ダナエの神話〜異星の邪神〜 第十話 月の女神と二つの世界(4)

  • 2014.04.05 Saturday
  • 20:13
メタトロンがアーリマンを倒した頃、サンダルフォンは月の手前まで来ていた。
「兄ちゃん大丈夫かなあ・・・。」
不安そうに呟くと、加々美が安心させるように笑いかけた。
「大丈夫だと思うよ。彼は最強の天使なんだから、滅多なことじゃ負けないって。」
「そうだといいんだけど・・・。」
兄を心配しながら飛んでいると、天使の軍団が出迎えてくれた。
「これはサンダルフォン様!」
鎧を着た勇ましい天使が、膝をついて頭を下げた。
「ねえ、ミカエルたちはどこにいるかな?」
「ミカエル様なら、月の入り口におられます。」
「月の入り口?ああ、中の世界に入る為の入り口だね。」
「はは!」
「ありがとう。それじゃみんな、しっかりと月の警護をお願いね。」
「ははあ!」
サンダルフォンは天使たちの間を抜け、月の真上まで移動した。
「あったあった。これが月の入り口だ。」
月の真上には、七色に輝く大きな穴が空いていた。まるで虹の膜が張ったように、ゆらゆらと揺らいでいる。
その周りには、四人の巨大な天使が立っていた。サンダルフォンは彼らに手を振り、虹色の穴の近くに降り立った。
「みんな!」
「おお!これはサンダルフォン殿。どうしたのだ、突然月へ来られるとは?」
そう尋ねたのは、朱色の鎧を着た逞しい天使だった。短い黒髪に厳しい表情をしていて、長い槍を持っていた。
「ミカエル。この人を月の中に入れてあげたいんだ。」
「む?それは人間だな。どうしてその者をこの中へ?」
「ええっと・・・実はね、この人は加々美幸也といって、十五年前の事件の・・・、」
サンダルフォンはたどたどしく説明した。ミカエルは黙って話を聞いていて、「なるほど」と唸った。
「物語を書き換えてもらう為に、月へ来たと。」
「うん。ここなら安全だからね。それに妖精王のケンは、彼のお兄さんだから。」
「了解した。そういう事情ならば、その者を中に入れることを許可しましょう。人間よ、虹色の穴の中に入るがいい。」
ミカエルは穴に向かって槍を向けた。
「入るがいいって言ったって、心の準備が・・・・。」
「案ずることはない。この中には妖精の世界が広がっているだけだ。危険なことは何もない。」
「そ、そうかい・・・なら・・・・。」
サンダルフォンは穴の傍に加々美を下ろした。
「じゃあしっかり頼むよ。君の力に全てが懸かっているといっても、過言じゃないんだから。」
「プ・・・プレッシャーを与えるようなことを言わないでくれよ。」
加々美はネクタイを締め直し、じっと穴の中を睨んだ。虹色の光がどこまでも続いていて、奥がどうなっているのか全く見えなかった。
「これって・・・このまま飛び降りても大丈夫なのかな?」
「心配ない。そのまま飛び込めばよい。」
「そ、そうか・・・。じゃあ・・・・。」
目を閉じて深呼吸をし、気持ちを落ち着けた。そしてじっと穴の中を睨み、「とう!」と叫んで飛び込んでいった。
「頼んだよ、加々美幸也。」
サンダルフォンは加々美を見送ると、ミカエルに向き直った。
「月に異常は無いかい?」
「今のところは特に。地球の方は如何か?」
「ええっと・・・それなんだけど、落ち着いて聞いてくれよ。」
「それは聞いてみないと分からない。」
「うん、確かにそうだね。実は・・・・空想の牢獄から、ルシファーたちが逃げ出しちゃったんだ。」
「・・・・・・・・え?」
「いや、だから・・・空想の牢獄から、ルシファーたちが逃げ出しちゃったんだよ。だから、もしもの時には、みんなにも戦ってもらわないといけないんだ。」
「・・・・・すまん。言っている意味がよく分からない。空想の牢獄から、あの悪魔たちが逃げ出しただと?」
「うん。」
「いや・・・それは有り得ないだろう。なぜなら、あそこを開ける鍵を持っているのは、私とあなたの兄上だけなのだから。」
「ええっとね・・・それには事情があって・・・。まずね、クトゥルーは空想の深海から逃げ出して・・・・、」
サンダルフォンの口から、予想もしないことがポンポンと飛び出してきて、四人の天使は言葉を失くして固まっていた。
「・・・・・というわけなんだ。だから地球はちょっと大変なことになってて・・・、」
そう言いかけた時、後ろから怒鳴り声が響いた。
「ちょっとどころではないだろう!それじゃ何か?地球は悪魔の手に落ちたってことか?」
「ウリエル・・・声が大きいよ。」
ウリエルと呼ばれた天使は、実に猛々しい顔をしていた。紫の鎧を身に着け、頭はサッパリと丸刈りだった。
「サンダルフォン殿!あなたとメタトロン殿がいながら、どうしてこのような事態になったのか!」
ウリエルは険しい表情で剣を握りしめた。
「落ち着けウリエル。怒っても仕方ないだろう。」
「ラファエル!お前はなんとも思わないのか?」
ラファエルと呼ばれた天使は、甘いマスクをした優しそうな男だった。青い鎧を身に着け、金色の長い髪をしていた。
「何も思わないわけはないさ。しかし起こったものはしょうがないだろう?」
「地球の神々は滅び、ルシファーたちが暴れ回っているかもしれんのだぞ?しかも・・・その原因を作ったのは、スサノオとかいう神だ。こんな情けない失態があるか!」
ウリエルの怒りは収まらない。すると横に立っていたもう一人の天使が、ポンと彼の肩を叩いた。
「ラファエルの言うとおりです。起こってしまったものは仕方がありません。今やるべきことは、地球を悪魔から取り戻す方法を考えることです。」
「ガブリエル、お前も呑気だな。考えるも何も、今から地球に乗り込んでルシファーたちを討ち取ればいいんだ。」
ガブリエルと呼ばれた天使は、美しい女性の天使だった。柔和な表情に、芯の強そうな瞳。黄色い鎧を身に着け、ウェーブのかかったブラウンの髪をしていた。
「それが難しいから、考えなければいけないのです。いま私たちがここを離れたらどうなりますか?もし敵が襲って来たら、誰がここを護るのですか?月は地球を取り戻す為の最後の砦なのですよ?そこのところはきちんと理解しているのでしょうね?」
「あーあーもういい、分かった。まったく・・・お前はすぐそれだ。理詰めと質問責めで相手の口を塞ぐ。」
「でも言っていることは正しいでしょう?」
「はいはい、そうですね。まったく・・・どいつここいつも冷静な顔しやがって・・・。」
ウリエルは不機嫌そうに口を噤んだ。
「まあまあ・・・気持ちは分かるけど、焦って動くとかえって危険だから。」
サンダルフォンは皆を取りなすように笑い、ミカエルを振り返った。
「僕は今から地球に戻るよ。兄ちゃんが心配だからね。」
「うむ。もしもの時は、すぐに知らせてくれ。我々も加勢しよう。」
「うん、それじゃ。」
サンダルフォンは手を振って地球に戻って行った。


            *


その頃、加々美は妖精の世界を彷徨っていた。それはケルト神話に出て来る常若の国にそっくりだった。
「まるで楽園のような場所やな・・・・。」
辺り一面に花が咲き誇り、蝶やトンボが飛んでいる。遠くには海が見えていて、桜の木が並んでいた。鳥も動物も自由にくつろいでいて、まるでお伽話の世界にいるようだった。
あまりに美しい景色のために、つい関西弁が出てしまった。
「十五年前の事件の時・・・俺だけ地球に残された・・・。兄ちゃんも里美も月へ行ってしもて、独りぼっちになってしもたんや・・・。あの時は寂しかったなあ。」
しみじみとしながら歩いていると、妖精の群れと出くわした。
「おお!本物の妖精や。もう二度と見たくないと思ってたけど、やっぱり可愛いもんや。」
十五年前の事件の時、妖精は人間を襲って暴れていた。建物を壊し、人を殺し、加々美も死にそうになった。
苦い経験が蘇り、思わず目を瞑っていると、後ろから声を掛けられた。
「・・・幸也・・・?」
それは聞き覚えのある声だった。まさかとは思いつつ振り返ると、そこには大人びた雰囲気の妖精が飛んでいた。
「・・・あ・・・・あああ・・・・あああああ!」
「・・・やっぱり・・・やっぱり幸也だ!」
「里美!」
二人は手を握り合い、涙を浮かべて見つめ合った。
「・・・ウソ・・・・信じられない・・・。なんで幸也がここにいるの・・・?」
「ああ、これには事情があって・・・・って、そんなことはどうでもええ!まさかまたお前に会えるなんて・・・・。」
里美と呼ばれた妖精は、懐かしそうに加々美を見つめていた。気の強そうな目に、端整な顔立ちをした美しい妖精だった。
「幸也・・・元気そうでよかった・・・。」
「それはこっちのセリフや・・・。こうしてまた会えるなんて・・・まるで夢みたいやで。」
幸也はそっと里美を抱きしめた。潰さないように優しく手で包み、胸の中に抱き寄せる。
「うふふ・・・泣き虫なのは相変わらずね。もう今年でいくつよ?」
「・・・四十四になってしもたわ。えらいおっさんやろ?」
「ううん、十五年前とそんなに変わってないよ。ちょっとシワが増えたくらい。あとは顔に締まりがなくなったくらいかな。ちょっと覇気も衰えてるし。」
「めちゃくちゃ変わってるやないか。」
「ふふふ、冗談。ほんとに歳とってないよ、今でも充分若い。」
「お世辞にしか聞こえんわ。お前は妖精やから歳とらんでええもんな。」
「まあね、ふふふ。」
二人はしばらく見つめ合い、そっと身体を離した。
「ねえ、どうしてここへ来たの?」
「ああ、ちょっと複雑な事情があってな。」
「・・・最近外が騒がしいんだけど、それと何か関係があるの?」
「うん・・・。とりあえず今から兄ちゃんに会いに行こうと思ってるんやけど、どこにおるか知ってるか?」
「ええ、妖精王なら岬のお城に住んでるわ。ほら、ここから見えるでしょう?」
里美は海の端に見える、小さなお城を指さした。
「おお!あそこに住んでるんか。兄ちゃんも立派になったもんや。昔はただのフリーターやったのに。」
「そんなこと言ったら怒られるよ。今じゃ立派に妖精の世界を治めてるんだから。」
里美はピンと加々美のおでこを弾いた。二人が笑い合っていると、彼女の後ろから、「ママ〜」と子供の妖精が飛んできた。
「ママ!」
「あら、こんな所まで来ちゃったの?パパはどこ?」
「向こうの洞窟。みんなとお酒を飲んでる。」
「また昼間っからお酒か。何度注意しても治らないんだから・・・。」
里美はプクッと頬を膨らませた。
「あ、あの・・・・その子は・・・?」
「あ、この子?マヤっていうのよ。今年で五歳。」
「里美の娘か?」
「まあね。こっちに来てから仲良くなった人がいて、七年前に結婚したんだ。」
「そ、そうか・・・・そうやんな・・・。あれから十五年も経ってるんやから、子供くらいおって当たり前か・・・。」
「幸也は?結婚は?」
「・・・一回だけしたけど・・・別れたな。娘が一人おるけど。」
「へええ・・・見てみたいなあ、幸也の子供。」
「・・・・・・ダナエ・・・。」
「え?」
「ダナエとそっくりやと思う。だって・・・ダナエはうちの娘をモデルにして書いたから。」
「ほんと!」
里美は目を見開いて驚いた。
「じゃあすっごく可愛い子なんだね。それでもってオテンバだ。」
「うん、まさにその通りや。親バカかもしれんけど、ミヅキは可愛い子や。オテンバやけど中身はしっかりしとるし。」
「ふふふ、いいじゃない親バカでも。ていうか、親バカじゃない親なんて滅多にいないわよ?
特に父親と娘ならね。」
「・・・そうかもしれんな。ただ・・・あの子は俺のことを嫌ってるやろうけど・・・。」
「どうしてそう思うの?何かあった?」
里美はそっと顔を覗き込んだ。幸也は目を逸らし、作り笑顔をみせて首を振った。
「いいや、しょうもない話やから、わざわざ聞かせるようなこととちゃうよ。」
「そう・・・。私でよかったらいつでも相談に乗るから言って。しばらくはこっちにいるんでしょ?」
「そう・・・・なるやろなあ。でも遊びに来たんと違うから、なるべく長居はしたくないねん。
すぐに・・・すぐに物語を書き換えんと・・・。」
「物語を書き換える・・・?」
「・・・ああ!なんでもないよ!」
加々美は慌てて手を振り、里美の子供に笑いかけた。
「お嬢ちゃん、お母さんに抱っこしてもらって嬉しそうやな?」
「うん、ママ大好き!」
「そうか。これからもママと仲良くしいや。」
加々美はマヤの頭を撫で、里美を見つめて微笑んだ。
「それじゃ・・・もう行くわ。」
「うん。しばらくこっちにいるんだったら、いつでも家に来てよ。あの丘を越えて、その向こうの黄色い家に住んでるから。」
「うん、それじゃ。」
加々美は手を振り、踵を返して歩き出した。元婚約者との再会は、彼を複雑な気持ちにさせた。
「ちゃんと時間は流れとんやなあ。現実でも空想でも・・・・。」
里美との再会は嬉しかったが、彼女の子供を見た途端に切なさがこみ上げた。十五年も時が経っていれば当たり前のことだと分かっていても、胸に押し寄せる切なさは隠しようがなかった。
「かくいう俺も、バツイチで娘が一人・・・。しかもその娘には嫌われてる。里美のところとはえらい違いやで・・・。」
情けなさを隠すように頭を掻き、岬に立つ小さなお城を目指して行く。妖精の世界はどの角度から見ても綺麗で、現実には有り得ない世界だった。
「・・・当たり前か。ここは空想の世界なんやから。」
そこでハッと気がついた。足を止め、真剣な顔になって考える。
「そういえば・・・なんで俺はここへ来て平気なんや?」
現実の世界の者は、肉体を持ったまま空想の世界へ行くことは出来ない。もしそんなことをすれば、たちまち消えて無くなるはずだった。
「・・・光の壁が地球に降りて来てるせいか・・・?いや、でも・・・それやったら光の壁を越えてからじゃないと、ここへは入られへんはずや。でも光の壁を越えたら消えてしまうわけやから・・・・いったいどうなっとんや?」
加々美は頭を押さえて考え込み、じっと海を見つめた。すると遠い水平線から、小さな箱舟がこちらに飛んで来た。
「なんやアレは・・・・?」
箱舟は加々美に向かって真っすぐ飛んで来る。そして彼の頭上まで来ると、眩しく光って地上に降りて来た。
「な、なんや・・・いったい・・・?」
突然の出来事に身構えていると、船の中から誰かが出て来た。まるで天女のように宙に浮かび、ふわりと加々美の前に舞い降りた。
「・・・お・・・お前は・・・・・。」
「ふふふ、懐かしい気を感じて来てみれば、やっぱりあなただったのね。」
「・・・ダ・・・・・ダフネ!」
「久しぶり、コウヤ。」
加々美の前に降りてきたのは、月の女神のダフネであった。その容姿は絵に描いた女神のように綺麗で、極上の絵画のように一目で惹き込まれる美しさだった。
絹のように流れる長い髪、真珠のように滑らかな白い肌、どんな宝石よりも美しい青い瞳。
そして強さと優しさを兼ね備えた、美人とも可愛いともとれる顔立ちをしていた。
ゆったりとしたワンピース風の白いドレスに身を包み、煌めくような緑のローブを羽織っている。少女なのか大人なのか分からない姿をしているが、その雰囲気は気高く誇り高いものだった。ダフネは加々美を見つめて、ニコリと微笑んだ。
「もしかしたらと思っていたんだけど、やっぱり月へ来てくれたのね。」
「ダフネ・・・えらいべっぴんさんになったなあ。すごい成長してるから別人かと思ったわ。」
「それって喜んでいいのかしら?」
「え?褒めたつもりやけど・・・。」
「だって、言いようによっては歳をとったってことでしょ?それってちょっと失礼かなって。」
「いやいやいや!そんなつもりで言うたんちゃうよ!ていうか、十五年前はまだ子供やったやんか。それに比べたら、えらい大人っぽくなったなあって意味や。」
「あら、そう?じゃあ喜んでいいのね?」
「当たり前や。だいたい歳を気にするほど歳とってないやろ・・・。」
「そんなこと言ってると、また離婚しちゃうかもしれないわよ。まあ結婚出来たらの話だけど。」
「お、お前・・・俺がバツイチってこと知ってんのか・・・?」
「当然。だって月からは地球が丸見えだもん。あなたが離婚するのかどうか、アメルと盛り上がりながら見てたわよ。」
「ちょ・・・ちょっと〜・・・勘弁してくれや・・・・。」
加々美は頭を抱えて項垂れる。ダフネは可笑しそうに笑い、バシバシと彼の肩を叩いた。
「人間はすぐ歳をとっちゃうからね。まだ結婚願望があるなら、早い方がいいわよ。」
「人のプライベートを盗み見してた奴に、偉そうに言われたあないわ。」
「それもそうね。妖精ってある時期を境に歳を取らなくなるから、そういうところに無頓着なのよ。ああ、もちろん女神の私も歳を取らないけどね。もう少し成長したら、もうそれ以上は歳を取らないんじゃないかなあ。」
「ええなあ、それ。俺もそうなりたいわ。」
「でもけっこう退屈なもんよ。老いてこそ人生だもん。」
「歳より臭いことを言うなよ、まだ若いクセに・・・。」
「そうでもないわよ。人間として生まれたのが中世だから、数え歳でいくと・・・・・って、ちょっと、何を言わせるのよ!」
ダフネはバシン!と加々美の肩を叩いた。
「自分で言うたんやろ!一人でボケてツッコミ入れるな!」
二人は久しぶりの再会を喜び合い、他愛ない話で盛り上がった。
「ほんと・・・昔の知り合いに会うのって楽しいわ。ここって平和過ぎて刺激がないのよ。」
「女神がいう言葉とちゃうな。」
「そうなのよねえ・・・自分の立場を考えると、あんまり軽々しい発言は出来ないのよ。
ほんとはもっと楽しくやりたいんだけどさ、どこ行っても口うるさいのっているじゃない?
あんまり軽いノリでやってると、『月の女神として、そういう振舞いはどうなのか?』なんて細かいことを言う奴がいるわけよ。」
ダフネは肩を竦めてため息をつく。
「お前・・・だいぶんキャラが変わったな・・・。昔はもっと真面目な感じやったのに。」
「そりゃ変わるわよ。ずっとこんな平和な世界にいたらね。何が真面目で、何がふざけてるのか分からなくなっちゃう。」
「いっちょ前にカッコつけたこと言いよって。」
二人はクスクス笑い、その後しばしの沈黙が下りた。
「・・・ねえコウヤ。あなたがここへ来たってことは、それだけ事態が切迫しているってことよね?」
「・・・そうや。いきなりメタトロンが現れて、物語を書き換えろと言われたんや。それで彼の弟にここまで連れて来られた。」
「ダナエの物語はあなたが綴ったんだもの。それを書き換えられるのはあなただけよ。」
「分かってる・・・けど、十五年前と同じ状況になってしもたことが、なんか複雑でなあ。
あの時は俺が空想の世界を止める立場やったけど、今は逆や。俺の書いた空想の物語が、現実に影響をもたらしとる。なんか・・・ほんまに複雑やで・・・。」
そう言って困ったように頭を掻く加々美。するとダフネはとんでもないことを言った。
「じゃあやめちゃえば?」
「やめる?何をや?」
「物語を書くことよ。そんなに困ってるならやめちゃえばいいじゃない。」
「いや・・・やめるって言ったって、もう物語はおかしな方向に進んでるんやから。ここで書くのをやめたって、何も変わらんわ。」
加々美はボリボリ頭を書きながら言った。するとダフネは、「そうじゃないわよ」と首を振った。
「書くのをやめるって意味は、そういうことじゃないの。」
「じゃあどういうことや?」
「いい?物語の続きを書くのをやめるんじゃないの。物語そのものをやめちゃうのよ。」
「物語そのものを・・・やめる?」
「そう。もっと正確に言うなら、物語を白紙に戻しちゃえばいいのよ。そうすればダナエの物語は無かったことになるでしょ?」
「はあ?何を言うてんねん?そんなことをしたら、ダナエは消えて無くなるんやぞ?」
「いいじゃない、そうなっても。」
「なッ・・・。お前はいつからそんな冷たい女になったんや!」
「・・・はあ・・・。あなた、ちっとも事の重大さが分かってないわね。」
「な・・・何がや・・・・?」
「いい、よく聞いてね。」
「な、なんや・・・いきなり顔を近づけて・・・・。」
「空想は空想、現実は現実なの。」
「そ、それがどうしたんや・・・?」
「この二つの一番の違いって、なんだか分かる?」
「一番の違い・・・・?それはまあ、実体を持つかどうかで・・・・・、」
「ブブ〜!全然違うわよ。」
ダフネはプニっと加々美の鼻を押した。
「なんやねんな・・・・?俺は間違ったこと言うてないやろ?」
「言ってるわよ。ダナエも私も、そしてこの月の世界の者たちも、空想の存在でありながら、実体を持っているのよ。忘れた?」
「・・・・・あ!」
「実体があるかないか、そんなことは重要じゃないの。いい?一番の問題は、やり直しが利くか利かないかってことなのよ。」
「やり直し・・・?」
「空想の世界はね、いくらでもやり直しが出来るの。あなたがダナエの物語を白紙に戻したとしても、また一から書き直せばいいだけなのよ。そうすればダナエだって復活するわ。
けどね、もし現実の世界で誰かが死ねば、もう元には戻らないのよ。」
「それは・・・・そうやな。」
「光の壁に穴が空いたせいで、地球にはたくさんの悪魔や魔物が現れた。そして・・・多くの人が命を落としたわ。人間だけじゃない、他の生き物だって被害に遭ってる。
現実の世界で起こったことは、取り返しがつかないのよ、それくらい知ってるでしょ?」
ダフネは力強い目で睨む。かつて自分が犯した罪のせいで、多くの命を奪った罪悪感があった。
それは月の女神となった今でも消えることはない。
「私は・・・空想と現実を混ぜようとした。そして・・・多くの命を奪ってしまったわ。
本当なら、この月にいる妖精たちは・・・・ただ死ぬだけだった。でも宇宙の中心に座る大きな神様が、一度だけチャンスを与えてくれた。だからみんなここにこうしていられるのよ。」
「じゃ、じゃあ・・・・また大きな神様に助けてもらえば・・・・、」
「無理よ。大きな神様は、基本的に何もしてくれない。ただそこに居るだけで、誰かに手を貸したりしないわ。私の時は・・・多少なりとも大きな神様にも責任があったから、気まぐれに力を貸してくれただけよ。だから・・・断言してもいい。大きな神様は、今後二度と私たちを助けるようなことはしない。例え人類が滅ぼうが、悪魔が暴れようが・・・・地球が滅びようが、なんにもしてくれないのよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「物語を白紙に戻せば、ダナエは消える。それは寂しいことだけど、また復活させることは可能なのよ。だって・・・・私たちは空想の存在なんだから。」
「で、でも・・・いくら空想の存在やからって、簡単に消してまた復活させるっていうのはちょっと・・・・。」
「いいじゃない。やり直しが利くんだから。言うなれば、ゲームと一緒よ。例え死んだって、コンテニューをすれば復活する。小説だって、気にいらなければ書き直せばいいのよ。」
「いや・・・それはあまりにも極端じゃ・・・・、」
「どうして?しょせん私たちは空想の存在なのよ?命なんてあって無いようなものなんだから。」
「そ、そんなことはないやろ!現に俺は、こうしてお前と喋ってるやないか!」
加々美は納得出来なかった。いくら空想の存在といえど、簡単に殺して、簡単に復活させるなんて・・・。ダフネの理屈は分かるが、それでも認めたくなかった。
「コウヤ・・・あなたの気持ちは分かる。でもね、もう時間が無いわ。このまま放っておくと、邪神は必ず地球を乗っ取る。空想と現実をごちゃ混ぜにして、全てを支配しようとするわ。
そんなことは・・・絶対にあっちゃいけないの!空想は空想、現実は現実。二つの世界は決して交わってはいけない。だからこそ、光の壁があるんだから。」
「・・・・そやけど・・・・。」
「私たちが月で生きている間、あなたは現実の世界で生きてきた。そしてミヅキという一人娘を授かり、そのおかげでダナエが生まれた。あなたが・・・現実の世界でちゃんと頑張って生きてきたから、二人の少女が生まれたのよ。それはとても素晴らしいことだと思わない?」
「・・・・そら思うけど・・・。」
「だったら・・・絶対に現実の世界を守らなきゃダメよ。ダナエの物語は、ミヅキが生まれたから始まった。だったら、ミヅキがいる限りはまた創れるの。でも・・・もしミヅキが死ぬようなことがあったら、あなたは平気でいられる?二度と取り返しのつかない現実の命を失ったら・・・・どんなに物語を書いても戻って来ないのよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「ミヅキだけじゃないわ。地球で死んだ命は、二度と現実には帰れない。空想の世界へ行くか、黄泉の国へ行くか。どちらにしたって、決して現実の世界には戻って来られないわ。
だって・・・輪廻転生なんて、空想の世界にしかないんだから。人生は一度きりで、二度とやって来ない。だから現実の世界は素晴らしいのよ。なんたって一度きりの人生しか味わえないんだから。これって最高の幸せよ?」
「・・・ダフネ・・・・。」
加々美は真っすぐにダフネを見つめた。彼女は元々人間で、死してから女神になった。
現実と空想、両方の世界を知る彼女の言葉は、重く胸に突き刺さった。
「そやな・・・・ダナエの物語を白紙に戻せば、邪神の奴も戸惑うやろな。なんたって、物語の筋書きが変わってしまうんやから。」
「そうよ。ダナエが関わった全てのことは、白紙に戻される。そうなれば、邪神の企みは大きく後退するわ。そして・・・・あなたは新しい物語を綴るの。ダナエを主人公にして、今までとはまったく違う物語を綴るのよ。そうすれば、邪神を倒すことだって不可能じゃないわ。」
「・・・そやな。何とか頭を捻って、邪神を倒せるような展開にしてみるか。」
「あなたなら出来る。物語が書き上がるまで、この月にいればいいわ。」
「ありがとう。でもあれやな、ほんまは邪神を白紙に戻せたら一番ええんやけどな。」
「それは都合が良すぎよ。だって邪神はあなたの書いた物語には登場しないんだから。」
ダフネは加々美の背中を叩き、ふわりと宙に舞い上がった。
「せっかく月へ来たんだから、ケンイチとアメルにも会っていってよ。」
「ああ、そのつもりや。今から行こうと思ってたからな。」
「じゃあ一緒に行きましょ。ほら、私の手を掴んで。」
ダフネはそっと手を差し出した。加々美はその手を優しく握る。二人は宙を舞って箱舟に乗り、妖精王のいるお城まで飛んでいった。
《物語を白紙にか・・・・。でも、なんか上手くいかへん気がするんやなあ。》
走り出した物語が止められないことを、加々美はよく知っていた。神話学者である彼は、物語とは生き物に似たようなものであると知っていたからだ。
どんなに白紙に戻そうと頑張っても、一度生み出した物語は存在し続ける。遥か昔から連綿と続く神話が、その証であった。
国を越え、時代を越え、そして・・・作者の手を越えて生き続けるのが物語である。ダナエの物語は、それを書き綴った時点で自分の運命を持つことになる。それは主人公であるダナエにもいえることだった。
そのことを感覚的に悟っていた加々美は、一抹の不安を抱えながらお城へ飛んで行く。
十五年ぶりに会った兄は、目に涙を浮かべながら弟を出迎えてくれた。
そしてその頃、遠いラシルの星では、ダナエがユグドラシルを目指して旅をしていた。作者の手を離れ、自分の意志でしっかりと歩きながら。


           (ダナエの神話〜異星の邪神  −完−)

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