勇気のボタン 最終話 勇気を出して

  • 2010.06.19 Saturday
  • 10:48
 八月ももう下旬になっているが、暑さはまだまだ続きそうだ。
セミの鳴き声がミーンミンミンの大合唱から、ツクツクホーシと間延びした歌い方に変わっている。
日が沈みかける河原沿いの道を、マサカリを連れて藤井と一緒に歩いていた。
この時間になれば、ほんの少しだけ暑さがおさまる。
川を吹き抜けていく風を心地よく感じながら、俺達は何気無いことを喋りながら笑っていた。
最近、同盟の活動以外でもよく藤井と会うようになった。
会えば動物の話しが大半を占めるのだが、以前は話さなかったようなプライベートな話も、少しづつではあるがするようになっていた。
次の同盟の活動は今の所決まっておらず、そのことも話題に上がるのだが、今藤井は家にいる猫のことを嬉しそうに語っていた。
「ココね、大人しい子だと思ってたら、結構やんちゃだったの。
自分の餌が終わるとモモの分を横取りしようとしたりしてたまに喧嘩になるのよ。」
風に振られる藤井の髪を見つめながら、俺は笑顔で頷いて答えた。
「そりゃあマサカリみたいだな。
いつかみたいに、マサカリと喧嘩してモンブランが家出したように、モモもそのうち家出しちゃうんじゃないか。」
マサカリがチラッとこちらを見て、ふんと鼻を鳴らすとまた前を向いて歩き始めた。
「あはは、そうなったら大変だね。
じゃあモモは有川君の家に家出しちゃうのかな。」
「いや、モモは俺の家を知らないから来れないだろう。
まあモモは家出なんかしないだろうけどな。
優しくて大人しい子だから。」
モンブランが聞いたら、「じゃあ私は優しくなくておてんばなのか」と怒ってくるかもしれない。
前を歩くマサカリが、「モモはモンブランより賢いから大丈夫だ」なんて分かったような口調で言っている。
「そうだね。
モモはモンブランみたいに行動的じゃないから、家出はないかな。
ココと喧嘩しても、すぐに仲直りするし。」
「そうか。
マサカリみたいに意地っ張りじゃないんだな。
うちは気の強いやつらばっかりで困るけど。」
またマサカリがこちらを振りかえり、「なんだとう」と不満そうに言ってくる。
痩せる気配は全く無く、顔の肉は相変わらずてんこ盛りのご飯のようである。
「モンブランはともかく、俺は繊細だぜ。
他の連中と一緒にするな。」
一番図々しいやつに繊細だなんて言われても困ってしまうが、俺は余計なことは言わず、「はいはい」とだけ答えておいた。
またふんと鼻を鳴らし、不機嫌そうに歩きだした。
「あらら、マサカリが機嫌を損ねちゃった。
ごめんね、マサカリ。」
藤井の言葉にマサカリは、「真奈子が謝ることはねえ」と格好をつけたように言い、「悠一は飼い主のくせに俺の繊細なハートを分かっていない」とむっつりした声で言う。
「おい、悠一。
真奈子に紐を渡せ。
俺は今日から真奈子を飼い主と認める。」
また何か言ってるよ、と思いながら、俺は言う通りに藤井に紐を渡してやった。
「よし、今から真奈子が俺の飼い主だ。
よろしく頼むぜ。」
藤井は笑顔でマサカリを見て、嬉しそうに紐を持っている。
「よし!じゃあ今日からマサカリの名前はココアに変更ね。」
「何だって?」とマサカリが声をあげる。
「だって私が飼い主なんでしょ。
名前だって自由に付けていいじゃない、ね、ココア。」
ココアと呼ばれたマサカリはムズムズした感じで体を震わせ、困った目で藤井を見た。
「俺はマサカリって名前が気に入ってるんだ。
改名されるくらいならやっぱり悠一の所へ戻る。
ほら、紐を悠一に渡せ。」
そう言われた藤井は意地悪そうに笑う。
「えー、やだよお。
もうココアは私の犬だもん。
家に帰ったらお洋服を着せてあげようね、ココア。」
藤井もだんだんとマサカリの扱いが上手になってきた。
困るマサカリを見て笑っている。
「そ、そんなの嫌だ。おい、悠一。
真奈子から紐を奪い取れ。
俺はお前が飼い主のままでいい。」
俺と藤井は目を見合わせて笑った。
最近はこういう話しばかりしていた。
下らない冗談、他愛無いお喋り。
そうやって藤井と一緒に動物達と過ごす時間が、俺にとっては何より楽しい時間になっていた。
暇が欲しいからと言って会社を辞めた時の俺からは考えられないことだった。
誰かと一緒に笑い合う。
一人でいるより、二人でいる方が楽しいと思える。
そんなふうに俺を変えたのは間違いなく藤井だった。
そして、藤井と一緒に同盟の活動をしてきたことも大きい。
困っている動物と正面から向き合う。
その動物に関係している人と話し合う。
また動物だけじゃなく、困っている人と真剣に向き合って話しをしたこともある。
今までに無かった何かが、自分の中で芽生えているのを感じていた。
少しづつではあるが、変わっていく自分。
それは、決して嫌なことでは無かった。
俺はマサカリとふざけ合う藤井を見つめながら、会社を辞めてから今までのことを思い返していた。
もし藤井とあの公園で出会わなかったら。
もし同盟の活動を断っていたら。
今までのことは全て無かっただろうし、俺も相変わらず一人で暇を持て余すのが好きな退屈な人間だっただろう。
藤井、俺は本当にお前に出会えたことを感謝している。
沈みゆく太陽の薄い光が、藤井の横顔を照らしている。
俺はしばらくそれを眺めていた。
最近聞いた藤井のプライベートな話で分かったこともある。
実家は隣の県で、三ヶ月に一回は帰っていること。
両親は穏やかで優しい人であること。
妹が一人いること。
そして俺が一番驚いたのは、藤井は会社の男性の何人かから、告白されたことがあるということだった。
俺の知る限り、会社にいる藤井は田舎娘っぽくて、動きも仕事もとろくて、合コンにも誘われないようなやつだった。
なのに男性数人から告白を受けていたとは。
聞けば中には、当時社内で女性から人気もあって、仕事も出来るイケメンのやつもいた。
なのに藤井はそれらの告白を全てふったという。
「気になる人がいるから。」
それが理由らしいが、その気になる人とやらは、内緒ということで教えてもらえなかった。
俺も自分のことを聞かれ、実家の家族のことや、幼い頃の話しなんかをした。
過去に一度だけ女性と付き合ったことがあると言うと、「へえー」と感心したような顔で答えていた。
そういうことも話し合うようになって、俺達の仲は前より深くなったと思う。
だんだんと心の中で大きくなっていく藤井に対しての感情がどういうものなのか、俺も小学生では無いのでそれに気が付くまで時間はかからなかった。
俺は藤井が好きなのだ。
友達としてもそうだが、それ以上に一人の女性として。
一緒にいたい。
話していたい。
そして触れ合いたい。
強くなるその気持ちを打ち明ける勇気の無いまま、この暑い夏の残りを過ごしていた。
いつか、この気持ちが伝えられるんだろうか。
その時藤井は何て言うんだろうか。
考えては悶え、悶えては考えているが、今の所藤井に気持ちを打ち明ける勇気は無い。
「はい、マサカリの紐を返すね。」
ぼーっと考えながら藤井を見ていた俺に、マサカリの紐を手渡してくる。
俺はそれを受け取り、相変わらずな他愛無いお喋りを続けながら、その日の散歩を終えた。
家に帰る時、ひぐらしの声が涼しく響いていた。

                       *

「今用意するから待ってろよ。」
餌を待つ動物達にそう言い、台所の下の棚を開けてごそごそしていた。
マサカリ、モンブランと並び、マサカリの頭の上にチュウベエがとまっている。
カモンはカゴの中で、マリナは窓際にいた。
「今日の散歩で危うく改名されるところだったぜ。」
餌を待ちながらマサカリが言う。
「何の話よ。」
後ろにいるモンブランが、マサカリに顔を近づけて聞いた。
「いやあ、真奈子がよお。俺の名前をココアに変えようとしたんだ。
俺に似合うと思うか、ココアって名前?」
それを聞いたモンブランとカモンは大笑いし、マサカリをからかい始めた。
「いいじゃない。可愛い名前で。
これからは私もココアって呼ぼうかしら。」
モンブランはまだ大笑いしている。
「だははは、その暑苦しい顔でココアなんて可愛らしい名前が似合うかよ。
ノコギリとかでいいんじゃねえか、だはは。」
カモンは毒舌でマサカリを挑発する。
「うるせえなあ。
俺だってそんな可愛らしい名前が似合わないことくら分かってんだよ。
真奈子のやつめ、俺をからかいやがって。」
ぷりぷり怒るマサカリの前に用意出来た餌を出すと、怒っていることなどすっかりどこかへ吹き飛んで餌をがっつき始めた。
用意出来た餌を順番に動物達にやり、俺も自分の夕飯を作ろうかと思っていると、テーブルの上のケータイが鳴り始めた。
「悠一、鳴ってるわよ。」
マリナに急かされ、「分かってるよ」と言いながらケータイを手に取る。
藤井からだった。
最近はよく電話がかかってくるのだ。
「今何してる?」
「もうご飯食べた?」
「これから一緒に何処かに食べにいかない?」
そんな電話がかかってくる度に、俺は喜々としてそれに応じた。
今日は何の用だろうと思って通話ボタンを押す。
「もしもし。」
俺は明るい声で電話に出た。
応答が無い。
俺はもう一度「もしもし」と呼びかける。
するとか細く、震えた声で藤井が喋り出した。
「うう、有川君・・・。」
泣いているとすぐに分かった。
俺は明るい声から真剣な声に切り替え、「どうしんたんだ?」と心配気味に聞いた。
しばらく藤井の泣く声が聞こえ、それからまた「有川君」と消え入りそうな声で呼ばれた。
「何だ?何かあったのか?」
心配が増してきて、呼びかける俺の声も強くなる。
「うう、ココが・・・。」
「何?」
よく聞き取れないので聞き返す。
すると藤井は大きく泣き始め、叫ぶような声で言った。
「ココが、ココが家にいないの!」
あまりに大きな声だったので、俺はケータイを耳から少し離した。
藤井は堰を切ったように大声で泣き始めた。
耳が痛いほどだ。
「とりあえず落ち着け。
ココがいないってどういうことなんだ?」
藤井の泣き声に負けないくらいの大声で俺も言った。
藤井は泣きながら説明してくる。
「家に帰ったら・・・、うう、ココって呼んでも出て来なくて・・・。
ううう・・・、それでモモに聞いたら・・・、うう、私も知らないって・・・。」
完全に動揺している。
声が少しうわずっていた。
「要するに、帰ったらココがいなかったんだな。」
また大声で聞き返すと、藤井はさらに泣き始めた。
「うう、私が悪いの・・・。」
「どういうことだ?」
ふと見ると、大声で話す俺を見て何事かと動物達が俺の周りに集まってきていた。
「藤井さんから?
何かあったの?」
心配そうにモンブランが尋ねる。
俺はコクリと頷き、藤井の先を促した。
「お前が悪いってどういうことだ?」
藤井はしばらく黙りこみ、すするような泣き声だけが聞こえてくる。
俺は「藤井」と呼びかけた。
すすり泣きのあと、藤井は小さな声で答えた。
「ココがいなくって・・・、ううう、私家の中を捜したの。
そしたら・・・、うう、トイレの上の小さな窓が空いてて・・・。」
心配そうな目を向けてくる動物達を横目に、俺は聞いた。
「じゃあココはそこから外に出ていったってことだな?」
藤井の家はマンションの二階。
まだ小さなココがそこからどうやって出て行ったのか分からないが、家にいないならその窓から出て行ったとしか考えられないだろう。
「私・・・、その窓を閉めるのを忘れてて・・・、ううう、きっとそこからココが出ていちゃったんだ。
マンションの周りも捜したけど、何処にもいないの・・・、うう、有川君、どうしよう。」
藤井は明らかにパニックになっている。
あれだけ可愛がっていたココがいなくなったのだ。
当然だろう。
まだ藤井のマンションに行く電車は出ている。
俺はすぐに言った。
「分かった。
そっちに行くから一緒に捜そう。」
藤井はぐすんとしゃくり上げたあと、「ありがとう」と言った。
「とにかく少し落ち着け。
ココはまだ子供だからそう遠くには行っていないはずだ。
二人で捜せばきっと見つかるさ。」
電話の向こうで猫の鳴く声が聞こえた。
おそらくモモだろう。
モモも藤井とココを心配しているに違いない。
「じゃあ今からそっちへ行くから。」
俺は立ちあがってそう言った。
「うん、ありがとう。
私ももう少し捜してみる。
うう・・・、有川君。
きっと無事だよね、ココ。」
「当たり前だ。
きっとすぐに見つかるさ。
じゃあ今から行くから電話を切るぞ。」
藤井は泣き声で「うん」と言い、俺は電話を切った。
「出かけるの?」
ドアの近くまで行った俺にモンブランが声をかける。
「ああ、藤井の家のココがいなくなったらしい。
行って一緒に捜してくるよ。」
動物達はみんな心配そうに俺を見つめていた。
「真奈子の力になってやれよ。」
マサカリの言葉に頷き、俺はドアを開けて外に出た。
夜の湿気が肌にまとわりつく。
俺は走って駅まで向かい、その間藤井とココのことを考えていた。
きっと藤井は麻呂の時のことを思い出しているに違いない。
もうココが帰ってこないのではないかと心配でたまらないのだ。
藤井の力になりたい。
その思いだけを胸に、俺は駅まで駆けた。
汗が、体中を濡らしていた。

                                最終話 つづく



コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM