稲松文具店 第十八話 秘密の旅館(1)

  • 2014.09.06 Saturday
  • 19:44
五月の葉桜が、俺達の不安を掻き立てるように揺れている。
助手席から葉を茂らせた街路樹を眺め、ワシャワシャと頭を掻いた。
「課長、なんか嫌な予感がするんです。誰も電話に出ないし、折り返しもない。なんか・・・事態は悪い方向に向かっているんじゃないかと・・・・。」
そう呟くと、課長は真剣な顔でハンドルを切った。目の前を行くバスを睨みながら、信号で足止めを食らって顔をしかめる。
「もう!なんでこういう時に赤信号になるかな!」
バスは信号を抜けて去っていき、遠くへ消えようとしていた。
課長が珍しく怒っている・・・。ということは、それだけ焦っているということなんだ。
きっと課長も俺と同じ気持ちなんだろうな。でも口に出さないのは、言葉にした途端にそれが現実になりそうだから黙っているんだ・・・。
「冴木君、もう一回電話を掛けてみて。」
「で、でも・・・さっきから何回も掛けてるけど、まったく繋がりませんよ。いくら掛けても無駄なんじゃ・・・、」
「それでもいいから掛けて!今度は出るかもしれないでしょ!」
課長は目をつり上げ、キッと俺を睨みつけた。
そしてすぐに顔を逸らし、「ごめん・・・」と呟く。
「・・・・私も冴木君と同じよ。よくない事ばかり考えてる。でも今は弱音を吐いている時じゃないでしょ?」
「・・・分かってますよ。それじゃもう一度掛けてみます。」
手に握ったケータイのフラップを開け、祐希さんのメモリーをプッシュする。少し間をおいてからコール音が流れ、やがて留守番電話に切り替わった。
「・・・・ダメですね。やっぱり出ない・・・。」
フラップを閉じ、ポケットにケータイをしまう。車の中に重い沈黙が流れ、イライラだけが募っていった。
やがて信号が青に変わり、課長はアクセルを踏み込んで車を飛ばす。猛スピードでバスを追いかけ、その姿を捉えて目を細めた。
「もうすぐ終点の図書館に着く。きっとその近くに兄さんの秘密の部屋があるんだわ。」
どうやらロッテンマイヤーさんは終点まで向かうようだ。バスの車内には彼女一人だけとなっていて、肘をついて外を見つめていた。
「あんまり近づくと気づかれちゃいますよ?」
「分かってる・・・。でも気持ちが抑えられないのよ。ここまで動揺するなんて・・・生まれて初めてかもしれない・・・。」
課長はいつもの冷静さを欠いていた。眉間にシワを寄せ、ずっと唇を噛んでいる。
あの課長がこんな顔を見せるなんて・・・よほど悪い予感を抱いているんだろう。
そして、それは俺も同じだ。この先に良くない展開が待ち受けていることを、覚悟しておかないといけないな。
窓枠に肘を乗せ、じっと目の前のバスを見つめる。するとポケットのケータイがブルブルと震えだし、慌てて取り出した。
「どうしたの!」
課長は上ずった声で尋ねてくる。
「・・・メールです・・・。ただの迷惑メール・・・。」
「・・・・・・・・・。」
車内の沈黙はさらに重くなり、気まずい空気が漂う。俺は課長から目を逸らし、ゆくりとケータイのフラップを閉じようとした。しかしその時、またメールを受信した。
そして差出人の名前を見て、思わず「おお!」と叫んでいた。
「ど、どうしたの!」
課長は目を見開いて睨んでくる。
「き・・・来たんです・・・。箕輪さんからのメールが・・・。」
「ほ、ほんと!早く読んで!」今にも飛びかかりそうな目で睨む課長。ちょっと怖いな・・・。
俺は唾を飲んで気持ちを落ち着かせ、ボタンを押してメールを開いた。
「え、ええっと・・・・お姉ちゃんとお兄ちゃんを助けて・・・・って、なんだこりゃ?」
メールはその一行だけだった。『助けて』の部分から危機的な状況なのは分かるが、『お姉ちゃんとお兄ちゃん』ってなんだ?
箕輪さんのお姉ちゃんとお兄ちゃんってことなのか?確かあの人は一人っ子だったはずじゃ・・・・。
不思議に思って首を捻っていると、「貸して!」とケータイを奪われてしまった。課長はじっとケータイを睨み、ゴクリと息を飲んだ。
「ちょ、ちょっと!危ないですよ!前見ないと。」
「え?ああ!ごめん・・・・。」
慌ててハンドルを握り、またゴクリと息を飲む。
「これって・・・どういう意味だろうね?お姉ちゃんとお兄ちゃんって・・・。」
「課長もそう思います?」
「だって・・・誰のことを指してるのか分からないもの。でも助けてって言うくらいだから、きっと危ない目に遭ってるのは間違いないと思う。
すぐに返信を送って、どこにいるのか場所を聞いてみて。」
「は、はい!」
すぐに返信の文章を作り、箕輪さんに送った。
『いったい何があったんですか?すぐに向かうから場所を教えて下さい。』
ケータイから放たれた電波は、箕輪さんの元へ飛んでいく。しかしいくら待っても返事はなく、もう一度同じ内容のメールを送った。
「・・・返ってこない?」
「ええ・・・。心配ですね・・・場所分かればすぐに行けるのに・・・。」
「・・・場所なら分かるかもしれないわ。だって・・・佐々木さんはきっと兄の秘密の部屋に向かっているはずだから。
きっとそこに祐希さん達もいるはずよ。おそらく兄さんに見つかって捕えられているんだと思う。」
「だったらなおのこと早く助けに行かないと。」
「もうすぐバスは終点に着くわ。絶対に佐々木さんを見失わないようにしないと。」
ロッテンマイヤーさんを乗せたバスは、国道を道なりに進んでいく。そして大きな交差点を左に曲がり、公民館と併設する図書館に向かって行った。
俺たちは交差点の近くのホームセンターに車を止め、街路樹に身を隠しながら図書館へと近づいていった。
停車したバスからロッテンマイヤーさんが降りて、キョロキョロと辺りを見回している。
「・・・警戒してるわね。きっと尾行に注意するように言われているんだわ・・・。」
ロッテンマイヤーさんは一しきり辺りを見回し、こちらに向かってスタスタと歩いて来た。
「やべ!見つかったのか?」
「違う・・・。きっとこっちに兄さんの秘密の部屋があるのよ。冴木君、見つからないように気をつけるのよ。」
課長はじっと息を殺して街路樹に身を隠す。俺も課長の後ろに隠れ、首を伸ばしてロッテンマイヤーさんを見つめた。
「・・・交差点を渡って行きますね。・・・そのまま真っすぐ歩いて行きました。」
「あの方向だと海に出るわね。後をつけるわよ。」
ロッテンマイヤーさんは海へ向かう大きな通りを歩いて行く。この道には身を隠す場所が少ないので、かなり距離をとって尾行しないといけない。
「見失わないようにしないとね・・・・。」
遥か遠くに歩いて行くロッテンマイヤーさんは、民家の並ぶ角を左に曲がっていった。
「追いかけるわよ!」
課長はダッと駆け出し、長い直線道路を一気に走り抜けて行く。
「か、課長・・・足速いな・・・・・。」
学生時代は陸上をやっていたと聞いたが、その健脚は今でも健在のようだ。俺も負けじと全力で走り、ロッテンマイヤーさんが曲がった角までやって来た。
「・・はあ・・・はあ・・・どうです?いましたか・・・?」
「うん。でもかなり遠くまで行ってる。あのまま歩いて行くと、干潟に出るはずだけど・・・。」
ロッテンマイヤーさんは、民家の並ぶ細い路地を抜けていく。幸いこの道は身を隠せる場所が多く、尾行はかなり楽だった。
そしてロッテンマイヤーさんを尾行すること十分・・・俺たちは遠浅の干潟に出た。
「ここって・・・確か旅館や民宿が並ぶ場所ですよね?」
「そうよ。もしかしたら、兄さんの秘密の部屋はこのどこかにあるのかもしれない。」
干潟沿いには細い歩道が続いていて、旅館の立ち並ぶ方へと伸びている。ロッテンマイヤーさんはポケットに手を突っ込み、何かを取り出してクルクル回していた。
「あ!あれってマンションから出て来た時に持てった鍵じゃないですか?」
「ほんとね・・・。だとしたら、あれが秘密の部屋を開ける鍵なんだわ。」
俺達は細心の注意を払いながら後を追う。そして廃墟となった民宿のガレージに身を隠し、じっと様子を窺った。
「・・・大きな旅館の方に歩いて行きますね。もしかしてあそこに社長のアレが・・・?」
「まだ分からないわ。もうちょっと様子を見ましょう。」
俺は課長の後ろから様子を窺った。すると柔らかい潮風が課長の髪を揺らし、俺の顔にかかった。
ああ・・・課長の髪・・・良い匂いがする・・・・。なんだか今日は良い事ずくめだな。
「大丈夫?また顔が赤くなってるわよ?」
「・・・・え?いやいや、全然平気ですよ、ええ!」
「ならボーっとしてないでちゃんと見てないないと。佐々木さんが旅館の前で立ち止まったわ。」
ロッテンマイヤーさんが立ち止まったのは、いかにも和風の情緒を強調したような旅館だった。
「立派な旅館ですね・・・。金持ちしか泊れなさそうな感じの・・・。」
「そうね。だったら余計にあの場所が怪しいわ。お金持ちしか相手にしない旅館なら、秘密を隠すにはうってつけだもの。」
「どうしてですか?」
「兄さんはそれなりの身分のある人しか信用しないからよ。誰でも泊まれるような旅館なら、きっと秘密を隠したりしないと思うわ。」
「なるほど・・・やっぱり社長は警戒心が強いですね。」
「小心者なのよ。本当はすごく繊細で気が弱い人なの。だから・・・下手に成功して思いあがるとロクな事にならない。
なんとか昔の心を思い出してくれれば、私の言葉に耳を傾けてくれるかもしれないのに・・・。」
課長は切ない目でロッテンマイヤーさんを見つめていた。すると旅館から誰かが出て来て、ロッテンマイヤーさんと親しげに話し込んでいた。
「なんだ・・・?旅館からでっぷりしたおっさんが出て来たぞ?ロッテンマイヤーさんの知り合いなのか?」
二人は笑顔で喋っていて、旅館の中へと消えていった。
「誰なんだあのおっさんは・・・・。」
俺はガレージから出て旅館の方に向かう。すると課長がボソリと呟いた。
「・・・段田専務・・・。」
「え?何か言いました?」
「あのおじさん・・・段田専務だわ。うちの会社の重役よ。」
「えええ!あのでっぷりしたおっさんが?」
「間違いないわ。でも・・・どうして段田専務がここに・・・?」
課長は険しい顔で旅館を睨みつけ、スタスタと歩いていく。そして途中から小走りに変わり、やがて全力で駆け出した。
「あ!ちょっと課長!」
慌てて後をおいかけるが、課長は俺を置いてどんどん先へ走って行く。そして途中で角を曲がり、左手の方へ消えていった。
「ちょっと!旅館はこっちですよ!」
課長は何も答えずに角を曲がって走って行く。そして・・・サッカー場くらいある大きな駐車場で足を止めた。
「・・・はあ・・・はあ・・・どうしたんですか?こんな場所に来て・・・。」
「ここは旅館へやって来た人が車を止める場所よ。だから・・・もし祐希さんがここへ来ているなら、彼女の車があるはず。」
「ああ、なるほど・・・。」
課長は俺を置いてスタスタと駐車場を見て回る。真剣な目で車を見渡し、「あ!」と叫んで走り出した。
「ねえ冴木君!これ見て!」
そう言って課長が指さしたのは、真っ赤なスポーツカーだった。
「こ・・・これは祐希さんの車じゃないですか!」
「これがあるってことは、彼女はこの近くにいるってことよ。それにほら、向こうに大きなセダンが止まってるでしょ?あれは段田専務の車だし・・・・それにこっちも見て。」
課長は祐希さんの車を回り込み、その隣に止まっている車を見つめた。
「この黒のBMW、間違いなく兄さんのものだわ。ほら、車の中に小さなぬいぐるみがあるでしょ?」
「ああ・・・ほんとだ。ウサギのぬいぐるみですね。」
それは本当に小さなぬいぐるみだった。手のひらの三分の一くらいの大きさで、可愛くウィンクを飛ばしていた。
「兄さんは少女マンガだけじゃなくて、こういう可愛らしいものを集める趣味もあるの。」
「へえ・・・なんか・・・メルヘンですね。」
「メルヘンか・・・それは当たってるかもしれないな・・・。この車は自分しか乗らないから、こうやってぬいぐるみを置いているのよ。
本当はもっとたくさん持ってると思う。よもしかしたら秘密の部屋にぎっしり詰まってるかも。」
少女趣味を持つ大企業の社長か・・・・。それはそれで面白いけど、やはり人には知られたくないのだろう。
だからこそ、その秘密に近づこうとした祐希さん達は捕まったのかもしれない。
「さあ、早くさっきの旅館に行こう!ある意味今がチャンスだから。」
「どうしてですか?みんなが捕まっているかもしれないのに・・・。」
「あの旅館には、きっと兄さんの秘密の部屋がある。だったら・・・ここへは一人で来ているはずよ。」
「ああ、なるほど。社長の部下がいないってことですね。」
「そういうこと。段田専務と佐々木さんだけが一緒にいるんじゃないかな?とにかく早く行かないと、祐希さん達が心配だわ。」
課長はクルリと踵を返し、旅館に向かって走り出した。俺は置いて行かれないように全力で後を追い、息を切らして旅館の前まで駆けた。
課長とならんで大きな門を見上げ、その立派な佇まいに「ほええ・・・」と声が漏れた。
「すんごい金のかかってそうな建物ですね。」
「感心してないで中に入りましょう。きっと祐希さん達が捕まっているはずだから。」
課長はまったく怯えるそぶりを見せずに、ズカズカと中に入って行く。
「ちょ、ちょっと課長・・・。そんなに正面から堂々と・・・・、」
「堂々と入って行かないでどうするの?裏でコソコソやる方が危ないと思うけど?」
「い、いや・・・相手はあの社長ですよ。いったいどんな罠が待っているか・・・。」
「じゃあ冴木君はここに残る?」
「い・・・いえいえ!もちろんお供しますよ、ええ。」
「ふふふ、期待してるわ。もし何かあったら、祐希さん仕込みの柔道で守ってね。」
課長は眩しい笑顔で微笑み、旅館の扉を開いた。
ああ・・・あなたの為なら、たとえ火の中、水の中・・・この身に代えても守ってみせますよ!
俺はトコトコと課長の後ろをついて行き、いざという時の為に腕まくりをした。
「すみません。誰かいらっしゃいませんか?」
課長の声が旅館の中に響く。
「すみませ〜ん!どなたかいらっしゃいませんか?」
・・・・誰も出て来ない。これは明らかに変だ。普通の旅館ならすぐに誰かが出て来るはず・・・っていうか、受付に誰もいないこと自体がおかしい。
課長は何度も大声で呼びかけ、グルリと館内を見渡した。
「誰も出て来ないね。さっきは佐々木さんと段田専務が入って行ったのに・・・・。」
「居留守を使うつもりじゃないですか?俺たちに入られたくないんでしょうね。」
「・・・・・じゃあ勝手に上がろう。」
そう言って靴を脱ぎ、脇にあったスリッパを履いて勝手に上がる課長。すると廊下の奥からトタトタと足音が聞こえてきて、桃色の着物を着た女将が現れた。
「ちょ、ちょっと・・・勝手に上がらないで下さい。」
「さっきからずっとお呼びしているのに、誰も出て来ないから上がったんです。失礼ですが、あなたがこちらの女将さんですか?」
「ええ・・・そうですけど・・・・・。」
「では率直にお聞きします。この旅館へ女性のライターが来ませんでしかた?もしかしたら、他に一人か二人女性がいたかもしれません。」
「さ、さあ・・・・存じ上げませんが・・・・。」
「では年配の男女がここへ来ませんでしたか?一人は事務員のような恰好をした女性で、もう一人はスーツを着た恰幅の良い男性です。」
「さあ・・・来られていないと思いますが・・・・。」
「そんなはずはありません!私はさっき見たんです。中年の男女がこの宿へ入る所を。女将のあなたが知らないはずないでしょう?」
「・・・・そ、そう仰られても・・・・。」
女将は明らかにうろたえていた。いや、うろたえているというより、何かに怯えているといった方が正しいかもしれない。
課長はズイっと女将に詰め寄り、顔を近づけて言った。
「回りくどいことは嫌なので、正直にお尋ねしますね。北川隼人を出して下さい。私は彼の妹です。」
「お、オーナーの妹さん・・・・?」
そう口にしてから、女将はしまったというふうに顔を逸らした。
「今なんて言いました?オーナー?」
「い、いえ・・・・なんでも・・・・。」
「北川隼人はこの旅館のオーナーなんですか?だったらここへ連れて来て下さい。翔子が会いに来たと伝えてくれれば、きっと出て来るはずです。」
「そ、それは・・・・・。」
女将はまったく目を合わせようとしない。そわそわと手を動かし、誰かに助けを求めるようにチラチラと奥を見ていた。
「女将さん、すぐに北川隼人を呼んで来て下さい。無理だというのなら、このまま旅館の中を捜すだけです。」
課長は女将の脇を通り抜け、廊下の奥へ向かう。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
女将は慌てて課長を引きとめ、廊下の奥に向かって叫んだ。
「支配人!ちょっと助けて〜!」
課長は目をつり上げて廊下の奥を睨む。すると先ほどロッテンマイヤーさんと話していたおっさんが、「なんだ?」と顔をしかめながら現れた。
そして課長の姿に気づき、口を開けて固まっていた。

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