猫又 八兵衛 第十二話 心は漏れる(2)

  • 2014.12.28 Sunday
  • 11:45
JUGEMテーマ:自作小説
目の前を多くの若者が歩いて行く。
ほとんどの若者が茶色い髪をしていて、色とりどりの服装も、よくよく見れば皆同じように感じる。
それを見つめながら、俺は「個性とは何だろうか?」とぼんやり考えていた。
チョンマゲの頼みを聞いた翌日の昼、俺は電車で一時間も離れた大学に来ていた。
キャンパスはとても広く、サッカー場が三つくらい入りそうな大きさだった。
レンガ模様の校舎がいくつも並んでいて、随分と金の掛った学校であることが窺える。
「大学か・・・・。ガキか大人か分からん奴らが大勢いるな。」
俺はタカシと共に校門の前に立ち、出入りする学生を眺めていた。
「真面目そうな奴もいれば、遊んでそうな奴もいる。大学ってのは色んな奴がいるな。」
「ん。」
「お前もいつかこういう所へ通うのか。入学式には出てやるからな。」
そう言って校門の前で待っていると、温水洋一に似た男が走って来た。
「チョンマゲ、遅いぞ。もう二時前だ。」
「す・・・すまん。ちょっと緊張してしまって・・・。朝からお腹の調子が・・・・。」
「そりゃ大変だ。ここでやめとくか?」
「そうしたいけど、そうもいかない。和佳子さんは俺の教え子なんだから、なんとしても誤解を解きたいんだ。」
「冗談だよ。あ、そうそう、タカシもついて来ちゃったんだけど・・・問題ないよな?」
そう言って握った手を揺らすと、「コブ付きかよ・・・」と不満そうにした。
「学校はどうしたんだよ?サボったのか?」
「今日は日曜日です。」
「ああ、そうだったな・・・・。猫ってあんまり曜日の感覚がないもんだから・・・・。」
「明日は月曜日です。」
「親切にどうも。」
チョンマゲは苦笑いを返し、真顔になって俺を睨んだ。
「・・・・で?読心の術は使いこなせるようになったか?」
「努力はしたよ。でもたった一晩じゃ無理がある。」
「まあ・・・・仕方ないよな。でも多少は上達したんだろ?」
「さあな。結果はその目で確かめてくれ。」
俺はキャンパスの中に顎をしゃくり、「早く写真部へ行こう」と促した。
「彼女は来てるんだろ?」
「ああ。きっと昨日の孔雀焼の写真を見てるはずだ。」
「じゃあ案内してくれ。」
チョンマゲは無言で頷き、腹をさすりながら中へ入って行く。「腹が・・・・」と顔をしかめながら。
「漏らすなよ。」
「保証は出来ない・・・・。」
恐ろしいことを言いながら、慣れた足取りで大学の中を進んで行くチョンマゲ。
グラウンドを越え、五階建ての校舎を越え、そして学生が集まる広場を越えて、階段を下りて行った。
それからグルリとキャンパスを沿うように、木立の茂る細い道を歩いて行った。
桜が空を彩り、散った花弁が道に華を添えている。
カメラを持った学生が何人かいて、桜に向けてシャッターを切っていた。
「もうすぐ写真部だ。あのボロい校舎の二階に入ってる。」
「辺鄙な場所にあるんだな。立派な大学なんだから、もっといい場所を使わせてもらえばいいのに。」
「ここは体育系の部活が優先なんだ。文化部は隅に追いやられてる。」
「どうして?ここは美大だろ?なんでスポーツが優先になる?」
「意外とスポーツが強いんだよ。あと何年かしたら、美大の看板を外して普通の大学になるかもって噂だ。」
「なんだよそりゃ・・・・。なら最初から体育系の大学にしとけよ。」
「スポーツが強くなったのは後からだ。特にバスケとボクシングがな。芸術の方はまったく評価されていない。学生も授業より部活の方を真面目にやってるって話さ。まあ文化部の方は遊んでるようなもんだけど。」
「それでいいのさ。文化にしろスポーツにしろ、肩の力を抜いて楽しくやるもんだ。」
俺はタカシの手を引き、「な?」と笑いかけた。
「絵は本気です。遊んでません。」
「・・・そうだったな。こりゃ失敬。」
写真を撮る学生たちを尻目に、ボロい建物へと向かう。
それは薄いグレーの雑居ビルのようで、所々にヒビが入っていた。
チョンマゲは建物の前まで来ると足を止め、じっと二階を見つめた。
「和佳子さんはきっとあの部屋にいる・・・・。バレないように侵入しないと。」
「じゃあ猫に戻るよ。タカシのことを頼んでいいか?」
「ああ、しっかりやってくれよ。お前だけが頼りなんだから。」
チョンマゲはまた腹をさすり、辛そうに顔を歪める。俺はタカシを預け、「ちょっと待っててくれ」と頭を撫でた。
「ん!」
「大丈夫だ、すぐ戻って来る。後でこのおじさんがパフェを奢ってくれるから、良い子にしてるんだ。」
タカシは素直に頷き、チョンマゲの手を握った。
《コイツが懐くなんて珍しいな。チョンマゲの奴、案外子供に好かれやすいのかもしれないな。》
俺はもう一度タカシの頭を撫で、変化の術を解いた。そして猫の姿に戻ると、近くの木に跳び上った。
「・・・・二階までなら行けそうだな。じゃあチョンマゲ、ちょっと行って来る。」
「おう、気をつけてな。」
「ん!」
二人に手を振られながら、俺は木を駆け上った。
そして細い枝の先を歩き、二階の角ばった出窓に飛び乗った。
「・・・・ここが写真部か?」
出窓の向こうには二人の学生がいて、机に置かれたパソコンを睨んでいた。
その横にはカメラが置いてあり、ケーブルでパソコンと繋がれていた。
「昨日撮った写真を見てるのか?」
首を伸ばし、パソコンの画面を覗いてみる。するとそこには見事な孔雀焼が写っていた。
「ほお、こりゃ上手く撮ってる。さすが美術写真家を目指すだけあるな。」
しばらくパソコンの画面に見入っていたが、今日は写真を見に来たのではないことを思い出す。
俺は「にゃお」と鳴き、ガラス窓を叩いた。
すると和佳子は「?」と振り向き、こちらへ歩いて来た。一緒にいた若い男も、その後ろをついて来る。
「猫・・・・?」
「にゃお。」
「よくこんな所まで上って来たね。危ないよ。」
そう言って窓を開け、俺を抱き上げた。
「可愛い猫。毛並みが綺麗だから野良じゃないね。」
「なお〜。」
「よく懐くねえ。やっぱり飼い猫?」
和佳子は「よしよし」と俺を撫で、慣れた手つきで喉を掻く。
俺はゴロゴロと鳴いてみせ、さらに甘えた。
「香川、猫なんかほっとけよ。早く写真を選ばないと。」
「いいよ、写真なんか。」
「なんで?これめっちゃ上手く撮れてるぞ。展示すりゃ受けるって。」
「どうせマニアしか見に来ないよ。」
「元々そういうもんだから仕方ないだろ。だいたい中に動物を入れるのは禁止だぞ。」
男はイラついたように言い、パソコンの方へと戻って行った。
「これ、赤い壺の方が絶対にいいって。深みもあるし、品がいい。こっちの孔雀模様は好みが分かれると思うぞ?」
「あ、そ。」
「ちゃんと選べよ。猫なんかほっとけって。」
「うるさいな。勝手に手伝ってるクセに文句言わないで。」
和佳子はそう言って椅子に腰かけ、膝の上に俺を乗せた。そして仰向けに寝かせて、緩やかに腹を撫でた。
「男の子ね。立派なもんが付いてる。」
「にゃお。」
「去勢してないってことは、やっぱり野良猫?」
もはや俺の虜となった和佳子は、写真をほったらかして撫でていた。
そしてパソコンからカメラを取り外し、レンズを向けてシャッターを切った。
「いいねえ、そのまま大人しく。」
大きなレンズが俺を捉え、湾曲して姿を反射させている。すると男は「もういいだろ」と立ち上がり、俺を抱き上げた。
「ちょっと!撮ってるんだから!」
「いつから動物カメラマンになったんだよ?そういうの嫌ってるだろ。」
「だからうるさいって。あんたこそいつから彼氏になったつもり。誰も頼んでないのに勝手に入って来て・・・・。早くバスケに戻りなよ。」
「この前試合が終わったから暇なんだよ。」
「私は暇じゃない。ていうか猫を返して。」
そう言って強引に俺を奪い取り、「ほらほら、もういいから帰って」と男を押した。
「ミスキャンパスの彼女が待ってるんでしょ。さっさと行ってあげなよ。」
「俺はああいう女は嫌いなんだ。」
「私はあんたみたいな強引な男が嫌いなの。知ってるでしょ?」
「小四の時の先生だろ?あの人いい人だったじゃん。まあお前の猫を死なせたのはアレだけど・・・・。」
「もういいから!早く出てけ!」
和佳子は男の尻を蹴り上げ、そのまま外に押しやった。そして「もう勝手に来ないでよ」と釘を差し、バタンとドアを閉めた。
「うざいわ・・・・まったく。何度もフッてるのに彼氏面するなよ。」
そう言いながらパソコンの前に座り、「はあ・・・」と息をついた。
「私も猫になりたい・・・・。」
「な〜お。」
「・・・・・もし野良だったら、君を飼ってあげたいんだけどねえ・・・。でも・・・・、」
和佳子は悲しそうに口を噤み、パソコンを睨んだ。
「聡史め・・・・陶芸のことなんか分からないクセに偉そうに・・・・。まあ私も分からないけど。」
不機嫌そうに言い、マウスをクリックして写真を送っていく。見事な孔雀模様の焼き物が映し出され、「綺麗だねえ」と笑った。
「陶芸のことは分からないけど、この孔雀模様はすごく素敵。本当に孔雀が羽ばたいてるみたいだもん。今まで色んなものを撮って来たけど、これが一番綺麗。ほら、見てみ。孔雀の羽みたいでしょ?」
そう言って画面を見せ、「動物・・・・撮りたいな・・・」と漏らした。
「私ね、本当は動物カメラマンになりたかったんだ。星野道夫さんとか、岩合光昭さんとか、あんな凄い動物写真家になることを夢見てた。でも・・・・・もうその夢は捨てちゃったんだ・・・・。」
悲しそうにそう言い、俺を見て微笑んだ。
「君って不思議な猫だね。どうしてこんなことを喋ってるんだろ?もしかして実は人間とか?」
「にゃお。」
「なんか人間臭い感じがするんだよね。もしかして化け猫だったりして。」
そう言って可笑しそうに俺を揺らし、再びパソコンに目をやった。
「私も昔に猫飼ってたんだよ。小さいカメラで毎日撮ってた。
でもね・・・・・ある日死んじゃったんだ。ううん、あれは私が殺したっていう方が正しいかもしれない・・・・。」
辛そうに言葉を吐き出し、グっと喉を詰まらせている。じんわりと目尻が濡れ始め、誤魔化すようにマウスを動かした。
「・・・・・・・・・・・・・。」
さっきまでペラペラ喋っていたクセに、急に何も言わなくなってしまう。
術を使うならこのタイミングだなと思い、見えない針を動かした。
《・・・動くけど・・・・扱いが難しい。ちゃんと刺さってくれよ。》
そう願って、ヘソの下を狙って針を飛ばす。なんとか上手く刺さってくれたようで、頭の中に声が流れ込んできた。
「・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・む?」
彼女の本音を知り、思わず声が漏れてしまう。するとその途端にギョッと驚かれ、訝しそうな目で睨まれた。
「・・・・今、む?って言ったよね?」
「にゃお。」
「いやいや、確かに言ったでしょ?もういっぺん言ってみて。」
そう言って目の前に俺を持ち上げ、熱い視線を送られた。
「私はオカルトなんて信じないけど、でも・・・・世の中には普通じゃ説明出来ないことがあるのも知ってる。だから・・・・君も普通じゃないんでしょ?」
「・・・・なお。」
「なんかわざとらしい・・・・。ねえ、もう一回なんか喋ってよ。」
・・・・緊急事態である。まさかこんな形で正体を見破られそうになるなんて・・・・。
彼女の心から漏れる声は、明らかに俺を疑っていた。絶対に普通の猫じゃないと、心の底から確信している。
《こりゃマズイ!早々に退散しないと・・・・・。》
もし正体がバレたら、新たな被害者が出てしまう。俺のせいで、これ以上不幸に巻き込まれる者を出したくなかった。
《疑惑は疑惑。俺が認めなければいいだけだ。ここで退散すれば問題ないが、しかし・・・・・、》
しかし、ここで逃げるわけにはいかなかった。俺は彼女の腕から飛び出し、パソコンに映る孔雀焼を叩いて見せた。
「何?それがどうかしたの?」
「にゃお。」
「君もそれが気に入ったの?」
「・・・・・・・・・・。」
「何その変な動き。誰のマネ?」
「・・・・・・・・・・。」
「分かんない。いったい何を伝えようとしてるの?」
和佳子は首を捻り、困った顔を見せている。俺は《ダメか・・・・》と項垂れ、がっくりと手を付いた。
その時に誤ってキーボードを押してしまい、パソコンの写真がコマ送りされた。
スライドショーのように次々と写真が入れ換わり、その中にアイツが写っていた。
「な!な!」
思わず言葉を喋りそうになるのを我慢し、端っこに写ったアイツを叩く。
和佳子は「この人は・・・」と目を向け、コマ送りを停止させた。
「これ・・・・荒川さんじゃない。あの下手クソな陶芸家の。」
和佳子が止めた写真は、孔雀庵の中を写したものだった。真ん中に大きな皿があり、その端っこでチョンマゲが見切れている。
「にゃお!」
「この人がどうしたの?」
「・・・・・・・・・・。」
「また変な動き・・・・。分かんないよ。」
「・・・・にゃお。」
「あ、どこ行くの!?」
俺は机から飛び降り、窓際にジャンプした。そしてサッと木に飛び移り、和佳子を振り返った。
「危ないよ!戻っておいで!」
和佳子は手を伸ばし、「ほら」と呼び寄せる。俺は一回だけ尻尾を振り、「なお」と鳴いてから木を下りた。
そしてチョンマゲの所まで戻ると、「早く逃げるぞ!」と走り出した。
「おい!俺の誤解は解けたのか!?」
チョンマゲはタカシを抱えながら追いかけて来る。
俺は「その必要はない」と答え、一目散に門に向かった。
「八兵衛!こっちから出られる!」
チョンマゲは細い道を左に曲がり、その先にある裏口まで駆けて行った。
そして駐輪所を通り抜け、大きな道路に出てから立ち止まった。
「なんなんだよ・・・・いきなり走り出して・・・・。何があったんだ?」
そう言いながらタカシを下ろし、ボロい建物を振り返った。
「お前・・・・もしかして正体がバレんじゃないだろうな?」
「まさか。でも危うかった。」
「おいおい・・・・頼むぜ。下手したら孤独の呪いがかかって死んじまうだろ。」
「もしそうなったらお前が傍にいてやればいい。俺とタカシみたいに。」
そう言ってタカシに目を向けると、「ん!」と駆け寄って来た。
「まあとにかく、和佳子の心は分かった。」
「おお、そうか!で・・・・俺のことをどんな風に思ってた?まだ誤解してたのか?」
「いいや、その逆だ。」
「逆?」
「彼女は誤解なんかしてない。それどころか、お前に謝りたがっていたぞ。」
「なんで?彼女は俺が猫を死なせたと思ってるんだぞ?」
チョンマゲは訝しげに顔をしかめる。
俺は「歩きながら話すよ」と答え、タカシの手に尻尾を巻いた。
「とりあえず喫茶店に行こう。タカシ、約束のパフェを奢ってもらおうな。」
「ん!」
俺はタカシの手を引いて歩いて行く。
チョンマゲは後ろをついて来ながら、「誰も奢るなんて言ってないぞ・・・」とぼやいていた。


            *


翌日、俺は夕方の集会に来ていた。
いつものように猫たちが集まり、その中で一匹だけ浮かない顔をした奴がいた。
「はああ・・・・緊張するなあ・・・。」
「大丈夫だ。この前言った通り、和佳子はお前を恨んじゃいない。彼女はただ・・・自分を責めていただけなんだ。」
「・・・・そうだな。俺は恨まれてもいなし、誤解もされてないんだよな?」
「そうだ。だから緊張する必要なんてないよ。彼女に会いに行こう。」
俺は集会所から歩き出し、「ほら」と尻尾を振った。
チョンマゲはコクリと頷き、まるで切腹でもしに行くかのように、悲壮な表情をしていた。
俺たちは途中で人間に化け、電車に乗ってタカシの街に向かう。
そして駅を出て、真っ直ぐに孔雀庵まで歩いた。
店の前まで来ると、チョンマゲは足を止めた。電柱の陰から首を伸ばし、「来てるかな・・・」と不安そうに呟く。
「八兵衛、ちょっと見て来てくれないか?」
「ここまで来てビビるな。行くぞ。」
チョンマゲの腕を掴み、店の前に立つ。そしてドアを開けて中に入ると、和佳子が写真を撮っていた。
「あ!」
チョンマゲを見て顔を上げる和佳子。カメラを持ったままこちらに歩き、「どうも」と微笑んだ。
「ええっと・・・・どうも・・・。」
固くなりながら頭を下げるチョンマゲ。そわそわと慌て始め、俺の後ろに隠れようとした。
「荒川さん。」
名前を呼ばれ、チョンマゲは「はい・・・」と前に出て来る。和佳子は彼の前に立ち、「昨日変な猫が来たんです」と言った。
「部室にいたら猫が迷い込んで来て、荒川さんの写真を見て何かを伝えようとしていました。」
「は、はあ・・・・。」
「いったい何を伝えたかったのか分からないけど、でも・・・・きっと大事なことなんだと思います。
だから今日ここへ来ました。荒川さんに会う為に。」
「・・・・そう・・・ですか・・・・。」
「これは私の勝手な想像ですけど、あの猫って化け猫なんじゃないかと思ってるんです。なんか人間みたいに『む?』とか言ってたし、とても猫とは思えない雰囲気を出してたし・・・・。その猫が、荒川さんのことで何かを伝えようとしてました。だから・・・・知り合いなんですか?あの猫?」
そう尋ねられて、チョンマゲは俺を振り返った。
「僕の猫なんです。そして彼とは友達で。」
前に出てそう答えると、和佳子はじっと俺を睨んだ。その目は獲物を狙う獣のように鋭く、そして深く澄んでいた。
《マズイな・・・・・。これ疑ってるぞ。》
人間というのは、稀に恐ろしいほど感覚の鋭い奴がいる。和佳子の目はそういった人間特有の、ある種の怖さを備えていた。
「・・・・・・猫っぽい。」
「は?」
「昨日の猫は、人間っぽい目をしていました。でも・・・・あなたは猫っぽい目をしてる。だからもしかして・・・・、」
そう言いかけた時、チョンマゲが「和佳子さん!」と叫んだ。
いきなり呼ばれた和佳子は、「はい?」と髪を揺らした。
「唐突ですが、阿川という教師を知っていますか?あなたの小学生の時の担任なんですが・・・・。」
遠慮がちにそう尋ねてから、「この店であなたを見た時から・・・・ずっと尋ねたかったことがある」と言った。
「ええ、知ってますよ。でもどうして荒川さんがあの人のことを?」
「・・・・知り合いなんです。その・・・・彼はずっとあなたのことを気にしていたんです。ほら、あなたが学校に猫を連れて来た時に、写真を撮ろうと言ったでしょう?」
「・・・・ええ。ちょうど図画工作の時間だったから、先生はそう言いました。カメラを持ってるから、今日は動物でも撮ってみようって。」
「あの時・・・・あなたの猫をモデルにしました。窓際に座らせ、生徒たちに交代で撮影させたんです。」
「覚えてますよ・・・・。窓際だと逆光になるから、反対側の窓に移そうとしたんです。」
和佳子は当時のことを思い出すように、伏し目がちに語った。そしてチョンマゲも同じように目を伏せていた。
しかしすぐに顔を上げ、真っ直ぐに和佳子を見つめた。
「猫を移動させる時、あなたが抱こうとした。でも何人かの男子が、ふざけて猫をからかったんです。
そうしたら猫はビックリして、あなたの手から飛び出して・・・・・、」
「はい・・・・。」
「男子は猫を追いかけ、女子はやめなよと言って止めようとしていました。クラスはちょっとした騒ぎになり、猫はますますパニックになった。そして廊下まで駆け出し、そのまま窓際に飛び乗った。」
「・・・・・・・・・・。」
「男子たちは女子を押しのけ、猫に手を伸ばそうとしました・・・・。このままでは猫は追い詰められ、外に落ちてしまうかもしれない。阿川はそう思ったから、咄嗟に猫を抱えようとしたんです。でも・・・・・、」
チョンマゲはそこで口を噤み、言葉を溜めた。和佳子は顔を上げ、じっと言葉の続きを待つ。
二人の間に静かな空気が流れる。まるでテレパシーのように、お互いの考えていることを理解しているような顔をしていた。
「阿川が手を伸ばしたその瞬間、猫は外へと落ちてしまいました。・・・・いや、あれは・・・自分で飛んだんです。逃げ場を失くしてパニックになり、窓の外へ飛び出してしまった。そしてそのまま落下して、硬い地面に叩きつけられてしまった・・・。窓は三階、しかも下は固いアスファルトです。あなたの猫は・・・・一瞬で絶命した・・・・。」
チョンマゲは辛そうに言い、また言葉を溜める。緊張がぶり返したのか、腹をさすっていた。
「あの瞬間・・・・和佳子さんは阿川に飛びかかった・・・。とても子供とは思えないような鬼の形相を見せて・・・。泣き、喚き、怒り、拳を握って殴りつけ、他の教師に止められても、まだ暴れていた。『ミントを殺した!コイツが私の猫を殺したああああああ!!死ね!お前なんか死ねええええ!!』そう言って・・・・・ずっと暴れていた・・・・。普段の大人しいあなたからは考えられないほどの、見事ともいうべき怒りっぷりだった。」
「・・・・・全部覚えてます・・・・。」
「あなたは亡くなった猫の元に駆け寄り、まるで自分まで死にそうに泣いていた。その日はお母さんが迎えに来られて、そのまま早退しましたね・・・・。そして私はこってりと絞られた。勝手に授業の内容を変更して、猫を撮影しようとしたこと。そもそも、どうして生徒がペットを持って来たことを咎めなかったのか?それどころかその猫を死なせてしまい、もし訴えられたらどうするつもりだと・・・・・。校長は顔を真っ赤にして怒り、教頭はあなたの家に電話を入れていました。
私は・・・・自分が情けなくて、その場から消えてしまいたかった・・・・・。
猫を助けられなかったこと、教え子を傷つけてしまったこと・・・・・。そしてあんなに悲しむあなたを見て、もう会わせる顔がないと思った・・・・。だからその日に教師を辞めたんです。周りからは『たかが猫くらいで』と止められたが、それは私には受け入れられない意見だった。なぜなら私も・・・・・、」
そう言いかけた時、俺は「待て」と止めた。
「荒川さん、冷静にならないと。その先を言ってしまったら彼女は・・・・、」
小声で耳打ちすると、チョンマゲは我に返って「ああ!」と叫んだ。
「それとな・・・・途中から一人称が変わってたぞ・・・・。阿川から私になってた。」
「・・・・・・・マジで?」
「マジだ。彼女を見てみろ。」
そう言って指を差すと、和佳子は泣きそうな顔で瞳を揺らしていた。そして目の前までやって来て、深く頭を下げた。
「・・・・・ごめんなさい!」
「え?や・・・あの・・・・・、」
「あの時・・・・私のいた位置からだと、先生がミントを突き落としたように見えたんです。だから頭に血が昇っちゃって・・・・本当にごめんなさい!」
「い、いや・・・・別に謝る必要は・・・・、」
「後から知ったんです・・・・先生が突き落としたんじゃないってこと・・・・。でもその時には、もう先生はいなくなっていたから・・・・。ミントが死んだのは私のせいです。勝手に学校に連れて来て・・・・私がそんなことをしなければ・・・・。」
和佳子は項垂れ、グイッと目尻を拭った。そしてゆっくりと顔を上げ、「ごめんなさい・・・」と呟いた。
「ずっと先生に謝りたいと思っていたんです・・・・。あれは私のせいなのに、先生に酷いことを言って・・・・。でも先生・・・・。私気づいてましたよ、あの後ちょくちょく私に会いに来ていたこと・・・・。」
そう言われて、チョンマゲはギョッとしていた。
「いや、私は一度も・・・・・、」
「猫・・・・。」
「へ?」
「頭にチョンマゲ模様のある猫がね・・・・よく庭に来ていたんです。それでじっと私のことを見ているんですよ。私はカメラを向けたけど・・・・でも撮れなかった・・・。ミントのことを思い出すと、もう動物を撮る気にはなれなかったから・・・・。」
「ああ、いや・・・・、」
「いいんです。これは私の勝手な妄想ですから。あなたは先生じゃない。だって私の知ってる先生は、福山雅治似のカッコいい人だから。」
「あ・・・・あの!和佳子さん!私は決して・・・・、」
「分かってます。あなたは荒川さん。阿川先生じゃない。ただ・・・・先生とそっくりの目をしてる。だから懺悔のつもりで謝っただけです。阿川先生に会ったら、私が謝っていたと伝えておいて下さい。」
和佳子はそう言ってカメラをしまい、「それじゃ」と頭を下げた。
そして店を出て行く途中、ふと俺の方を見た。
「よかったらまた部室に遊びに来て。」
「・・・・なんのことかな。」
「ふふふ、どうしても正体を認めるつもりはないのね。」
「意味が分からないな。」
「いいよ、これも私の妄想だから。」
そう言って俺の腕を叩き、ドアを開けて出て行く。しかしふと足を止め、バッグの中から何かを取り出した。
「これ、よかったら来て。」
「ん?孔雀の写真展?」
「そう。ここの焼き物の写真を展示するの。まあ合同展示だから私の写真だけじゃないけどね。他の人は本物の孔雀を撮ってる。」
「そうか。是非行かせてもらうよ、友達と一緒に。」
そう言って案内ハガキを振り、「な?」とチョンマゲに笑いかけた。
「・・・ああ、絶対に行くよ。」
和佳子はニコリと頷き、手を振って出て行った。
「ああ、ちょっと!」
「何?」
「あのさ、どうしてここの焼き物に拘るんだ?」
「ん?」
「動物を撮りたくないのは分かる。でもどうしてそんなに孔雀焼に拘るんだ?他にも美術品はあるだろうに。」
そう尋ねると、和佳子はカメラを構えて答えた。
「一つは美しいから。でももう一つは・・・・・やっぱり動物を撮りたいから。陶器の中に孔雀の羽を見せるなんて最高じゃない。」
「ああ、俺もそう思う。あの孔雀模様は実に美しい。」
「本物の動物を撮るには・・・・・まだ抵抗がある。でも器の中の動物なら大丈夫。それに本物の動物とは違った美しさがあるからね。」
そう言ってカメラを掲げ、軽快な足取りで去って行く。俺は彼女の背中を見送り、じっとハガキを見つめる猫又に「帰るか?」と言った。
チョンマゲは何も言わずに頷き、俺たちは家路についた。
そして次の日の夕方、チョンマゲは集会に顔を見せた。和佳子の写真展は来月だそうで、タカシと三人で行こうと誘われた。
俺は「もちろん行くよ」と答え、タカシの喜ぶ顔を想像した。
しかしその時、おかしなものが目に入った。それはハルとゴンベエが並んで歩く姿で、いつものようにイチャイチャとしているのだ。
「おいチョンマゲ。あれを見ろ。」
惚気るバカップルを見て、チョンマゲは「喧嘩してないな・・・」と首を捻った。
「心の不満はダダ漏れのはずなのに・・・・どうしてだ?」
そう言ってまた首を捻り、実に不思議そうな顔をしていた。
「・・・・和佳子の言葉を借りるなら、これはただの妄想だけど・・・・、」
そう前置きして、俺はバカップルを見つめながら答えた。
「心から漏れるのは、不満や愚痴だけじゃないってことだろう。愛とか友情とか、それに後悔とか謝罪の念とか、色んなものが相手に伝わるんだ。あの二匹は不満よりも愛情の方が勝っていた。それがお互いに伝わって、仲直りしたんじゃないかな?」
そう答えると、チョンマゲは「いい妄想だ」と笑った。
「和佳子の心からも、お前に対して謝罪の念が漏れていた。読心の術はリスクもあるけど、使いようによっては悪いものじゃない。人でも猫でも、心に描くのは嫌な想いばかりじゃないからな。」
そう言って笑うと、「それもいい妄想だ」と笑い返された。
俺より10倍も長く生きているチョンマゲは、こんなことなど百も承知だろう。
でも長く生きているからこそ、見失うものもあるのかもしれない。
チョンマゲは憑きものが落ちたようなスッキリした顔で、バカップルがイチャつくのを眺めていた。

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