勇気のボタン 二人の道 最終話

  • 2014.02.08 Saturday
  • 18:30
季節は真夏。暦は八月。灼熱の太陽がジリジリと大地を焼いていく。
「暑い・・・。こんな中を二時間も歩きまわってると死んじまう・・・。」
頭に巻いた白いタオルは汗を吸い込んで重くなり、Tシャツは夕立にでもあったかのようにビショビショに濡れている。
俺は動物たちと神社の境内に腰を下ろし、自販機で買ったお茶をがぶ飲みしていた。
「なかなか見つからないわねえ。めぼしい場所はほとんど捜したのに・・・。」
モンブランが疲れた息を吐く。
「しゃあねえよ。なんたって相手はモグラなんだから。
いくら捜しまわったところで、地面に潜ってたら分かりゃしないって。」
カモンがマサカリの頭の上で首を振る。
「ねえ悠一。どうしてこんな頼みを引き受けちゃったの?
モグラの仇討なんて、どう考えても首を突っ込むのは馬鹿らしいのに。」
マリナが長い尻尾を動かして尋ねてくる。
「仕方ねえのさ。こいつは馬鹿でお人好しだから、モグラの頼みすら断れねえんだ。
ほんっとに、キャン玉のちっちぇえ男だぜ。」
マサカリが肉に顔をめり込ませながら、苛立たしそうに愚痴る。
「俺もう飽きたぞ。ミミズを突きに行っていいか?」
チュウベエが馬鹿丸出しの顔で翼を振る。
俺は言い返すのもめんどくさくて、ひたすらお茶を飲んでいた。
ふん!俺だって後悔してるよ。なんでモグラの仇討なんか引き受けたのか・・・。
十日目前に近所の路地を歩いていると、畑のあぜ道から一匹のモグラが顔を覗かせていた。
こんな昼間にモグラが出て来るなんて珍しいと思い、おもわず話しかけたのが運の尽きだった。
「頼むよあんた!俺の兄貴の仇を討ってくれ!」
何のことか分からずに話を聞くと、どうやらそのモグラの兄貴分が、別のモグラに生き埋めにされたという。
地中で生活するモグラが生き埋めとはこりゃまた・・・・。
そんなもん、川で溺れる魚みたいなもんじゃないか。
しかしそのモグラは言い張った。
「俺の兄貴は、半座ェ門にやられたんだ。でも俺の力じゃ無理だから、あんたが仇を討ってくれ!」
まったくもって意味不明であるが、なぜか俺はこの話を引き受けることになってしまった。
そのモグラは松吉というのだが、まあとにかく人の話を聞かない奴だった。
このままほうっておけば、自分が仇を討つ!と言うので、なんとか宥めているうちにこんな頼みを任されてしまった。
そして半座ェ門とやらが行きそうな場所を教えてもらい、十日もかけて捜索しているのだ。
「ほんとに断ればよかったなあ・・・俺も飽きてきたし、このままバックレようかな・・・。」
飲み干したお茶をゴミ箱に投げ入れ、境内にゴロリと寝転がる。
すると一匹の猫が近付いてきて、俺の頭をペシペシと叩いた。
「だらしないですよ、悠一さん。」
「おお!ジャスミンじゃないか。」
俺は身体を起こし、キジトラの猫を抱きかかえた。
まだ大人というには小さく、子猫というには大きな身体をしているその猫は、ゴロゴロと喉を鳴らして笑った。
「悠一さん、ちょっと疲れてますね。なんだかげっそりしてますよ?」
「まあこう暑いと食欲もで出なくなるよ。お前の方は元気そうだな。」
「ええ、そりゃあもう。毛穴からはち切れるくらい元気ですよ。」
そう言ってさらにゴロゴロと喉を鳴らす。
この猫の名はジャスミン。
今年の初夏に、藤井から任されたあの子猫だ。
あの日、あんなに感動的な別れをしたあと、俺は切ない余韻に浸っていた。
その余韻は次の日まで続き、感傷的な気分になって窓から外を眺めていた。
すると突然家のチャイムが鳴り、藤井がバツの悪そうな顔で立っていた。
「ごめん・・・この子を渡すのを忘れてた・・・。」
相変わらずドジなやつだと笑ったが、よく考えればそのことに気づかない俺もドジだった。
藤井は子猫と幾つかの猫缶を渡し、はにかんだ笑顔で「それじゃ。」と手を振って去っていった。
あの日から八日間、俺はジャスミンの母猫を捜しまわった。
たった一人での同盟の活動。なかなか大変だったが、なんとかジャスミンの母猫を見つけることが出来たのだ。
喜ぶジャスミン、感動する俺とマサカリ達。
だがジャスミンの母猫は冷たかった。
「悪いけど、あんたを育てる余裕はない。ごめんね・・・・。」
母猫は、ジャスミンの他に二匹の子供を抱えていた。
みんなガリガリに痩せていて、生きていくのに精いっぱいという感じだった。
昔に公園の機関車の下にいた猫の親子のことを思い出し、なんだか切ない気持になった。
ジャスミンの母猫に会いたいという気持ちは正しいし、母猫の現実的な意見も正しい。
こういう時は、動物の頼みを引き受けた人間が責任をもって解決しなかればならない。
俺はジャスミンを説得し、家で飼うことに決めた。
母猫は申し訳なさそうにしていたが、彼女が謝る必要など何もない。
人情や愛情だけで、野良の世界は生きていけないのだから。
軽い財布の中身をはたいて母猫に餌を渡し、俺はそのまま帰って来た。
ジャスミンは母を恋しがって泣いていたが、世の中にはどうすることも出来ないことだってあるんだ・・・。
家に帰ったジャスミンは、しばらくずっと泣いたままだった。
しかしすぐに他の動物たちと打ち解け、仲良くなっていった。
ジャスミンという名前も、モンブランが付けたものだった。
ジャスミンはその名を大いに気に入り、我が家にもずいぶん馴染んでくれたが、ここで問題が起きる。
・・・我が家の財政がやばいのだ・・・・。
たかが猫一匹増えただけと侮るなかれ。
動物を飼うということは、餌代やトイレの砂代だけではなく、それなりの病院代がかかるのだ。
残念ながら今の俺には、人に自慢出来るような収入は無く、自分の生活を切り詰めることで動物を養っている状態だ。
そこへ子猫が一匹増えたとなると、俺は毎日を煮干しと沢庵だけで過ごすハメになり、おそらくそんな生活は続かない・・・。
どうしようかとジャスミンを抱きながら散歩に出かけると、今いる神社に辿り着いた。
ここは猫神神社。昔にセンリという偉い猫の神様がいたらしくて、その神様を祭っている神社だ。
何気なしに境内へ入って腰を下ろしていると、ふいに後ろから誰かに話しかけられた。
「あらあら、誰かと思えばあの時の・・・・。」
聞き覚えのある声に振り返ってみると、そこには真っ白な毛並みをした綺麗な猫が座っていた。
「・・・たまき?お前はたまきじゃないか!」
そう、かつて俺に道を開くきっかけを与えてくれた猫が、すぐ目の前にいたのだ。
「久しぶりね。あの時よりずいぶん成長したみたいだけど、顔がげっそりよ。
ちゃんとご飯は食べてる?」
俺は驚きと嬉しさのあまり泣きそうになり、ジャスミンを抱きしめながら答えた。
「ええっと・・・あんまり良い食生活は出来てないな。
家にいっぱい動物がいて、とにかく金が掛かるもんでさ。」
泣くのもカッコ悪いので、グッと涙を堪えていた。
するとたまきは俺の心を見透かしたように、「一人で辛くない?」と首を傾げて尋ねた。
「あんたの周りには動物はたくさんいるみたいだけど、心を許せる人間はほとんどいないんじゃない?」
「ああ・・・そうだよ・・・。藤井っていう彼女がいたんだけど、ちょっと事情があって今は離れてるんだ。」
「なるほど・・・。あのね悠一、一人で意地を張るのと、一人で強く生きていくのは違うんだから無理しちゃダメよ。
あんたは意地を張るところがあるから、もっと素直に人に対しても心を開かないと。
そうしないと、今の生活だってもっと苦しくなって、動物も養えなくなるかもしれないわよ?」
「・・・・・・・・・・。」
その時、やっぱりこいつはたまきだと思った。
この鋭い発言や、相手を包み込むような柔らかい口調。
俺はとうとう我慢が出来なくなって、一筋だけ涙をこぼした。
そして胸に抱えている心配事をポツリポツリと語り始めたんだ。
「実は・・・今すごく困ってることがあるんだ。
この子猫を引き取ったのはいいんだけど、養えなくて困ってる。
でも捨てるわけにもいかないし、かといってすぐに収入のある仕事に就けるわけでもないし・・・。
もう・・・どうしたらいいのか・・・・。」
堪えていた涙がまた流れ落ち、思わず顔を逸らした。
以前なら、こういう時に心の支えになってくれたのは藤井だった。
あいつは自分なんか役に立たないと言っていたが、それは違う。
あいつが傍にいたから、俺は何だって頑張ることが出来たんだ。
どんな悩みでも、正面から真剣に受け止めてくれたから・・・・。
あの日、カッコをつけて藤井を送り出したくせに、今度は俺の方が参ってる。
なんて情けなくて頼りないんだか・・・・・。
自分を責める心が溢れだし、もはや涙を止めることが出来なかった。
涙と鼻水を垂らしながら俯いていると、たまきは静かな声で「悠一、顔を上げなさい」と言った。
「その子猫を私に預けなさい。」
「たまき・・・。」
「あんたは何でも一人で抱え込みすぎなのよ。どうせその子猫は、あんたの彼女から預けられたものなんでしょ?」
どうして分かる?と尋ねようとしたが、たまきにそんな質問はナンセンスだった。
こいつは何でも見抜いてしまうのだから。
「そこまで生活が苦しいなら、その彼女に言って子猫を飼うお金くらい振り込んでもらえばいいものを、まったくあんたは意地っ張りなんだから。」
「で、でも・・・・それはちょっとカッコ悪いかなって・・・・。」
「あんたは体裁を気にしてご飯が食べられるほど偉くないでしょ?
自分一人のことでもいっぱいいっぱいくのクセに。
いいからその子は私に預けなさい。」
まるで母親のように厳しく言われ、俺は躊躇いながら頷いて子猫を預けた。
「名前は?」
「ああ・・・ジャスミンっていうんだ。」
「そう。ならジャスミン、これからは私があんたの母親代わりになってあげるわ。
大人になるまでは、私と一緒にここで暮らしましょう、いいわね?」
「・・・・・・・・・・。」
ジャスミンはたまきに怯え、俺の方に目を向けて来る。
「・・・ごめんなジャスミン。今の俺じゃ、お前まで手が回らないんだ。
偉そうなことを言って引き取ったクセに・・・ほんとに申し訳ない。」
目を瞑り、深く頭を下げた。
するとジャスミンは、俺の気持ちを理解してくれたようにコクリと頷いた。
「分かった・・・。でも、たまには会いに来てくれるよね?」
「ああ、もちろんだ。ここは家からそんなに遠くないし、いつでも会いに来るよ。
だから・・・我慢してくれるか?」
俺は真っすぐにジャスミンを見つめる。
透き通った大きな子猫の目は、じっと俺の心を覗いているようだった。
「じゃあ約束ね、きっと会いに来てくれるって。
それなら・・・私はここで暮らすよ。」
そう言って小さな尻尾を持ち上げ、「指きりしよ」と微笑んだ。
俺は小指を絡めて指きりをして、ジャスミンの頭を優しく撫でた。
「じゃあなジャスミン。またすぐに会いに来るから。」
「うん、待ってる。」
ジャスミンは喉を鳴らして俺を見上げ、バイバイと言って尻尾を振った。
「たまき、ジャスミンのことよろしく頼むな。それじゃ。」
そう言って神社を後にしようとした時、「待ちなさい」と呼び止められた。
「どうした?」
足を止めて振り返ると、たまきは境内の下に入り、何かを咥えて出て来た。
「これ持って行きなさい。大した額じゃないけど。」
彼女の口には白い封筒が咥えられていて、俺の足元にポトリと落とした。
まさかとは思いつつ中を覗いてみると、やはりお金が入っていた。
それも諭吉さんが五枚も・・・・・・。
「お、お前・・・・とうとう犯罪に手を染めて・・・・、」
するとバシっと足を叩かれて「馬鹿!」と怒られた。
「それは私が稼いだお金よ。まあ猫にそんなもの必要ないんだけど、報酬だっていうから受け取っただけ。
あんたにあげるわ。」
「ほ、報酬って・・・・いったい猫がどうやって金を稼ぐんだよ?」
「世の中にはね、あんたみたいな若僧が知らないことはたくさんあるのよ。
知らなくてもいいことだってたくさんあるわ。
だから細かいことは気にせず、それでちょっとはマトモな物を食べなさい。」
「・・・・・いいのか?ほんとにもらっても?」
「私には必要ないからね。持って行きなさい。」
正直ありがたかった。もうほんとに、俺の家の財政は破綻寸前だったから・・・。
「悪いな、ありがたく使わせてもらうよ。」
拝むように白い封筒を掲げ、ポケットにねじ込んだ。
「いい、悠一。あんたはとにかく意地を張るところがあるから、それは直すこと。
そうしないと、今の苦しい生活は何も変わらないわよ。
いつまでも遠くにいる彼女に気を遣ってると、自分の人生が息詰まるだけよ。
もっと素直に、前向きに生きなさい。」
たまきはそれだけ言い残し、ジャスミンの首を咥えて地面に下りる。
そして神社の裏の方へサッと走って行った。
「お、おい・・・たまき!」
後を追いかけたが、たまきとジャスミンは忽然と姿を消していた。
神社の周りをグルリと捜してみても、もう見つけることは出来なかった。
「あいつ・・・・やっぱり不思議な猫だな。まさか猫又とかだったりして・・・・。
いや、そんなことあるわけないか。いくらなんでも妖怪ってのはさすがに・・・・な。」
自分で言って自分で馬鹿らしくなり、少しだけ笑ってしまう。
俺は神社に向かって頭を下げ、心の中でたまきに礼を言ってその場を後にしたのだった。
あれから二カ月近くが経ち、俺はその間にもチョコチョコとここへ来ていた。
ジャスミンにはよく会うものの、たまきにはまったく会えない。
一度だけジャスミンにたまきのことを尋ねたが、「秘密」と笑って教えてもらえなかった。
まあいいさ。たまきが何者であれ、俺はあいつのおかげでまた救われたんだ。
いくら感謝してもし切れないから、いつかは恩返しがしたいと思っている。
もし俺が今より成長したら、たまきはきっと姿を見せてくれる。そんな気がするから・・・。
「ねえ悠一。もうそろそろ行きましょうよ。あんまり休んでるとほんとにバックレたくなるわよ。」
「そうだな。それじゃそろそろ行くか。」
俺は腰を上げ、ジャスミンの喉を撫でてから境内に下ろした。
「それじゃまた会いに来るから。たまきによろしくな。」
「うん、暑いから熱中症にならないように気をつけてね。」
俺は笑いながら頷き、動物たちも「じゃあなジャスミン」と声を掛ける。
木陰に覆われた神社の階段を下りながら後ろを振り返ると、もうジャスミンの姿は消えていた。
「あいつも不思議な感じがする猫だよな。まあ、たまきと一緒にいればそうなるか。」
俺は小さく「またな」と呟き、動物たちと並んで神社を後にした。

            *

神社の佇む山が、夏の日差しに照らされている。
猫神神社をあとにした俺は、川を挟んだ土手の広場から、じっとその景色を眺めていた。
「どうしたの?そんなに遠くを睨んでさ。」
モンブランが不思議そうに尋ねてくる。
「いや・・・あの神社って、これから何度もお世話になりそうな気がしてさ。
まあただの勘だけど。」
そう言うと、マサカリとカモンが吹き出した。
「だはははは!お前に勘なんてあるのかよ?」
「もしあったとしても、ケータイの電波一本分以下だろ?
まだコックリさんの方が信用出来そうだぜ。」
「うるさいな。俺にだって勘ぐらいあるよ。」
すると今度はチュウベエが尋ねてきた。
「そりゃ面白い。ぜひお前の勘ってやつをみせてくれ。
今から十秒後に、いったい何が起こると思う?」
そう言って頭の上で翼を広げながら馬鹿にしたようにからかう。
「いいだろう、今から十秒後の未来を当ててやる。
う〜ん・・・・、多分、翔子さんが俺の後ろから肩を叩いてくる。」
「ブブ〜!正解は頭の上にウンコを落とされるでした。」
チュウベエは嬉しそうに笑って、プリっと糞を落としていく。
「おいコラ!何するんだお前は!」
捕まえようとすると、慌てて飛び上がって逃げられてしまった。
「だはははは!チュウベエのやりそうなことだ。
悠一もそれくらい予想しろってんだ。」
マサカリは肉厚の顔を揺らして大笑いするが、頭に何かが落ちてきて首を傾げた。
「ん?なんだこれは?」
「俺のウンコ。お前も俺の行動が読めてない。」
チュウベエはケタケタ笑い、マサカリは牙を剥き出して唸る。
「てめえ・・・今日こそは焼き鳥にしてやる!」
「誰がイノブタ犬に捕まるか。ぺっぺ。」
「うわ、汚いわねえ・・・。唾を飛ばさないでよ!」
「まあしょせん鳥類だから、一ミリくらいしか脳みそがつまってないんだよ。
そのてんハムスターの俺は・・・・ん?頭に何かが・・・・。」
「カモンも俺の行動が読めてない。全員ウンコまみれ。」
「てめえ!焼き鳥にしてやる!」
「だから唾が飛んでるんだって!この馬鹿オスども!」
うるさいほど喚きながら、動物たちは暑さもにも負けずに暴れ回る。
マサカリの背中に乗ったマリナが、陽射しに目をうっとりさせて呟いた。
「はあ・・・夏は血が温まるわ。最高。」
俺はその光景を眺めながら、ホッとした思いでいた。
藤井が去ってから明るさを失っていたけど、今は元気なマサカリ達に戻っている。
そうだよ・・・これが俺の家族なんだ。
うるさいくらいに明るくて、いつでも退屈しないほどトラブルを起こす。
これこそが俺の生活だったんだ。
藤井と同盟を組む前からずっと、こんな感じで過ごしていたんだ。
そう思うと、ふと不思議な気持ちになった。
「俺って・・・昔と比べてほんとうに変わったのかな?
藤井といる時は変化する自分を自覚していたけど、今は・・・よく分からないな。
でもまあ、これも人生の変化ってやつなのかもな。」
意味もなく感傷的になって動物たちを見つめていると、誰かにポンと肩を叩かれた。
「有川さん。」
お、この声は・・・・・。
俺は後ろを振り返って、肩を叩いた女性に笑いかけた。
「こんにちわ、翔子さん。」
「今日はみんなでお散歩ですか?ずいぶん賑やかだけど。」
「ええ、チュウベエが糞を撒き散らしてみんな怒ってるんです。ほら、俺も。」
そう言って頭を見せると、翔子さんは可笑しそうに笑っていた。
「いいですね、私もインコに糞を落とされてみたい。」
「そ、そうですか・・・・あんまりオススメしないですけど・・・。」
やっぱり変わったところがある人だ・・・・。
そう思いながら苦笑いをしていると、「冗談ですよ」と笑い返された。
「おうおう悠一!何を鼻の下を伸ばしてやがんでえ!
ほんっとにお前は美人に弱えなあ。」
マサカリがヨダレをまき散らしながら文句を飛ばす。
「お前こそ餌をもらう気満々じゃないか。汚いヨダレを垂らしてからに。」
「あははは!いいよ、ちゃんと持って来てるからあげる。」
「すいません・・・毎回毎回・・・・。」
俺は恐縮して頭を下げ、マサカリは遠慮もなしに翔子さんの手から餌をもらっている。
「あ〜あ・・・またうちのご主人の手をべちゃべちゃにして。
だからあんたは汚いのよ。顔も中身も、そして前世も。」
「なッ・・・ぜ、前世も汚い・・・・だと・・・。」
コロンの痛烈な毒に固まるマサカリ。しかし餌だけはしっかり食べていた。
いつかカモンとコロンで毒舌を対決をやらせてみたいものだ。
「はい、もうないよ。お終い。」
「あ〜あ、これっぽっちかよ・・・。もっとくれよ。」
「もらえるだけでもありがたいと思え。どこまで図々しいんだよお前は。」
マサカリの頬の肉をブヨブヨと引っ張り、リードを引いて翔子さんから引き離した。
「いいなあ、こういう生活ってすごく楽しそう。」
「いやあ、けっこう大変ですよ。
どいつもこいつも個性的すぎて、ほんとに手に負えない時があるから。」
するとモンブランがサッと駆け寄って来て、「私はお淑やかでしょ?」と流し目をよこしてくる。
「どこがだよ、お淑やかのおの字もないっての。」
モンブランの頭をワシャワシャと撫でまわし、ゆっくりと立ちあがって夏の陽射しに目を細めた。
今年は本当に暑い。出来ればこのまま家に帰りたいが、そういうわけにもいかないだろう。
このままほうっておけば、松吉は半座ェ門に仇討をしに行ってしまうかもしれないのだから。
「それじゃお前ら、モグラを捜しに行くぞ。」
「ああ、そういえば忘れてた。」
「ていうかもういいんじゃないか?ほうっとこうぜ。」
カモンとチュウベエはめんどうくさそうに言う。
「俺だって辞めたいよ。でも引き受けた以上は仕方ないだろ?」
「じゃあさ、もしモグラを見つけたら仇討するの?」
モンブランが尻尾を揺らして尋ねて来る。しかも妙に目をキラキラさせて・・・。
う〜ん、危険だ。こいつは多分モグラを食う気でいるのだろう。
「まさか、そんなことはしないよ。ただ向こうのモグラにも話を聞くだけだ。
松吉は人の話を聞かない奴だから、きっと何かの誤解をしているんだと思う。
だから半座ェ門にあって、詳しい話を聞かないとな。」
流れる汗を拭きながら言うと、翔子さんが興味津津の目を向けてきた。
「なんだか面白い話をしてますね。モグラを探すんですか?」
「ええ、ちょっとやっかい事を頼まれまして。」
「じゃあ私も混ぜて下さい!こう見えても土掘りは得意なんですよ!」
そう言って力強く拳を握る。
この人・・・やっぱり変わってるところがあるよなあ。
でも人手は多い方が助けるというもの。俺はその好意を受け取ることにした。
「じゃあお願い出来ますか?」
「ええ、、もちろん!コロンも一緒に手伝いますから!」
勝手に参加を決められ、コロンはえらい迷惑そうな顔で「私は嫌だわ・・・」と呟いていた。
俺は今では、翔子さんの目の前でも堂々と動物たちと喋るようにしている。
はっきりと動物と話せると言ったことはないが、もう完全にバレバレだろう。
しかし人のいい翔子さんは一切にそのことにツッコミを入れず、当たり前のように振舞ってくれている。
それはとてもありがたいし、お互いに余計な気を遣わずにすむというものだ。
「あ、でも今日は仕事は大丈夫なんですか?」
そう尋ねると、翔子さんは「ええ、今日は日曜日ですから。」と笑った。
「そうか、そうだったな。なんだか最近曜日の感覚が無くて困ってるんですよ・・・ははは。」
「そうなんですか?でも今はお仕事をされているんですよね?」
「ええっとですね・・・一週間ほど前にクビになりました。
動物のことで色々と時間を使っていたら、遅刻やら無断欠勤やらで・・・。
また次の仕事を捜さないといけなくて。」
「それは大変ですね・・・・。」
そう、大変なのだ。このままでは一家全員飢え死にしてしまう。
それなのに、俺は呑気にモグラなど捜しているわけだ。
まったく・・・・どうしてこうも俺は動物に振り回されるのか。
しかしいくら嫌だと思っていても、困っている動物がいたらほうっておけないのが性分なのだ。
頭を掻きながら苦笑いをみせていると、翔子さんは窺うような目で俺の顔を覗き込んだ。
「あのですね・・・・もしよかったらなんですけど・・・・。」
いつもの翔子さんらしくない不安そうな声で尋ねられ、俺は思わず身構えてしまう。
「な、なんでしょうか・・・・?」
「今はお仕事はされていないんですよね?」
「はい・・・プータローですが・・・。」
「でも早く次の仕事を見つけたいと・・・?」
「そうしないと生きていけないですからね・・・・。」
「じゃあ・・・私の所で働きませんか?」
「へ?翔子さんの?」
アホみたいな間抜け面で聞き返すと、翔子さんは真剣な顔で頷いた。
「この近くにうちの会社の販売所があるんですけど、一人辞めちゃったんですよ。
だからもしよかったら、そこで働いてみませんか?」
これは・・・思いもよらない天の恵みでは・・・。
「でもいいんですか?そんなに簡単に決めちゃって。
俺なんか、動物のことで遅刻やら何やらでクビになる男なのに・・・。」
「う〜ん・・・まあいきなり正社員は難しいかもしれないですけど、アルバイトなら問題ないと思いますよ。
それにうちの会社は、ちゃんと真面目に働く人なら正社員に登用することもよくありますから。
だからもし有川さんさえよければ・・・・・。」
もちろん俺に断る理由などない。理由などないのだが・・・・・。
しかし素直には頷けない。
それは藤井のことがあるからだった。
この話を聞いたら、あいつはどう思うだろう?
多分・・・いや、きっと良い顔はしないだろう。
言葉には出さないが、あいつは翔子さんのことはあまり好きではなさそうだったし。
でも働かないと食っていけないわけで・・・・、う〜ん・・・困った。
「やっぱり・・・・ダメですか?」
翔子さんは遠慮がちに俺の顔色を窺う。
「あ、あの・・・・一つ聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「その・・・どうしてそんなに俺に気を遣ってくれるんですか?」
「・・・どういうことですか?」
「以前にコロンを助けた時、翔子さんはお礼をしてくれましたよね?
家に呼んでくれて、お父さんにも会わせてくれて。
しかも豪華な夕食まで御馳走してくれたし。
おまけに文房具や靴もたくさんもらって、なんだか逆に悪い気がしちゃったんです。」
「何言ってるんですか。コロンの命の恩人なんだから、それくらい当然ですよ。」
「で、でも!今だって俺に仕事を紹介してくれたし・・・・。
ただの犬の散歩友達なのに、どうしてそこまでしてくれるのかなって・・・・。」
はっきり言って、翔子さんは優しい。
いや、はっきり言わなくても優しいのだが、それでもどうしてここまで俺に優しくしてくれるのか?
別に深い意味なんてないのかもしれないし、まさかに俺に惹かれているなんてことはもっとないだろう。
困った顔で考え込んでいると、翔子さんは笑いながら俺の背中を叩いた。
「有川さん。」
「は、はい・・・。」
「私たちは、ただの犬の散歩友達じゃないですよ。
今は立派な普通の友達じゃないですか。」
「ふ、普通の・・・友達?」
「はい!まあ普通って変な言い方だけど、でも犬の散歩友達ってなんだか限定的じゃないですか。
そうじゃなくて、私たちは犬のことが関係なくても友達って意味です。
それに・・・有川さんは私の憧れの人でもありますから。」
「あ、憧れ・・・・ですか?」
「だって有川さんは動物と・・・・・、ね?」
「あ・・・ああ!そういう意味ですか!ああ、ええ・・・なるほどねえ・・・ははは。」
ああ、少し焦った・・・。憧れだなんて言うもんだから、妙なことを想像してしまった。
「私はね、ほんとうに友達だと思える人は大切にしているんです。
心を許せる友達って、ある意味じゃ恋人よりもっと大切な存在ですよ。
ちょっと恥ずかしい言い方をすると、人生の宝っていえるくらい大切なものだと思ってるんです。
だから・・・友達が困っていたら放っておけないでしょ?」
翔子さんは少しだけ首を傾げ、屈託のない笑みを向ける。
俺はドスン!と心を打ち抜かれたように、しばらく言葉が出てこなかった。
友達・・・・心を許せる友達か・・・・・。
そういえば、今までにそんな相手と出会ったことはなかったな。
藤井は大切な存在だけど、あいつは恋人であって、友達とはまた異なるんだろうな。
その時、俺はようやく気づいた。
どうして翔子さんと会うのが楽しみだったのか?どうして翔子さんと一緒にいると心が落ち着くのか?
それは友達だったからだ。
そこでふと、この前たまきに言われたことを思い出した。
『意地を張るクセを直すこと、そして素直に前向きに生きること』
そうか・・・そうだよな・・・。
いくら藤井が恋人だからって、あんまりあいつに気を遣ってると、人生が息詰まるだけって言われたもんな。
そうだよ、あいつだって自分を鍛える為に、前の彼氏の所で働いてるんだ。
そしてそれを後押ししたのは俺なんだ。
自分の道を拓くには、まず自分のことを考えなきゃいけないんだ・・・・。
「翔子さん。」
俺は足を止めて翔子さんの方を向き、小さく頭を下げた。
「その・・・お願い出来ますか?仕事のお話を・・・。」
「もちろんですよ!ていうか頭なんて下げなくていいですから。
困った時は持ちつ持たれつ、それが友達でしょ?」
翔子さん・・・あなたはなんて良い人なんだ・・・。
これ以上何かを言われたら、ちょっと泣きそうですよ。
俺は顔を上げて頭を掻き、照れと嬉しさを誤魔化した。
「じゃ、じゃあお願いします。仕事の件・・・。」
「はい!細かいことは近いにうちに連絡しますね。
それじゃあ・・・モグラを探しに行きましょうか?」
「そうですね。でもどっかで飲み物を買ってから行きましょう。
こう暑いと干上がっちゃいますから。」
俺たちは土手の向こうにあるディスカウントショップへ向かう。
マサカリが俺にも何か買ってくれと騒ぎ出し、コロンに痛烈な毒を吐かれて黙っていた。
モンブランは暑さにも負けずに俺達の前を歩き、カモンはマサカリの頭の上でウィンクを飛ばしている。
チュウベエは翔子さんの肩にとまってピーチクさえずり、マリナはマサカリの背中で陽射しにウットリしている。
翔子さんは楽しそうに喋りながら動物たちを見つめているし、コロンはめんどくさそうに明後日の方を向いている。
誰もかれもが個性的で、やっぱり今年の夏も退屈しない。
もうすぐ八月も終わってしまうけど、暑さはまだまだ残るだろう。
藤井・・・お前は頑張ってるか?
俺は俺で楽しくやってるぞ。
お前と離れてから二カ月近く経つけど、ほとんどメールがないのは忙しいせいかな?
まあ・・・きっと今は自分のことが優先なんだろう。
それでいい、そうじゃないと、俺達が離れた意味がない。
俺だって、また新しく自分の人生を歩き始めたんだから。
ずっと二人でいられると思っていた時間は幻で、それは悪いことじゃないのかもしれない。
俺と藤井は出会って、そしてお互いが変わり始めたんだ。
俺はあいつからたくさんのものをもらって、もしかしたらあいつだって俺からもらってたのかもしれない。
だから変わり始めたんだ。
今はそれぞれの道を歩く時なんだ。
こうやって離れることで、大事なものが見えることだってあるんだから。
そして・・・いつかお前と再会した時、俺は心の中にしまってある言葉を伝えるよ。
『お前が好きだ。だから、ずっとそばにいてほしい。一生、俺のそばにいてほしい』
この想いを受け取ってくれるかどうかは分からないけど、でも必ず伝えるよ。
今日、家に帰ったら手紙でも書こうかな。
仕事が決まりそうだってことや、マサカリ達が相変わらず暴れ回ってることを。
だったらディスカウントショップに行ったら、手紙用の封筒も買わないとな。
土手に上ると、蒸し暑い風が吹き抜けた。
それは夏の終わりを告げる、切ない風のようにも思えた。
暑さは残っても、八月が終わればもう夏じゃない。
楽しさと切なさが混ざり合う不思議な季節は、もう終わりに近づいている。
ここからまた秋が来て、冬が来て・・・・・。
次の夏が来るまでに、俺自身はどんなふうに変わっているんだろう?
この夏が過ぎれば、また来年も夏が来る。その時、今よりも成長出来ているようにしっかり歩かないと。
俺は一人じゃない。動物たちもいるし、翔子さんもいる。
そして・・・遠く離れていても、強い絆で結ばれた藤井がいる。
土手に立ち止まって夏の終わりの景色を見ていると、マサカリにグンとリードを引っ張られた。
「なにボーっとしてんだよ。みんな行っちまうぜ。」
「ああ、早く飲み物を買いに行こう。ついでにお前のおやつもな。」
マサカリは喜んでリードを引っ張って行く。
俺は一瞬だけ土手の向こうを振り返り、青々と茂る草と、昂ぶる空を見つめた。
「藤井。またいつか、絶対に二人でこの場所を歩こうな。」
マサカリに引っ張られながら土手を駆け降り、木の根っこにつまづいて転んでしまった。
遠くで待つ翔子さんと動物たちが笑い、俺は苦笑いしながら立ち上がる。
そして去りゆく夏に背中を向けながら、みんなの元へ走って行った。


                                 完

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