稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜第二部 最終話 道しるべ(3)
- 2018.11.30 Friday
- 10:28
JUGEMテーマ:自作小説
長く眠っていると身体が言うことを聞かなくなるものだ。
カグラの本社に行き、女の霊獣に追いかけられたあの時から、俺は一週間近くも眠ったままだった。
理由はおそらく例の薬だろう。
子犬に変わることはなかったけど、その代わり強い目眩に襲われて意識を失ってしまった。
しかも寝ている間、ずっと同じ夢を見ていたのだ。
謎の男が現れ、次々に霊獣を撃ち殺していく夢を。
逃げ惑う霊獣たちもいれば、戦いを挑む霊獣もいた。
でも男の凶弾によって次々に倒れていった。
紫の弾丸はとても強力で、屈強な霊獣でさえ歯が立たない。
大きな龍も、大きな稲荷も、見るからに強そうな霊獣たちでさえ、男の凶弾の前には成す術がなかった。
血塗られた紫の弾丸。
無表情でそいつを撃ち続ける男の後ろには、真っ白に輝く狼がいた。
まるで男の守護霊であるかのように、ピタリと傍を離れない。
でも表情が対照的だった。
男が無表情であるのに対し、狼は笑っていたのだ。
いったい何が可笑しいのか?
最初は分からなかったけど、なんとなくその理由が見えてくるような気がした。
男が霊獣を撃ち殺す度、狼は大きくなっていたのだ。
代わりに男はやせ細り、立っていることすら出来なくなる。
そうなると狼は自分の血を飲ませるのだ。
自分の牙で自分を傷つけ、紫色の血を滴らせる。
男はその血を聖水のようにありがたがった。
やせ細った身体は力を取り戻し、また霊獣を撃ち殺していく。
・・・・これは夢だと分かっていた。
でも妙にリアルで恐ろしかった。
もしもこれが正夢だとしたら、俺は正気を保てないだろう。
だって俺には霊獣の仲間がたくさんいるのだ。
ウズメさん、アカリさん、チェリー君、そしてたまき。
なにより一番大切な婚約者、化けたぬきのマイちゃん。
このままでは凶弾の餌食になってしまう。
いくらたまきやウズメさんが強くても、あの弾丸の前では手も足も出ないだろう。
それに男を守っている光り輝く狼。
こいつも強そうだ。
どんどんどんどん大きくなっていって、恐竜と変わらないんじゃないかってくらいに巨大になっている。
このまま大きくなり続けたら、それこそ怪獣のようになってしまうだろう。
もしこの夢が現実になれば、この世から霊獣は消えてしまう。
それはつまり、大事な仲間も、尊敬する師匠も、愛する婚約者も失ってしまうということだ。
これはただの夢だ・・・・そのはずなのに、こうも不安になるのは、夢に出てくるこの男の存在感が生々しすぎるせいだろう。
あの晩、街灯の下で会った時、男は何も答えてくれなかった。
でもこうしてまた夢に現れた。
だから俺は問いかけたのだ。
何が理由で俺に会いに来る?
どうしてそんなに霊獣を憎んでいる?
なにか伝えたいことがあるから現れるんだろう?
だったら教えてほしい。
アンタはいったいどこの誰で、何を望んでいるのか。
男は口を開きかけた。
・・・・そこで目が覚めたのだ。
金色の眩い光が差し込んで、思わず目を細めた。
とても暖かい光だった。
さっきの悪夢を全て消し去ってしまいそうなほど・・・・。
それから一時間、俺は大きなお稲荷さんの尻尾の上で横になっていた。
ウズメさんだ。
「体調はどう?」
「おかげさまで・・・・。」
「まだ目がトロンとしてるわね。もうちょっと横になってなさい。」
八本ある尻尾のうちの一本に寝かせてもらっている。
一つ一つが出雲大社のしめ縄よりも太く、そして長い。
ウズメさんが立派な稲荷だってことは知ってるけど、この前よりもさらに巨大になっていた。
しかも金色に輝いているし・・・・。
「浮かない顔してるわね。」
「意識を失ってから変な夢を見ていたんです・・・・。ただの夢のはずなのにそうは思えなくて・・・・、」
「悪い夢だったの?」
「謎の男が霊獣を撃ち殺していくんです。そいつの背後には光り輝く狼がいて、霊獣を撃ち殺す度に笑っていました。」
「それは怖い夢ね。でも夢はしょせん夢よ。ただし正夢になるんじゃないかと思っていると、本当にそうなることがあるから気をつけてね。」
「そういうものなんですか?夢って・・・・・。」
「無自覚のうちに本人が夢に近い行動を取ってしまうことがあるのよ。もちろん予知能力のように未来の出来事を察知する夢もあるけどね。
でも君にそういう能力は備わっていないわ。だから心配しなくても大丈夫。」
大きな尻尾をふわふわと揺らしながら、いつもより威厳のある声で語りかけてくる。
俺は身体を起こし、じっくりと辺りを見渡した。
ここは金光稲荷神社の本殿の中だ。
天井には煌びやかな金色の装飾が施されていて、奥には立派な祭壇がある。
丸い鏡があるけど、あれが御神体のようだ。
その手前には小さな壺というか、おちょこみたいな入れ物があって、両脇には真っ白な狐の像が鎮座していた。
「ここ・・・ウズメさんの神社だったんですね。」
そう尋ねると、気恥ずかしそうに笑った。
「ずっとこがねの湯の近くの神社だったんだけど、稲荷の長なんだからもっといい所の祭神になれって、白髭ゴンゲン様がね。」
「白髭ゴンゲンか・・・・懐かしいな。一昨年にダキニと揉めた時に手を貸してくれた爺さんですよね?」
「そうよ。ダキニ様の前の稲荷の長。今は引退してただのエロじじ・・・・じゃなくて、気のいいおじいさんになってるけどね。」
「あいつ本当にエロかったからなあ・・・・。マイちゃんも口説こうとしてたし。今は何してるんですか?」
「隠居して好き勝手やってるわ。」
「どうせまた女の人ばっかり口説いてるんでしょ。」
「ふふ、そんなとこね。ここも以前はゴンゲン様の分霊が祭られていたんだけど、私に譲って下さったのよ。」
「そうなんですか?あのエロじじいがこんな立派な神社を持ってたなんて。」
「今は私が長なんだから代わりに住めってさ。けっこう気に入ってたはずなのに、気前よくポンとね。」
「そっかあ・・・・あのじいさん、やっぱりただのエロじじいじゃなかったんですね。」
ボーっとする頭で本殿の中を見つめる。
そしてふと大事なことを思い出した。
「そういえばみんなは?モンブランやアカリさんは?御神さんもいないみたいだし・・・・。」
「あれから一週間近く経ってるからね。みんなそれぞれのやることをやってるわ。」
「それぞれの・・・・?」
「君、カグラの本社に乗り込んだんでしょ?」
「俺はイヤだったんですけどね・・・・御神さんが強引に。」
「危険な行為だけど、そのおかげで事が動き始めたわ。」
「どういうことですか・・・?」
「自分たちの知らない所で薬が出回ってたわけだからね。回収しようと躍起になってるのよ。」
「遠藤さんがばら撒いてたから・・・・。」
「この前の岡山の件だって、とんでもない大事件なのに大したニュースになっていないわ。きっとカグラが手を回したのよ。
SNSなんかで拡散はしてるみたいだけど、オカルト話の域は出てないわ。」
「てことは俺たちを見つけようと必死になってるわけか・・・・。」
「奴らが動けば動くほどこっちにとっては好都合よ。追ってきた連中を生け捕りにして、色んな情報を引き出せるからね。君の無謀な突撃は功を奏したってわけ。」
「ならアカリさんたちは今・・・・、」
「戦ってるわ。狼男も。それに御神さんってジャーナリストもね。ちなみにモンブランちゃんたちも。」
「アイツらも!?また面倒を起こさなきゃいいけど・・・・、」
「あの子達の行動力には恐れ入るわ。すすんでオトリを買ってでてるんだから。マリナちゃんなんて一匹霊獣をやっつけたのよ、ドカンとバズーカを撃って。」
「マジで撃ったのかアイツ・・・・。ていうかどこでそんなモンを手に入れたんだ・・・・。」
「カグラの追っ手が持ってたのを奪ったみたいよ。君のところの動物、その辺の霊獣よりずっと逞しいかもね。」
「こういう時は頼りになるかもしれません。普段は手が付けられないけど。」
「ちなみにたまきも動いてるわ。」
「アイツも?」
「生け捕りにした相手から情報を引き出して、翔子ちゃんたちが監禁されていた場所を突き止めたのよ。」
「すごいな、さすがはたまきだ。」
こういうことをあっさりとやってのけるなんて、弟子として鼻が高いと同時に、アイツに手が届くのはまだまだ先だろうなと、多難な道を覚悟する。
「たまきが向かったってことは、翔子さんは無事に助け出されたんですよね?」
期待して尋ねると、「残念ながら・・・」と声を落とした。
「他に捕まってた子たちは救出されたんだけど、翔子ちゃんだけは無理だったみたい。カグラが必死に抵抗してせいで取り逃がしちゃったのよ。」
「たまきから逃げ切るなんて・・・やっぱりヤバい連中だな。」
「一筋縄ではいかないわ。私も直接カグラに乗り込もうとしたんだけど、いちおう白髭様にだけはお伺いを立てておこうと思ってね。
私を稲荷の長に推薦してくれた方でもあるから、勝手に喧嘩しに行っちゃ面子を潰しちゃうし。」
「ウズメさんらしいですね。でも俺たちがカグラに行った時、ウズメさんはいませんでしたよね?」
「白髭様に止められたのよ。私の立場で勝手なことをすると、稲荷の世界全体を巻き込む大争いになるからって。
その代わりに私の位を上げて下さったわ。だからほら、尻尾の数も増えてるでしょ?」
そう言って八本の尻尾を揺らす。
しかも一本一本が前よりも立派だ。
ものすごくフサフサしてるし、金色に光ってるし。
「前は七本でしたもんね。ということはもっと偉くなったってことですか?」
「白髭様の計らいでね。霊獣としての格は前よりもずっと上よ。だからこそこの神社の祭神に命じられたわけだし。」
「すごい立派な神社ですよここは。稲荷の長に相応しいです。」
「ここまで偉くなれば、神道系の稲荷のお偉いさんたちも話を聞いてくれるかもしれないわ。前は門前払いだったけど、次こそはチャンスがあるかも。」
「なるほど。喧嘩じゃなくて話し合いでケリを着ける為に、前より偉くなったってことですか。」
「そういうこと。君が目覚めるまで付き添ってたけど、もうそろそろ出かけなきゃ。立てる?」
「もちろんです!この尻尾のおかげで元気出ました。」
金色の尻尾は暖かい光で包まれている。
もしこれがなかったら、一週間近く続いた悪夢のせいで精神がおかしくなっていたかもしれない。
「ウズメさん、俺のことは気にせずに行ってきて下さい。」
「そうするわ。君もあまり無茶をしないようにね。相手は犯罪組織であり、しかも霊獣の集団よ。くれぐれも気をつけて。」
そう言って大きな尻尾を振ると、一瞬で周りの景色が変わっていた。
ウズメさんはいなくなり、俺は本殿の外に立っていた。
大きな社は背中を反って見上げるほど立派で、金光稲荷神社という名に相応しいほど、たくさんの金色の装飾が施されている。
屋根は赤く、それを支える柱も赤い。
壁は真っ白で、両脇にも真っ白な狐の像が建っていた。
砂利引きの広い境内は高い木立に囲われ、そのうちの二本は天を突くほど巨大だった。御神木だろう。
ここなら稲荷の長にとって不足のない神社だ。
鐘を鳴らし、手を合わせ、無事に翔子さんを救い出せますようにとお祈りする。
そして踵を返し、まっすぐ伸びる参道を歩いて行くと、鳥居の下で一人の女性が佇んでいた。
俺に気づくなり手を振って、「ようやくお目覚めね」と言った。御神さんだ。
「気分はどう?」
「悪夢を見てましたよ。正夢になるんじゃないかってくらいリアルなやつを。」
そう答えると眉を潜めていた。
「そういう夢はすぐに忘れた方がいいわよ。ずっと覚えてるとほんとに正夢になっちゃったりするから。」
「ウズメさんにも言われました。気にするなって。」
「一週間眠ったままなんて・・・・おそらく薬の副作用だと思うけど、ほんとに体調は平気なの?」
「まあまあってとこですかね。俺が寝てる間のこともウズメさんから聞きました。みんな頑張ってるって。だったら高熱があっても寝てられませんよ。」
「それだけガッツがあれば大丈夫ね。」
クスっと肩を竦め、「じゃ、行きましょ」と歩き出した。
「あの・・・、」
小走りにあとを追いかけながら、「アカリさんやモンブランたちはどこに?」と尋ねる。
「カグラの追っ手と戦ってるって聞いたけど。」
「みんな大活躍よ。狼男二人に、君の仲間のお稲荷さんたち。みんな霊獣だけあってかなりの腕っ節ね。あ、でも一人そうでもないお稲荷さんがいるけど。」
「誰ですか?」
「たしかツムギ君ってお稲荷さん。なんで俺が有川の為にってブツブツ言ってたわ。」
「口は悪いけど根は良い男なんですよ。」
「マリナちゃんに鼻の下伸ばしっぱなしだけどね。狼男たちはモンブランちゃんにゾッコンだし。」
「霊獣も女に弱いんだなあ・・・。」
「ていうかあなたの家の動物たち、動物にしとくには惜しいほどの逸材だわ。みんな霊獣顔負けなほど頑張ってるもの。」
「こういう時はある意味頼りになる奴らですから。」
「モンブランちゃんは狼男を従えて女王様みたいに振舞ってるし、マサカリ君は戦いそっちのけで犬缶を頬張ってるし。
チュウベエ君は追っ手にミミズを売りつけようとするし、マリナちゃんはバズーカ2丁持ちでカグラの本社に突撃しようとするし。」
「無茶苦茶だな・・・・。ていうか戦ってるのマリナだけじゃないですか。」
「でもみんなとにかく目立つから、良い意味でオトリになってくれてるわ。そして追っ手が迫ってきたところを霊獣たちが仕留めるってわけ。」
「まさかまた暴動みたいになってませんよね?」
「その心配は無用よ。カグラだってなるべく事を大きくしたくないんだもの。人目に付かない場所を選んで攻撃を仕掛けてきてるわ。」
「でもマリナの奴、バズーカをぶっ放したんでしょ?どう考えても大事になるんじゃ・・・・、」
「無人の廃工場におびき出して撃ったから安心して。」
「安心していいのかそれ・・・・。」
なんか色々不安になってくる。
二人ならんで神社の敷地を抜け、駐車場まで歩いていく。
そこには鮮やかな黄色をした値の張りそうなスポーツカーが。
「これ御神さんのですか?」
「カッコイイでしょ。」
「あの・・・ちなみに俺の車は?」
「残念ながら敵の襲撃でお亡くなりになったわ。」
「そんな!自家用車に続いて業務用までも・・・・、」
この前のカーチェイスで愛車が破壊され、そして次は仕事用までとは・・・。
まあ7万の中古で買ったいつ壊れてもおかしくない車だったけど。
「有川さんが襲われた時にひっくり返されちゃったでしょ?あれからウンともスンとも動かなかったわ。」
「まあいいですけど・・・・。」
「ちなみにあのあとしばらくしてからアカリさんが来てくれてね。遅いからって様子を見にきてくれたみたい。
その時に川原に隠してたわ、道でひっくり返ってちゃ邪魔だからって。あとから取りに行けば。」
「気乗りしないなあ・・・・。」
ショボンと項垂れながら車に乗る。
御神さんの運転は信じられないほど荒っぽいもので、まったく生きた心地がしなかった。
これでよく事故らないなと感心する。
あっという間に金光稲荷神社から遠ざかり、姫道市の市街地を抜けて高速に乗った。
「ちょっと飛ばしすぎじゃないですか・・・・。」
「モタモタしてたら追っ手が来るじゃない。今襲われたらアウトよ。」
それはその通りだけど、このスピードじゃ別の意味でアウトになりそうな気がする。
まあ最近はとんでもない事ばかりありすぎて、これくらいじゃどうってこともないけど。
「どこに向かってるんですか?」
「ん?ちょっと合わせたい人がいてね。」
「合わせたい人?もしかして協力者ですか?」
「というより共闘者ね。」
そう言ってニコリと微笑む。なんか含みのある笑顔でちょっと怖い。
「前にも言ったけど、カグラを相手にするのは有川さんだけじゃ無理があるわ。」
「身をもって理解しました。」
「そして彼等だけでも無理だわ。」
「彼等?」
「カグラに立ち向かってるのはあなた達だけじゃない。他にも懸命に戦ってる人たちがいる。彼等は企業を相手に戦うのは慣れてるけど、霊獣や動物のことは専門外よ。
そして有川さんはその逆。お互いが手を組めば打倒カグラも夢じゃないわ。」
相変わらず意味深というか、含みのある言い方をする。
簡単に核心を語らないのはジャーナリストとしての職業病か?それとも個人的なクセなのか?
どっちか分からないけど、今の時点では聞いても答えてくれないだろう。
車は更にスピードを上げ、縫うように他の車を追い抜いていく。
そして高速を降りたその先は・・・・、
「龍名町?」
俺の街である。
市街地を縦断する国道を抜け、交通量の多い交差点をスルリと左に曲がり、大きな川を渡す橋に差し掛かった。
その下には川原が広がっている。いつもマサカリの散歩をしている場所だ。
そこをさらにまっすぐ走ると稲松文具の本社が見えてくる。
田舎には不釣り合いな巨大なビルだ。
《翔子さん・・・必ず助けますからね。それまでどうか無事で。》
ギュっと胸に誓い、遠ざかるビルを眺める。
それからまたしばらく走り、さっきとは別の高速に乗った。
比較的新しい道路で、利用者は少ないものの、龍名町から北へ向かう時には便利な道だ。
御神さんはこの道路のインターを二つ目で下りた。
その先に広がるのは恐ろしく殺風景な、そしてアンバランスな景色だった。
「ここって・・・・、」
「ええ、開発に失敗した夢の都市よ。三つの街がお金を出し合って作ったんだけど、そのうちの一つがお金が足りなくて続けられなくなってね。
道路は立派だし、スポーツや研究の為の施設も揃ってるし、ヘリポートまである。なのにほとんど住民がいない。ある種のゴーストタウンね。」
そう、ここは街の外観だけが立派で、ほんとど人の気配がしない奇妙な街なのだ。
言葉は悪いが、綺麗な廃墟とでも言おうか。
でも一応マンションは建っているし、大学や高校もあるから、まったくの無人というわけではない。
ないんだけど、それでも奇妙な街であると感じる。
「こんな場所で誰かが待ってるんですか?」
「街の外れにパスタの専門店があるのよ。小高い丘の上にね。」
「そこで誰かと待ち合わせ?」
「ええ、ちなみに君も知ってる人よ。」
意地悪な笑みで言う。教えてくれればいいのに。
やたらと立派な道路をまっすぐ走り、街の外れまでやってくる。
この先は山になっていて、麓には民家が並んでいるはずだ。
御神さんはその手前でハンドルを切った。
大通りから外れて、右へ急旋回する細い道へ入り、なだらかな斜面を登っていく。
少しうねったその道を駆け上がると、右奥の方に一軒の店が見えてきた。
「さ、着いたわよ。」
少し手前にある駐車場に降りると、奇妙な街の光景が一望できた。
右手には開発に失敗した街、左手には遠くまで連なる山々、その向こうには龍名町へと続く街が横たわっている。
なんともちぐはぐな景色だ。
思わず見入っていると、「面白いでしょ?」と御神さんが言った。
「クッキリ形が分かれてますよね。まるでボードゲームみたいだ。」
「こうして高いとこから見下ろすと、いかにも開発に失敗しましたっていうのが分かるわよね。」
カメラを構え、パシャっと一枚撮っている。
そして「あれ?」と呟いた。
「どうしたんですか?」
「何かがこっちに飛んできてる。」
ズームをいっぱいに伸ばし、「あれは・・・」と眉と寄せている。
「インコ・・・・?」
「ああ、たまに捨てられて野生化したやつがいるんですよ。」
「そうなの?でもあのインコはたしか・・・・。有川さん見てちょうだい。」
そう言ってプロ仕様のゴツいカメラを渡される。
けっこう重いなと思いながら、「どれどれ?」と覗いてみた。
「・・・・あれ?なんにも見えない。」
ズームを動かしてみるけど何も映らない。
「なんで?」
レンズを確認してみるけど、特に問題はなさそうだ。
「おかしいな?」
もう一度覗いてみるけどやっぱり何も映らなかった。
「御神さん、これ何も見えませんよ。」
困った顔でカメラを渡そうとすると、なぜかクスクスと笑われた。
「どうしたんですか?」
「もう一度カメラを覗いてみて。」
「こうですか?・・・・やっぱり何も見えませんよ。」
「そのままレンズの先に手をやって。」
「レンズの先に?・・・・・・って、痛!」
手にブスっと何かが刺さった。
ファインダーから目を離し、「なんなんだよ」と手をフーフーしていると、目の前に一羽の鳥が飛んできた。
「よ。」
「チュウベエ!」
なんでコイツがここに?
ていうより・・・・、
「お前インコに戻ってるじゃないか!」
「ウィイ。」
「ウィイじゃないだろ。解毒剤を飲んだのか?」
「いや、勝手に戻った。」
「勝手に・・・・?」
「モンブランたちも元に戻ってるぞ。」
「マジか・・・・。なんで急に・・・・、」
「不安定ね。」
御神さんが言う。
「例の薬、まだ試験段階なんでしょ?だから狼男たちにバラ撒くように指示して、多くのデータを取ろうとしていた。」
「ええ。」
「ということはまだ完成してないのよ。だから強い副作用も出るし、突然元に戻ったりもする。有川さんもたしか心臓が二つになっちゃったとか言ってたわよね?」
「そうなんです。その症状が出たのは俺だけなんですけど。」
「薬が未完成だから予想もしない効果が出るんだと思うわ。まあ動物を人間に変えたり、人間を動物に変えたりする薬だもの、元々が無理のある話よね。
でも・・・・危険ね。早くどうにかしないと、もっと恐ろしい副作用が出る可能性もあるわ。」
「た、例えば・・・・?」
「分からない。とにかくモタモタしてられないわ。」
カメラを担ぎ直し、店へ向かって行く。
俺はあとをついて行きながら、「なあチュウベエ?」と尋ねた。
「お前どうしてここが分かったんだ?」
「ん?まあ・・・アレだ。超能力だ。」
「当ててやろうか?」
肩にとまってきたチュウベエにビシっと指を向ける。
「どうせミミズ食ってたんだろ?穴場を探してるウチにたまたま俺たちを見つけた。違うか?」
「無きにしもあらずだ。」
「素直にそうですって言えよ。」
「だって動物に戻ったんだから何も出来ないし、だったらミミズでも食ってようと思って。」
「他のみんなは無事なんだろうな?」
「モンブランには狼男が付いてるし、マリナにはツムギ君が付いてる。」
「じゃあマサカリは?」
「こがねの湯の事務所で寝てる。」
「良い根性だ、しばらく飯を半分にしてやる。」
「あのメタボはビビりだからな。それに一緒にいても危ないからって、アカリが連れてったんだよ。」
「さすがはアカリさん、俺も姐さんって呼ぼうかな。」
「ちょっと何してるの、早く。」
「あ、すいません・・・・、」
御神さんのあとを追いかけ、店に向かう。
するとドアが開いて一人の女が出てきた。
邪魔にならないよう少し脇によける。
「悠一もそういう気遣いが出来るようになったか。」
「ん?なにが?」
「女に道を譲る、こういうのレディーファーストっていうんだろ?」
「邪魔にならないようにどいただけだ。ていうか人前で話しかけるな。怪しい奴だと思われるだろ。」
チラっとその女性を見ると、案の定不思議そうな顔で振り返っていた。
「ほら見ろ・・・・。」
「別にいいじゃないか。頭のおかしな奴だと思われても。」
「いいわけないだろ・・・・。」
「何してるの、早く。」
御神さんに呼ばれて店に駆け込む。
「予約してあるのよ。こっちの窓側の席。」
案内されて座った席はとても見晴らしのいい所だった。
さっきのチグハグな景色が一望できる。
でもテーブルには俺たちだけだ。
「あの・・・会わせたい人っていうのは?」
「まだ来てないみたいね。ちょっと待ちましょ。」
そう言ってメニューを広げ、店員さんを呼んでいる。
でも来ない。
なぜならドアの辺りで、家族連れの客と揉めているからだ。
チュウベエが「客商売ってのは大変だな」なんて呟く。
「あれきっとクレーマーだぞ。」
「だとしたら修羅場だな。ていうかここって動物の連れ込みOKなのかな?」
「大丈夫大丈夫、ぬいぐるみのフリしてるから。」
「俺はこの前それでバレたけどな。」
「悠一ほどバカじゃないから平気だ。」
「バカで悪かったな。」
まったく口の減らない奴だ。
店員とクレーマーの悶着はしばらく続き、御神さんも注文を諦めていた。
「こんなんじゃ別のお店にすればよかったわね。」
「なんでこんな辺鄙なお店を選んだんですか?」
「辺鄙な場所なら誰にも見つからないと思って。」
「ああ、なるほど。」
「にしても遅いわね、あの子。まあ遅刻はいつものことだけど。」
腕時計を確認し、チラチラとドアの方を覗っている。
そして・・・・・、
「あ!来た来た。」
立ち上がり、「こっちこっち」と手を振っている。
「すいません!遅れちゃって!」
スーツ姿の青年が駆け寄ってくる。
「道に迷っちゃって」と人当たりの良さそうな笑顔を見せた。
「ちょっと分かりづらい場所だったかしら?」
「通り過ぎちゃったんですよ、途中で細い道に入るの分かんなくて。」
「久しぶりだけど元気そうじゃない。」
「祐希さんこそ。相変わらずアラフォーとは思えないくらいお美しいっす。」
「ありがと。」
クスっと笑い、「紹介するわ」と俺に手を向けた。
「君に会わせたかった人。」
そう言ってから、「で、彼が有川さんに会わせたかった人」と青年に手を向けた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
無言で見つめ合ってしまう。
なぜならこの青年、以前に会ったことがあるからだ。
それは向こうも同じで、なんとも言えない顔で見つめて・・・・というより睨んでいた。
《なんだろう・・・・すごい敵意を感じる。》
睨んでくる、ものすごい睨んでくる。もはやメンチを切っている。
「ほら、お互いに挨拶して。」
「え?ああ・・・・、」
立ち上がり、「動物探偵の有川といいます」と手を差し出した。
青年はメンチを切りながら「冴木晴香っす」と手を握った。
「稲松文具で社長やってました、社長を!よろしく。」
「以前に一度会ってるよね?翔子さんが誘拐された時に・・・・、」
「翔子だとお!?」
なんか知らんがいきなりキレだした。
握られた手が痛い・・・・・。
「ええっと・・・・なんか機嫌が悪いみたいだね。」
ニコっと返すと、「機嫌、悪くないっす!」と斜め下から睨んできた。
《お前は昭和の不良か!》
「ま、まあ・・・とにかくよろしく。」
怒りの理由は分からないけど、とにかく俺に良い印象は持っていないみたいだ。
何かした覚えはないんだけど・・・・。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・あのさ。」
「あん?」
「そろそろ離してくれないか、この手。」
どんどん握る力が強くなっている。
さっきよりも怒った顔でメンチ切ってるし・・・・・。
「まあまあお二人さん、喧嘩はよくありませんぞ。ここは不束者のインコに免じて、どうか溜飲を下げて頂きたい。」
チュウベエがパタパタと羽ばたいて、俺たちの手にフンを落とした。
「おい!」
「汚ね!」
慌てて手を離す。
「先が思いやられるわね」と御神さんが首を振った。
「これから一緒に戦うんだから、もうちょっと仲良くしてよ。」
「別に俺は喧嘩なんてしてませんよ。ただそっちの彼がいきなりメンチ切ってくるから。」
「アンタが翔子とか吐かすからだ!女神と敬え!もしくは天使!!」
「だって翔子さんは翔子さんだし。」
「だから名前で呼ぶなっての!」
「あ・・・・もしかして君は翔子さんの彼氏なの?ごめん、だったら名前で呼んじゃ気分悪いよな。」
「か、彼氏じゃないけどさ・・・・、」
「じゃあ何?」
「なんだっていいだろ!課長は俺の女神なんだ!もしくは天使!!」
「ああ、なるほど。翔子さんに惚れてるわけか。」
「わ、悪いかよ!」
「そんなこと言ってないだろ、いちいち突っかからないでくれよ。」
「お、俺はなあ・・・・ずっと前から課長に惚れてんだ!なのにアンタときたら・・・・アンタときたら・・・・。なんで課長の愛の一人占めできるのさ!?」
「愛を一人占め・・・・?なんのことだよ?」
「恍けるな!課長はアンタのこと・・・・アンタを・・・・・クソ!ちくしょおおおおお!!」
なんか分からんけど一人で叫んでいる。
チュウベエが「また変な奴が増えたな」と呟いた。
「悠一の周りにはこんなのばっかりだ。」
「お前に言われちゃ彼も可哀相だ。」
「ま、類は友を呼ぶってやつかな。とりあえず景気づけに乾杯でもしよう。へいマスター!ミミズのカクテルを四人分!」
「ねえよそんなもん!もしあってもお前だけで飲んでろ!」
「なんで課長はこんな男を・・・・。クソ!こんなの間違ってるぞ!ちくしょおおおお!!」
俺たちのテーブルだけやけに騒がしくて、周りから冷ややかな視線が突き刺さる。
「うんうん、中々いいコンビね。これなら翔子ちゃんを助けられるかも。」
「どこがですか?最初からこんなんじゃ先が思いやられる・・・・・。」
「反発するコンビほど後々に上手くいくものよ。」
「俺にはそう思えないけど・・・・。だってまだ叫んでますよ、彼。」
「いつものことだから気にしないで。」
「これが普段通り?彼と合わせる自信がないです。」
「正反対だからこそいいコンビになれるはずよ。だってお互いに持っていないものを持ってるわけだからね。
有川さんにとっても冴木君にとっても、互いの道を照らすいい道しるべになると思うわよ。」
「道しるべ・・・・。」
それこそは今俺が一番望んでるものだ。
最初の一歩をどこへ踏み出せばいいのか・・・・・果たしてこの青年は示してくれるのだろうか?
互いにってことは俺だって彼に道しるべを示さないといけないわけで・・・・やっぱり先が思いやられる。
俺は悩み、冴木君は叫び、チュウベエはしつこくミミズのカクテルを注文している。
周りの客から冷たい視線を向けられる中、御神さんだけが上機嫌に笑っていた。
第二部 -完-