孤独の先にある、孤独ではない世界

  • 2015.03.12 Thursday
  • 13:26
JUGEMテーマ:芸術
素晴らしい絵は音が聴こえてくるし、素晴らしい音楽は絵が見えてきます。
視覚と聴覚、うったえる形は違っても、深く掘り下げれば、根っこは同じなのかもしれません。
そもそも表現するってことは、自分を見てもらう、聴いてもらうってことです。
それは誰にでしょうか?家族や友人か?・・・・いや、きっとそうではないでしょう。
会ったこともない、遠い世界の人に向けて、発信している場合がほとんどだと思います。
身近な人じゃなく、一生会わないような人に向けてこそ、表現の意味はあると思います。
距離や時間、それに世代を超えて、絵や音楽、それに文学は伝わります。色んな表現物は、時空を超える力を持っているということです。
だから顔も見たことのないような人が、その人の作品に触れた時、これこそ表現の本当の意味なんじゃないでしょうか?
知らない人に見てもらう、聴いてもらう。
普通に生きていたらまず繋がることのない人が、作品を通してその人の言いたいことなり世界観なりを知る。
だから優れた芸術は、何千年と経っても残るんです。
だけど作品を創る人っていうのは、意外と外の世界のことは意識していないものです。
どちらかというと孤独を好み、孤独が好きだからという理由で創作に取り掛かる人もいるかもしれません。
だけど孤独が好きであるにもかかわらず、その孤独に押しつぶされそうなほど、一人きりになってしまうこともあります。
自分の内に広がる世界を求めようとすると、どうしても外の世界との遮断が必要になる時があります。
今現在活躍している、ミュージシャンや多くの作家。
そういう人達でも、過去のインタビューを読んでいると、押し潰されそうなほどの孤独を経験したことがあるそうです。
お金がない、住む場所がない、仕事がない、頼れる人もいない、無い無い無いの無い無いだらけで、自分以外がそこにいないという現状です。
これ・・・・下手をすれば、首を括ってしまいますよ。
孤独を苦に命を絶ってしまう人もいるだろうから、創作の世界へと足を踏み入れるのは、ある意味死と隣り合わせなのかもしれません。
だけどそういう孤独を生き抜いた表現者たちは、その孤独に勝る何かを持っていたんだと思います。
それは夢とか情熱とか、それに希望とか、そういうものじゃなくて、ある種の使命感がそこにあるんだと思います。
「自分はこれをやるまでは死ねない」
「例え道が開けなくても、この作品を完成させるまでは、死ぬことはできない」
自分が始めた、自分の世界の探求。それを死という形で終わらせるのは、なんとも我慢しがたいことです。
だからせめて、今やっている作品を仕上げるまでは・・・・・そういう風な使命感や義務感が、孤独の中で命を支えているんでしょう。
一から十まで表現の世界に飛び込むのは、冗談抜きで死を覚悟しないと出来ません。
だって食えないし、エアコン無いから夏は暑いし、暖房も無いから冬は寒いし、あってっも金が掛かるから使えないし。
そんな生活が十年、二十年続くことを想像してみると、「自分はいったい何をやってるんだ!?」と、恐怖に押し潰されますよ。
でも気がつけば、また何かを創り始めてる。
病気なのか?それとも悪霊に取り憑かれたのか?
どっぷりハマるとそういう具合になってしまうんです。
そこまでやって出来上がった作品だからこそ、時空を超えて誰かに伝わる力があるんです。
名前も顔も知らない、そして会うこともないだろうという人と繋がることのできる、表現という究極のコミュニケーション。
それは一歩間違えば首を括りかねない、コミュニケーションとは程遠い孤独の中からやって来ます。
孤独を突き抜けた先には、作品を通して孤独ではなくなる世界が待っているのかもしれません。

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