稲松文具店 最終話 去る者と残る者(1)

  • 2014.09.11 Thursday
  • 15:11
病室の窓の外に、葉を茂らせた木が立っている。
もしあの葉っぱが全て落ちたら・・・俺は死ぬのかな。
「死ぬわけないでしょ、この馬鹿。」
稲松文具の制服を着た箕輪さんが、ペシリと俺の頭を叩く。
「また顔に出てましたか?」
「うん、思いっきりね。」
箕輪さんは切り分けたリンゴを俺に差し出す。
「はい、あ〜ん。」
「え?い、いや・・・自分で食べますよ!」
「あ〜んして。」
ギロリと睨まれ、素直に口を開けてリンゴを頬張った。
「・・・すっぱ!なんですかこのリンゴ?めっちゃくちゃすっぱいじゃないですか!」
「だって一個十円の安物だもん。あんたにはちょうどいいかと思って。」
そう言ってケタケタと可笑しそうに笑う。
「悪戯する為にお見舞いに来たんですか?」
「そうよ。ロッテンマイヤーさんの代わりに雇った子が、それはもう仕事の出来る人でね。
あんたみたいにミスもしないし、ロッテンマイヤーさんみたいに嫌味も言わないし。おかげで私はサボり放題ってわけ。」
憎たらしい顔で笑いながら、リンゴを頬張って「すっぱ!」と叫ぶ箕輪さん。するとそこへ明君と優香ちゃんが戻って来た。
「お姉ちゃん!ちょっと聞いてよ!」
優香ちゃんが箕輪さんの腕を掴み、ニヤニヤ笑いながら明君を指さす。
「お兄ちゃんね、売店でエッチな本見てたんだよ。」
「あら、そう?でも明君もそういう年頃だから仕方ないわよ。」
二人がケラケラと笑うと、明君は顔を真っ赤にしながら「ウソ吐くな!」と怒鳴った。
「エッチな本なんか見てないだろ!」
「見てたじゃん。週刊誌のいやらしい水着の写真を。」
「あ、あれは・・・ちょっとどんなもんかと開いただけで・・・。」
「あははは!いいじゃない。別に悪いことしたわけじゃないんだから、ねえ?」
「ねえ?」
箕輪さんと優香ちゃんは目を合わせて頷く。明君はブツブツ愚痴りながら、耳まで真っ赤にしていた。そして買い物袋を俺に差し出した。
「髭剃りってこれでいいですか?」
「おお、ありがとう。」
「あと優香が勝手にお菓子を買っちゃって・・・。ほとんどお釣りがないんですけど・・・。」
「いいよそんなの。お釣りはとっといて。」
差し出されたお釣りに手を振ると、優香ちゃんは「やったね」と手を叩く。明君は妹に説教を始め、箕輪さんも混じってワイワイと騒ぎ出した。
《これじゃ見舞いどころか、いい迷惑だよまったく・・・。でも一人で退屈するよりマシか。》
俺はまた窓の外を眺め、違和感の残る背中を撫でた。
今から十日前・・・・俺は人生で二度目の不運に見舞われた。
あの旅館の女将さんから、ブスリと背中を刺されてしまったのだ。
幸いすぐに病院に運ばれたおかげで大事には至らなかったけど、あの時は本気で死を覚悟した。
女将さんは俺を刺してからどこかへ逃亡していたが、翌日に警察に捕まった。
『やっと安心出来る場所を手に入れたのに、それを壊されたのが許せなかった。』
それが動機らしいが、これを逆恨みと言わずしてなんという?
あの人は前にいた旅館の金を横領していて、そこから逃れる為にあの旅館に身を隠していた。元はといえば自分が悪いクセに、よくもまあ人の背中を刺してくれたものだ・・・。
しかし・・・それ以上に印象的だったのが課長だ。救急車を呼んだ後、ずっと俺の手を握って呼びかけてくれていた。
いつもの冷静な課長とは違い、完全に取り乱していたな・・・。でも・・・そのおかげで俺は生きている。あの時、俺はきっと死ぬはずだったんだと思う。
身体から力が抜けて、意識が薄れていき、走馬灯さえ見えたのだから・・・。
人間っていうのは自分の死期が分かるもので、あの時は本当にここで死ぬのだと思った。
ここで俺の人生は終わる・・・・素直にそう感じたのだから・・・。
しかし課長はずっと俺の名前を呼んでくれていた。手を握り、頬に触れてずっと呼んでいてくれたんだ。だから・・・完全に闇に落ちる一歩手前で踏みとどまることが出来た。
もしあの時課長がいなかったら・・・・俺は確実に三途の川を渡っていただろう。
俺が今こうして生きていられるのは、間違いなく課長のおかげだ。
「ねえ、食べる?」
いきなり声を掛けられて振り向くと、優香ちゃんがスナック菓子を差し出していた。
「ああ、ありがとう。でも今は食事制限があるから、そういうお菓子は無理なんだ。」
「何でも食べられないってこと?」
「うん・・・もっとマシになるまではね。」
ナイフで刺された傷は、かなり深くまで達していた。腸の一部が傷つけられていたから、好きな物を食べることも出来やしない。
それにもう少しマシになったらリハビリも始まる。普通に物を食べて、普通に歩けるって幸せなことなんだと、思わず感慨深くなってしまう。
するとそこへもう一人の見舞客がやって来た。
「あら?みんなお揃い?」
そう言って病室に入って来たのは溝端さんだった。ジーパンにグレーのシャツ、そして薄いブラウンのジャケットを羽織り、買い物袋を手にしていた。
「これ差し入れね。あとで楽しんで。」
「ああ、ありがとうございます。ええっと・・・・・って、これエロ本じゃないですか!」
「そうよ。夜を独りで過ごすのは寂しいかと思って。ありがたいでしょ?」
「ええ、まあそりゃ・・・て、いやいや!ありがたくないですよ!子供の前で何を言わせるんですか!」
「あははは!素直に喜びなさいよ。でもまあ・・・あんたは入院してなくても夜は独りか?」
「からかいに来たなら帰って下さいよ・・・まったく・・・。」
俺はエロ本の入った袋を、そっと枕の下に隠した。ま、まあ・・・これはこれで貰っておいて損はないしな・・・うん・・・。
「ふふふ・・・傷の具合はどう?まだ痛む?」
溝端さんはベッドの端に座り、少し首を傾げて尋ねてきた。
「痛みはないですね。でも違和感は残ってるかな・・・。そのうちリハビリも始まるし、食いたい物も食えないし・・・けっこう辛いですよ。」
「ほんとに災難だったわね。あそこで刺されるべきは、隼人の方だったのにさ。」
そう言って険しい顔でベッドを見つめる溝端さん。
「冴木。」
「はい?」
「感謝してるわ、あんたと翔子には。ほんとに・・・ありがとう。」
溝端さんは真剣な表情になって、深く頭を下げた。そしてジャケットの内ポケットから、白い封筒を取り出した。
「一昨日ね、あの馬鹿ときっちり話をつけたのよ。もう一度謝罪してもらって、誠意も見せてもらった。これはその誠意の一部よ。あんたには受け取る権利があるわ・・・・貰って。」
溝端さんは俺の手を取り、白い封筒を握らせた。
「これは・・・お金ですか?」
「当たり前でしょ。それ以外に何があると思ってんのよ?」
「いや・・・けっこう凄い厚みだから・・・。」
「それでも足りないくらいよ。あんたは二度もあいつのせいで刺されたのよ。それに比べりゃそんなもんはした金でしょ?
でもまあ、お金はもらっておいて損はないわよ。怪我が治って退院したら、その金でどっか旅行にでも行きなさいよ。翔子を誘ってね。」
そう言って溝端さんはベッドから立ち上がり、明君と優香ちゃんの頭を撫でた。
「ねえ冴木・・・。私、もう二度とこの街に戻って来ないと思う・・・。」
「どこかへ引っ越すんですか?」
「うん・・・。隼人からふんだくったお金で、私の兄妹はしばらくまともな生活が出来ると思う。その後をどう生きていくかはあの子たち次第だから。」
「そうですね・・・いくら家族でも、守られてばかりじゃ一人立ち出来ないですから。」
「・・・全てのカタはついたし、しばらく何も考えずにのんびり暮らしたい・・・。もう・・・お金だの恨みだのから解放されて、自由に生きたいから。」
「それ、俺も同感ですよ。」
溝端さんはまた明君と優香ちゃんの頭を撫で、「じゃあね」と手を振って病室を出て行く。
そして一度だけ振り返り、微笑みを残して去って行った。
「あの人も・・・色々背負ってたんだよな。俺とは比べ物にならないくらいに。」
しんみりとして呟くと、溝端さんと入れ違いに祐希さんがやって来た。
「こんにちわ。どう、背中の具合は?」
「まあまあですよ。さっきまで溝端さんが来ていたんです。」
「知ってるわ。廊下ですれ違ったもの。ずいぶんスッキリした顔をしてたわ。」
そう言いながら買い物袋を掲げ、俺の方に差し出した。
「これ、よかったら。」
「ああ、ありがとうございます。」
中にはお菓子や飲み物が入っていて、一番奥にまた大人の本が入っていた。
「それ、必要でしょ?夜は困ると思って。」
「い、いや・・・だからこういう物はですね・・・。」
「あら、いらない?だったら持って帰るけど?」
「いえ、貰っておきます。」
せっかく頂いたご厚意を無駄にするわけにはいかない。そっと枕の下に隠しておいた。
「明君も来てたんだ。部活に来ないからおかしいと思ってたのよ。」
「今日はお見舞いに行く予定だったから。また明日からちゃんと稽古します。」
「うん、練習しないと強くならないからね。」
祐希さんは俺の横に立ち、神妙な顔でじっと見下ろしてきた。
「人生で二度も刺されるなんて・・・・災難だったわよねえ。」
「ええ、まったくですよ。」
「でも考えようによっては、二度も助かってるってことだから、運がいい方かもしれないわよ?」
「ああ・・・言われてみれば確かに・・・。」
「何事も視点を変えれば、見えてくるものも変わるわ。まだまだ若いんだから、いい経験だったと思いなさいよ。」
「それ・・・生きてるから言えることですよね?」
「そうよ。でも君は生きてるじゃない。翔子ちゃんが助けてくれたおかげでね。」
祐希さんはニコリと微笑み、肩を竦めてみせた。
「君はこれからどうするの?なんだか迷いのある顔をしてるけど?」
「・・・今は分かりません。まだ悩んでることがいっぱいあって・・・。」
「そう。でも考える時間はタップリあるんだから、焦ることはないわ。私でよかったらいつでも相談に乗るから。」
「はい、ありがとうございます。」
祐希さん・・・なんだか俺が最初に思っていた人と違うな・・・。もっと冷徹な仕事人間かと思っていたけど、意外と人情味があるというか・・・。
「そうよ、私はこれでもかなりの人情家なの。だからいつでも相談に来なさい。遠慮せずにね。」
どうやらまた顔に出ていたらしい・・・。祐希さんは可笑しそうに笑って俺の肩を叩き、病室を出て行こうとした。
「明君、明日はサボっちゃだめよ?」
「はい!」
う〜ん・・・怯えてるねえ明君。やはり鬼コーチのことは怖いらしいな。すると箕輪さんも立ち上がり、優香ちゃんの背中を押した。
「それじゃ私たちもそろそろ帰るわ。」
「はい。わざわざお見舞いに来てくれてありがとうね。」
明君と優香ちゃんに笑いかけると、「また来てあげる!」とピースをした。
「それじゃ、また来るから。」
箕輪さんは手を振って背中を向ける。俺は「待って下さい!」と呼び止め、溝端さんからもらった封筒を開いた。
「これ、みんなで分けましょう。俺だけ貰うなんて悪いから。」
そう言うと、優香ちゃんがダダっと飛びついて来た。
「やった!お兄ちゃん、お小遣くれるって!」
「だからあ・・・お前はもうちょっと品を持てよ・・・。」
呆れて注意する明君だったが、その顔は嬉しそうにニヤけていた。すると箕輪さんが二人の肩を叩き、「それはダメ」と首を振った。
「なんで?お小遣いくれるって言ってるんだよ。お姉ちゃんはほしくないの?」
「全然。私は自分で稼いだ以外のお金は欲しくないの。それに冴木は二回も刺されてるし、すごく大変な思いをして戦ったのよ。
だからそれは冴木のお金なの。私たちがもらっちゃダメ、分かった?」
「え〜・・・せっかくくれるって言ってるのに・・・。」
「・・・・・分かった?」
箕輪さんはジロリと睨む。すると優香ちゃんはシュンと萎れて「・・・はい」と呟いた。
この人、意外と子供の扱いが上手いよなあ。
しかしあげると言った物を引っ込めるのは野暮というもの。俺は封筒のお金を半分抜き取り、箕輪さんに差し出した。
「じゃあこれで美味しいものでも食べればいいじゃないですか。余ったお金は募金でもすればいいし。」
「あんた・・・・ほんとにいいの?これは溝端さんがあんたの為にくれたお金だよ?」
「いいんですよ。俺にも金が必要な理由はあったけど、そっちは何とかなりそうだから。
今回はここにいるみんなが大変な思いをしたわけだし、これで美味しいもんでも食ってパッと忘れて下さい。」
俺はグイっと箕輪さんの手に押し付ける。すると「そこまで言うなら・・・」と躊躇いながら受け取った。
「よし!それじゃこれからみんなでご飯に行こうか?いい店を知ってるから私の車で行きましょ。」
帰ったはずの祐希さんがいつの間にか戻って来て、ご機嫌にみんなの肩を叩く。どうやらこの人はどんなお金でも受け取るみたいだ・・・。
「それじゃ冴木、またね。」
「ああ、はい・・・。」
みんなは病室から去って行き、俺一人だけが残される。
「いきなり寂しくなっちゃったな・・・。かといって枕の下の本を読むのもアレだし・・・。」
入院中に見舞い客が来てくれるというのはありがたいけど、去ってしまった後の寂しさはどうにかならないものだろうか・・・。
「まあいいか。また来てくれるわけだし。」
特にやることもないので、枕の下に手を伸ばす。こういう時、個室はありがたい。
誰にも気兼ねせず、自分の妄想の中に浸れるというものだ。
「でも普通こんなもん買って来るかね?まあ、ありがたいからいいんだけど・・・。」
パラパラと本を捲って妄想を膨らませていくが、イマイチ気が乗らない。
「なんか・・・そういう気分じゃないな今は・・・。」
ため息をつきながら本を閉じ、脇に投げ出す。そしてボンヤリと窓の外を見つめた。
「箕輪さんは・・・稲松文具に戻ったんだな・・・。マンネリしてた彼氏とも別れたって言ってたし、あの人も意外と自分の人生を考えてるんだなあ。」
俺は自分の人生というものを、今まで真剣に考えたことはほとんどなかった。絵の道を断念してから、ただ何となく生きていたような気がする。
「溝端さんはこの街を去って、自分の為に生きようとしている・・・。祐希さんはきっと今まで通りだろうな。じゃあ課長はどうするんだろう?
何度か見舞いに来てくれたけど、あの騒動の後始末の話ばかりで、お互いのことは何も話せていないもんなあ・・・。」
入院してから三日後、俺は人と喋れるくらいまでには回復していた。
そして最初にお見舞いに来てくれたのが課長だった。心配そうに俺を見つめ、何度も謝っていたっけ。
『私が気づいていれば、冴木君が刺されずにすんだかもしれないのに・・・。』
あの時の課長・・・まるで自分が刺された方がマシだったみたいな顔をしていた。
けど・・・もし立場が逆なら、俺も同じ事を思っただろうな。
隼人は相変わらず放心状態らしいし、会社も事を大げさにしない為に、今回の騒動は無かったことにするらしい。
厄介な後始末は会長と重役連中が当たっているそうだから、近いうちに事は丸く治まるだろう。
それより俺は課長のことが心配だった。今までに三回ほど見舞いに来てくれたけど、いつも疲れたような顔をしていた。
俺の前ではずっと笑顔だけど・・・きっと自分を責めているに違いない。隼人を止められなかったことや、俺を守れなかったことに・・・。
それに会長を説得して、今までにスパイ活動を行って迷惑をかけた会社に、救済措置を取ってくれと頼んだそうだ。
多大な損害を受けた会社もあれば、倒産までしてしまった会社もある。課長はそれらの事にも大きな責任を感じているから、寝る間も惜しんで対応に当たっていると言っていた。
まあ稲松文具の力なら、経済的に救済することは難しくないかもしれない。
潰れた会社の社員は自分の所で雇うと言っていたっけ。もちろん真実は伏せるらしいけど。
でも・・・経済的には救えても、心に残った傷は消えないだろう。俺を刺した赤桐栄治のように、深い傷を抱えてしまった人間も大勢いるはずだ。
俺が心配なのは、課長がそれらを一人で背負い込んで、潰れてしまわないかということだ。
元はといえば隼人のせいなんだから、全部あいつに背負わせたって構わないのに・・・。
あの騒動の後始末の話は、なんだか俺の気を滅入らせた。
けど、朗報も一つあった。なんと・・・課長にダイスケの話をすると、稲松文具が引き取ってくれるというのだ。
会長は大の馬好きであり、趣味で牧場まで持っている。週末はそこへ赴き、仕事や雑事の疲れを癒しているそうだ。
だから課長はダイスケをどうにか出来ないかと掛けあってくれた。
冴木君は今回の騒動で一番頑張ってくれたのだから、彼の望みを叶えてあげてほしいと。
そして・・・ありがたいことに、会長は快諾してくれた。まあその程度で俺が納得するなら、安いものだと踏んだのかもしれないが。
しかし理由はどうあれ、ダイスケを助けることが出来てよかった。元気になったら、一度会いに行ってやらないとな。
窓から手元に視線を戻し、脇に置いた大人の本を掴む。
「なんか色々なことがあって・・・まだ自分がどうしたいのか分からないな。でも祐希さんの言うとおり、焦る必要はないのかもしれない。
退院出来たら、溝端さんからもらったお金でも旅行でも行こうかな。」
白い封筒を掴み、ベッドの横にある金庫に入れる。そしてパラパラと大人の本を眺めていると、コンコンとドアがノックされた。
「はい。」
サッと大人の本を隠し、誰かと思いながらドアを見つめる。すると「こんにちわ」と微笑みながら、課長が顔をのぞかせた。

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