勇気のボタン〜空っぽの賽銭箱〜 第十二話 黄昏のハクビシン(1)
- 2018.04.03 Tuesday
- 11:39
JUGEMテーマ:自作小説
ピンク色の三輪車が朝陽に照らされている。
季節は三月の下旬、あと五日ほどで月が変わる。
今年の梅は少し遅くまで咲いていて、風と共にほのかな香りを運んできた。
しばらく初春の情緒に浸りたいが、そうもいかない。
なぜなら目の前に怖い顔をしたハクビシンがいるからだ。
「チェリーめ・・・・。」
怒りのこもった目で三輪車を睨んでいる。
「あれだけ厳重に見張ってたのに・・・いつの間に三輪車を盗んだのよ。」
持ち主のいない三輪車は、誰かが漕いでくれるのを待っているかのようだ。
しかしその持ち主はいない。
いや、さっきまではいたんだろうけど、今は姿をくらましてしまった。
「ツクネちゃん、もうここにはいないよ。いったん家に帰ろう。」
「いえ、アイツは絶対に近くに潜んでるはずです。」
「でもどこにもいないじゃない。」
俺はグルっと周りを見渡した。
ここは里部山梅林という山の麓だ。
山へ続く道には紅白の梅が咲き誇っている。
入場料は500円、この時期はたくさんの人が訪れる梅の名所だ。
チェリー君はこの山に逃げた可能性が高い。
高いのだが・・・・、
「やっぱり家で待ち伏せしようよ。この三輪車があればまた現れるはずだから。」
「もう時間がないんです。こっちから攻めないと。」
「でも山の中を捜すとなると大変だよ。」
「私はけっこう鼻が利くんです。山の中でも捜せますよ。」
自信満々に言うツクネちゃんだけど、俺は不安だった。
「これだけ梅が咲いてると、鼻も利きにくいんじゃない?」
風に乗って運ばれてくる梅の香りは、絶対に彼女の嗅覚の邪魔をするだろう。
確実に捕まえたいのなら、やっぱり家で待ち伏せした方がいい。
「ね、やっぱりいったん戻ろう。」
「嫌です。どうしてもって言うなら一人でどうぞ。」
「またそんなこと言う。意地張らないで・・・・、」
「意地なんかじゃありません。なんとしても今日中には捕まえてみせますから。」
彼女はダダっと駆け出す。
そしてすぐに山の中へ消えてしまった。
「あ、ちょっと・・・・、」
追いかける間もなく見失う。
「まったくもう・・・・。」
焦る気持ちは分かるけど、突っ走っても空回りするだけだ。
《絶対に待ち伏せの方がいいと思うんだけど、彼女をほったらかして帰れないしな。》
周りは田んぼばっかりで見晴らしがいい。
しかしどこにもハクビシンの姿はない。
となるとこの山のどこかに隠れてるんだろうけど・・・・、
《仕方ない、俺も行くか。》
三輪車を担いで、舗装された山道へ入る。
もし万が一チェリー君が家に現れても、マサカリたちが捕まえてくれるだろう。
その為に動物たちを残して来たんだから。
山道を少し登っていくと料金所が出てきた。
今日は土曜日、学生らしきバイトが二人座っていた。
「大人一人下さい。」
1000円出しておつりを貰う。
山へ登っていく途中「なんだあれ・・・」とヒソヒソ話が聴こえた。
おそらく俺のことを言っているのだろう。三輪車なんか担いでいるもんだから。
《こっちだって持ち歩きたくて持ち歩いてるんじゃないぞ。》
これはチェリー君をおびき寄せる大事な餌である。
ほっとくことは出来ない。
歩けば歩くほど梅の香りが漂ってくる。
山道を彩る梅たちが、ようこそと出迎えてくれているかのようだった。
*****
今朝、陽が昇る前のことである。
布団の中で微睡んでいると、どこからかガタガタと音が聴こえた。
どうせマサカリがウンコでもしているのだろう。
そう思ったんだけど違っていた。
布団から顔を出すと、目の前にマサカリがいた。お尻をこっちに向けて・・・・。
《誰がゴソゴソしてるんだ?》
物音を立てながらトイレをするのなんてマサカリくらいである。
じゃあこの音はいったい・・・・。
《まさか泥棒?》
不安になってくる・・・・。
我が家に盗むようなモンなんてないのに。
《どうしよう・・・・下手に捕まえようとしたらナイフで刺されたりして・・・・、》
何も聴かなかったことにしてこのまま寝てしまおうか?
・・・・いや、さすがにそれはマズいか。
もし動物たちに何かあったら大変である。
怖い気持ちを押し殺し、ガバっと布団から立ち上がる。
するとドアの近くに人影が見えた。
暗くてシルエットしか見えないけど、人に間違いない。
《やっぱり誰かいる!》
超怖い・・・・。
しかもじっとこっちを睨んでるっぽいし・・・・。
立ち上がったはいいものの、ここからどうしていいのか分からない。
「何してんだ!」と怒鳴るべきか?
それとも取り押さえるべきか?
いやいや、ここは110番すべきか?
判断に困っていると、突然人影が動いた。
《ひい!》
サッと身構える。
もしナイフで襲いかかって来られたら、俺なんか一たまりもない。
だけど・・・・、
《動物たちを守ってみせる!》
格闘技なんてやったことないけど、見様見真似で拳を構える。
「出てこいや!」
高田延彦の真似をしながら叫ぶ。
自分ではビシっと構えているつもりだけど、多分腰は引けている。
《く・・・来るならこい!》
ビビりながら構えていると、人影は何かを抱えて逃げ出した。
ドアを開け、カンカンカンと階段を駆け下りていく音がする。
「・・・・・待て!」
いきなりのことだったので、追いかけるのが遅れてしまう。
すると俺より先に駆け出した者がいた。
小さな影がシャっと横切って、ドアの外へ向かう。
「今のは・・・・、」
俺も慌てて追いかける。
しかしさっきの人影はどこにもなかった。
「クソ!逃げられたか。」
悔しいのと同時にホッとする。
「まあ逃げられたなら仕方ないな。」
我が家に金目のものなどない。
何か盗まれたとしても大したものじゃないだろう。
そう思って引き返すと、「有川さん!」と呼ばれた。
「どうして追いかけないんですか!?」
小さな影が足元へやってくる。
「ツクネちゃん・・・さっきの駆け出してったのはやっぱり君だったのか。」
「どうして追いかけなかったんですか!」
「いや、だってもうどこにもいないし・・・・、」
「ていうかなんで捕まえなかったんですか!」
「いや、だって刺されるかもしれないし・・・・、」
「さっきのチェリーですよ!」
「・・・・・・・え?」
「気づいてなかったんですか!」
「ごめん、暗くてよく見えなかったから・・・・、」
ツクネちゃんは「ああもう!」と怒る。
「こっち来て下さい。」
ドアの前まで走って、中を見ろと尻尾を向ける。
《なんなんだいったい?》
部屋の中を覗く。
すると・・・・・、
「あ。」
「ね。」
「無くなってる・・・・。」
ドアの傍に置いていた三輪車が消えていた。
「まさか・・・さっき何かを抱えていたのって・・・、」
「三輪車です。取り返しに来たんですよ。」
「・・・・迂闊!」
「そう、迂闊です。」
あの三輪車はチェリー君をおびき寄せる大事な餌だった。
それが奪われたとなると・・・・、
「また一から捜さないといけないな。」
「何を呑気に行ってるんですか!」
クルっとジャンプして人間に化ける。
「このままじゃ逃げられます!今から追いかけましょ!」
「今からって・・・・まだ陽が昇ってないぞ。」
「だから?」
「暗いから捜すのは無理だと思うけど。」
「いいえ、捜せます。」
そう言って鼻をヒクヒクさせた。
「私は人間より鼻が利くんです。」
「そりゃまあ動物だからね。」
「耳だって敏感です。」
「そりゃまあ動物だからね。」
「そう時間が経ってない今なら、まだ追いかけることが出来ます。」
自信満々に言って、「行きましょ」と手を引っ張った。
「あ、ちょっと・・・・、」
「なんですか?」
「これパジャマだから。」
「ああもう!さっさと着替えて下さい!」
すんごい怒られて、急いで着替えを済ます。
そして家を出る前、動物たちにこう頼んでおいた。
「もしチェリー君が現れたら捕まえといてくれ。」
全員ラジャーと敬礼した。
その後、俺とツクネちゃんはチェリー君を捜し回った。
彼女の嗅覚を頼りに、あちこち歩きまわる。
そして陽が昇る頃、辿り着いたのが里部山梅林だった。
麓の入り口にはピンク色の三輪車が放置されていた。
「有川さん。」
「ああ、ここへ来てたみたいだな。」
「まだ近くにいるはずですよ。」
「臭いがするのか?」
「微かに。梅の香りが強くて嗅ぎ分けづらいけど。」
「三輪車を残していったってことは、俺たちが来て慌てて逃げ出したんだろう。
となると近くにいる可能性が高いけど・・・・・。」
俺は山を見上げる。
もしこの中に逃げ込まれていたら、捜すのは容易じゃない。
容易じゃないんだけど・・・・捜す羽目になった。
ツクネちゃんだけ残して家に帰れないから。
だから俺は今、三輪車を抱えたまま山道を歩いている。
すれ違う人達に変な目で見られながら・・・・。
*****
里部山梅林はそう高い山じゃない。
山頂に辿り着くまで時間はかからなかった。
「おお、すごい眺めだ。」
頂上から見下ろすと、山全体が梅に覆われていた。
ちょっと散りかけているけど、まだまだ見頃だろう。
「・・・・いかんいかん、景色に見入っている場合じゃない。」
この山のどこかにチェリー君がいる・・・・かもしれない。
とりあえず登ってきた道と反対側へ下ることにした。
《さすがに木立の中を捜すのは無理があるからな。そっちはツクネちゃんに任せよう。》
俺は整備された山道を捜すことにした。
なにも楽だからこっちを捜すわけじゃない。
アイツは人間に化けられるから、登山客に混じってどこかに潜んでいる可能性があるのだ。
梅に囲まれた道を下り、突き当りに出る。
左へ行けば麓の駐車場へ。
右へ行けば海沿いの道へと出る。
さあ、どっちにしようか?
「・・・・・右かな。」
なんとなくの勘を頼りに右へ進む。
少し陽が高くなってきたせいか、登山客も増えてきた。
どこからか集団でやってきたおばちゃんの群れ。
高そうなカメラを片手にウロウロしているおっちゃんやお爺ちゃん。
《年配の人が多いな。》
増えてきたお客さんの隙間を縫いながら、海岸へと続く道を降りていく。
するとその途中にアスレチックがあった。
滑り台にブランコ、ターザンみたいにロープにぶら下がるアレ。
タイヤの半分が地面に埋まっている遊具に、トーテムポールみたいな形の長い棒。
パッと見は誰もいないようだが、少し調べてみることにした。
グルっと見回るが、誰かが隠れている様子はない。
《ここにはいないか。》
そう思ったんだけど、一つ気になる場所があった。
《あのトーテムポールみたいなやつ、なんか気になるんだよなあ。》
ちょっと念入りに調べてみることにした。
「・・・・あ、これ中に入れるのか。」
一番下に穴が空いている。
覗き込んでみると、中は螺旋階段のように上へ伸びていた。
「入れるかな?」
絶対に子供用だと思われる入り口に、強引に頭を突っ込んでみる。
「・・・・ダメだ。」
肩がつっかえて入らない。
「他に入れる場所はないのかな?」
じっとトーテムポールを見上げる。
するとデコボコした突起が梯子のように並んでいるのに気づいた。
どうやら外からも登ることが出来るらしい。
三輪車を置いて登ってみる。
上は空洞になっていて、中を覗き込むことが出来た。
「・・・・誰もいないか。」
なんとなく怪しいと思ったんだけど、どうやら外れだったようだ。
えっちらおっちら梯子を下りて、「無駄骨だったな」と呟く。
「誰かがいるような気配がしたんだけどな。」
しょせん勘は勘でしかない。
俺はプロなんだから、もっと論理的に動かなくてはいけない。
どう論理的にやればいいのか分からないけど。
「他を当たるか。」
よっこらしょっと三輪車を抱えて先へ進む・・・・・・って、三輪車が・・・・、
「ない!」
いったい俺は今なにを担いだんだろう?
エアギターならぬエア荷物を持ってしまった俺・・・・・虚しくなってくる。
いや、そんなことよりもだ!
「三輪車がないってことはつまり・・・・、」
ガバっと辺りを見渡す。
すると・・・・、
「おい!」
「ヤベ!」
ライダースーツを着たリーゼントの兄ちゃんが逃げていく。
仮面ライダーみたいな真っ赤なマフラーをはためかせながら。
「待てコラ!」
チェリー君は「バ〜カ!」と舌を出し、ササっと走り去った。
《あの野郎・・・。》
メラっと熱くなる。
《何度も逃がしてたまるか!》
チェリー君は必死に逃げて行くが、三輪車を抱えたままでは速く走れない。
かといってハクビシンに戻ったら三輪車は抱えられない。
《今がチャンス!》
思いっきりダッシュして腕を伸ばした。
「捕まえた!」
「ぐギュ!」
ガシっとマフラーを掴む。
チェリー君はラリアットを喰らったみたいに、一瞬浮いてから地面に落ちた。
「よっしゃあ!もう逃がさんぞ!」
「や、やめろ・・・・首が締まる・・・・。」
マフラーを踏んづけたまま、彼の上にまたがる。
「ふっふっふ・・・観念するんだな。」
もはや逃げられまい。
あとはツクネちゃんに引き渡せば終わりだ。
「どけ!」
「暴れるな。もう勝負は着いたんだ。」
「違えよバカ!三輪車が・・・・、」
「ん?」
チェリー君が指さした方を振り返ると、三輪車が斜面を転がり落ちていくところだった。
「あ・・・・、」
「あ、じゃねえよ!」
油断した隙に、金玉に膝蹴りを喰らう。
「NOおおおおおおお・・・・・、」
今度は俺が倒れる。
あまりの痛みに吐き気がして、呼吸さえ忘れそうになった。
「しばらくそうしてろ。」
彼はニヤっと笑い、落ちていく三輪車を追いかけていった。
「ま・・・・待て・・・・、」
股間を押さえたまま立ち上がり、フラフラと追いかける。
しかし途中でダウンしてしまった・・・・。
《ほんとダメだこれ・・・・、》
本気で金玉にダメージを喰らったのなんていつ以来だろう?
確か小学生の頃、自転車で立ち漕ぎをしていて、壁にぶつかった衝撃でサドルに打ち付けたことがあるけど・・・・あれも相当痛かった。
《ああ・・・どうか種無しになってませんように・・・・、》
色々と心配してしまう。
その時、ふと誰かの気配を感じた。
顔を上げると一匹のハクビシンが目の前にいた。
「大丈夫ですか?」
「つ・・・・ツクネちゃん・・・・、」
「もしかして転んで玉を打ったんですか?」
「ち・・・違う・・・・蹴られたんだ・・・・。」
「蹴られる?誰に?」
「チェリー君に・・・・、」
「チェリーに!?」
驚きのあまり声が上ずっている。
「どこ!ねえどこ!?」
「に・・・逃げてった・・・・、」
「また逃げられたんですか!?」
「金玉蹴られて・・・・、」
「ああもう!なんで毎回毎回油断するんですか!!」
「怒鳴らないで・・・玉に響く・・・・、」
「どっち!どっちに逃げてったんですか!?」
「この道を下の方に・・・・・・、」
「チェリーの奴、また取り戻しに来たのか。」
「あれを抱えてる限りは・・・・ハクビシンに戻れない・・・。今追いかければ間に合・・・・、」
言い終える前に彼女は駆け出していた。
「チェリいいいいいいい!」
すごい勢いで走っていく。
ものの数秒で見えなくなってしまった。
「た・・・頼む・・・・痛みよ早く引いてくれ・・・・。」
トントンと腰を叩き、内股気味に立ち上がる。
さっきよりはマシになったので、歩くことくらいは出来そうだった。
「あいつめ・・・・借りは返すぞ!」
腰を引きながらひょこひょこと追いかけていった。