ダーナの神話 第四話 死者からの伝言

  • 2014.10.19 Sunday
  • 14:38
JUGEMテーマ:自作小説
彼女の影を追って


幸也は実家に帰っていた。
かつて自分の部屋だった場所で寝転び、窓から空を見上げていた。
「田舎は・・・風があってええわ。エアコンより自然の風の方が気持ちええ・・・。」
里美の葬式の帰りに岡山の実家に寄り、もう三日も滞在していた。
教授からは「しばらく休んでいい」と言われ、言葉に甘えて傷心を癒していた。
同僚が自分の仕事を肩代わりしているのかと思うと心苦しくなったが、今は働く気になれなかった。
辞めたはずのタバコに火を点け、残っていたチューハイを飲み干して空を見上げた。
「まさかなあ・・・二度も大事な人を失うなんて・・・まったく予想出来へんかったわ。
兄ちゃんの死から立ち直ったところやのに、とんでもない不意打ちやでこれは。」


            *****


あの日、カップ麺を食べ終えてからダーナの神話について調べていると、突然ケータイが鳴った。
番号を見ると里美の実家からで、少し緊張しながら電話に出た。
「はい、もしもし。」
畏まった声で言うと、向こうから沈んだ声が返ってきた。
「もしもし、幸也君か・・・?」
「ああ、お義父さん。」
無意識に椅子から立ち上がり、頭を下げる。
「・・・・・・・・。」
何も喋ろうとしない義父を不審に思い、幸也は自分から切り出した。
「あ、あの・・・里美はそっちにおるんですかね?
朝に一回メールが来ただけで、それから返事も寄こさへんし・・・。」
電話の向こうで唾を飲む音が聞こえ、幸也は強くケータイを握りしめた。
嫌な予感がする・・・。
五年前、兄が死んだ報せを受けた時と同じ感覚に見舞われる。
言いようのないほど暗く、そして重い沈黙。
まるで嵐の前の静けさのように、人を不安に陥れるこの空気。
ケータイを持つ手が震え出し、ゴクリと唾を飲んだ。
「あのな、幸也君・・・。落ち着いて聞いてな・・・。」
「・・・・・・・・。」
今度は幸也が沈黙する番だった。
出来ればこのまま電話を切ってしまいたいが、なんとか堪えて義父の声に耳を澄ました。
「今日の昼前に警察から電話があってな・・・。里美が川で倒れとるのを見つけたと・・・。」
幸也は目を瞑り、息を飲んでケータイから耳を離した。
鼓動が跳ねあがり、途端に呼吸が荒くなる。
「もしもし、幸也君。」
義父が呼びかけるが、幸也はしばらく目を瞑っていた。
大きく息を吸い込んで呼吸を整え、ゆっくりとケータイに耳を当てた。
「すいません。大丈夫です。」
「・・・もう、何が言いたいか分かると思うが・・・。」
義父はそう切り出して一言呟いた。
「里美が亡くなった。」
「・・・・・・・・はい。」
「今日の朝出掛ける言うて車に乗って行ってな・・・。友達と会うから言うとったけど・・・。
土手沿いの道を走ってる時にトラックとすれ違うて、脇に寄せた時にハンドル切り損ねて土手から落ちたらしい・・・。」
「・・・はい・・・。」
「急な土手やからゴロゴロと車が転がっていったらしいてな・・・。そのまま川に突っ込んだんやと・・・。
ほんで・・・ほら、あいつ車に乗る時ドアロックかけへんやろ?
そやから転がって行く途中で運悪くドアが開いてしもたみたいで、車の下敷きになるような形で川に投げ出されたんやと・・・。」
「・・・はい・・・。」
「警察が言うには、その時の衝撃で意識が飛んだんちゃうかいうことらしいわ・・・。
あいつ運動神経は良かったから、川に落ちたくらいでどうこうなったりせえへんからな。
そんなに大きい川でもないし、流れも速あないし・・・。ちゃんと意識があったら自分で泳いで岸に辿り着いたやろ・・・。
身体を調べたら、頭の後ろにデカイ傷があったからしいから、警察の言うことに間違いはないんやろけど・・・。でも・・・いきなりこんな・・・。」
「・・・・・・・・・。」
義父の声が詰まり、小さく嗚咽が聞こえてくる。
それがかえって幸也を冷静にさせ、短く息を吐いた。
「里美は今どこに?」
「病院や・・・。事故を見とった人が救急車を呼んでくれたらしいてな・・・。
せやけど病院に着いた時にはもう・・・。」
「・・・そうですか・・・。」
「警察に言われて病院に行ったら、霊安室に案内されてな・・・。顔を確認したら間違いなく里美やったわ・・・。
オカンは泣き崩れよるし、俺は頭ん中真っ白になってしもてな・・・。だって・・・今日の朝まで・・・生きとった・・・のに・・・。
元気よう・・・行って来ます言うて・・・・・。それが・・・なんで・・・。」
「・・・・・・・・。」
義父の声を黙って聞いていたが、それが誰の為の涙か分からなかった。
娘を失った自分の為か、それとも亡くなった里美の為か、いや、その両方か?
どうしてこんなことを考えているのだろうと思い、意外に自分が冷静であることに気づいた。
「お義父さん。とりあえずそっちに行きます。」
「・・・そやな。病院の名前と住所言うとくわ。ええっと・・・・・、」
幸也は素早くメモを取り、駅まで車を走らせ、新幹線の切符を買った。
ホームで待つ間、ずっと里美のことを考えていた。
《信じられへん・・・。あいつが・・・。》
里美は大胆な性格であったが、決して注意が浅い人間ではなかった。
勇敢でありながら慎重であり、行動的でありながら思慮深い女性だった。
それがハンドルを切り損ねて川に転落するなど、とてもではないが想像出来なかった。
《あいつがそんな事故で亡くなるなんて・・・納得出来へん・・・。》
五年前の兄の死に疑問を持ったように、今度は里美の死に疑問を抱いていた。
《あいつがそんな死に方するか?あのしっかり者の里美が・・・。》
それが運命だと言われればそれまでだが、生憎幸也は現実主義者だった。
運命なんてものは神話の中だけで充分であり、胸を躍らせるのはあくまで本の中だけだった。
《神様も運命も、全部人間の作りもんや。物語としては楽しんでも、実際に信じるほど純粋とちゃうで・・・。里美は絶対に事故死なんかやあらへん。》
到着した新幹線に乗り込み、幸也はじっと窓の外を見つめた。
正直、里美を失った悲しみを今はあまり感じていなかった。
しかし時間が経てば、真綿で首を絞められるようにジワジワと悲しみが押し寄せて来る。
それは兄を失った時に経験済みで、やがて来るであろう悲しみは覚悟しておかなければならない。
里美の死、兄の死、そして二人の死に対しての疑問。
色々と考えを巡らせていると、ふと何かが思い浮かんだ。
「あれ?ちょっと待てよ・・・。こら偶然か?」
幸也の頭に浮かんだこと、それは二人の嫌いなものだった。
幸也の兄、憲一は海が嫌いだった。
とにかく自然が好きな兄であったが、なぜか海だけは嫌っていた。
趣味でやっていた写真でも、海を写したものは一枚も見せてもらったことがない。
「兄ちゃん・・・昔からずっと海は嫌いや言うてたな。だから夏休みはいっつも川やった。」
そして海が嫌いだという人物が、身近にもう一人いた。
それは里美だった。彼女もまた海を嫌い、一度も二人で海に行ったことがない。
夏になればプールか川が定番だった。湖も好きだと言っていたはずだ。
いつか尋ねたことがある。どうして海が嫌いなのかと。すると彼女は言った。
『特に理由なんてないわ。物心ついた時から嫌いだったのよ。
だから家族で海に行こうって言われても、絶対嫌だって駄々こねてたなあ。
なんかさ、海って汚い感じがしない?水が汚れてるとかそういう意味じゃなくてさ。
なんかこう・・・自分とは相容れないみたいな感じでさ。』
あの時幸也は「変わってるなあ」と答えたが、里美は「いつもそう言われる」と笑っていた。
兄と里美が海を嫌いだったのは、きっと偶然だろう。
しかし何かが引っ掛かる。
その時、またしてもあることが思い浮かんだ。
「そういや麻理ちゃんの弟さん・・・。川で亡くなったいうとったけど・・・。
もしかしてその子も海が嫌いやったんと違うかな?
夏休みに家族で遊びに行くんやったら、普通は海に行きたがると思うけど・・・。」
そうは思っても推測でしかなく、近いうちに麻理に確認しようと思った。
やがて新幹線は広島に到着し、幸也はゆっくりとホームに降り立った。
動かなくなった里美に会うのは勇気のいることだが、ここで足を引き返すわけにはいかない。なんとか自分を奮い立たせて病院へ向かった。
義父に教えられた病院に辿り着き、項垂れた彼女の両親と挨拶を交わした。
息を飲みながら、里美の待つ部屋へと足を踏み入れる。
そして・・・そこには兄が死んだ時とまった同じ光景が広がっていた。
「里美・・・。」
動かなくなった彼女の頬に触れ、そっと名前を呼びかける。
いつものようにに元気に出掛けて行って、今はピクリとも動かずに死んでいる。
この凄まじい違和感は強く思考を揺さぶり、兄が死んだ時と同じように吐き気を催した。
それをぐっと堪えて彼女の顔を見つめ、もう一度名前を呼びかけた。
「里美・・・・・。」
《・・・・・・・・。》
「・・・・・ん?」
彼女の名前を呟くと、突然何かが聞こえた。
じっと耳を澄まして辺りの様子を窺うが、彼女の両親も、案内してくれた医者や看護士も、誰も口を開いていなかった。
幸也は里美を見つめ、もう一度呼びかけた。
「里美・・・。」
《・・・う・・・・や・・・・。》
「・・・・・・ッ!」
今度ははっきりと声が聞こえた。それは里美の声だった。
幻聴かと思って自分の耳を疑うが、あまりにリアリティのある声だった。
「里美・・・・・。」
今度は顔を近づけて名前を呼んだ。
すると彼女の身体の方からではなく、後ろから声が響いた。
《・・・こう・・・や・・・。・ち・・・こ・・・ち・・・よ・・・。》
幸也は息を飲み、ゆっくりと後ろを振り返った。
しかしそこには誰もおらず、霊安室の薄暗い壁があるだけだった。
《・・・ごめ・・・ね・・・。こう・・・のこし・・・ごめん・・・ね。》
《え?なんや?なんて言うてるんや?》
耳を澄まして彼女の声を聞き取ろうとするが、電波の悪いケータイのように、はっきりとは聞き取れなかった。
《・・・ここ・・・は・・・。こう・・・の・・・にい・・・が・・・る・・・。》
《なんて?分からへんわ。里美よ、どこにおるんや。出て来てくれや!》
うまく彼女の声が聞き取れないことにもどかしさを感じていた。
しかし何か伝えたいことがあるのは確かだと思い、じっと彼女の遺体を見つめて耳を澄ました。
《・・・あな・・た・・・の・・・に・・・さん・・・。ケン・・・チ・・・さん・・・。》
《え?兄ちゃん?兄ちゃんがどうした?》
《・・・ここに・・・る・・・わ・・・。・・ケン・・・イチ・・・さん・・・が・・・。》
「兄ちゃんがおんのか!?」
幸也は叫んで霊安室を見渡した。
薄暗い部屋の中をじっと見回していると、里美の両親や医者が怪訝な目を向けてきた。
「あ、ああ・・・すいません・・・。動揺してもて・・・。」
そう呟くと、義父が里美の傍に立った。
「このアホが・・・。大事な人をようさん残して逝きよって・・・・。」
スッと涙がこぼれ落ち、声を押し殺して泣いていた。
その姿を見つめながらも、幸也は里美の声に耳を澄ました。
しかしもう彼女の声が聞こえることはなく、霊安室には里美の両親のか細い泣き声だけが響いていた。
幸也は頭を下げて部屋から出て行き、トイレで盛大に吐いた。
死と生、現実と非現実が入り混じって思考を揺さぶられ、鳥肌が経つほど気持ち悪さを覚えていた。
昼に食べたカップ麺がトイレの水に浮かぶのを見つめながら、膝をついて項垂れた。
「なんやねん・・・。分からん・・・もう分からんわ・・・。怖いし・・・気持ち悪いわ・・・。なんやねんもう・・・・。」
便器にもたれかかり、膝を抱えて震えた。
もし身体の何処かに思考のスイッチがあるなら、今すぐに切ってしまいたかった。
とにかく今は、何も感じたくないし、何も考えたくない。
そう思ってうずくまっていたが、それを邪魔するようにケータイが鳴り響いた。
一度は無視したが、再び鳴り出して音が響く。
幸也はポケットに手をつっこみ、虚ろな目で液晶を確認した。
「・・・これは、どういうことや・・・?」
ケータイに表示された名前。それは絶対にかかってくるはずのない相手からだった。
『憲一』
じっとケータイを見つめ、背筋が寒くなるのを感じた。
着信音が鳴り響き、死んだはずの兄の名前が表示されている。
「・・・・・・・・。」
ケータイを持つ手が震え出し、爆発しそうな鼓動でそれを見つめた。
確かに兄の番号は登録したままにしてある。
兄が死んでから、何度か消そうと思ったが無理だった。
メモリーから兄を削除するということは、どうして心が拒絶していたからである。
しかしとっくに解約してあるはずの番号からかかってくるとは、いったいどういうことか?
もしかしたら新しい番号の持ち主が、間違えてかけてきたのではないか?
いや、きっとそうだ。そうに決まっている。
幸也は息を飲み、そっと通話ボタンを押してみた。
「・・・・・・。」
黙ってケータイに耳を当てる。
しかし何の声も返ってこず、思い切って「もしもし」と呟いてみた。
《・・・こう・・・や・・。》
「・・・・・ッ!」
思わずケータイを落としそうになりる。電話から聞こえる声、それは間違いなく兄の声だった。
《・・・き・・・える・・か・・・?・・・おれ・・や・・・ケ・・・イチ・・・や・・・。》
「兄ちゃん・・・。まさか・・・そんな・・・。」
震える手でケータイを握りしめ、信じられない思いで兄の声を聞いていた。
「もしもし・・・。ほんまに兄ちゃんか・・・?」
《・・・そう・・・や・・・。こう・や・・・ひさ・・・し・・・りやな・・・。》
「そんな・・・信じられへんわ・・・。なんで?なんで兄ちゃんが掛けてきてんの・・・?」
電話の声は間違いなく兄のもので、幸也は全身が泡立つのを感じた。
背中に悪寒が走り、それでも必死に兄の声に耳を澄ました。
《・・さ・・とみ・・・さん・・。ざん・・・ねん・・・やった・・・な・・・。かわい・・・そう・・に・・・。》
「兄ちゃん!里美が近くにおんのか?ていうか兄ちゃんはどこにおんねん!?
もしかして生きてんのか?あん時死んだんは兄ちゃんとちゃうかったんか!?」
そんなはずがないことは分かっていた。あの時川べりで発見された遺体は、間違いなく兄だった。ならばなぜ・・・?
「兄ちゃん!俺分からんことだらけやねん!兄ちゃんの死も、里美の死も、それに二人の声が聞こえるんだって、いったいどうなってんのか・・・。
なあ、教えてくれや兄ちゃん!あの時兄ちゃんはなんで死んだんや?足滑らせて川に落っこちるような人とちゃうやんか。
里美かてハンドル切り損ねて土手から落ちるほど鈍臭あない。
何か・・・何か別の理由があったんちゃうか?単純な事故やのうて・・・・もしかしたら誰かに何かされたとか・・・教えてえや兄ちゃん!」
《・・・・・・・・・・。》
「なんで黙ってんねん!何か言えや!俺・・・もう限界やねん・・・。」
幸也は頭を抱えて項垂れた。そしてまたもや吐き気が催してきた。
《・・・て・・・くれ・・・。あ・・・そこ・・・に・・・て・・・。》
「なんて?よう聞き取れへん。もっぺん言うてくれ!」
《あの・・や・・ま・・・けい・・・りゅ・・・。・・・そこ・・・る・・・から・・・。》
「あの山・・・けい・・・・、あの山の渓流か!兄ちゃんが落ちたとこか!?」
《・・・とお・・・か・・・ご・・・。そ・・・に・・・てく・・・れ・・・。》
「とお・・か・・・、十日後か?そこに行ったらえんか?」
《・・・で・・・い・・・き・・・。・・・あ・・・める・・・。》
「で・・・い・・・き・・・?なんのこっちゃ分からん。」
《・・・でか・・・きが・・・・ある・・・。そこ・・・て・・・くれ・・・。》
「・・・・・でかい木か?渓流のデカイ木のとこに行ったらええんやな?」
《・・・あめる・・・が・・・おる・・・。・・・かの・・・じょ・・に・・・。》
「・・・あめる?あめるって何や?」
《・・・あめ・・・る・・・おれ・・・の・・・と・・も・・・だ・・・。》
「と・・も・・・、友達か?あめるいう人は兄ちゃんの友達なんやな?
ほんなら十日後に渓流のデカイ木のとこに行ったら、そのあめるいう人がおるんやな。
その人に会うたらええんやな?」
《・・・あめ・・る・・・ひ・・・じゃ・・・ない・・。かの・・・は・・き・・・。》
「かの・・・は・・・き・・・?どういう意味や?」
《・・・あめ・・・る・・・き・・・。・・・で・・か・・き・・・や・・・。》
「・・で・・か・・・き・・・、デカイ木か?あめるはデカイ木の傍におるんやな?」
《・・・ち・・・が・・・。・・・あめ・・る・・が・・・で・・か・・・き・・・。》
「・・・・?分からへん。何を伝えようとしてんねや・・・?」
その時、突然トイレのドアがノックされた。
「幸也君・・・ここにおるんか?」
義父の声だった。幸也はケータイを押さえて返事をした。
「すいません。ちょっと動揺してたから落ち着こうと思って・・・。もうすぐ出ます。」
「そうか・・・。いや、無理せんでええさかい、落ち着いたら出ておいで・・・。」
「はい、すみません・・・。」
義父は足音を響かせて去る。幸也は再びケータイに耳を当てた。
「もしもし兄ちゃん。さっきのはどういう意味なんや?」
《・・・・・・・・。》
「もしもし、兄ちゃん!」
《・・・・・・・だ・・・・な・・・・。》
「だ・・・・な・・・・・?」
《・・・すべ・・・は・・・だ・・・な・・・・が・・・・・・・・・・、》
そこでプツリと電話は切れてしまった。
「もしもし、兄ちゃん!兄ちゃん!」
幸也は耳を離し、もう一度兄と話そうとメモリーを検索する。
しかし何故か兄のメモリーは消去されていた。
「なんでや・・・?消した覚えなんかないで・・・。」
着信履歴にも兄の名前は残っておらず、不気味に思いながらケータイをしまった。
嘔吐したものがそのまま残っていることに気づき、水を流してトイレを出た。
重い足取りで里美の待つ部屋に向かいながら、兄の言った言葉を思い出していた。
「十日後に自分が落ちた渓流に来い・・・。そこにあめるという兄ちゃんの友達がおる・・・・・。
その人に会うたら、何かが分かるっちゅうことか・・・・?」
霊安室の前で項垂れる義父を見つけ、さらに足取りが重くなった。
里美の声を聞いたなどと言えるわけがない。幸也は黙って霊安室に向かって歩いていく。
そして兄が最後に言った言葉を思い出していた。
「・・・だ・・・な・・・が・・・。いったいどういう意味なん・・・・・、」
そう呟きかけて足を止めた。
雷に打たれたような衝撃が走り、身体を震わせて立ち竦んだ。
「だ・・な・・・。ダーナのことか・・・?」
麻理が見る夢のこと、兄と里美は海が嫌いだったこと、二人の死に対しての疑問。
そして『ダーナの神話』という聞いたこともない神話のこと。
幸也は鈍い方ではないが、理論立てて物事を考えるのが苦手だった。
頭の中に浮かぶ様々なピースが、どのようにして繋がるのかは分からない。しかしどこかで全てが繋がっているということは感じていた。
そしてその中心にいるのは、おそらくダーナと呼ばれる少女だろう。
「分からへん・・・。まったく分からへんけど・・・何かが引っ掛かって・・・。」
幸也は霊安室に入り、動かぬ里美の前に立った。
《教えてくれ里美・・・。いったい何がどうなっとんや・・・。》
呼びかけても返事はなく、幸也はそっと彼女の手を握った。


            *****


あの日以来ずっと考え続けていた。
兄の死、里美の死、そして死んだ兄からの電話・・・・。ずっと考えていると、ふとあることを思い出した。
「そうや、麻理ちゃんの家に電話しよか。俊君が海を嫌いやったかどうか・・・確認してみんとな。」
ケータイを取って麻理の家に電話を掛ける。
数回のコールの後、「もしもし、野本です」という声が聞こえた。
「ああ、どうも。加々美です。」
『加々美・・・・・、ああ!あの公民館の?』
「そうです。今お電話大丈夫ですか?」
『はい。もしかして麻理の夢のことでしょうか?』
「いえ、それと違って・・・ちょっとお尋ねしたいことがありまして。」
『はあ・・・。何でしょうか?』
幸也は身体を起こし、若干トーンを落として尋ねた。
「あの、もしかしたらなんですけど・・・俊君は海が嫌いやったんちゃうかと思いまして・・・。」
しばらくの沈黙の後、麻理の母は低い声で答えた。
『ええ・・・確かにあの子は海が嫌いでしたけど・・・それが何か?』
「ああ、ちょっと確認したいと思いましてね。麻理ちゃんの言う『ダーナの神話』というのを調べていくうちに、どうもこの神話は海が重要な気がしまして。」
『ああ、そういうことですか。なんだかすみません。あの子の為にお時間を使わせてしまって・・・。』
「いやいや、好きでやっとることですから。それより麻理ちゃんはあれからどうです?夢に苦しんだりとか、そういうことはありませんか?」
『はい、大丈夫です。実は最近、夢の中に俊が出て来なくなったと言って。』
「俊君が出て来ない?」
『ええ、きっと天国に帰ったんだろうと言ったんですが、納得してくれたみたいです。
それと先生から頂いた本に夢中で、今はとても楽しそうに読んでいるんです。』
「ああ、それはよかった!麻理ちゃんきっと頭がええと思ってね。
子供向きの本言うたけど、実は子供が読むにはちょっと難しい部分もあるんです。
せやけど麻理ちゃん、ちゃんと理解して読んでるみたいですね。」
『はい、それはもう楽しそうに。よかったら代わりましょうか?』
「いや、大丈夫です。今のところはまだ何も分かってませんからね。もし何か分かったら、またお電話させてもらいます。」
『そうですか。気を遣って頂いてありがとうございます。
あの一緒にいらっしゃった女性の方にもよろしくお伝え下さい。」
「・・・ああ・・・ええと・・・・。」
『どうかなさったんですか?』
幸也は一瞬口を噤んだ。里美のことを言うべきか言わざるべきか?
しかし気がつけば彼女のことを話していた。
「実は・・・先日事故にあって亡くなってしまいまして・・・。」
『え?事故?事故ってあの女性の方がですか?』
「はい。車に乗っている時に土手から落ちて・・・そのまま川で溺れて・・・・。」
『・・・・・・そうですか。』
麻理の母の沈んだ声を聞いて、幸也はしまったと思った。
彼女の息子も川で亡くなっていたことを思い出し、嫌な気持ちにさせてしまったかなと後悔した。
『麻理がね・・・またお二人に会えるのを楽しみにしていたんです。
先生には色々と神話のことを尋ねたがっていたみたいだし、あの女性の方には謝りたいと思っているみたいで・・・。』
「謝る?どうしてですか?」
『自分を慰めようとしてくれたのに、冷たい態度を取ってしまったからだというんです。昔からそういうのを気にするところがありまして・・・。』
幸也は驚き、少しだけ微笑ましく思った。
「その気持ち僕も分かりますよ。麻理ちゃん優しいんでしょうね。
優しくて頭のいい人間っていうのは、けっこう人に気を遣ってしまうから。
ああ、別に僕の頭がいいって言ってるわけじゃありませんけど・・・。」
ケータイの向こうから麻理の母の笑い声が聞こえ、少しだけ恥ずかしくなった。
『先生の仰る通り、麻理と先生は似てるかもしれませんね。』
「こんなおじさんと似てるなんて言われたら、麻理ちゃん怒るかもしれませんけどね。
まあ、ええっと・・・お尋ねしたかったのは俊君のことだけですから。なんか長々と話してもてすんません。」
『いえ、とんでもありません。また何か聞きたいことがあったら遠慮なく聞いて下さい。』
「ありがとうございます。里美・・・、僕と一緒にいた女性のことですけど、彼女には僕から伝えておきます。麻理ちゃんが謝りたがっていたよと。
麻理ちゃんにはそう伝えておいて下さい。」
『分かりました。先生もあまり無理をしないで下さいね。麻理の夢のことはいつでも構いませんから。』
「ええ、それでは失礼します。」
『はい、失礼致します。』
電話を切り、幸也はふうっと息をついた。
「麻理ちゃん、あの本喜んでくれたか。あげた甲斐があったな。」
立ち上がって窓の傍に立ち、外に広がる風景を見渡す。
まさに田舎と呼ぶに相応しい景色で、田んぼと雑木林、そして遠くに見える山々の緑だけが広がっている。
幸也はケータイのカレンダーを開き、赤いチェックが入った日付を睨んだ。
「明後日か・・・。」
それは兄から指定されたあの場所へ行く日だった。
ここから少し離れた場所にある、山の渓流に立つ大きな木。
そこに行ってあめるという人物に会う。
兄の口ぶりからして女性と思われるが、幸也にとってそれは意外なことだった。
「兄ちゃんに女の友達がおったとはなあ。どんな人か興味があるわ。」
友達も恋人もいないと思っていたが、もしかしたら付き合っていた人がいたのかもしれない。
ただの友達がわざわざそんな場所まで来るはずもなく、これはきっと兄の恋人だったに違いない。そう思うと、幸也は少しだけ嬉しくなった。
「兄ちゃんにもそういう人がおったか・・・。何もないまま終わったわけとちゃうんやな。
せやけど、生きてるうちに紹介くらいしてくれたらよかったのに。」
幸也は笑いながらケータイを閉じた。
翌日は近所をぶらぶらと歩いて傷心を紛らわし、夕方から地元の友人と飲みにいった。
里美のことは話さず、ただ酒を飲んで騒ぎ、一時ではあるが全ての悲しみや煩わしさから解放されていた。
しかし明日のことが頭から消えず、早々に切り上げて帰って来た。
そして母に明日出掛けることを伝え、そのまま部屋の布団に倒れ込んだ。
「兄ちゃん・・・里美・・・。俺は・・・これからどうしたらええんやろなあ・・・。
どっちもおらんようになってしもて・・・俺は・・・これからどうしたら・・・。」
酔った頭はすぐに眠りに落ち、少しだけ夢を見た。幼い頃、兄と一緒に遊んだ夢を。
そして里美と出会い、彼女に支えられた日々の夢を。夢は夢と分かっていて、それでも幸也は思った。
《誰か・・・夢と現実を入れ換えてくれや・・・。俺の大事なもん・・・全部返してくれ・・・。》
まどろむ夢の中で、二度と帰らない者達との時間を楽しんでいた。

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