勇気の証 最終話 いつかまた(3)

  • 2019.09.12 Thursday
  • 11:33

JUGEMテーマ:自作小説

嵐は前触れもなくやってきて、節操もなく去っていく。
散々暴れてあちこち滅茶苦茶にしたことなんてお構いなしに。
日本に戻ってきてこの数日の出来事は、昨日の夜に終わりを迎えた。
だけど私の心は晴れない。
悪霊、亜津子さん、絹川さん。
三人の間に本当は何があったのか?
昨日は偉そうに語ってしまったけど、霊感が消えた今となっては、ただの勘違いにも思える。
絹川さんにヒドイことを言ってしまったと、朝一番に謝りに行った。
「いいっていいって。気にしちゃいないから。」
笑って許してくれたけど本心はどうなんだろう?
気にはなるけどこれ以上探るのはやめよう
勘が鋭かった昨日までとは違って、余計な詮索をしたいとは思わなくなっていた。
「むしろあんたには感謝してるんだ。悪霊を退治してくれたこと、そしてハチローを救ってやってくれたこと。
10年あっても俺じゃ無理だった。本当に助かったよ。」
そう言って「これ奢りだ」と豪華なお弁当を作ってくれた。
「近くに来た時はいつでも寄ってくれよ。腕振るってご馳走するからさ。」
「ありがとうございます。それじゃいつかまた。」
荷物を抱えながらロビーを横切っていく。
すると忙しそうに走る内藤さんに出くわした。
「あ、藤井さん!」
手を振りながら駆け寄ってくる。
「今日お帰りですか?」
「はい。予約は明日までなんですけど、もう用事は済んだから。」
「だったらゆっくりしていけばいいのに。」
「今から東京へ向かわなきゃいけないんです。その後は岡山に寄って、実家に預けてる猫たちにも会いに行かないと。」
「そっかあ。忙しいんですね。」
少し残念そうな顔をしながら「もっと藤井さんと話したかったです」と言った。
「私ね、実は転職しようかと考えてるんですよ。」
「そうなんですか?この仕事、すごく向いてそうなのに。」
「だってオーナーの人遣いか荒いから。休日出勤なんてしょっちゅうですよ。」
不満そうに唇を尖らせている。
私は「休みくらいはきっちり欲しいですよね」と頷きを返した。
「だけど転職っていっても、次に何をやりたいとかは決まってるんですか?」
「いえ、とんと。」
「ならもう少し考えてもいいと思いますよ。休日のことはよくオーナーさんに相談して、改善してくれるならそれでいいし、無理なら本気で転職を考えればいいし。」
「話せば分かってくれると思うんですけど、どうもねえ・・・・。私が役に立つならまあ仕方ないかなって思ったりもするんです。
一生懸命働いてお客様が喜んで下さるならいいかなって。ただもうちょっと休みを多くしてほしいっていうか・・・・、」
「だったら尚の事すぐに決めない方がいいですよ。勝手かもしれないけど、この仕事って内藤さんの天職のような気がするから。」
「ほんとですか?」
「ほんとですよ。」
「ああ、やっぱりもっと藤井さんと話したかったなあ。あ、変な意味じゃないですよ。
なんかこう私の知らない事とかたくさん知ってそうで、話してるだけで勉強になるんじゃないかなって。」
「買いかぶりですよ。私なんかとっくに東京へ着いてなきゃいけないのに、寄り道ばっかりで遅れちゃって。きっと内藤さんの方がしっかりしてます。」
「ほんとですか?」
「ほんとですよ。」
「いやあ、褒めてもらって嬉しいです。」
照れくさそうに帽子を被り直している。
受付から「内藤!なにサボってんだ」と呼ばれて「はいただいま!」と走り出した。
「また泊まりに来てくださいね。今度は悪霊なんかに邪魔されずにゆっくりと。」
「ええ、それじゃまた。」
手を振ってホテルから出る。
今日も透き通るほどの快晴で、浜辺は相変わらず賑やかだ。
楽しそうなはしゃぎ声がここまで響いている。
「・・・・さて、行くか。」
深呼吸して歩き出す。
けど何気なくポケットに手を入れた時、アレを忘れていることに気づいた。
「あ、首輪・・・・。」
陽菜ちゃんのハチロー君の首輪を部屋に置いてきてしまった。
なんだかんだで私が持ったままだったので、帰りに寄って返そうと思っていたのだ。
慌てて引き返し、内藤さんに部屋を開けてもらう。
「ごめんなさい、忙しいのに。」
「いえいえ。」
ガチャっとドアを開け、「どうぞ」と手を向ける。
「自動ロックなんで終わったらそのまま帰って頂いてで大丈夫ですから。」
ペコっと頭を下げて、忙しそうに駆け出していった。
「うん、ぜったいにこの仕事が天職よね、内藤さん。」
遠ざかる背中に笑みを送り、部屋に入る。
「ええっと・・・・たしかベッドの近くの棚に置いてたはずだけど。」
近づいても見当たらない。
どこか違う場所へ置いたのかと、部屋をあちこち探してみた。
けどどこにもない。
お風呂やトイレや洗面台など、ぜったいに置いてないだろう場所も探してみたけど見つからなかった。
「もしかして部屋をクリーニングしちゃったのかな?」
チェックアウトしてから30分以上は経っている。
受話器を取り、ロビーに確認してみようとした・・・・その時だった。
ゾワゾワっと悪寒が走る。
振り返ると悪霊がそこに立っていた。
真っ黒な影、人とアメーバを混ぜたような姿、そしてナメクジのように出っ張った目玉。
手には真っ白な首輪を握っている。
「・・・・・・。」
息を飲みながら後ずさった。
悪霊は目玉を伸ばし、私の動きを追いかけるように睨み続ける。
「成仏・・・・してなかったの?」
問いかけても答えない。
手にした首輪を放り投げ、『ハチローハドコダ・・・・』と部屋を見渡した。
「もういないよ。天国へ行ったから。」
『テンゴク・・・・・。』
「あなたから解放されて自由になったのよ。心置きなく天国に旅立っていったわ。」
『アツコモイナクナッテ・・・・ハチローモイナクナッテ・・・・オレハドウスレバイイ・・・・。』
「成仏すればいいじゃない。もうこの世に留まっていても意味なんて・・・・、」
『オマエガウバッタ・・・・。』
「え?」
『オマエサエコナケレバ・・・・。オマエガスベテヲダイナシニシタ・・・・オマエサエコナケレバ・・・・。』
怒りのせいかひどく歪み始める。
ここにいたら私も確実にあの世行きだ。
背中を向け、部屋の外に駆け出そうとした。
けど髪を掴まれ、ズルズルと引き寄せられる。
「いやあ!やめて・・・・、」
『オマエ・・・イッショニイテクレ・・・・。』
「い、一緒にいてくれって・・・、」
『オマエガスベテヲウバッタ・・・・・。ダッタラセキニンヲトレ・・・・。
ヒトリハサミシイ・・・・・オマエモシンデ・・・・オレノソバニイテクレ・・・・。』
「あんた・・・・どこまで自分勝手なのよ!」
大声で助けを呼ぼうとしたら口を塞がれてしまった。
「むうう・・・・、」
『イコウ・・・・オレトイッショニ・・・・テンゴクヘ・・・・・。』
悪霊はベッドの脇にある机から万年筆を取る。
尖ったペン先を首筋に当てられ、グっと押し込まれた。
《嫌だ!誰か・・・・誰か助けて!》
手足をバタつかせて必死に身を捩る。
だけど悪霊の力は相変わらず強くて、どう足掻いても逃れることが出来なかった。
首に突きたてられた万年筆が食い込んでいく。
せっかく・・・・せっかく全て終わったと思ったのに、まだ嵐は去っていなかった。
もういい加減こんなのはごめんだ。
《お願い誰か!》
強く願った瞬間、消えたはずの霊感が戻ってきた。
と同時に「ここか!」と誰かが駆け込んでくる。
バタバタと足音が向かってきて「この悪霊が!」と怒声が響いた。
誰かが悪霊と戦っている。
しばらくの格闘の後、『アアアアア!』と悪霊の悲鳴がこだました。
・・・・・・・・。
静寂が広がる。
「大丈夫か!?」
誰かに抱え起こされて、思わず抱きついてしまった。
「こ、怖かった・・・・死ぬかと思った!」
「大丈夫、もう大丈夫。」
ポンポンと背中を撫でてくれるその手は力強い。
なんだか聞き覚えのある声で、顔を見上げて「あ!」と叫んだ。
「鬼頭さん!!」
「間に合ってよかった。」
ホっとした様子で頷いている。
「ど、どうして・・・・、」
「あれからずっと心配だったんですよ。なんだか嫌な予感がするから和歌山まで来てみたんです。
けどどこにいるのか分からない。困っていたらこちらの方が案内してくれました。」
そう言って振り返った先には一人の女性が立っていた。
私はこの人を見たことがある。
昨日、悪霊に襲われたあの場所でハチロー君が化けていたから・・・・。
「あ、亜津子さん・・・・?」
彼女はじっと私を見つめていて、申し訳なさそうに頭を下げた。
《怖い思いをさせてごめんなさい・・・・。そして・・・ハチローのこと、救ってくれてありがとう・・・・。》
そう言い残し、陽炎のように消え去った。
「い、今のはいったい・・・・、」
「彼女なんですよ、あなたをここへ呼んだのは。」
「へ?」
「ほら、あなたがタクシーに乗ってる時に俺と再会したでしょう?あの時に和歌山の南に行くようにと伝えましたよね。」
「ええ・・・。誰かの声を聴いて、それを伝えに来たって言ってましたよね?」
「あの声、さっきの女性です。」
「亜津子さんが・・・・?」
「俺をここへ案内してくれたのも彼女です。ついさっきのことなんですけど、この近くの路地をウロウロ探していたら、寂れた空き地から声が聴こえたんですよ。
振り向くとさっきの女性が立っていて、あなたの身に何があったのかを話してくれました。」
「彼女・・・成仏したんじゃなかったんだ・・・・。」
「していますよ。魂はここにはありません。」
「じゃあどうして?」
「空き地にほんの少しだけ霊力が残っていたからです。言うなれば残留思念のようなもので、魂があの場所に眠っていたわけじゃない。
もしかしたらですけど、あの土地に何か埋まっていたんじゃありませんか?本人の思い出の品とか・・・・あとは骨とか。」
「ええ、遺骨の一部が。」
「だったらそれです。それもかなり強く思念が残っていましたよ。」
「でも骨は消えたんですよ。なのにどうして?」
「あの女性の霊、亡くなったのはかなり前だと言っていました。だったら埋めた骨はとうに土に還ってるはずです。」
「・・・・あ、言われてみれば。」
「強い思念が骨をそのまま保っていたんですよ。理由はさっきの悪霊。
自分の死後、何かあった時の為に骨を保っていたんでしょう。」
「思念が骨を保つ・・・・。」
そういえば悪霊が言っていた。
強い思念が肉体を守ると。
魂の力は肉体を超えることがあると。
「強い思念が骨を保っていた。だから骨が消えたあとでも思念はまだ残っていたんです。・・・・ちなみに埋めたのは誰ですか?」
「彼女の友人です。亜津子さん、実家のお墓に入るのを嫌がってたそうだから。」
「なるほどね・・・・。でもこれは犯罪ですよ。いくら友人とはいえそこまでするとは・・・・・。もしかしたらですけど、彼女自身がそう頼んだのかもしれませんよ。」
「亜津子さん自身が?」
「自分の死後、良くないことが起こることを危惧して頼んだんでしょう。」
「それって・・・自分が生きてるうちに頼んだんでしょうか?それとも死後に?」
「さあね。友人が普通の人なら生前にしか頼めないけど、霊感のある人なら死後でも頼めるわけですから・・・・それが何か?」
「ちょっと気になったんです。もし生前に頼まれていたなら友人として辛かっただろし、死後なら・・・・やっぱり同じか。
どっちにしても絹川さんは辛い思いを抱えていた・・・・。けど彼だって・・・・、」
彼だって不倫して事の原因を作った。
だからもう・・・・考えるのはやめよう。
霊感が戻ったせいで勘が鋭くなってしまったから、詮索癖まで復活してしまったようだ。
けど私が首を突っ込むことじゃない。
この件はこれでもう終わりなんだ。
「助かりました。ありがとうございます。」
立ち上がって頭を下げると、「役に立ててよかったです」と言った。
「あなたには何か恩返しがしたいと思ってたんですよ。フク丸を成仏させてくれたでしょう。」
「その為にわざわざ来てくれたんですか?」
「俺は霊感はあるけど動物と話すなんてことは出来ない。あなただからこそあいつは成仏することが出来たんです。
そういえばあの時いた猫の幽霊が見当たらないけど、あの子も・・・・、」
「はい。生まれ変わったらまた会おうって約束して。」
「そうですか。会えるといいですね。」
鬼頭さんも立ち上がり、「それじゃこれで」と去って行く。
「あの・・・・、」
「はい?」
「ここ、あと一日泊まれるんです。私はもうチェックアウトするんで、よかったらどうですか?」
「どうって・・・・俺に泊まれと?」
「だってここまで追いかけてきて疲れたでしょう?それにお腹も空いてるようだし・・・・。」
さっき少しだけお腹の音が鳴っているのが聴こえたのだ。
私を追いかけてここまで来るのにお金を使ったはずだし、そのせいでご飯が食べられなかったのなら申し訳がない。
「ボーイさんにお願いしてみます。泊まらせてあげてくれないかって。」
「いやそんな、悪いですよ。」
「料理長さんにもお願いしてみます。悪霊にトドメを刺してくれた人にご馳走を振舞ってあげてほしいって。」
手を振って遠慮する鬼頭さんだったけど、今度は大きくお腹が鳴った。
「あ・・・・、」
「ね?」
ニコっと微笑みかけると、「なら・・・お言葉に甘えて」とお腹をさすった。
「実は腹が減って仕方なかったんです。あなたに奢ってもらった牛丼しかまともな物を食べてなかったから。」
「ならこれあげます。料理が出来るまでの足しに。」
タクシーの運転手さんからもらったお菓子を渡す。
一口も食べずにっていうのは悪いので、包装紙を向いて一個だけお腹に入れた。
「どうぞ。」
「・・・・すいません。頂きます。」
受け取るなりガツガツ貪り始める。
邪魔しちゃ悪いのでそっと部屋を出た。
ドアを閉め、さっそくボーイさんと料理長さんにお願いしに行くと、お安い御用とばかりに引き受けてくれた。
《終わった・・・・これで本当にもう。》
ホテルを出て海と空を眺め、うんと背伸びをする。
さっき復活したばかりの霊感はいつの間にか消え去っていた。
今度こそ蘇ったりしないだろう。ていうかしないでほしい。
霊感のある人はみんな悪霊を恐れていたけど、その意味がやっと理解できた。
身に余る力は身を滅ぼすだけ。
とてもじゃないけど、私には霊力なんてもの使いこなさせそうにない。
でも構わない。
霊感がなくなって動物と話せるこの力があるんだから。
私が救いの手を差し出すのは幽霊に対してじゃない。
困っている動物に対してなんだから。
しばらく海を見ながらホっとしていると、ブルブルとポケットが震えた。
「あ!」
東京で待っている友人からだ。
そういえば和歌山へ来てからまったく連絡を取っていない。
着信とメールが幾つも溜まっていて、慌てて折り返した。
「もしもし!ごめん連絡できなくて!」
『よかった!やっと通じた・・・・他の人たちも心配してたんだよ。何かあったのかい?』
「うん、それはもう色々と。でも今は平気。」
『もしかして危ない目に遭ってたとかじゃないよね?』
「ええっと・・・・それは・・・・、」
『やっぱり遭ってたんだね。それを心配してたんだよ。多分だけどマナコの方から首を突っ込んだんだろ?』
「ええっと、まあ・・・。」
『きっと困った動物がいたんだろうね。そういう時は見境なく突っ走るから。
アフリカでも何度も危険な目に遭ったのを忘れたのかい?銃を持った密猟者に飛びかかったり、暴れるライオンを介抱しようとしたり。
いったい何度ヒヤヒヤさせられたことか。』
「ほんっとにごめん!東京に着いたらちゃんと話すから!」
『いや、その必要はないよ。』
「その必要はないって・・・・まさかもうフォーラムが終わっちゃったの!?」
『まだ続いてるよ。』
「じゃあどうして・・・・、」
『僕が迎えに行く。』
「そんなの悪いよ!いつも迷惑かけてばっかりなのに・・・・、」
『いつもだからこそ、もう慣れっこさ。』
「ほんとにいいの・・・・?」
『もちろん。それより今はどこ?』
「和歌山の南紀白浜って場所なんだけど・・・・分かるかな?」
『ああ。もう近くまで来てるからね。』
「ええ!なんで?どうしてここが分かったの!」
『簡単なことだよ。実は僕、霊感があるんだ。』
「・・・・・・・・。」
電話を握り締めたまま固まってしまう。
すると『冗談冗談』と笑い声が返ってきた。
『マナコ、GPS機能をオンにしたままだろ?』
「GPS・・・・・ああ!」
アフリカで活動する時、仲間内で居場所が分かるようにスマホにGPS機能を持たせているのだ。
その機能をONにしたままだった。
『もうすぐ着くよ。ホテルの近くで待ってて。』
なんだか恥ずかしくて無言になってしまう。
小さく咳払いしてから「ありがとう、待ってる」と頷いた。
電話を切り、空と海を眺める。
ついさっきまで悪霊に襲われていたのがウソに感じるほどのんびりした光景だ。
中庭のベンチに腰掛け、潮風に目を細める。
海から聴こえる海水浴客の賑やかな声に耳を澄ませ、水平線の上を流れる雲を眺めた。
しばらくぼうっとしていると、浜辺から「ハチロー!」と声が聴こえた。
目を向けると子供が猫を追いかけている。
白と茶色の模様で、少しぽっちゃりしていた。
子供は猫を抱え、親のもとまで走っていく。
《あの猫はもしかして・・・・・。》
そういえば季美枝ちゃんのハチロー君、まだ見つかってないままだ。
彼女が連れて帰った猫はまったく別の猫。
ということはあの猫は・・・・・なんて考えてしまう。
ほんとはどうなのか分からない。
けどそうだったらいいなと、また空と海を眺めた。
何も考えずにただ景色を見つめていると、ふと足元を何かがよぎった。
「・・・・・・・・。」
もう霊感はない。
ないはずなのに、足元にエル君とハチロー君の姿が見えた。
ほんの一瞬だったけど、今たしかにそこにいた。
私はペンを取り出し、エル君に治してもらった手の甲に、二匹の似顔絵を描いた。
大して似てはいないけど、こうしておくことでもうしばらく一緒にいられるような気がする。
それに何より、これは忘れてはならない証なのだ。
生まれ変わったらまた必ず会おうと約束した。
この絵は消えるいつか消えるだろうけど、自分の中からは決して消えないように刻んでおきたい。
これは私とエル君とハチロー君とで困難を乗り越えた勇気の証。
『またね。』
どこかから声がささやく。
私は手を持ち上げ、二匹の絵を水平線に重ねた。
「またね。」

 

 

     勇気の証 -完-

勇気の証 第二十四話 いつかまた(2)

  • 2019.09.11 Wednesday
  • 11:19

JUGEMテーマ:自作小説

「おお無事だったか!」
ホテルに戻るなり絹川さんが出迎えてくれた。
「この子たちのおかげです。」
腕に抱いた二匹を見せると、「ハチロー、元に戻ったんだな」と喜んでいた。
「で・・・・悪霊はどうなった?こうして無事に戻ってきたってことは・・・・、」
「消えたみたいです。」
「消えた?」
「亜津子さんの骨・・・・私が砕いたから。手を開いたらなぜか骨が消えていて、同時に悪霊も消えていました。」
「う〜ん・・・・なんだかよく分からんが、とにかく無事でよかった。」
そう言って「とりあえずゆっくり休め」と背中を押された。
「ところでボーイさんは?無事なんですよね?」
「もちろんだ。ただあんたをさらって包丁まで持ち出したからなあ。今は他の連中から問い詰められてる。」
「でもあれは悪霊のせいで彼の責任じゃ・・・・、」
「分かってる、俺からちゃんと説明するよ。信じてもらえるかどうかは分からんが、内藤に罪が及ぶことはないようにする。」
それを聞いて安心した。
「部屋に戻ってちょっと休みます。」
「それがいい。あとで飯作って持ってってやる。俺の奢りだ。」
「ありがとうございます。あ、それと・・・、」
「なんだ?」
「時間が空いたらでいいから、お話したいことがあるんです。」
「構わんが・・・・えらく神妙な顔だな。なにかあったか?」
「あとでお話します。」
会釈を残し、「それじゃ」と部屋へ向かった。
ベッドに寝転び、大きなため息をつく。
さっきまでの出来事は嘘だったのか本当だったのか・・・・はっきりしないほど現実感のない体験だった。
「ねえエル君、ハチロー君。」
『なんだ?』
『なあに?』
「ちょっとの間だけ寝ていい?」
『もちろん。』
『いいよ。』
「ありがとう。じゃあちょっとだけ・・・・。」
目を閉じるとすぐ眠りに落ちてしまった。
しばらく肉体から離れていたせいか、今でもまだ全身がダルい。
鉛のように重く、頭痛も酷くなっていく。
少し寝て回復してくれればいいんだけど。
・・・・・寝ている間に奇妙な事が起きた。
別れた彼、有川君の叫び声が聴こえたのだ。
何か良くないモノに襲われている。
それはさっきの悪霊なんかよりもずっと恐ろしくて、暗い洞窟の中で有川君に鋭い爪を向けていた。
そういえばボーイさんが言っていたっけ。
オーナーのお嬢さんの亀がさらわれて、動物探偵なるものを雇うかもしれないって。
もしあれが本当なら、今このホテルの近くに有川君がいるってことなのかもしれない。
彼もまた私と同じように危険な目に遭い、誰かに助けを求めている。
・・・・いや、誰かじゃない。
ハッキリと私の名前を呼んでいるような気がした。
夢か現かよく分からないけど、今でも彼は大事な人だ。
もう恋人同士ではないけど、ある意味同じ道を歩む同志だから。
私も彼も動物と話せる力を持って生まれ、動物に関わる道を歩いている。
その彼が助けを求めているのなら答えは決まっている。
『有川君!』
彼の名前を呼び、手を伸ばす。
その瞬間に目が覚めた。
「・・・・・重いよ。」
エル君とハチロー君が胸の上に座っていた。
『おはよう。顔色悪いぞ。』
『それにうなされてたよ。大丈夫?』
「平気、ありがとね。」
よしよしと頭を撫で、身体を起こす。
『よく寝てたね。』
『もう夜だよ。』
「え!そんなに寝てたの?」
時計を見ると午後10時。
ほぼ半日寝ていたことになる。
でもおかげで身体のダルさは取れた。
頭痛もだいぶマシになったし、うんと背伸びをしてからお風呂に向かった。
服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びようとした時、エル君が『誰か来た』と言った。
『たぶん絹川さんっぽい。』
「ほんと?」
『夕方くらいにも一度来たんだぜ。寝てるって言ったらまた後で来るって。』
「ちょ、ちょっと待ってもらって!」
慌てて服を着る。
サっと髪を整えてからドアを開けると、絹川さんとボーイさんが立っていた。
「よう、気分はどうだ?」
「よく寝たおかげでバッチリです。」
「そりゃよかった。腹減ってると思ってよ、ほらこれ。」
ボーイさんに目配せすると、荷台を押しながら「失礼します」と入ってきた。
「これお粥?」
「はい。疲れてるだろうから、こういうモノの方がいいだろうって絹川さんが。物足りないようでしたら他にもお持ちしますよ。」
「ううん、嬉しい。」
テーブルにお粥とお吸い物とお茶、それに梅干を並べて「それじゃ私はこれで」と頭を下げた。
「あ、ボーイさん!」
「はい?」
「ごめんね、こんな事に巻き込んじゃって。」
「いいんですよ。気にしないで下さい。」
「あなたのおかげで色々助かった。ほんとにありがとう。」
「いやそんな・・・・。」
照れ隠しなのか帽子を深く被り込む。
「こう言ったら不謹慎だけど、普通じゃ経験できないことだから・・・よかったかなって思ってるんです。」
「あんな怖い思いをしたのに?」
「こうして無事だったしいいかなって。なんでも前向きに考えないと。」
そう言ってまた帽子を被り直し、「何か御用があればいつでも」と部屋を出ていった。
「いい人ですね、内藤さん。」
「ああ。若いのにどうしてなかなか。」
絹川さんは腕を組みながら彼を見送ると、真顔で私を振り向いた。
「・・・・で、なんだい?」
「はい?」
「ホテルに戻って来た時に言ってたろう。俺に話があるって。」
「はい。」
椅子に腰掛け、「どうぞ」と向かいに手を向ける。
「先に飯食ったらどうだ。せっかくのお粥が冷めちまう。」
「そうですね。でもきちんとお話してからの方が。」
「分かった。で、どんな話なんだい?」
そう尋ねる絹川さんの顔はどこか引きつっていた。
霊感のある人は勘がいい。
だったら今から私が話そうとしていること、薄々勘づいているのかもしれない。
「回りくどいのは無しにして単刀直入に聞きますね。絹川さん、あなたは亜津子さんと関係を持ってたんじゃありませんか?」
「ああ。」
即答だった。
普通なら狼狽えるだろうに、やはり勘づいていたみたいだ。
「それがどうかしたのか?」
「悪霊が言ってたんです。離婚の原因は俺が亜津子を裏切ったからだって。じゃあどうして裏切ったかっていうと・・・・、」
「亜津子が他の男と関係を持ったから。その復讐として自分も女遊びに走った。」
「・・・・そうです。」
「亜津子と関係を持ってた男ってのは俺のことだ。でもそれがどうかしたか?」
声に怒気が宿っている。
きっと触れられたくないんだろう。
でも聴かずにいられなかった。
「絹川さんはご存知だったんじゃないんですか?別れた旦那さんが亡くなっていたこと。そして悪霊になってこのホテルに潜んでいたことを。」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって・・・関係を持っていたなら、旦那さんのことも知っていたと思うんです。
あなたが原因で離婚にまで発展して、それを苦に彼が自殺してしまったことを。
あと絹川さんほど霊感のある人が、悪霊の存在に気づかないなんて考えられません。」
「どう答えればいいんだか・・・・・、」
「別に亜津子さんと関係を持っていたことを責めてるんじゃありませんよ。そんなの私が首を突っ込むことじゃないから。」
「なら何が言いたいんだ?回りくどいことは無しなんだろ?ハッキリ言ってくれよ。」
組んでいた腕をほどき、背筋を伸ばして睨んでくる。
私は顎を引いて真っ直ぐにその視線を押し返した。
「まさかとは思うが、俺が亜津子を殺したなんて言うつもりじゃないだろうな?」
「そこまでは思いません。あれは事故だったはずです。ただ・・・・、」
「ただ?」
「彼女が自殺しようとしていることは知っていたんじゃないですか?」
「知ってたら止めてる。長年の友達なんだから。」
「友達のままだったらそうかもしれません。けど男女の関係になってしまったら変わるものでしょう?
亜津子さんの離婚の原因は自分にあると知っていたし、離婚後の彼女が色々と悩んでいたことも知っていたはずです。
あなたは彼女がどうして宿直室に泊まりに来たのか分からないって言ってたけど、それはウソです。
死にたいって望んでるのを承知の上で泊めた。」
「その言い方だと、俺が亜津子の自殺を望んでたみたいに聞こえるな。」
形相を一変させて「言葉は選べよ」と静かな怒りをぶつけてきた。
「いくら男女の関係になろうが、それまではずっと友達だったんだ。あいつが死ぬのを望むわけがないだろう。」
「でしょうね。」
「なあ、いい加減ハッキリ言ってくれないか?俺はあいつと不倫してたし・・・・ぶっちゃけ自殺願望があることも知っていた。
別れた旦那が自殺したことも、その旦那が悪霊としてこのホテルに住み着いてることも知っていた。」
開き直ったのか、堂々とした態度で全てを認める。
「その上で何が知りたいんだ?」
身を乗り出し、「もちろん言葉は選べよ」と圧力を掛けてきた。
「俺はあいつが死ぬことを望んでなんかいなかった。あの時ここに泊めたのは帰る場所がなかったからだ。
別れた旦那がストーカーみたいにアパートの周りをうろついてるって言うんでな。
家に帰すと危ないから・・・・、」
「危ないから彼を殺しに行った。」
「なッ・・・・、」
「宿直室に泊まらなかったのは、亜津子さんとの関係を疑われるのが怖かったからじゃない。
彼女を守る為に、別れた旦那さんを殺しに行っていたんじゃないですか?」
「・・・・・・・・。」
「けど彼はそんなことは一言も言わなかった。自殺したと自分で認めていました。」
「だったら・・・・、」
「ええ、あなたは殺してなんかいません。だけど殺しに行こうとしていたはずです。
私どうしても気になるんです。あのアパートの庭に骨が埋まっていたこと。
あれって悪霊になってしまった彼の魂を、あの場所に縛り付ける為だったんじゃないですか?」
絹川さんは答えない。
さっさと先を話せという風に目で促していた。
「あなたは亜津子さんを泊めた晩に、別れた旦那さんを殺しに行こうとした。
けど出来なかった。アパートの周りをうろついているのは見つけたけど、実際に殺すほどの覚悟は出てこなかった。
しばらくは迷ったかもしれないけど、そのままホテルへ引き返したんです。
そして戻って来た時にはもう彼女は穴の下に落ちていた。
亡くなった彼女が枕元に立っていたから宿直室へ向かったなんてウソです。
ホテルへ戻って来るなり宿直室へ向かった。自殺するかもしれない彼女を一晩一人にしておくのは心配だったから。
けど・・・・彼女はサウナルームで事故に遭っていた。」
「それで?」
「病院へ運ばれて、あなたは彼女が助かることを願っていた。その時にハチロー君をお願いねと頼まれたけど、あれもウソじゃないんですか?
そこまでハチロー君のことを考える飼い主さんだったら、死んだあと現場に戻って、ハチロー君も一緒に天国へ連れて行ったはずです。
けど実際は10年もほったらかしのままだった。・・・・ついさっきだってそうだったんです。
私は何もしてあげられないって消えちゃいました。」
「どうだかな。本当に俺の前に現れて、ハチローのことを頼んでいったかもしれんぞ。」
「私はそう思いません。あなたは自分からすすんでハチロー君の面倒を見ていたんです。
離婚の原因を作ってしまったこと、そして亜津子さんの傍から離れて事故を防げなかったこと。
そういう罪悪感からハチロー君の面倒を見ていたんじゃありませんか?」
「ただの想像だな。」
「その通りです。確証なんてありません。亜津子さんの骨をアパートの庭に埋めていた理由だってただの想像です。
あなたは彼が自殺したことも悪霊になったことも知っていた。もっと言うならそうなってもおかしくないことを予見してたんじゃないかと思っています。
放っておいたら死んだ後でも亜津子さんを追い回すかもしれない。
だから骨の一部をアパートに埋めることで、まだここに亜津子さんがいると思わせたんでしょう?
・・・・もしかしたらあなたの口から教えたのかもしれない。ここに亜津子の骨があるぞって。
結果として彼はこの土地に縛られたままでした。あの世まで亜津子さんを追いかけることもなければ、ここじゃないどこかへ行って悪さをすることもなかった。」
「買いかぶりだな。そこまでするほどお人好しじゃない。骨を盗んで埋めるなんて犯罪なんだから。」
「だからこれもただの想像です。想像なんだけど・・・・きっとそうだって思えるほど確信があるんです。
だって悪霊が消えた瞬間から、なぜか霊感が強くなってるんです。そのせいで勘もどんどん鋭くなって・・・・、」
「急に霊感が強くなる?・・・あんたまさかとは思うが・・・・、」
「はい。きっとそうなんだと思います。」
どんどん冴え渡っていく勘、そして強くなっていく霊感。
だけど同時に虚しいというか、寂しい感覚が襲ってくるのだ。
自分の中から何かが消えようとしている・・・・そんな感覚が。
「ロウソクは燃え尽きる前が一番激しくなります。あれと似たような感じで、霊感だって限界が近づけば強く燃え上がるのかも・・・・。」
「もう消えるぞ、あんたの霊感。」
私はエル君とハチロー君を抱き寄せて「お願いがあるんです」と言った。
「この子達の面倒を見てもらえませんか?」
「飼うって言ったのはあんただろう?今さら俺に押し付けるのか。」
「霊感が消えたらこの子たちと話をするどころか、見ることさえ出来ません。だから絹川さんに・・・・、」
『ちょっと待てよ!』
エル君がテーブルに飛び乗る。
『なんだよそれ!責任をもって飼うって言ったくせに!』
「ごめん。私だってずっと一緒にいたい。だけど霊感が消えたらもう・・・・、」
『そんなんだったらハチローの飼い主と一緒じゃんか!あんなにエラソーに言ってたクセに自分もかよ!』
「そうだね・・・・エル君の言う通り。口では偉そうなことを言っておきながら、私自身がなってない飼い主だった。ごめん・・・。」
『ごめんですむかよ!おいハチロー!お前からもなんとか言ってやれ!!』
私の膝に座るハチロー君に叫ぶけど、『仕方ないよ』と答えた。
『霊感が消えちゃったら僕たちのこと分からなくなっちゃうんだもん。一緒にいたって寂しいだけだよ。』
『そんなすぐ受け入れるなよ!お前だってヒドイ飼い主のせいで苦しんだんだぞ!悪霊から解放されてやっと自由になったのに・・・・、』
『でもずっとこの世にいられないよ?』
『え?』
『僕ね、もう天国に行きたい。』
『ハチロー・・・・。』
『やっと自由になれたんだもん。天国に行きたい!』
ピョンとテーブルに飛び乗り、『藤井ちゃん』と見つめてきた。
『助けてくれてありがと。』
『ハチロー君・・・・ごめんね、ずっと一緒にいるって約束したのに・・・・。』
『泣かいないでよ。藤井ちゃんがいなかったらずっと悪霊に捕まったままだったんだから。僕はもう自由なんだ。
なんにも・・・・縛られ・・・・ない自由・・・なんだ・・・・・。』
『ハチロー君?』
声が掠れ、身体が薄くなっていく。
『おいハチロー!成仏するつもりかよ!』
エル君が牙を剥いて怒る。
『お前までいなくなったら俺はどうすればいいんだよ!』
消えかかるハチロー君に飛びかかり、逝かせまいと抱え込んだ。
『お前は俺の弟だろ!』
『そうだ・・・よ・・・。エル君は・・・僕の・・・お・・・兄ちゃん・・・・。』
『じゃあ一匹にするなよ!ここにいろよ!』
『エル・・・くん・・・は・・・お・・にい・・・ちゃ・・・、』
『俺はもう人間なんか信じない!飼い主なんかいらない!俺とお前でずっと一緒にいよう!』
『ずっと・・・いっしょ・・・に・・・いる・・・・。』
『じゃあ消えるなよ!成仏するなあああああ!!』
エル君の叫びも虚しく、ハチロー君は完全に消えてしまった。
でも気配はまだ漂っている。
部屋の中をグルグルと飛び回りながら『エル君も・・・一緒に行こう』とささやいた。
『一緒に・・・・天国に・・・行こう・・・。きっと・・・楽しい・・・よ・・・・。』
そう言い残し、ハチロー君の魂は部屋から飛び去っていった。
『ハチロー!なんでだよ!バカヤロオオオオオ!』
ぶつけようのいない怒りがこだまする。
私は手を伸ばし、ギュっとエル君を抱きしめた。
『触んなよ!』
「ごめん・・・ごめんね。」
『触るな!離せよ!』
エル君の身体もだんだん薄くなっていく。
でもそれはこの子が成仏を選んだからじゃない。
私の霊感が消えかかっているのだ。
『人間なんか嫌いだ!人間が俺を殺した!幽霊にした!』
「エル君!言葉が通じるうちに聞いてほしいことがあるの。」
『幽霊になったらなったで・・・今度は・・・身勝手な人間に拾われて捨てられるなんて・・・・ふざけるな!お前・・・な・・・か大っキライだ!』
「お願い聞いて!」
声もちゃんと聞き取れなくなってきた。
でもこの子と離れてしまう前にどうしても伝えておきたいことがある。
『人間なんかみ・・・な嫌い・・・だ!いな・・・くなっち・・・え・・・、』
「ねえお願い聞いて!!」
思わず怒鳴ってしまう。
エル君はビクっと身を竦ませた。
『ごめんね、大きな声出して・・・・。』
テーブルに乗せ、正面を向かせる。
彼は怒りとも悲しみともつかない目で私を睨んでいた。
「待ってるから。」
何を言ってるんだ?みたいなキョトンとした目に変わる。
「私は生まれ変わりを信じてるの。だから待ってる、また君に会えるのを。」
『なんだよそれ・・・そんな・・・いい加減なこと・・・言って誤魔化そうったって・・・・、』
「誤魔化しなんかじゃないよ。私ね、動物と話せるこの力がどこから来たんだろうってよく考えることがある。
でね、最近こう思うようになったの。これって前世から引き継いでるものなんじゃないかって。
霊感に目覚めてからそう感じるの。魂に刻まれた強い力だって。
だから私は前世でも今と似たようなことをしていたんだと思う。
そして時を越えて再会した人もいる・・・・確信に近いほどそう信じてる。』
『そんな・・・の・・・・ウソ・・・だ・・・・、』
「実は私以外にもいるのよ、動物と話せる人が。」
『え?マジ・・・?』
「それも一年前まで付き合ってた人なの。」
『・・・・・・・。』
さらにキョトンとしている。
「この広い世界で同じ力を持つ者同士が出会って、しかも恋人だった。こんな偶然あると思う?
きっと目に見えない大きな力が働いて引き寄せられたんだって感じるのよ。
今日寝てる時だって彼の声が聴こえたわ。たぶんこの近くにいるんだと思う。
そして私と同じように困った動物を助けてるのよ。これ、やっぱり偶然なんかじゃないよ。
間違いなく前世から関わりがあったはず。だから生まれ変わってもこうして出会った。
だったらエル君だって同じよ。君が生まれ変わったらまた出会える。」
『俺は・・・そん・・・なの・・・信じられ・・・ない・・・・。』
「私は信じてる。必ずまた会えるって。どんな形で再会するかは分からないけど、さよならにはならない。だから待ってるよ。また会える日を信じて。」
握手をするように前脚を握る。
エル君は俯き『そんな・・・の・・・ズル・・・いや・・・・』と漏らした。
『俺は今でも・・・藤井ちゃん・・・と・・・一緒に・・・・いたい・・・の・・に・・・・、』
だんだんと声が聞き取れなくなっていく。
もうじき私の中から霊感が消えてしまう。
そうなる前に「ありがとう」と抱きしめた。
「君がいなかったらどうなってたか分からない。たくさん助けてくれて感謝してる。短い間だったけど・・・・一緒にいてくれてありがとう。」
エル君は俯いたままだったけど、そっと尻尾を絡ませてきた。
私の手にそっと。
そういえば手の甲を悪霊に切られていたんだ。
深くはないのでもう血は止まってるけど、エル君の尻尾が触れた途端に傷口が塞がっていった。
『さよならは言わない。また会えるって信じてるから。』
そう伝え終えるとの同時に、エル君が見えなくなってしまった。
もう気配すら感じることが出来ない。
さっきまで見えていたテーブルの上を見つめていると、ふと声が聴こえたような気がした。
『またね。』
絹川さんは宙を見上げ、しばらく視線を走らせてから「消えた」と呟いた。
「成仏したみたいだ。」
「・・・・・・・・。」
「なんていうか・・・泣かない方がいいんじゃないか。また会うって約束したんだろ。」
絹川さんの声は優しい。
私はコクコクと頷いて、ズズっと鼻をすすった。
窓の外は真っ暗で、遠くに漁火だけが見える。
夜に浮かぶほのかな光は、旅立っていった二匹の魂のように感じた。
「・・・・またね。」

勇気の証 第二十三話 いつかまた(1)

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 10:46

JUGEMテーマ:自作小説

「おい!内藤見なかったか!」
「俺も探してるんだ!アイツ人を抱えたまま調理室に入ってきやがって。包丁奪って出ていきやがったんだ!」
一階のロビーは慌ただしかった。
何人かのボーイさんやシェフが走り回っている。
フロントのお客さんが何事かと目を丸くしていた。
「とにかく探せ!それとオーナーに連絡!」
「したよ!でも出ないんだ。」
「なら・・・・とにかく俺たちだけで探すぞ!大事になる前に見つけるんだ!」
ロビーに集まっていたスタッフたちが散り散りに消えていく。
私は目の前が暗くなるのを感じて、思わず倒れそうになった。
『藤井ちゃん!大丈夫?』
エル君が心配してくれるけど、大丈夫だよとは返せなかった。
《包丁ってなに?それで何をするつもり?》
まさか生きた人間まで手に掛けようとしているのか。
一番ターゲットとして可能性が高いのは・・・・どう考えても私だ。
《肉体を取り戻したって刺された後じゃ意味がない。早く・・・・早く見つけないと!》
不安のあまり動機が膨れ上がる。
幽霊でも心拍数が上がるんだ・・・・なんて余計なことを考えてる場合じゃない。
おそらくホテルの中にはいないだろう。
いくら悪霊でも人一人抱えたままじゃ見つかってしまう。
けど外に逃げたとなると厄介だ。
あの悪霊が行きそうな場所なんてまったく見当がつかない。
闇雲に探したって時間を浪費するだけで、それこそ肉体が見つかっても手遅って可能性も・・・・。
『ねえエル君!悪霊の気配って探れる?』
『近くにいたら分かると思うけど・・・・・この辺りにはいないな。』
『そっか・・・ならやっぱり外ね。』
『ていうか藤井ちゃんだって集中すれば気配を探れるんだぜ。そう教えただろ。』
『そうだったね、ごめん。』
じっとしてても始まらない。
とにかく外へ出てみよう。
ロビーを駆け抜け、海の見える中庭に出る。
陽の高さからしてお昼時くらいだろう。
遠くに雲が流れているものの、空は快晴だった。
海水浴客も大勢いて、楽しそうに賑わっている。
遠目からでもスタイルが良いと分かる黒い水着を着た女性がナンパされていて、軽くあしらっていた。
こんなに天気が良くて平和だと、かえって不安が増していく。
左右を振り返り、どっちに行こうかと迷った時だった。
「おいあんた!」
絹川さんだ。
その後ろにはハチロー君もいる。
『絹川さん!無事だったんですね!』
「なんとかな。」
ニコっと笑うけど顔色は悪い。
何人かのシェフが追いかけてきて、「まだ動かない方がいいですよ」と諫められていた。
「さっきまで溺れてたんでしょ?じっとしてた方がいいですよ。」
「そうですよ。青い顔して廊下を歩いてるのを見た時には幽霊かと思いましたもん。」
ずいぶん後輩から慕われているみたいで、必死に休むようにと説得されていた。
けど「俺のことはいい」と押し返した。
「あんまり騒ぐとお客さんを不安にさせちまう。お前らはいつも通りに仕事してろ。」
「でもボーイがお客さんをさらってどこかに消えちゃったんですよ?しかも包丁まで奪って。」
「これやっぱ警察に言った方がよくないですか。」
「だから心配するなって。オーナーにはあとで俺から報告しとくからよ。」
バンバンと肩を叩いて「ささ、仕事に戻った戻った」とホテルに押しやっていた。
「・・・・さてと。」
振り返り「とりあえずの事情はハチローから聞いたぜ」と頷いた。
「細かい部分は要領の得ないとこもあったけど、だいたいの筋は分かった。まさか亜津子の別れた旦那が亡くなってたとはな。しかも悪霊なんだって?」
『ええ、ハチロー君が悪い幽霊になっちゃったのもあの人のせいです。』
「でもって内藤を乗っ取ったうえに、あんたの肉体まで持ち去ったと。」
『そうなんです!きっと外に逃げたと思うんですけど、どこに行ったのかぜんぜん見当も付かなくて。』
「闇雲に探したってしょうがねえやな。」
腕組みをして困った顔をしているけど、その目は何かを見据えているようだった。
「実はよ、一つだけ心当たりがあるんだ。」
『ほんとですか!』
「ぜったいにそこにいるかどうかは分からねえけどな。」
『教えて下さい!心当たりってどこなんですか!』
詰め寄ると険しい顔でこう答えた。
「離婚したあとに亜津子が住んでたアパートがあるんだ。もし野郎がそのアパートを知ってたら・・・・、」
『そこにいる?』
「亜津子に会いたがってるならそこかもしれねえ。なにせあの場所には・・・・、」
『案内して下さい!今すぐ!』
「・・・・ああ。そう遠くないんだ。こいつで行こう。」
中庭の横には駐輪場があって、小さなバイクが停まっていた。
絹川さんはそのバイクに跨ると、「乗れ」と言った。
『はい!あ、でもこれって50ccのバイクですよね?二人乗りはダメなんじゃ・・・・、』
「今のあんたは幽霊だろ。ニケツしたって二人乗りにはならない。」
『そ、そうですよね!じゃあお願いします。』
荷台に跨ると『俺も!』とエル君が膝に乗ってきた。
『おいハチロー!お前も走ってついて来い!』
『ぼ、僕も行くの・・・・?』
『当たり前だろ!ある意味お前が原因みたいなもんなんだから。』
『僕のせいじゃ・・・・、』
『つべこべ言わずについて来い!』
フシャーと唸ると『分かったよ!』と頷いていた。
まるで本物の兄弟みたいだ。
「んじゃ行くぞ!」
バイクは中庭を突っ切り、ホテル前の通りに出てから海岸沿いを走って行く。
途中で左に曲がって細い路地に入り、まるで迷路のようにあちこちの角を曲がり続け、また細い路地が出てきて10分ほど走った。
パラパラと民家が並んでいたけど、そのうち空き地が目立つようになる。
売り地と看板が立っていたり、砂利だけの更地に草が生えていたり。
絹川さんはバイクを停め、茶色い地面がむき出しになった更地を見つめた。
ロープが張ってあり、すぐ隣に売り地と書かれた看板が立っている。
「なくなってやがる。」
ボソっと呟く。
「ここ最近来てなかったら・・・・いつの間にか取り壊されたみたいだな。」
『そんな!じゃあここにはいないってことですか?』
「いや、そうとも限らねえ。」
バイクから降りて、「噂は聞いてたんだ」と呟いた。
「なんでもこのアパートには幽霊が出るってな。」
『幽霊?』
「二階の端っこの部屋に女の幽霊が出るって噂があったんだよ。ほら?最近はワケあり物件を調べるサイトとかあるだろ?あれにも載ってたしな。」
『あの・・・・その幽霊ってまさか・・・・、』
「亜津子がいたのは二階の端っこの部屋だ。」
『・・・・・・・。』
「ボロいアパートだったからなあ。元々入居者が少ないうえに、そんな噂がたったせいで余計に住む人がいなくなったんだろう。」
『どっちにしろ悪霊はここにはいないってことですよね?唯一の心当たりだったのに・・・・。』
ガックリ項垂れると「諦めるのは早いぞ」と言われた。
「アパートはもうないけど、あれがまだ残ってるかもしれない。」
『あれ?』
「骨だよ。亜津子の骨。」
『骨って・・・亜津子さんの遺骨は実家のお墓なんでしょう?どうしてここに・・・・、』
「俺が埋めた。」
『へ?』
「あいつが親と上手くいってないのは知ってたからな。もし何かあっても実家の墓には入りてくないって言ってたんだ。
だからまあ・・・・ほんとはやっちゃいけないことなんだけど、遺体が焼かれたあとにこっそり骨の一部を拝借してな。
そいつをここの庭に埋めておいた。」
『ほんとですか・・・・それ?』
「今思えばハチローの骨もここに埋めてやるべきだったな。そうすればこいつも寂しい思いをせずにすんだかもしれねえ。」
ハチロー君を振り返り、「悪かったな」と謝った。
「ただあん時はそこまで気が回らなくてよ。なにせ俺だって大事な友達が死んじまって動揺してたから。」
『僕は怒ってないから平気だよ。嫌いなのは悪霊だけだもん。』
二人の会話を背中で聞きながら、アパートがあった敷地に踏み入る。
ロープをすり抜け、まっさらな地面を見渡した。
『・・・・・・・・。』
何も考えず、頭の中を空っぽにする。
ただひたすら精神を集中させ、生き物とは別の気配がないかを探った。
するとほんのわずかに土の中から奇妙な気配を感じた。
膝をつき、手を触れてみる。
『ねえ絹川さん。もしかして亜津子さんの骨を埋めた場所ってここじゃ・・・・、』
そう言って振り返った時だった。
『ちょ、ちょっとどうしたの!』
絹川さん、エル君、ハチロー君。
みんなして倒れていたのだ。
同時にゾワゾワと背筋に悪寒が走る。
見なくても誰がそこにいるかハッキリと分かった。
ドサっと何かが倒れる音がする。
それも二つ。
恐る恐る振り返ると、私の肉体とボーイさんが仰向けに倒れていた。
そして見下ろすようにあの悪霊が・・・・。
目が合っただけで吐きそうになる。
ホテルにいた時とは比べ物にならないほど歪んだ殺気を放っていた。
姿形もすでに人間とはかけ離れている。
全身真っ黒な影になり、アメーバのようにウネウネと蠢いている。
ほんのかすかに頭と手足らしきものが見えるけど、やはり人間とは思えない姿だった。
『アツコ・・・・アイニキタヨ・・・・。』
腕らしき部分には包丁を握っていて、じっと私の肉体を睨んでいる。
『マダココニイルンダロウ・・・・ネムッテルンダロウ・・・・。』
そう言って包丁を振り上げる。
『ちょ、ちょっと!』
止めようとしたけど触れることすら出来ない。
煙みたいにスルリとすり抜けてしまうのだ。
『どうして!こっちだって幽霊なのに!』
だったら包丁を奪おうと思ったけどこれも無理だった。
あっさり振り払われてしまうだけで、それどころか叩かれた部分が黒く染まった。
・・・・もし、もしも全身がこんな風に染まってしまったら、私も彼のような悪霊になってしまうのか?
そう思うと迂闊に近づけない。
《・・・・そうだ!もっと簡単な方法があるじゃない!》
目の前に自分の肉体があるのだ。
これに入れば元通り。
悪霊の凶刃から逃げられるはず・・・・・と思ったんだけど、またしても邪魔されてしまった。
バチンと腕を叩かれ、澱んだ水のように黒く染まっていく。
《いやあ!》
拭っても拭っても落なくて、かえって黒い染みが広がっていく。
悪霊は『アツコ・・・・』と呟き続けている。
『カンジルンダ・・・・ココニイルンダロウ?ハチローヲヒトジチニトッテモスガタヲミセテクレナイナンテ・・・・。
コウナッタラモウ・・・・ムリヤリニデモ・・・・コッチニヨビモドスシカナイ・・・・。』
『無理矢理に呼び戻すってどうやって・・・・、』
『ココニ・・・アタラシイニクタイガアル・・・。コノニクタイニハイレバ・・・・コノヨヘモドッテ・・・コラレル・・・・。』
『新しい肉体って・・・・あなたまさか私の身体を使って・・・・。』
いつまで経っても亜津子さんに会えないものだから、とうとう痺れを切らしたらしい。
この土の中からはほんのかすかに霊気を感じる。
おそらく亜津子さんのものだろう。
私を殺して亜津子さんの魂の入れ物にする気なんだ。
だけどそんなことをしたって絶対に彼女は戻ってこない。
だってここに眠る霊気はわずかなものだ。
彼女の魂そのものが宿っているわけじゃない。
もしそうなら、とっくにこの悪霊は誰かを殺めて亜津子さんの魂を入れたはずだ。
それに何より・・・・、
『いい加減にしろお!』
立ち上がって叫んでいた。
『こんなことして呼び戻したって、彼女はあんたのことなんか認めない!余計に嫌われるだけだ!』
こんな口調で怒鳴ったりしたことがないので声が上ずってしまう。
けどもう我慢出来なかった。
10年間もハチロー君を苦しめ、それで思い通りにいかないと知ると、今度は他人の肉体を利用してまで目的を果たそうとするなんて。
しかもこの悪霊の中にあるのは自分の思いや感情だけで、亜津子さんの気持ちはまったく含まれていない。
もし亜津子さんが彼に会うことを望んでいるのなら、とっくに迎えに来ているはずなのだ。
けど亡くなってから10年も姿を見せないということは、彼のことなんか忘れて成仏している証拠じゃないか。
・・・・しょうじき、私は亜津子さんのことも許せないでいる。
嫌がるハチロー君と心中しようとするし、亡くなってから10年もの間、ハチロー君の前にさえ現れていないんだから。
ほんとうにこの子のことが大事なら、一緒に天国へ連れていったはずだ。
自分だけ成仏してあとはほったらかし。
無責任で思いやりのない飼い主と、身勝手でワガママな悪霊。
私はどちらの味方をすることも出来ない。
私が怒っているのは亜津子さんの為じゃない。
目の前にいるこの悪霊にただ腹が立って仕方ないだけなのだ。
『そんなに彼女に会いたいなら、なんで現世に留まってるのよ!悪霊になんかならずに成仏すればすむ話でしょ!』
そう叫んでも聞いていない。
今にも包丁を振り下ろそうとしている。
『あんた・・・・認めたくないんでしょ?彼女と別れたこと、そして自分たちが死んでしまったことを。
まだ生きてると思ってる。生きて再会して、やり直せると思ってる。そうなんでしょ?』
一歩近づき、『言っとくけどね』と睨みつけた。
『あんたはもう死んでんだ。どうやったって生き返ったりしないし、離婚する前に戻ることも、やり直すことも出来ない。』
そう言うと真っ黒な影から二つの目が飛び出して、ギロリと私を睨んだ。
『私の肉体を殺したって意味なんかないんだよ。死んだ身体に飛び込んだって死人のままなんだから。』
『・・・・・・・。』
『睨んだって怖くない。』
もう一歩近づくと、ナメクジのように二つの目玉が伸びてきた。
黒ずんだ眼球に私の姿を映している。
恐怖はある・・・・けど怒りの方が勝る。
日本にいる時でも海外にいる時でも、身勝手な人間のせいで苦しむ動物たちをたくさん見てきた。
そういった動物の力になる為に私は生まれてきた。
だからこそ動物と喋ることが出来る。
そう信じているからこそ、身勝手な人間は許せなかった。
この件だってハチロー君が関わっていなかったら、ここまで本気になることはなかっただろう。
この人と亜津子さんの間に何があったのかは分からない。
けど人間同士の諍いだけだったら、危険に身を晒してまで悪霊に関わることはしなかったと思う。
《きっとこの為に霊感に目覚めたんだ。死んでもなお人間に苦しめられる動物がいるから。》
ギロリと睨んでくる悪霊の目を睨み返し、『二つ約束してほしい』と言った。
『まずハチロー君を解放してあげて。あなたの持ってるあの子の首輪を返してほしいの。』
悪霊は何か言おうとしたけど、それを遮ってこう続けた。
『それと私の肉体も返してもらう。私にはまだまだやらなきゃいけないことがあるから、あんたのワガママの犠牲になるつもりはない。』
とことん挑発気味に言う。
すると悪霊は可笑しそうに笑い出した。
『ダマッテキイテレバ・・・・シッタヨウナコトバカリ・・・・。』
『何がよ?』
『サイショニオレヲウラギッタノハ・・・アツコノホウダ・・・・。オレハアイツヲアイシテイタノニ・・・・ホカニオトコヲツクッタ・・・・。』
『不倫されたってわけね。』
『ダカラオレモシカエシニ・・・・ホカノオンナトアソンダ・・・・。デモソンナニタイシタコトハシテイナイ・・・・ホンノイチドカンケイヲモッタダケダ・・・。
ナノニアツコハ・・・・イカリクルッテ・・・・・リコンヲツキツケテキタ・・・・・。
オレハナンドモアヤマッタノニ・・・・ユルシテハクレナカッタ・・・・。アイツダッテ・・・・オレヲウラギッタクセニ・・・・・。』
『要するにお互い様ってことじゃない。』
『ワカレテ・・・・カネモゼンブモッテイカレタ・・・・。ナノニ・・・・アツコハカネニクロウシテイタ・・・・ジゴウジトクダ・・・・。
ギャンブルニハマッテ・・・・ゼンブツギコンダ・・・・ジブンノセイダ・・・・。
タダソレデモ・・・・オレハマダアツコガスキダ・・・・。アイタイ・・・・ヨリヲモドシタイ・・・・。』
なるほど、悪霊の言葉を信じるなら、これはタチの悪い痴話喧嘩でしかないみたいだ。
お互いにどうしようもない人間で、お互いに裏切りあって、お互いに自分のことしか考えていないワガママな人たちだ。
だったらやっぱり私の知ったことじゃない。
痴話喧嘩ならやりたいだけやればいい。
ただし誰にも迷惑を掛けないように、あの世の隅っこで。
『どっちもどっちじゃない。ほんとにハチロー君が可哀想だわ・・・・。お願いだからあの子は解放してよ。』
『アツコニアイタイ・・・・。』
『ハチロー君を人質にしても、亜津子さんが戻って来ないのは分かったでしょ?こんな物まで奪ってあの子を従えようとするなんて。』
ポケットから真っ白な首輪を取り出す。
悪霊は一瞬だけ瞬きをした。
『これハチロー君の首輪でしょ?ボーイさんのポケットの中にあった。さっきくすねといたの。』
ニヤっと笑いながら『油断したね』と挑発する。
『彼を乗っ取った時にポケットに入れたままだったんでしょ?間抜けな悪霊さん。』
首輪をユラユラ振ってみせると、また瞬きをしてから吹き出した。
『ハハハハ!ソンナモノデダマサレルカ!』
そう言って『ホンモノハコッチダ・・・・』と白い首輪を取り出した。
『コレガハチローノクビワダ・・・・。アツコノテヅクリ・・・・ハチローノタカラモノダ・・・・。』
『そう、それそれ。』
さっと手を伸ばし、本物を奪い取る。
『ア・・・・、』
『わざわざ出してくれてありがとう。あ、ちなみにこっちの首輪もハチロー君の首輪なのよ。ただし別のヘチロー君だけど。』
『キ、キサマ・・・・・、』
悪霊は怒りに震えている。
私はその隙に自分の肉体に飛び込んだ。
一瞬だけバチっと電気が走ったような感覚があって、魂と肉体とが結びついていくのを感じた。
「うう・・・・なにこれ・・・・ぜんぜん力が入らない・・・・。」
まるで長い眠りから覚めたみたいに、全身が鉛のように重く感じた。
吐き気もするし頭も痛いし、気分も最悪だ・・・・。
「とにかく逃げなきゃ・・・。」
フラフラ立ち上がると、背後から何かが迫ってくるのを感じた。
咄嗟にしゃがんで頭を庇う。
その瞬間、手に激痛が走った。
「痛ったッ・・・・、」
手の甲から赤い血が流れる。
振り返るとボーイさんが包丁を振り上げていた。
『オマエエエエエ!』
血走った目で包丁を振り回す。
慌てて逃げ出したけど、フラつく足じゃ早く走れない。
『アツコ!アツコオオオオ!』
後ろから髪を引っ張られる。
見上げると包丁を向けて私を睨んでいた。
『私は亜津子さんじゃない!』
『アツコオオオオオ!』
もう話が通じる状態じゃなかった。
振り払おうと思っても信じられないくらいに力が強くて、髪の毛ごと身体を持ち上げられる。
「やめて!」
『アツコオオオオ!』
包丁が迫り、ギュっと目を閉じる。
身を固くして縮こまっていると、『藤井ちゃんになにすんだ!』とエル君の声が響いた。
『俺のご主人に手を出すな!』
顔に飛びついてバリバリ引っ掻いている。
『ジャマダアアアア!』
エル君を引き離し、遠くへ投げ捨てる。
同時にボーイさんから悪霊が分離して、顔を押さえて苦しんでいた。
『グウ・・・オオオオ・・・・、』
「早くこっちに!」
絹川さんが私の手を引っ張る。
それと入れ違うようにハチロー君が飛びかかっていった。
巨体を翻し、獲物に襲いかかるかのように悪霊を組み伏せる。
『お前なんか怖くない・・・・怖くない!』
声は震えているけど、攻撃の手は緩めない。
悪霊にまたがって何度も猫パンチを放つ。
「今のうちに!」
「待って!ボーイさんがまだ・・・、」
彼だって無関係なのだ。
これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。
絹川さんの手を振りほどき、ボーイさんのもとまで走る。
「おい危ないぞ!」
遅れて絹川さんも追いかけてくる。
投げ飛ばされたエル君も『この野郎おおおお!』と向かってきた。
ハチロー君に加勢して、どうにか悪霊を押さえ込もうとする。
その隙に私と絹川さんでボーイさんを抱えた。
『アツコオオオオオ!』
おぞましい気配が増して、悪霊の叫びが遠吠えのように響き渡る。
エル君もハチロー君も投げ飛ばされて、『アツコオオオオ!』と吠えながら私の首に掴みかかってきた。
「いい加減にしろこの悪霊めがッ・・・・、」
「逃げて!」
助けにくる絹川さんを思いっきり蹴り飛ばす。
ボーイさんを抱えたままアパートの敷地の外まで転げていった。
「痛てて・・・なにすんだ!」
「近くにいたらまた乗っ取られる!早くホテルに逃げて!」
「いやしかし・・・・、」
「いいから早く!!」
自分でも驚くほどの声が出る。
気圧された絹川さんは「わ、分かった・・・」と狼狽えていた。
「すぐに戻ってくるからな!」
バシバシとボーイさんの顔を叩き、「起きろ!」と叫ぶ。
「うう・・・ん・・・なんですか・・・・?休日出勤はごめんですよ・・・・。」
「馬鹿言ってないでバイクに乗れ!」
「ほらもう・・・・そうやっていっつも無理矢理・・・・、」
「グチグチ言ってねえでさっさとしろ!」
「分かりましたよ・・・・出勤すればいいんでしょ・・・・まったくもう・・・・。」
寝ぼけながら後ろに跨る。
バイクはすぐに発進して遠ざかっていった。
『アツコ・・・・アツコ・・・・モドッテキテクレ・・・・・。』
「私は亜津子さんじゃない!」
『アツコオオオオオオ!』
「や、やめて・・・・苦しい・・・・・、」
悪霊から何本も手が伸びてくる。
首も腕もお腹も万力みたいなパワーで絞められて、身動き一つ取れない。
《だ、誰か・・・・助けて!》
呼吸が出来ずに視界がボヤけていく。
その時、悪霊の背後でエル君とハチロー君が何やらゴソゴソしているのが見えた。
『コレか?』
『うん!あーちゃんの気配がするもん。』
『でもこれほんの一部だぜ?こんなんでいいのか?』
『大丈夫だよ!やってみせるから!!』
ハチロー君はゴクンと何かを飲み込む。
そして近くにあった葉っぱを頭に乗せると、ブツブツ唱え始めた。
『アツコ・・・・アツコ・・・・。』
呪文のように呟きながら私を締め上げる悪霊。
けど突然動きを止めて後ろを振り返った。
『久しぶり。』
『ア・・・・アア・・・・・、』
『戻ってきたよ。』
肩までの髪をした大柄な女性が手を広げている。
悪霊は興味もなさそうに私を離し、女性に近づいていった。
『アイタカッタ・・・・ズットマッテイタンダ・・・・。』
何本もの手を広げ、喜びと共に迎えようとしている。
女性は微笑みながら胸へ飛び込む。
しかしその瞬間、悪霊は『フグアアアア!』と悲鳴を上げた。
なんと女性は猛獣のような鋭い爪を伸ばし、悪霊を切り裂いたのだ。
『アツコ・・・・ドウシテ・・・・、』
狼狽える悪霊に向かってまた爪を振り下ろす。
何度も何度も切り裂かれ、ついに倒れる悪霊に、女性はトドメとばかりに噛み付いた。
その顔は人と獣を足したように歪んでいて、まるで猫の幽霊が乗り移ったかのようだった。
『オ・・・オマエ・・・・アツコジャナイナ・・・・。』
必死に女性を引き剥がそうとするけど、そこへエル君が飛びかかって顔を引っ掻いた。
『いい加減成仏しろ!』
『ダ・・・・ダマシタナ・・・・アアアア!』
また悪霊が吠える。
と同時に女性はハチロー君へと姿を変えた。
《あれ・・・もしかして化けてたの?》
この世には化ける動物がいることは知っている。
実際にこの目で見たこともあるのだ。
お稲荷さんと化けタヌキ。
まだ有川君と別れる前のこと、そういった動物たちと関わったことがある。
けどまさかハチロー君まで化けるなんて・・・・、
『・・・・・・。』
『え?誰?』
いま後ろから声が聴こえた。
耳を澄ますとまたボソっとささやく声が・・・・。
『ハチロー・・・・。』
今度はハッキリと聴こえた。
女性の声だ。
その瞬間、ハチロー君が『あーちゃん?』と顔を上げた。
キョロキョロ辺りを見渡し、『やっぱりあーちゃんだ!』と誰もいない空中へ駆けていった。
『アツコ・・・・?』
悪霊も身を起こす。
しかし彼には何も見えていないのか、『ドコダ!』と探していた。
『ごめんね・・・ハチロー・・・・。ほったらかしにして・・・・。』
『あーちゃん!』
何もない空中に頬をすり寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
じっとその様子を眺めていると、とつぜん手の中が熱くなった。
ハチロー君の首輪がぼんやりと光り、あの子の元へ飛んでいく。
『付けてあげる・・・・・。』
首輪は勝手に動く。
そしてハチロー君の首に触れた瞬間、元の子猫に戻っていた。
『これくらい・・・しか・・・・してあげられない・・・・。ごめんなさい・・・。』
ハチロー君は『あーちゃん!』と叫んだけど、浮力をなくして私の腕に落ちてきた。
『これからは・・・・新しい・・・・飼い主さんといっしょに・・・・。さようなら・・・・。』
声は掠れ、気配も消える。
『アツコオオオオオオ!』
悪霊も空に向かって手を伸ばすけど、もう何も語りかけてこなかった。
『藤井ちゃん!それ潰して!』
エル君が叫ぶ。
「何を?」と聞くと『骨!』と言った。
『ハチローと一緒に落ちてきただろ!あーちゃんの骨!』
「骨って・・・・、」
腕を見ると、ハチロー君のすぐ傍に白い欠片が落ちている。
悪霊も気づいたようで、『アツコオオオオオ!』と向かってきた。
《なんだか分からないけど!》
骨らしき物を握り締め、思いっきり力を込める。
麩菓子みたいにグスグスっと砕ける感触があって、手を広げると何もなくなっていた。
「消えてる・・・・・。」
砕けたって破片は残るはずなのに。
『藤井ちゃん!』
エル君が走ってくる。
『やったな!アイツ消えたぞ!』
「え?」
顔を上げると悪霊はいなくなっていた。
「なんで・・・・?」
『そりゃもう会えないからだろ。』
「会えないって・・・・骨を砕いたから?」
『それがあるから執着してたんだと思うよ。ちょっとでも亜津子って人の気配が残ってたからさ。』
「なるほど・・・・。」
『それに思いっきり無視されてたし。あれじゃどう頑張っても仲良くなんてしてもらえないだろ。』
「もしかしたらだけど、あの骨に宿ってた亜津子さんの霊力ってハチロー君の為だったのかな?
自分が死ぬ時、一緒に連れて行くことが出来なかったから・・・・、」
『それは考えすぎでしょ。ここに骨があったのって絹川のおっちゃんが埋めたからだし。』
「だよね。でも・・・・どうして絹川さんはここに骨を埋めたんだろう?
亜津子さんが実家のお墓に入るのを嫌がってたからって、遺骨を盗んで埋めたりするかな。」
これは間違いなく違法だ。バレたら捕まる可能性だってある。
大事な友達だからここまでしてあげたのか?
それとも何か別の理由があったのか?
「・・・・・・・。」
『どうしたの藤井ちゃん?』
「エル君、ホテルに戻ろう。ちょっと絹川さんに尋ねたいことがあるの。」
アパートのあった敷地から出て、一度だけ振り返る。
もう二度と悪霊なんかに関わるのはゴメンだ。
どうか成仏してくれますようにと祈りを捧げた。

勇気の証 第二十二話 潜む者(2)

  • 2019.09.09 Monday
  • 10:28

JUGEMテーマ:自作小説

人間は悪霊に取り憑かれることがある。
だけど幽霊が悪霊に取り憑かれるなんてことがあるんだろうか。
・・・・・いや、ないとも言えないか。
人が人を呪うように、幽霊が幽霊を呪ったとしてもおかしくない。
元々が害のない幽霊だったとしても、取り憑かれたせいで悪霊に変わってしまうことだってあるんだろう。
例えばハチロー君のように。
『ずっと一緒にいようね。』
サウナルームの穴の下、配管から漏れる水に沈んでハチロー君の声を聴いていた。
この子は本来は悪霊ではなかった。
なかったんだけど、そうなってしまったのはハチロー君の後ろに立つ幽霊のせいだ。
小柄な男性でメガネを掛けている。
真面目そうな顔に真面目そうな雰囲気。
けどハチロー君以上に歪んだ気配を放っていて、その気配はまるで糸のようにハチロー君に絡みついていた。
普通の人よりも少し首が長く、クッキリと痣が残っているのは、首を吊った痕かもしれない。
とにかくこの男性はもう亡くなっているということだけは分かる。
そしてしきりに『アツコ・・・アツコ・・・』と呟いているのだ。
唱えることをやめてしまったら消えてしまうかのようにずっと。
霊感に目覚めた私は勘が冴えている。
そのせいか知らないけど、初めて会うこの男性が誰だか分かってしまった。
けど念の為に尋ねてみる。
『あなたもしかして・・・・ハチロー君の飼い主さんと結婚してた人?』
尋ねてもアツコしか呟かない。
ハチロー君に『この人は?』と聞いても『ずっと一緒にいようね』と求めるばかりだった。
『ずっと一緒だよね。』
『・・・・そうよ。でも私は幽霊のままじゃいられない。もうそろそろ離してくれないかな?』
大きな前足でガッチリと抱えられ、ほとんど身動きが取れないでいた。
私も幽霊なので水の中でも窒息したりはしないけど、同じ幽霊の手から逃れることは出来なかった。
『私は逃げないよ。だから手を離してくれないかな。』
『じゃあ言って。』
『何を?』
『その人に言って。僕とずっと一緒にいるって。もう僕はあーちゃんの猫じゃないから、捕まえてても意味ないよって。』
『やっぱり飼い主さんの元旦那さんだったのね。でもどうしてその人に言わなきゃいけないの?』
『だって僕があーちゃんの猫だと思ってるから。』
『・・・・ねえ。その人ってまだあーちゃんに未練があるの?君と一緒にいれば、いつかあーちゃんが取り返しに来ると思ってるってこと?』
『この人今でもあーちゃんが大好き。だから離してくれない。ずっと追いかけてくる。どこに逃げてもここに戻される。僕もう怖い。もうこの人イヤ。』
悲しそうに俯き、前足でしっかりと私を抱え込む。
『ちょっと!苦しい・・・・・、』
『一緒にいるって言って。』
『ハチロー君・・・・・。』
なるほど、なんとなく見えてきた気がする。
理由は分からないけど、元旦那さんも亡くなってしまったわけで、ずいぶん昔からハチロー君を縛り付けているみたいだ。
そうでなきゃ『ずっと』とか『どこに逃げても』とは言わないだろう。
私はこう思っていた。
動物と話せる私と出会ったが為に、この子は悪霊になってしまったんだと。
でも違う。そうじゃない。
この子はただ助けを求めていたんだ。
動物と話せる力と霊感。
両方を持つ私と出会ったことで、新たな飼い主になってもらおうとした。
そうすることで、この男性から解放されるから。
飼い主が変わればハチロー君を捕まえていたって意味がない。
自分の猫でもないのに、あーちゃんは取り返しに来たりしないだろう。
でもそうなるとこの男性は困る。
強い未練を抱いているようなので、なんとしてもあーちゃんと会う為にハチロー君を手放したくないのだ。
だからこの子を悪霊に変えて私を襲わせた。
今まさに彼の歪んだ殺気が、まるで糸のようにハチロー君に絡みついているから。
これさえなければこの子は可愛い子猫のままだったのに・・・・・。
全ては私の推測だけど、そう確信するほどに、この人からは歪んだ気配を感じていた。
『ねえ言って。僕とずっと一緒にいるって。』
今にも泣きそうな目で見つめるハチロー君に頬を寄せた。
『いる、いるよずっと。これ以上苦しむ必要なんかない。私に任せて。』
顔を上げ、ハチロー君を苦しめている彼に宣言した。
『今は私がこの子の飼い主なんです。あなたの別れた奥さんの猫じゃありません。』
そう言ったけど反応はない。でも続けた。
『この子を捕まえていたって彼女は戻って来ませんよ。だからもう自由にしてあげて下さい。』
伝えて答えを待つ。
すると一瞬だけ陽炎のように揺らいだ。
歪んだ殺気まで波打って、恐怖が肌に焼け付く。
『セッカク・・・ホリダシタノニ・・・・テバナスワケナイダロウ・・・・。』
『掘り出す?なにを?』
『アツコノタマシイニアイニ・・・・ナガノマデイッタ・・・・。デモアイツハイナカッタ・・・・。
カワリニ・・・・コウエンデソノネコヲミツケタ・・・・。ワザワザホリダシテ・・・・ヒトジチニシタノニ・・・・。
ドコノダレカワカラナイヤツニ・・・・・ウバワレテナルモノカ・・・・・。』
『公園から掘り出すって・・・・まさかあなたがハチロー君の遺体を!?』
『テイコウシタカラ・・・・フミツブシテヤッタ・・・・。ボクノカラダヲ・・・・・オモチャニスルナッテ・・・・ネコノブンザイデ・・・・ナマイキニ。』
『踏み潰すって・・・・・、』
『グチャグチャニ・・・・・カタチヲトドメナイホド・・・・。』
『ヒドイ!なんてことを・・・・、』
そう言いかけてふと思うことがあった。
『ねえ?踏み潰したのっていつのことよ?』
『ソンナコトハドウデモ・・・・・、』
『いつ?』
『・・・・アツコガナクナッテスグダ。』
『なら10年前・・・・。おじさんが埋めたっていう猫の死骸とは関係ないわけか・・・・。』
『ナニヲブツブツイッテイル・・・・。』
『あなたがハチロー君を踏み潰したっていう公園、数年後にも潰れた猫の死骸があったのよ。
でも10年前ならとうに土に還ってるから違うなって思っただけで・・・・、』
『ツヨイシネンガアレバ・・・・ネンゲツヲヘテモ・・・ニクタイハノコル・・・・。』
『強い思念・・・。』
『ハチローハ・・・マダイキタトイト・・・・ツヨイシネンヲ・・・イダイテイタ・・・。
スウネンタッテモ・・・・ニクタイガノコッテイタトシテモ・・・オカシクハナイ・・・・。』
『思念が肉体を守るってこと?』
『オレニ・・・フミツブサレタハチローハ・・・・マダウゴイテイタカラナ・・・・。
タマシイノチカラハ・・・・ニクタイヲ・・・コエルコトガアル・・・・。
ゲンニ・・・・ココニウマッタ・・・・アツコノホネダッテ・・・・、』
『亜津子さんの骨がどうかしたの?』
『モウイイ・・・・ムダバナシハジカンノムダダ!』
叫んだ瞬間、ハチロー君にまとわりついている糸が私にも伸びてきた。
『ちょっと・・・・やめて!』
途端に胸が苦しくなる。
おぞましい気配が全身を駆け巡って、自分の魂が気味悪く変質しようとしているのが分かった。
『私まで悪霊にするつもり!?』
『ジャマハサセナイ・・・・。リヨウデキルモノハリヨウスル・・・・・。』
『あなた最低ね!そんなことしたって彼女に嫌われるだけじゃない!もし再会することができたって、口すら聞いてもらえないわよ!!』
『ダイジョウブ・・・・・ヒトジチガイル・・・・・。』
初めて笑顔を見せた。
人の笑顔って和やかになるものだけど、悪霊に微笑まれると恐怖しか感じない。
『コレガアルカギリ・・・・ハチローハジユウニハナレナイ・・・・。』
『そ、それってハチロー君の!』
彼が取り出したのは鈴の付いた真っ白な首輪だった。
『コレハソノネコノタカラモノ・・・・。アツコニツクッテモラッタクビワダ・・・・。コレサエアレバ・・・・ハチローハオレニサカラエナイ・・・・。』
『ひどい・・・・なんでそこまでするのよ!』
『アツコニアイタイ・・・・アノトキハオレガワルカッタ・・・・イットキノキノマヨイデ・・・・・ウラギッテシマッタ・・・・。
デモイマハコウカイシテイル・・・・・。アツコガイナイナラ・・・・イキテイテモイミハナイカラ・・・・・クビヲツッタ・・・・。
イッショニテンゴクヘイコウトオモッテ・・・・オレモイノチヲタッタンダ・・・・、』
『勝手にもほどがある!ここまでひどい事しておいて一緒に天国なんか行けるわけないでしょ!』
なんて理不尽で不条理なんだろう。
なんて自分勝手でワガママなんだろう。
こんな相手じゃ話が通じない。
例え悪霊じゃなかったとしても、話し合って分かり合える相手じゃない。
ハチロー君は俯き、甘える・・・・というより、怖かっているように身を寄せてくる。
私は『ごめんね』と抱きしめた。
『ずっと辛かったね。飼うなんて言いながら君のことなんにも分かってなかった。ごめんね・・・・。』
この子はただの被害者だ。
あーちゃんの、そしてこの悪霊の。
助けてあげたい。だけどどうすればいい?
私に悪霊をやっつける力なんてない。
それどころか全身に絡まった糸のせいで、私までも悪霊になってしまうかもしれない。
もしそうなったら誰がこの子を救うんだろう。
《・・・・そんなの決まってる、私しかいない。飼い主の私が守らないで誰が守るのよ!》
そっとハチロー君から離れ、悪霊の前に立つ。
『あなたのやってることは全て間違ってる。あなたと彼女の間に何があったのかは知らない。
だけどハチロー君を巻き込んでまで自分勝手なことをやるのは許せない。だから・・・・それを返して!』
駆け出し、首輪を奪おうとした。
だけどその瞬間に悪霊は消えてしまった。
まるで手品みたいにパっと。
『どこ!どこ行ったの!?』
まさか潔く成仏したわけじゃないはずだ。
きっと悪いことを企んでるに違いない。
『ハチロー君!とにかくここから逃げよう!』
『ずっと一緒に・・・・、』
『いる!離したりしないから!』
そう言って背中を押した時だった。
頭上から光が差して「大丈夫か!」と声がした。
『絹川さん!』
「だから言わんこっちゃない!そいつはもう悪霊なんだ!飼い主の責任がどうとか言ってる場合じゃ・・・・、」
『違うんです!ハチロー君は悪くない!』
私はさっきまでの出来事を話した。
ほとんど叫びに近いほどの声で。
絹川さんは「そんな馬鹿な・・・・」と狼狽えていた。
「あいつの別れた旦那が悪霊だってのか?」
『ついさっきまでここにいたんです。でもいきなり消えちゃって。』
「しかしこのホテルから悪霊の気配なんて感じたことはないぞ。」
『きっとここに隠れてたんですよ。だって気味悪がって誰も近寄らないんでしょ?だから穴の下に身を潜めてたんです。』
「信じられん・・・・。」
唸る絹川さんだったけど、「とにかく上がってこい」と言った。
「長いこと幽体離脱したままじゃ本物の幽霊になっちまう。あんたの肉体は部屋のベッドに寝かせてあるから、今すぐに・・・・、」
言いかける絹川さんの後ろから人影が現れる。
《ボーイさん?》
あのシルエットはおそらく彼のものだ。
けどその気配は違っていた。
『危ない!』
叫ぶのと同時に絹川さんが殴られる。
後頭部をガツンとやられて、ノックアウトされたボクサーみたいに穴に向かって倒れてしまった。
咄嗟に手を広げたけど、幽霊の私じゃ受け止められない。
そのまま穴の下に落ちて、澱んだ水に沈んでしまった。
『絹川さん!』
呼びかけてもピクリともしない。
『・・・・・・・。』
ボーイさんに取り憑いた悪霊はニヤリとほくそえみ、そのまま立ち去ってしまった。
『どうしてこんな事するのよ!なんで周りを巻き込んでまで・・・・・。』
叫んでも声は届かない。
絹川さんはすぐに意識を取り戻したけど、後頭部を殴られたせいでフラついている。
バタバタと手足をもがくばかりで、水から抜け出せないでいた。
《このままじゃ・・・・。》
早く肉体に戻って助けを呼ばないと。
『ねえハチロー君!私をすぐに部屋まで運んで!』
『ごめんなさい・・・・。』
『え?』
『僕悪いことした。ごめんなさい。』
『ハチロー君・・・・・。』
謝ることなんてないのに・・・・と、抱きしめそうになるのを我慢して、『今は!』と叫んだ。
『絹川さんを助けないと!すぐに私を部屋まで運んで!君に連れてってもらった方が早いから!』
『うん・・・・。』
のそりと立ち上がり、私を咥えて走り出す。
あっという間に部屋に到着したけど、ベッドの上に肉体はなかった。
『あれ?絹川さんはここに寝かせたって言ってたのに。』
部屋を見渡してもどこにもない。
廊下に出ても見当たらない。
『そんな!どこいっちゃったの!?』
頭を押さえて絶叫する。
すると廊下の奥から「お前何してんだ!」と誰かの叫び声が聞こえた。
急いで向かってみると、恰幅のいいベテランといった風情のボーイさんが倒れていた。
頭を押さえて血を流している。
「内藤!お客さんさらってどうするつもりだ!?」
彼の視線の先にはエレベーターがあって、私の肉体を担いだボーイさんが立っていた。
目が合うなりニヤリと笑い、ドアを閉じてしまう。
『ちょっと待って!』
ドアをすり抜けると、もうそこにはカゴはなかった。
けど下の方から音がする。
飛び降りようかどうしようか迷った。
今の私は幽霊だから、暗いエレベーターの中に飛び降りても平気なんだろうけど・・・やっぱり怖い!
『呼んでくる!』
ハチロー君が叫ぶ。
『呼ぶって誰を?』
『エル君!』
『そういえばずっと姿が見えないままだけど、あの子の居場所を知ってるの?』
『うん!』
どこかへ走り去り、すぐにエル君を咥えて戻ってきた。
『はい!』
私の腕にボトっと落とす。
かなりグッタリしているけど・・・・大丈夫なんだろうか?
『エル君!しっかり!』
身体を揺さぶると『ううん・・・・』と目を覚ました。
『藤井ちゃん・・・・?』
『そうよ!今までどこいたの?』
『ハチローの奴に不意打ちを食らったんだ・・・・。後ろからいきなり猫パンチされて、廊下のゴミ箱に捨てられてた。』
『そんな・・・・。』
『俺のことが怖いからやっつけようとしたんだろうな。見つけたらタダじゃおかな・・・・、』
そう言いかけて『ハチロー!』と目を見開いた。
『この野郎!よくもやってくれやがったな!』
頭に飛び乗ってバシバシ猫パンチを食らわせている。
『ごめんなさいごめんなさい!』
『ボコボコにしてやる!』
あまりにパコパコ叩くものだから『もう許してあげて』と止めた。
『離せ!俺の怒りはこんなもんじゃないぞ!』
『事情があるのよ。ハチロー君は被害者、本当の悪霊は別にいたの。』
『なんだって?』
『それより今は絹川さんを助けないと。だけど私の肉体を取り返してたんじゃ間に合わない。ねえエル君、なにかいい方法ない?』
『何を言ってるのかサッパリ。なんかあったの?』
『説明してる暇がないの!幽霊でも溺れてる人間を助ける方法ってある?』
まったく状況が飲み込めないんだろう。しかめっ面をしながら『あるにはあるけど』と言った。
『ほんと!どうすればいいの?』
『乗り移るとか。』
『乗り移る・・・・。』
そういえばあのボーイさんも悪霊に乗り移られていた。
つまり私にも出来るんじゃ・・・・、
『でも難しいよ?そんな簡単にいかないんだ。』
『私じゃ無理?』
『つい最近霊感に目覚めた人じゃ無理だと思う。もっとキャリアのある幽霊じゃないと。』
そう言って『おいハチロー!』と睨んだ。
『なんだかよく分からないけど、藤井ちゃんが困ってる。俺を不意打ちした罰としてなんとかしてこい。』
『ど、どうすればいいの?』
『溺れてる人に乗り移って助ければいいんだ。』
『どうやって?』
『身体に入ればいいんだよ!上手くいったら不意打ちしたことは許してやる。』
『ほんとに!?』
『ほんとだ。だからすぐにその人を助けてこい。』
『うん!すぐ助けてくる!』
クルっと背中を向け、一目散に駆け出していった。
絹川さんはあの子に任せるしかない。
私は肉体を取り戻さないと。
「いきなり殴りやがって・・・・なんなんだアイツ。」
頭を押さえていたボーイさんが立ち上がる。
「こうしちゃおれん!」と駆け出し、スタッフ専用と書かれた扉の向こうに消えていった。
『藤井ちゃん、何がどうなってんの?』
不思議そうにするエル君に『追いかけながら話すよ』と言った。
『追いかける?誰を?』
『いいからついてきて。』
私はカゴのないエレベーターの下を睨んだ。
カゴを吊る何本かの丈夫なワイヤーがまっすぐ伸びている。
こんな風にエレベーターの中を見るのは初めてで、少し不気味な感じもした。
暗くて一番下まで見えないし・・・・・。
『ねえエル君。幽霊ってさ、高いところから飛び降りても平気だよね?』
『もしかしてここから飛び降りるの?』
『うん。その方が早いと思うから。』
『なんだか分からないけど、とにかく急いでるんだよな?飛び降りたってぜんぜん平気だからジャンプしなよ。』
『う、うん・・・・平気だもんね、幽霊だから。』
問題ないとは分かっていても、真っ暗で細いこの場所を飛び降りるには勇気が必要だった。
モタモタしていると『先に行くよ』とエル君が飛び降りてしまう。
『あ、ちょっと・・・・、』
なんの躊躇いもなく下の方へ消えていく。
私も息を飲み、『大丈夫!』と自分に言い聞かせた。
『モタモタしてたらそれこそ肉体に戻れなくなっちゃう。怖がってる場合じゃない!』
幽霊だけど、息を吸い込む真似をして覚悟を決める。
思い切って真っ暗な中へジャンプした。

勇気の証 二十一話 潜む者(1)

  • 2019.09.07 Saturday
  • 10:24

JUGEMテーマ:自作小説

幽霊にも色々いる。
守護霊、浮遊霊、地縛霊、そして悪霊。
知識はあっても、具体的にどう違うのかは分からなかった。
なにせ一昨日に霊感に目覚めたばかりなので、幽霊は幽霊としか思えない。
けど人間にも色んな人がいるように、幽霊にも色んなタイプがいるんだろう。
私は今、怖い幽霊に捕まっていた。
鬼頭さんや陽菜ちゃんのお母さんや絹川さんが忠告してくれたのに、油断していたせいで取り憑かれてしまったのだ。
「大丈夫かい?」
絹川さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
私は目を閉じ、黙ったまま俯くしかなかった。
だって目を開けたら悪霊の姿が飛び込んでくる。
ベッドのすぐ隣に立つハチロー君が・・・・。
「やっぱり病院へ行った方がいいんじゃないですか?」
ボーイさんが言うけど、絹川さんは「病院じゃどうにもならん」と答えた。
《ほんと私はドジだ。油断してたからこんなことに!》
・・・・ここは私の泊まっている部屋。
ついさっきまで水の中に沈んでいた。
足をすべらせ、穴の中に落ちてしまったせいで。
でもあれはつまづいたとか転んだとかじゃない。
ハチロー君の仕業だ。
そう深くない水なのに溺れてしまったのは、あの子が私を離さなかったから。
なぜなら私の命を奪おうとしていたから。
『ずっと一緒にいよ。』
遠のく意識の中でそう語りかけてきた。
もちろん断った。
だって死にたくない。野生動物保護のボランティアだってまだ一年しかやっていないのだ。
《ごめん、私は幽霊になることは出来ない。》
そう答えた瞬間に意識を失い、次に目を開けた時には部屋のベッドに寝かされていた。
すぐ傍には恐ろしい幽霊になってしまったハチロー君がいる。
なにせ顔だけで人間くらいの大きさがあるのだ。
全身だと人間の三倍近い大きさだ。
変わったのは身体の大きさだけじゃない。
目は真っ赤に血走り、毛はずぶ濡れになって、あちこちに怪我を負っている。
何より傍にいるだけで身震いするほどの嫌な気配が伝わってくるのだ。
湿り気の強い空気のように、いくら振り払ってもまとわり付く感触のせいで、鳥肌が立ちっぱなしだった。
「やっぱりやめた方がよかったんだ。いくら動物と話せるといっても相手は幽霊だ。一昨日に霊感に目覚めたばかりじゃ手に余る。」
絹川さんは申し訳なさそうに言う。
「俺が情けないせいで・・・・すまん。」
「謝らないで下さい・・・・私はまだ諦めたわけじゃないですから。」
「ハチローを成仏させようってのか?それはやめた方がいい。こいつは俺が責任をもって・・・・、」
「無理です。もう私に取り憑いてるから。」
成仏するまではぜったいに私から離れない。
ハチロー君の強い感情が肌を通して伝わってくるのだ。
「絹川さん、ボーイさん、席を外してもらえませんか。」
「席を外すって・・・・、」
「ダメですよ。顔色だって悪いし唇も紫色だし。やっぱり病院に行きましょ。」
「私なら平気です。」
「平気なわけないだろう。いつハチローが悪さをするか分からん。こいつはもう悪霊になっちまったんだ。」
怯える絹川さんの声が響く。
それでも私は「いいんです」と言った。
「私とハチロー君だけにして下さい。」
「しかし・・・・、」
「大丈夫、エル君がいるから。」
腕の中で大人しく座っているこの子がいなかったら、私はあのまま死んでいたかもしれない。
ハチロー君が私を連れて行こうとした時、この子が必死に守ってくれたのだ。
全身の毛を逆立て、フシャー!と唸り、鼻面に皺を寄せて牙を剥いていた。
あの時の迫力は尋常じゃなかった。
ハチロー君はその気迫に圧され、私を連れて行くことが出来なかった。
《ありがとね、エル君。》
頭を撫でると、グルグルと喉を鳴らしていた。
「ハチロー君は私を狙ってるんです。だったら私の声しか届かない。」
「ほんとにいいのか?何かあってからじゃ遅いんだぞ。」
「そうですよ。今からでも病院に・・・・、」
「大丈夫、必ずこの子を成仏させてみせます。」
二人は沈黙する。
「そこまで言うなら・・・・」と絹川さんが立ち上がった。
「しかし無理はするなよ。もし何かあったらすぐに助けを呼ぶんだ。」
「私も力になれることがあったら言って下さい。すっ飛んできますから。」
「ありがとう。」
二人の足音が遠ざかっていく。
パタンとドアが閉じられて、部屋の中は静まり返った。
恐る恐る目を開け、怖いのを我慢して隣を見る。
悪霊となったハチロー君はじっとこっちを睨んでいた。
大きな二つの目は瞳孔が縦長に伸び、獲物を狙うような視線に思わず身震いする。
私と出会った時は可愛らしい子猫だったのに、今は見るのもおぞましい悪霊になってしまった。
・・・・きっと私のせいだ。
飼い主を失い、その現実を受け入れられずに10年も幽霊をやっていた。
そこへ動物と話せる私が現れて、10年分の孤独とか悲しみが爆発してこうなってしまったんだろう・・・・と思っている。
「ねえハチロー君。私にどうしてほしい?」
答えは分かっているけどあえて尋ねる。
すると間髪置かずに『ずっと一緒にいたい』と答えた。
『あのね、あのお兄さんね・・・・、』
「あのお兄さん?」
『車に撥ねられた兄さん。』
「・・・・ああ、常沼君。彼がどうかしたの?」
『死にかけたでしょ?じゃあ藤井ちゃんも事故して死んだら幽霊になるから、僕と一緒にいられるよね。』
「なるほどね・・・あれを見て私を幽霊にしようと思ったわけか。」
『僕ね、思い出した。』
「なにを?」
『あーちゃんが一緒に死のうねって言ってたの。』
「あーちゃん?」
『ご主人。』
「ご主人って・・・・ここで亡くなった女性のこと?」
『事故したお兄さんも死にたいって言ってたでしょ?でも助かったでしょ?あれ見て思い出した。あーちゃんも死のうとしたけど、死ななかったこと。』
「え!それどういうこと・・・・、」
身を乗り出すと、ハチロー君が私を捕まえようと手を伸ばしてきた。
けどエル君がフシャー!っと唸ってその手を払う。
怯えたハチロー君はビクっと後ずさった。
『藤井ちゃんに悪いことするな!』
今にも飛びかかろうとしている。
ハチロー君は怯えたように目を逸らした。
「エル君、そこまで脅さなくても・・・・、」
『だってこいつ本気で藤井ちゃんを殺そうとしてるんだぜ。俺が猫じゃなかったらとうに殺されてるよ。』
「猫同士だからお兄さんのエル君を怖がってるってこと?」
『うん。もし俺がネズミの幽霊だったらパクって食われてるね。』
「それはそうだろうけど・・・・。」
同族だからこそ感じる恐怖があるのかもしれない。
とにかくエル君がいてくれるなら、あの世に連れて行かれる心配はなさそうだ。
小さいけど頼もしいボディガードを「ありがとね」と抱きしめた。
「ハチロー君、こっちを見て。」
怯えるハチロー君に向かって語りかけると、何も言わずに背中を向けてしまった。
そして壁をすり抜けてどこかへ去ってしまう。
「あ、ちょっと!」
慌てて部屋の外に駆け出す。
すると食事を運ぼうとしていたボーイさんと出くわして、荷台にぶつかってしまった。
ガラガラと音を立てて落ちていく料理と食器。
「ごめんなさい!」と拾おうとすると、「平気ですから」と荷台を立て直していた。
「それよりどうしたんですか?血相変えて。」
「ハチロー君が消えちゃったのよ!」
「ハチローって・・・・あの悪霊の?」
「どこに行ったか見ませんでした?」
「幽霊は見えないもんで。」
「ですよね・・・・。」
「あ、絹川さん呼んできましょうか?」
「はい!・・・いや、やっぱりいいです。」
「どうして?霊感のある人じゃないと分からないでしょ。」
「だって私が引き継いたんです。責任をもってハチロー君を成仏させるって。なのにこんなにすぐ絹川さんを頼れない。」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思いますけど・・・・、」
ボーイさんの言うことはもっともだけど、これ以上絹川さんに負担を背負わせたくなかった。
10年も苦しんできて、ようやく解放されたばっかりだっていうのに。
《どうにかしなきゃ。》
とは言っても一人では手に余る。
ここはエル君にお願いするしかない。
「ねえエル君、手分けしてハチロー君を・・・・、」
そう言って振り返るとどこにもいなかった。
「あれ?エル君!」
またどこかに行ってしまったんだろうか?
何度呼んでも返事がなくて、ボーイさんが「やっぱり絹川さんにも手伝ってもらいましょう」と言った。
「悪霊って怖いんでしょ?ほっといたらどうなるか。」
「・・・・そうだね。意地張ってても仕方ない。もし他の人に危害を加えたりしたら・・・・、」
「うわあ!藤井さん後ろ!!」
ボーイさんがいきなり腰を抜かす。
私は振り返る前から背後に何がいるのか悟った。
一瞬にして全身に鳥肌が立つほどの気配がそこにある。
霊感のないボーイさんでも見えてしまうほど、今のあの子は強烈な殺気を走らせていた。
「藤井さん!早くこっちへ!」
手招きをするボーイさん。
私は小さく首を振った。
もう逃げられない。
エル君がいないんじゃこの子を追い払うことは出来ないのだ。
襟元に噛み付かれ、親猫が子猫を運ぶ時みたいに私を連れ去る。
「もしもし絹川さん!大変です!すぐ来て下さい!!」
ボーイさんが電話を掛けている。
私はその間にどんどん遠ざかっていく。
その時、ふとおかしなものが目に入った。
ボーイさんの近くに私が倒れているのだ。
でも私は今ハチロー君に捕まっているわけで・・・、
《・・・あ、これもしかして幽体離脱?》
瀕死の状態にあった常沼君が会いに来た時のように、私の魂も肉体から抜け出てしまったらしい。
けど彼の場合は自分の意思だけど、私の場合は違う。
ということはこれって、もう死んじゃったも同然なのかもしれない。
だってもしこのまま肉体に戻れなかったらずっと幽霊のままだ。
『ずっと一緒にいようね。』
『待って!私はまだ死にたく・・・・、』
『捨てるの?』
『え?』
『責任があるんでしょ。』
『もちろん捨てたりしない。けど死ぬつもりもない。お願いだからちょっと落ち着いて!』
『一緒にいようね。』
いくら叫んでも離してくれない。
ハチロー君に咥えられたまま、二階にある古いドアの前まで連れて来られた。
『ここは宿直室だった部屋・・・・。』
かつて自分が死んだ場所へ来て何をするつもりなんだろう?
スルリとドアを抜けて、シャワー室の奥にあるドアの前で私を下ろした。
『サウナルーム・・・・。』
ここはハチロー君にとって辛い場所のはずだ。
なのに私と一緒に来るってことは、なにか伝えたいことがあるのかもしれない。
『一緒にいようね。』
血走った目を向けて言う。
ぜったいに逃がさない・・・そんな意志が伝わってくる。
『そんな目をしなくても逃げないよ。』
抵抗しても無駄だろう。
かといって自分の命を諦めるつもりはない。
悪霊から解放されるたった一つの方法は成仏させてあげること。
だったらこの子が何をしようとしているのか知る必要がある。
『ここはハチロー君が亡くなった場所だよね?実はずっと不思議に思ってることがあるんだけど、君は飼い主さんと一緒にサウナルームに入ってたの?』
猫と一緒にお風呂に入る人はいる。
けどさすがにサウナは聞いたことがない。
猫にサウナは暑すぎる。一緒に入るなんて危険なこと、自分の死後もハチロー君のことを気にしていた飼い主さんがやるとは思えない。
『君は飼い主さんと一緒に穴の下で亡くなっていた。でも一緒に入っていたとは考えいにくい。じゃあどうして同じ場所に倒れていたの?』
尋ねても答えない。言いたくないことがあるんだろうか。
『君は瓦礫の下に倒れてたんだよね?ということは飼い主さんと一緒に落ちたことになる。
けど飼い主さんは君を大事にしていたはず。サウナに連れて入るなんて、そんなことするはずがないと思うの。
べえ、どうして瓦礫の下にいたの?』
『・・・・・・・。』
『ハチロー君?』
『あーちゃんなんか大キライ。』
ボソっと呟く。
自分の飼い主を嫌い?
なぜ?
『それはもしかして、あーちゃんが君と一緒に死のうとしていたから?君にとっては無理やり殺されるのと同じだよね?だから嫌いなの?』
『僕思い出したもん。あーちゃんは僕と一緒に死のうとして、でも死ななかった。』
『それさっきも言ってたね。まさかあーちゃんは自殺しようとしていたってこと?』
『お金もないし、離婚したし、あと病気にもなったし。だから死ぬって言ってた。』
『病気?』
『悪い病気になって、病院にいっても辛いから、行きたくないって。もう私にはなんにもないから死にたいって。』
『人生に絶望してってことね?』
『いつもね、ボーっとしながらもう死にたいなって言ってた。山とか森に行って死のうとしたけど、上手くいかなくて生きたままだったよ。』
『そっか・・・・そういう願望があったんだ。』
人間は一つの辛いことには耐えられるけど、幾つも重なると限界がくる。
足し算じゃなくて掛け算で膨らむのが心の重圧だ。
それに耐えられなくなった時、命を絶とうとするものなのかもしれない。
『あーちゃんはね、この部屋で死ぬつもりだった。それで僕は嫌なのに殺そうとした。だからここに逃げた。』
『ここに逃げるって・・・・サウナルームに?』
『だってこの部屋で一緒に死のうとしたんだもん。だから逃げた。でも捕まえようとしてくるから暗い部屋に逃げたんだ。だって人間は暗いところ見えないでしょ。』
『自分の身を守ろうとしてサウナルームに逃げたってことね。』
『シャワーの部屋は暗かったし、それにサウナのドアがちょっとだけ開いてたから。隠れてたら見つからないと思った。』
『怖かっただろうね・・・可哀想に。でもあーちゃんはどうしてこの場所を選んだの?友達の職場なのに。』
『知らない。なんか友達がいるからって言ってた。』
『友達がいるから・・・・か。』
誰だって孤独は寂しい。
それは自殺しようとする人間だって同じなのかもしれない。
山や海で死んでしまえば、死んだあとも一人きりになってしまう。
けど友達のいる場所なら違う。
死を悲しんでもらえるし、昔からの仲だったら弔ってもらうことも出来るかもしれない。
離婚して、さらに両親とも上手くいっていなかった彼女にとっては、絹川さんのいるこの場所が最後の砦だった可能性はある。
《だからここへ来た理由を絹川さんが尋ねても答えなかったんだ・・・・。今から死にますなんて言えないから。》
きっと彼女は絹川さんに看取ってほしかったんだろう。
それに自分が死んだ後じゃハチロー君を連れて行くことは出来ない。
だから先に手にかけようとした。
それを嫌がったハチロー君はサウナルームへ逃げた。
彼女はそれを追いかけてあんなことに・・・・・。
《これってつまり、入りたくてサウナルームに入ったわけじゃないってことよね。ハチロー君を追いかけて中に入って、捕まえようとしている間に床が抜けてしまった。
ということはこの事故って、絹川さんにはぜんぜん責任がないじゃない!なのに遺言のせいで10年も苦しんでたなんて・・・・。》
会ったことのない人を悪く言いたくないけど、彼女に対してちょっと怒りが沸いてくる。
大事な猫と友達なのに、どうして苦しめるようなことをしたんだろう。
いくら人生に絶望したからって、周りを巻き込んでいいはずがないのに!
『僕まだ死んでないよ。』
『え?』
『こうして生きてるよ。』
『ハチロー君・・・・・。』
『あーちゃんがね、僕を捕まえようとしててね、それですごい音がして床が抜けたの。でも僕はピョンってジャンプして外に逃げようとしたんだ。
そうしたらね、あーちゃんが僕の足を掴んでね、引っ張って一緒に落ちたんだ。』
『引っ張ってって・・・・。そこまでして無理矢理一緒に死のうとするなんて・・・・、』
『それでね、下に落ちてね、ガラガラっていっぱい床が壊れたのが落ちてきて埋まっちゃった。
でも目を開けたらあーちゃんはいなくなってて、代わりに知らない人間がたくさんいた。』
『ということは、ハチロー君は落ちた時点ではまだ生きてたってことなのね?』
『ずっと生きてるよ。死んでなんかないもん。死んだのはあーちゃんだけ。』
『・・・・ねえ、その話って誰かにしたことはある?』
『うん。』
『だれ!?』
『猫。』
『どの猫!?』
『忘れた。』
『もしかしてだけど・・・・季美枝ちゃんの猫じゃない?あの子言ってたのよ、君は病気で死んだって。
あれって勘違いしてるんじゃないのかな?飼い主さんが亡くなった話を、ハチロー君が亡くなった話だと勘違いして覚えてたとか。』
『知らない。』
『ほんとに?』
『分かんない。』
『・・・・・・。』
この子が本当のことを言っているのかどうか?
他にも話を聞いた誰かがいれば確認が取れるんだけど、それは難しいようだった。
今さら季美枝ちゃんの猫に聞いてもハッキリしないだろう。
ただ一つだけハッキリしていることがある。
ハチロー君はまだ自分が生きていると信じている。
10年も幽霊でい続けて、今は悪霊になってしまった。
だったら言葉で説得したところで成仏なんてしないだろう。
《なにか・・・なにかないかな?》
自分が死んだと納得させられるものがあれば、成仏させてあげることが出来るかもしれない。
『藤井ちゃんは僕と一緒にいるよね。』
『もちろんよ。だけどハチロー君のやり方は間違ってる。私を無理矢理に幽体離脱させるなんて・・・・、』
そう言いかけてハっと気づいた。
『ねえハチロー君。どうして私の魂を抜いたの?』
この子は自分が生きていると思い込んでいる。
だったらどうして私の魂を抜いたんだろう?
生きてると思ってるなら、今までのように一緒にいればいいだけなのに。
《ほんとはもう死んでるって自覚してる?でもそれを認めたくないだけなんじゃ・・・・、》
『あの時すごい怖かった。』
『え?』
『僕が穴から逃げようとした時、ガシって足を掴まれて。穴に引きずり込まれて息が出来なくなったもん。』
『息が?もしかして一瞬で落ちたわけじゃないの?』
『違うよ。だってあーちゃんは穴の端っこにしがみついてたもん。それで穴が重くなってバキバキっていって崩れたの。
僕は穴に挟まったままで、だから息ができなくて苦しかった。』
『穴に埋まったまま苦しかった・・・・・。』
それって私が見た夢と一緒だ。
そして絹川さんも同じ夢を見たと言っていた。
『ねえハチロー君。君さ、私の夢に入ってきた?今日すごく嫌な夢を見たんだけど、君が苦しんだ時とまったく同じ状況なのよ。あれは君の仕業だったの?』
『そんなことしてない。』
『なら絹川さんには?10年前、彼の夢に入ったりしてない?』
『してない。人間の夢なんか興味ない。』
『じゃあどうして・・・・。』
『ねえ。ずっと一緒にいよ。』
『さっきも言ったけど、私はハチロー君を捨てたりしない。だからずっと一緒だよ。』
『ずっと一緒って言って。』
『うん、ずっと一緒だよ。』
『そうじゃなくて、このドアの向こうに。』
『ドアの向こう?サウナルームにってこと?』
『聞こえるように。』
『聞こえるようにって・・・・誰に?』
『ねえ言って。』
『どうしてそんなこと・・・・、』
『いいから言って。』
『ねえ待って。君の飼い主さんはもう亡くなってるのよ。そして君も・・・・、』
言いかけた瞬間、ドアの向こうで誰かが動く気配がした。
ガチャっと取っ手が動き、ゆっくりとドアが開いていく。
「だ、誰かいるの・・・・?」
怖くなり、後ずさる。
けどハチロー君に『言って』と押し戻された。
『ちょっと待って!言うっていったい誰に?』
ドアはどんどん開いていって、奥から嫌な気配が溢れる。
ここにいたくない!
そう思った。今すぐ走って逃げ出したいと。
けどハチロー君は離してくれない。
ドアは完全に開き、異様な気配も増していく
《な・・・何かが迫ってくる・・・・。》
真っ暗なサウナルームを睨んでいると、とつぜん二つの手が飛び出してきた。
私の首を締め上げ、中に引きずり込もうとする。
とてつもない怪力で抗うことが出来ない。
《いや!誰か!!》
必死に助けを求めるけど声すら出せない。
目を閉じて苦しんでいると、頭の中に男の人の声が響いてきた。
『アツコ・・・・・。』

勇気の証 第二十話 見える人(2)

  • 2019.09.06 Friday
  • 10:34

JUGEMテーマ:自作小説

目の前に大きな背中がある。
料理長の絹川さんだ。
私はギュっとエル君を抱きしめながら、絹川さんの後ろに隠れていた。
「怖いかい?」
クスっと笑う絹川さんに、引きつった顔でコクコクと頷くことしか出来ない。
彼はジャラジャラと音を鳴らしながら、輪っかに付いたたくさんの鍵をいじっていた。
今から例の古いドアを開けるのだ。
10年前、ここで一人の女性と一匹の猫が亡くなった。
絹川さんからその時の詳しい話を聞かされて、どうにか中を見せてもらえないかと頼んだのだ。
《怖いなあ・・・怖いけど逃げちゃダメだ。》
動物の幽霊は怖いと思わないけど、人間の幽霊には抵抗がある。
得意な人なんていないんだろうけど、私は特にこういうのが苦手だった。
「やっぱりやめとくか?」
あんまりにも怖がるもんだから、絹川さんが心配してくれている。
けどここまで来て引き返すわけにはいかない。
上手くいけばハチロー君を成仏させてあげることが出来るかもしれないんだから。
「・・・・大丈夫です。開けて下さい。」
深呼吸しても恐怖は消えないけど、強がりで誤魔化す。
「大丈夫には見えないけどなあ。」
クスっと笑ってから鍵を差し込んでいる。
木目模様の古いドアは所々傷んでいた。
染みのようなモノがあったり、何かで引っ掻いたようなあとがあったり。
薄くて見えないけど落書きのあともある。
青銅色の取っ手もかなり古びていて、上手く鍵が回らないのか、何度もガチャガチャやっている。
ゴクリと息を呑みながら睨んでいると、「開いたぞ」と言われた。
「・・・・ゴク。」
「ほんとに大丈夫か?」
「はい・・・・・。」
「じゃあ入るか。」
ドアを開き、絹川さんが入っていく。
電気がついて室内が照らされた。
けどLEDでも蛍光灯でもないオレンジ色の電球は、余計にほの暗さを醸し出す。
ぼんやりと浮かび上がる室内を見ただけでも足が竦んだ。
『藤井ちゃんビビりすぎだって。心配しなくても幽霊の気配は感じないから。』
「そ、そう・・・?なら怖がることないね。」
思い切って足を踏み入れる。
前もって絹川さんから聞かされていた通り、中は物置になっていた。
タワーのように積み上げられたパイプ椅子、パズルのようにキッチリと押し込められた長机。
折れた箒に取っ手がないチリ取り。
壁際の本棚は幾つか棚が抜けていて、数冊の本が横たわっている。
それらの全てにホコリが溜まっていて、長い間誰も手を付けていないんだなと一目で分かる状態だった。
「ここに入るのは年に二回の総点検の時くらいだ。みんな嫌がるからいつも俺が点検してる。
まあ点検なんて言っても、ザっと中を見渡すくらいだけど。」
「あの・・・・、」
「なんだ?」
「今は物置になってるけど、昔は違ったんですよね?ここでハチロー君と飼い主さんが亡くなるまでは。」
「ああ、ここは料理人の宿直室だった。今は別の部屋に移ってるが、昔はよくここで寝泊りしたもんだ。」
そう言って乱雑に置かれたシーツや枕やスリッパやを足でどかしながら奥へ進んでいった。
後をついて行くと、一段上がって畳の部屋になっていた。
「ここで寝てたんだ。ロッカーもあの時のままだし。すぐ隣の細いドアの向こうには洗面所とシャワー室がある。
でもってシャワー室の奥にある狭い部屋で・・・・・、」
「亡くなられていたんですね。」
絹川さんは小さく頷き、懐中電灯を照らした。
「シャワー室は灯りのスイッチが壊れてるんだ。あの時からずっとな。」
「・・・・・・・。」
私は息を呑み、「こっちだ」と進んでいく絹川さんについて行く。
擦りガラスの細いドアの向こうには洗面所があって、鏡に映った自分に一瞬だけビクっとしてしまった。
『あははは!』
「しょうがないじゃない・・・・怖いんだから。」
エル君は可笑しそうにするけど、私は生きた人間なのだ。
やっぱりこういう状況には抵抗がある。
洗面所の奥にはカーテンがあって、先がシャワー室になっていた。
ひっくり返った桶、転がっているシャンプーとリンス、薄汚れたタオル。
点検の時もザっと見回るだけだと言っていたけど、ほんとにただ見回っているだけらしい。
でもそれは仕方がないのだ。
絹川さんは言っていた。
正直なところ、本当ならこの部屋に入りたくないし、ここにある物にも触れたくないと。
なぜなら友人であった女性が亡くなってしばらくの間、悪夢を見たからだ。
底なし沼のような深い泥に吸い込まれ、誰かに足を引っ張られて、二度と這い上がれない夢を。
友人が亡くなって一ヶ月ほどそんな夢が続いたそうだ。
そしてある日のこと、目を覚ますと枕元に友人が立っていて、こう語りかけてきたらしい。
《私はもうどうやっても生き返れない。諦めてこの世を旅立つ。
だけどハチローのことだけが気がかり。あの子はまだ生きようとしている。私と一緒に・・・・。》
幽霊となってしまった友人が現れたことに驚く絹川さんだったけど、黙って話を聞いていたそうだ。
《一つだけお願いがある。どうにかしてあの子を成仏させてあげてほしい。そうでないといつ悪い幽霊に変わるか分からない。
こんなこと絹川君にしか頼めない。昔からの友達の頼みだと思って、どうかハチローをお願いします。》
そう言い残して消えた。
それ以来、悪夢を見ることはなくなったけど、代わりに子猫の幽霊を見るようになった。
ハチロー君だ。
成仏させてほしいと言われても、何をどうすれば成仏してくれるのか分からない。
言葉も通じない、何を考えてるのかも分からない。
かといって放っておけば悪い霊になってしまうかもしれない。
絹川さんはハチローのことを気にかけながらも、何も出来ないままで10年を過ごしてしまったのだ。
だけど10年の中で、たった一つだけ続けていたことがあった。
ハチロー君がホテルに現れた時には、必ず抱っこして撫でてあげるそうだ。
特に耳の後ろを撫でられるのが好きだそうで、飼い主だった女性もそうやってあやしていたらしい。
『俺にに出来るのはこれくらいだ。これ以上はどうしていいのか分からない。』
そう語っていたので、やはりこの部屋に入ること自体にためらいがあるんだろう。
幽霊と関わりたくない気持ちと、友人の遺言を守ってあげたい気持ち。
二つの気持ちに苛まれながら10年を過ごしてきた絹川さんの苦労は相当なものだろう。
「ほんとにいいのか?」
いきなり懐中電灯を向けてくるので「きゃ!」と驚いてしまった。
「な、なにがですか・・・・?」
「あんたは本気でハチローを成仏させてやろうと思ってるのか?」
「本気です。」
「いくら動物保護のボランティアをしてるからって、幽霊の猫にまでボランティアをする必要があるのか?」
「さっきも言ったけど、関わった以上は責任がありますから。」
「それはつまり・・・・この件を藤井さんが引き継いでくれるってことでいいのか?」
「引き継ぐ?」
「情けないと思うかもしれないが、俺はもう疲れた・・・・。10年も遺言と向き合い続けることに。
そりゃあいつが亡くなったことは俺にも落ち度があった。だけどもう充分だろう?いつまで遺言に縛られていればいい?」
クシャっと表情を歪ませ、疲れた目を見せる。
「俺は今年で55だ。あと10年したらこのホテルを退職することになる。
しかしあと10年も遺言と向き合う自信がない。どうにか頑張って耐えたとしても、その後はどうなる?
俺はもうここの従業員じゃなくなる。なのに毎日ここでハチローが来てないかチェックしなきゃいけないのか?
あいつが悪霊にならないように向き合わなきゃいけないのか?考えただけでも気が滅入ってくる。」
眉間に皺を寄せ、疲れをほぐすように揉んでいる。
「年々気分が重くなっていくんだ・・・・。もし俺のせいでハチローが悪霊になったらどうしようってな。
俺は昔っから霊感があるから、悪霊の恐ろしさはよく知ってるんだ。
奴らにとり憑かれたら不幸な毎日が続くんだよ。起きてる時も寝てる時も怯えなきゃいけない。
ちょっとやそっとじゃ離れてくれないし、油断してると道連れにしようとしてくるんだ。」
「そんなに怖いんですか?悪霊って・・・・。」
「あれは経験した者にしか分からない。悪霊に取り憑かれるなんてごめんだ。」
鳥肌が立ってくる。
霊感のある人はみんな私に忠告してきた。
下手に幽霊に関わるなと。
悪霊は私が想像しているよりずっと恐ろしいってことなんだろう。
「俺に取り憑くだけならまだいい。一番恐ろしいのはこのホテルそのものに悪さをしないかってことだ。
他の従業員、それにお客さん、なんの関係もない人たちを巻き込んでしまうのが一番恐ろしい・・・・。
それだけはなんとしても避けたいんだ。だから今まで耐えてきた・・・・。」
「絹川さん・・・・・。」
何度も私に念を押してくる理由が分かった。
もう肩の荷を降ろしたいのだ。
降ろしたいんだけど、本当に私に預けていいのか判断に困っている。
「いいですよ。」
頷くと「そんな簡単に決めて・・・・」と言いかけたので、「いいんです」」ともう一度頷いた。
「こうして出会ったのも何かの縁だと思うから。」
「霊感でそう思うのか?」
「そうじゃありません。実は霊感に目覚めたのは一昨日の朝なんです。」
「一昨日!?そんな最近なのか!」
「どうして霊感に目覚めたのか自分でも分かりません。けどちゃんと意味があるんだと思います。ハチロー君と出会ったことも、ここにいるエル君と出会ったことも。」
腕に抱くエル君に笑いかけると、応えるように尻尾を振った。
「ダメだ!」
絹川さんは形相を変える。
シャワー室にこだまして耳が痛くなるくらいの声で。
「そんなつい最近に目覚めた人間に引き継がせるわけにはいかない。あんた悪霊の怖さも知らんだろう?」
「霊感のある人から散々注意されました。軽い気持ちで幽霊に関わると危ないって。」
「その通りだ。一昨日に霊感に目覚めた人間が、10年も彷徨っているハチローの魂を成仏させてやれるとは思えない。
それどころか悪霊に変わってしまって、あんたが取り憑かれるかもしれんのだぞ?」
「たしかに霊感に目覚めたのは最近だけど、もう一つ不思議な力があるんです。生まれた時からずっと。」
「不思議な力?なんだそれは?」
「動物と喋れるんです。」
「は・・・はあ?」
呆れ気味に眉を寄せるけど、「本当ですよ」と笑みを返した。
「私は幽霊に関しては素人です。けど動物の気持ちなら分かるし、私の気持ちを伝えることも出来ます。
絹川さんの気持ちだって、私の口を通してなら伝えることが出来る。あの子に伝えたいことがあれば何でも言って下さい。」
信じられないという風な顔をしていたけど、すぐに表情を崩して頷いた。
「そんな馬鹿なと思ったが、霊感だって似たようなもんだよな。死者の声が聞けるんだから。」
「ええ。だから任せて下さい。私が責任を持って引き継ぎます。」
絹川さんは背中を向け、目元を拭う。
「これで楽になれる・・・・感謝するよ。」
大きく息を吸い込み、音がするほど勢いよく吐き出した。
「じゃあ・・・・あのドアを開けるぞ。」
シャワー室の奥に電灯を向け、薄茶色の木造ドアを照らした。
ゆっくりと近づき、取っ手を引く。
「・・・・・ゴク。」
電灯で照らされたドアの向こうには、奈落のような穴がポッカリと空いていた。
「見えるか?」
「はい・・・・。」
横に並んで穴を覗き込む。
電灯で照らされた穴の中には水が溜まっていた。
「不気味だろう?」
「・・・・はい。」
素直に頷くと、「俺もだ」と息を飲んでいた。
「ここに落ちて友人は亡くなった。ハチローと一緒にな。」
「あの・・・・どうして今も水が溜まってるんですか?ここはもう・・・・、」
「もちろん使われていない。穴の下はボイラー室になっていたが、事故があってからは閉鎖された。」
そう、この穴の下にはかつてボイラー室があった。
そして穴の上にはサウナがあったのだ。
一人用の小さなスチームサウナだけど、当時のスタッフの人たちが頼んで備え付けてもらったらしい。
けどこのサウナルームには欠陥があった。
工事を担当した業者が手を抜いていたのだ。
そのせいでサウナルームの床下の強度は下がり、さらには階下にあるボイラー室からの熱と、スチームサウナの蒸気が染み込んで、さらに脆くなってしまった。
異変に気づいたのは調理スタッフの一人で、すぐに絹川さんに報告した。
歩いただけで床がおかしいと気づくほど脆くなっていて、これは危ないと使用禁止の貼り紙をした。
オーナーにも伝えて、サウナルームは使用しないようにと他の従業員にも通達が出た。
担当した業者に連絡し、その日のうちに来てもらったそうだけど、単に床板が脆くなっているだけだと言って、しっかりとした検査は行われなかった。
近いうちに修理に来るからと業者は引き上げたんだけど、翌日になってさらにおかしな事が起きた。
なぜかシャワールームの電気が点かなくなっていたのだ。
電球を交換しても光らないので、スイッチの故障だろうと、絹川さんもそれ以上のことは考えなかった。
次に業者が来た時に相談すればいい。それくらいに思っていた。
しかしその日の夜、このシャワールームで事故が起きてしまう。
絹川さんの友人が一日だけでいいから泊めてくれないかと頼んできたのだ。
従業員でない者を泊めるわけにはいかないと断ったけど、どうしてもとお願いされた。
理由を聞いても教えてくれなかったが、かなり切羽詰まった様子だったので、一日だけならとOKした。
そして夜、友人の女性が子猫を連れて現れた。
みんなにはからかわれたそうだ。
奥さんにバレたら怒られるぞと。
彼女はただの友人だからと説明したけど、余計にからかわれるだけだった。
この日、絹川さんは当直だったけど、一緒に泊まったりしたら更に誤解を招くと思い、別の部屋で寝ることにした。
『ここは自由に使ってくれていい。ただしサウナルームは調子が悪いので使用しないように。』
彼女はシャワーさえ使えるならそれでいいと頷いた。
けど電気が点かないので、シャワーは女子の部屋のを借りたらどうかとすすめた。
彼女は『お湯が出るなら充分』と、気を遣って断った。
『それにこの子がいれば寂しくないし。』
子猫を抱きしめ、いつも一緒に入るのだと笑っていたそうだ。
絹川さんは寝るまでの間、友人と同じ部屋にいた。
きっと悩みを抱えているんだろうと、相談相手になっていたのだ。
しかしいくら尋ねても、彼女はここへ来た理由を明かさなかった。
五年前に離婚し、子供もいないので、今は一人暮らしのはず。
なのに家に帰りたくないのはどうしてか?
気になる絹川さんだったけど、いくら友達とはいえあまり深く踏み込むのはマナー違反だと思って、それ以上は尋ねなかったそうだ。
そして時計の針が夜の12時を回る頃、自分が寝る部屋へ引き上げることにした。
『じゃあまた明日な。』
そう言い残し、宿直室を後にした。
それから二時間後のこと、嫌な夢にうなされたそうだ。
内容は覚えていないけど、とにかく嫌な気分になる夢で、寝汗を掻いて飛び起きた。
こういう夢を見る時は良くない事が起きるらしく、気持ちを落ち着ける為に顔を洗おうと、部屋の電気を点けた。
『絹川君。』
後ろから声がして振り返ると、友人が立っていた。
霊感の強い絹川さんは、一目見ただけで彼女が幽霊になっていると分かった。
きっと何かあったに違いない!
急いで宿直室まで行き、ノックもそこそこにドアを開けた。
畳の部屋には誰もおらず、もしかしたらシャワーかなと思って声を掛けてみた。
でも返事がない。
胸の中にモヤモヤした嫌な感覚が広がって、『入るぞ!』とシャワー室に駆け込んだ。
中は真っ暗で、スイッチを入れても灯りが点かない。
そういえば故障しているんだったと思い出し、畳の部屋まで懐中電灯を取りに行った。
しかしシャワー室を照らしても姿がない。
外へ出ているんだろうかと考えたけど、すぐにあることを思い出した。
『まさかな・・・・。』
シャワー室の奥にあるサウナルーム。
ここへは入るなと注意しておいた。
恐る恐るドアを開き、中を照らす。
そして目に飛び込んできたものを見て、思わず叫びそうになった。
なんとサウナルームの床が抜け落ち、下にあるボイラー室が丸見えになっていたのだ。
友人はボイラーのすぐ傍で倒れていた。
身体のほとんどが抜け落ちた床の瓦礫に埋もれ、頭と腕だけが覗いている状態だったという。
絹川さんはすぐにボイラー室まで走った。
瓦礫をかき分け、『大丈夫か!』と抱き上げた。
彼女は息をしておらず、目も開きっぱなしで、鼓動さえ止まっていた。
すぐに心肺蘇生を試みたけど、それでも息を吹き返さない。
『誰か!誰か来てくれ!』
騒ぎを聞きつけた従業員が集まり、やがて救急車も到着した。
絹川さんは病院まで付き添い、彼女が助かることを祈った。
その時、ふと人の気配を感じて顔を上げると、目の前に彼女が立っていた。
『ハチローは・・・どうなった・・・・?』
それだけ言い残し、すぐに消えてしまった。
絹川さんは諦めずに祈り続けたけど、残念ながら友人は帰らぬ人となってしまった。
ホテルに戻ると、瓦礫の中に死んだ子猫が埋もれていた。
白と茶色の模様で、鈴のついた白い首輪をしていた。
そっと子猫を抱き上げ、『すまん・・・』と謝ったのだった。
・・・・絹川さんは穴の中を照らしながら、「あの時・・・・」と呟く。
「もっとちゃんと注意しておけばよかった。そもそも俺の方が宿直室に泊まっていればこんな事にはならなかった。」
「あの・・・・おこがましいかもしれないですけど、絹川さんの責任じゃ・・・・、」
「考えちまうんだ、ああいうことがあると。あの時こうしていればよかったとか、ああしていれば違った結果になったとか。
無駄だって分かってても考えちまう。この10年ずっと・・・・。」
「絹川さん・・・・・。」
「気づくべきだったんだ。ただ床が脆くなってるだけじゃなくて、底が抜けそうなほどおかしくなっていたことに。
シャワー室の電気が点かなかったのだってそれが原因なんだ。」
「でもそれは警察の調査で初めて分かったことでしょう?手抜き工事が原因で、電気の配線にまで影響が出てったって。そんなの普通は分からないですよ。」
「でも俺には霊感があった。普通の人間より勘が鋭いはずなのに、どうしてあんな風になることを見抜けなかったのか・・・・悔しくて仕方ないんだよ。
見えなくてもいいものが見えたり、悪霊に取り憑かれたりしてるくせに、肝心な時にこの力は役に立たなかった。」
しゃがんで穴の中を睨み、「あいつは何かを悩んでいた」と言った。
「だから俺の所へ来たんだ。それだって未だに分からずじまいだ。挙句にはよ、俺が殺したんじゃないかって噂する奴まで出てきた。」
ただでさえ妙な誤解を受けていたのに、一番最初に発見したのが絹川さんだから、あらぬ疑いを掛けられてしまったのだ。
警察は事故だと判断した。
けど周りからの誤解は消えないままで、そのせいで奥さんと離婚する羽目にまでなってしまった。
「状況から見ればそういう噂が立っても仕方ない。女を泊めて、しかも第一発見者が俺だからな。
けどよ、俺はよくてもあいつに悪いじゃないかよ。そんな誤解されちまって。」
穴の中に目を落としたまま淡々と語る。
声に抑揚はないのに、強い感情がこもっているのが伝わってきた。
「あいつの実家へ葬式に行った時、ハチローも連れてったんだ。」
「ハチロー君を?」
これは聞いてなかったので驚いた。
「あいつよ、実家は長野なんだよ。」
「長野・・・・。」
「だから長野まで連れてったんだ。もう死んじまってるけどよ、ちゃんと腐らないようにドライアイス入れてな。
でもってあいつの傍においてやってくれないかって両親に頼んだんだ。庭にでも埋めてやってくれればって。」
「そ、それで!ハチロー君はどうなったんですか?」
「無理だって断られちまったよ。」
「どうして!?」
「あいつ親と上手くいってなかったんだ。若い時に家出してそれっきりでな。本当は遺体を引き取るのも渋ってたらしい。」
「そんな、自分の子供なのに・・・・、」
「親とはもう二度と会うことはないって言ってたからなあ。あいつにとっても実家へ帰るのは本望じゃなかっただろう。」
「あ、あの・・・ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「ハチロー君、引き取ってもらえなかったんですよね?その後はどうしたんですか?」
「埋めたよ。」
「どこに!?」
「少し離れた場所にある公園だ。」
「公園・・・・。」
「あいつの両親が言ってたんだよ。どうしてもって言うなら公園に埋めてやったらどうだってな。
あいつ公園が好きで、家出するまではよく行ってたらしいから。だからまあ・・・・本当はダメなことなんだけど、隅の植え込みに穴を掘ってな。」
「埋めた?」
「ああ。」
「ちなみになんですけど、その公園ってもしかして・・・・・、」
私は陽菜ちゃんたちと一緒に行った公園の話をした。
すると「あんたもあそこへ行ったのか?」と驚いていた。
「ええ、そこにハチロー君がいるかもと思って。でも見つけられなかったんです。
陽菜ちゃんの子猫の首輪はあったんだけど、もう一つの首輪がなかったから。」
「俺はちゃんと埋めたぞ。そりゃ肉体は土に還ってるだろうけど、首輪は残ってるはずだ。もし誰かが掘り返したりしてなければな。」
「誰かが掘り返して持ち去ったってことはないと思います。そんなことする人いないだろうし、陽菜ちゃんの方のハチロー君の首輪は残ってたし。」
ポケットからあの公園で見つけた首輪を取り出す。
「これ、絹川さんが知ってるハチロー君の首輪じゃないですよね?」
「違う。こんなんじゃなかった。」
「ならやっぱりあの子の首輪だけ消えてるってことです。それってつまり、あそこに埋まっていたはずのあの子が、どこかへ消えてしまってことかもしれません。」
「けど勝手に消えるはずがないし、かといって掘り返す変わり者もいないだろ。」
「そうなんです。そうなんですけど・・・・、」
私には一つ気になることがあった。
それはあの公園を散歩していたおじさんが見つけた、猫の死骸らしきものだ。
あの死骸は陽菜ちゃんの方のハチロー君のものではない。
考えられるとしたらもう一匹のハチロー君しかいないんだけど、ふとおかしなことに気づいてしまった。
《ハチロー君が死んだのは10年前なんだから、猫の死骸らしきものはハチロー君とは関係ない。》
その死骸はまったく別の猫だったのか?
《そういえばハチロー君、病気で死んだって季美枝ちゃんの猫が言ってたけど、これもおかしな話よね。
だってハチロー君は事故死だもん。いったい何がどうなってるんだろう?》
頭がこんがらがってくる。
私は探偵でもなければ警察でもないから、今までの事実をどう整理すればいいのか分からなかった。
《この謎が解けないと、ハチロー君を成仏させてあげられないような気がする。》
穴の中に目を落とし、じっと見つめる。
ここにはもうボイラーはない。ないけど、さっきからずっと気になってることがあった。
「絹川さん、どうして穴の下に水が溜まってるんですか?」
奈落のような穴の底には、懐中電灯で照らし出された黒い水が浮かんでいる。
絹川さんは「ああ、それはな」と口を開いた。
「下の部屋は排水管の通り道になってるんだが、どうもどこかから漏れてるみたいでな。」
「穴が空いてるってことですか?」
「かもしれん。一ヶ月くらい前からこうなっちまってな、オーナーがそろそろ修理を頼むと言っていた。」
よっこらしょっと立ち上がり、「んじゃそろそろ仕事に戻るわ」と言った。
「藤井さん、あんたも飯食ってからにしたらどうだ?サンドウィッチは出来てるからよ。」
「はい、頂きます。」
実はちょっとお腹が空いていたのだ。
腹が減ってはなんとやら。
まずは遅めの朝食を済ませることにした。
私も立ち上がり、サウナルームを出ようとした・・・・時だった。
背後に嫌な気配を感じて振り返ると、何かに足元をすくわれた。
「あ・・・・、」
叫ぶ間もなく穴に落ちてしまう。
『藤井ちゃん!』
エル君も穴の中に飛び込んでくるけど、私はそのまま水に沈んでしまった。
《なにこれ・・・・水が・・・重い・・・・。》
そう深いわけじゃないのに溺れてしまう。
まるで泥のようにまとわりついてくるのだ。
そして誰かに足を掴まれ、底なし沼へ引き込まれるように、ズブズブと沈んでいった。
《これって・・・・今朝の夢と同じだ・・・・。》
あの悪夢が現実になるなんて・・・・。
呼吸も苦しくなり、意識が遠のいていく。
《誰か助けて!》
泥をかきわけ、必死に手を伸ばす。
すると柔らかい何かに当たった。
《なに・・・このモサモサした感じ・・・・。》
とにかくなんでもいいから助けてほしい。
ガシっとモサモサを掴むと、急に目の前に猫の顔が現れた。
人の身体ほどもある大きな猫の顔が。
白と茶の模様をした猫が見つめている。
真っ白な首輪の鈴がチリンと鳴った。

勇気の証 第十九話 見える人(1)

  • 2019.09.05 Thursday
  • 11:59

JUGEMテーマ:自作小説

爽やかな目覚めほど気持ちいいものはない。
身体が羽毛のように軽く感じるし、心は軽快に弾む。
でも残念ながら今朝は逆だった。
また悪い夢を見てしまったのだ。
そのせいで気分は最悪で、鉛のように重い身体を起こし、地面にへばりつくような心を奮い立たせないといけなかった。
『おはよう。』
目を開けると枕元にエル君がいた。
「おはよう・・・」と頭を撫で、ゆっくりと起き上がる。
『目の下にクマが出来てるよ。』
「うん・・・・。」
『よく眠れなかったんでしょ?』
「悪い夢を見ちゃって・・・・・。」
『それで夜中にうなされてたんだ。』
「そうなの・・・?」
『苦しそうにうんうん言ってた。何度も寝返り打ってさ。そのせいで俺もちゃんと眠れなかったよ。』
そう言って『幽霊だから寝不足でも平気だけどさ』とベッドから飛び降りた。
私もベッドから降り、顔を洗う。
エル君の言う通り、目の下にはクッキリとクマが出来ていた。
《はあ・・・・なんなんだろう?昨日に続けて嫌な夢を見るなんて。》
昨晩見たのは深い泥の中に沈んでいく夢だった。
まるで底なし沼のような場所に落っこちて、泥が身体じゅうにまとわりついてくるのだ。
叫ぼうと思っても口に入ってくるし、やがて足元から何かが迫ってきて、蟻地獄のように引きずり込まれてしまった。
息は出来ないし身体は重いし、なによりずっと嫌な感じの声が響いていた。
ブツブツ何かを言っているんだけど、細かいことは聞き取れない。
ただ・・・・よくないことを言っていたのはたしかだ。
苦しみや悲しみや怒りといった、後ろ向きで激しい感情が伝わってきた。
そして私自身が泥の中に溶けてしまって、もう二度と這い上がることが出来ないんだと絶望した瞬間に目が覚めた。
あんなに嫌な夢を見たのは初めてで、目が覚めてからも泥がまとわりついているような感触が続いている。
《これも霊感のせいなのかな?》
冷たい水で何度も顔を洗い、悪夢を払拭する。
『ねえねえ藤井ちゃん。』
いつの間にかエル君が足元に来ていた。
「どうしたの?」
タオルで顔を拭きながら尋ねると、『近くにハチローの気配を感じる』と言った。
「ほんとに!?」
『藤井ちゃんだって感じるはずだよ。霊感を研ぎ澄ましてみれば?』
「研ぎ澄ますって・・・・どうやって?」
『イメージ!』
「・・・・・・・・。」
エル君は眉間に皺を寄せ、座禅するみたいに固まる。
同じようにやれってことなんだろう。
私も見よう見まねでやってみる。
《イメージ・・・・頭の中にハチロー君を。》
じっと神経を研ぎ澄ます。
すると一瞬だけふとあの子の姿が浮かんだ。
場所は・・・・・このホテルの廊下!
バっと駆け出してドアを開ける。
すると「うわ!」とボーイさんが飛び退いた。
「お、おはようございます・・・・。」
「すいません!猫を見ませんでしたか?」
「猫?」
「子猫なんです。幽霊の猫なんですけど・・・・、」
『藤井ちゃん藤井ちゃん。』
エル君が呆れ顔で足を叩いてくる。
『普通の人に見えるわけないって。』
「そうだよね・・・・つい焦っちゃって。」
気持ちを落ち着け、「今のは忘れて下さい」と言った。
「あの・・・なにかお困りでしたら言って頂ければ・・・、」
「いえ、ほんとに大丈夫です。」
「ならいいんですけど・・・・。」
怪訝な顔をしながら、「朝食はどうしましょう?」と言った。
「朝食?」
「何度かお電話をさせて頂いたんですが繋がらなかったもので。部屋をノックしに来たんです。」
「ごめんなさい、疲れててよく寝てみたいで。」
「もう10時を過ぎてますが、ご希望でしたらご用意させて頂きます。」
「10時!そんなに?」
部屋の時計を覗くと、針は10時を少し回っていた。
いつもならもっと早く起きるのに・・・・。
《きっと悪夢のせいだ。》
あの夢を見ている間、泥の中に囚われて身動きできなかった。
起きたくても起きられない、そういう心理状態だったのかもしれない。
「なんだかお疲れのようですが・・・・大丈夫ですか?」
「ええ、平気です。ご心配をかけてすいません。」
「なんなら一階でマッサージなどもやっておりますが?」
「そうですね・・・ならあとで行ってみます。」
「フロントまでお越し頂ければ受付しておりますので。ちなみに朝食の方はどういたしましょうか?」
「じゃあ頂けますか?簡単なものでぜんぜん構わないので。」
「では10分後くらいにサンドウィッチでもお持ち致します。」
ペコっと頭を下げ、踵を返す。
けどすぐに振り返って「それと・・・」と顔を赤らめていた。
「はい?」
さらに顔を赤くしながら、なにかジェスチャーをしている。
まるで上着の前を締めるような動きを・・・・、
《まさか・・・・。》
ピンときて自分の姿を見る。
何度も寝返りを打ったせいだろう。
浴衣の前がかなり乱れていた。
「・・・・・・・。」
私も赤くなって前を閉じる。
「では・・・・。」
コホンと咳払いして去っていくボーイさんだったけど、また振り返って「さっき猫とおっしゃいましたよね?それも幽霊の」と言った。
「さっきのはほんとになんでもないですから!ええ。」
「子猫の霊なんですよね?」
ずいぶん真剣な目で見つめてくる。
《もしかしてこの人も霊感が・・・・?》
エル君に目配せをすると、ブンブンと首を振った。
『その人は俺のこと見えてない。普通の人だよ。』
だったらどうして猫のことを気にしてるんだろう?
私を変な人だと思って不思議がっているんだろうか?
「違ってたらアレなんですけど・・・、」
「ええ。」
「あなたの言う幽霊の子猫って、白と茶色の猫じゃないですか?」
「・・・・・・・。」
「それに白い首輪をしてて、鈴も付いてる。」
トクンと心臓が跳ね上がる。
エル君も驚いたように目を丸くしていた。
『ねえ?この人ほんとうに霊感ないの・・・・?』
『多分。だってなにも感じないもん・・・・。』
「だったらどうして模様や首輪のことを知ってるの・・・?」
『俺に聞かれても。』
「誰と話してるんですか?」
「え?・・・ああ!ただの独り言です。」
慌てて手を振る。
ボーイさんは「もしかして・・・・」と私の目を覗き込んできた。
「お客様、見える人ですか?」
「え?」
「だから幽霊ですよ。霊感とかそういうのお持ちなんでしょう?」
「そ、そうですね・・・・あるようなないような。」
「ホテルや旅館ってね、ちょくちょくそういうお客様がいらっしゃるんです。あそこに誰か立ってるとか、窓から誰かが覗いてるとか。」
「そ、それは怖いですね・・・・。」
普通にゾっとする。
ボーイさんも険しい顔をしながら「こういう仕事に就いてると、そういう話をよく聞くんです」と震えていた。
「ほとんどの場合は人間の幽霊なんですけど、たまに動物の幽霊が見える人もいるみたいで。」
「へええ・・・・。」
「でね、このホテルには子猫の幽霊が出るって噂があるんです。」
クワっと目を見開き「その猫の特徴が、白と茶色模様の子猫なんですよ」と言った。
「鈴の付いた白い首輪をしてるそうなんです。」
「ほんとですか、それ・・・・?」
「たまにそう仰るお客様が。それにホテルの従業員の中にも見たという人がいるんです。」
「ということは、前々からちょくちょく出るってことですか?」
「見える人によれば。」
「どれくらい前から?」
「さあ?私はここに勤めてまだ二年ですから。」
「なら会わせてもらえませんか?子猫の幽霊が見えるっていう従業員の方に。」
「いいですよ。今の時間なら厨房にいるはずですから。」
「じゃあ着替えてくるんでちょっと待ってて下さい!」
慌てて着替えを済ませ、厨房まで案内してもらう。
もしかしたら途中にいるかもと思って神経を研ぎ澄ましたけど、もう何も感じなかった。
「ねえエル君、ハチロー君の気配は・・・・、」
『ないね。どっか行っちゃったみたい。』
「また戻って来るかな?」
『さあねえ。なんなら探して来ようか?』
「ダメよ。君ともはぐれちゃうから。」
ヒソヒソ小声で話していると、「やっぱり誰かと喋ってますよね?」とボーイさんが振り返った。
「いえいえ!ただの独り言ですから。」
「怪しいなあ・・・・。」
怖そうに言いながら厨房まで案内してくれる。
エレベーターで二階へ行き、関係者専用のドアを抜けて階段を降りていく。
「なんかすごく狭い通路だね。ここから料理を運ぶの?」
「ああ、いえ。こっちは事務用っていうか、連絡とか伝えに行く時の通路なんです。
正面から入ると料理の気が散るからってシェフが怒るんですよ。」
軽快に歩いていく彼のあとをついて行きながら、ふと変わったモノが目に入った。
「ねえ?あれって何?」
私が気になったのは古いドアだった。
別の通路の先に木目模様のドアがあったのだ。
しかもこっちの通路には電気が点いていなくて、なんだか暗い雰囲気を醸し出している。
「ああ、あれね。私もよく知らないんです。」
「ここで働いてるのに?」
「あそこには入るなって上の人から言われてるんです。」
そう言ってキョロキョロと周りを見渡し、「あくまで噂なんですけど・・・・」と前置きした。
「今から言うこと、私から聞いたって内緒にしてくれますか?」
「うん、分かった。」
「実はアレね・・・・、」
ヒソヒソと耳打ちしてくる。
私は思わず叫んでいた。
「自殺!?」
「し!声が大きい・・・・。」
「でもでも!ただの自殺じゃないんでしょ?疑惑があるんでしょ?」
「そうなんですよ。しかも料理長の愛人だったって噂まで・・・・。」
「つまりその・・・・料理長さんが自分の手で・・・・、」
「あくまで噂です。」
「けど自殺があったことはたしかなんでしょ?」
「それは本当らしいです。他の従業員も知ってますから。10年くらい前なんで、まだ私がいない時の話ですけどね。」
「他殺疑惑のある自殺・・・・。」
それを聞いて怖くなった。
私は「行こう!」と歩き出した。
《興味本位で聞かなきゃよかった・・・・・。》
今の私には霊感がある。
ここにいたら見えてしまうかもしれない。
幸いまだ人間の幽霊にはお目にかかっていないから、このままお目にかからないままでいたかった。
「そんな怖がらなくていいですよ。警察だって自殺と判断したんですから。」
「そういう問題じゃないのよ。見えちゃうかもしれないのが怖い・・・・。」
「じゃあお客様はやっぱり見える人なんですね。」
「ほんとになんでこんな力に目覚めたんだろ・・・・。」
ブルっと腕をさする。
ボーイさんはスタスタと前を歩いていって、「ここです」と茶緑のドアに手を向けた。
「ちょっと呼んできますんで待ってて下さい。」
「え?ここに一人で・・・・。」
「すぐ戻ってきますから。」
クスっと笑ってドアの中に消えていく。
私は自分の腕を抱きながら後ろを振り返った。
『ばあ!』
「いやあ!」
腰を抜かして倒れそうになる。
『あはは!ビックリした?』
「エル君・・・・お願いだからそういうのやめて・・・・。」
心臓に悪いとはこのことだ。
壁に寄り添いながら立ち上がると、『心配しなくても平気だって』と言われた。
『あそこには幽霊なんていないから。』
「ほんとに?」
『だってなんの気配も感じないもん。きっともう成仏してるんじゃない。』
「それならいいんだけど・・・・、」
ホっと胸を撫で下ろすと、「お待たせしました」とドアが開いた。
「きゃあ!」
また腰を抜かしそうになる。
振り返るとボーイさんが立っていて、その隣には長い帽子を被ったシェフがいた。
捲った袖からは逞しい腕が覗いていて、どっしりと恰幅もいい。
けど表情は穏やかで、優しい印象を受ける人だった。
「料理長の絹川さんです。」
「え?料理長さん・・・・?」
「絹川さんも見える人なんですよ。そうですよね?」
何も言わずに腕を組んでいる料理長さん。
じっと私を睨むので怖くなってきた。
《この人がさっきボーイさんが話してくれた人・・・・・。》
自殺した人の愛人だったかもしれない人が目に前にいる。
しかもその自殺は他殺の疑いもあるわけで、色々と妙な勘ぐりをしてしまった。
「こちらは藤井様とおっしゃるんですが、猫の幽霊について聞きたいそうなんです。」
「なんでまた?」
困ったように顔をしかめている。
そして「お客さん、あんた・・・・」と私の足元を睨んだ。
「憑いてるじゃないか。」
「はい・・・・・?」
「猫の幽霊。」
「見えるんですか・・・・?」
「八割れの猫だ。白と黒の。」
「本当に見えてるんだ・・・・。」
「しかしよく見る猫の霊とは違う。あれは白と茶色の子猫だからなあ。」
姿を思い浮かべているんだろう。
優しい表情が険しくなっていた。
「あ、あの!その子猫の幽霊、私が探してる子かもしれないんです。」
立ち上がって詰め寄ると、ピクリと眉を動かした。
「実はついさっきこのホテルで気配を感じたんです。私がここへ来たのはあの子を見つける為なんだけど、何か知ってることがあれば教えて頂けませんか?」
「知ってる事と言われても、たまに見るくらいだから。」
「いつからですか?どれくらい前から?」
「そうだなあ・・・・10年くらい前ってところか。」
「10年前・・・・・・。」
「月に2、3回は見る。今朝も見たしな。」
「ほんとですか!?どこで見たんです?」
「五階の廊下だ。」
《それ私が泊まってる階じゃない!》
間違いなくいたんだ。
ということは私に会いに来たのかもしれない。
「あの猫を見つけてどうするんだい?」
「あの子きっと何か秘密を抱えてるんです。それがなんなのか知りたくて。」
「あれ、あんたの猫かい?」
「違います。たまたま会っただけなんですけど、ちょっと色々あって一緒にいるんです。
けど関わった以上は責任を持たなくちゃいけないから。このまま放っておくことは出来ません。」
「でも幽霊だぞ?ほっといてもいいと思うがな。」
「幽霊でも関わった以上は責任がありますから。」
「律儀な人だねえ。」
クスっと表情を崩してから「いいよ」と頷いた。
「あんたそれなりの覚悟があるんだろ?」
「覚悟?」
「責任を持つって言っただろう?だったらアイツ・・・・ハチローのことで何があっても受け入れる覚悟があるんだよな。」
「あの・・・・名前、あの子から聞いたんですか?」
「いんや、動物の言葉なんか分からん。直接聞けるわけないだろう。」
「そうですよね・・・・。」
「飼い主から聞いたんだ。」
「飼い主!それが一番気になってたんです。なにかご存知なんですか?」
詰め寄って尋ねると、料理長さんは「アンちゃん、仕事に戻りな」とボーイさんの背中を押した。
「え?」
「え?じゃない。休憩中じゃないだろ。」
「そうですけど、ここまで色々聞かされたら気になるじゃないですか。」
「アンちゃんには関係のない話だ。いいからさっさと戻れ。」
さっきまでの優しい顔がウソのように、鬼みたいな形相に変わる。
ボーイさんは慌てて「それじゃ私はこれで!」と敬礼した。
「お客様。」
「え・・・・あ、はい?」
「何かあったらいつでもお申し付け下さい。」
「うん、ありがとう。」
「それともうサンドウィッチは出来てるはずです。ねえ絹川さん。」
「ああ、すぐ持ってく。」
「よろしくお願いします。それじゃ私はこれで。」
ペコっと頭を下げて、駆け足で去っていった。
「さて、お客さん。」
鬼みたいな形相のまま、「今から話すことは内密にしてもらえるかな」と言った。
「人に聞かれるとマズい話ってことですか?」
「まあ・・・いらぬ噂を立てられたくないというかな。さっきのアンちゃんみたいにペラペラ喋る奴もいるし。どうせ何か言ってたろう?」
「ええっと・・・・、」
「いいんだよ、噂ってのはすぐ広まるから。」
そう言ってボーイさんが去っていった通路を睨む。
「途中に古いドアがあっただろう?」
「はい。」
「10年前、あそこで人が亡くなったんだ。」
「・・・・・・・。」
「自殺だって言ってろ、あのアンちゃん。他殺疑惑があるとか、俺の愛人だったとか。」
「いえ、その・・・・、」
「みんな噂してることだ。けどな、どれもほんとのことじゃない。人が亡くなったってこと以外はな。」
「あの・・・・あそこで亡くなられた方は料理長さんのお知り合いなんですか?」
「古い友人だ。でもってハチローの飼い主だった。」
「その人がハチロー君の!?」
「飼い主と一緒に亡くなったんだ、あの猫もな。」
辛そうに口元を結んでいる。
私は古いドアがある通路を振り返った。
嫌な感じが膨らんでいく・・・・・。
季節外れの冷たい風が吹くように、背筋がゾワっと波打った。

勇気の証 第十八話 消えた猫(2)

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 11:03

JUGEMテーマ:自作小説

「やっと着いたぞ。」
部長が海岸沿いに車を停める。
「海と砂浜。ここが・・・・、」
「白浜だよ、南紀白浜。初めてか?」
「ええ。」
鬼頭さんはここへ行けばいいと言っていた。
けどザっと見渡した限りではエル君たちの姿は見えない。
部長は車から降りて「う〜ん、腰が痛え」と背伸びをしていた。
「大丈夫ですか?」
私も車から降りて隣に立つ。
ここまで二時間とちょっと、かなり時間がかかった。
長野を出てからだと七時間近く経っている。
時計を見ると午後の六時を回っていて、それでも夏だから明るい。
砂浜にはまだ幾つかパラソルが立っているし、海水浴客もいる。
海の家からは焼きそばや焼きイカの良い匂いも立ち込めていた。
「すっかり遅くなっちまったな。」
部長も目を細めながら遠くの水平線を睨んでいた。
途中までは田端君が先導してくれたのでスイスイ進んだけど、その先はまた渋滞があったり、道に迷ってしまったり、部長の腰が痛みだして休憩したりと大変だった。
「ごめんなさい、無理させちゃって。」
「気にすんない。」
トントンと腰を叩きながら、「しっかし田端も大したモンだなあ」と感心していた。
「わけの分からん路地へ案内されたかと思いきや、かなりの近道になったんだから。あれがなきゃもっと時間が掛かってた、さすがは白バイ隊員だ。」
「ほんとですね。会社にいた頃の彼とは別人ってくらい堂々としてたし。」
「昔はどうしようもない青瓢箪だったが、今は立派に成長してやがる。人ってのは変わるんもんだとつくづく思うよ。」
私を振り返って「お前もなあ」と苦笑いした。
「芯の強い奴だとは思ってたけど、まさか幽霊の猫を追いかけて和歌山まで来るとは。そんな行動的だとは思わなかった。」
「部長も丸くなられましたよね。私が知ってる頃はもっと怖かったです。」
「だんだん鬼上司やるのも疲れてきてな。あれでも無理してたんだ。」
「けど素の部分もあったでしょう?」
クスっと笑うと「まあな」と肩を竦めていた。
「で、肝心の猫はどこにいるんだ?」
「さっきから探してるんですけど見当たらないんです。」
「こっちが先に着いちまったのかもしんねえな。」
「だと思います。」
向こうは徒歩、こっちは車。
まだ来ていなくて当然だろう。
ただ普通の猫ではないので、思っているよりも早く到着する可能性はある。
「なあ藤井?」
「え・・・ああ、はい!」
「なんだボケっとして。」
「らしくないな」と笑われる。
「あの子達のことを考えてたんです。」
「そういえば胸騒ぎがするとか言ってたな。それって猫の幽霊と関係があるのか?」
「分かりません。けど・・・・きっとそうなんだと思います。」
「霊感のせいでそう感じるなら本当のことなんだろうなあ。」
エル君の呪いで苦しんでいた部長は、私の言うことを信じてくれている。
険しい顔をしながら「悪いんだが・・・・」と切り出した。
「俺が力になってやれるのはここまでだ。」
申し訳なさそうな表情をしながら俯く。
「エルは俺のせいで幽霊になっちまった。本来なら一緒に探さないといけないんだろうが・・・・、」
「ありがとうございました。」
言いかける部長の手を握る。
「送って頂いて本当に助かりました。」
「気い遣うなよ。エルをお前に押し付ける形になっちまって・・・・、」
「私が勝手に引き取ったんです。部長が気にすることじゃありません。」
「・・・・仕事んときゃ偉そうなこと言っときながら、こういう時は面倒に関わりたくないと思ってる。ましてやこの歳んなって幽霊だとか呪いだとか・・・・、」
「それが普通ですよ。それにこれは仕事と関係ないですから。」
「お前には恩があるし、かつての部下だし、力になってやりたいと思ってここまで来たが・・・・すまん。」
頭を下げるので「やめて下さい」と止めた。
「いいんですよ、ほんとに気にしなくて。」
「少し休んだら帰ろうと思う。いいか?」
「もちろんです。けど休むって言ってもここじゃ休まらないですよね。どこかに宿でも取りましょ。」
「いやいや、そこまでは・・・・、」
「私はきっと泊まりになると思います。部屋でゆっくり休まれた方がいいですよ。」
「いやしかしな・・・・、」
「まあこの時期だから空いてないかもしれないですけど。」
季節は夏真っ盛り。
海辺の宿はきっといっぱいだろうけど、とりあえず当たってみることにした。
「あ、あそこなんか良さそうじゃないですか?」
少し先の奥まった所に民宿らしき建物がある。
「ちょっと聞いてきますね。」
駆け足で向かったけど、あいにく満杯とのことだった。
その後もスマホで安そうな場所を探したんだけど、どこもいっぱいで予約は取れなかった。
となると残っているのは・・・・、
「高そうな場所ばっかりかあ・・・・。」
エル君たちを見つけるまでここから離れるわけにはいかない。
となれば何拍かするわけで、高いところは避けたいんだけど・・・・どうしよう。
断れらた宿の前で悩んでいると、部長が車に乗ってやって来た。
「見つかったか?」
「いえ、ほとんどいっぱいだそうで・・・。」
「だろうな。」
ニヤっと笑い、「あそこなら空いてるかもしれんぞ」と海岸の正面にそびえる大きなホテルに顎をしゃくった。
「あそこかあ・・・・。とっても立派なホテルですよね。眺めも良さそうだし。そのぶん値段も張りそうな・・・・、」
「ま、とりあえず聞いてみようや。」
車を走らせ、入口の近くに停める。
ガードマンが「ここへの駐車はご遠慮を・・・・」と言うのを遮って、部長は「空き部屋あるか?」と尋ねた。
「それはフロントでご確認を。」
「なら確認してくる。」
困った顔をするガードマンの脇を抜け、堂々と中へ入っていく。
そして一分もしないうちに戻ってきた。
「予約取れたぞ。」
「あ、ええ・・・、」
「なんだ浮かない顔して。」
「だってここ・・・・、」
「宿代なら心配するな。三日分払っといてやったから。」
「そんな!幾らしたんですかそれ?」
「そういうのはいいじゃねえか。」
「でもここまで送ってもらった上にそんなことまで・・・・、」
「これくらいさせてくれ。でないと俺が納得できない。」
苦い顔をしながら「かつての部下に迷惑かけてんだから」と言った。
「これ鍵だ。」
ポンと手の上に落とされる。
小判を模したキーホルダーがついていて、真ん中に亀のマークが彫られていた。
これはゾウガメだろうか?
英語でピーチと文字が入っているけど、まさか亀の名前?
「ほれほれ、さっさとチェックインしろ。ガードマンがイラついてるぞ。」
腕を組みながらこっちを睨んでいる。
私は車から降りて、トランクを開けて荷物を取り出した。
「部長・・・・ありがとうございます。」
「礼を言うのはこっちの方だ。お前のおかげで猫の呪いから解放されたんだからな。」
そう言って「そんじゃ俺はこれで」と手を振る。
「え?部屋で休んでいかれないんですか?」
「そりゃ悪いだろう。」
「悪いことなんてないですよ。腰だって痛いんでしょう?」
「まあそうなんだが・・・・、」
トントンと腰を叩きながら、「今時こういうこと聞いちゃセクハラになっちまうんだろうが」と遠慮がちに言った。
「お前、ちゃんと男がいるだろ?」
「へ?いやいや!今はそんな・・・・、」
「実は風の噂で聞いたんだ。有川の野郎と付き合ってるってな。」
「だ、誰がそんなことを・・・・?」
「ウチの若いのだ。仲良く手え繋いでるところを見たってな。だからまあ・・・・なんだ、同じ部屋にいたら有川にも悪いしよ。」
「・・・・・・・・。」
どう言えばいいんだろう?
彼とは一年前に別れている。
ていうかそんな話が部長の耳にまで入っていることに驚きだ。
《噂ってすごい・・・・。》
別に知られたっていいんだけど、妙に恥ずかしくなってしまう。
「気い悪くさせたか?」
「いえ!ぜんぜんそんな。」
「どうしようもない野郎だったが、一応は部下だったからな。こんなオヤジが彼女と同じ部屋で休んでたんじゃ面白くないだろ。」
苦笑いしながら「まあそういうことだ」と車に乗り込んだ。
「会えてよかったよ。元気をもらった。」
「私もです。いつもは怖いけど、根っこが優しいのは昔のままだから嬉しかったです。」
「怖いは余計だ。」
会社にいる時みたいに目をつり上げ、でもすぐに笑顔に変わる。
「それじゃな。元気でな。」
「はい!部長もお元気で。」
去りゆく車に手を振る。
最後にペコっと頭を下げて見送った。
「藤井様ですね?」
後ろから声を掛けられ、振り向くとボーイさんがいた。
「大磯様よりご予約を承っております。どうぞフロントの方へ。」
「ああ、すみません。」
サっと荷物を抱えてくれる。
トコトコと後ろをついて行き、宿泊証明書にサインをしてから部屋に案内された。
中は和室のテイストになっていて、とても落ち着けるデザインだった。
一人で泊まるには贅沢すぎるほど広く、腰掛けたベッドもフカフカだ。
けど入口の傍には大きな亀の置物があって、それだけが違和感を放っていた。
ちょっと気になるけど、でも素晴らしい部屋だった。
五階の窓からは景色もよく見える。
《こんないい所に泊まらせてもらっていいのかな?》
なんだか恐縮してしまう。
「お夕食の時間はどういたしましょう?」
「ええっと・・・・じゃあ一時間後くらいでも大丈夫ですか?もし無理なら・・・・、」
「かしこまりました。」
「あ、それとこれ少ないですけど。」
チップを渡そうとしたら「お気持ちだけで」と腕を後ろに回した。
「当ホテルのルールで受け取れないことになっているんです。」
「だったらこっそりもらっちゃえばいいじゃないですか。」
「いやしかし・・・・、」
「いいからいいから。」
ギュっと握らせて「ぜったいに喋ったりしないから」と念を押した。
「なら・・・・ありがたく。」
ササっとポケットにねじこんで、「失礼します」と出て行こうとした。
「あ!一つ聞いていいですか?」
「はい。」
「入口のそばに置いてある大きな亀の像なんですけど、あれって何か意味が?」
「オーナーのお嬢さんが飼ってらっしゃるゾウガメの像です。生まれた時からずっと一緒で、兄弟のように可愛がってらっしゃるんですよ。」
「キーホルダーにも亀が彫ってあるけど、これも?」
「ええ。ピーチという名前なんです。ただ・・・・、」
「ただ?」
「数日前から行方不明になっているんです。どうも誘拐されたようで。」
「誘拐!?ゾウガメを?」
「私も詳しいことは分からないんですが、お嬢さんはとても悲しんでらっしゃるようです。」
「生まれた時からずっと一緒だったんですもんね。心配でたまらないだろうなあ。」
「そうなんです。だから動物に詳しい探偵さんを雇うとか雇わないとか。」
「動物に詳しい探偵・・・・。」
「あくまで噂ですけどね。」
そう言って「では」とお辞儀をして出て行った。
《動物に詳しい探偵・・・・まさかね。》
動物を専門とする探偵はそれなりにいる。
いるんだけど、どうしても彼のことが浮かんでしまう。
《有川君・・・・。》
彼も私と同じで動物と話すことが出来る。
ゾウガメの誘拐・・・・彼を雇うとしたら解決出来るかもしれない。
《気にはなるけど、私が関わることじゃないか。》
なんでもかんでも首を突っ込んでいたら、結局なんにも解決できないまま終わってしまう。
ゾウガメの誘拐はすごく気になるけど、今はエル君とハチロー君のことが先だ。
時刻は午後六時半、空はほんの少しだけ暮れかけている。
この辺りは土地勘もないし、今日はゆっくり休んで、明日捜索に乗り出すことにした。
部屋の中には野天風呂があって、檜の浴槽にゆったりと浸かる。
気持ちいい・・・・このまま寝てしまいそうだったので、そうなる前にお風呂から上がった。
浴衣に着替えてベッドに倒れこむと強い微睡みが襲ってきた。
しばらく眠ってしまう・・・・・。
最初はとても心地いい夢だった。
雲の上を歩いているような爽快感、さざ波に抱かれるような落ち着き、初夏の風に吹かれているような爽やかさ。
ああ、ずっとこのままだったら天国だと思うほど心地いい。
けど一瞬にして極楽は消えてしまった。
雲は針の山に変わり、さざ波は氷塊に変わり、初夏の風はかまいたちのように荒れ狂う。
これは夢だと分かっている。
それでも不安で息苦しくて、自分のうなされる声が耳に響いていた。
《なに?胸と首が・・・・・、》
ズッシリと重いモノが圧しかかっている。
《まさか金縛り?目を開けたら地縛霊とかいたりして・・・・・、》
恐怖が襲ってくる。
鼓動が跳ね上がり、夢までグニャリと歪んでいった。
《鬼頭さんも陽菜ちゃんのお母さんも言ってた・・・・幽霊と関わるのは危険だって。
もしかしたらエル君たちと関わったせいで、悪霊とかに取り憑かれたんじゃ・・・・・。》
神様!どうか悪い霊を追い払って下さいと願う。
だけどぜんぜん重みは消えなくて、いい加減目を閉じて我慢していることの方が怖くなってきた。
もう思い切って自分の口で言うしかない。
私に取り憑いたっていいことなんかないから、すぐに成仏して下さい!って。
苦しい呼吸を踏ん張って、思いっきり息を吸い込む。
そして目を開けるのと同時に叫んだ。
「どっか行って!!」
恐怖のあまり声が上ずってしまった。
すると『ひどいなあそれ』と返ってきた。
『自分から飼うって言ったクセにどっか行ってはないだろ。』
「あ・・・・、」
首と胸の間に八割れの猫が座っていた。
「エル君!」
ガバっと起き上がると、『うわ!』と転げ落ちた。
「なんでここにいるの!?」
『なんでって、ハチローを追いかけて来たからに決まってるじゃん。そっちこそなんでここにいるのさ?』
膝の上に乗ってきて『ビックリだよ』と言われた。
「エル君とハチロー君を探す為よ。和歌山に行くって言ってたでしょ。」
『そうだけど、よくピンポイントでここが分かったね。それとも偶然?』
「偶然なんかじゃないよ。ここに来るまでに色んな人に助けてもらったの。」
手短に経緯を説明すると、『あの霊能力者の人か』と頷いていた。
「鬼頭さんは誰かの声を聞いて、それを私に伝えてくれたの。もしかしてエル君が鬼頭さんに伝えた。」
『まさか。』
「じゃあいったい誰なんだろう?」
『ハチローじゃないの?』
「あの子が?どうして?」
『見つけてほしいからとか。』
「自分からいなくなったのに?」
『猫ってツンってしてるようで寂しがり屋だから。わざとイタズラして気を引いたりするし。』
「たしかに猫はそういうところがあるね。。」
『アイツがここに来た目的は分からないけど、とにかくこの近くにはいるはずなんだ。』
私の膝から降りて、ピョンと窓際に飛び乗った。
『砂浜で見失ったんだ。たくさん人がいてさ、人混みに紛れてどっか行っちゃった。』
「ならやっぱりここへ来るのが目的だったんだ。」
窓の傍へ歩き、エル君と並んで景色を眺める。
寝ている間に空は暮れかけていて、浜辺の人も少なくなっている。
「ねえエル君、いつこっちへ着いたの?」
『お昼過ぎくらい。』
「そんなに早く!どうやって?」
『飛行機に乗って。』
「飛行機?」
『藤井ちゃんを置いて探しに行ってすぐにハチローを見つけたんだ。連れ戻そうとしたんだけど、どうしても和歌山に行くって聞かなくて。
でもってコンビニに停まってる車に勝手に乗り込んでさ、その車が空港へ向かったんだ。だから飛行機に。』
「たしか南紀白浜には空港があったはずだけど・・・・だからって飛行機とは思わなかったよ。」
『別に空港がなくたって降りられるぜ。壁をすり抜けてピョンと。』
「幽霊だから飛び降りても平気ってこと?」
『うん。』
「けど間違って別の飛行機に乗ったらとか思わなかったの?」
『だってハチローがこの飛行機で間違いないって言うから。コンビニに停まってた車だって、これはぜったいに空港へ行くはずだからって。』
「霊感で分かったってことなのかな?」
『まるで何かに呼ばれてるみたいな感じだった。』
「呼ばれる・・・・。誰かがハチロー君をここへ導いたってことかな。」
『かもね。』
「いったい誰が呼んだんだろう。」
『さっぱり。飛行機の中だってずっと黙ったままだったし。』
世の中には不思議なことがたくさんある。
そのことは重々承知してるんだけど、不思議の謎を解くのは大変だ。
「ハチロー君・・・・今どこにいるんだろ。」
ボソっと呟いた声は外の暗闇に吸い込まれていく。
しばらく景色を見つめていると、ボーイさんから電話がかかってきた。
『お食事が出来たのでお持ちしてもよろしいでしょうか?』
「お願いします。」
電話を切り、また窓の傍に立つ。
エル君と二人、遠くに消えていく空の明かりを眺めていた。

勇気の証 第十七話 消えた猫(1)

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 11:01

JUGEMテーマ:自作小説

「ごめんね、駅までしか送ってあげられなくて。」
陽菜ちゃんが申し訳なさそうに言う。
途中にハチロー君たちがいないか探したけど、あいにく見つけることは出来なかった。
こうなったら和歌山へ乗り込むしかない。
「送ってもらっただけでもほんと助かった。ありがとね。」
「なんなら私もついて行こっか?」
そう言った瞬間、「ダメに決まってんでしょ」と陽菜ちゃんのお母さんが怒った。
「これ以上藤井さんに迷惑かけてどうすんの。」
「だって私も幽霊見えるんだよ?二人で探した方がいいって。ねえ?」
「気持ちは嬉しいけど、そこまで付き合ってもらうのは悪いよ。」
「私なら全然OKだって。」
なんとしても一緒に行きたいみたいだけど、児玉君は「その辺にしとけって」と渋い顔をした。
「なによ偉そうに。」
「ついて行ったってお荷物になるだけなんだから。」
「それアンタの方でしょ?私は幽霊が見えるんだからぜったいに役に立つって。」
「でも和歌山まで行ったら今日中に帰れないぞ?明日学校どうすんだよ。」
「明日も休む。」
「サボりたいだけじゃん。」
「だから違うって!お姉さんの力になりたいの。」
私の手を握り、「恩返ししなきゃ」と頷いた。
「お姉さんのおかげであの子は成仏することが出来たんだから。」
「買いかぶりよ。私はただキッカケを作っただけ。陽菜ちゃんの気持ちが届いたから天国に行ったのよ。」
「私さ、今までは霊感なんていらないって思ってたけど、こうやって役に立つこともあるんなら悪くないかなって。
お姉さんが動物を助けるボランティアをしてるみたいに、私もいつかは成仏できない幽霊を助けたりとか・・・・、」
「やめときなさい。」
お母さんがピシャリと止める。
「幽霊の中にはおっかないのだっているんだから。下手に関わらない。」
「普通の人ならそうかもしれないけど、霊感があれば気持ちを伝えたり出来るじゃん。」
「それがかえって危ないのよ。行き場のない幽霊が助けを求めてつきまとうこともあるし、お母さんだって何度それで悩まされたことか。」
「ビックリだよね、お母さんにも霊感があったなんて。なんで教えてくれなかったの?」
「あんたが知ったら面白がるでしょうが。余計なことに首突っ込んだりとか。」
「うん、まあ否定しないけど。」
あっけらかんと笑っている。
陽菜ちゃんのこういう明るさは大好きだけど、さすがに和歌山までついて来てもらうのは悪い。
なによりお母さんを心配させてしまうし、児玉君だって気を揉んでしまうだろう。
「陽菜ちゃん、ほんとに気持ちは嬉しいんだけど、送ってくれただけでも十分助かったから。」
「あ、ちょっと邪魔っぽい感じ?」
「そうじゃないってば。だたお母さんの言うことは正しいと思う。実はさ、ちょっと霊感の危うさみたいなのを感じる出来事があったんだよね。」
「なんか危ないことがあったの!大丈夫?」
「私はぜんぜん平気。でも私のせいで死にかけた人がいる。」
「ほんと・・・・?」
「すごい力だと思うけど、これ私には扱えそうにないなあって。またなにか危険なことが起きそうな気もするし、陽菜ちゃんを巻き込むわけにはいかない。
だから一緒には行けない。ごめんね。」
「危ないなら二人で行った方が・・・・、」
なかなか納得してくれないけど、児玉君が「もういい加減にしろって」と割って入った。
「陽菜のこと心配して言ってくれてるのに。」
「あんたは霊感がないでしょ。黙っててよ。」
「そりゃないけどさ、別に見えなくても困らないし。」
するとお母さんも「ほんとにね」と頷いた。
「最初からない方がよかった。」
「でも私はあるし。」
「だから危ないって言ってるの。ちっちゃい子じゃないんだから聞き分けなさい。」
「ヤダ。」
「お父さんに言うよ。」
「・・・・・・・・。」
「怒られるよまた。」
「別にいいし。」
「ほんとに言うよ?」
「・・・・・・・・。」
「ほら怖いんじゃない。」
陽菜ちゃんの手を引っ張り、「悪霊に取り憑かれたらお父さんより怖いよ」と言った。
唇を尖らせる陽菜ちゃんだったけど、「まあ今日のところは・・・」と渋々引き下がった。
「でもお姉さん、なんかあったらすぐ連絡ちょうだい。飛んで行くから。」
「ありがとう。」
児玉君も「そん時は俺も行くから」と手を握ってきた。
「引ったくりの時みたいに助けるからさ。」
「うん、ありがとう。」
気持ちは嬉しいけど、あんまり手を握ってると・・・・、
「ずっと握ってんなよ!エロいな!」
バシっと児玉君の手を叩く。
この二人、ぜったいに相性がいい。
霊感なんて気にせずに付き合っちゃえばいいのに。
なんて思うけど口には出さないでおこう。
私は「じゃあまたいつか」と手を振り、駅へ向かった。
「またねお姉さん!」
「いつでも遊びに来てよ!」
「うん、二人も元気でね。」
切符を買い、改札を過ぎ、階段を登る時でもまだ手を振ってくれていた。
「じゃあね!」
笑顔を返し、階段を上がってホームを目指す。
とりあえず新幹線の出ている駅まで向かわないといけない。
《またお金がかかっちゃうなあ・・・・。》
日本へ帰って来てから新幹線の切符代だけでかなりの浪費だ。
でも文句は言えない。
今ここにいることさえ自分の選んだ結果なのだから。
そう言い聞かせながら電車に乗り、北陸新幹線が出ている駅まで向かう。
万が一ってことがあるから、窓の外を注意深く見つめながら。
《いるわけないか。》
しばらく電車に揺られ、目的の駅までやって来る。
するとホームの外に顔見知りがいた。
「あれは・・・・タクシーの運転手さん?」
季美枝ちゃんを乗せて帰ったはずなのに、どうしてここに?
外へ出て声を掛けると、向こうも「おお!」と驚いていた。
「東京へ行ったんじゃなかったのか?」
「ちょっと色々あって。運転手さんこそ京都へ帰ったんじゃなかったんですか?」
「行こうとしてたんだけど、実はな・・・・、」
私と別れたあと、季美枝ちゃんを乗せて高速を走っていると、彼女のお兄さんから連絡があったそうだ。
いま長野へ向かっていると。
このままだと行き違いになってしまうので、途中のサービスエリアで落ち合うことにしたらしい。
季美枝ちゃんはお兄さんの車で帰り、運転手さんも京都へ帰ろうとした時だった。
車が故障して困っている人がいたので、大丈夫か?と声を掛けたら、長野まで乗せていってもらえませんかと頼まれたそうだ。
仕事で急いでいるらしく、運転手さんはその人を乗せて長野までUターンしたのだった。
「休憩がてらそこの喫茶店で一服しててな。ちょうど帰ろうと思ってたところなんだよ。」
「そうだったんですか。実は私も・・・・、」
ハチロー君が和歌山へ行くと言っていなくなってしまったことを伝えると、「そりゃ大変だな」と顔をしかめていた。
「京都に帰るついでだ。乗せてってあげるよ。」
「ほんとですか!」
「あんたには恩があるし、途中まで道も一緒だし、料金はいらないよ。」
「それは悪いですよ。ここから和歌山だとかなり遠いのに・・・・、」
「いいんだって。協力させてくれ。」
私の荷物をトランクに詰め込み、「ほら」とドアを開けてくれる。
「じゃ、じゃあ・・・・お言葉に甘えて。」
タクシーはすぐ走り出し、高速に乗ってからはグングンとスピードを上げていった。
「急いでるんだろ?飛ばすぜ!」
「安全運転でお願いします・・・・。」
あまりスピードを出しすぎると、白バイにでも止められるんじゃないかとドキドキした。
「で、和歌山のどこへ行けばいいんだ?」
「それが分からないんです。和歌山に行くってことしか。」
「場所が分からないんじゃどこで下ろしていいのかも分からないな。まあとりあえず和歌山まで行くか。」
それから数時間、一度だけサービスエリアへ寄ってから、京都の近くまでやって来た。けど・・・・、
「おいおい渋滞か。」
事故でもあったんだろうか。
車はすし詰め状態でまったく進まない。
「こりゃ下通ってった方が早いかもな。」
幸い少し先で一般道に降りられるみたいだ。
タクシーは高速から下りて、しばらくはスイスイ走っていったんだけど、またも渋滞に捕まってしまった。
「今度は工事か。」
舌打ちしながら黄色い看板を睨む。
どうしてこんな時に限ってと歯がゆく思っていると、コンコンと窓がノックされた。
振り向くと、ボサボサに伸びた髪、びっしり生えた無精ヒゲ、何日も洗濯してなさそうな汚れた服を来た男の人が立っていた。
「鬼頭さん!」
運転手さんが「知り合い?」と首を伸ばす。
私は頷き、窓を下ろした。
「偶然だと思ってるでしょう?」
開口一番そう言われた。
まさかまた会うなんて思ってなかったから、偶然以外に有り得ない。
けど鬼頭さんは私の考えを読むかのように「偶然じゃありませんよ」と言った。
「あの・・・、」
なんて答えていいのかしどろもどろになっていると、「南です」と言われた。
「南?」
「用があって戻ってきたんでしょ?」
「ええ、まあ・・・・、」
「行き先は和歌山。」
「なんで分かるんですか!」
「声が聴こえたんですよ。」
「声?」
「ええ、誰かの声が。あなたが和歌山へ向かっているって教えてくれたんです。そしてここに呼ばれた。」
「誰かの声って・・・誰ですか?」
「分かりません。けど幽霊の声でした。」
「なんか・・・ほんとにすごいんですね、霊感って。ちょっと怖くなる。」
「ええ、怖いですよ。知らず知らずのうちにトラブルに巻き込まれることもある。」
髭に隠れた口元をニヤリと笑わせ「気をつけて下さい」と言った。
「この先、きっと危険なことが。」
「自分でもそう思うんです。良くないことが起こりそうな気がして。でもどうしても行かなきゃいけないんです。
ほっといたら余計に悪いことが起きそうな気がするし、何より・・・・、」
「猫が可哀想だから。」
「そ、そんなことまで・・・・、」
「これは霊感は関係ないですよ。この前一緒にいた猫の幽霊が見当たらないから、そうじゃないかと思っただけです。」
「実はあれからもう一匹増えたんです。子猫なんですけど。」
「猫は霊感が強いですからね。藤井さんの霊力に引かれて出会ったのかもしれません。」
「事情はどうあれ、今は私が飼い主だから放っておけなくて。和歌山へ行くことだけは分かってるんですけど、具体的な場所が・・・・、」
「だから南ですよ。」
「和歌山の?」
「幽霊の声がそう言っていました。和歌山の南、海の見える場所へ行け。あなたにそう伝えてほしいとね。」
「南と海・・・・。」
「それに砂浜も。おそらくだけど白浜じゃないかと。」
「南紀白浜?」
「でしょうね。そこしかない。」
空を見上げ、「声の正体は分からないですが」と前置きした。
「あの声はかなり切羽詰っていました。きっと誰かがあなたの力を必要としているんだと思います。」
「そんな不思議なことが・・・・。でも信じます。和歌山の南へ向かえばいいんですね?」
「それだけは間違いないはずです。僕が伝えられるのはそれだけ。勝手で申し訳ないですけど。」
「とんでもない!助かりました。」
窓から手を伸ばして握手をする。
「無事に終わることを祈ってます。」
「ありがとう。」
鬼頭さんはペコっと会釈を残し、そのままどこかへ去って行った。
「終わったかい?」
運転手さんが振り返る。
「すいません」と謝ると、「別にいいさ」と前を睨んでいた。
「いっこうに進みゃしないんだから。」
工事の渋滞はかなり長く続いているみたいで、すし詰め状態は変わらない。
いったいいつになったら動いてくれるんだろう?
モヤモヤしながら待っていると、「しょうがねえなあ」と運転手さんが息巻いた。
「これじゃいつまで経っても着きやしねえ。」
そう言ってハンドルを切り、歩道に乗り上げた。
「ちょっと!ダメですよ!」
「なあに、すぐそこの路地に入るだけだ。歩いてる人もいねえし。」
「だからって歩道を走ったら・・・・、」
言い終える前に白バイが飛んできた。
サイレンを鳴らしながら「コラそこ!どこ走ってる!」と怒られる。
「そこのタクシー!左のドラッグストアの駐車場に入って。」
運転手さんは「まったく!」と舌打ちした。
「こういう時に限って見てやがんだ。」
「言われた通りにした方がいいですよ。」
「相手が白バイじゃあなあ。」
少し先にあるドラッグストアに車を止めると、「あんたどこ走ってんの!」と剣幕に詰め寄ってきた。
「すんません、ちょっと急いでたもんで。」
「いいから降りて。」
「あのね、ちょっと事情があって・・・・、」
「早く。」
「降りますって。降りればいいんでしょ。でもお客さんだけ先に行かせてやって下さい。」
そう言って後ろのドアを開け、「すまん!」と謝った。
「よかれと思ったんだけど裏目に出ちまった。」
「気持ちは嬉しいですけど、ルールは守らないと・・・・。」
「だよなあ。」
ガックリ項垂れている。「慣れねえことするもんじゃねえ」と呟くと、「そういう問題じゃないでしょうが」とまた怒られていた。
「いやまあ、そうなんだけど。悪いのは俺だからお客さんは解放してやってくれねえか。」
警官は鋭い目でチラっとこっちを窺う。
「俺が勝手にやったことなんだ。あの子は関係ねえ。ていうかむしろ止めようとしてたんだ。」
「そりゃお客さんは関係ないからいいけど、ただ・・・・、」
「ただ?」
「あなたさ、昨日会ったよね?」
じっと顔を見られて「ああ!」と思い出す。
高速で車から降りた時に出会った白バイ隊員だった。
「すみません、昨日はご迷惑をお掛けしてしまって・・・・。」
まさかまた会うなんて思わなかった。
「こんな場所でって思ってるでしょう?広域のパトロール隊でね。」
「ご苦労さまです・・・・。」
「そんな畏まらなくていいよ。今日はあなたが何かしたわけじゃないんだから。」
運転手さんが「奇遇だねえ」と腕を叩くと、ジロっと睨まれていた。
「冗談だよ冗談、そんな怖い顔すんない。」
しばらくお説教を食らう運転手さん。
私は「急いでってお願いしたのはこっちなんです」と言った。
「すぐに和歌山まで行かないといけなくて。私が焦ってたから、運転手さんは気を遣ってくれて・・・・、」
「それ言い訳。なんの為にルールがあると思ってるの?」
「すみません・・・・。」
「だいたいあなたも落ち着かない人だね。高速で車から降りるわ、今度は急いで和歌山って。営業の仕事でもしてるの?」
「そういうわけじゃないんですけど・・・・完全な私用です。」
「だいたいね、昨日だって現場がごちゃごちゃしてたから見逃しただけなんだからね。その辺分かってる?」
「はい、ごもっともだと思います・・・・。」
私もお説教を食らってしまう。
運転手さんと二人して恐縮していると、「藤井?」と横から声を掛けられた。
聞き覚えのある声で、まさかと思って振り返ると・・・・、
「おお、やっぱり藤井じゃないか。」
「部長!どうしてここに!?」
昨日一緒に新幹線に乗ったはずだ。
今頃は家に帰ってるはずなのに。
「お前東京へ行ったんじゃなかったのか?」
「ええっと、色々とありまして・・・・、」
「ていうか何を揉めてんだ?事故でもやったのか?」
白バイ隊員を振り向き、じっと顔を睨んでいる。
「・・・・・・・・。」
「なんですか?」
「いや、ちょっとな。」
「この女性の知り合いですか?」
「会社の部下だった子だ。でもって多分お前さんも。」
「はい?」
「覚えてねえか?俺のこと。」
ズイっと顔を近づけている。
隊員さんはその顔を睨み返しながら、「あ」と短く叫んだ。
「思い出したか?」
「大磯部長!」
「久しぶりだな田端。」
ポンポンと肩を叩いている。
私も田端という名前には聞き覚えがあって、「もしかして・・・」と尋ねた。
「流通部の田端君?」
「え?」
「ほら私!おんなじ流通部にいた藤井。同期なんだけど覚えてない?」
「・・・・・あ!藤井真奈子さん?」
「うん!」
「ぜんぜん気づかなかった・・・・。」
「私もだよ。だってぜんぜん雰囲気変わってるんだもん。」
「それ藤井さんも一緒だよ。もっと地味っていうか大人しい感じだったのに。」
「田端君も逞しくなったね。会社にいる頃はなんていうか・・・・、」
「もやしみたい・・・・でしょ?」
「いやそこまでは・・・・、」
「いいんだって。よくそう言われてたから。部長にもしょっちゅう怒られてたし。」
そう言って恐縮している。
当時のことを思い出したのか、ちょっと怖がっているようにさえ見えた。
「すみません、あの時はいきなり辞めちゃって。」
「まったくだ。電話一本かけてきて辞めますとは。せめて辞表を持ってこいって言ったら郵送してきやがったな。」
「はあ・・・・・・・。」
バツが悪そうに目を逸らすと、部長は表情を緩めて「まあ昔のことだ」と言った。
「こうして新しい道で頑張ってるなら越したことはない。」
「あれから何度も転職したんです。しばらくニートだったこともあって。」
「でもこうして立派に白バイに跨ってるんだ。大事なのは今だよ。」
「ありがとうございます・・・・。」
仕切り直すように「ううん」と咳払いしてから、「運転手さん」と振り返った。
「とりあえず切符は切らせてもらいますんで。」
「え?ああ・・・・やっぱ見逃しては・・・・、」
「ダメです。」
「だよな・・・・。」
がっくりしながら切符を受け取っている。
すると部長が「なんかあったのか?」と田端君に尋ねた。
「ええちょっと。」
「客として乗ってたのは藤井か?」
「そうです。和歌山へ行くんだっけ?」
「うん、どうしても急がなきゃいけなくて。だからこれは私のせいでもある。ごめんなさい運転手さん。」
「なに言ってんだ。俺が勝手にやったことだ、あんたが謝るこっちゃない。」
ニコっと笑いながら「じゃあ行くか」とタクシーに乗り込んだ。
けど道路は渋滞したままで、これじゃ先へ進めそうになかった。
少し先の路地は空いているようだけど、また歩道を走るわけにもいかないし・・・・、
「いま和歌山って言ったか?」
部長が顔を近づけてくる。
「ええ。」
「なら俺が乗せてってやるよ。」
「いやいや!そんな悪いですよ。」
「実はさっきまで和歌山にいたんだよ。仕事でちょっとな。」
「それでまたこっちに戻って来てたんですか?」
「でっかいクレームが入ったんだが、担当の若い奴じゃ埓が明かなくてな。会社から電話があって行ってくれないかって。
もう仕事は終わったんだが、このあとは特に予定がないんだ。俺でよけりゃ乗せてってやるぞ。」
「でも帰る途中だったんでしょう?また戻るなんて・・・・、」
「いいんだよ、ここで会ったのも何かの縁だろう。何度か行った場所だから抜け道なんかも知ってんだ。渋滞でノロノロ走るよりいっぽどいいだろ?」
「それは嬉しいですけど・・・・、」
運転手さんを振り返ると、「その方がいいかもしんねえな」と頷いた。
「俺は和歌山の方へ走ることなんてまずないから。その人に乗せてってもらった方が早いかもな。」
「いいんですか?」
「そりゃあんたが決めることだ。」
運転手さんも部長も、心遣いは本当に嬉しいんだけど、そこまでしてもらっていいのかと迷ってしまった。
すると田端君が「細かい事情は分からないけど」と口を開いた。
「途中まででいいなら先導するよ?」
「ええ!だってパトロール中でしょ?」
「広域だから平気だって。」
「でも勝手に持ち場を離れたらマズいんじゃないの?」
「だから俺が行ける範囲内でってこと。途中までなら部長よりも抜け道とか知ってると思うからさ。」
背中を向け「でもそう時間は取れないからすぐ行こう」とバイクに跨った。
「行ってきなよ。その人たちに協力してもらった方がいい。」
「運転手さん・・・・ありがとう。ここまで乗せてくれて。」
「ほんとは最後まで送ってやりたかったんだがなあ。」
少し悔しそうに言いながら「まあ縁があったらまた会おうや」と手を振る。
「はい!気をつけて帰って下さい。あ、でもその前に荷物だけ。」
「おお、そうだったそうだった。」
トランクから荷物を下し、「気をつけてな」と手を出してくる。
「運転手んさんも」と言って握手を交わした。
「それじゃまたいつかな!」
プップとクラクションを鳴らして去って行こうとするけど、渋滞なので進まない。
チラっと振り返って恥ずかしそうに笑っていた。
「んじゃ行くか。」
部長が車を回してくる。
「お世話になります」と乗り込むと、「こっちから抜けられるから」と田端君が駐車場の裏手へ先導してくれた。
みんなここまで協力してくれるなんて本当にありがたい。
けど和歌山へ近づけば近づくほど、胸をかき乱すような激しい不安に襲われた。
これが霊感による勘だというなら、確実に良くないことが起きるって証拠なんだろう。
けど行かないわけにはいかない。
胸を押さえながら外を睨んでいると、いつの間にか雨が降り出していた。

勇気の証 第十六話 目を覚ましたら(2)

  • 2019.09.02 Monday
  • 10:25

JUGEMテーマ:自作小説

人間は不思議だ。
ついさっきまで生死の境を彷徨っていたはずなのに、今は冗談を口にしたり出来るんだから。
「あそこの木の葉が全部散ったら、俺も死んじゃうんですかね。」
「なら相当時間がかかるね。だってあれ松だから。木が枯れるまで全部散ったりしないもん。」
ベッドの上、包帯に巻かれ、点滴に打たれながら言う常沼君の顔には精気が戻っていた。
時折辛そうに顔を歪めるけど、お医者さんによればもう命に別状はないとのことだった。
今だから言うけどと前置きしながら、「運ばれた時は助かる見込みが低かった」とも。
けど人間っていうのは、時にお医者さんの予想を覆すほどの回復力を見せることがあるそうで、常沼君もそういった例の一つらしい。
あとは安静にして、動けるようになったらリハビリをして、四ヶ月もあればほぼ元通りになるだろうと言ってくれた。
私は「ありがとうございました」とお礼を言って、常沼君の傍で手を握っていた。
「でも藤井さん・・・いいんですか?東京へ行かなくても。」
「君の家族が来られるまでここにいるって言ったじゃない。」
「実家は遠いから三時間くらいかかると思うけど・・・・、」
「いいのいいの、気にしないで。」
常沼君はしばらく他愛ない話を続けた。
好きな食べ物とか、この前見た映画とか、欲しかったバイクが高くて買えなかったこととか。
私も頷いたり相槌を打ったり、他愛ない話を返しながら聞いていたんだけど、急に「藤井さん」と真顔で見つめてきた。
「なんか変な夢を見たんです・・・・。」
「どんな?」
「自分が幽霊になった夢です。それで藤井さんが夢の中に出てきたんですよ・・・・。」
「・・・・私、夢の中で何か言ってた?」
「このまま終わっていいのかって。俺はそれでいいよって言ってほしかったのに、そんなのダメだって言うんです。
このまま終わるなんていいわけがないって。そう言われてなんか気づいちゃったんですよね・・・・。」
目を閉じ、その時のことを思い出すように、グっと唇を噛み締めている。
「藤井さんに肯定してほしかった。でも思いっきり否定されて、胸の中がモヤモヤしたんです・・・・。
なんか抑えつけてた嫌なものが吹き出すみたいに。その嫌なモノの中に、自分が死ぬイメージが出てきたんです。
首を吊ってたり、電車に飛び込んだり・・・・。その時にふと気づいたんです。ああ、これが俺の本心なんだって・・・・。
もう生きるのがしんどくなってて、この世からオサラバしたいなあって・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「だから藤井さんに肯定してほしかったんだと思います・・・・。今日初めて会った人だけど、今までの誰よりも心を開けたから。
そんな人に認めてもらえれば、楽に死ねるんじゃないかなって。でも違った・・・・。藤井さんに否定されて、抑えてたモノが溢れ出して・・・・。
あの時、死ぬのが怖いと思ったんです。もっと生きたいって・・・・。」
「なら今は?もう死にたいとは思わない?」
「正直なところまだ少しそういう気持ちがあるかも・・・・。だって先のことは分からないし、またいつか辛い目に遭うんじゃないかって。
想像しても仕方ないのに嫌なこと考えちゃうんです。こうしてずっとベッドの上で寝てた方が楽なんじゃないかとか。
でも・・・・きっとダメなんでしょうね。だって今の藤井さん、すごく怒った顔してるから。」
私に視線を向け、「あれ、夢じゃなかったんでしょ?」と言った。
「魂だけ抜けて藤井さんに会いに行ってたんだ。そうなんでしょ?」
「かもしれないね。でもそんなこと重要かな?」
握っていた手を離し、「常沼君はさ」と続ける。
「生死の境を彷徨ってる間に、真剣に人生を考えたんだと思う。そして生きたいって願ったからこうして助かった。
もしそうじゃなかったら、今こうして話せてないかもしれない。だったらさ、終わったことを気にしても仕方ないよ。
君はこうして生きてる。助かってくれて私も嬉しい。だから・・・・あとは君次第よ。」
「自信がないです・・・・。」
「それはきっとみんな一緒だよ。私だって未来に自信なんてない。あのね、野生動物を保護する活動って危険なこともあるの。
動物に襲われそうになることだってあるし、密猟者と出くわすことだって。
何度か危険な目に遭ったこともあるよ。それでも辞めようとは思わない。だって私が続けたいって望んでるから。
周りから辞めろって言われても絶対に辞めない。けど私自身が辞めたいって思ったら、その時はきっぱり辞めると思う。
そういうことは自分にしか決められないことだから。常沼君はどう?なんでも周りに左右されて自分の道を決めるの?」
「流されやすい性格なんです・・・・。」
「その割にはストレスを抱えながらも、ずっと仕事を頑張ってたじゃない。簡単に流される人ならそうはなってないと思うな。」
「そんなカッコいいもんじゃないですよ。ただ怖かったんです。いま辞めたら会社に迷惑が掛かるとか、新しい仕事は見つかるのかとか。
あの悪魔みたいな上司に辞めるって伝える勇気もなかったし、なんかもう色々考えちゃって、ここまでズルズル来ただけなんですよ・・・・。」
「だったらこれから変わればいいじゃない。生死の境を乗り越えたんだもん。きっと変われる、強くなれるよ。」
「俺は・・・・、」
何かを言いかけてすぐに口を噤む。
包帯に巻かれた手を必死に動かして、私の手を探していた。
「もう一度握ってくれませんか・・・・。」
「いいよ。」
差し出された彼の手を握る。
すると力を込めて握り返してきた。
「ちょっと寝ます・・・・。」
「それがいいよ。ゆっくり休んで。」
「その前に一つだけいいですか?」
「うん。」
「俺、藤井さんのこと好きになっちゃいました・・・・。」
「・・・・・・。」
「あの時、走っていって女の人を助けたのは、ちょっとカッコつけたかったんです・・・・。そういうとこ見せれば好きになってもらえるかなって。
自業自得なんですよね、こうなっちゃったのは。慣れてないことするからこんなことに・・・・。」
「カッコよかったよ。誰かの為に走り出すなんて。」
「だからあの・・・・ワガママなんですけど、俺いまから寝るんで、もし気持ちを受け取ってくれるなら、目が覚めるまでここにいてくれませんか?」
「・・・・・・・・。」
「そうじゃないなら、俺が寝たらすぐに・・・・、」
「分かった。なら私からもお願い。今は休もう。ゆっくり休んで、たっぷり寝て。そして目が覚めたなら、もう一度しっかり自分の人生を見つめて。」
手を伸ばし、頭を撫でる。
そして光を遮るように、瞼の上に手を重ねた。
ポンポンと頬を撫で、しばらく触れたままでいると、いつの間にか眠りに落ちていた。
「おやすみ。」
それから一時間ほど手を握り続けていると、『いつまでいるの?』とエル君が言った。
さっきまで部屋の隅でハチロー君とじゃれてたんだけど、さすがに飽きてしまったらしい。
私は「ご両親が見えるまで」と答えた。
『ここ退屈なんだけど。』
『僕も。』
「ごめん、もうしばらく我慢して。」
『どれくらい?』
「あと二時間くらいかな。」
『え〜!』
『ここ飽きた。』
二匹は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
悪いなとは思うけど、ご両親が見えるまではここにいるつもりだった。
「あの・・・・、」
後ろから声を掛けられて振り返る。
看護師さんだった。
「ご家族の方では・・・・ないですよね?お姉さんとか妹さんとか。」
「ええっと・・・家族ではないです。」
「なら付き合ってらっしゃる・・・・?」
「いえ、なんていうか・・・・友人です。」
「ああ、お友達。」
なんとも言えない表情で頷いてから、「もうじきご両親がお見えになるそうです」と言った。
「そうなんですか?でも彼の実家からだと三時間は掛かるって・・・・、」
「飛行機で来られたそうなんです。もう空港に到着してて、あと十分ほどで。」
なるほど、それなら早い。
自分の子供が生死の境にいるとなったら、親からすれば一刻も早く会いたいものだろう。
・・・・それから10分後、小柄な老夫婦が、看護師さんに案内されながら病室へ入ってきた。
いったい何があったのかと不安になるご両親に、これまでの事情を説明する。
やがてお医者さんもやって来て、もう命に別状はないことを伝えると、心底ホっとした様子だった。
そして当然のごとく「あなたは?」と聞かれたので、「友人です」と答えた。
「友達になったのはつい最近ですけど。」
そう言って常沼君の傍へ行き、「元気でね」と語りかけた。
もうこの場所に私は必要ない。
そして常沼君にも。
彼に必要なのはゆっくりと考える時間だ。
生死の境を乗り越えたのだ、きっと変われるし強くなれる。
ご両親に会釈をしてから病室を後にした。
トコトコとあとをついて来るエル君が『ねえ藤井ちゃん』と言った。
『あの人さ、藤井ちゃんのこと好きだったんだろ?』
「聞いてたの?」
『帰るってことは、藤井ちゃんは好きじゃないんだ。』
「・・・・そうね、そういうことになるね。」
『じゃあなんで助けたの?』
「好きじゃなきゃ助けちゃダメ?」
『そうじゃないけど。なんか可哀想だなと思って。』
「どうして?」
『だってずっと手を握ってただろ?人間って好きな相手にああするんだろ?』
「手を握るのは色んな意味があるのよ。心配だったり、落ち着かせる為だったり。」
『ふう〜ん。でのあの人、目を覚まして藤井ちゃんがいなかったら寂しくならないのかな?』
「もう常沼に私は必要ないし、私もずっと彼を助けてるわけにはいかないから。ただあの時は心配で思わず声を掛けちゃって。
なんでだろね?見ず知らずの他人なのに。よくよく考えれば不思議なことかも。」
よく知らない誰かの為に手助けをする。
けどそれなら常沼君だって同じだ。
自分を犠牲にしてまで誰かをを助けようとしたのだから。
《ちょっと似てるかも。》
別れた彼氏のことを思い出す。
常沼君ほど繊細ではなかったけど、誰かの為・・・・っていうより、動物の為に身を砕く人だった。
面倒だから嫌だ、危ないから嫌だと言いつつ、結局はちゃんと力になっていた。
そして今は自分なりの道を歩んでいる。
だったら常沼君だってそういう日が来るだろう。
なぜなら彼の胸にはちゃんと勇気があるからだ。
彼もそうだった。
ちゃんと勇気を持ってるのに、色んなことが邪魔をして、胸に眠る勇気に気づかずにいた。
でも持っているのだ、ちゃんとそこにある。
私だって最初から海外へ動物保護のボランティアへ行こうと思ってたわけじゃない。
そこまでの勇気なんてなかったし、そこまでの行動力もなかった。
いきなり大きなことを出来るわけじゃない。
少しずつ階段を登っていくように、時間と努力が必要なのだ。
胸に宿る勇気に気づけば、常沼君だって最初の一歩を踏み出せるはずだ。
『あ、そういえば。』
何かを思い出したようにエル君が呟く。
『ハチローどっか行っちゃったんだ。』
「へ?」
『なんか思い出したことがあるって言って。』
「いつ!?」
『ちょっと前。ここにいろって止めたんだけど、壁をすり抜けて走っていっちゃった。』
「どこに!?」
『和歌山に行くとか言ってたけど。』
「和歌山って・・・・ここからすごい遠いじゃない!」
『そんなの俺に言われても。』
「思い出すって何を思い出したんだろう?どうして和歌山に・・・・・。」
考えても仕方ない。
まだそう遠くへは行っていないはずだ。
「追いかけよう!」
病院から駆け出し、辺りを見渡す。けど・・・・いない。
「えっと・・・・和歌山ってことは西に走っていったわけよね。ていうことは・・・・こっち!」
ほんとにじっとしていない子だ。
目を離した私も悪いんだけど・・・・。
大きな荷物を抱えながら走るのは大変で、すぐに息が切れてしまう。
エル君が『追いかけないの?』とウズウズしていた。
「ちょっと待って・・・・荷物が重い・・・・。」
『じゃあ俺だけ先に追いかける!』
「あ、ちょっと!」
私を置いて走り去ってしまう。
だったら最初から引き止めてくれればいいのに・・・・・。
「走ってたら追いつかない。どうしよう。」
和歌山っていったって、和歌山のどこへ行く気なのかも分からない。
今ここで見つけないと本当に見失ってしまう。
タクシーでも通ってくれないかなと道路を振り返ると、「お姉さん!」と声がした。
「陽菜ちゃん!それに児玉君も!」
一台の車がやって来て、窓から二人が手を振っている。
「探したよ!」
「なんでここに?」
「だっていきなりさよならはヒドいじゃん。」
「そうだよ。ちゃんとお別れ言いたくて探してたんだ。」
「ごめん、気を遣ったつもりだったんだけど・・・、」
「なんかすごい息が切れてる。大丈夫?」
「ちょっと猫を追いかけてて・・・・、」
「猫?もしかしてあの幽霊の猫?」
「ハチロー君が和歌山へ行くっていなくなっちゃったのよ。エル君はそれを追いかけて行っちゃって。」
「じゃあ早く見つけないとマズいじゃん。」
そう言って「ねえお母さん」と運転席を振り返る。
「お姉さんを和歌山まで乗せてってくれない?」
「そりゃちょっと遠すぎるわよ。駅までならいいけど。」
「じゃあ駅までお願い!」
陽菜ちゃんは「乗って!」と叫ぶ。
児玉君も降りてきて、「早く早く」と荷物をトランクに入れてくれた。
「ほんとにいいの?」
「いいっていいって。」
背中を押されるので「じゃあお言葉に甘えて・・・・」と乗り込んだ。
「西へ走っていったの。途中で見つかるといいんだけど。」
「もし無理なら和歌山へ行くしかないね」と陽菜ちゃんが言う。
「でも場所が分からないのよ。いったい和歌山のどこへ行くつもりなのか・・・・、」
「とにかく追いかけよ。」
車は走り出し、私は注意深く窓の外を睨んだ。
けどどこにもいない。
幽霊の猫二匹なんてそう簡単に見つけられるものじゃなかった。
眉間に皺を寄せながら探していると、「あのさ・・・」と児玉君が呟いた。
「もしかして幽霊が見えてないのって俺だけなの?」
「うん!」
陽菜ちゃんが可笑しそうに頷く。
「まさか幽霊って見えるのが当たり前とかじゃないよな?」
「さあ。」
「なあ!他の人も見えてんのか!?俺だけ見えてないってことないよな?」
「さあ。」
「どっち!?」
「さあ。」
「不安になってきた・・・・。」
頭を抱える児玉君。
私を振り返って「藤井さん、幽霊って見えるのが普通なの?」と尋ねる。
「さあ。」
「おばさんは!?」
「さあ。」
「やっぱ俺だけかよ・・・・。」
「そうそう、あんただけ。」
面白そうにからかう陽菜ちゃんだったけど、さすがに可哀想なので「そんなことないよ」と肩を叩いた。
「ウソだ・・・・ぜったいみんな見えてんだ。」
「じゃあ見たい?」
「それはちょっと・・・・、」
「ならいいじゃない。」
「俺だけ仲間はずれもちょっと・・・・、」
駅に着くまでの間、本気で落ち込んでいた。

 

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