勇気のボタン 二人の道 第七話

  • 2014.02.06 Thursday
  • 18:21

修羅場という言葉は、俺には一生縁のない言葉だと思っていた。
恋愛事情や女絡みで揉めるなど、俺にとっては宝クジが当たるより遠いものだったはずだ。
いや、むしろ自分が修羅場を望んでも、神様は決してそれを与えてくれないと思っていた。
『お前にそんなものは関係なし!動物と喋っておればよい!』
うん、きっと神様はそう言うはずだ。
それがなぜ?どうして?ホワイ?
今の俺は人生で最大の居心地の悪さを感じていた。
正面には翔子さん、隣には藤井、そして周りを囲むように動物たちが座っている。
入り乱れる殺気のぶつかり合い、突き刺さる視線の交錯。
さっきまで明るくはしゃいでいた翔子さんも、異様な雰囲気を感じて口を噤んでいる。
そして上目遣いにチラチラと周りを見渡し、肩をすくめて正座していた。
この鉛のように重たい空気を最初に打ち破ったのは、意外にも翔子さんだった。
「あの・・・なんだか私・・・お邪魔でしたかね・・・?」
さらに肩を竦めてみんなを見渡し、最後にチラリと藤井の様子を窺う。
ここはやはり女同士として、何か通じ合うものがあるのだろうか?
翔子さんの視線を受けた藤井は、少しだけ表情を緩めて口を開いた。
「あなたが翔子さんですね。確か一度だけお会いしたことがあるはずです。」
そう言われて翔子さんは首を傾げ、しげしげと藤井を見つめた。
「ああ!確かに動物の里親探しの時に・・・。」
藤井は何も言わずにコクリと頷き、自分の手元を見つめた。
「有川君からよく話は聞いています。マサカリの散歩で知り合ったって。」
「ええ、去年の夏前くらいだったと思います。
ブルドッグを連れている人なんて珍しいなと思って、声を掛けたんです。」
「そうですか・・・。で、それからずっとお友達で?」
藤井・・・声にだんだんと殺気がこもってきたな・・・。
翔子さんは僅かに怯え、「はい・・・」と小さく呟く。
俺は助け舟を出そうとして口を開くが、「ちょっと黙ってて」と睨まれてしまった。
怖い・・・さっきから怖いよ藤井・・・。
しかし藤井の他に、もう一つ鋭い視線が突き刺さっていた。
それはモンブランだ。まるで獲物を狩るライオンのように、身も凍る殺気を放っている。
俺はサッと目を逸らしてお茶を飲んだ。
藤井は「ふう・・・」と息を吐き、再び表情を緩めて翔子さんを見据える。
「私が知りたいのは、どうしてあなたがここにいるのかということ・・・。
そして、ここで有川君と何をしていたのかということです。」
その声は静かだが怒りが込められていて、場の空気に緊張が走った。
翔子さんは申し訳なさそうに俯き、さらに縮こまって答えた。
「実は・・・うちの犬が猪に突き飛ばされて・・・・。」
それを聞いた藤井の表情が一変した。
「猪に・・・?」
「はい。実は・・・・・・、」
翔子さんはコロンが猪にはねられた事を話した。
そして助けを求めていると俺が現れたことや、一緒に病院まで付き添ってもらったこを。
その説明を聞いた途端に、藤井の殺気は見る見るうちに小さくなっていった。
「それで・・・そのコロンちゃんは大丈夫だったんですか?」
藤井はいつもの表情に戻り、心配そうに眉を寄せていた。
「幸い命に別条はないみたいで、三日ほどで退院できると言われました。
あの時は・・・ほんとうに慌てちゃって・・・。」
翔子さんの目尻が濡れ、鼻をすすって涙をぬぐう。
藤井は同情するように暗い顔になり、ハンカチを差し出した。
「それは心配でしたね・・・。でも助かってよかった。」
「・・・すいません・・・。」
翔子さんはハンカチを受け取って目尻を押さえ、俯いたまま話を続ける。
「有川さんはずっと付き添っていてくれたんですけど、人を待たせているからと言って途中で出て行きました。
でもしばらくすると戻ってきて、また私に付き添ってくれたんです。
河原に行ったら藤井さん達がいなくなっていたから、ここでコロンが出て来るのを待ちますと言って・・・。」
「そうなんだ・・・そんな事情が・・・。」
「私・・・ずっと不安で仕方なかったんです。もし死んじゃったらどうしようとか、後遺症が残ったらどうしようとか・・・。
でも有川さんがずっと励ましてくれて・・・。絶対にコロンは大丈夫だから、信じて待ちましょうって。
それがどれほど私を励ましてくれたか・・・。
それから一時間後くらいにコロンが出てきて、命に別条はないと言われたんです。
もし有川さんが病院に運んでくれなかった、コロンはもっと重症になっていたと思います。
だから・・・本当に感謝しています。」
翔子さんはまたハンカチで目を拭い、小さく鼻をすする。
そして藤井まで涙ぐみ、「そうだったんだ・・・」といつもの優しい声に戻っていた。
おお!なんだかこのまま無事に終わりそうな予感。
しかしそんな安堵を打ち砕くように、モンブランが鋭い一言を放った。
「ねえ藤井さん。さっきの話の中に、翔子さんがこの家に来た理由は一つも説明されてなかったわよね?」
藤井はビクっとモンブランを見つめ、本来の目的を思い出したようにまた怖い顔に戻った。
おのれモンブランめ。鈍い藤井ならこのまま誤魔化せたかもしれないのに・・・。
部屋の空気はまたピリピリと張り詰め、藤井は翔子さんに尋ねた。
「お話はよく分かりましたけど、どうして有川君の家に来ているんですか?」
むうう・・・また怖い声に戻ってるし・・・。
藤井よ、お前はどこからそんなに怖い声を出しているんだ?
翔子さんは息を吐いて頷き、小さな声で説明した。
「実は有川さんに相談があったんです。うちの猫のことで・・・。」
「カレンのことですか?」
藤井に問いかけられると、「知ってるんですか?」驚いた表情をみせた。
「昨日聞きました。カレンと翔子さんの彼氏の折り合いがよくないって。」
「そうなんです・・・そのせいで昨日彼と喧嘩しちゃって、別れることになってしまったんです。」
すると「おやまあ」とモンブランが声を上げ、興味津津で耳を立てた。
「でもそれ以外にもう一つ有川さんに聞きたいことがあって・・・・。」
「・・・どんなことですか?」
藤井はゴクリと息を飲んで言葉を待つ。
モンブランは「まさか愛の告白をするつもりだったんじゃ?」と野次馬根性を剥き出していた。
お前はこの状況を怒っているのか楽しんでいるのかどっちなんだよ・・・。
翔子さんはしばらく間を置き、藤井を見返して答えた。
「私・・・ずっと考えていたことがあるんです。
もしかしたら有川さんは、動物と会話を出来るんじゃないかって。
だからそれを確かめる為にここへお邪魔したんです。」
「・・・・・・・・・・。」
藤井は言葉を失くして固まっていた。
まあ当然だよな。俺達の核心に触れる質問なんだから。
「有川さんの家へ来たのはたまたまなんです・・・。
本当はどこか喫茶店にでも入ってお話を伺うつもりだったんですが、生憎お金を持ち合わせていなくて・・・。
そしたら寒そうにしている私を見て、有川さんが自分のアパートへ誘ってくれたんです。」
「・・・・・・・・・・。」
藤井はまだ固まったままだった。さっきの翔子さんの言葉は聞いていたのだろうか?
翔子さんは湯呑みを握り、そこにカレンやコロンを思い浮かべるように目を揺らしていた。
「ずっと前から心に引っ掛かっていたんです。
でもまさかそんなこと現実にあるはずないし、でも自分の中のモヤモヤは消えないし・・・。
だから・・・直接聞いてみようと思ったんです。」
翔子さんは顔を上げ、真剣な目で俺達を見つめる。
藤井はまだ固まっていたが、なんとか口を動かして尋ね返していた。
「・・・有川君は・・・何て答えてましたか?」
そう問いかける藤井の顔は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
怒るわけでもなく、かといって優しい顔でもない。
もっと切実な・・・そして追い詰められたような表情だった。
翔子さんはその迫力に気圧されながら、戸惑いがちに答えた。
「えっと・・・その答えを聞く前に藤井さん達が帰って来たから、まだ聞いていません。」
「ほんとに・・・?」
「ほんとです・・・。」
すると藤井はホッと安堵の息を吐き、急に明るい顔になって笑った。
「じゃあその質問には、有川君に代わって私が答えますね。
彼は動物と会話をすることなんて出来ません。」
これで説明は終わりとばかりに、ニコニコと笑顔を振りまく藤井。
なんか・・・これはこれで怖いな・・・。
しかし翔子さんは納得がいかない様子で問い返した。
「で、でも・・・私は有川さんが動物と喋っているところを見たんです。
この家に来てからだって、このハムスターと喋っていたし。」
そう言ってカモンを手に平に乗せて持ち上げる。
カモンは神妙な顔で腕を組み、意味不明にウィンクを飛ばしてきた。
だか藤井は笑顔を崩さない。それどころかより明るい声で応じる。
「ああ、それは有川君のクセなんです。
たまにそうやって動物とお喋りごっこをするんですよ。
特に疲れてる時とか。」
なんだそれ?まるで俺が頭のおかしい人間みたいじゃないか・・・。
「で、でも他にもあるんです!
初めて会った時だって、なぜか私の名前を知っていたんです。
あれってきっと、コロンから教えてもらったんだわ。何やらコソコソ話してたし・・・。
それに昨日だってカレンの気持ちを言い当てたし、窓際にやって来たそこのインコと話をしていたし。
普通はそんなことしませんよね?だから・・・やっぱり動物と喋れるんだわ、有川さんは。」
翔子さんは口元に手を当てて、一人で頷いている。
隣にいたチュウベエがニヒルに笑い、カモンと同じようにウィンクを飛ばしてくる。
だから何なんだよお前らは・・・・・。
そして、藤井はやはり笑顔を崩さなかった。
まるで外回りをする営業マンのように、どう見ても嘘くさい微笑みを振りまいている。
「あのね翔子さん。申し訳ないけど、私はあなたより有川君のことをよく知っているんです。
その私が言うんだから間違いありません。彼に動物と喋る力なんてない。
まったく、これっぽっちも、ミジンコの触覚ほどもありません。
お分かりいただけましたか?」
怖ええ・・・これはこれで違う意味で怖いよ・・・。
翔子さんはまだ何かを言い返そうとしていたが、藤井の迫力に負けて黙りこんでしまった。
「・・・・分かりました。どうやら私の勘違いだったようですね。」
「ええ、まったく。それはもう。」
藤井よ・・・頼むからその笑顔はやめてくれ。
それならまだ怒っている方がマシだよ・・・・。
これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、翔子さんは小さく笑いながら頷いた。
「すみません、いきなりお邪魔してしまって。
これ以上長居してもご迷惑なので、そろそろお暇させて頂きますね。」
そう言って頭を下げ、いそいそと立ち上がって俺を見つめた。
コロンのこと、本当にありがとうございました。
また改めてお礼をさせて下さい。」
「いえいえ、そんなのはいいですよ!
俺もただコロンを助けたかっただけですから。」
「でもコロンの恩人です。
このまま何もお礼をしないのは、家訓に反しますから。それでは。」
再び頭を下げ、そして藤井の方にも振り返って頭を下げる。
「藤井さん・・・一つお聞きしてもよろしいですか?」
「何でしょうか?」
藤井は笑顔を崩さすに見つめ返す。
「これは私の勘なんですけど・・・もしかしたら藤井さんも動物と・・・・、」
しかしそこで翔子さんは言葉を止めた。
その理由は、藤井の笑顔が一瞬で消えたからだ。
『これ以上は踏み込まないで』
藤井の目はそう言っていた。
男の俺でも分かるくらいなんだから、女同士ならより敏感に感じたことだろう。
翔子さんは何も言わず、もう一度頭を下げてドアに向かった。
そして靴を履いて俺の方を振り返る。
「今日は本当にありがとうございました。」
「いいんですよ、早くコロンの怪我が治るといいですね。」
「はい。その時は・・・また改めてお礼に伺います。」
翔子さんは髪を揺らして微笑み、ドアを開けて出て行こうとする。
「あ、あの・・・よかったら送って行きましょうか?
まだ外は寒いですし。」
すると翔子さんは首を振り、少しだけ目をつり上げて言った。
「ダメですよ、これ以上藤井さんを怒らせたら。
私のことはいいですから、早く戻ってあげて下さい。
藤井さん・・・有川さんの彼女なんでしょ?」
「・・・・・・はい。」
「じゃあこれ以上他の女性にかまっちゃダメですよ。
最初からそのことを知っていたら、私だって家にお邪魔しなかったのに。」
ああ、そういえば藤井が彼女だってことは言ってなかったんだっけ・・・。
俺はとことん女心に鈍いらしい。
翔子さんはそれを見透かしたように笑い、ドアを閉めながら手を振った。
「有川さんって、動物のことには敏感だけど、女の人にはちょっと鈍いですよ。
ちゃんと藤井さんのことを大事にしてあげて下さいね、それじゃ。」
パタンとドアが閉められ、俺はふうっとため息を吐いた。
俺が鈍感なばかりに、翔子さんにまで迷惑をかけちゃったな・・・。
これからはもっと気をつけないと。
そう思いながら振り返ると、藤井と動物たちが立っていた。
「お、おう・・・・みんなお揃いで・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
全員の視線が俺に突き刺さる。
特に藤井の視線が強烈に・・・・・・。
あまりの緊張に立ち尽くしていると、モンブランが「部屋に戻りなさい」と睨んだ。
「はい・・・。」
俺は恐縮しながら肩を竦め、トコトコと部屋に戻る。
「ここに座る。」
モンブランがペシペシとテーブルの前を叩き、「早く!」と促した。
「はい・・・。」
きちんと正座で座り、背筋を伸ばして息を飲む。
藤井は俺の正面に腰を下ろし、開口一番にテーブルを叩いた。
「悠ちゃん!」
「は、はい!」
「昨日約束したばかりでしょ!何かあって遅れる時は電話するって!」
うう・・・だから怖いんだよ藤井・・・。
しかしここで下手に反論したら吊るし上げに遭うことは目に見えている。
俺はポケットに手を入れ、壊れたケータイを取り出した。
「もちろん電話しようと思ったよ。でもほら、これ・・・。」
バキバキに割れた液晶を見せると、マサカリが「なんだこりゃあ・・・」と驚いていた。
「多分猪にぶつかった時に壊れたんだ。
俺はコロンを病院に運んで翔子さんに付き添っていたから、ちゃんと藤井に電話しようと思ったんだよ。
でもこんなケータイじゃ電話なんか掛けられないし、だから直接言いに行こうと思って河原に戻ったんだ。
でもお前たちの姿が見えなかったから、そのまま動物病院に引き返したんだよ。
翔子さんを一人にするのは可哀想だったし、コロンのことも心配だったから。」
一息に説明して、周りの反応を待つ。
すると藤井は少しだけ表情を和らげて口を開いた。
「そのことについてはとやかく言う気はないよ。
ううん、それどころか立派だと思う。
もし私が悠ちゃんの立場だったら、きっと同じ行動を取ってたと思うし。」
よかった・・・。このことについては反論はないようだ。
しかし矢継ぎ早に次の質問が飛んでくる。
しかもなぜかモンブランから・・・・・。
「あのさ、いくらなんでも家に上げる必要はないと思うのよね。
確かに外は寒いけど、それならそのまま動物病院で話をすればよかったじゃない。」
「で、でも・・・相談したいことがあるって言われたら、動物病院で話すってのはちょっと・・・。」
「喫茶店やファミレスじゃダメだったの?」
「いや、それはさっき説明しただろ?お金がなかったんだよ。
それに翔子さんがすごく寒そうにしてたから、思わず家に来ますか?って誘ったんだよ。」
「ほんとに〜・・・・?」
「ほんとだよ!何をそんなに疑ってんだよ。」
モンブランは目を細くして俺を睨みつける。
こいつ・・・絶対に楽しんでやがるな。
すると今度は思いがけないところからツッコミが入った。
「でも俺さっきの会話を聞いたぞ。」
そう言ってチュウベエが翼を広げる。
「き、聞いたって何をだよ・・・・」
「翔子が帰る時に言ってたじゃないか。藤井が彼女だって知ってたら、家にお邪魔しなかったって。
だったら悠一は、どうして藤井のことを最初に言わなかったんだ?」
くそ!チュウベエのクセに鋭いツッコミを・・・・。
普段は馬鹿なクセに、どうしてこういう時だけお前の頭は冴えてるんだよ!
案の定、モンブランが水を得た魚のように勢いを増した。
「チュウベエ!それナイスツッコミよ!あんたの口座に三千ルーブルあげるわ!」
なんのクイズ番組だよ・・・。
だいたいインコが口座を持ってるわけないだろ。
「ねえ悠一!さっきチュウベエが言ったことは的を射てるわ。
どうして最初に、藤井さんという彼女がいることを言わなかったの?
やっぱりやましい下心があったんじゃないの?」
「だから違うって!それはたまたま言いそびれただけだよ。
お前らはどれだけ俺を疑えば気が済むんだ?」
なんだかだんだんと腹が立ってきて、つい俺の口調も荒くなる。
「なんでそんなに怒ってんだ?
なんにもやましい事がないなら、正々堂々としておけばいいだろ?」
マサカリが肉厚の顔を近づけて鼻息を吹きかけてくる。
「お前らがしつこいから怒ってるんだよ。
ていうか、お前らは楽しんでるだけだろ?特にモンブランは。」
「ん〜ん、そんなことないわ。私は藤井さんの為を思ってやってるのよ。」
「それこそほんとかよって話だ。いいか、俺は何にもやましいことなんてないんだ。
全ての事情は今まで説明した通りで、それに嘘偽りはない!
確かにお前たちをほったらかしたのは悪かったけど、事情が事情なんだから仕方ないだろ。
もうこれ以上この話はしたくないし、聞きたくもない。
終わりだ終わり!」
「ええ〜、つまんない・・・。」
モンブランはオモチャを取り上げられた子供のようにガッカリする。
ほれ見ろ、やっぱり俺をからかって楽しんでただけじゃないか。
まったく・・・こいつらの悪ふざけには付き合い切れない時がある。
「藤井。」
俺が呼びかけると、藤井は顔を上げて真っすぐに見つめてきた。
「その・・・ほったらかしにしたのは悪かった。
でもわざとじゃないし、翔子さんとも何もやましいことはない。
だから・・・その・・・機嫌を直してくれないか?」
もちろん俺にだって申し訳ないという気持ちはある。
もし藤井の家に行って、知らない男が来ていたら不快に思うだろう。
でも充分説明はしたはずだし、これ以上の追及は無意味なはずだ。
そしてその気持ちが伝わったのか、藤井はコクリと頷いた。
「いいよ、もう怒ってないから大丈夫。
悠ちゃんの言うとおり、事情が事情だったしね。」
「分かってくれたか・・・。いや、これからは俺も気をつけるよ。」
ニコリと笑って言うと、藤井も小さな微笑みを返してくれた。
しかしすぐに真剣な表情に戻って、身を乗り出して尋ねてきた。
「でもね、私が本当に気にしてるのはそのことじゃないの・・・。」
「ん?どういうことだ?」
思わず聞き返すと、藤井は自分の手元を見つめながら切り出した。
「悠ちゃんは一生懸命説明してくれたけど、まだ答えが出ていないことがある。
私が一番気にしているのは・・・そのことなの。」
「悪いけど話がぜんぜん見えてこないな。
いったい何を気にしてるんだ?」
そう言うと、藤井はピクリと眉毛を動かしてキツイ表情になった。
な・・・なんだ・・・?俺は何かまずいことを言ったか?
もう全ての質問には答えてるはずなのに・・・・。
「悠ちゃん。」
「・・・なんだよ?」
「翔子さんの質問に・・・何て答える気だったの?」
「いや、だから何のことか分からないって言ってるだろ。
はっきり言えよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
藤井は不満そうに表情を曇らせ、苛立ちを隠すように指を動かしていた。
「翔子さんは、悠ちゃんが動物と話せるかどうか知りたがってたんだよね?
その質問には何て答える気だったの?
今まで通り、私たちだけの秘密にしておくつもりだった?
それとも・・・・・本当の事を教えるつもりだったの?」
ここへ来て藤井は、今までで一番真剣な目で睨んできた。
俺は思いもよらない質問に首を傾げ、腕を組んで睨み返した。
「なんだよ・・・そんなことか・・・。
やけにもったいぶって質問するから心配して損したじゃないか。」
「そんなことって・・・・、それ本気で言ってるの?
これってすごく大事なことなんだよ。」
「分かってるよ。でも翔子さんは俺の友達みたいなもんなんだから、別に知られたっていいだろ?
あの人は動物にも理解があるし、それに子供の頃は動物と喋るのが夢だったらしいから。」
「・・・じゃあ、本当のことを教えるつもりだったのね?
自分は・・・動物と喋れるって。」
「そうだよ。それがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって・・・・・。」
藤井は拳を握り、瞳を揺らして身を乗り出した。
「なんでそんな大事なことを軽々しく教えようとするの!
いくら友達だからって、なんでそんな大事なことを私抜きで決めるの!」
「な、なんだよ・・・急に怒りだして・・・・。」
「怒るに決まってるじゃない!私たちは同盟を組んで活動をしてるんだよ?
それは動物と話が出来る者同士の同盟じゃない。
なのに・・・何で軽々しく誰かに教えようとするのよ!」
藤井はバシンとテーブルを叩きつけ、鬼のような目で俺を睨む。
あまりに怒りが高すぎて、顔が真っ赤になっている。
俺はいきなりの叱責に怖じ気づき、宥めるように言った。
「ちょっと落ち着けよ・・・。そりゃ確かに大事なことだけど、そこまで怒ることじゃないだろう?」
優しい口調で藤井の肩に手を置く。
すると藤井は俺の手を払ってさらに詰め寄ってきた。
「そこまで怒ることじゃないだろうって・・・どういうことよ?
怒るに決まってるじゃない!動物と話せるのは二人だけの秘密でしょ?
それが・・・それが私と悠ちゃんの始まりだったじゃない・・・。」
あまりの剣幕に、動物たちは怯えたように部屋の隅で固まっている。
『藤井はどうしちまったんだ?』
マサカリの目が俺にそう語りかけている。
「去年の夏前に悠ちゃんが会社を辞めて・・・私はちょっとだけショックだった。
これでもう会えなくなるんだって思ったら、胸が締め付けられそうだった・・・。
でも・・・あの時はただの同僚で、まだぜんぜん親しくなかったから何も言えなかった。」
「藤井・・・・。」
藤井は腰を下ろし、翔子さんに貸したハンカチを握りしめる。
小さく鼻のすする音が聞こえ、深く俯いて髪を揺らしていた。
「でも・・・やっぱり悠ちゃんに会いたいから・・・イグアナの本を口実にやって来て・・・。
それで夜の公園で再会して・・・・・。
ねえ、あの時私が言った言葉を覚えてる?
『有川君は、私と同じ力を持ってる気がする』・・・そう言ったのよ。」
藤井の声はだんだんとかすれていく。
顔は見えないが泣いているのだと分かり、慰めようと手を伸ばした。
しかしその手はあっさりと払われ、小さな泣き声を漏らして目尻をぬぐっていた。
「俺は・・・覚えてるよ。あの夜のことを忘れたことはない。
だって・・・あれが全ての始まりだったんだから。」
そう、あの夜から俺の人生は変わり始めた。
暇が欲しいという下らない理由で会社を辞めた男が、色んな動物や人間と接することで変わり始めたんだ。
今の俺があるのは、藤井と出会ったおかげだ。
それは分かる。それは分かるが・・・藤井がここまで怒る理由が分からない。
別に動物と話せる力のことを誰かに教えたっていいじゃないか。
実際に去年の夏に、広田さんという植物と会話が出来るおばさんに教えたことがあるんだから。
あの時、藤井は怒るどころか、自分もそのおばさんと会ってみたいとはしゃいでいたはずだ。
なのにどうして今回は怒っているんだ?
相手が翔子さんだから?それともやっぱり昨日と今日のことを怒っているからか?
・・・分からない。俺にはさっぱり分からない。
何も答えない俺に業を煮やしたのか、藤井は顔を上げて話を続けた。
「あの日、悠ちゃんにイグアナの本を届けに来たのには理由がある・・・。
一つは・・・悠ちゃんのことが好きだったから。
自分の気持ちを伝えないまま終わるのが嫌だったから・・・。」
それは知っている。俺達が付き合い始めたのも、やはりあの夜の公園からだった。
俺が藤井に告白すると、藤井は答えた。
『私はもっと前から、有川君のことが好きだった』と。
こんな俺のどこを好きになったのか分からないが、今までその理由を深く考えたことはなかった。
また言葉を失う俺に、藤井は再び語りかけた。
「私が会社を辞めた悠ちゃんに会いに来たのは、それだけじゃない。」
俺は藤井の方を見つめ、息を飲んで言葉を待つ。
壁に掛けた時計の音がやけに大きく聞こえ、それが空気の重さを掻きたてていく。
藤井は大きく鼻をすすって息を吐き、濡れた瞳で俺を見つめてきた。
「あの夜に悠ちゃんに会いに来たのは、私と同じ力を持っていると思ったから。
会社にいる時の悠ちゃんは、心ここにあらずって感じでいつもボーっとしてた。
でも・・・その中にふと感じるものがあったの。
この人は、どこか別の場所を見ているって。
ここじゃないどこかを見つめて、ここじゃないどこかの音を聞いている。
その時、私は気づいたの。
ああ・・・この人は私と同じなんだって。
他の人には見えない動物の心が見えて、他の人には聞こえない動物の声が聞こえるんだって。
ただの勘でしかなかったけど、でも絶対に間違いないって確信があった。
そして・・・その確信は正しかった。
あの時私は感じたの。この人は、出会うべくして出会った人だって。
そして動物と話せるこの力は、私たち二人を繋ぐ絆だったんだって。」
ああ・・・思いだした・・・。藤井と再会したあの夜、確かにそんなことを言っていた。
だからこそ俺を追いかけてきたのだ。同盟を組もうと・・・。
そうか・・・あれが出発点で、あそこから全てが始まったんだ。
あの同盟の話が無ければ、俺たちが繋がることもなかったんだ。
今になってそのことを思い出し、どうして藤井が俺のことを好きになったのか少しだけ分かった気がした。
きっと、藤井は仲間を求めていたのだ。
本当の自分を見せられる人間を、そして本当に心を開いて話し合える人間を。
だから俺のことを・・・・・。
・・・ごめんな、藤井・・・。素直にそう言いたいと思った。
しかし何かがそれを拒否していた。
恐らく昨日から続くイザコザのせいで、俺も少しばかり腹が立っているのかもしれない。
別にわざとやったわけじゃないのに、どうしてここまで問い詰められる必要があるのか?
過去に広田さんに動物と喋れることを教えた時には怒らなかったくせに、どうして今回はこんなに怒るのか?
色々な苛立ちや葛藤が渦を巻き、俺の口から出て来た言葉は、謝罪とは程遠いものだった。
「・・・知らないよそんなこと。」
藤井の肩がピクンと揺れ、驚いたように目を見開いていた。
きっと今のは深く傷ついたに違いない。
今ならまだ間に合う、ちゃんと謝った方がいい。
自分の中の本心はそう語りかけて来るが、俺のしょうもない意地がそれを拒んだ。
「そんな昔のことなんかどうだっていいだろ。
大事なのは今どうであるかだ。
俺たちはお互いが好きで付き合っているわけだし、上手くいってるじゃないか。
それに同盟の活動だってちゃんとやってる。
上手くいかない時もあるけど、でも手を抜いたことなんかない。
いつだって困ってる動物を助ける為に、力いっぱいやってきたんだ。
そして・・・それはこれからも変わらない。
俺はお前が好きだし、同盟の活動だって誇りに思ってるよ。
でも・・・こんなちょっとしたことでそこまで怒られる筋合いはない。
俺の持ってる力を誰に話そうと、それは俺の勝手だろ?
お前にとやかく言われる筋合いはないよ!」
思わず語気を荒げてしまい、最後は怒鳴りつけるような形になってしまった。
・・・最悪だ。これだから意地を張るとロクなことにならない。
そのことを知っているはずなのに、どうして止められなかったのか?
俺は思わず顔を逸らし、横目で藤井の顔を見た。
「・・・・・・・・・・・・・。」
悲しそうな、そして切なそうな目で俯いている。
もうそこに怒りはなく、半分諦めのような表情が混じっていた。
「そんな顔するなよ。俺は間違ったことは言ってない。
俺のことを誰にどう話そうと、俺の自由なんだからな。」
ああ・・・また言っちまった・・・。
でもここまで来ると、意地って奴は簡単に引っ込めることが出来ないのだ。
藤井は顔を上げ、もう怒りも涙もない目で見つめていた。
「悠ちゃん・・・。動物と話が出来る力は、誰にでもあるわけじゃない。
そんな人は私の知る限り、悠ちゃんと私しかいない。
・・・でも二人は出会った。運命なのか偶然なのか・・・、ううん、きっと運命だと思ってる。
こんなに広い世界で、こんなに変わった人間同士が出会ったんだもの。
だから私たちの絆は特別なものだと思ってた。
でも・・・それは私だけだったのかな?
悠ちゃんにとっては、なんでもない事だったのかな?」
藤井の声は柔らかかった。
先ほどまでの問い詰めるような荒々しさはなく、ただ語りかけるような静かな口調だった。
「俺は・・・・・。」
俺もお前と一緒だよ。
今さっき、大事なことを思い出したから。
どうしてお前が俺に会いに来たのか、どうしてお前が俺のことを好きになったのか。
そのことが理解出来た今、どうしてお前が動物と話せる力にこだわるのかよく分かった。
だから・・・俺もお前と同じだよ。
動物と話せるってことは、他の誰にもない俺達だけの絆だ。
・・・・・そう答えたかった。
でも意地ってやつは中々顔を引っ込めてくれない。
こんな重要な場面でも、本心を押しのけてグイグイとしゃしゃり出て来る。
「俺は・・・・・そんなふうに思ったことはないよ。」
くそ!何でこんな言葉が出て来るかな・・・。
違うのに・・・ほんとはそんなこと思ってないのに・・・。
「確かに動物と話せる力は珍しいけど、他にも同じ人間がいるかもしれないだろ。
もっといえば、もしお前が、俺以外に動物と話せる男と出会ってたら、そいつのことを好きになってたかもしれないだろ。
だから・・・俺はこんなものを特別な絆だなんて思ったことはない。
だからこの力のことを誰かに話したって、お前に文句を言われる筋合いなんてないよ。」
言葉ってやつは恐ろしいものだ。
いくら本心では違うと思っていても、口に出した途端に「実はその通りなんじゃないか?」と思えてくる。
「そうだよ、もし藤井が俺より先に別の男と出会って、しかもそいつが動物と話せる奴だったら、きっと好きになってるはずさ。
そんなものが俺達の絆だとしたら、それってすごく寂しいんじゃないか?
なあ藤井。お前は本当に俺のことを好きなのか?
俺の持つこの力に、ただ仲間意識を感じているだけじゃないのか?
これから先の人生で、俺以外に動物と話せる男がいてさ、しかもそいつがカッコイイ男だったらどうするんだ?
そいつがすごい金持ちで、高学歴の高収入の男だったら、それでもお前は俺を選ぶのか?
なんなら、動物と話せる力を持った男なら、誰でもよかったんじゃ・・・・、」
そこまで言った時、藤井の平手が俺の頬を叩いた。
パシン!と気持ちがいいくらいの音が響き、藤井の涙交じりの目が俺を見つめていた。
「ああ・・・いや・・・・。」
藤井の平手打ちと刺さるような視線のおかげで、俺は我に返った。
そしてとんでもないことを口走ったことに気づき、慌てて謝ろうとした。
「ご、ごめん!違うんだ!そんなつもりじゃなくて・・・・。」
しかし藤井は聞く耳を持たない。
バッグを掴み、勢い良く立ちあがって俺を睨んだ。
「・・・・悠ちゃんの本心はよく分かった・・・・。
もう何も言わない。翔子さんにでも誰にでも、自分のことを話したらいい。
私は・・・悠ちゃんにとってその程度の存在だったんだから・・・・。」
震える声で言葉を投げつけ、逃げるように部屋から出て行く藤井。
俺は立ち上がり、慌てて後を追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!今のは俺が悪かった。」
藤井を引きとめようと腕を掴むと、また平手打ちが飛んできた。
「今さらそんな言い訳聞きたくない!
私は・・・私は誰でもよかったなんて思ってないよ!
悠ちゃんだから好きになったのに・・・。悠ちゃんだから、同盟を組もうと思ったのに・・・。
でもそんなふうに思われてるなら、これ以上一緒にいられない!」
「ち、違うんだ・・・。話を聞いてくれ。」
「触らないでよ!」
藤井は唇を噛んで俯き、靴を履いてこちらを振り返った。
「お金を持ってるからとか・・・カッコイイからとか・・・そんなのどうだっていい!
悠ちゃんだから好きになったのに・・・・。
悠ちゃんが・・・悠ちゃんが動物と話せる力を持ってるから、もっともっと好きになっただけなのに!
他の誰でもいいわけないじゃない!
私はそんなにいい加減な女じゃない!馬鹿にしないでよ!」
「いや、違うんだ!俺の話を聞いてく・・・・・、」
俺の伸ばした手を振り払い、藤井はドアを開けて出て行った。
追いかけようとして外に向かうと、勢いよく戻ってきたドアに顔を打ち付けた。
「痛い!」
思わず鼻を押さえてしゃがみこみ、ドアノブに手を掛けて外に出る。
「藤井!」
藤井は階段を駆け下り、逃げるように走り去って行った。
「ああ・・・なんてこった・・・・。」
舌打ちをしてドアを叩きつけ、藤井が去って行った道路を睨みつける。
「俺は・・・どうしてあんなことを言ったんだ・・・。
しょうもない意地を張って・・・。馬鹿だ俺は!」
ドアを開けて中に入ると、動物たちが不安げな目でこちらを見つめていた。
「悠一・・・さっきのは言い過ぎだぜ。」
「あれじゃ藤井が怒るのは当たり前だな。」
マサカリとカモンが責めるような口調で言う。
俺は返事をせずに部屋に戻り、テーブルの前に腰を下ろした。
しばらく何も考えられずに、藤井の怒っている顔だけが目に焼き付いていた。
「初めてかもな・・・あそこまで怒ったところを見たのは・・・・。」
それからすぐにケータイが鳴り、メールの着信を知らせた。
俺は躊躇いながらケータイを手に取り、そっとボタンを押してメールを開いた。
『しばらく会わない。フェレットの件は私一人でやるから。』
俺はケータイを閉じ、テーブルの上に置いて寝転んだ。
「ごめんな藤井・・・・って、今さら言っても遅いか。」
冷たく吹きつける冬の風が、カタカタと窓を揺らしていた。

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