木立の女霊 第十五話 女霊は消えない

  • 2014.09.28 Sunday
  • 17:52
木立の中に、ちらほらと蛍が飛んでいる。
晴れた夜空の光を受け、青白くゆらめく小川の上にも舞っている。
初夏の温い風が茂る草を揺らし、土手の斜面がなびいていく。
「去年より・・・少ない気がするなあ。」
俊一は胡坐を掻いて土手の縁に腰を下ろしていた。
遠くの方から人の喋る声が聞こえ、賑やかしく笑っている。
時折ライトの明かりが見え、オレンジの光線が木立を走っていく。
「お前ら、もっと静かに見ろや。」
「ああ、ごめんごめん。」
土手の向こうから返事が聞こえ、砂利を踏む足音を響かせてこちらにやって来た。
「ちょっと綺麗やったもんやから、ロマンチックな雰囲気になってもてな。」
「まさかここでセックスするつもりやったんちゃうやろな?」
俊一は眉をしかめて克博を見上げた。その腕には朱里がくっついていて、頬を赤くして笑っていた。
「カッちゃんな、思い切りここでエッチなことするつもりやってん。だってあたしのズボンの中に手え入れて・・・・、」
「いらんこと言うな!」
「お前らは一年経ってもバカップルのままやな。来月結婚するんやったら、もうちょっと落ち着けよ。」
「いやいや、俺は変なことするつもりはなかったで。ただ子作りの予行演習を・・・・、」
「やかましい。同じことやないか。」
克博は照れ笑いを見せて朱里を抱き寄せ、隣に腰を下ろした。
「なんか去年より蛍が少なくなってへん?」
「ああ、こういうのは毎年変化すんねん。多い時もあれば少ない時もある。去年は多い方やったんやろなあ。」
「へえ・・・カッちゃん物知りやなあ。」
「まあ伊達にカメラ屋に勤めてるわけちゃうからな。ははは。」
「カメラ屋と物知りと何の関係があるねん。」
バカップルもここまで来ると立派なものだと思い、仲良く手を握り合う二人を見ていた。
一匹の蛍が群れから離れて土手の方に飛んで来て、近くの草に止まった。
淡い光を点滅させ、必死に自分の存在をアピールしている。
俊一はその光を見つめながら、去年のことを思い出していた。


            *


暗い意識の底から目を覚ますと、木立の中に倒れていた。
立ち上がろうとすると背中に激痛が走り、思わず膝をついてしまった。
《あかん・・・ここで倒れたら紗恵が・・・・・。》
希美はこの小川の先に紗恵がいると言っていた。
俊一は背中の激痛をこらえ、浅い小川の中を歩いて下流へと下った。
すると川べりに人が倒れていて、ぐったりとした様子で腕を投げ出していた。
「紗恵!」
痛みに我慢しながら駆け寄ると、彼女は真っ青な顔で気を失っていた。
身体の半分が水に浸かっているせいか、恐ろしく冷たかった。
「紗恵!しっかりせい!」
肩を掴んで抱き起こし、強く揺さぶっていると小さく唸った。
「まだ生きてるな・・・でも・・・・・。」
今の俊一には、彼女をおぶって運ぶ力はなかった。フルマラソンを走った後のように疲弊し、背骨の激痛が意識を奪いそうになる。
しかしこのまま放っておけば、紗恵は確実に死んでしまいそうだった。
どうしたらいいのか途方に暮れていると、遠くの方からサイレンの音が聞こえて来た。
「この音は・・・救急車じゃないな・・・。パトカーか?」
しばらく待っていると赤い光が見え、サイレンを鳴らしたまま土手道に入って来た。
車のライトが暗い夜道を照らし、俊一のいる所まで走ってくる。
「お〜い!ここや!早く来てくれ!」
二台のパトカーが土手の上に停車し、数人の警官が降りてくる。
そして警官に混じって克博が姿を現し、一目散に駆け寄って来た。
「俊一!大丈夫か!」
彼の顔を見た途端に安堵が押し寄せ、力が抜けてへたり込む。
警官は倒れた紗恵に話しかけ、瀕死の状態にあることを確認して顔色が変わった。
「ほら、立てるか?」
克博に引っ張られて立ち上がり、肩を支えてもらいながら歩いて行く。
紗恵は体格の良い警官に抱えられ、急いでパトカーまで運ばれていった。
「何があったんや?」
「・・・色々や。ここで全部を話してたら夜が明けるくらいにな。」
そう言って笑うと、克博は怪訝な顔で眉を寄せていた。
それから急いで病院に運ばれ、俊一と紗恵は治療を受けた。
同じ病院には朱里もいて、命に別条がないことを知ってホッとした。
その翌日、治療を終えた俊一は個室に寝かされていた。
背骨にヒビが入っていて、もう少しで脊椎が損傷を受けるところだったと言われた。
しばらくは絶対安静。移動するときは車椅子が義務付けられた。
見舞いに来た両親は泣きそうなほど心配し、朱里の両親も顔を見せに来てくれた。
そして皆が帰ったあと、面会時間がギリギリになって克博がやって来た。
「これトコブシヤのケーキな。まさか男に買う羽目になるとは思わんかったけど。」
「悪いな、高っかいケーキやのに。」
克博はテーブルにケーキを置いて、椅子に座ってから切り出した。
「どうや具合は?」
「背中が痛むな。治ってからも、ちょっとリハビリせなあかんらしい。」
「そうか・・・。でも無事でよかったわ、ほんまに。」
「朱里は大丈夫らいしな。オーナーが言うてたけど。」
「うん、もうけっこう元気になってるで。運ばれた時はヤバかったけどな。」
克博が神妙な顔で呟くと、病室のドアが開いて朱里が入って来た。
「おお、俊一!えらい大袈裟に寝かされてるなあ。」
「ああ、アカンて!大人しくしとけって言われてたやろ。」
「嫌や。暇なんやもん。」
克博の言うことも聞かず、朱里は小走りに駆け寄り、ベッドに腰掛けて俊一の手を握った。
「ずっと心配してたんや・・・。背骨が折れてたんやって?」
「折れてたら生きてないよ。折れかけてたんや。」
「そうなんや・・・痛い?」
「ちょっとだけな。お前はどうやねん?もう大丈夫なんか?」
「うん、めっちゃ元気!」
そう言ってニコリと笑い、足をブラブラさせて俯いた。
「どうした?暗い顔して。」
俊一が尋ねると、朱里は躊躇いながら上目遣いに切り出した。
「あのな・・・夢の中に姉ちゃんが出て来たんや・・・。」
「希美が・・・?」
「うん。ほんの一瞬やったけど・・・。『さよなら朱里、元気で』って・・・・。」
「そうか・・・。お前の所にも別れを言いに来たか・・・・。」
「お前も所にもって・・・俊一も姉ちゃんに会ったん?」
「会ったどころじゃない。希美が助けてくれへんかったら、俺はここにおらんかったかもしれんからな・・・・・。」
「なあ・・・それ詳しく聞かせて。あの後何がどうなったんか。」
朱里は身を乗り出して言い、克博も足を組みかえて頷いた。
「俺もそれを聞きたいわ。あの後あそこで何があったんか・・・ちゃんと説明してくれ。」
二人は真剣な目で見つめ、じっと俊一の言葉を待っている。
それは逃げることを許さない重い視線で、正面から受け止めるのが辛くなって頭を寝かせた。
「分かった。お前らが病院に行ったあと、あそこで何があったんか説明するわ。信じてもらえへんかもしれんけど・・・。」
俊一は宙を見つめ、そこにあの時の夜空を思い出しながら説明した。
あまりに現実離れした出来事だった為に、その説明はたどたどしいものになってしまった。
しかし朱里も克博も、一切茶化すことなく真剣に聞いていた。
俊一の言葉を一つ一つ噛み砕くように、そしてそれを自分の頭に叩き込むように、ただ黙ってじっくりと聞いていた。
全てを話し終えると、俊一は二人に笑ってみせた。
「な、信じられへんやろ?笑ってもええで。」
明るい声でそう言うと、朱里は首を振って俯いた。
「私は信じるで・・・。だって・・・私だって姉ちゃんに助けてもらったんやから・・・。それに最後のお別れだって言いに来たし・・・。」
低い声で呟き、グスっと鼻をすすって唇を噛む。
「そうやな・・・。確かに現実離れしてるけど・・・お前の言うことは信じるわ。希美ちゃんはほんまにお前のことが好きやったからな。それは死んでからも変わらんかったんやろ。」
克博は神妙な顔のまま笑い、そして厳しい表情になって尋ねた。
「でも紗恵のことは許せんな・・・。希美の事故の原因を知っておきながら、シレッとお前に近づいて来たんや。
自分勝手なところがある奴とは思ってたけど、まさかここまでとは・・・。」
その声には怒りが含まれていて、組んだ足が忙しなく揺れていた。
「なあ、紗恵はどうしてんねん?あいつも危なかったけど、今は大丈夫なんか?」
俊一が尋ねると、朱里は足をブラブラさせたまま答えた。
「もう目え覚ましてるで。私もカッちゃんも会いに行ったからな。でも・・・すごい思い詰めた顔してた。元気もないし、口数も少なかったし・・・。
あの子、きっと後悔してるんちゃうかな。俊一を誤魔化し続けてたことを。」
「そうか・・・。」
じっと天井を見つめながら、重い息を吐き出す。紗恵に対して許せない気持ちがあるのは俊一も同じだった。しかし最後に希美が言った言葉を思い出し、グッとその怒りを抑え込む。
「なあ、ちょっと車椅子押してくれへんか?紗恵に会いに行きたいから・・・。」
「やめとけよ。あんな奴に会わんでええ。どう考えても絶交しかないやろ。」
克博は不機嫌そうに言うが、俊一はベッドから身体を起こして車椅子を引き寄せた。
「おい・・・無理すんなや。絶対安静なんやから・・・。」
「いや、俺は紗恵に会いに行く。あいつの気持ちを知りたいし、それに俺の気持ちも伝えたい。」
克博と朱里は顔を見合わせ、諦めたように息を吐く。
「分かった・・・。連れて行ったるから車椅子を貸せ。」
克博は渋々という感じで立ち上がり、俊一の肩を支えて車椅子に座らせた。
「あたしも行く!」
朱里はベッドから跳ね下り、点滴の棒を掴んで歩きだす。
「待て待て!針が抜けるやろ。」
「早よ来いな。先行ってまうで。」
「点滴だけ運んで意味あるかい・・・。」
三人は病室から出てエレベータに乗り、紗恵の病室まで向かった。
そこは俊一の入っている個室よりもさらに立派な個室で、躊躇いがちにノックをしてドアを開けた。
「よう、元気になったか?」
「俊一・・・・・。」
紗恵はベッドに座って窓の外を見ていて、疲れた顔で振り向いた。
克博は紗恵の元まで俊一を運び、気を遣うように離れていく。
「外におった方がええか?」
「・・・悪いな。そうしてくれるか?」
「朱里ちゃんは・・・・、」
「あたしも外で待っとくわ。二人でじっくり話して。」
朱里は手を振り、克博と寄り添いながら病室を出て行く。
カタンとドアが閉じられ、立派な個室には俊一と紗恵だけになってしまった。
「凄い豪華な部屋やな。さすが金持ちのことだけある。」
「・・・それ嫌味?」
俊一の冗談で僅かに笑う紗恵だったが、また疲れた表情に戻って俯いた。
膝の上で組んだ手を不安そうに動かし、その目はここではないどこかを見ているようだった。
俊一は車椅子を動かして紗恵の前に行き、唾を飲んでから切り出した。
「あの夜・・・信じられへんことがあってな・・・。悪い霊から希美が助けてくれたんや。それで・・・・その時にお前のことを・・・・・。」
上手く言葉が出てこず、口ごもって唇を舐めた。
思い詰めた空気が二人の間に漂い、空調機の機械音がやけに大きく感じられた。
俊一は車椅子の車輪をさすりながら、鼻から息を吐いて顔を上げる。
「希美を撥ねた車は・・・お前の・・・・・、」
そう言いかけた時、紗恵の顔がくしゃりと歪んだ。ポロリと涙がこぼれ、呻くような声で呟く。
「・・・ごめんなさい・・・・・・。」
紗恵の目から決壊したダムのように涙が溢れ、ベッドのシーツを掴んで項垂れる。
長い髪が顔にかかり、むせるように肩を揺らしていた。
俊一は思った。多くを語る必要はないと。彼女の涙と、『ごめんなさい』という言葉が、全ての気持ちを表していた。
心の中で準備していた言葉は露のように消え、俊一は車椅子を引いて紗恵を見つめた。
「・・・希美は・・・お前のことを恨んだりしてなかった・・・。それで・・・俺にも・・・お前を恨んだり憎んだりしたらアカンって言うてた・・・。
だから・・・お前を責めるようなことはせえへん。後のことはどうするかは、お前が決めたらええ。」
そう言い残し、車椅子を反転させて背を向ける。
片手で車輪を動かし、片手で点滴の棒を握りながらゆっくりとドアへ向かう。
「俊一!・・・私・・・・ごめん・・・。黙ってて・・・ごめんなさい・・・。」
紗恵の本気の言葉が背中に突き刺さる。しかし俊一は振り向くことなくドアに向かい、一言だけ返した。
「・・・じゃあな・・・・・。」
ドアを開けると朱里と克博が待っていて、俊一は思わず顔を逸らした。
「終わったんか?」
「・・・うん。」
二人は頷き、車椅子を押して病室を出る。そして紗恵を見つめながらゆっくりとドアを閉めた。
去りゆく病室から、紗恵の低い泣き声が響く。
三人は淡々と廊下を歩き、無言のままエレベーターに乗った。
俊一はゆっくりと流れる点滴を見つめながら、もう二度と紗恵に会うことはないだろうと思った。

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