取り残された夏の中へ 第十五話 あの頃の夏の先へ(1)

  • 2015.07.23 Thursday
  • 15:30
JUGEMテーマ:自作小説
目の前に正也がいる。
車椅子に乗り、死人のようのに脱力し、表情は乏しく、頭を支える筋肉が衰えて、首を傾げたような体勢になっている。
死んだと思っていた正也は生きていて、それを見た瞬間に、全ての記憶が蘇った。
俺はあの夏、ここで溺れた。正也はそれを助けようとして、自分も溺れた。
今日みたいに青い空が広がり、休日を楽しむ人々が行き交う日だった。貯水塔の傍にある公園で、馬鹿な戦いを演じて、その挙句に死にかけた。
でも誰も死ななかった。俺も正也も、こうして生きている。
しかし俺たちの間に違いがあるとすれば、それは後遺症があるか無いかだった。
正也が助けてくれたおかげで、俺はただ溺れるだけで済んだ。
しかし正也は俺を助けた後、体力が続かなくなって沈んだのだ。
友恵が助けに入ったが、彼女は泳ぎが下手だ。正也を助けられるほどの力はない。だから最後は水に沈み、呼吸が止まった。
池から引き上げられて、そして病院へ運ばれるまで、最低でも10分は掛っていた。
幸い命は取り留めたものの、10分間も呼吸が止まっていた代償は大きかった。
そもそも10分も息が止まって生きていたこと自体が奇跡であり、後遺症を抱えるのは当然のことだったのかもしれない。
正也は脳に大きなダメージを受け、思うように身体が動かせなくなった。
どこへ行くにも車椅子を必要とし、日常生活の全てにおいて、誰かの助けを借りなくてはならなくなった。
あの日、俺が警察署で事情を聞かれていた時、正也が無事だったことを知らされた。
しかしあの時点では、正也はまだ眠っていたので、後遺症の有無は確認出来なかった。
俺は両親と共に病院へ訪れ、ベッドで眠る正也を見舞った。
ベッドの傍には正也の両親がいて、険しい顔で立っていた。
そして正也のおじさんは、俺を見るなりこう言ったのだ。
『友恵ちゃんを巡って戦ったんだってな?馬鹿なことをする・・・・・。』
そう言って眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を和らげた。
『でもな、俺は斎藤君のことは責めない。昔っからコイツには、何かあったら戦えって教えてきたんだ。だからその通りに戦っただけだ。それでたまたまこんな事になって、危うく死にかけた。だから誰も悪くない。落ち込むことなんてないんだからな。』
おじさんは慰めるようにそう言って、『これからもこの馬鹿の友達でいてやってくれ』と笑った。
しかしその数分後、事態は急変する。
目を覚ました正也の様子がおかしかったのだ。目は虚ろで、どこにも焦点が定まっていない。
呂律も回らず、手足も思うように動かせないでいた。
おじさんはすぐに医者を呼び、正也の様子がおかしいことを伝えた。
俺は部屋から追い出され、中では何やら話声が続いていた。
そしてしばらくしてから、おじさんが出て来てこう言った。
『・・・・心配してたことが起こった。長いあいだ呼吸が止まってたから後遺症が・・・・・、』
そう言って言葉を濁し、俺を睨んだ。
『斎藤君は悪くない。でも・・・・・今日は帰ってくれないか?このまま君を見てたら、俺は・・・・・、』
掠れるような声で言うおじさんの拳は、硬く震えていた。
俺は何も答えることが出来ず、両親に押されて頭を下げた。
その後、家に帰ってから不安な時間を過ごした。
正也は命は取り留めたが、後遺症をのこした。それがどの程度のものか分からないが、間違いなく俺の責任だと思った。
木根から連絡があり、今からみんなで集まれないか?と言われた。
一人でいるのが不安だったので、みんなでいつもの練習場に集まった。正也と友恵を除いて・・・・・。
しばらくは誰も口を開かなかったが、その静寂に耐えかねたように、実花がポツリと呟いた。
『正也君・・・・どうなっちゃうのかな?』
正也に後遺症が出ている事はみんな知っていて、重い空気がさらに重くなる。みんなで集まったはいいものの、特にやることもなくて、すぐに解散となった。
家に帰る途中、後遺症のことばかりが気になった。いくら心配しても足りないし、いくら言い訳をしても不安が拭えない。
このまま家に帰るのも躊躇われ、もう一度病院へ向かう事にした。
正也に会うのは無理だが、友恵になら会えずはずだ。あいつにも迷惑を掛けてしまったし、ちゃんと謝りたかったのだ。
病院へ行くと、友恵はベッドで横になっていた。傍には両親がいて、俺を見るなり険しい顔をした。
何か言いたそうに口を開きかけたが、友恵が『いいから』と止めた。
『斎藤君と二人にさせて。』
そう言って病室からを追い出し、俺と友恵だけになった。
そして開口一番、友恵はこう言った。
『正也君、もう元に戻らないんだって・・・・。』
それが後遺症のことを指しているのはすぐに分かった。しかし問題なのは、どの程度の後遺症が出ているかということだ。
友恵は俺の不安を見透かしているように、『重いよ』と語った。
『どこにも行くにも車椅子が必要なんだって。日常生活も一人では無理だし、どんなにリハビリしたって、元の状態には戻らないって。』
『・・・・・・・・・・・。』
『正也君のおじさんがね・・・・私に教えてくれたの。アイツはそんな状態になるけど、これからも仲良くしてやってくれないかって。』
そう言って身体を起こし、ベッドの傍の椅子を指した。
俺は腰を下ろし、俯いたまま友恵の顔が見れなかった。
『おじさんは・・・・平静を装ってたけど、きっとすごく辛いんだと思う。だって自分の息子がそんな風になったんだから、当たり前だよね。』
『・・・・・・・・・・。』
『・・・・出来れば、もう斎藤君とは付き合わせたくないみたい。でもそれは、おじさんの勝手だと思う。だってあんな事になったのは、誰のせいでもないもん。いくら親だからって、親友を引き裂くなんて出来ないよ・・・・。』
友恵の声は怒りと悲しみが宿っていて、『もちろんそんな事は言えなかったけどね』と笑った。
『だけど私は、これからも二人に親友でいてもらいたい。私だってこんな事が理由で、正也君と別れるつもりはないし。』
そう語る友恵の声は力強く、高校生とは思えないほど大人の決意を感じた。
『だけど正也君の性格からしたら、きっと嫌がるんだろうなあ。俺なんかほっといて、他に良い男を見つけろとか言いそう。』
冗談ぽく言いながらも、その言葉には少しだけ不安が混じっていた。だから俺を見つめ、『二人で頑張ろうね』と言った。
『きっと斎藤君だって同じ目に遭うよ。もう俺になんか構うなって言われると思う。でも負けちゃダメだよ。私たちを遠ざけようとしたって、そうはいかないって思い知らせてやらなきゃ。』
そう語る友恵の言葉は、半分は俺に、半分は自分に言い聞かせているようだった。
それを聞いた時、こいつは本当に正也のことが好きなんだなと知った。
ほんの一時の恋愛感情ではなく、心の底から正也に惚れているんだと、強く思い知らされた。
『後で正也君に会ってあげて。きっとおじさんは嫌な顔するだろうけど、私も一緒に行ってあげるから。』
そう言って俺の手を握り、『二人なら大丈夫だよ』と励ましてくれた。
結局その日は正也に会うことが出来ず、あの事故があってから一週間後に会うことが出来た。
友恵の予想通り、おじさんはとても嫌そうな顔をした。俺の姿を見るなり、すぐに拳が硬くなっていたからだ。
しかし友恵は気にせずに俺の手を引き、『正也君』と呼びかけた。
正也は車椅子に座っていて、ゆっくりとこちらを振り返る。そして俺を見るなり、掠れた声で手を挙げた。
『・・・・・・・・・。』
何か言っているがよく聞き取れず、友恵に引かれて近くへ行く。するといきなり俺の腕を掴んで、『斎藤・・・・」と呼びかけた。
『・・・・俺・・・・こんなんなっちゃったよ・・・・・。』
泣きそうな顔でそう言って、強く俺の腕を握った。
『・・・・嫌いにならないでくれよな・・・・・これからも友達でいてくれよ・・・・・。』
予想に反して、正也はとても気弱な言葉を吐いた。
こいつの性格なら意地を張ると思っていたのに、泣きそうな顔でそう言った。
『・・・・もう・・・・戻らないんだって・・・・。リハビリやったって歩けないって・・・・・。』
目の端にじわりと涙が溜まり、滴となって頬を伝っていく。
そこにはいつもの強気な正也はなく、まるで遊園地で迷子になった子供のように、ひどく不安な表情をしていた。
『・・・・怖いんだよ・・・・なんでこんな事になっちゃったんだろうって・・・・。だから嫌いにならないでくれよな・・・・お願いだから・・・・。』
また涙が頬を伝い、俺の腕を揺さぶる。
『・・・・みんなにも言っといてくれ・・・・。これからも友達でいてくれって・・・・。俺に会いに来てくれって・・・・・・。だってもう・・・・自分で行けないし・・・・。』
恨めしそうな目で車椅子を睨み、『なんでこんなもん・・・・』と、悔しそうに叩いた。
『なんでこんなんなっちゃったんだよ・・・・・・。嫌だよ・・・・こんなん乗って生きるなんて・・・・・。どこにも行けない・・・・・。』
そう言って、顔を覆って泣き出す。それは獣の咆哮のようにけたたましい泣き声で、見ているこっちが辛くなるほどだった。
『・・・・・戻りたい・・・・・あの時に・・・・・。そうしたら・・・・絶対に飛び込まなかったのに・・・・・。』
その言葉を聞いた瞬間、ナイフで胸を刺された気分になった。
目に見えない刃が突き刺さり、電流を流して抉られるような痛みだった。
『・・・・死にたい・・・・一生こんなんだったら、もう死にたい・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・。』
『でも怖いんだよ・・・・・・。死にたくても出来ない・・・・・あの溺れた時を思い出すから、死ぬの怖いんだよ・・・・。でも元に戻らない・・・・・うううぐうう・・・・・。』
耳を突くほどの凄まじい泣き声は、超音波のように響き渡り、俺を破壊する。俺の頭を、胸を、そしてあの時の出来事を・・・・・。
『・・・・一人にしないでくれ・・・・いっぱい会いに来てくれよ・・・・。友達でいてくれよ・・・・・。』
泣き声の合間に漏れる言葉が、さらに俺を破壊していく。
もうこの場にいるのが辛くなり、病室を後にしたかった。
しかし正也は俺の腕を掴み、『友達だよな・・・・』と繰り返す。
もうそんな言葉は聞きたくなくて、もうコイツの泣き声も聞きたくなくて、もうこの場所にもいたくなかった。
すると友恵が『友達だよ』と割って入り、正也の手を握った。
『一人にするわけないじゃん。ずっと傍にいるよ。』
『本当か?絶対に嫌いになったりしないか?』
『何があっても正也は正也だよ。昔みたいに戻れなかったとしても、そんなの関係ない。嫌いになったりしないから。』
『本当に・・・・?本当だな・・・・・。』
子供のようにむせぶ正也。その手を取って、真剣に頷く友恵。
いつか見た二人の庇い合いの光景が思い浮かび、まるで安物のドラマを見せられているような気分になる。
しかし一番の問題は、この光景をそんな風にしか捉えられない俺自身であり、それは壊れていく自分を守る為でもあった。
俺は踵を返し、病室を出て行く。正也の両親に頭を下げ、廊下を歩いてエレベーターに向かった。
友恵が追いかけて来て、『斎藤君!』と叫ぶ。
『また来てあげてね!正也君に会いに来てあげて!』
背中に声が突き刺さり、振り返るのが怖くて走り出す。
エレベーターの前を駆け抜け、階段を駆け下りて出口まで向かう。
外に出ると、一度だけ病院を振り返った。きっともう・・・・二度とここに来ることはない。そんな風に思いながら。
一人で家路に着き、病室での出来事を思い出しながら歩く。
耳には正也の気弱な言葉が張り付いていて、『嫌わないでくれ』『死にたい』の声がリフレインしていた。
あんな正也とどう向き合えばいいのか分からず、もう顔を会わせたくなくなる。
アイツは言った。もしあの時に戻れるなら、絶対に池には飛び込まない・・・・と。
これは俺を助けた事を後悔しているということであり、そして俺のせいでアイツがあんな状態になってしまったという証だった。
車椅子、呂律の回らない言葉、そして泣き虫のように気弱な顔。
どれもこれも、俺のせいでああなってしまった。しかも二度と元に戻らない。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、より自分が壊れていくのが分かる。
砂糖が溶けるように、砂山が波にさらわれるように、自分の中の色んなものが溶けていって、このまま透明人間になってしまいそうだった。
もし透明人間になることが出来たら、それはどんなに楽だろう?
透明ということは、誰の目にも触れないということで、俺は存在しないのと一緒だ。
苦しいからといって死ぬ勇気もなく、かといって現実と向き合う勇気もない。
生きるのも死ぬのも嫌だから、透明になって消えてしまいたかった。
だけどそれは無理なことだ。だったらどうする?どうすればこの板ばさみの状況から抜け出せる?
家路に着きながら一生懸命考えていると、ふと良い事を思いついた。
『何もかも無かったことに出来たら?・・・・もしそれが無理なら、せめて俺だけでも全てを忘れることが出来たら。』
そう思った途端、あの溜池での出来事がフラッシュバックしてきた。
濁った水の中で溺れる俺。ぐったりしたまま動かない正也。そして・・・・病院での正也の言葉。
どれもが鮮明に蘇り、何度も記憶の中で再生されていく。
フラッシュバックというのは追体験だ。脳が記憶した出来事を、まるで現実のように体感し、疑似体験する。
嫌な思い出が何度も俺を責めたて、気がつけば叫びながら走っていた。
正也と同じように獣の咆哮を発し、気が狂ったように喚く。そしてしばらく走った所で意識が途切れた。
次に目が覚めた時、俺は病院にいた。
両親と木根たちが傍にいて、心配そうに見つめていた。
手首には包帯が巻かれていて、何かで斬り付けたようにジンと痛んでいた。
俺はみんなの顔を見渡し、メンバーが二人欠けていることに気づく。
『・・・・正也と友恵は?』
そう言ってから、ふと口を噤んだ。なぜなら正也はもういないと思ったから。アイツは溜池で溺れ、そして死んでしまった。
俺はその責任に耐えかねて、胸が潰されるような思いから逃げ出した。
喚きながら家路を走り、記憶が途切れた。
『正也は・・・・俺が殺した・・・・・・。』
この呟きが最後の仕上げとなって、俺の記憶は塗りかえられた。
正也はあの池で死んで、もうこの世にはいない。
それが俺にとっての真実となり、その真実を支える為に、あらゆる偽の記憶を生み出した。
そして偽の記憶をしっかりと保つ為に、あの貯水塔の中に押し込んだ。
あの中には不気味な水が溜まっていて、正也はそこで死んだ。溜池のこともスパーリングのことも、偽の記憶に都合の悪い事は、全て記憶の奥底に封じ込めた。
この日から11年間、俺はずっと偽の記憶の中を生きることになった。
目の前に正也が現れても、それは他人だと思い込むことにした。
みんなが『正也は生きている』と言っても、そんな言葉は聞かなかったことにした。
見ない、聞かない、そして疑問に思わない。そうすることで、偽の記憶は守られ、一切の真実から俺を遠ざけた。
俺は俺自身を守る為、あの夏の中で時間を止めることを選んだのだ。
偽の記憶を張り巡らせ、その記憶の中に生きることで、時間を止めていた。
・・・・・11年。それは11回の夏が過ぎたことを意味していて、俺の夏はあの時のまま止まっている。
でも今日・・・その時間が動き出した。
見ない、聞かない、考えない・・・・それを終わりにすることで、俺の夏は進み始めた。


            *****


かつて貯水塔があった場所に、気持ちの良い風がそよいでいる。
俺が正しい記憶を取り戻してから一年後、正也と友恵、そして俺の三人でここへ来ていた。
白くそびえるあの貯水塔は、もうどこにも無い。
俺が記憶を取り戻した翌日、取り壊しが始まったのだ。
今は代わりにアスレチックが建っていて、子供たちが喜声を上げながら遊んでいる。
雲が流れる青い空。辺りを行き交う家族連れやカップル。
去年と変わらない光景が広がっていて、貯水塔が無いことを除けば、11年前からこの景色は変わらない。
友恵は正也の車椅子を押しながら、ゆっくりと遊歩道を歩く。
薬指には銀色のリングが光っていて、正也の指にも同じものが填まっている。
俺は二人の指輪を見つめながら、一歩一歩足元を確かめるように歩いていた。
「斎藤君はいつまでこっちにいるの?」
友恵が振り返って尋ねる。俺は「明後日だな」と答え、「今度の店は遠いから」と笑った。
「今は関東なんだよね?」
「そう。一か月前に転勤になってさ。でも東京が近いから便利だよ。」
「向こうに転勤ってことは、栄転ってことでいいの?」
「一応はそうなるかな。」
「おめでとう。何かお祝いしなきゃね。」
友恵は弾けた笑顔を見せ、「斎藤君栄転だって」と正也に言った。
「んな自慢するようなもんじゃないよ。向こうの人がこっちに飛ばされたから、代わりに俺が行っただけ。」
「でも店長に昇格なんでしょ?」
「そうだけど、そんなに給料が上がるわけじゃないんだよ。仕事が増えるばっかりで、全体的に見ればマイナスかも。」
「今はどこもそんな感じだと思うよ。ウチの会社だって、あえて出世しない人とかいるもん。でも私は出世したいな。仕事が辛くても、給料が安いと生活がね。」
そう言って正也に顔を近づけ、「でもそうなったら、一緒にいられる時間が減っちゃうけど」と寂しそうにした。
「そんな暗い顔するなよ。明日は式なんだから。」
「分かってるよ。でも色々考えちゃうじゃない?」
「ああ、マリッジブルーってやつ?」
「そうじゃなくて、正也と一緒にいる為には、私が頑張らなきゃってこと。親は協力してくれるって言ってるけど、でも世話になりっぱなしじゃカッコ悪いじゃない。」
「そうだな・・・。高校ん時から付き合ってて、いよいよ結婚するんだもんな。色々と張り切っちゃうか。」
「まあね。」
友恵は嬉しそうに微笑みながら、車椅子を押していく。すると正也が遠くを指差し、「向こうに・・・」と言った。
「え?戻るの?」
「・・・貯水塔のあった方に・・・・・。」
「でもたくさん人がいるよ。人混みは嫌いでしょ?」
「・・・・いいから。」
正也は強く言い、どうしてもあそこに行きたいと指をさす。
友恵は車椅子を反転させ、遊歩道を引き返した。
そして貯水塔のあった場所まで来ると、再び子供の声が響いてきた。
「斎藤・・・・。」
名前を呼ばれて、「なんだ?」と尋ねる。
「あの日・・・・お前はここで記憶を取り戻したな?」
「ああ。みんなで思い出巡りをして、最後にここにやって来た。」
「あの時も、今日みたいによく晴れてた・・・・。」
「そうだな。俺はてっきり夜だと思ってたのに、実は朝だった。」
「まだ偽物の記憶の中にいたからな・・・・。」
「木根たちの思い出巡りが終わって、俺は何かを思い出しそうになっていた。その後気を失って、いったん家に帰ってたんだよな?」
そう尋ねると、友恵は小さく頷いた。
「記憶を取り戻そうとしたせいで、ストレスになっちゃったみたいでね。だから木根君のアパートに運んで、目が覚めるまで待ってた。そして朝になってからまた来たの。」
「俺だけ夜のままだったんだな。とっくに日は照ってたのに・・・・。」
そう言って空を見上げると、「自分と向き合ってた証拠だよ」と言われた。
「本当の記憶を取り戻す為に、偽物の記憶の中にいたからね。斎藤君だけ夜のままだったみたい。」
「あの時、お前はこう言ったよな?俺とお前らの見ている景色にはズレがあるって。あれはそういう意味だったんだな?」
「そうだよ。ついでに言うと、お化けだと勘違いした人影は、ここに遊びに来てた人の姿を見てたの。偽の記憶と現実の光景がごちゃ混ぜになって、混乱してたんだね。」
「なんか滑稽だよな、それって。実は朝なのに、夜だと思って怯えてたなんて。周りから見てたら笑えただろ?」
「そんな事ないよ。だって毎年見てたからね。」
友恵はニコリと微笑み、「夏が来るたびに続けた甲斐があった」と頷いた。
「この季節になると、毎年同窓会をやったのよ。斎藤君を呼んで、思い出巡りをして、正しい記憶を取り戻してもらおうと思って。」
「・・・・まさか全部演技だったとはなあ・・・・。思い出巡りが急に思いついたなんて、嘘もいいとこじゃないか。」
そう言って笑いかけると、「半分は本気でやってたんだよ」と唇を尖らせた。
「思い出巡りじたいは、みんな本気でやってたのよ。ただし斎藤君の記憶を刺激しそうな場所を選んでね。だけど去年は、いつもより色んな事があったなあ・・・・。実花ちゃんのせいで一発目からつまづいちゃって、あの時は本気で焦った。」
「ああ、あれは演技じゃなかったんだ?」
「もちろん。みんなそれぞれ自分の生活とか人生とか、そういうのが出て来る年齢だったからね。斎藤君のことをほったらかしで、ついつい自分の思い出に浸っちゃって。それは私も同じだけどね。」
「あの銭湯か?」
「そう。だけど・・・・それでよかったんだよね。演技じゃなくて、みんな真剣に思い出を巡ったから、斎藤君も刺激されたんだと思う。」
友恵はゆりかごのように車椅子を動かし、あの時のことを思い出している。
「実花ちゃんは木根君を汚い沼に突き落とした。あれは斎藤君にとって、記憶を刺激する出来事だったはず。」
「そうだな。しかも実花は自分でも溺れやがった。夜の暗い川で。」
「そうだったね。佐野君と園田君は殴り合って、あれだって記憶を刺激されたんじゃない?」
「・・・・どうだろうな。そんな気もするけど、今思うとどれもが自分の記憶に結びついていたように思う。」
「きっとそうなんだよ。去年は斎藤君にとって、人生を変える日だった。そういう運命の日だったんだよ。」
「そうだな。こうして記憶を取り戻したんだし、そういうことにしとくか。」
うんと背伸びをして、大きな欠伸を放つ。関東へ栄転になったはいいものの、やはり仕事は忙しくなった。
やり甲斐はあるものの、溜まっていく疲れはどうしようもない。
肩を回し、目を閉じて眉間に皺を寄せる。友恵が「疲れてる?」と尋ねるので、「ちょっとな」と答えた。
「ごめんね、仕事が忙しいのに来てもらって。」
「お前らの結婚式をすっぽかすわけにはいかないよ。」
「そうだよね。涼香と木根君の式には出たのに、私たちだけほったらかされたらショック。」
「だからちゃんと来たじゃないか。」
「うん、ありがとう。」
友恵は笑い、車椅子を押して行く。
かつて貯水塔が建っていた場所。そこにはもう何の面影もなく、子供が遊ぶアスレチックがあるだけだ。
その傍までやって来ると、正也は目の前の土手を見上げた。

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