手の平の裏側 第五話 空想の蟻地獄

  • 2014.05.04 Sunday
  • 23:50
犬を連れて、いつもの公園に来ていた。
桜の季節はとうに終わり、代わりに青い葉っぱが木々を彩っている。いつもの散歩コースを歩き、途中でベンチに座って考えた。
「気持ちええな・・・外は・・・。陽射しが刺さるようや・・・・。」
退院してからしばらくは、ずっと家に籠っていた。布団から這い出る気力もなく、ただ日付が変わるのを待っていた。
時間が経てば、何かが変わって・・・俺を助けてくれるんじゃないか?この病気の苦しみから、救い出してくれるんじゃないか?
そう期待していたが、いくら待ち望んでも救世主は現れなかった。いい加減業を煮やした俺は、勢いで外に出てみることにした。
それは退院してから七ヶ月後のことだった。久しぶりに感じる外の空気。部屋のライトとは違う、太陽の光。
冬眠を終えた生き物が、土から出てきたような気分だった。
・・・気持ちいい・・・・。
家の中にいては決して感じることの出来ない刺激が、チクチクと肌を刺している。それはとても心地良い刺激で、思わず足が動き出す。
庭先に吊るしてあるリードを掴み、犬の散歩に出かけた。久しぶりの散歩は、眠っていた感覚を呼び覚ましてくれた。
心を守る為に閉ざしていた五感が、ケータイのアンテナが立つようにビンビンと反応する。
身体全体で外の世界の喜びを感じ、力が漲ってくる。
まだ・・・・まだ力が残っていた・・・・・。
安心した俺は、ちょくちょく外に出るようになった。やきそば君や、長溝さんにも会うようになり、近所の工場で簡単なバイトを始めた。
そして今日、犬の散歩のついでに、あの大木に会いに行こうと思った。ずいぶんと顔を見せていなかったから、向こうも心配しているかもしれない。
「リン、ちょっと遠くまで行こか。」
ポケットからおやつを取り出すと、リンは喜んだ。ぎこちないお座りとお手をして、俺の手からおやつを頬張っている。ベンチから立ち上がり、大木の立つ場所へ向かう。
久しぶりに会う彼、もしくは彼女は、いつもと変わらぬ様子でそびえていた。
「久しぶり。」
皺の刻まれた肌に手を触れ、再会の喜びを伝える。俺の頭を撫でてくれた枝は、途中からポキリと折れていた。
「誰がやったんや・・・可哀想に・・・・。」
折れた枝の先端を指でさすり、腕を回して大木に抱きつく。
「・・・・・・・・・・・。」
・・・・よかった。まだ・・・まだちゃんと抱きしめてくれる。俺の中には、この大木の抱擁を感じる力が残っている。それだけで満足だった。もし抱きしめてもらえなかったら、いったいどうしようかと不安だった。
「・・・優しいな、お前は・・・。何も言わんと、じっと抱きしめてくれるなんて。」
木は喋らない。何も伝えない。人間のように、邪魔な言葉を持っていない。それこそがコイツのいい所だ。
家に引きこもっている時、やることがないのでたくさんの本を読んだ。心がハッとさせられるような言葉はいくつもあったが、しょせん言葉は言葉だ。いくら筋の通った文章を書こうと、言葉の限界は越えられない。
「しょせん人間が作ったもんや・・・。言葉に重きを置いてる奴なんて、絶対に信用出来へんわ・・・・。」
想像力、形而上、神・・・・表現する言葉は違えど、その意味は同じ。現実の世界ではないものの存在。そして・・・俺は現実の世界に興味がない。
ならば、形而上だの神だの・・・・そういうものに目を向けていることになるはずだ。
「・・・・固いよな、どれも・・・。もっとこう、ソフトにシックリくるような言葉がええな。どんなんがあるかな?」
大木に抱かれながら、考えを巡らせる。しかしなかなか良い言葉が浮かばず、眉間に皺を寄せて唸るしかなかった。
「難しいな・・・言葉って・・・。しょせん言葉といいながら、されど言葉って感じや。」
言葉は大したものではない。けど、馬鹿にも出来ない。どうやら言葉を馬鹿に出来るほど、俺は大した人間ではないようだ。
「・・・・・・・・・・。」
頭の中に、パッと何かが浮かんだ。それは入院中に思い出していた、あの童謡だった。
「タイムトラベルは楽しい メトロポリタンミュージアム 目覚まし時計ここに かけておくから・・・・。」
主人公の女の子が、五千年も眠り続けるミイラの為に、目覚まし時計をセットしてあげるのだ。
もし目覚まし時計のベルが鳴って目を覚ましたら、今の世の中を見てさぞ驚くに違いない。
『なんだここは!砂漠とピラミッドはどこにある?だいたい目覚まし時計って何だ!』
うん、絶対にそう言うに決まっている。ということは、五前年の月日が流れた現代は、ファラオが立つべき世界ではないということだ。
彼が知るエジプトの王国は、過去の渦の中にしか存在しないのだから。
「もしかしたら・・・ファラオも俺と同じ違和感を抱えるかもしれへん。王様をやってた経験を活かして選挙に立候補するも、自分の時とはやり方が違いすぎてついて行かれへんやろな。」
圧倒的な知名度のおかげで、他の候補者に大差をつけて当選。国会で専制君主制の復活を提案するも、野党の反対にあって挫折。
それならばと無所属の議員になって地道に活動するも、誰も自分の話を聞いてくれない。向けられるのは好奇の眼差しばかりで、仕事の依頼はテレビのバラエティ番組ばかり。
いい加減うんざりしてきたファラオは、再び石の棺に入って眠りにつくことを選ぶ。
「可哀想に・・・目覚まし時計さえなかったら、今でも夢の中におられたものを。」
勝手にファラオに同情の念を抱き、今の自分と重ねてしまう。どう頑張ろうが、どう足掻こうが、自分とは異なる世界で生きていくことは出来ない。だって・・・自分はその世界の住人ではないのだから・・・・。
「・・・ほんま、こういう想像力だけは逞しいよな、俺は。」
なんだか可笑しくなってきて、強く大木に抱きつく。その時、ふと良い言葉が浮かんだ。
「・・・・空想・・・か?俺がずっと見てるのは、空想の世界のことか・・・?」
空想・・・それは人が生み出した、この世ならざる世界。現実でもあの世でもない、人の想像力が生み出した、形を持たない世界のこと。
「生きてる人間は、現実の世界におる。死んだ人間は、あの世へ行く。まああの世っていうもんがあったらの話やけど・・・・。でも、空想の世界は、どっちでもない。生きてようが死んでようが、空想の世界へ行くことは叶わへんやろ。」
もし死んだ人間が空想の世界へ行くのなら、俺の祖母はどこかのマンガや小説に登場していなければおかしい。しかしながら、未だに空想の世界に登場する祖母を見たことがない。
「でも・・・偉人とか有名人は、空想の世界に行ける人がおるよなあ。映画でもドラマでも、過去の人が出て来ることはあるし。」
・・・・難しかった。空想とは何のか、今の俺には分からない。ただ一つ言えることは、現実の世界とは異なる場所だということ。もし空想の者が現実に存在したならば、それは現実の者になってしまうのだから。この二つの世界は、しっかりと分かれているのだ。
「・・・ええな、空想か・・・。俺が抱えてる違和感は、空想の世界へ行きたくても行かれへん葛藤のことかもしれんな。」
思いもかけず答えが出てしまい、ホッと安心する。しかし・・・答えが出るということは、悩みの種がハッキリするということ。その悩みの種が現実的に解決出来るものならいいけど、もしそうでないのなら・・・・・。
「一生苦しむことになるな。絶対に叶わへん願いを抱えて、死ぬまで苦しむっちゅうことや。」
愛しい人を亡くし、後を追う人がいる。そういう人の気持ちを理解出来なかったけど、今なら分かる気がする。
「死んだ人間とは会われへん。どんなに願ったって、どう頑張ったって、それは無理なんや。もしそれを受け入れられへん人間がおったとしたら、後を追っても仕方ないよなあ。」
愛する者を失った悲しみたるや、想像するのも辛いものだ。ならば俺の苦しみは・・・・いったいどこの人間が分かち合ってくれるのか?
現実が嫌だから、空想の世界がいい。・・・・これは、ただの思春期じゃないか!
いくら熱心に説明したところで、馬鹿にされて終わりだ。『早く大人になれ!』と一喝されて、それで全てが終了。まともに取り合う人間がいたら、それこそ不思議というものだ。
「・・・・あかんわ、人に言われへん・・・。また一人で抱え込まなあかんのかな?」
大木から離れ、堤防の向こうに流れる川を見つめる。すぐ近くには赤い橋が架かっていて、誰かが自転車を押して歩いていた。
「・・・長溝さんに、相談してみよか・・・・。」
彼女は意外と近い所に住んでいる。あの橋を渡って、五分も歩けば家に着くのだ。
「リン、一旦帰ろか。お前に餌やらなあかんし。」
大木の根元の臭いを嗅ぎまわっていたリンは、チョロチョロとオシッコをかけてマーキングをしていた。


            *


下町の風情を残す町に、低い建物が並んでいる。寂れた商店、無駄に立派な公民館、それらが並ぶ通りに、長溝さんの家は立っていた。
たてつけの悪いドアを開け、勝手に中に入る。外観もボロいが、中はもっとボロい。薄暗い石の廊下を歩き、ミシミシと鳴る階段を上がって部屋に入った。
「・・・・おらんな。おばあちゃんの家に行ってんのかな?」
彼女の祖母は、この近くに住んでいる。この家は祖母の持ち家であり、タダ同然で借りる代わりに、祖母の世話をしているのだった。
「まあええわ。待ってたら来るやろ。」
リンを家に連れて帰り、長溝さんにメールを送った。家に来てもいいとのことだったので、こうして待っているのだが・・・・約束をしてもどこかへ行っているのはいつものことだ。
本棚からマンガを見つくろい、適当に時間を潰していく。
彼女の飼っている猫が膝に乗って来て、仰向けになって喉を鳴らしていた。マンガを読みながら待つこと三十分、ようやく彼女は現れた。
「おう、来てたんか。」
「三十分前にな。おばあちゃんの家行ってたん?」
「いや、郵便局。また依頼が入ったから。」
「依頼?ブライダルの撮影とか?」
「ちゃうちゃう、絵の依頼。この前描いた絵を友達に見せたら、一緒におった子が欲しいって言うたから。だからちゃんと色を塗り直して送ってきた。」
「すごいな、芸術家やんか。」
「いや、それほどでもないで。」
この上なく嬉しそうにする長溝さん。ご機嫌でテーブルの前に座り、昼前だというのに酒を呷り始めた。
「好きやな、お酒。」
「まあな。素面でやってられへんわ。」
「でも飲み過ぎるとアル中になるで?」
「自分かてニコ中やんか。」
「ニコ中・・・?」
「タバコ。吸う量が増えてるって言うてたやん。」
「ああ、そらそうやな。お互いさまってことや。」
どうでもいい会話から始まるのが、俺たちの常である。彼女はグビグビと酒を呷り、まったく酔いを見せない様子でパソコンを睨んでいる。
「それ仕事?」
「そう。今度姫路でイベントやるねん。それのチラシを作らなあかんから。」
「酒飲みながら出来るの?」
「あんまり酔わへんからな。」
「すごいな、俺は缶ビール一本で酔うわ。」
「あたしもタバコ一本で吐きそうになるわ。」
「お互いさまやな。」
「そやな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・あのな、ちょっと意見を聞かせてほしいねん。」
「ええで、仕事しながらやけど。」
「うん、かまへんで。」
俺は彼女の酒を一口だけ嘗め、タバコを吸いたい気持ちを抑えて切り出した。
「実はな、今まで悩んでたことがあるんやけど、ようやくその答えが出たんや。」
「ほほう、悩みとな?」
「うん。俺が大木に抱きついてるのは知ってるやろ?」
「前に言うてたな。それで?」
「今日も行ってきたんや。犬の散歩のついでに抱きついてきた。」
「ふうん・・・。」
「その時にさ、ファラオのことを考えたんや。」
「ファラオ?」
「うん、ファラオ。メトロポリタンミュージアムっていう歌があるやろ?」
「・・・・ああ、NHKのやつな。昔見てたわ。」
「あれの中にファラオが出てくるやん?それで女の子が目覚まし時計を掛けるやろ?」
「・・・そうやったかな?」
「そうやねん。それでさ、もしファラオが五千年の眠りから覚めたら・・・・・・、」
俺が妄想したファラオの話をすると、長溝さんは爆笑していた。酒を抱えたまま俺を見つめ、肩を揺らして顔をくしゃくしゃにしている。
「自分のそういうところは面白いよなあ。ようそんなん思いつくな?」
「なるべくリアルに想像したつもりやねん。でもさ、もし俺の妄想した通りになったとしたら、もういっぺん眠りにつくファラオの気持ちは分かるやろ?」
「分かるけど、それは君の妄想やろ?」
「そうや、俺の妄想や。だからこの先が重要なんや。ええか、俺は昔から・・・・・、」
今までに何度か話したことはあるが、もう一度彼女に説明していく。幼い頃から抱えていた違和感のこと。そのせいで、なかなか現実の世界でうまくいかなかったこと。そして、今日ようやく違和感の答えが見えたこと。
俺が求めているのは空想の世界であって、現実の世界にはなんの興味もない。熱くそう語ると、長溝さんは困ったように顔をしかめた。
「気持ちは分かるけど、それでどうやって生きていくん?現実が嫌やなんて、誰でも一緒やで?私だって、行けるもんなら空想の世界に行きたいわ。」
「いや・・・現実が嫌なんじゃなくて、どうしても昔から違和感があってな・・・。」
「それはみんな一緒やろ。現実って思い通りにいかへんから現実なんやで?しんどいのはみんな一緒やし。そこから逃げたって何も変わらへんよ。」
「それは分かってるけど、俺が言うてるのは・・・・そういう堅苦しいことじゃなくて。もっとこう・・・言葉にしにくいけど、これを抱えたままずっと生きていくんかなってこと。これが消えてくれるんやったらそれでええけど、昔からずっと残ったままやから、どうしたらええんかと思ってるだけやねん。みんな大人になって、こういう感覚は薄れていくもんやろ?それが消えへんってことは・・・・どうしたらええんかなって・・・・。」
「そんなん自分次第やで?じゃあなに、君はこれからどうするつもりなん?現実が嫌やからって・・・、」
「嫌なんじゃなくて、違和感が・・・・、」
「同じことやって。どっちにしたって、現実の世界で生きていくしかないんやで?だから、その・・・・傷つくかもしれへんけど、はっきり言うで。」
「うん。」
「君な・・・・ちょっと甘え過ぎやねん。言うてることも分かるし、気持ちも分かる。
でもな、やっぱりそれは誰でも一緒やと思うよ。みんな誰だって、自分がこうなりたいとか、こういう事をやりたいとか、そういう想いを持ってるんやから。そういう夢を叶えたいんやったら、現実の世界で頑張るしかないで。自分の夢を掴んでる人っていうのは、きっと誰よりも戦ってきた人なんやから。」
「・・・・・・・・・・。」
長溝さんは語る。俺の言葉を正面から受け止め、実に大人の意見をぶつけてくる。それは反論のしようもない正論で、俺は黙るしかなかった。
「私が昔に漫画家やってたことは知ってるよな?」
「・・・うん。」
「私だって、小さい頃から夢があって、絵の道に進みたいと思ってたんや。だからとにかく絵を描いて、雑誌に応募したりしてた。バイトしながら、空いた時間でずっと漫画を描いてたんや。それでようやくプロになって、しばらく連載してた。」
その事は知っている。以前に彼女の描いた漫画を見せてもらったことがある。プロの原稿というものを初めて見た時、そのクオリティの高さに驚いたものだった。彼女の魂が込められた漫画は、今でも鮮明にこの目に焼き付いていた。
「やっと夢が叶って漫画家になったけど、それでも続かへんかった。なんでか分かる?」
「・・・さあ?」
「それはな、プロになってからの方がもっと厳しいから。才能のある人が、ずっと漫画に人生を捧げてるのがプロやねん。私はそういう世界で生きていくには、覚悟が足りへんかった。他のことを全部犠牲にしてまで、漫画を描き続けることが出来へんかったんや。だから漫画家を辞めた。それに・・・・自分がどう頑張っても、一戦で活躍してるような漫画は描かれへんって分かったから・・・。」
長溝さんは、少しだけ寂しそうな表情をみせる。それでも決して目を逸らさず、俺に言葉を投げかける。
「プロの世界って、すごい人がいっぱいおるねん。だから・・・そういう場所に行くことで、自分の限界を知ることが出来た。それだけでも漫画家になった価値があったと思う。
君だって、そんなに空想の世界が好きなら、何かに挑んでみたらええやん。」
「何かって・・・・何?」
「それは自分で考えるんや。漫画家とか小説家とか、あとは・・・・映画監督とか。」
「・・・・・・・・・・・。」
長溝さんは本気だ。夢物語ではなく、本気でそうアドバイスしている。それはとてもありがたいことだけど・・・・・。
「そうやな。考えてみるわ。」
「うん、何かやるんやったら手伝うで。漫画とか絵やったら教えられるし。写真でもええで。」
「うん。あのさ、話は変わるんやけど、うちの犬が・・・・・、」
どうでもいい話題に切り替え、先ほどの話を脇にどける。長溝さんは俺の話に熱心に答えてくれて、それはとてもありがたいことだと思った。
でも・・・・違う・・・・。俺が言いたかったのは、そういうことじゃないんだ。
夢の話をしたいわけじゃなく、小説家や漫画家になりたいわけでもない。空想の世界という言葉を使ったのがいけなかったのかな・・・・。
決して他人とは共有出来ない感覚・・・・。本人のみぞ知る、誰にも理解されない感覚。
そうやって考えるのは、自分の殻に閉じこもっているだけなのか?
長溝さんの家を後にして、しばらく辺りをぶらつく。彼女の家を出てすぐ右に曲がると、十字路に出る。それを北に向かうと、長い長い坂道が現れる。この坂道を上っていけば、小さな動物園に辿り着く。学生の頃に学校を抜出して行った、あの動物園だ。そこからさらに上にのぼると、山を切り開いた遊歩道に出る。童謡の小道と名前のついている遊歩道で、途中に音楽の流れるスピーカーがあるのだ。
ここからだと少し遠いが、行ってみることにした。坂道を上り、動物園を通りすぎて、遊歩道の入り口に立つ。
「久しぶりやな、ここへ来るのは・・・・。」
急な階段を上り、整備された遊歩道を歩いていると、何かが目の前を横切った。
「イタチ?・・・・いや、違うな。あれは多分・・・・フェレットや。」
最近この辺りで、野良フェレットが増えていた。どこからやって来たのか知らないが、家の近くで見かけたこともあった。
「遠い国から連れてこられて、ポイっと捨てられるなんて・・・人間はええ加減やな。」
フェレットの動きは、イタチに比べると遥かに鈍いように感じた。それは人に飼われていたせいか、それとも元々の動きが鈍いのか?どちらにせよ、あれでは長くは生きられないだろう。他の動物に捕食されるか、車に轢かれて死んでしまうか。
「ここはあいつらの国じゃないんや。生きていくのは大変やろなあ・・・。」
フェレットは日本にはいない動物だ。人間がペットにしたいからという理由で持ちこんだに過ぎない。そういう勝手な理由で持ち込んだなら、せめて最後まで飼うのが責任だろうに。
「アクセサリーちゃうのになあ・・・可哀想に・・・。」
いくら嘆いたところで、金になるなら何でもやるのが人間だ。ご高説を垂れる人間はもちろんのこと、それらを正論で批判する人間だって、一皮捲れば同類かもしれない。
「そういう俺も人間やし、あのフェレットからすれば、憎き敵に変わりはないんやろな。」
フェレットが横切って行った道を進み、音楽が流れるスピーカーの前に立つ。童謡のメロディが流れ始め、軽快な気分で遊歩道を上っていった。
頂上につくと、見晴らしのいい展望台があった。螺旋階段を上り、真っ赤な石の床を踏みしめる。
「今日は晴れてるから眺めが綺麗や。」
町を流れる揖保川という大きな川が、蛇行しながら南に向かっている。遠くには化学工場の煙突が見えていて、蜃気楼のように靄がかかっていた。
あの工場の向こうには海があって、その海には大小様々な島が浮かんでいる。一度だけ友達と行ったことがあるけど、のどかで良い島だった。
「長溝さん・・・・俺、よう分からへんねん。自分のことも、この違和感のことも。なんでこんな違和感を持ってるんか、よう分からへん。でもそれを言葉で伝えるのには、無理があるなよなあ・・・・。」
長溝さんは、わけの分からない俺の言葉を、正面から真剣に受け止めてくれた。他の人なら鼻で笑われて終わっていただろうに、ちゃんと話を聞いてくれたのだ。やきそば君だって、同じように俺の言葉を受け止めてくれるかもしれない。
でも・・・どんなに仲のいい友達だって、相手のことを本当に理解することは無理だ。俺だって、あの二人のことを本当に理解しているわけじゃないんだから。
「自分で・・・・自分でどうにかするしかないか、この感覚は・・・。」
自分のことは、自分で折り合いをつけるしかない。どこの誰だって、きっとそうしているだろうから。
その日の夜、CDを買ってきた。
『メトロポリタンミュージアム』
これがどうしても聴きたくなってしまったのだ。パソコンにセットして、曲名をクリックする。不思議なメロディが流れ出し、韻を踏んだ歌詞が耳に入ってくる。
一人の少女が、夜の博物館を探検する。天使の石像が動き出し、夜は冷えるので服を貸してくれと頼まれる。女の子は、赤い靴下を片っぽだけ差し出した。
次はファラオの棺を見つける。石の棺に入ったファラオは、五前年もの時を眠り続ける。
少女は棺の上に目覚まし時計をセットし、その場を後にするのだ。
そして楽器のケースをトランク代わりにして、また冒険に出発する。最後は絵の中に閉じ込められ、そこで歌は終わる。
聴けば聴くほど病みつきになるメロディーで、当時のパペットアニメを思い出した。少女は確か、ミイラになったファラオと踊っていたはずだ。石の棺が勝手に動き、中から出て来たファラオが、包帯を伸ばして少女と踊る。このシーンが一番怖くて、コタツの中に隠れていたのだ。
しかし・・・今になってこの曲を聴くと、妙に考えさせられてしまう。あのパペットアニメの映像が頭の中に浮かび、まとまらない考えが悶々と広がっていった。
「あの子は・・・最後に絵の中に閉じ込められた・・・。でも、本当のところはどうなんやろ?閉じ込められたんじゃなくて、始めからあの絵の中におったんと違うかな?もしそうなら、色々と説明がつくんやけど・・・・・。」
夜になると動き出す、天使の石像とファラオのミイラ。ということは、あの博物館は夜になると不思議な現象が起きるということだ。だったらあの少女だって、元々は絵の中にいたとしてもおかしくはない。いや、その方がシックリくるじゃないか。夜の博物館に女の子が一人でいるのだって、それで説明がつく。それにファラオだって、五前年の眠りを邪魔されたって、ちっとも怒らなかったのだ。それどころか、楽しそうに踊っていた。
「・・・同族やから、ファラオは怒らへんかったんや。あの女の子は、同じ博物館の仲間やから、仲良くしてあげたんや。でも・・・あの肝心の少女は、自分が絵の中の存在やってことに気づいてるんやろか?もしそれを知らんまま終わるんやったら、ちょっと切ないよなあ・・・・。」
自分の立つ世界を知らないまま終わる・・・・。
こんなに切ないことがあるだろうか?この曲を作詞した人が、どういう意図であんな内容にしたのかは分からない。けど・・・俺の考えでは、あの少女は絶対に絵の中の住人だと思う。そして、おそらく本人はそのことに気づいていない。自分は生きた人間だと信じ込み、博物館を探検しているのだ。
これは・・・・怖いことかもしれない・・・・。
今立っているこの場所に、何の疑問も抱かない。本当に自分が立つべき世界を知らない。それはきっと、醜いアヒルの子と同じなのだ。
自分をアヒルと信じているから、ギャップが生まれる。でも、自分は白鳥だと知れば、それは何の違和感もないはずである。
自分は誰?自分の立っている世界はどこ?決して目を逸らすことの出来ない疑惑は、とうとう俺を蝕んだ。心の病という形をとって、いい加減に気づけと襲いかかってきた。その痛みに耐えかねて、自殺を図った・・・。
俺は・・・どうしてこの世界の存在だと信じていたのだろう?あなたはこの家の子供ですよと教えられ、何を根拠にそんなことを信じたのか?
「・・・これはもう・・・やばいな。俺は・・・来るところまで来てるで・・・・。」
異常な考え方をしているのは、自分でも分かっている。いや、自分で異常だと理解しているぶん、まだマシというものか。
もしこの考えを異常だと思わなくなった時、それは・・・・・どうなるのだろう?
心配した親に精神科へぶちこまれるか?生きるのが嫌になって、再び自殺を試みるか?
どう転んでも、決して良い結果にはならない。
「脳が・・・・脳が異常なんか?それとも精神か・・・?」
これ以上考え込むと本当に参ってしまいそうなので、夜のドライブにでも出かけることにした。ガソリンが少ないことに気づき、近くのスタンドで給油する。煌々と照らす明かりの元で給油をしていると、ふと足元が軽くなるのを感じた。
「・・・・・・・・・。」
・・・・足元を見る。しかし何の変化もない。ちゃんと、間違いなく地面を踏んでいる。
《・・・・気持ち悪い・・・・。》
給油レバーを戻し、ガソリンタンクを閉めて車を発進させる。
・・・・とにかく・・・・人気のない場所に行かなければ・・・・。ここは・・・絶対にここにいてはいけない・・・・。
正体不明の強迫観念に襲われ、夜の国道を走り抜けていく。とにかく北へ向かった。
町の明かりは少なくなり、それと同時に心が高揚する。それはあの大木に抱かれた時の高揚とは違い、もっともっと激しい高揚だった。タバコの火が家を燃やし尽くすような、どうしようもないエネルギーの炸裂・・・・・。
このままではいけないと思い、お気に入りの曲をかけて気を紛らわす。だが・・・これがいけなかった。
スピーカーから流れてくる曲は、海外のミュージシャンのものだった。自分と世界、自分と宇宙。そういうものを歌っている曲だ。英語なので歌詞は聴きとれないが、独特のメロディーのせいで、さらに高揚感が呷られる。
「・・・・・・・・・・。」
しっかりとハンドルを握っていた。そうでないと・・・真っすぐ走る自信がなかった。
しばらく国道を走ると、開発に失敗した寂れた街に差し掛かった。さながら現代のゴーストタウンで、妙な不気味さがある。
まったく人が住んでいないわけではないが、夜になるとこの街の無機質さが際立つ。
高揚と無機質・・・・自分と宇宙・・・・。
車に流れる曲はサビに差し掛かかり、そういった取り留めのない思考を加速させる。
・・・・・もう・・・・・限界だった・・・・。
車を止め、ドアを開けて飛び出した。ボロボロと涙を流し、顔を掻きむしって雄叫びを上げる。
「うわああああああああああん!やだよおおおおお!もういやだあああああ!」
何を叫んでいるのか、自分でも分からない。ただ・・・・溢れ出る言葉は止められなかった。
「ああああああああああ!行きたい!つれて行ってよおおおおお!」
夜空に向かって手を伸ばす。その先には月が浮かんでいて、周囲には宝石のように星が散りばめられていた。それはとても美しく、この世の光景とは思えなかった。
「ここじゃない!ここじゃないのにいいいいいい!うわあああああああああん!」
発狂したまま走り出し、ガードレールを乗り越えようとして失敗する。こういう時でも、人の身体はキチンと受け身を取ってくれるのだ。きっと・・・心と身体は別物であるという証だろう。どんなに心が歪んでいても、身体は自分を守る為に独立して動く。
受け身を取ったおかげで怪我はなく、ガードレールの向こうの木立へ走って行く。
「んんんんん・・・・うわあああああああああん!」
それは雄叫びというより、子供の癇癪に近かった。デパートの屋上の乗り物に乗せてもらえない時に、子供が喚き散らすあれと同じだ。
月を見上げたまま指をしゃぶり、ダラダラとヨダレを流す。意味不明な寄声を発して、夜空に向かって手を伸ばす。
『タイムトラベルは楽しい メトロポリタンミュージアム 目覚まし時計ここに かけておくから』
俺は・・・・あのファラオと一緒だ・・・。目を覚ましたが為に、自分とは異なる世界に現れてしまった。それならば・・・もう一度眠りにつけば、自分の世界に戻れるのか?
俺も・・・ああやって棺に入れば・・・・永遠に夢の中で・・・・。
・・・・いやいや、待て。もしかしたら、こっちが夢かもしれない。もう少し先には崖があるが、そこを飛び降りたら最後・・・・夢から覚めてしまうのかもしれない。
もう・・・何がなんだか滅茶苦茶だった。指をしゃぶったまま膝をつき、じっと地面を睨みつける。手にいっぱいの土を握り、ひたすら口の中に入れていった。
なぜそんな行動に出たのか分からないが、行動の理由などどうでもいい。口がパンパンになるくらい土を詰め込み、ヨダレと共に吐き出した。涙と鼻水が混ざり合い、顔まで滅茶苦茶になっていく。
「うわああああああああん!ここじゃない!ここじゃないよおおおおおお!」
爪を立てて顔を掻きむしり、また口の中に土を詰めこんでいく。吐き気が催してきて、それでも土を頬張った。
吐き出しては詰め込み、詰め込んでは吐き出す。
「ぶふう・・・・うううう・・・・・ああああ・・・・・・。」
顔に土を塗りたくり、指を咥えてうずくまる。地面に向かって雄叫びを上げ、また空を見上げて月を睨んだ。
心と身体は別物だし、心と意識だって別物かもしれない。いったいどの自分が、こんな馬鹿なマネをしているんだろう?
いくら癇癪を起しても、空想の世界になど行けるはずがないのに。
以前、滝を見に行った時に感じたことが蘇る。あそこには確かに、別の世界が重なっていた。いま自分が見ている世界が全てではない。それは田んぼの中の生き物が、田んぼこそが世界の全てではないと言っているのに等しい。あの狭い水田だけが、世界なのではないと。この外には、遥かに広い世界が広がっているのだと。
しかしあの生き物たちは、自分の力だけでは決して外へ行くことは出来ない。田んぼの外に広がる世界は、想像するより他にないのだ。
そして・・・・今の俺は、それとまったく同じ状況だった。俺の知る世界だけが、全ての世界ではない。なぜなら、ちゃんと知っているから。あの滝の空間に、別の世界が重なっていたように、いま見上げている夜空にも、別の世界が重なっていることを。
気が狂っていたとしても、精神が歪んでいたとしても、そんなことは問題じゃない。
今、俺がここにいて、それを感じている、知っているということが重要なのだ。
そして、知っているということは、耐えがたい苦痛でもある。俺が現実の世界の住人である限り、どう足掻いても別の世界へは行けない。
あの田んぼの生き物が、一生を田んぼの中で過ごすように、この俺もまた、この現実の世界で過ごすしかない。どんなに嫌でも、どんなに違和感を覚えようとも・・・・。
夜空に向かう雄叫びは、とどまるところを知らない。声が掠れても、決してこの叫びは止められない。
違和感の正体は、空想の世界へ行きたいという願望の表れだったのかもしれない。生まれながらにして傍にあったこの感覚は、ただただ俺を苦しめる。
・・・・教えてくれなくていいのに・・・・。
知らない方が幸せだった。自分が何を望むかなんて、一生知らなくて良かったんだ。
叶うことのない願いなら、最初から持っていない方がよかった。
空想と現実・・・・その間には、決して取り除かれることのない壁が立ちはだかっている。
俺はその壁に張り付き、ただ向こう側を眺めているしかなかった。指を咥えながら、もの欲しそうに・・・・・恨めしそうに・・・・・。
知りたかった違和感の正体を知ることで、ずぶずぶと空想の蟻地獄に嵌っていった。

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