取り残された夏の中へ 第九話 11年前の約束(1)

  • 2015.07.17 Friday
  • 11:45
JUGEMテーマ:自作小説
友恵と一緒に潰れた銭湯に忍び込み、そこで幻覚を見た。
まだ俺たちが高校生だった頃、ここで起きた事件の幻覚だ。
俺はなぜかその記憶を忘れていて、ここへ来て初めて思い出した。
友恵は言う。ここでの事件は、俺のトラウマとなった出来事に似ていると。だから記憶を封じ込めて忘れたのだと。
だから俺は、必死に思い出す。
いったい俺にとって何がトラウマになっているのか?
毬藻のように絡まった記憶を辿り、自分の記憶の中を探っていった。


            *****


あれは11年前の夏だった。
俺たちは白い巨塔のような貯水塔へ、肝試しに行った。
発案者は俺。高校生活最後の夏休みだから、何か思い出に残ることがしたかったのだ。
最初のうちはみんな乗り気だったが、貯水塔が近づいて来るに連れて、顔色が変わった。
川の土手向こうに立つ白い貯水塔は、夜の暗闇の中に不気味に浮かんでいた。
もしこれが貯水塔だと知らない人間が見たら、その異様さに圧倒されるだろう。
何しろここは田舎で、周りには田んぼしかない。
そして近くには小さな神社があり、山へ続く細い道に、ポツンと街灯が灯っているだけだ。
そんな場所に、場違いな高い建物が建っている。田んぼの広がる中に、白い塔が真っ直ぐとそびえているのだから、恐怖を感じる方が当たり前だ。
実花は「やっぱりやめようよ」と言い出し、園田も「ここはヤバくないか」と声を潜めた。
この二人は気が弱く、今にも引き返したいという顔をしている。
そして他の奴らも、口には出さないが、その表情は引きつっていた。
木根は近くの神社に車を停め、窓から貯水塔を見上げる。
俺たちも同じように見上げ、誰もが息を飲んだ。
車を降りる時、実花は涼香の腕にくっ付いていた。
園田は佐野の後ろに隠れ、友恵は正也の横に並んでいる。
みんなは俺に目を向け、先に行けという目で見つめる。
発案者は俺なのだから、まず先に行って、中に入れるかどうか確かめてこいということだ。
俺は息を飲み、心を落ち着かせる。すると木根が並んで来て、「俺も行くよ」と言った。
一人より二人。木根がついて来てくれるだけで心強く、ゆっくりと貯水塔に向かった。
周りはフェンスで囲ってあり、敷地内への入り口には鍵が掛かっていた。
この事は想定済なので、フェンスをよじ登って入るつもりだった。
しかし二メートルほどの高さのフェンスは、上の方が手前に反り返っていた。
これでは登ることも出来ず、どうやって中に入ろうか困ってしまった。
実花は「もう帰ろう・・・」と言い、他の連中もそれに賛成のようだった。
しかし木根は首を振った。
「わざわざ親父の目を盗んで車を持ち出したんだ。今さら帰れるかよ。」
そう言って周りを見渡し、何かに気づいた。
フェンスの傍に生えている樹によじ登り、そこから中に入ろうとした。
器用に足を掛け、枝と枝の間を縫うように登っていく。
そしてある程度の高さまで来ると、フェンスに足を掛けた。
フェンスはグラグラと揺れるが、木根は持ち前の運動神経で、どうにかフェンスの向こうへ飛び降りた。
そして入り口まで回って来ると、中から鍵を開けた。
「まだ人がいる・・・・・。音立てるなよ。」
そう言って敷地内の奥を睨み、二階建ての小さな建物を指さした。
俺たちは恐る恐る中へ入り、身を低くして歩く。そして貯水塔の傍まで来ると、真下からその巨塔を見上げた。
・・・・・えも言えぬ恐怖が湧き上がり、夏だというのに鳥肌が立つ。
巨大な鉄塔や仏像を怖がる巨大建造物恐怖症というのがあるらしいが、俺がまさにそれだった。
夜の中に浮かぶ、白くて巨大な貯水塔。それだけで不気味なのに、この中には大量の水が溜まっているかと思うと、より不気味に感じられた。
貯水塔の周りは、これまたフェンスで囲ってある。
しかしさっきのフェンスに比べると小さく、女でも楽に上れそうなほどだった。
俺と木根、そして佐野が先に入り、辺りを注意深く見渡す。
貯水塔の傍には小さな社があって、また恐怖を覚えた。
「水の集まる場所には、こういうのが建つんだよな。」
木根が知った風に言い、女子に手招きをする。
涼香はフェンスをよじ登り、それに続いて友恵も登る。
実花は涼香の手を借りてどうにか上ったが、園田は中々登れない。
仕方ないので俺と佐野で引っ張り上げ、どうにか全員入ることが出来た。
貯水塔の周りを探ってみると、中へ入るドアがあった。しかしここも鍵が掛かっていて、さすがに開けられそうにない。
どこか別の場所から入れないかと思っていると、佐野が梯子を見つけた。
その梯子は貯水塔に直接取っ手が付いているタイプで、まっすぐに上に伸びている。
そして三メートルほど登った先に、小さな足場があった。
「あそこから入れるかも。」
木根はさっそく梯子を上り、小さな足場に立つ。どうやらそこにもドアがあるようで、しかも鍵は掛かっていないようだった。
木根は中へ入り、また内側から鍵を開けた。
「ずさんだな、ここ。」
そう言ってニヤリと笑い、中へ手招きする。
「・・・・・・・・・・・。」
中へ入った俺たちは、外とは比べものにならないくらいに不気味な雰囲気に圧倒された。
周りは全て濃いグレーのコンクリート。天井にはライトが灯っているが、隅から隅まで明るく映すほどの光ではない。
まるで夜の中に懐中電灯を並べたような、不気味な光に感じられた。
足元は所々黄ばんでいて、ゴキブリが一匹死んでいた。
そして俺のすぐ目の前には、上へと続く螺旋階段が伸びていた。
天井を貫通ししたように、暗い穴の上へと続いている。
「あそこから降りて来たんだ。上まで続いてるから、登ってみようぜ。」
木根はテンションが上がって来たらしく、声が弾んでいる。
涼香も「楽しそう」と言い、「下手なお化け屋敷よりいいかも」と笑った。
実花は相変わらず涼香にくっ付きぱなしで、園田も佐野の後ろから出ようとしない。
友恵はずっと正也の傍に立っていて、さり気なく袖を握っていた。
俺は複雑な気持ちでそれを見つめながら、二人から距離を置く。
もうこの二人とは、仲好く出来る自信がなかった・・・・。
今、正也と友恵は付き合っている。それ自体は別に嫌なことではない。
俺が許せないのは、この二人が必要以上に俺を気遣い、傷つけたことだ。
黙っていれば良い話を、酒に酔った勢いで俺に語った。
それがどうしても許せなくて、ほとんど口も利かなくなってしまった。
高校を出たら、きっともう会うことは無いだろう・・・・・。
そう思うほど、俺は二人のことを嫌っていた。
不気味な貯水塔の中に立ちながら、俺は思い出す。
正也と友恵・・・・・この二人と俺の間に、決定的な亀裂が入った日の出来事を・・・・。


            *


俺が友恵にフラれ、友恵が正也にフラれ、そして友恵は俺のことを邪魔者と愚痴った。
何気ない友恵の一言は、俺の胸に根を張り続け、以前のように仲良くすることは出来なくなった。
話しかけられても素っ気ない態度を取り、遊びに誘われても断るようになり、メールが来ても返さなくなった。
そんな事を続けていると、やがて俺たちの間に溝が出来た。
友恵はほとんど話しかけて来なくなり、目が合ってもすぐに逸らすようになった。
きっと友恵は、俺に嫌われていると思ったんだろう。
でも実はその逆で、俺が友恵に嫌われていると思い込んでいた。だからあえて冷たい態度を取り、距離を置くことで傷つかないようにしていた。
正也は以前にも増して話しかけてくるようになった。
俺が距離を置いている原因を、薄々感じていたんだろう。
友恵といる時でも、俺を見つけると笑顔で駆け寄って来た。
俺は約束を守ってる。友恵とは付き合っていない。だから怒らないでほしい。
そういう気持ちを、正也の言動から感じていた。
しかしそれでも、俺は冷たい態度を取り続けた。
まだ高校生のガキだった俺に、何もかも割り切るのは無理があった。
俺は正也に嫉妬しているだけであり、冷たくあしらうことで、正也を傷つけていた。
そして・・・・それを心のどこかで楽しんでいた。俺が友恵に邪魔者だと思われているように、俺も正也のことを邪魔者だと思うことにする。
そうすることで、傷ついた自分の心の埋め合わせをしていた。
何のことはない・・・・・俺は冷たい態度を取ることで、正也に甘えていたのだ。
そして俺のそんな態度は、正也を確かに傷つけていった。
だからある日喧嘩になった。
業を煮やした正也は、もう俺のことは友達ではないと言ったのだ。
そしてもう一度スパーリングをして、俺が勝ったら友恵と付き合うと言い出した。
付き合いたいなら勝手にしろよと返したが、正也は納得しなかった。
『俺は負けたんだから、友恵と付き合うことは出来ない。だからもう一度戦え。』
こいつはこの期に及んで、まだ俺との約束を守ろうとしていたのだ。
そしてその約束を覆す為には、それなりの手順が必要だった。
もう一度俺と戦い、そして勝つ。その上で友恵と付き合うなら、これは約束を破ったことにはならない。
なぜなら以前の約束の上に、別の新しい約束を書き足すことになるからだ。
俺は何度も断ったが、正也は引き下がらない。だからとうとう俺が折れて、もう一度戦うことになった。
今度はグローブ着用。そしてみんなが見ている前でのスパーリングだ。
安全を考慮し、ちゃんとヘッドギアも着ける。そして佐野がレフェリーとなり、試合さながらに戦うことになった。
場所はいつもの練習場である、実花の家のガレージ。
俺のセコンドには木根が付き、正也のセコンドには涼香が付いた。
判定の場合、ジャッジは実花と園田、そして佐野。
公平をきす為に、友恵はセコンドにもジャッジにも加わることは出来ない。
文句のつけようがないほどに、完全に公平なルール。
もし一つだけ不公平な事があるとすれば、若干ではあるが正也の方が重いことだ。
俺は60キロ、正也は62キロ。たった二キロの違いだが、階級的には一つ上ということになる。
何としても公平に戦いたい正也は、自分のグローブのオンス(グローブの大きさのこと。大きいほどパンチの威力は下がる)を上げると言ったが、俺はそのままでいいと返した。
これは正式な試合ではないんだから、そこまでこだわる必要はない。
それに俺は、正也になら勝つ自信があった。
正也はパワーはあるが、動きはそこまで速くない。だからパンチをかわすのは難しくないのだ。
それに防御が下手だから、簡単に相手のパンチをもらう。
以前に戦った時も、防御の隙間を縫ってパンチを当てていった。
だから今回だって、負けるはずがないと自信があった。
しかしいざ戦いが始まると、俺の思惑通りにはいかなかった。
防御が下手なのは相変わらずだが、とにかくがむしゃらに攻めて来るのだ。
こっちのパンチをもらっても怯まず、ガンガン前に出て来る。
それに遅いと思っていたパンチも、以前より速くなっていた。
どうやら俺に負けたのが悔しくて、練習に身を入れたらしい。
俺は必死に応戦し、足を使って横に回り込む。しかし正也のパワーに圧倒され、上手く回り込むことが出来なかった。
スパーリングが始まって二分ほど過ぎた頃、果敢な攻撃に耐えきれずになって、俺は膝をついた。
すぐに佐野が駆け寄り、カウントを取る。
俺は立ち上がり、ファイティングポーズを取った。
「出来るか?続けるか?」
「当たり前だ・・・。」
佐野は俺の様子を見つめ、コクリと頷く。そして「次に倒れたら負けだからな」と釘を刺した。
この時点で、佐野は俺に勝ち目がないことを見抜いていた。
後はどの時点で止めるか。そんなことを考えているような目だった。
《誰が負けるか・・・・・。》
俺は自分を奮い立たせ、落ち着いて息を整えた。そして残りの一分を乗り切ると、ヨロヨロとセコンドに戻った。
木根はサッと椅子を出し、「こっ酷くやられたな」と苦笑いする。
「あいつはやたらとパワーがあるからな。下手にくっ付くな。」
「んなこと分かってる・・・・。でも前より速いんだよ。すぐに追い込まれるんだ・・・・。」
「だったら左で引き離せ。リーチならお前の方が長いんだから、とにかく中に入れるなよ。」
「ああ・・・・・・。」
「スピードは上がっても、防御は相変わらず下手だ。だから左を掻い潜って突っ込んできた所に、右を合わせろ。正也相手ならそれくらい出来るだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
「おい、聞いてんのか?」
「・・・・・聞いてる。シミレーションしてたんだ。」
「よし!多分次に倒れたら、佐野の奴は止めるぞ。まずは左で距離を取って、回復に専念しろ。お前が思うほど、あいつの追い足は速くないから。」
そう言って俺の背中を叩き、椅子を引っ込める。
佐野は再会の合図を出し、俺と正也は再び向かい合った。
木根に言われたとおり、とにかく左を打って距離を取る。
正也はブンブンと剛腕を振り回して来るが、俺はとにかく距離を取り、打ち合いを避けた。
足を使い、左で牽制し、右を打ち込むタイミングを計る。
正也は果敢に突っ込んで来るが、慣れればその攻撃は単調なものだった。
左右の大振りのフックを連打するだけで、足も上手く運べていない。
俺は慎重に相手の動きを見ながら、とにかく左で突き放した。
そしてようやく呼吸も整ってきた頃、大振りの左フックを掻い潜って、正也の左に回り込んだ。
正也はすぐに反応し、こちらに突っ込んで来る。俺は待ってましたとばかりに、渾身の右ストレートを放った。
確実に当たる!
・・・・・そう思った瞬間、俺の拳は空を切った。
なんと正也は、俺の攻撃を読んでいたかのように、身を屈めてかわしたのだ。
そしてその状態から右をフックを突き上げ、俺の側頭部を打ち抜いた。
俺は後ろへ吹き飛び、そのまま倒れる。
立ち上がろうともがくが、思うように力が入らなかった。
「立つな!じっとしてろ!」
佐野が駆け寄り、俺の頭を支える。そこへ涼香や木根も駆けて来て、心配そうに見つめた。
「動かすな!このまま!」
佐野がまた叫び、みんなが焦っている様子が伝わって来る。
俺はまだ立ち上がろうとしたが、その後すぐに気を失った。
次に目が覚めた時、実花の家のソファに寝かされていた。
身体を起こすと、木根が「大丈夫か?」と尋ねてきた。
俺はガンガンと耳鳴りのする左耳を押さえながら、「・・・・・負けた?」と聞き返した。
「負けも負け。盛大な負けだよ。」
そう言って「死んだかと思うくらい凄い音がしたぞ」と殴るマネをした。
みんなが次々に心配する声を掛け、俺は「平気だよ」と答えた。
「頭は痛いけど、でも大丈夫だ・・・・・。」
そう言いながらソファに座ると、正也と友恵が目に入った。
「・・・・・すまん。」
俺と目が合うなり、正也はすぐに謝った。そして「やっぱデカいグローブにしといた方がよかったな・・・・」と、後悔したように呟いた。
「あんなに綺麗に入ると思わなかった。防ぐと思ったから、本気で振ったんだけど・・・・・。」
そう言ってもう一度「すまん」と謝った。
俺は笑顔で「気にすんなよ。勝負だろ」と返した。
しかし俺を気遣うようなそのセリフは、どんな罵りよりも心を抉った。
対戦相手に気を遣う。ましてや「防ぐと思ったから本気で振った」なんて上から目線の気遣いは、敗者の心を抉るには最も強力な言葉だ。
俺は泣きそうになるのを我慢しながら、俯いているしかなかった。
友恵は何も声を掛けず、ただ正也の隣に立っている。
負けた俺を無様と思っているのか?それとも心配してくれているのか?
それは分からないが、今はこの方が良かった。
もし友恵に何か言葉を掛けられたら、みじめになって泣いてしまう。
・・・・戦いは正也の勝ち。俺は勝てるとタカを括り、そして無様に負けた・・・・。
おそらく正也は手加減していたのだろう。本気ならば、もっと早くKO出来たに違いない。
そう思うくらいに、圧倒的にぶちのめされた。
これは酷いショックで、とにかく自分が情けなく、消えてしまいたいほど恥ずかしかった。
そしてそれと同時に、ふと思ったことがある。
《もしかして・・・・コイツは前の戦いの時、わざと負けたんじゃ・・・・・。》
以前に戦った時、コイツはここまで強くなかった。
パワーはあれど、防御は下手だし、スピードもなかった。
しかしこれは、よくよく考えるとおかしいのだ。
以前に正也と戦ったのは、今から三ヶ月ほど前だ。
はっきり言って、たった三ヶ月でここまで強くなることなどあり得ない。
いや・・・・百歩譲って、正也が死ぬほど努力し、たった三ヶ月で上達したよしとう。
でもやっぱり、これはおかしい。
今回の戦い、正也は以前と同じように防御が下手だった。にも関わらず俺を圧倒したのは、とにかくスピードが段違いだったからだ。
遅いと思っていたコイツのパンチは、俺よりも遥かに速かった。
三ヶ月の練習で技術が上達することはあっても、劇的にスピードが上がるなんて考えらない。
なぜならパワーやスピードというのは、短期間の練習でどうにかなるものじゃないからだ。
こういうのは生まれ持った身体能力がものを言うのであって、短期間の練習で劇的に伸びることはほとんどない。
今回の戦い、正也の防御が上達したから負けたというのなら、納得できる。
でもそうじゃない。こいつはパワーとスピードで圧倒しやがった・・・・。短期間ではあり得ないことなのに・・・・実際に俺に勝ちやがった・・・・。
なら考えられることはたった一つ・・・・・。こいつは以前の戦いでは、手を抜いていたということだ。
あの時は素手だったから、お互いに多少は手加減していた。
でも最後の方になると、俺は決して負けるものかと、本気で殴った。
でも正也は本気じゃなかったとしたら?
『このパワーとスピードで、しかも素手で本気で殴ったら、斎藤は酷い怪我を負うんじゃないか?』
そんな風に考えて、以前はわざと負けた。でも今回はグローブもヘッドギアもあったから、本気で戦った。
・・・・・思えば、こいつと練習でスパーをする時も、本気で戦っているようには感じられなかった。
俺や木根と戦う時は、どうも本気の気迫が感じられなかったのだ。
プロのライセンスを持つ佐野と戦う時だけ、本気でやっていたように見えた・・・・。
《俺を気遣って・・・・・手え抜いてくれたのか・・・・・。》
そう思うとさらに情けなくなり、目尻に涙が溜まった。でもそれと同時に、正也に対して申し訳ないという気持ちが湧いてきた。
俺は友恵に告白することばかり考えて、本気でコイツを殴った。
それなのに、コイツは俺を気遣い、手を抜いていた・・・・。
悔しいと言えば悔しいが、実に正也らしいと思った。
コイツは友恵への恋心より、俺との友情を大事に想っていたということだ。
俺はさらに俯き、目尻に溜まった滴を、誰にも見られないようにした。
《なんて・・・・・自分勝手な・・・・・・。》
正也は友恵に告白する権利を俺に譲り、そしてその後友恵から告白されても、俺との約束を守る為に断った。
なのに俺と来たら、正也に嫉妬ばかりして・・・・・ただ冷たい態度を・・・・・。
コイツがどういう人間か、中学の時からよく知っているのに、自分の事ばかり考えていた。
情けなくて、恥ずかしくて、顔を上げたくないほど惨めで・・・・・。
この日、俺は木根に付き添われて家に帰った。
「もし何かあったら、すぐに病院行けよ。」
木根はそう言い、俺の肩を叩いた。
「お前が正也と友恵に距離を置いてたのは知ってるよ。でも今回でケリは着いたんだし、全部水に流せよ。あんないいダチ他にいねえぞ。」
木根の言うとおり、正也は最高の友達だ。恋はまた出来る。好きになれる女の子ともまた出会える。
でも正也のような友達は、二度と出来ない。昔からの親友は、後から手にれることは出来ないのだ。
俺は悔しいながらも、自分を納得させた。
それから数日後、正也は友恵に告白した。友恵はもちろんOKし、二人は付き合うことになった。
まだ悔しさは残っていたが、でもこれは勝負の結果だ。
俺は正也に嫉妬するのをやめ、友恵に冷たい態度を取るのもやめた。
俺たちはようやく仲直りをすることが出来た。、正也も友恵も喜んでいたし、俺だって仲の良い友達に戻れたのは嬉しかった。
そしてある時、俺たち三人で飯を食いに行った。
その後に正也の家に行き、親に隠れながら酒を楽しんだ。
こうやってまた仲良く出来るなら、もうわだかまりなどない。
誰もが笑い、酒も入って饒舌になる。そして正也は俺の肩を抱き、ポロリと本音をこぼした。
「今だから言うけど・・・・・実は一回目の戦いの時、わざと負けたんだ。」
そう言ってから、やや申し訳なさそうな顔をした。すぐに酒を煽り、タバコに火を点ける。
それを窓の外に向かって吐きながら、「傷ついたか?」と尋ねた。
「いいや。きっとそうじゃないかと思ってた。」
俺は笑って答えた。なぜなら今さらそんな事を聞かされても、大して驚きはしないからだ。
いや、むしろ・・・・わざと負けた正也の優しさに気づいたから、友恵と付き合っても嫉妬せずに済んでいる。
俺が笑って答えたのを見て、正也はホッとしていた。
「お前って意外とプライド高いからなあ。怒るんじゃないかと心配してた。」
「いや、さすがに気づくだろ。二回目に戦った時に、あんだけボコボコにされたんだから。前は手加減してたんだなあって、嫌でも分かるよ。」
「そっか。怒ったらどうしようかって、ちょっとヒヤヒヤしてた。」
そう言って嬉しそうにタバコを吹かし、「でもこんなんだったら、一回目から本気で戦ってたらよかったなあ」と笑った。
「結局友恵と付き合う事になったんだから、ただの負け損って感じだ。」
「バカ言うな。お前に素手で本気で殴られたら、整形が必要なくらいボコボコになってる。」
肩を竦めて言うと、正也は可笑しそうに笑った。
「それもあるけど、お前って本当に友恵に惚れてただろ?だから俺が勝っちゃうと悪いかなあって思ったんだよ。」
そう言ってから、天井に向かって煙を飛ばした。
「俺さ・・・・正直分かってたんだよな、友恵が俺に惚れてるって。だから俺が勝って付き合っちゃうと、あまりにお前が可哀想だからさ。」
「え?いや・・・・・どういうこと?」
「だからあ、お前は中学ん時からの親友だろ?なのに俺だけ良い思いしたら悪いと思ったんだよ。だからあの時はわざと負けて・・・・、」
「ちょ、ちょっと待って!え?なんだそれ・・・・?」
頭が混乱してきて、言葉を遮った。
「あ・・・あのさ・・・・?あの時わざと負けたのは、俺を怪我させない為じゃなくて、友恵に告白させる為だったのか?」
「そうだよ。それ以外に負ける理由が無えじゃん。」
「・・・・・え?いや、よく分からないよ・・・・・。だってお前は友恵が好きだったんだろ?でもって友恵が自分に惚れてるって気づいてたんだろ?」
「さっきそう言っただろ。」
「だったらさ、なんでわざと負けるんだよ?俺に勝って、そのまま付き合えば良かったじゃんか。」
「だからあ・・・さっき言っただろ。俺が勝ったら、お前は自分の想いも伝えることなく終わるじゃんか。でもそれは悪いと思ったから、わざと負けたんだよ。」
「・・・俺を・・・・怪我させない為じゃなかったのか・・・・?」
「それもあったよ。だって俺、佐野相手でもまともに打ち合えるんだぜ。しかもあいつプロなのに、ヘッドギア無しじゃ俺とやりたくないって言うくらいだからな。だったら本気でやったらお前を怪我させるだろ。手え抜いて当たり前じゃん。」
「それはそうだけど・・・・・、」
「でもわざと負けた一番の理由はそれじゃない。だって俺、手え抜いても勝とうと思えば勝てたもん。」
正也は笑いながら言い捨て、タバコを吹かす。俺は怒りとも屈辱ともつかない妙な感覚に襲われながら、頭が熱くなっていくのを感じた。
「んな怒るなよ。」
俺の顔を見て、正也は苦笑いする。ポンポンと肩を叩き、「別に馬鹿にして言ったわけじゃないんだからな」と慰めた。
「俺が友恵に告白すれば、OK貰えるのは目に見えてた。でもそれじゃお前に悪いから、告白するチャンスをあげただけじゃんか。だって親友なんだから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「それにさ。俺はちゃんと約束を守ったろ?お前に負けたから、友恵とは付き合わなかった。」
「・・・・・・・・・・・。」
「なのにお前ときたら、急に僻み出すもんだから、どうしたもんかと困ったよ。お前は俺に勝って、そんで告白してフラれた。俺は告白されたけど、お前との約束があるからフッた。でもお前は納得がいかないみたいだから、もう一度戦ったんじゃねえか。」
「・・・・・・・・・・。」
「でも今回は勝たせてもらった。いくら親友でも、二回も負けてやる義理は無いからな。俺だって友恵のことが好きなんだから。」
そう言ってタバコを消し、口に残った煙を吐き飛ばす。
すると俺たちのやり取りを見ていた友恵が、「ちょっと・・・・、」と正也の腕を押さえた。
「そういうのって言わない方がいいよ。」
「なんで?」
「なんでって・・・・・。だってそんな理由でわざと負けたなんて知ったら、斎藤君傷つくに決まってるじゃん。」
「え?いや・・・・だって気づいてただろコイツは。俺がわざと負けたことに気づいてたって、自分で言ったんだから。」
「違うよ!わざと負けたのは、自分を怪我させないのが理由だと思ってたの。なのに斎藤君が可哀想だからわざと負けただなんて言ったら・・・・・、」
友恵は口を噤み、俺の方を見る。その目は同情と憐れみに満ちていて、「大丈夫?」と尋ねた。
「なんか・・・・・ごめんね、余計なことベラベラ喋っちゃって・・・・。」
そう言って謝ると、正也は「なんでお前が謝るんだよ?」と怒った。
「喋ったのは俺だぞ。お前が謝んなくてもいいだろ。」
「じゃあさっさと謝りなよ。」
友恵に促され、正也も俺を見つめる。その顔はとても困っていて、ボリボリと頭を掻いた。
「いや・・・・・あの・・・・ごめん。なんか勘違いしてて・・・・、」
そう言ってバツが悪そうに目を逸らした。
「だってお前が気づいてるって言うもんだから、わざと負けた理由を知ってるのかと思ってさ・・・・。そんでベラベラ喋っちまったんだわ。・・・・友恵の言うとおり、気づいてないんなら言うべきことじゃなかったな。・・・・・ほんとすまん。」
素直に謝る正也の言葉は、強く胸に突き刺さった。もちろん悪い意味でだ。
そして友恵の憐れみも、酷く惨めな気持ちにさせた。
親友だと思っていた相手から、いらぬ同情で勝ちを譲られ、好きだった相手からは、憐れみの視線を向けられる。
これほど・・・・・これほど屈辱的なことはない・・・・。
頭に昇った熱は、思考を奪うほど加熱していき、怒りを通り越して笑いが込み上げて来た。
一人でケラケラと笑う俺を見て、正也も友恵も同情の目を向ける。
「あの・・・・ほんとすまん。マジで悪かったよ。」
「斎藤君・・・・ごめんね。でも正也君は、斎藤君を傷つけようと思って言ったわけじゃなくて、こうやってまた仲良く出来るのが嬉しくて・・・・・。」
「おい、下手な言い訳すんなよ。それこそコイツが傷つくだろ。」
「でもこのままじゃまた喧嘩になっちゃうじゃない。せっかく仲直りしたのに・・・・・。」
「俺が悪いんだ。お前が気い遣う必要なんかないよ。」
「でも私だって関係してるよ。黙ってるわけにいかないじゃない。」
「俺の方がコイツと付き合いが長い。お前より斎藤の気持ちは分かる。」
「そのクセに余計なこと喋って・・・・・、」
「うるさいな。変に言い訳したら、それこそ喧嘩になるつってんの。」
「でもこのままじゃ、きっとまた喧嘩になって・・・・・・、」
二人は俺をそっちのけで言い争いを始める。
「俺が悪い」「ううん、私も悪い」
自分の方に非があると主張し合い、俺のことなど目に入っていない。
そんな様子を見つめながら、俺は白けた気分になっていた。
《なんだコイツら・・・・。最近付き合い始めたばっかなのに、なに夫婦みたいに気取ってんだ?》
正也を擁護しようとする友恵。友恵を擁護しようとする正也。それを見ていると、また笑いが込み上げてきた。
《馬鹿かコイツら・・・・。要するにただの惚気じゃねえか。アホかっての。》
怒りも悲しみも消え去り、屈辱さえも薄れていく。
なんだか出来の悪いドラマを見せられているような気分になって、黙って立ち上がった。

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