勇気のボタン 二人の道 第六話

  • 2014.02.06 Thursday
  • 18:19

「傷はそんなに深くなかったので、命に別条はありません。
しかし出血がひどかったので、力が戻るまで多少時間がかかるでしょう。
まあ三日ほど入院して問題がなければ、家へ帰ることが出来ますよ。」
獣医さんは安心させるように翔子さんに微笑みかける。
「ああ・・・よかった・・・。ありがとうございます。」
目に涙を浮かべながら頭を下げ、小さなベッドに寝かされているコロンの頭を撫でた。
「コロン、よかったね。命に別条はないって・・・・。」
「・・・・・・・。」
包帯に巻かれたコロンは、薄く目を開けて口を動かした。
「どうしたの?何か伝えたいの?」
翔子さんは耳を近づけてコロンの声を聞き取ろうとする。
「・・・クウーン・・・・。」
「うん、痛かったね。でももう大丈夫だからね。」
ポツリと涙を流してコロンに頭をくっつける翔子さん。
俺はその後ろで腕を組んで笑っていた。
「くそ・・・あの猪め・・・。いつかボタン鍋にしてやるわ。」
コロンは腹立たしそうに愚痴をこぼす。
手術を終えたばかりでこれだけの元気があれば大丈夫だろう。
それからコロンは奥の部屋に連れて行かれ、翔子さんは入院の説明と治療費を払う為に受付に向かった。
「助かってよかった・・・。
あれだけ毒を吐く元気があれば、きっとすぐに回復するだろうな。」
俺は入り口のドアの近くで翔子さんを見つめ、外を振り返って藤井のことを考えた。
「あいつらどこ行っちまったんだろうな。
フェレットもいなくなってたから、一緒に巣穴にでも行ったのかな?」
多少心配ではあるが、まさかまた猪に襲われることもないだろう。
ここは下手に捜し回るより、アパートであいつらが帰って来るのを待つことにするか。
そう考えながら外を眺めていると、翔子さんにポンと背中を叩かれた。
「ああ、翔子さん。もう入院の説明やらは終わったんですか?」
「はい。とりあえず三日はこちらで入院させて頂いて、調子がよければすぐに退院できるそうです。」
「そりゃよかった。コロンはすぐに元気になりますよ。
なんたってあいつは・・・・、」
あいつは毒を吐くくらい元気でしたからね。
そう言いかけて慌てて口を噤んだ。
まずい、まずい・・・。下手なことを言ったらまた疑われてしまう。
苦笑をみせて誤魔化すと、翔子さんは真剣な目でじっと見つめてきた。
「あ、あの・・・・翔子さん・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
これは明らかに俺のことを疑っている。
昨日翔子さんは言った。『有川さんて、動物と喋れるんじゃないですか?』と。
その疑惑は今日になっても残っているようで、翔子さんの視線は俺を射抜くように突き刺さっている。
しかしふと表情を緩め、小さく笑って言った。
「今日は麻酔が効いているから、しばらく眠ったままだそうです。
それに今は絶対安静だから、下手に刺激を与えない方がいいみたいで。
だから今日はここにいてもすることがありません。」
「そ、そうですか・・・。なら今日は家に帰ってゆっくり休んだ方がいいかもしれませんね。
コロンがあんなことになって、翔子さんもショックだろうし。」
俺は冷や汗を掻きながら、ゴクリと唾を飲んだ。
なるべく早く別れないと、きっと良くない事が起こる。
自分の中の警報ランプが、赤く点滅しながらそう告げていた。
「じゃ、じゃあこれで・・・・。」
俺は引きつった笑顔で手を上げ、自動ドアをくぐって外に出た。
そしてアパートに向かって駆け出そうとした時、後ろからギュッと腕を掴まれた。
「待って下さい!」
嫌な汗が背中じゅうに噴き出す。
腕を払って逃げ出そうかと思ったが、さすがに翔子さん相手にそれは気が引ける。
「有川さん。」
翔子さんは、顔に似合わない低い声で呼びかける。
俺は恐る恐る振り向き、「なんでしょう・・・?」と無理やり笑顔を作った。
「これからちょっとお時間を頂けませんか?お話したいことがあるんです。」
「お・・・お話・・・ですか?」
「はい。昨日のカレンのことと・・・そして有川さんのことで。」
「お、俺のこと?」
翔子さんは何も言わずにコクリと頷く。
ああ・・・これはいよいよまずいかも・・・・。
きっと今の俺は馬鹿みたいに引きつった顔をしていることだろう。
しかし、そこでふと疑問に思った。
どうして俺は、動物と会話出来ることがバレるのを恐れているのだろう。
いや、理由はある。あるにはあるが・・・それは赤の他人だった場合の話だ。
俺のことをよく知らない人間にいきなり「俺、動物と会話出来るんですよ」などと言ったら、確実に変質者扱いされるからだ。
多少知っている人間であっても、きっと引くに違いない。
しかし翔子さんならどうか?
ここまで疑惑を持ち、尚且つ犬の散歩友達としてそれなりに親しくなっている。
ならば・・・別にバレてもいいんじゃなかろうか?
きっと翔子さんなら、俺のことを変な目で見たりしないんじゃないだろうか?
頭の中で様々な葛藤が浮かび、一人悶え苦しんでいた。
すると翔子さんは俺の腕から手を離し、明後日の方を見つめて口を開いた。
「私ね・・・ずっと夢があったんです。」
「夢・・・ですか?」
「子供の頃から動物が好きで、いつか動物と喋れるようになったらいいなって思っていたんです。
でも大人になるにつれて、そんなことはどう頑張っても不可能だって分かって・・・。
だからせめて・・・心と心で動物と繋がることが出来るような人間になりたいと思ったんです。」
翔子さんは無表情のまま淡々と語る。
しかしその瞳には微かに悲しみが含まれていた。
「でも・・・私って不器用だから、それさえ上手く出来なくて・・・。
私は真剣に動物のことを考えているつもりなんですけど、いっつも空回りしちゃんですよ。
だからきっと・・・カレンやコロンは私のことを鬱陶しいと感じているはずです。」
「翔子さん・・・。」
冷たい木枯らしが吹きぬけ、犬を連れたおばさんが身を震わせて病院に入っていく。
俺はそれを目で追いながら、翔子さんを振り返って言った。
「それは違いますよ翔子さん。カレンもコロンも、翔子さんのことを鬱陶しいなんて思っていません。」
また木枯らしが吹き、落ち葉がカサカサと道を転がっていく。
翔子さんは髪を揺らして俺の方を見つめた。
「きっと・・・カレンもコロンも、翔子さんに飼われていることを幸せに感じていると思いますよ。
そりゃあたまには喧嘩をすることもあるでしょうけど、それは俺だって同じです。
マサカリと取っ組み合うなんてしょっちゅうですからね。
お互いの気持ちが空回りして、誤解を生むことだってある・・・。
でも、それは本当に相手のことを考えているからでしょう?
どうでもいい奴なら、喧嘩すらしませんしね。
だから・・・きっと翔子さんの気持ちは動物たちに伝わっていると思います。
たとえそれが空回りであっても、最後にはちゃんと伝わるもんですよ。」
少しカッコをつけた言い方になってしまったが、今の言葉は俺の本心だった。
人間でも動物でも、本気で付き合えば喧嘩をするのは当たり前だ。
俺はあいつらと一緒にいる間に、そういう大事なことを教えてもらった。
動物たちに・・・そして藤井に・・・。
俺の気持ちが伝わったのかどうかは分からないが、翔子さんは泣きそうな顔で俯いて鼻をすすった。
「・・・ありがとう・・・そう言ってもらえると嬉しい・・・。」
木枯らしに髪を揺らしながら、翔子さんは顔を逸らして涙を拭う。
そして大きく息を吸い込み、気持ちを落ち着かせるように胸に手を当てた。
「有川さん。きっと・・・私の考えは正しいと思います。」
一瞬何のことか分からず、「はい?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
「私は・・・ずっと迷っていたんです。
自分の考えが正しいのか、間違っているのか・・・。
現実的に考えればそんなことはあり得ないし、でも心の中の疑念は消えないし・・・。
ずっとずっと迷っていたんですけど、さっきの有川さんの言葉を聞いて確信しました。
あなたは・・・きっと動物と会話が出来るはずです。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
昔の哲学者は言った。『語りえぬことについては、沈黙せざるをえない』
俺はその言葉に従い、じっと黙りこむ。
もちろんその哲学者は、誤魔化す為に黙れと言っているわけじゃないだろう。
しかし・・・俺は迷っていた。
動物と喋れる力のことを話してもいいのか、ダメなのか?
二つの考えを天秤に掛けた時、僅かであったが「喋っちゃえ」という方が勝った。
俺は神妙な顔で咳払いをして、まっすぐに翔子さんを見据えた。
「あの・・・実はですね・・・・・・・、」
しかしその時、翔子さんはブルッと身を震わせてクシャミをした。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと冷えたみたいで・・・。
すいません、話の腰を折ってしまって。どうぞ気にせずに続けて下さい。」
翔子さんは俺の言葉を一つも聞き漏らすまいと、目に力を込めて見つめてくる。
しかしまたクシャミをして腕をさすっていた。
「このままじゃ風邪を引きますよ。どこか暖かい場所へ移動しましょう。」
「す、すみません・・・。」
俺は上着を脱いで翔子さんい手渡した。
「どうぞ。」
「いえいえ!悪いですよそんなの。」
「何言ってるんですか、本当に風邪引いちゃいますよ。
昨日は翔子さんがハンカチを貸してくれたんだから、気にせずに使って下さい。」
「で、でも・・・・。」
翔子さんは申し訳なさそうに躊躇っていたが、俺は後ろに回って肩に羽織らせた。
「それじゃすぐ近くに喫茶店があるから、そこでお話しましょうか?」
「分かりました。」
俺たちは動物病院のすぐ近くにある喫茶店に向かう。
しかしその途中であることを思い出し、財布を取り出した。
「ああ・・・そういや金を下ろすの忘れてたんだった・・・。」
ただでさえ軽い俺の財布が、薬局で薬と包帯を買った為にさらに軽くなっていた。
すると翔子さんは「私が払いますからいいですよ」と笑った。
「いやいや、そりゃ悪いですよ。」
「いんです、お時間を頂いているのは私の方なんですから。」
そう言って笑いながら財布を取り出すが、急に表情を変えて財布の中を覗き込んだ。
「ああ!そういえば私もさっきの治療費の支払いで・・・・・。」
どうやら翔子さんの財布もずいぶんと軽くなってしまったようである。
「今日はカードも持って来てないし・・・どうしよう・・・。」
そりゃあ犬の散歩でいちいちカードを持ち歩く人間はないだろう。
俺からすれば、財布を持っているだけでもちょっと驚きだったが、これが庶民とお金持ちの違いなのかもしれない。
翔子さんは困ったようにオロオロと財布の中を見つめている。
「ダメだ・・・やっぱりないや・・・。」
そしてまたクシャミをして肩を震わせていた。
俺は空を見上げて少しだけ考え、躊躇いがちに翔子さんに尋ねた。
「あ・・・あの・・・よかったら家に来ますか?」
そう尋ねると、翔子さんはキョトンと目を丸くする。
「家って・・・有川さんの家ですか?」
「え、ええ・・・そうです。もしよかったらですけど・・・・。」
気を遣いながら尋ねると、翔子さんは固まったまま動かない。
俺は慌てて手を振り、すぐに自分の言葉を撤回した。
「いやいや!嫌ならぜんぜんいんですよ、ええ!
このままだと翔子さんが寒いだろうし、ここからだと俺のアパートが近いからそう言っただけで。
だからぜんぜん・・・うん・・・やっぱりどこか他の場所へ行きましょう。
あ、そうだ!俺今からコンビニでお金を下ろしてくるから、どこかの他の喫茶店にでも・・・・、」
自分でも何を言っているのかわけが分からない。
しかし俺が言い終える間に、翔子さんは強く首を振って「行きます!」と答えた。
「有川さんの家って、たくさん動物がいるんでしょう?
犬に猫にハムスターに、それにインコとイグアナまで。」
「ええ、でも今は犬と猫とインコはいないと思いますが・・・・。」
「それでもいいんです!私・・・一度でいいから動物たちに囲まれて暮らすのが夢なんです!
だから実際にそうやって暮らしている人の家に行けるなんて感激っていうか・・・。
是非連れて行って下さい、有川さんの家に!」
翔子さんは拳を握り、鼻が触れるほど顔を近づけてくる。
う〜ん、やはりこういうところは藤井に似ている気がするなあ。
「分かりました、じゃあ今から行きましょうか。」
「お願いします!」
まるで戦場に赴くように気合を入れ、いつもの穏やかな表情が消えていく。
さっきまでクシャミをして寒がっていたのに、今は身体の中から炎が燃え上がるように熱い目をしていた。
見た目とは裏腹の熱い情熱に驚きながらも、俺は翔子さんを家に案内した。
「ここが俺のアパートです。」
「へええ・・・ここに動物の楽園が・・・・。」
翔子さん・・・ちょっとおかしくなってませんか?
壁にヒビが入り、屋根にツタが巻きつくこのアパートのどこが楽園に見えるのでしょうか?
俺は適当に笑いを返し、ドアを開けて中に招き入れた。
「汚い部屋ですけど・・・。」
「うわあ・・・動物の匂いがプンプンする・・・素敵・・・。」
「そうですか・・・?ほとんどの人は臭いというんですが・・・。」
「そんなことありません。私は獣の匂いって大好きなんです。」
そう言って深呼吸をしながら胸いっぱいに吸い込む。
「まあまあ・・・どうぞ中へ上がって下さい。」
「はい、お邪魔します。」
翔子さんはトコトコと俺の後ろをついてくる。
そして部屋に入ると、窓際のマリナを見つけて寄声を上げた。
「きゃあ!イグアナ!」
手を叩いて駆け寄り、目をキラキラとさせて見つめている。
「おい悠一。なんだよこの美人は?藤井やマサカリはどうしたんだ?」
テーブルの上でハムスター用のブランコに乗っていたカモンが、鋭い口調で尋ねてくる。
「藤井達とはぐれちまったんだよ。」
「なんで?」
「それは翔子さんの犬が・・・・、」
俺は手短に説明しながら、台所へ行ってお茶を淹れてきた。
「なるほどねえ・・・この人が翔子さんか。悠一が熱を上げるのも分かる気がするなあ。
お前ってけっこう面食いだから。」
「そんなんじゃないよ。ちょっと話があるっていうからここへ来てもらっただけだ。
外は寒いし、金もなかったし。」
暖かい番茶をすすりながら言うと、カモンはちっこい腕を組んで俺を睨んだ。
「後でどうなっても知らないぜ。昨日あんなことがあったばかりなのに。」
「だから別にやましいことなんてないよ。ただ話をするだけなんだから。」
俺は湯呑みを置き、マリナと戯れる翔子さんを呼んだ。
「あの・・・お茶淹れましたんでよかったらどうぞ。」
「ああ、ありがとうございます。」
ニコニコとしながら振り向き、マリナを抱えて俺の向かいに座る翔子さん。
彼女の腕の中で、マリナが迷惑そうな顔をしていた。
「ちょっと・・・何なのよこの人は?イグアナの扱いってもんを全く分かってないわ・・・。」
小声で愚痴をこぼし、イラついたように尻尾を振っている。
翔子さんはそれを喜んでいると勘違いして、さらに身体を撫でまくる。
「こんなにイグアナを触ったのって初めて。ほら、喉を鳴らしてごらん。」
翔子さん、いくらイグアナの頭を撫でても喉は鳴らしませんよ・・・。
マリナは呆れたように息をつき、「なんとかしてちょうだい」と助けを求める。
「あの・・・翔子さん。」
「はい、なんでしょう?」
「可愛がってあげるのはいいんですが、そいつちょっと嫌がってるみたいで・・・。」
「ええ!そうなんですか?ごめんね、気づかなくて・・・。」
申し訳なさそうに謝り、そっとマリナを下ろす。
俺は立ち上がってマリナを抱え、陽が当たる窓際の棚に乗せてやった。
「イグアナは変温動物ですから、暖かい場所を好むんです。
特に今みたいな寒い季節はね。」
マリナは日光を受けて顔を緩め、「ふう・・・」と気持ちよさそうに声を漏らした。
「マリナっていうんですか、そのイグアナ?」
「そうです。そしてこっちのハムスターがカモン。」
俺はカモンを手に乗せ、翔子さんの前に近づける。
「うわあ、可愛い!私もハムスター飼いたいんです。
でもカレンがいるから飼えなくて・・・・。
有川さんの家では、猫がハムスターを襲ったりしないんですか?」
「そうですねえ・・・喧嘩はするけど、襲うってことはないですね。
みんな仲良くやってますから。」
「へええ・・・すごいなあ・・・羨ましいなあ・・・。」
翔子さんはとろけるような瞳でウットリして、カモンを手に平に乗せた。
「ほらカモン。喉を鳴らしてごらん。」
そう言ってまた頭を撫で始める。
う〜ん・・・動物のことが好きなのは分かるけど、動物に対しての知識はほとんどないらしい。
喉を鳴らすハムスターがいたら、俺もこの目で見てみたいものだ。
「おい悠一、この女は大丈夫なのか?
見た目は綺麗だけどオツムがアレだぜ。」
カモンは顔をしかめて翔子さんを指さす。
俺は苦笑いしながらお茶を飲み、正座に座り直して翔子さんに話しかけた。
「翔子さん、そろそろお話というのを・・・・。」
遠慮がちにそう言うと、「ああ、すいません!」と我に返って背筋を伸ばした。
「ええっと・・・じゃあまずはカレンのことから・・・・。」
真剣な表情に戻って湯呑みを掴み、そこに映る自分の顔を見つめながら口を開いた。
「昨日有川さんが帰ったあと、彼が家に来たんです。
その時はちょうどカレンは外に出ていましたから、彼はすごくご機嫌でした。
その様子を見て、ああ・・・やっぱりこの人はカレンが嫌いなんだなって・・・。」
「う〜ん、そこまで露骨に態度に出るなんて、よっぽど猫が嫌いなんですね。」
「ええ・・・。でも問題はその後なんです・・・。
しばらく彼と喋っていると、カレンが窓の外に帰って来たんです。
だから中に入れようと窓を開けたら、急に彼も立ち上がって私を止めたんです。
もう少し外に出しとけばいいって。」
「カレンに戻って来てほしくなかったんですね?」
翔子さんは目を伏せて頷き、手を温めるように湯呑みを両手で掴む。
「すいません、寒いですよね?すぐにストーブを入れますから。」
「ああ、いえ・・・お構いなく。」
部屋の隅にある電気ストーブを掴み、翔子さんの隣に置いてスイッチを入れた。
「ほんとうはコタツがあったんですが、二週間前に動物たちが暴れてコードが切れちゃったんですよ。
エアコンが温もるまで、ちょっとそれで我慢していて下さいね。」
「すみません、気を遣わせてしまって・・・。」
翔子さんは電気ストーブの温もりに頬を緩め、貸していた上着を脱いで「これ、ありがとうございました」と脇に置く。
俺は軽く相槌を打ち、リモコンを操作して暖房のスイッチを押した。
「それで、その後はどうなったんですか?」
翔子さんはお茶を一口飲み、暗い顔で話を続けた。
「その後は彼と喧嘩になりました。
私は早くカレンを中に入れたかったんです。外は危険だし寒いから。
でも彼は反対しました。もうしばらく外に出しておけばいいと。
そしてピシャリと窓を閉めてカーテンまで引いてしまったんです。」
「そりゃ強気に出ましたね。」
「だから私はカッとなって怒っちゃったんです。
外は寒し、早く入れてあげないと可哀想だから邪魔しないでって。
そしたら彼も怒りだしちゃったんです。俺と猫とどっちが大事なんだ!あんなもんほっとけって!って
そして私の手を握って外に出ようとしたんです。」
「外にですか・・・?」
「お前の家にいたら、動物のことばかりで落ち着いていられないからと。
だから俺の家に行こうって。
もちろん私は断りましたよ。カレンをほうっておけるはずがないから。
そしたら・・・・・。」
「そしたら・・・・・?」
翔子さんは息を飲み、すがるように湯呑みを握りしめた。
「そしたら彼は窓を開けて、カレンのことを追い払ったんです。
そのせいでカレンは危うく窓から落ちそうになって・・・・。
気がついたら私は・・・また彼のことをブッてしました。今度はグーで・・・。」
むうう・・・グーで殴るとは相当頭に血が昇っていたに違いない。
普段のおっとりした翔子さんからは想像もつかないな。
「殴ったあとにハッと我に返って謝ったんですけど、彼はすごく怒ってて・・・。
何が何でもお前を俺の家に連れて行くって言って、力任せに腕を引っ張られたんです。
そして廊下に連れ出されたところで、ちょうど兄と出くわして・・・。」
「お兄さんって・・・あの武道の達人のお兄さんですか?」
「そうです。私が無理矢理に引っ張られている姿を見て、すぐに彼の腕を捻じり上げたんです。
死にたいのか?って怖い顔で睨みながら。」
俺はその場面を想像してブルリと身震いした。
きっと翔子さんの彼氏は、オシッコをチビるほど怖かったに違いない。
「彼は兄の迫力に怖がって平謝りしていました。
そして逃げるように家から出て行って、その後にメールが来たんです。
恋人より猫を選ぶような奴とはやってられない。別れようって・・・。」
「ははあ・・・じゃあ今の彼氏さんとはもう・・・・、」
「終わりました。殴った私も悪かったから、電話を掛けたんですけど出てくれなくて。
多分・・・もう会うことはないと思います。
有川さん・・・これってやっぱり私が悪いと思いますか?
やっぱり・・・動物に対して過保護すぎるからこうなってしまったんでしょうか?」
「う〜ん・・・それは・・・・。」
何とも言えない。俺は他人の恋愛事情に口が出せるほど、恋愛に詳しい男ではないのだ。
しかし話を聞いている限り、その彼氏さんはちょっと可哀想な気がする。
きっと翔子さんは、彼氏といる時でもカレンにかまいっぱなしだったのだろう。
そうなれば恋人として不満が溜まるのは当然で、そういう意味では彼氏の怒りは正しいと思う。
しかし大切にしている飼い猫に手を上げられて我慢しろというのも無理な話だ。
もし俺が翔子さんの立場だったら怒るだろうし、でも彼氏さんの男としての気持ちも分かる。
・・・複雑だ・・・。というより、他人の恋愛問題などに首を突っ込みたくない。
「申し訳ないですけど、俺には何とも言えません。
これは翔子さんと彼氏さんの問題だから・・・。すいません。」
情けない答えだと思いながら頭を下げると、翔子さんは「いえいえ、いいんです!」と手を振った。
「こんなのただの愚痴ですもんね。下らない話を聞かせてしまってすみません。」
深く頭を下げられて、俺は恐縮しながらカモンを掴んで振り回した。
「おいコラ!なんで俺を振り回す必要があるんだ!」
「ああ、ごめん。ちょっと気持ちを落ち着かせようと思って。」
「そんなもんは深呼吸でもしてろ!こんなのはハムスターの正当な扱い方じゃない!
俺は断固抗議するぞ!今日の餌は三割増にしろ!」
「それは断るけど、謝るのは謝る。すまん。」
「ぬうう・・・なんか腹立つな。プイ!」
カモンはほっぺたをパンパンに膨らませ、腕を組んでそっぽを向いてしまった。
その姿を見た翔子さんは「可愛い!」と言ってカモンを抱き寄せる。
そしてスリスリ頬ずりをした後、真剣な顔で俺に尋ねた。
「有川さん・・・正直なところを言うと、彼とのことを相談しに来たんじゃないんです。
これは確かに私たちの問題だから・・・。
私が本当に有川さんに聞きたいことは一つだけです。
動物と喋ることが出来るのかどうか、そのことだけです。・・・どうなんですか?」
翔子さんは射抜くような視線を向けながら、そっとカモンを撫でた。
「さっきだってこのハムスターに話しかけていましたよね?
まるで動物の言葉が分かっているみたいに・・・。
だから教えてくれませんか?有川さんは、動物と会話が出来るのか?」
場の空気が重くなり、カモンとマリナが俺に視線を飛ばして来る。
その目は明らかにこう言っていた。『余計なことを喋らないほうがいい』と。
しかし翔子さんの視線も負けてはいなかった。『私に本当のことを教えてちょうだい』と。
二つの視線が俺を攻め立て、心の中に激しい葛藤が起きる。
しかしここで翔子さんに嘘を吐けば、わざわざアパートまで来てもらった意味がなくなってしまう。
俺は覚悟を決め、大きく息を吸い込んで口を開いた。
「そこまで真剣に尋ねられたら、俺も真剣に答えないと失礼ですね。」
翔子さんはゴクリと唾を飲み、カモンを抱いたまま身を乗り出す。
「実はですね、俺は動物と・・・・。」
「動物と・・・?」
翔子さんはさらに身を乗り出す。俺はその視線を受け止め、堂々と答えた。
「俺は動物と喋ることが・・・・、」
腹に力を込めて言おうとした時、ガチャリとドアが開いた。
「うい〜、大変だったな・・・。まさかタヌキにケツを噛まれるとは思わなかったぜ。」
「ほんとねえ、野生動物の方も相当怒ってもんねえ。」
この声は・・・・・マサカリとモンブラン!
ということは藤井達が帰って来たのか?
「でもみんな怪我がなくてよかった。怒ってる動物を相手にする時は気をつけないとね。」
やっぱり帰ってきた・・・。
俺は口を開けたまま固まり、背中に嫌な汗が滲んでくるのを感じた。
「それにしても悠一はどこ言ったんだ?薬局なんてそんなに遠くないだろ?」
「さあな、もしかしたらまた翔子と会ってたりして。」
「まさか〜!いくらなんでも昨日の今日でそれはないでしょう〜。」
動物たちはワイワイと騒ぎながらこちらへやって来る。
そして俺と翔子さんが向かい合って座っているのを見て、固まったように立ち尽くしていた。
「よ、よお・・・お帰り・・・。」
顔の筋肉を無理矢理引っ張り上げて笑う俺。
言葉を失くして固まる動物たち。
そしてその後ろから藤井がトタトタと歩いて来た。
「みんなどうしたの?そんな所で立ち止まって。」
藤井は不思議そうに言いながら部屋へ入って来て、動物たちと同じように固まった。
「や、やあ・・・お帰り・・・・・。」
なんとか笑顔を作ろうとするが、もはや顔の筋肉が硬直して動かない。
部屋の空気が木枯らしよりも寒く凍りつく。
まるでここだけ時間が止まっているように感じられ、俺の唾を飲む音がやけに大きく響いた。
「マサカリ!久しぶり。」
翔子さんはマサカリに駆け寄り、よしよしと撫でて頬ずりをしている。
動物たちはその光景を冷めた目で見つめ、俺の方に言いようのない殺気をぶつけてくる。
「あ、あの・・・どこ行ってたんだ?薬局に行って戻って来たら誰もいなくてさ。」
そう言って薬と包帯の入ったレジ袋を掲げると、藤井はツカツカと歩み寄って来て俺を睨みつけた。
「・・・どういうこと?」
怖ええ・・・。藤井のこんな怖い声を聞いたのは初めてだ。
その時俺はピーンと感じた。
ああ、これが女を怒らせるということか。
いつもの優しい藤井はどこへやら、今は氷の女王のような冷たい殺気を纏って俺を見下ろしている。
「ねえ有川さん、マサカリまた太ったんじゃないですか?
ほら、お腹がこんなにぷよぷよ。」
場違いな明るい声が響き、マサカリのお腹がタプンタプンと鳴っている。
すると藤井の殺気はさらに恐ろしさを増し、より低い声で聞いてきた。
「・・・・・ねえ、これはどういうこと?説明してくれるわよね?」
やっぱり怖ええ・・・。いつもの藤井とはまったく別人じゃないか。
「あははは!ほっぺもいっぱいお肉がついてる!」
藤井のこめかみがピクリと動き、一瞬だけ翔子さんを睨みつける。
翔子さん!お願いだからこれ以上藤井を刺激しないで!
俺はこれまでの人生で最も大量の冷や汗を流し、震える手でお茶を飲んだ。
湯呑みの中の番茶には、怖い顔で見下ろす藤井が映っていた。

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM