取り残された夏の中へ 第十一話 背中合わせの二人(1)

  • 2015.07.19 Sunday
  • 15:08
JUGEMテーマ:自作小説
目の前に、闇を切り裂くような塔が立っている。
白く、真っ直ぐ、夜空を突き刺すようにそびえていて、不必要なまでに足元に立つ者たちを威圧している。
いや・・・違うな。これはただの思い込みだ。
なぜなら無機質なこの貯水塔は、ただここに立っているだけだからだ。コンクリートの塊は、誰も威圧したりしない。
問題なのは、威圧されていると思う俺たちの方で、もっと問題なのは、この塔に恐怖を抱いている俺自身だ。
同窓会のノリで始まった思い出巡りは、一発目からつまづき、なし崩し的にお開きになった。
しかし俺と友恵、そして佐野と園田は、思い出巡りを続けた。
佐野と園田は殴り合いを演じ、誰もいない真夜中の公園で拳を交わした。
友恵は廃館になった銭湯へ向かい、四年の時を経て祖父を弔った。
そしてこの企画の言い出しっぺのた実花は、大きな爆弾を置いて逃げ帰った。
木根は思い出巡りなど下らないと意地を張り、涼香は相変わらず木根と実花に振り回されて、一緒に帰って行った。
そうやってバラバラに去っていったみんなが、また集結している。
この白くそびえる貯水塔の元に、思い出巡りの締めくくりとして集った。
実はここへ来る前に、また面倒臭い出来事があった。
それは木根と涼香、そして実花が関係していて、この三人もまた、思い出巡りを継続する羽目になったのだ。
俺は肩を上下させ、一つ深呼吸をする。
この貯水塔へ入るには、まず心を落ち着かせる必要がある。
そして間違った記憶でもいいから、鮮明に思い出す必要がある。
その為には少し時間が必要で、さっきまでの一悶着を思い出すことにした。
木根と涼香、そして実花との思い出巡りを・・・・・。


            *****


廃館になった銭湯で、友恵の祖父を弔った。
それと同時に、俺は自分の記憶に疑問を抱くようになった。
高校の頃、みんなでここへ来て、風呂に入った。そして子供が溺れて死にかけた。
俺は完全この出来事を忘れていて、この銭湯へ来てようやく思い出した。
かなり衝撃的な出来事だったのに、どうして忘れていたのか?
それは記憶を封じ込めていたから。少なくとも、友恵が言うにはそうらしい。
俺にはあるトラウマがあって、その事とここの出来事を重ねて見ているのだと。
もしその言葉が正しいとするなら、俺は間違った記憶を信じていることになる。
あの日、正也は俺に煽られ、貯水塔へ飛び込んだ。
あいつは泳ぎが得意だったから、溺れるなんて微塵も思っていなかった。
しかしプールや海で泳ぐのと、暗い貯水塔の中へ飛び込むのとではわけが違う。
例えば足を滑らせ、溜池に落ちて亡くなる人がいる。
プールなら縁に、海なら浜に戻れば陸に上がれる。
だけど滑らかな、そして勾配のついたコンクリートの囲いは、容易に登ることは出来ない。
それに濁った水は視界を奪い、そのせいで冷静な判断力を欠く。
そして服を着ているというのが、溺れる一番の原因だろう。
水を吸った服は身体に張り付き、自由を奪う重りになる。
どんなに泳ぎの達者な人間でも、重りを付けて自在に泳ぐことは出来ないだろう。
あの日、貯水塔に飛び込んだ正也は、溜池で溺れる人間と同じだった。
薄暗い中で視界を奪われ、水は重油のように黒く纏わりつく。
服は水を吸い、その分体力が奪われる。やがて冷静な判断力も失われて、目の前に梯子があるのに気づかない。
ただ手足をばたつかせ、力尽きるの待つしかなくなる。
そしてとうとう限界を迎えて、水の中に沈んでいった。
俺の記憶では、正也はそうやって死んだことになっている。
でも・・・・もしこれが間違った記憶だとしたら?あの日、あの貯水塔で、まったく違う出来事が起きて、そのせいで正也が死んだのだとしたら?
・・・・・今の俺には分からない。ただ一つ確かなのは、きっと俺の記憶は正しくないのだろうということだ。
友恵に促され、四角い風呂を後にする。
脱衣所を抜け、ロビーを抜け、カウンターを過ぎて入り口に向かう。
友恵は俺の背中を押し、「そこで待ってて」と言った。
内側から鍵を掛け、ロビーの向こうへ消えていく。そしてしばらくすると、野天風呂のある方から走って来た。
どうやらまた壁を登ったらしく、そして着地にも失敗したらしい。
スカートの裾が汚れ、手の甲に擦り傷が出来ていた。
「また転んだのか?」
「ちょっとね。でも全然平気。」
「別にわざわざ鍵なんか掛けなくてもよかっただろ。」
「ダメだよ。中に入ったってバレちゃうじゃない。」
「でも俺たちだって分からないだろ?」
「・・・・・そうだね。」
友恵は納得したように頷き、手の甲をさすった。
大した怪我ではないが、少しだけ血が滲んでいる。
「痛いか?」
「ううん、平気。」
そう言って傷ついた手の甲を振って見せる。
俺は銭湯を振り返り、人気の無いその佇まいを見つめた。
昔は賑わっていたのに、今は誰もいない。あんなに儲かっていたのに、どうして潰れてしまったのか?
俺は「なあ?」と尋ねた。
「どうしてここは潰れたんだ?」
「ああ、それはね・・・・・、」
さっ尋ねた時は何も答えなかったのに、今はすんなりと口を開いた。
「ここって確かに良い銭湯だったんだけど、ちょっと事故が多かったのよ。」
「事故?」
「うん。ほら、四角いお風呂で子供が溺れたとか、私のおじいちゃんが水風呂で亡くなったとか。」
「なら・・・・あの子は亡くなったのか?」
「ううん、助かったよ。当時の店長さんがすぐに対応したからね。心肺蘇生して、救急車も呼んで。」
「そっか。でも助かったのに、責任を問われて潰れるもんなのか?」
「ううん、あの時は潰れなかったよ。だってあの時潰れてたら、私のおじいちゃんがここで亡くなることはないじゃない。」
「ああ・・・・そっか。」
「この二つ以外にも、色々と事故があったの。別に店がずさんだったわけじゃないよ。でも間が悪かったっていうか・・・・・店はちゃんとしてても、事故は起きる時はあるんだよ。」
「なるほどなあ・・・・事故が多かったから・・・・か。でもさ、さっき聞いた時は何で答えてくれなかったんだ?別に隠すような内容じゃないだろ?」
「だって先に喋っちゃったら、子供が溺れた事故のことも話さなきゃいけないじゃない。そうなると、斎藤君は自分で思い出すことはなかったでしょ?」
「まあ・・・確かに。」
なるほどと納得したものの、すぐにおかしな事に気づく。
「あのさ・・・・その言い方だと、わざと俺をここに連れて来て、あの事故のことを思い出させようとしたように思えるんだけど・・・・?」
そう尋ねると、「そうだよ」とあっさり答えた。
「そうだよって・・・・ここへ来たのはおじいちゃんの為じゃないのか?」
「それは理由の一つ。でももう一つ理由があるって言ったじゃない。」
「じゃあそのもう一つの理由が・・・・・俺に溺れた子供のことを思い出させる為だったと?」
「そういうこと。」
またあっさりと答え、「別に騙してここへ連れて来たわけじゃないよ」と弁明した。
「私の思い出の場所と、斎藤君のトラウマが関係してる場所が、たまたま同じだっただけ。」
「いや・・・俺のトラウマっていったい何なんだよ?だいたいどうして、俺が溺れた子供のことを忘れてるって知ってたんだ?」
顔をしかめながら尋ねると、「園田君のおかげ」と答えた。
「はあ?園田・・・・?」
「園田君がね、それとなく探りを入れてくれたの。ここへ来た時のことを覚えてるかって。」
「さ・・・・探りだって?」
「斎藤君は、大学の時にここへ来たことは覚えてた。でも高校の時にここへ来たことは忘れてた。それはきっと、溺れた子供のことを、自分のトラウマと重ねて見てるから。」
「ご・・・・ごめん・・・何言ってるかさっぱり・・・・、」
「だろうね。でもアレだよ、斎藤君が忘れてるのは溺れた子供のことだけじゃないんだよ。」
「は?」
「思い出巡りの一発目の時、木根君が沼へ落ちたでしょ?」
「ああ、実花が突き落としてな。」
「あれを見て何も思い出さない?」
「思い出さない?って・・・・・何を?」
「じゃあ佐野君と園田君が殴り合ったのを見て、これも何も思い出さない?」
「ああ、それは思い出したよ。俺だって正也と殴り合った。お前を巡ってな。」
「そこまでは覚えてるんだね。じゃあ・・・・三度目の殴り合いは?」
「へ?三度目・・・・・・?」
唐突なことを言われて、一瞬固まった。
「・・・・いや、俺と正也が殴り合ったのは二回だけだ。三度もやってないよ。」
「そっか。じゃあやっぱり忘れてるんだ。」
「なんだよそれ。思わせぶりな言い方だな。何か知ってるなら教えてくれよ。ていうか何を隠してるんだ?」
詰め寄って尋ねると、友恵は少しだけ眉をひそめた。
自分の知っていることを喋るべきか、言わないでおくべきか?とても悩んでいるようで、眉間の皺が深くなっていく。
するとそこへ一台の車がやって来た。
銭湯の駐車場の前に停まり、誰かが降りて来る。
暗くてよく見えないが、人影は全部で三人。ポールに張った鎖を越えて、こちらに歩いて来る。
そのシルエットから、一人は男、二人は女だと分かる。そして三つの人影が、真っ直ぐにこちらに歩いて来た。
俺は目を凝らし、「もしかして・・・・・、」と呟いた。
「あれ・・・・木根たちか?」
人影はだんだんこちらに近づいて来て、その姿がはっきりと浮かび上がる。
そして俺と目が合うなり、「よう」と手を挙げた。
「木根!それに涼香と実花も・・・・・、」
「んなビックリすんなよ。まだ企画の途中だろ?」
「企画?」
「思い出巡り。まだ俺たちの分が済んでねえじゃん。」
そう言って近くへ歩いて来て、俺の肩を小突いた。
「友恵から連絡があってな。まだ俺たちの分が済んでないから来いって。」
「友恵が・・・・・?」
俺は友恵を振り向き、「お前がこいつらを呼んだのか?」と尋ねた。
「うん。だって佐野君と園田君、それに私の分は終わったからね。ここまで来たなら、残りのメンバーもやりたいじゃない。」
「いや、でもわざわざ呼ばなくても・・・・。」
「だってこういうのって、タイミングを逃したら出来ないよ?きっと次にみんなで合う時は、思い出巡りをやろうなんて年じゃないと思うし。」
「えらい先の事まで考えてるんだな。次の同窓会は何年後のつもりだよ・・・・。」
「なら斎藤君は毎年帰って来てくれるの?」
「いや・・・・それは多分・・・・無いと思うけど・・・・、」
「だったらやっぱり今日しかないよ。みんなで集まれる機会なんて限られてるんだから。」
そう言ってニコリと笑い、廃館になった銭湯を振り返った。
「私はお終い。次は・・・・・誰にする?木根君?涼香?それとも実花ちゃん?」
友恵はくるりと振り返って尋ねる。すると木根が「じゃあ俺で」と手を挙げた。
「ちょっとここから離れてる場所なんだ。車出すから早く行こうぜ。」
そう言って歩き出し、ぼりぼりとケツを掻いた。
「照れてんだアイツ。こういうの苦手だから。」
涼香は小声で言い、「でも本当は嬉しいんだよ」と笑った。
「途中でうやむやになっちゃったからね。心の底では申し訳ないと思ってんのよ。」
「分かるよ。あいつはいつだって意地を張るからな。」
「まああんな態度だけど、付き合ってやってよ。友恵の言うとおり、次はいつみんなで集まれるか分かんないからさ。」
そう言って俺の肩をポンと叩き、自分も車に戻って行く。すると誰かが上着の裾を引っ張ってきて、ふと振り返った。
「・・・・・・・・・・。」
「実花。お前も行くのか、思い出巡り。」
「うん・・・・・。」
実花は泣きそうな顔で呟き、「さっきはごめん・・・」と謝った。
「なんか・・・・逃げるように帰っちゃって・・・・。」
「逃げるようにじゃなくて、逃げたんだろ?」
「でもでも!あのままあそこにいたら、もっと空気が悪くなると思って、それで・・・・・、」
「逃げたと?」
「うん・・・・・。」
実花は俯き、また「ごめんね・・・」と繰り返す。そして友恵にも「さっきはごめん」と謝った。
「私が言いだした企画なのに、ほったらしかにしちゃった。ほんとにごめん。」
「ううん、気にしてないから大丈夫だよ。」
「ほんと?」
「うん。だって私たちは私たちで、思い出巡りを続けてたから。こうやって銭湯にも来て、おじいちゃんを弔うことが出来た。だから怒ったりなんかしてないよ。」
そう言って笑ってみせると、実花はホッと安心したようだった。
「あのね、ずっと考えてたんだけど、思い出って良い事ばかりとは限らないよね?だから私は、ちょっと苦い思い出になるんだけど、そこへ行ってみようと思うの。」
実花はニコリと笑い、「場所は木根君と同じなんだ。ていうか涼香も一緒だと思う」と言った。
「なんだ?みんな同じ場所なのか?」
「場所はね。でもそこにある思い出は違うの。私のは苦い思い出で、涼香たちは良い思い出だと思う。ていうか・・・・良い思い出になると思う。」
「?」
「ふふふ、行けば分かるよ。」
思わせぶりな事を言って、実花も車に歩き出す。俺は友恵を振り返り、「?」と首を傾げて見せた。
「私・・・・なんとなく想像ついちゃったかな。」
友恵は実花の思わせぶりな言葉の意味を理解しているようで、「これは是非行かなくちゃ」と表情を引き締めた。
「斎藤君、これは見る価値あるよ。」
「ん?何が?」
「いつもと違う涼香が見られるかも。」
そう言ってニコリと笑い、俺の背中を押した。
「なんだよ?涼香のいつもと違う顔って。」
「まあまあ、見れば分かるから。かなりビックリするかもよ。」
「・・・・・なんだかよく分からん。」
友恵に押されながら、黒いワンボックスカーに歩いて行く。
中に乗り込むと、運転席には涼香が座っていた。
「なんだ?木根が運転するんじゃないのか?」
「だってこいつ酒入ってるもん。」
「お前だって飲んでたろ?」
「ん〜ん。私は飲んでないよ。コイツが飲むから、帰りは私が運転しなきゃいけないし。」
それを聞いて、もしやと思った。
「あのさ・・・・・お前らって、もしかして同棲してるの?」
「そうよ。半年ほど前からね。言わなかったっけ?」
「聞いてないよ。お前ら俺の知らないところでやれ結婚だの同棲だの・・・・・どうなってんだよ。」
「あんたがもっとこっちに帰って来てたら教えてるわよ。今度からはちゃんと同窓会に顔出しなさい。」
まるで母親のように小言を言い、ゆっくりと車を発進させる。
大きな車なのに、器用にハンドルを捌き、すいすいと細い路地を抜けて行った。
しばらく走り、夜中でも車が絶えない大きな国道に出る。それを右に曲がると、他の車を追い越しながらスピードを上げていった。
「お前もうちょっとスピード落とせよ・・・・・。」
「何ってんのよ、もう夜中の二時半よ?ちんたらしてたら夜が明けちゃう。」
「お前も木根に似てきたな。性格が短気になりつつあるぞ。」
「元々よ。」
前を行く車を追い越し、大きな川に架かる橋を越える。
そしてしばらく走って、パチンコ屋の傍の交差点を右に曲がった。
そのまま道なりに15分ほど走り、また交差点が出て来る。それを左に曲がると、小さな川を渡す橋に差し掛かった。
橋の手前には左に曲がる路地があり、その傍に『蛍の舞う川』と立て看板があった。
「蛍?これを見に来たのか?」
そう尋ねても、誰も返事をしない。涼香は運転に集中し、木根はウトウトと頭を揺らしている。
実花は窓に張り付き、じっと外を眺めていた。
すると友恵が「もう蛍の時期は過ぎたよ」と言った。
「蛍は六月の上旬から中旬くらまで。七月の終わりには見られないよ。」
「へえ、そうなんだ。詳しいな。」
「種類によるみたいだけどね。ここの蛍は今は見れない。」
「お前が虫博士とは知らなかった。」
そう言ってからかうと、友恵は何も答えずに微笑むだけだった。
細い路地は、川に沿うように伸びている。そしてしばらく走ると、また小さな橋が出て来た。
涼香は近くの空き地に車を止め、「着いたよ」と木根を揺すった。
「んん?・・・もういいよ・・・・眠い・・・・。」
「バカ。さっさと起きな。」
パチンと頭を叩かれ、「面倒くせえなあ〜・・・・」と背伸びをする。
そしてドアを開け、心底面倒臭そうに車を降りて行った。
「そんなに眠いなら寝てればいいのに。」
そう呟きながら俺も降りて、暗い夜の中に立った。
目の前には川が流れ、小さな橋が架かっている。その向こうは草木の茂った深い山が広がっていた。
辺りには街灯さえなく、月明かりがほんのりと射している。
その明りを受けて、広大な田んぼと点在する民家が浮かび上がっていた。
「真っ暗だな。」
そう呟くと、友恵が「暗くないと蛍が見れないよ」と答えた。
「こういう場所じゃないと、蛍の光は掻き消されちゃうの。」
「そうなの?」
「淡い光だからね。でもだからこそ幻想的なんだ。」
友恵は川に目をやり、「今年は見れなかったな」と寂しそうに言った。
すると木根が「俺も今年は来てねえな」と言い、橋の方へ歩いて行った。
涼香は黙ってそれに続き、二人して橋の真ん中で立ち止まった。
「ここがあいつらの思い出の場所か?」
「そうよ。だって木根君はここで涼香に告白したんだもん。」
「そうなのか?」
「蛍の舞う時期に来てね、それを眺めながら、涼香に付き合ってほしいって言ったの。」
「マジかよ・・・・。あいつがそんなロマンチックなことするなんて・・・・。」
木根の意外な一面を知り、興味を惹かれて二人を見つめた。
初夏には蛍の舞う川。その川の橋で、もうすぐ結婚する二人が佇んでいる。
木根も涼香もそこそこ美形なので、こういうシチュエーションだとそれなりに画になる。
しかし二人の性格は、その美形な顔とは裏腹に、かなり尖っている。
もちろん悪い人間ではないが、その口からは心を抉るような言葉が飛び出してくる時がある。
俺は二人の邪魔をしては悪いと思い、少し離れた場所で見つめていた。
すると涼香が「何離れてんの?こっちにおいでよ」と笑った。
「別に変な気は遣わなくていいからさ。」
「でも・・・・・なあ?」
そう言って友恵を振り返ると、「近づける雰囲気じゃないよね」と頷いた。
「なんか二人だけの世界に浸ってる感じ。邪魔しちゃ悪いかなって。」
「だったらコイツと二人だけで来てるわよ。二人の世界に浸ってちゃ、思い出巡りの意味がないじゃない。」
そう言って手招きをするので、二人の傍へ近づいた。
隣に並び、同じように橋の真ん中に佇む。しばらく誰も喋らず、月明かりを受けた川面を眺めていた。
流れる川はゆるやかに水面を揺らし、それにつられて月明かりも揺れる。
もしここに蛍が舞っていれば、それは見事と言うべき幻想的な景色になるだろう。
誰もが情緒に浸り、もしここに蛍が舞っていたらと想像する。
言葉は交わさずとも、美しい景色の前では、きっと人は同じ気持ちになるのだろう。
するとその情緒を破るように、木根が口を開いた。
「ここでさ・・・・三年前に涼香にこう言ったんだ。『俺でよかったら付き合ってやる』って。あんときゃ蛍が飛んでて、すげえ綺麗だった。」
しみじみとそう言うので、俺は尋ねた。
「それは蛍のことか?それとも涼香のことか?」
「ん?何が?」
「だから・・・すげえ綺麗だったていうのは、蛍のことか涼香のことか聞いてんの。」
「ああ、どっちも。」
木根は少々照れくさそうに言い、すぐに顔を逸らした。
「俺さ、口が悪いだろ?だからコイツに綺麗だとか好きだとか、あの時以来言ったことがねえんだよ。いっつも『皺増えたな』とか『今日ヤッていい?』とかそんなんだから。」
「最低だな。」
「でも好きなんだよ。一度フッたけど、あんときゃカッコ付けてたんだ。ほんとは嬉しかったクセに、意地張って断っちまった。それ以来、どうやって自分の気持ちを伝えようかって悩んでた。だからここを選んだんだ。」
心なしか木根の声が優しくなり、月明かりを映す川に身を乗り出す。
「昔親父に連れられてここへ来たことがある。あれはまだ中学に上がったばっかの頃で、俺と親父、それと妹の三人で来たんだ。妹は蛍を追っかけて、川に落っこちた。親父が助けに入って、二人ともびしょ濡れだったな。俺は橋の上からそれを見てて、ゲラゲラ笑ってた。」
木根が珍しく自分のことを語る。きっと景色の情緒に負けて感傷的になっているんだろう。
でも・・・・すごく新鮮だった。長い付き合いの友達なのに、コイツの昔のことはほとんど知らない。
中学に上がる前に母親を亡くした事は知ってるが、細かい話は一切しなかった。
だから誰もが耳を傾けた。俺も友恵も、そして実花も、真剣な顔で耳を傾ける。しかし涼香だけは冷静な顔をしていて、目の前の景色に目を向けていた。
「今思えば、あれが家族三人で出掛けた最後の思い出だな。俺は今ほど口が悪くなくて、妹はまだまだ可愛らしさがあるガキだった。親父は仕事と子育てを両方こなして、俺たちに辛い思いはさせまいとしてた。でもなあ・・・・男手一つで子供を育てるのって・・・・やっぱ辛かったんだろうなあ・・・・。」
そう言って息を吐き、舌で唇を湿らせた。眉間にはわずかに皺が寄り、ここではないどこかを見つめるような目をした。
「俺と妹の面倒を看なきゃいけないから、仕事の時間が削られるんだよ。もちろん俺たちだって、自分で出来ることはちゃんとやったんだぜ。でもやっぱ子供だけじゃ限界があるし、特にどっちかが風邪引いた時なんか最悪だ。親父は仕事を休んで看病して、そんで徹夜のまま仕事に行ったりしてた。そんなこと続けてるとさ、やっぱ会社から良く思われねえじゃん?だから『そんなに子供が大事なら、もう来なくていい』って言われて、とんでもねえド田舎に飛ばされそうになったわけよ。降格までされて、給料も減らされて、そんで俺たちを抱えて、ここより田舎へ飛べって言われたんだ。」
「そりゃ酷いな。家の事情だから仕方ないってのに・・・・・。」
「まあ今でいうブラック企業ってやつだったんだ。残業代出さないこともしょっちゅうだったみたいだし、酷い時なんか四カ月休みがなかった。でも辞令を拒否したらクビになる。だから・・・・すっげえ悩んでたよ。」
「親父さん・・・・結局どうしたんだ?」
「辞めた。辞令を拒否してな。そんで次の仕事を見つけなきゃいけないってんで、苦労してたな。あの時でもう50だったし、新しい仕事なんか早々見つかるわけがねえ。でも収入が無いんじゃ話にならないから、とりあえずアルバイトでもいいからってんでコンビニで雇ってもらったんだ。でも続かなかった。ブラックといえど、今までそれなりの会社でバリバリ働いてたんだ。それが急にコンビニのバイトに成り下がって、しかも学生のガキに教えを乞わなきゃいけない。今までは自分が教える立場だったのに、新入社員と大差ない年齢のガキに敬語で挨拶しなきゃならなくなった。そういうのが割り切れなかったんだろうなあ・・・・・。」
「誰だってプライドがあるよ。50にもなって学生のバイトに気い遣うなんて、多分俺だって出来ない。」
「んなこと分かってるよ。でも親父には俺と妹がいた。だから新しい仕事を見つけては辞めて、辞めては次の仕事を探して・・・・・。子供を養う責任感と、仕事に対するプライドの隙間で揺れてたんだ。そんなことを繰り返してると、いつかは働く気も失せるってもんだ。親父はずっと家に籠りっぱなしになって、うつ病みたいになっちまった。」
「じゃあ・・・・生活はどうしたんだ?収入が無いってことは、生活保護でも受けてたのか?」
「いいや、ジジイとババアが援助してくれた。親父の方の親はもう亡くなってるから、お袋の方のジジババどもだな。」
「ジジイとババアかか。辛辣な言い方だけど、もしかして仲が良くなかったとか?」
「ああ。親父とお袋が結婚する時に一悶着あってな。それ以来ほとんど連絡を取ってなかった。でも状況が状況だから、俺から頼んだんだよ。『助けてほしい』って。疎遠の孫から電話が掛ってきて、最初は驚いてたな。でも事情を話すと、そんな親父ほっといてこっちに来いって言ってくれた。俺と妹とまとめて面倒看てやるからって。」
「で・・・・向こうにお世話になったと?」
そう尋ねると、「お前はアホか?」と笑われた。
「俺はずっとこっちにいたろ?ジジババの家には行ってねえ。」
「ああ・・・・そうか。」
「俺も妹も、親父のことは慕ってたんだ。お袋を亡くして、でもちゃんと俺たちを育てようとしてくれた。辛いこともあったろうに、グッと堪えてな。だから金だけ援助してもらったんだよ。孫が二人、頭を下げて頼めば、しぶしぶ頷いてくれた。」
「なら良かったじゃないか。親父さんだってしばらく休めば、また働こうって気になるだろうし。」
「ああ、その通りだ。ジジババのおかげでちっとは生活が楽になって、親父は精神的に余裕が出来た。だけど今さら誰かにコキ使われるのも嫌だってんで、自分で会社を興したんだ。重機をレンタルする会社でさ、昔の職場のコネを使って、ちょこちょこ仕事を貰ったんだ。簡単な仕事は俺と妹も手伝ったよ。一年もすりゃどうにか飯が食えるようになってきて、ジジババに頼らなくても良くなったってわけだ。」
「ああ、なるほど。それでお前は今の仕事をやってんだな?」
「そう。社長はまだ親父だけど、70になったら引退するって言ってたからな。後は俺に任せるつもりらしい。」
「そうか。なら結婚したら、涼香は社長夫人だな。」
冗談を飛ばすと、木根も可笑しそうに笑った。
「仕事は上手くいってる。親父も元気だし、妹は去年結婚して、家を出て行った。」
「ならハッピーエンドだな。お前だってもうじき結婚するわけだし。」
そう言って肩を小突くと、木根は憂いのある顔で微笑んだ。
「ああ、確かにハッピーエンドだ。でもな、俺たち家族は、ここへ蛍を見に来て以来、三人揃って出掛けることはなかった。なんでか分かるか?」
突然真剣な顔になり、刺すような視線を向ける。俺は少し考えたが、良い答えが浮かばなかった。
「分からない。なんでだ?」
「もうちょっと考えろよ。せっかくしんみりするシチュエーション作ってんのに。」
「なんだよ?今までの悲壮な感じは演技か?」
「半分な。青臭い企画してんだから、こういう演出もいるだろ。」
そう言ってまた微笑み、川に視線を戻した。
「実はな・・・・親父が一番辛い時期に、こう言ってるのを聞いちまったんだ。『あいつらさえいなきゃ、もっと楽なのに・・・・』って。」
「あいつらって・・・・お前と妹のことか?」
「それ以外にねえだろ。あの時・・・親父は本当に参ってた。俺たちを育てる責任感と、仕事が続かない焦り。板挟みになって、にっちもさっちもいかなくなって、ほとんどうつ状態だった。その後に引きこもりみたいになっちまって、ポロっとそう呟いているのを聞いちまったんだ。」
「それは妹も?」
「ああ、横にいたからな。別に親父にとっちゃなんて事ない愚痴だったと思う。本心から俺たちが要らないって思ったわけじゃねえだろうさ。でもな、子供の時に親のそんな愚痴聞いてみろ。ああ・・・俺たちのせいで、お父さんは苦しんでるだなあって、本気で傷つくもんだ。だから俺はジジババに電話を掛けたわけだ。」
「じゃあその時の傷が、今でも残ってるのか?それで家族揃って出掛けることは無くなったと?」
「そうだよ。他人から見りゃ下らない事かもしれないけど、でもあの時の言葉は胸ん中に残ってる。もちろん妹もだ。だから親父に誘われたって、三人で出掛けることは無かった。俺たちと出掛ける暇があるなら、自分のことを優先したいんじゃないか?そんな風に考えるようになっちまったからな。」
木根は面白くなさそうに言い捨て、唇を歪めた。そして小さく舌打ちをして、橋の手摺りにもたれかかった。
「もちろん今となっちゃ、別段気にしてねえよ。だけど俺も妹も成人して、親父も仕事が忙しくなった。そうするとな、今度はそれぞれの時間が出来て、家族揃って出掛ける事なんて無くなった。今思えば・・・・・あんな愚痴聞かなきゃよかったって思うよ。そうすれば、もう一度三人でここへ来れたかもしれないのに・・・・。」
そう言って空を眺め、月に照らされる雲を目で追った。
「怖いよなあ・・・・言葉って。辛い時や意地張ってる時ってのは、本心とは違う言葉が出て来る。でも自分が言う分には良いんだよ。それが本心じゃないって分かってるから。だけど誰かに聞かれた時が怖い・・・・。本心でもない言葉を、本心だと誤解されるから・・・。」
表情は穏やかだが、その口調には重たい何かが宿っている。
この言葉は、他の誰かに言っているのではない。きっと自分自身に言っているのだろう。
自分で投げた言葉を自分で掴み、そうすることでより深く自分に言い聞かせている感じだった。
「親父は何気ない愚痴のせいで・・・・・俺はしょうもない意地のせいで、本心とは違う言葉を口にした。そのせいで親父と俺の間に溝が出来て・・・・・そのせいで俺と涼香の間にわだかまりが出来た。あの時・・・・好きだって言われて本当は嬉しかったのに、本心じゃない言葉を返しちまった。だからここへ来て、素直になろうと思った。そうすれば、今度は自分の口から本心を言えると思って・・・・。」
そう言って涼香を振り向き、「悪かったな、あの時は意地張っちまって」と謝った。
「お前も知ってる通り、俺はこんな性格だから、よっぽどのことが無い限り素直になれないんだよ。でも・・・・三年前にここで気持ちを伝えた時、お前はそれを受け取ってくれた。あの時は本当に嬉しかったよ。だから・・・・・もう一度伝えたいことがあるんだ。」
木根の顔から笑みが消え、まるで戦場に赴く兵士のように険しくなる。
二つの目は涼香だけを見つめていて、瞳には月明かりが揺らいでいた。
「俺たちは結婚する。それはもう決まってる事だけど・・・・・でもプロポーズはまだだったよな。」
少し恥ずかしそうに言いながら、それを誤魔化すように頭を掻く。涼香は表情を崩さずにそれを聞いていて、彼女の周りだけ時間が止まっているように固くなっていた。
「その・・・・お前からプロポーズに近いような言葉を貰ったけど、やっぱこれは違うよな。本当は俺から言わなきゃいけなかったんだ。ちゃんと言わなきゃと思ってたんだけど、なんか言葉にしづらくてな。」
もはや恥ずかしさを通り越し、かえって開き直っているような感じだった。しかしこの方が、木根らしいといえば木根らしい。
真っ直ぐに涼香と向き合い、必死に言葉を探しているのが分かる。普段使わない脳の回路を使っているようで、眉間の皺が谷のように深くなっていた。
「・・・・なんかカッコいい言葉が出て来なくて悪いんだけど・・・・・俺と結婚して欲しい・・・・。そんで家族が増えたら、その時はみんなでここに来たいんだ。昔・・・俺と妹と親父とで来た時みたいに、俺とお前、そんで俺たちの子供で・・・・ここで蛍を眺めたい。」
とても・・・・とても素直な言葉だった。眉間の皺は消え、心に引っ掛かった苦い思い出が、その言葉と共に外へ飛び出していくように感じた。
父への想い、家族でもう一度ここへ来られなかったことへの寂しさ、本心ではない言葉のせいで、涼香を拒否してしまったことへの後悔。
降り積もった過去への思い出が、重荷を外されたように飛び去って行く。
プロポーズの言葉は真っ直ぐに涼香に届き、一瞬だけ彼女の唇が動いた。
表情は相変わらず固く、喜んでいるのか驚いているのか分からない。しかしここまで固くなる涼香を見るのは初めてで、いったいどういう言葉を返すのか興味があった。
「・・・・・・・・・・・・。」
涼香は黙ったまま俯き、手持無沙汰に腕を掻く。おそらく・・・・今一番驚いているのは涼香だろう。
まさか木根の方からプロポーズしてくるとは思わず、しかもその言葉のロマンチックなこと・・・・。
きっと驚きを通り越してパニックになっているはずだ。
涼香がどう返すのかじっと見ていると、友恵が背中を突いて来た。
「・・・・意外だね、木根君の方からあんなこと言うなんて・・・・・。」
小声でひそひそと言い、俺と同じく興味深そうに二人を見つめる。
「これ・・・・ちょっと私の予想してた展開と違う・・・・・・。」
「ん?どういうこと・・・・?」
「私はね、てっきり涼香の方からプロポーズすると思ってたの・・・・・・。あの子って白黒はっきり付けたい性格だから、きちんとプロポーズの言葉を伝えたかったはずよ・・・・。でも先に木根君に言われちゃった・・・・・。きっと今は・・・・・・、」
「うん、分かるぞ。きっと今はパニックになってるだろうな・・・。」
「ううん、そうじゃなくて・・・・・普段見られない顔が見られるかもよ。」
「ああ・・・・それさっきも言ってたな。いつもと違う顔になるかもって。それってどういう・・・・・、」
そう尋ねようとした時、涼香が動いた。
木根に近づき、いきなり脛を蹴り飛ばしたのだ。
鈍い音が響き、木根は脛を抱えて飛び跳ねる。
「はあ!?何してんだお前!!」
当然過ぎるその反応に、皆が同じことを思う。「なんで?」・・・・と。
涼香はもう一発蹴りを入れ、木根は堪らずしゃがみこんだ。
「おいコラ!人がせっかく良い雰囲気でプロポーズしたのに・・・・・・、」
そう言い返そうとした時、涼香はガシっと木根の髪の毛を掴んだ。
そして眉間に深い皺を寄せ、喧嘩を売るかのように顔を近づけた。
「私が・・・・・私から言おうと思ってたのに・・・・・。」
震える声で言いながら、鬼のように顔を歪める。木根は呆気に取られ、口を開けたまま固まっていた。

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