勇気のボタン 二人の道 第五話

  • 2014.02.06 Thursday
  • 18:17
次の日の朝、俺たちは川沿いの土手に来ていた。
思えばこの場所に数々の思い出があるが、今日は感傷に浸りに来たのではない。
フェレットと野生動物の縄張り争いの仲裁の為にやって来たのだ。
土手の向こうには枯れた草や木が覆い茂っていて、どうみてもこの国の植物ではないものも生えていた。
「こうしてじっくり見てみると、外来種っていっぱいいるんだな。
あの草なんかアマゾンに生えてるような奴じゃないのか?」
「そうだね。人間はなんでも他所から持ちこんじゃうから、こうして色んな植物が生えてるんだよ。」
「だよなあ・・・。よく考えればアメリカザリガニだって外来種だし、ヌートリアなんかもそうだ。
でもこれから何千年とか時間が経つと、それはそれで一つの生態系になったりするのかな?」
「そうかもしれないね。でもその頃には私たちは生きてないけどね。」
藤井は可笑しそうにニコリと笑って言う。
今日は動きやすそうなジーンズに、紺色のジャケットを羽織っていた。
頭にはニット帽をかぶっていて、手には軍手をはめている。
「お前は相変わらず同盟の活動の時は気合入ってるよなあ。
特にその軍手がすごい。二十代の女の子が、休みの日に身につけるもんじゃないよな。」
笑いながらからかうと、「いいの」と拗ねてしまった。
「動きやすい恰好じゃないと困るでしょ?それに草が茂ってるから軍手の方がいいし。」
「おいおい・・・まさかあの草むらの中に入って行く気か?」
「もちろん。何度か下見に来たんだけど、あの草むらの中にいることが多いみたいなの。
だから早く行こ。」
藤井は元気いっぱいに土手を駆け降り、途中でつまずいて転びそうになっていた。
「やる気はあっても運動神経は鈍いな。」
俺は苦笑いしながら土手を下りた。
今日のお供はマサカリとモンブラン、そしてチュウベエだ。
まあこれもいつも通りのスターティング・メンバーである。
マリナは「私は家にいる」と言うし、カモンは下手をするとフェレットに食われる可能性がある。
そして正直なところを言うと、マサカリも家に置いてきたかったのだ。
しかしでしゃばりのこいつは、「俺も連れていけ!」と駄々をこねていつもの通りとなった。
マサカリが役に立った記憶はほとんどないのだが、まあ連れて来たものは仕方ない。
俺はマサカリのリードを引いて藤井の後を追いかけた。
「動物のことになると、藤井は人格が変わるよなあ。」
マサカリがたるんだ肉をブルブルふるわせて言った。
「それが藤井さんのいいところじゃない。
できれば悠一にもあれくらいのバイタリティがほしいわ。」
モンブランが冷たい流し目を寄こして言う。
こいつはまだ昨日のことでご機嫌斜めらしい。
一晩中嫌味を言っていたくせに、いつまで根に持つのか・・・・・。
そしてチュウベエは相変わらず馬鹿丸出しで、俺達をほったらかして地面の虫をつついている。
「おいチュウベエ。下手してフェレットに食われるなよ。」
「大丈夫、俺はそんなに鈍くない。」
充分鈍いよお前は・・・・・。
とまあ動物たちへの一通りのツッコミが終わったところで藤井に追いついた。
草を掻き分け、獲物を探すタカのような目で辺りを睨んでいる。
「藤井、顔が怖すぎだぞ。それじゃフェレットが逃げちゃうって。」
「え?ああ、そうか。じゃあ笑っておくね。」
そう言ってタカのような目のまま、口だけニコニコと笑っている。
う〜ん・・・こっちの方がよっぽど怖い・・・。
「それじゃモンブラン、お前はいつも通り単独行動で探してくれ。
見つけたら知らせるように。」
「ブ、ラジャー!」
「しょうもないギャグはいいよ。さっさと行ってこい。」
モンブランはシャシャっと駆け出し、草むらの中に消えていく。
そしてチュウベエも虫をつつくのに飽きたのか、空を舞ってフェレットを探し始めた。
「マサカリは臭いで探索してくれ。あまり期待はしてないけど。」
「おうおう、俺の鼻を舐めるなよ!人の二倍は鼻が利くんだぜ!」
それは犬としては失格だろう。
しかしどっちみちこいつには期待していないから問題ないが。
俺は藤井の方を見つめ、大きな声で呼びかけた。
「藤井!あまり無茶して怪我するなよ!」
「分かってる〜!」
全然分かってなさそうな声で返事が戻ってくる。
しかしまあ、これもいつものことだ。俺が冷静でいれば済むことであり、適当に歩き回って辺りを探していく。
「フェレットかあ・・・。なんかイタチのちっちゃい感じの奴だよな?」
「昨日図鑑で見たじゃねえか。もし見つけたら、俺様が一口で『パクリ!』だぜ。」
「パクリ!だぜ、じゃないよ。食ったら話が聞けないだろうが。」
俺は呆れた声を出しながら、草を分けて地面を覗き込んでいく。
所々に鹿の糞が落ちていて、それを踏まないように気をつけながら歩いた。
そして二十分ほど探しまわった頃だろうか、空を舞うチュウベエから「いたぞ!」と声が響いた。
「どこどこ!どこにいるの?」
藤井は草の種を服にいっぱいつけながら顔を上げた。
「そこそこ!藤井のすぐ後ろだ!」
「私の後ろ・・・?」
そう言われて振り向くと、枯れた草むらの向こうから「フゴー、フゴー」と低い声が聞こえた。
「な、何・・・・?何がいるの?」
それは明らかにフェレットの声ではなかった。
もっと大きくて、そしてもっと怖い生き物の声・・・。
それに気づいた時、俺は藤井の元に駆け出していた。
「逃げろ藤井!そいつは猪だ!」
「い、猪・・・・?」
藤井が呟いた瞬間、草むらの陰から大きな黒い塊が飛び出してきた。
そして藤井に向かって一直線に突進していく。
「きゃああああ!」
「藤井ー!」
何かがぶつかる音がして、藤井は草むらの中に倒れて見えなくなってしまった。
「くそ!こっちだ猪!こっちへ来い!」
俺は大きく手を振りながら藤井の元へ走っていく。
猪は俺の方を振り向き、怖い目で睨みながら突進してきた。
「やばッ!」
ドスドスと重い足音を響かせて猛スピードで突進してくる。
するとパニックを起こしたマサカリが「ギャンギャン」と吠えまくり、肉厚の顔を震わせてヨダレをまき散らした。
猪はその姿に怯え、一瞬だけ足を止める。
「フゴー、フゴー・・・。」
向かい合うマサカリと猪。
一方は油粘土を丸めて作ったような不細工なブルドッグ。
もう一方は筋骨隆々とした野生の猪。
戦えば勝負など見えているが、マサカリの狂ったようなパニックの声に、猪はかなり怯えているようだった。
しかしそこは腐っても野生の猪、すぐに気を取り直し、こちらに走って来た。
「ぎええええええ!」
マサカリはリードを引きずって逃げ出し、俺は成す術なく猪に突き飛ばされた。
「ぐふうッ・・・。」
猪の頭にぶつかった俺は、軽い交通事故のように宙を舞う。
あまりの衝撃に動けないでいると、猪はそのままどこかへ走り去ってしまった。
「なんてパワーだよ・・・。一瞬頭が真っ白になったぞ・・・。」
痛みは感じないが、突進された衝撃でしばらく動けなかった。
それを空から見ていたチュウベエが、「大丈夫か!」と飛び降りて来る。
「しっかりしろ悠一!死んだからダメだ!」
「死ぬわけないだろ・・・。でも・・・ちょっと死ぬかと思ったけど・・・。」
身体を触って確認してみると、幸い大きな怪我はしていないようだった。
マサカリが馬鹿みたいに吠えてくれたおかげで、きっと猪の勢いが削がれたんだろう。
「マサカリもたまには役に立つな・・・。真っ先に逃げ出しやがったけど・・・。」
なんとか立ち上がって遠くを見渡すと、マサカリがブルブル震えながらこちらの様子を窺っていた。
そこへモンブランが駆け寄って来て、引きつった顔で「悠一!死んじゃダメ!」と飛びついてきた。
「だから死なないよ。それよりお前らは無事だったか?」
「うん、私は平気。」
「俺も空にいたから問題ない。」
「ならよかった。」
ホッと胸を撫でおろすと、俺は一番大事なことを思い出して駆け出した。
「藤井!大丈夫か!」
猪に突き飛ばされたせいで頭が真っ白になっていたが、藤井のことを思い出して弾かれたように走り出した。
そして草むらの中に倒れている藤井を抱き起し、「しっかりしろ!」と肩を揺らした。
「おい藤井!目を開けろ!死んだらダメだ!」
すると藤井は「・・・う〜ん・・・」と呟きながら目を開け、俺の顔を見つめて笑った。
「死んだりしないよ、私は平気。」
藤井はニコリと笑って身体を起こした。
「ほんとうに大丈夫か?どこも怪我してないか?」
俺は藤井の肩を掴んで顔を近づける。
「うん、平気、平気。猪にぶつかる前に、そこの石につまずいて転んじゃったから。」
そう言って藤井が指さした先には、地面から大きな石が突き出ていた。
「ああ・・・よかったあ・・・。俺はてっきり猪にはねられたのかと思ったよ・・・。」
「私ももうダメだって思ったけど、運動神経が悪いおかげで助かったみたい。
つまずいて転ぶのも、たまには悪くないよね。」
藤井は冗談っぽく言って笑い、俺も「自慢することか」と笑いながら返した。
そして藤井を藤井の肩に手を回して「立てるか?」と尋ねた。
「うん、大丈夫。ちょっとお尻を打って痛いけどね。」
するとそこへモンブランとチュウベエがやって来て、心配そうに藤井を見つめた。
「大丈夫藤井さん?」
「うん、平気。ありがとね。」
「俺・・・・猪って言うの忘れた。すまん・・・。」
「いいよ、そういうこともるって。」
いや、こういうことがあっちゃまずいだろ。
ちゃんと猪だって教えろと怒ろうとしたが、チュウベエはかなり反省したように落ち込んでいた。
「まあ・・・なんだ。次からは何の動物か教えてくれよ。」
優しい口調で注意すると、「ブ、ラジャー」と翼で敬礼をするチュウベエだった。
俺は呆れた顔でため息をつき、遠くの土手を見つめた。
「マサカリ、いつまでもビビってないでこっちへ来い。」
肉厚の顔をまだブルブルと震わせ、マサカリは恐る恐るこちらに歩いて来た。
「まったく・・・どんだけヘタレなんだよあのブルドッグは・・・。」
しかしマサカリのおかげで助かったのも事実で、苦笑いしながら頭を掻いていると藤井が声を上げた。
「ちょ、ちょっと悠ちゃん!そこ・・・。」
藤井が指さした先を見てみると、草むらの陰から二匹の小動物がこちらを見つめていた。
「おお!これはフェレットじゃないか。」
驚きながら近付くと、フェレットはビクッと身をすくめて逃げようとした。
「ちょっと待ってくれ!お前たちに話があるんだ。」
そう呼びかけると、フェレットは足を止めてこちらを振り返った。
「俺たちは怪しいもんじゃないから怖がらないでくれ。」
笑いながら腰を落とし、フェレットに顔を近づけて喋りかけた。
「俺は有川悠一。動物と喋れる変わった人間さ。」
「俺達と・・・喋れる?」
二匹のフェレットは顔を見合わせて首を傾げる。
「ははは、変な人間だろ。ちなみにそっちの女の子も俺と同じさ。」
そう言って藤井の方に手を向けると、フェレットはまた驚いた顔をみせた。
「こんにちわ、私は藤井真奈子っていうの。よろしくね。」
藤井は微笑みながら手を差し出す。
フェレットは困惑した様子で俺達を見つめ、藤井の手に鼻を近づけて臭いを嗅いでいた。
「ほんとに・・・俺達と話せるのか?」
「うん、今日はあなた達をお話をする為にここへ来たんだ。
そしたら猪に襲われちゃってこんなことになっちゃったけど。」
藤井はおどけたように肩をすくめる。
二匹のフェレットは背中を向けてコソコソと話し合い、チラチラをこちらを見ている。
そして鼻の頭に傷がある右側のフェレットが、「何の用だ?」と警戒する声を出した。
「実はね、最近この辺りでフェレットと野生動物が縄張り争いをしているでしょ?
そのことについて話をしに来たの。」
するとフェレット達は急に怖い顔で怒りだした。
「ここは俺達の縄張りだぞ!人間が俺達を捨てやがったからこんなことになってんだ!」
「そうだそうだ!お前たち人間と話し合うことなんかない!」
小さな拳を振り上げてプリプリ怒り、こちらの話を聞こうとしないフェレット達。
藤井は困った顔で手を振った。
「ま、まって!別にあなた達を責めにきたとかそんなわけじゃないから・・・・、」
「うるさいこのホモサピエンスどもめ!霊長類だからって威張るな!」
「そうだそうだ!進化の歴史からいえば、俺達イタチ科の方がより哺乳類の祖先に近いんだぞ!」
フェレット達は意味不明な論理で騒ぎ立てる。
藤井はさらに困惑して首を振った。
「だ、だから・・・別にあなた達を責めるつもりは・・・・・、」
「うっせ!ここから去れ!いね!立ち去れ!ぺっぺ!」
子供みたいに駄々をこねて唾を飛ばし、腕を組んでふんぞり返るフェレット達。
とりつく島もないその態度に、藤井は泣きそうな目で俺を見上げる。
「どうしよう・・・話も聞いてくれいない・・・。」
「まあまあ、こういう時は世間話から入るのがセオリーさ。」
俺はフェレットに微笑みかけ、軽い口調で喋りかけた。
「やあ君たち。今日は天気が良くて気持ちいいな。」
するとフェレット達は顔を見合わせ、曇った空を見上げた。
「どこが良い天気なんだ?」
「今にも雨が降りそうだぞ。」
「え、ええっと・・・・ははは・・・こりゃ失敬・・・。
で、どうだい?この辺りのミミズは美味いだろう?
もう今日は飯は食ったのか?」
フェレット達はまた顔を見合わせ、冬の荒涼とした河原を見つめた。
「こんな季節にミミズが獲れると思うか?」
「そもそも食い物に困ってなきゃ、この辺の動物と争ったりしないだろ?」
「・・・それはその通りだ。なんか会話が噛み合わないな。」
俺は苦笑いしながら顔を逸らす。むうう・・・世間話作戦は大失敗だったか。
「会話が噛み合わないのはお前のせいだろ!俺達をイタチもどきだと思って馬鹿にしやがって!」
「そうだぞこのアホ人間!お前も霊長類なら、もっと考えて喋れ!」
「あ、あはは・・・・すいません・・・。」
霊長類ヒト科の俺、イタチ科の動物に見事に撃沈される・・・。
それを見ていたモンブランが「だらしない・・・」とため息をつき、フェレットの前にしゃしゃり出た。
「あんた達、こっちの話くらい聞きなさいよ。」
「うっせ!ネコ科はあっち行け!帰れ!立ち去れ!ぺっぺ!」
「お前らは人間に媚び過ぎなんだよ!恥ずかしくないのか!」
フェレットはさらに攻勢を強めるが、それをモンブラン相手にやったのはまずかった。
モンブランは毛を逆立て、尻尾を太くして襲いかかった。
「黙れこのイタチもどき!ネコ科を馬鹿にするんじゃないわよ!」
「うわあああああああ!」
「食われるううううう!」
モンブランは猫パンチの一撃でフェレット達を殴り倒し、マウントポジションをとってパンチの嵐をお見舞いしている。
「なんなんだよこのコントは・・・。話し合いどころじゃないぞ。」
なんだか馬鹿らしくなって立ち上がると、遠くの方で犬の悲鳴が聞こえた。
「なんだ・・・今の声は?小型犬の鳴き声っぽかったけど・・・。
藤井、お前も今の悲鳴聞こえただろ?」
そう尋ねて藤井を見下ろすと、必死にモンブランを引き離そうとしていた。
「ダメよ暴力は!ちゃんと話し合わないと!」
「何言ってるのよ!こいつらが先に喧嘩を売ってきたのよ!」
「それでも暴力はダメ!とにかく落ち着いて。」
藤井は興奮するモンブランをなんとか宥め、フェレット達に向き直って謝った。
「ごめんね、驚かしちゃって・・・。」
「へん!まったくだ!これだからネコ科は野蛮なんだ!」
「そうだそうだ!ネコ科で偉そうにしていいのは、ライオンとかトラとかの猛獣だけだ!」
「なんですってええええ!」
「いいから落ち着いて!あなた達も冷静になって!」
藤井はネコ科とイタチ科の下らない喧嘩に巻き込まれ、右往左往としている。
いったい何をやってんだかまったく・・・・・。
また馬鹿らしくなってため息をついた時、藤井の右手から血が流れているのに気づいた。
「おい藤井!お前手を怪我してるじゃないか。」
「え?ああ、ほんとだ。でもぜんぜん痛くないから大丈夫だよ。」
「ダメだって。けっこう血が出てるじゃないか。」
俺は藤井の手を取り、軍手を脱がせてじっと傷口を見つめた。
「きっと転んだ時に何か刺さったんだな。
ちょっとひとっ走りして薬と包帯を買ってくるから。」
「いいよ、そんなに大げさにしなくても。」
「何言ってんだ。バイ菌でも入ったら化膿するぞ。
ちょっと待っててくれ。」
「あ、悠ちゃん!」
俺は土手に向かって走り出す。
するとまたフェレット達が騒ぎ出して、藤井を困らせていた。
「お願い、早く帰って来てね。」
手を振って返事をし、土手に上がって近くの薬局に走って行く。
同盟の活動の時には、毎回といっていいほどこういうトラブルが起こる。
だから俺も落ち着いて行動出来るってもんだ。
「何回もこういう経験をしてると慣れてくるよなあ。
動物の話を聞くのも楽じゃないけど、それより予想もしないトラブルの方がもっと大変だ。」
その大変なトラブルに慣れることが、いいことなのかどうかは分からない。
しかし今はそんなことより、藤井の怪我をどうにかするのが先だ。
そう思いながら土手を走っていると、「誰かー!」と助けを求める声が聞こえた。
「あれ・・・この声は・・・まさか!」
立ち止まって声の聞こえた方を眺めると、遠くの方で一人の女性が犬を抱えて泣いていた。
「やっぱり翔子さんだ・・・いったい何があったんだ?」
俺は再び土手を走りだして、河原沿いの広場に向かう。
すると俺の姿に気づいた翔子さんが、助けを求めるように「有川さん!」と叫んだ。
「どうしたんですか翔子さん!何かあったんですか?」
「コロンが・・・コロンが・・・。」
翔子さんはグスグスと泣きながら、腕に抱えたコロンを見つめる。
するとコロンの身体は、赤い血でべっとりと濡れていた。
「な、なんだこれ・・・。何か怪我でもしたんですか!」
そう尋ねると、翔子さんは鼻をすすりながら答えた。
「さっき・・・そこの草むらから猪が飛び出してきて・・・コロンにぶつかっていったんです。」
「猪が・・・・。」
「コロンは人形みたいに飛ばされて・・・猪はそのまま向こうへ走って行って・・・・。
私は・・・一瞬何が起きたのか分からなくて・・・・。
それで我に返ってコロンに駆け寄ったら・・・コロンが・・・・。」
翔子さんは子供のようにしゃっくりをしながら泣きじゃくり、俺の腕を掴んでくる。
「助けて下さい!このままじゃコロンが死んじゃう・・・・コロンが・・・。」
「落ち着いて下さい。ちょっとコロンをみせてもらえますか?」
俺はコロンを受け取り、血が滲む傷口を見つめた。
そこには大きな擦り傷と、何かで切られたような痕があった。
「猪の牙にやられたのか・・・。」
俺の記憶ではあの猪は牙を持っていなかったように思ったが、咄嗟のことだから見落としたのかもしれない。
どっちにしろ切れているものは切れているのだから、すぐに病院へ連れていかなければいけない。
「翔子さん、今から病院に行きましょう!」
「びょ、病院・・・・、ああ、そうか!病院へ行かないと・・・。」
翔子さん・・・相当パニックになっていたんだな。
病院に連れていくことも思いつかないなんて・・・・。
「土手向こうの公園の近くに動物病院がありますから、すぐに行きましょう!」
俺はコロンを抱えて走り出した。
翔子さんも弾かれたように立ち上がり、俺の後ろを追って来る。
「助かりますよね?コロンは助かりますよね?」
「・・・すいません、俺は医者じゃないから安易なことは言えない・・・。
今はとにく治療を受けないと。」
「うう・・・コロン・・・。」
コロンは俺の腕の中でぐったりとしていて、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。
そしてわずかに目を開き、俺のことを見つめた。
「・・痛いわ・・・あのバカ猪め・・・・。」
こんな時でも毒を吐くとはコロンらしい。
しかしそれだけ力が残っているということだ。
「大丈夫だコロン。きっと助かるからな。」
「・・・あんたに言われても・・・説得力がないわ・・・・。」
「そりゃそうだ。」
コロンは少しだけ笑い、俺もニコリと微笑みを返す。
土手を上り、転ばないように気をつけて下りていく。
そして一気に公園を駆け抜け、道路を渡ってすぐの動物病院に駆け込んだ。
「すいません!犬が猪にはねられたんです!すごく血も出てるしすぐに診て下さい!」
受付に駆け寄ってコロンの傷を見せると、すぐに対応してくれた。
「ここは俺の動物たちが掛かっている病院なんです。
とても腕の良い先生たちがいますから、きっとコロンを助けてくれますよ。」
俺は翔子さんを励ますように言い切った。
ありゃ?これじゃさっきの言葉と矛盾するな。
俺は医者じゃないから安易なことは言えないなんて言ってたのに。
しかし翔子さんは俺の言葉に励まされたようで、「はい・・・」と涙を拭きながら頷いた。
待合室のドアが開いてすぐに先生が現れ、コロンをそっと渡した。
あとは医者に任せるしかない。
俺と翔子さんは待合室の椅子に座り、じっとコロンの無事を祈った。
その時ふと本来の目的を思い出し、「あ!」と声を上げた。
「どうしたんですか・・・?」
「ああ、ちょっと電話を・・・。」
俺は病院の外に出てケータイを取り出し、藤井に電話を掛けようとした。
しかしケータイの液晶はバキバキにヒビ割れていて、バッテリーの蓋も真っ二つに割れていた。
「なんだこれ?なんでこんなことに・・・・、」
そう呟きかけて、さっき猪に突進されたことを思い出した。
「ああ、そうか・・・。きっとあの時の衝撃で壊れたんだ。」
どうしよう・・・何かあって遅れる時は電話を掛けるって昨日言ったばかりなのに。
だからといって翔子さんをこのままほったらかして行くのも悪い気がするし・・・。
「どうしよう・・・・。」
少しの間じっと考え込んだが、藤井はここから近くにいるんだから直接言いに行けばいいかと思った。
病院に戻って待合室に向かうと、翔子さんは祈るように手を組んで目を瞑っていた。
そして俺の気配に気づいて顔を上げる。
「有川さん・・・・。」
その目はとても暗く、真っ青な顔をして涙を滲ませていた。
「こんな・・・こんなことになるなんて・・・。
ただお散歩をしていただけなのに、こんなことになるなんて・・・。」
その言葉はまるで自分を責めているようだった。
悔しそうに唇を噛み、隣に座った俺の腕をギュッと握ってくる。
「私がもっと注意していれば、コロンはこんなことにならなかった。」
そう呟いて、閉じた目からポロリと涙をこぼす。
俺は翔子さんの肩をポンと叩き、首を振って言った。
「翔子さんのせいじゃありませんよ。誰だってあんな場所で猪に襲われるなんて思いません。」
「でも・・・私は知っていたんです。川の向こうの山から、ときどき猪が下りてくることがあるって・・・。」
「・・・まあ、正直いうと俺も知ってましたよ。
あの草むらには、山から下りてくる動物がうろついてることを。
鹿やタヌキなんかもしょっちゅう見ますからね。
でも・・・まさか猪に襲われるなんて誰も考えませんよ。
俺だってあんな場所で猪に突進されるなんて思ってませんでしたから。
ほら、猪のせいでケータイがこんなことに。」
そう言って壊れたケータイを見せると、翔子さんは目を見開いて驚いていた。
「え?まさか有川さんも・・・・・?」
「ええ、実はさっきあの草むらで・・・・・、」
俺は手短に事情を説明した。もちろん動物と話が出来るということは伏せて。
翔子さんは口元に手を当て、「そうだったんですか・・・」と暗い声を出した。
「よく無事でしたね、有川さん。その藤井さんという女性の方も大丈夫なんですか?」
「はい、猪にぶつかる寸前に石につまずいて転んだから無事です。
でもそのせいでちょっと手を切っちゃって・・・。
だから薬局に薬と包帯を買いに行こうとしたんですけど、その時に翔子さんの悲鳴が聞こえて助けに来たんです。」
「そうだったんですか・・・。ありがとう、有川さん。きっと私一人じゃパニックになって何も出来なかった・・・。」
翔子さんはそう言って頭を下げ、俺の腕を強く握りしめた。
「いえいえ、いいんですよ。犬の散歩友達の翔子さんをほうっておくなんて出来ないから。
それに俺もコロンのことは好きなんです。だからなんとしても助かってもらわないと。」
俺は翔子さんの手を優しく叩き、勇気づけるように笑いかけた。
「有川さん・・・・・。」
「大丈夫、きっとコロンは助かりますよ。
ええっと、それでですね・・・。さっき説明した藤井のことなんですが、向こうの河原で待たせたままになってるんですよ。
手に怪我をしてるし、薬と包帯も買って行かなきゃいけないし。だから・・・ちょっとここを離れさせてもらいたいんですが・・・。」
「ああ・・・そうでしたね・・・。すみません、付き添って頂いて・・・。
もう私なら大丈夫ですから、すぐに藤井さんのところへ行ってあげて下さい。」
「はい。でもまた後で戻って来ます。俺もコロンのことが心配だし、翔子さんも一人じゃ心細いだろうから。」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん。あ、でも藤井やマサカリも一緒に来るかもしれないですけどいいですか?」
「ぜんぜん構いません。マサカリが来るなら私も嬉しいですから。」
「分かりました。じゃあ後でみんなでここへ戻ってきます、それじゃ。」
俺は翔子さんに軽く頭を下げ、急いで病院を出た。
そして振り返って受付の後ろに掛かっている時計を見ると、藤井達の元を離れてからかなり時間が経っていた。
「まずいな・・・・すぐに行かないと。
でも藤井の怪我をほうっておくわけにもいかないから、先に薬局へ行くか。」
動物病院から走って五分のドラッグストアに向かい、そこで消毒液と包帯を買った。
そして急いで藤井達が待っている草むらに戻ると、そこには誰もいなかった。
「お〜い、藤井〜!モンブラ〜ン!」
大声で呼びかけても返事がない。
「マサカリ〜!チュウベエ〜!どこだ〜!」
しばらく辺りを探し回ったが、姿もなければ返事もなかった。
「みんなどこかへ行っちまったのか?」
俺は口元をしかめて立ち尽くし、ケータイを取り出した。
「ああ、そうだった・・・。ケータイは壊れてるんだった・・・。」
額に嫌な汗が流れ、もう一度大声で呼びかける。
しかしやはり返事はなく、近くに誰の気配も感じなかった。
「こりゃあまたモンブランに怒られるな・・・・。
でもコロンを助ける為だったんだし、後で説明すれば分かってくれるか。」
俺は藤井達を捜すのを諦め、翔子さんの待つ病院に戻ることにした。
事情が事情だから仕方ない。
そうさ、ちょっと遅れたくらいで毎回毎回謝ってられるかってんだ。
別にわざとほったらかしたわけじゃないんだし、コロンを助ける為だったんだし。
もしぎゃあぎゃあ文句を言ってきたら、今度は俺だって本気で言い返してやる。
いくら動物たちだからって、いくら藤井だからって、俺がペコペコする理由なんてないんだ。
そうさ・・・俺は何も悪くない。翔子さんとコロンを助ける為だったんだから。
しかしその心の緩みが、後に藤井と別れるきっかけになるとは思いもよらなかった。
雲の間から射す光に目を細め、冷たい風に吹かれて翔子さんの待つ病院に向かっていった。

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