窮地を救ってくれるヒーローはありがたい。
いや、ヒーローだからこそ窮地に現れてくれるのかもしれない。
どっちにしたって、絶体絶命のピンチの時、ヒーローほどありがたい存在はいないだろう。
「伊藤!」
突如現れた鬼神川に怯える中、奴の背後に伊藤が立っていた。
鬼神川が振り返るのと同時に銃を撃つ。
眩い火花、空気を貫通するような鋭い銃声。
鬼の狐火の頭から鮮血が飛び散った。
《おお!やった・・・・。》
伊藤の弾丸は霊獣も殺傷できる。
頭にアレを受けては鬼神川といえども終わりだろう。
「・・・・・・・。」
鬼神川はこちらに背中を向けたまま動かない。
足元にはポタポタと血が落ちているので、弾丸は間違いなく命中したはずだ。
なのにまだ立っているということは・・・・、
伊藤はまた銃を撃つ。二発、三発と連続で。
しかしそれでも倒れなかった。
わずかに伊藤の顔が歪む。
すると肩からマシロー君が飛び降りて、トコトコっとこっちに走ってきた。
「早く逃げて下さい!」
「逃げる?なんで?」
「ここにいたら危ないからですよ!」
「でも鬼神川はもう終わりだろ?ついでにここにある薬も全部ぶっ潰さないと。」
技術部のドアの向こうには、今回の事件の発端となった薬がある。
あれが残っている限りはまた似たような事件が起きるだろう。
「あのドアは頑丈らしいけど、アカリさんや狼男たちがいればどうになるだろ。」
「無理です!だって・・・・、」
「だって鬼神川はまだ死んでいないから。」
マシロー君に被せるようにアカリさんが言った。
「死んでないって・・・・伊藤の弾丸は霊獣も殺せるんですよ?あれを至近距離から何発も食らったらおしまいじゃ・・・・、」
「普通ならね。でも間違いなく鬼神川は生きてる。どういうわけか分からないけど。」
するとツムギ君も「俺も逃げた方がいいと思う」と言った。
「アイツの殺気は萎むどころか大きくなっている。このままじゃマリナさんを守りきれない。」
「そんなまさか・・・、」
「有川!お前はマリナさんの飼い主だろう。危険に晒されてもいいのか!?」
「そりゃよくはないけど・・・・。」
ツムギ君の後ろでは狼男たちが怯えている。
さっきまであれだけ暴れまわっていたのに。
「ここはアカリさんたちの言うことを聞きましょ。」
御神さんも同じ意見のようだ。
「霊獣がこう言ってるんだもの、素直に従った方が賢明だわ。」
「でもあと一歩であの薬を潰せるのに・・・・、」
「ていうか私の勘も逃げろって言ってる。仕事柄そういう勘は敏感でね、賭けたっていいわ。」
そう言って「早く逃げましょ」と踵を返した。
狼男たちもそそくさとついて行く。
ツムギ君は「マリナさんは僕がお守りします!」と、お姫様だっこをして逃げていった。
「なんかヤベえみたいだな。」
マサカリが呟く。チュウベエも「だな」と頷いた。
「というわけでとっととずらかるぞ。」
「悠一も急げ!」
「あ、おい!」
「アンタも早く!」
振り返ると、アカリさんが尻尾でチェリー君を抱えていた。
「まだ生きてますよね?」
「ええ。この程度なら少し寝てれば回復するわ。それより早く!」
「・・・・分かりました。」
俺もあちこちやられて痛いけど、動けないほどじゃない。
「ほらモンブラン、ボケっとしてないで行くぞ。」
「・・・・・・・。」
「どうした?」
「アイツら・・・・私のことほっといて逃げちゃった!」
「アイツら?」
「ロッキーとヒッキーよ!私を愛してるなんて言いながら、この仕打ちはないじゃない!」
「まあ・・・・よっぽど鬼神川が怖かったんだろう。」
「ツムギ君はちゃんとマリナを守ったのに。これだからチャラい男なんて信用できないのよ!!」
「愚痴はあとで聞くから今は・・・・、」
「おぶって!」
ピョンと背中に飛び乗ってくる。こっちは怪我人だってのに。
まあいい。とにかくここからオサラバするしかないようだ。
「マシロー君!君はどうずるんだ?」
「ここに残ります。」
「でも危ないんだろ?逃げた方がいいんじゃないか?」
「いいんです。彼だけ残して逃げられませんから。」
そう言って銃を構える伊藤を振り返った。
「僕に構わず行って下さい!」
「わ、分かった・・・・君もどうか無事でな。」
サっと踵を返し、この場から逃げ出す。
するとその瞬間、鬼神川が「何をしている」と低い声で唸った。
「その小僧を逃がすな。」
静かな声だが迫力がある。
さっきまで貝になっていた敵の霊獣たちが、「はは!」と動き出した。
ノックアウトされたはずの警備員たちも起き上がり、ゴリラみたいな霊獣に変化する。
バズーカを食らっても生きてるなんてタフにも程がある。
「待てやコラアア!」
「ひいい!」
モンブランを抱えて必死に逃げる。
アカリさんが「こっちこっち!」と尻尾を振った。
見るとヒッキー君が壁を壊し、外に飛び降りていた。
みんな次々と飛び降りていく。
俺も急いで向かうけど、あと少しってところで尻尾を掴まれてしまった。
「痛だだだだ!」
「逃がさん!」
ジャッカルの霊獣だった。
いつの間にか復活していたらしい。
「お前を殺らないと俺が鬼神川さんに殺されちまう!」
「そんなの知るか!」
ガンガン蹴るけど離してくれない。
そうこうしているうちに大勢の敵に囲まれてしまった。
「くッ・・・・モンブラン、お前だけでも逃げろ!」
穴の空いた壁から外に放り投げる。
「ちょっと悠一イイイイイイィィィ・・・・・、」
下にはアカリさんたちがいるはずだ。
きっと受け止めてくれるだろう。
「散々好き勝手やってくれやがって。」
ジャッカルがボキボキと拳を鳴らす。
周りの奴らも殺る気満々で睨んでいた。
「ええっと・・・・もうちょっと待ちませんか?」
「待つ?」
「ほら、ヒーローは遅れて現れるっていうでしょ?」
「だからなんだ?」
「もうちょっと待ったら新しいヒーローが出てきて、あなた達をやっつけてくれるんじゃないかなあなんて・・・・、」
「・・・・・・・。」
「ダメですか?」
一瞬だけニヤリと笑うジャッカル。
そして「ざっけんなテメエ!」と吠えた。
「ひいいいい!」
「どこの誰がんなもん待つってんだ!!」
「す、すいませんすいません!」
「根っから舐め腐りやがって。殺すだけじゃ気が済まねえ。地獄を味あわせてから殺ってやるぜ!」
めちゃくちゃ怖い顔をしながら飛びかかってくる。
しかしその時、「待て!」と野太い声が響いた。
みんなビクっと竦み上がる。
「この声は鬼神川・・・・。」
敵の群れを押しのけながら、ゆっくりと現れる。
そして俺の足元に何かを投げた。
「これは・・・・銃?」
見たことのある形だ。これはたしか・・・・・、
「もう一人の伊藤の物だ。」
「やっぱり!」
チャンスとばかりに銃を拾う。
「ふ、お前も馬鹿だな。自分から武器を寄越すなんて。」
「・・・・・・・。」
銃を構えると、他の霊獣たちは後ずさった。
しかし鬼神川は逃げない。
撃ってみろと言わんばかりに立ちはだかる。
「な、なんだよ・・・・えらい強気だな?まさか弾が入ってないんじゃ・・・・、」
「まだ残っている。」
「そ、そうか・・・・。なら撃つぞ!」
眉間を狙って銃口を向ける。
でも・・・・撃てない。銃で誰かを殺すなんて・・・・。手が震えて狙いさえズレてしまいそうだ。
鬼神川はガシっと俺の手を掴み、自ら眉間に銃口を当てた。
「お、おい・・・・、」
グっと手を握られる。
「痛ッ!」と叫ぶのと同時に引き金を引いてしまった。
ゼロ距離で眉間に当たる。
赤い地が飛び散り、「ひい!」と怯えた。
でも奴は死ななかった。
それどころか残った弾丸を全て自分に撃ち込む。
その度に血が飛び散るんだけど、やはり死にはしなかった。
「な、なんで・・・・?」
「不思議か?」
「だってこの銃・・・・霊獣でも倒せるはずじゃ・・・・。」
「以前の私なら死んでいただろう。しかし今は違う。」
「ど、どう違うの・・・・?」
「教える義理はない。」
すごい目が怖い・・・・。
ていうかこの銃、なんでコイツが持ってるんだろう?
「まさかとは思うけど・・・・伊藤をやっつけちゃったの?」
「さあな。」
「マシロー君は?無事なんだろうな?」
「それも答える義理はない。」
そう言って俺の手から銃を奪い取る。
そしてポケットから一発の弾丸を取り出した。
「あ!それは・・・・、」
紫の弾丸だった。
撃ち尽くしたはずなのにと思ったけど、よくよく考えれば伊藤はもう一人いるのだ。
そっちの伊藤から渡されたんだろうか?
鬼神川は弾を込め、銃のスライドを引く。
ガチャリと弾丸が装填され、俺の頭に突きつけた。
「ちょ・・・ちょっとタンマ!」
「お前はたまきの愛弟子らしいな。」
「愛弟子かどうかは分からないけど・・・いちおう弟子だよ。」
「お前を殺せばたまきは怒り狂うだろう。だが今となってはアイツも脅威ではない。」
「脅威ではないって・・・・アンタ一度たまきにボコボコにされたはずだろ?俺を撃ってみろ、次はボコボコにされる程度じゃすまないぞ。」
「脅威ではない・・・・と言ったはずだ。」
目にグッと力が篭る。
《撃たれる!》
そう確信して目を閉じた。そして実際に撃たれた。
眩い火花、近すぎて耳鳴りがする銃声。
でもまったく痛みは感じなかった。
酷い怪我は痛みを感じないというけど、頭を撃ち抜かれた時も同じなのかもしれない。
しかし何の感触もないっていうのはちょっと不思議だ。
痛みはなくても衝撃くらいはありそうなものだけど・・・・。
「貴様・・・・、」
鬼神川が唸る。
俺はふと誰かの気配を感じ、ゆっくりと目を開けてみた。
そこには鬼神川の腕を掴み、ねじり上げている人物がいた。
「う・・・・ウズメさん!」
「ギリギリだったわね。」
そう言って俺の頭を指さした。
「まさかウズメさんが助けてくれたんですか?」
「ついさっきこっちに戻って来たのよ。こがねの湯に行ったら管って稲荷がいてね、悠一君たちの居場所を教えてくれたわ。
でも教えてもらった工場は燃えて無くなってるし、じゃあ他に?って考えたらここしか思いつかなかった。
でもまさか・・・・ねえ?君が霊獣になってるなんて思わなかったけど。その気配、間違いなく悠一君でしょ?」
「はい!鬼神川たちが開発した新薬を飲んだせいでですね・・・・、」
「そんなところでしょうね。」
ニコっと笑い、さらに鬼神川の腕を捻り上げる。
「貴様はウズメだな!ダキニの後釜の。」
「そうよ。アンタらの悪さを止める為にやって来たのよ。」
「ぐうッ・・・・、」
「いくら頑張っても無理よ。こっちはあんたよりずっと位が上なんだから。」
「ふん!ダキニが戻ってくるまでの代理の分際で!!」
鬼神川はあの工場で見せた時のように、青く燃える六本の尻尾を生やした。
そいつを大きく振り回すと、周囲の物は全て消し炭に変わってしまった。
燃える暇なんてない・・・・一瞬で蒸発するなんて・・・・。
「アンタ仲間まで・・・・、」
ウズメさんは怒る。
さっきの一撃で敵の霊獣全てが消えてしまったのだ。
「どいつも下っ端だ。稲荷は一人もいなかっただろう?」
「だからって自分の部下を・・・・、」
「噂には聞いていたが、お前はずいぶんと甘いようだな。そのせいでダキニほどの求心力がないのだとか?」
「ダキニ様はダキニ様、私は私よ。」
「だが仏教系の稲荷が神道系に寝返る例が増えている。全ては貴様が長になってからだ。」
「下の者には申し訳ないと思ってるわ。私はダキニ様のほどの器じゃない。そのせいで迷惑かけてるってね。」
「ならばもう退いたらどうだ?」
「そうはいかないわ。ダキニ様が戻ってくるまでの間は私が長よ。アンタらのやってる悪事は見過ごせない!」
「いいのか?長ともあろう者が勝手なことをすればどうなるか・・・・大きな争いに発展しかねんぞ。」
「もうその心配はないわ。」
「なに?」
「ついさっきまでアンタらの親玉がいる稲荷の世界へ行ってたのよ。前は門前払いだったけど、今回はちゃんと話を聞いてくれたわ。」
そう言ってウズメさんも尻尾を生やした。
黄金色に輝く八本の尻尾を。
鬼神川は「なんと!」と狼狽える。
「尻尾が八本・・・・しかもこの神々しい金色の輝き。いくらなんでもここまで位の高い稲荷なわけが・・・・、」
「ダキニ様よりも前の長から格上げしてもらったのよ。」
「前の長だと?・・・・ということは白髭ゴンゲンか。まさかあのご老体までこの件に関わっているというのか!」
「いいえ、ちょっと手を貸してくれただけ。でもおかげで神道系の稲荷のお偉いさんたちと話が出来たわ。
この尻尾を見せると一人前の稲荷神だと認めてくれたからね。ただのダキニ様の代理じゃないって。」
「・・・・で?上の者たちはなんと?」
「好きにしろって言われたわ。ただし・・・・、」
「ただし?」
「キッチリとならず者の始末をつけること。要するにアンタを叩きのめせってことね。」
「・・・・・・・・。」
「アンタ、向こうでも鼻つまみ者で有名らしいじゃない。きっと厄介払いしたいのね。」
そう言ってニヤリと笑う。
鬼神川は「なるほど」と頷いた。
「つまり本気で私を叩き伏せるつもりだと?」
「そういうこと。アンタ鬼の狐火って呼ばれてるんだっけ?かなりの腕っ節らしいけど私の敵じゃないわ。」
ウズメさんから殺気が放たれる。
まさかここで巨大な稲荷に変身する気か?
「大人しく降参するなら痛い目に遭わなくてすむけど・・・・どうする?」
余裕の笑みを浮かべるが、鬼神川は「馬鹿を」と突っぱねた。
「強くなったのは貴様だけではない。」
そう言ってニヤリと笑う。なんだこのバトル漫画みたいな展開は・・・・。
いや、でも実際に強くなっているんだろう。
だって伊藤の弾丸が効かなかったんだから。
なにか秘密があるんだろうけど、聞いても教えてくれなかった。
でも相手がウズメさんなら・・・・、
「別の気配が混じってるわね。」
笑みを消し、鋭い眼差しで呟く。
鬼神川は「その通り」と頷いた。
「ある霊獣と契約を結んでな。」
「契約?」
「私の上司が契約中の霊獣だ。」
「アンタの上司?・・・・まさか!」
「そう、そのまさか。あの狼と契約を結んだ!」
鬼神川の殺気が膨れ上がる。
青い炎をまとう六本の尻尾が束ねられ、紫に燃え盛る一本の尻尾へと変わった。
「悠一君!ここから逃げて!!」
ウズメさんが叫ぶ。しかし鬼神川は「その必要はない」と言った。
「私と貴様、本気で戦えばこの会社などあっという間に潰れてしまう。だがここには大事な薬もあるのでな、それは避けたい。」
「なら場所を変えようってこと?」
「ああ。」
鬼神川は後ろを振り返る。
そこには黒のスーツを着た数人の男女が立っていた。
そのうちの一人が前に出て来て、「ま〜た暴れるんですね」と肩を竦めた。
「紺野よ、少しここを離れる。留守を頼むぞ。」
「まあいいですけど・・・・相手は仏教系の稲荷の長でしょ。勝てるんですか?」
「さあな。」
「鬼神川さんにしちゃ弱気な答えですね。」
「ダキニの代理を務めている稲荷だ、弱いわけがなかろう。だがここで引いたら社長に顔向けが出来ん。」
「まあぶっ殺されるでしょうね。」
「霊獣が支配する世を創るまでの我慢だ。そのあとは・・・・社長にも消えてもらう。」
それを聞いた鬼神川の部下は「ほんとにやるんですか?」と眉を潜めた。
「社長はしょせん人間だ。私たちとは相容れない。」
「まだ霊獣を絶滅させたがってるんだから・・・困ったもんですよね。」
「お喋りはここまでにしておこう。私はウズメと決着をつけてくる。それまでここを頼んだぞ。」
「イエッサー。」
ふざけた感じで敬礼している。
鬼神川は「では行こう」と背中を向けた。
「この会社の地下に私の神社がある。」
「勝負は稲荷の世界でってことね。望むところだわ。」
ウズメさんもあとをついて行く。
でも途中で振り返り、「そうそう」と戻ってきた。
「悠一君。」
「は・・・はい!」
「ここは危ないから、私が戻って来るまで近づかない方がいいわ。」
そう言って穴の空いた壁からドンと突き落とされた。
「ちょ・・・・ウズメさあああああん!!」
地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
霊獣だから死にはしないだろうけど、それでも怖い・・・・。
《ちょっと痛いくらいだよな・・・・我慢だ!》
グっと歯を食いしばって覚悟を決める。
でも落ちていく途中で、全身からモクモクと白い煙が上がった。
そして・・・・、
「ぬううあああ!!人間に戻っちまった!」
なぜだ?薬の効果が切れたのか?
とにかくこのままだと死ぬ。
だってアスファルトの駐車場はすぐそこに迫って・・・・、
「なにやってんのよ!」
地面に激突する前にフサフサした尻尾に受け止められた。
顔を上げるとアカリさんがいた。
人間の姿に戻り、尻尾だけ生やしている。
「なんでさっさと逃げないのよ!ていうかなんで人間に戻ってんの!?」
「あ、あの・・・・他のみんなは?」
「とうに逃げたわよ!ほら、さっさと立って!!」
慌てて駐車場から駆け出していく。
俺は立ち上がり、さっきまでいた場所を見上げた。
鬼神川の部下がニヤニヤしながら手を振っている。
来るならいつでも来いと挑発するかのように。
《見とけよ・・・・このまま終わらせないからな!》
最近消えかかっていた情熱というか、青臭い炎が燃え上がる。
眉間に皺を寄せながら、柄にもなく睨み返していた。