勇気のボタン 二人の道 第三話

  • 2014.02.05 Wednesday
  • 20:05
人生では予期せぬ出来事がしばしば起こる。
インコに糞を落とされること、夜の公園で辞めた会社の同僚と再会すること。
そして・・・翔子さんの家に行くことだ。
いったいどこで俺の人生の歯車が暴走し出したのか分からないが、少なくともこれは悪いことではない。
あの憧れの翔子さんの家にお呼ばれするなど、本来俺の人生の筋書きには書かれていないはずだった。
ああ・・・神様・・・あなたの気まぐれに感謝します。
こんな味気ない賞味期限の切れたスルメみたいな男に、こんな幸運を授けてくださるなんて。
俺は明日から、一か月は猫まんまで暮らしてもかまいません!
火照った顔でニコニコと運転していると、翔子さんは前方を指さして「あそこです」と言った。
「あの黄色い屋根の家の向こうが、私の家なんです。」
「おお・・・あれが・・・。」
俺は息を飲んで翔子さんの家を見つめた。
・・・違う、あれは家じゃない。
なんというか・・・・・豪邸である。
テレビの特番でやっているセレブ特集で出てきそうな、現代におけるキャッスルだ!
しかしよくよく思い出せば、俺は一度だけ翔子さんの家に来ているのだ。
もちろん中に入ったことはないが、以前に来た時はあんな豪邸ではなかった。
それに場所も変わっているような気がする。
そのことを翔子さんに尋ねると、「建て替えをしたんです」と答えた。
「兄がこっちに帰って来たから、二世帯住宅にしたんですよ。
でもちょっと大きすぎる家になっちゃって、かえって不便なんですけどね。」
むうう・・・これが金持ちと貧乏人の差か・・・。
家が広くて不便などという言葉は、俺は一生口にすることはないだろう。
俺は車を端に寄せ、ゆっくりと翔子さんの家の前で止まる。
そして窓を開けて家を見上げ、「ははあ・・・・」と馬鹿みたいな溜息をついた。
「これはまさしく金持ちの家だ・・・。まるで小型のマンションくらいあるじゃないか・・・。」
モダンと近代がうまく融合されたオシャレな外観に、フットサルが出来そうなくらい広い庭がある。
入口には大きな石柱が立てられていて、まるでギリシャの神殿かと見紛うほどだった。
俺はゴクリと唾を飲んで家を見渡し、大きな車庫に止まっている車を見て声をあげた。
「すごい!ベンツが二台、それにBMWが一台!あれは・・・ハーレーもあるじゃないか!」
俺はいったいどこの世界に迷い込んだのか?
どこかで次元のヒズミにでも入り込み、まったく違う世界へ来てしまったのではないか?
そう思えるほど、俺の持つ世界観とはかけ離れた光景だった。
ああ・・・こりゃ言葉も出ないや・・・やっぱり帰ろうかな・・・。
何も言葉が出てこずに家を見つめていると、翔子さんは車から降りて石柱のインターフォンを鳴らした。
「お母さん、ちょっと門を開けてくれない?」
液晶付きのハイテク万歳なインターフォンに向かって翔子さんが喋る。
すると低い電動音が響いて、大きな門が左右に開かれていった。
「ぬおおお!自動で開いた!」
自動で開く扉など、コンビニやスーパーだけじゃなかったのか?
個人の家でも自動で開く門があるとは・・・・・。
もう今の俺に言葉はない。ただただこの豪邸に圧倒されるばかりで、魂が抜けたように放心していた。
「有川さん、中に車を止めて下さい。そこに来客用のスペースがありますから。」
「ら、来客用・・・・・。」
身を乗り出して庭の中を見ると、芝生で造られたオシャレな駐車場があった。
翔子さんはそっちに向かって歩き、手を向けて「どうぞ」と微笑む。
「ええっと・・・それじゃあ失礼します・・・・。」
ハンドルを握る手が震え、思わずエンストを起こしそうになる。
そして緊張で爆発しそうな鼓動を抑え、丁寧に車をバックさせた。
「オーライ!オーライ!」
翔子さんはガソリンスタンドの店員のように車を誘導する。
ダメですよ翔子さん!あなたみたいな美しい貴族が、俺みたいな賞味期限切れのスルメにそんなことしたら!
俺は冷や汗を掻きながら恐縮し、なんとか車を停めて「はあ・・・」と息をついた。
「それじゃ家の中にご案内します。どうぞ。」
翔子さんはワンピースの裾を翻し、足早に家のドアへ歩いていく。
ちゃ、ちゃんと粗相のないようにしないとな・・・・。
ゴクリと唾を飲み、ドアを開けて待つ翔子さんの元へ向かう。
「ふふふ、そんなに緊張しなくていいですよ、はい。」
こんな俺のためにスリッパを揃えてくれて、しかも脱いだ靴まで靴入れに入れてくれる。
「ああ・・・なんだかすいません・・・。
あまり豪華な家だから緊張しちゃって・・・。」
「そう固くならずにくつろいで下さい。それじゃこっちです。」
翔子さんはパタパタとスリッパを鳴らし、階段を上がっていく。
家の中は高そうなアンティークや絵が並んでいて、それらをキョロキョロ見回しながらあとをついて行った。
「ここが私の部屋です。どうぞ。」
高そうな木造のドアを開け、翔子さんはニコニコと中に手を向ける。
「ふおお・・・・・ここが翔子さんの・・・。いい匂いがする・・・。」
「え?何か言いました?」
「いやいや!何とも素晴らしいお部屋で・・・ご愁傷様です・・・。」
「だからそんなに緊張しなくていいですよ。」
翔子さんは口元に手を当てて可笑しそうに笑い、ベッドで丸まっているカレンを連れてきた。
「ほら、カレン。有川さんだよ、覚えてる?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
カレンはじっと俺を見つめ、綺麗な目をまん丸に見開いている。
俺に対して何も喋りかけてこないのは、きっと気を遣ってくれているのだろう。
翔子さんは二コリと笑ってカレンをおろし、窓を少しだけ開けて風を入れた。
「それじゃお茶を持ってくるからちょっと待っていて下さいね。」
眩しいほどの笑顔を残し、スリッパを鳴らして部屋を出ていく翔子さん。
「あ、お構いなく・・・・・。」
緊張と興奮が入り混じった変な汗を流しながら、じっと翔子さんの部屋を見回した。
「ふええ・・・なんか洗練されたオシャレな空間だなあ・・・。」
部屋は和風かつ清楚に整えられていて、あまり物が置かれていなかった。
いくつか女性が好みそうな小物がタンスの上に並んでいるが、あとはベッドとテーブル、そしてフカフカのクッションがあるだけだった。
「チャラチャラしてないのにオシャレというか・・・これが美的センスってやつなのか・・・。」
わけの分からない言葉を漏らして部屋を見つめていると、何かが足元にぶつかってきた。
「女の子の部屋をジロジロ見てるんじゃないわよ、いやらしい顔してからに。」
「おお!お前はコロンじゃないか!元気だったか?」
床に膝をつき、トイプードルのコロンの頭をよしよしと撫でる。
「あんたこそ最近見なかったじゃない。あのデブ犬は元気なの?」
「元気も元気!元気すぎて困ってるくらいだよ。」
コロンは小生意気でカモンに負けないくらいの毒を吐くことがあるが、それでも俺はこの犬が好きだった。
竹を割ったようなサッパリとした性格は、どこかモンブランに通じるものがある。
「で?なんであんたみたいな気の抜けたビールのような男がここに来てるの?
場違いを通り越して、異星人の襲来のように感じるんだけど。」
う〜ん、相変わらずキレのいい毒を吐く。ここまで言われると、なかなか気持ちのいいものだ。
「実は翔子さんから相談を受けたんだよ。そこのカレンのことでな。」
「カレンが?」
俺は後ろを振り向き、背中を曲げてカレンに顔を近づけた。
「久しぶりだなカレン。元気にしてたか?」
「うん、まあまあね。去年のボス猫争いの時は迷惑かけちゃったわね。」
カレンはこの辺り一帯を仕切るボス猫のゴロ助と付き合っている。
ゴロ助はカレンをかばう為、小次郎というライバル猫と死闘を演じていたのだが、お互いの誤解が解けて和解したのだった。
「最近は猫同士の争いとかはないのか?」
「うん、小さな喧嘩はしょちゅうあるけど、前みたいな大ゲンカはないわね。
ゴロ助と小次郎が上手く仕切ってくれてるから。」
「そうか、そりゃ何よりだ。」
俺はカレンを抱きかかえ、膝に乗せて頭を撫でた。
彼女は俺の猫さばきに身を任せ、うっとりしながらゴロゴロと喉を鳴らしている。
もしこれがモンブランだったら、もうちょっと丁寧にとか文句を言うのだが、カレンは実に素直でおとなしい子だ。
きっと翔子さんの躾がいいんだろうな。
しかしずっとカレンと戯れているわけにもいかず、翔子さんが戻って来る前に大事なことを聞かなければいけない。
「なあカレン。ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「なあに?」
「実は翔子さんの付き合ってる彼氏のことなんだけど・・・・・。」
俺がそう言った途端、コロンは大きな声で爆笑した。
「あはははは!あんたもしかして内の主人のこと狙ってるの?
彼氏のこと聞いてどうするつもりよ?あはははは!」
「うるさいな!そういう意味じゃないよ!
俺が聞きたいのは、カレンが翔子さんの彼氏をどう思ってるかってことだ。」
「なんだ、そうなの。つまんない。」
コロンはケロッとして冷めた目を向けた。
まったく・・・こいつの頭には人をからかうことしかないのか。
俺は気を取り直し、もう一度カレンに尋ねた。
「カレンは翔子さんの彼氏のことをどう思ってる?」
「なんでそんなことを聞くの?」
カレンは不思議そうな目で俺を見つめる。
「実はな・・・翔子さんから相談されたんだよ。
彼氏がカレンのことを嫌ってるって。この前にカレンのことを叩いたって怒ってたしな。」
「もう、大げさね翔子ちゃんは・・・。叩くっていっても、ちょっと手で押しのけられただけなのに。」
カレンはツンと鼻をとがらせ、窓の外を向いた。
「でも俺は翔子さんの気持ちが分かるんだ。もし俺が同じ立場だったら、きっと怒ってると思うからさ。」
「翔子ちゃんはちょっと神経質なところがあるのよ。
いつもはおっとりしてるのに、私やコロンのことになると頭に血が昇っちゃうから・・・。」
「でもそれだけ大事にされてる証拠じゃないか。あんないい飼い主なかなかいないと思うぞ。」
「そうだけど・・・ちょっと過保護っていうか・・・。最近あんまり外にも出してもらえないし。」
カレンは不満そうに言って目を細める。
外へ出たかがる猫と、外へ出したがらない飼い主か・・・。
これは猫を飼う者にとって永遠のテーマかもしれないな。
「まあお前の気持ちはよく分かるけど、今は質問に答えてくれないかな?
カレンは翔子さんの彼氏のことをどう思ってるんだ?」
再度尋ねると、カレンはうんざりしたように首を振った。
「別にどうも思わないわ。悪い男じゃないと思うけど、大した男でもないし・・・。
私が好きなのはゴロ助みたいな男らしい男なの。
いつでも正々堂々としてて、潔くて逞しくて・・・・。ああいうのを男っていうのよ。」
確かにゴロ助は男らしい。いや、男らしいというより怖い・・・。
人間の俺でもビビるくらいの迫力があるのだから。
しかし人間の男と猫のオスを比べるのはいかがなものか。
「翔子ちゃんの彼氏が私を嫌ってるのは知ってるわ。
でも・・・私はあの男のことは何とも思ってない。
付き合おうが別れようが、好きにしたらいいのよ。」
それだけ言い残すと、カレンはトコトコ歩いて窓に向かった。
するとすかさずコロンが後を追い、窓の下でキャンキャンと吠えた。
「ちょっとカレン!外に出たらまた怒られるわよ。」
「いいのよ、最近ほとんど出てないんだから。すぐ帰って来るから邪魔しないで。」
カレンは窓の隙間からピョンと庭の木に飛び移り、地面に飛び降りてどこかへ去って行った。
「あ〜あ、またご主人が心配するわね・・・。」
コロンはため息交じりに言い、フカフカのクッションの上で寝転んだ。
「なんかお前の家も大変だな、色々と・・・。」
「どこの家庭にも事情はあるわよ。犬でも猫でもね。」
こいつは酸いも甘いも知り尽くした銀座のママかよ・・・・・。
犬にしては達観しすぎだろ。
俺は胡坐を掻いて翔子さんが戻って来るのを待つ。
カレンから聞いた話をどう伝えようかと考えていると、ガチャリとドアが開いた。
「すいません、お待たせしちゃって。なかなかお茶っ葉のフタが開かなくて。」
俺は背筋を伸ばして座り直し、恐縮しながら頭を下げた。
「いえいえ、そんな・・・・。どうぞお構いなく・・・。」
コロンは冷めた目を向けて「あんた分かりやすすぎ」と嫌味を飛ばす。
翔子さんはお盆を持って座り、高そうなティーカップに高そうなクッキーを置いて「どうぞ」と笑いかけた。
「ああ、これはどうも・・・。いやあ、これはなかなかいい湯呑みですねえ。」
どう見ても湯呑みではないティーカップを持ち、緊張で引きつった笑いをみせる俺。
翔子さんは可笑しそうにクスクスと笑い、部屋を見渡して首を傾げた。
「あれ、カレンは?」
「ああ!カレンはそこの窓から外へ・・・・、」
そう言った瞬間に翔子さんは立ち上がり、俺を突き飛ばして窓へ向かった。
「カレン・・・。また外に出ちゃったの・・・・。」
心配そうに眉を寄せ、しばらく外を見渡してから肩を落とす。
「あ・・・あの・・・止めた方がよかったですかね・・・?」
恐る恐る尋ねると、翔子さんは目を瞑って首を振った。
「いいんです・・・。最近ほとんど外へ出してなかったから、きっと鬱憤が溜まっていたんだと思います。」
ああ・・・こんな美人がこんな悲しい顔をするなんて・・・。
俺も翔子さんみたいな美人に、一度でいいからこんなふうに心配されてみたい。
そんなしょうもないことを考えながらお茶を飲んでいると、翔子さんは俺の前に腰を下ろした。
「私って・・・動物のことになるとついついムキになっちゃうんです。
最近この辺りにイタチやフェレットがウロウロしてるから、もしカレンに何かあったらと思うと心配で・・・。」
「もしかして、この辺りでも野良猫とフェレットが喧嘩してるんですか?」
「ええ・・・そういう光景を何度か見たことがあります。・・・って、有川さんの所もですか?」
翔子さんは意外そうに尋ねる。
「実は俺の家の猫もフェレットと喧嘩をしたことがあるんですよ。
でも翔子さんの家の近くでもそういうことが起きてるとなると、これはちょっと問題だな・・・。」
「問題って・・・どういうことですか?」
「ああ、実はですね・・・・、」
俺は昨日藤井から聞いた話を説明した。もちろん俺と藤井が動物と話せるということは秘密にして。
翔子さんは興味深く聞いていて、ときどき相槌を打ちながら「そうなんですか・・・」と呟いた。
「やっぱりペットを捨てる人って後を絶たないんですね・・・。捨てるくらいなら飼わなければいいのに。」
「俺もそう思います。でも捨てられたフェレットが増えてるのは間違いないみたいですから、どうにかしないと。」
「・・・可哀想ですね、フェレットも。野生で数が増えたって、それは捨てた人間のせいなのに・・・。」
翔子さんは胸を痛めるように手を当てる。どうやらこの人も、藤井と同じタイプの人間らしい。
普段はおっとりでも、動物のことになると熱が入る。
どうやら俺は、そういう人間と相性がいいらしい。
でもこんな話ばかりをしていても仕方ないので、肝心のカレンのことを話さなければ。
「あのですね、カレンのことなんですが・・・・、」
そう言った途端、翔子さんは身を乗り出して顔を近づけてきた。
「何か分かりましたか!あの子の気持ちが?」
「え・・・ええっと・・・実はですね・・・・・。」
翔子さん・・・お願いですからもう少し顔を離して下さい。
じゃないと、俺は緊張のあまり何も喋ることが出来ないから・・・。
「教えて下さい!有川さんならカレンの気持ちが分かったんじゃないですか?」
「ええっと・・・結論から申しますとですね・・・。」
「結論から言うと・・・・。」
翔子さんはさらに顔を近づけてくる。
俺は堪らなくなって目をそらし、顔を真っ赤にして答えた。
「カレンは、翔子さんの彼氏さんのことを何とも思っていないようです。」
「何とも・・・思っていない・・・。」
「はい。カレンの好む男は、もっと堂々として潔い男なので、今の彼氏さんには興味がないと。」
「そう・・・ですか・・・。カレンは・・・今の彼をどうでもいいと・・・。」
翔子さんは顔を離して俯く。俺は海面から上がったダイバーのように息を吸い、大きく深呼吸した。
カレンの言葉はどこか投げやりに感じたけど、それはあくまで俺の印象なので黙っておいた。
「有川さん、笑わないで聞いて下さいね。」
翔子さんは真剣な目で俺を見つめ、自分の腕を擦りながら口を開いた。
「実は・・・カレンと仲の悪い男性とお付き合いして、上手くいった試しがないんです。
あの子は人の本質を見抜く目を持っているみたいで、情けない男性や自分勝手な男性は嫌うところがあるんです。
でも素直じゃないから、それをあまり表に出さなくて・・・・。
だから今の私の彼に興味が無いっていうことは、嫌いっていうことなんだと思います。
もっと言うと、この人と別れろってことなんだと・・・・。」
綺麗な瞳を揺らし、口元に指を当てて考え込む翔子さん。
その顔は切なく、そして迷いに満ちていた。
俺はもう一度座り直し、上目づかいに翔子さんを見ながら言った。
「それは考えすぎなんじゃないですか?
確かに今の翔子さんの彼氏は、カレンの好みじゃないけど・・・。
でも別れろなんて思うほど嫌ってるかというと・・・やっぱり考えすぎのような・・・。」
すると翔子さんはブルブルと首えを振って「そうじゃないんです」と答えた。
「カレンはきっと・・・私のことを心配してくれているんだと思います。」
「どういうことですか?」
「・・・お恥ずかしい話なんですが、私ってあまり男の人を見る目がないんです。
最初は良い人だと思って付き合っても、時間が経つにつれて横暴になったり、時には手を上げられたり・・・。」
「なッ!手を上げるって・・・殴られたってことですか?」
「・・・はい。」
「そんな・・・・・・。」
いったいどこのクズ野郎がそんなことをしやがるんだ!
もしこの先の人生でそいつと出会うことがあったら、マサカリにケツを齧らせてモンブランに顔を引っ掻かせてやる!
しかし今までに付き合った男性からそんな仕打ちを受けたとすると、今の彼氏に対して慎重になるのも分かる気がする。
誰だって嫌な思いはしたくないのだから。
翔子さんは暗い顔でコロンを見つめ、肩を落としてため息を吐いた。
「そうやって男の人で失敗して、いつも兄に助けられるんです。」
「へえ、いつも助けてくれるなんて、すごく優しいお兄さんなんですね。」
「その代わりいつも怒られますけどね。しっかり男を選べ!って。
普段は優しいんですけど、怒るとすごく怖いんです。
昔から武道を嗜んでいて、空手二段、柔道三段、プロボクサーのライセンスも持ってるし、体も大きいから。」
「へ、へえ・・・・そりゃすごい・・・・・。」
なぜか俺の背中に冷たい汗が落ちる。別に俺が怖がる必要なんてないけど、出来るならそのお兄さんに会いたくないな。
そう思いながら何気なく窓の方を見ると、一羽の鳥がとまっていた。
「ん・・・あれは・・・チュウベエ?」
「・・・・・・・・・・。」
そう、よく見るとそれはチュウベエであった。
オカメインコ特有の赤いほっぺ膨らまし、睨むような目で俺を見つめている。
「ちょ、ちょっと・・・すいません・・・。」
翔子さんに頭を下げて立ち上がり、窓に行ってチュウベエを手に乗せた。
そして翔子さんから見えないように背中を向け、小声でコソコソと話しかける。
「お前・・・こんな所で何してるんだよ?」
顔をしかめて尋ねると、チュウベエは意外なことを言った。
「それはこっちのセリフ。俺はお前を捜して飛び回ってたんだ。
悠一こそここで何してるんだ?」
「い、いや・・・・何って・・・。ちょっと翔子さんの相談を受けてたんだよ。」
「翔子?」
チュウベエは顔を動かして翔子さんを見つめ、「ああ、あれか」と素っ気ない声で言った。
「マサカリの散歩で知り合った人だな。」
「そうだよ。翔子さんの飼ってる猫のことで、ちょっと相談を受けてたんだよ。」
俺は翔子さんの方を振り返り、チュウベエを隠しながら様子を窺った。
するとチュウベエは「はあ・・・」と大きなため息を吐き、呆れた顔で俺を睨んだ。
「悠一。お前、あの人の相談を受けている場合じゃない。もっと大事な相談があるだろ。」
「大事な相談・・・?なんだよ?」
「藤井に決まってるだろ。ずっと俺達のアパートで待ってるぞ。」
「・・・・・・ああああ!しまった!」
俺は頭を抱えて大声で叫んだ。
なんてこった・・・。藤井との約束をすっかり忘れていた。
翔子さんの家に来ることに浮かれてばかりいて、すっかり藤井のことが抜け落ちていた。
慌ててケータイを確認すると、藤井からの着信が二件入っていた。そしてメールも・・・。
「す、すまんチュウベエ!今からすぐに帰るから、藤井にもうちょっと待っといてくれって伝えてくれ。」
「分かった。それじゃ。」
チュウベエは翼を広げて飛び立とうとする。しかし俺はギュッと掴んでそれを阻止した。
「待て!お前・・・分かってると思うけど誤解を招くようなこと言うなよ。」
「ん?誤解って何だ?」
「いや・・・だから・・・。藤井との約束を忘れて翔子さんの家に来てたことだよ。
それくらい分かるだろ?」
そう言うと、チュウベエは首を傾げて「分からない」と答えた。
「悠一は友達の相談を受けていただけ。だから遅れた。何の問題もない。」
「いや、問題があるんだよ。彼女をほったらかして別の女の人の家に行ってたなんてバレたら、余計な誤解を招くだろ?
そうなれば、きっとマサカリやモンブランが面白半分に騒ぎ立てるに決まってるんだから。」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ。だから余計なことは言うな。分かったか?」
俺は念を押すように睨みつける。
こいつはちょっと抜けたところがあるから、こうして釘を刺しておかないと何を言うかわかったもんじゃない。
チュウベエは素直に「分かった」と頷き、パタパタと空へ飛び立っていった。
「はあ・・・なんてこった。藤井との約束を忘れるなんて・・・。」
俺は浮かれすぎた自分に腹を立て、小さく舌打ちをした。
藤井との約束を忘れるなんて・・・最低だな俺は。
いくら翔子さんの家に招かれたからって、情けないにもほどがある。
自分に落胆し、肩を落として振り返ると翔子さんが立っていた。
「あの・・・どうかしたんですか?」
「い、いえいえ!なんでもありません・・・ははは・・・。」
「でも・・・さっき大声で叫んでたじゃないですか。しまった!って。」
「ええっと・・・それはその・・・・。」
「それにさっきそこにインコがいましたよね?あれって有川さんの飼ってるインコですか?
ずいぶん懐いてましたけど・・・・。」
「そ、そうですよ・・・。俺のインコです。
日中は外に出して、ああやって好き勝手に飛び回ってるんですよ、ええ。」
これはまずい。翔子さんは明らかに俺を怪しい目で見ている。
さっきまでの眩しい笑顔はどこへやら。今は初めて見る生き物に出会ったような顔で困惑していた。
さて・・・どうやって切り抜けようか?
そう考えながらチラリと横に目をやると、コロンが呆れた顔で見つめていた。
≪馬鹿・・・。≫
彼女の目は確実にそう言っていた。
翔子さんは相変わらず困った顔で見つめているし、俺はどうしていいか分からずに苦笑いをみせていた。
「あの・・・もしかしたらなんですけど・・・・。」
翔子さんは遠慮がちに尋ねてくる。
「は、はい!何でしょうか・・・・。」
「有川さんて・・・もしかして動物と喋れるんじゃないですか?」
「な、なにを馬鹿なことを!そんなことあるわけが・・・・、」
すると翔子さんは一歩前に出て、また顔を近づけてきた。
「有川さん。」
「は、はい・・・・。」
「もし有川さんが動物と喋れるとしたら、色々なことに説明がつくと思うんです。
カレンの気持ちが分かったこと。さっきインコに向かってコソコソと話しかけていたこと。
それに・・・初めて会った時、私の名前を知っていたことも。」
「そ、それは・・・・・。」
そう、俺は初めて翔子さんと会った時、コロンからその名前を教えてもらったのだ。
そして思わず翔子さんの名前を口にしてしまい、変質者扱いされて逃げられてしまった。
「あの時だって、コロンとコソコソ話してましたよね?
犬好きなら珍しいことじゃないから不思議に思わなかったけど、今にして思えば、あの時に私の名前を・・・・。」
翔子さんは口元に手を当ててじっと考え込む。
もうダメだ・・・。これ以上ここにいたらバレてしまう・・・。
俺は苦笑いを見せながら横に移動し、ドアの前まで歩いて頭を下げた。
「あ、あの!今日は用事があるんでこれで失礼します・・・・それじゃ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
翔子さんは手を伸ばして呼び止めるが、俺はドアを開けて階段を駆け降りた。
そして靴を履いて振り返り、「お邪魔しました!」と頭を下げて玄関を出た。
庭の門は閉まっていたが、勢いに任せて飛び越えようとした。
しかし俺の脚力では飛び越えることは及ばず、顔面を打ちつけて倒れてしまう。
「大丈夫ですか!」
追いかけてきた翔子さんが俺に駆け寄り、肩を掴んで起こしてくれる。
「す、すいません・・・。」
「待っていて下さい、今開けますから。」
そう言って玄関に戻り、何かのスイッチを押して戻ってくる。
表の門は電動音を鳴らして左右に開き、俺は鼻を押さえながらフラフラと出ていく。
「ああ、ちょっと有川さん!車を忘れてますよ。」
「え、車?・・・ああ、そういえば車で来てたんだ・・・。」
なんて恥ずかしい失態をさらしてしまったんだ俺は・・・。
部屋から逃げ出し、門にぶつかって倒れるなんて・・・。
ポケットからキーを取り出してドアを開け、慌てて中に乗り込んでエンジンを掛けた。
「そ、それじゃお邪魔しました・・・。」
窓を開けてもう一度頭を下げると、翔子さんはニコリと笑ってハンカチを差し出した。
「鼻・・・ちょっとだけ血が出てますよ。これ使って下さい。」
「い、いや・・・そんなの悪いですよ・・・。」
「いいから気にせずに、はい。」
そう言って俺の手を取り、高そうな柔らかいハンカチを握らせた。
「す、すいません・・・なんか色々と・・・・。」
「気にしないで下さい。家に呼んだのは私なんですから。
ハンカチを返すのはいつでもいいですから、気をつけて帰って下さいね。」
「・・・ありがとうございます。それじゃ。」
俺はハンカチで鼻を押さえつつ、手を振って車を発進させる。
ルームミラーには微笑みながら手を振り返す翔子さんが映っていた。
「なんか・・・今日は良い日なんだか悪い日なんだか分からないな・・・。」
翔子さんから渡されたハンカチは、とても柔らかくて良い匂いがした。
しかしもう浮かれるのは終わりだ。
今は藤井が待っている俺のアパートへ急がないと。
ハンカチをポケットに入れ、アクセルを踏み込んで車を走らせていった。
心の中で藤井に謝りながら・・・。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM