複眼がこちらを向く。
わずかに触覚を揺らしながら、『隠れてなさい』と言った。
「はあ?」
『卵を持ってるんでしょ?』
そう言ってヒラヒラと触覚を振る。
「そうよ!こっちにだって人質がいる!もし優馬に何かしたら、この卵を踏み潰して・・・・、」
『あの子は生きてるわ。蝶になってね。』
「・・・あんた・・・よくも人の子供を・・・・、」
『でも心配しないで、まだ人間だから。繭に包めば元に戻る。まあそれが出来るのは私だけだけど。』
「じゃあすぐに戻してよ!」
『あんたに命令されるいわれはない。あの子はもう子供の国の一員なんだから。』
「ざっけんな!優馬は誰にも傷つけられてない!虐待もないし変態に狙われたことだって・・・・、」
『もう関係ないの、そういうことは。地球全体が子供の国になる。
あの国にいる子供たちは、もうあんた達の子じゃない。』
「勝手なことほざくな!なんであんたが勝手にそんなこと決めんのよ!!」
『地球の大人が不甲斐ないから。人間の大人は子供の天敵でしょ?』
「違う!みんながみんなそんな大人じゃ・・・・、」
『だから何?一人でもそいう大人がいるなら、子供は安心して暮らせない。』
「でもそういう大人から子供を守る大人も大勢いるわよ!」
『守れないから言ってるの。あんた達じゃ無理。』
「無理じゃない!私たちはずっと優馬を大事に育ててきて・・・・、」
『無理なのよ。子供の天敵を代表するような奴がこの近くに潜んでるわ。あんた達じゃ子供を守れない。』
「だからなんでそうやって勝手に決めつけて・・・・、」
『いいから物陰に隠れてなさい。くれぐれも卵を壊さないように。』
ヴェヴェの羽が鏡のように反射する。するとそこに映ったものは・・・・、
「・・・・出た。」
ヴェヴェと変わらないほど巨大な蛾が映っていた。
「隠れてやがったのか・・・・、」
羽が映し出す方向を振り返ると、何もない空間から陽炎のようなものが昇った。
そしてじょじょに姿を現してくる・・・・あの巨大な蛾が。
『見なさい、あれこそ地球の大人の本性。暴力と歪んだ心を持った子供の天敵よ。』
巨大な蛾は不気味に佇ずみ、櫛状の触覚をヒラヒラと揺らした。
『死んでって言ったのになんで生きてるの?私が死んでって言ったら死んで。』
ヴェヴェを睨みながら怒りを露わにする。
こちらの声にもエコーがかかっていて、ヴェヴェとは違った不気味さを感じた。
・・・・いや、恐怖といった方が正しい。
何かこう・・・上から見下されるような、大きな力で押さえつけられるような。
一言でいうなら暴力的な声だった。
聴いただけで心を逆なでされ、それと同時に服従を迫られるような・・・それを拒否すれば拳が降ってくるような、そんな声に聴こえる。
《虐待をする親って、子供からはこんな風に見えてるのかな・・・・。》
あの蛾は大きい。
ただそこに立っているだけで周りを見下ろすほどに。
あんな上から暴力を振り撒かれ、罵りを飛ばされたら、きっと誰も逆らえない。
どんな理不尽な扱いを受けようと、どんな不条理なことを言われようと、頭を低くして耐えるしかないだろう。
これが虐待を受けている子供の心境だとしたら、それはどれほど酷なことか。
幽霊になったあの少年も、彼女の夫だったあの青年も、幼い頃からこんな恐怖に圧迫されていたなんて・・・・。
《大人は子供の敵なんかじゃない。けどこういう奴もいる・・・・ヴェヴェの言う通り、こいつは子供の天敵だ。》
自分よりも弱い者をいたぶることに、この上ない快感を覚えるのだろう。
そんな奴がヴェヴェと同等の力を持っているという事実は、それだけで足を竦ませた。
「・・・・隠れていよう。」
妻の手を引き、物陰に避難する。
あの二体が戦えば、ここら一帯は瓦礫の山と化すだろう。
こんなビルに隠れたところで意味はないが、それでも身を隠したがるのが人の心理だ。
ヴェヴェと蛾は睨み合ったまま動かない。
二体の迫力に圧されてか、さっきまで銃声を響かせていた自衛隊も、戦いに駆け付けようとはしなかった。
当然だろう・・・戦いを挑んだところで、結果は火を見るより明らかだ。
《神様・・・どうか・・・・。》
手に汗を握りながら、どうか人類にとって良い結果に終わるようにと願う。
出来れば共倒れが理想だが、文句は言うまい。
今まで信心深いわけではなかったのだ。
追い詰められた時だけ「お願いします」と頼んだところで、「はいそうですか」と神様も頷いてはくれないだろう。
どんな形でもいい・・・・どうかこの星が無事で終わる結果であれば・・・・、
『円香さん!』
なつちゃんが飛んでくる。
「おお、無事だったか!」
『今のうちに大木へ!』
「え?こんな状況で・・・・?」
『こんな状況だからこそチャンスです!ヴェヴェも蛾もこっちに気を取られてる場合じゃないから。』
「そ、そうか・・・確かにそうだな。」
『それに・・・、』
「それに?」
『みんなが決断をしてくれました。』
「決断?」
『はい!』
「何を?」
『子供の国を放棄することを。』
「・・・・はい?」
『さっき蛾の群れと戦ってた蝶たちがいるでしょう?あの子たちは子供の国を代表してやってきた子なんです。』
「代表?」
『私・・・ううん、あの国で大人を迎えた子供たちの多くが、ヴェヴェのやり方に反対でした。
だからもうここにいるのはやめようって、他の子供に説得してたんです。』
「・・・・・・・。」
『私自身・・・・復讐を終えてから、嬉しいのと同時に嫌な気分になることがありました。
復讐したこと自体に後悔はありません。だけどこれからあそこへやって来る子供たちに、復讐に走ってほしくないっていう気持ちもあって・・・・。』
「なつちゃん・・・・。」
『分かってるんです、すごく身勝手だって。そんなの自分の復讐を成し遂げたから言えることかもしれないって。
だけど復讐したからこそ言えることもあります。大人になった今・・・・子供たちに復讐の道を選んでほしくない。』
「だから子供の国を放棄しようと?」
『はっきり言って、あそこは子供の為の国じゃありません。円香さんならもう分かってると思うけど。』
「ああ、あれはヴェヴェの為の国だ。かつて捨てた母星を再現しようとしてるんだよ、それも自分の理想の形で。
君たちはそれに付き合わされているにすぎないよ。」
『そうです。だからヴェヴェ自身が、いま向かい合ってるあの大きな蛾と同じなんです。
復讐・・・それに地球の侵略・・・・。そんなものをあの子たちに背負わせたくない。
だからずっと説得し続けてきたんです。でも簡単じゃなかった・・・反発もあったし、ヴェヴェに告発する子もいたし。』
「それでヴェヴェから狙われてたんだな・・・謀反者として。」
『ヴェヴェの掲げてることは、あの蛾とまったく同じです。自分のことしか考えていない大人なんです。
片方は狡猾で、片方は野蛮で・・・・。その違いがあるだけで、根っこにあるのは自分勝手な暴力。
私たちを苦しめていた大人となんにも変わらない。子供の国が存在するっていうことは、死んだあとまで子供を苦しめることになる。』
そう語るなつちゃんの声は、もう子供の声ではなかった。
彼女は言っていた。
子供と大人の違いは、年齢だけではないと。
心が成長することが、本当の大人になることなんだと。
今のなつちゃんは間違いなく大人だ。
それも悪い大人から子供を守る、庇護者としての大人だ。
だったら彼女の提案を拒否する理由はない。
子供の国の放棄が子供たちの為になるというのなら、それが彼女の口から語られることなら、それはきっと正しい。
『円香さん、急ぎましょう。そう時間はないはずだから。』
「そうだな、あいつらが延々と戦い続けちゃ、それこそ地球の終わりだ。」
『いえ、逆です。』
「逆?何が?」
『戦いは長引きません。』
「そうなの?だってあの二匹って互角なんじゃ・・・・、」
『きっとヴェヴェが圧倒します。』
「あいつそんなに強いのか?いや、強いのは知ってるけどさ・・・圧倒するほどとは知らなかった。」
『さっきまでは蛾と同じくらいの強さだったんです。だけどそれじゃ勝てないから、いったん子供の国へ戻ったんです。
そしてあることを・・・・、』
「あること?」
『子供の国の巨木って、実はヴェヴェの一部なんですよ。』
「へ?」
『あれってヴェヴェのお尻から生えてる触手みたいなものなんです。
それを切り離して、子供の国の基礎にしてたんです。けど今は繋げてるはず。』
「あれはヴェヴェの一部・・・・。」
『そのせいで、今は根っこから強力な磁気が出てるはずです。そのせいで電子機器は使えないでしょう?』
「ああ、そのせいで!」
これで納得がいった。
なんでいきなり根っこの傍に磁場が出来ていたのか。
『子供の国を維持しなきゃいけないから、全ての触手を使うことはできません。
けどあんなに大きな物だから、一部だけ使ったとしても・・・・、』
なつちゃんが言い終える前に、それは起きた。
青い空から何本もの巨大な根が降りてきて、山のごとく大地に突き刺さる。
その衝撃で地震が起き、足元も建物もグラグラと揺れた。
「うおおお・・・・、」
ビルに掴まって、どうにか堪える。
『見て下さい。まるで結界みたいに・・・・。』
言われて目を向けると、この街を覆うように根っこがそびえていた。
そして・・・・、
「な、なんだありゃあ・・・・・、」
巨大な根っこの一本一本から、さらに根が伸びてくる。
まるで大木が枝分かれするように・・・・。
根はさらに細かく分かれる。
やがて立体的な蜘蛛の巣のように絡み合い、蛾の周囲を覆っていった。
『あんたなんかに地球は渡さない。死ぬのはそっちよ。』
クスクスと笑い声を響かせながら、逃げ場を失った蛾に飛んでいく。
『何これ?どかしてよ。』
蛾は鬱陶しそうに羽で叩くが、蜘蛛の巣状の根っこはビクともしない。
ヴェヴェはさらに蛾へと近づき、お尻の先から恐るべきものを出した。
「なにあれ・・・気味悪い・・・・。」
妻が吐きそうに口元を押さえる。
ヴェヴェのお尻から、ミミズのようなゴカイのような、なんともいえない奇妙な動きをする生き物がワラワラと伸びてきたからだ。
そいつは見えないほとの上空まで続いている。
「そうか・・・あれで巨木と繋がってるんだ。」
環形動物のような不気味な物体は、おそらくヴェヴェの触手だろう。
蛾は必死に脱出を試みるが、いくらもがいても根っこの蜘蛛の巣は破壊できない。
『円香さん!見てる場合じゃありません。』
なつちゃんは仲間を呼び、糸のハンモックを紡ぐ。
そして俺たちを乗せて、高い空へと舞い上がった。
『飛ばしますよ。』
「・・・ああ、頼む。」
かなりの速さで空を舞い、街を覆う結界のような根っこを抜けていく。
後ろを振り返ると、そこには見るも無残な光景が・・・・、
『やめて!やめてええええええ!!』
蛾が苦しんでいる・・・・何重にも声を響かせて、蜘蛛の巣の中でもがいている・・・・。
『どう?いたぶられる気持ちは?』
ヴェヴェの笑い声が増していく。
蛾は身もだえしながら、さらに絶叫を響かせた。
『ふざけんなあああああ!』
蜘蛛の巣状の木の根から、幾つもの糸が伸びている。
その糸からは液体が滴っていて、強酸のように蛾を溶かしていた。
鱗粉のバリアを張ろうにも、糸で絡められて身動きが取れない。
かろうじて動く足をばたつかせ、悲鳴を上げること以外の自由を奪われていた。
《こんな簡単に決着が・・・・。》
最大の武器である鱗粉が使えないのなら、あの蛾が負けるのも時間の問題だろう。
なつちゃんの言う通り、勝負に時間はかかりそうにない。
あの蛾を平らげたあとは、おそらく俺たちが襲われる。
この卵を狙って・・・・。
《頼む!俺たちが大木へ着くまではもってくれ!》
あの蛾にはくたばってほしいが、すぐにやられちゃ困る。
今だけは少しばかり応援するしかあるまい。
一刻も早く全てを終わらせる為に。
・・・・子供は大事だ。
だけどこれ以上、子供の夢が現実を蝕んではならない。
少年の骨を抱きながら、夢も一緒にあの世へ持っていってくれればと、余計な置き土産を呪った。

蝶の咲く木 第三十三話 子供たちの決断(1)

  • 2018.02.07 Wednesday
  • 11:46

JUGEMテーマ:自作小説

罪の告白には勇気がいる。
その罪が重ければ重いほどに。
色々な罪があるが、群を抜いて重いのはやはり殺人だろう。
こんな話を聞いたことがある。
罪を犯した人間は、その罪を自慢気に話すことがあるという。
特に酒が入っている時などは。
しかし殺人だけは決して他言しないらしい。
どんなに酔おうが、人を殺した罪だけは隠したままにするのだそうだ。
・・・と刑事が言っていたと、タレントがテレビで言っていた。
その話が本当か嘘かは分からないが、本当であったとしても不思議ではないと思う。
単に捕まるのが怖いからではなく、殺人という業の重さは、口にするのも躊躇うほどなのだろう。
今、目の前にいる男は殺人という業を背負っている。
己の変態趣味の為に子供を手にかけ、最後は自分の息子の命までも・・・・。
なぜそうする羽目になってしまったのかについては、こちらからの問いかけは必要なかった。
苦しそうに・・・実に苦しそうな顔をしながら、声だけは淡々としゃべり出したからだ。
抑揚のないその口調はきっと、そうでもしないと話し続けることが出来ないからだろう。
感情を押し殺すことでしか、人殺しの罪を吐き出すことは難しいのだ・・・きっと。
「子供は今までに三人殺した。みんな小さい男の子だ。
最初から殺す気はなくて、結果的にそうなってしまった。」
強引な性行為の末に・・・といことらしい。
出血が止まらなくなって、そのまま息絶えたのだと。
「そのうちの一人の子は絵を持っていた。大きな木の傍で川を見ていた。
日はもう暮れかけていて、夜になろとしていた。こんな小さな子がこんな時間に一人なんて、チャンスだと思った。」
表情も声色も変えず、やや下を見つめながら話す。
妻は眉間に皺を寄せ、汚物でも睨むような目をしていた。
「とても可愛い子だった。写真も撮ったし満足だった。死体は川に埋めた。
田舎だし、夜だったから誰にも見られていないはずだった。」
「はずだった?じゃあ誰かに目撃されて?」
ようやく顔を上げ、「俺は脅されていた」と言った。
「あんたなら色んな経緯を知ってるはずだよな?」
「ヴェヴェのこととか、息子さんのこととかですか?」
「ああ。随分の昔のことだが、俺もヴェヴェに会ったことがある。」
「あんたも!?」
「まだ息子が子供の頃にな。なんか知らんがすごい怒ってたよ、お前の息子が大事な物を奪ったって。
一つはダメになってしまったが、もう一つはなんとしても取り戻したい。
だから注意して見張っていろと言われてな。」
少し声のトーンを落としながら、亡き息子に目を向ける。
「俺には分からないことだらけだったよ。生き返った嫁のことも、ヴェヴェとかいう虫みたいな奴のことも。
それに息子が何を奪ったのかも。でも俺は逆らえなかった。なぜなら・・・・、」
「ヴェヴェは知っていたから。おたくが少年を殺したことを。」
「・・・逆らったらどうなるかと脅された。俺はバレるのが怖くて・・・、」
「それで?ヴェヴェの言う通り、息子さんを見張ってたわけですか?」
「見張るっていっても、何を見張ればいいのか分からない。だからとにかく手元に置いておくしかないと思った。
・・・・息子が結婚するって言いだした時は焦ったよ。俺の目の届かない所に行っちまうって。」
そう言って彼女に目を向ける。
「だからこの家に呼び戻そうとした。あんたが俺を嫌ってくれれば、どうにかなるんじゃないかと思ってな。」
おっさんは写真を撮る真似をして、「俺の部屋で見ただろ?子供の写真を」と言った。
「あんたが家を掃除するように仕向けてさ、わざとあの写真を置いておいたんだ。案の定、あんたは俺に不信感を抱いて、離婚を決めたよな?」
事務的にそう語るおっさんに、彼女は目を丸くした。
「あれ・・・わざとだったんですか?」
「息子がDVしてるのは知ってたからな。それに加えて義父があんな趣味をしていると知れば、別れてくれるんじゃないかと思って・・・、」
「ひどい!何それ!!」
立ち上り、「なんでそんなこと!」と詰め寄った。
「だから言っただろ、息子に戻ってきてもらう為だ。」
「だったらこの家に住むように言えばよかったじゃないですか!なんで別れさせる必要があるの!」
「・・・あんたと孫が邪魔だからだ。この家は俺のアトリエでもあるから。」
「アトリエ・・・?」
「子供たちの写真を隠してある・・・・、」
「最低!」
バチン!と鋭い音が響く。
小柄な女性とは思えないほどの威力で、おっさんの首が横へ向いた。
「じゃあなんで私に写真を見せたの!バレるのが怖いなら隠したままでよかったじゃない!」
「あんたの性格上、誰かに告げ口することはないと思ったから・・・・。黙って息子と別れてくれるんじゃないかって。」
「・・・・・・・・。」
また手を振り上げる。
おっさんはかわす気はないようで、グッと口を噛んで受け止めようとしていた。
しかしビンタがくることはなかった。
彼女は振り上げた手を握りしめ、「あんたらは・・・」と獣みたいに唸った。
「どっちも最低のクズ親だ!」
「・・・・・・・・。」
「虐待する母親に!変態で自己中な父親!親がそんなんだったら、子供が歪むのは当たり前だろ!」
雷みたいな声で叫ぶ・・・思わず耳を塞いでしまうほどだ。
「これじゃあの人が可哀想だ!ほんとは優しいのに、お前らがそれを歪めたんだ!」
「すまん・・・・。」
「私も亜子もそれで苦しんだ!悪いのは全部お前らだ!お前らが私たちの家族をめちゃくちゃにしたんだあああ!」
握ったまま振り上げていた手を、ドンと降り下ろす。
それはおっさんの眉間に当たって、痛そうに顔を逸らした。
「私は暴力なんて嫌いだし、誰かを傷つけるのも嫌いだ!でもお前らだけは地獄に蹴っ飛ばしてやりたい・・・・。」
激しい吐息には怒りが混ざっていて、どうにか自分を落ち着かせようとしている。
やがて口元を押さえて、小さな嗚咽を漏らし始めた。
「ごめん・・・・ごめんなさい・・・・、」
俯いたまま謝罪を始める。
その言葉は家族に向けてのものだろう。
亡き者になった別れた夫に、そしてさらわれてしまった自分の娘に。
彼女の家族に降りかかった全ての不幸は、元をたどれば青年の両親にある。
それは彼女のせいではないはずなのに、謝罪は何度も繰り返された。
「大丈夫?」
妻がポンと肩を撫でる。
おっさんに一瞥をくれてから、傍から引き離していた。
河井さんはカメラを向け、おっさんをパチリと一枚。
そして嗚咽する彼女にもレンズを向けた。
妻が「撮らないでよ!」と怒るが、それを無視してシャッターを切っていた。
「ちょっと!」
「ごめんなさい、これが仕事だから。」
「お父さん!この人どうにかして!!」
「悪いと思ってるわ。」
「だから撮らないでよ!」
俺は二人のやり取りを無視して、おっさんの前に立った。
「おたくがどうしようもない人だってことは分かった。」
「・・・・・・・。」
「けど今はおたくを責めてる時じゃない。どうして息子さんまで手にかけた?」
だいたいの予想はつくけど、本人の口から聴きたかった。
おっさんは卵を見つめ、「こいつを・・・」と言った。
「大木の下に埋めてほしいと言われて。」
「え?」
予想と違う答えに驚くと、おっさんも「え?」と聞き返した。
「え?って・・・何が?」
「いや、息子が何かしでかしそうだから殺したんじゃないのか?」
「何を言ってんだ?」
「だってヴェヴェから言われてたんだろ?注意して見てろって。」
「ああ。」
「だから殺したんじゃないのか?息子さんが普段と違う様子だったからとか、何かをしでかそうとしてたからとか。」
「・・・・違う。こいつを渡されたあと、殺してくれと頼まれたんだ。」
「本人から?嘱託殺人ってことか?」
「そうだ。」
「なんで?」
「悔やんでいたからだそうだ。自分のやってきたことを。」
「それは・・・母親に命令されて、この絵にイモムシを描いたことか?」
「それもある。」
「じゃあ・・・奥さんや子供に暴力を振るってたこと?」
「それもだ。」
「それもって・・・ほかに何を悔やむことがあるんだ?」
「・・・こいつだ。これを奪ったことを。」
そう言って卵を見せつける。
「こんな物さえ奪わなければ、こんな事にはならなかったと。」
「自分で奪ったクセに。」
「だから後悔していたんだろうよ。興味本位で奪ったこの卵だが、こいつを人質に母を生き返らせてくれと頼んだ。
ヴェヴェは拒否したが、結果的に母親は生き返った。あいつが一番後悔していたのはそのことだ。
せっかく俺が殺してやったのに、また生き返らせるなんて・・・・。」
「ずいぶん語弊のある言い方するな。殺したのは自分の為だろう?」
「俺の為でもあるし、息子の為でもある。俺は頭のおかしい変態だが、自分の子供は大事にしてきたつもりだ。
なのにあの女ときたら、平気で息子をいたぶってやがった。だから殺したんだ。」
「何言ったって殺人の正当化にはなりませんよ。」
「分かってる。俺が言いたいのは、あの女が生き返ったのが一番の間違いってことだ。
息子はまたあいつの奴隷になっちまった。・・・・頭では分かってたはずだ、母の言いなりになるのは間違いだと。
でも逆らえなかったようだ。暴力が怖いだけじゃなくて、心まで支配されてたんだろうな。」
「ならあなたが守ってあげればよかったじゃないですか。
自分の変態趣味がバレるのが怖いからって、息子の離婚まで画策したんです。説得力がありませんよ。」
「だから分かってるんだそんなこと!俺あ自分を正当化なんかしてない!」
いきなり激高して、「ちったあ黙って聞け若僧!」と怒鳴られてしまった。
「もうこんなことになっちまったんだ!今さら俺の趣味がバレたところでどうってことない。」
「警察に捕まらないから?」
「ああ。悪いか?」
「・・・・今おたくを責めたってどうにもならないですから。」
「なら黙って聞いてろよ。・・・ええっと、どこまで話したかな?」
「息子さんが母を生き返らせたってとこまで。」
「ああ、そうだった・・・。あいつはそのことを一番悔やんでた。
あの女は生き返ったあとでも、傲慢で暴力的でな。離婚してるってのに、たびたび家に来ちゃ金をせびりやがった。
こっちが断るとヒステリックに喚きやがる。ブッ飛ばしてやりたくても弱みを握られてるし・・・・。
息子はあいつの言いなりだったよ。そのせいで大変なことになってしまったって、後悔してたんだ。
まさかなあ、あの女・・・・子供の国とやらを乗っ取った後は、地球を侵略するつもりだったなんて。」
「え?」
思わず変な声が出る。
「地球を侵略?」
「そうだよ、知らないのか?」
「だって侵略しようとしてるのはヴェヴェでしょ?」
「は?」
「え?」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
互いに狐につままれたような顔になる。
どうやらここへ来て、お互いの認識にズレが出てきたようだ。
それとも・・・・、
「息子さんは・・・お母さんが地球を侵略するって言ってたんですか?」
「ああ。だから後悔してたんだ。もう自分はこれ以上何も背負いたくないし、かといって母親にも逆らえない。だから殺してくれって。」
「・・・・・・。」
「そんで死ぬ前にこれを渡された。こいつがあれば母を止められるかもしれないと。」
「その卵、どういうものか分かってるんですよね?」
「産んだ奴がヴェヴェになるんだろう?息子はそれを拒否していたようだ。
あの女もその卵は使うなと言ってたらしい。それはヴェヴェにとっていい人質になるからと。」
「なら息子さんは、母親から解放されたいが為に、おたくに殺してくれと頼んだわけですね?」
「だろうな。」
「よく実行できましたね、自分の子供なのに。」
「やりたくてやったわけじゃない。どうしてもと頼まれたからだ。」
「・・・・・・。」
「いいよ、言いたいことは分かってる。どうせ俺はクズだ。
でも今大事なことは、こいつをどうにかしなきゃってことだ。
息子によれば、こいつはほっといても孵化するらしいからな。」
「え?そうなんですか・・・?」
「卵なんだから当たり前だろう。そんときゃイモムシが出て来て、将来はヴェヴェみたいになっちまうらしい。」
「最悪だ・・・・。」
「かといって人間が使えば、そいつ自身がヴェヴェになる。」
「それも最悪だ。」
「じゃあどうするか?」
「どうするんです?」
「あの大木の下に埋めるんだとよ。あの木には魂があるんだろ?」
「ええ。」
「ならよ、こいつを養分として使ってもらうしかないだろうよ。」
「養分って・・・それってまさか・・・あの大木をヴェヴェに生まれ変わらせるつもりですか?」
「出来るかどうかは分からんが、やってみてほしいとさ。
もし上手くいけば、あの大木が全て丸く収めてくれるかもしれないらしいから。」
「丸く収めるって・・・どうやって?」
「あの大木自身を子供の国にして、宇宙へ旅立ってもらうんだとよ。」
「う、宇宙へ・・・?」
「子供の国には、大人のせいで傷ついた子供が大勢いるんだろ?
じゃあその子たちが望むのは、大人のいない安心できる世界だ。」
「そうですけど・・・・、」
「子供らにしてみれば、大人の脅威さえなけりゃそれでいいんだ。
だったらなんでもいいんだよ。敵がいない世界を求めてんだから。」
偉そうに言うおっさんに、《お前が言うことかよ》と怒鳴ってやりたかった。
しかし言ったところで聞く耳をもつまい。
グッと言葉を飲み込んで、卵を見つめた。
「ならその役目を自分でやればいいじゃないですか。」
「んなこと出来るか。俺は子供の敵だぞ?そんな野郎がなんで・・・・、」
そう言ってバツが悪そうに目を逸らす。
《悪いことしてるって自覚はあるわけか・・・・。》
それでも治らないからこそ、ずっと子供を傷つけてきたのだろう。
こういった性的趣向はなかなか変わらないと聞く。
このおっさんをほうっておけばまたやるだろう。
悪い悪いとは思いつつも、欲望に逆らえず・・・・。
《やっぱこいつは警察に突き出さないとな。その為には・・・・、》
俺は手を伸ばし、卵を受け取った。
「いいよ、こいつを大木の下に埋めてくる。」
「ほんとか?」
「子供の敵に任せるわけにはいかないからな。」
「そう言ってくれてホッとした。正直そんなもんを渡された時はどうしようかと思ったよ。」
今日初めて笑顔を見せた。
心底嬉しそうに笑っている。
妻も彼女も汚物を見るような目をしながら、憎らしそうに口元を噛んでいた。
河井さんはもう一度シャッターを切り、小さな声で「クズねこいつ・・・」と罵った。
「おいあんた。」
おっさんが河井さんを睨む。
「なに?」
「さっきから人のこと勝手に撮ってるが、その写真どうするつもりだ?」
「決まってるでしょ。この事件が終わったら記事にするの。」
「俺の罪をバラすつもりか?」
「もちろん。」
「バカかよ。地球がどえらい騒ぎになってんだ。誰も俺のことなんか気にとめるかよ。」
「騒ぎが終わったあとなら、警察だって動いてくれるかも。」
「そうかい。まあ好きにしたらいい。どうせ証拠なんてないんだからな。」
「あるわよ。この青年の死体と、この家のどこかに隠してる変態趣味の写真が。」
「ははは!あのな姉ちゃん、俺は息子を殺したのは殺したが、無理にってわけじゃない。」
「嘱託殺人でも殺人は殺人よ。」
「だからバカか?」
「は?」
「息子は言ったよ、自殺する勇気がないから殺してくれってな。いわばこれは自殺の手伝いだ。殺人じゃない。」
「でも罪は罪じゃない。」
「証拠が残るような殺し方はしてない。初めてじゃないんでな。」
「・・・・あんた自分の息子を殺しといて、よくもそんな言い方・・・・、」
「それに写真なんてもうない。全部処分したからな。」
「でもこの家はアトリエだってさっき・・・・、」
「全部DVDに焼いてある。そんで絶対に見つからないような場所に隠してあるんだ。だから俺を訴えるなんて無理だぞ。」
「・・・・ほんっとクズ。」
河井さんまで汚物を見るような目に変わる。
おっさんは「じゃあ用はそれだけだ」と踵を返した。
「どこ行くのよ!」
「逃げるに決まってんだろ。こんな場所にいちゃいつどうなるか分からないからな。」
遠く離れた場所からは、まだ銃声が響いている。
あのモスラもどきはまだ死んでいないのだ。
「こんなことになるって分かってたら、とっとと避難してたのによ。」
吐き捨てるように言い残し、部屋から出ていく。
「ちょっと!息子さんの遺体を放っったらかしにしてくつもり?」
「いいのか持ってっても。」
「はあ?」
「だってそいつは殺人の証拠なんだろ?俺が回収しちゃまずいんじゃないか?」
「でも家族でしょ?せめて手え合わせてから出ていくとか・・・・、」
「もう合わせたよ。呪われちゃたまんないからな。」
「またそんな言い方・・・・、」
「まあせいぜい頑張れや。どうやっても俺を捕まえるなんて出来ないだろうけどな。
それより地球がどうにかなる方が先かもしれねえし。」
「あんたねえ・・・・・、」
河井さんは今にも飛びかからんとしている。
俺は「もうほっときましょう」と止めた。
「でもコイツは・・・・、」
「どうしようもないクズです。だからこれ以上何を言っても無駄ですよ。」
怒り心頭の河井さんを宥め、「最後に一つだけ聞かせて下さい」と言った。
「さっきこう言いましたよね?あなたの奥さんが地球を侵略しようとしてるって。」
「元嫁だ。もう別れた。」
「それって本当なんですか?俺はヴェヴェがやろうとしてるって聞いたんですけど。」
「知らん。息子がそう言ってただけだ。」
「そうですか・・・・。」
「お前らもとっとと逃げた方がいいぞ。あんなバケモンが近くにいるんだ。どうなるか分かったもんじゃない。」
吐き捨てるように言って、ドカドカと足音を響かせながら去っていく。
バタンとドアが閉じる音がして、逃げるように外を駆けていった。
「・・・・・なにあれ!」
妻が叫ぶ。
「最悪のクソ親父じゃん!一発ブン殴ってやりたい!」
「まあまあ、あのおっさんを捕まえることは出来るかもしれないぞ。」
「無理でしょ。悔しいけどこんな状況じゃ・・・・、」
「だからこの状況を早く終わらせるんだ。それに・・・・、」
俺は彼女を振り向き、「この家にパソコンはありますか?」と尋ねた。
「ええ・・・居間にあったはずですけど・・・、」
「それ、調べてみましょう。」
「へ?」
「あのおっさん、さっきこう言ってたんですよ。こんなことになるなら、とっとと避難しとけばよかったって。
それってつまり、避難したくても出来ない何かがあったのかもしれない。」
「何かって・・・なんですか?」
「自分のコレクションを保存してたのかも。それより居間って一階ですよね?」
「ええ・・・・さっき窓を割って入ってきた部屋です。」
「じゃあちょっと行ってみましょう。」
俺たちは階段を降り、居間へと向かう。
別段変わった様子のない、ありふれた部屋だ。
テレビがあってソファがあって箪笥があって、奥にはキッチンがあって。
そして部屋の隅のテーブルの上には、デスクトップのパソコンが鎮座していた。
隣りにはスキャナー付きの複合プリンターがあって、ケーブルでパソコンと繋がっている。
「多分ですけど・・・・、」
パソコンを立ち上げ、ウィンドウに出てきたパスワード画面を睨む。
「こいつにデータを取り込んでいたんだと思います。」
「それって・・・まだ写真が残ってるってことですか?」
「いえ、全部削除してるでしょう。けど復元をかければもしかしたら・・・・、」
そう言いかけた瞬間、「やる!」と河井さんが叫んだ。
「あの親父、このパソコンを使ってDVDに焼いてたのよ。なら絶対にここに証拠を残してるはず。私が暴いてやるわ。」
「気合入ってますね。」
「ああいう輩って、自分の欲望の為には危険すらも冒すからね。
この街の人、みんな避難してるみたいなのに、自分だけ残ってたのはその為よ。」
そう言ってコンセントを抜き、ケーブルを引っこ抜き、「ふん!」とデスクトップを持ち上げた。
「これ、私が預かる。」
「そりゃいいですけど・・・、」
「円香君は大木へ向かって。その卵を使ってこんな異常事態をとっとと終わらせてきてよ。」
「・・・・分かりました。でもここに残って大丈夫ですか?」
「いやいや、誰も残るなんて言ってないから。なつちゃんたちに途中まで運んでもらうつもりよ。」
「そうですね。とっととここから退散しましょう。」
あんな化け物がいる以上、いつ核が落ちてくるか分からない。
そそくさと家を出ようとすると、彼女が「あの!」と叫んだ。
「主人は・・・連れて行ってあげられませんか?」
「え?いやあ・・・・どうだろう。だって・・・・ねえ?」
妻に目を向けると、「いいじゃない」と頷いた。
「地球まで侵略しようとする暴力的な母親に、変態で自己中のクズ親父。そんな両親に育てられたんじゃって思うとね・・・・。
それに自分で望んだにしろ、最後は親の手で殺されるなんて・・・・さすがに同情してきちゃった。」
「じゃあ・・・・、」
「一緒に運んであげようよ。」
「あ、ありがとうございます!」
「私も賛成。あの親父は証拠がない殺し方したなんて言ってるけど、調べれば何か出てくるかも。」
河井さんも頷き、彼女は嬉しそうに頭を下げた。
それから数分後、毛布に包んだ青年と一緒に家を出た。
遠くから響く銃の音に混じり、砲撃のような重たい音も混じって聴こえる。
目を向けてみると・・・・、
「まんま戦争だなありゃ・・・・。」
いつの間にか戦車まで来ている。
空には攻撃ヘリも・・・・。
ミサイル?ロケットランチャー?
どちらか分からないが、巨大な蛾に向けて発射していた。
その爆音はすさまじく、遠く離れていても空気の震えが伝わってくるほどだ。
もうもうと火炎が上がり、煙と共に空に昇っていく。
しかし蛾は大したダメージを受けていない。
辺りはオーロラを粉末にしたような輝きに包まれ、まるでバリアのように蛾を守っている。
「全然効いてないね。」
妻が言う。
「核でも防ぐんだ。無敵のバリアだよ。」
逃げることさえ忘れ、呆然と見つめる。
すると空から『円香さん!』と声が響いた。
『・・・おお、なつちゃん!』
「今のうちに早く!」
そう言って蝶の群れたちが糸のハンモックを紡ぐ。
俺たちは急いで飛び乗り、恐ろしい蛾が暴れる戦場を後にした。
・・・・それから少し経ってからこと。
空を揺られる俺たちの背後から、眩い閃光が襲いかかった。
《またッ・・・・・、》
いったいこの光に襲われたのは何度目だろう・・・・。
振り返られなくても、さっきまでいた街がどうなったかは、容易に想像が出来た。
《大丈夫かな・・・あそこにいた自衛隊の人たち・・・・。》
いくら戦うのが仕事の人たちでも、人が死ぬのは悲しい。
それもあんな化け物の為にだなんて・・・・。
どうか生き延びていてくれと願いながら、光に追われるように逃げて行った。

蝶の咲く木 第三十二話 始まりの街(2)

  • 2018.02.06 Tuesday
  • 10:36

JUGEMテーマ:自作小説

戦うことが仕事の人間は辛いものだ。
命令とあれば、勝ち目のない敵にも戦いを挑まないといけない。
その為に日頃から訓練しているとはいえ、命を落とす前提でそういう仕事に就いたわけではないだろう。
ましてや訓練で想定されていない相手なら尚更だ。
迷彩服を着た男たちが、機関銃・・・いや、自動小銃というのか?
どっちでもいいが、パパパパと短い連続音を炸裂させながら、巨大な敵に戦いを挑んでいる。
しかし効果は薄そうだ。
ゴジラやモスラに匹敵・・・いや、それ以上かもしれないほど巨大な相手に、機関銃の弾丸は豆鉄砲のごとく嘲笑われている。
全身を槍のような体毛で覆い尽くし、さらにはとてつもなく巨大な身体とあれば、手持ちの武器では仕留められないだろう。
「後退!後退!」
迷彩服の一群が退いていく。
巨大な蛾はゆっくりと宙に舞い、威嚇するように触覚を揺らした。
自衛隊の銃口は敵に向いているが、果たして戦意はどうか?
おそらくは背中を見せてダッシュで逃げたいはずだ。
それでも敵前逃亡しないのは、日頃の訓練の賜物か?
それとも戦えという命令には逆らえないからか?
どちらにせよ、蛾の意識は自衛隊に向いている。
下がっていく彼らを追いかけて、モスラはこの家から離れていってくれた。
俺は窓から身を乗り出し、そんな様子を眺めていた。
「すごい・・・・まるで映画の中に入り込んだみたいだ。」
目の前で起きているSFまがいの出来事は、恐怖と同時に興奮を駆り立てた。
「お父さん!危ないから!」
妻が叫び、「ああ・・・」と顔を引っ込める。
「危ないところだったな、あのまま襲ってくるかと思った。」
窓から奴の顔が見えた時、もうダメだと思った。
ここで全員殺されるのだと。
しかし近くに展開していた自衛隊が駆け付けてくれた。
おかげで命拾いしたわけだが、まだどうなるか分からない。
「もたもたしてたらここにも核が落ちるかもしれないな。」
後ろを振り返り、「河井さん」と呼ぶ。
「・・・・え?」
「それ、何か入ってましたか?」
「何が?」
「何がって・・・・、」
怪獣襲来のせいで放心しきっている。
せっかくカメラをぶら下げているのに、シャッターを切ることさえ忘れていたようだ。
「さっきシャッターチャンスだったのに。」
「・・・・ごめん、怖くて。」
とても正直な意見だと思う。
ジャーナリストが命懸けの仕事だといっても、命あってのジャーナリストだ。
「それよりその下、何か入ってますか?」
河井さんが握っている、床の一部をくり抜いたような蓋を指さす。
「え?」
「漬物を入れるスペースみたいな場所のことです。何か入ってますか?」
「・・・・ああ!ええっと・・・・、」
ようやく我に返ったようで、慌てて中を覗き込んでいる。
「何かありますか?」
「・・・・・・・・・。」
「河井さん?」
「・・・・自分で見て。」
そう言って立ち上がり、顔をしかめながら目を逸らした。
「・・・・・・・・。」
嫌な予感がする・・・・。
あの河井さんが顔をしかめるほどのものだ。
きっと普通じゃないものが入ってるんだろう。
「・・・・どれ。」
恐る恐る首を伸ばす。
その瞬間、悲鳴を上げて飛び退きそうになった。
「どうしたのお父さん?」
妻が不安そうに目を揺らす。
俺は黙って首を振った。
「見ない方がいい・・・・。」
「なんで?」
「死体がある。」
「は?え?」
「若い男の死体・・・・多分犯人だと思う。」
「・・・・はあああ!?」
妻が叫ぶのと同時に、彼女が立ち上がった。
青い顔をしながら、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「あ、奥さん!見ない方が・・・・・、」
止める間もなく、彼女は漬物スペースの傍に立つ。
そして・・・・、
「徳ちゃん・・・・。」
短く呟き、膝を下ろす。
じっと死体を見据えながら、「別れた主人です」と言った。
「あの・・・・間違いないですか?」
「はい・・・・。」
消え入りそうな声で頷く。
そっと手を伸ばそうとするので、「触らない方が!」と止めた。
「あんまり触れない方がいいと思います。」
「・・・・どうしてですか?」
「だって・・・死んでるんですよ。もし誰かに殺されたんだったら、下手に触ると良くないんじゃないかと思って。」
「・・・こんな状況で警察が来るんですか?捜査してくれるんですか?」
「分かりません。だけど・・・・、」
「この遺体は主人だった人です。間違いありません。」
冷たいほどの声で言い、そっと頬に触れている。
「なんで・・・」と眉間に皺を寄せながら。
彼女の元夫であり、あの少年を殺した青年。
彼は変わり果てた姿で、狭いスペースの中に納まっていた。
体育座りのように身体を曲げ、両腕で膝を抱えている。
顔は青白く、唇も同じ色だ。
それに腕や顔の一部が、褐色の斑になっていた。
殴られた痣じゃない。
亡くなった人に出来る死斑というやつだ。
死体なら野戦病院でたくさん見たが、こうして狭いスペースに隠された状態で見ると、えも言えぬ恐怖がこみ上げた。
「河井さん、これ自殺じゃないですよね・・・・?」
「・・・どうだろう。自分から狭い場所に入って、一酸化炭素中毒とかで自殺したのかも・・・・。」
「ああ、そういう方法もあるわけか・・・・。」
「ただ・・・・、」
「はい。」
「これ、気になるのよね・・・。」
そう言って辛そうに顔を歪めながら振り返った。
「その人、顔と腕に死斑があるでしょ?」
「ええ。」
「そういうのって、遺体の下の方に出来るんだって。」
「そうなんですか?」
「死んだら心臓が止まるわけじゃない?そうすると循環しなくなった血液が下の方に溜まって、痣みたいになるのが死斑なのよ。」
「詳しいですね。」
「一度見たことがあるのよ。」
「え?まさか殺人事件の取材とかしたことあるんですか?」
「違うわよ。警察に教えてもらったの。祖父が心筋梗塞で亡くなって、朝起きたらそういう状態になってたから。
自宅で人が亡くなると警察が来るでしょ?」
「いや、知りませんでした。」
「来るのよ家まで。事件性がないか一応調べる為に。その時に教えてもらったの。」
「勉強になりましたけど、それがどうかしたんですか?」
「だから言ったでしょ?死斑は遺体の下に出来るものなの。なのにこの人・・・顔に出来てる。」
「・・・・・・?」
それの何がおかしいんですか?と尋ねようとして、すぐに「ああ!」と気づいた。
「要するに・・・・、」
「要するに上を向いてる顔に出来るのはおかしいってことね?」
・・・・いい所を妻にもっていかれる。
「そういうこと。もし自殺だったらさ、死んでからずっとこの状態だったはずよ。じゃあ顔に出来るはずないわよ。」
「そうですよね・・・・。じゃあ亡くなった時は今と違う体勢だったってことか。」
「亡くなってから誰かが動かしたのよ。それか・・・誰かに殺されたか。」
不安げな口調で言い、「円香君」と呼ばれる。
「はい。」
「ちょっとその遺体に触ってみて。」
「はい?」
「死斑は亡くなってから短い時間だと、指で押しただけで消えることがあるのよ。けど一日以上経ってたらもう消えない。」
「・・・・亡くなってからどのくらい経ってるか調べる為に、俺に触れと?」
「うん。」
「そういうのは警察の仕事でしょう?」
「うん、だからこんな状況じゃ警察なんて来られないよね?捜査だってしてくれないし。」
「だからってなんで俺が・・・・。」
ハッキリ言ってやりたくない。
そりゃ今でも少年の骨が入ったブルーシートを抱えちゃいるが、肉の付いた遺体はさすがに・・・・。
だいたい俺たちは殺人事件の捜査をする為にここへ来たんじゃない。
ヴェヴェの卵を見つける為であって・・・・、
「消えません。」
後ろから声がする。
振り向くと、彼女が死斑を押していた。
「強く押してもそのままです。」
「そっか・・・なら亡くなってから一日以上は経ってるわけか。」
神妙な顔で言いながら、「ちょっとごめんなさい」とカメラを向ける。
パシャっとシャッターを切り、もう一枚と二枚目を頂いている。
「事件の中心人物だもんね。遺体でも写真を残しておかないと。」
さっきシャッターチャンスを逃したせいか、今度はバッチリ収めている。
「犯人が死ぬなんて・・・・これで手詰まりになっちゃいましたね。」
俺は例の絵を取り出す。
ここには空飛ぶ蛾が描かれていた。
「そいつならこの蛾を消すことが出来たかもしれないのに・・・・。」
どうして俺たちがこの青年を追いかけていたのか。
理由は二つある。
一つはあの巨大な蛾を消し去ってもらう為だ。
この絵は描き込んだ本人でなければ、書き換えることは出来ない。
このイモムシを描いたのがこの青年ならば、消すことは可能だったはずだ。
それが・・・・・。
いや、それはまだいい方だ。
もう一つの理由に比べれば、取り返しがつくかもしれないのだから。
一番良い方法は何も無かったことにすることだ。
この青年ならばそれが出来たはずだ。
なぜならヴェヴェの卵を持っているから。
・・・あの少年は言った。
自分を殺した犯人はこの青年だと。
しかし事実は少し違う。
あの子の命を絶ったのは、この青年の父なのである。
己の変態趣味の為に、あの子を殺した。
しかしあの少年にはまだ希望があった。
あの子が殺された傍、あそこには例の大木が生えていたからだ。
実はあの大木には自我がある。
思念(魂)といってもいい。
あの大木は数百年もの間、あの場所にそびえているそうだ。
そしてあの屋敷の最初の主が、何よりも大切にしていた木だという。
だから自分が死んだら、骨の一部を大木の根本に埋めてほしいと頼んだ。
その骨は土に還り、大木の養分となった。
それから数百年の間、あの木は歴代の当主によって、大事に守られてきた。
時代が代わり、屋敷の前にアスファルトの道路が敷かれる時でさえも、レンガで囲って守り続けた。
子孫から大事にされ、今も生き続けているあの大木。
いつしか養分となった当主の思念が宿り、自我を持つ植物になったというわけだ。
爺さんはあの場所に立ち続け、街を見守り続けた。
時折困った人達に手を貸したりしながら。
・・・ある時、あの大木の傍で子供が殺された。
それを憐れに思った爺さんは、その子の思念(魂)を保護したという。
まだ幼くして終わってしまった命。
向こうへ旅立つ前に、もうしばらくこの世を楽しむ猶予を与えたわけだ。
少年は自分が殺された時、その手に絵を持っていた。
いま俺の手の中にあるこの絵だ。
あの子が殺された時点では、この絵にイモムシは書き足されていなかった。
絵はあの子の手の中にあり、大事に屋敷の中に保管していたのだ。
大木そのものとなった爺さん、そして幽霊の少年。
奇妙な同居関係が、大木の傍の屋敷で続いていた。
するとある日のこと、なんと宇宙人が大木の傍へ降りてきた。
そう、ヴェヴェだ。
植物の思念と、亡くなった人間の思念が同居していることに、興味を引かれて降りてきたのだ。
宇宙人との遭遇は、爺さんも少年も驚いた。
『怖がらないで。地球を侵略しに来たわけじゃないから。』
ヴェヴェは自分のことについて語った。
天の川銀河の端にある、地球からは遠い星から来たこと。
母星で大きな戦争が始まってしまい、全ての幼虫が死に絶えてしまったこと。
大人の争いのせいで子供が全滅してしまうなんて、なんと憐れな星かと、自ら見限ったこと。
どこか静かに暮らせる星はないかと探していたところ、地球を見つけたこと。
身の上を話したヴェヴェは『次はあなた達のことを聞かせて』と言った。
そして爺さんから事情を聴き、その子の死を憐れに思った。
『可哀想に。この星でも子供はないがしろにされているのね。』
胸を痛めたヴェヴェは、一つだけ少年の願いを聞いてやることにした。
『あなたの望みはなあに?』
そう尋ねられた少年はこう答えた。
『夢の国へ行きたい。』
そう言って例の絵を見せた。
ヴェヴェはその絵を見て、ふと首を傾げたそうだ。
『お空にはファンタジーな世界が広がっているわね。だけど下の方では人が焼かれているわ。これはどうして?』
『大人が憎いから。みんな死んじゃえばいい。』
『なるほど。子供だけの世界を創りたいわけね。・・・・いいわ、その願い、叶えてあげる。』
大人のせいで子供が苦しんでいる。
母星での苦い思い出を抱えるヴェヴェは、少年に同情し、その頼みを聞いてやることにした。
(これはのちに少年の夢ではなく、ヴェヴェ自身の夢に変わってしまうのだが)
これが発端となり、子供の国が生まれた。
ちなみにこれには爺さんも協力している。
なんたって新しい世界を・・・大人のいない子供だけの星を創り上げようというのだ。
いかにヴェヴェが超文明の星から来た宇宙人といえど、一匹では限界がある。
だから爺さんは提案した。
『この大木を依り代にしたらいい。いくらあんたがすごい文明を宿していても、一人じゃ無理があるだろう。』
ヴェヴェの文明力、爺さんの大木、そして少年の絵。
この三つを合わせることで、子供の国は完成した。
しかし残念なことに、少年はその国へ行くことが出来なかった。
ヴェヴェが裏切ったからだ。
大人のいない子供だけの世界・・・・少年の描いた夢は、なんとヴェヴェに乗っ取られてしまったのである。
いつか地球そのものを子供の星にせんが為に。
もっというなら、子供が失われてしまった母星に代わり、第二の母星とする為に。
あの国は少年の絵が元になっているから、少年は神様のような存在である。少なくとも子供の国においては。
となると、少年が子供の国へ来てしまったら、ヴェヴェは支配権を奪われることになる。
それを危惧して、少年を招くことはなかった。
『子供の国を作ることはOKしたけど、連れて行くとは言っていない。』
ヴェヴェの気持ちとしてはこんな感じだろう。
しかし少年は諦めなかった。
なぜなら彼の手元には絵がある。
この絵こそが子供の国の礎だ。
これがある限り、真の意味でヴェヴェに支配権を譲ることはない。
・・・一度は奪われかけたそうだけど、爺さんと協力して絵を守った。
この絵が二枚に分かれていたのは、その時の争いのせいで破けてしまったからだ。
少年はヴェヴェに頼み続けた。
どうか自分も連れて行ってほしいと。
しかしヴェヴェもまた少年に頼み続けた。
その絵を渡してほしいと。
両者の想いは交わることはなく、子供の国、そして絵を、お互いを人質のようにすることで、奇妙な均衡を保っていた。
絵を渡さないなら連れていかないというヴェヴェと、連れていってくれなきゃ絵は渡さないという少年。
膠着状態の睨み合いは三年も続いた。
いつか子供の国へ行くことを夢見ていた少年は、絵を大事に守っていた。
この絵がある限り、自分は死なないのだと。
もし向こうへ行くことが出来れば、永遠に子供のまま生き続けることが出来るから。
あの世へ旅立つこともなく、かといって憎き大人へと成長することもない。
まさに、本当に、一分の隙もない完璧な夢の世界なのだ。
だがその夢はある人物によって打ち砕かれた。
今、床の中で膝を抱えている、亡き者になってしまった青年に。
少年の命を奪ったのは彼の父親だが、少年の夢を破壊してしまったのはこの青年。
そう、あのイモムシを描き込んだのは、亡き者になっているこの青年なのだ。
なぜなら母に命令されたから。
蛾となって復活した母は、子供の国の支配か殲滅を望んでいた。
その夢を実現すべく、青年はイモムシとなった母を描き込んだ。
ここに描かれている限り、母は消えることはない。
どんなにヴェヴェが頑張っても、何度でも復活してくるのだ。
・・・少年は夢見ていた、子供の国へ行くことを。
だがイモムシが書き足されてしまった時点で、子供の国は子供だけの世界ではなくなってしまった。
憎き大人が存在する、地球と変わらない世界になってしまった。
それは本当の意味での少年の死だった。
本当なら向こうで永遠に生きるはずだったのに、地球と変わらない場所になってしまったなら、それはもう行く意味がない。
・・・しかもだ。
青年がイモムシを書き足す前、彼の母が少年をいたぶったのである。
少年としては、当然自分の夢に他人を入れたくはなかった。
だから爺さんと共に抵抗したのだが、ヴェヴェの卵から生まれた母は強かった。
超文明の力を宿したその肉体は、とてもではないが太刀打ちできるものではなかった。
親の虐待に苦しみ、変態に殺され、最後はその変態の家族に夢を壊されてしまった。
少年の怒りはどれほどのものか?
イモムシはいくら消しても沸いてくる。
絵そのものは少年のものであっても、このイモムシだけは違う。
・・・だから少年は言ったのだ。
あの青年が自分を殺したと。
自分の命を奪った変態親父より、夢を壊した青年の方を憎んでいたのだ。
夢を汚され、いちるの望みが踏みにじられてしまったのだから。
少年はこの世を見限り、あの世へと旅立ってしまった。
だからもうこの絵をどうこうすることは出来ない。
それにこの青年が死んでしまった以上、イモムシをどうこうすることも出来ない。
そして何より、全てを無かったことにすることも出来ない。
・・・・青年はヴェヴェの卵を持っていた。
こいつを使えば、青年はヴェヴェと同じ宇宙人に生まれ変わることが出来る。
そしてその力を使って、子供の国を大人の国へと書き換えることも出来た。
あの少年が夢見た世界は、正に子供の夢想だ。
遠くお空の果てに浮かんでいる分には問題ないが、地球を侵略するとなれば話は別だ。
たった一人の子供の夢想が、地球を変えてしまうなどあってはならない。
子供では世界を維持できないし、夢では現実は回らない。
だから書き換えるしかなかった。
お空に浮かぶあの星を、現実的な大人の世界へ。
「夢想は夢想であり、夢は現実に成りえない」という風に。
全てをなかったことにする方法はただ一つ、夢を夢の世界へ押し返すこと。
あの絵を発端に起きた出来事は、全て子供の夢でしたとすることで、この騒動はなかったことに出来たかもしれないのだ。
夢想と現実の分別を付けるのが大人であり、夢想と現実は違うということを教えるのも大人の役目だ。
だから入れ替えるしかなかった。
大人と子供を。
夢と現実を。
大人であるこの青年がヴェヴェに生まれ変われば、その大きな力を使って、子供の国を消し去ることが出来たはずだ。
死んでしまった人たちも復活させられただろう。
・・・・・・・・。
でももう無理だ。
この青年が死んでしまった以上、どうすることも出来ない。
《なんで死んじまうかな・・・・。こいつを母親の呪縛から解き放って、ヴェヴェにすることが出来ればどうにかなったかもしれないのに。》
いつまでも子供を演じる青年。
その根っこにあるのは、母親への歪んだ忠誠心だ。
幼いころに出来た暴力による主従関係は、この青年が大人になることを阻んでいる。
そこから解き放たれれば、きっと年相応の精神になるはずだ。
大人になった青年が卵を使い、ヴェヴェと同じ宇宙人になる。
そして・・・・この絵を夢の世界へ追い返してもらいたかった。
なのにもう・・・・、
「せめてなあ・・・卵がどこかにあれば。」
あの卵、産んでしまえばヴェヴェになるが、本人が思念を宿すことを拒否すれば、孵化せずに吐き出すことが可能らしい。
だから・・・もしかしたら体外へ排出しているかも・・・と思ったのだが、そう甘くはなかったようだ。
《あの卵があれば、ヴェヴェに取引を持ち掛けることくらいは出来たかもしれないのに・・・・。》
ヴェヴェは卵を取り戻したがっている。
だから卵が手に入れば、そいつを返す見返りとして、子供の国と一緒にどこか遠くへ行ってくれないかと頼もうと思ったのに・・・・。
《青年は死ぬは卵は見つからないわ・・・どうすりゃいいんだ?》
死斑がクッキリ浮かぶ青年を見つめながら、《調べてみるか》と思った。
《この家にないなら、こいつの体内にあるはずだよな。だったら・・・腹を切り裂くとかして・・・・、》
遺体を傷つけるのはいかがなものかと思うが、状況が状況だ、仕方あるまい。
あとは俺の覚悟次第ということで・・・・、
「あの・・・すいませんが、その人の遺体をですね・・・・、」
悲しそうな目で見つめる元奥さんに話しかける。
するとその時、部屋の外から誰かの足音が聴こえた。
「なに・・・?」
妻がビクっと肩を竦める。
俺と河井さんの後ろに隠れて、「誰かいるの?」と尋ねた。
しかし返事はない。
ミシ・・・ミシ・・・と廊下を歩く音が聞こえて、こちらへ近づいてくる。
「お、お父さん!見てきてよ!」
「ええ!やだよ!」
「でも誰かいるじゃない!」
「だから嫌なんだよ!」
「なんでよ!?」
「怖いから!」
「意気地なし!」
「怖いもんは怖いんだ!」
夫婦喧嘩をしていると、足音が部屋の手前で止まった。
そして・・・・、
「あの・・・・、」
ゆっくりとおっさんが入ってくる。
この人は確か・・・・、
「お義父さん!」
彼女が叫ぶ。
《そうだ!この青年の父親だ。》
いかつい顔をしかめながら、「あんたはこの前の人だよな?」と俺を睨んだ。
「ええ・・・そうですが・・・、」
「・・・これ。」
そう言って手に握った何かを見せつけた。
そいつはピンポン玉くらいの大きさの、黄色い玉だった。
ガラス細工のように半透明に透き通り、中には黒い点が二つ見える。
《・・・これってまさか・・・・、》
目を凝らし、その玉を睨みつける。
・・・中に見える二つの黒い点、そいつは微妙に動いている。
《・・・・これ、幼虫か?》
もしやと思いながら凝視していると、おっさんはこう呟いた。
「息子の腹の中にあったもんだ。」
「・・・・・・・。」
「多分・・・ヴェヴェとかいうやつの卵じゃないか。」
「・・・・でしょうね。ていうか・・・息子さんの腹の中にあったって・・・なんであなたがそれを?」
「殺したから。」
「へ?」
「息子を殺した。」
「・・・・・・・・・。」
「昨日のことだ。この手で殺した。」
淡々とした口調で、とんでもないことを言う。
おっさん以外の誰もが、ただ呆気に取られる。
「こいつを大きな木の下に埋めてくれって。」
「はい?」
「息子がそう言っていた。そうしてほしいと。」
「あの・・・・、」
「ほら。」
手を持ち上げ、目の前に差し出してくる。
卵の中には小さな幼虫。
二つの黒い目玉が、ギロリと俺を睨んだ。

蝶の咲く木 第三十一話 始まりの街(1)

  • 2018.02.05 Monday
  • 10:25

JUGEMテーマ:自作小説

記者っていうのは大変な仕事である。
俺のような三流オカルト雑誌の記者はともかく、新聞や週刊誌などの記者というのは、時に命懸けで取材をするものだ。
空から巨大な根が伸びてこようが、機関銃が蝶の群れを撃ちまくろうが、そんな場所へこぞってやって来るのだから、大したものだと感心する。
今、俺は例の犯人がいる街に降り立っていた。
遥か遠くには巨大な根が降りていて、その少し手前には自衛隊だか米軍だかが展開している。
それに向かい合うのは光る蝶の群れだ。
要するにここは戦場ってことで、普通の人間ならば敬遠するような場所だ。
しかしそんな場所だからこそ、報道関係の人間が集まっていた。
カメラを構えている人もいれば、手帳を開いてメモを取っている人もいる。
そういった人たちの腕には、報道の腕章がついていた。
「いいなあ・・・私もこういう仕事がしたい。」
うっとりする河井さんだが、俺はゴメンだ。
西川きよしさんではないが、「小さなことからコツコツと」が俺のモットーである。
命を懸けた危険な仕事なんて、これが最後に願いたい。
「さて・・・・どうしようかな。」
唇をすぼめながら、街の景色を見渡す。
幸いここはそう被害を受けていないようだ。
所々に銃弾の痕や爆撃の痕が残っているが、核は落ちていないようである。
この前来た時と同じように、雑居ビルの隣には商店街が伸びていた。
その手前には大きな国道があり、これを進んでいけば犯人の家へと辿り着く。
「河井さん、いつまでもうっとりしてないで行きますよ。」
報道陣の隙間を抜い、犯人の家を目指す。
大きな国道は見通しがよく、しばらく先に迷彩服を着た男たちが立っていた。
「あそこから立ち入り禁止っぽいね。」
妻が言う。
俺も頷き、「なつちゃん・・・」と話しかけた。
「いる?」
『はい。』
誰もいない頭上から声がする。
ステルスを使っているのだ。
「もし止められたら、またハンモックに乗せてってくれるかな?」
『いいですけど・・・絶対に怪しまれますよ。』
「でも行かなきゃいけないから、もしもの時は頼むよ。」
『・・・・分かりました。どうなっても知らないですけど。』
渋る彼女にOKをもらい、ドキドキしながら進んでいく。
すると案の定、「そこで止まって下さい」と迷彩服の男たちが言った。
モスグリーンのヘルメットには、陸上自衛隊と書かれている。
「ここから先は危険です。引き返して下さい。」
「いや、その向こうにちょっと用事がですね・・・、」
「報道の方でもここから先は入れません。」
どうやらマスコミと勘違いしているらしい。
まあ一応記者ではあるけど・・・・、
「どうしてもダメですか?」
河井さんが前に出てくる。
強気な目で睨みながら、「責任は自分で取りますから」と言った。
「駄目です。引き返して下さい。」
「真実を伝えるのが私たちの仕事よ。邪魔しないで。」
「引き返して下さい。聞き入れてもらえない場合は拘束することもありますよ。」
今度は向こうが威圧的な目を向けてくる。
こんな所で捕まっては元も子もない。
俺は「河井さん」と腕を引っ張った。
「いったん引きましょう。」
「でも・・・・、」
「なつちゃんがいますから。」
「・・・・そうね。」
来た道を引き返し、途中の角を曲がって、物陰に身を隠した。
「じゃあなつちゃん。」
『撃たれても知りませんよ。』
ありがたい忠告に恐怖を抱きながら、またハンモックに揺られる。
「なるべく低空をお願い。見つかっちゃまずいから。」
『分かってます。』
彼女たちは上手い具合に建物の隙間を飛んで、どうにか見張りがいる場所を超えられた。
そこから先は地上に降りて、コソコソっと物陰に隠れながら進んでいく。
すると遠くの方から、パパパパと短い炸裂音が聴こえた。
「お父さん、今のって機関銃の音かな?」
「多分な。」
「流れ弾が飛んできたりしないよね?」
「分からない。」
「・・・・ごめん、先頭は任せるわ。」
妻は俺の後ろへ下がる。
「河井さんもどうぞ。」
そう手を向けると、「円香君の後ろに隠れるほど落ちぶれてないわよ」と言った。
「ていうか私が先頭を行くから。注意してついて来て。」
「さすが!勇ましいですね。」
ホッと胸を撫で下ろしながら、《よかった、先頭じゃなくて》とため息をついた。
すると「なんで河井さんを盾にしてんのよ」と妻が怒った。
「こういう人なんだよ。なんでも先陣を切りたがるんだ。」
「こういう時こそ一番前に立つのが男ってもんでしょうが。」
「それ、河井さんに聴こえたら怒るぞ。男に負けまいと仕事してきた人だから。」
「丸聞こえなんだけど?」
少々不機嫌な河井さんの声を聞きながら、見つからないように民家の隙間を縫っていく。
そしてどうにか犯人の家に辿り着いた時、またパパパパと音が聴こえた。
さっきよりも長いし、幾つもの銃声が重なっている。
かなり激しく戦っているようだ。
「さ、早く!」
河井さんは一気に門の中へ駆け込む。
俺も「行こう!」とそれに続いた。
しかし妻が「あ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「彼女が・・・・、」
どうやらつまづいてしまったようで、妻が起こそうとしている。
すると「何やってる!?」と怒鳴り声が響いた。
「ヤベ!見張りが・・・・、」
自衛隊がこっちへ走ってくる。
慌てて彼女を抱き起こしていると、『行って下さい』となつちゃんの声が響いた。
『ここは私たちに任せて。』
「任せてって・・・まさか戦うつもりか?」
『いいえ、注意を引くだけです。』
そう言ってステルスを解除した。
姿が露になった途端、こっちへ走って来ていた自衛隊が、「こっちにも!」と悲鳴を上げた。
「撃て!」
「待って下さい!人がまだ・・・・、」
俺たちがいるせいで、撃つのをためらっている。
その隙になつちゃんたちは空へ舞い上がった。
『早く行って!』
「ごめん、助かる。」
転んだ彼女を起こして、すぐに門の中へと駆け込んだ。
「撃て!撃て!」
怒声が響き、パパパパパと銃声がなる。
距離が近い分、とても鋭く響いた。
「円香君!こっち!」
河井さんが縁側の窓際に立っている。
「玄関は鍵がかかってる。こっちから。」
そう言って「とおりゃ!」と窓を蹴飛ばした。
しかし小柄な河井さんでは上手く割れなかったようで、「痛ッ!」と尻餅をついていた。
「大丈夫ですか?」
「心配してないでそれ割って!」
「はい!」
思いっきり蹴飛ばすが、意外と硬い。
ならばと体当たりをかますと、ようやくヒビが入った。
「もう一発!」
次は靴のカカトで蹴り飛ばす。
窓はガラガラと崩れ去り、中へ駆け込んだ。
周りを見渡したが、ガランとした居間が広がっているだけ。
人のいる気配はしない。
ならば・・・・、
「ええっと・・・階段はどこだ?」
キョロキョロしていると、彼女が「こっちです」と部屋を抜けていった。
その先には廊下があり、すぐ手前に階段がある。
そいつを登ると、右手にドアが見えた。
「あれがお義父さんの部屋です。その向こうが主人の。」
「ようし・・・。」
まずは父親の部屋のドアに手を掛ける。
鍵は掛かっていないようで、ガチャリとノブが回った。
「・・・・・・・。」
ゆっくりと中を覗き込む。
・・・・別段変わった様子はない。
広さは六畳ほどで、ベッドがあり、机があり、タンスがありといった、いたって普通の部屋だ。
ただ窓の手前には、旅館みたいに椅子とテーブルが置かれていた。
あれは確か広縁というスペースだ。
旅館に泊まると、無性に陣取りたくなるあの空間である。
「珍しいな、民家にこんなスペースがあるなんて。」
そう呟くと、「お義父さんが好きなんです」と彼女が答えた。
「旅行に行った時、必ずそこに座るんだそうです。だから家にも作ったって聞きました。」
「なるほど。まあいいや、とにかくみんなで探そう。・・・・蝶の卵がないか。」
ここへ来たのは犯人を捕まえる為、そして卵を探す為だ。
みんなでゴソゴソと部屋を漁りながら、《確かゴルフボールくらいの大きさだったよな》と、なつちゃんから聞いた話を思い出す。
《ヴェヴェが産み落とした卵だ。二つあるって言ってたから、残りは一つか。》
俺たちが探しているその卵は、ヴェヴェが何よりも必要としているものだ。
この星へ来て少ししてから産み落としたそうだ。
理由は繁殖の為。
地球へ来る前にすでに卵を抱えていたらしく、そいつをこの星で産んだわけだ。
二つの卵には、それぞれ少し異なる虫が入っている。
一つはヴェヴェそっくりの蝶。
そしてもう一つは蛾である。
孵化したこの二匹は、やがて成虫となって交尾する。
そうすることで、また子孫を残すわけだ。
交尾後は、蛾の方はどこかへ飛び去っていく。
地球に残るのは卵を産む蝶の方だ。
ヴェヴェだって生き物なわけだから、いつか寿命を迎える。
そうなった時、子孫の蝶が子供の国の管理者となる。
しかしとある事情があって、二つの卵を奪われてしまった。
犯人はあの少年を殺した男。
だからこの家のどこかに隠してあるかもしれない。
ちなみに二つある卵のうち、一つはすでに孵化してしまった。
・・・犯人の母親がイモムシとなって。
そこにも犯人の男が関わっている。
というより、そいつがやったといっても過言じゃない。
なぜなら彼の母は、父の手によって殺されてしまったからだ。
犯人の父は幼い少年が好きな小児性愛者。
その性癖が妻にバレてしまい、隠蔽の為に殺害した。
放っておくといつ暴露されるか分からないからと・・・・。
犯人は母の死を嘆いた。
散々に虐待を受けていたのに、誰よりも母を愛していたからだ。
《不思議なもんだな。暴力を振るわれてるに・・・・。》
夫婦でも恋人でも、パートナーが暴力的だと、かえって別れにくくなると聞いたことがある。
それは恐怖から別れられないのではなく、心まで相手に支配されてしまうからだそうだ。
叩かれても罵られても自分が悪いと思い込み、相手に尽くそうと努力してしまう。
結果、ごく稀に相手が見せる優しさに、過剰な喜びを感じてしまうらしい。
その関係が異常なものだとも気づかずに・・・・。
相手と縁を切り、冷静さを取り戻すまでは、その関係が病的なものであると気づかないのが、DVの怖いところである。
《犯人の男も同じなのかもしれないな。暴力的な母親は、恐怖の対象であるのと同時に、崇拝すべき存在なんだろう。
だからこそヴェヴェの卵を使ってまで生き返らせたんだろうな。》
親子とは、夫婦とは、そして家族とはなんだろう?
目に見えない絆で結ばれた強固なその関係は、何よりも心強いものだし、何よりも自由を縛る鎖になる。
家族ほとありがたい存在はいないし、家族ほど厄介な存在もいない。
身を切ってまで助けてくれるのは身内しかいないが、犯罪も身内からの犯行が多いという。
他人ならば縁を切れば済むのに、家族だとなかなかそうはいかない。
もし・・・もしも身内の中に、暴力的な者や心の歪んだ者がいたらどうなるか?
きっと仄暗い監獄に入れられた気分だろう。
そこから抜け出すには、遠くへ逃げるか、相手を叩きのめすかしかない。
そのどちらも不可能な場合は、自殺か服従になるのだろう。
暴力的な身内を愛そうとする者は、逃げ出す勇気も戦う力もなく、かといって自殺するほどの絶望も抱いていないことになる。
宙ぶらりんな世界の中、どうにか生き延びるには、恐怖をもたらす相手に忠誠を誓うしかない。
あの青年はきっと、誰かに助けを求めていたはずだ。
幸い「羽布」という飲み屋のおばさんが、救いの手を差しのべてくれた。
しかし・・・・その時にはもう遅かったのだ。
まだ少年だった青年の心は、母親に服従していた。
何があっても傍を離れまいと、歪んだ忠誠を誓っていた。
その数日後、父が母を殺した。
青年の父親は虐待の事実を知らなかった。
あのおばさんから聞いて、初めて知ったのだ。
「なんで子供を叩くんだ?」
妻にそう問い詰めたところ、ショタコン趣味のことを持ち出された。
「あんただって酷いことしてんじゃない」と言い返されたのだ。
「知らないとでも思ってるの?子供を裸にして写真撮ってんでしょ?」
ニヤニヤ笑いながらそう言われた父は、その翌日に妻を殺した。
「お母さんはどっか行って帰ってこなくなった。」
息子にはそう説明したそうだが、当然納得しなかった。
母が突然いなくなるわけがない。
まだ少年だった青年は、思いつく限りの場所を捜し回った。
そして見つけた。
自宅の縁の下、ブルーシートでくるまれた大きな物体を。
力いっぱいそいつを引きずり出したところ、ブルーシートの隙間から腕が出てきた。
「・・・・・・。」
恐る恐るシートを取り外していった。
中にいたのは変わり果てた母。
首と胴体と手足と・・・いや、それ以上にバラバラにされて、まるで壊れたマネキンみたいに、無造作に包まれていたのだ。
青年はひどくショックを受け、いったんその場から逃げ出した。
部屋にこもり、落ち着きなくウロウロとした。
あと何時間かすれば、父が仕事から帰ってくる。
それまでに、この出来事に対してどうするべきかを、爪を噛みながら悩んだという。
何も決められないまま時間だけが過ぎていく・・・・。
孤独に悩むその時間は、普通の時よりも何倍も長く感じただろう。
・・・・するとそこへ一匹の蝶がやって来た。
ヴェヴェだ。
『ね?私の言った通りでしょ、大人は酷いことばかりするの。あなたの信頼していたお父さんさえもね。』
そう言ったあと、青年に向かって手を伸ばしたという。
『一緒に行きましょ、子供の国へ。そしていつかこの星から大人たちを駆除するの。友達も大勢待ってるわよ。』
青年はこの言葉に迷った。
もう母はいない。
父も信用出来ない。
それならばと、見学を希望したのだ。
『いいわよ。連れて行ってあげる。』
ヴェヴェは青年を子供の国へと案内した。
そこには不幸な死を遂げた子が大勢いて、辛い思いをしているのは自分だけではないと知った。
しかしだからといって、その子たちに同情することはなかった。
他人の傷みを分かち合った所で、自分の置かれた状況が変わるわけでもない。
だから地上へ戻りたいと頼んだ。
『残念、まあいいわ。無理強いする気はないから。私はいつでも苦しむ子供の味方。あなたが望むなら、ここへ招待してあげるわ。』
こうして青年は地上へと戻ってきた。
しかしその時、ヴェヴェの腹に何かがくっ付いているのに気づいた。
『ああこれ?これは卵。いずれ孵化してイモムシになるのよ。』
ゴルフボールほどの大きさの卵が二つ、ヴェヴェは大事そうに撫でた。
すると青年は何を思ったのか、その卵を掴み取ってしまった。
まさかの出来事にヴェヴェは狼狽えた。
『そんな事した子はあなたが初めてだわ。悪い子ね。』
怒るヴェヴェ、少年は身の危険を感じて、その卵を飲み込んでしまったという。
『なんてことを・・・・、』
さらに狼狽えるヴェヴェだったが、青年は動じることなくこう返した。
「お母さんを生き返らせて。」
『どうして?あなたを苦しめてたのに。』
「大好きだから。」
『・・・・三年前、初めてあなたと会った時、同じことを言ってたわね。
あんなに酷い目に遭ってたのに、お母さんが大好きって。
たまにいるのよ、そういう子。歪ん愛情を持ってしまう子が。可哀想に・・・・。』
「お母さんを生き返らせて。」
『無理よ、死人は生き返らない。』
「出来るよ。ヴェヴェなら。」
『子供しか生き返らせる気はないの。大人は嫌。』
「じゃあ・・・この卵を返さない。」
『なんですって?』
「この卵を返してほしいなら、生き返らせてよ。」
『・・・あなたを殺して取り戻すって方法もあるわ。心配しなくても、殺したあとは子供の国へ連れて行ってあげる。』
「殺す?じゃあヴェヴェも悪い大人?」
『子供をしつける役目があるわ。私は子供の国ではお母さんだから。』
「でもこの卵、お腹の中で動いてる感じがする。すごい熱いし、すごい力を感じる。
まるで赤ちゃんが生まれてきそうな・・・・、」
『やめなさい!』
ヴェヴェは叫び、『分かったわ』と頷いた。
『その卵は預けておく。でも決して産もうとしちゃダメよ。分かった?』
「なんで?」
『産み落としたのがもし蝶の卵だったら・・・・宿るのよ、本人の思念が。』
「シネン?」
『魂みたいなものよ。あなたが産んでしまったら、あなた自身が私と同じ宇宙人になる。』
「それはいけないことなの?」
『だって地球人じゃない、あなた。悪いけど私の後継者を地球人に任せるわけにはいかないわ。
いつかあなたが大人になった時、その大きな力を使って、子供の敵になるかもしれないから。』
「そっか・・・・産んだらヴェヴェになっちゃうのか・・・・。」
『そうよ。だから絶対に産まないで。・・・・しばらく預けておくわ、また会いにくるから大事に預かってて。』
そう言い残し、ヴェヴェは去っていった。
恐ろしい宇宙人が去って行ったあと、青年はさっそくヴェヴェとの約束を破った。
なんと卵を産んでしまったのだ。
産むといっても、彼に産道はない。
だから嘔吐するみたいに口から吐き出したのだ。
理由は一つ、自分自身がヴェヴェになり、母を生き返らせるつもりだった。
しかしそう上手くはいかなかった。
なぜなら彼が産み落とした卵、それは蝶ではなく蛾の卵の方だったからだ。
こっちの卵を産み落とした場合はどうなるのか?青年は知らなかった。
自分はヴェヴェになり、母を復活させることが出来る。
そう疑わないでいたのだが・・・・、
まず彼が卵を産んだ場所は庭である。
すぐにでも愛する母を生き返らせたいが為に、遺体の傍で産み落としたからだ。
そして産み落とされたその卵は、母の上に転がった。
この卵、蝶の卵とは違って、死体を糧として孵化する特性がある。
落ちた卵からは糸が伸び、さながら繭のようになったという。
その大きさはアメフトボールくらいで、死体を取り込んで孵化を促す。
・・・やがて白い繭を突き破り、イモムシの頭が出てきた。
それは青年の母が生まれ変わった姿であった。
予想外の出来事に驚く青年。
イモムシは繭を食い破り、姿を現すと同時にこう言った。
『ただいま。』
不気味にエコーがかかった母の声。
青年はきっと戦慄しただろう。
まさか愛する母がイモムシになるなんて・・・・と。
しかしそのショックはすぐに治まったはずだ。
なぜならこの宇宙人は姿を変える事が出来るからだ。
なつちゃんがそうしていたように、繭を紡いで羽化すれば、人間の姿になることも可能なのだ。もちろん仮初の姿だが。
・・・母は戻ってきた。
青年は喜び、歪んだ忠誠心は再び火を灯す。
虐待は相変わらず続いたそうだが、以前よりも母は優しくなったという。ほんの少しだけ・・・・。
しかし父はそういうわけにはいかなかった。
殺したはずの妻が蘇ってしまったのだから。
『ただいま。』
仕事から帰ってきた夫に、妻はそう言った。
夫は腰を抜かしたに違いない。
それと同時に、凄まじい恐怖に満たされただろう。
死人が復活してくるという恐怖、そして弱みが増えてしまったという恐怖だ。
ただでさショタコン趣味を握られているのに、それに加えて殺人の罪だ。
居ても立っても居られなくなった夫は、妻と離婚することに決めた。
財産は全てくれてやるし、息子の親権も譲るという条件で。
それに対して妻の返答はこうだ。
『離婚はしてもいい。その代わり息子はあんたが育てろ。それと・・・・あんたが手を出してきた子供たち、そのことを詳しく聞かせろ。』
狼狽える夫であったが、今となっては妻に逆らえない。
言われるがまま、自分の歪んだ性癖の対象にしてきた、多くの少年たちについて語った。
コレクションしていた違法な写真を見せながら。
夫はこう思っただろう。
根掘り葉掘り聞くことで、さらに弱みを握るつもりなんだろうと。
しかし違った。
妻には別の目的があったのだ。
ヴェヴェが産み、息子の体内から出てきた蛾の卵・・・・そこから生まれた母は、二人の知っていることを知っていた。
ヴェヴェの存在も、子供の国のことも。
だから望んだのだ、子供の国の支配を。
それが無理なら殲滅してやろうと・・・・。
なぜなら新たな肉体に生まれ変わったところで、思念(魂)は同じものだったからだ。
我が子を殴り、罵り、それに対して喜びを感じるという精神の構造はまったく変わっていなかった。
宇宙人となった母は、ヴェヴェが最も危惧していた子供の天敵として孵化してしまったわけだ。
そして天敵であることを全うするには、それを実行するには、ある少年の詳細が必要だった。
・・・・そう、子供の国の元となる絵を描いた、あの少年だ。
ヴェヴェの記憶を引き継ぐ母は知っていた。
子供の国を支配、もしくは殲滅するには、その少年の絵が鍵になると。
あの絵を描き換えることでしか、子供の国へは行けないと。
自分は大人、それも子供の敵となる側の大人だ。
のこのこ乗り込んだところで、ヴェヴェに駆除されてしまうだけ。
それならば、決して駆除できない存在になるしかなかった。
少年の絵に、自分というイモムシを書き足して。
・・・・・・・・・。
なつちゃんから聞いた話の一部が、頭の中でグルグルと回る。
死んでもなお、いや・・・・生まれ変わってもなお子供を苦しめる大人は、すでにイモムシの身体を捨てて、成虫へと育った。
今はヴェヴェと死闘を演じているはずだ。
この戦いが続けば、人間も否応なしに戦い続けなけらばならない。
戦いの先に待つ未来は、砂漠と化した地球。そこに居座るのはヴェヴェと巨大な蛾だけだ。
俺が見たあの幻は、あの少年が見せていたのだ。
最悪の未来へと続く道を、どうか逸らしてくれと。
それに手を貸したのはあの大木、屋敷の爺さんだ。
あの爺さんにも会わないといけない。
出て来てくれるかどうか分からないけど、「どうしてヴェヴェなんかに手を貸した?」と問い詰めたかった。
・・・・・・・・・。
思考が加速する中、犯人の父の部屋を捜しまくる。
もしかしたらここに隠しているかもしれない、残された卵を。
でも見つからない・・・・。
《やっぱり自分で持ったままなのかな?大事な物は手元にあった方が安全だもんな。》
立ち上がり、トントンと腰を叩く。
すると河合さんが「これ!」と叫んだ。
「どうしたんです?」
「ここ、この広縁の敷物の下・・・なんかあるんだけど。」
「何がです?」
「ほら、漬物とかを保存しとくスペースがあるじゃない。床の下に。」
「・・・ああ!」
「それっぽいのがあるのよ、ここに。」
「マジですか?」
驚く俺に、河合さんは敷物をめくってみせる。
そこには確かにそれらしきものがあった。
床の一部が細いアルミのサッシで囲まれている。
大きさは60センチ四方くらい。
端っこにはへこんだ取っ手のような物も・・・・。
「開けるよ?」
全員を見渡しながら河井さんが言う。
俺も妻も彼女も、固唾を飲んで見守った。
・・・・パカッと床の一部が開く。
サッシで囲まれた60センチ四方の蓋が、河合さんの手と共にゆっくりと・・・・、
・・・・その時だった。
パパパパと乾いた音が、すぐ近くで鳴り響いた。
そのすぐあと、窓の外に光る蝶の大群が飛び抜けていった。
・・・・瞬間、バリン!と窓ガラスが割れる。
流れ弾か?それとも蝶が突っ込んできたのか?
いや、そのどちらでもなかった。
風が・・・・とんでもなく強い風が、弾丸のように駆け抜けたのだ。
家が揺れる・・・・部屋の中の物がひっくり返る・・・・散乱した窓ガラスは手榴弾の破片のごとく、倒れた俺たちの頭上を飛んでいった。
「・・・・・・・・・・。」
誰もが驚き、言葉を失くす。
弾丸のような風が襲ってきたことにじゃない。
割れた窓の外、その向こうからこっちを覗く者に対しての恐怖のせいで。
『そこで何してるの?』
ヴェヴェ・・・・ではない。
似てはいるが、こいつは違う。
ヴェヴェよりも目が大きく、半月を逆さまにしたように釣り上がっている。
顔じゅう深い体毛に覆われ、巨大な羽はどぎついほどカラフルだ。
『息子の家で何してるの?』
エコーのかかった不気味な声が響く。
その声に呼応するように、頭の先から生えた櫛状の触覚が、ヒラヒラと揺れていた。

蝶の咲く木 第三十話 泥の中で笑う(2)

  • 2018.02.04 Sunday
  • 13:08

JUGEMテーマ:自作小説

「お父さん!」
なつちゃんが連れて行ってくれた先に夫がいた。
ダッシュで駆け寄って、柄にもなく抱きつく。
「よかったあ〜!生きててくれた・・・。」
安心とか不安とかなんとか、よく分からない感じになって泣いてしまった。
それは向こうも同じで「無事でよかった!」と抱きついてきた。
「核シェルターに避難したって聞いてたんだ!それでも心配だった!」
「こっちも同じよ!だってあれからどうなったんだろうって・・・・。
いきなり電話が切れちゃって、もしかして核が落っこちたのかなって・・・、」
「こっちもヤバかったんだ。でもどうにか助かった・・・よかった。」
しばらく抱き合ったあと、夫は案の定のことを尋ねてきた。
「優馬は?無事なんだよな?」
そう尋ねる目がランランとしていた。
私が無事なんだから、優馬も無事に違いないと思っている。
だけどその目は私にとって辛い・・・・。
どう言えばいいのか黙っていると、彼女が口を開いた。
「子供は・・・大きな蝶がさらっていきました・・・。」
急にしゃべりだした彼女に、夫が「誰?」とばかりに目を向ける。
「あの・・・一緒に避難してた人。一緒のシェルターに・・・、」
「ああ・・・それはどうも。」
ペコっと頭を下げてから、「で、優馬は?」と顔色が変わる。
「無事なんだよな?」
「・・・・・・・・・。」
「一緒にいたんだろ?どこにいる?」
「それは・・・、」
「だから連れて行かれたんです。大きな蝶に。」
また彼女が話す。
その口調は淡々としていて、精気というものを感じなかった。
夫は彼女の言葉を聞いて、「連れて行かれた?」と目を見開く。
「どういうこと?」
「だから大きな蝶が来たんです。怪獣みたいな・・・、」
「・・・もしかしてヴェヴェか?」
そう言って私を見る。
「あいつが連れてったのか?」
「うん・・・。」
「そんな!」
顔が絶望に変わる。
泣きそうなんだか怒っているんだか分からない目で、「またあいつが!」と怒鳴った。
「どんだけ子供を連れ去ったら気がすむんだよ!誘拐犯の宇宙人め!」
怒る夫に今までの経緯を話す。
私が言葉につまると、彼女が助け舟を出してくれたりしながら・・・・。
「守ろうと思ったのよ。だけどあんな怪獣相手じゃ・・・・、」
「別にお母さんを責めてるわけじゃないよ。ただヴェヴェが許せなくて・・・・。」
珍しく拳を握っている。
怒りを抑えるように、目を逸らして深呼吸していた。
すると夫の後ろに立っていた女性が、「あの・・・」と手を挙げた。
「とりあえずここから離れない?いつまた核が落ちてくるか分からないし。」
遠慮がちに言いながら、「ね?」と笑いかける。
「お父さん、この人は・・・、」
「うん、河井さん。」
やっぱり。
結婚式の時に会ったきりだけど、顔はまだ覚えていた。
小柄だけど気の強そうな目は相変わらずだ。
「とにかくここから離れよ。」
そう言って頭上の蝶たちを見上げた。
「ごめん、また運んでくれるかな?」
なつちゃんは頷き、羽から糸を出す。
それをハンモックのように紡いで、私たち四人を乗せた。
小さな蝶たちはとてもパワフルで、大人四人をあっという間に高い空まで運んでいった。
「寒ッ!」
ブルっと腕を抱くと、夫が自分の上着を羽織らせてくれた。
私は「ありがとう」と受け取ったけど、それを後ろの彼女に羽織らせた。
「多分あなたの方が寒いでしょ?私より痩せてるし。」
「すいません・・・・。」
「唇が青色よ、大丈夫?」
「寒いのはいいんです。亜子のことが心配で・・・、」
「そうよね。私だって優馬のことが気が気じゃない。」
高い空を振り返ると、遥か遠くに核の落ちた痕が見える。
確か五発落ちたはずだ。
その割にはそこまで酷い状況になっていないような気がした。
いや、酷いのは酷い。
避難してた基地が無くなっているし、その周辺も更地になっている。
だけど核ってもっと酷い状態になるんじゃないの?
前にテレビでやってたやつだと、何十キロ先も破壊されるって聞いたけど・・・・。
『あれ、きっと戦術核ですね。』
頭上からなつちゃんが言う。
「何それ?」
『核兵器にも種類があるんです。もし水爆だったら、ここら辺も吹き飛んでいたと思います。』
「そう・・・なの?なら弱い爆弾で助かったってことね。」
『その代わり放射線は大量に出るけど。』
「え?」
『水爆や原爆ほど大きな威力じゃないけど、放射線は他の核より多いはずです。』
「ちょ、ちょっと待って!じゃあ私たち被爆してるってこと?」
『その心配はないと思いますよ。だってヴェヴェがいたんでしょ?』
「ええ・・・なんか光る粉みたいなので防いでたけど。」
『鱗粉です。あれって大量に撒くとバリアみたいになるんですよ。だからきっと被爆はしていないはずだけど。』
「そう・・・ならよかった。」
ホッと一安心する。
とりあえす私と彼女は助かった。
夫も生きてたし、なつちゃんのおかげで危険な場所から逃げることも出来た。
だけど・・・、
「あそこにいた人たちはもう・・・・、」
爆心地には大勢の人がいた。
きっとシェルターの中にも人がいただろう。
《外に出てた人はきっと助かってないんだろうな・・・・。中に避難していた人は・・・どうか生き延びててほしい。》
助かったことは嬉しいけど、釈然としないのは、大勢の人を見殺しにしてしまったからだ。
もちろん私に何かが出来たわけじゃない。
それでもあんなに大勢の人が亡くなるというのは、胸が締め付けられる。
黙り込む私を見て、夫が「こっちも色々あったんだ」と言った。
「なつちゃんから聞いたんだ。子供の国のことやヴェヴェのこと。そしてどうやったらこんな状況を終わらせることが出来るのかってことを。」
「終わらせるって・・・子供の国をやっつける方法でもあるの?」
「いや違う。全部なかったことに出来るかもしれない方法。」
「・・・ええええ!何それ?どういうことよ!」
思わず夫の胸ぐらを掴んでしまう。
ここが高い空だということも忘れて。
「お、落ちるから!」
「ねえ教えて!何をどうやったら無かったことに出来るの?」
夫は「落ち着けよ!」と、ハンモックの端に掴まる。
すると彼女も「教えて下さい!」と叫んだ。
「どうしても亜子を取り返したいんです!お願いです!」
二人して詰め寄ったもんだから、夫は本当に落っこちそうになる。
見かねた河井さんが、「私から話すわ」と言った。
ううんと咳払いをしてから、私たちに向き直る。
「実はね・・・・・、」
とても聞き取りやすい口調で、丁寧に話してくれる。
話が終わるまで10分ほど、私は相槌さえも打てずに、ただ呆気に取られていた。
「・・・・以上がなつちゃんから聞いた話。それが真実なら、その男をとっ捕まえれば終わるかもしれない。」
「何それ・・・?」
口から出てきた言葉は呆れだった。
こんな・・・こんな滅茶苦茶な騒動の原因が、たった一つの家族から起きていたなんて。
夫がポンと私の肩を叩き、「俺たちはそいつのとこに行くところだったんだ」と言った。
「その途中で核が落ちて行くのが見えてさ。俺はてっきり巨木を焼き払う為なんだと思った。
だけどどこを見渡しても巨木の根っこはない。じゃあ何に向かって撃ってるんだろうって思ったら・・・、」
「モスラがいたってわけね・・・・。」
「それも二匹。バカでかい虫が空にいた。しかも戦ってるみたいでさ。
核はあいつらを狙ってるってんだってすぐに分かったよ。」
「だから近くまで来てたんだ?」
そう尋ねると、「だってヴェヴェだと思ったから」と頷いた。
「なつちゃんは近寄らない方がいいって言ったんだけど、どうしても気になっちゃってさ。
遠巻きに眺めてたら、次々に核が降ってきたんだ。
そのうち二匹の虫は去っていって、なつちゃんが様子を見てくるって飛んでったわけ。
・・・いや、ほんとは俺がお願いしたんだけどさ。まだ生き残ってる人がいたら助けたいって。
あんだけ核が炸裂したんだから、まず誰もいないってなつちゃんは言ったんだけど・・・・、」
そこまで言って口ごもる。
「どうしたの?」と尋ねると、「子供が・・・」と言った。
「核が炸裂する前に、子供が飛んで行くのが見えた気がしたんだ。」
「子供?」
「うん、小学生くらいの男の子が。ハッキリ見えたわけじゃないし、ただの幻なのかもって思った。
でも妙にその子が気になってさ。じっと見てたら・・・こんな声がした。」
真っ直ぐに私の目を見据え、頷きかけるようにこう言った。
「優馬君を助けてって。」
「優馬を?」
「そう聴こえた気がしたんだ。その時にふと思った。あれってもう一人の優馬君なんじゃないかって。」
夫の顔は真剣で、空に誰かがいるように語りかける。
「理由は分からないけど、あの子は優馬から抜け出したんじゃないかって思った。だからなつちゃんに様子を見て来てくれって・・・、」
そこまで言いかけた時、突然彼女が「アイツううう!」と叫んだ。
「え?な、なに・・・どうしたの?」
「また!また亜子を奪った!」
さっきまでの大人しい態度はどこへやら。
悪霊にでも取り憑かれたみたいに喚き出す。
「なんなのよアイツ!なんで私を苦しめるの!なんであの家族は・・・・、」
顔を覆い、「なんでえ!」とうずくまってしまう。
私と夫は目を見合わせ、頭に「?」と浮かべた。
「あ、あの・・・どうしたの?」
背中をなでると、ひどく震えているのが伝わってきた。
「いきなりどうしたの?アイツって誰?」
「だからアイツよ!あの男の母親!アイツが亜子を殺した!!アイツが私から大事なものを奪った!」
顔を上げ、人でも殺しそうな目で睨む。
思わずたじろいで、夫の方へ逃げてしまった。
「もう終わったと思ったのに・・・アイツにはもう縁はないって・・・もうあの家族とは関係ないんだって思ったのに!
なんでよ!なんでまた亜子を奪うの!!」
一息に叫んでから、「亜子・・・」と頭を抱えていた。
《なに?なんなのよいきなり・・・・。》
それからしばらく、彼女は顔を上げなかった。
いったいどういう理由で怒っているのか?
亜子ちゃんに関することだってのは分かるけど、アイツとか家族とかっていったい・・・・、
「お母さん。」
夫が私を見る。
その顔は何かを察したように、不気味なほど落ち着いていた。
「ちょっとその人のこと、詳しく聞かせてもらえるかな?」
「さっき話したじゃない・・・。」
「もっと詳しく。娘さんが蝶に変わったことだけじゃなくて、もっと深い事とか聞いてない?」
「深いことって言われても・・・・、」
聞くには聞いているが、本人の許可なしに話してもいいものか?
内容が内容だけに、「ねえ?」と彼女に同意を求めた。
「その・・・あなたが辛い目に遭ってたこと、話してもいい?」
「・・・・・・・。」
「ねえってば。」
彼女は何も答えない。
頭を抱えたまま、ぶるぶると首を振るだけだった。
「お母さん、これすごく大事なことなんだ。何か知ってるなら教えてほしい。」
「でも・・・・、」
「あの少年を殺した犯人を捕まえるのに、役立つかもしれないんだ。頼む。」
夫は真剣で、彼女はだんまりで・・・私は交互に二人を見つめてから、「分かった・・・・」と頷いた。
状況が状況だ、仕方あるまい。彼女には悪いけど。
「ええっと、けっこう重い話なんだけど・・・・、」
「うん。」
うずくまる彼女を尻目に、彼女から聞いた話を伝える。
こうして言葉にして話すだけでも、彼女が背負った辛さに胸焼けがしてきた。
「・・・というわけ。何か参考になる部分はあった?」
感傷的になると余計に胸焼けがするので、こっちから問いかける。
夫は「なるほどなあ」と頷き、後ろにいる河井さんを振り返った。
「なつちゃんの言ってた通りですね。」
「そうね。まさかこんな場所で出会うなんて。」
二人して頷き合っている。
私だけ蚊帳の外みたいになって、「何が?」と睨んでしまった。
「そっちも知ってることがあるなら教えてよ。」
「うん。実はさ、あの幽霊の少年を殺した男、その人の元旦那さんだと思う。」
「へ?」
「多分間違いない。ねえなつちゃん。」
そう尋ねると、『そうだと思います』と答えた。
「となると、その人の子供はその男の母親に殺されたってことだ。」
「え?いや、ちょっとまってよ・・・、」
軽く混乱してくる。
この騒動の引き金になったある家族の息子、そいつの奥さんが彼女だなんて・・・、
そんなわけがないと思ったけど、よくよく考えれば辻褄が合う。
《彼女の元旦那はガキっぽいDV男で、そのお父さんはショタコンの変態。
でも母親のことは聞いてなかった・・・・。聞いてなかったけど、その通りの人なら辻褄が合うわけで・・・。》
彼女を振り返り、「ねえ?」と背中に手を置く。
「別れた旦那のお母さん、どんな人だったの?」
「・・・・・・・・。」
「辛い気持ちは分かる。だけど上手くいけば亜子ちゃんが戻って来るかもしれないよ?
それもクローンじゃなくて、元の肉体のまま。」
「・・・・・・・・。」
「辛いだろうけど、ここは戦わなきゃ。でないとそのどうしようもない家族のせいで、あなたは辛いままだよ?それでもいいの?」
返事はないけど聞き耳は立てているようだ。
やがてゆっくりと顔を上げ、「お義母さんは・・・・、」と口を開いた。
「数えるほどしか会ったことがないです・・・・。私が結婚した時、お義父さんはもう離婚してたから・・・・。」
「うん。」
「だけど主人とはちょくちょく会ってたみたいです。虐待を受けてたそうだけど、どうしてもお義母さんのことが忘れられないからって・・・、」
「虐待?」
「主人は子供の頃から虐待を受けてたんです。」
「・・・・・・。」
「だから私や娘に当たるのも、それが原因かなって思ってたんです・・・。虐待って連鎖するっていうから・・・。」
「そっか・・・だから辛くても耐えてたんだ。」
「根はすごく優しい人なんです。カッとなりやすいだけで・・・・・。」
「それで?お義母さんはどんな人だったの?虐待するっていうくらいだから、けっこう暴力的な人ってことよね?」
「見た目は大人しそうな人なんです。私より華奢だし、それにすごい丁寧な口調だったし・・・・。
結婚してすぐに主人から会わせてもらってんですけど、本当に良い人そうで、虐待だなんて信じられなくて・・・、」
「そういう人ってさ、見た目じゃ分からないっていうじゃない。ほら、サイコパスだっけ?
ああいう人たちって、パッと見は聖人みたいだっていうし・・・、」
「サイコパスのことは分からないですけど、虐待は事実だと思います。
主人の腕には、昔に包丁で切られたっていう痕が残ってたし。」
「包丁!?」
思わず叫んでしまう。
そんなの虐待どころか立派な犯罪じゃないか。
「何度か会わせてもらって、その度にすごく親切にしてもらったんです。だけど・・・・、」
「だけど?」
「やっぱりこの人は信用出来ないって・・・・そう思うことがあって・・・・、」
「それって・・・お義母さんが亜子ちゃんを・・・その、酷い目に遭わせたから?」
殺したから?なんて言えなくて、しどろもどろになってしまう。
しかし彼女は首を振った。
「その前です。お義母さん、刺繍が好きで、たまに喫茶店で展示とかやっていたんです。
それで見に来ないかって誘われて行ったんですけど・・・・、」
「うん。」
「その・・・お店に入るなり怒鳴り声が響いてて・・・、」
「怒鳴り声?」
「子供を蹴飛ばしてたんです。ものすごい形相で喚きながら・・・・。」
「は?子供を?なんで?」
「展示してある刺繍を汚したんだそうです。ケーキか何かを食べた手で触られたそうで・・・。
刺繍にクリームが付いてたんですよ。ほんのちょっとだけど・・・・。」
「なにそれ?そんなことで子供を蹴ったの?」
「まるで別人みたいでした。あまりの剣幕に、その子の親御さんも怖がっちゃって・・・・。逃げるようにお店から出て行きました。」
「じゃあそういうことがあったから、お義母さんに対する信用が揺らいじゃったわけね?」
「いえ、その後に・・・、」
「まだあるの・・・?」
なんだか気が重くなってくる。
それと同時に、彼女が抱えているものが予想以上に重くて、胸焼けが加速してきた。
彼女、一見華奢に見えるけど、芯は強いんだろう。
立場が逆だったら、多分私は耐えられない。
「お店のご主人夫婦がどうにか宥めて、とりあえずは落ち着いたんです。
私も怖くて帰りたかったんですけど、一緒にお茶を飲もうって誘われて。
断ったらまた怒るんじゃないかと思って、一緒に席に・・・・、」
「うわあ・・・辛いねそれ。私だったらきっと逃げてる。」
「また他の人に当たりだしたらマズいと思ったから。それで一緒にお茶を飲んでる時に、こう言われたんです。
今度亜子に会わせてくれないかって。」
そう語る彼女の顔は強ばっている。
眉間に皺が寄り、唇の端にも皺が寄っていた。
「孫に会ってみたいって言うんです。けど私は嫌でした。
主人から虐待のことを聞いてたし、その疑いも子供を蹴飛ばしてたので深まったし。」
「そりゃそうよ。私だったら絶対に会わせない。近づいて来たら警察呼んでやるわ。」
「だからやんわりと断ったんです。そうしたら・・・、」
「そうしたら?」
「子供は親の言うことを聞くもんだって。」
「ああ・・・。」
「だから孫だって同じだって言うんです。」
「それもう完全に毒親ってやつね。」
「私はちょっと考えさせて下さいって言いました。けど全然引き下がらないんですよ。
そのうちヒートアップしてきて、今から会うって言い出して・・・、」
「・・・それで?もちろん断ったのよね?」
「はい。そうしたらお義母さん、ケータイを取り出して、主人に掛けたんです。」
「・・・・・。」
「私がうんと言わないから、主人を通そうとしたんです。それで・・・その一時間後くらいに、主人が娘を連れて来て・・・、」
「はあああ!馬鹿じゃないのそいつ!」
自分を虐待した親の所に、どうして娘を連れて行くのか?
万が一ってことを考えないのか?
呆れて首を振るしかなかった。
「あなたの元旦那、ほんとにどうしようもないね。」
「でもそれは全てあの人のせいなんです。あの人がずっと虐待してたから、主人は逆らえなくなってて・・・。
子供っぽいのもそれが理由だと思います。小さい頃から虐待なんか受けてたら、心の成長も止まるだろうし。」
「そうかもしんないけど、もう立派な大人じゃない。それも一児の父でしょ。
責任ってもんがあるんだから。じゃなけりゃ誰が自分の子を守るのよ?」
「すいません・・・・。」
「いや、あなたが謝ることじゃないけどさ・・・。」
議論がズレている・・・私がヒートアップしてどうする?と、気持ちを落ち着かせた。
「それで・・・その後はどうなったの?」
「主人が娘を連れて来て、あの人は嬉しそうにしてました。ケーキとココアを頼んで、楽しそうに笑いかけて。」
「なるほど、いいお婆ちゃんを演じたのね。孫に気に入られたいから。」
「だと思います。もっと言うなら、手懐けて自分の思い通りにしたかったんだと思います。
あの人、離婚してから一度再婚したしたそうなんだけど、上手くいかなかったらしいんです。
主人の話だと、相手から愛想をつかされたそうで・・・・、」
「子供だけじゃなくて、旦那も思い通りにいかないとヒステリックになるタイプなんだろね。
家族とか家の中のことは、自分が神様だって思ってんじゃない?」
「私もそう思います。だからすぐにメッキが剥がれました。
亜子は最初のうちは楽しそうにしてたんですけど、そのうち眠いって言い出して。
そろそろお昼寝の時間だったから。」
「小さい子だもんね、仕方ないわよ。それで・・・まさか怒り出したとか?」
「ちょっと不機嫌になってました。だけどまだ笑顔だったんです。その笑顔もすぐに鬼みたいな顔に変わるんですけど・・・・、」
「なんかもう聞きたくなくなってきた・・・。ごめん、こっちから教えてなんて言ったクセに。」
「いいんです、こんなの誰だって気持ちよく聞ける話じゃないから。」
「ムカっときちゃってさ。もちろんあなたにじゃないわよ。」
「分かってます。亜子はとても眠そうだったから、もうそろそろ連れて帰らないとと思って。
だからこの辺でお邪魔しますってやんわりと伝えたら・・・・、」
「怒った?」
「笑顔が消えました。」
「うわあ・・・・。」
「でもまだ我慢してる感じでした。けどその時・・・・、」
「うん。」
「亜子がココアのスプーンを落としちゃったんです。カランと音を立てながら落ちて、その瞬間に・・・・、」
「キレた?」
「はい・・・・。」
「もしかして手えあげられたとか?」
「そうなりそうだったから、私が庇いました。次の瞬間に後頭部に痛みが走って・・・、」
「最悪。」
「もう一回バシって叩かれて、そのあとに大声で喚きだしたんです。
物も投げられたりして、またお店の人が止めに入って・・・・。
また亜子に手を出そうとしたから、そこで初めて私も怒りました。」
「おお、やり返したの?」
「一発だけビンタしたんです。自分でもビックリするくらいの力で。バチン!てすごい音がして、あの人は呆気に取られてて・・・。
それで亜子を抱えて、その場から逃げました。」
「おおお!やるじゃん!!」
思わず拍手をしてしまった。
しかし彼女の顔は浮かない。
まだ続きがあるのだ、暗い続きが・・・・。
「その日の夜、主人から言われたんです。あの人がすごい怒ってて、すごいショックを受けてるって。
主人はその八つ当たりで、蹴られたり叩かれたりしたみたいです。」
「それはあなたのせいじゃないわよ。その母親が悪いだけ。だいたいその男はあなたと娘が酷い目に遭ってる時に何してたのよ?
何もしないでボケっとしてたんでしょ、きっと。」
「主人はあの人に逆らえないから。だから仕方ないんです。」
「どこまでいってもご主人を擁護するんだね。立派というかお人好しというか・・・・、」
「だってああいう親じゃなかったら、きっと素直で優しい人だったと思うから。
出会ってなければ亜子だって生まれてこなかったし。」
そう語る声は真剣で、これ以上どうこう言うなという風にも聞こえた。
自分で選んだ男なんだから間違いないっていう、一種の意地のようにも思えたけど・・・・これ以上はそいつの悪口は言うまい。
「あんな親、最低だって思いました。主人にも私にも亜子にも手を挙げて、どうして自分が被害者ぶってるんだろうって。
怒ってるのもショックを受けてるのもこっちだし、もう一発引っぱたいてやりたいくらい。」
「・・・・・・・・。」
「でもそれだとあの人と同じ暴力者になっちゃうから、もう二度と会わないって決めたんです。
そのせいで主人が癇癪を起こしたとしても、私が叩かれてすむならそれでいいって。」
「でもご主人、娘さんにも手を挙げて・・・・、」
「そうです、それも別れた原因の一つです。でもそれは亜子を守る為であって、心底あの人が嫌いになったわけじゃないんです。
もう一緒にはなれないけど、あれから大丈夫かなって心配したり・・・・。」
「すごい同情するんだね。いくら好きな男だからって、普通はそこまでならないよ。まさか・・・あなたも虐待とか・・・、」
「いえ、私はそういうのはないです。だけど・・・なんだろう?理由もなく人を傷つける人っているじゃないですか。
自分がイライラしてるからとか、人を傷つけて楽しんでる人とか。そういう人が昔から嫌いなんです。
主人は確かに暴力的だったけど、元を辿ればあの人のせいだから。主人も被害者なんです。」
強く言い切る。これ以上反論するなというほどに。
なるほど、歴史上で聖人とか徳が高いとか呼ばれる人は、こういう人だったのかもしれない。
無償の愛とでもいうか、マザーテレサみたいに慈悲深いというか・・・・。
私の人生では出会ったことのないタイプだ。
「でも・・・そんなに甘くはなかったんですよね、あの人は。」
急に声を落とす。
おそらくここから先が・・・、
「主人と別れてから一年後のことです。仕事から帰って来ると、母が慌てて言ってきたんです。亜子がいなくなったって。」
「・・・・・・・。」
「夕方、母が犬の散歩から帰って来て、庭で亜子と一緒に遊んでたらしいんです。
ちょっと用事があって、母は家の中に戻りました。それで庭に戻ってくると、亜子がいなくなってたって。」
「・・・・・・・。」
「目の離したのは一分も経っていませんでした。なのに忽然と消えてたんです。
すぐに辺りを捜し回って、近所の人にも聞きました。もしかしたら家に隠れてるのかと思って、全部捜したし。
それでも見つからなくて、警察に連絡したんです。」
「・・・・・・・。」
「ニュースにもなりましたし、新聞にも載りました。私はチラシを作って、色んな所に貼らせてもらったし、警察だって捜査してくれて・・・・。
それから四日後です、亜子が帰ってきたのは。」
トーンの落ちた声・・・・深く沈んでいるその声に反比例するように、口調は強くなっていく。
きっと力まないと話せないんだろう。
私はただ黙って聞くしか出来なかった。
「あの子は蝶になって帰ってきたんです。見た瞬間にすぐ分かりました、この蝶は亜子だって。
なんでか分からないけど、すぐにそう感じたんです。それと同時に泣いちゃって・・・・、」
「泣く?」
「だって別の生き物になって戻って来たんですよ?それってもう人間じゃなくなってるってことじゃないですか。
だからもう・・・生きてはいないんだなって。」
「・・・・・・・・・。」
「亜子は私の目の前で、元の姿に戻ってくれました。でもそれはもう亜子じゃなかった。
亜子は亜子だけど、死人みたいな幽霊みたいな、そんな感じだったんです。
そして亜子の隣にはもう一匹蝶がいました。」
「ヴェヴェね?」
黙って聞くつもりが、ふと口から出てしまう。
彼女はコクリと頷いた。
「ヴェヴェは話してくれました。どうして亜子がこんな姿になって戻って来たのか。
それを聞いた時、私は初めて人を殺したくなった。」
「犯人・・・・お義母さんだったのね。」
「そうです。復讐しに来たんです。たったあれだけの事が気に入らなくて。
ヴェヴェはそんな亜子を可哀想に思って、子供の国へ連れて行ったんです。
ヴェヴェから聞いた話だと、散々にいたぶって殺したそうです。亜子はずっとお母さん!って叫んでたって・・・・。」
「・・・・・・・。」
「亜子をいたぶる時、あいつはすごく楽しそうにしてたそうです。弱い者を苦しめることが生きがいみたいな顔して。
・・・・私は亜子と別れたくなかった。けどヴェヴェはもう時間だからって、子供の国へ連れて行きました。
でもその前にこう言い残していったんです。クリスマスの夜、○○市の川にある大木まで来いって。
そうすれば良い事があるからって。
私は言われた通り、クリスマスの夜にそこへ行きました。亜子が好きだったお菓子を持って。
それで子供の国へ招待されて、一日中一緒にいました。」
「会えて嬉しかった?」
「とっても。」
そう答える時だけ、満面の笑みを見せた。
「復讐は選びませんでした。憎い気持ちはあったけど、もうアイツに関わりたくなかったから。
それに宇宙人みたいになって二度と戻って来ないなんて堪えられないし。」
「亜子ちゃんは亜子ちゃんのまま戻って来たのよね?てことはクローンを選んだんでしょ?」
「・・・ほんとは生まれ変わりを選ぶべきでした。10年で死ぬって分かってて、クローンを選ぶなんてって思ってるでしょ?」
「ううん、それは私からはなんにも言えない。」
「どうしても亜子と一緒にいたかったんです。だから・・・クローンを選んでしまいました。」
ごめん・・・と小さく呟いたのが聴こえた。
もちろん娘へ言ったのだろう。
あの子の年齢だと、どんなに長くても高校へ上がる前に寿命が尽きてしまうのだから。
「ヴェヴェに頼んで、亜子をそのままの姿で返してもらいました。行方不明の子供が見つかったってことになるから、その後は色々と誤魔化すのが大変でしたけど。」
「あなたの親もビックリしたでしょうね。」
「ええ、でも嬉しい方が強かったみたいで、よかったって泣いてました。」
彼女の顔からふと力が抜けていく。
辛いことを話し終え、強ばる必要がなくなったんだろう。
私は「話してくれてありがとう」と手を握った。
「すごく辛いことなのに。」
「望みに賭けてみたいから・・・・、」
そう言って、私の隣に座る夫に目を向けた。
「もしご主人が仰ることが本当なら、亜子は帰ってくる。それに賭けたいんです。」
握った手を揺らし、自分を鼓舞するように力を込めた。
「亜子を殺したあの人、もうただの人間じゃないってことですよね?」
「そうね。子供の天敵ってことになる。地球でも子供の国でも。」
夫の話、彼女の話を聞いて、さっき見た虫の正体を知る。
一匹は間違いなくヴェヴェ。
そしてもう一匹は・・・・、
「あれは元人間・・・・それもあなたのお義母さんだった人なのね。」
思いもしない事実に、彼女もショックを受けている。
高い空の寒ささえ忘れて、あの虫が飛び去った彼方を睨んでいた。
気分は重いけど、希望がないわけじゃない。
深い泥の中にいるような重苦しさがあっても、なぜか笑みがこぼれてくるのは、少しばかりの勝機が見えてきたからだ。
大人が子供の天敵になるなら、その天敵から子供を守るのも大人の役目。
あの大きな虫たちを、この手で握りつぶしてやりたくなった。

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