稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十九話 信頼を胸に(1)

  • 2016.05.20 Friday
  • 13:31
JUGEMテーマ:自作小説
病院の広い個室で、一人の少年がはしゃいでいる。
車のオモチャを持って、「ぶ〜ん!」と楽しそうに走り回っている。
俺は呆然としながら、その少年を見つめていた。
「伊礼さん・・・これって・・・。」
隣に立つ伊礼さんに目を向けると、「目が覚めたらこうなってた」と言った。
「加藤は瀕死の状態だった。いつ死んでもおかしくないほど危険だったらしい。」
「そんなにですか・・・?」
「呼吸が止まり、心臓も何度か停止したそうだ。医者は何かのショック症状だと言っていたが、原因はさっぱりだとさ。」
「そうですか・・・・・。でもこうして目を覚ましてくれたんだからよかったです。だって会社で倒れた時、今にも死にそうなほどだったから・・・。」
走り回る加藤社長を見つめながら言うと、「本当にそう思うか?」と睨まれた。
「確かに加藤は目を覚ました。しかし・・・・これを見て本当によかったと思うのか?」
子供みたいにはしゃぐ加藤社長を見て、伊礼さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「命は助かった・・・。でもそれは肉体の話だ。中身はもう・・・・この世にはいないのかもしれない。」
辛そうにそう言って、しばらく加藤社長を眺める。そして「すまん・・」と言って病室を出て行ってしまった。
「あ、伊礼さん!」
追いかけようとすると、「冴木君」と課長が止めた。
「今は一人にしてあげよ。」
「でも・・・・・、」
「私にだって分かる。この少年はもう・・・・加藤社長じゃないって。」
「そ・・・そんなことないですよ!きっと一時的に幼児退行してるだけで・・・・、」
「・・・・・・・・。」
「だってこのんなのおかしいですよ!加藤社長が戻って来たのは、あの怪人を倒す為なんですよ。だったらまだこの世から消えるわけが・・・・、」
「気持ちは分かる。でも・・・・・・、」
課長も加藤社長を見つめ、切なさそうに眉を寄せた。
「冴木君言ってたよね、加藤社長が時間が無いって呟いてたって。」
「・・・・・・・・・・。」
「加藤社長、きっと自分でも分かってたんだと思う。もう時間がそこまで迫ってるって。」
「違いますよ・・・・少し時間が経てば、元に戻るはずです。今はショック症状の影響で・・・・、」
「・・・・そうだね。」
課長はそう言って、これ以上は何も言うまいと黙り込む。
その目はとても悲しんでいて、俺に気を遣っているようにも思えた。
すると伊礼さんが戻ってきて、「冴木・・・ちょっといいか」と呼んだ。
「なんですか・・・?」
「実はな、万が一の時の為に、加藤から手紙を預かってたんだ。一つは俺宛、もう一つはお前にだ。」
そう言って懐から手紙を取り出し、俺に差し出した。
「加藤が病院へ運ばれたって聞いた時、最悪のことを考えた。だからあいつが残した手紙を持って来たんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「あいつは随分とお前のことを気にかけてた。よっぽどお前のことが気に入ってたんだろうな。」
「・・・・・・・・・・。」
「あいつはいつだって周りのことを一番に考える男だったが、でも個人的に誰かに肩入れするような奴じゃないんだ。
俺の知る限り、あいつは博愛主義者とでもいうか・・・・・個人に対して目を掛けることはほとんどなかった。
そんなあいつが、お前には興味を抱いていた。それに期待してたんだ。お前の持つ可能性とやらにな。」
伊礼さんは切ない声でそう言って、「それ、読んでやってくれ」と小さく笑った。
「何が書いてあるのかは知らない。でもきっと良い事さ。あいつの遺言と思って、大事にしてやってくれ。」
ポンと肩を叩き、「俺は会社に戻る」と言った。
「もうここにあいつはいない。でも俺は、あいつの意志を引き継がなきゃいけない。何としてもあの怪人だけは・・・・、」
伊礼さんの顔が憎しみに歪む。そして「そういえば・・・電話で何か言ってたな?」と睨んだ。
「あの怪人の重要な情報を掴んだとか?」
「ええ・・・・。」
「いったいどんな情報だ?」
「・・・・・・・・・・。」
「冴木、悲しいのは分かるが顔を上げろ。戦いはまだ終わってないんだぞ。」
そう言って肩を揺さぶられ、「悲しむのは全部終わってからだ」と励まされた。
「あの怪人が会社に巣食う限り、加藤は浮かばれない。だから今は・・・戦うことが弔いと知れ。」
「・・・・分かってます。でも急にこんな・・・・、」
呑気にはしゃぐ少年を見て、悲しみと切なさがこみ上げる。
手紙を握りしめ、グッと唇を噛んだ。
すると課長が、「素顔と性別が分かったんです」と答えた。
「私たちの知り合いが突き止めてくれました。」
「本当か!?」
伊礼さんはパッと笑顔になる。課長はバッグの中から写真と書類と取り出し、「これを」と渡した。
「車のフロントガラスに顔が映っています。おそらくそれが怪人の素顔です。」
「これが・・・・何とも地味だな。」
「それに書類にはメールのやり取りが印刷されています。その中に怪人の性別を特定できるような内容がありました。」
「すごい・・・・今まで一切謎だったのに。」
伊礼さんは写真と書類を見つめながら、「詳しく聞かせてくれ」と言った。
課長は頷き、淡々とした口調で説明を始める。
その周りを少年が走り回り、無邪気な声を上げていた。
「・・・・・・・・・。」
俺はそっと病室を抜け出し、廊下の椅子に座る。
加藤社長が残した手紙を見つめ、封を開こうと指を伸ばした。
でも途中でやめ、ポケットにしまう。
《これはまだ読まない。もし封を開けるとしたら、それは怪人を倒した後だ。》
ゆっくりと立ち上がり、病院の外へ向かう。
時刻は午後九時前。
病院の庭は外灯に照らされ、ぼんやりとベンチが浮かび上がっている。
近くの自販機でコーヒーを買い、ベンチに座る。
プシュっと缶を開け、手の中でもてあそんだ。
《病院へ来た時、あの怪人はいなかった。加藤社長が目を覚まして、その様子がおかしいことに気づいてからすぐに帰ったそうだけど・・・・。》
あの怪人は加藤社長を利用していた。
孤児院から引き取り、自分の手駒として操っていた。
でも目を覚ました加藤社長は、以前とはまるっきり変わっていた。
見た目だけでなく、中身まで子供に戻ってしまっていた。
きっとそれを見て、もうこの少年は役に立たないと見捨てたんだと思う。
あの怪人は、少年に加藤社長の魂が宿っていたことを知らないから、目を覚まして様子が変わってしまったことに驚いただろう。
でもそれ以上に、利用価値がなくなってしまったことに落胆したはずだ。
だからさっさと少年を見捨て、病院を後にしたに違いない。
「あの少年にとっては、これでよかったんだろうな。加藤社長の魂が抜けて、自分の肉体を取り戻した。それに怪人からも解放されたわけだし。
でも・・・・加藤社長の魂はもうここにはいない。せっかくこの世に戻ってきたのに、何も出来ずに消えちゃうなんて・・・・。」
悔しさがこみあげて、タバコを一本咥える。
火を点け、外灯に向かって煙を飛ばし、それが流れていくのをぼんやり眺めた。
「ずっとあのままってわけにはいかなかったと思う。あれは他人の身体だから、いつかは出ていったはずだ。でも・・・まだ早すぎる。成仏するには早過ぎるよ・・・・加藤社長。」
あの人と知り合って、まだそう時間は経ってない。
だけど俺の中では、とても大きな存在だった。
優秀だし、優しいし、決して弱音を吐かないし。
それにこの世に戻って来てまで、みんなを守ろうとした。あの怪人の手から・・・・・。
だから俺は・・・あの人に憧れた。心の底から、素直にカッコいいと思った。
いつか俺も、こんな風になりたいなって・・・・。
「いきなりいなくなるなんて酷いですよ・・・・。せめて怪人をやっつけるところを見てから・・・。」
いくらぼやいても、もうあの人は戻って来ない。
二度も死人が蘇るとは思えないし、神様だってそう何度もチャンスは与えてくれないだろう。
「あんなにカッコよかったのに、オモチャではしゃぐ子供になっちゃって・・・・。それが本来の姿だって分かってるけど、どうしても切なくなる。
子供の姿でも、ビシッと仕事をしていたあの人と比べてしまうから・・・。」
病室ではしゃぐあの少年を思い浮かべ、もう本当に加藤社長はいなくなってしまったんだなあと実感する。
煙を飛ばしながら、ズズッとコーヒーを飲んだ。
流れゆく煙は外灯に照らされ、もくもくと四方へ散らばっていった。
それを見つめながら、輪っかの煙を飛ばす。
ふわふわと宙へ浮かび、薄っすらと消えていった。
また輪っかを飛ばし、宙に消えていく。
寂しさを誤魔化す為に、俺も子供みたいに遊んだ。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・あれ?」
煙で輪っかを作っていると、ふとあることに気づいた。
「あの少年って・・・・確か・・・・。」
俺は思い出す。初めて加藤社長と出会った、次の日のことを。
あの日の新聞には、確かこう書かれていた。
『稲松文具に最年少社長誕生か!?』
一面にデカデカとそう書かれていた。
そこには加藤社長の顔も載っていて、その横にこんな文字が。
『靴キング!社長 加藤猛君(12)』
あの記事を見た時、俺は驚いた。
まさかクレーマーの婆さんの孫が、グループ会社の社長だなんて思わなかったから。
しかもその孫の年は12歳。
小学六年生にして、一企業の社長。
でもそれは身体が12歳なのであって、中身は違う。
あの少年の魂はれっきとした大人で、しかもバリバリ仕事の出来る人だった。
その魂が抜けた今、少年は本来の姿に戻るはずだ。
「そう・・・元に戻るはずなんだよ。でも戻ってない。あの少年・・・・元通りになんかなってないんだ。」
俺は立ち上がり、大きな病棟を見上げる。
上の階の個室にはあの少年がいて、きっとまだオモチャではしゃぎ回っているはずだ。
「あの子・・・12歳なんだよな?だったらオモチャを持って走回ったりするかな?
ぶ〜んとか言いながらはしゃいでたけど、それってどう考えても12歳にしては子供過ぎるよな。」
俺は自分の子供時代を思い出す。
俺が小学六年生の時、いったいどんな感じだったかを。
「あの頃・・・・まだオモチャで遊んでた記憶はある。でもそれはゲームとかカードバトルしたりとか、そんなんだったはずだ。
車のオモチャを持って走り回るなんてことはなかったな。」
子供の成長には個人差があるから、一概にどんな遊び方をするかなんて言えない
だけどいくらなんでも、あそこまで子供っぽい遊びはしないだろう。
だって車のオモチャではしゃぎ回るなんて、もっと小さい子のやることだから。
「・・・・・・・・・。」
病棟を見上げながら、眉間に皺を寄せる。
「これ、もしかして・・・・・。」
湧き上がった疑問は、ふつふつと強くなる。
いても立ってもいられなくなって、病院へ駆け出した。
しかしすぐに足を止め、ポケットに手を入れる。
さっきもらった手紙を取り出し、「俺の考えが正しければ・・・」と睨んだ。
封を切り、中から手紙を取り出す。
そこには一枚の手紙が入っていて、達筆な文字でこう書かれていた。
《よう冴木!これを読んでるってことは、俺は病院にでも運ばれた後なんだろうな。
なんか最近身体の調子がおかしくてさ、意識が抜けそうになるんだよ。きっともうじき死ぬってことなんだと思う。まあ元々死んでるんだけどな。》
そう書かれた文章の後には絵文字が付いていて、あの人らしいなと思った。
《きっと俺に残された時間は少ない。だって本当はもう死んでるはずなんだし、この身体だって別の人間のものだ。
だからそろそろあの世へ逝けって神様が言ってるんだろうな。だけどこのままくたばるつもりは無い。
俺がこの世に戻って来たのは、あの怪人を倒す為なんだから。それを終えるまでは、石に齧りついてでもこの世にとどまってやる。》
今度は怒ってる絵文字が描かれていて、俺はクスッと笑った。
《いいか冴木。これをお前が読んでるってことは、俺は多分危険な状態なんだと思う。だからこのまま死ぬこともあるわけだ。
その時はこの手紙を捨ててくれていい。だけどもし生きてるなら、このまま最後まで読んでくれ。》
「ちゃんと生きてますよ、加藤社長。」
俺はそう呟き、先の文章を追った。
《俺はお迎えの時間が来るまで道化を演じなきゃいけない。だから前みたいにお喋りするのは無理なんだ。》
「分かってますよ。」
小さく笑い、ゆっくりと先に目を進める。
《もしまだ俺が生きてるなら、とにかく子供のフリをする。それも幼稚園児みたいに小さな子供のフリだ。オモチャで遊んだり、ギャーギャー喚いて走り回ったり。
別に頭がおかしくなったわけじゃないぞ。そうやって徹底的に子供のフリをすることで、あの婆さんの手から離れるのが目的だ。》
「ええ、そうだろうと思いました。」
コクリと頷き、「あれ、明らかに12歳の子供じゃないですから」と言った。
《あの婆さんは俺を利用してるんだ。見た目は子供だけど、知能は大人並の俺を養子に引き取ることで、都合の良い手駒にした。
だけど俺が目を覚ました時、中身まで子供っぽくなってたら、きっと捨てるはずだ。このガキはもう使い物にならなくなったって思ってな。》
「あなたの目論見は上手くいってますよ。あの怪人はあなたを見捨てて帰りましたから。」
《もう俺には時間が無い。だからあの婆さんの傍にいちゃ何も出来ないんだ。限られた時間の中であいつを倒すには、俺だって博打を打たなきゃいけない。
だから俺は、今から死ぬまで子供のフリをする。そうやってあの婆さんの目を欺く。
そうすることで、あいつは本社に取り入る手段を失うからな。でも決して諦めたりはしない。どうにかして本社に手を伸ばそうとするはずだ。》
「俺もそう思います。あんな狡賢い奴が、そう簡単に諦めたりしないだろうから。」
《だけどもう選挙は近い。だからあの婆さんも、今までみたいに用意周到に準備をしている時間は無いんだ。だからそこを狙う。
焦って下手な小細工を打ってきたところを押さえるんだ。》
「もうすでに奴の情報は幾つか掴んでます。伊礼さんにその情報を渡したから、きっと正体を暴いてくれるはずですよ。」
《お前と伊礼の働きに期待してるよ。だけど俺だってただ子供のフリをしてるわけじゃない。
今は言えないけど、実はあの婆さんを倒せるかもしれない武器を一つだけ持ってるんだ。》
「武器?」
俺は首を傾げ、「加藤社長も何か掴んでたのか?」と呟いた。
《でもその武器を使うには、タイミングが重要だ。だから今は誰にも言えない。もしどこかから漏れてしまったら、全て台無しだからな。
でも逆に言えば、それほど強力な武器ってわけだ。その武器を有効に使う為にも、お前と伊礼には期待してるぞ。》
手紙の本文はそこで終わっていて、俺は「なんだろう・・・その武器って?」と唇をすぼめた。
「あの怪人を倒せるほど強力な武器か・・・・・。今はまだ言えないって書いてあるけど、すごく気になるな。」
色々と考えを巡らせるけど、まったく何か分からない。
でもこの人がハッタリを言うはずがないから、その言葉を信じようと思った。
そして本文の下に、PSと続いていた。
《俺さ、こうしてこの世に戻って来られてよかったと思ってるよ。あの怪人を倒せるチャンスを掴んだわけだし、それに親父の建てた会社を守ることも出来るから。
だけどもう一つ良いことがあって、それはお前に出会えたことだ。
冴木、お前は面白い奴だよ。俺が今までに出会った人間の中で、お前みたいな奴はいなかった。
優秀な奴はたくさんいたし、ボンクラだってたくさんいた。だけど優秀でボンクラな奴ってのは初めてだ。
だからお前を見てると面白くてしょうがないよ。》
「これ・・・・褒めてるのか?」
《それに変態的な・・・もとい超人的な記憶力まで持ってて、ちょっと目にしたことでも全部覚えてる。ますます面白い奴だ。
その特別な才能、ちょっと羨ましいよ。だってコンビニでエロ本を立ち読みするだけで、全部覚えられるんだもんな。
レジにエロ本を持って行って、女の子の店員の前で恥ずかしい思いをしなくて済むわけだ(笑)》
「女の子のいるレジになんか持って行きませんよ!ていうかコンビニとかで買わないから!」
《優秀でボンクラ、しかも超人的な記憶力の持ち主。こんな変わった奴はどこを探したっていない。
お前を見てるとまったく飽きないっていうか、腹抱えて笑えるっていうか。》
「これ・・・・絶対に褒めてないな。」
《でもな冴木、お前の一番の魅力は別のところにあるんだ。それが何か分かるか?》
そう問われて、「なんだろう・・・?」と首を傾げた。
「俺の一番の魅力・・・・まったく人見知りをしないこととか?それとも難しいゲームでもけっこう簡単にクリアしちゃうとか?」
色々と考えながら、手紙の先を読んだ。
《お前の一番の魅力、それは信頼だよ。人と人は繋がってなくちゃ生きていけない。その上で一番大切なのが信頼なんだ。
この人なら本音を言える。この人なら任せられる。この人なら本当の自分を曝け出してもいい。
相手にそう思わせるには、お金や名誉じゃダメなんだ。信頼がないとダメなんだよ。
お前はその信頼を持ってる。なぜかは分からないけど、お前に対してなら心を開きたくなってしまうんだ。
だから冴木、この先も変わらないでくれ。成長はするべきだけど、でも中身は変わらないでほしい。
どんなに偉くなろうが、どんなに金持ちになろうが、いつまでも信頼できる冴木でいてくれ。》
手紙の最後にはそう書いてあった。
思わず目が潤み、「加藤社長・・・」と手紙を読み返した。
「俺・・・・嬉しいです。あなたにそこまで言ってもらえるなんて。自分の憧れてる人に信頼されるなんて・・・こんな嬉しいことはないです。」
ギュッと目を押さえ、湿った指を服で拭う。
手紙を戻し、「俺、やりますよ」と頷いた。
「絶対にあなたの信頼を裏切ったりしません。だから見ていて下さい。俺があなたの会社を守るところを。」
ポケットに手紙をしまい、加藤社長がいる病棟を見上げる。
すると伊礼さんが出て来て、「読んだか?」と尋ねた。
「はい。」
「あいつ怪人を化かしやがった。道化を演じてあの怪人の手から離れやがったんだ。」
伊礼さんは可笑しそうに言い「いい気味だよな」と笑った。
「いつもは自分が騙す側なのに、今回は騙されやがった。腹を抱えて笑いたい気分だよ。」
「なら・・・伊礼さんの手紙にも?」
「ああ、さっき読んだ。途中で笑いがこみ上げてきたがな。」
「あの人らしいですよね。一筋縄じゃいかないっていうか。」
「それが魅力だからな。」
「加藤社長・・・俺を信頼してるって書いてました。俺、あの人に憧れてて、だから絶対にその信頼を裏切りたくないんです。」
「俺も裏切りたくないさ。あいつは親友だからな。」
俺たちは顔を見合わせ、笑いながら頷いた。
そこへ課長もやって来て、「冴木君・・・」と呼んだ。
「加藤社長・・・・、」
「分かってます。あの人はまだこの世にいる。」
「君の方が正しかったんだね。あの人はまだ消えていないって。」
「そう簡単にくたばるような人じゃないですよ。だってあの世から戻って来た人なんですから。」
「そうだね。」
課長は小さく頷き、「君はいつだって誰かを信頼してるんだね」と笑った。
「俺が?」
「うん。嘘ついたり逃げたりしないのは、きっと人を信頼してるからよ。そんな君だからこそ、周りも君を信頼するんだと思う。」
「なら・・・課長も俺のことを・・・・、」
「もちろん。」
課長は女神の微笑みでそう答える。
俺は嬉しくなって「なら有川って人よりも・・・?」と尋ねた。
「あの人と俺・・・・どっちが信頼出来ますか!?」
そう言って詰め寄ると、課長は困った顔で「え〜っと・・・」と言った。
「そういうのって・・・・比べるものじゃないと思うから・・・・、」
「でも強いて言うなら!?」
「そんなこと言われても・・・・。」
「そこを何とか!」
「冴木君・・・・顔が怖いよ。」
課長は俺を宥めながら苦笑いする。
「え?ああ!すいません・・・つい興奮しちゃって・・・。」
「私は本当に信頼できる人としか付き合わないの。だから君も信頼してるし、有川さんも信頼してる。それに箕輪さんや栗川さんだって。」
「・・・それって・・・みんな信頼してるってことになるんじゃ・・・・?」
「そうよ。だって信頼に順位なんてないんだから。」
もっともなことを言われ、俺は「そ、そうですよね!」と笑う。
そして《俺が一番じゃないのか・・・》と落ち込むと、伊礼さんに肩を叩かれた。
「冴木よ・・・・。」
「はい・・・・・。」
「今のはマイナスだぞ。」
「はい・・・・?」
「信頼は求めるものじゃない。自然に得られるものだ。なのに他人との信頼を比べるなんて・・・・彼女に嫌われるだけだぞ。」
小声でそう言われて、「はうあ!」と引きつった。
「冴木・・・前から思ってたんだが、お前ってまさか童貞か?」
「な、なんですか伊礼さんまで!?」
「女性に対しての距離の取り方がな・・・・・どうも極端というか。大人しいかと思えば、急に強引になったりする。それは女性経験に乏しい男の特徴だ。」
「ぐはッ!」
「念の為に言っておくが、童貞で30を過ぎても魔法使いにはなれないんだぞ。」
「知ってますよそんなの!」
「いや、お前のことだからな・・・・もしかしたら信じてるんじゃないかと思って・・・・、」
「信じるわけないでしょ!」
唾を飛ばしながら言って、「どいつもこいつも・・・」と唇を尖らせる。
すると課長が「ねえ伊礼さん。素人童貞ってどういう意味ですか?」と尋ねた。
「ああ、それはな、いわゆる風俗で筆おろしを・・・・、」
「あー!あー!言わなくていいですから!!」
「風俗で筆おろし・・・・。風俗は分かるけど、でも筆おろしって・・・何?」
「課長!もうやめましょう!」
「冴木よ・・・まさかお前は素人どうて・・・・、」
「だからもういいってば!」
どいつもこいつも、なぜこんな話にこだわるのか?
俺が童貞かなんてどうでもいいじゃないか!
伊礼さんは「早く卒業しろよ」と言い、課長はまだ「筆おろしって何だろう?」と呟いている。
なんだか頭が痛くなってきて、一気にやる気が削がれた。
《加藤社長・・・この場にあなたもいたら、きっと俺をからかうんでしょうね。だけど出来ることなら、もう一度だけあなたとちゃんと話したい。
童貞ってからかってくれてもいいから、この世から消える前にもう一度・・・・・。》
加藤社長は道化を演じている。きっとこの世から消えるまでそうしているつもりだろう。
それはあの怪人の目を欺く為だと分かっているけど、せめて向こうへ逝くまでに、もう一度きちんと話をしたかった。
叶わない願いだとしても、またあの人の言葉を聞きたい・・・・・。
病棟を見上げ、手紙の入ったポケットを叩いた。

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