セカンド・コンタクト 第七話 湖面の魔境(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:27
・・・・波の音が聞こえる・・・・。穏やかで、とても優しい波の音が聞こえる・・・。
それは海の波音とは違い、もっと緩やかで静かな音だった。
「・・・・・・・・・・・・。」
その波音のおかげで、俺は目を覚ました。
「ここは・・・・さっきの湖か?でもこの景色は・・・・・。」
俺が倒れていたのは、あの湖のほとりだった。しかしさっきとは決定的に違うこところがある。
「景色に色がない・・・。これじゃまるで、意識の世界と一緒じゃないか・・・・。」
立ちあがって辺りを見渡し、周りに誰かいないか確認してみる。
「・・・須田はいないな。あいつ・・・また人のことを撃ちやがって・・・、」
次に会ったら、一発くらいぶん殴ってやらないと気がすまない。いくら傷つかないとはいえ、銃で撃たれるのは気持ちのいいものではないのだ。
「しかし須田を捜そうにも、どこを捜していいのか分からないな。それに・・・ここはいったいどこなんだ?」
最初にこの湖に足を踏み入れた時、景色には色があった。ということは、あれは現実に存在するどこかの湖ということだ。
「本当に綺麗な湖だったから、きっと人が足を踏み入れない場所なんだろう。そうでなければ、もっと汚れているはずだ。」
色を失くした湖を見つめ、首を振ってため息をついた。
「色がなきゃただの水たまりだな。美しさも何もあったもんじゃない。」
じっとしていても始まらないので、とりあえず歩き出した。どこへ向かえばいいかなんて分からないので、湖を一周してみることにした。
「ずいぶんと大きいな。こりゃあ湖の周りを探索するだけでも時間がかかりそうだ。」
湖面は遥か遠くまで続いていて、水平線が見えている。その向こうには山々が連なっていて、水墨画のようなシルエットが浮かんでいた。
「なるほど・・・景色によっては白黒も悪くない。」
水を吸って濡れた服を絞り、湖に沿って歩き出す。
「須田はここを魔境だと言っていたな・・・。ということは、どこかに化け物が潜んでいるってことなのか?」
ポケットに手を入れ、薬を握りしめる。しかし花びらの弾丸を撃ち込まれたことを思い出し、思わず舌打ちをした。
「ああ、そうか・・・。今は花びらの力は使えないんだったな・・・。」
試しに薬を飲んでみるが、どう頑張っても花びらは浮かんでこなかった。
「こりゃまずいな・・・。もしこんなところをクローンに襲われたら一たまりもないぞ。」
花びらの力を使えない状態では、クローンにトドメを刺す手段がない。クローンが出てこないことを祈りながら、湖の周囲を歩いていった。
「・・・何もないな。見渡すかぎり平原が続くだけだ・・・。」
足を止め、遥か先まで続く景色を見つめる。
「このまま歩いても、きっと何も変わらない気がする・・・。さっきの場所へ戻ろうか。」
そう呟いて踵を返すと、とつぜん景色が変わっていた。
「なんだ・・・これは・・・?」
さっきまではただの平原だったのに、細い木が何本も立っていた。しかも赤い花びらを付けている。
「これは・・・クローンの木か。まずいな・・・。」
ジリジリと後ろへ下がり、気配を殺して遠ざかっていく。すると足元に何かが触れ、思わず振り返った。
「な、なんで・・・・?」
クローンの木は後ろにも立っていた。穏やかな風に振られ、ヒラヒラと赤い花びらを落としている。
「いきなり現れやがった・・・・どうなってるんだ・・・。」
前後をクローンの木に囲まれ、逃げ場がなかった。もしここで襲いかかって来られたら、それは死を意味する・・・・。
「・・・・まあいいか、ここで死んでも・・・。もうミサはいないんだ。生きている理由なんてないんだし・・・。」
その場に立ちつくし、死を覚悟して力を抜いた。案の定、クローンの木は俺の意識を反映させて形を変えた。
無数に生える全ての木が、過去に戦ったクローンへと変貌していく。
不良少年の彼女、婚約指輪の青年、それにマネキンの少女や、橋の上で会った男までいた。
それらの全てが、俺の意識が生み出した幻影。しかしその幻影は、確かに命を持っている。幻でありながら、幻でない、現実と非現実の間に存在する儚い命だった。
「・・・いいさ、殺すなら殺せ。全ては俺が作った罪だ・・・。」
潔く腹を決め、その場に立ちつくす。しかし・・・・一人の女が前に出てきて、俺の心を揺さぶった。
「ミサ!」
「・・・・・・・・・・。」
思わず叫んで、彼女の前に走った。
「ミサ・・・・また会えるなんて・・・。」
そっと手を伸ばし、彼女の頬に触れる。その瞬間、どうしようもなく熱い感情が湧きあがってきて、強く抱きしめていた。
「ミサ!会いたかった・・・・会いたかったよ・・・。」
これが本物のミサでないことは分かっている。それでも抱きしめずにはいられなかった。
ミサも俺を抱き返し、胸に顔を埋めてきた。
「・・・浩太・・・・。」
ミサの声・・・ミサの温もり・・・・それが偽物だと分かっていても、涙を止めることは出来なかった。
「もう離さない・・・・ずっと傍にいてくれ・・・・。」
「・・・うん、ずっと一緒にいよう・・・・。」
ミサにそう言われた途端、死ぬのが怖くなった。俺が生を放棄しようとしたのは、ミサを失ったからだ。しかしこうしてまた会えたのなら、死ぬ理由はない。
彼女が傍にいるなら、例えどんな困難があっても生きていたかった。
「そうか・・・須田はこの気持ちを思い出させたかったんだな・・・。ミサを想う、熱い気持ちを・・・・。」
この時、初めて須田に感謝した。あいつを嫌いな気持ちは変わらないが、それでもミサに会わせてくれたことに、心から感謝をしていた。
「ミサ・・・俺・・・ずっとここにいるよ。元の世界に戻っても、お前がいないんじゃ意味がない。だから・・・ここで一緒に暮らそう。」
「・・・ほんと?」
「ほんとうさ。例え偽物でも構わない。お前が傍にいてくれるなら・・・俺はそれだけで満たされるから・・・。」
「浩太・・・・嬉しい・・・。」
俺たちは強く抱きしめ会う。顔を見つめ、唇を重ねてお互いの名前を呼んだ。
《よかった・・・死ななくてよかった・・・・。》
もしあの橋で首を吊っていたら、こうしてミサと会うこともなかった。生きていてよかったと、心からそう思っていた。
しかしその時、誰かが服の裾を引っ張った。
ミサを抱きしめたまま振り返ると、そこにはマネキンの少女がいた。
「殺す?」
首を傾げ、無機質な表情で尋ねてくる。
「・・・いいや、殺さない。俺はもう・・・誰も傷つけない。」
「ウソ・・・ほんとは殺すんでしょ?」
「嘘じゃない。もう俺には戦う理由がないんだ。だから・・・君を殺したりしない、約束するよ。」
そう言って小指を差し出すと、マネキンはクスクスと笑った。
「ほんとうに殺さない?」
「ああ、殺さない。」
「何があっても?」
「ああ、何があってもだ。」
「ふうん・・・じゃあこんなことしても?」
マネキンは服の中から拳銃を取り出し、引き金を引いた。その瞬間、俺の顔に何かが飛び散った。いったい何が起こったのかと見てみると、ミサの頭が吹き飛んでいた。
「・・・ミ・・・ミサ・・・・。ミサあああああああ!」
「ふふふ、大丈夫。その人ならいっぱいいるから安心して。」
マネキンが笑うと、全てのクローンがミサに変わった。
「そ、そんな・・・そんな馬鹿な・・・。」
「ね?嬉しいでしょ?こんなにたくさん彼女がいて。」
マネキンは可笑しそうに笑い、手当たり次第にミサを撃ち殺していった。ミサの頭が吹き飛ぶ、ミサの胸に風穴が空く、そして・・・・その場に崩れ落ちていく・・・。
「やめろおおおおおお!」
「うふふ、何を怒ってるの?まだまだこんなにたくさんいるのに。」
ミサが死んだ分だけ、新しいミサが現れる。マネキンはモグラ叩きのように次々と撃ち殺し、面白そうに笑っていた。
「あははは!それそれ〜!」
「やめろって言ってんだろ!」
俺はマネキンに殴りかかった。彼女の頭がグルリと周り、元の位置に戻って笑っていた。
「効かな〜い!花びらの力がない攻撃なんて全然効かないよ〜!」
マネキンはまた拳銃を取り出し、両手に握ってミサの命を奪っていく。
「やめろ!これ以上ミサを殺すな!」
マネキンから拳銃を一つ奪い取り、目の前に突き付けた。
「あ、やっぱり殺すんだ?」
「当たり前だ!ミサを殺す奴は、俺が殺す!」
「でも殺さないって言ったじゃない。」
「ふざけるな!こんなことをされて黙っていられるか!とっととくたばりやがれ!」
俺の銃が火を噴き、マネキンの頭に穴が空く。
「効かない。」
「この化け物め・・・・。なら死ぬまで撃ってやる!」
リボルバー式の拳銃が、何度も乾いた破裂音を響かせる。とっくに弾装は空になっているはずなのに、弾が切れることはなかった。
少女のマネキンはハチの巣のように穴だらけになるが、それでも笑っていた。
「そんなの効かない。効かないも〜ん!」
マネキンの目から血の涙が溢れ、首がグルグルと回り出す。
「あはははは!殺す?ねえ殺すの?」
弾丸の切れることのない拳銃が、次々にミサの命を奪っていく。止めさせようとして掴みかかった時、右の太ももを撃ち抜かれた。
「があッ・・・・。」
「殺す?殺すんでしょ?私を殺して・・・・クローンだってみんな殺しちゃうんでしょ?」
マネキンは銃を突きつけて血の涙を流す。笑っていた顔が、じょじょに悲しみと怒りの表情に変わっていった。
「お兄さんは悪い人よ。自分は平気で他人を殺すクセに、自分の大切な人が奪われたら怒ってる。そんなの自分勝手だわ。」
「うるさい!ミサは俺にとっての全てなんだ!」
「だから?」
「だからって・・・・お前・・・・。」
「ミサなんて人は、私には関係ないもん。関係ない人が死んだって、私は悲しまない。お兄さんだって、関係ない人が死んだって泣かないでしょ?」
「話を誤魔化すな!俺はミサを殺すなと言ってるんだ!」
「でも私には関係ないもん。だからいくら死んでも悲しくないの、ほら。」
マネキンは銃を撃つ手を止めない。ミサは飛び散り、ただの肉の塊へと変わっていく。
「やめてくれ!頼むからやめてくれよ・・・・頼む・・・・。」
「い〜や。」
マネキンは意地悪そうに舌を出し、ひたすらミサを撃ち殺していく。そして俺の苦しむ姿を見て楽しんでいた。
「あははは!ばっかじゃないの?こんなのただの幻なんだよ?ほら、よく見てごらんよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
マネキンが指差した方を見ると、そこには誰もいなかった。あれだけミサを殺したはずなのに、死体の一つも転がっていない。
彼女の立っていた場所には、ただ細い木が植わっているだけだった。
「ね?あれはクローンだから、ミサなんていうのはただの幻なの。この私だって、お兄さんが作り出してるんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「私が銃を撃つのも、ミサがいっぱい死ぬのも、ぜ〜んぶお兄さんが生み出した幻。だから悲しむ必要なんてないんだよ?なのに・・・・そんなにブルブル震えちゃって・・・・ばっかじゃないの!あはははははは!」
マネキンの首が高速で周り、ボロっと取れて地面に落ちる。
「あはははははは!殺す?ねえ殺すの?あははははははは!」
地面に落ちた顔は、狂ったように笑っていた。血の涙を流し、頭だけになっても回っていた。
俺はパニックになった。何もかもが狂って見え、マネキンに背を向けて逃げ出した。
するとたくさんの細い木がミサに変わり、「浩太!浩太!」と叫んで抱きついてくる。
うじゃうじゃとミサが溢れ、我先にとしがみついてくる。
「やめろ!抱きつくな!」
「嘘つき!一緒にいようって言ったクセに!」
「お前らは偽物だろう!俺が欲しいのは本物のミサだけだ!」
そう叫ぶと、ミサたちは動きを止めた。ゆっくりと俺から離れ、死人のような顔で睨んだ。
「本物のミサなんていないわ・・・・。全ては浩太の生み出した幻。」
「そんなことはない!ミサはいる!ちゃんといるんだ!」
「そうね・・・浩太がそう思うならいるんだわ。ただし・・・・あなたの頭の中だけにね。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「分かってるでしょ?ミサは浩太の作り出した幻だって。だから・・・ここにいるのはみんなミサなのよ。浩太と一緒にいたミサと同じ。全てのミサが、浩太から生み出されたの。」
「ち・・・違う・・・ミサは一人だけだ・・・。」
「そんなことない。あのミサも、このミサも、そして私だって・・・み〜んなミサよ。だから全部愛してよ。ここにいるミサを、全て愛してよ。そうすれば、たくさんのミサがずっと浩太の傍にいるから。一人くらい死んだってへっちゃらよ。こんなにたくさんのミサが、浩太を愛してるんだから。」
ミサは手を広げ、他の大勢のミサを見つめて笑う。
俺はいよいよ正気を保てなくなり、頭を抱えてうずくまった。
「やめてくれ・・・もう・・・やめてくれよ・・・・。」
「なんで?私に会いたかったんでしょ?」
「・・・違う・・・お前らはミサじゃない・・・・。」
「ふふふ・・・まだ言ってるの?ここにいるのは、みんなミサなのよ?正真正銘、本物のミサたちなのよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
逃げ出したかった・・・。この場所から、今すぐに逃げ出しかたかった・・・・。
もう正気を保てない・・・。これ以上・・・ミサのバーゲンセールをされるのは御免だ・・・・。
「・・・・いらない・・・俺は・・・ミサの安売りなんか望んでいないぞ・・・。」
ポケットに手を入れ、ありったけの薬を飲み込んだ。四錠か五錠か・・・、いや、もっと多いかもしれない。日に二粒までの限界を遥かに超えた薬が、俺の中で弾ける。身体と心が熱くなり、花びらの力が蠢き出す。
赤い花びらが全身に現れ、やがて身体そのものが赤く染まっていった。
それはまるで・・・俺自身が花びらになったようだった。
「お前らはミサじゃない・・・。あいつは・・・こんなふうに俺を苦しめたりはしない・・・。」
身体だけではなく、瞳も赤く染まっていく。まるで鬼か悪魔が乗りうつったように・・・。
「いいかお前ら・・・それ以上ミサの顔で・・・ミサの声で喋るな・・・・殺すぞ・・・。」
自分でも耳を疑う言葉だった。いくら偽物といえど、ミサに向けてこんなに酷いことを口走るなんて・・・。
「あはははは!やっぱりお兄さんは悪い人だ!恋人でも殺すような・・・・・、ぎゃあああああ!」
「うるさい・・・お前はもう喋るな・・・。」
気がつけば、マネキンの頭を踏みつぶしていた。強力な花びらの力が、一瞬にしてマネキンを絶命させた。
「浩太・・・・。」
ミサたちは恐れおののき、ジリジリと後ろに下がっていく。
「どうしてそんな酷いことをするの・・・?浩太はいつだって優しかったじゃない・・・・。」
「・・・俺だってこんなことはしたくないさ・・・。でも・・・こうさせたのはお前らだろう?」
拳を握り、ミサの方へと詰め寄っていく。彼女たちは恐怖に引きつり、顔を覆って泣き始めた。
「・・・やめて・・・・私に手を出さないで・・・・、」
そう呟いた瞬間、俺の拳がミサを殴り飛ばしていた。
「これ以上ミサの声で喋るなと言っただろう・・・・。」
ミサは倒れ、陽炎のように消えていく。その跡には細い木が立っていた。
「・・・こいつが・・・こんなものが俺を苦しめるのか・・・・。」
細い木を掴み、力任せにへし折った。胸にズキリと傷みが走ったが、気にせずに踏みつぶしていった。
「・・・お前ら全員・・・こうしてやる・・・。ミサの姿で俺を苦しめたこと・・・後悔しろ・・・。」
「や・・・やめて・・・・。」
ミサたちはいっせいに逃げ出した。俺は雄叫びを上げてそれを追いかけ、暴虐の限りを尽くした。
それは口で言うのも憚れるような、目を背けたくなるような光景だった・・・・。
「このクローンどもが!お前らに生きている価値などない!」
ミサを殺し、細い木をへし折っていく。心に湧きあがる怒りは、もはや止めようがなかった。それは感情を焼き尽くし、理性を焼き尽くし・・・・そして俺自身を焼き尽くしていった。赤い身体はさらに熱を帯び、まるで木のように固まり始めた。
《身体が動かしにくい・・・・拳を握りづらい・・・。それでも・・・・全てのミサを仕留めてやる!こいつらは偽物なんだから、生きている価値などないんだ!
俺にとって重要なのは、本物のミサだけだ。一緒にツクシを取り、一緒に山に登った・・・・あのミサだけだ!》
狂った暴力はとどまるところを知らず、目に映る全てのミサを消していく。いったいどれだけ暴れたら気が済むのか、もう自分でも分からなかった・・・。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
どれくらい時間が経っただろう・・・。気がつけば、全てのミサを殺して、細い木をへし追っていた。もう周りには誰もいない。
ミサもマネキンも、みんな土に還ってしまった。
「・・・・終わった・・・もう・・・俺を苦しめる奴はいないんだ・・・。」
ホッとしていた・・・。これ以上ミサを殺さなくて済むと思うと、急に力が抜けてきた。
業火のような怒りも消え、心が湖面のように穏やかになっていく。
しかし・・・・楽にはなれなかった。なぜなら、俺は過ちを犯してしまったからだ。
限界を超えて薬を使ったせいで、思わぬ副作用が襲いかかってきたのだ。
「・・・・なんだ・・・・景色が・・・・・・・。」
灰色の景色が、絵具をかき混ぜたように歪んでいく。そして所々に色が浮き上がり、カラーと白黒が混じった妙な景色に変わっていった。
「これは・・・・どうなってるんだ・・・・。」
その瞬間、頭に痛みが走った。まるで針を刺されて電気を流されたような、とてつもない痛みだった。
「うがああああああ!」
頭を押さえて転げ回り、手足をばたつかせてのたうち回った。
「痛い!死んじまう!」
あまりの強烈な痛みに、思わず死を覚悟した。この痛みがあとしばらく続けば、きっと脳ミソが狂ってしまうだろう・・・。
カラーと白黒のチグハグな景色は、ドロドロと溶けて地面に落ちていく。その向こう側には、白紙のようにまっさらな世界が広がっていた。
《・・・これは・・・景色が溶けているんじゃない・・・俺の意識が溶けているんだ・・・・。》
限界を超えた薬の使用は、その副作用で俺の意識を溶かし始めた。現実の世界でも意識の世界でもない、完全なる無の世界に誘おうとしていた。
《・・・・・嫌だ!消えたくない!俺が俺でなくなってしまう!》
自分が消える・・・・それはえも言われぬ恐怖だった。死ぬことは恐ろしくないのに、意識が無に還されるのは恐ろしかった。
《・・・怖い・・・俺が消えてしまうなんて・・・・そんなのは嫌だ・・・・。》
いつもなら、こういう場面で須田が助けてくれる。手を差し伸べてくれて、俺を救い出してくれるはずだ。
《・・・まて・・。俺はいったい・・・何を考えているんだ・・・・。須田に助けてもらおうだなんて・・・・なんて馬鹿なことを!》
ほんの一瞬でも、そんなことを考えた自分が許せなかった。あいつに助けてもらうくらいなら、このまま消えた方がマシだ!
《・・・・・なんとか・・・なんとかしないと・・・・。自分の力で・・・・ここから這い上がらないと・・・。》
この状況を打開する手段を必死に考える。すると、あることを閃いてポケットに手を突っ込んだ。
《・・・・・・よかった!まだ一つだけ残っていた・・・・。》
ポケットには一つだけ薬が残っていた。それを口に投げ込み、手の平に赤い花びらを浮かび上がらせた。それを強く握りつぶすと、景色は完全に色を失くして固まった。
しかし・・・また溶け始める。俺の意識の崩壊は止まらなかった。
《きっと足りないんだ・・・。もっと・・・もっと薬を・・・・、》
消えかかる意識の中で手を伸ばすと、何かが指先に触れた。
《・・・これは・・・・クローンの木か。・・・・これを・・・これを使えば・・・・。》
状況は絶望的だったが、まったく希望がないわけではなかった。上手くいくかどうかは分からないが、ほんの一筋の希望に賭けてみることにした。
《・・・俺に薬を与えたあの巨木は・・・きっとクローンだ・・・。ならばこの細い木からだって・・・薬が取れるかもしれない・・・。》
手に触れた細い木を手繰り寄せ、僅かな希望を求めて毟っていく。すると・・・・ほんの少しではあるが、樹液が滴った。
《これだ!この樹液が薬を作っているんだ!》
滴る樹液に貪りつき、乳を吸う赤子のように吸いこんだ。
「・・・・・・・・・・・・・。」
足りない・・・。もっと、もっと多くの樹液が必要だ。
残った力を振り絞り、辺りに散らばる木から樹液を貪った。
《・・・・生きたい・・・・・生きていたい・・・・・・。》
なぜ生きようとするのか、自分でも分からない。しかし・・・・生きていたかった。このままここで朽ち果てるのは、死んでも許せなかった。今ならあの男の気持ちが分かる。何がなんでも生に執着した、あの男の気持ちが理解できる。
細い木から吸える樹液は僅かだが、それでも数を集めればそれなりの量になる。
俺は力を取り戻し、再び意識の世界を生み出して、自分が消えるのを食い止めた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
頭痛が治まり、景色も元に戻った。ちぐはぐな色は消え、歪みもしっかりと直っていた。
「・・・よかった・・・・よかった・・・・・。」
胸を撫でおろして、その場に膝をついた。もしかしたら、また薬の副作用がやってくるかもしれないが、とりあえずは消える心配はなさそうだ。
「・・・とんでもない目に遭った・・・・百回は死んだ気分だよ・・・。」
フラフラと立ち上がり、頭を振って意識を保った。頭はまだクラクラしていて、顔でも洗おうと思って湖に足を向けた。
ほとりに膝をつき、水を掬おうと湖面を覗き込む。すると・・・・湖の中に、とんでもない物が映っていた。
「これは・・・・あの巨木じゃないか!」
掬った水を落とし、思わず湖面を覗き込む。
「さっきまではこんなものは無かったぞ・・・。いったいどうなってるんだ?」
湖面の中に、あの巨木がユラユラと揺れていた。じっと目を凝らして見つめていると、ある異変に気がついた。
「これは・・・・違う!氷ノ山の頂上で会った巨木とは別物だ!」
湖の中に映る巨木は、俺が会った巨木よりもはるかに巨大だった。
なぜなら、巨木は雲を突き抜けてそびえていたからだ。連なる山々を見下ろし、天を突くように枝を伸ばしている。
「なんて・・・なんて大きさだ・・・・。」
その圧倒的な迫力に息を飲んでいると、巨木はスッと消えていった。そして・・・代わりに一人の女が映し出された。
「ミサ!」
湖の中に、ユラユラとミサが揺れている。
「これは・・・本物のミサだ・・・。俺と一緒にいた・・・本物のミサだ・・・。」
湖面に手を伸ばし、ミサに触れようとする。しかしその瞬間、また異変に気づいて手を止めた。
「・・・・違う・・・これはミサじゃない。よく似ているけど別人だ・・・。」
湖に映る女性は、ミサではなかった。ミサよりもう少し大人びていて、険しい表情をしていた。そして・・・その面影は誰かに似ていた。
「俺はこの顔立ちを知っているぞ・・・。いったい誰の顔だったっけ・・・・?」
記憶の中を辿り、思い当たる人物を探した。すると、バッチリ当てはまる人物が一人だけいた。
「これは・・・須田だ・・・。須田の面影だ・・・。」
ミサに似ている女は、須田とそっくりの面影をしていた。険しい表情の中に、ほんの少しだけ陰がある。そしてやや垂れ下がった目元もそっくりだった。
「もしかして・・・これは須田の娘なのか?」
須田は言っていた。自分には娘がいたが、自殺してしまったと。ということは・・・やはりこの女は須田の娘なのか?彼女をじって見つめていると、そこに誰かが重なって見えた。須田の娘によく似た人物の顔が、薄く重なって浮かんでいた。
「これは・・・間違いない。こっちの女がミサだ。」
須田の娘に、ミサが幽霊のように重なっている。まるで二人で一つというふうに・・・。
「ほとんど双子だな・・・。ここまで似ているってことは、この二人に何か関係があるのか?」
ミサはクローンが俺の意識を反映させて生み出した女性だ。ならば、俺はどこかで須田の娘に会った可能性がある。記憶の中に残る須田の娘を無意識に思い描いて、それをクローンが反映させたのかもしれない。
じっと目を閉じ、記憶の中に須田の娘を探してみる。すると、ボンヤリと何かが引っ掛かった。
「・・・・なんとなく・・・なんとなくだけど・・・須田の娘に会ったような気がする。でも・・・それはいつだったか・・・?」
ほんの微かに、記憶の中に須田の娘が残っている。しかし靄がかかったようにハッキリとせず、いつどこで会ったかまでは思いだせなかった。
「どこだ?どこで須田の娘と会ったんだ・・・・?俺は確かにこの女と・・・・・、」
そう呟いて顔を上げた時、湖の向こうに一本の木が立っているのを見つけた。赤い花びらをつけ、湖面に花弁を舞い散らしている。
それを見たとき、雷に打たれたような衝撃が走った。
靄のかかった記憶がハッキリとして、いつどこで須田の娘と会ったのか思いだした。
「・・・そうだ・・・あの時だ・・・。俺は・・・あの時、あの場所で須田の娘と会っているんだ・・・。」
それを思い出した時、周りの景色が変わった。湖は消え、段ボールの積み上がった薄暗い部屋に戻っていた。
「ここは・・・あの物置きじゃないか。どうしていきなり・・・・、」
突然の出来事に驚いていると、扉が開いて須田が入って来た。その手には小さな鉢植えを抱えていて、幼い木が植わっていた。
「美波君、無事に戻って来られたようだね。」
「須田・・・・。」
「ここにこうして無事でいるということは、全て思い出したようだね?」
そう言いながら、須田は小さな鉢植えを俺の前に差し出した。
「これに触れてごらん。」
「・・・・・・・・・・・・。」
須田に言われるまでもなく、俺はその木に手を伸ばしていた。すると俺の手が触れた途端に、幼い木は花を咲かせた。
その花は真っ赤な花びらをしていて、クローンの木にそっくりだった。
「この花が咲くということは、君は全てを思い出したんだ。だから・・・僕も君に全てを話そうと思う。」
須田は鉢植えを手渡し、俺の肩を叩いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
俺は受け取った鉢植えを抱え、真っ赤な花びらを見つめた。そして、一言だけ呟いた。
「・・・ボケの花・・・。」
「そう、それはボケの花だ。君が幼い頃、桜と勘違いしていた花だよ。」
須田は膝をつき、俺の目を見つめて手を重ねた。
「美波君・・・僕が・・・僕が本当に生き返らせたいのは・・・君だよ。」
須田は申し訳なさそうに俯き、唇を噛んだ。二人の手が重なった上に、ボケの花びらがヒラリと落ちた。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM