取り残された夏の中へ 最終話 あの頃の夏の先へ(2)

  • 2015.07.24 Friday
  • 11:29
JUGEMテーマ:自作小説
貯水塔のあった場所まで来ると、正也は土手を見上げた。
この先は道路が通っており、さらに向こうには大きな川が流れている。
あの貯水塔はいつだって土手の向こうを見下ろし、川の向こうに広がる町も見下ろしていた。
「・・・・不思議だよ・・・・寂しい・・・・。」
正也はポツリと言う。もう一度「寂しい・・・・」と繰り返し、そこに貯水塔が建っているかのように目を細めた。
「良い思い出は無いのに・・・・・無くなると寂しい・・・・・。」
その声は悲しそうに沈んでいて、貯水塔が取り壊されたことを残念がっていた。
「仕方ないよ、かなり老朽化してたから。」
「でも・・・・壊さなくても・・・・・・。」
「だってほっといたら倒れちゃうかもよ?」
「・・・・そうだな。あの貯水塔は・・・・もう役目を終えた・・・・。だから壊された・・・・・。」
そう言って俺の方に目を向け、「アイツに感謝しろよ・・・・」と言った。
「アイツは・・・・お前が記憶を取り戻すまで待ってたんだ・・・・。本当はもっと早く壊されてもおかしくなかったのに・・・・。」
「ああ、友恵から聞いたよ。」
「・・・・去年の夏が・・・・・最後のチャンスだった・・・・。お前がここへ来て・・・・記憶を取り戻す為の・・・・。」
「うん・・・・。」
俺は去年の夏を思い出す。あの日ここへ来た時、友恵はこんな事を言っていた。
『辛いのは分かるけど、上に登ろう。だって・・・・今日しかない。今日じゃないともう・・・・。』
あれは貯水塔の取り壊しが決まっていたので、もうあの時しかチャンスがなかったのだ。
もし取り壊されてしまったら、正しい記憶を取り戻すキッカケが掴めなかったかもしれない。
だから・・・・ギリギリ間に合ったということだ。
もし何も思い出せないまま壊されていたら、あの貯水塔は偽の記憶を封じ込めたまま、永遠に姿を消してしまうことになる。
そうなる前に思い出せたのは、偶然ではないのかもしれない。
「なあ正也・・・・。」
呼びかけると「ん・・・?」と顔を向けた。
「あの時な・・・・・頭の中にお前が出て来たんだよ。」
「俺が・・・・・?」
「今だから言うけど、アレはきっとお前の魂だと思ってた。だけどこうしてお前は生きてる。だったらアレは・・・・いったい何だったんだろうな?」
別に答えを求めるでもなく尋ねる。すると正也は「貯水塔の魂じゃないか・・・・・」と返してきた。
「貯水塔?あんなもんに魂があるのか?」
「さあな・・・・。でも・・・・これで終わりだぞって言いたかったんじゃないか・・・・・?」
「どういうことだ?」
「アイツは毎年お前に付き合ってたんだ・・・・・。でも身体はボロボロになって・・・・もういい加減立っていられなくなった・・・・・。だから・・・・これ以上はお前の記憶を抱えておけないから、さっさと思い出せって協力してくれたんだろ・・・・・。」
「なんか面白い考え方だな、それ。」
俺はあの時の正也を思い出し、「そういえば・・・・」と呟いた。
「あの時のお前さ、短くならないタバコを吸ってたんだ。でも最後の方になると、そのタバコが短くなり始めてた。あれって俺が記憶を取り戻し始めたから、時間が動き出したって意味かな?」
「・・・・知らん。好きなように解釈したらいいんじゃないか・・・・。」
「なんだよ、自分から貯水塔の魂とか言ったクセに、素っ気ない態度だな。」
笑いながら言い返すと、正也は首を振った。
「・・・・俺は・・・お前の会った俺なんかどうでもいいんだ・・・。貯水塔の魂とかも、適当に言っただけだ・・・・。」
「そうか。なら言いたいことが別にあるんだな?」
「ああ・・・・。俺はお前に会いたかった。でも出来なかった・・・・。」
そう言ってまた空を向き、重たそうに息を吐いた。
「会おうと思えば会えたけど、でも出来なかった・・・・・。お前が記憶を取り戻さないうちに会ってしまったら・・・・余計に混乱させると思ってな・・・・。だから・・・・お前がこっちに帰って来る度に、遠巻きに見てるしか出来なかった・・・・。どれだけ話しかけたかったか・・・・・。」
辛そうに言葉を吐き出し、また重い息を吐く。しかしその顔は弾んでいて、「こうして話せるようになって良かったよ・・・」と笑った。
「お前は毎年みんなに協力してもらって、一昨年は記憶を取り戻す一歩手前まで来てたんだ・・・・・。でも結局思い出すことが出来なくて、夏が過ぎると全部忘れちまう・・・・。それは俺にとって、どれだけもどかしかったか・・・・・。俺は11年も耐えたんだ・・・・・。勝手に死んだことにされて、自分が生きていることも伝えられない・・・・。ずっと偽物の記憶の中にいたお前に、この苦しみは分からないだろう・・・・・?」
責めるようなその口調には、イバラのような棘があった。
苦しんでいたのはお前だけじゃないと言わんばかりに、刺さるような言葉だった。
「俺は・・・・自分だけが苦しいなんて思って・・・・・、」
「言い訳はいいよ、謝罪もいらない。その代わり、一つ約束してくれないか・・・・?」
「約束?ああ・・・・俺に出来ることなら。」
顔を上げ、正也の目を見つめ返す。すると正也は貯水塔の建っていた場所を指さして、グルグルと円を描いた。
「あそこにさ・・・・・また高い建物を建ててくれないか・・・・?」
「ん?」
「あの貯水塔が無くなったから、町が見渡せないんだ・・・・・。だから何か高い建物を建ててくれよ・・・・。」
いったい何を言っているのか分からず、首を傾げた。すると友恵が「よくあそこに登ってたんだよ」と言った。
「私が車椅子を押して、上の方まで登ってたの。そしてこの町を見渡してたわけ。」
そう説明すると、正也が車椅子を叩いた。
「こんなもんに乗ってるせいで、行きたい場所に行けないからな・・・・。だからあそこに登って、町を見渡すことだけが楽しみだった・・・・。でも貯水塔が無くなって、もうそれも出来ない・・・・・。だからお前が建ててくれよ・・・・町を見渡せるような、高い建物を・・・・。」
正也は真剣な顔で言う。俺はどこまで本気でとらえていいのか分からず、「それは・・・・マジで言ってるのか?」と尋ねた。
「当たり前だろ・・・・・。お前が記憶を取り戻したせいで、俺は唯一の楽しみを奪われたんだ・・・・・。」
「なんだよそれ?」
「・・・・さっきも言ったろ。お前が記憶を取り戻したから、アイツは成仏しちまった・・・・。そうでなけりゃ、今でもここに建ってたんだ・・・・。」
「成仏って・・・・・無茶苦茶な理屈だな・・・・。」
俺は苦笑いしながら、ボリボリと頭を掻いた。
「でもなあ・・・・・そんなもん建てるとなると、いったいいくら掛ることやら・・・・、」
「稼げばいいだろ・・・・栄転になったんだから・・・・。」
「無理だよ。もしアレと同等の高さのもんを建てようと思ったら、今の仕事じゃ絶対に無理だ。」
そう答えると、正也はニヤリと笑った。
「・・・・そうか・・・・なら稼ぐ方法を考えないとな・・・・。」
そう言って友恵を振り返ると、彼女も可笑しそうに笑った。
「おい、なんだよ?なんか企んでるような笑い方だな?」
「あ、分かる?」
「お前ら二人で結託して、俺に何を約束させるつもりだよ?」
少し警戒しながら尋ねると、二人は顔を見合わせて笑った。
「あのね・・・・実はちょっと考えてることがあって・・・・・、」
「なんだよ?もったいぶらずに言えよ。」
「実は実花ちゃんのお父さんが新しい事業を始めるんだけど、人手が足りてないんだって。」
「新しい事業・・・・?アイツの家は土地も会社も持ってる資産家だろ?なのにまた新しい商売を始めようってのか?」
「お金持ちだからこそ、色んな商売をやるのよ。それでね、靴をメインにした大きな店を出すんだけど、スタッフが足りてないんだって。だからアパレルで店長をやってる斎藤君なら、ちょうど適任じゃないかって勧めたの。」
「今時に大型のアパレル店?そんなもん競合する相手が多いから、上手くいきそうにないと思うけど・・・・、」
「ううん、アパレルだけじゃないよ。日用雑貨とか食料品も置くの。まあ言ってみれば、靴や服も取り扱うディスカウントショップみたいな感じかな?」
「・・・・・う〜ん・・・何とも言えないなあ・・・・。」
「あ・・・・やっぱり無理?」
「だって最近転勤したばっかで、ようやく店長になったからなあ・・・・。」
「そっか・・・・やっぱりいきなり頼んでも難しいよね・・・・。」
友恵は悲しそうな顔になり、シュンと項垂れる。正也は表情を変えずに俺を見つめていて、無言の圧力を掛けていた。
「・・・・・・いいよ、やっても。」
そう答えると、友恵は「ホント・・・?」と表情を輝かせた。
「まあ今の会社にいても先は見えてるし、転職するならちょうどいい歳かもしれないし。」
「ホント!ホントに引き受けてくれるの!?」
「実花の親父さんが雇ってくれるならな。」
「雇う雇う!だって来てくれるなら嬉しいって言ってたもん!」
友恵は飛び跳ねんばかりの勢いで喜び、「やったね!」と正也に笑いかけた。
「でもさ、そんな所で働いたからって、ここに大きな建物が建てられるほど稼げるとは思えないけど・・・・、」
「大丈夫だよ!コツコツ貯めていけば!」
「コツコツって・・・・いったい何年掛ると思って・・・・・、」
そう言いかけた時、俺はハッと気づいた。
「お前ら・・・・もしかしてそれが狙いか?」
「え?何が?」
友恵は笑って誤魔化すが、「バレバレだよ」と言ってやった。
「俺みたいな庶民が、どう頑張ったって貯水塔みたいにデカイもん建てられるわけがない。ということは、もしこっちに転職したら、俺はずっとこっちにいて働かなきゃいけない。それが狙いなんだろ?」
「そうだよ。」
「そうだよって・・・・、」
「だって斎藤君は、ようやく記憶を取り戻したんだよ?その間、正也は斎藤君に会いたくても会えなかった。11年も我慢してたんだから。」
「それは分かってるよ。でも俺だって苦しんで・・・・・、」
「逃げてただけでしょ?」
「何・・・・?」
顔をしかめて聞き返すと、友恵も表情を険しくして睨み返してきた。
「今だから言うけど、斎藤君はずっと逃げてただけなんだよ。嘘の記憶で誤魔化して、この場所から逃げてた。その間、私たちがどれだけ心配してたか分かる?」
「・・・・・それは・・・悪かったと思ってるけど・・・・、」
「毎年みんなで集まって、斎藤君の為に思い出巡りをした。11年もだよ?」
「・・・・だから知ってるよ・・・・、」
「なんでそこまでしたかって言うと、斎藤君が友達だから。いつかは自分と向き合ってくれると信じて、じっと待ってたの。だったら・・・・今度は斎藤君が力を貸してよ。」
友恵はそう言って、俺の手を握る。そして自分の方に引きよせ、正也の手に触れさせた。
「私は正也と結婚する。でもそれは、きっと嬉しいことばかりじゃない。」
そう言って表情を曇らせ、「今まで何度断られたか・・・・」と涙ぐんだ。
「私は傍にいたいのに、正也は付き離そうとした・・・・。自分なんかと一緒になったら、苦労するだけだって・・・・。だから一度は別れて、別の人と付き合った・・・・。でもやっぱりダメ・・・・私は正也が良かった・・・・。」
「それって・・・・去年別れたとかいう・・・・、」
「そう・・・。実はとっても良い人だったんだ・・・・。だけど別れた。やっぱり他の人と一緒になるなんて考えられなかったから、私からフッちゃった・・・・。優しい人だったのに・・・・・傷つけちゃった・・・・・。本当に悪いことしちゃった・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「それもこれも、全部斎藤君がいなかったからよ!あの時・・・・・二人で頑張ろうって言ったでしょ!正也はきっと私たちを付き離そうとするから、二人で頑張ろうって・・・・。なのに自分だけ逃げて・・・・・長い間みんなに心配掛けて・・・・・・、」
友恵の声がだんだんと掠れ、最後は聞き取れないほど小さくなった。
俺は「ごめん・・・」と謝り、ただ俯くしななかった。
「私は何度も説得した・・・・。正也の傍にいるのは苦痛じゃないって・・・・・離れる方が苦痛だって・・・・。それでようやく結婚を受け入れてくれた・・・・。でも嬉しいことばっかりじゃない。正也はこんな状態だから、きっと大変なことはたくさんあると思う。もちろんそれを覚悟した上で結婚するんだけど・・・・・でも不安がないわけじゃない。私一人で支えるなんて、無理だって分かってるから・・・・・。」
鼻をすすりながら、胸の支えを吐き出すように言う。ハンカチを取り出し、赤くなった目元を拭っていた。
「正也のおじさんとおばさんは、いくらでも協力するって言ってくれてる。涼香たちも、困ったことがあったら力を貸す言ってくれた。でも・・・・私たちに一番必要な人は斎藤君なの。だって正也の親友だし、私だって斎藤君のことはそう思ってるから・・・・・。だから傍にいてよ・・・・・。11年も逃げてたんだから、今度は私たちに力を貸して・・・・・。」
友恵は堰を切ったように泣き出し、ハンカチで顔を覆う。背中を向け、11年間溜めていたであろう不安を吐き出した。
そして正也はというと、貯水塔のあった場所を見つめていた。もう一度そこを指をさし、グルグルと回す。
「あそこに・・・・高い建物を建ててほしいんだ・・・・。いくら時間がかかってもいいから・・・・・。」
そう言って目を細め、指を回し続けた。
俺も貯水塔のあった場所を見つめ、かつてそこに建っていた巨塔を思い描く。
そしてゆっくり口を開いた。
「・・・・・いいよ。」
「本当にいいのか?一生かかっても建たないかもしれないぞ・・・・・?」
「ああ。ていうか建ったら困るのはそっちだろ?」
「・・・・そうだな・・・。実を言うと、あの貯水塔には数回しか行ってない。」
「そうなのか?」
「ああ、だって今と昔じゃ・・・・俺も変わったから・・・・。」
そう言って車椅子の車輪を握った。
「コイツの扱いが上手くなったもんでさ・・・・結構動き回れるから・・・・。だからあんな場所に行かなくても、町は眺められる・・・・・。」
車椅子をポンと叩き、「意外とどこへでも行けるもんだ・・・・」と笑った。
「でもさすがになあ・・・・・お前のいる店まで行くのは無理がある・・・・・。」
「まあそいつで行くには遠いわな。」
「だろ?だからコイツで行ける範囲にいてくれると助かるんだけど・・・・・、」
「それけっこう近いな。三軒隣くらいのレベルじゃないか?」
「馬鹿言うな。もう11年も乗ってるんだぜ・・・・・。今じゃこの腕だ。」
そう言って逞しい二の腕を見せつけ、「な?」と笑った。
「すごい腕だな。今殴られたら失神程度で済みそうにない。」
「ヘッドギアごと顔が潰れるぞ・・・・・。」
「うん。もうお前と戦うのは御免だよ。また池に落とされたら敵わんし。」
冗談を飛ばすと、「一発受けてみるか?」と拳を握った。
「・・・・・そうだな。じゃあ約束を破ったら殴ってもいいぞ。」
「なら・・・・・本当にこっちに・・・・・、」
「ああ、戻って来る。そいつで行ける範囲にいてやるよ。」
そう言って正也の後ろに回り、車椅子を押した。
「んじゃ今から実花の家に行こう。雇ってくれって伝えにな。」
ゆっくりと車椅子を押し、遊歩道を歩いて行く。すると友恵が追いかけて来て、赤く腫れた目を向けた。
「・・・・・ありがとう。」
「お前も殴っていいぞ。俺が約束破ったら。」
「・・・・じゃあ正也に殴り方を教わっとかなきゃね。」
まだ潤んでいる目で笑い、シャドーボクシングの真似をして、「こう?」と正也に尋ねる。
「違う。全然腰が入ってない・・・・。」
「ええっと・・・・こう?」
「ダメだな。」
「じゃあちゃんと教えてよ。」
「帰ったら教えるよ・・・・・。一緒にいる時間はたっぷりあるんだから。」
「お前らな・・・・俺を殴る為の講釈はやめろ。」
車椅子を押しながら、日射しの強い遊歩道を抜けて行く。
偽の記憶を押し込めていた貯水塔は、もうこの場所にはない。
俺が記憶を取り戻したのと同時に、役目を終えたように消えてしまった。
正也の言うように『成仏』したのかもしれないが、あの時現れた正也が、貯水塔の魂だったのかどうかは分からない。
しかし少なくとも、もうここに嫌な思い出はない。
偽の記憶に埋もれて、11年前の夏に閉じ込められる必要はないのだ。
友恵は言った。俺の見ている景色だけズレていると。
それはきっと、俺だけが同じ場所に踏み止まっていたからだ。
その間にみんなは先へ進み、今でも俺の先を行っている。
木根と涼香は結婚し、出来るなら来年の夏までに子供が欲しいと言っていた。あいつらならきっと、良い家族になれると思う。
佐野は実花を諦めて、飲み会だのコンパだのに積極的に参加している。最近仲良くなった女の子がいるらしいが、その後の進展はまだ聞いていない。
園田は少しずつ自分を変えようとダイエットを始め、ほんのちょびっとだけ体重が落ちた・・・・らしい。見た目はまったく変わらないけど。
実花は『今の時代は結婚より仕事よ!』と方向転換し、父の会社で営業をやっている。なかなか優秀らしく、数年後には自分の会社を持つのだと意気込んでいた。
そして正也と友恵は明日結婚する。俺が偽の記憶に埋もれている11年の間、この二人は大きな苦労をした。
俺のことはもちろんだが、それと同じくらいに自分たちの問題に直面した。
友恵が好きだから別れたい正也と、正也が好きだから傍にいたい友恵。
その決着は友恵に軍配が上がった。コイツは正也以上に強く、そして辛いことに耐える我慢強さを持っていた。
正也はきっと、ここらで折れないと本当に友恵が離れて行ってしまうと危惧したのだろう。
昔っから意地っ張りだから、素直に好意を受け取れないところがある。
でもそれは、自分の重荷を背負わせたくないという愛情でもあったはずだ。
だけど最後には友恵が勝ち、明日は夫婦になることを宣言する日だ。
この二人が良い家族になれるかどうかは、まだ分からない。友恵の心配する通り、常に介護を必要とする正也を支えるのは、並大抵のことではないだろうから。
でもだからこそ、俺に傍にいてほしいと頼んだのだ。
今まで支えたのだから、今度は私たちを支えてほしいと・・・・。
車椅子を押しながら、貯水塔のあった公園を離れて行く。土手に上り、車に気をつけながら、川沿いの方へと下って行った。
俺は足を止め、頭の中に貯水塔を思い浮かべた。
そして後ろを振り返ると、そこに何もなかった。それと同時に、あの貯水塔は本当にあったのだろうかと不安になる。
そう思うのは、俺の時間が動き出したという証拠かもしれない。
11年前の夏はもう終わり、あれから一年が経って、ようやく前に進み出した気がする。
胸を締めつける思い出はもう消え去り、二度とあの夏に苦しめられることはないだろう。
そう思った時、ふと土手の上に正也が見えた。
タバコを咥え、煙を吹かしながらこちらを見ている。
そして俺と目が合うと、小さく手を振った。
タバコの煙がポロリと落ち、それと同時にどこかへ消える。
あの正也は・・・・貯水塔の魂なんかじゃない。幻覚でもなければ、もちろん幽霊でもない。
俺が偽の記憶を保つ為に生み出した、勝手に死んだことにした正也だ。
11年間ずっと傍にいて、俺が正しい記憶を取り戻す時まで待っていてくれた、記憶の中の正也。
あいつが手を振るということは、これはやっぱり止まっていた時間が動き出したってことなんだろう。
感慨深く立ち尽くしていると、腰の辺りにドンと衝撃が走った。
何かと思って見ると、友恵が拳を構えて「どう?」と笑った。
「どうもこうも、俺はまだ約束を破ってない。」
「じゃあもっと磨いておかなきゃね、斎藤君がビビるくらいに。」
そう言ってシュッシュとシャドーを繰り返し、パンチを磨いていた。
「絶対に逃げ出せないな、こりゃ。」
車椅子の重みを感じながら、大切なものが傍にあることを実感する。
取り残された夏は、貯水塔と共にどこかへ消えていった。



            -完-

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