ヒミズの恋 第八話 冷めても夫婦(2)

  • 2015.03.30 Monday
  • 13:18
JUGEMテーマ:自作小説
駅に着く頃には、少しだけ肩が濡れていた。
滲んだ水滴をハンカチで払い、一緒に切符を買ってホームまで歩いた。
「それじゃ・・・私は向こうの電車なんで。」
堀田さんは足を止め、私とは別のホームを指して頭を下げた。
「うん、気をつけて帰ってね。ああ、それと・・・あの店長のことは早く忘れないとダメよ。」
「はい。ああ、でも・・・同じ職場だから毎回顔を合わせるんですよね・・・。ちゃんと忘れられるかな?」
「大丈夫だって。他に好きな人が出来たら忘れられるわよ。もしどうしても辛かったら、あんなとこ辞めちゃえばいいのよ。まだ若いんだから、バイトくらいいくらでも見つかるでしょ?」
「そう・・・ですかね?」
「そうよ。可愛い顔してるんだから、どこかの受付嬢とか。それにコンビニとかだったら、よっぽどのことがない限り落とされないでしょ。」
「・・・・はい。どうしても辛かったらそうします。」
そう言ってまた頭を下げ、短い黒髪を揺らしてホームの階段を上って行った。途中で振り返ってニコリと会釈をしてきたので、小さく手を振って見送った。
「ほんとに良い子ね・・・。若い頃なら敬遠してたタイプだけど、子持ちのアラサーになるとああいう子の方がホッとするわ。」
私も自分の乗る電車のホームに向かい、ベンチに座ってぼんやり宙を眺めた。しばらくそのまま座っていると、スマホがブルブルと震えてバッグを振動させた。
誰かと思って画面を睨むと、さっき別れたばかりの堀田さんからだった。
《今日はありがとうございました。次は相談とかじゃなくて、一緒にどこかへお茶しに行きましょう。》
さっそく挨拶のメールを返すあたりが、律儀な堀田さんらしい。語尾には可愛らしい絵文字が付いていて、そこに女の子らしさを感じて小さく笑った。
「もっとこういう部分を表に出せばいいのに。後は自信さえ持てば、いくらでも男なんて出来るんだから。」
私も簡単な返事を送り、《またお茶しようね》と絵文字付きで送った。すると送信を終えたスマホが、またブルブルと震え始めた。
誰かと思って画面を睨みつけると、それは旦那からの着信だった。
「なんであいつから・・・・?」
今は仕事中のはずで、よほどの事がない限りは電話なんて掛けてこないはずだ。しかも喧嘩の真っただ中なので、やはり電話を掛けてくるなんてあり得ない。
これはかなりヤバイことがあったに違いないと思って、深呼吸をしてから電話に出た。
「もしもし・・・?」
いつもより低い声で呼びかけると、返事はなかった。
「もしもし?どうしたの?」
なんだか心配になってきて、思わず声が上ずってしまう。
この前雄介にあんなことがあったばかりだから、嫌な考えが浮かんでしまう。
もしまた子供たちに何かあったらと思うと、心臓が破裂しそうなほど動機が早くなった。
「ねえ?何かあったの?もしかして・・・また子供に何かあった?」
強く電話を握りしめて尋ねると、突然後ろから肩を叩かれた。
驚きのあまり、ヒュっと短い息を漏らして飛び上がりそうになる。そして恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはケータイを耳に当てた旦那がいた。
「・・・・は?なんで?」
驚く私を見つめて、旦那はケータイをしまって照れくさそうに笑った。
《なに・・・?どういうこと・・・?》
まったく状況が飲み込めずにいると、旦那は私の隣に腰を下ろした。
「ちょっと外回りがあったから、サボりついでに喫茶店に入ってた。そしたらお前を見つけてさ。」
そう言って前を向いたまま話しかけ、向かいのホームに停まる電車を見つめていた。
安物のスーツは少しだけ皺が出来ていて、口元の辺りからツンとタバコの臭いがした。
それを見た私は、旦那と同じように向かいの電車を見つめて自分の手を握った。
《そういえば・・・喧嘩してからアイロンすら当ててなかったな・・・。もしかして、ずっと皺の付いたスーツで仕事してたの?》
安物のスーツに刻まれた皺が、妙に生々しく見えて目を逸らした。
アイロンくらい自分で掛ければいいものを、どうして何もせずに出勤するんだろう?
いつもなら馬鹿にしたように文句を言うけど、今日はそんな気分にはなれなかった。
前を見つめている旦那の顔は、どこか寂しく、そして疲れているように見えたからだ。
《この人も・・・一応は身体張って働いてんのよね・・・。それってやっぱり・・・家族の為・・・・?》
不意に浮かんだ言葉のせいで、やたらと感傷的になってしまう。この旦那と結婚して九年、まだたった一回しか昇進してなくて、お世辞にも仕事が出来るとは言えない。
それでも頑張って働いているのは・・・やっぱり家族の為なんだろうな・・・。
そう思うと、なぜかに急に泣きたい気分になってきた。
《家族の為に尽くしてたのは・・・私だけじゃない・・・。私は・・・いつからこの人のことを無能呼ばわりするようになったんだろう・・・。》
結婚当初は、周りから冷やかされるくらいに仲の良い夫婦だった。それがいつの間にかお互いの間に溝ができ、喧嘩の絶えない殺伐とした仲になってしまった。
ほんのちょっとした言葉遣いで、ほんのちょっとした感情の昂りのせいで、そして・・・ほんのちょっとしたわがままのせいで・・・。
そんなちょっとしたことばかりが降り積もり、私たちは喧嘩の絶えない夫婦になってしまった。
別にどっちが悪いとかじゃないし、何かこれといった大きな原因があるわけでもない。
それなのに・・・どうしてこここまで、お互いを憎むようになったんだろう?
胸に溢れた泣きたい気持ちは、堰を切ったように目元までせり上がってくる。しかし絶対に涙を見られるのは嫌なので、横を向いてハンカチを当てた。
「・・・ごめん。」
旦那は唐突に謝った。前を向いたまま、申し訳なさそうに唇を噛んで・・・・。
「ちょっとだけ嘘をついた。」
「え?何が・・・・?」
何のことか分からずに尋ね返すと、旦那はやっと私の方を見て口を開いた。
「・・・仕事で外回りをしていたのは本当だ。でも・・・喫茶店に入ったのはサボる為じゃない。お前の姿が・・・窓の外から見えたから・・・・。」
「え?・・・じゃあ・・・私を見つけたから店に入ったってこと?」
そう尋ねると、旦那は小さく笑って頷いた。
「ずっと声を掛けようと思ってたんだけど、誰かと喋ってたからさ。だから・・・気がついたら、お前を追ってここまで来てた。」
そう言ってまた顔を逸らし、動き出した向かいの電車を睨んだ。その横顔には、スーツと同じように皺が刻まれていた。
出会った頃は私より綺麗な肌をしていたのに、今じゃおじさんへまっしぐらの荒れた肌をしている。
それもこれも、全ては九年という時間が刻んだものだ。もちろん、私だって出会った頃よりは老けている。お互いに歳を取り、それでも世間ではまだ若いと言われる年齢だけど・・・。
だけど、二人で過ごした九年という時間は、確実にお互いに刻まれているのだ。
その間に長男が生まれ、次男が生まれ、慌ただしいながらも楽しい時間を過ごしてきた。
《ダメだ・・・。感傷的な気分が止まらない・・・。なんで・・・・・。》
目元に込み上げてくる熱いものは、とうとう旦那に見られてしまった。
向こうは一瞬ギョッとしてたけど、すぐに表情を崩してハンカチを差し出してきた。
「これ・・・アイロンも掛けてないし、三日間使い続けたやつだけど。」
「いらないわよ、馬鹿・・・。余計汚くなる・・・。」
旦那のハンカチから目を逸らし、また横を向いて目尻を拭った。するとまた目の前にハンカチを差し出されて、タバコの臭いが鼻をついた。
「じゃあ洗ってくれよ、これ。」
「はあ?」
赤い目で睨むと、くちゃくちゃになったハンカチを握りながら、皺のついたスーツを指差した。
「これも・・・アイロンを掛けてほしい。」
「・・・いきなり何言ってんの?馬鹿じゃないの、喧嘩中に・・・。」
唐突な言われ方に少しだけ腹が立ってくる。そのおかげで目尻の熱いものはなりを潜めてくれたけど、まだ胸の中は感傷的なままだった。
旦那はスーツの下のシャツを触り、「これもクシャクシャだよ」と笑った。
「あのさ・・・・もう喧嘩はやめないか?」
「なによ急に・・・。そっちが原因を作ったんでしょ?なんで私に文句言うのよ?」
違う!こんなことは言いたくないのに、いつものクセで辛辣な言葉が飛び出してくる。
いったいどんな反撃が来るのだろうと身構えていると、旦那はクチャクチャのハンカチを見つめて呟いた。
「・・・・俺さ、大して仕事も出来ないし、特に気遣いが出来る男でもないよ。それは自分でよく分かってる。でも・・・それでも、今持っている大切なものを失いたくないんだ。その大切なものを守る為なら、上司の靴でも舐めるし、机にかじりついてでも仕事を続けてやる。それに・・・出来る限りは、家族の為に時間を使いたいんだ。だから・・・・この前はついカッとなって余計なことを言っちゃったな・・・。別に家族で遊びに来ても、ケータイで誰かと話したっていいのに・・・・それが我慢できなくてつい文句を言ってしまった、ごめん・・・。」
旦那は私の方を向き、サッと頭を下げた。その時、またスーツの皺が目に飛び込んできて、グッと涙を堪える羽目になった。
「俺は・・・今でもお前のことが好きだよ。子供が生まれたからって、別にお前のことを女として見てないわけじゃない。昔に出会った頃のように、今でもちゃんと・・・お前のことを愛してる。それが上手く伝えられなくて、お前が怒ってるのなら・・・それは俺が悪い。だから・・・何も出来ない男だけど・・・これからもずっと傍にいてほしいんだ。お前と子供たちと・・・ずっと一緒に。」
私は・・・・とんでもない不意打ちを食らった気分だった。見えない所から頭を殴られたみたいに、耐えようのないショックを受けていた。
だって・・・こんな場所で、こんないきなり、こんなことを言われると思わなかったから・・・。
普段は絶対にこういうことを言う人じゃないだけに、余計に胸に突き刺さる。
もう目尻に溢れる熱いものは、とてもじゃないけど我慢出来なかった。周りに人がいるのもはばからず、顔を覆って泣いてしまった・・・。
旦那はそっと背中に手を置いてきて、慰めるように撫でてくれた。服越しに手の平の温かさが伝わり、胸の奥に堪えていた本音が飛び出してしまう。
「・・・・ごめん、私の方こそ・・・。無能だの、馬鹿だのって酷いことばかり言って・・・ほんとうにごめん・・・。」
「いいよそんなの、事実なんだし。でもそんな無能で馬鹿な男を選んだお前だって、けっこう馬鹿かもしれないぞ?」
「・・・・そうだね。私もじゅうぶん馬鹿だと思う・・・。」
私はしばらく俯いて泣いていた。きっと周りの人たちの視線が突き刺さっていると思うけど、そんなことはどうでもよかった。
旦那が・・・この人がずっと、私の手を握っていてくれたから・・・。
「・・・・ごめん、子供みたいに泣いちゃって・・・。」
赤く腫れた目を押さえ、まだ目尻を拭いながら旦那の顔を見つめた。
「いま仕事中でしょ・・・?もう大丈夫だから、仕事に戻って来て。」
「ああ、そうする。ただでさえ稼ぎが少ないから、減俸されたら一家飢え死にだ。」
「そんなことないよ。あんたは頑張ってる。いくら稼ぎが少なくても、ちゃんと家族を見ててくれるもん・・・。」
「ははは・・・稼ぎが少ないところは否定しないんだな。」
下らない冗談で私たちは笑い合った。こうして心の奥から笑うなんて、いったい何年ぶりだろう?
忘れていた昔の感情が蘇り、今までにないくらい胸のつかえが取れた気がした。
「それじゃ・・・気をつけて帰れよ。」
「うん、あんたもね。」
旦那は膝に手をついて立ち上がり、手を振ってホームの階段に向かう。
「あ!今日何か食べたいものある?」
そう尋ねると、「卵かけご飯」と返ってきた。
相変わらずの貧乏性だなと笑いを堪え、「もっといいもの作っとくよ」と手を振り返した。
旦那は背中を向けて手を挙げ、ホームを下りて仕事に戻っていった。
「カッコつけた去り方しちゃって、全然似合わないよ。」
笑顔で旦那の背中を見送り、まだ赤い目のままベンチに座り直した。じっとこちらを見ていた人たちは、私と目が合うとサッと顔を逸らした。
《見世物じゃないっての、まったく・・・。でももし立場が逆だったら、絶対に私も野次馬になってるな。》
そう思うとなんだか可笑しくて、旦那が去ったホームの階段を見つめていた。
やがて電車が到着し、空いた車内の椅子に腰を下ろす。天井には、テレビのCMで流れているカレールーの広告がぶら下がっていた。
《久しぶりに、あの人の好きなものでも作ってやるか。奮発してトンカツも入れてさ。》
動き出した電車にアナウンスが流れ、ゆっくりと走り出す。
これからも喧嘩はあるだろうけど、今日の気持ちを忘れなければ乗り越えられるはずだ。
とりあえず、今日帰って来たらスーツにアイロンをかけてやることにした。

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