稲松文具店 最終話 去る者と残る者(2)

  • 2014.09.12 Friday
  • 19:33
サッと大人の本を隠し、誰かと思いながらドアを見つめる。すると「こんにちわ」と微笑みながら、課長が顔をのぞかせた。
「ああ、課長!どうぞどうぞ!」
思わずテンションが上がってしまい、意味もなくそわそわする。
「どう、背中の具合は?」
「ははは、みんな同じことを聞きますね?」
「みんな?他にも誰か来てたの?」
課長はベッドの横の椅子に座り、買い物袋を置いた。
「さっきまでたくさん来てたんですよ。箕輪さんに溝端さん。それに子供たちと祐希さんも。」
「そうなんだ。じゃあ入れ違いになっちゃったんだね。」
「ええ。でも課長一人の方が、千人のお見舞いより嬉しいですよ。」
「そんなこと言っちゃダメよ。せっかくお見舞いに来てくれてるんだから。はい、これ。退屈してるかなと思って。」
そう言って買い物袋を俺に差し出す。
「ああ、ありがとうございます。」
俺は笑顔で受け取り、中を覗き込んだ。
《果物にジュース・・・それに何か雑誌が入ってるな・・・。まさか課長も大人の本を!・・・いやいや、そんなはずはない。課長がそんな物を差し入れるはずが・・・。》
緊張しながら袋の中を漁ると、毎週呼んでいるマンガ雑誌が出て来た。
「ああ・・・マンガか・・・よかった・・・。」
「それ、いつも読んでるやつでしょ?仕事場に同じ雑誌が積み上がってたから。」
「そ、そうです!いやあ嬉しいなあ・・・あははは!」
ああ・・・よかった!大人の雑誌が出て来たらどうしようかと思った・・・。
「それで、背中の具合はどう?この前に来た時はまだ痛むって言ってたけど?」
「今は大丈夫ですよ。それより課長の方こそ大丈夫なんですか?あの騒動の後始末で忙しいんじゃ・・・・。」
「うん・・・まだ全部終わったわけじゃないけど、一応のカタはついたから。そのせいで段田さんが全てを背負い込むことになったけど・・・。」
「あのおっさんが?どうしてですか?」
そう尋ねると、課長は膝の上に視線を落としながら答えた。
「今回は色々と大変なことがあったでしょ?中には警察沙汰になるようなことまで・・・。」
「ええ・・・なんたって隼人は人質まで取ったんですからね。刑務所に入れられたっておかしくありませんよ。」
「そうだね・・・。でも今回の事に、警察は一切関与していないの。なんでか分かる?」
「それは・・・稲松文具が事を外に漏らさないようにしたからでしょ?」
「それもあるけど、完全に情報が漏れるのを防ぐなんて無理よ。だって冴木君を刺したあの女将さんが捕まってるでしょ?
彼女・・・自分の知っていることは全て話したみたいなの。」
「ああ!そういやそうだった・・・。あの人がベラベラ喋ったら、全てがバレるわけだ・・・。」
自分を刺した張本人なのに、その事がすっかり抜け落ちていた。すると課長は可笑しそうに笑いながら、「忘れてた?」と首を傾げる。
「頭からすっぽり抜け落ちてましたよ。でも・・・そうなると隼人は逮捕されるってことじゃ・・・。」
「ううん。兄さんは何も背負わないわ。全てを背負うのは・・・段田さん一人だけ。」
「どうしてですか!あのおっさんだって隼人に利用されてただけなんですよ?黒幕が野放しじゃ意味ないじゃないですか。」
「そうだね・・・。でも現実はそうなってるの。捕まったあの女将さんは、全ての真相を知っているわけじゃないのよ。
あの日あの旅館で起きたことだけを話しているだけだから、今回の騒動の核心は分かっていない。兄さんに指示されて旅館を任されていただけだからね。」
「任されるっていうか、ただの留守番でしたけどね。」
「あの女将さんも過去に罪を犯しているから、身を隠す場所が欲しかったのよ。それが奪われたから、逆恨みで冴木君を刺したわけだけど・・・。」
「いいとばっちりですよ、まったく・・・。」
そう言ってから、しまったと思って口を噤んだ。
「ごめんね。守ってあげられなくて・・・。」
「い、いえいえ!そういう意味で言ったんじゃないですよ!課長が落ち込まないで下さい。」
イカンイカン・・・今はこの話はタブーだった。なぜなら、課長は毎回こんなふうに申し訳なさそうにするから・・・。
「ええっと、俺のことはどうでもいいんですよ。それで・・・なぜ段田さんが一人で全てを背負うことになったんですか?」
「彼は今回の騒動を丸く収める為に、自分を犠牲にしたのよ。あの女将さんが色々と喋っちゃったから、このままだと稲松文具にも警察の捜査が入るでしょ?
なんたって主犯が社長なんだから。」
「そりゃそうですね。そうなれば今回の騒動の核心だって外に漏れます。みんなが必死に守ろうとしていた、北川家の秘密のことが・・・・。」
課長は大きく頷き、膝の上で組んだ手をじっと見つめていた。
「そうなればうちの会社は終わりだから、会長は何としても警察の介入を阻止しようとしたわ。
そこで段田さんに全ての責任を押し付けて、会社を守ったっていうわけよ。」
「それ酷いですよ!あの人だってある意味じゃ被害者なのに!」
段田は確かに腹の立つ男であったが、根っからの悪人というわけではない。ただ弱みを握られて利用されていただけなのだ。
それなのに・・・・どうして彼が全てを背負い込まないといけないのか。だんだんと腹が立ってきて、思わず舌打ちをしてしまう。
すると課長は顔を上げて俺を見つめた。
「実はね・・・この事は段田さんが自分から進んでやった事なの。」
「あのおっさんが自分から・・・?」
「段田さんはあの旅館の騒動が終わってから、真っすぐに会長の元に向かったのよ。そして・・・全ての責任を自分に押し付けてくれって言ったそうよ。」
「あのおっさんが、そんなことを・・・・・。」
確かにあのおっさんは悪人ではないが、普通はそこまでするものだろうか?やっぱり会長から指示されたとかじゃないのか?隼人と同じように、昔の罪をネタにされて・・・。
「段田さんがどういうつもりでああいう行動に出たのかは分からない。でも・・・最悪の事態は予想してたみたいよ。」
「最悪の事態?」
「もし今回の騒動が外に漏れるような事態になれば、自分が全ての罪を背負う覚悟をしていたらしいの。そして・・・まさに予想していた最悪の事態になった。
女将さんがあの旅館での出来事を喋っちゃったから、、今回の騒動がバレそうになってる。それに兄さんは人質まで取ってるし、明君や優香ちゃんまで監禁してたでしょ?
だからいくら会長がコネを使ったとしても、完全には誤魔化せない。そこで段田さんが・・・・・、」
「スケープゴートになることを選んだと?」
「うん・・・。自分が全部やったことにして、それで収めるつもりなのよ。
幸い女将さんは今回の騒動の核心を知らない。だからあの旅館の一件だけで事を止められれば、稲松文具に捜査が入ることはないわ。」
「なるほど・・・。それで、段田さんは今どうしてるんですか?」
「留置所にいるわ。」
「そうですか・・・。でも段田さんと女将さんとじゃ、証言に食い違いが出てくるじゃないですか?警察はそのことをどう思うんですかね?」
そう尋ねると、課長は「それは心配ないと思う」と呟いた。
「会長のコネっていうのが、元検察の国会議員なのよ。多分、名前を出したら冴木君も知ってる人よ。」
「そんなすごい人のコネですか・・・?」
「その人に口を利いてもらえば、ある程度は丸く収まると思う。でも女将さんの証言もあるから、一から十まで何も無かったことには出来ないのよ。だから段田さんが犠牲になったわけ。」
課長は瞳を揺らしながら切ない顔をみせる。全てをの責任を一人の人間に押し付けて終わらせることが、釈然としないんだろう。
でもだからといって本当の事を話せば、自分だけの問題では済まなくなる。疲れの見えるその目は、激しい葛藤を抱えているように思えた。
「なるほど・・・・。でも、それでもやっぱり納得出来ないな。あのおっさんは指示されて動いていただけなのに、どうして一人で全てを背負い込む必要があるんです?
ちょっとカッコつけ過ぎじゃないですかね?」
「・・・そればっかりは分からない。自分が犠牲になることを選んだ理由は語っていないから。でも・・・これは私の勝手な考えだけど、きっとみんなを守る為だったんじゃないかな?」
「みんなを守る為・・・ですか?」
「もし全ての真相がバレてしまったら、捕まるのは兄さんだけじゃない。冴木君だって・・・・タダでは済まなくなる。」
そう言って、課長は強い目で俺を見つめる。
「いくら法的に裁くのが難しいとはいえ、冴木君はその超人的な記憶力で他社の情報を盗み出したのよ。それが世間にバレたら・・・きっと厳しく責められると思うわ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「もちろん冴木君だけが悪いんじゃない。黒幕は兄さんだし、私や祐希さんだって関わってる。スパイに関わった人たちは、私も含めて社会的な制裁を受けることになるはずよ。
だから・・・段田さんは自分一人で背負うことにしたんじゃないかな?あの人も・・・出口を探しているように思えたから・・・。」
「出口・・・?」
「今の自分から抜け出す出口よ。いくら兄さんに脅されているとはいえ、悪事の代わりに見返りをもらっていたんだから。
正直なところ・・・そんなに仕事が出来る人じゃないのに、専務の椅子に座っているのを不思議に感じてたから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「段田さんは、今の自分のあり方に疑問を持っていたんだと思う。でもキッカケがないからズルズルとそのまま行っちゃって・・・あんなふうになっちゃったのよ。
溝端さんだって自分の出口を探していたから・・・きっと段田さんも同じだったんじゃないかな?まあ私の勝手な想像でしかないけどね。」
そう言って、課長は肩を竦めてニコリと笑う。
課長は相変わらずのお人好しだった。でも・・・それこそがこの人の最大の魅力なんだ。
「・・・俺もそう思います。いや、そう思うことにします。だって・・・段田さんのおかげで、俺たちは助かったんだから。」
一通りの話を終え、課長はふうっと息を吐く。
「やっぱり疲れてますね。今日はもう家に帰って休んだ方がいいんじゃないですか?」
「そうしたいけど、まだまだ忙しいから。」
疲れた目でニコリと笑い、ポンと俺の手を叩いて立ち上がる。
「今日はこの事を伝えに来ただけ。冴木君もまだ怪我人なんだから、ゆっくり休んだほうがいいよ。」
「はい、そうします。早く怪我を治して・・・・課長とデートしないといけないから。」
目を逸らして照れながら言うと、課長は「そうだね」と笑った。
「冴木君の怪我が治って、私の方も一段落ついたらデートしよう。楽しみにしてるね。」
「ええ!それはもう楽しみにしてますよ、ええ!」
「ふふふ、それじゃ・・・また来るから。ゆっくり休んでね。」
課長は眩しい微笑みを向け、ベッドに手をついて立ち上がる。すると「あれ?」と首を傾げ、じっと手元を見つめた。
「枕の下から何か出てるよ?」
「え?枕の下から・・・・・って、ぬああああああ!」
課長の指さした先には、大人の本が半分くらい顔を出していた。
《・・・しまった・・・慌てて隠したもんだから・・・はみ出てたのか・・・。》
慌てて枕を被せると、今度は反対側から別の大人の本が出て来た。
「ぬああああああああ!」
俺は枕の上に覆いかぶさり、課長の目から大人の本を隠す。そして・・・恐る恐る後ろを見上げた。
「・・・・・・・・。」
課長は顔をしかめ、ブルブルと拳を震わせていた。
《や・・・やばい・・・。最悪の失態だ・・・。》
「あ・・・あの・・・これはですね・・・先ほどの見舞客が勝手に置いていったもので・・・。」
嫌な汗がダラダラと背中を流れていく・・・。ああ・・・ここで嫌われたら・・・デートどころではなくなる・・・。もう二度と口をきいてもらえないかもしれない・・・。
課長の顔はどんどん険しくなり、やがて顔を逸らして俯いてしまった。
「・・・・・・・・・。」
「・・・あ・・こ・・・これは・・・その・・・。」
「・・・ぶッ・・・ぶふ!・・・・あはははははは!」
課長は腹を抱えて大笑いし、涙をためて天井を見上げていた。
「あはははは!冴木君・・・・ごめん・・・でも・・・あははははは!」
《なんだ?どうして笑っているんだ?てっきり怒られるか嫌われるかと思っていたのに・・・なぜ?》
課長は苦しそうに顔をゆがめ、ひたすら笑っている。そして息を切らして俺を見つめ、「ごめん・・・」と涙を拭った。
「だって・・・いきなりそんな物が出て来るとは思わなかったから・・・。」
「・・・す・・・すいません・・・・。」
「謝らなくてもいいよ。でも・・・ちょっと驚いたかな。冴木君ってそういうのに興味が無い人だと思ってたから。でもやっぱり男なんだね。なんだか安心しちゃった。」
「あ・・・安心・・・ですか?」
顔を真っ赤にしながら尋ねると、課長は笑いを堪えながら口を開いた。
「だって、冴木君ってあまり異性に興味がないのかと思ってたから。」
「そ、そんなことないですよ!それはもう・・・・ビンビンにありますよ、ええ!」
「ふふふ・・・前に箕輪さんと付き合ってるって勘違いしたけど、あの時はそうじゃないって知ってショックだったの。
冴木君てどこかふわふわしてるところがあるから、ずっと心配だったんだ。でもそうやってちゃんと女の人に興味があるんだって知って、ちょっと安心した。」
「そ・・・、それはどういう意味ですか・・・?」
「私ね、冴木君ってなんだか手のかかる弟みたいに感じてたの。だからずっと気にかけてたんだ。この子はこの先ちゃんとやっていけるのかなって?
でも今回の騒動で、やっぱり男の子なんだなって見直したわ。だってあんなに堂々と兄さんと戦ったんだもの。
それに・・・そんな本もちゃんと読むんだって知ったら、なんだか安心しちゃって。ごめんね、大笑いしちゃって。」
「あ・・・ああ・・・いえ・・・。」
課長は微笑ましそうな目で俺を見つめ、「それじゃ、ゆっくり休んで」と肩を叩いた。
「あ・・・あの・・・課長!」
「何?」
「いや・・・・実は・・・・。」
実は・・・・俺、課長の事が好きなんです!・・・とは言えないよな・・・。
今までずっと優しくしてくれたから、もしかしたら課長も俺に気があるんじゃないかと思っていたけど・・・どうやら誤解だったようだ。
なるほど、俺のことを弟として見ていたのなら、あれだけ優しくしてくれたのも頷ける。
だって・・・異性として見ていないってことなんだから・・・。
なんかデートをする前にあっさり撃沈された気がするんだけど・・・これはただの卑屈かな?
「どうしたの?じっと考え込んで?」
「・・・・・・・・・。」
「冴木君?」
「え?ああ!いや・・・その・・・あ、そうそう!アレを聞きたいと思っていたんですよ、オウムのことを。」
「オウム?」
「ええ、課長言ってたじゃないですか。オウムで情報を集めたわけじゃないって。だから・・・実際はどうやって隼人や溝端さんの情報を集めたのかなと思って・・・。」
「ああ、あのことね。」
課長は腰を下ろし、小さく微笑みながら答えた。
「あれはね、私の友達に協力してもらったの。」
「課長の友達ですか?」
「うん、実はこの人もすごく変わった人で、ある意味じゃ北川家の女性よりすごい能力を持っているの。」
「北川家の女性よりすごい能力?ってことは、また現実離れした能力ってことですか?」
「そうね・・・すごく現実離れしてる。けど・・・すごく面白い能力よ。私は北川家の能力なんて欲しいと思わないけど、彼の能力ならほしいもん。
だって・・・・大好きな動物と喋れるんだから。」
「動物と・・・喋れる?」
「まるで人間と会話をするように動物と話せるんだって。私も何度か彼に助けてもらったことがあって、それから仲良くさせてもらってるの。
だから・・・私のすごく大切な友達。それにちょっと憧れてるところもあるんだ。動物に対して親身になれるところとか、誰かの為に頑張ろうとする優しさとか。」
課長はいつもの表情とは違い、一人の女性らしい顔をみせる。
「それでね、その彼に相談したら、オウムを使ったらいいって言ってくれたの。兄にオウムをプレゼントして、後で自分に渡してくれれば、オウムの得た情報を聞き出すからって。
そしてそれをオウムに教え込んで、会長の前で披露してやればいいって提案してくれたの。
そして作戦は大成功。みんなオウムの言葉を信じ切っちゃって、あたふたしてたからね。」
「そりゃすごいですね・・・。動物と話せる力か・・・そんな力だったら、欲しがる人はいっぱいいるでしょうね。」
「うん!私だってほしいもん。でね、溝端さんの情報は、彼の飼っているインコに協力してもらったの。
彼女の情報に関しては、別に誰かの前で喋らせる必要はないから、わざわざオウムを使わなくてよかったってわけ。
彼のインコ、チュウベエっていうんだけど・・・この子も中々のスパイの腕前なのよ。
普通の鳥に混じって近くに寄って来て、気づかれないように情報を集めるの。
でもインコだから・・・けっこう目立っちゃってるんだけどね。でもこのチュウベエのおかげで、溝端さんの情報を集められたわけよ。
そしてチュウベエの見聞きしたものを、動物と喋れる彼から教えてもらったの。」
課長は面白そうに喋り、普段とはまったく違う顔で笑っていた。その笑顔を見ていると、なんだか心の中がモヤモヤとしてきた・・・。
「・・・なんか・・・ほとんど反則級のやり方ですね。」
そう呟くと、課長は「そんなことないよ」と首を振った。
「私はそうは思わないな。あの時は本当にマズイ状況だったし、すぐにでも手を打たないとどうなるか分からなかったから。
だから彼に相談したんだけど・・・やっぱりそうして正解だった。動物と話せる力はもちろんだけど、普通の人じゃ考えつかないやり方を思いつく人だからね。
オウムを使って情報を集めて、それを人前で喋らせるなんて・・・普通はそんなアイデア出て来ないでしょ?」
課長は実に嬉しそうに喋る。いつもの張り詰めた表情とは違い、柔らかくて可愛らしい笑顔だった。
《きっと・・・きっとこれが課長の本当の姿なんだ。仕事の時には見せない、北川翔子っていう人間の姿なんだな・・・。》
そう思うと、課長の友達とやらに軽く嫉妬を覚えてきた。
《いつか・・・いつか俺だって課長にこんな笑顔で笑ってほしい。今は難しくても、いつかきっと・・・・。》
そう思いながら黙っていると、課長は「この話・・・信じられない?」と首を傾げた。
「いやいや、そんなことはないですよ。ただ・・・ちょっと驚いちゃって・・・。」
「そうよね・・・。でも世の中には変わった人がたくさんいるわ。冴木君だってその一人でしょ?」
そう・・・俺だって普通の人にはない力を持っている。未来が見えるとか、動物と話せるとか現実離れした力じゃなくて・・・もっと人間らしい力だけど。
でも、普通の人には絶対にマネの出来ない力でもあるんだ。
「課長、実は見せたいものがあるんです。」
「見せたいもの?何?」
俺はベッドの横にある引き出しを開け、中から一枚の絵を取り出した。
「これ・・・描いてみたんです。よかったら持って行って下さい。」
「これは・・・・兄さんの絵・・・。」
俺が手渡したのは、隼人が放心している時の横顔だった。俺との戦いに負け、自分の秘密を握られ、全てを失った時の横顔。
でも・・・余計なものが削ぎ落された、本来の隼人の顔。課長はじっとその絵を見つめ、ジワリと目を潤ませていた。
「これ・・・昔の兄さんの顔だ・・・。今みたいに歪んだ野心じゃなくて、本物の向上心を持っていた時の顔だ・・・。」
絵を持つ課長の手が震え、ポロリと涙が落ちる。こぼれた雫が絵に染み込み、指で目尻を拭っていた。
「課長、前に言ってたでしょ?もし俺が勝ったら、隼人の絵を描いてくれって。そして、それを見せて昔の兄さんを思い出してもらうんだって。
だから・・・よかったら持って行って下さい。役に立つかどうかは分からないけど、きっとあの男も何か感じるものがあるでしょうから。」
「・・・うん、ありがとう・・・。絶対に兄さんに見せるわ。今は死人みたいな顔したままだけど、これを見せたら・・・きっと何かが変わると思う。」
課長は再び目尻を拭い、その絵を大切そうにバッグにしまった。
「・・・それじゃ、もう行くね。まだやらなきゃいけない仕事が残ってるから。」
「はい。俺もしっかり休んで早く怪我を治しますよ。課長とのデートの為に。」
「うん、楽しみにしてる。」
課長は立ち上がり、笑いながら俺を見つめる。
「私ね・・・騒動の後始末が終わったら、この街を出ようと思うの。稲松文具からも北川家からも離れて、自分の力だけで自由に生きてみたい。
今までは家族や会社の為に生きてきたから・・・今度は自分の為に生きてみたいの。」
真剣にそう呟く課長は、旅立ちを願って空を見上げる鳥のように思えた。
「・・・そうですか。でもいいと思いますよ。課長は今まで散々苦労してきたんだから。ここらで自由にならないと、ね?」
「そう言ってもらえると嬉しい。冴木君も、ゆっくりと自分の人生を考えてみるといいよ。
すぐには答えが出なくても、いずれは出口が見つかると思うから。その時・・・私に協力出来ることがあったら何でも言って。必ず力になるから。」
「はい。」
しばらく課長と見つめ合い、照れ臭くなって顔を逸らした。
「それじゃ・・・また来るから。ゆっくり休んで、じっくり自分と向き合って。じゃあね。」
課長は笑いながら手を振り、カツカツと靴を鳴らして病室を出て行った。また部屋に静けさが戻り、途端に寂しさが押し寄せて来る。
「・・・なんか・・・落ち込むな・・・。色々とさ。」
身体から力を抜いてベッドに横たわり、窓の外を見つめる。
「課長はこの街を去ることを選んだのか。だったら・・・俺の恋は叶いそうにないな。」
家も会社も捨てて街を離れるということは、今は何にも縛られたくないということだ。
だったら・・・それを邪魔するようなことはしたくない。きっと、今はまだ俺の気持ちを伝える時じゃないんだ。
だって俺が俺自身のことを分かっていないんだから、そんなんで課長と付き合えることになっても、きっと長続きしないに決まってる。
それどころか、課長の足を引っ張ることになかねない。
「いいさ・・・今は人のことより自分の事だ。時間はたっぷりあるんだから、じっくり考えよう。」
退屈な入院生活は、自分と向き合うにはもってこいの時間だ。色んな事が渦を巻いて頭を悩ませるけど、それでも一つだけ決めていることがある。
「俺は・・・また稲松文具に戻る。退院したらもう一度面接を受けてみよう。正社員が無理なら、アルバイトでもいいし。」
窓の外に見える葉は、眩しいくらに青く染まっている。でも・・・これからもっともっと青く染まるだろう。暑い季節がやって来て、降り注ぐ光をたくさん取り込む為に・・・。
冴木晴香、二十三歳。未だ自分の道は見つからず。
けど、とりあえずこの街で生きていくことだけは決めた。いつまでいるか分からないけど、何かが見つかるまでは・・・ここで生きていく。
枕の下の本を掴み、そっと引き出しに隠す。そして顔まで布団を被り、暗闇に覆われて目を瞑った。


                     
                    -完-

 

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