緑が謳うとき 最終話

  • 2019.06.05 Wednesday
  • 11:59

JUGEMテーマ:自作小説

初夏も終わりに近づいてきた。
暑さが増し、空が淀むことも多くなり、あと数日もすれば梅雨入り宣言がされるだろう。
鬱陶しい季節の始まりだ。
だけど今年は梅雨を嫌だとは思わない。
連日の雨はたしかに鬱陶しくはあるけど、刺激を欲しがっていたあの頃とは違って、雨に風情を感じるようになったからだ。
感性の矛先は日常的な変化や自然の情緒へと向かい、窓に流れる水滴や、屋根からしたたる雨粒を眺め続けても退屈だとは思わない。
何もない平日の午後、何もせずに雨だけを眺める。
今日は仕事は休み。
どこかへ出かけてもいいんだけど、部屋に寝転んだまま雨音を聴き、眺め、言葉にできない心地よさに包まれていた。
座布団を枕がわりに、ずっと窓の外を眺めるだけで、ひどく満たされてしまうのだ。
そうやってぼうっと眺め続け、夕方が近くなる頃に外へ出た。
今日は一日中雨なので、いつまで待っても晴れることはない。
土手向こうの対岸にある町並みはうっすらと霞み、山の上は靄がかかって見えなくなっている。
僕は傘もささずに土手まで歩いた。
こんな日に歩いている人は少ない。
犬の散歩、学校の帰り、外へ出ざるをえない人たちだけが歩いている。
そしてみんな傘を差している。
僕も引き返して傘を取って来ようかと思ったけど、このまま歩くことにした。
見渡す限りの草は濡れ、道のあちこちに水たまりができている。
服はどんどん濡れていき、Tシャツがピタリと肌に吸い付く。
前髪から水滴が垂れ、水と泥で汚れているサンダルへと落ちていった。
足を止め、空を見上げる。
正面から降り注ぐ雨が瞼に弾かれ、わずかに目に入った。
瞬きを繰り返し、また雨を見上げる。
しばらくすると慣れてきて、多少の水では瞼を閉じなくなった。
グレーの重い空は今にも落ちてきそうで、空が消えた頭上には何があるんだろうと妄想を膨らませる。
近くのベンチに腰掛け、お尻に冷やっとした感触が走ったかと思うと、すぐに下着にまで水が染み込んでいった。
暖かくなってきたとはいえ、ずぶ濡れで雨に打たれていると寒くなる。
二の腕には鳥肌がたち、手でさすったけど治まらない。
身体はどんどん冷えていき、いい加減雨に打たれるのが辛くなっても、じっとベンチに座り続けた。
目の前をスーツ姿の人が歩いていく。
チラっとこっちを見たけど、すぐに目を逸らして去っていった。
それから何度か人が通り過ぎたけど、だいたいみんな同じ反応だ。
こんな雨の中、傘も差さずにベンチに座ってるんだから、変人と思われても仕方がない。
それでもしばらくこうしていたかった。
五感の全てで雨を感じていたかった。
点線のように空間を埋め尽くす雨、絶え間なく地面に激突する音を響かせる雨、独特な匂いでどこか懐かしさを感じさせる雨。
初夏も過ぎようというのに鳥肌を浮かばせる雨、頬から唇を伝って中に侵入してくる雨。
どの感覚器官を使っても雨を感じることが出来る。
足元の濡れた草がくるぶしに当たり、チクチクとムズ痒い。
土手の並木は蓄えた水滴を頭上から降らせてくるし、対岸の景色は相変わらず水墨画のように霞んでいる。
草、木、山。雨ににじんでも緑であることは伝わってくるけど、それはどうしてだろう?
もしこの世から色を抜いてしまったら、今の光景はどう映るんだろう。
色のない春は喜びを感じるだろうか。
色のない夏は高揚感があるだろうか。
色のない秋は○○の秋なんて例えが通用するだろうか。
色のない冬は自殺するほどに寂しくなってしまうだろうか。
僕の一番好きな初夏はどうだろう。
輝く緑たちから色を抜き取ったら、この季節を好きでいられるだろうか。
この土手を、些細な草木の変化を、空に重なる木々の葉を、今と変わらずに感性を向けられる対象とみなすだろうか。
体感したことのない世界は想像するしかない。
けどそんな世界にはなってほしくないと思う。
この世から、この土手から、足元の草から、色が消えるなんてことはあってほしくない。
そして匂いも。
匂いだって大事だ。色だけでは足りない。
雨の匂いに懐かしさを覚えるのは、人生を振り返った時、雨の日の方が強く印象に残っているせいかもしれない。
楽しかった晴れの日よりも、鬱陶しい雨の日が強く記憶に残るのは、時間と共に思い出が美化されるからだろう。
記憶の中の美しい雨の日は、雨そのものが銀色に輝いている。
水溜りも、屋根からしたたる水滴も、草木を垂れていく流水も。
目を開けたまま思い出に浸り、目を閉じて今の光景を思い浮かべる。
ついさっきまで見ていた光景はもうすでに過去の記憶だけど、わずかに雨が輝いている。
ほんのりと銀色に輝いて、色のない世界に色をもたらすように、これでもかと初夏の緑を強く彩っていく。
目を開けるとさっきまでと変わらない光景がそこにある。
雨は銀色ではないし、緑は雨天のせいでくすんだ色になっている。
いい加減寒さが限界にきた。
立ち上がり、ポケットに手をつっこむ。
さて、明日は晴れるだろうか。
天気予報では五分五分だった。
まあ雨でも構わない。どうせもうすぐ梅雨なんだし、晴れを期待する方が難しい。
空だって好き好んでグレーに染まっているわけじゃないと怒ってくるだろう。
立ち止まり、振り返って、さっきまで座っていたベンチを見る。
向こうまで続く並木、草地、土手道、川、そして山。
五感の全てで雨を感じながら、目の前の景色に感性を委ねる。
余計なことは考えずに、じっと静かに。
記憶の中のノスタルジーに頼らなくても、雨が銀色に輝いていく。
瞳に映る全ての色が強くなっていく。
なんて切なくて淡くて、寂しくて力強い感覚だろう。
今、すごく自分が幸せだと知った。
なんの変哲もない日常的な光景だけど、強い感動を覚えていた。
雨の中、緑が謳う。
初夏の終わりだった。

 

 

        緑が謳うとき -終-

緑が謳うとき 第九話

  • 2019.06.04 Tuesday
  • 13:03

JUGEMテーマ:自作小説

いつもどこかで緑がなびいている。
街でも田舎でも、朝でも夜でも、小さな風しかない時でも。
初夏にはあちこちで初々しい緑がなびき、道行く人を見守り、癒し、良い気分にさせてくれる。
夜勤を終えた帰り道、土手の傍に車を停めて、ずっと川の流れを眺めていた。
もうすぐ鮎を狙う釣り人たちが集まるだろう。
オーバーオールみたいな防水着をまとい、長い竿を垂らしながら、獲物を食いつくのを待っているのだ。
そういえば数年前、この川が氾濫寸前まで増水した翌々日のこと、土手を降りた先に幾つもの水たまりが出来ていた。
特に橋桁の周りには深い水たまりが出来ていて、ちょっとした池のようになっていた。
取り残された魚たちが跳ねていて、光を反射した鱗が輝き、犬が興奮して飛びかかろうとしていた。
たくさんの魚に混じってスッポンもいた。
生きたやつを見るのは初めてだったので、僕もちょっと興奮してしまい、手を伸ばして捕まえた。
スッポンは首を伸ばし、無礼にも自分を鷲掴みにする僕の手を狙っていた。
草地の上に置いてやると、川の方へと逃げ出した。
犬が追いかけようとしたけど、リードを掴んで引き止めた。
スッポンは遅いながらも全速力で駆け抜けて、コンクリートの護岸をスルスルっと滑って、川の中へと戻っていった。
僕はまた水たまりに手を伸ばし、何匹かの魚を川に戻した。
名前の分からない魚が大半だったけど、これは間違いなく鮎だなって形のやつもいた。
ナマズのようだけどナマズじゃない魚もいて、こいつは毒を持っている魚だ。
たしかギギとかいうやつで、刺されないように尾びれをつまんで引き揚げ、川に戻した。
そうやって取り残された魚を救出していると、いつの間にか僕と同じように魚を捕まえてる人たちがいた。
ただしその人たちは川へ戻したりはしない。
クーラーボックスの中に入れていたのだ。
そうやって魚を捕まえる人たちは次第に増えていき、僕は魚の救出をやめた。
まだ魚に飛びかかろうとする犬を引っ張り、早々にその場所から引き上げたのだ。
思えばああいった魚は自然の摂理で消えていく命だった。
台風が来て、川があふれて、水たまりに取り残される命は必ずでてくるわけで、本当ならば人の手で生かしてはいけなかったんだろう。
それならば捕獲して食べる方が正しい。
なんだか魚を助けている自分が滑稽に思えてきて、そそくさと逃げ出してしまったのだった。
今年の夏はどうだろう。
台風は来るだろうけど、氾濫しそうなほど雨は降らないでほしい。
川の流れは早いけど、水底では魚やスッポンが元気に暮らしていることだろう。
川辺には草が茂り、遠くまで青々と色づいている。
土手の並木の傍にはベンチがあり、老人が二人腰掛けて話をしている。
そのすぐ傍をジョギングしている人が走り抜けていき、向かいからは帽子を被った人がウォーキングがてらの散歩をしている。
毎日のように眺め、確実に見飽きているはずなのに、こうして眺め続けることが出来るのは、僕の感性が刺激よりも風情や情緒を求めているせいだ。
一時はこういう光景になんの心も動かされなかったのに、今では退屈せずに眺め続けることが出来るのは、人の感性なんていかにあやふやなものかって証拠だろう。
車を発進させ、家に帰り、しばらく眠った。
夢は覚えていない。だけど見たような気はする。
感情が覚えている。
今日は悪い夢だったらしい。
良い夢と悪い夢、どちらを見るかのトリガーがどこかにあるんだろうけど、分からないのでその時その時に任せるしかない。
時計を見ると午後二時半。
コーヒーを淹れ、椅子に座り、ズズっと口に運びながら、テレビから流れてくる音を聞き流す。
今日はよく晴れていて、窓からはいつものように光が差し込んでいた。
欠伸を放ちながら背伸びをして、常連のコンビニへと出かけた。
酒とツマミと歯磨き粉、そして缶コーヒーを手にレジに向かうと、スタッフ募集の張り紙が目に入った。
夕方から夜にかけて人が少ないらしい。
人手が少ないのはコンビニが増えすぎたせいか、それともコンビニでバイトをしたい人が減ってしまったからなのか。
どちらにせよオーナーにとっては大変なことだろう。
外の喫煙所で一服しながら、目の前に広がる田んぼと畑と古い民家を眺める。
車が忙しなく行き交い、駐車場へ出入りする車も多い。
短くなったタバコを灰皿に入れ、缶コーヒーで口を湿らせてから、道路の向かいへ渡った。
古い民家の庭は草が茂っていて、たくさんの花も咲いている。
手前の大きな岩の上にはタヌキやらカエルの置物があって、みんなでこっちを睨んでいた。
僕は腰をかがめ、彼らに視線を合わせた。
物言わぬ置物たちだけど、今にもしゃべりだしそうなほど、その目には力を感じた。
青い草と鮮やかな花に囲まれた置物たちは、言葉にならない言葉を語りかけるように、僕から視線を外さない。
じゃあなと手を振り、車に戻る。
そういえば子供の頃、妹が大事にしている人形があった。
可愛らしい服を着た赤ちゃん人形で、今は実家の棚で眠っている。
服は汚れ、片方の手が取れて、中の綿がむき出しになり、触れるとボロボロとこぼれていく。
かつて妹の宝物だったあの人形は、おそらくもう誰かに抱かれることはないだろう。
僕が宝物にしていた仮面ライダーの変身ベルト、もし残っていてもきっと巻かないのと同じく、あの人形が今後誰かの宝物にされることはない。
なのに今でも実家に眠っているのは、変身ベルトと違って人の形をしているからだろう。
人形にしろ置物にしろ、命を象った何かというのは、ひっそりと同じ場所に佇み続けていることがある。
無機物ではあるんだけど、その目にはなにかを訴えかけるような力があって、必要ないからといって捨てることは難しいのだ。
邪魔にならないのなら、同じ場所でずっと眠らせてあげればいい。
それが人形や置物にとって幸せなことなのかどうかは考えても仕方ない。
ただ安易に手が出せないので、そうするしかないのだ。
車を走らせ、家に戻ってからシャワーを浴びた。
出勤までにはまだ時間があるけど、どこかへ出かける気分でもなく、なにを血迷ったのかアパートの周りの草むしりなんてことをしてしまった。
軍手を填め、抜いてはゴミ袋に突っ込んでいく。
すぐにパンパンになったので、新しいのを持ってきた。
今度はさっきのよりも大きめのやつだ。
アパートの敷地内は荒れ放題で、あっちへこっちへと草が伸びている。
なかなか根強いからしっかりと握らないと引っこ抜けない。
最初はよかったけど一時間も経つ頃には手が痺れてしまった。
それでも負けじと草を抜く。
手ごわい場所はスコップを使った。
土を掘り起こせば少しは楽に引き抜ける。
そうやってせっせと励んでいると、草の根の間に何かの卵を見つけた。
小さくて白くて楕円形で、数えてみると六つある。
いったいなんの卵だろうと考えてみたけど、生き物に詳しいわけじゃないので分からない。
ヘビか?トカゲか?それともヤモリか?
何が出てくるかは生まれてからのお楽しみ。
僕はそっと草の中に隠した。
その後もしばらく草抜きを続けたけど、いい加減腰が痛くなってきたので切り上げることにした。
ゴミ袋の大がひとつ分、中が二つ分なので、かなり頑張った方だろう。
キツく袋をしばり、部屋に引き返そうとしたら、隣に住んでいるおじさんが声を掛けてきた。
これやるよと言いながらブラックの缶コーヒーを差し出してくる。
僕はどうもと会釈しながら受け取り、その場で飲み始めた。
けっこう喉が乾いていたのだ。
一息ついたあと、もう一度お礼を言うと、精が出るなと肩を叩かれた。
おじさんは自転車に乗り、そのままどこかへ去っていった。
僕は手にした缶コーヒーを見つめながら、とても申し訳ない気分になっていた。
あのおじさん、仕事がないのだ。
去年からこのアパートに住んでいるんだけど、足を悪くしてクビになったと言っていた。
今は生活保護をもらいながら、たまにある日雇いの仕事をこなしているという。
早く定職を見つけたいんだけど、この歳じゃなあとも嘆いていた。
足はもう治ったけど、その頃にはどこも雇ってくれなくて、ほとほと困っているんだと笑顔で言ったいたのが胸に刺さっている。
そんな状態なのに缶コーヒーを奢ってくれるなんて。
明日なにかお返ししよう。
ゴミ袋を下げながら部屋に戻り、空き缶をテーブルに置いてから、ドカっと寝転んだ。
部屋に草の匂いが広がっていく。
服も軍手もそのままだし、ちゃんと縛ってあるはずの袋の方からも匂ってくる。
植物の匂いはけっこう強力だ。そして草の匂いは嫌いじゃない。
軍手を鼻に当て、土の匂いと一緒に吸い込んだ。

緑が謳うとき 第八話

  • 2019.06.03 Monday
  • 14:18

JUGEMテーマ:自作小説

仕事を終え、事務所で一服しながら、同僚と談笑する。
一人がお疲れと出ていったのを皮切りに、みんなそれぞれ散り散りになっていった。
僕も主任に頭を下げてから外へ出る。
時刻は朝の六時半、もう陽は登っていて、うんと背伸びをした。
振り返れば工場にも朝陽が降り注ぎ、近くに停まっているフォークリフトのボディが艶やかに輝いていた。
24時間制の工場はいつでも機械の動く音がしているし、忙しなく作業着姿の人たちが行き交っている。
今日の夜、またここへ来るわけだけど、少し前と違って、夜通し働くダサるさはなくなっていた。
夜勤の仕事は初めてだったもので、最初のうちは眠くて仕方なかった。
何度かミスをしてしまい、作業の流れを止めてしまって主任からどやされた。
ライン作業ではないんだけど、こういう場所の仕事ってのは流れが大事だ。
機械も人も効率よく流動しないといけない場所っていうのは、ある意味で心地よかった。
今までやってきた仕事と違って、コツさえ掴んでしまえば、考え事をしながらでも勝手に身体が動く。
夜、ずっと人工の光の中で作業をするっていうのは、僕みたいなタイプには向いているようだった。
車に乗り、一服吹かしてから仕事場をあとにした。
家に帰る途中、少し眠くなってきたので、コンビニの駐車場に車を停め、座席を倒して寝転んだ。
強い眠気が襲ってきて、少し眠るはずが、目を開けた時には昼を回っていた。
せっかく今の生活に慣れてきたと思ったのに、まだまだそうはいかないようだ。
コンビニで眠気覚ましのドリンクを買い、まだ睡眠を欲しがる頭をシャキっとさせた。
ついでにサンドイッチで朝飯と昼飯を一緒に済ませ、とにかく安全運転で家を目指した。
道はまっすぐ伸びていて、交差点は幾つもあるけど、しばらくはどこを曲がる必要もない。
このまま直進して、橋を渡って、そのあと左に曲がって、土手のすぐ近くにある細い道を走れば家につく。
だけどなんとなく寄り道をしたくなってしまった。
何時間も寝てしまったのだ。
急いで帰って、これまた何時間も眠る必要はあるまいと、ガソリンスタンドの向こうにある交差点を左折して、山の方へと続く道へ入った。
このあたりは古い団地になっていて、一人暮らしの老人が多い。
以前に大きな火災があって、隣街からも応援の消防車が駆けつけていた。
新聞にも載ったほどの大火事で、対岸にある僕の家からも煙が立ち上るのが見えていた。
記事によれば一人暮らしの老人の部屋から出火したらしく、それが隣、また隣と燃え移って、消防車が集結しないといけないほどの火災になってしまったらしい。
古びた団地は今もそのまま残っていて、建て替えられることなく佇んでいる。
焼けた場所だけ綺麗に作り直されているけど、あの時の火事の記憶を刻んでいるみたいで、長く見ていたい光景ではなかった。
ここを抜けると溜池がある。
ずっと昔はフェンスなんてなかったけど、一度事故があってからは中に入れないように囲いがなされていた。
冬になれば渡り鳥がよく羽を休めている。
その向こうには竹林があり、細い道を抜けると野球場がある。
この近くにも溜池があって、川辺には藤の花が群生し、クマバチが重い羽音を響かせながら蜜を求めるのだ。
蛇行する山道をさらに登っていくと、見晴らしのいい駐車場へたどり着く。
ここの脇にある道から山道へと歩いていける。
途中から勾配のきつい獣道になっていて、夜になれば鹿や猪がウロウロし、町の近くまで下りてくることもある。
僕は駐車場に車を停め、植え込みの傍にあるベンチに腰掛けた。
何年か前まではたくさんの野良猫がいた。
あれはいつだったか、植え込みのツツジが綺麗な花を咲かせている時期に、毛の長い猫がいるのを見つけた。
汚れていたけど、野良という風情ではなく、かといってこんな場所に飼い猫がいるわけもない。
おそらくだけど、捨てられてそう間もない猫だったんだろう。
ツツジの植え込みに身を寄せながら、恨めしそうな目でこっちを睨んでいた。
あの目に宿った感情は人間への恨みだったと思う。
どうしていきなりこんな境遇になってしまったのか、その原因は自分を捨てた人間であると、怒りと悲しみに光る目が語っていた。
辛い状況に置かれた猫、そのすぐ傍で鮮やかに彩る赤や白のツツジ。
空はよく晴れていて、猫だけが暗く冷たい空気をまとっていた。
あの頃は猫好きの人がここへ餌をやりに来ていた。
けどそのせいか野良猫が増えるようになってしまって、餌やり禁止の看板が立つようになった。
そして半年もしないうちに猫たちは姿を消してしまった。
餌がないからどこかへ行ってしまったのか、それとも捕獲されて保健所か愛護センターへ送られたのか。
僕には分からない。
分からないけど、ここへ来るとあの猫の恨めしそうな目を思い出してしまうのだ。
今は初夏、ツツジが綺麗に咲いている。
蜜を求めてミツバチやハナバチがブンブン飛び回り、空もよく晴れているし、とても気持ちいい光景だ。
同時にあの猫の目が鮮烈に思い出されて、深く沈んだ気分にもなる。
人間の保護をアテにできなくなったあの猫にとって、ここは最後の砦だったはずだ。
大人の猫だったから、餌さえ確保できれば生き延びることはできたはずだし、幸いにも餌を与えてくれる猫好きな人がいた。
しかしその砦はもうない。
餌だけでなく居場所も奪われ、ツツジだけがあの頃と変わらずに花を咲かせている。
美しいはずの色鮮やかな花々だけど、切ない記憶が重なった途端に、その美しさが残酷な光景のようにも見える。
辛い出来事があった時、誰かにおめでとうと花を贈られたら、怒りと同時に悲しみが沸くはずだ。
綺麗だからこそ、美しいからこそ、それに見合うだけの残酷さを内包している花々は、自分たち以外のモノなどお構いなしに咲き誇り、癒しと同時に痛みも与えてくる。
ここで花を眺めていると辛くなってくる。
もちろん花に責任はないけど、憂鬱な気分になることは避けられないので、空に目を移した。
雲は多いけど立派に晴れている。
植え込みの後ろには木々が並び、今日もまた緑を輝かせていた。

緑が謳うとき 第七話

  • 2019.06.02 Sunday
  • 11:12

JUGEMテーマ:自作小説

ガラス張りのビルに雲が映っている。
ゆっくりと流れる動きもそのまま映し、しばらくその光景に見入っていた。
僕のすぐ隣を初老の男が歩いていき、自動ドアを潜って中に消えていく。
ここは近所にある福祉センターで、施設の一角に銭湯がある。
300円で入浴できるのでちょくちょく来ているのだ。
開店は朝九時、ドアが開くのと同時に入って、一時間ほどゆったり浸かっていた。
朝食がまだだったので、向かいのスーパーへ向かう。
特にこれが食べたいといったモノはないけど、腹は満たしておきたい。
パン二つとコーヒー牛乳を手にレジへ向かい、フードコートで袋を開けた。
窓側のカウンター席、外から光が差し、植え込みの緑がよく見える。
また初夏がやって来た。
煌く緑に目を細めながら、歩道を歩いていく飼い犬に気を取られる。
今年の春、大家さんの犬がこの世を去った。
享年12歳だった。
長い付き合いだったので寂しさはある。
朝晩ずっと散歩に行っていたのだ。
今でも時々、散歩へ行かなければと支度してしまいそうになることがある。
犬ってのは長いと15歳くらいまで生きるらしいので、12歳で他界というのは、そう早死ってわけじゃないんだろう。
ただあの犬が満足した生を送ったのかどうかは分からない。
亡くなる一週間前は大家さんの家にいたので、最期の瞬間は看取ってないけど、病気だったので楽にってわけにはいかなかったはずだ。
病院で過ごしていたらもう少し生きられたらしいけど、大家さんはそれを拒否し、自宅で最期を迎えさせた。
それもあの犬にとって幸せだったのかどうかは分からない。
ただやはり寂しい。
長く付き合った仲だ、どうか天国で幸せに暮らしていてほしい。
そんなことを考えながらパンを食べ終え、夜勤の仕事に備えて、家で身体を休めることにした。
今年の春に仕事を変えたのだ。犬が亡くなる少し前のことである。
というのもカメラマンの友人の仕事が減ってしまい、人を雇う余裕がなくなったとリストラを告げられた為だ。
そのうち自分自身が廃業するかもしれないと嘆いていた。
あの業界もなかなか厳しい。
大きな欠伸をしながら背伸びをして、家に帰ってからすぐに布団に潜り込んだ。
次に目を開けた時は夕方になっていて、布団の上でストレッチをこなし、顔を洗いながら、頭の中で流れる少し前に流行った歌を聴いていた。
ほんとに寝起きってのは、どうしてこうスラスラと歌詞が出てくるんだろう。
メロディだってそうだ。
きっと人間の頭には、睡眠後にだけ作動するメディアプレイヤーが付いているに違いない。
頭が活発になる頃には、他の雑音が大きくなって聞き取れなくなってしまうけど。
時計は午後五時を指している。
少し前なら犬の散歩に行っていた時間だ。
もう犬ないないけど、寝起きの頭を覚ます為に散歩へ出かけることにした。
近所のスーパーで酒と惣菜を買い、店の裏手へ回って、細い路地を歩いていく。
右手には学校終わりの子供を預かる学童保育があり、その向かいには散髪屋がある。
どちらも年季の入った家屋で、何年か前までは普通の民家だった。
しかし家主が亡くなったり引っ越したりと、ここら辺でも空家が目立つようになった。
無人の家屋はそのまま放置されることが多いけど、こうして別の形で役に立つ場合もある。
時間的に学校終わりの子供たちがいるんだろう、壁の向こうからボールを蹴る音や、はしゃぐ声が聴こえる。
サッカーでもしているんだろう。
キーパーがどうとか、パスがどうとか言いながらずいぶん盛り上がっているようだ。
子供たちの声を背中に聴きながら、さらに路地を進んでいく。
用水路を渡す短い橋を越えると、田植えの時期には水を調節する堰があって、手前にプカプカとゴミが浮かんでいた。
空き缶にペットボトル、こういう光景はなんだか嫌になるものだけど、僕が子供の頃はもっと酷かった。
川に近づくだけで異臭がしていたし、油だかなんだか分からないけど、うっすらと七色に淀んでいることもあった。
今でもゴミはゼロにならないものの、ずいぶんとマシになったと思う。
水に揺られるゴミを尻目に、さらに路地を進んでいくと、最近できたばかりの寿司チェーン店の駐車場が見えてくる。
ずっと砂利敷きの空き地のままだったのに、綺麗に舗装されて、何台も車が並んでいた。
これは第二駐車場で、ここを越えると大きな道に差し掛かり、休日には満員になる寿司屋が見えてくる。
ここにはかつて車のディーラー店があった。どこかへ移転してからずっと更地のままだったんだけど、今では大勢の客で賑わう場所に変わった。
寿司屋の反対側には交差点があって、まっすぐ渡った先には花屋がある。
二階建てになっていて、1階の庭には花壇のように綺麗に花が並んでいる。
この花屋は昔から変わらないけど、変わってしまった建物も多い。
空家になる民家、更地になる土地、かと思えばいつの間にか新しいお店が建っていたりと、町が変わってきているように思う。
パっと見て分かる急激な変化ではない。
ボディブローのようにじわじわと小さな変化が押し寄せ、注意深く観察してようやく、以前とはまったく違っていることに気づかされるのだ。
交差点を曲がった先には大型のスーパーもある。
まるでホテルのラウンジのように綺麗な銀行も。
どちらも昔からあるスーパーと銀行だけど、佇まいは変わった。
スーパーは以前より小さく、銀行は以前より大きくなり、どちらも綺麗に生まれ変わった。
外見は変わらず、中身が変わる建物もあれば、外見だけ変わって、中身はそのままって場合もある。
景色の変化は四季のうつろいだけでなく、あらゆる場所に存在していて、なぜだか急に自分だけが取り残されているような気になってしまった。
そういえば交通量も増えた。
昔はここまで交差点に車が溜まることもなかったのに、今ではちょくちょく渋滞のようになっている。
特に帰宅ラッシュの夕方は酷いもので、なのに町そのものの人口は減っている。
いったい何がどうなっているのか僕には分からない。
たた一つハッキリしているのは、考えすぎると気が滅入るってことだ。
もしこれがもっと大きな街ならば、下手に感傷的になって、落ち込んだ気分になることもなかっただろう。
そこかしこに高いビルが並び、素早い変化が当たり前の大都市ならば、変わっていく街並みは日常的な光景になる。
それは四季のうつろいとよく似ているから、そう違和感を覚えることもないだろう。
だけどこんな中途半端な田舎町では、中途半端な変化しか起きない。
四季のうつろいのような、大都市の流動のような、目に見えて分かりやすい動きなんてなくて、アメーバのようにウネウネと蠢いているような、奇妙な心地悪ささえ感じてしまう。
どうせ変わるなら、もっとスバっと変わればいいのに。
どうせ古いモノを残すなら、徹底的に守り抜けばいいのに。
行き先の分からない鈍行列車に乗っているような不安感があって、途中下車したくなっても、あいにく住処はここにある。
引っ越せばすむ話だけど、引っ越すほどの話でもないので、踵を返して家に戻った。
食事を済ませ、シャワーを浴び、歯を磨き、出勤時間までダラダラとテレビを見る。
刺激のない生活に戻った今でも、せっかく買ったテレビとDVDレコーダーだけは置いてある。
ネットは依存が怖いので、また不便な環境に戻してしまった。
スマホの月間通信料は一番下のプランだし、Wi-Fiも解約した。
でも後悔はしていない。
どうしてもネットが必要になればネカフェへ行けばいいだけだし、音楽を聴きたいならラジカセがある。ラジオだって現役だ。
今の僕にはこれで充分、いつかまた刺激のある生活に戻りたくなるかもしれないけど、その時はまたそういう環境に作り変えるだけだ。
そろそろ出ようかと立ち上がり、仕事用の作業着に着替える。
少し汚れているけど、まだ洗濯には早いだろう。
つま先を防護する為に固くなっている安全靴を履き、トントンと足を入れる。
家を出る頃、日は沈みかけていて、土手の向こうから淡いオレンジの光が透けていた。
景色の陰影は濃くなり、草木も陽光の色に染まっていく。
目を閉じ、背筋を伸ばし、今日が終わっていく匂いを吸い込んだ。

緑が謳うとき 第六話

  • 2019.05.31 Friday
  • 11:56

JUGEMテーマ:自作小説

雨が続いている。
今は梅雨のど真ん中で、蒸すような不快感と、薄い陽光しか降り注がないことに我慢しないといけない日々が続いていた。
そういえばこの前、部屋の隅にヤモリがいた。
夜になるとよく窓に張り付いているけど、部屋の中に出てくるのは珍しい。
捕まえて逃がそうとしたんだけど、かなりすばしっこくてどこかに消えてしまった。
まあ自分で入ってきたなら自分で出ていけるだろう。
・・・・外での一服を終え、仕事に戻る。
昨日もブライダルの撮影が入っていた。
パソコンの画面を睨みながら、疲れた目と格闘しつつ、補正をかけていく。
シトシトと降る雨の音は部屋にも響いていて、ずっと耳にこびりついて離れない。
無性に寂しくなり、リモコンを手に取った。
数日前にテレビを買った。
小さな画面の安物だけど充分だ。
ついでにDVDレコーダーも。
昨日録画しておいた深夜番組を見る。
そいつをBGM代わりにするだけで、部屋の中はずいぶんと空気が変わった。
馬鹿なことをして叫ぶ芸人、それを見て笑うアイドル。
無味無臭なCM、そしてまた始まるバカ騒ぎ。
部屋に広がるテレビの音は寂しさを打ち消してくれた。
以前ならこんな日々を寂しいと思うことはなかった。
それどころか胸が安らぎ、雨の音に風情を感じながら、イメージの世界に没頭していた。
今はそれが出来なくなりつつある。
降り続ける雨を鬱陶しいと思うし、ジメジメした空気は不快だ。
そしてこんな憂鬱な季節を乗り切るには刺激が必要だ。
そのうちテレビとDVDだけでは済まなくなるだろう。
もっと快適にネットが使える環境にするだろうし、出かける頻度も、人に合う回数も増えると思う。
恋愛もしたくなるし、贅沢もしたくなるだろう。
自然や景色の風情を楽しむよりも、もっと分かりやすくて刺激の強い快楽を欲しがっている今、波風のない穏やかな生活は苦痛に変わり始めていた。
時計はお昼の12時を回ったところ。
いつもは自炊だけど、今日は外へ行くことにした。
最近はファーストフードを避けていたけど、久しぶりにと思ってハンバーガーショップに入る。
梅雨時は客が少ないようで、並ばずに注文が出来たし、ほとんど待つことなく商品が運ばれてきた。
ポテトをかじり、ハンバーガーをかじり、コーラで流し込む。
一口目は味のキツさに顔をしかめたけど、一個食べ終える頃には慣れてしまった。
昔、腹の周りには掴めるだけの肉がついていたけど、今はない。
質素な食事のおかげで勝手に痩せていったのだ。
でもまた太りだすだろう。
美味いモノを食うのが大事か。
それとも体型の維持が大事か。
どちらが正解ってことはない。
極端に健康を害しないなら、自分が好きだと思う方を選べばいい。
僕は太ってもいいから、もっと美味しいモノを食べたい。
食べたくなってきた。
食事だって刺激が必要だ。
たぶん明日も外へ食べに行くだろう。
今夜はラーメンなんてことも。
友人と出かける時くらいしか外食なんてしなかったここ数年。
仕事の時だって弁当を持って行ったのだ。
おにぎり二つと、漬物や小魚だけの弁当を。
飲み物はお茶、パンの日はコーヒー。
けどそれも終わりにしよう。
明日からは・・・いや、今日からはうんと美味いモノを食べるのだ。
もちろん財布に負担が掛からない程度で。
久々のファーストフードはとにかく美味かった。
腹も膨れ、大きな満足感に満たされる。
家に帰り、いつもより早めに仕事を切り上げて、友人と街まで繰り出した。
久しぶりに飲みに行き、カラオケに行き、また飲み屋を梯子した。
次の休日には釣りへ出かけた。
堤防釣りはよくしていたけど、久々に船を借りて沖まで出たのだ。
数時間ねばったけど坊主のままで、帰り際にサービスで一匹だけ魚をもらった。
坊主の人にだけもらえる特典だった。
港にある魚屋さんで捌いてもらい、数人で鍋をした。
友人の一人が女の子を呼べるというので、ちょっとした合コンみたいになってしまい、そのうちの一人の子と仲良くなって、二週間後くらいに付き合うことになった。
しかし長続きせず、梅雨が明けて暑くなる頃には別れていた。
けどどうしても彼女が欲しかったので、友人に紹介してもらい、その子とは冬が明けても付き合っていて、一年の間一緒に暮らした。
波風のない穏やかな生活を送る前はこんな生活をしていた。
今の僕は自然の美しさや風情に心を躍らせることはなくなっていた。
草木が輝いていても、空がこれでもかと青くても、水たまりにアメンボがいても、だからどうしたと言わんばかりに、その辺の石ころ同様の扱いになっていた。
刺激のある生活は楽しい。
その分散財もしたけど後悔はない。
ずっとずっとあんな穏やかすぎる生活には耐えられなかったし、今思えばどうしてあんな生活を望んでいたのか不思議に思うほどだ。
けど特別な理由なんてないんだ。
人は過去を振り返った時、もっともらしい理屈を付けたがる。
あれがこうだった、だからこうなった。
そんな検証のしようのないことに理屈をつけ、納得し、勝手に人生訓をこしらえて、成長したような錯覚に陥る。
でもそれは違う。大きな変化に理由はない。
だからまた波風のない穏やかな暮らしを求めることがあったとしても、特別におかしなことではないのだ。
そしてそういう日はまたやって来た。
刺激のある毎日が普通になってしまい、刺激を刺激と感じなくなるのに、そう時間は必要なかったのだ。
穏やかな日々に退屈を覚えたあの梅雨の日から二年と経たずに、また同じような暮らしに戻ってしまった。
退屈な男になってしまった僕に、彼女は不満を募らせ、そして我慢の限界がきた。
あんたは悟りを開いた坊さんかと呆れられるほど、何に対しても欲がなくなってしまっていたのだ。
自分の荷物をまとめながら、仙人と一緒に暮らす気はないと別れを言い、さっさと出て行ってしまった。
決して派手なことが好きな女の子ではなかったけど、度を超えた無欲ぶりというか、あまりの退屈な男っぷりの僕に対し、自分の時間を無駄にしたくなかったんだと思う。
可哀想なことをしてしまった。
あそこまで我慢させる前に、どうにか出来たかもしれない。
別れた翌日、昨日まで彼女が寝ていた布団を干しながら、少しだけ二人の思い出に浸った。

緑が謳うとき 第五話

  • 2019.05.30 Thursday
  • 11:56

JUGEMテーマ:自作小説

初夏も終わりに近づいてきた。
梅雨にはまだ遠いけど、緑の趣が変わってきたのだ。
初夏特有の透き通るような、それでいて若々しい緑は消え去り、代わりに生命力あふれる逞しい緑になった。
夏が近いのだと、そこらじゅうの草木が教えてくれている。
今日は仕事は休み。
犬の散歩をすませたあと、ここ数日の疲労を相殺する為に、布団に潜り込んで二度寝を決めていた。
目を開けた時にはすでに昼前。
友人から飯でも行かないかと連絡が入っていて、返信が遅れたことを謝りつつ、今日は疲れているので難しいと断った。
目は覚めているけど、布団をかぶり直して目を閉じた。
外から大きな音が聴こえる。
機械音のようだけど、これはエンジンだろうか。
バイクかもしれないし、チェーンソーの音にも聴こえる。
そういえば実家にいた頃、微睡みの中で、雷の音を間違えたことがあった。
冬だった。季節外れの雷だなと、布団にくるまって目を閉じていたのだ。
でもやたらと規則的に響くので、おかしいと思って顔を上げたら、すぐ近くの柱で猫が爪を研いでいるだけだった。
目を開けていたら、ちゃんと覚醒していたら、絶対に聞き間違えない音だった。
布団の中で微睡んでいると、普段は間違えないような音まで聞き間違えてしまうのだ。
しかし目を開けて真実を知ったからといって、何かが変わるわけじゃない。
ああ、雷じゃなくて猫だったんだなあと、また布団にこもってしまっただけだった。
今聴こえているこの音の正体は何なのか?
バイクか?チェーンソーか?それとも重機か?
知ったところで何も変わらない。
だったら確認なんてする必要はなくて、布団にもぐり続けた。
・・・・その日の夕方、犬の散歩へ行く直前に空が光った。
バリバリと空気を引き裂く音、カメラのフラッシュのような閃光。
窓越しに飛び込んでくる鮮烈な光と音は、部屋の中に緊張をもたらす。
昔から雷が怖かった。
同時に好きでもあった。
言いようのない興奮が湧いてくるし、恐怖と喜びが混じったようなおかしな気分になる。
窓から顔を出し、薄暗い空を窺う。
もうすぐ夕立が来るだろう。
風が湿り気を帯びて、そこら辺の草木に吹き付けていた。
雷は何度も閃光を放ち、腹に響く重低音がどこか心地いい。
たまに鳴る鋭い雷鳴には身を竦めたけど、ゴロゴロと唸る声は言いようのない魅力があった。
ポツポツと雨音が鳴ったかと思うと、間髪入れずに豪雨がやってきた。
窓を閉め、バケツをひっくり返したかのような水の嵐に見入る。
全てが雨で塗りつぶされていく。
光も音も、そして匂いさえも。
激しく窓を叩きながら、これでもかと水を浴びせかける中、また閃光が走った。
空気を切り裂く音はどこかに落ちた証拠。
それを最後に雷は鳴りを潜め、やがて雨も駆け抜けていった。
窓から光が差し、窓に叩きつけられた水滴が反射する。
外に出てみるとそこらじゅう水浸しで、土手の草にたまった水滴が輝いていた。
家に戻り、インスタントのスープで一息つき、靴下を放り投げてサンダルを履く。
少し早いが犬の散歩に出かけた。
川は少しだけ水かさを増していて、いつもは浮き出ている堤防の岩が見えなくなっている。
そういえば何年か前、連続で襲いかかってきた台風のせいで、氾濫寸前までいったことがある。
水は橋桁いっぱいまでせり上がり、いつ土手を越えてもおかしくない状態だった。
あの頃はこのアパートには住んでいなかったけど、興味本位で見に行ったのだ。
水底の泥を巻き上げながら猛スピードで突進する濁流は、雷鳴に匹敵するほどの轟音を響かせながら、いつ土手を越えてやろうかと殺気満々だった。
避難勧告の出ていた土手近くの家には誰もおらず、傍で眺めているのは僕一人だけ。
もしこの瞬間に氾濫したら命はない。
そう思いながらも、どうしてかずっと眺めていたかったので、橋の上まで歩いた。
手すりの下を見るとほんのすぐそこまで水がきていた。
座って足を伸ばせば届く距離だったが、さすがにそれをやる勇気はなかった。
・・・・今になって青くなる、よくあんなことをしたものだと。
なぜ命の危険があるのに近くまで行ったのか、自分でもよく分からない。
荒れ狂う自然の力を見てみたかったのか?
とにかく正体の分からない何かに好奇心を刺激され、興味に抗えなかった。
今なら絶対に同じことはしない。
あの日、近くで荒れ狂う川を見て興奮し、それから時間が経つにつれて馬鹿なことをしたと実感するようになったのは、好奇心に負けない大人になったせいだろうか。
そもそも好奇心そものが衰えている可能性もあるけど、それが大人になるということなら、成長と感受性は反比例の関係にあるんだろう。
些細なことでも感動できるのは素晴らしい能力だけど、ある程度の鈍さが無ければ人生は辛い。
鋭敏な感性は感動だけでなく、日々起こりうる些細な痛みやストレスまで増幅してしまう。
あと10年もしたら、僕は何に対しても美しいと思ったり、胸を躍らせたりしない人間になってしまうのかもしれない。
それはとても寂しいことだろうけど、今考えても仕方がない。
・・・犬が身を丸め、ボトっと糞を落とす。
ナイロンで拾い、袋に突っ込んだ。
犬はさっきまで糞のあった場所をクンクン嗅ぎながら、まったく別の場所の草を蹴り散らかして臭いを広げようとしていた。
帰り際、土手を降りて土の上を歩いた。
ぬかるんだ土にめりこむサンダル、湿っていく足の裏。
泥が指の間に入り込み、爪の先が汚れていく。
湿った草地へ向かい、水たまりに足を突っ込む。
バシャバシャとはしゃぐ水に犬が興奮し、獲物を狙うかのようにお尻を振り、水たまりに突っ込んだ。
跳ねた水滴がズボンを濡らし、小さな染みを作っていく。
足元から顔を上げると、対岸の山も輝いていた。
鮮烈な緑、麓に広がる建物。
ガソリンスタンド、コンビニ、木々の間から見える神社の屋根、古くなった遊具が並ぶ公園、小学校の屋上にある大きな時計。
どうして分からないけど、一瞬ここがどこだか分からなくなった。
同じ漢字をじっと見続けていると、ゲシュタルト崩壊を起こして、本当にこんな漢字だったかなと不思議に思うらしいけど、それは景色に対しても起こることなのかもしれない。
じっとずっと見続けていると、自分の足元さえ危うくなってくる。
でもここが間違いなくいつもの土手であるとすぐに思い直したのは、ぬかるんだ足元のせいだ。
さっき雷が鳴った、夕立が来た、草木が濡れた、地面には水たまりができた。
だから僕の足は濡れている。
指に挟まった泥、汚れた爪、そしてリードを引っ張る犬。
光景が、感触が、そして雨と緑の匂いが、自分の立っている場所を思い出させてくれる。
歩き出し、家に帰り、犬の餌をやり、さっきまでの出来事を忘れたくてラジオをつけた。
でも物足りない。
テレビが欲しい。
DVDプレイーヤーも欲しいし、ゲーム機だって。
ネットなら出来るけど、どうしようか?
ここ最近は仕事以外でパソコンもネットも使うことはなかった。
スマホにしたってそうだ。
無駄なお金を使いたくないから、月に2GBまでの契約にしてある。
・・・・飽きた?
今の生活に飽きてきたのか?
波風のない穏やかなこの生活、日常の情景や景色に感性を躍らせるこの生活。
ある意味仙人みたいなこの生活に飽きてきたんだろうか?
こういう生活をするようになったことに、特別な理由はない。
だったらこういう生活に飽きてしまうことにも、特別な理由はいらないはずだ。
飽きたから、充分に堪能したから。
だからまた刺激のある生活に戻りたい。
街の中に、便利な中に、娯楽があふれる中に、恋愛の中に、大勢の人間がいる社会の中に。
窓から差し込む光を見て、水滴のついたシンクを見て、部屋の中をウロウロしながら、唇を指で弾きながら、自分はどうしたいんだろうと考えてこんでしまった。
・・・・翌日、いつもと同じように犬の散歩へ向かった。
すると普段とは違って景色が見えることに驚いた。
あれだけ美しいと思っていた何気ない土手道の風景。
自然の移り変わり、営み、そういうものに情緒や風情を感じなくなってしまったのだ。
やはりこういう生活に飽きてしまったんだろうか。
仕事中も悶々としながら、翌日にも同じ感覚に襲われた。
そして次の休日、いっそのこともっと田舎へ行ってみようかと思って、遠出をしてみることにした。
自宅から二時間ほど車を走らせる。
蛇行する国道は広く、左手には山、右手には川が流れている。
山の麓はコンクリートの斜面になっていて、反対側にある川辺も同様にコンクリートで補強されていた。
それでも植物は根付く。
ほんの小さな隙間からでも顔を出し、川からガードレールにまで伸びているモノもあった。
田舎の国道は交通量も少なく、すれ違う車はほとんどいない。
少し離れたところにワンマン列車の駅が佇んでいて、小さなホームには誰もいなかった。
一時間に一本くらい・・・いや、もっと少ないかもしれない。
ホームの周りは古い民家と畑ばかりで、耕された土と、畦の緑に覆われている。
夏になればノスタルジックな光景になるだろう。
一枚絵の景色としては綺麗だろうけど、実際にここに住むとなればどうだろう?
おそらく住民は高齢者が多く、生活もかなり不便だろう。
近くには大きな病院もなさそうだし、大怪我や大病でもすれば、否応なしにここを離れなければいけない。
ルームミラーに流れていく駅を目で追いながら、もっと田舎を目指していった。
やがて山は低くなり、代わりに川の幅が増していく。
車がギリギリすれ違うことが出来そうな細い橋を渡って、間違いなく過疎化が進んでいるであろう集落を抜け、本物のヘビのようにうねる蛇行道路を走っていった。
途中、草の茂路に肩に車を止めて、窓をあけて一服ついた。
・・・・特に思うことはない。感じることも。
目を閉じ、胸いっぱいに緑の空気を吸い込みながら、強い刺激を欲しがっている自分がいることに気づく。
自然は美しい、田舎の長閑な雰囲気も好きだ。
しかしそういうものに胸が躍る感度は明らかに低下している。
・・・・なぜか疲れを感じた。
背もたれを倒し、しばらく眠りについた。

緑が謳うとき 第四話

  • 2019.05.29 Wednesday
  • 14:55

JUGEMテーマ:自作小説

ブライダルの撮影ってのはなかなか大変である。
初夏が深まる頃、緑の美しい式場の庭で、幸せそうな夫婦が笑っていた。
カメラマンの友人がカメラを構え、角度やポーズを指示する。
僕はレフ板で光を調整しながら、新郎新婦の後ろで不機嫌な顔をしている親族に目を向けた。
めでたい日であるはずなのに、親族がこういう顔をしていることは珍しくない。
それどころか結婚する二人が仏頂面をしている場合もある。
結婚式の裏側ってのは色々とトラブルが起こりやすく、始まりから終わりまで和やかな場合もあるが、その真逆もあるのだ。
誰かを祝うような空気ではなく、今にも喧嘩が始まりそうな険悪な空気に満たされた式場もあった。
まあ詳しくは言わないが、結婚式ってのは愛憎の両方が詰まっている空間であることは確かだ。
今日の式、夫婦になる二人はにこやかだけど、親族の側、特に新婦の親が仏頂面を極めていた。
天気は良い、緑も綺麗だ。
式場だって清潔で清楚でいい場所だし、情景は文句一つないほど最高だ。
そんな状況だからこそ、仏頂面の悪い空気は余計に際立つ。
ニコニコしている新郎新婦も悪い空気を察しているようで、決して後ろを振り返らない。
景色が美しいから、情景が最高だから、結婚式というおめでたい席だからこそ、不機嫌な人がいるってだけで、全てが悪く思えてしまう。
とりあえず仕事は滞りなく終わったけど、奇妙な緊張感のせいで疲れてしまった。
けどまあよくあることなのだ。
ブライダルの裏側ってのはほんとに色々ある。
帰り道、手押し車を押しながら散歩しているおばあちゃんがいて、緑輝く街路樹の下を歩いている姿に、なんだかホっとしてしまった。
いつどんな時でも美しい光景はない。
ピクニックにでも出かけたくなるようなこの青空でさえ、辛い気持ちを掻き立てられるだけの今日を過ごす人もいるだろう。
僕だって経験がある。
そういうことはきっと、誰にだってあるんだ。
だからこそ波風のない穏やかな毎日というのは大事である。
美しいモノを美しいと思える。
例えそこに大きな喜びや感動がなくたって、それはとても大事な時間なのだ。
・・・次の日の朝、なぜかいつもより早くに目が覚めてしまった。
また夢を見たのだ。
今度は悪い夢だった。
内容は覚えていないんだけど、気持ちが沈んでいるから、決して良い夢ではなかったはずだ。
朝から落ち込んでいるのはよくない。
顔を洗い、タオルで拭き、ふと顔を上げると、窓から薄い光が差し込んでいた。
洗面台の横にある洗濯機を照らしている。
薄い光はカーテンのように柔らかく、少し溜まった埃を反射しながら、淡く空間を切り取っている。
手を伸ばし、光に触れてみると、自分の手に強い陰影が刻まれた。
僕の手はこんな感じだったか?
握ったり開いたりしながら、まるで知らない手であるかのように錯覚してしまう。
というより、手には自らの意志が宿っているんじゃないかと思えるほど、自分の一部ではないような違和感を覚えてしまった。
朝の光は面白い。
太陽から放たれる生まれたばかりの光は、夜に浮かぶ無機質な光とは対照的だ。
風情に溢れ、情緒に溢れ、見慣れたはずの家の中さえ新鮮に照らす。
自分の一部であるはずの手まで普段とは違って見えるんだから面白い。
今日はいつもより早めに犬の散歩へ行くことにした。
早朝というのは特別な時間だ。
夕方と同じくらいに特別だと思う。
まず空気が美味い、そして爽やかだ。
胸いっぱいに息を吸い込むと、まだひんやりと冷たい初夏の空気は、身体の隅々まで浄化してくれるようなパワーを感じる。
しっとりと濡れた土手の草は初々しくて、それは立ち並ぶ木々も同じだ。
幹も枝も葉っぱも、土から露出した根っこも初々しく見える。
太陽から放たれる生まれたばかりの光は全てを初々しく映す。
ベンチに座り、ポケットから犬用のおやつを取り出し、二つに割る。
お座りをさせてから一つ、お手をさせてからもう一つ。
シャクシャクと音を立てながら噛み砕いた犬は、お尻を向けて草の臭いを嗅ぎ始めた。
犬は犬で忙しい。
オシッコをしたり、フンをしたり、草を食べたり、おやつをねだったり。
お手やお座りなど芸もこなさないといけない。
こうやって犬の忙しさに思いを馳せる。
穏やかな毎日を送っている証拠だ。
しばらくベンチに座っていると、すでに初々しい光の時間は終わっていた。
山から完全に顔を出した太陽の光は、夕方が来るまで変わらない。
初々しくもなく、かといって哀愁があるわけでもない。
何も特別なことはない。
時計がなければ今何時が分からない状態が何時間も続き、陽が暮れる頃に一日が終わろうとしていることを肌で実感するのだ。
もし僕が無職なら腕時計はしないだろう。
代わり映えのない一日のうち、強制的に時間を区切ることは、それを必要としない状態ならなんの意味もない。
まあ細かいことはいいのだ。
早朝が終わって普通の朝になっても気持ちいいことに変わりはない。
ベンチから立ち上がると、足元に毛虫がいた。
犬が臭いを嗅ごうとしたので慌てて引っ張る。
早朝の初々しい光と空気のおかげで、悪い夢で沈んでいた気持ちもすっかり治った。
アパートに戻り、犬の餌をやり、自分も朝飯をすませ、着替えてから家を出る。
今日もブライダルの撮影が入っている。
昨日と同じように誰かが不機嫌な顔をして、空気が悪くなるかもしれないけど、ああいう場所では色々あるから仕方ない。
じゃあなと犬に手を振り、車に乗る。
ルームミラーを調整し、サイドミラーも確認した時だった。
左側のミラーに蜘蛛の巣が張っているのに気づいた。
一昨日くらいに撤去したのに、もう立派な巣が出来上がっている。
鏡面の全てを覆うように白い糸を張り巡らし、ゆるい風を受けて揺れていた。
こうしてまた巣が張られるってことは、どこかに蜘蛛が棲みついているんだろう。
別に駆除しようとは思わない。
車内に棲まれたら厄介だけど、節度を弁えてサイドミラーに居候しているのだ。
好きなようにしたらいい。
どうせ取ってもまた巣が張られるわけだから、真っ白な糸のオブジェを揺らしながら車を走らせた。
幸い今日は和やかな雰囲気で結婚式が進んだ。
緑は相変わらず綺麗で、新郎新婦の未来を祝福しているかのようだった。
全てが美しいと、緑もよりいっそう美しくなる。
今日は良い夢を見られるかもしれない。

緑が謳うとき 第三話

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 12:04

JUGEMテーマ:自作小説

波風のない穏やかな日々。
初夏という季節がなおさらにそんな日々を支えてくれる。
緩やかで、暖かくて、時々肌寒くて、草木は輝いて、風には緑の香りが含まれて、幸も不幸も問うところではないほどの穏やかな毎日。
今日はビルの並ぶ隣街で仕事をしていた。
手入れの行き届いた清潔な神社の境内で、夫婦になる二人を撮影している。
いつもはカメラマンである友人の補助なんだけど、今日に限って僕も撮影することになった。
というのも依頼者である夫婦から、とにかく色んなアングルの写真がほしいと頼まれた為、アシスタントである僕もカメラを構えることになったのだ。
前職でカメラをいじることはあったので、扱いには慣れている。
もちろん腕は本物のカメラマンには及ばないけど。
しかし数撃てば当たるのが写真。
高容量のメモリーを使えば何千枚と撮れるので、フィルムの時代と違って残弾を気にする必要はない。
無論、シャッターを切った分だけ、あとから選ぶのが大変になるんだけど。
今日は天気もよく、風も吹いていない。
撮影は順調に進み、昼前には現場での仕事を終えた。
さあ、これから帰ってセレクトとレタッチの仕事が待っている。
隣に友人を乗せ、忙しない街を抜けていった。
途中、友人が欲しい機材があると言うので、大型の家電量販店に寄った。
国道に面した三階建ての店で、規模の割に駐車場の車が少ないのは儲かってないせいだろう。
今日は日曜なのに四台だけとは。
店員にとっては喜ばしくないことだろうけど、客からしたら空いている方が嬉しい。
閑古鳥が鳴いている店内、妙に明るいお店のテーマソングが流れているのが、余計に寂しさを引き立てていた。
エレベーターに運ばれ、三階のカメラコーナーまでやって来る。
友人は熱心に物色しているけど、僕は特に用もないのでブラブラしていた。
一通り店を回ってもまだ友人の物色は終わらない。
外にいると声をかけ、駐車場まで歩いた。
隣には小さな公園があって、ここにも人はいない。
それどころかほとんど手入れがされていなくて、雑草たちが遊具の足元まで侵略している。
僕はブランコに座り、錆びた鎖に大人が乗っても大丈夫かどうか不安を覚えながら、ギイギイと揺らしてみた。
・・・・いきなり千切れるってことはなさそうなので、もう少し漕いでみる。
揺れる度に足元に草が当たる。
ブランコから降り、公園を囲うフェンスの傍まで行くと、テントウムシがせっせと登っていた。
途中に指を置くと、少し迷ってから指に上り、僕はそのまま上に持ち上げる。
青い空にテントウムシを重ねると、赤地に黒の点々模様がよく映えた。
この虫は一番高い場所まで登りきると、翅を広げて飛んでいってしまう。
案の定、赤い翅を開き、その下から飛翔用の翅を伸ばして飛び立っていった。
遠くまで行くかなと思ったけど、すぐ近くの草地に降りて、またせっせとフェンスを登っていた。
しばらく眺めていると、買い物を終えた友人が現れて、何を見てるのか?と聞かれたから、指差して教えてあげた。
最近あまり見てない、珍しいなと呟いて、一枚シャッターを切っている。
今日もまたなんてことのない一日だった。
仕事をこなし、風情に心を躍らせ、犬の散歩へ行き、そして眠りにつく。
そんな日が五月の終わりまで続いた。
このまま波風のない穏やかな日常が続いてくれればいい。
そう思っていたんだけど、実際にそうなった。
梅雨前に蛍を見に行き、梅雨中は鬱陶しいなと感じながらも、雨に情緒を感じた。
夏は暑すぎてほとんど外へ出なかったけど、九月の終わりには海へ行った。
泳ぎに行ったわけじゃない。
友人とドライブに行ったのだ。
最近出来たばかりの綺麗な道の駅で飯を食い、近所の神社にお参りをし、砂浜を歩き、ベンチに座って波の音を聴いたりした。
秋も冬も、それぞれの季節を楽しんで、また新しい春が来て、そして初夏。
僕の一番好きな季節が戻ってきた。
去年と変わらない。
土手道の緑も、暮れゆく街がジオラマに見えることも。
一年経っても変化はない。
ドラマのような劇的な出来事や、胸が高鳴るような出会いや、大きな幸不幸も特になかった。
淡々と過ぎていく日常があるだけで、なるほど、人生ってのは大半が同じことの繰り返しなんだなと、妙に悟った気分に浸ってみたりもした。
ある日曜のこと、仕事を終えたあと、いつもとは違う友人とドライブに出かけた。
あてもなく走らせる車は、本当にどこにもあてがなくて、特に何もなくドライブから帰ってきた。
そして夜、なんとなくまたドライブに出かけたくなって、一時間ほど車を走らせた。
よく行くコンビニの前を通り過ぎ、小さな峠を越えて、なんとも無機質な街へとたどり着く。
ここは建物が少なく、星がよく見えるのだ。
路肩に停車し、座席を倒して空を見上げる。
星が綺麗だった。
どこにも視点を合わせずにぼんやりしていると、流れ星がよく見つかる。
いや、正確には気づく。
普通は見過ごしてしまうものが、どこにも視点を合わせないことで、よく気づくようになるのだ。
願い事をする暇なんてない。
瞬きほどの時間しか見ることが出来ないのに、いったいどこの誰が流れ星に願いをなんて言い出したんだろうか。
対して消えない星たちは海蛍のように、淡く繊細に、でも力強く輝いている。
時折移動しながら点滅する光があるけど、あれは飛行機だろう。
どこにも視点を合わせないまま星たちを眺め続け、夜道を駆け抜けていく車の音に耳をくすぐられ、また静けさが戻ってきて、しばらくしてまた車が走っていく。
何もない穏やかな日々。
これといった理由がないのに、刺激のある生活を放棄して今に至っているのは、どこかでそれを望んでいたせいかもしれない。
大きな出来事がドンと圧し掛るんじゃなくて、小さな出来事がコツコツと積み上がって、刺激のある生活が嫌になったんだろうか。
日々あちこちから飛び込んでくる様々な情報、そしてストレス。
五感も感性も、思考も精神も、コツコツと積み上がっていく小さな刺激に耐えられなくなり、許容範囲を超えて、無意識に嫌気がさした。
・・・・やめよう。こうして理屈を付けるのは。
今の生活には何もない。
大きなトラブルが起きるとか、自分から余計なことをしでかすとか、そうでもない限りは、何年経っても今のような生活が続いていくだろう。
この状態をいつまでいいと思うのか、それは自分でも分からない。
そして分からないことを考えても仕方がない。
初夏といっても夜は寒く、半袖に薄手のパーカーじゃ鳥肌が立つ。
動いている方が温かいだろうと思って車を降りた。
背後にあるマンションの光は恐ろしいほど無機質で、星の光とはまったく違う。
あそこに人がいて生活をしているはずなのに、どうしてこんなに人の気配を感じないんだろう。
誰も住んでいない遠い星たちの方が、どうしてか人情味を感じてしまうのは不思議だ。
しかしだからといって人工の光が嫌いなわけじゃない。
あの無機質な光にはそれなりの魅力がある。
一切の情緒や風情がない光には、かえって情緒や風情が伴うことがある。
無機質ということは空っぽということだ。
自らの意志を持たず、ただそこに佇んでいるだけ。
そういうモノは良い意味でドライである。
感動も感傷もない無機質な光は安らぎを与えてくれる。
例えるなら、余計な詮索をする友人に悩みは話せないけど、人の聞いているようで聞いていない友人の方が、気兼ねなしに愚痴をこぼせるのと似ている。
ドライってのはいいことだ。
だから無機質な光は好きだ。
マンションの光も、街灯の光も。
・・・・もう帰ろう。充分だ、もう帰ろう。
今日はこれでおしまい。
家に帰り、音楽でも聴きながら本を読み、眠くなったら布団に入ろう。
それで今日という一日はおしまい。
きっと明日も明後日も同じだ。
良い意味で無感動に時間が過ぎていく。
寒さに鳥肌を撫でながら、星に別れを告げた。

緑が謳うとき 第二話

  • 2019.05.27 Monday
  • 12:11

JUGEMテーマ:自作小説

夜、いつもとは違うコンビニへ向かうことにした。
近所には三つのコンビニがある。
ローソン、ファミリーマート、セブンイレブン。
一番近いのはファミリーマートだけど、そこへ至るまでの道はあまり心を擽られないものなので、セブンイレブンへ向かうことにした。
ここへ向かうには市役所の傍を通ることになる。
隣には公園とグラウンドがあって、ポツポツと点在する申し訳程度の街灯に照らされている。
僕はあえて市役所の敷地内を通ることにした。
少し前まで有料だった駐車場へ足を踏み入れ、入口のドアへ続く階段を上り、駐車場より少し高い場所から周りを見渡した。
敷地を囲う生垣には定間隔で木が植わっていて、街灯の光を受けて夜に浮かんでいる。
見ようによってはどこか不気味だけど、心安らぐ闇の風情もある。
木はモノを言わないが、どうしてか自己主張しているように思ってしまうのは、四方八方へ枝を伸ばしているせいかもしれない。
一台の車が生垣の向こうの道路を駆け抜けて、テールランプが闇の中に消えていく。
木々に背中を向け、コンビニへ歩き出す。
見上げた先に光はない。
昼間の曇り空は夜になっても続いていて、月どころか星さえも見えないでいた。
明日も雲行きは怪しかったはずだ。
でもいいさ。
曇ろうが雨が降ろうが、特に困ることはない。
明日の仕事は今日の続きなので、パソコンとにらめっこをしながら写真をいじるだけ。
目が疲れたなら、また一服がてら外へいき、ぼんやりするだけだ。
買い物をすませ、家に帰るなり新品の歯ブラシのパッケージを剥いた。
スト兇離イルの頭みたいになってしまった古い歯ブラシを捨て、新品をグラスに立てる。
冷蔵庫にペットボトルのお茶をしまい、ラジオ片手にFMがいいかAMがいいか迷いながらツマミを回す。
そういえばまだ風呂を洗っていなかった。
あいにく三日前から洗剤を切らしていて、ついでに買ってくればよかったなと後悔しながら、シャンプーを手に取る。
そいつをニュルニュルっとブラシに垂らし、ゴシゴシと浴槽を磨いた。
誰に聞いたか忘れたけど、シャンプーは浴槽洗剤としても使えるらしい。
皮脂汚れを落とすからだそうだ。
そういうわけで妙にいい香りのする泡を立てながら磨き続けた。
最後はシャワーで流し、ふうっと息をついて顔を上げると、網戸の向こうに光が走るのが見えた。
同時に自転車の音も。
誰かが土手道を走って、橋の方へと曲がっていったようだ。
別になんてことはない。
知り合いだったわけでもないし、そもそも暗いので顔は見えない。
なのに自転車が去っていった方をしばらく見つめていた。
外に出て橋の袂まで歩く。
対岸には寂れた町と山がそびえている。
山の上にはテレビの電波塔が建っていて、夜の今はこの目で見ることは出来ないけど、そこにあることは知っている。
この山はよく行くあのコンビニから見える山と同じ山で、こっちからでも鉄塔が見えるんだけど、まったく見え方が違う。
遠近感のせいなのか、それとも山の形のせいなのか分からないけど、大して距離は違わないのに、コンビニからだとものすごく近くに見えて、橋の袂からだとものすごく遠くに見える。
だけど山を登ってあの場所まで行くとなると、ここから橋を渡って登っていった方が早くたどり着けるのだ。
コンビニの側から山に登ると、すぐそこに見える頂上の鉄塔までかなり時間がかかる。
目で見える距離と、足で歩いてたどり着ける距離はまったく違うらしい。
遠いと思っていたモノが実は近くにあって、近くにあると思っていたモノが実は遠くにある。
あの山がそう教えてくれる。
もし今日、頭上に広がるこの空に月が出ていれば、ほんのりと山を照らし、鉄塔のシルエットくらいは見えたかもしれない。
あれはまだ桜が満開だった頃、流れる雲がかかって朧月になっていた。
夜道は薄い青に照らされ、時折雲の影に遮られては、また青い光を投げかけていた。
月は黄色く輝いているのに、月光は青白いのはなぜだろうと、ワンカップ大関をチビチビ舐めながら、コンビニから帰ったのを覚えている。
そういえばあの時、手持ちが少なくて、いつも買っているおつまみが買えずにうまい棒で代用したっけ。
サラダ味とコーンポタージュ味だった。
家に着く前に食べきってしまったから、晩酌の友は冷蔵庫の沢庵になってしまったけど。
色々思い出していると、少し歩きたくなってきた。
けど夜も遅いしそろそろ眠たいし、明日もまたパソコンとにらめっこをしなきゃいけない。
月も星もない空に背中を向け、家に帰って寝た。
・・・・この日は久しぶりに夢を見た。
でもどんな夢だったかは覚えていない。
覚えていないんだけど、目覚めた時は気分がよかったので、悪い夢じゃなかったんだろう。
内容は記憶していなくても、感情は夢を記憶していることがある。
楽しい夢だったか、悪い夢だったか。
布団から這い出て、顔を洗いながらお気に入りの歌を頭の中で口ずさむ。
気分の良い寝起きは心だけでなく頭もクリアで、抜け落ちて思い出せない歌詞の一部さえスラスラ出てくる。
そして犬の散歩から戻ってくる頃にはまた忘れているのだ。
よっしゃ働くかと動き出した脳ミソのせいで、寝起きのクリアな思考が損なわれるせいだろう。
まあいい、いつかの寝起きにまた思い出すだろう。
この日は仕事を頑張り、夕方の犬の散歩を終える頃にはグッタリしていた。
横になったが最後、目を開けたら次の朝がやって来て、そして今日もまた昨日と同じようにグッタリする一日を過ごした。
おかげで納品日が早まり、一日休みが出来た。
友人と飯を食いに行き、適当に店をブラブラしてから家路につく。
陽は少しだけオレンジ色に傾いていて、渋滞で固まる国道を照らしていた。
前を詰める車の窓が反射し、ルームミラーには後続車の窓の反射も映っている。
あちこちが水面のように煌き、遠くに並ぶビルの群れはコントラストの強いシルエットに変わって、ハリボテのように見える。
ノロノロすすむ車、チープなパズルのようにそびえるビル群。
今、この目で見えている範囲の全てがジオラマであるかのようだった。
友人を家まで送り、犬の散歩へ向かう。
土手道を歩きながら感じる空気には、どことなく夏の装いが含まれている。
まだ梅雨さえ来てないけど、春とはまったく違った空気だ。
年々暑くなっていく夏は、もはや楽しい季節とは呼べない。
謳歌するどころか、命の危機を心配して、冷房のある場所に避難していないといけないほどだ。
セミの声は今でも響いているけど、子供たちがはしゃく声はめっきり聴こえなくなってしまった。
最高で40度を超す日もあるんだから当然だろう。
代わりにエアコンの室外機の音が増して、今の夏に風情と呼べるものは少ない。
だから初夏がいい。
暑くもなく寒くもない。
何より緑が綺麗だ。
土手を降り、堤防前の広場を歩く。
橋桁の周りは工事中で、掘り出した土が橋より高く積み上がっていた。
その向こうにはツツジの植え込みと、ボロボロになったテニスコートがある。
橋桁越しに見えるその光景は、よく出来た写実画のよう。
橋と橋桁が額縁となって、景色の一部を切り取っているからそう見えるんだろう。
犬に引かれながら橋を越えると、さっきまでとはまったく違った印象に変わり、どう見ても写実画のようには見えない。
どうやら人の目は曖昧らしい。
同じ景色であっても、立ち位置が変わるだけで、まったく印象が異なってしまうんだから。
サクサクと草を踏みつけながら歩いていくと、少し離れた場所にタンポポの綿毛が密集していた。
真っ白な綿毛が群れている光景を見て、妖怪ケセランパサランを思い出す。
たくさん集めれば願い事が叶うとか、幸せになれるとかいう、ちょっと変わった妖怪だ。
タンポポの綿毛のような、もしくは綿飴のようにふわふわした姿をしているらしく、もし本物がいるなら見てみたい。
ただし願い事を叶えたいとか、幸せになりたいとかは望まない。
波風のない生活の今、願うことも、求めることもないのだから。
夕陽は山の向こうに消えかかり、ほんのわずかな光だけ残しながら、今日はもう店じまいとばかりに去っていく。
ある意味太陽は気楽なものだ。
早出も残業もしないんだから。
なかなか良い働き方だと思う。
最後の抵抗とばかりに、山の稜線から残光が伸びている。
しかしもう足元に影は生まれない。
暗くなっていく空。
対岸にポツポツと明かりが灯り始めた。

緑が謳うとき 第一話

  • 2019.05.26 Sunday
  • 12:33

JUGEMテーマ:自作小説

肉より魚、炭酸よりもお茶。
美味しいと思うモノが変わる歳頃、好きな季節も変わっていた。
犬のリードを引きながら土手道を歩く。
見上げた空は半分以上が緑に囲まれ、葉っぱの隙間からツバメの舞う姿が見える。
季節は初夏。
桜は一切の面影なく消え去り、道路にさえ花弁がなくなり、10連休という超大型のゴールデンウィークも明けた。
連休中、僕はどこへも出かけることはなくて、桜の頃さえ一度だけ友達とドライブをしただけだ。
昔ならば寂しいと感じただろう。
でも今はそう思わない。
ただ淡々と毎日が過ぎていくことに、不満や悲しみはなくて、かといって喜びや満足感があるわけでもないけど、現状を悪い風には捉えていなかった。
幸せも不幸もなく、これといった出来事がない日々の生活は、そこかしこにある風情や情緒に対する感性を敏感にしてくれる。
波風のない穏やかな毎日というのは何モノにも変えがたく、一昨日なんて少し開いた窓から見える新緑に一時間も心を奪われたほどだ。
四季折々、美しい景色はたくさんあるけど、今はとにかく初夏がいい。一番好きだ。
犬は夢中に草を食べ、やがて飽きてリードを引っ張る。
風に肌を撫でられて、少しだけ冷ややかさを感じる。
半袖はまだ早かったかなと腕をさすったけど、降り注ぐ陽がすぐに暖かくしてくれた。
家に帰る頃には少し汗ばむほどだった。


     *****


一昨年までは、今とはまったく違った生活をしていた。
仕事で忙殺されていたし、ネットに依存することにも忙しかった。
自然の情緒、景色の風情に感性を向けるなんてことはなかった。
朝が来て、夜が来て、その間に夕方があって、一日のうちに目まぐるしく全てが変わるのに、そういうモノに何も心が働かなかった。
いや、正確には鈍っていた。
本来はそういうものが好きだったはずなのに、いつの間にかそうではなくなってしまっていた。
色々理由はある。
でもどれも正解ではないように思う。
理屈ならいくらでも付けられるけど、ある意味で言葉ほど信用ならないモノはない。
人間は自分で自分を騙すことも出来るので、曖昧な理屈付けは自分を欺くことになる。
夜のコンビニに車を停め、じっと目の前の光景を睨んでいた。
古びたブロック塀、電柱、電柱を支えるワイヤーを保護する黒と黄色のカバー、そしてそれらを照らす蛍光灯。
車の中からずっと見つめている。
つまらない景色だ。
でも面白い。
どうして面白いのかは分からない。
無理に理由を探そうとして、それは良くないと頭から追い払う。
何かを求める為とか、深い意味を探して目の前を見つめているわけじゃないのだ。
だから今、言葉はいらない。
いらないんだけど、頭の中に言葉が浮かばないようにするのは難しい。
二時間もこうしていれば、さすがにあれこれと言葉が湧き上がり、記憶の隅に留まっていく。
記憶ってやつは記憶さえも記憶するので、完全に言葉を忘れることは無理がある。
まあいい。
人間の集中力ってのは二時間が限度、こうして目の前を睨み続けてそろそろ二時間になる。そろそろ休憩に入ろう。
車を出て、店先でタバコを吹かす。
今よりもっと喫煙者に風当たりが強くなったら、こんなド田舎のコンビニからも灰皿が消えてしまうんだろうか。
今心配しても仕方のないことだけど。
目の前には真っ暗な景色だけ。
辛うじて道路だけは街灯に守られているけど、その向こうは防犯なんて知ったこっちゃねえってくらいに、深い闇に沈んでいる。
ここはよく来る場所なので、光がなくてもどんな景色が広がっているかは知っている。
まず道路の向こうには畑がある。
ボロい民家もあって、その奥には田んぼがある。
さらに奥には山があって、頂上にテレビの電波塔が建っているのだ。
暗くて見えなくても、何があるかはイメージ出来る。
タバコを吸い終える頃、なんだか急に帰りたくなって、すぐに車を飛ばした。
自宅は川原沿いのアパート。
砂利敷きの駐車場に車を停め、表に繋がれた犬の頭を撫でてから部屋に入った。
あの犬は大家さんの犬で、忙しい飼い主に代わって朝晩散歩に連れていくことで、少しだけ家賃を安くしてもらっているのだ。
餌やりも僕の仕事なので、銀色の器にカリカリを満たして持っていく。
明日の朝、また散歩に連れていき、餌をやり、友人の仕事を手伝い、夜前にはまた散歩に連れていき、今日と同じコンビニへ行って、暗闇に景色のイメージを重ねる。
波風のない穏やかな毎日。
でも退屈じゃない。楽しくはないけど、嫌ってわけでもない。
部屋へ戻り、窓から吹き込んでくる初夏の風にひんやりとした心地よさを感じながら本を読んだ。
パソコンもスマホもなく、テレビもゲーム機もなくて、テーブルよいうよりちゃぶ台といった方が正しいテーブルの上にラジオがあるだけ。
ラジカセでカフェミュージックのCDを流しながら、朝の残り物ののオカズを温め、固くなったご飯に味噌汁をぶっかけてかき込んだ。
いくつかシミの付いた畳に寝転び、安物の時計の秒針の音に揺られながらウトウトし始める。
来月になれば蛍が舞うだろう。
この近くの川じゃなくて、もう少し離れた小さな川で。
今年も見にいかなきゃなと思いながら眠りに落ちていった。
・・・・翌日の朝、またいつもと同じように犬の散歩に出かけた。
昨日よりも少し曇っていて、午後から一雨きそうな感じだった。
湿った風の匂いはなぜか懐かしさを覚える。
きっと童心を呼び覚ますんだろう。
まだ小学生だった頃、夕立の中ではしゃいだ記憶がある。
まるで大きなシャワーに打たれているみたいで、友達数人と裸になって公園を走り回った。
あとで大人からお咎めを受けることがなかったのは、視界を奪うほどの大雨のおかげだ。
もし見つかっていたらゲンコツの数発も落とされただろう。
湿った風は温さを含んでいるけど、厚い雲のせいで陽射しが届かないので、どちらかといえば肌寒い。
土手道には僕と同じように犬の散歩をする人もいれば、スーツをまとって出勤している人もいる。
愛想の良さそうな人には会釈をし、そうでない人は見送った。
ベンチの足にリードを結び、草をほおばる犬を尻目に、日課のラジオ体操をこなす。
今日もツバメが舞っていて、川の上を縦横無尽に駆けている。
すぐ傍のツツジの植え込みでは、ブーブーと羽音を響かせながら、ミツバチとマルハナバチが蜜を求めている。
ホバリングをしながらよさげな花を物色し、脚についた花粉をせっせとこすっていた。
ツバメの飛翔も大したものだけど、ハチの仕草もなかなか器用なものだ。
こういう光景を見ていて飽きないのは、やはり波風のない日々を送っているからだと思う。
他に刺激的なモノがあれば、感性は全てそちらに向いてしまうだろう。
一昨年までそういう生活をしていたのに、今は正反対のことをしている。
こうなってしまったことに対して、具体的な理由も、明確な心境の変化があったわけでもなく、振り返って原因を探ってみることに意味はない。
芥川龍之介はぼんやりとした不安のせいで自殺したらしいけど、人間の行動なんて案外そんなモノだろう。
ラジオ体操を終えてスッキリして、犬を戻してから仕事に向かった。
友人がカメラマンをやっていて、そのアシスタントをしている。
レフ板という光を反射させる板を持って、モデルさんの顔を照らすのだ。
他には飲み物を運んり、カメラを渡したり、レンズを交換したりと、現場では雑用がメインである。
撮影後にはパソコンに向かい、友人の選んだ写真に補正をかけたり加工したりが仕事になる。
前職が広告のデザインだったので、こういうことは得意なんだけど、ずっと続けているとやはり目が疲れる。
パソコンの光は目に悪く、何度も瞬きをしては目薬を挿す。
それでも治まらない時は、一服がてら外に出かけるのだ。
昼間っから公園のベンチに座り、コンビニで買ったおにぎりを頬張る。
人が見たら生活に困っているのかと誤解されるかもしれないけど、それは別に構わない。
人目を気にするほど高尚でも偉くもないし、僕が変な目で見られたからといって、僕の周りに困る人もいない。
公園を囲う植え込みの緑も輝きを増していて、そいつを見ていると疲れた目が癒されていく不思議な現象の方に、よっぽど心が惹かれる。
初夏の匂いは至るところに充満していて、曇っているのに嫌な気分にならないのは、本当に不思議だと思う。
いつものように心身の武装を解いてボケっとしていると、腕時計の長針が一回り以上していた。
友人から電話が掛かってきて、いつまでほっつき歩いているのかと怒られる。
友人ではあっても仕事中は上司、すいませんと伝えてから初夏の公園を後にした。

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