水面の白影 第十四話 水底の怨霊

  • 2014.10.13 Monday
  • 11:41
JUGEMテーマ:自作小説
月の光には、人を狂わせる不思議な力があるという。それは霊魂に対しても同じようで、新月の夜にはこの世ならざる者は大人しくなるらしい。
『ええか隆志、水神様を引き上げるにはタイミングが重要や。月の出てない晩に、全ての霊魂を鎮めてから引き上げるんや。』
叔父さんはいつになく真剣な顔でそう言っていた。
そこまでアドバイスをくれるなら、一緒について来てくれればいいじゃないかと思ったが、「俺はもう無理や・・・・」と項垂れていた。
『この十年・・・・ずっとあの池に通い続けて、ちょっと疲れたわ。危ない時は連絡してくれたら行くさかい、とりあえずは勘弁してくれへんか・・・・。』
いつもの自信に満ちた顔はどこへやら、そこには昔の気弱な叔父さんがいた。さすがにそんな顔を見せられると、無理に連れて行くことは出来ない。
危ない時だけ助けると約束してもらって、俺と信也、そして朋子さんと加奈子だけで亀池に来ていた。
新月には月の光がない。そのせいで辺りは真っ暗で、懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
信也は電灯を使って自分の顔を照らし、「いよいよ幽霊とのご対面や・・・・」と悪ふざけをしていた。
それを見た加奈子はギュッと俺の腕を掴み、「ちょっとやめてえや・・・」と怯えた。
「こんな暗い場所でそんなことせんといて。」
「でもホンマのことやん。これからお化けを退治して、水神様の御神体を引き上げるんやから・・・・。」
「それは分かってるけど、そういうイタズラはいらんて言うてんねん。だいたいこの池の中には、信ちゃんのお母さんだっておるんやで?そんなイタズラしてたらバチが当たるで。」
加奈子は信也の懐中電灯を奪い取り、プリプリ怒りながら池を照らした。
「信ちゃんはほんま子供やなあ・・・そんなんじゃいつまで経っても朋子さんに振り向いてもらえへんよ?」
「ちょっとイタズラしただけやん。それに俺はお母さんに会えることを喜んでんねん。例え幽霊でも、もう一度お母さんに会いたいんや。」
信也は真剣な表情で池を睨み、ちゃっかりと朋子さんの手を握っていた。
「そうだね。いくら幽霊でも、お母さんに会えるのは嬉しいよね。でもね信也君、今日はその為だけに来たんじゃないよ?」
「分かってるって。この狛犬の骨を使って、浮かばれへんお化けを鎮めるんやろ?でも俺にはお化けと話す力なんてないから、お兄の横で拝んどくしかないけどな。」
そう言って俺の肩を叩き、「任せたで」と親指を立てた。
「言われんでも分かっとるわ。ほなちょっと池の前まで行って来るから、お前らはここにおれ。骨はここから投げたらええから、フェンスの中には入るなよ。」
危険な仕事をするのは俺だけでいい。信也にも加奈子にも、そして朋子さんにも無事でいてもらいたいのだから。
念を押すように睨みつけると、信也と加奈子はコクコクと頷いた。しかし朋子さんは俺の後をついて来て、「手伝わせて」と微笑んだ。
「ここまで来て隆志君一人に任せるわけにはいかないから。」
「ええんか?危ない目に遭うかもしれんで?」
「分かってる。でも私にだって力はあるよ。それがどういう形で役に立つかは分からないけど、何もしないよりはマシだと思う。」
朋子さんの目は本気だった。手にした狛犬の目を握りしめ、強い意志を示すように唇を結んでいた。
「もうそろそろ終わらせたい・・・・。この池から水神様の御神体を引き上げたら、私はこうお願いするつもりでいるの。
もう人の色が見える力なんていりません。どうか私の中から消し去って下さいって。その時、初めて自分の人生を歩けるような気がするから。」
「・・・・そうやな。朋子さんは今まで苦労してきたんや。これが終わったら、もう何にも縛られんと自由に生きたらええと思う。そんで俺だって同じことをお願いするわ。
霊魂と話せる力なんていりませんってな。まだ一回も話したことはないけど、でもやっぱりそんな力は気持ち悪いやん?
だからこれが終わったら、星野家がどうとかじゃなくて、ただの友達としてみんなと付き合おうや。」
朋子さんは小さく頷き、「ありがとう・・・」と呟いた。
「さて、ほんじゃやりますか。」
俺は池を睨み、ポケットから神主さんの書いた祝詞を取り出した。それをたどたどしく読み上げ、朋子さんと並んで手を叩いた。
《さて・・・・誰が出て来るか?お母さんか?それとも別の奴か・・・・・?どっちにしたって、逃げんと正面から話し合うぞ。》
しばらく手を合わせたまま池を拝み、それから狛犬の牙を投げ入れた。水面に波紋が広がり、濁った池が揺らいでいる。
・・・・・・それからほんの数秒後、ゆっくりと白い影が立ち昇った。とても気持ちの悪い動きをしながら、逃げ場を失ったガスのように揺らいでいる。
「・・・・強い赤色・・・。それも燃え上がるような、太陽みない赤色だわ。」
朋子さんは白い影の色を見抜く。そして小さく口を動かして、「隆志君の赤色と似てる」と呟いた。
《俺と同じ赤色・・・・ということは、この白い影は・・・・・。》
ゴクリと唾を飲み、乾いた喉に流し込む。白い影は激しく動き回り、やがてゆっくりと俺の方に近づいてきた。
そして見る見るうちに人の形に変わり、とても懐かしい人が姿を現した。
「・・・お母さん・・・・。」
十年前に失踪した母が、霊魂となって目の前にいた。昔と変わらず綺麗な顔をしていて、思わず涙が出そうになる。
「・・・お母さん・・・・やっと会えた・・・・。」
手を伸ばして母に触れると、向こうも手を握り返してきた。そして背中に腕を回して俺を抱きしめ、《隆志・・・・》と囁いた。
するとその瞬間、背後から誰かが迫ってきた。
母は俺の後ろを見つめ、《信也・・・・》と手を伸ばした。
「お母さん!」
池に近づくなと言ったのに、我慢出来ずに駆けよって来たらしい。そして俺の横から母に抱きつき、子供のように泣いていた。
「お母さん・・・また会えた・・・。もう二度と会えへんと思ってた・・・。よかった!」
《・・・大きくなったな、二人とも・・・。ちょくちょくこの池に来てたのは知ってるけど、こうして抱き合えるなんて思ってなかった。
十年間・・・・寂しい思いをさせてごめんね・・・・。》
「ほんまや!幽霊でもええから何で会いに来てくれへんかったん!俺とお兄がどれだけ心配したと思ってんねん!」
《・・・出来ることならすぐにでも会いに行きたかった・・・。でもこの池から出られへんから仕方なかったんや・・・・許してな。》
母はポンポンと信也の背中を撫で、俺にも《ごめんね・・・・》と謝った。
「ええよ今さら。こうしてまた会うことが出来たし。でも再会を喜ぶ前に、お母さんの誤解を解かなあかんねん。」
《誤解・・・・?》
「そや。お母さんは広明叔父さんに恨みを抱いてるやろ?でもそれは誤解で、実はあれは別の魂が・・・・、」
《知ってる・・・・。》
「え?知ってんの?なんで?」
意外な思いで尋ねると、母は悲しそうに目を伏せた。
《この池にしょっちゅう広明が来てたんや。最初のうちは今すぐにでも殺したいって思ってたけど、それは誤解やった。私をこんな目に遭わせたのは、広明じゃないんや。
ここへ来る広明は、私を殺した時の広明とはまったくの別人やって思った。根拠はないけど、絶対にこの子じゃないって思ったんや・・・・。だからもう広明を恨んではないよ。》
「そうか・・・そうなんや・・・・。それなら後は、お母さんの霊魂を鎮めるだけやな。」
俺はニコリと笑いかけ、狛犬の牙を思い浮かべた。すると水面から大きな牙が伸びてきて、見えない糸を切るように母の後ろを一閃した。
「これでもう池の呪縛から解けたはずやで。」
《・・・・ありがとう・・・・。これでようやくゆっくり眠れる・・・・。》
母は心底ホッとしたように笑い、《十年は長かった・・・・》と疲れた声で言った。
「あかんて!まだ逝かんといて!」
信也は意地でも離すまいと、力いっぱい抱きしめている。母は苦笑いしながら、信也の頭を撫でた。
《あんたは身体だけ大きくなって、中身は昔と変わってへんなあ・・・・。》
そう言って可笑しそうに笑い、何度も信也の頭を撫でていた。
《そんなんじゃいつまで経っても隆志が安心出来へんやんか。それにお母さんだって、安心して向こうに逝かれへん。》
「・・・・そうや・・・俺はまだまだガキや・・・。だから逝かんといてえな・・・・。このまま一緒に帰ろ・・・・。」
信也はさらに強く抱きつき、母の胸に顔を埋めている。しかし母はその腕をほどき、真剣な目で信也を見つめた。
《ええか信也・・・・。お母さんが恋しいのは分かるけど、あんたはもう十七や。それやったら、もう少し大人にならなあかんで。》
「歳なんて関係ないねん!せっかく十年ぶりに会えたんやで。お母さんは俺やお兄と一緒にいたくないんか?」
《いたいに決まってるやろ。でも無理なもんは無理なんや。分かってよ・・・・。》
「イヤや!絶対にどこにも行かせへんからな!幽霊でもええから一緒に住むんや!」
信也は小さな子供のように駄々をこねる。その気持ちはよく分かるが、これ以上母を困らせることは出来ない。
可哀想だが引き離すしかないと思い、信也を抱えようとした。しかし母は俺を止め、キツイ目で信也を睨みつけた。
《信也・・・・ええ加減にしとき。アカンもんはアカンねん。いくら駄々こねたって、お母さんはうんとは言わへんよ!》
「・・・・・・・・・・・・。」
信也は母を見つめたまま黙り込む。そしてまたすぐに泣きだして、その場に座りこんでしまった。
《懐かしいな、この光景・・・・。》
かつて俺たちが悪さをした時、母はこんな風に叱っていた。特に甘ったれの信也は、週に五回はこうして怒られていた。
《ごめんな・・・。でも死んだ人間は、いつまでもこの世におられへんのや。あんたらと別れるのは辛いけど・・・・ずっと見守ってるから・・・・。》
母は俺たち二人を抱きしめ、《《元気でな・・・》と頬を寄せた。そして白い煙に変わり、ユラユラと揺らめいて消え去っていった。
「待ってえな!逝かんといてよ!なんで自分の子供をほったらかすん?ここにおってよ!」
信也は池に向かって走り出す。そして誤って足を滑らせ、勾配のついた護岸を転げそうになった。
「信也!」
慌てて手を伸ばし、信也の腕を掴む。すると朋子さんも駆けよって来て、信也の腕を掴んだ。
「信也君!気持ちは分かるけど、今は落ち着いて!」
「イヤや!せっかくお母さんに会えたのに、なんでまた離れ離れにならなあかんの?こんなんおかしいやん!家族やのに一緒におりたいやんか!」
信也はバタバタと足を動かし、俺たちを振り払おうとする。これ以上暴れられたら本当に池に落ちてしまう。
ここは殴ってでも大人しくさせるしかないと思い、拳を握って振り上げた。しかしその時、隣から大きな怒鳴り声が響いた。
「甘ったれるんじゃないわよ!いつまでも駄々こねるな!」
朋子さんは顔を真っ赤にして、信也の頭をひっぱたいた。
「小さな子供ならいざ知らず、高校生にもなって癇癪起こすなんて・・・・ガキもいことじゃない!」
信也も俺も、キツネにつままれた顔で朋子さんを見つめた。彼女は顔を真っ赤にしたまま、火事場の馬鹿力で信也を引き上げた。
そしてサッと手を上げ、信也の頬を思い切りビンタした。
乾いた音が響き、信也の頬が赤くなる。叩かれた信也は泣きそうな顔になり、ブルブルと震えていた。
「そりゃあ母さんと離れるのが寂しいのは分かる・・・。でもね、辛かったのは信也君だけじゃないんだよ?
君のお母さんだって、この池でずっと苦しんでた。それがようやく楽になれる時が来たんだから、どうしてその気持ちを理解してあげないの?」
「・・・・・・う・・・・。」
「泣いたってダメ!本当にお母さんのことが好きなら、お母さんにとって何が一番いいことかは分かるはずよ?
もしそれが分からないって言うんなら・・・・私はそんな男はゴメンだわ。」
「・・・う・・・うう・・・・・。」
信也は完全に打ちのめされ、俺の方を見て助けを求めてくる。
「いちいちお兄ちゃんに助けを求めない!」
「うう!・・・・ひぐ・・・・。」
朋子さんは信也を立たせ、服の汚れを払ってやった。そして肩に手を置き、正面から真っ直ぐに見つめた。
「・・・・私のことが好きなんでしょ?」
「・・・・はい・・・・。」
「だったらもっとしっかりして。いきなり大人になれなんて言わないから、せめて歳相当にはしっかりしてよ。
そうでないと・・・・いつまで経っても信也君のことを男として見てあげられないよ?それでもいいの?」
「・・・・ヤダ・・・・。」
「だったらもう泣かないで。まだやるべきことは残ってるんだから、しっかりしなきゃ。」
「・・・ふぁい・・・。」
「ふぁいじゃなくて、はい。」
「はい!」
信也は必死に涙を拭い、真っ赤な目で朋子さんを見つめていた。そして朋子さんの方はというと、何を思ったのか急に顔を近づけた。
そして・・・・ほんの、ほ〜んの軽くだけ、唇を重ねた。それは瞬きよりも短い時間だったけど、信也の涙はピタリと止まった。
「・・・いつかちゃんとしたキスができる日を待ってる。だから・・・もう少し逞しくなってよ、ね?」
信也はじっと固まって動かない。しかし何かに弾かれたように、コクコクと頷いていた。
《信也・・・・めっちゃええ人見つけたな・・・。せめてこの十の分の一でも加奈子に女らしさがあれば・・・。》
そう思って二人を見つめていると、何かが背中に飛びついて来た。
「うお!何やねん・・・・?」
「あんたらだけでマッタリせんといてよ!私も青春ゴッコにまぜて!」
「加奈子・・・・このドアホ!池に落ちるとこやったやろが!」
「ええやん落ちても!私が助けたる!」
「アホ!お前も一緒に溺れるだけや!」
加奈子はギュッと腕にしがみつき、タコみたいな口をして顔を近づけてきた。
「きしょいからやめい!」
「ちょっと!彼女にきしょいって何よ!」
「顔が怖いねん・・・・。お前はもうちょっと朋子さんを見習ってやなあ・・・・、」
「あ!あ!また朋子さんや!あんたやっぱり朋子さんのことが好きなんやろ!」
「違うわドアホ!誰が弟の女を好きになるか!」
とても真剣な場面だったのに、アホの加奈子のせいで台無しになってしまう。しかし信也はいつの間にか笑顔になっていて、また朋子さんの手を握っていた。
「お兄・・・・朋子さんのこと好きなん?」
「だから違う言うてるやろ!」
「言うとくけど朋子さんは俺が狙ってるんやで。いくらお兄でも渡さへんからな。」
「だから誰も盗らんわ!だいたいもう彼氏気どりかい!」
「そうや。キスしたんやからもう彼氏や。」
「そやそや!だからウチらもキスしよ。」
「どうでもええからそのタコみたいな口やめい!金もろてもキスする気失せるわ!」
大声で馬鹿なやり取りを続けていると、朋子さんまでもが笑いだした。
「彼女なんだからキスくらいしたらいいじゃない。どうせ絶倫なんだし。」
「朋子さんまで・・・・。」
「ああ、それと信也君。まだ彼女じゃないからね。今はただの弟君。そこのところはしっかりとわきまえておくように。」
「・・・・はい。」
この前の神社の時のように、セミより大きな声で喚き合う。とても馬鹿馬鹿しい時間だけど、とても幸せな時間だった。
しかしこの時の俺たちは、あまりに浮かれすぎて気が抜けていた。
そして・・・・突然朋子さんの足に何かがまとわりついて、池の中に引きずりこまれていった。
「朋子さん!」
信也は慌てて朋子さんの手を掴む。しかし信也までもが引きずられ、池に落ちそうになった。俺と加奈子は顔を見合わせ、すぐに二人を助けた。
「加奈子!そっちの腕持て!」
「もう持ってるって!でもすごい力で引きずられるんや・・・・。」
加奈子は腰を落として信也を引っ張っている。しかし力が及ばす、信也と共に池に落ちてしまった。
「加奈子!」
俺は信也の腕を掴んだまま大声で叫んだ。
「信也!狛犬の爪があるやろ!あれを渡せ!」
「そんなん無理や!両手がふさがってるんやから!」
信也は片手で朋子さんを引っ張り、片手で俺の手を掴んでいる。
「ほんなら・・・・加奈子!信也のポケットから狛犬の爪を・・・・、」
しかし言い終える前に、加奈子は「ムリ!」と叫んだ。
「私泳げへんねん!早く助けて!」
そういえば加奈子はカナヅチだった・・・。このままでは全員池に溺れてしまうし、いったいどうしたらいい?
困り果てて唇を噛んでいると、池に沈んだ朋子さんが必死に顔を出した。そして信也のポケットを探り、狛犬の爪を投げて寄こした。
「さすが朋子さん!ナイス!」
地面に落ちた爪を拾い、それを指の間に挟み込んだ。
《朋子さんが引きずられる瞬間・・・・ちょっとだけ人の手が見えた。きっとソイツがこの池で一番厄介な霊や。》
俺は信也の手を握ったまま、濁った水面を睨んだ。
「朋子さん!あんたの足を引きずった奴がおるはずや!ソイツをこの爪で切り裂くから、どの辺におるか教えてくれ!」
そう叫ぶと、朋子さんはブルブルと首を振った。
「分からない・・・もう足は掴まれていないから・・・。でもすごく怖い気配を感じるの・・・早く助けて!」
「分かってる!その為にはこの爪を食らわしたらなアカン!どの辺におるか分かるか?」
「どの辺って言われても・・・・。」
朋子さんは困ったように目を動かし、濁った池の中を睨んでいた。
「・・・ごめん、分からない!」
「こんだけ濁ってたら無理か・・・・。ほな色はどうや?あれは物理的なもんと違うんやろ?濁ってても見えるんと違うか?」
「・・・・・そうだけど・・・・。」
「早くせんとまた襲って来るで!」
「じゃ・・・じゃあ今のうちに上がろう!わたし泳ぎは得意だから、この薄着だったらみんなを連れて岸まで・・・・・、」
そう言いかけた時、信也が「ぎゃッ!」と叫んだ。
「どうした!」
「何かが足を掴んで・・・・・、」
信也は青い顔で叫ぶ。そして俺の手から離れ、何かに引きずられるように沈んでしまった。
「信也!」
水面にゴボゴボと泡が立ち、信也の姿が消える。もう迷っている暇はないと思い、慌てて池に飛び込もうとした。しかし朋子さんは「待って!」と叫んだ。
「やってみる・・・。私たちを引きずり込んだアイツを探してみるわ・・・。」
「もうそんな時間ないねん!早くせんと信也が・・・・、」
「分かってる!でも闇雲に飛び込んだって意味ないでしょ!」
朋子さんは加奈子を抱えてこちらまで泳ぎ、「お願い!」と言って俺の方に押し上げた。
「加奈子!」
「隆志!早く引き上げて・・・・。」
加奈子は鼻を真っ赤にして泣いていて、恐怖と溺れたせいで咳き込んでいた。俺はすぐに彼女を引き上げ、「大丈夫か?」と肩をさすった。
「・・・・大丈夫じゃない・・・・。死ぬかと思った・・・・。」
「そうやな・・・。でももう大丈夫や。俺がこの爪で悪い霊をやっつけたるからな。」
そう言って池の方を振り向くと、朋子さんの姿も消えていた。
「朋子さん!どこにおんねん!」
立ち上がって池に近づくと、水面がわずかに揺らいだ。そして朋子さんが顔を出して、「ダメだ・・・・」と首を振った。
「やっぱり何も見えない・・・・。このままじゃ信也君が・・・・・。」
「・・・・クソ!どうしたらええねん!」
思わず舌打ちをして、辺りの草を蹴り飛ばした。
《このままやったら信也は死んでしまう・・・・。もしそうなったら、天国におるお母さんに何て言うたらええねん・・・・。》
池は黒く握っていて、きっと水中では何も見えないだろう。もしこのまま信也を助けられなければ、俺は母と会わせる顔がなくなる・・・・・。
《どうしたらええ?どうやったら信也を助けられる・・・・?》
握った拳を揺らしながら、必死に頭をひねる。これ以上時間が経てば、たとえ悪い霊を倒したとしても信也は死んでしまうだろう。
もうここは無茶を承知で、池に飛び込むしかないかもしれない・・・・。そう思って狛犬の爪を見た時、ふと閃いた。
「朋子さん!アレ持ってるやろ!」
「アレ・・・・?」
「だからコレやん!この爪と同じように、朋子さんも狛犬の目をもらったやろ!」
「狛犬の目・・・・。ああああ!もしかして・・・・。」
朋子さんは慌ててポケットを探り、神主さんからもらった狛犬の目を取り出した。
「それや!もしかしたら、その目って朋子さんの力に合うんと違うか?」
そう叫ぶと、頭のいい朋子さんはすぐに理解してくれた。
「これを使ったら、色が見える力が強くなるかもしれないってことね?」
「そうや!それを握って、もう一回池の中を探してくれ!」
「分かった!やってみる!」
朋子さんは狛犬の目を握りしめ、息を吸い込んで池に潜った。濁った水面に波紋がたち、不気味な黒い水が揺らぐ。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・一秒一秒が長く感じられる。それほど時間は経っていないと思うが、焦りのせいで五分にも十分にも感じられた。
「朋子さん・・・・まだか?」
腕組みをして足を鳴らしていると、後ろから「もしもし?」と声が聞こえた。何かと思って振り向くと、加奈子が誰かに電話を掛けていた。
《こんな時に誰と喋ってんねん・・・・。警察か救急車でも呼ぶつもりか?》
相変わらず加奈子はアホだと思った。相手は幽霊なのだから、警察や救急車が来たところでどうにも出来ない。
しかし今は怒る時間すら無駄に感じられて、朋子さんが上がってくるのをひたすら待っていた。
「・・・まだか?まだなんか・・・・?」
焦りのせいで、爪を噛むという幼い頃のクセが蘇る。そしてイライラしながら爪を齧っていると、水面から朋子さんが顔を出した。
「いた!いたよ!」
「ホンマか!」
「底の方にちょっとだけだけど二つの色が見える。一つは信也君のものだけど、もう一つは知らない色だった。でも黒が混ざってるから、きっと死者だと思う!」
「ほなソイツが信也を引きずり込んだ奴や!すぐにこの爪で引き裂いたる!」
拳に挟んだ爪を見つめ、息を吸い込んで飛び込んだ。そして朋子さんのところまで泳いでいくと、手を掴まれて「こっち!」と引っ張られた。
どうやら泳ぎが得意なのは本当のようで、男一人を掴んだままグングンと潜っていく。
《待っとれよ信也・・・すぐ助けたるからな!》
朋子さんに引っ張られ、暗い水底まで辿り着いた。するとグニャリと柔らかいものが足に当たった。
《・・・・信也や、間違いない!》
例え目で見えなくても、それが弟であることが分かった。兄弟の絆だかなんだか分からないけど、触れた瞬間にそう確信した。
そして信也を抱き上げた時・・・・背後に身も凍るような気配を感じて、恐る恐る振り返った。
《・・・・・・・・・ッ!》
・・・・俺の目の前には、目が空洞になった女がいた。顔はぶよぶよに爛れ、所々に骨が剥き出しになっている。
《コイツが最後の幽霊か・・・・。神主さんが言うてた、最初に沈んだ奴や・・・・・。》
野々村幸子・・・・。叔父さんのお母さんで、最初にこの池に沈んだ人間。この池にまつわる不幸は、コイツから始まったといっても過言ではない。
野々村幸子は白い影のように揺らめいていた。光の無い水底なのに、クッキリと白く浮かんで見えた。
その姿はあまり長く見られるものじゃなかった・・・・。怖いし気持ち悪いし、それに何より良くないものを感じる。
俺は手を伸ばして朋子さんに触れ、信也を預けた。
《早く信也を!》
暗くて何も見えないが、そこにいるであろう朋子さんを見つめる。すると幸子は俺の首を掴みかかってきて、空洞の目を近づけてきた。
《・・・・広明・・・・?》
頭の中に直接声が響いてくる。それは波のように全身を駆け廻り、ぞわりと鳥肌がたった・・・・。
《なるほど、こういうことか・・・・。これが霊魂の声を聞くっちゅうことなんか・・・。》
幸子の声は、まるで魂の叫びそのもののように感じられた。その叫びは耳から入ってくるのではなく、直接頭を揺らしているような感覚だった。
そして・・・・腕に力を入れて首を絞めてきた。それは到底人の力では抗えないほどのパワーで、ミシミシと骨の鳴る音が聞こえた。
《こらアカン・・・・早よコイツを倒さんと・・・・。》
俺は朋子さんを掴み、早く池から出るように押し上げた。そして拳に挟んだ狛犬の爪で、幸子の顔を思い切り斬りつけた。
《いだああああああああいいいい!》
身も震わすような叫びが、また頭を揺らしてくる。こんな声を長く聞いていたら、きっと俺の頭は狂ってしまうだろう・・・・。
ここはさっさとケリをつけるべきだと思い、もう一度斬りつけた。今度は喉を切り裂き、細かい肉片が飛び散っていく。
《いだああああいいい!いだいよおおおお!》
幸子は俺の首を離し、喉を押さえて苦しんでいた。
《広明・・・・広明はどこ・・・・?私の息子はどこ・・・・・・。》
《コイツ・・・・まだ叔父さんを諦めてへんのか・・・・。》
幸子の叫びはとても悲痛で、ナイフで抉られたように胸が痛んだ。しかし・・・・その同情がいけなかった。幸子は一瞬の隙をついて、狛犬の爪を奪おうとしてきた。
《コイツ・・・・武器を奪う気か!絶対に渡さへんぞ!》
爪を握った手を引き、幸子から遠ざける。そして爪を奪おうと手を伸ばしたところに、思い斬りつけてやった。
《ああああ!いだあああああいいいいい!》
《あかん・・・・この声ヤバイわ。意識が飛びそうになる・・・・。》
霊魂の声を聞くというのは、こんなに負担がかかるものなのか・・・・・。十年も一人でこいつらと向き合ってきた叔父さんは、そりゃあさすがに疲れるだろう。
《このままトドメを刺したいけど、もう息が限界や・・・・。いったん池から出んと死んでまう・・・・。》
苦しむ幸子を蹴り飛ばし、急いで水面へ向かう。しかし足を掴まれてしまい、強引に引き戻された。
《このボケ・・・・調子に乗んなよ!》
もう一度爪を振り下ろし、幸子の肩を斬りつける。しかし決して俺を離そうとはしなかった。
《これヤバイ・・・・。このままやったら俺が死んでまう。》
息はもう限界に達していた。早くここから逃げ出さないと、俺まで幽霊になってしまう。
《離さんかいコラ!》
幸子は両手で俺の足を掴み、水面に出ようとするのを邪魔してくる。俺は何度も何度も爪で斬りつけたが、なかなか足を離してくれなかった。
《ああ・・・・あかんわ・・・・。こら逃げられへん・・・・・。》
もうさすがに息が続かない。死が頭を過り、抵抗する力も衰えていった・・・・。
《このまま死ぬんか・・・・。でもまあ・・・・それもええか。信也は助けられたし、朋子さんがおるんやったら大丈夫やろ。
それにお母さんにも会えるしな。ただ・・・加奈子には申し訳ないな・・・・。もうあいつのアホな言葉を聞かれへんかと思うと、ちょっとだけ寂しいな・・・・。》
加奈子の笑顔、加奈子の泣く顔、そして加奈子の怒る顔が浮かび、思わず涙が出て来そうになる。
《・・・・あかん!やっぱりまだ死にたあない!こんな悪霊に殺されてたまるか!》
そう思うと身体に力が戻ってきた。俺は幸子の顔を思い切り蹴り飛ばし、額に爪を突き立ててやった。
《あぎゃあああああああ!いだいっでえええええ!》
《うるさいわこのドアホ!一人で死んどけ!》
突き刺さった爪は、幸子の額を割って深く食い込んだ。そのおかげで足が離れ、慌てて水面まで泳いでいった。
すると誰かがこちらに近づいて来る気配を感じ、思わず手を伸ばした。
《誰でもええ・・・誰でもええから引き上げてくれ!もう・・・息が続かへん・・・・。》
伸ばした手に最後の力を込め、心の叫びを響かせる。するとこちらに近づいて来た誰かは、しっかりとその手を握ってくれた。
そして水面まで俺を引き上げ、力任せに岸まで引き上げてくれた。
「大丈夫か隆志!」
「・・・・・・・・・・・・・。」
それは広明叔父さんだった。びしょびしょに服を濡らし、濡れた髪から水が滴っている。
「叔父さん・・・・なんでここに・・・・?」
そう尋ねると、叔父さんは加奈子の方を振り向いた。
「加奈子ちゃんが電話をくれたんや。だから急いでここまで来た。なんとかギリギリ間に合ってよかったわ。」
そう言って俺の肩を叩き、加奈子の方へ押しやった。
「隆志!」
加奈子は顔をくしゃくしゃに歪めながら泣いていた。
「よかったあ・・・・死んだかと思ってた・・・・。」
泣き喚くとはまさにこういうことを言うのだろう。加奈子の声はキンキンと耳に突き刺さった。
「あんたはアホや!いくら信ちゃんを助ける為でも、死んでどうすんねん!」
「いや、死んでないよ。それよりさっきの電話は叔父さんに掛けてくれてたんやな?」
「うん・・・・。他に頼れる人がおらんと思って・・・・。」
「そうか・・・お前のおかげで助かったわ。ありがとうな。」
加奈子を引き寄せ、グシャグシャと頭を撫でてやる。すると顔を上げてタコの口をするので、サッと唇を重ねてやった。
「あかんで・・・・どこにも行かんといてよ・・・・。」
加奈子は潤んだ瞳で見つめる。それは今までに見た中で一番真剣な目で、頷かずにいられなかった。
「どっこも行かへんよ。でもまだ終わってないねん。あの化け物を倒さん限り、御神体は引き上げられへんからな。」
「もうええやん、御神体なんて・・・・。」
「そうはいかへん。アレのせいでたくさんの人が苦しんだんや。これ以上ほっとくことは出来へん。」
そう、あの御神体を放っておくことは出来ない。またいつか不幸が始まって、この中の誰かが死んでしまうかもしれないから・・・・・。
俺は加奈子を引き離し、立ち上がって周りを見た。
「・・・お兄・・・・。」
「信也・・・よかった、無事やったんやな。」
信也は地面に座り込み、後ろから朋子さんに抱かれていた。
「さっき意識を取り戻したの・・・。それまでは呼吸が止まってて、もうダメかと思ってた・・・・。」
そう言ってギュッと信也を抱きしめ、「よかった・・・・」と頬を寄せていた。
「あのな、朋子さん心臓マッサージと人工呼吸をしてくれたんや・・・。もう何回もキスしてもたから、これで正式な彼氏やな。」
信也は嬉しそうに手を伸ばし、朋子さんの手を握っていた。
「お前は相変わらずええ身分やな。俺も一回でええから、誰かにそこまで心配されてみたいわ。」
「何言うてんねん。お兄が上がって来るまで、みんな心配してたんやで。特に加奈ちゃんは。」
加奈子はまだ泣いていて、立ち上がって抱きついてきた。
「ごめんな加奈子、心配かけて。でももうすぐ終わるから。」
優しく頭を撫で、そっと抱きしめてやる。すると加奈子は首を振り、「イヤや・・・・もう行かんといて・・・・。」と手を握ってきた。
「俺だって行きたくないよ。でもそういうわけにはいかへん。すぐに戻って来るからここで待っててくれ。」
「だからイヤやって!もう隆志が危ない目に遭うのはイヤやねん!お願いやからここにおって・・・・。」
「加奈子・・・・・。気持ちは分かるけど、でもケリをつけんと・・・・・、」
そう言いかけた時、叔父さんが肩を叩いた。
「・・・・いや、隆志はここにおれ。」
「なんでや?幸子・・・・、叔父さんのお母さんをこのまま放っといてええんか?」
「いいや、ええわけないやろ。」
「ほなやっぱり行かなあかんやん。アイツは狛犬の爪が刺さって弱ってるから、今がチャンスやねん。」
俺は泣きじゃくる加奈子を引き離し、池に向かった。すると叔父さんが横に並んできて、「もうええねん・・・・」と重い声をで言った。
「もうええ・・・・。ここから先は俺がやるわ。」
「なんでや?もう戦うのがしんどいから、俺らにバトンタッチしたんやろ?」
「そうや・・・・。でもそれはアカンねん。いくら疲れたからいうたって、若いもんを危険に晒すなんて、やったらアカンことやったんや。
だからこれは俺のミスや。責任を取ってお母さんを鎮めんとな。」
叔父さんは疲れた顔でニコリと笑う。その目には、何かを決意した色が浮かんでいた。
「叔父さん、ちょっと待ちいな。別に加奈子に呼ばれたからって気にせんでええんやで?」
「いや、そういう事と違うねん。加奈子ちゃんに呼ばれようと呼ばれまいと、ここへ来るつもりやったからな。」
「・・・・そうなん?ほななんで最初からついて来てくれへんかったん?」
素朴な疑問をぶつけると、叔父さんはドンと自分の胸を叩いた。
「ちょっとな・・・破魔木神社に行ってたんや。」
「破魔木神社に・・・・?なんであそこに・・・・。」
「野暮用や。でもちょっと時間がかかってもて、来るのが遅れた。勘弁してや。」
そう言ってまたニコリと笑い、何の迷いもなく池に飛び込んでいった。
「叔父さん!」
慌てて後を追おうとしたが、加奈子に止められてしまった。
「アカンて!もう行ったらアカン!」
「でも叔父さんが・・・・。」
すると朋子さんからも、「行かなくていいと思う・・・」と言われた。
「なんでや?あんな危ない奴を一人で相手にするのは危険やろ?最悪死んでまうで?」
「・・・・死ぬ気・・・なんだと思う?」
「なんやて?死ぬ気・・・・?」
「ここに眠る最後の霊魂って、広明さんのお母さんでしょ?彼女はとにかく広明さんを求めてる。
だから・・・・一緒に逝ってあげるつもりなのよ。それが一番確実な方法だから・・・・。」
「そんな・・・・それこそ止めなアカンやん!あんな悪霊の為に死ぬなんて、そんなん絶対にアカンよ!」
俺は加奈子の手を振り払い、叔父さんの後を追って池に飛び込んだ。
「隆志!」
加奈子の声が聞こえるが、それでも迷いはない。もうこれ以上、誰かの魂を見送るのは御免だった。
死んだ人間は死んだ人間で、大人しくあの世でも何でも行けばいい。どんな理由があるにせよ、生きている人間の邪魔をするなんて許されないのだから。
・・・・・暗い池に潜って行く。明かりはないけど、それでもハッキリと見えた。
水底に浮かぶ、白い悪霊の姿が・・・・・。そしてその悪霊と対峙する叔父さんの姿が・・・。
叔父さんは手を広げ、何かを語りかけている。その後ろには、叔父さんとよく似た別の霊魂が重なっていた・・・・・。

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