取り残された夏の中へ 第十三話 巡る思い出(1)

  • 2015.07.21 Tuesday
  • 12:39
JUGEMテーマ:自作小説
時間が経っても変わらない物がある。
それは時に嬉しく、時に恐ろしいものでもある。
貯水塔の中に侵入した俺は、11年前と何一つ変わらない光景に息を飲んでいた。
懐中電灯を並べたような、薄暗い明り。濃いグレーのコンクリートの壁。
それに黄ばんだ床に、夏だというのに寒さを感じるような不気味さ。
しかも足元には、あの時と同じようにゴキブリまで死んでいる。
そして目の前には螺旋階段があり、天井の向こうへと伸びていた。
「こうも変わらないもんなんだな・・・・・。なんかタイムスリップした気分だよ。」
そう呟くと、木根も「まったくだな」と頷いた。
「あの時と同じくらい気味悪い。」
「でもあの時のお前は、やたらとテンションが上がってただろ。怖がったりしてなかったはずだ。」
「そう見せかけてただけだ。ビビってると思われたくなくて。」
木根は辺りを見渡し、ゴキブリの死骸をポンと蹴飛ばす。
そして螺旋階段に足をかけ、「さっさと登ろうぜ」と言った。
「いつ見つかるか分からねえ。早いとこ済まさねえと。」
靴音を鳴らしながら、鉄の螺旋階段を上っていく。
涼香もそれに続き、実花はあの時と同じように腕にくっ付いていていた。
佐野も階段に足をかけ、その後ろを園田がピタリと張り付く。「離れろデブ!」と怒られて、何から何まで11年前と同じだった。
みんなは天井の向こうに消え、俺と友恵だけが残る。「早く来いよ!」と木根が叫び、みんなの足音が遠ざかって行った。
俺は天井を見上げ、螺旋階段の向こうに何があったのかを思い出そうとした。
しかし上手く記憶が蘇らず、靄がかかったように思い出が掠れていく。
《ここで正也が死んだ。それは覚えてるんだけど、それ以外のことがあやふやなんだ・・・・・。俺・・・・本当にこの上に登ったんだよな?》
自問自答をしながら、どうにか記憶を呼び覚まそうとする。
しかしここで悶々と考えるくらいなら、登った方が早いというものだ。
階段に足をかけ、上を見据える。そしてふとした疑問がよぎった。
「なあ・・・・ちょっといいか?」
後ろを振り返り、友恵に尋ねる。
「なに?」
「正也はここで死んだんだよな?」
「そうよ。」
「だったらさ、なんでこんなに簡単に入れたんだろう?人が一人死んだんなら、もっと厳重に鍵をしてあるはずだよな?」
そう言って、やはりこれはおかしいと再確認する。
今日ここへ入った方法は、あの時とまったく同じだ。
木根がフェンスを越え、中から鍵を開ける。そして貯水塔の梯子を上り、その先のドアから侵入した。
そして一階へ下りて来て、また中から鍵を開けた。
となると、梯子の先のドアには、鍵が掛かっていなかったことになる。
人が死ぬような事故があったのに、ドアに鍵を掛けないなんてことがあるだろうか?
不思議に思って考え込んでいると、友恵が「行こう」と背中を押した。
「早く行かないと木根君が怒るよ。」
「ああ・・・・・。」
生返事をして、螺旋階段を登っていく。
天井を抜けて二階へ上がると、少し先に二つのドアがあった。
右手にあるドアは、きっと外の梯子へ通じるドアだ。もう一つのドアは、上に続く階段にでも繋がっているのだろう。
俺はゆっくりと足を進め、ドアの前に立つ。大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせた。
《もうこの辺りから記憶が無いんだよなあ・・・・。いったいこの先はどうなってるのか・・・・行くのが怖いな。》
ドアに手を掛け、ギュッと目を閉じる。すんなりと開ける勇気が無くて、手足が震えてきた。
すると友恵が「大丈夫よ」と言って、震える俺の手に触れた。
「大丈夫・・・・怖いことなんかない。」
「・・・・・・・・・・。」
「ちょっと休む?」
「・・・・・いや、平気だ。」
「でもそうは見えないよ。ちょっと落ち着いてから行こう。」
そう言って、俺の手をそっとドアノブから離した。
「ねえ斎藤君。今は何を思い出してる?」
友恵の声は優しく、まるで母親のように俺を気遣っているのが分かる。
その時ふと・・・・・ほんの一瞬だけ、何かが歪んで見えた。
それは幻か?それともただの錯覚か?
はっきりとは分からないが、何かが目の前をよぎったような気がした。
「友恵・・・・・今そこに誰かが・・・・・、」
そう言いかけると、友恵は俺の視界を塞ぐように立ちはだかった。
「・・・・・ちょっとずつ・・・・思い出してる・・・・・?」
「・・・・分からない・・・・。でもすごく変な感じだ・・・・。なんか・・・・幻を見てるような・・・・・。」
嫌な感覚が蘇り、頭が痛くなってくる。手足は鉛のように重くなり、動くことが出来ないほどだった。
するとその時、また目の前が歪んだ。
《今・・・・・はっきりと見えたぞ・・・・・。誰かが通るのを・・・・・。》
辺りを見渡し、誰かいるのか探る。すると友恵が「私を見て」と自分の方を向かせた。
「おい・・・・ここ変だぞ。幽霊でもいるんじゃないか?」
「そんなのいないよ。」
「でも今・・・・誰かが通ったんだ。目の前をふらっと・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「なあ友恵。何なんだよここは・・・・。俺・・・・怖くなってきた・・・・。ここ変だよ・・・・なんかおかしいよ。」
頭が混乱してきて、緊張のあまり口が渇く。その時また誰かが通り過ぎる姿が見えて「ほら!また!」と指をさした。
「ここなんかいるぞ!絶対になんかいる!」
「違う、何もいないよ。」
「いやいや!いるって!何度も・・・・・ああ!また出た!」
チラチラと人影が現れ、まるで幽霊のように消えて行く。我慢出来ないほど怖くなってきて、その場から逃げ出した。
「あ!斎藤君!」
「お前も逃げろ!ここ絶対におかしいって!」
慌てて螺旋階段を下り、ドアを開けて逃げ出す。しかし外に出た瞬間に、誰かに腕を掴まれた。
きっと友恵だと思い、「離せ!」と振り払う。しかしその力はとても強く、なかなか振り払えなかった。
いったい誰かと思って振り向くと、木根が俺の腕を掴んでいた。
「斎藤!ちょっと落ち着け!」
「木根!ここ変だぞ!逃げた方がいい!」
「大丈夫だ!変なことなんか何もねえ!」
「いいや、ここは何かいる!だって幽霊を見たんだ!目の前をスッと歩いて、どこかに消えたんだ!」
こんな恐ろしい場所にはいたくないと思い、早く逃げ出したかった。
しかし木根は腕を離さない。そこへ涼香たちも駆けて来て、俺を押さえた。
「斎藤、大丈夫だから。何も怖いことはないから!」
「でも幽霊が出るんだぞ!きっとここで溺れて死んだ奴が・・・・・・、」
そう言いかけて、ふと口を噤んだ。
「斎藤君・・・・。」
友恵が傍に来て、俺の肩に手を置く。その手がやたらと暖かく感じられて、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ここには幽霊なんていない。いるはずがないの・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「辛いのは分かるけど、上に登ろう。だって・・・・今日しかない。今日じゃないともう・・・・。」
友恵の声は何かに焦っている。どうして焦る必要があるのか分からないが、今すぐにでも貯水塔へ戻りたそうな顔をしていた。
するとみんなが俺の周りに来て、同じように焦った顔を見せた。
木根が「なあ・・・」と声を掛け、間を置いてから尋ねた。
「お前が覚えてる事でいいから、俺たちに話せよ。」
唐突なことを言われて、「え?」と返す。
「お前はここで起きた本当の事を忘れてる。・・・・というより、あの夜に起きた本当の事を忘れてるんだ。」
「それは・・・・・分かってるよ。」
「そうなったのは、お前が自分を責めてるからだ。馬鹿みたいに責めまくって、自殺未遂で入院までした。これ・・・・覚えてるか?」
そう問われて、俺はすぐに首を振った。
「分からない・・・・。」
「お前はな、自分で自分の頭に蓋をしてんだよ。そうしなきゃ耐えられなかったからだ。」
「だって・・・・俺のせいで正也が死んだんだ・・・・。俺のせいで・・・・。」
「じゃあその時のことをよく思い出せ。間違った記憶でもいいから、お前の覚えてる限りを、俺たちに話してみろ。」
木根は真剣な目で見つめる。俺がどんな言葉を吐こうと、受け止めるつもりのように。
それは俺に安心感を与え、少しだけ落ち着きを取り戻させた。
そして気持ちが楽になった分、ぽろぽろと言葉が飛び出してきた。
「あの時・・・・ここへ来たことは覚えてる。今日みたいにして中に入って、それで正也と仲直りしたんだ。
もう二度と俺に余計な気は遣わないって約束して、それで・・・・・・分からない。その後の記憶が途切れてるんだ・・・・。」
「でも正也が死んだことは覚えてるんだろ?」
「それは覚えてる・・・・。」
「じゃあその事を話してみろよ。」
木根の目は相変わらず真剣で、怖いほど真っ直ぐだった。俺は記憶を手繰り寄せ、なるべく詳しく思い出した。
「次に覚えてるのは・・・・・一番上まで行った時だ。やたらと細い足場が伸びてて、その下に真っ暗な水が溜まってた。
明りがないから、誰かが懐中電灯を着けたんだ。それで下を照らすと、暗い水が不気味に見えた・・・・。
大きな水槽みたいなところに、すごく汚い水が溜まってたんだ・・・・・。」
「それで?その後どうした?」
「その後は・・・・誰かがこう言ったんだ。『誰かここに飛び込んでみろよ』って。誰の声だったか忘れたけど、確かにそう聞こえた。」
話せば話すほど、当時の記憶が鮮明に蘇る。不気味に濁った水、貯水塔の壁伝いに、ぐるりと伸びる細い足場。
そして・・・・その足場には、濁った水へ続く梯子があった。鉄で出来た梯子で、その先は水の中に沈んでいる。
「・・・・梯子・・・・があって、それから水には色んな物が浮いてた・・・・。藻屑とか、虫の死骸とか・・・・。それに変な臭いもしてたな。きっと水が腐ってたんだ。」
「色んな物が浮いて、水が腐ってたか・・・・・。」
木根は含みのある口調で言う。俺は「やっぱり間違ってるか?」と尋ねた。
「いや、気にするな。続けろよ。」
促されて、俺はまた記憶を掘り起こした。きっと間違っているであろう、絡み合った記憶を。
「誰かが飛び込んでみろよって言って、みんな苦笑いしてた。だってあんな暗い水の中に飛びこめるわけないから。
でもそこで俺がこう言ったんだ。『正也は泳ぎが上手いから、コイツなら行けるんじゃないか』って。」
「それで・・・・正也は飛び込んだのか?」
「いいや・・・冗談言うなって笑われた。まあ当たり前だよな、あんな場所に飛び込むなんて自殺行為だから。でも俺はしつこく言ったんだ。飛び込んでみろって。」
「なんでだ?飛び込んだら危ないって分かってたのに、どうしてそう言った?」
「それは・・・・・きっと悔しかったんだと思う。友恵のことで変な気を遣われて、それで俺は傷ついたから・・・・。」
「そうか。だったら仕返しの為にそう言ったわけだ?」
「でも冗談だったんだ!それは正也も分かってたから、飛び込むなんてしなかった!しなかったけど、でも・・・・・、」
「でも?」
「・・・・あいつは約束を破ったんだ・・・。もう二度と俺に下らない気遣いはしないって約束したのに、またやりやがった・・・・。だから俺は・・・・、」
頭を抱え、当時の記憶に苦しむ。この記憶は間違っているはずなのに、なぜか頭が痛くなる。
・・・・いや、もしかしたら、これこそが正しい記憶なのかもしれない。
俺が勝手に間違いだと思い込んでいるだけで、やはりこの記憶が正しいのかもしれない。
木根はじっと目を向け、俺の言葉を待つ。顔を上げて周りを見渡すと、みんなも同じような目で見つめていた。
《・・・・やっぱり・・・・俺は間違ってるんだ・・・。だからみんなこんな目で見てる・・・・。》
みんなの視線が突き刺さり、針のむしろに立たされるような気分になる。
出来ればこのまま家へ帰りたかったが、それは許されないだろう。
このまま黙っていても意味はないので、先を続けることにした。
「俺がしつこく飛びこめって煽ると、友恵が止めに入った・・・・・。もうやめなよって言って・・・・。でも俺はやめなかった。二人が困ってるのを、心のどこかで楽しんでたんだ。そしたら正也の奴が、友恵にこう言った。『斎藤は今傷ついてるんだから、お前は余計なこと言うな』って。俺は・・・・それがカチンと来た。だから正也に近寄って言ってやったんだ。『そういうのが嫌なんだよ』って。」
あの時のやり取りが思い浮かび、胸を強く締めつける。嫌な記憶というのは、何度思い返しても慣れることはなかった。
しかし胸が締めつけられるほどに、なぜか鮮明に記憶が浮き上がる。そして頭に浮かぶ映像を、そのまま口にした。
「俺は正也に言ったんだ・・・・。馬鹿にすんなって・・・・。だって友恵の前で、これ以上恥をかかされたくなかったから・・・・。案の定、友恵は複雑な顔で俺を見てた・・・・。同情と憐れみの目だ。あの時・・・・友恵は『大丈夫?』って言ったんだ。俺を憐れむような目で見つめながら、優しく気遣いやがった・・・・。でもそれは屈辱でしかないんだよ!だから俺は・・・・正也に顔を近づけて、耳打ちしてやった。『お前の彼女が、俺を同情の目で見やがった・・・・。だからお前が責任取れ・・・・。お前が約束を破ったも同然なんだから、罰としてここへ飛び込め・・・・』って・・・・。」
一息にそう言ってから、俺は友恵を見上げた。
友恵は優しい奴で、他人にすごく気を遣う。だからこんな理由で正也が飛び込んだのだと知ったら、深くショックを受けると思っていた。
しかし予想に反して、友恵は平気な顔をしている。まるでそんな事は初めから知っていたという風に・・・・・。
「・・・正也はまだ苦笑いしてたけど、でもだんだんと表情が曇ってきた。俺が本気で怒ってるって感じたんだ。だから『そこまで言うなら飛び込んでやるよって』って言った。それで水の中を睨んで・・・・・そのまま飛び込んだ。」
そこまで話して、俺は頭を抱えた。なぜならこの先の記憶は、正也が溺れて死ぬことになっているからだ。
頭の中では必死にもがく正也が浮かんで、今にも死にそうに叫んでいる・・・・。
俺は何も出来ずにそれを見ているしかなく、友恵と実花は悲鳴を上げていた。
しかし俺たちの騒ぎを聞きつけた貯水塔の職員が、懐中電灯を照らしながら入って来た。
そして正也が溺れているのを見つけて、すぐに救命具を取りに走った。
浮き輪を持って戻って来ると、それを正也に向かって投げる。しかし正也はすでに力尽きようとしていて、浮き輪に捕まる力すらない。
職員は自分も水の中に飛び込み、浮き輪に捕まりながら正也を助ける。
そして俺たちに向かって「救急車を!」と叫んだ。
木根がすぐにケータイを取り出し、涼香も同じようにどこかへ電話を掛けた。
その間に正也は引き上げられ、細い足場に寝かされた。
それからすぐに救急車がやって来て、正也は病院へ運ばれた。
俺たちは後からやって来た警察に、署まで連れて行かれた。
そして詳しくあの時の状況を話していると、一人の警官が正也の死を伝えた。
病院へ運ばれたが、助からなかったと・・・・・。
その後のことはよく覚えておらず、次に浮かんでくる場面は正也の葬式だった。
俺は死人のような顔で正也の写真を見つめていた。そこへ正也の親父さんがやって来て、じっと俺を睨んだ。
眉間に深い皺を刻み、今にも怒鳴り出しそうな怖い表情だった。
しかしグッと息を飲んで、『君は悪くない』と言ってくれた。
『あいつは自分から飛び込んだんだ。何も気にするな。』
そう言って俺の肩を叩き、励ましてくれた。
自分の息子が死んだというのに、その原因を作った俺を元気つけようとしてくれたのだ。
あの時、俺は堪え切れずに泣いた。何度も頭を下げ、何度も謝って、ただひたすら泣いていた。
俺が正也のことで覚えてるのは、ここまでだ。
もしこの記憶が間違いだとするならば、いったいどこがどう間違っているのか?それを知りたかった。
自分の知る限りの全ての記憶を話し、みんなの反応を窺う。
誰もが唇を固く結び、どこに焦点を合わせているのか分からないような目をしていた。
困っているようにも見えるし、憐れんでいるようにも見えるし、みんながどういう思いを抱いているのか分からない。
そんな表情に囲まれながら、俺はだんだんと不安になってきた。
木根の腕を掴み、胸を締めつける痛みを我慢しながら、「教えてくれ」と尋ねた。
「あの夜・・・・・本当はいったい何があったんだ?俺はそれを知りたい。」
絞り出すようにして言うと、木根は何も言わずに頷いた。
そして貯水塔を見上げ、「あれをよく見ろ」と指差した。
「お前がな・・・・・自分からそう言うのを待ってたんだ。あの時何があったのか・・・・それを知りたいと思えるなら、きっと見えるものが変わってくるはずだ。」
そう言われて、俺は木根の指差す先を見た。
白く大きな貯水塔が、夜の闇の中にそびえている。不気味で、恐ろしくて、妖しくて・・・・・。でもなぜか、いつもと違う風に感じた。
貯水塔は確かにそこにある。でもそれは・・・・・俺の知っている貯水塔とは違っていた。
まるでスライドショーを見せられるように、だんだんと貯水塔の様子が変わっていくのだ。
銭湯で子供が溺れる幻を見たように、目の前の貯水塔が、幻のように揺らぎ始める。
「斎藤。お前は自分の頭に蓋をして、正しい記憶を閉じ込めようとしてた。でも今なら・・・・きっと分かるはずだ。今、ここがどういう場所なのか?どういう状態なのか?ちゃんと分かるはずだ。」
木根は真剣な目をたもったまま、諭すように話しかける。
そして友恵も「大丈夫だよ」と声を重ねた。
「今の斎藤君なら、きっと正しいものが見えるはず。自分から知りたいって思えるなら、ちゃんと正しい見方を出来るはず。」
友恵も貯水塔を見上げ、「もうじき私たちの見てる景色と、斎藤君の見ている景色が同じになるはず」と言った。
「みんなの見てる景色と、斎藤君の見てる景色にはズレがある。でも・・・・それが無くなった時、正しい記憶を結べるはずだよ。だからちゃんと見て。目を逸らさずに。」
期待を込めた声で言って、じっと貯水塔を見上げる。
みんなと俺の見ている景色にはズレがある・・・・・・友恵はそう言ったが、俺にもその意味が分かるような気がした。
今、俺の目に映っている貯水塔は、グニャグニャと陽炎のように歪んでいる。
夜だというのに強い光が射し、夜空を隅の方へと追いやっていく。
暗い空は光に焼かれ、まるで絵具で塗りつぶされるように青色に染まっていく。
それと同時に、周りからたくさんの話声が聞こえてきた。
大人の声、子供の声、老人の声、男の声に女の声。
たくさんの声が入り混じり、ガヤガヤと耳に響いてくる。
そして少し遅れて、大勢の人影が浮かび上がった。
たくさんの人影が辺りを行き交い、老若男女の多種多様なシルエットが歩いている。
そのシルエットはやがてハッキリと姿を浮かび上がらせた。
子供を連れた夫婦、中学生くらいの女の子の集団、スポーツウェアを着てランニングしている人、カメラをぶら下げて歩くカップル。
まるで休日の観光地のように、たくさんの人が辺りで賑わっている。
気がつけば、いつの間にか暗い夜は消えていた。
グラデーションのかかる青い空。楽しそうに賑わう多くの人たち。そして頭上から降り注ぐ突き刺すような光。
夜は一瞬のうちに消え、辺りは昼になっている。
そして辺りを行き交うほとんどの人が、同じ場所を見上げていた。
空に何かがあるかのように、面白そうに目を向けている。
いや・・・・目を向けているだけではない。そちらへ向かって歩いているのだ。
中にはカメラを構えてシャッターを切っている人もいる。
この人たちを見上げる方向・・・・それはさっきまで俺が見上げていた方向と同じである。
正也が亡くなった、あの白い貯水塔がある方向だ。
みんな笑いながら見つめていて、何かのアトラクションへ向かうかのように、弾んだ足取りをしている。
俺はゆっくりと深呼吸をしてから、周りの人たちと同じ方向を向いた。
するとそこには、さっきと何一つ変わらない貯水塔が立っていた。
天を突くように高く、そして全ての光を反射するように白くそびえている。
「これだけさっきとは変わらない・・・・。なんでだ?」
不思議に思い、貯水塔を見つめながら立ち上がる。
すると誰かが俺の肩を叩き、「思い出したか?」と尋ねた。
振り返ると、そこには11年ぶりに見る懐かしい顔が立っていた。
「・・・・・・。」
「久しぶりだな。」
それは正也だった。
軽く手を挙げて、まるで近所のコンビニで出くわしたみたいに、恐ろしく軽い挨拶をする。
「え?・・・・・あ・・・・え?」
「混乱してんな。まあ無理もないけど。」
死んだはずの正也が、タバコを片手に目の前に立っている。
そして白い貯水塔を見上げ、「ようやく辿り着いたな、お前」と言った。
「11年ぶりの再会だ。あの夏以来の・・・・。」
しみじみとそう言って、美味そうにタバコを吹かす。
俺は「なんで?」と呟き、疑問と混乱の渦に飲み込まれそうになる。
しかしすぐにピンと来るものがあって、「ああ、そういうことか・・・・、」と頷いた。
「これは・・・・アレだな?映画のシックスセンスってやつと一緒だ。」
そう言って指を差すと、正也は無表情のまま煙を飛ばした。
「ここってアレだろ?天国かなんかだろ?実は死んだのはお前だけじゃなくて、俺も一緒だったんだ。お前を助けようと飛び込んで、それで二人とも死んでしまった。」
「・・・・・・・・・。」
「でも自分が死んだって認めたくないから、生きてるフリをしてた。だけどここに来て、当時の記憶を知りたいと思ったから、自分が死んだことを思い出したんだ。そうだろ?」
「・・・・・・・・・。」
「いや、そんな悲しい目で見つめなくていいよ。正直さ、そんなに嫌な気分じゃないんだ。ここってどう考えても地獄じゃないだろ?こうしてお前がいて、しかも周りは休日の観光地みたいに賑やかだ。空は青いし、みんな楽しそうな顔してる。こんな場所でお前と会えるなら、別に嫌じゃないよ。自分が死んだことを認めるのは。」
俺はとても晴れやかな気分だった。11年ぶりに会う親友。しかも場所は天国。
こうなると、もう現世で嫌な思い出に縛られる必要はない。というより・・・・・嘘の記憶の中で生きる必要が無いのだ。
俺は死んだ。いや、死んでいた。それを今日思い出し、こうして正也のいる天国に来られた。もう・・・・それで充分だった。
「自分が死んでたんじゃ、そりゃ記憶に蓋をしようとするわな。でもこうして天国に来られると分かってたなら、もっと早く思い出すことが出来たかもしれないのに。」
そう言って笑いかけ、「アイツらも意地悪だよな」と肩を竦めた。
「本当の記憶の先に、こんなに素晴らしい場所が待ってるなら、さっさと教えてくれれば良かったのに。お前と一緒で、アイツらも下手な気遣いをするもんだ。そういうのは優しさじゃなくて、おせっかいって言うのにな。」
ここへ来られたこと、正也と出会えたこと、そしてもう思い出に苦しむことは無いと思うと、心の底から嬉しくなった。
こんなに嬉しくなったのは、この11年の間で初めてかもしれない。
笑顔のまま正也を見つめていると、ふとおかしなものが目に入った。
「なんだ・・・・あれは・・・・・?」
俺と正也の間を、数人の学生が通り抜けていく。そして俺たちに触れると、まるで幽霊のようにすり抜けてしまった。
「あれ・・・・俺たちじゃないか・・・・。」
幽霊のようにすり抜けていったのは、高校生の頃の俺たちだった。
ボクシング同好会のメンバーが全員揃っていて、貯水塔の方へ歩いて行く。
俺は大きなバッグを担いでいて、正也はも同じように大きなバッグを担いでいる。
二人は貯水塔を抜け、その奥へと向かう。
そこには緑の茂った広場があり、誰もいないブランコと鉄棒があった。
俺たちは芝生の上に立ち、お互いに向かい合う。その向こうには小さな溜池があって、涼香と木根、そして実花と園田が池の傍に腰を下ろした。
佐野は俺たちの間に立ち、何かを喋っている。その隣では、友恵が浮かない顔で俯いていた。
いったい何をしているのだろうと見つめていると、俺は担いだバッグを下ろし、中からグローブとヘッドギアを取り出した。
そして正也もグローブを取り出し、それを拳に填めた。しかし俺と違って、ヘッドギアは着けなかった。
両者のグローブは大きさが違っていた。俺の方は・・・・・おそらく8オンス。軽・中量級の選手が付けるグローブだ。
対して正也は大きめのグローブを着けている。しかも試合用ではなく、練習用の柔らかそうなグローブだ。
俺たちはお互いに歩み寄り、鋭い視線で睨み合う。佐野がレフェリーのように立ち合い、指を向けて口を動かしている。
よく耳を澄ますと、その声が聴こえてきた。どうやらルールの説明をしているようで、『正也は本気で右を打つなよ』と忠告していた。
その言葉に正也は頷き、俺たちはグローブを合わせる。実花は『やめようよ・・・』と怯え、園田も不安そうに息を飲んでいた。
木根は無表情を気取っているが、内心では不安になっているのが分かる。涼香も同様で、硬い表情の中に不安を見せていた。
俺たちは一歩離れ、ファイティングポーズを取る。佐野が前に出て、両手を広げて開始の合図を窺う。
そして・・・・友恵は俯き加減で唇を結んでいた。
俺と正也が戦うということは、友恵が関係していることに他ならない。それが全ての原因ではないにしても、無関係というのは有り得ない。
まだ表情に幼さが残る、高校時代の俺たち。その様子を見つめながら、「これは何だ・・・・?」と後ろに立つ正也に尋ねた。
「なんかまた幻を見てるみたいだけど、これも俺も記憶なのか?」
「ああ。」
「でも・・・・俺はこんなの覚えてないぞ。」
「そりゃそうだろ。これこそがお前が蓋をしていた記憶なんだから。」
「は?これが・・・・?」
「お前はここが天国だと思ってるようだけど、それは違う。ここはあの世でもこの世でもない、お前の記憶の中だ。」
「・・・・・・・・・。」
「糸みたいに絡まった、間違った記憶の中にある、正しい記憶だ。お前はみんなに支えられ、ようやくここまで辿り着いた。でもまだ完全じゃない。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!これが俺の記憶?・・・・ってことは、俺は自分で自分の頭の中に入ってるってのか?」
「まあ・・・・そんなようなもんだ。」
「そんなようなもんだって・・・・・どう納得すればいいんだよ・・・・・。」
「思い出そうとしてるんだよ、正しい記憶を。とにかく黙って見てろ。答えはちゃんと出るから。」
正也はタバコを吹かしながら、表情を変えずに若い頃の俺たちを見ている。
《・・・・・どうでもいいけど、コイツのタバコまったく短くならないな。スパスパ吹かしてるクセに、いったいどうなってんだ・・・・?》
やはりコイツの言うとおり、ここは俺の記憶の中なのか?もしそうだとしても、どうしてここに正也が・・・・・。
疑問に思っていると、後ろから『始め!』と声が響いた。
振り返ると、俺と正也がステップを刻みながら、軽いジャブを繰り出していた。
ジャブの応酬がしばらく続き、だんだんと打ち合いが激しくなる。
正也のパワーは相変わらずで、しかも一つ一つの動きが速い。
しかし俺の方も負けてはいなかった。相手のグローブが大きい分、パンチの威力は削がれて、若干スピードも落ちている。
しかも正也はヘッドギアを着けていないから、俺のパンチが入る度に顔を歪めていた。
ヘッドギアの有無と、グローブの大きさの違い。それに加えて、正也は本気で右を打ってはいけない。
きっとこれは実力差を考慮したハンデなんだろう。
これだけ有利な条件であれば、パワーで負けていても互角に打ち合えるようで、俺は果敢に攻めている。
かわすことだけは自信があるので、正也の大振りを慎重に避けながら、懐に入って連打を見舞う。
良い感じに追い詰めて行くが、正也には一発の重さがある。要所要所でパンチを放ち、俺の連打を絶ち切っていた。
佐野は真剣な目で戦いを見つめ、俺たちの邪魔にならないように、忙しなく動き回っている。
池の傍に座っているギャラリーは、不安と怯えの混ざった顔で、戦いの成り行きを見守っていた。
そして友恵はというと、どちらを応援していいのか分からないという風に、ただ困っていた。
きっとどちらの勝利も、どちらの敗北も望んでいないのだろう。応援も声援も送ることなく、どうか早く終わってほしいと願っているようだった。
・・・・・しばらくの打ち合いの後、少しずつ戦いの均衡が崩れ始めた。
幾つも有利なハンデをもらっている分、俺が押し始めたのだ。
《こうやってハンデをもらって戦ってるってことは、これは二度目の戦いの後なんだろうな。》
そう思った時、ここへ来る前に友恵に言われたことを思い出した。
《アイツは俺と正也が三度戦ってるみたいなことを言ってたな。俺は覚えてなかったけど、それは抑え込んでた記憶の中にあったんだな。だったらこの戦いが、封印したくなるような記憶に結びついているってことだ。》
今目の前で戦っているのは、昔の俺と正也だ。
戦っているのは自分なのに、記憶を思い出せないでいるせいで、他人の戦いを眺めているような気分だった。
追い詰められた正也は、負けるのは嫌だとばかりに、本気で右フックを放った。
俺は腕を上げてガードをしたが、強烈なパワーに負けて後退してしまった。
そこへ正也の連打が襲いかかり、思わずダウンしてしまう。佐野はすぐに止めに入り、『本気で右を打つなって言ったろ!』と警告した。
しかし正也は悪びれる様子もなく、『コイツが余計な気遣いはいらないって言ったんだ』と切り捨てた。
『二度と下らない気遣いをするなって見栄張ったんだよ。』
『でも本気で右を打たないって条件だったろ。お前も納得したはずだ。』
『・・・・だったらコイツも納得してれば良かったんだ。昨日ここへ肝試しに来て、その時にコイツと仲直りをした。二度と下らない気遣いはするなって言って、それを破ったらこの汚い池で泳いでもらうって約束した。それで納得してりゃ良かったんだ。』
そう言って正也は、木根たちの傍にある溜池を指した。
『コイツが何度も飛びこめって煽るから、俺はこの池に飛び込んでやったんだ。本当ならそんなことするつもりなかったけど、コイツがしょうもないこと言うからよ・・・・。』
苛立たしそうに言って、ダウンした俺を睨む。
『友恵が下らない気遣いをしたから、俺に責任取れなんてぬかしやがった。彼女なんだから、俺にも責任はあるだろって。あの時はマジでむかついて、本気で殴ってやろうかって思った。でもコイツが傷ついてるのは分かってたから、多少はワガママ聞いてやろうと思ったんだ。だから俺は飛び込んだ。』
怒りをぶちまけるように、一息でまくしたてる。俺はダウンしたまま立ち上がろうとせず、ヘッドギアでその表情を隠していた。
俺の知らない戦い・・・・・俺の忘れた出来事・・・・・そして俺の知らない正也とのやり取り・・・・・。
目の前に見せられる光景と、この耳に入ってくる正也の言葉。そのどれもが戦慄を覚えるもので、後ろの正也に尋ねた。
「これはどういうことだ・・・・・?あの日、お前は貯水塔に飛び込んだんじゃないのか?今の会話だと、あの汚い溜池に飛び込んだってことになってるけど・・・・、」
そう尋ねると、正也は思いもしないことを言った。
「ここに貯水塔なんかねえよ。」

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