肉体の負債

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 11:51

JUGEMテーマ:

痛覚が麻痺し 体の危険信号を見逃す

 

もう限界なのに 休ませてくれと叫んでいるのに

 

暴走する情熱と使命感を受け

 

脳が快楽ホルモンをばら撒き

 

肉体の訴えを無視する

 

そしてツケが回ってくる

 

快楽は幻 蓄積した疲労とダメージは時限爆弾

 

布団の上で数日 歯ぎしりしながら負債を背負う

勇気の証 第二十三話 いつかまた(1)

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 10:46

JUGEMテーマ:自作小説

「おい!内藤見なかったか!」
「俺も探してるんだ!アイツ人を抱えたまま調理室に入ってきやがって。包丁奪って出ていきやがったんだ!」
一階のロビーは慌ただしかった。
何人かのボーイさんやシェフが走り回っている。
フロントのお客さんが何事かと目を丸くしていた。
「とにかく探せ!それとオーナーに連絡!」
「したよ!でも出ないんだ。」
「なら・・・・とにかく俺たちだけで探すぞ!大事になる前に見つけるんだ!」
ロビーに集まっていたスタッフたちが散り散りに消えていく。
私は目の前が暗くなるのを感じて、思わず倒れそうになった。
『藤井ちゃん!大丈夫?』
エル君が心配してくれるけど、大丈夫だよとは返せなかった。
《包丁ってなに?それで何をするつもり?》
まさか生きた人間まで手に掛けようとしているのか。
一番ターゲットとして可能性が高いのは・・・・どう考えても私だ。
《肉体を取り戻したって刺された後じゃ意味がない。早く・・・・早く見つけないと!》
不安のあまり動機が膨れ上がる。
幽霊でも心拍数が上がるんだ・・・・なんて余計なことを考えてる場合じゃない。
おそらくホテルの中にはいないだろう。
いくら悪霊でも人一人抱えたままじゃ見つかってしまう。
けど外に逃げたとなると厄介だ。
あの悪霊が行きそうな場所なんてまったく見当がつかない。
闇雲に探したって時間を浪費するだけで、それこそ肉体が見つかっても手遅って可能性も・・・・。
『ねえエル君!悪霊の気配って探れる?』
『近くにいたら分かると思うけど・・・・・この辺りにはいないな。』
『そっか・・・ならやっぱり外ね。』
『ていうか藤井ちゃんだって集中すれば気配を探れるんだぜ。そう教えただろ。』
『そうだったね、ごめん。』
じっとしてても始まらない。
とにかく外へ出てみよう。
ロビーを駆け抜け、海の見える中庭に出る。
陽の高さからしてお昼時くらいだろう。
遠くに雲が流れているものの、空は快晴だった。
海水浴客も大勢いて、楽しそうに賑わっている。
遠目からでもスタイルが良いと分かる黒い水着を着た女性がナンパされていて、軽くあしらっていた。
こんなに天気が良くて平和だと、かえって不安が増していく。
左右を振り返り、どっちに行こうかと迷った時だった。
「おいあんた!」
絹川さんだ。
その後ろにはハチロー君もいる。
『絹川さん!無事だったんですね!』
「なんとかな。」
ニコっと笑うけど顔色は悪い。
何人かのシェフが追いかけてきて、「まだ動かない方がいいですよ」と諫められていた。
「さっきまで溺れてたんでしょ?じっとしてた方がいいですよ。」
「そうですよ。青い顔して廊下を歩いてるのを見た時には幽霊かと思いましたもん。」
ずいぶん後輩から慕われているみたいで、必死に休むようにと説得されていた。
けど「俺のことはいい」と押し返した。
「あんまり騒ぐとお客さんを不安にさせちまう。お前らはいつも通りに仕事してろ。」
「でもボーイがお客さんをさらってどこかに消えちゃったんですよ?しかも包丁まで奪って。」
「これやっぱ警察に言った方がよくないですか。」
「だから心配するなって。オーナーにはあとで俺から報告しとくからよ。」
バンバンと肩を叩いて「ささ、仕事に戻った戻った」とホテルに押しやっていた。
「・・・・さてと。」
振り返り「とりあえずの事情はハチローから聞いたぜ」と頷いた。
「細かい部分は要領の得ないとこもあったけど、だいたいの筋は分かった。まさか亜津子の別れた旦那が亡くなってたとはな。しかも悪霊なんだって?」
『ええ、ハチロー君が悪い幽霊になっちゃったのもあの人のせいです。』
「でもって内藤を乗っ取ったうえに、あんたの肉体まで持ち去ったと。」
『そうなんです!きっと外に逃げたと思うんですけど、どこに行ったのかぜんぜん見当も付かなくて。』
「闇雲に探したってしょうがねえやな。」
腕組みをして困った顔をしているけど、その目は何かを見据えているようだった。
「実はよ、一つだけ心当たりがあるんだ。」
『ほんとですか!』
「ぜったいにそこにいるかどうかは分からねえけどな。」
『教えて下さい!心当たりってどこなんですか!』
詰め寄ると険しい顔でこう答えた。
「離婚したあとに亜津子が住んでたアパートがあるんだ。もし野郎がそのアパートを知ってたら・・・・、」
『そこにいる?』
「亜津子に会いたがってるならそこかもしれねえ。なにせあの場所には・・・・、」
『案内して下さい!今すぐ!』
「・・・・ああ。そう遠くないんだ。こいつで行こう。」
中庭の横には駐輪場があって、小さなバイクが停まっていた。
絹川さんはそのバイクに跨ると、「乗れ」と言った。
『はい!あ、でもこれって50ccのバイクですよね?二人乗りはダメなんじゃ・・・・、』
「今のあんたは幽霊だろ。ニケツしたって二人乗りにはならない。」
『そ、そうですよね!じゃあお願いします。』
荷台に跨ると『俺も!』とエル君が膝に乗ってきた。
『おいハチロー!お前も走ってついて来い!』
『ぼ、僕も行くの・・・・?』
『当たり前だろ!ある意味お前が原因みたいなもんなんだから。』
『僕のせいじゃ・・・・、』
『つべこべ言わずについて来い!』
フシャーと唸ると『分かったよ!』と頷いていた。
まるで本物の兄弟みたいだ。
「んじゃ行くぞ!」
バイクは中庭を突っ切り、ホテル前の通りに出てから海岸沿いを走って行く。
途中で左に曲がって細い路地に入り、まるで迷路のようにあちこちの角を曲がり続け、また細い路地が出てきて10分ほど走った。
パラパラと民家が並んでいたけど、そのうち空き地が目立つようになる。
売り地と看板が立っていたり、砂利だけの更地に草が生えていたり。
絹川さんはバイクを停め、茶色い地面がむき出しになった更地を見つめた。
ロープが張ってあり、すぐ隣に売り地と書かれた看板が立っている。
「なくなってやがる。」
ボソっと呟く。
「ここ最近来てなかったら・・・・いつの間にか取り壊されたみたいだな。」
『そんな!じゃあここにはいないってことですか?』
「いや、そうとも限らねえ。」
バイクから降りて、「噂は聞いてたんだ」と呟いた。
「なんでもこのアパートには幽霊が出るってな。」
『幽霊?』
「二階の端っこの部屋に女の幽霊が出るって噂があったんだよ。ほら?最近はワケあり物件を調べるサイトとかあるだろ?あれにも載ってたしな。」
『あの・・・・その幽霊ってまさか・・・・、』
「亜津子がいたのは二階の端っこの部屋だ。」
『・・・・・・・。』
「ボロいアパートだったからなあ。元々入居者が少ないうえに、そんな噂がたったせいで余計に住む人がいなくなったんだろう。」
『どっちにしろ悪霊はここにはいないってことですよね?唯一の心当たりだったのに・・・・。』
ガックリ項垂れると「諦めるのは早いぞ」と言われた。
「アパートはもうないけど、あれがまだ残ってるかもしれない。」
『あれ?』
「骨だよ。亜津子の骨。」
『骨って・・・亜津子さんの遺骨は実家のお墓なんでしょう?どうしてここに・・・・、』
「俺が埋めた。」
『へ?』
「あいつが親と上手くいってないのは知ってたからな。もし何かあっても実家の墓には入りてくないって言ってたんだ。
だからまあ・・・・ほんとはやっちゃいけないことなんだけど、遺体が焼かれたあとにこっそり骨の一部を拝借してな。
そいつをここの庭に埋めておいた。」
『ほんとですか・・・・それ?』
「今思えばハチローの骨もここに埋めてやるべきだったな。そうすればこいつも寂しい思いをせずにすんだかもしれねえ。」
ハチロー君を振り返り、「悪かったな」と謝った。
「ただあん時はそこまで気が回らなくてよ。なにせ俺だって大事な友達が死んじまって動揺してたから。」
『僕は怒ってないから平気だよ。嫌いなのは悪霊だけだもん。』
二人の会話を背中で聞きながら、アパートがあった敷地に踏み入る。
ロープをすり抜け、まっさらな地面を見渡した。
『・・・・・・・・。』
何も考えず、頭の中を空っぽにする。
ただひたすら精神を集中させ、生き物とは別の気配がないかを探った。
するとほんのわずかに土の中から奇妙な気配を感じた。
膝をつき、手を触れてみる。
『ねえ絹川さん。もしかして亜津子さんの骨を埋めた場所ってここじゃ・・・・、』
そう言って振り返った時だった。
『ちょ、ちょっとどうしたの!』
絹川さん、エル君、ハチロー君。
みんなして倒れていたのだ。
同時にゾワゾワと背筋に悪寒が走る。
見なくても誰がそこにいるかハッキリと分かった。
ドサっと何かが倒れる音がする。
それも二つ。
恐る恐る振り返ると、私の肉体とボーイさんが仰向けに倒れていた。
そして見下ろすようにあの悪霊が・・・・。
目が合っただけで吐きそうになる。
ホテルにいた時とは比べ物にならないほど歪んだ殺気を放っていた。
姿形もすでに人間とはかけ離れている。
全身真っ黒な影になり、アメーバのようにウネウネと蠢いている。
ほんのかすかに頭と手足らしきものが見えるけど、やはり人間とは思えない姿だった。
『アツコ・・・・アイニキタヨ・・・・。』
腕らしき部分には包丁を握っていて、じっと私の肉体を睨んでいる。
『マダココニイルンダロウ・・・・ネムッテルンダロウ・・・・。』
そう言って包丁を振り上げる。
『ちょ、ちょっと!』
止めようとしたけど触れることすら出来ない。
煙みたいにスルリとすり抜けてしまうのだ。
『どうして!こっちだって幽霊なのに!』
だったら包丁を奪おうと思ったけどこれも無理だった。
あっさり振り払われてしまうだけで、それどころか叩かれた部分が黒く染まった。
・・・・もし、もしも全身がこんな風に染まってしまったら、私も彼のような悪霊になってしまうのか?
そう思うと迂闊に近づけない。
《・・・・そうだ!もっと簡単な方法があるじゃない!》
目の前に自分の肉体があるのだ。
これに入れば元通り。
悪霊の凶刃から逃げられるはず・・・・・と思ったんだけど、またしても邪魔されてしまった。
バチンと腕を叩かれ、澱んだ水のように黒く染まっていく。
《いやあ!》
拭っても拭っても落なくて、かえって黒い染みが広がっていく。
悪霊は『アツコ・・・・』と呟き続けている。
『カンジルンダ・・・・ココニイルンダロウ?ハチローヲヒトジチニトッテモスガタヲミセテクレナイナンテ・・・・。
コウナッタラモウ・・・・ムリヤリニデモ・・・・コッチニヨビモドスシカナイ・・・・。』
『無理矢理に呼び戻すってどうやって・・・・、』
『ココニ・・・アタラシイニクタイガアル・・・。コノニクタイニハイレバ・・・・コノヨヘモドッテ・・・コラレル・・・・。』
『新しい肉体って・・・・あなたまさか私の身体を使って・・・・。』
いつまで経っても亜津子さんに会えないものだから、とうとう痺れを切らしたらしい。
この土の中からはほんのかすかに霊気を感じる。
おそらく亜津子さんのものだろう。
私を殺して亜津子さんの魂の入れ物にする気なんだ。
だけどそんなことをしたって絶対に彼女は戻ってこない。
だってここに眠る霊気はわずかなものだ。
彼女の魂そのものが宿っているわけじゃない。
もしそうなら、とっくにこの悪霊は誰かを殺めて亜津子さんの魂を入れたはずだ。
それに何より・・・・、
『いい加減にしろお!』
立ち上がって叫んでいた。
『こんなことして呼び戻したって、彼女はあんたのことなんか認めない!余計に嫌われるだけだ!』
こんな口調で怒鳴ったりしたことがないので声が上ずってしまう。
けどもう我慢出来なかった。
10年間もハチロー君を苦しめ、それで思い通りにいかないと知ると、今度は他人の肉体を利用してまで目的を果たそうとするなんて。
しかもこの悪霊の中にあるのは自分の思いや感情だけで、亜津子さんの気持ちはまったく含まれていない。
もし亜津子さんが彼に会うことを望んでいるのなら、とっくに迎えに来ているはずなのだ。
けど亡くなってから10年も姿を見せないということは、彼のことなんか忘れて成仏している証拠じゃないか。
・・・・しょうじき、私は亜津子さんのことも許せないでいる。
嫌がるハチロー君と心中しようとするし、亡くなってから10年もの間、ハチロー君の前にさえ現れていないんだから。
ほんとうにこの子のことが大事なら、一緒に天国へ連れていったはずだ。
自分だけ成仏してあとはほったらかし。
無責任で思いやりのない飼い主と、身勝手でワガママな悪霊。
私はどちらの味方をすることも出来ない。
私が怒っているのは亜津子さんの為じゃない。
目の前にいるこの悪霊にただ腹が立って仕方ないだけなのだ。
『そんなに彼女に会いたいなら、なんで現世に留まってるのよ!悪霊になんかならずに成仏すればすむ話でしょ!』
そう叫んでも聞いていない。
今にも包丁を振り下ろそうとしている。
『あんた・・・・認めたくないんでしょ?彼女と別れたこと、そして自分たちが死んでしまったことを。
まだ生きてると思ってる。生きて再会して、やり直せると思ってる。そうなんでしょ?』
一歩近づき、『言っとくけどね』と睨みつけた。
『あんたはもう死んでんだ。どうやったって生き返ったりしないし、離婚する前に戻ることも、やり直すことも出来ない。』
そう言うと真っ黒な影から二つの目が飛び出して、ギロリと私を睨んだ。
『私の肉体を殺したって意味なんかないんだよ。死んだ身体に飛び込んだって死人のままなんだから。』
『・・・・・・・。』
『睨んだって怖くない。』
もう一歩近づくと、ナメクジのように二つの目玉が伸びてきた。
黒ずんだ眼球に私の姿を映している。
恐怖はある・・・・けど怒りの方が勝る。
日本にいる時でも海外にいる時でも、身勝手な人間のせいで苦しむ動物たちをたくさん見てきた。
そういった動物の力になる為に私は生まれてきた。
だからこそ動物と喋ることが出来る。
そう信じているからこそ、身勝手な人間は許せなかった。
この件だってハチロー君が関わっていなかったら、ここまで本気になることはなかっただろう。
この人と亜津子さんの間に何があったのかは分からない。
けど人間同士の諍いだけだったら、危険に身を晒してまで悪霊に関わることはしなかったと思う。
《きっとこの為に霊感に目覚めたんだ。死んでもなお人間に苦しめられる動物がいるから。》
ギロリと睨んでくる悪霊の目を睨み返し、『二つ約束してほしい』と言った。
『まずハチロー君を解放してあげて。あなたの持ってるあの子の首輪を返してほしいの。』
悪霊は何か言おうとしたけど、それを遮ってこう続けた。
『それと私の肉体も返してもらう。私にはまだまだやらなきゃいけないことがあるから、あんたのワガママの犠牲になるつもりはない。』
とことん挑発気味に言う。
すると悪霊は可笑しそうに笑い出した。
『ダマッテキイテレバ・・・・シッタヨウナコトバカリ・・・・。』
『何がよ?』
『サイショニオレヲウラギッタノハ・・・アツコノホウダ・・・・。オレハアイツヲアイシテイタノニ・・・・ホカニオトコヲツクッタ・・・・。』
『不倫されたってわけね。』
『ダカラオレモシカエシニ・・・・ホカノオンナトアソンダ・・・・。デモソンナニタイシタコトハシテイナイ・・・・ホンノイチドカンケイヲモッタダケダ・・・。
ナノニアツコハ・・・・イカリクルッテ・・・・・リコンヲツキツケテキタ・・・・・。
オレハナンドモアヤマッタノニ・・・・ユルシテハクレナカッタ・・・・。アイツダッテ・・・・オレヲウラギッタクセニ・・・・・。』
『要するにお互い様ってことじゃない。』
『ワカレテ・・・・カネモゼンブモッテイカレタ・・・・。ナノニ・・・・アツコハカネニクロウシテイタ・・・・ジゴウジトクダ・・・・。
ギャンブルニハマッテ・・・・ゼンブツギコンダ・・・・ジブンノセイダ・・・・。
タダソレデモ・・・・オレハマダアツコガスキダ・・・・。アイタイ・・・・ヨリヲモドシタイ・・・・。』
なるほど、悪霊の言葉を信じるなら、これはタチの悪い痴話喧嘩でしかないみたいだ。
お互いにどうしようもない人間で、お互いに裏切りあって、お互いに自分のことしか考えていないワガママな人たちだ。
だったらやっぱり私の知ったことじゃない。
痴話喧嘩ならやりたいだけやればいい。
ただし誰にも迷惑を掛けないように、あの世の隅っこで。
『どっちもどっちじゃない。ほんとにハチロー君が可哀想だわ・・・・。お願いだからあの子は解放してよ。』
『アツコニアイタイ・・・・。』
『ハチロー君を人質にしても、亜津子さんが戻って来ないのは分かったでしょ?こんな物まで奪ってあの子を従えようとするなんて。』
ポケットから真っ白な首輪を取り出す。
悪霊は一瞬だけ瞬きをした。
『これハチロー君の首輪でしょ?ボーイさんのポケットの中にあった。さっきくすねといたの。』
ニヤっと笑いながら『油断したね』と挑発する。
『彼を乗っ取った時にポケットに入れたままだったんでしょ?間抜けな悪霊さん。』
首輪をユラユラ振ってみせると、また瞬きをしてから吹き出した。
『ハハハハ!ソンナモノデダマサレルカ!』
そう言って『ホンモノハコッチダ・・・・』と白い首輪を取り出した。
『コレガハチローノクビワダ・・・・。アツコノテヅクリ・・・・ハチローノタカラモノダ・・・・。』
『そう、それそれ。』
さっと手を伸ばし、本物を奪い取る。
『ア・・・・、』
『わざわざ出してくれてありがとう。あ、ちなみにこっちの首輪もハチロー君の首輪なのよ。ただし別のヘチロー君だけど。』
『キ、キサマ・・・・・、』
悪霊は怒りに震えている。
私はその隙に自分の肉体に飛び込んだ。
一瞬だけバチっと電気が走ったような感覚があって、魂と肉体とが結びついていくのを感じた。
「うう・・・・なにこれ・・・・ぜんぜん力が入らない・・・・。」
まるで長い眠りから覚めたみたいに、全身が鉛のように重く感じた。
吐き気もするし頭も痛いし、気分も最悪だ・・・・。
「とにかく逃げなきゃ・・・。」
フラフラ立ち上がると、背後から何かが迫ってくるのを感じた。
咄嗟にしゃがんで頭を庇う。
その瞬間、手に激痛が走った。
「痛ったッ・・・・、」
手の甲から赤い血が流れる。
振り返るとボーイさんが包丁を振り上げていた。
『オマエエエエエ!』
血走った目で包丁を振り回す。
慌てて逃げ出したけど、フラつく足じゃ早く走れない。
『アツコ!アツコオオオオ!』
後ろから髪を引っ張られる。
見上げると包丁を向けて私を睨んでいた。
『私は亜津子さんじゃない!』
『アツコオオオオオ!』
もう話が通じる状態じゃなかった。
振り払おうと思っても信じられないくらいに力が強くて、髪の毛ごと身体を持ち上げられる。
「やめて!」
『アツコオオオオ!』
包丁が迫り、ギュっと目を閉じる。
身を固くして縮こまっていると、『藤井ちゃんになにすんだ!』とエル君の声が響いた。
『俺のご主人に手を出すな!』
顔に飛びついてバリバリ引っ掻いている。
『ジャマダアアアア!』
エル君を引き離し、遠くへ投げ捨てる。
同時にボーイさんから悪霊が分離して、顔を押さえて苦しんでいた。
『グウ・・・オオオオ・・・・、』
「早くこっちに!」
絹川さんが私の手を引っ張る。
それと入れ違うようにハチロー君が飛びかかっていった。
巨体を翻し、獲物に襲いかかるかのように悪霊を組み伏せる。
『お前なんか怖くない・・・・怖くない!』
声は震えているけど、攻撃の手は緩めない。
悪霊にまたがって何度も猫パンチを放つ。
「今のうちに!」
「待って!ボーイさんがまだ・・・、」
彼だって無関係なのだ。
これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。
絹川さんの手を振りほどき、ボーイさんのもとまで走る。
「おい危ないぞ!」
遅れて絹川さんも追いかけてくる。
投げ飛ばされたエル君も『この野郎おおおお!』と向かってきた。
ハチロー君に加勢して、どうにか悪霊を押さえ込もうとする。
その隙に私と絹川さんでボーイさんを抱えた。
『アツコオオオオオ!』
おぞましい気配が増して、悪霊の叫びが遠吠えのように響き渡る。
エル君もハチロー君も投げ飛ばされて、『アツコオオオオ!』と吠えながら私の首に掴みかかってきた。
「いい加減にしろこの悪霊めがッ・・・・、」
「逃げて!」
助けにくる絹川さんを思いっきり蹴り飛ばす。
ボーイさんを抱えたままアパートの敷地の外まで転げていった。
「痛てて・・・なにすんだ!」
「近くにいたらまた乗っ取られる!早くホテルに逃げて!」
「いやしかし・・・・、」
「いいから早く!!」
自分でも驚くほどの声が出る。
気圧された絹川さんは「わ、分かった・・・」と狼狽えていた。
「すぐに戻ってくるからな!」
バシバシとボーイさんの顔を叩き、「起きろ!」と叫ぶ。
「うう・・・ん・・・なんですか・・・・?休日出勤はごめんですよ・・・・。」
「馬鹿言ってないでバイクに乗れ!」
「ほらもう・・・・そうやっていっつも無理矢理・・・・、」
「グチグチ言ってねえでさっさとしろ!」
「分かりましたよ・・・・出勤すればいいんでしょ・・・・まったくもう・・・・。」
寝ぼけながら後ろに跨る。
バイクはすぐに発進して遠ざかっていった。
『アツコ・・・・アツコ・・・・モドッテキテクレ・・・・・。』
「私は亜津子さんじゃない!」
『アツコオオオオオオ!』
「や、やめて・・・・苦しい・・・・・、」
悪霊から何本も手が伸びてくる。
首も腕もお腹も万力みたいなパワーで絞められて、身動き一つ取れない。
《だ、誰か・・・・助けて!》
呼吸が出来ずに視界がボヤけていく。
その時、悪霊の背後でエル君とハチロー君が何やらゴソゴソしているのが見えた。
『コレか?』
『うん!あーちゃんの気配がするもん。』
『でもこれほんの一部だぜ?こんなんでいいのか?』
『大丈夫だよ!やってみせるから!!』
ハチロー君はゴクンと何かを飲み込む。
そして近くにあった葉っぱを頭に乗せると、ブツブツ唱え始めた。
『アツコ・・・・アツコ・・・・。』
呪文のように呟きながら私を締め上げる悪霊。
けど突然動きを止めて後ろを振り返った。
『久しぶり。』
『ア・・・・アア・・・・・、』
『戻ってきたよ。』
肩までの髪をした大柄な女性が手を広げている。
悪霊は興味もなさそうに私を離し、女性に近づいていった。
『アイタカッタ・・・・ズットマッテイタンダ・・・・。』
何本もの手を広げ、喜びと共に迎えようとしている。
女性は微笑みながら胸へ飛び込む。
しかしその瞬間、悪霊は『フグアアアア!』と悲鳴を上げた。
なんと女性は猛獣のような鋭い爪を伸ばし、悪霊を切り裂いたのだ。
『アツコ・・・・ドウシテ・・・・、』
狼狽える悪霊に向かってまた爪を振り下ろす。
何度も何度も切り裂かれ、ついに倒れる悪霊に、女性はトドメとばかりに噛み付いた。
その顔は人と獣を足したように歪んでいて、まるで猫の幽霊が乗り移ったかのようだった。
『オ・・・オマエ・・・・アツコジャナイナ・・・・。』
必死に女性を引き剥がそうとするけど、そこへエル君が飛びかかって顔を引っ掻いた。
『いい加減成仏しろ!』
『ダ・・・・ダマシタナ・・・・アアアア!』
また悪霊が吠える。
と同時に女性はハチロー君へと姿を変えた。
《あれ・・・もしかして化けてたの?》
この世には化ける動物がいることは知っている。
実際にこの目で見たこともあるのだ。
お稲荷さんと化けタヌキ。
まだ有川君と別れる前のこと、そういった動物たちと関わったことがある。
けどまさかハチロー君まで化けるなんて・・・・、
『・・・・・・。』
『え?誰?』
いま後ろから声が聴こえた。
耳を澄ますとまたボソっとささやく声が・・・・。
『ハチロー・・・・。』
今度はハッキリと聴こえた。
女性の声だ。
その瞬間、ハチロー君が『あーちゃん?』と顔を上げた。
キョロキョロ辺りを見渡し、『やっぱりあーちゃんだ!』と誰もいない空中へ駆けていった。
『アツコ・・・・?』
悪霊も身を起こす。
しかし彼には何も見えていないのか、『ドコダ!』と探していた。
『ごめんね・・・ハチロー・・・・。ほったらかしにして・・・・。』
『あーちゃん!』
何もない空中に頬をすり寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
じっとその様子を眺めていると、とつぜん手の中が熱くなった。
ハチロー君の首輪がぼんやりと光り、あの子の元へ飛んでいく。
『付けてあげる・・・・・。』
首輪は勝手に動く。
そしてハチロー君の首に触れた瞬間、元の子猫に戻っていた。
『これくらい・・・しか・・・・してあげられない・・・・。ごめんなさい・・・。』
ハチロー君は『あーちゃん!』と叫んだけど、浮力をなくして私の腕に落ちてきた。
『これからは・・・・新しい・・・・飼い主さんといっしょに・・・・。さようなら・・・・。』
声は掠れ、気配も消える。
『アツコオオオオオオ!』
悪霊も空に向かって手を伸ばすけど、もう何も語りかけてこなかった。
『藤井ちゃん!それ潰して!』
エル君が叫ぶ。
「何を?」と聞くと『骨!』と言った。
『ハチローと一緒に落ちてきただろ!あーちゃんの骨!』
「骨って・・・・、」
腕を見ると、ハチロー君のすぐ傍に白い欠片が落ちている。
悪霊も気づいたようで、『アツコオオオオオ!』と向かってきた。
《なんだか分からないけど!》
骨らしき物を握り締め、思いっきり力を込める。
麩菓子みたいにグスグスっと砕ける感触があって、手を広げると何もなくなっていた。
「消えてる・・・・・。」
砕けたって破片は残るはずなのに。
『藤井ちゃん!』
エル君が走ってくる。
『やったな!アイツ消えたぞ!』
「え?」
顔を上げると悪霊はいなくなっていた。
「なんで・・・・?」
『そりゃもう会えないからだろ。』
「会えないって・・・・骨を砕いたから?」
『それがあるから執着してたんだと思うよ。ちょっとでも亜津子って人の気配が残ってたからさ。』
「なるほど・・・・。」
『それに思いっきり無視されてたし。あれじゃどう頑張っても仲良くなんてしてもらえないだろ。』
「もしかしたらだけど、あの骨に宿ってた亜津子さんの霊力ってハチロー君の為だったのかな?
自分が死ぬ時、一緒に連れて行くことが出来なかったから・・・・、」
『それは考えすぎでしょ。ここに骨があったのって絹川のおっちゃんが埋めたからだし。』
「だよね。でも・・・・どうして絹川さんはここに骨を埋めたんだろう?
亜津子さんが実家のお墓に入るのを嫌がってたからって、遺骨を盗んで埋めたりするかな。」
これは間違いなく違法だ。バレたら捕まる可能性だってある。
大事な友達だからここまでしてあげたのか?
それとも何か別の理由があったのか?
「・・・・・・・。」
『どうしたの藤井ちゃん?』
「エル君、ホテルに戻ろう。ちょっと絹川さんに尋ねたいことがあるの。」
アパートのあった敷地から出て、一度だけ振り返る。
もう二度と悪霊なんかに関わるのはゴメンだ。
どうか成仏してくれますようにと祈りを捧げた。

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