蝶の咲く木 第九話 燃える蝶(1)

  • 2018.01.14 Sunday
  • 12:14

JUGEMテーマ:自作小説

時が経つのは早い。
大人になるほどそう実感する。
子供の頃、去年のクリスマスから今年のクリスマスを迎えるまでの間、世界を一周してきたような長さを感じたものだ。
それが大人になると、つい昨日のことのように感じてしまう。
あまりにかけ離れてしまった子供時代の感覚。
見る物全てに対して、五感が鋭敏に反応していたあの時代。
何もかもが不思議で、驚きと発見に満ちていた。
時間も、感性も、思考も、大人と子供では何もかもが違い過ぎる。
そういえば昆虫は、大人と子供では似ても似つかい姿をしている奴がいる。
イモムシが蝶に、ヤゴがトンボに、ミノムシが蛾になるなんて、別の生き物へ進化したようにしか思えない。
人間も時間の流れと共にサナギになり、繭を突き破って大人になるんじゃないか?
子供は大人の縮小版ではなく、子供という一つの生き物なのではないか?
そう思えるほど、子供時代の自分が別の生き物のように思えた。
・・・刑務所へ収監されて一年弱。新しいクリスマスを迎えた。
去年のこの日、俺はここではない星へ行った。
そこで行方不明だった息子と会い、家族三人揃ってのクリスマスを迎えることが出来た。
しかし今はどうだ?
家族が揃うどころか、俺は一人になってしまった。
優馬が戻って来ることはなく、妻も俺の元を去ってしまった。
去年のクリスマスが嘘のように、何もかも失ってしまった。
ここへ来て一年、刑務所での生活は規則正しい。
朝早くに目覚め、外で体操をし、朝食を摂ってから仕事に向かう。
俺が担当しているのは、色鉛筆を箱に詰める作業だ。
全部で24色入りのカラフルな鉛筆は、見ているだけで心が踊る。
こいつで絵を描いたのなんてずっと昔のことなのに、胸が弾むのは童心が残っているからか?
途中で昼休憩を挟み、夕方まで作業は続く。
その後は少ししてから飯を食い、風呂に入る。
しばらくの自由時間のあと、午後九時には消灯となる。
多くの受刑者は早くここを出たがっている。
衣食住が保証される反面、自由がないからだ。
酒もタバコも禁止、何をするにも刑務官に申し出ないといけない。
自業自得と分かっていながらも、自由を求めるのが人間だ。
しかし俺はずっとここでもいいと思っていた。
外へ戻った所で何もない。
それならば、法の番人によって守られるここにいた方が、穏やかに生きていけるだろう。
規則にさえ従うならば、最低限の生活は保証してくれる。
少ない自由時間は思索にふけり、たまに絵を描いたり詩を書いたりと、ある種充実した生活があった。
妻と子供。
最も大切だった二つを失ったのだから、今さら拘るものは何もない。
いつか死ぬその時まで、淡々と、無機質に命を削っていたかった。
外へ出る日のことを考えると、億劫にさえなるほどだ。
・・・・今日、いつもより感傷的になっているのは、夕食後にケーキが出たからだろう。
頭ではクリスマスと分かっていても、変わり映えのしない塀の中での生活では、実感が湧かなかった。
しかしケーキを見た途端、「ああ、クリスマスなんだな」と、胸に熱いものがこみ上げた。
申し訳程度に乗っかった赤いイチゴをつつき、目を開けたまま去年のことを思い出す。
二年間会えなかった息子・・・・奇跡のような出来事の末に、この腕に抱くことが出来た。
どうやってもあの時には戻れないのだなと思うと、目に映るケーキに涙腺が緩んできた。
消灯までの自由時間は、思い出の消費に専念した。
溢れ出てくる記憶の欠片は、下手に押し込めると心に刺さる。
今日のうちに吐き出しておかねば、明日も明後日も、余計な心労を背負うことになるだろう。
膨大な記憶をまんべんなく処理するのは大変で、消灯時間が過ぎても終わらなかった。
電気の消えた部屋で、隣の受刑者のイビキを聞きながら、ひたすら感傷に身を委ねた。
子供時代の自分、啓子と結婚した時、優馬が生まれた瞬間。
記憶ってやつは適当なので、時系列に並べるだけでも難儀する。
そうやって一つずつ丁寧に結んでいくことで、記憶は感情を帯びた思い出に変わる。
喜んだり、悲しんだり、感動したり、出来る限り感情を浪費させることで、思い出はようやく胸の奥底へ戻ってくれるのだ。
・・・・今、いったい何時だろうか?
目を閉じれば記憶が鮮明に浮かびすぎるので、開いたまま格闘を続けていた。
となると、見慣れた部屋を眺めながらの夜になる。
変化のない景色を見つめていると、時間の概念さえ消えそうだ。
かなり時間が経っているのか?
それとも一時間にも満たないか?
もし0時を回っていたとしたら、もうクリスマスではない。
出来るなら今日のうちに全ての思い出を辿りたかった。
寝返りをうち、イビキのうるさい隣人に背を向ける。
その時、目の前にあり得ない光景が飛び込んできた。
「なんで・・・?」
房のドアが開いていたのだ。
こんな事、普段は絶対にあり得ない。
というより、消灯時間前に見回りに来た刑務官が、しっかりと閉まっていることを確認していたはずだ。
なのになぜ・・・・?
もしやと思い、布団から抜け出す。
しかしドアを調べてみるとアテは外れた。
「鍵が壊れてるわけじゃないのか。」
単に鍵が開いていただけ。
しかしその単にが問題だ。
今の刑務所は、囚人の脱獄を許すほど甘くない。
かつては何度も抜け出した脱獄王なる男がいたそうだが、それは今より管理が緩い時代の話だ。
管理が徹底している現代の刑務所で、鍵を掛け忘れるなど・・・・。
「でもまあ・・・開いてるものは開いてるわけだし・・・、」
チラリと外を見ると、刑務官はいない。
監視カメラはこの様子を捉えているはずだが、誰かがやって来る気配もない。
「休みってわけでもあるまいし。」
刑務所に休日があれば面白いだろうが、あいにくそんなに甘くない。
「・・・見なかったことにするか。」
下手に出れば確実に懲罰だ。
布団に戻り、何も見なかったことにする。
いつもとは違うありえない出来事のおかげで、思い出の噴出は止まってくれた。
これならば、明日からも過去の幸せに悩まされることはないだろう。
そう思ってようやく目を閉じた。
・・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・誰だ?」
ふと声が聴こえた。
微かな声ではあったが、間違いなく人の声だ。
目を閉じ、五感を耳に預ける。
するとまた声が聴こえた。
これは・・・・子供の声だ。
というより赤ん坊に近い。
「・・・・泣いてるのか?」
短く「あ〜、あ〜」と聴こえる。
まるで親を呼んでいるように。
「・・・・・・・・・。」
ドアを睨む。
声は明らか部屋の外からきている。
もし刑務官に見つかったら・・・・という恐怖はあったが、好奇心の方が勝った。
顔を出し、廊下を眺めた。
するとこれまたさっきと様子が違っていた。
真っ暗なのだ。
普段は小さな灯りが点いているのだが、まったくなんの光もない。
「なんで?」
立て続けに奇妙な事が起きて、背筋が波打つ。
・・・・やはり布団に戻ろうか?いや、戻るべきだ。
脳は早く引き返せと告げているのに、気がつけば廊下を歩いていた。
真っ暗な廊下なのに、まぜか迷うことなく足が進む。
しばらく歩くと、暗闇の向こうに一筋の光が見えた。
「誰かいるのか?」
一瞬、刑務官の懐中電灯かと思った。
しかしそうではない事にすぐに気づいた。
光は激しく点滅している。
何かを知らせるように・・・・そう、まるでモールス信号だ。
じっとその光を睨んでいると、一つ、また一つと光が増えていった。
やがて辺りを覆い尽くすほど広がって、目がクラクラするほどの点滅が広がっていく。
「これは・・・・、」
息を飲む・・・・。
なぜなら点滅する光は、あの生き物によく似ていたからだ。
「蝶・・・・・。」
去年、あの大木に咲いていた光る蝶が、そこらじゅうに羽ばたいている。
「また連れて行く気か?」
一瞬身構えたが、すぐに喜びに変わる。
「優馬に会わせてくれ!」
またあの星に行けるなら、この腕で優馬を抱ける。
そう信じて叫んだのだが、どこからか不気味な声が返ってきた。
『優馬君ならもういないわ。』
「蝶モドキか・・・・?」
何重にもエコーのかかった声は、どこから響いてきているのか分からない。
おそらく群れの中に紛れているのだろうが、チカチカと点滅する中では、探しようがなかった。
『優馬君は地球へ帰っていった。』
「・・・・それは・・・・他人の子供としてか?」
『ええ。残念ながら、もうあなたの家族じゃない。』
「そんな・・・・、」
『だってあなた、自分で可能性を潰すんだもの。』
「可能性?」
『その手で胎児を殺したでしょ?奥さんのお腹を殴って。』
「ああ・・・・だからここにいる。」
『懲役4年かあ・・・・人ひとり殺したクセに、ずいぶんと短いわよね。』
「俺もそう思う・・・・・。」
『まだ人間の形になっていない赤ちゃんは、人間扱いされないってことなのかしら?』
「俺は裁判官じゃないから、どうしてこんな判決になったのかは分からない。
主文を聴いてもピンとこなかったし。多分だけど、妻への暴行の方が重かったんだと思う。
腹を殴って胎児を殺すなんて・・・・あいつをとことんまで傷つけた。
今じゃ精神薬が欠かせない生活になってるはずだ。」
『可哀想に。一生引きずる傷を負ったわけね。なのにあなたときたら、4年っぽちで自由の身になる。ずいぶんと不公平な話だわ。』
笑い混じりの声ではあるが、明らかに怒気が籠っている。
それに呼応してか、エコーが激しくなっていった。
「その通りだ。だからずっとここでもいいと思ってる。外へ出たいとは思っていないんだ。」
『そうなの?どうして?』
「ここはある意味楽なんだ。規則にさえ従っていれば、淡々と過ごせるから。」
『なら刑務所での生活は、あなたにとって救いってことね?』
「そういうことになる。」
そう答えると、蝶モドキは『よかった、それが聞けて』と笑った。
『罰を与える為の刑務所暮らしが、まったく罰になっていない。これならみんなも迷いはないはず。』
蝶モドキが群れの奥から現れる。
まるで脈打つように、激しく点滅していた。
一年ぶりに見る蝶モドキは、まったくあの時と変わっていない。
人だか虫だか分からない姿をしていて、やはり本物の宇宙人なのだなと、改めて見入ってしまう。
『ねえみんな!聞いたわよね?』
そう言いながら蝶の群れを振り返る。
『この人全然反省してないみたい。根っからの悪い大人よ。』
エコーのかかった声が響くと、それに応えるように群れが点滅した。
『今日初めての子もいるわよね?でも大丈夫、罪に感じる必要はないわ。
私たちは救いようのない悪者を懲らしめるだけだもの。これはむしろ善い事なのよ。』
群れの点滅が増していき、連続でフラッシュを焚かれたように眩しい。
思わず目を逸らすと、その奥から一際眩い蝶が現れた。
『なに逃げてるの?真っ直ぐに見てあげて。』
蝶モドキが俺の頭を掴み、グイっと前を向かせる。
抵抗したのにまったく抗えない・・・・それどころか首筋が痛んだ。
こんな小さな身体なのに、人間の腕力を遥かに凌ぐほどの怪力だった。
恐怖を覚えつつ、目の前に出てきた輝く蝶を見つめる。
しかしあまりに光が強烈過ぎて、直視することが出来なかった。
『ごめん、もうちょっと光を抑えて。』
蝶モドキが言うと、眩いばかりの光が軽減していった。
俺の目は太陽を直視したように、まだぼんやりしている。
瞬きを繰り返し、どうにか目を凝らした。
そして・・・短く悲鳴を上げた。
「あッ・・・・・、」
『一年ぶりの対面ね。』
「・・・・・・・・。」
『覚えてるでしょ?この子のこと。なんたってあなたがここにいる理由そのものなんだから。』
狂気じみた笑顔で、嬉しそうに手を向ける。
『一年前、あなたに殺された赤ちゃんよ。病院から飛んでいくのを見たでしょう?』
「ああ・・・・・。」
『この子も子供の世界へ案内したわ。だってとっても不幸な死に方をしたんだもの。
殴られて殺されるだなんて・・・・抵抗も出来ない胎児に、よくもまあそんな酷い事が出来るもんだわ。』
顔は笑っているが、怒気が強くなっていく。
その怒りは目の前の蝶にもうつったようで、また光が激しくなっていった。
『ダメ、目を逸らさないで。』
怪力で頭を掴まれる。
瞼をこじ開けられて、強烈な光に瞳が焼かれていった。
「やめろ!」
逃げようにも身体が動かない。
この感じ、あの星へ運ばれていった時とよく似ている。
こうして蝶に身動きを封じられて・・・・。
「俺も連れていくのか!またあの世界へ!」
『馬鹿ね、あそこは子供だけが行ける世界なの。大人は来られないのよ。』
「だったらなんで俺の所に来て・・・・、」
『復讐。』
「ふく・・・・、」
『この子のお母さんが復讐を望んだの。だからこうしてやって来た。』
一瞬耳を疑った。
しかし目を焼く強烈な輝きが、すぐに我に引き戻す。
「なんで啓子が・・・・・、」
『だって今日はクリスマスだもん。大人があの星へ来られる日よ。』
「そうじゃない!アイツ・・・・俺を殺せと頼んだのか!?」
『ええ。』
「そんなッ・・・・・、」
『迷う素振りすら見せなかったわ。』
「でもアイツは重度の鬱病だぞ!口だって利けないはずだ!!」
『口は利けなくても、思いは伝わるのよ。生まれてくるはずだった子供が、大人の暴力によって潰された。さぞ無念だったでしょうね。』
「違う!アイツが悪いんだ!!別の男の子供なんか身籠るから・・・・、」
『誤解しないで。お母さんのことはどうでもいいの。』
「どうでもいいって・・・だったらなんで復讐なんか・・・・、」
『この子が可哀想だから。』
思い切っり瞼をこじ開けられて、これでもかと胎児を見せ付けられる。
『前にも言ったけど、大人の為にやってるわけじゃないのよ。全ては子供の為。』
「じゃあやめろよ!復讐を望んだのは啓子であって、その子じゃないんだろう!?」
『いいえ、この子も望んでる。』
「バカ言え!胎児なんだぞ!自分から復讐を望むわけが・・・・、」
『だから親に委ねるんじゃない。復讐するかどうかを。』
「だからそれは啓子が望んだことだろう!その子が決めたわけじゃないはずだ!」
そう、胎児にこんな事が決められるわけがない。
これは俺に対する、啓子の怒りと恨みだ。
「啓子に会わせてくれ!」
『無理よ。』
「どうして!?お前ならアイツをここへ連れて来られるだろう?」
『会ってどうするの?説得でもするつもり?』
「そうだよ!アイツだって悪いんだ!確かに俺はその子を殺したが、その元凶は妻だ!
アイツが俺を裏切るからこうなった!違うか!?」
『それは夫婦の問題でしょ?大人の事情を子供に押し付けちゃダメ。』
「じゃあ教えてくれよ!その子は本当に復讐を望んでるのか!?そうでないなら俺を殺さないでくれ!」
人生なんてどうでもいい。
そう思っていたはずなのに、途端に生きたいと願う。
現実、死を前にぶら下げられては、ニヒルな人生観など吹き飛んでしまった。
人はこんなに脆いものかと情けなくなるが、そんな感情も恐怖に掻き消される。
「助けてくれ!」
何度もそう叫んだ。
しかし蝶モドキは俺を離さない。
『もっとよく見て』と、輝く胎児に近づけた。
『あのお母さん、自分が死んでもいいから復讐したいって。この一年、それだけを糧に生きてたみたい。』
「嫌だ!俺はまだ死にたくない!」
『復讐さえ果たせるなら、自分はどうなってもいいって言ってたわ。もう優馬君も戻って来ないし、お腹の子もいない。
不倫相手には逃げられるし、唯一頼りだった親ともギクシャクしてる。』
「自業自得だ!全部アイツが悪い!俺を裏切ったりしなけりゃこんな事には・・・・、」
どうしても助かりたかった。
狂った犬のように吠えていたが、あるものが視界は入ってきて、言葉が止まってしまう。
『見えた?』
「・・・なんで・・・、」
『お母さん、自分の命を武器にして、あなたを殺しに来たのよ。』
「啓子・・・・・そんな・・・・、」
眩い光の中、胎児の向こうに妻が映っていた。
目には隈ができ、頬は痩せこけ、手の甲には筋が浮かんでいる。
手首にはリストカットの後が生々しく刻まれていた。
妻は手を広げ、そっと胎児を包み込む。
その瞬間、眩い光から火柱が昇った。
グルグルと渦を巻き、灼熱を撒き散らす炎の竜巻へと変わる。
それはうねる龍のごとく俺を縛り上げた。
「おおおおおお!」
本当に目が焼けていく。
粘膜が蒸発し、痛みと熱が走り、一瞬で何も見えなくなってしまう。
腕に、足に、腹や背中に熱が走り、耐え難い苦痛が襲いかかってくる。
「ぎああああああ!」
助けてと叫びたいが、復讐の炎がそれを許さない。
飢えた獣のように、俺から何もかも奪っていくのだ。
燃えていく・・・・俺が消えていく・・・・・。
妻と、俺が殺した胎児によって、消し炭に変わろうとしていた。
逃げる術も抗う術もない。
助けてと懇願しようにも、焼けた喉は声を出してくれない。
『あははははは!』
エコーのかかった不気味な声が、直接頭に響いてくる。
とても嬉しそうで、とても楽しそうで、きっと腹を抱えているに違いない。
『あんたはね!優馬君を殺した大人と一緒よ!抵抗出来ない子供に、何度も拳を振り下ろした!
助けてって願う子供から、全部奪っていったのよ!』
怒ったまま笑う蝶モドキ。
怒りと歓喜が入り混じったその声は、きっと俺だけに向けられたものではない。
子供を殺した全ての大人に向けられている。
今日、俺はここで果てる・・・・。
それは俺にとって最悪の不幸だが、コイツにとっては日常の一幕に過ぎないのだろう。
これからもこうやって、力無き子供に変わって、悪い大人に鉄槌を下していくのだ。
《あの日の出来事はなんだったんだ?こんな結末になるなら、どうして俺たちはあんな世界へ?
それとも・・・・俺がもっとしっかりしていれば・・・・違う未来が・・・・・、》
過ぎた時は戻らない。
人生はゲームとは違う。その時その時の選択が、常に未来を決めていくのだ。
《なあ優馬・・・・なんでお父さんとお母さんを呼んだんだ?こんなのお前だって望んでなかったはずだろ。》
二度と会えない息子に問いかけても、意味がないことは分かっている。
それでも問いを投げかけるのは、まだどこかで助かりたいと願っているせいか?
こんな状況になってまで、俺は生きたいと・・・・・。
『さようなら、悪い大人。』
蝶モドキの声に、もうエコーはかかっていなかった。
喜びも怒りもなく、無垢な子供のように笑っている。
・・・・もはや恐怖さえ消え失せた。
俺はこの世からいなくなる。
悔しいやら笑けてくるやら、全てがどうでもよくなった。
これが無我の境地ってやつなら、人は死ぬ瞬間にこそ悟りを開くのだろう。
あれだけ愛した優馬さえ、もうどうでもよくなっていた。
もう俺は消えて無くなるのだから、何を心配する必要もないのだ。
全てが綺麗サッパリなくなる寸前、ふと子供時代の感覚が蘇った。
ヒリヒリするような剥き出しの五感、余計な知識に邪魔されることのない純粋な想像力、経験がないからこそ抱けるたくさんの夢。
あの頃、大人が別の生き物のように見えていた。
いつか大人になる自分なんて現実感がなくて、自分はずっと子供のままなのだと・・・・・。
甦った子供時代の感覚は、俺が燃え尽きるまで続いた。
大きな枕に抱かれているような、とても良い気分だった。

蝶の咲く木 第八話 復讐の火(2)

  • 2018.01.13 Saturday
  • 14:39

JUGEMテーマ:自作小説

奇跡というのは、人生で一度でも体験すればいい方だろう。
人生は基本的に同じことの繰り返しで、ごく希に起こる幸不幸でさえ、奇跡とは言い難いレベルのものがほとんどだ。
しかし俺たちは息子を失うという、負の奇跡が起きてしまった。
そしてついこの前、その息子に再開するという奇跡が起きた。
こんな奇跡、もう二度と起こるまい。
そう思っていたのに、三度目の奇跡が起こってしまった。
今、空には白い竜巻が渦巻いている。
あれは間違いなく俺が落ちてきた竜巻だ。
ということは、あの場所を通ればまた優馬に会えるはずだ。
なのに・・・・そんな奇跡さえどうでもよくなるほどの衝撃が、俺の胸をかき乱していた。
妻と二人、川原の木の傍に立って、眺めるでもなく景色を見つめていた。
「・・・・お義父さんとお義母さんは?」
口から出てきた言葉は、恐ろしいほどどうでもいいことだった。
啓子の両親など今は関係ない。
なのに俺の心が弱いからか、少しでも話題を逸らしたかった。
「さっきまでここにいたよな?」
「分からない。空に竜巻が出てきてから、どっかいなくなっちゃった。」
「消えたのか?」
「多分・・・・。」
「・・・・・・・。」
「心配はしてない。」
「どうして?」
「どうでもいいから。」
「どうでもって・・・自分の親だろ?」
「嫌いだから。前にも話したでしょ。」
「でももし何かあったら・・・、」
「あの親に育てられてなかったら、ここまで歪んだ性格にならなかったと思う。」
「・・・・・・・・。」
「自分でも分かってるから、すぐ感情的になる面倒臭い女だって。」
「誰だってカッとなる事はあるよ。」
「もちろん全部の親のせいってわけじゃない。私は子供の頃からワガママだし、すぐ癇癪を起してたから。
だから両親もお婆ちゃんも腫物に触るみたいな感じがあってさ。」
「前にも言ってたな、それ。」
「でもお爺ちゃんだけが厳しかった。お爺ちゃんだけだもん、私のこと叱ってくれたの。
悪いことした時は頬を叩かれたこともあったし、納屋に閉じ込められたこともあった。
でもその後すごく優しかったなあ・・・・・。なんで私が悪いのかちゃんと説明してくれて、人の痛みを分かる人間になれって。」
「それも聞いた。すごく良いお爺ちゃんだったって。」
「私が中一の時に亡くなったけど、あの時は本当に悲しかった。
今でも思うのよ、もし私が生まれる前にお爺ちゃんが亡くなってたら、もっと手の付けられない女になってたなって。」
そう言って自嘲気味に笑う。
「自分でもこの性格が嫌になる時がある。なんで私なんか産んだのよって、親にキレたこともある。
こんな人に迷惑ばっかりかけるような人間なら、最初からいない方がよかったって。
だけど・・・生まれてきてよかったって思えることが一つだけある。」
そう言って「何か分かる?」と俺を見上げた。
「優馬だろ。」
「うん。あの子が産まれてきた時、本当に嬉しかった。

子供なんて欲しくないって思ってた時もあったけど、そんなの忘れるくらいに。
この子の為だったらなんでもしてあげるし、もしあの子が生き返るなら命を差し出しても構わない。

優馬だけが私の人生の意味を与えてくれたから。」
どこか希望に満ちた目をしながら、真っ白な竜巻を見上げる。
俺も空を見上げ、「あの向こうに優馬がいるはずだ」と期待を込めた。
「向こうへ行くことが出来れば、もう一度会える。今度はちゃんと蝶モドキに交渉して、優馬を優馬のまま返してもらうんだ。」
妻を振り向き、「俺に任せてくれ」と頷きかけた。
「あの時は俺が悪かった。余計な話ばかりして・・・・・、」
そう言いかけて、言葉を止める。
妻はうっすらと涙を浮かべ、「ごめんなさい」と言った。
「アンタを裏切った・・・・ごめんなさい。」
「・・・・相手は?」
「・・・・・・・。」
「誰?」
声に怒気がこもる。
直面したくない話題だったのに、問いかけてしまった以上、真実を聞き出さずにはいられなかった。
恐怖より怒りが勝ってきて、「誰だ?」と詰め寄った。
「相手は誰?」
「・・・・上司。」
「上司って・・・・それって俺の・・・・、」
妻は無言で頷く。
お腹の中の子供は、なんと俺の友人の子だった。
「あいつ・・・・、」
怒りがさらに強くなる。
妻がノイローゼ気味だった時、外で働かせてやってくれないかと頼んだ相手だ。
あの時、あいつは『力になるよ』と頼もしく頷いてくれた。
それがまさか・・・・、
「あのクソ野郎!ふざけんな!」
今すぐ殴ってやりたい・・・・いや、殺してやりたい激情に駆られる。
あいつは大学時代からの友人で、多少の女グセの悪さはあるものの、根は悪い奴ではなかった。
今は家庭を持ち、二人の娘がいる。
気心の知れた仲だし、俺たちの力になってくれる数少ない友人だと信じていた。それが・・・・、
「善人面しといてそれが目的だったのか!タダじゃおかねえ!」
友情は露と消え去り、憎悪と殺意だけが芽生える。
やり場のない怒りは、近くにいる人間に向けられた。
「・・・・産むつもりじゃないよな?」
振り返るのと同時に尋ねる。
妻はビクっと肩を揺らした。
「おい、なんで怖がる?」
目の前に立ち、拳を握って尋ねる。
「どうして怖がるんだよ?」
「・・・・ごめんなさい。」
「何が?」
「裏切って・・・・、」
「んなこと聞いてねえよ!!」
近くにあった石を蹴り飛ばす。
妻の横を駆け抜け、遠くまでコロコロと転がっていった。
「産むつもりかって聞いて、なんで怖がるんだよ?」
「・・・・・・・。」
「そんなもん一言こう答えりゃいいだけだろ。すぐに堕ろしますって。」
「だって・・・・私から・・・・、」
「ああ?」
「向こうからじゃない・・・こっちから・・・・そういう関係になったから・・・・、」
「お前から?」
頭の中が「なんで?」と埋め尽くされる。
「アイツからじゃないのか?」
「私から・・・・、」
「なんで?」
「・・・・分からない・・・・。」
「分からないって・・・・、」
「寂しかったのかもしれないし・・・・子供が欲しかったのかもしれないし・・・、」
「え?いやいや・・・・言ってることおかしいぞ。」
怒りより呆れが勝り、笑いがこみ上げる。
「子供が欲しいなら俺に言えばいいじゃないか。なあ?」
「負担を・・・・、」
「え?」
「優馬がいなくなって・・・・アンタだって参ってたでしょ?そんな時に子供が欲しいなんて・・・、」
「・・・・それ言い訳として通用すると思ってるのか?」
「言い訳じゃない!」
「じゃあなんだよ!?俺たち夫婦だぞ?子供が欲しいなら俺に相談するのが当たり前だろうが!」
「だから分からないって言ったじゃない!自分でも分からない!」
「分からないわけないだろ!他の男の子供を身ごもってるんだぞ?自分から誘ってそこまで行ってんだろ?」
「最初はそんなつもりじゃなかった!だから分からないって言ってるのよ!」
妻は立ち上がり、正面から俺の視線を押し返す。
涙を浮かべているが、悲しみよりも怒りを宿した目をしていた。
「いや、ちょっと・・・ほんとに意味が分からない。なんでお前がキレるんだ?」
また笑いがこみ上げる。
なんでコイツがキレる?
ていうか不倫しといて「分からない」って本気で言ってるのか?
「全部私が悪い・・・・殴られても捨てられても文句は言えない。」
「・・・あのな、開き直るのはやめろよ。」
「開き直ってなんかない!全部私が悪いって言ってるの!何されたって文句言えないって・・・・、」
「お前を殴ってさ、お前を捨ててさ、それでどうなる?ふざけんじゃねえよ!!」
拳を握ったまま手を振り上げる。
妻は身をすくめたが、目は逸らさなかった。
殴りたければ殴ればいいとばかりに、怒りの篭った目で睨んでいる。
「・・・・・・・・。」
しばらくお互いに睨み合う。
この拳を振り下ろしたかったが、殴ってどうなる?という自分の問いかけが、手を下ろさせた。
「もういい。もううんざりだ。」
背中を向け、大木から離れて行く。
「なんでもお前の思うようにしたらいい。もう付き合いきれない。」
考えるより先に言葉が出てくる。
妻を残したまま、家に向かって歩き出した。
もうアイツと同じ場所に立っていたくなかった。
拳を振り下ろしたところで、何も変わりはしない。
そう思いながら去っていくが、ふと足を止めた。
《・・・・馬鹿だな俺は。このまま帰ったんじゃ、殴るのと変わりない。》
殴ってどうなる?捨ててどうなる?
さっき自分で吐いたセリフを思い出し、踵を返した。
妻は俺を睨んだまま立ち尽くしている。
好きなだけ睨めばいいし、好きなだけ怒ればいい。
満足するまで自分に言い訳すればいいし、なんなら不倫相手の所へ転がり込んで、奪うなりなんなりすればいい。
だがその前にやってもらわなければならないことがある。
「なあ?」
鏡を見なくても、自分が嫌味な笑顔をしていると分かる。
妻は表情を変えないが、目の奥にほんの少しの不安が浮かんでいた。
「お腹の子、優馬にあげないか?」
「は?」
キツネにつままれたような顔をしている。
もう一度「優馬にあげよう」と言うと、すぐに要領を得た。
「この子に生まれ変わらせるってこと?」
「ああ。」
「でもそれだと優馬は優馬のまま戻って来れないじゃん。」
「でもお前は堕ろす気はないんだろう?」
「だって優馬が死んだんだよ?なのにこの子までなんて・・・・、」
「だから優馬にあげようって言ってるんだ。そうすれば優馬は戻って来られるし、その子だって産める。」
「嫌よそんなの!」
「あ、そう。だったら向こうにバラしに行くかな。」
「はあ?」
「ウチの嫁、おたくの旦那と不倫してますよって。」
「なんでそんな事すんのよ!」
「復讐。」
「なッ・・・・、」
「もし立場が逆だったら、お前は俺を殺してるだろ。」
「そんなこと・・・・・、」
「するね、絶対にする。」
「しない!私はそんな・・・・、」
「あのね、暴力ってのはエスカレートするんだよ。」
「?」
「お前ってちょいちょい俺のこと殴ったり蹴ったりするだろ?」
「だってそれはアンタが悪いから・・・・、」
「悪けりゃ手え出してもいいのか?」
「そんなこと言ってない!」
「あの巨木の上でさ、何度も俺を蹴飛ばそうとしたよな?
ちょっとカッとなってアレなんだから、俺が不倫なんかしようもんなら、本気で木の上から蹴飛ばしてたろ?」
「だからしないって!」
「信用出来ない。別の男の子を孕む女なんて。」
「だから悪いって言ってるじゃない!全部私が悪い!」
「そう、お前が悪い。何されても文句言えないって、自分から言っただろ?だからバラしてやるよ。ついでにお前の親にもな。」
「ちょっとやめてよ!なんで親に・・・・、」
「なんで?」
「なんでって・・・嫌に決まってるからでしょ!」
「でもお前だって親のこと嫌ってるんだろ?じゃあ問題ないじゃないか。」
「ふざけんな!なんでアンタにそんなことされなきゃ・・・・、」
「嫌なら俺の言う通りにしろ。その子に優馬の魂を宿すんだ。」
「だからそれじゃ優馬は優馬のまま戻って来れな・・・・、」
「俺が交渉する。あの蝶モドキにちゃんと頼む。」
「・・・・あの時は余計な話ばっかしてたクセに。」
妻の顔に半笑いが浮かぶ。
責められるばかりの状態から、どうにかして反撃の機会を窺っていたらしい。
だがそんな事はどうでもいい。
俺が望むのは、優馬がこの世へ戻って来ること。
そして妻とは縁を切り、優馬を俺の手で育てることだ。
しかし今はそれを言うまい。
下手に刺激すれば、ヒステリーを起こして会話にすらならなくなる。
「お互いに妥協点が必要だろ?」
嫌味な笑顔を消して、神妙な顔を作って見せる。
「お前は不倫して身ごもった。俺を裏切ったわけだ。」
「ごめんなさい。それは私が悪い。」
「謝ってもらっても済まない。お前だって何か差し出してもらわないと。」
「それがお腹の子ってわけ?」
「それで優馬が戻って来るかもしれないんだ。悪い話じゃないだろ?」
「・・・・じゃあこの子はどうなるの?こうしてお腹にいるのに、自分じゃなくなっちゃう。」
本気で悲しそうな顔をしながら、腹を撫でている。
先ほどまでの威勢が嘘のように、怒りさえ消えていた。
子を産めるのは女だけ。
今、妻が感じている悲しみは本物だろう。
しかし俺に躊躇いはない。
他の男の子供など、どうなろうと知ったことではない。
流れようが堕ろそうが、俺にとっては痛くも痒くもない。
だがなんの役にも立たないままこの世から消えるくらいなら、せめて優馬の役に立ってほしい。
今の俺にとって一番大事なもの。
あの竜巻の向こうにいるであろう優馬が戻って来るなら、他人の命など道具にしてやる。
「選べ。」
一歩詰め寄ると、妻は一歩後ずさった。
「その子を差し出すか、不倫をバラされるか?」
「そんなの今すぐ決められない!」
「今決めろ。でないと次にいつあの竜巻が現れるか分からない。」
「あんたは男だから子供を産めない!だからそんな冷血なことが言えるんだ!!」
再び怒りが戻ってきたようで、妻の方から詰め寄ってきた。
「産む側の気持ちを考えたことがある?この子に優馬の魂を宿して産むのだって私がやるのよ!」
「言われなくても分かってる。」
「じゃあ偉そうに言うな!」
カッと手を振り上げるので、俺も手を伸ばしてその手を掴んだ。
「ほらまた暴力。」
「アンタが怒らせるからだ!」
今度は蹴ってこようとするので、足を踏んづけて止めた。
「ちょっと!」
「いいから選べよ。」
「黙れ!偉そうに言うならお前が産んでみろ!!」
「じゃあ産めなくしてやろうか?」
「はあ?」
「こいつで叩けば終わるだろ?」
拳を握り、これみよがしに振ってみせる。
ギブスを填めている方の腕だが、そんな事さえ忘れて力を込めた。
「本気で叩けば3、4発で終わるだろ。」
「なによ・・・・アンタこそ暴力振るう気?」
「ああ。」
「・・・・・・・・。」
妻の顔に怯えが見える。
俺が本気だと気づいたようだ。
「ごめん、ちょっと離れて。」
掴まれた手を振り払おうとする。
踏んづけられた足をどかそうとする。
しかし俺は逃がさない。
手を離し、代わりに髪を掴んだ。
「ちょっと!」
「もう一度聞くぞ?お腹の子を差し出すか、不倫をバラされるか選べ。」
グッと髪を引き、力任せに持ち上げる。
妻はつま先立ちになり、痛そうに顔を歪めた。
「お願い、ちょっと待って。」
「いいから選べよ。」
「落ち着いて話そ・・・・ね?」
「・・・・・・・。」
「今までのは全部私が悪かった。だからお願い。」
「・・・・・・・。」
「私もカッとなってた。自分でも悪いクセだって分かってる。私も落ち着くからアンタも・・・・、」
次の瞬間、握った拳を腹にめり込ませた。
つま先で立っていた妻の身体が浮く。
「おうェ・・・・、」
腹を押さえ、苦しそうにえづく。
開いた口からヨダレが垂れて、「やめて・・・」と呟いた。
「お願い・・・・ほんとにやめて・・・・、」
「じゃあ選べ。」
「だってそんなの・・・・すぐに決められな・・・・、」
二発目をめり込ませる。
妻の身体が九の字に曲がり、悲鳴の代わりに「ひゅうッ・・・」と息を漏らした。
「・・・・・・ッ。」
息も出来ないようで、髪の毛を掴まれたまま崩れ落ちる。
二発、本気で腹を叩いた。
お腹の子が生きているのかどうか分からない。
だが問いかけはやめない。
ここまでやって終わりにするならただのピエロだ。
「選べ。」
膝をつき、髪を引っ張って上を向かせる。
妻の顔は涙とヨダレと鼻水で汚れていた。
顔はくしゃくしゃに歪み、普段の強気な表情は見る影もない。
「選べ。」
拳を握り、再度問いかける。
妻はぶるぶると首を振って、腹を押さえた。
「・・・・ごめんなさい・・・・私が悪いです・・・・だから叩かないで・・・・、」
握った拳を振り上げ、また腹を狙う。
すると妻は身をよじり、「殺さないでえええええ!!」と叫んだ。
「殺すならこの子を産んでからにして!その後私を殺してもいいから!!」
背中を向け、何がなんでも我が子を守ろうとしている。
しかし俺は拳を止めるつもりはない。
背中からでも命を絶てるだろうと、振り上げた拳を力ませた。
するとその時、「やめい!!」と誰かが叫んだ。
振り返ると、あの屋敷の爺さんが睨んでいた。
「何しとんだ貴様!?」
曲がった腰をものともせずに走ってきて、妻を庇う。
「殺す気かお前は!」
俺の手を振り払い、ドンと突き飛ばす。
尻もちをつく俺。
妻は苦しそうにえづき、爺さんに背中を撫でられている。
「大丈夫か?病院行くか?」
そう尋ねられても首を振る。
肩を震わせながら「殺さないで・・・・」と繰り返していた。
「・・・・・・・・。」
ここまで自分が犯した行為に後悔はない。
全ては優馬を取り戻す為だ。
もう俺にはあの子しかいないのだから・・・・。
立ち上がり、大木の傍へ歩く。
「おい!もう一度運んでくれ!!」
木を見上げ、「頼む!」と懇願する。
「もう一度だけでいい!そっちへ連れて行ってくれ!」
二度と声が出なくなってもいい。
それくらいの思いで叫んだ。
しかし木はうんともすんとも言わない。
葉のない枝を空に向かって伸ばしているだけだ。
「頼む!お願いだから!」
木を叩き「なあ!」と問いかける。
「もう一度だけそっちへ連れてってくれよ!」
何度も木を叩き続け、手の皮が擦りむけてくる。
それでも叫び続けていると、「無駄だ」と爺さんが言った。
「その木に蝶が咲くのはクリスマスだけだ。他の日ではどうしようもない。」
「なんでだよ!?ここまで頼んでるのに・・・・、」
「そういう問題じゃあない。あんた大人だから。」
「・・・・・・・・。」
「あそこは子供の世界だ。大人は行けん。」
「行ったぞ!ついこの前・・・・・、」
「あの日だけだ。ありゃあ大人の為ではなく、あそこに暮らす子供の為にやっとることだ。」
「・・・・・・・。」
「だいたいな、あんたはさっきから余計なことしとる。」
「余計なこと?」
「叫んでただろ?嫁さんのお腹の子を、息子に差し出せと。」
「優馬を取り戻す為だ。」
「放っといてもそうなる。あの子の魂はお腹の子に宿るんだ。」
「それは9年も先のことだろ?」
「忘れたか?」
「・・・・何を?」
「向こうと地球では時間の流れが違うんだ。あんたも体験したはずだ。」
そう言われて思い出す。
爺さんの言う通り、向こうは時間の流れが違っていた。
たった数時間が一日と同じくらいに長いのだ。それはつまり・・・・、
「あの星は・・・・地球より時間の流れが早いってことか?」
「そういうことだ。」
「それってつまり、優馬はすぐ戻って来るってことか?」
「ああ。」
「でも・・・・それだと優馬は優馬じゃなくなって・・・・、」
「そればっかりは仕方ない。そういう決まりだから。」
爺さんは「諦めろ」と首を振る。
心配そうに妻を振り返り、「無事だといいが・・・」と腹を見つめた。
「救急車呼んでやるからな。それまで家にいろ。」
妻に肩を貸そうとするが、爺さん一人では立たせることが出来ない。
「おいあんた!ボケっとしてないで手伝え。」
爺さんは手招きをする。
しかし俺は背中を向けた。
大木に向き直り、また拳を握った。
「・・・・・・・・。」
きっと今の俺は悪魔のような顔をしているだろう。
何も叶わず、失うものばかり増えていく。
勢いをつけ、思い切り大木を殴りつけた。
・・・一瞬、拳に痛みが走る。
折れた・・・・と思った。
鋭い痛みがやってきて、遅れて鈍い痛みへと変わっていく。
それでも拳を握り、今度は自分の頭を叩いた。
何度も自分を殴ってから、頭を抱えてうずくまった。
「うう・・・ふうう・・・・・、」
優馬はもう優馬として戻って来ない。
妻も俺の元を去るだろう。
勢いに任せて突っ走っても、ただ空回りしただけ。
残されたのは、俺に腹を殴られ、辛そうにえづく妻だけだった。
「ううう・・・おおおおおおおお!」
声が漏れる。
肺いっぱいの空気が、まとめて口と鼻から飛び出していく。
横隔膜がせり上がって、胸を圧迫していく。
空っぽになった肺は空気を求める。
息を吸い、吐き出し、その度に漏れる声が大きくなっていった。
「ううおおおおおおおおおお!!」
妻と同じように、ヨダレと鼻水が出てくる。
目元も熱くなって、滴が鼻筋へと伝っていった。
「ああああああ・・・・・はああああああああ!」
大の男がこれほど泣くものかと、自分でも驚いた。
それでも叫びは止まらない。
失って、失って、手元には何も残っていない。
こんな事なら、あんな星へ行かなければよかった。
下手な希望など見てしまったが為に、俺は道を間違えたのだ。
死者は生き返らない。
例えどんなに大切な息子でも、元通りに戻ってくることなどないのだ。
それを分かっていたクセに、最後まで気持ちを誤魔化すことが出来なかった。
・・・・そう、俺も妻と同じなのだ。
優馬に優馬のまま戻って来てほしかった。
アンタはいつだってカッコつけていると、妻に罵られたことは正しかった。
あの時、どうして俺は素直にならなかったのだろう。
今になって本心が溢れ、自分でも制御できずに暴れまわった。
結果、ただ妻を傷つけて終わっただけ。
この先、二度と家族三人揃うことはないだろう。
「あああああああああ!あああっはああああああ!!」
泣いても泣いても絶望は消えてくれない。
・・・やがて空から光が射してきた。
真っ白な竜巻は消え、いつの間にか快晴に戻っている。
それと同時に救急車のサイレンが近づいてきて、すぐに妻を病院へ運んだ。
俺は待合室で、懺悔のように手を合わせることしか出来なかった。
妻は無事か?
お腹の子は?
今、ようやく頭が冷えてきて、自分の犯した愚行に身震いする。
・・・・無事を祈り続けて、いったいどれだけ時間が立っただろう?
頭を抱えながら足元を見つめていると、黒い革靴が視界に入った。
顔を上げると、以前に俺のもとへやって来た刑事が立っていた。
「今回は事故じゃなさそうですね。」
「・・・・・・・。」
どこに視線を合わせていいのか分からず、カメレオンのようにグルグルと目を動かしてしまった。
「署でお話を聞かせてもらえますか?」
腕を掴まれ、ゆっくりと立たされる。
頭の中が真っ白になるとはこの事だろう。
凄まじい光が脳内を照らし、全ての影を飲み込むほど広がっていく。
もう二度と元に戻れない。
家族も、日常も、何もかも・・・・。
ふらふらしながら連行されていると、ふと後ろから気配を感じた。
振り返ると、妻が治療を受けている病室から、輝く何かが飛び出してきた。
それはヒラヒラと宙を舞い、俺の頭上へ飛んでくる。
「蝶・・・・。」
子供が集う星にいたあの蝶が、なぜか病院を飛んでいる。
いったいどうしてこんな所に?
そう思ったが、すぐに謎が解けた。
蝶の胴体が、へその緒の付いた胎児だったのだ。
指の間には水かきのようなものがあり、腰から尻尾が伸びている。
人というより、人型の両生類のような姿をしていた。
生物の遺伝子は積み重ねによって成り立っていて、それが順番に発現していく。
人間ならば、魚、両生類、爬虫類ときて、最後に哺乳類へと変わっていくのだ。
目の前に浮かぶ蝶は、これから人間へと進化していく途中の、新たな命だった。
そいつが妻の治療室から出てきたということは・・・・、
「・・・・すまない。」
ぼそりと言葉が出る。
それと同時に、どこからか笑い声が聴こえてきた。
何重にもエコーのかかった不気味な声だ。
・・・・聞き間違うことはない、この声の主はアイツだ。
胎児の蝶は、笑い声に呼応するように点滅する。
最初はゆっくりと、やがて激しく。
最後はパッと光って消えてしまった。
そして消える瞬間、エコーのかかった声がこう囁いた。
『子殺しめ。』
寒空の中、裸で放り出されたような悪寒が走る。
全身が氷漬けにされたように、一歩も動くことが出来ない。
あの日からの出来事が、全て幻だったらいいのにと目を閉じた。

蝶の咲く木 第七話 復讐の火(1)

  • 2018.01.12 Friday
  • 10:32

JUGEMテーマ:自作小説

高い空から落ちていく夢を見た。
遠くには分厚い雲が流れ、その中に巨大な根が這っている。
それは蜘蛛の巣のようでもあり、うねる龍のようでもあった。
空に浮かぶ巨木の根は、地球へ襲来したUFOのごとく、空全体を覆い尽くす。
俺はそんな光景を眺めながら海へ落ちた。
・・・・・・・・。
目が覚め、頭が冴えた後でも、4Kのテレビのように高画質な記憶となって再生される。
「気分はどうですか?」
医療器具の乗った台を押しながら看護師が入ってくる。
俺は「肩が少し・・・」と答えた。
「痛むんです。そのせいで昨日もあまり寝れなくて。」
「ちょっと見せて下さいね。」
包帯が巻かれた肩を触り、神妙な目で睨んでいる。
「触ると痛いですか?」
「はい。」
「触った感じ熱は持ってないみたいなんだけど・・・・ちょっと先生に看てもらいましょうかね?」
「いや、そこまでじゃないです。」
「でもよく寝れないほどなんでしょ?ちょっと先生呼びますね。」
すぐに医者がやってくる。
少し腫れているとのことで、痛み止めを一本打たれた。
「ここ折れると治りくいんだよ。痛みはしばらく続くから。」
「はい。」
「夜あんまり寝られないようだったらそこのボタン押して。」
そう言ってナースコールのボタンを顎でしゃくる。
医者は必要以上に靴音を鳴らして部屋を出ていった。
イラついているのだろうか?
看護師が血圧を計り、簡単な問診を終えて、丁寧な笑顔で背中を向けた。
部屋を出て行く時、医者と同じようにイラついていたのを俺は見逃さなかった。
満面の笑顔が一瞬で消え、能面のように冷徹な表情をしていた。
《医者と看護師は仲が悪いっていうけど、どうやら本当らしいな。》
病室には俺しかいなくなる。
個室なので誰にも気を遣う必要はないが、一人きりというのは寂しい。
いや・・・・病室だけではない。
ここを退院しても俺にはもう・・・・・。
「・・・・一人じゃない。啓子はあの世へ行ったわけじゃないんだから。」
スリッパを履き、痛む肩を我慢しながらトイレへ向かう。
用を足していると、後ろから「おう」と声を掛けられた。
「便所か?」
親父だった。
年の割りにフサフサした髪を撫でながら、俺の隣に並ぶ。
「もう一個向こうでやれよ。」
「どこでやろうが俺の自由だ。」
親子二人並んでジョボジョボ音を響かせる。
俺が先に終わり、手を洗いながら「下が弱ってんじゃないか」と言った。
「ん?」
「年取ると小便が長くなるだろ?」
「弱っとりゃせん。スタミナがなくなっただけだ。」
「それを弱るっていうんだよ。」
手を洗い、病室へ戻ると、親父が追いかけてきた。
「見舞いに来たんだから邪険にするな。」
「なんで親父なんだよ。お袋が来るんじゃなかったのか?」
「腰いわせてるからな。」
「あんま無理させるなよ。」
「お前に言われたくない。お前が子供ん頃、どれだけ手が掛かったか。」
「そうだっけ?」
「融通が利かんで手を焼いた。啓子ちゃんも大変だろうな。」
「・・・・・・。」
「まああっちはあっちでボンボンの娘だ。融通の利かん男とワガママな女。
上手くいくわけないと反対したのに一緒になっちまって。喧嘩が絶えんだろう?」
「ああ。もう出来ないかもしれないけど・・・・。」
「どうなんだ啓子ちゃん?まだ悪いのか?」
「らしいな。」
「連絡取ってないのか?」
「向こうの親が許さないんだよ。娘をこんな風にしやがってって。」
「ほら見ろ。」
「何が?」
「信用されとらんのだろうが。向こうは向こうで結婚に反対しとったからな。
あれこれグチグチ言って、ボンボン特有の嫌味な連中だ。」
「向こうも同じこと思ってるよ。時代遅れでガサツな親父だって。」
「男なんてそれくらいでいいんだ。最近の男ときたらナヨっとしちまって・・・、」
「そんな話しに来たのか?」
「いきなり本題もどうかと思ってな。ちょっとした世間話だ。」
「で、どうなの?俺逮捕されるの?」
「いいや。」
ヘラヘラした笑顔を消して、神妙に首を振る。
「今朝連絡があってな。逮捕はないそうだ。」
「そう。」
「なんだ?嬉しくないのか?」
「別にそうなってもいいかなって。」
「ずいぶん投げやりだな。」
「啓子は頭がおかしくなっちまうし、優馬はもうこの世にいない。もう俺には何もない。
だったらシャバだろうが刑務所だろうが同じだよ。どこで生きたって・・・・。」
「あの程度で刑務所に行くわけないだろ。」
「俺はそうなってもいい。意外と何も考えすに過ごせるんじゃないかって思うと、悪い気はしないんだ。」
そう言ってから親父を見ると、まっすぐに俺を睨んでいた。
「珍しく真面目な顔してるな。なんだよ?」
「優馬・・・・本当に死んじまったのか?」
「そうだよ。遠い星にいるんだ。」
「自分の息子の話だから信じてやりたいがな・・・どうもぶっ飛び過ぎてて。」
腕を組み、普段見せないような険しい表情になる。
まあ仕方ないだろう。
俺と啓子が体験した出来事は、到底誰かに信じてもらえるようなものではない。例え肉親でも。
・・・・・十日前のあの日、空から落ち、海で溺れた俺は、近くを通りかかった漁船に助けられた。
それは啓子も同じで、俺より先にこの病院へ運ばれていた。
啓子の両親は、なぜこんな事になったのかと、激しく俺を問い詰めた。
啓子が精神的なストレスの為に、ロクに口も利けなくなっていたからだ。
俺は迷った・・・・真実を話そうかどうか。
そこへウチの親父とお袋がやって来て、啓子の両親を宥めてくれた。
そんなにまくしたてちゃ、話すもんも話せないだろうと。
しかし向こうの親もカチンときたらしく、ひと悶着起きてしまった。
『そんな男と結婚させたのが間違いだった。』
『結婚に反対なのはこっちも一緒だ。今さらごちゃごちゃ言いなさんな。』
『このまま啓子が元に戻らなかったらどうしてくれる!』
『だから怒る前に話を聞けと言っとるだろうが。金持ちのクセに節操のない。』
『なんだと貴様!!』
あわや殴り合いの喧嘩・・・・お袋がどうにか止めてくれたが、向こうの怒りは治まらなかった。
『こんな奴と同じ病院にいられるか!』
そう吐き捨て、踵を返した。
『事と次第によっちゃこのまま終わらさんからな。覚悟しとけよ。』
脅し文句を残し、病室から去って行く。
親父は『やれるもんならやってみろ!』と挑発し、お袋は俺に向き直ってこう言った。
『二人して海で溺れるなんて・・・いったい何があったの?』
俺はまだ迷っていたが、ここは真実を話すことに決めた。
川原の大木へ行くと、そこに光る蝶が咲いていたこと。
その蝶に連れられて、ここではない星へ連れて行かれたこと。
そして・・・・そこで優馬と会ったこと。
あの蝶モドキのことも話したし、そいつと揉めて啓子が落っことされたことも話した。
ここ数日に起きたこと・・・・包み隠さず全て。
最初のうち、親父もお袋も信じてくれなかった。
お前も啓子ちゃんと同じように、頭か心がどうにかしてしまったんじゃないかと。
しかし俺は本当のことだと言い通した。
オカルト嫌いの俺がそんな嘘をつくはずがないと。
結果、その話を信じるかどうかは、いったん保留ということになった。
『お前の言い分はともかく、それを向こうの親に話すわけにはいかんな。余計に頭に血が上るぞ。』
親父の言う通り、啓子の両親には話すべきことじゃないと頷いた。
まず信じてもらえないだろうし、下手をすれば離婚させられる可能性もある。
『ウソも方便だ。それっぽい言い訳を考えた方がいいな。』
親父の提案により、俺たちが海で溺れていた理屈を考えることになった。
それから二時間後、警察がやって来て、事情を聴かれた。
俺たちが溺れたのは、事故なのか事件なのかを調べる為だ。
俺はこう説明した。
『妻と二人で釣りをしていました。大物が釣れると聞いて、南の波止場へ行ったんです。
最初のウチはよかったんですが、そのうち波が高くなってきて。
引き返そうと思った矢先に大きな波が来て・・・・・。』
そう説明すると、警察は苦い顔をした。
先ほどの嘘で使った波止場は、危険なので立ち入り禁止になっている場所だ。
釣り人にとっては穴場らしいが、高波のせいで今までに10人以上も亡くなっている。
にも関わらず、侵入者は後を絶たない。検挙された人もいると聞く。
言い訳としてはよろしくないものだが、あの神話じみた体験を誤魔化すには、これしかないと思った。
その日、警察はまた来ると言って引き揚げた。
妻のいる病室へ向かってから・・・。
案の定、また啓子の両親が怒鳴り込んできた。
『お前!あんな場所に啓子を連れて行ったのか!!』
病室へ駆けこんでくるなり、俺に殴りかかってきた。
『何しやがる!』と親父が応戦し、その日のうちにまた警察がやって来る羽目になってしまった。
それから二日後、啓子は別の病院へと移っていった。
何度も連絡を取ろうとしたが、向こうの親に阻まれた。
電話が繋がるなりガチャ切りだ。
挙句の果てには『お前を告訴する』と言われてしまった。
『啓子が自分からあんな場所へ行くはずがない。お前が無理矢理連れて行ったんだろう?
ただでさえ優馬のことで参ってるのに・・・・。お前は夫としても父親としても失格だ!このままでは済まさんからな!!』
啓子の父は警察へ訴えた。
アイツを逮捕してくれと。
警察は警察で、俺たちを捕まえようかどうしようか迷っていたらしい。
立ち入り禁止の波止場へ侵入したのだから、充分に事件として成立する。
しかし問題は、俺と啓子のどちらに責任があるのかということだった。
啓子は口も利けないほど酷い精神状態。
いくら向こうの親が訴えようが、本人から話を聞かない限りは決められないとのことだった。
後日、また警察がやって来た。今度は刑事も一緒に。
また話を聞かせてほしいと言われたので、俺はこう答えた。
『俺が誘いました。嫌がる妻を無理矢理連れて行ったんです。』
刑事は神妙な顔で頷き、幾つか質問を投げかけてきた。
『釣りというが釣り道具が見当たらない。どうして?』
『流されたんだと思います。』
『奥さんとの仲はどうだった?』
『良かったですよ。もちろん喧嘩をすることもありましたが、それはどこの夫婦も同じでしょう?』
『あそこは危険な場所だと知っていた?』
『はい。』
『それなら途中で引き返そうと思わなかった?』
『大物が釣れると聞いたので。』
『普段から釣りを?』
『たまに。』
『息子さんが行方不明だそうだけど、そのことで奥さんとの仲が悪くなっていたとかは?』
『ありません。私も妻も優馬が戻ってくることだけを考えていました。語弊のある言い方ですが、そのせいで以前より仲が良かったと思います。』
『ちなみに魚は何が釣れた?』
『残念ながら何も。下手くそなもので。』
『下手なのにあんな場所に?』
『危険な場所だと知っていましたが、どうしても大物が釣りたくて。』
『・・・・もう一度聞くけど、本当に奥さんとは仲が良い?』
『ええ。』
どうやら俺が妻を殺そうとしたんじゃないかと疑っているらしかった。
おそらく向こうの親がいらぬことを吹き込んだのだろう。
あの男はダメだとか、啓子を苦しめてるとか。
しかし質疑を終えた刑事の対応は、意外にもあっさりしたものだった。
『一応言っとくけど、これ事件になる可能性があるから。ただまあ・・・アレだな。
向こうのお父さんが言ってるように、アンタが奥さんをどうこうしようとしたなんて思ってないから。
アンタだって溺れてるわけだし。
息子さんが行方不明で、それを苦に心中しようとしたのかなって思ったけど、どうもなあ・・・そいう感じでもなさそうだし。
ただ立ち入り禁止の場所に入ってるから、それで捕まる可能性はあるからね。』
刑事は立ち上がり、『また連絡するから』と出て行った。
あれから数日が経ち、今日こうして逮捕は無いと聞かされたわけだ。
正直なところ複雑な気持ちだった。
どうして逮捕してくれないのだろう?
その方がよっぽど気が楽なのに。
妻を助けられず、優馬を取り戻すことも出来なかった。
あと9年すれば優馬は戻ってくるというが、あの蝶モドキは本当に約束を守ってくれるのか?
いや、それよりも恐ろしいのは、このまま妻と離婚して、子供が作れなくなることだ。
優馬が戻ってくるには新しい肉体が要る。
それは妻との間に出来た子供でなければダメだ。
もしそうでなければ、他人の子供として戻ってくる可能性もあるのだから。
しかし今の俺は妻と向き合う自信がなかった。
口も利けないほど塞ぎ込んでいるのに、いったい何を話せばいいのか。
・・・考えただけでも気が重く、いっそのこと刑務所へしょっぴいてほしかった。
それならば「塀の中にいたので何も出来ませんでした」と、少なくとも自分に言い訳できたのに。
きっと今の俺は自信のない顔をしているだろう。
病室の左側には洗面台があるが、鏡を見るのが嫌で、虚ろな視線を彷徨わせていた。
「世捨て人になるのは早いぞ。」
親父が言う。
「自信のない顔したって、目の前の現実は変わらん。これから啓子ちゃんとどうするのか、お前ら二人で決めるんだ。」
「向こうは話せない。決めるも何も・・・・、」
「親の反対を押し切ってまで一緒になったんだ。こういう時に意地を見せんでどうする。」
親父は「また来る」と立ち上がった。
「仕事か?」
「いいや、今日は休みだ。」
「親父は俺の話を信じてるか?別の星へ行ったってこと。」
「さあなあ。信じてやりたいが、あまりに現実離れしとるからなあ。正直なとこお前の頭を疑ってる。」
「それでいいよ。今となっては、あれは幻だったんじゃないかって思えてきた。
本当に啓子と二人で波止場に行って、高波に飲まれたんじゃないかって。
きっと死ぬ間際に都合の良い夢を見たんだ。」
「かもしれんな。」
親父はまったく俺の話を信じていない。
本当の事だと訴えたくても、訴える材料がなかった。
「とにかく今日は帰る。お前もあれこれ考えすぎずに身体を休めろ。退院したらやるべきことがあるんだからな。」
そう言い残し、ガニ股でスリッパを鳴らしながら、病室を出て行った。
来られると鬱陶しい親父ではあるが、やはり誰もいないと寂しい。
今、啓子はどうしているだろう?
優馬は何をしているだろう?
考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
親父の言う通り、今は身体を休めることにした。

            *****

入院から二十日後、肩にギブスを填めたまま自宅のマンションに戻った。
当然のことながら妻はいない。
まだ入院中だし、退院したとしても向こうの親がここへ帰って来ることを許さないだろう。
ガランとした家の中を見渡していると、親父が「おう」と手を挙げた。
「ようやく退院だな。」
「ああ。」
久しぶりの我が家だが、いつもと違って見えた。
長く家を空けていると、人の気配は完全に消え去ってしまう。
未開の洞窟にでも迷い込んだような、不気味な虚無感が漂っていた。
遅れてお袋が入って来て、「最近はタクシーも高いわ」と愚痴をこぼした。
「お父さんが車出してくれたらよかったのに。今日に限って午前中だけ仕事なんて。」
愚痴が父へと移る。
しばらくブチブチと言いながら、キッチンでお茶を淹れていた。
久しぶりの親子三人。
テーブルを囲んでお茶を飲む。
特に話すこともなく、誰も口を開かない。
沈黙に耐え兼ねたのか、親父が「リモコンは?」と尋ねた。
テレビを点け、冷蔵庫からビールを漁ってきて、昼前なのに一杯やり始めた。
「飲むか?」
「まだ酒はダメだって。」
「難儀だな。」
部屋にテレビの音だけが響く。
お袋は立ち上がり、キッチンをがさごそ漁って、料理を作り始めた。
「昼飯にはまだ早いんじゃないか?」
そう言うと、「あんたの晩御飯」と言った。
「啓子ちゃんいないし、あんたもその肩じゃ御飯できないでしょ?」
「ごめん、助かる。」
母はトントンと包丁を鳴らす。
父はビールを流し込み、ゲップを放つ。
生活音があるだけで、こうも虚無感が消えるのかと、妙に感動してしまった。
落ち着く光景、落ち着く音。
しかしずっとここにはいられない。
俺にはやらなければならない事があるのだから。
「ちょっと出て来る。」
お袋が「え?」と目を丸くした。
「ギブス填めてどこ行くの?」
「散歩。入院で身体が鈍ってたから。」
「退院したばっかりなんだから休んでればいいのに。」
「休むのも疲れるんだよ。動いていた方が楽だ。」
お袋の小言を背中で聞き流す。
外へ出る時、「車に気をつけてね」と言われた。
「車って・・・・何歳だと思ってんだ?」
母親にとって、子供はいつまで経っても子供らしい。
エレベーターに乗り、一階に降りるまで、啓子も将来はあんな風になってしまうんだろうかと思った。
優馬が戻って来たとして、いつか大人になっても、子供扱いのままなのだろうか。
・・・・俺はどうだろう?
父と息子では、どういう具合に変化が起きるのだろう?
自分が子供時代、親父はよく遊んでくれた。
キャッチボールをしてくれたり、釣りに連れて行ってくれたり。
だが俺が高校生になった頃から、その誘いを断るようになった。
友達や彼女といる方が楽しいし、家族と一緒に出かけるのが恥ずかしく思えた。
優馬もいつかそうなって、一人立ちしていくんだろうか?
エレベーターのドアが開き、出口へと歩き出す。
取り留めのない事を考えながら、ある場所へ向かって歩いていく。
徒歩だと時間が掛かるが、行けない距離ではない。
幸い肩の痛みは治まっていて、動いても苦にならない。
それよりも、久しぶりに身体を動かすことに喜びを感じていた。
晴れ空の下、ゆっくりと歩きながら、川原に差し掛かった。
細い道へと足を踏み入れると、遠くにあの大木が見えた。
・・・クリスマスの夜、あの木には蝶が咲いていた。
LEDのイルミネーションのようにチカチカと。
俺は足を進めていく。しかし・・・・途中でその足を止めた。
先客がいたのだ。
「啓子・・・・。」
妻が木を見上げている。
両脇には両親が付き添っていた。
じっと妻を眺めていると、何やら呟いているようだった。
俺は読唇術が使えるわけではないが、どうにか口の動きから言葉を探ってみた。
「・・・・・・・・。」
ふわふわと動く妻の唇。
どうやら優馬と呟いているようだ。
呪文のように繰り返し、そっと木に触れる。
するとその瞬間、空から異様な気配を感じた。
巨大な何かが降ってくるような、凄まじく圧迫感のあるものだった。
膝を屈め、思わず頭を抱える。
そして恐る恐る空を見上げると・・・・・、
「・・・・・。」
快晴の空が瞬く間にグレーに塗りつぶされていく。
所々で稲妻が走り、大地に眩い閃光を投げかけた。
しかしそれだけでは終わらなかった。
空の一部が渦巻いて、真っ白な竜巻のように変わった。
「あれは・・・・、」
喋ることも歩くことも出来ず、猛獣に睨まれたウサギのごとく、呼吸すら忘れそうだ。
「アンタ。」
声がして、はっと我に返る。
目の前に妻が立っていた。
「啓子・・・まだ入院中じゃ・・・、」
「言わなきゃいけない事がある。」
俺の言葉を遮り、重い声を響かせる。
人というのは不思議なもので、たった一言の声色からでも、相手の心情を察し、身構えてしまうことがある。
「離婚か?」
妻から言われるのが怖くて、こちらから尋ねてしまう。
しかし妻は首を振った。
「ごめんなさい・・・・私・・・・、」
「うん・・・・。」
「違う男の人の子供を身ごもってる。」
「え?」
「ごめんなさい・・・・。」
さっきより低い声で呟く。
空が輝き、稲光が走る。
雷鳴が風鈴の音色に感じるほど、妻の言葉に衝撃を受けていた。

蝶の咲く木 第六話 夫婦の諍い(2)

  • 2018.01.11 Thursday
  • 11:30

JUGEMテーマ:自作小説

子供だけが集まる神話のような世界。
巨木が連なり、雲海が大地を覆っている。
俺は眼下の子供たちを見下ろしながら、これからどうするべきかを考えていた。
妻とは再び険悪になり、離れた場所で背中を向け合って座っている。
今日はクリスマスで、二年ぶりの優馬との再会だ。
本当ならもっと楽しい時間を過ごすはずだった。
しかし意見の違いから喧嘩をする羽目になってしまった。
思えばこの二年間、俺たちの頭には優馬のことしかなかった。
だから夫婦喧嘩というものはほとんどなく、ある意味円満な関係だったかもしれない。
・・・・もちろん語弊があることは分かっている。
しかし優馬がいた頃、俺たちはちょくちょく今のように喧嘩をしていた。
もしも優馬が戻ってきたら、また俺たちは・・・・・。
考えてはいけないと思いながらも、小さな不安は消えてくれない。
腕時計を見ると午前0時半。
ここにいられるのはあと16時間半しかない。
出来れば優馬の傍に行きたいが、妻が怒るだろう。
これ以上子供に夫婦喧嘩を見せるのは悪い。
背中を向けたまま、あの蝶モドキが戻って来るのを待つしかなかった。
腕を組み、神話のような景色を眺める。
ここは地球とは別の星というが、いったいどんな星なのだろう?
太陽系には地球しか生命の住んでいる星はない。
ならば遠く離れた別の銀河の惑星だろうか?
もし地球へ戻ったら、二度と見ることの出来ないこの景色。
記念に写真でも撮っておくかと、ポケットからスマホを取り出した。
しかし・・・・、
「なんで切れてるんだ?」
家を出る前、バッテリーは残っていたはずだ。
なのにいくらボタンを押しても起動してくれなかった。
「壊れてるのか?」
何度もボタンを押していると、空の上がチカチカと輝いた。
「・・・戻って来た。」
光る蝶たちがヒラヒラと降りてくる。
群れの中にはあの蝶モドキがいて、少女に何かを話しかけた。
少女はコクコクと頷き、嬉しそうに微笑んだ。
しかし母親は残念そうに首を振り、父親は溜飲が下がったのか拳を緩めていた。
「復讐・・・・本当にやったのか。」
娘を殺した犯人に仕返しをしたい気持ちは分かる。
しかしこれでもうあの親子が再会することはない。
少女の魂は永遠にこの場所だ。
そして・・・・別れの時はすぐにやってきた。
光る蝶の群れが、彼女の両親を包み込んだのだ。
「なつ!」
母が叫んでいる。
父も「こんなの聞いてないぞ!」と怒鳴った。
「今日一日は一緒にいられるんだろう!」
そう喚くも、蝶の群れから逃れることは出来ない。
悲鳴と怒声を響かせながら、そのままどこかへ連れ去られてしまった。
眼下の少女を振り向くと、能面のような表情で手を振っていた。
「君はそれでいいのか?自分から復讐を選ぶなんて・・・・。」
せっかく会えた家族。
それを捨ててまで選んだ復讐。
優馬より少し大きいほどの子供なのに、いったいどれだけの憎悪を胸に抱えていたのか?
少女は両親が去った空に手を振り続ける。
そして・・・・復讐を選んだリスクはすぐにやってきた。
彼女はパっと光って、光る蝶に変わってしまう。
優雅な羽で宙を舞い、どこか別の木へと飛び去ってしまった。
「可哀想に・・・・。」
他人の子供であっても、胸が突かれるような思いだった。
最初ここへ来たときは、ある意味天国のような場所だと感じた。
子供と蝶だけが存在する、争いも犯罪もない世界だと。
出来ればここで優馬と暮らしてもいいと思ったほどだ。
しかし今はそんな気になれない。
はっきり言ってここは異常だ。
復讐、肉親との別れ、そして蝶へと変わってしまう子供たち。
今、一刻も早くここから出たかった。
俺は立ち上がり、背中を向けている妻の元へ歩く。
すると突然目の前が明るくなった。
瞳に懐中電灯を当てられたかのように、真っ白で何も見えなくなる。
『ただいま。』
「・・・・お前か。」
真っ白に輝く蝶モドキが、鼻先1センチくらいの所にいた。
ニコニコと笑っているその顔は、ある意味狂気に満ちている。
「あの子を殺した奴に復讐してきたのか?」
『ええ。』
「そのせいであの子は・・・・、」
少女が消えた空を振り返る。
いったいどこへ行ったのか知らないが、この星から出ることはないのだろう。
「・・・・可哀想に。一日くらい一緒にいさせてやればいいじゃないか。」
そう言って向き直ると、『だって蝶に変わっちゃうから』と笑った。
『復讐を選んだら人間じゃなくなる。ちゃんと説明した上であの家族が選んだことだから。』
「だからって今すぐにじゃなくてもいいだろう?せめてクリスマスが終わるまでは・・・・、」
そう言いかけた時、「どいて」と声がした。
振り返ると妻が立っていた。
「私が話すって言ったでしょ。」
「俺だって優馬の父親だ。まずは俺が・・・・、」
「何言ってんのよ。またどうでもいい話してたじゃない。」
「なにが?」
「他人の家族のこと話してたでしょ?どうして優馬のことを相談しないわけ?それじゃさっきと一緒じゃん。」
「これから話そうと思ってたよ。」
「どうだか・・・・。私が止めなきゃ延々とどうでもいいこと喋ってたでしょうに。」
もはや俺には期待すまいと、「いいからどいて」と割って入ってくる。
優馬の手を引き、「この子をこのまま返して」と言った。
「この姿で、この性格で、何もかもこのままで私たちの所に返して。」
『いいけど長生きしないわよ?』
「それをどうにかしてって言ってるの。」
『クローンで長生きさせろってこと?』
「方法はなんでもいい。とにかくこの子がこの子のまま帰って来てくれるならそれでいいから。」
『う〜ん・・・気持ちは分かるけど、それは難しいわ。
クローンは長生きしないって欠点があるし、長生きさせたいなら新しい命に生まれ変わらないといけないし。』
「でもあなた達はすごい力を持ってるじゃない。こうして私たちを遠い星まで連れて来てくれたんだから。」
『遠い星ねえ・・・・。』
蝶モドキの顔が不敵に歪む。
俺は「なあ?」と尋ねた。
「もしかしてこの星って、案外地球から近い場所にあるんじゃ・・・・、」
「アンタは黙ってて!」
金切り声が空を切り裂く。
「余計な話しないでって言ったでしょ?」
「じゃあ好きに話せよ。」
「なんでアンタが切れてんのよ?」
「悪かったな。話の腰を負って。」
「そういう態度がムカつくって言ってんの。下が雲海じゃなかったらマジで蹴り飛ばして・・・・、」
「お前こそ無駄な話してるぞ。」
「はあ?」
「喧嘩してる場合じゃないだろ?話すことがあるならさっさと話せよ。」
クイっと顎をしゃくると、妻の目がカっと見開いた。
「お前が邪魔してんだ!!」
手を振り上げ、ビンタをかましてくる。
さっき俺も叩いてしまったので、あえてよけずにおいた。
しかし二発、三発と続けて飛んでくるので、「いい加減にしろ!」とこっちも手を振り上げた。
しかし妻は動じない。
「やりたいならやれば」と強気だ。
「言っとくけど、次に叩いたら離婚だから。」
「はあ!?」
「私だって叩きたくて叩いてるんじゃない。アンタが余計なこと言うからこうなってるの。」
「お前なあ・・・・よくも自分のこと棚に上げられるな。」
「じゃあお互い様ね。」
「お互い様って・・・・どこが・・・・、」
「ね?スカした感じで言われると腹立つでしょ?」
「・・・あのな、俺が最初に叩いたのは、お前が優馬の手を引っ張ってたからだ。」
「だからアレは私が悪いって言ったじゃない。カッとなってごめんって謝ったでしょ。」
「もういい。なんでも好きなように話せよ。」
「じゃあ最初から黙ってて。」
また喧嘩が勃発してしまった。
言われたら言い返し、挑発されたら挑発し返す。
そんなことを続けていると、『黙れ』と蝶モドキが怒った。
俺も妻もピタっと固まる。
なぜならさっきまでとは明らかに声色が違っていたからだ。
女性っぽい声をしていたのに、今はエコーがかかった不気味な声だった。
『大声で怒鳴るからみんなが怖がってる。』
そう言って子供たちを指差す。
誰もが固まった表情で俺たちを見上げていた。
「悪い・・・・。」
ううんと咳払いをする。
妻も自分を落ち着かせるように深呼吸していた。
「ごめんなさい。」
小さく頭を下げ、子供たちにも申し訳なさそうな目を向けている。
『喧嘩したいなら家でどうぞ。いつでも地球へ帰してあげるから。』
そう釘を刺してから、妻に目を向けた。
『優馬君のことだけど、あたなの願い通りにするのは難しいわ。』
「・・・・本当にどうにもならないの?せっかく会えたのに・・・・、」
『また会えるわよ。』
「でも・・・・、」
『どっちかを選ぶしかないの。それが嫌だっていうなら、覚悟を見せてもらうしかないわね。』
「覚悟?」
『あなたの要求を飲むなら、クローンを利用するしかないわ。でも長生き出来ないって欠点がある。』
「それ・・・・私の覚悟次第でどうにかなるってこと?」
『ええ。』
「どんな!?どんな方法?私なんでもする!教えて!!」
そう言って「この子と一緒にいたいの」と抱きしめた。
「優馬と一緒に帰れるなら何でもする。お願いだから教えて。」
さっきまでの怒りが嘘のように、切実な声に変わる。
「なんでもするから。」
『ほんとに?』
「優馬が戻って来るならそれでいい。他に何もいらない。」
『分かった。なら復讐を手伝って。』
「復讐・・・?」
妻の顔が今までとは別の意味で強ばる。
眉間に寄ったシワが、小さな迷路のようになっていた。
『今日、あと三組ここへ大人が来るわ。』
「ここの子供たちの親ってこと?」
『ええ。もしその人たちが復讐を選んだ場合、あなたにも手伝ってもらう。
その代わり、優馬君をどうにか元のまま戻せないか考えてみるわ。』
うろたえる妻。
俺は「待て」と止めた。
「そんなのダメだ。復讐に手を貸すだなんて・・・・、」
「だからアンタは黙ってて!」
案の定妻が怒る。
俺は肩を竦め、どうぞと手を向けた。
「復讐を手伝えば、優馬を優馬のまま返してくれるのね?」
『どうにか出来ないか考えてみるわ。』
「考えるだけ?もし無理だったら?」
『その時は諦めて。』
「でもこっちは復讐を手伝うのよ?だったらそっちも約束を守ってよ。」
『だって初めてのことだもの。絶対になんて言えないわ。』
「じゃあ今から考えてよ。どうにか出来ないか。」
『どうしてアタナに命令されなきゃいけないの?』
「命令なんかしてないわ。ただお願いしてるだけ。」
『なら断るわ。こっちは善意でそう提案してるだけなんだから。』
「だけどそんなの不公平じゃない。こっちは復讐を手伝うのに、そっちは約束を破るかもしれないわけでしょ?」
『誰も約束なんかしてないわ。前向きに検討するって言ってるだけ。それが嫌ならけっこうよ。』
「前向きに検討って・・・政治家じゃないんだから、きちんと約束を・・・・、」
妻はどんどんヒートアップしていく。
語気も荒くなり、眉間に皺が寄り始めていた。
「アナタだってこうして子供を守ってるわけでしょ?だったら親の気持ちが分かるよね?」
『子供は好きだけど、大人は嫌いなの。』
「じゃあなんで私たちをここへ連れてきたのよ?」
『だってクリスマスだもの。子供へのプレゼントと思って。あなた達の為にやったわけじゃないわ。』
「子供の為だっていうなら、優馬をこのまま返してよ。その方が優馬だって喜ぶわ。」
そう言って「ねえ?」と振り返る。
「優馬だって今の姿のまま戻りたいよね?」
「僕は・・・このまま戻りたいけど・・・・・・・・、」
優馬は何かを言いかける。
しかし蝶モドキが『め』と口に指を当てた。
『余計なこと言う子は悪い子よ。』
「はい・・・・。」
怯える優馬。
そっと妻の後ろに隠れた。
「ちょっと。」
案の定、妻はカッと目を見開いて蝶モドキを睨んだ。
「なんで優馬を脅すのよ?」
『脅してなんかないわ。』
「さっき脅してたじゃない。」
『叱っただけよ。ここにはここのルールがあって、それを守らない子は悪い子なの。』
「優馬は私の子よ。なんであたなが優馬のルールを決めるのよ。」
『その子のルールじゃなくて、ここのルールよ。ちゃんと言葉が通じてるかしら?』
「はあ!?」
『さっきから話してれば、自分勝手なワガママばかり。こっちは善意で協力してあげようとしてるのに。』
「だから復讐は手伝うって言ってるじゃない!その代わり優馬をこのまま返して・・・・、」
『あなたは典型的な悪い大人ね。自分の身勝手は棚に上げて、相手に要求ばかりする。』
「どこが身勝手なのよ!自分の子供の心配して何が悪いわけ?」
『じゃあ捨てましょうか?』
「は?」
『何もその子たちを預かる義務はないのよ。』
「あなたが勝手にここへ連れて来たんでしょ?」
『違うわ。憶測で物を話さないでちょうだい。』
「じゃあ誰が連れてきたのよ?」
『自分からよ。』
「嘘!子供が自分だけでこんな場所へ来れるわけが・・・・、」
『だから憶測で物を言わないで。やっぱり言葉が通じてないのかしら?』
蝶モドキはクスクス笑う。
相手を挑発するような、馬鹿にした笑い方だった。
妻は「アンタねえ!」と詰め寄るが、「よせ」よ止めた。
「コイツにまで喧嘩売ってどうする?」
「アンタは引っ込んでて!」
「なんでそうやってすぐ喧嘩するんだよ!ちょっと落ち着け!」
「そいつが挑発するからよ!アンタみたいに!!」
「お前もしてるんだ!」
「どこがよ!?私は何も間違ったこと言ってない!」
「態度が問題だっつってんだ!」
「はああ!?」
「向こうはまだ何か喋ろうとしてる。それをカッカ怒ってたら喧嘩になるに決まってるだろ!とりあえず話を聞けよ!」
「うるさい黙れ!」
脛に蹴りが飛んでくる。
靴の先が当たって、「痛ったッ・・・」と飛び跳ねた。
「お前なあ・・・なんでいきなり蹴るんだよ!?」
「アンタが邪魔するから!」
「邪魔なんかしてないだろ!ただ落ち着けって言ってるんだ!」
「うるさい!もう一回蹴飛ばされた・・・・、」
そう言いかけ、足を出そうとした時、無数の蝶が妻に群がった。
「ちょッ・・・・・、」
『人の話は聞かないわ、駄々っ子みたいに喚くわ、挙句の果てには暴力。ほんとに大人の悪い部分を凝縮したような奴ね。』
「ちょっと!何すんのよ!!」
『下へ落っことすの。』
「は!?」
妻を包んだ蝶たちは、空高く昇っていく。
俺は「おい!」と止めた。
「殺す気か!すぐにやめさせろ!!」
『運がよければ死なないわ。』
「運が良ければって・・・・、」
『海へ落ちれば助かるかもしれないし、大地の上なら即死ね。』
「下は雲海じゃないか。海かどうか分からないぞ!」
『だから運が良ければって言ったでしょ。』
「ていうかやめさせろ!啓子を下ろせ!!」
蝶モドキに訴えるも、俺の手の届かない所へヒラヒラと飛んでいく。
「頼むから!せっかく家族三人揃ったのに・・・・、」
「お母さんを許してあげて!」
俺を遮って優馬が叫ぶ。
「僕が謝るから!ごめんなさい!」
涙ながらに訴えて、何度も「ごめんなさい」と叫ぶ。
すると蝶モドキは『そうねえ・・・・』と口に指を当てた。
『子供からお願いされちゃ、このまま落とすのは可哀想かも。』
「お母さん悪い大人じゃないよ!ちょっと怒りっぽいだけで、優しいんだから!」
『いいわ。だったら海の上に落としてあげる。お母さん泳げる?』
「分かんない・・・・。お父さん、お母さんって泳げた?」
「そういう問題じゃない!今すぐ啓子をここに・・・・、」
『じゃあお母さんの幸運を祈って。』
「よせ!」
蝶モドキが手を挙げて合図すると、蝶たちは妻から離れていった。
「嫌あああああああ!!」
悲鳴が響くが、蝶たちは助けない。
米粒ほど小さく見える上空から、妻は真っ逆さまに・・・・。
「お母さん!」
優馬が走り出す。
俺は「ここにいろ!」と肩を引っ張った。
「お父さんが行く。」
「ダメだよ!どこに落ちるか分かんない!」
「だからってほっとけるか!」
枝の先まで走り、思い切り飛び込もう・・・・とした。
しかしあまりの高さに足が竦む。
『無理しない方がいいんじゃない?』
「黙れ!」
近づいてくる蝶モドキを払い、すうっと深呼吸する。
啓子は遠くの空を落ちていき、「優馬ああああああ!」と叫んだ。
「生き返って!地球に戻って!」
「お母さん!」
「どんな形でもいいから生き返って!それでお父さんと一緒に地球に・・・・・、」
妻は俺たちより下へ落ちていく。
悲鳴さえも聞こえないほど下の方へ・・・・。
「啓子!」
まだ足は竦んでいるが、家族を見殺しにすることは出来ない。
妻は泳ぎが苦手なわけではないが、さすがにこの高さからでは・・・・・。
「優馬!」
後ろを振り返り、「お母さんと一緒に戻ってくるから!」と言った。
「ここにいろよ!絶対に戻ってくる!三人で地球に帰ろう!!」
「お父さん!」
優馬が駆け寄ってくる。
俺は背中を向け、枝の先から飛び降りた。
『あ。』
蝶モドキの声が聴こえる。
それと同時に、雲海へ向かって落ちていった。
《息がッ・・・・・、》
顔にぶつかる空気は突風のようで、呼吸がままならない。
全身が重力から解放されたような不思議な感覚は、雲海に突っ込むまで続いた。
《啓子!》
どうか生きていてくれと願いながら、雲海の中へと突き進む。
周りは真っ白な雲だらけで、かなり遠くから雷鳴が響いた。
青紫の閃光が走り、稲妻が龍のように駆け抜ける。
思っていたより雲海は分厚く、そろそろ呼吸も限界だ。
手足をばたつかせ、どうにか体勢を変えて、「ぶはあッ!」と息をした。
背中を向けて落ちれば、少なくとも呼吸はできる。
しかし下が見えないというのはとんでもない恐怖だった。
ある程度呼吸したら、また下を向かないと・・・・と思っていた時、ふと何かが目に入った。
《あれは・・・・。》
雲海の所々に、龍がうねるような物体が見えた。
それは遠くへ伸びていて、迷路のように繋がっている。
《根・・・・か。あの巨木の。》
雲海の上から少しだけ覗いていた巨大な根。
どうやらこの中に根を張っているようだ。
《いったいどうやって浮いてるんだ?ていうか土もないのにどうやって栄養を・・・・、》
そんな事を考えていると、突然ある物が目に飛び込んできた。
《あれは・・・竜巻か?》
下の方で、真っ白な何かが渦を巻いている。
《ヤバい!このままじゃ・・・・、》
焦っても遅く、白い竜巻の中に吸い込まれてしまった。
《うおおおおおおお!》
凄まじいスピード感が襲ってくる。
まるでオープンカーで高速道路を走っているかのような・・・・、
《これ・・・ここへ来た時の感覚と似てる。》
蝶の群れに連れ去られて、あの星へ行く時もこんな感覚だった。
そして・・・・、
《なんだ・・・・?いきなり景色が変わって・・・、》
真っ白だった風景が、吸い込まれるようなブルーに変わる。
《竜巻を抜けたのか?ていうかここって・・・・、》
目の前に広がっていた景色、それは快晴の空だった。
ポツポツと小さな雲が流れているが、ほとんど青一色だ。
《どういうことだ?雲海を落ちた先に空って・・・・。》
普通、雲海は地を這うように流れる。
空に浮かぶ雲とは違って、雲海の下には大地か海しかないはずだ。
《どうなってんだこの星?》
空に浮かぶ巨木の山脈。
雲海の下に広がる青空。
あの蝶モドキの言う通り、やはりここは別の星らしい。
どうやら地球の常識は通用しない。
ならばこの空の下に広がる景色も、地球とはまったく違うものなんだろう。
・・・そう思って下を向くと、《なんで?》と呟きそうになった。
眼下に広がるのは青い海、その遥か向こうには大地が広がっている。
ていうかビルが立ち並んでいる景色まで・・・。
そして何より、大きな城が見えた。それも日本風の城だ。
《なんで?》
あんな城が建っているということは、ここは日本か?
《何がどうなってんだ?》
混乱する頭を抱えている間にもどんどん落ちていく。
空を落ち始めてから数分後、頭と肩に凄まじい衝撃が走った。
《落ちたのか・・・・海に・・・・、》
薄暗い景色が広がって、上の方から微かに光が指している。
口からブクブクと泡が昇って、また息が苦しくなってきた。
《ダメだ・・・・溺れたら・・・・、》
手足をもがくも、水を吸い込んだ服が邪魔をする。
海面から射す光を睨みながら、深い深い闇の中へと沈んでいった。

蝶の咲く木 第五話 夫婦の諍い(1)

  • 2018.01.10 Wednesday
  • 13:34

JUGEMテーマ:自作小説

息子が妻の膝で眠っている。
腕にクリスマスプレゼントのゲーム機を抱きながら。
その横には半分に減ったクリスマスケーキがある。
大好きなカラモネロの顔が真っ二つになっていた。
息子がいるこの星へ来てから四時間、お祝い気分は優馬が眠るのと同時に終わった。
楽しかった空気はなりを潜め、俺も妻も神妙な顔で睨み合っていた。
「優馬のままがいい。」
妻が言う。
「でもそれだと長生き出来ない。」
俺が返す。
今、俺と妻はある相談事について、パックリと意見が分かれていた。
優馬はすでに亡くなっているが、9年後には俺たちの元へ戻って来ることが出来る。
新たな命に生まれ変わって。
魂は優馬だが、肉体は別人になる。
容姿も、性格も、何もかもが変わって、俺たちの子供として生まれてくるのだ。
しかしそれを避ける手段が一つだけあった。
優馬の肉体を新たに作れば、優馬は優馬のまま生き返ることが出来る。
しかしそれだと10年先までしか生きられない。
俺も妻も優馬に戻ってきてほしい。
その気持ちは同じだが、どのようにして戻ってきてもらうかについて、意見が分かれていた。
「絶対に今のままの優馬じゃなきゃ嫌。なんの為にここまで来たのか分からないじゃない。」
眠る息子を抱きしめ、「このままじゃなきゃ意味がない」と呟く。
「やっと優馬に会えたのに・・・・。どうしてまたお別れしなきゃいけないのよ。」
「俺だって一緒にいたいよ。でもクローンだと長生き出来ないんだ。
優馬はまだ小さい。こらからたくさん未来が待ってるのに・・・・19で死ぬなんてあんまりだろう。」
「そんなの分かってる。だから優馬のまま長生きできる方法を探してよ。」
「あの蝶モドキはその二つの方法しかないって言ってたんだよ。どっちかを選ぶしかないんだ。」
「本当にちゃんと確認したの?アンタのことだから、相手の言うことをただ『うんうん』って聞いてただけなんでしょ?」
「そりゃ色々疑問に思うことはあるよ。でも尋ねた所で仕方がないだろう?向こうがそういう風にしか出来ないって言ってるんだから。」
「だからあ・・・なんで素直に信じるのよ!こんな非常識なことがたくさん起こってるんだよ?
だったら優馬だってこのまま生き返ることが出来るかもしれないじゃない。」
「いやだから・・・・そのまま生き返ると10年先までしか・・・・、」
「それがどうにかならないかって言ってるの!もういっぺんあの蝶に聞いてきてよ!」
「どこ行ったか分からないんだよ。別の木に飛んで行っちゃったから。」
後ろを振り返ると、山より巨大な木々が山脈のように連なっている。
あのいずれかに蝶モドキはいるのだろうが、こっちから向こうへ行くことは無理だ。
腕時計は午後11時を指している。ここにいられるのはあと20時間。
こうして言い争っている間にも、刻一刻とここから出なければいけない時間が近づいているのだ。
「聞いてきて。」
「なに?」
「あの蝶にもういっぺん聞いてきてよ。優馬が優馬のまま戻って来る方法はないか。」
「だからアイツはどっか行って・・・・、」
「追いかけてよ!」
「無理に決まってるだろ!」
目の前には山をも凌ぐ巨木の群れ。
眼下は大地が見えないほどの雲海。
遠くへ飛び去っていったあの蝶モドキを追いかけるとなると、俺も空を飛ばないといけない。
「俺だって優馬が優馬のまま戻って来てほしいよ。でも今はどうしようもない。アイツが戻って来るまでここで待ってよう。」
「意気地なし。」
「はあ?」
「アンタ父親でしょ!なんで諦めるのよ!」
「あのな・・・こんな神話みたいな世界で、どうやってアイツを追いかけろってんだよ?
焦ってんのはお前だけじゃないんだ。ちょっとは落ち着けよ。」
「お前って・・・・誰に言ってんのよ?」
妻の顔が強ばる。
ちょっとした言葉遣いに怒るのは慣れっこだが、今は俺だって余裕のある状態じゃない。
普段のように気遣ってなどいられなかった。
「お前はお前だよ。いちいちそんな事でつっかかるな。」
「はあ!?喧嘩売ってんの?」
「そりゃお前だろ。自分だけが優馬を心配してると思ってるのか?」
「そんなこと思ってないわよ!自己中な女みたいに言わないでよ。」
「自分の悩みと感情が世界の中心と思ってる。」
「アンタ・・・・マジで喧嘩売ってるの?」
強ばった顔から血の気が引いている。
いつもならここで俺が引き下がるが、今日ばかりは引く気はない。
俺だって優馬が心配で、だからこそ新たな肉体で生まれ変わることを望んでいるのだ。
いくら元の姿のまま戻ってきても、10年の寿命ではあまりに短すぎる。
「あの蝶モドキはまた戻ってくるよ。」
「なんでそんな事言えんのよ?」
「ここは子供しかいられない世界なんだ。大人の俺たちをこのまま放ったらかしにはしないだろ。」
「もし戻って来なかったら?」
「そこまで言うなら自分で行って来い。」
「無理だからアンタに言ってんでしょ!これ以上怒らせないでよ!!」
傍にあったスプーンを投げてくる。
続いて紙コップ、ケーキの食べカスが残った皿。
払うのも面倒くさいので、そのまま好きにさせておいた。
「こんな場所じゃなかったら蹴飛ばしてるわ!」
そう言って眼下の雲海を睨んでいる。
「やりたいならやればいいだろ。目え覚めて俺がいなかったら、優馬が悲しむだけだ。」
「子供を盾にしないでよ!この卑怯者!!」
「黙れよいい加減!こっちだって焦ってんだ!!自分だけが辛いと思うな!!」
「はああ!?アンタ・・・マジでムカつく・・・・。」
血の気の引いた顔が震えている。
優馬を抱く腕に力が入っていたので、「落ち着けよ」と宥めた。
「優馬が痛がるぞ。」
「お前が怒らせるからだ!優馬の命がかかってるのに、なんでこんな時に喧嘩するわけ?」
「喧嘩売ってるのはお前だ。」
「だからお前って言うな!偉そうに・・・何様だよ!!」
「・・・・・・・・。」
「だいたい前から腹立つんだよお前!いつだって飄々と気取ってさ。喧嘩したって私が馬鹿みたいに見える!」
「・・・・・・・・。」
「優馬がいなくなった時だって、今みたいに飄々としか顔で澄ましてたよね。なんで自分の子供がいなくなったのに焦らないわけ?
そうやってカッコつけて、私のこと見下してんだろ!」
「違うよ。俺まで慌ててたら、余計にお前に負担を掛けると思ったから・・・・、」
「だから人のせいにすんなよ!都合悪くなったら私や優馬を盾にして・・・・自分だけが涼しい顔すんなよ!」
「いいよもう。どうにでも好きなように思えばいい。」
「だからそれが腹立つって言ってんのよ!言いたいことがあるなら言えばいいじゃない!
なんでいっつも私ばっかり怒らなきゃいけないのよ!!」
「そうだな、悪かった。」
「謝るなよ!私が悪者になるじゃん!」
「・・・・口を開いたら開いたで、今みたいにヒステリー起こすだろ?そうなったらまたノイローゼになる。
それが嫌だから黙ってるだけだ。」
「だからあ・・・・それ優馬がいなくなってからの話でしょ!お前は前からずっとそんなんじゃない!」
「もういいって。あの蝶モドキが戻って来るまで待ってよう。」
妻に近づき、優馬に手を伸ばす。
「ちょっと!」
「腕に力が入ってる。優馬が痛がる。」
「私の子よ!勝手に取らないでよ!!」
「俺の子でもある。」
「じゃあ早くのあの蝶を捜してきてよ!!優馬が優馬のまま戻れるように話してこい!!」
妻の声は、触れただけで切れそうなほど高くなっていく。
口からは次々に罵り言葉が出て来て、もはや自分でも何を言っているか分かっていないだろう。
俺は優馬を取り上げ、「よしよし」と背中を撫でた。
「ごめんな、怖かったな。」
優馬はとうに目覚めていた。
当然だろう、ここまで大声で喧嘩しているのだから。
「返せ!」
妻が飛びかかってくる。
俺は背中を向け、ビンタだか拳だか分からない波状攻撃に耐えた。
そのうちの一発が優馬の頬を掠める。
「おいッ・・・・、」
「いいから返せよ!」
優馬の腕を掴み、力任せに奪おうとする。
「私の子だ!お前んじゃない!!」
我を忘れたせいで、優馬が痛がっていることに気づかない。
俺は手を振り上げ、妻の頬に向かって振り抜いた。
乾いた音が響き、それと同時に妻の叫びが止まる。
「・・・・・・・・。」
頬を押さえ、石のように固まっている。
とっさの事で手が出てしまった・・・・。
「すまん」と呟いて手を伸ばすと、ビクっと身を竦めた。
「悪かった。優馬が痛がってたから。」
「・・・・・・・・・。」
「地球に戻ったら殴ってくれていいよ。でも今は我慢してくれ。優馬の為に。」
その場に立ち尽くす妻を残し、少し離れた場所に歩いていく。
ドカっと腰を下ろし、「大丈夫か?」と尋ねた。
「・・・・・・・。」
「ごめんな、せっかく二年ぶりに会ったのに。お父さんとお母さん喧嘩しちゃって。」
「・・・・・・・。」
「お父さんもお母さんも、いつもと違うことばかり起きて、ちょっと焦っちゃってさ。優馬が悪いんじゃないぞ。」
頭を撫でると、一瞬俯いてから妻の方を見ていた。
「お母さんあっち行っちゃった・・・・。」
振り向くと、枝の先の方へと歩いて行っている。
うずくまり、頭を抱えて、わしゃわしゃと掻きむしっていた。
「僕のせい?」
「違う。・・・・これはお父さんとお母さんの問題だから。優馬は考えなくていい。」
じっと妻を見ている優馬を、膝の上に座らせる。
するといつの間にかたくさんの蝶が戻ってきていた。
「あいつらどこ行ってたんだ?」
無数の蝶が子供たちの間を飛び回っている。
そしてその蝶たちに混じって、二人の大人が立っていた。
俺より少し上くらいの男女だ。
「あれって・・・・、」
前のめりになって二人の大人を睨む。
案の定、その二人はキョロキョロと辺りを見渡して、一人の子供に目を止めた。
黙々と本を読んでいるあの少女だ。
「なつ!」
女の方がそう叫んで、少女へ駆け寄る。
すると少女も立ち上がり、「お母さん!」と抱きついていた。
「他にも親が来たのか。」
俺たちの時と同じように、決して離れまいと抱きしめ合っている。
そこへ父親も加わって、空気を揺らすほどの声で泣いていた。
「・・・・・・・。」
胸が詰まる・・・・ここへ来たときの感情が蘇って、涙腺が緩んできた。
「よかった・・・・また会えてよかった・・・・。」
自分のことでもないのに、耐え難いほど目元が緩んでくる。
俺は振り返り、「啓子!」と呼んだ。
「他にも親が来た!俺たち以外にも!」
向こうも気づいているようで、頭を掻きむしる手が止まっていた。
しかし何度呼んでも振り向かない。
背中を向けたまま俯いているだけだった。
《そっとしといた方がいいか。》
視線を眼下の親子に戻す。
すると優馬が「なっちゃん!」と叫んだ。
「やったね!」
立ち上がり、手を振る。
少女はこちらを見上げ、小さく頷いた。
優馬は嬉しそうに「頑張った甲斐あったね!」と叫んだ。
「いっぱい復讐手伝ったもんね!頑張ってよかったね!」
少女はまた頷く。
それと同時になぜか首を振った。
口元に指を当て、シーっとジェスチャーまでしている。
それを見た優馬も、口元に手を当てて頷いた。
「おい優馬。」
肩を掴み、こっちを振り向かせる。
「今の・・・どういうことだ?」
「・・・・・・。」
「復讐を手伝うってなんだ?」
優馬は両手で口を塞ぎ、しまったという目をしている。
俺はもう一度「どういうことなんだ?」と尋ねた。
「復讐を手伝うってどういうことなんだ?もしかして復讐を手伝うと、親に会えるとかじゃな・・・・、」
そう言いかけた時、後ろから『ただいま』と声がした。
振り向くと、蝶モドキがヒラヒラと羽ばたいている。
クルクルっと宙を舞ってから、優馬の頭に下りた。
『優馬君。』
声が少し威圧的になっている。
顔は笑っているが、怒りを表すように羽がせわしなく動いていた。
『め。』
「・・・・ごめんなさい。」
塞いだ口から言葉が漏れる。
蝶モドキは『約束でしょ』と、優馬の目の前に羽ばたいた。
『余計なことは言わない。そう約束したでしょ?』
「はい・・・・。」
震える怯える優馬を見て、「おい」と割って入った。
「怖がってるじゃないか。」
『めってしただけよ。』
「さっきから何を言ってるんだよ?約束ってなんだ?」
『別に。』
「・・・・・まさかとは思うけど、子供に復讐を手伝わせてるんじゃないだろうな?」
優馬を抱き寄せ、蝶モドキから守る。
「さっき優馬が言ってたぞ。いっぱい復讐をしたって。頑張った甲斐があったって。
あの本を読んでた女の子、もしかして復讐を手伝わせて、その見返りに親と会わせたんじゃないだろうな?」
『まさか。子供にそんなことさせないわ。』
「じゃあ答えろ。復讐を手伝うってどういうことだ?」
『そんなに熱くならなくても。』
「なるに決まってるだろ!」
蝶モドキは何かを隠している。
それが俺の考えている通りのことだとしたら・・・・、
「まさか優馬にも手伝わせたんじゃないだろうな?」
『なんにもしてないわ。』
「本当に?」
『ええ。』
「優馬は俺たちの大事な息子だ。もし人を殺すようなことを手伝わせていたら許さな・・・・、」
そう言いかけた時、「殺してやる!」と野太い声が響いた。
「どこだ!?そいつぁどこにいる?」
少女の父親が激高している。
妻がなだめているが、それを振り払って娘の肩を掴んだ。
「絶対許さない!この手で殺してやる!!」
顔を真っ赤に染め、血管が破れて噴出するんじゃないかと思うほどの怒りようだ。
「教えろ!お前をさらったその男、どこにいる?」
顔が鬼のようになって、少女は怯えていた。
妻が引き離そうとするが、お構いなしに少女に詰め寄っている。
「あの子は確か・・・・、」
ぼそっと呟くと、蝶モドキが『変態に殺されたの』と答えた。
『妄想と現実の区別が付かなくなったロリコンにね。』
「あのお父さん、それを聞いて怒り狂ってんだな。」
『すごい声よね。耳がキンキンしちゃう。』
「親なら当然だ。大事な子供をそんな目に遭わされて黙ってられるか。」
『でもあなた達は復讐を選ばなかった。』
「優馬の為だ。復讐しても優馬が戻って来るなら、迷わずそうしてる。」
俺だって優馬を殺した犯人を許したわけじゃない。
あの少女の父親のように、出来るならこの手で復讐を果たしたかった。
蝶モドキはクスっと笑い、『ささ、仕事しなきゃ』と少女の元へ飛んでいく。
話しかけられた両親はギョッとしていたが、見る見るうちに表情が変わっていった。
「復讐してくれ!そいつを殺してくれ!!」
父が叫ぶ。
蝶モドキは指を立て、ボソボソと何かを喋っていた。
おそらく復讐を選んだ際のリスクを説明しているのだろう。
憎き犯人は死ぬが、娘は永遠にこの場所にとどまる。
人ではなく蝶として・・・・。
しばらく話し合いが続いた後、蝶モドキはコクリと頷いた。
《どうなった・・・?》
息を飲んで見守っていると、蝶モドキは空へと舞い上がっていった。
それに続いて、大勢の蝶も空へ昇っていく。
どの蝶もモールス信号のように点滅し始め、せわしなく光を放つ。
そして・・・・、
「消えた・・・・。」
手品のようにパッといなくなる。
父親は硬く拳を握り、母親は呆然と立ち尽くす。
そして当の少女は、能面のように無機質な顔で空を見ていた。
母が肩を抱き、「なんで・・・」と尋ねる。
「なんでそんな・・・・戻って来れなくなるのに・・・・、」
ギュッと娘を抱きしめて、か細い嗚咽を響かせていた。
《復讐を選んだのか・・・・。》
犯人を憎む気持ちは分かる。
殺してやりたい気持ちも分かる。
しかしその代償はあまりに大きい。
我が子との永遠の別れを選ぶことになるのだから。
複雑な気持ちで眺めていると、優馬が「なっちゃん怒ってたから」と言った。
「怒る?」
「自分を酷い目に遭わせた人に。」
「・・・・なら自分から復讐を選んだってのか?」
「だって嫌なこといっぱいされて、助けてって言っても助けてくれなかったから。僕と同じ。だからやり返したいんだって。」
「気持ちは分かるけど、それを止めるのが親ってもんだ。だってあの子・・・・蝶に変わって永遠にこの場所にいることになるんだぞ。」
「なっちゃんこの場所が好きって言ってたもん。ずっと本を読んでられるからって。」
「本は地球でも読める。でもここにいたらもう誰にも会えなくなるんだぞ?優馬だってお父さんやお母さんに会えなくなったら嫌だろ?」
優馬は困ったように眉を寄せる。
他人の家族の判断を息子に問うたところで意味はない。
それは分かっているのだが、あの両親の選択に納得がいかなかった。
「大事なのは子供が戻って来ることだろ。なんで復讐の方を選んで・・・・、」
「人の子供なんかどうでもいい。」
妻が横に並んでくる。
少女を見下ろしながら、「他人の子心配してどうすんのよ」と言った。
俺はその横顔を見上げ、すぐに目を逸らした。
「・・・・さっきは叩いて悪かった。」
「私もごめん、カッとなって。」
そう言って膝をつき、「ごめんね」と優馬に触れた。
「引っ張ってごめんね。痛かったよね。」
優馬は黙ったまま首を振る。
妻は腕を撫でながら、隣に腰を下ろした。
「あの蝶、さっき戻って来てたよね?」
「ああ。」
「ちゃんと優馬のこと聞いた?そのまま戻れるかって。」
「いいや、別のこと聞いてた。」
「なに別のことって。」
「復讐。」
「復讐?」
また顔が強張る。
俺はさっきの蝶モドキとのやり取りを話した。
てっきり食いつくだろうと思っていたのに、「アンタは・・・」と呆れられた。
「そんなどうでもいい話なんかしてたわけ?」
「どうでもいいってことはないだろ。下手したら優馬も復讐をさせられて・・・・、」
「だからあ〜・・・・そんなのどうでもいいのよ!」
荒い口調だが、声のトーンは抑えている。
優馬が怯えないように。
「大事なのは優馬がちゃんと戻れるかどうかだけ。何度言ったら分かるの?」
「いや、でもな・・・・、」
「ここで何が起きたかなんて、地球へ戻れば関係ないでしょ?」
「・・・・・ああ。でももし復讐に利用されたんなら、この子も人を殺し・・・・、」
「優馬がそんなことするわけない!」
大声で怒鳴って、俺の腕から優馬を奪う。
「なんで自分の子供を信じてあげないの?この子がそんな酷いことするわけないでしょ。」
「分かってる、優馬はそんな事する子じゃない。でもあの蝶モドキが無理矢理やらせた可能性が・・・・、」
「だったら蝶モドキのせいじゃない。」
「・・・・そうだな。」
「アンタ本当に優馬のこと心配してる?」
そう言われて、「やめろよ」と止めた。
「また喧嘩になる。」
「さっきさ、偉そうに私のこと言ってたよね。自分の感情と悩みが世界の中心だとか。」
「言い過ぎた、あの時は俺もカッとなって・・・・、」
「なんでも自分中心なのはアンタの方でしょ?」
「だからそういう言い方はまた喧嘩に・・・・、」
「自分の子供なのに信じてあげない。仮にもし復讐してたとしても、それは無理矢理やらされただけ。
この子はなんにも悪くない。そうでしょ?」
「ああ・・・・。」
「じゃあ何をそんなに気にしてるのよ?もしこの子が復讐を手伝ってたとしたら、それでどうなるわけ?地球へ戻ったら関係ないよね?」
「関係なくは・・・・。」
「じゃあどう関係あるのか言ってよ。」
「もういいよ。優馬は悪くない。それでいい。」
「じゃあ何を気にしてるのよ?」
「もういいよ、俺が悪かった。」
「自分で言わないなら言ってあげる。アンタが気にしてるのは自分のことよ。
この子が復讐に手を貸してたら、自分が汚れたような気になるから。
もし地球へ帰ってからバレたりしたら、自分のイメージが崩れるし。」
「そんなこと思ってないよ。」
「いつだってクールな俺カッコいいと思ってるもんね。だからいつだって飄々とカッコつけてるし。」
「元々こういう性格だ。結婚してからじゃない。」
「だから元々自己中ってことでしょ?言っとくけどね、もし優馬が復讐に手を貸してたとしても、私はそんなの気にしない。
地球へ帰ってからバレたとしても、絶対にこの子を守ってみせる。」
妻は立ち上がり、優馬の手を引いていく。
「おい!」
「アンタに預けてたらどうなるか分からない。せっかく蝶モドキと話せるチャンスだったのに、どうでもいいこと聞くし。」
「次はちゃんと・・・・、」
「次に出てきたら教えて。私が話すから。」
さっきまで怯えていたのが嘘のように、妻の足取りは力強い。
優馬は一瞬だけ振り返り、何かを言いたそうに俺を見つめた。
しかし妻に手を引かれ、そのまま枝の反対側へと行ってしまった。
「・・・・なんだよ、なんでも俺が悪いのか?」
妻の言う通り、蝶モドキに優馬のことを話すチャンスを見逃してしまった。
しかしあの状況だと気になってしまうではないか。
復讐だなんだと聞かされて、冷静でいられるわけがない。
「そう言い返したところで、また自己中とかなんとか言われるんだろうな。」
妻に背中を向け、先ほどの少女を見下ろす。
「可哀想に、もう二度と親の所に戻れないなんて。」
父親は相変わらず拳を握り、怒りに震えている。
母親は娘の傍で放心している。
そして当の本人はまだ空を眺めていた。
《なんで復讐なんか・・・・。》
怒りと憎しみに先走っては、失う物の方が多いのではないだろうか?
子供はその事が分からない。
だから親が止めるべきなのに・・・・。
じっとその光景を見ていると、ふと少女が振り返った。
その目を見た時、一瞬だが俺はうろたえてしまった。
《笑ってる・・・・。》
能面のような表情は変わらない。
しかし目の中に喜びが浮かんでいるように感じた。
鋭い矢で射抜かれたように、俺は動くことが出来なかった。
その時、少女が初めて表情を変えた。
実にスッキリした顔で、ニコリと微笑んだのだ。

蝶の咲く木 第四話 子供の世界(2)

  • 2018.01.09 Tuesday
  • 10:58

JUGEMテーマ:自作小説

非常識な出来事というのは、一つだけだと頭が混乱する。
しかし幾つも重なると、意外と動じなくなるから不思議なものだ。
理解を越えた現象の連続は、理解しようとする努力を放棄してしまう。
気にはなっても、謎を追い求める気にはなれない。
二年前にいなくなった息子と再会できた。それだけで充分だ。
今日はクリスマス。
妻はケーキを、俺はプレゼントを持ってきた。
出来れば家で祝いたかったが、この際場所はどこでもいい。
月だろうが火星だろうが、家族揃って迎えるクリスマスは、この二年間夢見た光景なのだ。
妻は丁寧にローソクを挿し、ライターで火を点けていく。
その数は11本。
息子が行方不明だった二年を含めた年齢だ。
「誕生日も祝ってあげられなかったからね。このケーキは兼用ってことで。」
妻お手製のポケモンが描かれたケーキは、優馬の笑顔を誘った。
「僕がいない間ポケモン増えた?」
「増えた増えた。いっぱい増えたよ。」
「どんなのが増えたの?」
優馬は目をキラキラさせている。
妻は笑顔を返し、そのまま俺を振り返った。
「増えたよね?」
「増えただろうな。」
「お父さん教えてあげて。」
とんだ所からキラーパスが飛んでくる。
俺のポケモンの知識は二年前で止まったままだ。
「ええっと・・・色々いるぞ。」
「どんなの?」
「どんなのだったっけなあ・・・・でも増えた増えた。」
「ええ〜!お父さん知らないんじゃん。お母さん教えて。」
再び質問をふられ、妻もうろたえていた。
「さ、ロウソク消そうか。」
ケーキを向け、「ふ〜ってして」と促す。
強引な方法で話を打ち切るが、優馬は「うん」と嬉しそうだ。
一生懸命息を吹きかけ、ロウソクの火が消えていく。
優馬の年は11歳。
しかし見た目は9歳のままだ。
《これはやっぱり・・・そういう事なんだろうな。》
グっと胸が重くなる。
成長が止まったままというのは、やはり優馬はもう・・・・、
「切って。」
待ちきれない様子でケーキを見つめる優馬。
妻は「いいよ」と調理用のナイフで切り分けていった。
ずっと見ていたい光景だが、俺は一歩あとずさった。
後ろを振り返り、眼下を睨む。
「ここにいる子供って・・・まさか全員・・・・、」
そこまで言いかけて言葉を飲み込む。
俺たちが立っているのは大木の上の方。
さっきまでいた場所よりも上の枝だ。
家族水いらすで過ごしたいだろうと、蝶モドキの群れがここまで運んでくれたのだ。
案外気の利く奴らだ。
「ほら、お父さんも。」
「おお。」
切り分けられたケーキを受け取り、三人で向かい合う。
「頂きます!」
優馬は口に入る分だけ頬張った。
フォークからはみ出るほど抉りとって、リスも真っ青になるほど頬を膨らませている。
「おいしい?」
妻が緊張した顔で尋ねる。
久々のケーキ作りで、少々不安のようだった。
優馬はコクコクと頷き、次なる獲物を口へ詰め込んだ。
「よかった」と笑う妻。
俺もひと口頬張って、「うまい」と言った。
「全然腕落ちてないよ。」
そう言って褒めるが、妻は優馬に掛かりっきりだ。
俺の言葉など耳に入っちゃいない。
全ての五感が優馬に向けられていて、「もう一個いる?」と切り分けていた。
《優馬が生まれた時と同じだな。》
思わず苦笑いしてしまう。
赤ん坊が生まれると、妻の愛は全てそちらへ注がれる。
あの頃と同じように俺は蚊帳の外だ。
寂しくないといえば嘘になるが、でもこれでいい。
優馬が嬉しそうにしているならそれでいい。
二口目を頬張りながら、景色に目を向ける。
相変わらず神話のような光景で、いつまでも見ていられるほど壮大だ。
山をも超える巨大な木、それが山脈のように連なり、下は雲海になっている。
所々に覗く根は、雲から顔を出す龍のよう。
そして広がる枝には大勢の子供がいる。
走ったりチャンバラごっこをしたり、本を読んだりゲームをしたり。
誰もが楽しそうに過ごしているが、子供だけしかいない世界というのは、なんとも違和感があった。
光る蝶はいつの間にか消えていて、一匹だけ枝の先に止まっている。
そいつを眺めていると、ヒラヒラと舞いながら俺の頭にとまった。
『楽しい?』
「ああ。こうしてまた優馬と過ごせるんだからな。アンタにお礼を言わないと。」
手を向けると指先に飛んできた。
向かい合った蝶モドキに「ありがとう」と頭を下げる。
「ここへ連れて来てくれてありがとう。なんと礼を言っていいか。」
『知りたい?』
「え?」
『色々不思議そうな顔してる。』
「・・・・・・・・。」
『なんでも聞いてくれていいよ。』
「そうだな・・・・じゃあ一番気になってることを。」
後ろを振り返り、聞きたいけど聞きたくないことを尋ねた。
「優馬はその・・・・今はもう・・・・、」
『そうね。残念だけどお父さんの思ってる通りよ。』
「何も言ってないが・・・・、」
『そんな顔してるから。』
「じゃあここにいる子供たちもみんな・・・・、」
『優馬君と同じ。』
「そうか・・・・可哀想に・・・。」
子供たちを見るのが辛くなる。
すでに生きていない子供たちのはしゃぎ声は、釘で胸を打たれるような苦しさがあった。
「なあ?復讐をやめるなら、優馬は俺たちの所へ戻って来られるって言ったな?」
『ええ。』
「でもその・・・もうこの世にいないんだよな?」
『いるじゃない、目の前に。』
「でも生きていないんだろ?そう言ったじゃないか。」
『ええ。』
「ならどうやって戻って来るんだ?まさか幽霊のままってわけじゃないよな?」
『形を変えて。』
「形を・・・・?」
『新しい肉体を得てってこと。』
「生まれ変わるってことか?」
『似たようなものね。』
「でもそれだけど俺たちの所へ戻ってこない可能性があるんじゃないか?だって新しい命として生を受けるってことなんだろ?
他人の子供として生まれてしまうんじゃ・・・・、」
『奥さんともう一度子供を作って。そうすればそれが優馬君の新しい肉体になる。』
「なるほど・・・・。でもさ、それってもう別の人間ってことだよな?見た目も中身も変わって・・・・、」
『まったく同じにはならない。でも優馬君の魂は受け継ぐわ。』
「魂か・・・・本当にあるんだな。」
『分かりやすく言えばってことね。本当は違うけど。』
「違うって・・・・魂がないのに生まれ変わりが出来るのか?」
『ええ。』
「・・・・・・・・。」
『ただし地球へ戻るまでにちょっと時間がかかるけど。』
「時間・・・・どれくらい?」
『その子が生きてきた時間。優馬君なら9年ってことね。』
「なら・・・・9年後に妻との間に子供を作れば、優馬の魂が戻ってくるってことか?」
『ええ。もしも妊娠が難しかったら、来年のクリスマスにまた川原の大木まで来てくれればいいわ。』
「じゃあ優馬は戻ってくるんだな。俺たちの子供として生まれ変わって。」
『ええ。』
「そうか・・・・それが聞けてよかった。」
ホッとしていると、『割り切りがいいのね』と言われた。
『怒ったり泣いたりする親もいるのよ。そのままの姿で返してくれって。』
「もちろんそうしてほしいよ。でも亡くなってる以上は無理なんだろう?」
『同じ形では難しいわ。クローンでいいなら可能だけど、長生きしないの。せいぜい10年で死んじゃう。それでいいなら・・・・、』
「いや、生まれ変わるのを待つよ。」
『奥さんと相談しなくていいの?』
「・・・・・そうだな。俺だけで決められない。」
妻はまだ優馬と楽しそうにしている。
プレゼントの包装紙を剥いで、吟味した末に選んだゲーム機を見せている。
優馬は声を上げてはしゃいでいた。
「答えは今すぐじゃなくていいか?」
『ええ。クリスマスが終わるまでならここにいられるから。』
「ならあとちょっとじゃないか。ここへ運ばれた時はもう夜だったから。」
『地球基準の時間じゃなくて、ここの時間で一日だからもっとあるわ。あと22時間ってところかしら?』
「22時間・・・・。」
腕時計を確認すると、午後9時。
明日の午後7時まではここにいられるらしい。
妻と優馬の笑顔を邪魔したくないので、相談するのはもう少し後にしよう。
『他には?』
蝶モドキは首を傾げる。
俺は「もう一つだけ」と答えた。
「その・・・もし復讐を選んでいたら、優馬は地球へ帰れなかったんだよな?」
『ええ。』
「その時は幽霊のままずっとここで過ごすってことなんだよな?」
『幽霊じゃないわ。蝶に生まれ変わるの。』
「蝶に?」
『正確には私と似たような生き物になるの。』
「え?てことはまさか・・・・、」
『そうよ、ここにいる光る蝶たちは、元々は人間の子供だった。』
「そんな・・・・、」
『そこらじゅうに飛んでる蝶は、親が復讐を選んだ子供たちってわけ。』
「もう人間には戻れないのか?」
『無理よ。』
「なら俺たちをここへ運んだあの蝶たちも・・・・、」
『かつて人は間の子供だった。』
「そうか・・・・。」
また釘で刺されたような気持ちになってくる。
子供に混じって羽ばたく蝶は、いったい何を思っているのだろう。
親が復讐を選んだことを恨んでいるのか?
それとも仇討ちに喜んでいるのか?
複雑な気持ちで見つめていると、『みんな不幸よ』と言われた。
「不幸?」
『ここに来る子供たちは不幸の中で死んでいったの。』
「子供が亡くなる時点で不幸だ。まだまだ未来があったのに・・・・、」
『そういう意味じゃなくて、虐待で殺されたり、変態に殺されたり、そういった子が集まる所なの。』
「誰かに殺された子がここへ来るのか?」
『ええ。』
「自然にここへ?」
『ええ。』
「アンタが連れて来るんじゃなくて?」
『・・・・・・・・。』
「なんで黙るんだ?」
『答えられない質問もあるの。』
「その答え方だと、アンタが連れて来てるって疑ってしま・・・・、」
『どっちにせよ、ここには不幸な死に方をした子が集まる。そしてクリスマスの日だけ親に会えるわけ。
普段は子供しか入れないんだけど、今日は特別ね。』
そう言い残し、俺の手から飛び立っていく。
高い空に昇り、遠くにそびえる別の巨木へと消えていった。
「何者なんだアイツ・・・・。」
アイツも不幸の中で死んだ子供の魂なのか?
それにしては妙に大人っぽい印象を受けたが・・・・。
ここは地球とは別の星らしいが、ということは・・・宇宙人?
疑問は尽きない。
しかし答えを知ったところで、何かが変わるわけでもないだろう。
9年後、優馬は新たな命として俺たちの元に戻ってくる。
でもそれは別人としてだ。
クローンでの生まれ変わりを選べばそのまま帰って来るが、生きていられるのは10年先まで。
どちらを選ぶか?
俺の中で答えは決まっている。
だが優馬は俺と妻の子だ。
なんの相談もなしに決められることではない。
優馬は妻の膝の上で、プレゼントにはしゃいでいる。
妻はそんな我が子を幸せそうに見つめていた。
《ここは子供だけの世界・・・か。もし大人も住めるなら、ずっとここでも構わないのにな。》
ここはある意味天国かもしれない。
子供と蝶だけがいる世界。
争いも犯罪もなく、平和に暮らせるだろう。
笑い合う妻と息子の顔を、このままずっと見ていたかった。

蝶の咲く木 第三話 子供の世界(1)

  • 2018.01.08 Monday
  • 11:12

JUGEMテーマ:自作小説

樹木。
太い幹を持ち、そこから無数の手のように枝をしならせる。
その枝の先には様々な装飾が施されている。
青い葉、紅葉、銀杏、桜のように花を咲かせるものもあれば、柿のように果実を実らせるものもある。
種類によって装飾は様々だが、どれも自分の身から生まれた一部だ。
人間でいえば髪や爪のようなものだろう。
いかな樹木であれ、自分の体内から生まれてこないものを咲かせることはない。
しかし今、普通の木では決して咲かせないであろうものを咲かせている木があった。
川原の傍のあの大木。
千手観音のように枝を伸ばし、交通の邪魔になりながらも苦情が出ない、畏敬の念さえ感じるほどの荘厳な木だ。
夜、妻と二人でまたあの大木へ向かった。
雪はほとんど溶けていて、泥のごとく路肩に群がっている。
交差点を曲がり、川原沿いの細い道を走っていると、遠くにあの大木が見えた。
今は冬なので、葉は全て落ちている。
その代わりに、蛍光色に光る蝶をたくさん咲かせていた。
俺も妻も息を飲む。
木の枝から光る蝶が咲くなんて、どこを探したって無い光景だ。
自然とアクセルを踏む力が弱まって、スピードが落ちていく。
あそこには優馬がいるはずで、早く向かわなければいけないのに、その気持ちを阻むほどの神秘に恐怖さえ覚えてしまった。
ゆっくりゆっくりと近づいて行く。
妻はクラウチングスタートのように前のめりになり、すでに優馬の姿を捜している。
俺は朝に来た時と同じように、屋敷近くの空き地に車を停めた。
二人して車から降りる。
妻はケーキの箱を抱え、俺はプレゼントの入った袋を提げた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
間近で見上げる大木は、まさに蝶の咲く木だった。
アゲハ?モンシロチョウ?
形も大きさも様々な羽が、輝きながら揺らいでいる。
目の焦点を合わせずに見ると、透過光に透ける桜が、風になびいているような景色だった。
俺は呆気に取られ、ただ息を飲むことしか出来ない。
しかし妻は違った。
この神秘的な光景を前にしても、ここへ来た目的を忘れていなかった。
「優馬!」
木の傍へ駆け寄り、「お母さんだよ!」と叫ぶ。
「約束通り来たよ!出て来て!」
袋を掲げ、「ケーキ作ったんだよ!」と振った。
「優馬の大好きなポケモン描いたの!カラモネロもサトシもピカチュウもディグダも描いたよ!
家に帰って一緒に食べよう!だから出て来て!」
耳が痛いほどの大声で叫ぶと、枝に咲く蝶たちが激しく羽ばたいた。
そしてその中の一匹が、ふわりと枝から離れた。
ふわふわと宙を踊り、回遊する魚のように妻の元へ降りていく。
妻は手を向ける。
蝶はその上にとまり、モールス信号のように点滅した。
すると枝に咲く蝶たちも、それに釣られるように点滅を始めた。
大木のあちこちがチカチカと輝き、LEDのイルミネーションのようだ。
「優馬・・・・。」
妻は顔を近づける。
蝶たちは点滅をやめて、一斉に妻に群がった。
「あ・・・・、」
短い悲鳴が聴こえる。
蝶の大群に阻まれ、姿が見えなくなってしまった。
「おい!」
慌てて助けに入ると、俺にも群がってきた。
「ちょ・・・・離れろ!」
いくら神秘的な蝶とはいえ、全身に群がってくるのはさすがに気持ち悪い。
俺たちが会いたいのは優馬であって、虫の大群ではないのだ。
必死に手を振り払ったが、蝶は俊敏にそれをかわす。
俺も妻も蝶の渦に飲み込まれ、一つの巨大な発光体へと変わっていった。
・・・・呼吸が止まる・・・・身動きが取れない・・・・。
いや、それよりもだ!
足元から地面が離れていく。
大地が消えていってるのか?
それとも俺が浮いているのか?
どちらか分からないが、異常事態であることは間違いない。
《死ぬ!》
蝶の群れは俺たちを殺そうとしている。
動きを封じ、呼吸を止め、ここではないどこかへ連れて行こうとしている。
行き着く先は・・・おそらくあの世だろう。
地獄か天国かは分からないが、そう悪い生き方をしてきたつもりはないので、出来れば天国にしてほしいなんて考えた。
輝く蝶に包まれたまま、俺も妻もどこかへ運ばれていく。
そして一瞬・・・ジェットコースターにでも乗っているような、凄まじいスピードを感じた。
《死んだか?》
きっとこの世とあの世の境目を越えたのだろう。
こうなってはいくら足掻いても無駄だ。
もうなるようになれと、目を閉じて脱力した。
「・・・・・・・・。」
ここは天国に違いない。
目を閉じながら、どうか地獄ではありませんようにと願う。
《優馬・・・・こういう意味だったんだな。あの大木へ来いというのは。
お前が現世へ戻って来るんじゃなくて、俺たちがあの世へ招待されたわけだ。
でもさ、それならそうと一言いってくれよ。お前に会えるならこっちへ来るのも悪くないけど、心の準備ってもんが・・・・、》
「ちょっと!」
バチバチと頬を叩かれる。
耳をつんざく声は妻のもの。
閉じていた目を恐る恐る開けると、目の前に顔があった。
「・・・・・天国か?」
「え?」
「ここ地獄じゃないよな?」
「・・・閻魔様がいないから違うんじゃない。」
素っ気ない目つきで答える。
「それよりさ・・・ここすごい所だよ・・・・。私たち変な所に来ちゃったみたい。」
「じゃあやっぱり天国じゃないのか?それだと優馬に会えないじゃないか。」
がっかりして俯くと、「いるよ優馬は!」と肩を揺さぶられた。
「だってこんなに子供がいるんだもん!」
「子供?」
「自分で見て!」
俺の顔を挟んで、強引に横を向かせる。
その先には天国とも地獄とも言えない、奇妙な世界が広がっていた。
「・・・・・なんだこりゃ?」
子供がいっぱいいた。
見渡す限り、そこらじゅうで遊んだり本を読んだりしている。
中にはゲームをしている子や、飯を食っている子もいた。
しかし驚いたのはその事ではない。
大勢の子供たちに混じって、光る蝶の群れが飛び交っているのだ。
「あれは・・・・俺たちをここへ運んだ奴らか?」
子供の数に負けないほどの蝶たちが、踊るように羽ばたいている。
そのうちの一匹が群れを抜け、妻の方へ飛んできた。
「優馬!?」
妻は手を伸ばす。
蝶は指先に止まり、可愛らしい触覚をヒクヒク動かした。
じっと見入る妻。
俺は「優馬か?」と尋ねた。
「・・・・・・・・。」
「優馬なのか?」
「・・・・・・・・。」
「おい・・・・どうなんだ?」
妻は答えない。
その変わり今朝と同じように、打ち上げられた魚のような目をしていた。
俺に手を向け、目の前に蝶を持ってくる。
「・・・・優馬か?」
俺も顔を近づける。
そして妻と同じように目を見開いた。
「・・・・・人?」
蝶は蝶ではなかった。
羽は間違いなく蝶なのだが、身体が違う。
虫には詳しくないが、絶対にこんな形はしていないはずだ。
「・・・・・人かこれ?」
大きな羽に挟まれて、小指より二回りほど小さな人間らしき生き物がいた。
じっと目を凝らし、「人・・・・じゃない?」と呟いた。
人に似ている気もするが、よくよく見れば違った。
例えるなら・・・・そう、映画「アビス」に登場する宇宙人に近い。
人らしき姿をしているが、目は人より大きく、胴体は華奢だ。
代わりに手足がやたらと長く、指も長かった。
指先は吸盤のように丸くなっていて、指紋に似た渦巻き模様がある。
その渦巻き模様をじっと見ていると、グニャグニャと景色が歪んで、まっすぐ立っていられなくなった。
足がもつれ、尻もつをつく。
周りにいた子供たちが一斉に笑った。
「こけた〜!」
「ダッセ〜!」
キャッキャと甲高い声があちこちから響く。
俺の頭はこの状況を理解することが出来ず、しばらく尻もちをついたままだった。
「大丈夫?」
妻が膝をつく。
大丈夫と答えたかったが、「大丈夫じゃない・・・」と漏れてしまった。
「どうなってんだ・・・・。なんだその生き物は?」
「蝶じゃないよね。」
「人間・・・・でもないな。」
「わたし虫に詳しくないから分からないんだけど、これって珍しい種類なの?」
「なわけあるか。」
「だよね。」
なぜか落ち着いている妻。
そう肝が座っている方ではないのに、どうして俺のように慌てないのか?
・・・・・その理由は簡単だった。
「優馬は?」
急に厳しい表情に変わる。
眉間に皺が寄り、刃のような鋭い目で蝶らしき生き物を睨んだ。
「アンタたちがここへ連れて来たんでしょ?じゃあここに優馬がいるんでしょ?早く会わせて。」
こんな異常事態になっても、妻の頭の中には優馬のことしかない。
今朝、『優馬に会えればそれでいい』と言っていたことを思い出した。
《そうだよ・・・優馬に会いに来たんだ。パニクってる場合じゃない。》
立ち上がり、大勢の子供たちを見渡す。
《堀越さんは言ってたな。夜にあの大木へ来れば、子供の世界への道が開けるって。じゃあここがそうなのか?ここに優馬がいるのか?》
息を吸い込み、「優馬!」と叫ぶ。
「お父さんとお母さんが来たぞ!いるなら出て来てくれ!」
妻と一緒に呼んでいると、先ほどの蝶モドキがどこかへ飛んで行った。
《呼んで来てくれるのか?》
じっと眺めていると、誰かにズボンを引っ張られた。
「なんだ?」
振り返ると、三歳くらいの男の子がニコっと笑っていた。
手にはオモチャの刀を持っていて、鞘を抜いて俺に向けた。
「・・・・チャンバラごっこしろってか?」
グイっと鞘を押し付けられ、右手に握る。
「ごめんな、おじさん今忙しいんだ。僕と遊んでる暇は・・・・、」
そう言って頭を撫でようとした時、ふと子供の後ろの光景が目に入った。
「なんだこりゃ・・・・?」
今まで子供と蝶に気を取られていたせいで、周りの景色が見えていなかった。
「おい!」
妻の腕を引き、「あれ・・・」と指を向ける。
俺の指した先を見た妻は、再び魚の目に戻った。
「・・・・木?」
「らしい。」
いま俺たちが立っている場所は、巨大な木の枝だった。
遥か向こうには別の枝があり、その下にはとてつもなく巨大な幹がそびえている。
大きいなどという物ではない。
高層ビル・・・・いや、山さえも遥かに超えるほどの巨木の上に、俺たちは立っていたのだ。
その向こうにはまた別の木があって、山脈のように連なっている。
その下は雲海のような雲に覆われ、これまた巨大な根の一部が覗いていた。
《神話かここは・・・?》
どこかの国の神話に、世界を支える大きな木が出て来るはずだ。
ここに立っている巨木は、まさに神話の世界そのもののように思えた。
妻と二人、その光景に圧倒されていると、後ろから誰かが走って来る音が近づいてきた。
振り返ると、俺たちの息子がこちらへ駆けていた。
「優馬あ!!」
妻は電気で弾かれたように駆け出す。
ケーキを持っていることなどお構いなしに、激しく上下するほどダッシュする。
そして・・・・、
「あああああ!優馬あああああ!」
手を広げ、走って来る優馬を受け止めた。
「優馬!優馬ああああああ!!」
頭と背中にしっかりと腕を回し、もう決して話すまいと抱きしめている。
それに応えるように、優馬もしっかりと腕を回していた。
「お母さん!」
「優馬あああ!会いたかったあああ!」
強い磁石のように、二人は抱き合って離れない。
気がつけば俺も駆け出していて、抱き合う二人を抱きしめた。
「優馬!」
「お父さん!」
手を伸ばし、ギュっと肩にしがみついてくる。
二つの手で俺たちを握り締め、「ううううあああああ!」と悲鳴のような泣き声を上げた。
「優馬!よかった・・・・会えた!また会えたああああ・・・よかったあああ・・・・、」
妻は両手で優馬の顔を撫でる。
髪の毛がむちゃくちゃになるほど撫で回し、また強く抱きしめた。
「帰って来てくれた!よかった・・・・。」
二年ぶりに家族が揃った。
俺と妻と息子と、本来あるべき形に戻った。
ここがどこであるとか、あの蝶が何者だとか、神話のような巨木だとか、そんなのはどうでもいい。
行方不明になっていた我が子が目の前にいる。
俺たちの宝物が帰ってきた。
それだけでもう充分だった。
ここがあの世だとしても、そんなものは関係ない。
優馬が幽霊なら、俺たちも幽霊になればいいだけの話だ。
それでずっと一緒にいられるなら、死など怖くない。
全てを捨てたって惜しくないものがここにあるのだから。
「ずっと一緒だよ、もうどこにも行かないで。」
妻の目には優馬しか映っていない。
まるで自分の一部のように、その手から離そうとしなかった。
「あのね、僕ね、ケイちゃん家に行く途中にね、変な人に話しかけられてね、それで車に乗せられた。
家に帰りたかったけど、目隠しとかされて、なんか手も縛られてた。」
早言葉のような口調で語りだす優馬。
妻の顔が一瞬で強ばる。
優馬を抱く腕がわずかに震えていた。
「それでね、目隠しを取られて、そうしたら知らない人の家にいた。
部屋に閉じ込められてて、ご飯の時だけおばちゃんが入ってきた。
それで夜になると男の人が帰ってきて、僕に気持ち悪いことばっかりした。」
強ばった妻の目が潤む。
怒り、悔しさ、悲しみ、色んな色が混じった目をしていた。
おそらく俺も同じ目をしているだろう。
優馬が喋る度に、拳が固くなっていく。
「それで一緒にお風呂に入らされて、裸のまま部屋に連れて行かれて・・・・、」
「もういい!」
考えるより先に言葉が出ていた。
優馬を抱きしめて、「もう言わなくていい」と止めた。
「もういい・・・もう大丈夫だから。お父さんとお母さんがいるから。もう怖くない。」
優馬はボロボロと泣き出して、「家に帰りたかった」と訴えた。
「男の人がいない時に、怖くない時に帰りたいって叫んだ。そうしたらおばちゃんが入ってきて、我慢してって言われた。
あの子が満足したら家に帰してあげるから、警察には行かないでって。でも僕は怖いから、早く帰りたいから嫌だって泣いて・・・・、」
「いいから!もう言わなくていい!!」
自分が聴きたくないという気持ちよりも、優馬の口からそんな話が出てくることに耐えられなかった。
この二年、必死に考えまいとしていた最悪の事態。
思考からも避けていた悪夢が、この子の口から語られるなんて・・・・、
「ごめんね。」
妻は言う。
「怖かったね・・・助けてあげられなくてごめんね・・・・。」
強ばった顔のまま、溜まった涙が落ちていく。
優馬はまだ喋ろうとしていたが、そこへ先ほどの蝶モドキが飛んできた。
『復讐する?』
「え?」
『優馬君を酷い目に合わせた奴、復讐する?』
「・・・・・・・・。」
まず喋ったことに驚く。やはり人間なのか・・・?
その次に、いきなり何を言い出すのかと、妻と目を見合わせた。
『この前ここに来た人はするって言ったよ。だからホテルごと燃やしてやったけど。』
「え?いや・・・・ホテルを燃やすって・・・・、」
『ええっと・・・ほら、あそこの女の子いるでしょ?赤いスカートの。』
「・・・・いるけど・・・、」
遠い所で本を読んでいる少女がいる。
誰とも話さず、本の世界に没頭しているようだ。
『あの子もね、優馬君と同じような目に遭ったの。それでこの前ご両親がここに来て、復讐することを選んだわけ。』
「・・・・・・・・。」
『犯人はエリートサラリーマンでね。周りの評判はいいんだけど、ロリコンなのを隠してたの。
あの女の子はそいつにさらわれて、酷い目に遭わされたわ。
ご両親は復讐を望んだから、そいつの泊まってるビジネスホテルを燃やしてやったわけ。』
「・・・・・それ、いつ頃のこと?」
『んん〜・・・・二週間くらい前。』
・・・また妻と目を見合わせた。
「あの・・・・それってもしかして、○○県○○市のビジネスホテルじゃ・・・・、」
『うん。』
「四階から火が出て、最上階まで燃えちゃったやつ?」
『そう。殺すのは犯人だけでいいから、ちゃんと他の人は守ったよ。』
「・・・・・・。」
『でも火が強すぎて延焼しちゃって、ちょっと焦った。もちろんそのビルの人たちもちゃんと守ったから、死んだのは犯人だけ。
けど火傷した人が出ちゃったから、そこは反省しないと。』
事務的なほど淡々と語るのが怖かった。
蝶モドキは神妙な顔になり、手足を直立に揃えた。
『ごめんなさい。』
なぜか俺たちに頭を下げる。
しかしすぐに顔を上げて、ニコリと笑った。
妻が手を挙げ、恐る恐る尋ねる。
「もしかしてだけど・・・・私たちに謝ったのって、下手したら私も火事に巻き込まれてたから?」
『そう。だってあのホテルに泊まる予定だったんでしょ?』
「もしかして・・・優馬がそれを助けてくれたってこと?泊まったら危ないぞって、夫に胸騒ぎを起こして。」
『そういうこと。大事な両親が無関係な火事で亡くなるなんてあっちゃいけないからね。私が助けておいでって行かせたの。』
そう言ってから、『優馬君良い子ね』と頭を撫でた。
妻は無表情のままそれを眺める。
蝶モドキは『あなたも優しいお母さん』と、妻の頭を撫でた。
『というわけで、あなたたちにも確認したいの。優馬君を酷い目に遭わせた犯人、まだのうのうと生きてるわ。
そして母親は犯人である息子を匿ってる。どう?まとめて復讐する?』
先ほどと同じ事務的な口調。
俺は恐怖を覚えたが、妻は「お願い」と答えた。
「殺して、そいつら。」
目が獰猛な獣に変わっている。
そこにはさっきまでの優しい母親の顔はない。
殺気だけを宿した、羅刹のような形相だった。
優馬が怯えると、自分の顔が見えないように抱き寄せていた。
「なんなら私が殺してもいい。そいつの所まで送ってくれるなら。」
『ダメダメ。あなたが殺したら優馬君が可哀想。母親が殺人犯だなんて。』
「じゃあ代わりにやってくれる?出来るだけ苦しめてから・・・・、」
『それもダメ。細かい注文は受け付けないわ。やるかやらないか。その返事だけして。』
「やって!今すぐ殺してきて!!」
悲鳴に近い声で叫ぶ。
見慣れたはずの妻の顔が、別人のように歪んでいた。
殺気が伝わっているのか、抱きしめらている優馬が怯えていた。
「ごめん」とあやしているが、目の殺気はそのままだ。
すると蝶モドキは『いいよ』と頷いた。
『だけど復讐を選ぶなら、優馬君はずっとここだからね。』
「え?」
『もう向こうに戻ることはないわ。』
「それって・・・天国にいるままってこと?」
妻の顔が強ばる。
蝶モドキは『違う違う』と笑った。
『ここはあの世じゃないわ。地球とは別の星。』
「星・・・・?」
『復讐を捨てるなら、いつか優馬君は地球へ戻れる。でも復讐を選ぶならずっとこの星。』
「そんなッ・・・・、」
『人を殺すにはそれなりの代償がいるから。』
「でも優馬は酷い目に遭って・・・・・、」
『やるかやらないか?返事だけして。』
妻の殺気に負けないほど、蝶モドキの笑顔は狂気に満ちていた。
直視するのも怖いほどに・・・・。
うろたえる妻。
俺を見上げ、「アンタは?」と尋ねた。
「アンタはどうしたい?どうしたらいいと思う?」
「どうって・・・・、」
立て続けに起こった異常な出来事。
まだ思考がついて行かないが、答えは決まっている。
復讐を取るか?
優馬を取るか?
・・・・考えるまでもない。
「優馬に帰って来てほしい。」
「じゃあ私と一緒だ。」
「犯人を殺しても帰って来ないんじゃ、こんな所へ来た意味なんてないよ。」
「優馬が全てって言ってたクセに、そうじゃなくなるところだった・・・・。ごめんね。」
殺気を引っ込めて、おでこにキスをしている。
俺は蝶モドキに向き直り、「復讐はしない」と答えた。
「俺たちは優馬が戻って来るならそれでいい。他には何もいらない。」
そう答えると、『分かった』と頷いた。
『今日はクリスマス。特別な日を楽しんで。』
パタパタと羽ばたき、蝶の群れに混じっていく。
ここはいったいどこなのか?
あいつは何者なのか?
聞きたいことは山ほどあるが、知らなくてもいいことのような気もした。
膝をつき、二人の肩を抱く。
ここに一番大事な家族がいる。
またみんなで家に帰れるならそれで充分だ。
妻は匂いを嗅ぐように、優馬の顔に頬ずりをしている。
「もうずっと一緒だよ。怖い思いはさせない。お母さんがいるからね。」
互いに回した腕はどんな錠よりも固い。
《これでいい・・・。》
妻と息子を見つめながら、復讐を選ばずによかったと頷いた。

蝶の咲く木 第二話 行方不明(2)

  • 2018.01.07 Sunday
  • 11:42

JUGEMテーマ:自作小説

クリスマスイヴの夜、ちらほらと雪が降った。
マンションの五階の窓からは、雪に重なって街の明かりが見える。
なんと幻想的な景色だろうと、瞬きが減るほど眺めていた。
キッチンを振り返ると、妻が忙しく動いている。
クリスマスケーキを作っているのだ。
ここ最近料理などしていなかったので、なかなか苦戦しているようだ。
手伝おうかと言ったら、「あっち行ってて」と追い払われてしまった。
まあ仕方ないだろう。
あのケーキは俺の為ではない。
二年前にいなくなった、最愛の息子の為に作っているのだから。
その顔は真剣そのもので、プロの職人のような気迫がある。
眉間に皺が寄り、獰猛なハンターのようにさえ見えた。
「すごい顔になってるぞ。」
「いま話しかけないで。」
ケーキはほぼ完成しているのに、いったい何をそんなに真剣になっているのか?
傍へ行って謎が解けた。
「おお!上手いもんだな。」
完成したケーキの上に、ポケモンのデコレーションを施していたのだ。
中央には息子が好きだったカラモネロというキャラクター。
その周りには主人公のサトシ、ピカチュウ、他にも名前の分からないキャラクターが幾つも描かれていた。
妻にここまで絵心があるとは知らず、素直に感心してしまった。
「こんな上手い絵が描けたんだな。」
「この二週間練習したからね。」
そう言って得意気に胸を張った。
「たった二週間でここまで描けるもんなのか?」
「優馬の為だもん。」
隈のできた目を笑わせながら、仕上げに取り掛かっている。
最近ずっと部屋に籠っていたのはこの為らしい。
・・・・妻を駅まで送っていったあの日、行方不明になっていた息子と出会った。
その事実をどう話そうかと悩んでいたら、なんと妻も同じ体験をしていたのだ。
タクシーに乗って帰って来る途中、ふと道端に優馬を見つけたそうだ。
慌てて車を停めさせて、『優馬!』と駆け寄った。
その手で抱きしめようとしたが、結果は俺の時と同じ。
まるで幽霊のようにすり抜けてしまった。
『蝶の咲く木まで来て。』
俺に言ったのと同じことを言い残し、蝶に姿を変えて飛び去っていったらしい。
家に帰って来た妻は興奮極まってそのことを話した。
そして俺も同じ体験をしたことを伝えると、『幻じゃなかったんだ・・・・』と口元を覆った。
『ほんとに優馬だったんだ・・・・帰って来てくれたんだ!!』
喜ぶ俺たちだったが、その日の夜に背筋が凍る出来事が起きた。
点けっぱなしにしていたテレビから、こんなニュースが流れたのだ。
『今日午後2時半頃、○○県○○市のビジネスホテルで火事がありました。
強い風の影響で、最上階の八階まで燃え上がるほどの激しい炎となりました。
火は午後5時頃には消し止められましたが、隣の建物に延焼し、まだ煙がくすぶっているとのことです。』
その後に火事の映像が流れ、妻が短く悲鳴を上げた。
『あれ・・・・私が予約してたホテル・・・・。』
まん丸に目を見開き、ニュースに見入っていた。
『この火事により、宿泊客の一人が死亡、五名が軽い火傷を負ったとのことです。
火は四階の右端の部屋から出火したと見られています。
警察は宿泊客の失火が原因ではないかと見て捜査を進めています。
次のニュースです。今年開かれるオリンピックで、誘致先との不正を疑われている・・・・、』
火事のニュースが終わり、次のニュースが流れた後も、妻は目を見開いていた。
『火が出た部屋・・・・私の泊まる階だった・・・・。』
俺たちは目を見合わせまま、しばらく動けなかった。
あのまま妻が仕事に行っていれば、今頃はどうなっていたか?
想像したくもないが、想像せずにはいられず、気が付けば手を握っていた。
『優馬のおかげだ・・・・。』
妻がぼそりと呟いた。
『きっと優馬が助けてくれたんだよ!あのホテルに泊まったら危ないぞって伝えに来てくれたんだよ!』
恐怖に怯えていた顔が笑顔になる。
握った手を揺らしながら、『ありがとう・・・』と涙ぐんでいた。
・・・・あの日から二週間、俺も妻も落ち着かない時間を過ごした。
妻は一心不乱に絵の上達に励み、俺は友人の元へ行って、しばらく妻を休ませてやってくれと伝えた。
一日、一日とクリスマスが近づくにつれて、気持ちが高ぶって眠れない夜が続いた。
また優馬に会える。
それだけで幸せな気分だった。
明日、俺たちはまた優馬に会う。
聞きたいことはたくさんあるが、最初にやるべきことは決まっていた。
プレゼントとケーキを渡すこと。
そしてこの家へ連れて帰ることだ。
天国へなど行かせるものか。
俺と妻がいるこの家が、優馬の居場所なのだ。
幽霊だろうがチョウチョだろうが構わない。
どんな姿になっていたとしても、俺たちの息子であることに変わりはないのだから。
明日は優馬に会える。
イヴの日、興奮して眠れなかった。
枕元には二年前にあげるはずだったプレゼントがある。
その隣には去年と今年の分のプレゼント。
妻と相談し、色々と悩んだ結果、最新型のwiiとポケモンのソフトを二つ買った。
きっと喜んでくれるに違いない。
俺はそう思っているのだが、妻は「PSも買っとけばよかったかなあ」と落ち着かない。
「まだ電気屋さん開いてるかな?」
「もう閉まってるよ。」
「でもせっかく帰って来るんだから、欲しいもの全部用意しといてあげたいじゃない。」
「これからずっと家にいるんだ。いくらでも買ってやれるよ。」
そう、この二年の間、優馬にしてやれなかったことをうんとしてやるのだ。
オモチャだけじゃない。
旅行や釣りやサッカー、優馬が望む限り遊びに付き合ってやろう。
大きな大きな喜びは、夜が明けるまで尽きることはなかった。
しかしそれと同時に、暗い影も頭に浮かんでいた。
優馬はもう生きてはいない。
生きた人間がこの腕をすり抜けることなどないのだから。
ではどうして優馬は死んだのか?
事故か?それとも変質者にでもさらわれて・・・・、
考えないようにしてきたことが、希望と共に首をもたげてくる。
それは妻も同じようで、喜びの中に不安の色が混じっていた。

            *

朝陽が顔を出す頃、妻と共に家を出た。
昨日降り出した雪は今朝まで続き、おかげでホワイトクリスマスとなった。
あたり一面白銀の世界。
スタッドレスといえども、油断していれば事故を起こしてしまうだろう。
丁寧にハンドルを捌きながら、優馬の待つ川原の木へと向かった。
助手席では妻が固まっている。
膝に力作のケーキを抱え、足元には三つのプレゼント。
ギロっと見開いたその目は、酸素を求めて口をパクパクさせる魚のよう。
妻のこんな顔を見るのは久しぶりだった。
あれはまだ結婚する前のこと、デートの最中、すぐ近くに雷が落ちた時以来だ。
二年ぶりの息子との再会は、それと同じくらいの緊張をもたらした。
「大丈夫か?」
「・・・・・・・。」
返事はなく、矢のような視線で前を睨んでいる。
今、妻に返事をもらえるのは優馬だけだろう。
雪が輝く交差点を曲がり、川原沿いの細い道へと入っていく。
この道を200メートルほど走れば、優馬の言っていた川原の木へとたどり着くはずだ。
何せそこにしか大きな木は立っていないのだから。
『蝶が咲く木』
優馬はそう言っていた。
これはいったいどういう意味だろうかと、何度も妻と話し合った。
しかし結論は出ないままだ。
あの大木は随分と昔から生えていて、この街の名士が大事にしているものだ。
木の向かいにはその名士の家があり、江戸時代から続くらしい土壁と瓦の風情は、家というより屋敷だ。
道なりにまっすぐ車を走らせていくと、その屋敷の屋根が見えてきた。
道を挟んだ向かいには大きな木がそびえている。
正直なところ、あの木は交通の邪魔になっている。
ただでさえ細い道なのに、道路へはみ出るほどの大きさなので、車がすれ違うことが出来ない。
しかも木を守る為にと、根の周りはレンガで守ってある。
ここを通る者はみな、あの大木に気を遣わないといけないのだ。
それでも一切の苦情が出ないのは、あの大木には見る者を圧倒する荘厳さがあるからだろう。
だんだんと近づいて来る大木。
妻は前かがみになって、さらに目を見開いた。
「・・・・いるか?」
「・・・・・・・・。」
屋敷の傍の空き地に停めて、ゆっくりと車を降りる。
妻は呼吸をするのも忘れた顔で、一歩ずつ大木へ近づいていった。
「・・・・・・・・。」
木は大人が腕を回しても届かないほど太い幹をしている。
その上には無数の枝があって、さらにその先にも枝が分かれている。
冬なので葉は落としているが、夏や秋には空が見えないほど茂るだろう。
四方八方に伸びたその枝は、無数の手を持つ千手観音のよう。
川に、道路に、そして屋敷の屋根へと伸びている。
俺も傍へ行き、息子の姿を捜した。
「優馬!」
大声で叫ぶが、優馬は出て来ない。
妻は木の周りを歩いて、ノミ一匹見逃さない目つきで捜していた。
「・・・・・・いない。」
ボソっと呟く。
手にしたケーキを掲げ、「優馬!」と叫んだ。
「お母さんだよ!ケーキとプレゼント持って来たよ!」
俺も袋に入ったプレゼントを掲げる。
しかし出て来ない。
ここへ来いと言ったはずなのに、気配すら感じなかった。
「優馬!出てきて!お母さんだよ!約束通り来たよ!」
大きな声ではあるが、柔らかい口調だ。
「一緒に帰ろう!家に帰って、お母さんとお父さんと一緒にケーキを食べようよ!」
何度も優馬の名を叫ぶ。
しかしまったく現れないので、だんだんと焦りが出てきた。
「優馬!どこお!」
叫びは悲鳴に近くなっていく。
すると屋敷の中から人が出てきた。
頭の薄い白髪の爺さんだ。
確か・・・・名前は堀越さん。
地元の祭りの時に、一度だけ喋ったことがある。
「あの・・・・、」
遠慮がちに口を開いて、「どうかしましたか?」と目を向けてくる。
妻は相変わらず優馬の名を呼んでいる。
俺は笑顔を向け、小さく頭を下げた。
「すいません、ちょっとここで人と会う約束が。」
「子供さん?」
「え?」
「だから人と会う約束。子供さん?」
「そうですが・・・・、」
どうして分かったのかと不思議に思う。
「すいません、ご迷惑をお掛けして。でもどうしても会わないといけないんです。色々と事情が・・・・、」
「おたく・・・たしか和久井さん?」
「そうです。」
「息子さんがいなくなったあの・・・・。」
「ええ。」
「じゃあそういうことか。」
堀越さんは大木を見上げ、「可哀想になあ」と呟いた。
「可哀想?」
「今日の夜、ちゃんと戻って来るよ。」
「夜・・・・?」
「今はまだ時間じゃないから。」
「・・・・どういうことです?」
「夜に来れば分かる。クリスマスになるとね、子供だけが行く世界への道が開けるから。またおいで。」
そう言い残し、屋敷へと戻ってしまった。
「あの、すいません!」
追いかける前に門が閉じられる。
《あの爺さん・・・・いったい何なんだ?》
意味ありげな言葉を残されて、はいそうですかと納得するわけにはいかない。
「すいません!」と門を叩いていると、「帰ろう」と声がした。
振り返ると妻がいて、まっすぐに門を睨んでいた。
「夜に来ればいいんでしょ?」
「聞いてたのか?」
「また来ようよ。」
そう言って車に引き返して行く。
俺は屋敷と妻を交互に見つめ、渋々車へ引き返した。
ドアを開け、運転席に乗り込む。
妻は「夜・・・」と繰り返していた。
「あのお爺さん、夜になったら来るって言ってたよね?」
「ああ・・・・。でも意味が分からない。なんかこっちの事情を知ってそうな感じだったぞ。
優馬がここに出て来るってことを。」
「どうでもいい。」
「え?」
「あのお爺さんがどうとか、そんなのどうでもいい。私は優馬に会えたらそれでいいから。」
「いや、でもな・・・・なんか怪しくないか、あの人。いきなり出て来てさ、こっちの事情を見透かすようなことを・・・・、」
「優馬に会いたい。」
「・・・・・・。」
「優馬が戻ってきて、また一緒に暮らせたらそれでいい。」
妻の表情は硬く、眉間に皺が寄っている。
頭も心も優馬一色に染まりきって、他の一切は目に入っていないようだった。
もちろん俺だって優馬に会いたい。
会いたいが、どうしてもあの爺さんが気になった。
《・・・・・いいか。夜に優馬がやって来るなら、他のことはどうでも。》
妻の言う通り、俺たちにとって大切なのは優馬だけだ。
あの爺さんはきっと何かしらの事情を知っているんだろうが、夜に来いというのなら、そうするだけだ。
ハンドルを切り、雪の積もった道を引き返す。
ルームミラーに映る大木は、荘厳さこそあれ、特別な代物とは思えない。
どうしてあそこに優馬が現れるのか?
目には見えない不思議な力が宿っていて、天国から優馬を呼び寄せてくれるのか?
堀越さんは言っていた。
『クリスマスになるとね、子供だけが行く世界への道が開けるから。』
・・・まったく分からない。
オカルトなんて馬鹿らしいと思うし、今後も信じる気はない。
しかしこの前会った優馬は、幽霊のようにこの腕をすり抜けてしまった。
あれはいったいなんだったのか?
考えども答えは出ず、陽を受けて輝く雪さえ鬱陶しく思えてきた。
《夜、あそこに行けば分かるのか?優馬がどうなったのか?あの木はなんなのか?》
優馬に会いたい。
もちろんその気持ちが一番だが、それと同じほどに疑問が湧いてくる。
妻は目を閉じ、大事にケーキの箱を抱えている。
瞼の裏に優馬を思い浮かべているのだろう。
俺も余計なことは考えず、その事だけ考えるようにしよう・・・・。
ルームミラーから大木が消える頃、また雪が降り出してきた。
ふわふわと漂うその様は、チョウになった優馬の姿と重なった。

蝶の咲く木 第一話 行方不明(1)

  • 2018.01.06 Saturday
  • 11:26

JUGEMテーマ:自作小説

息子がいなくなって二年になる。
今日と同じような雪の日に、『ケイちゃん家に行ってくる!』と出かけたきり、二度と顔を見せていない。
翌日はクリスマスで、欲しがっていたノートパソコンを買っておいたのに、まだ渡すことが出来ていなかった。
タンスの上の写真立てには、二年前と変わらない笑顔のままで、息子がピースをしている。
行方不明になった年、仲の良い友達の家族と一緒に、キャンプに行った時のものだ。
メモリーカードは大事にしまってある。
妻は名刺大にプリントアウトして、肌身離さずに持ち歩いている。
もちろん俺もだ。
財布を開けば息子がいる。
すでにしおしおにヘタっているが、新しいのをプリントする気にはなれない。
いくらデータがあるといっても、傷んだから「はい替えますよ」というわけにはいかない。
あれは去年の冬だったか、妻と一緒に写真屋に行った時、ちょっとしたトラブルがあった。
印刷された息子の写真にシミがついていたので、新しく焼き直してほしいと頼んだのだ。
店員は快く引き受けてくれたが、その直後にトラブルになった。
『そのシミの付いた写真はどうなるんですか?』
妻が不安そうに尋ねた。
店員は『ロスとして処分します』と答えた。
その瞬間、妻の形相が変わった。
怒鳴り声を挙げ、『ふざけるな!』とカウンターを叩いたのだ。
『何が処分だ!なんでそんな言い方するの!?家族の気持ちも考えろ!!』
あまりに騒ぐので、後日に部長クラスの人間が謝罪に来たほどだ。
それ以来、写真のプリントは家で行っている。
居間の隅には値の張るプリンターが座っていて、ケーブルでパソコンと繋がっている。
『優馬の写真は自分でプリントする。』
高価なプリンターは綺麗な写真を印刷してくれる。
しかしいくら印刷しようとも、息子の顔は二年前で止まったままだ。
何百枚刷ったって、成長した顔は出てこない。
この家に戻って来ない限りは・・・・・。

            *

「おかえり。」
妻が仕事から帰って来た。
玄関まで出迎え、カバンを受け取る。
「今日は遅かったな。残業?」
そう尋ねると、うんざりした顔で首を振った。
「ちょっとトラブル。ポンコツ上司のせいで。」
「またクレーム?」
「全然違う材料送ってたの。数まで間違ってるし。」
「相手怒ってたでしょ?」
「ううん、怒ってはなかった。呆れてたけど。」
「そっちの方がたち悪いよ。次から発注来なくなるかも。」
「だから焦ってたのよ。」
そう言って腕時計を睨み、「ちょっとしか寝られない・・・・」と嘆いた。
「明日出張なんだ。朝4時半起き。」
「じゃあ3時間くらいしか寝られないじゃないか。」
「ご飯いらない。お風呂だけ。」
フラフラした足取りで風呂場へ向かっていく。
しばらくするとシャワーの音が聴こえ、その後に「ういい〜」とおっさんみたいな声が漏れていた。
俺はカバンを抱えたまま居間に戻る。
おそらく夕食はいらないと言うと思っていたので、すでに冷蔵庫の中だ。
腹が減ったら勝手に温めるだろう。
冷蔵庫からビールを取り出し、グラスと一緒にテーブルに並べる。
飯はいらずとも酒は欲しがるので、簡単な肴も用意する。
サラミとチーカマを皿に置き、ドカっとソファに座った。
テレビを点け、面白くもない芸人のバカ騒ぎを眺める。
深夜でこのうるささだと苦情は来ないのだろうかと、どうでもいい事を心配していた。
腕を組み、うつらうつらしていると、隣に人の気配を感じた。
スウェットに着替えた妻が腰掛けている。
ビールを呷り、リスみたいに肴を齧っていた。
「お疲れ。」
ポンと手を重ねると、「しんどい」と漏らした。
「今日は大変だったな。」
「そうじゃなくて、仕事そのものが。」
「でも結婚する前は働いてたじゃない。」
「今よりマシな仕事だった。」
「まあ営業はそんなもんだよ。文句言われてナンボだし。」
「事務職にしとけばよかったなあ。」
大きなため息を吐きながら、ビールを流し込んでいる。
ゴクリと喉が鳴って、すぐに空にしてしまった。
「一本だけにしとけよ。朝早いんだから。」
「明日駅まで送って行って。」
「いいよ。」
妻はコツンと頭を預けてくる。
そしてもう一度「しんどい」と呟いた。
「家の方がいい。」
「じゃあ代わるか?」
「でも家にいたら余計に落ち着かなくなるし。」
「じゃあもうちょっと楽な仕事にしたら?なんならパートでもいいし。」
「・・・・そうだね。ちょっと考えようかな。」
そう呟いたきり、夢の中へ落ちてしまった。
布団まで運び、じっと寝顔を眺める。
傍のテーブルには優馬の写真が飾ってあり、その隣にはクリスマスにあげるはずだったノートパソコンがある。
二年前、電気屋で買った時のまま、綺麗な包装紙に包まれている。
サンタの靴のシールがデカデカと貼ってあり、ここだけ時間が止まったままだった。
『いつか優馬が帰ってきた時の為に。』
妻は今でもこれを渡す時を待っている。
「おやすみ。」
ポンと手を撫でてから、ゆっくりと立ち上がった。
襖を閉め、居間に戻って一人晩酌をする。
「元々体力がある方じゃないからなあ。心配だな。」
妻が家計を支えるようになってから一年が経った。
それ以前は専業主婦だったのだが、家にいると優馬のことばかり考えて何も手が付かない状態になってしまった。
やがてノイローゼ気味になってしまい、このままではうつ病に罹りかねないと思って、外で働くことを提案したのだ。
最初は迷っていた妻だが、俺の伝手で営業の仕事が決まった。
元々大きな会社で激務をこなしていたこともあって、半年も経つ頃には立派なキャリアウーマンに戻っていた。
『私が稼ぐからアンタ家にいていいよ。ていうかいて。』
外で働きだしてから半年後、今度は俺が専業主夫へと転職した。
自分が仕事から帰ってきた時、誰かにいてほしいからと言われたのだ。
優馬がいなくなり、もし俺までいなくなってしまったら・・・・。
あり得ないことだが、大事な息子が帰ってこなくなって、妻は不安症になっていた。
しかしそれとは別に、ここ最近の妻は明らかに疲れている。
・・・・おそらくだが、今日の残業は自分のミスによるものだろう。
一週間ほど前にも帰りが遅くなることがあり、その時も自分のミスによるものだった。
次の日に友人から電話が掛かってきたのだ。
『啓子ちゃん参ってるんじゃない?最近ちょっとノイローゼみたいになってるから。』
上司を務める俺の友人は、妻の身を案じてくれていた。
元々プライドが高い妻は、自分の非を認めたがらない。
それと同時に『自分は大丈夫だ』と、俺に心配を掛けたくないのだろう。
しかしこのまま無理をして働けば、家にいた時と同じように、自分の殻に塞ぎ込んでしまうかもしれない。
しばらく様子を見てから、無理のないような働き方に変えたらどうかと提案してみよう。
・・・・その日、俺は朝まで起きていた。
四時半に妻を起こし、身体に悪いからと無理矢理にでも朝食を食わせ、駅まで送り届け、ポケモンが描かれた弁当箱を差し出した。
「お弁当いらない。」
「なんで?せっかく作ったのに。」
「出張だよ?かさばるじゃない。」
「ほんとにいらないの?」
目の前に押し付けると、弁当そのものではなく、ポケモンの柄に見入っていた。
そこには優馬が気に入っていたカラモネロというキャラクターが描かれている。
「・・・・やっぱ持って行くわ。」
サッと受け取って、「じゃあ明後日迎えに来て」と手を振った。
俺も手を振り返し、ホームに消えていくまで見送った。
ロータリーで車を切り返し、家に向かう。
いつもと変わらない道、いつもと変わらない日常。
優馬がいないことを除けば、普段と何も変わらない一日だ。
それなのにどうしてか胸騒ぎがした。
俺はオカルトは信じない。
幽霊もUFOも信じないし、正月や葬式でもない限りは、神社や寺にも行かない。
だから虫の知らせというやつも信じない。
信じないが・・・・胸騒ぎが止まらない。
今から数時間以内に、良くないことが起こりそうな気がしてならなかった。
路肩に車を停め、スマホを握る。
リダイヤルを押して妻に掛けた。
「・・・・もしもし?」
『もしもし?どうしたの?』
「いや、なんでもないんだけど・・・・、」
『なんでもないのに電話してこないでしょ?まさか事故ったとか?』
冗談ぽい口調で尋ねてくるが、半分本気の色が混じっている。
もしまた家族に何かあったら・・・。
そんな不安を煽ってしまったようだ。
「ええっと・・・事故じゃない。ただちょっと胸騒ぎがして。」
『何それ?』
「分からない。でもすごい落ち着かない。いつもと違うことが起きるんじゃないかって。」
『アンタそういうのを信じないんじゃなかったっけ?』
笑い交じりに言われて、「信じないよ」と返した。
「あのさ、今日仕事休めないかな?」
『ええ!なんでよ?』
「お前を送ってから胸騒ぎが始まったから。」
『もしかして電車が事故るとか思ってるの?』
「そうかもしれないし、別の良くない事が起こるかもしれない。」
『大丈夫だって。そうそう事故なんて起こらないよ。』
「事故とは言ってない。悪い事が起きるんじゃないかって不安なんだ。」
『でももう発車しちゃったし。』
「じゃあ次の駅で降りてくれ。迎えに行くから。」
『でもこれ快速だよ?けっこう離れた所まで止まらないし・・・・、』
「分かってる。そこまで迎えに行くから。」
焦りが募ってきて、つい口調が荒くなる。
なんとしても妻を呼び戻さないといけない。
そうでないと・・・・、
「俺もノイローゼかもしれない。」
『え?』
「最近体調が悪いっていうか、感情がおかしいっていうか。」
『大丈夫・・・・?』
「お願いだから今日だけは傍にいてくれないか?」
『・・・・・・・・・。』
沈黙の向こうに不安が聴こえる。
今言ったことは全て嘘だ。
しかしそうでもしないと妻は電車から降りないだろう。
この際、不安を煽ってでも戻って来てもらうしかなかった。
「頼む。」
低い声で懇願する。
するとしばらく間を置いてから、『ちょっと待ってて』と電話を切られた。
数分後、また掛かってきて『次の駅で降りるから』と答えた。
「ごめん。」
『ほんとに大丈夫?家まで帰れる?』
「平気だよ。」
『でも車でしょ?事故とかしたら・・・・、』
「運転くらいなら大丈夫だから。迎えに行くよ。」
『ダメダメ。一人で帰るからいい。アンタは先に帰ってて。安全運転でね。』
「いや、迎えに行く・・・・、」
『いいから帰る!分かった?』
今度は妻が口調を荒げる。
俺は「分かった」と素直に頷いた。
電話を切り、ふうっと息を吐く。
さっきまで感情をかき乱していた胸騒ぎは、妻の返事を聞いた瞬間に治まった。
「なんだったんださっきの?ほんとうに虫の知らせってやつか?」
今となっては馬鹿らしく思えてきた。
それくらいにスウっと消えていったのだ。
しかし今さら「やっぱり大丈夫だから仕事行って」なんて言ったら、烈火のごとく怒り狂うだろう。
仕事をキャンセルさせたことよりも、無駄に心配を掛けたことで、怒りが爆発するに違いない。
「まあいいか。良くない事が起こってからじゃ遅いしな。」
車を走らせ、自宅のマンションまで向かう。
いつもと変わらない道、いつもと変わらない日常。
遠くにはうっすらと陽が昇り、暗い空を押し上げている。
朝陽ってのはどうしてこうも希望を感じさせるかなんて事を考えていると、信じられないものが目に飛び込んできた。
「優馬!!」
通り過ぎた電柱の傍、行方不明の我が子がポツンと立っていたのだ。
慌てて車を停め、傍に駆け寄る。
「優馬・・・?」
目の前にいる少年は、間違いなく俺たちの息子だった。
やや茶色がかった髪に、女の子かと思うほど白い肌。
クリっとした大きな目は、ここではないどこかを見ているかのように澄んでいた。
「優馬!」
視界が滲み、強く抱きしめる。
しかしその手はするりとすり抜けてしまった。
「・・・・・・。」
背筋に冷たいものが走って、思わず優馬を見つめた。
そっと手を伸ばし、頬に触れてみる。
するとさっきと同じように、そこに何も無いかのようにすり抜けてしまった。
「優馬・・・・・。」
人というのは凄いもので、光速以上の思考で事実を掴み取る。
信じたくはないが、でも・・・・きっとそれが答えなのだろう。
「お前・・・・もう・・・・、」
『クリスマスプレゼント、持って来て。』
「え?」
『ノートパソコン。お母さんの布団の傍にあるでしょ?』
「なんで知ってるんだ・・・・?」
『だって去年も帰って来たから。』
そう言って屈託のない顔で笑った。
「帰って来てたって・・・・いつ?」
『クリスマス。』
「いや、お前・・・・ならどうして俺たちが知らないんだよ?どれほどお前のこと捜したと思ってるんだ?
帰って来てたなら気づかないはずが・・・・、」
『蝶の咲く木。』
「なに?」
『川原の傍にある大きな木。そこに持って来て。』
そう言い残し、背中を向けて走って行く。
「待て!行くな!」
手を伸ばすが、やはり掴むことが出来ない。
この目で見えているのに・・・・。
「優馬!お前・・・・幽霊か?」
『違うよ!幽霊なんかじゃないよ!』
「じゃあどうして触れないんだ!?お父さんもお母さんも、ずっとお前を待ってたんだぞ!幽霊じゃないなら抱きしめさせてくれよ!
もうどこにも行かないでくれ!」
必死に追いかけ、優馬の前に回り込む。
しかし俺を気にすることなく、スルリとすり抜けて走り去っていった。
「優馬!!」
怒号に近い声で叫ぶと、一瞬だけ振り返った。
さっきと同じように、屈託のない顔で笑っている。
『僕幽霊なんかじゃないよ!チョウチョだよ!』
「チョウチョ?」
『プレゼント待ってるからね!お母さんと一緒に来てね!』
「優馬!どこ行くんだ!?お父さんと一緒に家に帰・・・・・、」
そう言いかけた時、優馬はパっと消えた。
代わりに一匹のチョウが現れ、ヒラヒラと舞い上がっていく。
黄色く輝きながら、別れでも告げるかのように、俺の周りを羽ばたく。
『蝶の咲く木で待ってるからね。』
線香花火のような頼りない声が聴こえる。
輝くチョウは空に舞い、瞬く間に見えなくなってしまった。
「優馬・・・・・。」
いったい何が起こったのか、まったく思考がついていかない。
呆然と立ち尽くしていると、ポケットのスマホが震えた。
妻からのLINEで、『ちゃんと帰れた?』と心配していた。
「・・・・・・。」
画面の文字を睨んだまま、さっきの出来事がフラッシュバックする。
あれは現実か?それとも幻か?
「俺・・・・本当にノイローゼかもしれない。」
そう答えると、『いまタクシー摑まえた。すぐ帰るから待っててね』と返信が来た。
さっきの出来事・・・・妻に話したら、いったいどんな顔をするだろう?
怒るか?呆れるか?それともノイローゼがぶり返すか?
どちらにせよいい結果にはなるまい。
そして俺自身が、自分の頭を疑わなくてはいけない。
近くに良い病院はあったかなと、優馬の消えた空を見上げた。

新しい小説

  • 2018.01.05 Friday
  • 14:32

JUGEMテーマ:自作小説

明日から新しい小説を載せます。

「蝶の咲く木」という小説です。

大人と子供をテーマにしたSF系の小説です。

よかったら読んでやって下さい。

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM