手の平の裏側 最終話 彷徨う魂

  • 2014.05.04 Sunday
  • 23:54
色づいた紅葉が、シトシトと雫を垂らしている。
朝から降り続ける小雨は、紅葉と相まってえも言えぬ風情を醸し出す。
「・・・・・・・・・・・・。」
違和感の正体に気づいてから二ヶ月後、俺は激しい葛藤に悩まされていた。一人で山を歩きながら、子供のように指をしゃぶっている。
幼児退行・・・・ではない。自分の精神を守る為、恥ずかしながらこうせざるをえないのだ。幸い人気の少ない山なので、こんな姿を誰かに見られることはない。
別に見られてもいいんだけど、まあ・・・あまり気持ちのいいものじゃないだろう。見せる方も、見せられる方も。
何度も何度も登った山だけど、来る度に違う顔を見せてくれるように感じる。止まっていても、絶えず動いているのが自然である。一度出会った景色は、二度と出会うことは出来ない。
「・・・・・・・・・・・・。」
指をしゃぶるのでは飽き足らず、手の甲を口に突っ込む。目は挙動不審に動き、子供のようなおぼつかない足取りで階段を上って行く。
・・・・・道が二手に分かれている。出来ればこのまま頂上まで登ってしまいたいが、それだとバイトに遅れてしまう。・・・いやいや、バイトなどどうもいいではないか。
「・・・・・・・・・・・。」
結局、頂上まで登ることにした。視線は定まらず、どこを見ているのか自分でも分からない。しかし虚ろな心の動きとは裏腹に、足は勝手に、そしてしっかりと動いていく。
ほらね、やっぱり心と身体は別々に動く。いくら精神が虚ろでも、肉体が健康ならば足は動いてくれる。本人の意志とは関係なしに、目的を遂行する為だけに動いてくれる。
なんと便利な代物だろう。心と身体は別々の方がいい。もし繋がっていたりなんかしたら、俺の身体はとうに壊れているだろうから。
「・・・・・・・・・・・。」
階段が終わり、険しい獣道に差し掛かる。手の甲をしゃぶりながら、慣れた動きで登っていく。危険な場所もなんのその。身体に染みついた動きは、ほぼ自動で山道を攻略してくれる。やっぱり・・・・身体は便利な代物だ。
山を登り始めて三十分・・・木立の開けた頂上に到着した。城跡の石畳を歩き、街が見下ろせる場所で立ち尽くす。
「・・・・・・・・・・・・。」
ここから見る景色は、昔からまったく変わっていない。中学の頃、学校を抜けだして来た時から、ほぼそのままに形を変えてない。川が流れ、街がそびえ、山々が連なっている。
小雨のせいで靄がかかり、空の上の方は、どこかに吸い込まれるように消失している。
あの空の上には・・・・何がある?下に広がる世界は変わらない。なら、その上に広がる世界は・・・いったいどこへ続いているのだろう?
《もし風の神様がいるのなら、この身体を風に変えて、今すぐあの空の上へ吸い込ませて下さい。そのまま消えて無くなってもいいから、どうか・・・・。》
この頃、徐々に空想と現実の境目は消失し始めていた。二つの世界の間には、決して取り払われることのない壁があるというのに、そのことも忘れ始めていたのだ。
自分がもっとも危惧した瞬間が、足音を立てて迫って来ていた。どっちつかずで、どこへも行けない。ただただ二つの世界の狭間を彷徨うばかりで、身も凍る居心地の悪さがある。
腰を下ろし、手の甲を口から離した。ヨダレが口の端から流れ、眠るように横になる。
「・・・・・・・・・・・。」
どれくらいそうしていただろうか?ポケットの中のケータイがブルブルと震え、少しだけ我に返った。
バイト先からの電話だった。時間が来ても出勤しないので、工場長から電話が掛かってきたようだ。
「もしもし・・・?」
工場長から、いったいどうしたのかと尋ねられる。怒るでも心配するでもなく、淡々とした事務的な口調だった。
むこうに感情がないのであれば、こちらも感情を持たずに受け答えが出来るというもの。
素直に今の状況を伝える。バイトをすっぽかし、山に登って放心していると。
工場長は苦笑いを返し、明らかに返答に困っていた。まあ・・・そりゃそうなるだろう。
怒られないだけマシというものだ。いや・・・怒ってくれた方がいいのか?
短いやり取りを終え、プツリと電話を切る。今日をもって退社ということになり、働く場所を失ってしまった。・・・・果たして、これは重要な問題だったのかな?
そもそも重要って何だ?俺にとって、いったい何が重要なのか?
「・・・・・・・・・・・・。」
決まっている。いま、あの空に重なっている、別の世界へ行くことだ。決して叶わないと知っていても、もはやそれを捨てることは出来なかった。
・・・・廃人・・・だったと思う。もはやただの廃人。生きることも、そして死ぬことさえもどうでもいい。なぜならこの場所は、俺の立つべき世界ではないのだから。
一時間ほど頂上で寝転がり、ゆっくりと立ち上がって街を見下ろす。ここから見る景色は何も変わっていないけど、それは俺の錯覚かもしれない。本当は・・・・絶えず動いているはずなのだ。街も人も自然も・・・・・そして、世界自身も。
「・・・・・・帰ろか。」
山道を下り、山を後にして家に向かう。途中で長溝さんの家に差し掛かった時、後ろから声を掛けられた。
「清水さん!」
誰かと思って振り返ると、人懐こい笑顔をした男がいた。
「どうも!」
「ああ、久しぶり。」
彼は長溝さんの友達で、ゴリと呼ばれている。いかついニックネームとは裏腹に、親しみやすくて明るい青年だった。
ゴリ君は人と話す時に笑顔を絶やさない。相手が誰であれ、よほどのことが無い限りはニコニコとしている。
「散歩ですか?」
「うん、そんな感じやな・・・。ゴリ君は長溝さんと遊んでんの?」
「そうっす。ヤッ君と一緒にカードゲームしてるんですよ。」
ヤッ君とは、もう一人の長溝さんの友達だ。古風な男で、武士かと思うほど潔癖な雰囲気を纏っている。俺とゴリ君が話していると、長溝さんが家から出て来た。
「おお、何やっとん?」
「ん?ちょっと散歩。」
「え?でも今日はバイトちゃうの?」
「クビになった。ついさっきやけど。」
「なんで!」
俺は事情を話した。何の感情も交えず、ただ淡々と事務的に。
仕事に対しては真面目な長溝さんのことだから、きっと怒るだろうと思っていた。しかし彼女の見せた反応は、俺の予想とは異なるものだった。
「ええやん、行きたくなかったんやろ?」
笑いながら言う長溝さん。俺は少々面食らって頷いた。
「行きたくないっていうか・・・現実のことがどうでもよくなってきて・・・。」
「まあそういう時もあるって。私も二回くらい仕事をバックレたことあるし。」
それを横で聞いていたゴリ君が、「仕事だけじゃないやろ?」と茶化した。
「結婚式だって二回くらいドタキャンしてるやん。何の連絡も入れんと。」
「行きたあなかったんやからしゃあないやん。」
「じゃあ何で行くって約束したん?」
「勢い。後から考えたら、やっぱり行きたくなくなってもたんや。」
長溝さんは、何でもないことのようにサラリと言う。
「嫌なもんは嫌なんやから、すっぽかしてもしゃあないねん。自分のやりたい事が優先やから。」
ゴリ君は諦めの混じった苦笑いを見せる。それは俺も同じで、まさか彼女がここまでいい加減な人間だとは知らなかった。仲良くなったつもりだったけど、まだ全然分かっていなかったんだな・・・。
長溝さんはすぐ近くにあるおばあちゃんの家に向かい、こちらを振り返って手招きをする。
「今からカードゲームやるんやけど、一緒にやろうよ。」
「いや、俺はあんまりそういうのは興味ないからええわ。」
「ほんま?じゃあ横で見とく?」
「いや、それもちょっと・・・・。」
興味がないと言っているのに、なぜ横で見なければいけないのか?いったいどういう発想をしていれば、そんな言葉が出て来るのか?
「今日暇なんやろ?上がって行きんか?」
「・・・まあ、そこまで言うなら・・・。」
ゴリ君と並んでおばあちゃんの家に上がり、二階の部屋でテーブルを囲む。長溝さんとゴリ君、そしてヤッ君がカードゲームを始めた。
カードには様々な絵が描かれていて、その下に説明文が乗っている。横で見ているだけでも何となくルールが分かって来て、そう難しくないゲームであるように感じられた。
長溝さんの手札を覗きこむと、「一緒にやる?」と誘われた。
「・・・じゃあ、ちょっとだけ・・・。」
カードを受け取り、まじまじと手札の説明文を読む。ゴリ君が丁寧にルールを説明してくれて、いざゲームの開始となった。
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
・・・・・退屈だった。周りは笑いながらやっているのだが、俺は黙々とカードを切っていくだけだ。勝っても負けても何にも思わないし、こんなもので一喜一憂する意味が分からなかった。それでも・・・みんなは楽しそうだった。よく考えてカードを切り、勝てば嬉しそうに笑っている。
「・・・・・・・・・。」
「どうしたん?」
「ん?」
「面白くない?」
「・・・・・うん、まあ。」
「始めから興味ないって言うてたもんな。もう止める?」
「・・・悪いけど、この回が終わったら・・・。」
ゴリ君が一番で上がり、俺はドンケツだった。やっぱり何も感じないし、何も思わない。
せっかく誘ってくれたのに悪いと思ったが、自分が退屈だと思うものは続かないのだ。
彼女の家を後にし、ぶらりと散歩に出かける。コンビニで一服ふかし、むかし通っていた幼稚園の近くを通った。
時刻は午後四時半。園児たちは帰宅していて、先生の姿も見当たらない。幼稚園のフェンスの外からじっと園内を見渡し、かつてここに通っていたことを思い出す。
「あの頃は・・・こんな狭い空間でさえも、広いと思えたもんや。」
幼稚園は、決して大きいとはいえなかった。建物にしろ運動場にしろ、大人になった今となっては、本当に小さく見える。
ここへ通っていた時は、家と幼稚園だけが世界の全てだった。漠然と外の世界を思い描くことはあっても、それはほとんど現実感を伴わなかった。
だから仮面ライダーやウルトラマンを、本気で信じていたのだ。
俺の近くにはいなくても、必ずどこかにいるのだと。俺の知っている狭い世界の外に、きっと彼らは存在しているのだと。
そういう感覚が消えたのは、いったいいつなのだろう?小学生に上がってからか?いや、もっと遅かったような気もするが・・・・。
「あの時は・・・本気で信じてたからなあ・・・。絶対に仮面ライダーがおるって。いや、ひょっとしたら、今でも信じてるのかもしれへん。この現実の世界にはおらへんだけで、空想の世界にはおるはずやから。」
子供の頃は、空想と現実がごちゃ混ぜになるものだ。自分だっていつか仮面ライダーになれるかもと期待していた。
それがいつからか、仮面ライダーは現実にはいないと知った。心のどこかで微かな期待はあったけど、やはり現実にはいないものだと分かるようになった。
「・・・何が違うんやろ?空想の世界に行きたがることと、仮面ライダーを信じること。いったい何が違う?」
・・・同じだ。どちらも人の想像が生み出したものなのだから、違いなどないのだ。仮面ライダーを信じてるといえば子供っぽいし、神や仏を信じているといえばそうは思われない。でも結局は同じ事だと思う。空想の世界だって・・・・それらと同じだ。
要は、自分がどうであるかってことだ。いくら神を否定されても、信じている人にとっては存在しているのだ。ならば俺も、空想の世界を・・・・信じてみようかな。
神に会いたいと思っても、神には会えない。それでも神を信じる人がいる。だったら、空想の世界へ行けなくても、それを信じて何が悪い?
あの大木は俺を抱きしめてくれるけど、それだって俺がただそう感じているだけに過ぎないのだ。でも・・・それは俺にとっては紛れも無い真実。
そう考えた時、ようやく自分の矛盾が見えてきた。空想の世界へ行けないと分かっていながらも、俺はそこへ行きたがっている。でも・・・・現実は現実で、空想は空想なのだ。
こんな事に気づいたからといって、きっと俺は変わらない。劇的に成長し、しっかりと現実の世界で生きていけるようになるなんて、これっぽっちも思っていない。
でも・・・とりあえずは認めることから始めようか。空想の世界へ行けないこと。俺は現実の人間であること。
それでもなお空想の世界への憧れが捨てられないのなら、これは長溝さんの言った通りにするしかない。
「漫画家とか小説家か・・・・。映画監督・・・は、今からはちょっと無理っぽいな。
でもなあ・・・なんか違うような・・・どれもシックリ来おへんのよなあ。」
まあすぐには答えなんか出ない。いや、そもそも答えなんてものが必要なのか・・・?
堂々巡りの思考は相変わらずで、しかしそれを楽しんでいる自分がいる。
なんだ、結局はこういうのが嫌いじゃないんだ。どうでもいい事を考えたり、空想の世界に浸ってみたり。嫌だ嫌だと言いながらも、きっと一生これは治らない。
あの日・・・口に土を詰め込んで、夜空に手を伸ばした。あれが俺の本心で、これから先もああいうふうに発狂するのかもしれない。どこかでプツリと糸が切れた時、崖を飛び降りて帰らぬ人になる可能性もある。
「・・・ええよ、そうなっても別に・・・。何を知ろうが、何に気づこうが、大したことじゃないもん。俺はただ・・・・この世界に興味がないだけや・・・。」
幼稚園を後にして、田んぼのあぜ道を歩いて行く。長溝さん達は、まだカードゲームをやっているのだろうか?彼女たちは実に楽しそうに遊んでいたけど、あれは俺には分からない感覚だ。でも・・・一人でブラブラ田んぼをうろつくことだって、人から見れば退屈な行動に見えるんだろうな。
視点を変えれば見方が変わる。そんな事はどうでもいいけれど、どうでもいいことを考えるのが楽しい。答えの出ない自問自答を楽しみながら、細いあぜ道を抜けていった。


            *


あれから五年が経った。違和感の正体に気づき、それを認めることで、少しは楽になった。
しかし・・・俺は何も変わっていなかった。今年で三十二歳になったというのに、ちっとも進歩していない。
今は長溝さんのおばあちゃんが持っている、ボロい一軒家に住んでいる。ボロいと呼ぶのも躊躇うほどのボロさで、とろあえず人が住める最低限の建物という感じだ。
その分家賃は安いので、アルバイトの安月給でも何とかやっていける。贅沢なんてほとんどしないし、唯一の楽しみといえば、近くのマクドナルドに行くことらいである。
ああいう場所に一人で行って、黙々とポテトを頬張る。まさに、これこそが実生活における至福の時だった。人が大勢いるのに、誰もこちらを見ていない。だからいつだって一人になれる。
これが何とも心地いい。もちろん家にいても一人だが、環境を変えれば孤独の楽しみ方も広がるというものだ。
給料日までもう少し。今のところは、マクドナルドを我慢しなければならない。しかしそれよりも、今の俺には大事なことがある。
この五年の間でちっとも進歩をしていないと言ったが、それは実生活での話だ。あの余計な違和感、そして無駄な思考。それらはより磨きがかかり、ますます冴えていく。
きっと・・・これを人に言ったら笑われるだろうと思うが、俺はなんと、あの大木の声が聞こえるようになったのだ。
我ながら完全に常軌を逸してしまったと思うが、そんなことはどうでもいい。要はあの大木から声が聞こえるかどうか、それこそが重要なことなのだから。
そしてもう一つ、それと並ぶくらいに重要なことがある。以前行ったあの滝だが、あそこへ何度も通ううちに、あることに気づいた。
それは手の平で触れらないものは、手の裏側で触れられるというとだ。前にあの滝に触れようとした時、頭に声が響いてストップがかかった。
それは俺の声か、それとも龍神の声か、それは今でも分からないが、確かにストップがかかったのだ。しかし、前々回にあの滝へ行った時、ふと思い立ったことがある。
触れるのではなく、ただ手を伸ばしてみようと・・・。
触ろうとするから止められるのであって、ただ手を伸ばせばどうなるのか?何となくの思いつきでやってみたのだが、この時はストップがかからなかった。
伸ばした手は滝に触れ、冷たい水の感触が伝わってきた。あの時、俺が滝に触ったのではなく、滝の方が俺に触れてきた感じがした。
それはきっと、手の平で触ろうとしなかったことがよかったのだと思う。いま見ている世界が全てではないというのなら、俺の手だって、いま見ている手が全てじゃないのだろう。
物に触れられる手の平があるのなら、それに重なる別の手があってもおかしくはない。
あの滝に別の世界が重なっているように、俺自身だって、別の何かが重なっているはずだ。
それを心と呼ぶか、意識と呼ぶか、それとも神と呼ぶか?それは個人によって違うだろうけど、肉体に重なる肉体というのは、確かにあると思う。だからこの手も一つではない。
言うなれば、手の平の裏側とでもいおうか。それは決して、手の甲のことではない。
この手の平に重なる、もう一つの手の平のことだ。ただ手を伸ばせば、普通の手の平で触れられないものが、手の平の裏側で触れられる。
あの大木も、あの滝も、ただそこに在るだけ。そして、俺だってそこに在るだけ。
ならば俺もあの大木も、そしてあの滝だって、全然違いなどないのだ。問題なのは、大木や滝から話しかけられることじゃない。
ただそこに在るだけという、当たり前の事実に気づけば、まさに目の前に在るものから、様々なものを感じ取れる。それを感じているのは自分で、大木も滝も、何かを発信しているわけじゃない。俺がそれに触れて、彼ら、もしくは彼女らを感じ取れる力があるかどうかということだ。
それは単なる妄想に過ぎないけど、その妄想こそが、空想の世界の根源であり、まさに俺が望む全てのものだった。
この世に生を受けて三十二年。実用的なことは何一つ身につかず。無駄なことばかりが肥大化し、磨かれていく。
俺の魂は未だにフラフラと彷徨うばかりで、現実にも空想にも行けずに漂っている。それで善しとは言えないけど、生き場のないものはどうしようもない。
いつか何かの針に引っ掛かるか、それともこのまま消えていくか・・・・。そんなことは悩んでも仕方なく、もはや今の自分をどうすることも出来ない。
・・・・いいさ、それならそれで。どうせこの現実の世界で望むものなどないのだから。
無駄な思考を楽しんでいると、長溝さんがやって来た。酒を片手に部屋に上がり、すっかり出来あがった様子でご機嫌に口を開く。
「今日は天気がええな。後でどっかに行こか。」
「どっかって・・・どこ?」
「どこでもええやん。」
「どこでもか・・・・困るな。」
彼女の何処でもいいは、何処でもよくないのだ。暗に私の行きたい場所を当ててみせろと言っている。彼氏でもないのに、無駄な気を遣うのはいつものことだ。
「じゃあ・・・海か山?」
「・・・山かな。」
「鶏籠山行く?」
「嫌や、毎日走ってるもん。」
「ほな動物園の近くの山。」
「そやな。そこ行こか。カメラ持って。」
鶏籠山とは、いつも俺が登っている山のことだ。そして動物園の近くの山は、童謡の流れるスピーカーがある山だ。こちらを選ぶということは、登山ではなく散歩をしたいのだろう。
「ほなこれ飲んだから行こか。」
手にしたハイボールの缶を飲み干し、並んで玄関まで出る。
「ちょっと待って。俺も一服。」
玄関先でタバコを吹かしながら、ゆっくりと靴を履く。灰皿にタバコを押し付け、表に出て背伸びをした。
「なんか曇ってるな。雨降るかもしれへんで。」
「ええやん、濡れても死なへんから。」
「極論やんか、それ。」
「人生なんて、死ぬか生きるかのどっちかやで?くよくよ悩んでも仕方ないねん。早く行こ。」
曇り空を気にしながら、気の置けない友達と並んで歩く。どうでもいい話に花が咲き、どうでもいいことで笑い合った。
山に続く坂道に差し掛かり、夏を呼び寄せる蒸し暑い空気が絡みつく。
「あのさ、いきなり話変わるけどええ?」
「何?」
「俺な、きっとこれからも成長せえへんと思うわ。なんにも身に付かへんやろし、前にも進まへん。」
「うん。」
「それでええと本気で思ってるんやけど、これからも友達でおってくれる?」
「・・・ええけど、一つ約束して。」
「なに?」
「なんでもええから、創ってみてくれへん?」
「創る?なにを?」
「なんでもええねん。小説でも漫画でも。写真でもええで。君は空想にしか興味がないんやろ?じゃあさ、なんか創ってよ。それやったら、これからも友達でおってもええで。」
「・・・その道で飯食えってこと?」
「違う、違う。そんなんどうでもええねん。創るか、創らへんか、そのことを聞いてるねん。私は生きるか死ぬかやけど、君にとっては、そんなんどっちでもええんやろ?」
「うん。どうでもええな。」
「だから、創るか、創らへんか。それだけ考えといてってこと。もし何かを創るっていうんやったら、これからもずっと友達でいよう。」
「・・・・分かった。じゃあなんか創ってみるわ。とりあえず漫画でも描いてみよか。」
「おお、ええやんか。漫画のことやったら何でも聞いて。教えたるで。」
長溝さんは嬉しそうに顔をほころばせる。まだ彼女と付き合っていた時、しきりに写真を勧めてきたけど、もしかしたら写真じゃなくてもよかったのかもしれない。絵でも漫画でも、何かを創れと言いたかったのだろう。
きっと・・・いくら現実の世界がどうでもよかろうと、何もしないわけにはいかない事を伝えたかったんだ。それが何の役に立たないことでも、やるかやらないかで大違いなのだから。
しばらく無言で坂道を上っていく。動物園を抜け、遊歩道の入り口に立って、山を登っていく。スピーカーのセンサーが反応し、美しい童謡のメロディが流れ始めた。
『みかんの花咲く丘』
とても優しく、そして心地の良い歌だ。歌詞は流れないけど、メロディだけでも心に染みるものがある。
「あ!そういえば童謡で思い出したけど、メトロポリタンミュージアムって歌知ってる?」
「それ前にも言うてたな。」
「あれな、ごっつう気になって仕方ないねん。あれに登場する女の子ってさ、元々は絵の中の住人やったんちゃうかな?だから天使像もファラオも仲良くしてくれたし、夜の美術館に一人でおった説明もつくし・・・・・、」
相変わらずどうでもいいことに熱が入ってしまう。だけど・・・形のないもの、答えの出ないもの、そういうものこそ面白いんじゃないか。
長溝さんは真剣な顔で話を聞いている。相槌を打ったり、時には自分の意見を返したり。やっぱり友達ってのはいいものだ。これだけは現実の世界の宝だな。
遥か遠くの方で雷鳴が響いている。降り出した雨も気にせずに、ひたすら空想の世界のことを語り合っていた。


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