猫又 八兵衛 第十七話 孤独よさようなら(前編)

  • 2015.01.02 Friday
  • 09:54
JUGEMテーマ:自作小説
七月の下旬、俺とタカシは遠く離れた山間の町に来ていた。
田んぼに水が張られ、その中をオタマジャクシが泳いでいる。
他にもカブエトビやホウネンエビが泳ぎ、タカシは興味津々に手を伸ばした。
「汚れるぞ。」
「ん。」
「おお、オタマジャクシを捕まえたか。何かに入れて持って帰るか?」
「んん。」
「戻してやるのか?」
「カエルになります。」
「よく知ってるな。」
「理科の先生が言っていました。図鑑にも載っていました。」
「そうだ。オタマジャクシはカエルになるんだ。そして大人になったら、また卵を産みにくる。」
タカシは田んぼの水で手を洗い、ズボンでゴシゴシと拭く。
するとコンビニから戻って来たムクゲが、「ああ、ダメダメ」と注意した。
「ほら、ハンカチ。ズボン汚れちゃうから。」
そういってハンカチで手を拭わせ、「はい」とお茶を差し出した。
「暑いからちゃんと水分を補給しないとね。」
「ジュースがいいです。」
「それはまた後で。」
ムクゲは子供の扱いに慣れていた。渋るタカシにあっさりとお茶を飲ませている。
そして俺の方にも「飲む?」と尋ねた。
「いや、今はいい。」
「喉乾くよ?」
「ずっと乾きっぱなしさ。この前のコンサート以来な。」
「どういう意味?」
「・・・・あの歌の後、お前の言う事情とやらを聞いてからだよ。食欲さえない。」
「だから言ったじゃない。聞かない方がいいって思うかもって。」
「でも聞かないわけにはいかなかった。」
「そうよ。だってこれはタカシ君と八兵衛に関することだもん。見て見ぬふりは出来ないわ。」
ムクゲは被っていた大きな帽子を取り、タカシに「えい!」と被せた。
「楽しい?」
「ん!」
「いいもんだよね、田舎って。まあ私たちの町も田舎だけどさ。ここはレベルが違うよね。」
そう言ってムクゲは周りを見渡す。
辺り一面田んぼだらけで、遠くに山々が並んでいる。
畦道はどこまでも続き、少し離れた所にはポツポツと民家が並んでいた。
「タカシ君はこういう場所好き?」
「都会がいいです。」
「そっかあ。都会って行ったことある?」
「ないです。行ってみたいです。」
「うんうん、じゃあ今度は大阪か東京へ遊びに行こう。今回はここで我慢ね。」
「問題ないです。」
タカシとムクゲは手を繋ぎ、草の茂った畦道を歩いて行く。
ここはタカシの街から遠く離れた場所にある田舎町。
車で三時間も掛かる場所で、四日前からここへ来ている。
今のタカシに帰る家はない。なぜなら、じいさんとばあさんがタカシを捨てたからだ。
あの二人はゆっくりと余生を送りたいらしく、自分の息子にタカシを引き取れと言った。
もうこれ以上面倒は見れない。元はと言えばアンタが離婚したのが悪いんだから、自分でどうにかしろと言って。
じいさんとばあさんがそんなことを言い出すのには理由があった。
それはタカシにかかった孤独の呪いのせいである。
じいさんもばあさんも、今まではそれなりにタカシを可愛がっていた。
世間で言われるような、目に入れても痛くないというような可愛がり方ではなかったが、それでも大切にしていたのだ。
それなのに突然態度が一変。タカシに対して何の愛情も見せなくなった。
引き取れと言われた息子・・・、すなわちタカシの父もそれを拒否した。
母の方は行方をくらましているので、連絡を取ることさえ出来ない。
呪いはタカシの周りから人間を遠ざけ、確実に孤独へ向かわせようとしている。
俺が傍にいる限りは、完全な孤独にはならない。しかし呪いを解かなければ、タカシはまともな生活を送れなくなる。
家族を失くし、住む家も失くし、学校へも行けなくなって、やがて生きる気力を失うだろう。
そうならない為にも、どうにかして孤独の呪いを解かなければいけない。
その為の強い味方が、今目の前にいる。そう・・・ムクゲだ。
彼女が戻って来た事情というのは、タカシの呪いを解く為である。
俺は二人の後ろを歩きながら、あのコンサートの夜のことを思い出していた。


            *


ムクゲの歌は素晴らしかった。
アンダー・ザ・ブリッジという曲に始まり、それから4曲も歌ってくれた。
客からアンコールの合唱が起き、最後になぜか『津軽海峡冬景色』を歌い上げた。
どの歌も素晴らしく、客たちは満足していた。
あの若い男はしきりに連絡先を聞こうとしていたが、キッパリと断られて撃沈。
歌には感動したものの、男としては落ち込んで帰って行った。
じいさんは感動したまま震えっぱなしで、「ありがとう!ありがとう!」の連発。
もはや誰に感謝しているのか分からない状態になり、最後にムクゲと握手をして泣いていた。
「今日は良い日、ほんと良い日。音楽好きでよかった・・・・・。」
ムクゲは「また歌う機会があったら聴きに来て下さいね」と言い、じいさんは「行く行く!」と頷き、タダでベルトをあげていた。
そして俺にも「これ・・・」とベルトを渡し、「大人用だからサイズは合うよ」と笑った。
「じいさん、良い夜になってよかったな。」
「ほんとに。ありがとう、ありがとう。」
そう言って手を合わせ、俺とムクゲに手を振って帰って行った。
マスターは「今日はお代はいいです」と気前よく言った。
「危うくライブの中止で皆さんに迷惑をかけるところでした。それがこんなにお客さんに満足してもらったんだから、こっちがギャラを払いたいくらいです。」
するとチョンマゲが「貰えるなら貰っとこうかな」と手を出し、ムクゲにピシャリと叩かれていた。
「素人の歌でお金なんか貰えないわよ。」
「でもくれるって言ってるんだぞ?」
「チョンマ・・・、荒川さんに言ったんじゃなくて、私に言ったのよ。」
ムクゲは「ギャラなんていいです。みんなの前で歌わせてくれただけで大満足」と笑い、俺たちと共に喫茶店を後にした。
店を出て行く途中、明らかに客が増えていた。
きっとムクゲの歌声を聴きつけて、ホールにいた他の客がやって来たのだろう。
音楽に興味はないが、音楽に人を惹きつける力があることは分かった。
それに何よりタカシが喜んでいて、ずっとムクゲの手を握りっぱなしだった。
《タカシが喜ぶならそれでいい。》
ホールを出た俺たちは、薄暗くなり始めた駐車場を歩いた。
以前に比べると随分陽が高くなっていて、もうじき夏なのだなと実感する。
「なあムクゲ。そろそろ聞かせてもらうぞ。お前が戻って来た事情とやらを。」
「もちろん。ここじゃなんだから、どっか他の場所で。」
ムクゲは歩き出し、道路を渡って「早く」と手招きした。
俺たちは彼女の後をついて行き、星と光の館の前までやって来た。
「ここの庭でいい?」
そう言って暗くなった庭を指さす。入口にはポールに鎖が掛かっていたが、「いいんじゃないか。」と答えた。
暗い庭に足を踏み入れると、ムクゲは「ドレスのままだった」と裾を掴んだ。そして変化の術を使い、普通の服に戻ってから自販機に向かった。
「どうした?」
「タカシ君にジュース。みんなも何か飲む?」
「いや、俺はいい。」
「チョンマゲは?」
「お汁粉ある?」
「ええっと・・・・ない。コーンポタージュならあるよ。」
「じゃあそれでいい。」
ムクゲは飲み物を買い、みんなに手渡してからベンチに座った。
タカシはさっそくジュースを飲み、いつものように「ぷはあ!」と唸る。
「タカシ君はこっち。」
そう言って膝にタカシを座らせ、「八兵衛も」と隣を叩いた。
俺は腰を下ろしながら、「さっそく事情とやらを聞かせてくれ」と尋ねた。
ムクゲは小さく頷き、タカシのつむじを見つめながら語った。
彼女の語る事情とやらは、聞き終えるまでに時間を要した。
それは慎重に言葉を選んだせいであり、タカシを不安にさせまいとする配慮だった。
また俺の方も何度か驚かされ、度々話を遮って質問を繰り返した。
話を聞き終える頃には、庭の時計が九時前を指していた。
タカシはウトウトとし始め、ムクゲに抱かれたまま眠ってしまった。
俺は暗い庭を見つめ、ムクゲの話を整理していた。
ムクゲの話は大きくまとめると三つになる。
一つ、このままではもうじきタカシが死ぬこと。
二つ、それを阻止する為に自分が戻ってきたこと。
三つ、タカシの死を防ぐ方法。
まず一つ目だが、これはタカシに孤独の呪いがかかっているからである。
タカシの呪いは日増しに強くなり、これから本格的に孤独に追いやられるだろうとのことだった。
引き取ってくれた祖父母からも見放され、学校ではひどいイジメに遭い、実の両親も彼を引き取ることを拒否する未来が待っている。
もちろん俺は傍にいてやるつもりだが、しかし俺だけでは限界がある。
タカシは人間の子供であり、この子が生きていく為には、やはり人間の協力が必要なのだ。
そして二つ目。ムクゲは完全な人間になる為にこの町を離れたのだが、ある者との出会いでこの町に戻って来ることに決めた。
それはモミアゲとヘチョコである。
この町を去ったあの二匹は、連れ立って新しい住処を探していたらしい。
そこでたまたまムクゲと出会い、この町を離れた理由を話した。それを聞いたムクゲは、ある疑惑を抱いた。
何十年も同じ町に住んでいた猫又が、たった半年の間に三匹も去ってしまった。
これは通常では考えにくい出来事で、何かしらの力が働いているのではないか?
その答えとして浮かんだのが、タカシにかかった孤独の呪いである。
ムクゲ曰く、孤独の呪いというのは伝播するらしい。
つまり孤独の呪いがかかったタカシの傍にいると、俺にまでその影響が出てしまうのだ。
そしてその影響のせいで、短い期間の間に三匹の猫又が去ってしまった。
このままではいずれ、ゴンベエとハル、それにチョンマゲまで去ってしまうという。
そして最終的には、俺とタカシまで離れ離れになってしまうそうだ。
そうなった時、タカシは死ぬ。だからそれを阻止する為に戻って来たという。
そして最後に三つめだが、これを聞いた時、俺はとてもではないが冷静ではいられなかった。
タカシの呪いを解くことは可能だが、その為には猫又の命が必要だというのだ。
孤独の呪いは、猫又の正体を知った人間がかかる。
それは死ぬまで続き、途中で解除することは出来ない。
だからどうやって呪いを解くかというと、タカシが一度死ぬしかないのだ。
そしてタカシが死んだその瞬間に、『蘇生の術』というのを使う。
これはその名の通り、死者を生き返らせる術である。
『蘇生の術』は猫又の術の中でも最上位の術であり、なおかつ使用するにはいくつかの条件がある。
まず一つ、死んでから一分以内に術を使うこと。二つ、二匹以上の猫又の力を必要とすること。
三つ、術は100年を超えた猫又だけが使えること。四つ、猫又の命を一つ必要とすること。
そして最後の五つ目、『蘇生の術』に関わった全ての猫又は、決して蘇生者に会ってはならないということ。
もし会ってしまうと、その途端に『蘇生の術』は解除され、蘇生者は死ぬ。
かなり厄介な条件だが、『蘇生の術』の効果を考えれば当たり前である。
死者を復活させるなど、自然界の掟に楯突くことであり、ましてやポンポン使えば世の中の道理が崩壊してしまう。
孤独の呪いは、かかった者が死んだ時点で解ける。ならばその瞬間を狙って、『蘇生の術』を施すしかないのだ。
これでは呪いを解いたとは言えないと思うのだが、ムクゲ曰く、死んだ後も続く呪いがあるので、これはこれで解除に成功ということらしい。
俺は暗い庭を睨んだまま、「これしか方法がないのか?」と尋ねた。
「そのやり方だと、タカシは一度死なないといけない。そんなのは危険すぎる。もし術が失敗したらどうするつもりだ?」
「危険は承知の上よ。でもこれしか方法がないの。」
「しかし・・・・、」
「このままだとタカシ君は確実に死ぬ。それを放っておくつもり?」
「・・・・・・いや。」
「なら蘇生の術を使うしかない。その為にチョンマゲと会ってたんだから。」
そう言ってニコリとウィンクを飛ばすと、チョンマゲは「まあね」と肩を竦めた。
「蘇生の術には二匹以上の猫又の力がいる。それでもって100歳を超えてないといけない。だったらその条件を満たすのは、僕とムクゲだけなんだ。」
「そういうこと。だからチョンマゲに相談してたのよ。蘇生の術を手伝ってくれないかって。」
二人は顔を見合わせ、また肩を竦める。
「話は分かったが、どうして俺を避けていた。そんなに大事な話なら、真っ先に俺に言うべきじゃないのか?」
「そうよね・・・・タカシ君に関することなんだから、本来なら八兵衛に最初に言うべきだった。
でも・・・・勇気が要ることだったのよ。アンタに話すまでに、私は決断をしなきゃいけなかったから。」
「決断?」
「ええ。さっきも言ったでしょ、蘇生の術には猫又の命が必要だって。だからね・・・・その・・・・・、」
「気を使わなくていい。ここまで来たならハッキリ言ってくれ。」
ムクゲが何を言おうとしているのか、俺には分かった。だから真っ直ぐに目を見つめ、その言葉を受け止めるつもりだった。
「・・・・あのさ、八兵衛。悪いんだけど、アンタの命をタカシ君にあげてくれない?」
「そう言うと思っていた。」
「ごめんね・・・・。本当なら私の命をあげたいんだけど、そうもいかない。術を使う者は命をあげることが出来ないから。」
「そりゃあそうだろう。死んだら術が使えない。」
「・・・・だから私とチョンマゲは無理。それにヘチョコとモミアゲはもういないし、残るのはカミカゼとアンタだけ。」
「なら俺で決まりじゃないか。タカシは俺のせいで呪いにかかったんだ。他の奴らを犠牲にするわけにはいかない。」
「そうだね・・・・。だからまあ・・・・その・・・・・、」
「いいさ。」
「いや、そんな即答しなくても・・・・、」
「迷う必要なんてない。元々俺のせいでかかった呪いだ。拒否することは許されない。」
「・・・・・いいの?死ぬのに・・・・。」
「いい。これは呪いをかけた責任だけじゃなくて、俺の願望でもある。
タカシには生きていてもらいたい。ずっと一緒に過ごすうちに、その子の幸せを願うようになってしまったから。」
俺は眠ったタカシの顔を見つめ、そっと指でつついた。
柔らかな肌がへこみ、すぐに元に戻る。何度も指でつつきながら、「生かしてやるからな」と呟いた。
「お前は死なせない。俺の命一つで助かるなら安いもんさ。」
何も知らないタカシはスヤスヤと眠っている。
俺はムクゲの腕からこの子を抱き上げ、「今日は帰ろう」と言った。
暗い庭を抜け、入口のポールを越えて外に出る。
ムクゲとチョンマゲは何も言わずについて来て、気まずそうに俺を見つめていた。
「そんな目で見るな。」
「じゃあどんな目をしたらいいの?・・・・仲間が死ぬのに・・・・。」
「タカシの為だ、仕方ない。」
「けど・・・・、」
「その為に戻って来たんだろう?」
「・・・そうね。」
「これからのことはじっくり考えよう。タカシはもう疲れてる。また明日集会所で。」
俺は真っ直ぐにタカシの家まで向かった。後ろを振り向くと二人はいなくなっていて、嫌な余韻だけが胸に残される。
「・・・・・・・・・・。」
しばらく佇み、また歩き出す。タカシを抱いたまま、湿った空気の中を帰って行った。


            *


あの日のことを思い出しながら歩いていると、山間にある国民宿舎に着いた。
こんな田舎でもパラパラと客がいて、宿舎に続く道から降りて来る。
子供が浮き輪を抱えて楽しそうに走り、その後ろを親がついて行く。
タカシは「ん!ん!」と浮き輪を指し、遠くに見える海を仰いだ。
「んん!」
「海は明日行こうね。今日は宿でゆっくりしてよう。」
「釣りがしたいです。」
「釣りかあ・・・・道具がないと無理だからなあ。」
「あります。」
「どこに?」
「隣の部屋の人が持っています。」
「それは人のやつだから。」
「釣りがしたいです。」
タカシはどうしても釣りがしたいようで、竿を持つマネをしている。
それを見た俺は、少しばかりホッとしていた。
《少しだけ明るくなったな。じいさんとばあさんに嫌われた時は、かなり傷ついていたから・・・・。》
まったくタカシに愛情を見せなくなったじいさんとばあさんは、「俺が預かります」と言うとあっさりと頷いた。
もうあの家には戻れない。それどころか、このままでは居場所そのものが無くなる。
タカシは子供ながらにそれを感じ取り、ここへ来た初日は深く沈んでいた。
しかし今日みたいにのんびりと過ごすことで、少しだけ元気が出てきたようだ。
何よりムクゲが傍にいてくれるおかげで、ずいぶんと心の支えになっている。
「なあタカシ。海の近くに釣具屋があったはずだ。レンタル出来ないか聞いてみるか?」
「?」
「借りるってことだよ。一緒に釣りをしよう。」
そう言って竿を振るマネをすると、「んん!」と喜んだ。
部屋に戻ると、すぐに下のレストランで昼食を取った。
その後は売店で菓子を買い、しばらく散歩をしてからまた部屋に戻った。
タカシはアニメの再放送に夢中になり、釣りに行くことなど忘れている。
時折「ん!」と声を出し、座った足を揺らしている。
そんな姿を見つめていると、ムクゲが口を開いた。
「これからどんどん孤独の呪いが強くなる。早く手を打たないと私たちまで・・・・・、」
「分かってる。でももう少し待ってくれ。俺が死ぬのはいいが、タカシが死ぬのは・・・・。」
「それは私も同じだよ。いくら苦しまないとはいえ、猫又の術を使って・・・・・、」
ムクゲは口を噤む。その先にあることを言葉にしたくないようで、お茶を飲んで流し込んでいた。
「チョンマゲなら使えるんだろ?その・・・・『永眠の術』ってやつを。」
「うん。あれは200年以上生きた猫又が使える術だからね。眠っている人間にかければ、そのまま二度と目を覚まさなくなる。これなら苦しまないで・・・・、」
「死ねるというわけだ。」
「・・・・はっきり言わないでよ。」
ムクゲは不機嫌そうにお茶をすすり、タカシの横に座った。
「何見てるの?・・・・ああ、ドラゴンボール?面白いよね、これ。かめかめ破って!」
「かめはめ破です。」
即座に訂正されたムクゲは、肩を竦めて笑っていた。
《あの日から今日に至るまで、散々話し合ってきた。ムクゲもチョンマゲも協力は惜しまないと言っているけど、しかし・・・・。》
孤独の呪いを解く為には、タカシは一度死ぬ必要がある。猫又の術で、眠ったままその命を絶つ必要がある。
それは俺にとって許しがたいことであり、胸に重い楔を打ち込まれるような気分だった。
しかし呪いのせいで死ぬのを待つわけにはいかない。
なぜならその時、タカシの周りには誰もいなくなっているのだから・・・・。
《ムクゲの言うとおり、もうこの方法しかないのは分かる。永眠の術とやらを使えば、眠るように死ねるわけだから、苦しまないですむのも分かる。しかしそれでも・・・・踏ん切りがつかない。タカシが死ぬ姿を見るなんて。》
方っておけばタカシは死ぬ。そのことは分かっているが、決断を下すまでには覚悟がいる。
俺は「タカシ!」と言って立ち上がり、釣りのマネをした。
「行くか?」
そう尋ねると、壁の時計を見て「あと10分です」と答えた。
「じゃあそのアニメが終わってからにしよう。」
俺はタカシの隣に腰を下ろし、悟空がかめはめ破を溜める瞬間まで一緒に見ていた。
「さあ、今日はもうお終いだ。こうやって溜めだしたら、きっと来週になるまでは撃たない。」
「明日撃ちます。」
「そうか、再放送だもんな。」
「最後まで見ます。」
「分かった。じゃあその後釣りに行こう。」
「問題ないです。」
タカシはエンディングまでしっかりと目に焼き付け、CMに変わったところで立ち上がった。
「ん!」
「ああ、デカいのを釣ろう。」
「サメがいいです。」
「それは無理だ。食われちまう。」
「マンタはいますか?」
「それも無理だと思う。まあぼちぼち釣ればいいさ。」
俺はタカシの背中を押して部屋を出る。
「ムクゲも行くか?」
「いや、私はいい。二人で行っといで。」
「分かった。じゃあ夕方くらいには戻って来るよ。」
ムクゲを残し、部屋を出てから階段を下りる。
そして受付で釣り道具のレンタルをやっている店を尋ねると、海辺の近くにたくさんあるとのことだった。
「じゃあ海まで歩いて行くか。ちょっとかかるけど。」
「んん。」
「車は無理だ。ムクゲじゃないと運転出来ない。」
「・・・・・・・・。」
「しょんぼりするな。明日海に行く時に乗れるさ。」
宿舎から伸びる緩やかな道を下り、海の見える道路に出る。
そこから湾曲した道路をぐるりと回り、長い階段の前までやって来た。
階段はとても急で、子供の足にはちょっと危ない。
「転ぶなよ。」
しっかりと手を繋ぎ、青い葉に彩られた木々に見下ろされながら、ゆくりと階段を下りた。
そして海へと続く大きな道路を歩くこと数分、いくつかの釣具屋が見えて来た。
そのうちの一つの店に入り、釣り道具を一式借りる。
そして海岸沿いを歩き、長く伸びた堤防の先までやって来た。
「ちょっと荒れてるな。日本海は瀬戸内と違って、海の表情が変わりやすい。」
詩的な表現をしてみるが、案の定タカシは聞いちゃいない。
箱に入ったイソメを睨み、恐る恐る手を伸ばしていた。
「咬むから気をつけろよ。」
俺は竿を伸ばし、糸を通して針を付ける。
この竿では大物は狙えない。小魚用の小さな針をつけ、ついでに重りをつける。
「ほらタカシ、このまま下に落とすんだ。」
用意した竿を握らせ、リールの扱いを教えてやる。
「ここのレバーを立てると、糸が固定される。それまではずっと糸を垂らして、底についたら固定するんだ。」
タカシは悪戦苦闘しながらリールをいじり、なんとか糸を垂らしていく。
俺は自分の竿を用意し、同じように糸を垂らした。
「釣りってのは、同じ場所でじっとしてても意味がないんだ。五分経っても釣れなかったら、場所を移動してみろ。」
「・・・・・・・・。」
「また聞いちゃいないな。」
タカシは真剣に竿を握りしめ、じっと海面を睨んでいる。
俺は海の方を眺めながら、「なあタカシ」と尋ねた。
「お前には呪いがかかってるんだ。孤独の呪いという、恐ろしい呪いだ。」
「・・・・・・・・。」
「そんな呪いにかかってしまったのは、俺のせいだ。あの日、夜中の公園でお前に正体を見せてしまった。そのせいで呪いがかかり、お前は・・・・死んでしまうかもしれない。」
「ん。」
「まだ釣れてない。魚が食いついたらピクピク動くはずだ。」
「・・・・・・・・・。」
「釣れなかったら場所を変えろよ。」
タカシは真剣に海を睨む。その目には、いったいどれほど大きな魚が映っているのか?キラキラと輝くその瞳が、大物がかかることを期待していた。
「俺はお前を助けたい。それはお前に呪いをかけてしまった責任があるからで、このまま死なせるわけにはいかないんだ。
でも・・・・それだけじゃない。俺はお前に生きていてほしいんだ。血の繋がりもないし、種族さえ違う。でも心の底からそう思うんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「もう場所を変えろ。それと餌もな。」
俺は立ち上がり、タカシの針にイソメをつけてやる。そして少し場所を移動した。
「テトラポットの隙間なんか狙い目だぞ。でも針が引っかかりやすいから気をつけろ。」
「・・・・・・・・。」
「そうそう。上手く間を狙って落とすんだ。」
タカシはそっと針を落とし込み、また真剣に待つ。
「お前と長く一緒にいたせいで、妙な親心が芽生えてしまった。でもそれはきっと、俺の過去に原因がある。俺はお前と一緒で、あの町に来るまでは一人だった。まだ猫又になる前、クソみたいな人間に飼われていた。そいつは平気で差別をする奴で、他の猫は可愛がるクセに、なぜか俺だけ嫌っていた。あの家の人間は、どいつもクズだったよ。大人もガキも、吐き気がするほど嫌いだった。もちろん他の猫とも反りが合わない。本当に・・・・嫌な家だったよ。」
「・・・・・・・・・。」
「俺とお前は似ている。ちゃんと住む家がありながら、家族と呼べるものがありながら、どこにも居場所がない。帰る場所はあるのに、そこに自分の居場所がないんだ。こういうのを孤独という。俺もお前も、ずっと孤独の中で生きてきた。」
相変わらずタカシは聞いていない。しかし耳には届いているようで、時折表情を変えていた。
「俺がお前と一緒にいるのは、同情なのかもしれない。生きてほしいと願うのも、同情かもしれない。同情ってのは、本当はすごく嫌味なことなんだ。上から相手を見下し、傷を舐め合っているだけだ。いや、違うな・・・・・一方的に傷を舐めさせているだけかもしれない。」
「・・・・・・・・。」
「俺はお前といることで、なんだか生きていることが楽しくなった。猫又なんてのは、なんともふざけた生き物さ。本来の寿命を無視して、妙な力まで得て生きている。だから俺は・・・・いつ死んでも構わないと思っていた。俺の生は、猫の時代で終わってる。猫又になったその瞬間から、ずっと時間が止まってるんだ。あの柿の木のばあさんみたいに・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「でもお前と出会って変わった。俺はお前が喜ぶ顔を見たくて、毎日会いに行った。でもそれは、お前に俺の傷を舐めさせていただけなのかもしれない。なぜなら・・・俺はお前に孤独の呪いを与え、お前は俺に生きる喜びを与えてくれたからだ。お前だけが重い荷物を背負い、俺だけがその荷物の上で昼寝をしていた。だから・・・・ここらで恩返しをさせてくれ。」
そう言ってタカシを見つめると、クイクイと竿が動いていた。
「何か掛かったみたいだな。ゆっくりリールを巻いてみろ。」
「・・・・・・ん!」
「そう急ぐな。ゆっくりでいい。」
タカシはリールを巻き、垂れた糸の先を睨む。しばらくすると、海面に小さな魚の影が浮かんだ。
「・・・・小鯵だな。南蛮漬けにすると美味いぞ。」
「んん!」
「ああ、よく釣ったな。まだまだ釣れるさ。ほら、自分で餌を付けてみろ。」
俺はイソメを渡し、「咬まれないようにな」と注意した。
タカシはビクビクしながらイソメに触り、案の定咬まれていた。
「んん!」
「けっこう痛いだろ?でもそうやって失敗して覚えるんだよ。」
俺は落ちたイソメを拾い、「頭の後ろを持つんだ」と教えた。
「ここに黒い牙があるだろ?これで咬むんだよ。そしてこの部分に針を通す。そうすれば抜けない。」
「・・・・・・・・・・・。」
「そうそう、そうやって針を食い込ませる。」
タカシは慣れないながらも、なんとかイソメを付ける。再びテトラポットに向かい、そっと針を垂らした。
「なあタカシ・・・・。俺がいなくなったら寂しいか?」
ぽつりとそう尋ねる。こんなことを聞こうと思っていたんじゃないのに、気がつけば漏らしていた。
「・・・・・・・・・。」
「聞いてないか?」
「・・・・・・・・・。」
「いや、それでいい。お前は人間だから、たかが猫一匹いなくなったくらいで、悲しむ必要はないさ。
いつかきっと、お前と同じ人間が、お前のことを大切に想ってくれるようになる。そういう人に出会えるさ。」
「れんあいします。」
「ん?」
「八兵衛とれんあいします。ずっと一緒にいます。」
「・・・・・・・・・。」
「八兵衛とれんあいします。」
「・・・・・れんあいは出来ない。でも・・・・そう言ってくれて嬉しいよ。」
タカシに手を伸ばし、頭をクシャクシャと撫でる。
タカシは「れんあいします」と繰り返し、じっと海面を睨んでいた。
「もう少ししたら帰ろうか?」
「れんあいします。」
「ああ、俺はどこにも行かない。でも・・・少しだけ離れることになるかもしれない。」
「れんあいします。」
「お前が大きくなった時、『ああ、そういえばあんな変わった猫もいたなあ』って思い出してくれればそれでいいさ。」
「れんあいします。」
「心配しなくても、お前は一人にはならない。俺がさせない。」
「れんあいします。」
「本当に恋愛したい相手が、いつかきっと見つかる。だから生きていてほしい。じいさんになるまで、生きていてほしいんだ・・・。」
タカシの肩を抱き寄せ、その小さな背中を撫でる。
これから良くない事が起きることを、この子も感じているようだった。
その証拠に、さっきからずっと震えている。子供の感覚は鋭い。いくら言葉で誤魔化したところで、これから起こることを感じ取っているのだろう。
「明日はムクゲと三人で海に行こうな?」
「八兵衛とれんあいします。」
「ムクゲは?」
「ムクゲもれんあいします。」
「それを聞いたらきっと喜ぶ。さあ、釣りを再開しよう。」
俺は重りを変え、浮きを付けて遠くまで飛ばした。
それをタカシの手に持たせ、投げ釣りの仕方を教えてやる。
今日釣れたのは小鯵が一匹だけ。かぎりなく坊主に近いが、最後の最後でキスが上がった。
小魚が二匹入ったボックスを睨み、タカシは何とも言えない顔をしていた。
サメもマンタも釣れず、その落胆はいかばかりか?
本日の成果を肩にぶら下げ、二人で手を繋いで海を後にした。

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